国語科授業場面におけるデ ィスコ ミュニケーション に関する研究 序説
‑ 高等学校 「古文」授業場 面の事例分析 を通 して
松本 修
1
.研究の目的 と方法1.1.
研究の目的社会学の領域における解釈的パラダイムに基づ く研究の一領域 として成立 したエスノメソ ドロジー
e t h n o m e t h o d o l o g y
における会話分析c o n v e r s a ti o na nal ys i s
、ない し語用論p r a g m a ti c s
領域で その影響下に発展 した談話分析d i s c o u r s ea n al ys i s
、さらにはやは りエスノメソ ドロジーに関心を持 つ心理学領域でのプロ トコル分析pr o t o c o la n al ys i s
といった一連の研究的関心と研究方法が、教 科教育の領域で一つの研究スタイル として大 きな位置を占めるようになってきた (1)。これには、認知 科学という学際的領域への関心もかかわってお り、授業の中で行われている過程そのものを分析のデー タと方法を誰にでもわかる形で共有 しつつ、客観的な知識 として成果を把握 しようとするよりも、む し ろ授業 とその研究に参加する主体それぞれの解釈を相互関係の中でそれぞれに成立させようという志向 をもつ研究スタイルである。こうした研究はたとえば医療現場におけるカンファレンスc o n f e r e n c e
に類似するということが指摘されてお り(2)、授業カンファレンス、研究カンファレンス、授業 リフレ ク.シヨンなどと呼ばれる授業研究において、医療チームが用いる医療データにあたるものとして、授業 そのものの微細な記錠が重要なものとして扱われている。しか し、授業の微細なデータをビデオテープなどか ら起 こし、個人や集団による研究の材料 とするに は、大きな時間的 ・労力的コス トがかかる。分析のための概念装置の精密さとあわせ、それだけのコス
トが、教育実践そのものを豊かにするのか、 という素朴な疑問も一方にあるのが現実である。た しかに、
授業者の教育意図と教材や学習者 とのかかわ りを追跡するだけな らば、微細なデータは、特別な局面で だけ必要 となるものであろうか ら、授業をまるごと トランスク リプ トする必要はないかもしれない。だ が、授業には授業者が容易には気付かない問題が潜んでいることも確かであ り、こうした当事者が気付 かない問題についてはエスノメソ ドロジーや談話分析がある程度明らかに してきたことである。こうし た領域の関心は、普段明確に気付かないコミュニケーションの方法を明らかにすることにあるか ら、こ の研究は教師が明確に自覚 してはいない教授技術の問題に通 うことは気付かれよう。授業における出来 事の説明そのものに重 きを置 く研究においても、結局はそのメ リッ トは、個人ない し集団としての教師 への教授技術 (人格的な要素をも含む)としての還元 ということになろう。個人への還元か集団への還 元かには大 きな差があるものの、研究の目的からして、教師の職能成長にとってメ リッ トとなることが 眼目となることには違いがあるまい。
今日、授業記録が分析方法 とあわせて重要視されているのは、およそ以上のような文脈にあると思わ れるが、私の関心はむ しろ、そうした問題以前のところにある。つまり、教授技術や、授業におけるコ ミュニケーションの実態か ら見るコミュニケーション上の方略以前に、言葉によって何事かを教える‑
KE
学ぶという行為に付随する、本質的な困難があるように思えるのである。これは、言葉によって言葉壱
教え一学ぶ、国語科の授業において最も典型的に現れる困発ではないかと思われる。ウイトゲンシュう
インの言うように、「人一人の人間が異なる言語ゲームに属する時、その相互交渉 としての言語的コ
ミ
ュニケーション、あるいは言語についての言語的コミュニケーションがいかに困難な本質を持つ活動「あるかは、考えてみるまでもない。国語科の授業過程には、実に様々な飛躍があ り、我々が普段言葉iこ よってコ ミュニケーションを行 っていることの奇跡以上の奇跡があ り、一方、よ り原初的な形でのディ スコミュニケーションがあるだろうと考えられるのである。
このようなことを、授業の実際の場面に即 して、主としてディスコ ミュニケーション場面に焦点を凍
てつつ、検討 していこうというのがこの研究の趣 旨である。この検討によって、国語科の授業において 言葉を教え一学ぶ という事態が、 どのような困発を本質的に抱えているかをを整理 し、国語科の授業と
いうものを考えるための新たな視座を手に入れたいと願 う。
1.2.研究の方法
1.2.1.ディスコミュニケーションの規定
ディスコミュニケーションdiscommunicationは、相互誤解 mutualmisunderstandingと区別されて
「相互不達」と訳される。その違いは、 「相互誤解」が、 「理解されると思っていた内容を意図 して伝 えたのに相手はそれを理解できずに意図とは異なる理解をして しまう
」
事態であるのに対 して、 「相互 不達」が、コミュニケーションのいずれかの当事者に、相手 とのコミュニケーションの達成に対する、意図的 ・非意図的な非協力があ り、いわば相互に 「相手はコ ミュニケーションを達成 しようとする意志 を欠いている」と思いこんで しまうような事態であるというところにある。授業 という場面は、教師と 児童 ・生徒 という一見安定 した権威に支えられた関係の上に成 り立っているようであ りながら、生徒相 互の人間関係、教師を媒介に した生徒相互の人間関係、教師と生徒の人間関係が複雑にからみあってい る上に、教科の授業の局面、個人的なつきあいの局面、部活動の局面といった様々な局面による位相の 違いが重なって、複雑なコミュニケーション場面 となっているのが実際である。このような場面にあっ ては、いわゆる 「協力の原理
」
(グライス)に支えられた理想的なコミュニケーションも現出するかわ りに、相互誤解や相互不達もまた現出してお り、それぞれのコ ミュニケーションの不全を分析すること も容易でない上に、その原因の析出もまた容易ではあるまい。ここでは、相互誤解 と相互不達の区分を 認めた上で、研究の当初においては一括 してディスコミュニケーションとして扱い、区分の現実的な境 界があきらかにできた時点で区別 して扱うこととしたい。また、この場面がディスコミュニケーションだという認定そのものが極めて微妙な問題になる。コミ ュニケーションの当事者にとってもディスコ ミュニケーションとしての自覚がな く、ある観察者にとっ てもそう見えないが、別のある観察者にはディスコミュニケーションとして見えるということが十分起 こ り得る。ここでは、以下の研究の方法に示すとお り、授業を行った教師による (観察者によるインタ ヴューを含む)刺激回想記録
(3)
をとってお り、授業後の感想、ない しこの記録において、ディスコ ミ ュニケーションであると授業者が認定 したもの、 または、観察者がディスコ ミュニケーションであると 認定 し授業者の同意を得たもの、を便宜上ディスコ ミュニケーションとして扱 うこととする。なお、こ の一連の研究においては、授業のビデオをとる時点で、研究の目的そのものは授業者に伝えることとす る。授業において、ディスコミュニケーションは、常に回避さるべ く意識されているものであるため、研究の目的を伝えてもデータそのものは変わ らないと判断するか らである。
1.2.2.
