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「直訴と王権」韓国語版訳者序文及び著者序文 (宮 坂廣作教授退職記念号)

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(1)

「直訴と王権」韓国語版訳者序文及び著者序文 (宮 坂廣作教授退職記念号)

著者名(日) 原  武史

雑誌名 山梨学院大学法学論集

巻 45

ページ 229‑238

発行年 2000‑05‑25

URL http://id.nii.ac.jp/1188/00000845/

(2)

﹃直訴と王権﹄韓国語版訳者序文及び著者序文 訳

229 『直訴と王権』韓国語版訳者序文及び著者序文

はじめに

武 史

 ここに訳出するのは︑二〇〇〇年一月に韓国・ソウルの知識産業社から出版された原武史﹃直訴と王権ー韓国

と日本の民本主義思想史比較﹄︵原文は韓国語︒全二六〇頁︶の訳者序文︵五〜一〇頁︶及び韓国語版著者序文

︵一一〜一五頁︶である︒

 本書はもともと︑﹃直訴と王権−朝鮮・日本のコ君万民﹂思想史﹄と題して一九九六年四月に朝日新聞社か

ら刊行されたもので︑韓国記録管理学教育院のキム・イッカン教授と︑民族問題研究所のキム・ミンチョル責任研

究員により︑全文が韓国語に翻訳された︒韓国語版の出版に当たり︑原本にはなかった訳者序文と著者序文が加わ

っているため︑これを日本語に翻訳し直すことは意味があると考えた次第である︒なお訳者序文︑著者序文とも

に︑翻訳は原自身によるものであり︑忠実な逐語訳となっていることをお断りしておく︒ 翻

﹃直訴と王権﹄韓国語版訳者序文及び著者序文 訳

武 史

『直訴と王権

j

韓国語版訳者序文及び著者序文

はじめに

ここに訳出するのは︑二

O O

O 年一月に韓国・ソウルの知識産業社から出版された原武史﹃直訴と王権

l i 韓国

と日本の民本主義思想史比較﹄(原文は韓国語︒全二六 O 頁)の訳者序文(五 i 一 O 頁)及び韓国語版著者序文

( 一 一

1

一 五

頁 )

で あ

る ︒

本書はもともと︑﹃直訴と王権

l

朝鮮・日本の﹁一君万民﹂思想史﹄と題して一九九六年四月に朝日新聞社か l

ら刊行されたもので︑韓国記録管理学教育院のキム・イッカン教授と︑民族問題研究所のキム・ミンチョル責任研

究員により︑全文が韓国語に翻訳された︒韓国語版の出版に当たり︑原本にはなかった訳者序文と著者序文が加わ

229 

っているため︑これを日本語に翻訳し直すことは意味があると考えた次第である︒なお訳者序文︑著者序文とも

に︑翻訳は原自身によるものであり︑忠実な逐語訳となっていることをお断りしておく︒

(3)

