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百万石の城下町:その生活と風景

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百万石の城下町:その生活と風景

著者 佐々木 達夫

雑誌名 金大考古

59

ページ 1‑2

発行年 2007‑12‑25

URL http://hdl.handle.net/2297/9789

(2)

− 1 − 金沢大学考古学研究室  2007 年 12 月 25 日

金 大 考 古

第 59 号

 平成 19 年度金沢大学公開講座 「百万石の城下町―

その生活と風景―」 を 2007 年 11 月 17 日 (土)、 金沢 市内の近江町市場に隣接する金沢大学サテライトプラザ で開催した。 講義題目と講師は次のようであった。

・ 佐々木達夫 (金沢大学)

  「百万石の城下町 ・ 保存と観光」

・ 庄田知充 (金沢市埋蔵文化財センター)

  「初代利家の城下町 ・ 金沢」、

・ 栗山雅夫 (高岡市教育委員会)

  「二代利長の城下町 ・ 高岡」

・ 宮下幸夫 (小松市立博物館)

  「三代利常の城下町」

・ 宮田進一 (富山県文化振興財団)

  「富山藩の城下町」

・ 田嶋正和 (加賀市教育委員会)

  「大聖寺藩の城下町」

・ 垣内光次郎 (石川県埋蔵文化財センター)

  「戦国時代 ・ 江戸前期の北陸城下町の特徴」

 北陸地方の城下町というと金沢が有名で、 百万石の城 下町として知られる。 金沢は江戸時代に入ってから現在 の基礎が形成された城下町で、 その町並が今も引き継が れている。 今回の講座の目的は、 江戸時代に形成され た北陸地方の城下町を取り上げ、 前田家の初代、 二代、

三代が築いた城下町の姿を比較検討することである。

 北陸地方ではすでに福井の一乗谷朝倉氏遺跡や七尾 の能登守護畠山氏の府中などのように、 戦国時代の大領 主が居住する居館を中心に武家や職人、 商人、 町人が 居住する町、 すなわち城下町が形成されていた。 一乗谷 や七尾府中の他にも各地に大領主の家臣であった人々

が住む小規模な町が各地域にあった。 その町も小規模で あったが、 城下町と呼ぶことも可能な町であった。 城下町 の周辺地域には農村が広がっていた。

 戦国時代が終わり江戸時代に入ると、 それ以前の町、

すなわち領主の城館を中心に人々が集まって住んだ城下 町や一族郎党の住む町が大きく変化した。 一乗谷や七 尾で繁栄していた戦国時代大領主の城下町は居館が廃 棄され遺跡となった。 金沢に拠点を置いた前田家の居住 する城とそれを中心に新たに形成された城下町が登場し、

北陸地方の城下町は今に伝わる景観を見せることとなっ た。

 江戸時代前期に、 北陸では金沢を中心にいくつかの城 下町が新たに整備された。 前田家二代利長は高岡城下 町を築き、前田家三代利常は隠居して小松城下町を築き、

支藩として築かれた大聖寺や富山の城下町なども、 江 戸時代前期から継続する城下町として知られる。 前田家 百万石の領内の加賀、能登、越中には城を中心とした町、

すなわち城下町が次々と整備され繁栄することとなった。

 こうした現代北陸地方の代表的な都市となった江戸時代 前期の城下町の形成とその姿を、 最新の発掘成果や絵 図で復元してみると共に、 各城下町の生活や風景を訪ね てみよう。 歴史と伝統の町、 金沢やその周辺の北陸の歴 史的な町並みを、 江戸時代前期から引き続き形成された 現代の基層文化となる江戸時代前期の城下町のなかに 探ってみよう。

 2006 年 11 月 29 日、 石川県と金沢市は 「城下町金沢 の文化遺産群と文化的景観」 を世界文化遺産に登録す ることを目指して文化庁に提案した。 これは 2006 年 9 月 に、 地方自治体が世界遺産候補提案することが可能に なったことを受けてのことである。 第 2 次世界大戦の戦災 を受けなかった金沢は、 17 ~ 19 世紀の城下町の姿が良 く残ると言われている。 兼六園や金沢城、 辰巳用水があ り、 浅野川と犀川付近には江戸時代の景観が良く保存さ れ、 情緒の漂う古都金沢を醸し出している。 伝統的な技

百万石の城下町-その生活と風景-

佐々木達夫 (金沢大学文学部)

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− −

金大考古 59:1-2, 2007 佐々木 百万石の城下町-その生活と背景- 

術や文化を活かした金箔や茶道、 能楽、 伝統芸能、 雪 釣りの景観も市民に根付き、 金沢の伝統文化と風景はテ レビでも常に全国報道されている。 金沢は文化的 ・ 歴史 的景観に富む町であると同時に、 日展や伝統工芸展の 入選者数は例年人口比で、 京都府や富山県を抑えて石 川県が日本一を誇る。 北陸は日本の伝統が息づく町であ ると言われる。