研究の方法① 授業の撮影記録 今回は、授業者 (若杉俊明)に依頼 して、その授業をビデオテープに撮 影記録 してもらった。以降、授業者に依頼するか、できれば参観 して撮影 記録 を行 う。
② 刺激回想記録の採取 授業後、私 と授業者 とでビデオの記録を視聴 しなが ら、授業にかかわる ことが らについて、 自由に授業者に話 してもらい、カセッ トテープに緑青 記録する。このとき、必要に応 じて、私 自身も質問 した りすることもある。
この段階でデ ィスコ ミュニケーション場面については確認 してお く。
今回は、授業者をよ く知 っているために行わなかったが、場合によって、
授業者の国語教育についての理念、信念についての簡単なレポー トを書い て もらい、参照で きるように してお く。
③ トランスク リプ ト ビデオの授業記録、カセ ッ トテープの刺激回想記録を時間にそって トラ ンスク リプ トする。この形式については現段階では未確定な部分があるが、
適切な形式を模索する。また、指導案や配付 プ リン トなど、分析に必要な 範 囲で参照する。
④ 分析 トランススク リプ トに基づ き、ディスコ ミュニケーション場面について、
なぜそのようなことが起こるのかについて授業場面にそった分析 をすると ともに、その背後にある言語的コ ミュニケーションの本質について考察す る。考察の結果はレポー トにまとめ、授業者に読んでもらってコメン トを もらう。
およそ以上のような手続 きによって事例研究を蓄積するとともに、発表されている トランスク リプ ト を含む研究を参考に し、国語科授業場面におけるデ ィスコ ミュニケーションの体系的整理 を行い、言語 的コミュニケーションの困華に関する実相 と本質を見極めたい。なお、私の関心は上のようなところに あるが、この研究に関与する授業者にとっては、いわゆるカンファレンスない しリフレクション研究 と 同 じような研究過程 となると同時にさらなる授業研究の素材 として トランスク リプ トなどの資料が提供 されることになる。
2.
古典の授業におけるデ ィスコ ミュニケーションの事例分析2.1.デ ィスコミュニケーシ ョン場面の認定
検討の対象 とするのは、1997年2月20日に栃木県立宇都宮女子高等学校2年5租で行われた古文の授 業である。授業者は若杉俊明で、教師歴
15
年 目である。教材は 『大鏡』のいわゆる 「三船の誉れ」
の 箇所である。この学校の一校時は、65分で、本授業は第‑校時にあたる。授業全部を教室前方の右(生徒か ら見ると向かって左)に置いたビデオカメラで撮影記錬 した。時折、授業者がカメラの角度を 調整 している。 トランスク リプ トは、授業前半の50分程について行 った。
トランスクリプ トされた記録 は 「国語科授業場面におけるデ ィスコ ミュニケーションに関する研究 ・
(3)
授業記録1」として提示 した。その9時15分台の箇所に次のような場面がある。
*教師 ・生徒の言語活動
T41 とのたまはすれば、はい、またむずか しいの出て来たね。のたまはす・・・。これ どう解釈すi こう解釈 しますか ? ‑マーこう解釈 しますか ? はい、 どっちに解釈 しますか ? ‑マーと つちに解釈 しますか ? ‑マ‑どっちに解釈すべ きだろう。はい、今か ら2分間与えます。克
くの人と話 し合 って、結論出して ください。必ず結論出せよ。はい、 どうぞ。‑長いマー T42 はい、わかんないのは隣に聞けよ、ちゃんと。はい。一長いマー
T43 のたまはす、 しかないか ? 一長いマー T44 もちろん、こういう中に入るよ。一長いマー
T45 はい、それ じゃちょっと。えーと‑。あー、誤解 してる人いるかな。私の意図を。これ、贋 いてるのは、こういうことだよ。これ、これか、これ、 ‑マー
( S全然違 う)こうかってこと
だよ。これ、こう書い、こうとっても大 して違いないで しょ。こうなのか、こうなのかでも適 いないわけですよ。問題はこれかこれかって話ですよ。はい、もう、あと1分さ しあげます。一長いマ‑
S34 あー、あー、
*刺激回想記録
これ、奉 らすとか、のたまはすとか、たとえば、承 らすとかね、認定するか どうか とかね、専塾 語を強めた り謙譲語 を強めた りするのを認定するかどうか乾 しいとこですね。文脈の把握にかかわ
って くるか ら、ここでは問題 にしてるんですけどね。
直接公任に言っているとはれないような気がするんですけどね。
この話 し合いの意図が分かっていないのがいっぱいいたのかな。
生徒のなかに、のたまふプラス 「す」なのか、のはまはすなのか、 ということで、尊敬だと解斬 していなが ら、のたまはす‑分けるか分けないかというふ うに・・・・・・全然違 うって言ってる‑・・・
(板書は使役か、 どうか、) そうそう。
(あー、つて言ってるのは今わかったんだな) ふふ。
教師 ・生徒の言語活動に、 「えーと‑。あー、誤解 してる人いるかな。私の意図を。これ、聞いてる のは、こういうことだよ。これ、これか、 これ、‑マー
( S全然違 う)こうかってことだよ。」 とあ り、
刺激回想記録に 「この話 し合いの意図が分かっていないのがいっぱいいたのかな。生徒のなかに、のた まふプラス 「す」なのか、のはまはすなのか、 ということで、尊敬だと解釈 していなが ら、のたまはす
‑分けるか分けないか というふ うに・・・・・・全然違うって言ってる・・‑・」とある通 り、授業者はこの箇所を ディスコ ミュニケーション場面として認定 した。この箇所は、授業直後に、授業者が私にデ ィスコ ミュ ニケーション場面があった旨報告 した箇所である.刺激回想記録 をとったのは、授業か らおよそ‑か月 後 となったが、改めて授業者 自身が認定 した。
2.2.