法学論集 45〔山梨学院大学〕 230

訳者序文

 本書は︑原武史の﹃直訴と王権  朝鮮・日本のコ君万民﹂思想史﹄を翻訳したものである︒

 一般的に︑洋の東西を問わず︑前近代社会の国家権力︑すなわち王権は分権的で割拠的な支配方式を通して実現

された︒ただ︑各国の歴史的な条件に応じてその形態を異にし︑多様な政治体制を形成してきただけである︒著者

が注目するのは︑まさにこの多様性の側面である︒

 題目からも類推することができるように︑著者は我々には少しなじみが薄いが︑コ君万民﹂というキーワード

を通した上で︑朝鮮と日本の王権を比較政治史という枠を利用して分析した︒すなわち︑幕末日本に起こった固有

の政治思想であるコ君万民﹂思想を朝鮮にも拡大適用させ︑両国の相違点を明らかにしようとした︒

 これまでも︑朝鮮と日本の歴史を比較する論文が全くなかったわけではない︒しかし︑比較の対象が主に経済分

野に限定されており︑それも普遍的な発展法則を適用する問題に帰結させる傾向が多かった︒政治体制を扱って

も︑近代への転換期を中心としたものがいくつかあるだけである︒したがって︑この本が朝鮮王朝と徳川日本の政

治体制︑それも容易でない王権の問題を本格的に扱った点に︑新鮮な刺激と多くの示唆を投げかけている︒比較史

が一般的に抱えている問題︑すなわち一つの基準を設けておいて︑その基準に当てはまるか︑当てはまらないか式

に貸借対照法を作り︑体制の優越を比較する陥穽からも︑この本は免れている︒

 こうした点以外にも︑本書を翻訳しながら刺激を受けたのは︑著者がかなり複雑な問題を比較的やさしく書いて

230 

訳者序文

45 (山梨学院大学〕

本書は︑原武史の﹃直訴と王権││朝鮮・日本の﹁一君万民﹂思想史﹄を翻訳したものである︒

一般的に︑洋の東西を問わず︑前近代社会の国家権力︑すなわち王権は分権的で割拠的な支配方式を通して実現

された︒ただ︑各国の歴史的な条件に応じてその形態を異にし︑多様な政治体制を形成してきただけである︒著者

法学論集

が注目するのは︑まさにこの多様性の側面である︒

題目からも類推することができるように︑著者は我々には少しなじみが薄いが︑﹁一君万民﹂というキーワード

‑230‑

を通した上で︑朝鮮と日本の王権を比較政治史という枠を利用して分析した︒すなわち︑幕末日本に起こった固有

の政治思想であるご君万民﹂思想を朝鮮にも拡大適用させ︑両国の相違点を明らかにしようとした︒

これまでも︑朝鮮と日本の歴史を比較する論文が全くなかったわけではない︒しかし︑比較の対象が主に経済分

野に限定されており︑それも普遍的な発展法則を適用する問題に帰結させる傾向が多かった︒政治体制を扱って

も︑近代への転換期を中心としたものがいくつかあるだけである︒したがって︑この本が朝鮮王朝と徳川日本の政

治体制︑それも容易でない王権の問題を本格的に扱った点に︑新鮮な刺激と多くの示唆を投げかけている︒比較史

が一般的に抱えている問題︑すなわち一つの基準を設けておいて︑その基準に当てはまるか︑当てはまらないか式

に貸借対照法を作り︑体制の優越を比較する陥葬からも︑この本は免れている︒

こうした点以外にも︑本書を翻訳しながら刺激を受けたのは︑著者がかなり複雑な問題を比較的やさしく書いて

(4)

231 『直訴と王権』韓国語版訳者序文及び著者序文

いる点である︒日本の歴史大衆書がもっている長所を︑この本ももっているということである︒すべてがそうだと

いうわけではないが︑我々の歴史大衆書は興味本位のあまり︑深みがないばかりか︑事実自体を歪曲することもし

ばしばあった︒さもなければ︑あちこちから商品となるに値するものだけをつぎはぎして売りに出すことも珍しく

ない︒反面︑専門書はその名の通り︑専門家だけのための本として限定されており︑またそうでなければならない

という風土が依然としてあって︑歴史の大衆化とは程遠いというのが現状である︒このような面から︑この本は大

衆性と専門性︑主題の真摯さと読みやすさをともに備えている︒それゆえ翻訳も︑特別な専門用語を除いて︑でき

るだけ本来の意味を失わない線で︑やさしい言葉に移し変えた︒

 かなり大袈裟な話に聞こえるかもしれないが︑歴史の大衆化が︑実は特定集団や階層にのみ限定された知識を︑

多くの人々の共有物にするという点から見たとき︑そして他人の言葉にも耳を傾けて我々の視野をより深め︑幅の

広いものにするというありきたりの真理を考えたとき︑本書の翻訳も意味があるように思われる︒

 一君万民とは︑﹁徳川封建体制に見られる多元的な権力分散を天皇に集中させ︑天皇と庶民の間に介在する中間

勢力を排除すると同時に︑支配関係の身分的差別と地域的割拠性を排除して︑すべての人民を等しく天皇の支配に

服属させることを原則とする考え方﹂を意味する︒図式化していえば︑君−臣−民の統治構造から中間媒体である

臣を排除し︑直接君と民をつなげる体制のことである︒

 著者は︑日本では徳川幕府末期に現れた一君万民論が︑朝鮮では十八世紀にすでに一つの統治理念として定着し

たとし︑政治思想史という側面から見たとき︑こうした特徴は中国や日本とは異なり︑朝鮮にのみ現れた固有の現 いる点である︒日本の歴史大衆書がもっている長所を︑この本ももっているということである︒すべてがそうだと いうわけではないが︑我々の歴史大衆書は興味本位のあまり︑深みがないばかりか︑事実自体を歪曲することもし ばしばあった︒さもなげれば︑あちこちから商品となるに値するものだけをつぎはぎして売りに出すことも珍しく ない︒反面︑専門書はその名の通り︑専門家だけのための本として限定されており︑ またそうでなければならない