 金沢城には重要文化財の石川門 ・ 三十間長屋、 金沢 城の周辺には重要文化財の尾崎神社、 大乗寺、 有形文 化財の本願寺金沢別院 ・ 天徳院山門 ・ 成巽閣、 名勝の 成巽閣庭園や尾山神社庭園 ・ 西田家庭園、 特別名勝の 兼六園、 文化的景観の長町武家屋敷群、 伝統的建造物 群としての卯辰山山麓寺院群 ・ 寺町寺院群 ・ 小立野寺 院群 ・ 主計町地区、 重要伝統的建造物群としての東山 ひがし地区などが、 江戸時代の雰囲気を醸し出している。

この他に、 金沢城を取り囲む惣構堀、 城の石垣材料を切 り出した戸室石切場、 日本最大の火薬製造所である土清 水塩硝蔵跡、 市内各地に張り巡らせた今も流れる用水、

野田山の古墳のような雰囲気を残す加賀藩主前田家墓 所など、 金沢の歴史を語る史跡が数多く見られる。

 金沢城下町の初期の姿は、 金沢市玉川図書館が所蔵 する加州金沢城図に見える。 慶長期 (1596-1615) と言わ れる図で、 城内に家臣が居住するのがわかる。 東京大学 総合図書館が蔵する加賀国絵図は慶長期の地図で、 用 水と推定できる流れが描かれ、 元和年間に城の近くから 片町などが移され、 そこにあった寺町は現在の寺町に移 され、 その際に用水が整備されたと言われる。 惣構が自 然地形を利用しているのも地図からわかる。 野田山墓地 は 16 世紀末から墓が作られ、 加賀藩主 ・ 武士 ・ 町人の 墓が6万を超えるほど密集する共同墓地である。 もっとも 高いところに前田家の歴代藩主 ・ 正側室 ・ 子息などの血 縁者の墓地があり、 その数は 76 あると言われる。 藩主や 正室の墓は三段に築かれた方形の土盛り墓で、 周囲に3 mの堀があり、 古墳時代の方墳よりも巨大なものと言われ ている。

 大聖寺、 小松、 高岡、 富山にも江戸時代の史跡が多 く残されている。 城跡、 堀、 城下町、 寺院など、 それぞ れの城下町に独特の雰囲気や、 あるいは北陸に共通す る歴史性などが見られる。 伝統的な芸能や産業がいずれ の城下町でも今も盛んである。 北陸各地の城下町の伝統 を比較することは、 我々のルーツを探る歴史的な旅ともな り、 気候風土のなかに生活する我々には興味深いものが

ある。

 金沢と富山を比較すると、 ともに惣構をもつプランで、

武家屋敷は広いが、 富山は町屋の面積も広い。 二つの 川で挟まれた部分に城が築かれ、 街道に沿って町屋が 延び、 寺町が形成されたことが共通している。 慶長期と 寛永期の富山城下町の大きさが同じかどうか、 不明な点 も残るという。 城下の武家屋敷と町屋の配置は、 大聖寺 は他の城下と少し違い、 城下の中央部に町屋が広がる。

これは低湿地が中央部に広がるため水害があり、 武士は 住まなかったためという。 小松の町屋は間口が狭いが、

大聖寺の町屋は間口が広い。 現在の町並みに江戸時代 の町割りがよく残り、 いずれの城下町でも江戸時代の絵 図を見ながら現在の町を歩ける。

 こうした雰囲気を作り出す基礎となったのが江戸時代前 期 17 世紀の城下町の形成であった。 北陸では江戸時代 前期に一斉に前田家の城下町が成立し、 その共通する 基盤のうえに都市文化が花開いた。 その実態を北陸各地 の城下町を比較することによって、 とくに最近の考古学の 発掘調査によって現れた遺跡や遺物を検討しながら、 解 き明かしてみることにも興味を惹かれる。

 江戸時代の城下町の風景は次のようにも言われる。 中 心部の高台に政治の場としての城が置かれ、 それを取り 囲む堀と武家屋敷、 さらにその周辺に城を仰ぎ見る庶民 が住む下町や信仰の場である寺院が防御的に配置され ていた。 城下町内では産業が盛んで、 今も特色のある伝 統産業として引き継がれている。 領内には各地に農民の 村が点在し、 城下町を中心とする人々の暮らしを支えて いた。 城下では昼頃に城から歩いて帰宅して、 家族と昼 食をとる侍たち。 午後は生活費を補うために魚釣りや内 職に精出す武士もいた。 じつは武士の生活の内情は火 の車であった。 商売に励む町人たちは豊かな教養と文化 を謳歌していた。 百万石の城下町に住む人々の生活は、

城下町の風景にとけ込み、 今もその面影があちこちに見 られる。

 こうした城下町の風景は、 具体的な考古学の資料によっ ても証明されるだろうか。 江戸時代初期からこうした風景 は見られたか。 各地の城下町の風景は同じようであった か。 江戸時代も初期と後期で城下町の風景が違っていた か。 現代の風景に残る江戸時代の風景は、 いつ頃成立 した風景だったか。 いろいろな疑問を解き明かす講義に、

あるいはさまざまな質問が予想される参加者との対話が楽 しみである。

参照

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