デ ィスコミュニケーションの内容の分析該当箇所にかかわる教科書本文を示す。 (教科書は、尚学図書 『新選古典
‑
』pp.157‑158.)ただ し、ルビは略す。
*本文
ひととせ、入道殿の大堰川に進通せさせたまひ しに、作文の船、管弦の船、和歌の船 と分かたせ たまひて、その道にたへたる人々を乗せさせたまひ しに、この大納言殿の参 りたまへるを、入道殿、
「かの大納言、いづれの船 にか乗 らるべ き。」 とのたまはすれば、 「和歌の船に乗 りはべ らむ。」
とのたまひて、よみたまへるぞか し、
小倉山あらしの風の寒 ければもみぢの錦着ぬ人ぞな き
申し受けたまへるかひあ りてあそば した りな。御みづか らも、のたまふなるは、 「作文のにそ乗る べか りける。さてかばか りの詩をつ くりたらましかば、名のあがらむこともまきりなまし。口惜 し か りけるわざかな。さても、殿の、 『いづれにかと思ふ。』 とのたまはせ Lになむ、われなが ら心 おごりせ られ し。」 とのたまふなる。一言のす そるるだにあるに、か くいづれの道もぬけいでたま ひけむは、いにLへ もはべ らぬことな り。
資料末尾の板書の内容を参照 しながら、ここで生起 している事態を素描 してみよう。
まず、T41において、本文3行 目の 「とのたまはすれば」 という表現をとりあげ、板書 (資料 ・板書
4A)
しなが ら、 「のたまはす」 という語の巳然形 とみるか、 「のたまふ」の未然形+ 「す」の己然形 とみるか、 ということを尋ねている。刺激回想記録にある 「文脈の把握にかかわって くるから、ここで は問題に してるんですけどね」 という発言は、か ぎ括弧で引用された 「かの大納言、いづれの船にか乗 らるべ き」 という言葉が、道長 自身が直に発言 しているものか、それとも人伝のものであるかにかかわ るため、取 り上げたものであろう。授業者は、 「今から2分間与えます。近 くの人と話 し合って、結論 出 して ください。」と指示 しているが、話 し合いはうまく進行 しない。そのため、T42で、 「はい、わ かんないのは隣に聞けよ」 という指示を出 して、問題を正確に把握 していない生徒に注意を促 している が、その後の机間巡視では、生徒の大半が 「のたまはすれ」を2語に分析する場合でも尊敬語+尊敬の 助動詞 として問題を把握 していたために、要領を得ないや りとりが行われている (T43.
44)。刺激回想 記録に 「この話 し合いの意図が分かっていないのがいっぱいいたのかな。/生徒のなかに、のたまふプ ラス 「す」なのか、のはまはすなのか、 ということで、尊敬だと解釈 していながら、のたまはす・・・分け るか分けないか というふ うに」 とある通 りである。そこで授業者は、T45において問題の再提示を行い、板書を追加 しつつ (資料 ・板書4B)、2語に分析する場合は使役の助動詞 として把握 していることを 示 し、尊敬語 +尊敬の助動詞 という問題の把握ではないことを理解させている。生徒は、T45の発言中 に 「(S全然違 う)
」
と反応 して、今までの自分達の誤解を理解 している。S34の 「あー、あー」 とい う言語活動は、 「やっとわかった」という感情 を表現 したものである。この過程は、刺激回想記録でも、「・‑・・全然違 うって言ってる‑・・・(板書は使役か、 どうか、)そうそう。 (あー、つて言ってるのは今 わかったんだな)ふふ。」 というや りとりとして現れている。
(5)
2.3.
デ ィスコ ミュニケーションの原因の分析このデ ィスコ ミュニケーションは、単純な誤解 とも見える。実際、4Aの板書の段階で、4Bの堀 にある 「尊
」
「使役」な どの文字を書 き込んでいた ら、 このプロセスは生起 しなかったはずである。 弓授技術 としては、ここの部分での問題限定の援味 さ、不徹底 をと りあげ、改善点 と して把握すること
右
なろう。 しか し、 このデ ィスコ ミュニケーションが起 こるには他 の問題がかかわ っているように思え). 第 1に、授業の文脈効果 とでもいうべ きものが指摘で きる。この授業の開始時点では、T2「はい、j
れでは今 日か ら大鏡の本文を読んでい きたい と思 い ます。」、T3「今 日か らはあの一本文 を読んでいき たいと思います。」 という形で 「読む」 とい う情動 を行 うということを予示 しているだけだが、雑談良 な解釈の導入部 (T6,T7)を経て最初 にたちどまる箇所 が、T9「さて、ここで文法的な ことを確認 し「
お きま しょう。道連せさせたまひ しに、 ここを品詞分解 してみ ま しょう.」 とな ってお り、中心的な弓習内容が、 「文法的なこと」であ り 「品詞分解」であるという印象 を与えるようなもの とな っている。
刺激回想記録 (8:55)に 「品詞分解は普通2か所 くらい しかや らせないですね。/ (ここは敬語の間男
があるか らや ってる ?)/ うん
。」
とある通 り、授業者は品詞分解 を主軸に した形式的な授業展開にささ 否定的である。 しか し、授業の中で最初 に提示され る本格的な学習課題が 「文法的なこと」
「品詞分舟 であったため、本時の学習内容がそのような もの と して生徒 に把握 された可能性がある。T9で提示さオた学習課題 についての検討は、T18まで及んでお り、お よそ10分 をついや している。そ して品詞分岸 のお きま りの手順で、 「サ変
」
「尊敬」
「助動詞」
「補助動詞」
「最高敬語」 といったタームによって 解決されてい く (S5,TIO,S6,Tll,S7,T12,S8,T13,S9,T14)。この学習内容がこの授業の中心的なものと
して生徒 に把握 されると、以下の解釈過程その ものは、単なる経過的なもの として把握 され ることに為 ろう。生徒の側か らみ ると、頻繁 に質問を受け、指名されて回答 を求め られるのは、 「文法的な」