という風土が依然としてあって︑歴史の大衆化とは程遠いというのが現状である︒このような面から︑この本は大

衆性と専門性︑主題の真撃さと読みやすさをともに備えている︒それゆえ翻訳も︑特別な専門用語を除いて︑

で き

『直訴と王権j韓国語版訳者序文及び著者序文

るだけ本来の意味を失わない線で︑ やさしい言葉に移し変えた︒

かなり大袈裟な話に聞こえるかもしれないが︑歴史の大衆化が︑実は特定集団や階層にのみ限定された知識を︑

多くの人々の共有物にするという点から見たとき︑そして他人の言葉にも耳を傾けて我々の視野をより深め︑幅の

広いものにするというありきたりの真理を考えたとき︑本書の翻訳も意味があるように思われる︒

一君万民とは︑﹁徳川封建体制に見られる多元的な権力分散を天皇に集中させ︑天皇と庶民の聞に介在する中間

勢力を排除すると同時に︑支配関係の身分的差別と地域的割拠性を排除して︑すべての人民を等しく天皇の支配に

服属させることを原則とする考え方﹂を意味する︒図式化していえば︑君!臣ー民の統治構造から中間媒体である

臣を排除し︑直接君と民をつなげる体制のことである︒

231 

著者は︑日本では徳川幕府末期に現れた一君万民論が︑朝鮮では十八世紀にすでに一つの統治理念として定着し

たとし︑政治思想史という側面から見たとき︑こうした特徴は中国や日本とは異なり︑朝鮮にのみ現れた固有の現

(5)