間男 であるため、その傾向は一層強 まろう。T21で 「はいまた敬語少 し考えてみようか。はいこれ、品詞に 分けて下さい。」 とい う形の指示がだされて、同様 の学習活動が行われ、さらにT30で 「先程尊敬尊苛 で した。 どう違いますか。今度は謙譲尊敬 とい う形 、 ということは、先程は動作主 を二回高めま したカ ら最高敬語.今度は高める対象が違います。」 とい う発言があって、敬語 を含む表現の内部での品詞月 解 そのものが解釈 を決定 するという印象が強 まった と考え られる。さらに、T41での 「はい、 またむず か しいの出て来たね。」 という発言がこの印象 を強化 し、そのため、 「のたまはすれ」 という表現 を一 つ とみ るかこつ とみるかが、敬語の解釈上の問題 だ とい うふ うに生徒が とらえた と考え られ るのである つ ま り、授業者は、全体 としての通釈を行 うことに主眼 をおいてお り、敬語の検討や品詞分解そのもの には重点 をお こうとしていないにもかかわ らず、生徒の側 は、敬語の文法的な検討、品詞分解そのもの に学習の重点があるもの と理解 し、 この表現の敬語 が一つか二つか という点にもっぱ ら関心が行 って し まった と思われる。第2に、 この授業者の意図が別のところにあるのに、古文の学習、古文の解釈 とは、品詞分解 に基づ く逐語的な意味確定の作業のことであると生徒 が思 い込んでいる可能性があるとい うことがあげられよ う。これは授業 を取 り巻 く外的な文脈 と表現で きる。授業 という小状況的文脈 に対 して、一種 の大状況 的文脈 といってもよい。生徒 は、 この授業者の授業 においてのみ古文の学習を しているわけではな く、
他の国語科教師による授業の経験があ り、参考書な どを用いての 自習があ り、学習塾や通信添削な どで の受験勉強がある。そ うした経験が形作 る 「古文 の学習」の蓄積が、この授業における授業者の意図を こえて学習の中身を規定 して しまうとい うことが起 こっている可能性がある。この点については、今回
は何の資料もないが、授業後、生徒側 に刺激回想記録やアンケー ト、インタヴューなどを実施すること で、こうした側面への資料を得 ることも可能 となろう。
さらに、このあとの授業展開にかかわって、テクス トの読みにおける状況依存的な解釈 と逐語的 ・文 法的な解釈 との二つの交錯の問題があげられる。この箇所が道長の公任への直接の発言であるか、道長 の発言をうけて誰かが伝達 したものであるかは、 「す」が使役かどうかという一点にかかわる問題では ない。T51の授業者の発言に次のような箇所が見 られる。
いいですか、これ多分ですね、あの‑敬語的な方を優先 して考えれば、これ、どうかんがえるか っていうと、わざわざ使者を行かせたというよ りは、彼がぽろっともらした言葉を誰かが伝えてい ったんだというふ うに考えるん じゃないで しょうか、つまりわざわざ聞きにいかせたん じゃな くて、
道長 そらいの人間が、ん‑誰、彼はどうなんだろうねって言ったら気を利かせるじゃないですか、
( S
笑い)聞きに行 くじやないですか。多分回 りの者が気い使って聞きに行ったとか、あるいは自 然に話が伝わったとか、そういうことなん じゃないか と、いう解釈されます。そうすると一応両方 取れますが、こちらに取 っておいた方がよろしいか と、強い尊敬、の、のたまふよりも強いのたま はす、ととって置 くべ きなんで しょうかね。 一長いマー/はいもちろん、 **が言っていたこと も考えられないわけ じゃないけどね。板書の修正 と再指示によって、学習は授業者の意図に沿 って展開 しているが、 「す」を独立させて使 役 ととらず、道長への最高敬語 「せたまふ」の使用 とのバランスをとって 「のたまはす
」
と認定 したとしても、状況か らみて道長の公任への直接の発言 とは考えられない。そこで、授業者は、状況を補って、
使役は使われていないけれども、使役 として 「す」を判断 した生徒の根拠 となる状況が説明可能である ことを説明 している。ここに解釈上の根拠 として異なるレベルが混在 していることにな り、使役 と判断 した生徒が、このレベル横断的な解釈についていけたどうかは反応がないため、分からない。T51末尾 の 「長いマ」は、生徒の理解の程度を把握 しかねている迷いとも考えられる。それが、 「はいもちろん、
**が言っていたことも考えられないわけ じゃないけどね。」という一種の後退 ともとれる発言でこの 箇所の解釈を収束させることにつながってい草ともみえる。刺激回想記録 (9:19)に 「こうやって話 し 合いをすることによって、 自分たちが読んで行 くんだっていう意識がで きるのかなと思って。 どうして も解釈の授業だと解釈 しちやってお しつけちゃうか ら。」 とあるように、授業者は古文を読むという行 為を学習者の主体的活動にしたいと願 っていることがわかる。 しか し、この場合、二様の解釈が文法 レ ベルで成立するな ら 「二つの解釈が可能だ」という結論で収束 しえただろうが、文法 レベルでは使役 と とることがほぼ不可能だと授業者が判断 してお り (刺激回想記録 9:12 「これ私はのたまはすの尊敬語 ととりたいんです」)、一方で状況か ら見て使役 と判断する生徒の状況解釈そのものは正 しいと判断 し ているために、やや混乱が生 じたというべ きであろう。 授業者の意識の中では、品詞分解が、状況的な 文脈をも含んだ解釈につながるものとして初めから予定 されているが、生徒の側にはそうした見通 しは ないため、別々のレベルが途中か ら交錯 した印象になって しまう結果になったわけである。文学作品の 読みにおいては、様々な解釈の根拠が混在するのがむ しろ常態であるから、この事態そのものは驚 くべ きことではないが、文法 レベルの検討 という独特の古文解釈の方法が、一義的な解釈の確定の切 り札に なることが多いために (実際、試験の解釈問題の採点基準はそのようにたて られる)、他の解釈の根拠 との混在が、 しっくりしない状況を生むのたといえよう。刺激回想記録
( 9: 2 0)
に見られる 「古典の場 合には文法的なものと色々な要素があって、ぱっと出 した指示に対 してなかなか生徒が反応 しな くて、(7)
10分 くらいロス しちゃうこともあるんですよね。」 という授業者の発言は、以上のような事態を認矧 ての発言 とみることができよう。この点については、文法 レベルの解釈 と場面の文脈を考慮する解軌 を明確に分けることによって混乱を回避することもできようが、古文の解釈でどの程度そうしたこと
j
実際上可能かは微妙であろう。
3.課題
以上の検討によって、次のような研究の方向が確かめられた。
ディスコミュニケーションの分析において、①授業における小状況的文脈効果の検討 ②授業を勧 大状況的文脈効果の検討 ③言葉の解釈にかかわる多様な基準 (コー ド)の相互関係の検討 がなさオ ることになる。これ ら三つは、それぞれさらに下位区分されるパタンを持つであろう。その区分に関う
る理論的検討が必要である。特に③は、テクス トそのものによる解釈の他に、人間関係や経験そのも
¢
のに依拠するような解釈も含む (特に小学校の授業などにおいては)ものと考えられ、さらに多様な寸 のとなる可能性がある。
会話分析 という新 しい方法は、そこに起 こっていることそのものを研究の対象 とし得たという点で、
新 しい展開を生んだ。 しか し、あるス トラテジーが認められても、なぜそのス トラテジーが用いられ々 のか、 とか、そのス トラテジーがなぜ有効なのかという問いには答えられず、依然としてブラックボt) クスは残 って しまう。完全にブラックボ ックスをな くすことはできないにせよ、上のようない くつか
¢
観点か らの検討によって、様々な文脈における様々なコミュニケーションの方法がどう関係することて コ ミュニケーションが阻害され、また、可能であるのかを追求 していきたい。その上で、 「ことばを孝 える」 という行為がどのような意味を持つものなのかについて、発話行為理論や哲学的コ ミュニケ‑〜ヨン論な どを参照 しつつ考察 していきたい。 ■
4.分析に対する投業者の感想をめ (・って
ここまでの分析 を授業者に提示 し、感想を求めた。提示 したのは9月中旬、回答を得たのは、10月名 句であるb感想において授業者は、概ね分析を受け入れながら、解釈のレベルの混在の問題について、
さらに踏み込んだ分析 を行っている。
まず、最高敬語などを含む文脈における解釈が、女房などの介在が現実の文脈 として存在 しているこ とをあげ、発話者を限定することが文法的な解釈によってほとんど一義的に可能 とする分析者の考えプ を しりぞけている。確かに指摘の通 りであろう。ただし、古文解釈における発話者は、現実の発話者弓 問題に しているのではな く、敬語にかかわれば、 「そのような敬語を使用する必然性のある立場の発言 者」を問題にしているわけであ り、学習者の意識 としても現実の発話者を考える余裕はなかろう。こJ 文脈では使役 ととることにより、伝達者の介在が明確になるので、扱う意味があるというのは、授業弓 の言う通 りであるが、使役 ととった場合には敬語表現の一貫性が壊れる。このことを授業者も指摘 し、
「発問そのものの妥当性に問題があった」と踏みこんでいる。だが、授業者も言うように、 「話 し合も による文脈の検討を先に行い、その文法的考察を基にして再び文脈の確定へと向かう授業」が行われ「
いれば、 「使役」 とする 「創造的な誤 り」を引き出 し、対立を踏まえて文法的な考察が解釈に有効に偵
く学習場面 を作 ることがで きただろうと考え られ る。
全体 として授業者の感想 は、いわゆる リフ レクシ ョン研究において、他の分析者の解釈 を経 由するこ とで、単な る技術上の問題ではない地点での検討 を授業者 自身にも可能 にするという利点のあることが 見出だせ る好例 となっているように思われ る。
注
(1) た とえば次のような研究がある。
藤 岡信勝 『ス トップモーション方式 による授業研究 の方法』 学事出版 1991 稲垣忠彦 『授業 を変えるために‑カ ンファレンスのすすめ』 国土社 1986 水越敏行 ・梶 田叡一編 『授業研究 の新 しい展望』 明治図書 1995
淳本和子 ・お茶の水 国語研究会編 『わか る ・楽 しい説明文授業の創造 一授業 リフレクション 研 究のススメ』 東洋館 1996
『授業 における教師の意思決定 に関す る実証的研究』 (その1) 筑波大学教育学系 1991
『授業 における教 師の意思決定 に関す る実証的研究』 (その2) 筑波大学教育学系 1993
『授業 における教師の意思決定 に関す る実証的研究』 (その3) 筑波大学教育学系 1994
『授業 における教師の意思決定 に関す る実証的研究』 (その4) 筑波大学教育学系 1995
『国語科教育実践場面の研究7‑国語科教育実践 に関する研究カンファレンス (「価値 自由」
討議 )の試み ‑』 上越教育大学言語 系教育研究系国語 コース 1994
『国語科教育実践場面の研究8‑国語科教育実践 に関す る研究カンファレンス (「価値 自由」
討議 )の展開 ‑』 上越教育大学言語 系教育研究系国語 コース 1995 (2) 稲垣忠彦 ・佐藤学 『授業研究入門』 岩波書店 1996 p.190
(3) 刺激回想記録 については 『授業 にお ける教師の意思決定 に関する実証的研究』 (その 1・2・ 3 ・4) 筑波大学教育学系 の方法 に倣 った。
資料 と して 1 授業 の一部 についてのプ ロ トコル と刺激回想記録 2 板書
3
分析 についての授業者 の感想 「分析 を読 んで」○す付杏
(9)
(まつ もと おさむ 上越教育大学)
国 語 科 授 業場 面 に お け るデ ィス コ ミュニ ケ ー シ ョンに関 す る研 究 授 業 記