法学論集 45〔山梨学院大学〕232

象であると見た︒そしてこれを裏付けるため︑二つの主題を説明の軸にすえた︒

 一つは︑統治者の側面からの接近である︒いわゆる君権と臣権の関係であり︑比較的君権が優位であった時期に

は︑一君万民思想が貫徹していたのである︒実例をあげながら︑著者は君権と臣権の強弱関係を中心に︑朝鮮後期

を五つの時期に分けている︒このなかで︑﹁蕩平政治﹂を行った英祖と正祖の執権期である第二期と︑高宗が大韓

帝国を樹立して皇帝となった第四期が︑臣権より君権が優越した時期であり︑この時期に朝鮮特有の民本主義︑す

なわち一君万民思想が実現されたと見ている︒そしてこうした思想は︑単に支配を正当化するためのイデオロギー

としてではなく︑実際に国王が民に一層近づくために自ら信じて実践した理念としても作用したのである︒

 もう一つは︑民の立場からの接近である︒上訴制度︑特に王に対する直訴制度の変化を通して︑朝鮮王朝で一君

万民思想が具体的にどのように実現されたのかということである︒英祖や正祖が一君万民思想を実践するため︑し

ばしば行幸をしたのは︑民心を知ろうとしたのと同時に︑これを政策に反映させるためであった︒直訴制度は︑ま

さに民心が反映するように制度化した政治なのであり︑国王と民の距離をより近くする政治でもあった︒したがっ

て︑統治を受けた民もまた︑一君万民思想を自らのものとして受け入れたのである︒

 韓日両国の政治史に対する研究の蓄積と︑これをもとに資料を比較してゆく著者ならではの独特の解釈は︑相当

な説得力をもっている︒しかし︑前近代政治史でいまだに解明されていないが故に︑意見がまちまちになっている

問題をどう克服するかという課題は依然として残っている︒

 まず︑この本でも便宜的に使っているが︑実は大変重要な概念である君権︵王権︶と臣権に対する規定すら明ら

232 

象であると見た︒そしてこれを裏付けるため︑二つの主題を説明の軸にすえた︒

一つは︑統治者の側面からの接近である︒ いわゆる君権と臣権の関係であり︑比較的君権が優位であった時期に

45 (山梨学院大学〕

l

一君万民思想が貫徹していたのである︒実例をあげながら︑著者は君権と臣権の強弱関係を中心に︑朝鮮後期

を五つの時期に分けている︒このなかで︑﹁蕩平政治﹂を行った英祖と正祖の執権期である第二期と︑高宗が大韓

帝国を樹立して皇帝となった第四期が︑臣権より君権が優越した時期であり︑この時期に朝鮮特有の民本主義︑す

なわち一君万民思想が実現されたと見ている︒そしてこうした思想は︑単に支配を正当化するためのイデオロギー

法学論集

としてではなく︑実際に国王が民に一層近づくために自ら信じて実践した理念としても作用したのである︒

もう一つは︑民の立場からの接近である︒上訴制度︑特に王に対する直訴制度の変化を通して︑朝鮮王朝で一君

‑232‑

万民思想が具体的にどのように実現されたのかということである︒英祖や正祖が一君万民思想を実践するため︑し

ばしば行幸をしたのは︑民心を知ろうとしたのと同時に︑これを政策に反映させるためであった︒直訴制度は︑

4

さに民心が反映するように制度化した政治なのであり︑国王と民の距離をより近くする政治でもあった︒したがっ

て︑統治を受けた民もまた︑ 一君万民思想を自らのものとして受け入れたのである︒

韓日両国の政治史に対する研究の蓄積と︑これをもとに資料を比較してゆく著者ならではの独特の解釈は︑相当

な説得力をもっている︒しかし︑前近代政治史でいまだに解明されていないが故に︑意見がまちまちになっている

問題をどう克服するかという課題は依然として残っている︒

まず︑この本でも便宜的に使っているが︑実は大変重要な概念である君権(王権)と臣権に対する規定すら明ら

(6)

233 『直訴と王権』韓国語版訳者序文及び著者序文

かでない︒朝鮮社会で王とは﹁天に代わって万物を治める存在︵代天理物︶﹂である︒したがって︑王の権限は原

理上天から発するものである︒それゆえ法を超越する存在である︒しかし臣下の権限︑すなわち臣権は王から発す

るものである︒したがって︑概念上王権と臣権はその権限の根源が違う以上︑厳密に区別して用いなければならな

い︒もちろん﹁勢道政治﹂のように︑臣下が思うままに権力をふるい︑﹁公権力﹂を私物化する現象はしばしば見

られるが︑これもまた王権を媒介にして初めて可能になるものである︒我々がよく使う王権と臣権を︑全く対等な

権限が互いに葛藤しているかのようにとらえることで︑前近代の王朝権力を解明する際に問題を生み出していない

だろうか︒

 そしてよく知られているように︑前近代の日本が分権的であったとすれば︑朝鮮は中央集権的な傾向が強かっ

た︒しかし︑こうした違いがなぜ起こったのか︑どのようにして違う結果が生み出されたのかに対する説得力ある

分析はまだない︒現象の違いを説明したものは多いが︑原因そのものに対する説明がないのである︒日本の場合

は︑次のような解釈も可能である︒すなわち︑封建体制の崩壊を防ぐために︑分散された権力を王に集中させる絶

対王政と同様に︑日本もまた臣下である幕府に与えていた権力を君主である天皇に直結させ︑体制の危機を克服し

ようとして出てきたのが︑日本の一君万民論である︒こうした解釈を朝鮮にそのまま当てはめることはできない︒

著者の主張するように︑朝鮮王朝の建国当初から一君万民論が統治理念として内在されていたならば︑その根源か

らして違うからである︒このような︑朝鮮で独自の一君万民論が現れるに至った理由が何なのかは︑解明すべき重

要な課題のなかの一つである︒

 時間と仕事に追われ︑当初の予定よりも翻訳の完成が大変遅れてしまった︒韓国語版の出版を待ち望んできた著 かでない︒朝鮮社会で王とは﹁天に代わって万物を治める存在(代天理物)﹂である︒したがって︑王の権限は原 理上天から発するものである︒それゆえ法を超越する存在である︒しかし臣下の権限︑すなわち臣権は王から発す るものである︒したがって︑概念上王権と臣権はその権限の根源が違う以上︑厳密に区別して用いなければならな い︒もちろん﹁勢道政治﹂のように︑臣下が思うままに権力をふるい︑﹁公権力﹂を私物化する現象はしばしば見 られるが︑これもまた王権を媒介にして初めて可能になるものである︒我々がよく使う王権と臣権を︑全く対等な 権限が互いに葛藤しているかのようにとらえることで︑前近代の王朝権力を解明する際に問題を生み出していない

『直訴と王権』韓国語版訳者序文及び著者序文

だ ろ

う か

そしてよく知られているように︑前近代の日本が分権的であったとすれば︑朝鮮は中央集権的な傾向が強かっ

た︒しかし︑こうした違いがなぜ起こったのか︑ どのようにして違う結果が生み出されたのかに対する説得力ある

分析はまだない︒現象の違いを説明したものは多いが︑原因そのものに対する説明がないのである︒日本の場合

は︑次のような解釈も可能である︒すなわち︑封建体制の崩壊を防ぐために︑分散された権力を王に集中させる絶

対王政と同様に︑日本もまた臣下である幕府に与えていた権力を君主である天皇に直結させ︑体制の危機を克服し

ょうとして出てきたのが︑日本の一君万民論である︒こうした解釈を朝鮮にそのまま当てはめることはできない︒

著者の主張するように︑朝鮮王朝の建国当初から一君万民論が統治理念として内在されていたならば︑ その根源か

らして違うからである︒このような︑朝鮮で独自の一君万民論が現れるに至った理由が何なのかは︑解明すべき重

233 

要な課題のなかの一つである︒

時間と仕事に追われ︑当初の予定よりも翻訳の完成が大変遅れてしまった︒韓国語版の出版を待ち望んできた著

(7)