鐘 1
1 授 業 デ ー タ 授 業 者 若 杉 俊 明 (男 性 ・教 師歴15年 目)授 業 日
1 9 9 7 .2 . 2 0
教 材 「大 鼓」 三 船 の誉 れ
ク ラ ス 栃木 県 立宇 都 宮 女 子 高 等 学 校2年5組
2
プ ロ トコル (部 分 )I教 師 ・生 徒 の言 語 活動 刺 激 回想 記 録
Sl
起 立 、 礼 。T
l・S2
お はよ う ござい ます。T2
はい、 それ で は今 日か ら大鏡 の本 文 を読 ん で で い きた い と思 い ます。T3
はい、 前 回 の授 業 で は少 し大 鏡 とい う作 品 に つ い て 簡単 にや りま した。 今 日か らはあの ‑ 本 文 を 読 ん で い きた い と思 い ます。 え ー と、そ れ で はです ね
、1 57
ペ ー ジ、 三 船 の誉 れ、い きた い と思 い ます。
T4
あ とを つ い て読 ん で くだ さい。T5
ひ と とせ。S3
ひ と とせ 。‑略 ‑ (以 下 、音 読 )
T6
え ー と、 ひ と とせ 、 ま ああ る年 とい う感 じで しょ うか ね。 入 道 殿 、 入道 殿 、 入道 って い う と、道 に入 って い る、道 とい うの は もち ろん これ は、 え ー と‑、 ま あ仏 の遣 って い うこ と です か ら、 何 か お坊 さん か な と思 うか も知 れ ませ ん が違 い ます よ。 え ー と、 藤 原道 長 、 例 の道 長 の こ とを さす わ けです ね。‑マー
T7
は い、 そ の 入 道 殿 の、 これ主 格 で しょうか ね 、 入道 殿 が 、 大 堰 川 に冶 遥 せ させ た まひ しに、道 長 、 入道 殿 が あ る年 の こ と、 大 堰 川 に お い て ・・・‑。 大 堰 川 ご存 じで し ょ うか。 修学 旅 行 で行 きま した ? 大 堰 川 。川 下 りなん て や り
T 板書
1
大義 の授 業 で す ね。 日本史 ・ 生 物 の ク ラスで す ね。 だか ら 鐘物 とか い う言 葉 は知 って そ のが い る。 文 系 の生 徒 が多 L. ので 、比 較 的 ま じめ な クラブ です。
この前 の時 間 に は大義 の概考 をや ったん で す け ど、老人力 語 って る とか 、 語 りの構 造 を 中心 に。 本 文 を読 むの は初 改 て です。
これ 、普 通 にや って る授業 て す ね。 最 初 読 ん で、解 釈 して いっ もは、 こ うや って後 につ いて読 ませ て い るん です。
時 間 教 師 .生 徒 の言 語活 動 行動
刺 激 回 想 記 録
5 5
5
5 ま した ? 川下 り禁止 で した つけ ? も しか S あの辺 行 く生徒 お お い と思 う して ......渡 月膚 の あた り行 きま した つけ ? 隣同士 で嵯 峨野 あ た り冶 遺 せ させ た ま ひ し人 いな い ? 小声 で会 んで す け ど○品詞 分 解 は普 通
2
か所 くらいS 4 ‑ 笑 い ‑
T請T8 は い、 あの、 え ー と、嵐 山の方 か ら流 れ下 つ て くる、 あ の川 ですね. 大堰 川 に、迫 題 、何 だ ろ う これ、遭 遇 、坪 内迫 遥 なん て い うの ご 存 じです ね○ 迫遥 とい うの は、 まああの ‑ぷ らつ くこ とを遼 遥 とい うわ けです○ この場 合 は大 堰 川 にお け る船遊 び、 そ の船 遊 びの こと を言 うわ けです ね○
T9 さて、 こ こで文法 的 な ことを確 認 して お きま
し よ う○ 適 遥 せ させ た まひ しに、 ここを 品詞 しか や らせ ないで す ね.
分 解 して み ま しょう. 冶 遺 せ させ た まひ しに
、 板 書 T S
小声2A (こ こは敬語 の 問題 が あ るかいか が で しょうかO ‑マ ‑ らや つて る ?)
はい、 品詞 に分 けて下 さい○ いかが で し ょ う うん○ べ た ‑ とや らせ る と時 か
○2 0
日で した つけ今 日、2 0
日 ? * *君 か 間食 うだ けで ..‑..らい くか、
****。
はい ? はい. (指 名 は ?)S5
追 遥 せ .../ / 指名 は数 字 で. 女 の子 はむずT1 0
迫 遥 せ まで が ? か しいん です よ○ 深 読 みす るS6
動 詞○
か ら○に とを は本 当 に確定 で きないT1 1
動 詞 ね 、 追 遺 す とい うもち ろん サ変 です ねo そ れ か ら ?S7 さす が 、尊 敬 の助動 詞
T1 2
はい、 ...‑ た まふ が ?板 書 しな
S8
尊 敬 の補 助動 詞○ が ら2BT1 3
尊 敬 の補 助動 詞 ねS
Lが 、 過去 の ..‑..助動 詞○ ノー トを
‑マ ‑ Tとる
はい、 にが ち ょっ と難 しいねo え ーた まひ し に、 接 続 助 詞 なのか格 助詞 なのか○ その 次 に 作 文 の船 、管 弦 の船 、和 歌 の船 と分 か たせ た た ま ひて と続 いて ます か ら、 一応 、 た ま ひ し 時 に とい う、 時 にを捕 え る とい うことで 、格 助 詞 と とって お いて下 さい○ こ うい うこ とね○
は い、 遭 遺 す で サ変動 詞、 さす とた まふ で尊 ね. 何 年 古 典 や つて て もむず
I
re時 間 教 師 .生 徒 の言 語 活 動 行 動 刺 激 回想 記 鐘
5
5
敬 ○ こ ち らが 助 動 詞 、 こち らが 祐 助 動 詞 O 等 指 さす2 か しいね○敬 プ ラ ス尊 敬 の形 、 を と ります ○ こ うい うの A B 生 徒 に迷 って る と ころ を閏も、.