法学論集 45〔山梨学院大学〕 234

者に心よりお詫びするとともに︑

謝の言葉を伝えたい︒ 忍耐しながら待って下さった知識産業社の社長と編集部の職員にも︑いま一度感

韓国語版著者序文 二〇〇〇年一月

訳者

 このたび︑私の本がキム・イッカン︑キムこ・\ンチョル両先生により韓国語に翻訳・出版されることになった︒

著者としてこれ以上の喜びはない︒本文でも書いたように︑本来私の専攻は韓国史ではなく︑日本近世の政治思想

史︵江戸時代〜明治時代︶である︒さほど詳しくもないにもかかわらず︑あえて韓国史に踏み込むようになったの

は︑それなりの理由がある︒

 これからの日本政治思想史研究は︑単に日本語の文献を読み︑日本だけを対象として研究したり︑従来の多くの

研究がそうであったように︑西洋思想史との比較を通して﹁近代性﹂を測定するだけでは十分でなく︑中国を含む

東アジア︵いわゆる儒教文化圏︶全体のなかで︑この時期の日本の﹁王権﹂1江戸時代ならば幕藩体制︑明治時

代ならば近代天皇制と呼ばれる体制  の特徴を明らかにしなければならないと判断したからである︒この本で︑

朝鮮王朝・大韓帝国と同時代の日本の﹁王権﹂を比較研究してみたのは︑これからの政治思想史研究のためのささ

やかな試みにすぎない︒

234 

者に心よりお詫びするとともに︑忍耐しながら待って下さった知識産業社の社長と編集部の職員にも︑ いま一度感

謝の言葉を伝えたい︒

45 (山梨学院大学〕

二 OOO

年一月

訳者

韓国語版著者序文

法学論集

このたび︑私の本がキム・イッカン︑ キム・ミンチョル両先生により韓国語に翻訳・出版されることになった︒

著者としてこれ以上の喜びはない︒本文でも書いたように︑本来私の専攻は韓国史ではなく︑日本近世の政治思想

史(江戸時代 i 明治時代) である︒さほど詳しくもないにもかかわらず︑あえて韓国史に踏み込むようになったの

は︑それなりの理由がある︒

これからの日本政治思想史研究は︑単に日本語の文献を読み︑日本だけを対象として研究したり︑従来の多くの

研究がそうであったように︑西洋思想史との比較を通して﹁近代性﹂を測定するだけでは十分でなく︑中国を含む

東アジア(いわゆる儒教文化圏)全体のなかで︑この時期の日本の﹁王権﹂

│ l

江戸時代ならば幕藩体制︑明治時

代ならば近代天皇制と呼ばれる体制ーーの特徴を明らかにしなければならないと判断したからである︒この本で︑

朝鮮王朝・大韓帝国と同時代の日本の﹁王権﹂を比較研究してみたのは︑これからの政治思想史研究のためのささ

やかな試みにすぎない︒

‑234

(8)