を何 敬 語 とい い ま した つけ、 これ何 敬 語 つ つ T てみ る と、何 とな くど ち らオ た つ け ? 何 敬 語 つて い った つけ ? ー何 敬 語 反 応 を見 に い くか ら、 文 脈 で把 轟 はし
と言 い ま した つけ ? ‑マ ‑ なが らT て るみ た い○(偶 然 なん で す か)
30番 * *○
S9
最 高 敬 語 。T 1 4
最 高 敬 語 で す ね。 最 高 敬 語 つて ど うい う時 に 使 う敬 語 ?S10天 皇 ○
T 1 5
天 皇 とか 、 皇 后 とか ね ○ は い、 動 作 主 が 天 皇 、 皇 后 で あ る と き、 尊 敬 で まず そ の動 作 主 を 高 め る̲、 主 格 を たか め る○ で も うい つ ち よ う同じよ うに動 作 主 を高 め る〇 二 回 動 作 主 を 高 め 板 書
2C
るわ け で す ○ そ れ が 、 最 高 敬 語 とい う こ とで す ね○ この場 合 誰 を高 め て ます か。40番 * * い か が で す か○
S l
l道 長 ○T 1 6
道 長 で す ね . はい○ 道 長 、 天 皇 で は あ りませ ん ○ しか しで す ね 、 ま、 こ こで は、 え ー と‑、この 前 回 の 授 業 で 申 しま した よ うに、 この道 長 の す ぼ ら しさ、 ま、 もち ろん そ れ と同 時 に 批 判 性 もあ ったわ けで す か 、 道 長 の こ との を 語 る の が 主 眼 で した○ ま、道 長 に対 す る患 い 入 れ と い うのが 当然 強 いわ けで す. しか も、
ま、 臣 下 と して上 り詰 め た最 高 の位 で す ね○
そ うい う点 で最 高 敬 語 とい うの が 使 わ れ て も 不 思 議 で は な いわ けで すo Lか も、 も う一 言 言 え ば 、 世 継 さん と、 夏 樹 さん が ‑ ...夏 樹 さ ん じ ゃね え や 、真 樹 は お れ の息 子 の名 前 だ ‑.
Sl lT 1 7
‑笑 い‑ 出 て しま ったん で すo 繁 樹 とT 1 8
世 継 ぎ さん と繁 樹 さん が しゃべ って るわ けで きた ら夏 樹 と○す ○ し ゃべ って い る とい う こ とは、 しゃべ り 言 葉 の 中 で は敬 意 は多 少 軽 減 す る とい う原 則 が あ り ます の で 、 決 して お か し くは な いん で
時 間 教 師 .生 徒 の言 語 活 動 行 動 刺 激 回想 記 録
9: 0 0 0 T1 9
た ま ひ し折 に、 作 文 の船 、 作 文 とい う と君 た T 分 か つ ○ こ こは生 徒 は迷 うと ち は あ あ、 千 字 の小 論 文 書 か な き やな とか 、思 い浮 かべ るか も しれ ませ ん が 、 逢 い ます よ、
漢 詩 で す よ、 作 文 ○ 喪 詩 の船 、 管 弦 の船 、 す な わ ち これ は、 音 楽 、 そ れ か ら、 和 歌 の船 、 作 文 の船 、管 弦 の船 、 和 歌 の船 、 と分 か たせ た ま ひて、 は い、 分 か つ は分 け るで す ね 、 で
せ た まふ 同 じで す ○ ね o これ と同 じで す よ。 前 の板 書 ころ です か らね ○
お分 け にな って 、 ‑マ ‑船 遊 び つて い うの は を指 す
2
まず ひ っか か る と ころ は、 か さ、 船 に乗 って 川 下 り して お も しろ い な あ、 の大 納 言 と言 って い るの に、なん て遊 ぶ な ん て い うの はお前 らの遊 び方 とい う と ころで す ね○
( S
笑 い) 、 貴 族 は逢 い ます ね 、 ち ゃん と こ うい う遊 び を します ね ○ とお分 けに な って、そ の道 にたへ た る人 々 ‑ そ の道 にたえ て る人 々 つて ど うい う人 々 で し ょ うかO ‑マ ‑を の せ させ た まひ し、 の せ させ た ま ひ し、 のせ る に させ るに た ま ひ しで す か ら、 乗 せ が 動 詞 で さす 、 た まふ 、 ま た同 じです ね 、 お乗 せ に な る○ これ はみ ん な道 長 の 命 で す べ て の この追 遥 が 動 いて い る、 とい うこ とが おわ か りに な るで し ょう○ 道 長 が この よ うに、 全 部 あ の分 けた ん です ね o 道 長 の意 向で 全 部展 開 して い る○ そ の道 に た え た る人 々 を お乗 せ にな る、
そ の道 にたえ て る人 々、 たえ た る つて い う言 葉 はわ か らな い か も しれ ませ ん が 、文 脈 か ら 判 断 して い きま し ょうo いか が で しょ う.か○
1 0
番 * *○S1 2
そ れ ぞれの道 に、T2 0
うん 、sl 3
す ぐれ た、 す ぐれ て い る人 々○T2 1
とい うことに な るん で しょ うね○ き つ とね○は い○ それ ぞ れ の遣 って今 * *が正 確 に言 つ て くれ ま したo もち ろん 、和 歌 の船 に は和 歌 に優 れ た人 、 管 弦 の船 に は管 弦 に優 れ た人 、 作 文 の船 に は漢 詩 に優 れ た人 、 そ うい うの を そ れ ぞ れ、 え ーこ 優 れ て い る人 ね、 優 れ て い
(13)
教 師 ・生 徒 の言 語 活動 刺 激 回想 記 録
る人 を、 お乗 せ にな って、 な った、 時 にか な これ もね。 格 助 詞 です か この に も。 は い、 こ の大 納 言 の参 りた まへ る‑ ‑ この大 納 言 、 は い下 の注 の4番 見 て下 さい、 藤 原 公 任 、 和 歌 や 、 漢詩 や 和 歌 に優 れ て い る・・‑・・漢 詩 や和 歌 に優 れ て い る とい う こ とは、 和 漢 の 文 学 に優 れ て い た人 だ。 い いです か、 です か ら、 その 和 漢両 方 に慮 れ て い ま したか ら、 作 文 の船 に 乗 った って い い し、 ね 、 え ー、 どの船 に乗 る 資 格 もあ るわ けで す ね。 そ うい う彼 が 参 りた まへ る‑ ‑ 、 はい また敬語少 し考 え て み よ う か 。 はい これ 、 品詞 に分 けて 下 さ い。‑ 3番 の方 、 はい、 誰 だ。 * *はい。
S1 4
参 るが/ / T22参 るが ?S1 5
‑笑 い ‑ T23参 るが ?S1 6
動 詞T24動 詞 は動 詞 です が ・・‑‑まあ い いや 、 参 る、 は い ?