235 『直訴と王権』韓国語版訳者序文及び著者序文

 もちろんこのような研究ができたのは︑私が出会えた日韓両国の優れた先達の教えがあったためである︒私の視

野が日本から東アジアに広がることができた背景には︑日本政治思想史の開拓者である丸山眞男先生の研究を受け

継ぎながら︑丸山先生にはなかった中国と日本の比較という観点を導入した渡辺浩教授の一連の研究があった︒ま

た︑朝鮮王朝における直訴の重要性や︑正祖や高宗の政治思想に対しては︑最近精力的に研究を進めているイ・テ

ジン教授︵ソウル大︶とハン・サンゴン教授︵徳成女子大︶の著書や論文に大きな刺激を受けた︒人間的にも立派

な二人の韓国史研究者に会わなければ︑私の研究ははるかに貧弱なもになっていたに違いない︒

 本書は︑大部分の学術書がそうであるように︑出版後に称賛とともにさまざまな批判を受けた︒ここでそのすべ

てに言及することはできないが︑代表として韓国近代史を専攻する月脚達彦先生︵東京外国語大学︶の書評︵﹃朝

鮮学報﹄第一六三輯︑朝鮮学会︑一九九七年所収︶を紹介してみよう︒この書評は︑A5判で十二頁にわたる本格

的なものであるが︑批判の部分だけを紹介すれば次の通りである︒

 月脚先生はまず︑高宗に対する私の評価が全体的に高すぎる点を︑事実の誤認という側面とともに指摘してい

る︒例えば︑一九〇二年に挙行が予定された﹁高宗皇帝在位四十周年記念式典︵皇帝御極四十年称慶礼式︶﹂は実

際には延期され︑祭典のほかに洪陵の移転事業や平壌離宮の建設︑敬老宴が一緒に推進されて︑莫大な費用の支出

とこれに伴う過重収奪を招いた︒﹃梅泉野録﹄に王宮に抗議する投石や︑王朝の滅亡を予言する流言が記録されて

いるのを見ても︑この時期の大韓帝国にコ君万民﹂思想が浸透していたとすることはできないと批判した︒

 また︑これと関連して月脚先生は︑当時の開化派に対する私の評価に疑問を投げかけると同時に︑高宗の時代に

正祖のコ君万民﹂思想がただ復活したとだけ見るのではなく︑ここには日本を媒介とする﹁近代﹂との接触があ もちろんこのような研究ができたのは︑私が出会えた日韓両国の優れた先達の教えがあったためである︒私の視 野が日本から東アジアに広がることができた背景には︑日本政治思想史の開拓者である丸山員男先生の研究を受け 継ぎながら︑丸山先生にはなかった中国と日本の比較という観点を導入した渡辺浩教授の一連の研究があった︒ま た︑朝鮮王朝における直訴の重要性や︑正祖や高宗の政治思想に対しては︑最近精力的に研究を進めているイ・テ ジン教授(ソウル大)とハン・サンゴン教授(徳成女子大) の著書や論文に大きな刺激を受けた︒人間的にも立派

な二人の韓国史研究者に会わなければ︑私の研究ははるかに貧弱なもになっていたに違いない︒

『直訴と王権

j

韓国語版訳者序文及び著者序文

本書は︑大部分の学術書がそうであるように︑出版後に称賛とともにさまざまな批判を受けた︒ここでそのすべ

の 書

評 (

﹃ 朝

てに言及することはできないが︑代表として韓国近代史を専攻する月脚達彦先生(東京外国語大学)

鮮学報﹄第一六三輯︑朝鮮学会︑ 一九九七年所収)を紹介してみよう︒この書評は︑

A 5 判で十二頁にわたる本格

的なものであるが︑批判の部分だけを紹介すれば次の通りである︒

月脚先生はまず︑吉岡宗に対する私の評価が全体的に高すぎる点を︑事実の誤認という側面とともに指摘してい

る ︒

例 え

ば ︑

一 九

O 二年に挙行が予定された﹁高宗皇帝在位四十周年記念式典(皇帝御極四十年称慶礼式こは実

際には延期され︑祭典のほかに洪陵の移転事業や平壌離宮の建設︑敬老宴が一緒に推進されて︑莫大な費用の支出

とこれに伴う過重収奪を招いた︒﹃梅泉野録﹄に王宮に抗議する投石や︑王朝の滅亡を予言する流言が記録されて

いるのを見ても︑この時期の大韓帝国に﹁一君万民﹂思想が浸透していたとすることはできないと批判した︒

235 

また︑これと関連して月脚先生は︑当時の開化派に対する私の評価に疑問を投げかけると同時に︑高宗の時代に

正祖の﹁一君万民﹂思想がただ復活したとだけ見るのではなく︑ここには日本を媒介とする﹁近代﹂との接触があ

(9)

法学論集 45〔山梨学院大学〕 236

ったことをより重視しなければならないと指摘している︒

 月脚先生の批判は︑すべてよく反毎してみる価値のある内容をもっている︒私の考えが足らなかった部分は率直

に認め︑今後より深い研究を続けなければならないと思う︒しかし︑こうした批判はあくまでこの本の部分的修正

を求めるものであり︑本書を貫く基本的な観点はまだ有効であることに対しては︑確信をもっている︒

 本書ではあまり詳しく触れることができなかったが︑今後はなぜ中国や日本でなく︑朝鮮で最もコ君万民﹂が

浸透したのかという問題や︑日本の植民地支配における二つの天皇像の使い分けの問題についても︑さらに考察す

る必要があることを強く感じている︒

 まず前者の問題について簡単にいえば︑朝鮮は儒教国家であったにもかかわらず︑中国とは異なり︑大韓帝国と

なる一八九七年まで国王が祭天儀礼を行うことはなかった︒これはもちろん︑中国皇帝のみを唯一の﹁天子﹂と見

なす中華思想に基づいていたからであったが︑同時にこのことは︑君主にとっての﹁天﹂を﹁民﹂と見なす朝鮮独

特の思想を生み出す要因となった︒﹁民は国の本にして︑君の天なり﹂と述べた鄭道伝や︑﹁憶︑蒼蒼の我に付くる

は民なり︒防降して我に托するは民なり﹂︵ああ︑天が私に授けたのは民である︒天が私に託したのは民である︶

と述べた英祖に︑こうした思想をはっきりと見いだすことができる︒つまり朝鮮において︑コ君万民﹂の思想的

根拠は儒教の﹁天﹂にあったのであり︑行幸の途上で民と接触したり︑民からの訴えに耳を傾けることは︑国王に

とって祭天儀礼に代わるべき重要な義務であると見なされたことが︑朝鮮でコ君万民﹂が最も浸透した理由とし

て考えられる︒

 一方︑後者の問題についてやや詳しく述べると︑二つの天皇像というのは︑天皇を日本神話に登場する高天原と

236 

ったことをより重視しなければならないと指摘している︒

月脚先生の批判は︑すべてよく反努してみる価値のある内容をもっている︒私の考えが足らなかった部分は率直

45 (山梨学院大学〕

に認め︑今後より深い研究を続けなければならないと思う︒しかし︑こうした批判はあくまでこの本の部分的修正

を求めるものであり︑本書を貫く基本的な観点はまだ有効であることに対しては︑確信をもっている︒

本書ではあまり詳しく触れることができなかったが︑今後はなぜ中国や日本でなく︑朝鮮で最も﹁一君万民﹂が

浸透したのかという問題や︑日本の植民地支配における二つの天皇像の使い分けの問題についても︑ さらに考察す

法学論集

る必要があることを強く感じている︒

まず前者の問題について簡単にいえば︑朝鮮は儒教国家であったにもかかわらず︑中国とは異なり︑大韓帝国と

‑236‑

なる一八九七年まで国王が祭天儀礼を行うことはなかった︒これはもちろん︑中国皇帝のみを唯一の﹁天子﹂と見

なす中華思想に基づいていたからであったが︑同時にこのことは︑君主にとっての﹁天﹂を﹁民﹂と見なす朝鮮独

特の思想を生み出す要因となった︒﹁民は国の本にして︑君の天なり﹂と述べた鄭道伝や︑﹁晴︑蒼蒼の我に付くる

は民なり︒捗降して我に托するは民なり﹂(ああ︑天が私に授げたのは民である︒天が私に託したのは民である)

と述べた英祖に︑こうした思想をはっきりと見いだすことができる︒ つまり朝鮮において︑﹁一君万民﹂の思想的

根拠は儒教の﹁天﹂にあったのであり︑行幸の途上で民と接触したり︑民からの訴えに耳を傾けることは︑国王に

とって祭天儀礼に代わるべき重要な義務であると見なされたことが︑朝鮮で﹁一君万民﹂が最も浸透した理由とし

て 考

え ら

れ る

一方︑後者の問題についてやや詳しく述べると︑二つの天皇像というのは︑天皇を日本神話に登場する高天原と

(10)