S1 7
た まへ る ?T25た まへ る まで に します か ?‑ ‑ これ、 ‑
S1 8
た まへ 。 ‑笑 い ‑T26た まへ まで ? これが ?
S1 9
尊 敬。T27尊 敬 の ?
S2 0
禰 助 動 詞。T28補 助 動 詞 、 はい。 こ こに動 詞 が あ ります か ら ね 、 これ補 助 動 詞 と考 え て よ いで し ょ う。 そ れ か ら ? ‑マ ー た まへ 、 とい う と己然 形 です よね。 巳然 形 に接 続 す る助 動 詞 って あれ
しか な いで しょ う。
S21
完 了 の ‑/ /T29はい、 ‑ ‑完 了 の り、 ね。 は い。 は い、 を は、
ん ‑、 か れ が来 たん で 、入道 殿 が こ うこ うっ って い うふ うな続 きです か ら、 一 応 これ接 続
T
板 書3A
T
カ メ ラを 動 か す
T
板 書 しな が ら
3B
T
板 書 を指 す
3
時 間 教 師 .生 徒 の言 語 活 動 行 動 刺 激 回想 記録
0
0 0
助 詞 と と つ と きま しょ うか ね○ 頗 接 の ねO はT
今 や つて るの語 りの問題 だ け い、 け っ こ うで す○ は い、 参 る、 い か が で しよ うか○ 動 詞 と言 って くれ ま したが 、 敬 語 的 に言 う と、 ど うだ ろ これ 、 敬 語 的 に言 う と ?
13
番
.**
S22謙 譲 ○
T3 0
謙 譲 語 ね○ は い○ は い、 よ ろ しいで し ょ うか○
先 程 と、 先 程 と、 先 程 尊 敬 尊 敬 で した。 ど う 板 書 を指
違 い ます か○ 今 度 は謙 譲 尊 敬 とい う形 、 とい すT
3
う こ とは、 先 程 は動 作 主 を二 回 高 め ま した か ら最 高 敬 語 ○ 今 度 は、 高 め る対 象 が 違 い ます ○ さ つ き は こ こで した よねo 同 じ人 を二 回 高 め ま したo 今度 は違 い ます よ○ はい、 そ れ ぞ れどれ を高 め て ます か○ こ こに あ た る人 は誰 で 板書 を指 す か ○ こ こに あ た る人 は ? 23番 、**○ す3 S23は い○
T31は いo
S24参 るが 作 者 か ら道 長 の と ころで/ /
T32道 長 の と ころ にで し ょ うね 、 これ はね ○ は い。 S25た まへ が 、作 者 が 、 公 任 ○
T3 3
は い、 とい う こ とで す よね 、 ‑マ ‑ 今 * *は、 あ の ‑地 の 文 だ か ら作 者 が 、 と言 って く 最 高 敬 語 と普通 の敬 語 が 出てど..‑‑○
れ ま した か ? は い これ は地 の文 な ん で す が 、 ま、 作 者 が と言 って もい い け ど、 ‑マ ‑語 り 手 ね 、 多分 老 人 で す ○ い い で す か○ え ー そ の 語 り手 が とい うに な って よ ろ しいん で す ね 、 大 鏡 の場 合 . 作 者 が とい うよ り語 り手 の 老 人 が と考 え て よ ろ しいで し ょ う○ あ れ あ の 、 そ
れ ぞ れ高 め て い る○ 参 上 な さ つた の で 、 入 道 きた か ら問題 に して るん です 殿 、 あ あ大 納 言 、 いず れ の船 にか 乗 らるべ き○
あ の 大 納 言 は どの船 に、 で 、 か、 が あ ります か らこれ疑 問 文 で す よねo 乗 らるべ きO ‑マ 一乗 ら、乗 るが 動 詞 だ ね.、 この乗 ら、 るの る は何 だ ろ う これ 、 ベ Lは何 だ ろ う○ 両 方 と も 助 動 詞 で す が 、 何 だ ろ う〇 一マ ‑ * *い か が
(15)
教 師 ・生徒 の言語活動 刺 激 回想 記 鐘
S26
るが 尊 敬 の・・・T3 4
尊 敬 の助動 詞。 はい。
S27ベ Lが意志 / /
T3 5
意志 と と ります か、 はい/ /S28
か、 適 当・・・T3 6
適 当 か ・・・S29
・・・T37
よ く分 か りませ ん ? じゃそ れ あ とで考 え ま し ょ うね。 はい まず、 乗 らる、 受 け身 可 能 自 発尊 敬 の うちの どれ だ ろ うと考 え ま しょ うか。自発 、 これ も変 だね 、乗 らる、 これ も尊 敬 と 考 え て よろ しいで し ょ う。 た だ し、 この尊 敬 は、 この尊 敬 は こ こで み た尊 敬 なん か よ りは 敬 意 が低 いん で す。 る、 らるの尊 敬 は。 だか らそ れ ほど、 お乗 りにな るなん て高 めて るわ け じゃな いん です 。 これ道 長 の意 識 で す よか ぎ括 弧 です か ら。 い いです か 、道 長 の意識 が 出 て ます よ。 ま、乗 られ るん だ ろ う、 その、
それ ほ ど高 い敬 意 は使 って ませ ん。 い いです か、道 長 の方 が 当然 力 も、 ね 、 地 位 もあ るわ けで す か ら。 乗 らるべ き、乗 られ るの が適 当 で し ょ うか 、 そ れ と も彼女 が 言 った よ うに意 志 で し ょうか。 ど う考 え ます か 。 推 量 とか 当 然 も ござい ます が。 ど う考 え ます か。 * *ど
う考 え ます か。
S30推 量 。
T3 8
推 量 、 なぜ 。 なぜ 意 志 じゃな い ?S31彼 が 、道 長 が どの船 に乗 るん だ ろ うか と考 え
て い るか ら。T3 9
はい これ道 長 、私 が乗 ろ うか じゃな いか らね。
い いで す か 、 * *い いです か。 私 が乗 ろ うか じゃな いか ら、 彼 は ど こに乗 るん だ ろ うか と い う、 推量 、 あ るい は当然 で も良 いで しょ う。
乗 る こ とにな るん だ ろ うか、 とか ね 、 強 い推 量 、乗 るん だ ろ うか、 あ るい は、 当然 乗 る こ
とに な るん だ ろ うか、 当然 そ うい う こ とにな