237 『直訴と王権』韓国語版訳者序文及び著者序文

いう天上世界を支配するアマテラスオホミカミ︵天照大神︶の子孫としての現人神とする見方と︑天皇を大日本帝

国憲法に規定された近代的な立憲君主とする見方のことである︒本書の2章四節で触れたように︑両者は場面に応

じて使い分けられながらも一体となって︑近代天皇制を形作っていった︒つまり︑近代日本になって確立された

コ君万民﹂のコ君﹂には︑現人神と立憲君主という︑どちらも儒教原理に基づく朝鮮王朝のコ君﹂とは全く

異なる︑二つの顔があったのである︒この点については︑本文で触れた久野収氏をはじめ︑多くの学者によるすぐ

れた研究が日本で出ている︒ただここで強調したいのは︑二つの天皇像が対外的にも使い分けられていたという事

実である︒朝鮮王朝を植民地化する過程で︑日本は二つの論理を厳密に分けて使っていたのである︒

 一九一〇年の﹁併合﹂まで︑日本は自らを近代的立憲君主国であると表現し︑朝鮮王朝の国王や大韓帝国の皇帝

を日本と同じ立憲君主にしなければ︑﹁世界の大勢﹂に乗り遅れてしまうと主張した︒だが日本は︑大韓帝国を

﹁併合﹂して皇帝を廃位させてから主張を変え︑天皇を現人神であると位置付けた︒一九二五年にアマテラスと明

治天皇を祀る朝鮮神宮が建設されたことは︑これをよく物語っている︒

 しかしこのような天皇像が︑当時の朝鮮民族にどの程度受け入れられたかは全く別の問題である︒本書の末尾に

言及している李煕亀の直訴は︑昭和時代になっても︑まだ天皇を立憲君主や現人神でなく︑朝鮮王朝の国王のよう

な︑人々の不安や苦しみを訴えることのできる儒教的コ君﹂と見る人物がいたことを鮮明に示している︒

 両国の歴史を政治・思想・文化など多くの観点から相互に研究する本格的な試みは︑まだ出発したばかりにすぎ

ない︒高麗大学校アジア問題研究所と日韓文化交流基金の支援のもとに︑筆者を含む日韓両国の学者により一九九

六年に作られた﹁日韓共同研究フォーラム﹂もその一つである︒願わくば本書が︑韓国と日本の相互理解のために いう天上世界を支配するアマテラスオホミカミ(天照大神) の子孫としての現人神とする見方と︑天皇を大日本帝

国憲法に規定された近代的な立憲君主とする見方のことである︒本書の 2 章 W 節で触れたように︑両者は場面に応

じて使い分けられながらも一体となって︑近代天皇制を形作っていった︒ つまり︑近代日本になって確立された

ご君万民﹂の﹁一君﹂には︑現人神と立憲君主という︑どちらも儒教原理に基づく朝鮮王朝の﹁一君﹂とは全く

異なる︑二つの顔があったのである︒この点については︑本文で触れた久野収氏をはじめ︑多くの学者によるすぐ

れた研究が日本で出ている︒ただここで強調したいのは︑二つの天皇像が対外的にも使い分けられていたという事

『直訴と王権』韓国語版訳者序文及び著者序文

実である︒朝鮮王朝を植民地化する過程で︑日本は二つの論理を厳密に分けて使っていたのである︒

一 九

O 年の﹁併合﹂まで︑日本は自らを近代的立憲君主国であると表現し︑朝鮮王朝の国王や大韓帝国の皇帝

を日本と同じ立憲君主にしなければ︑﹁世界の大勢﹂に乗り遅れてしまうと主張した︒だが日本は︑大韓帝国を

﹁併合﹂して皇帝を廃位させてから主張を変え︑天皇を現人神であると位置付けた︒ 一九二五年にアマテラスと明

治天皇を杷る朝鮮神宮が建設されたことは︑これをよく物語っている︒

しかしこのような天皇像が︑当時の朝鮮民族にどの程度受け入れられたかは全く別の問題である︒本書の末尾に

言及している李照亀の直訴は︑昭和時代になっても︑ まだ天皇を立憲君主や現人神でなく︑朝鮮王朝の国王のよう

な︑人々の不安や苦しみを訴えることのできる儒教的﹁一君﹂と見る人物がいたことを鮮明に示している︒

両国の歴史を政治・思想・文化など多くの観点から相互に研究する本格的な試みは︑ まだ出発したばかりにすぎ

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ない︒高麗大学校アジア問題研究所と日韓文化交流基金の支援のもとに︑筆者を含む日韓両国の学者により一九九

六年に作られた﹁日韓共同研究フォーラム﹂もその一つである︒願わくば本書が︑韓国と日本の相互理解のために

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法学論集 45〔山梨学院大学〕238

少しでも助けとなりますように︒最後に︑本書を韓国で出版するよう薦めて下さり︑翻訳の手間をかけて下さった

イ・テジン教授とキム・イッカン︑キム・ミンチョル先生に深い感謝の言葉を伝えたい︒

一九九八年九月二十六日

  原 武史

238 

イ・テジン教授とキム・イッカン︑ 少しでも助けとなりますように︒最後に︑本書を韓国で出版するよう薦めて下さり︑翻訳の手間をかけて下さった 45 (山梨学院大学〕

法学論集

キム・ミンチョル先生に深い感謝の言葉を伝えたい︒

一 九

九 八

年 九

月 二

十 六

日 原

武 史

‑238

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