• 検索結果がありません。

ニューメディアの教育機能

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "ニューメディアの教育機能"

Copied!
12
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

ニューメディアの教育機能

著者 太田 静樹

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 31

号 1

ページ 155‑165

発行年 1982‑11‑25

その他のタイトル Educational Functions of New Media

URL http://hdl.handle.net/10105/2340

(2)

奈良教育大学紀要 第31巻 第1号(人文・社会)昭和57年 Bull. Nara Univ. Educ, Vol. 31, No. 1 (cult. & soc), 1982

ニューメディアの教育機能

太  田  静  樹 (姦艮教育大学教育学教室)

(昭和57年4月30日受理)

Iはじめに

わが国で、ニューメディアについて論じられるようになったのは、この1、2年のことである。

しかしニューメディアといわなくても、その内実について個々に論じられてきていることは事実 で、例えばニューメディアの1つとされているケーブルテレビ(CATV)は有線テレビ法が制定 された(1972年)頃から問題にされていた。伊藤正己編の「放送制度‑その現状と展望」1‑3 巻(1976‑78年)は現代における放送の問題を制度的に総括したものであるが、ニューメディア という語はないにしても実質的には、ケーブルテレビ、放送大学、多重放送等ニュ‑メディアに 属する問題が内外の資料をもとにして論じられている。「放送文化」誌にも1981年には数回ニュ ーメディアの特集をしているし、テレビ番組も同年中にNHKを中心に、ニューメディアに閑 関する特別番組が放送されている。これらをみても1981年に、にわかにニューメディアが脚光を 浴びてきている。同年9月に、わが国で財団法人放送文化基金が主催した「放送文化シンポジウ ム」では「放送の公共的課題」をメインテーマにして各国からの関係者が参加して討議した中で 共通してニューメディアの問題を取り上げ、それによる放送状況の変化を深刻に受けとめ、特に 多数のチャンネルをもつケーブルテレビについて論及したことが注目された1つであると報告さ れているC13

。これはニューメディアが世界的な関心事であることを示している。

わが国のニューメディアの状況を、米国やカナダに比較すれば、まだまだ実質的に進捗してい るとは思われないが、明らかにニューメディアの時代に入っているといってよく、ここ数年来, いくつかのニューメディアに関する実験プロジェクトはやがて実用段階に入ることは目に見えて いる。技術革新によって通信・放送の状況が変革されつゝあることは教育界にもやがて大きな変 革をもたらすであろうことは当然予想されることである。何故なら授業も教育組織も一種のコミ ュニケーション又はそのシステムであるからである.A・トフラーはそのことを大胆に述べて注 目せられているC2D

。ニューメディアと称せられるものが、いかなる教育機能をもっているか、そ

れを適確に予想することは難しい。メディア、装置によって生活・社会への浸透度が異なるだけ に一律に論ずることができないからである。ニューメディアといってもマスコミメディアを中心 に大量の情報を流すものだけに、その影響は子ども、大人を問わず大きい。教育的にもプラスと マイナスの影響を及ぼすだけに、これへの対応は、ゆるがせにすることはできない。マスコミ教 育といゝ、メディア教育というのは今までの教科本位、教科書本位の教育では対応しきれない故 に新しい模索をしているのてある。本稿はニューメディアのもつ教育機能の可能性を考察してそ の展望をもとうというのが目的である。

155

(3)

Ⅱ ニューメディアとは

今日、情報の氾濫しているなかで自己にとって必要なものはどれくらいあるか、自己に必要な 情報をどう収集し処理するかが問題である。価値ありと思われる情報でも遠くにあって早く収集 できなければ利用価値はないといえる。価値ある情報にしていくには本人の処理によるわけであ る。そのためには情報の送受信(流通)システムが確立されており、又情報処理技術をもたなけ ればならない。例えば米国のERICの資料はわが国にはまだ数大学にしか入っていない程度で あるが、米国の大学図書館では学生が自由に端末器を操作して検索し利用している。その資料は 全国から収集され一次、二次と選択評価されたもので、その意味では客観的価値をもっていると いえるが、それが生きて働く情報となるためには本人自身の操作にまたねばならない。その膨大 な資料は収集処理過程においても、検索利用過程においても、コンビュ‑タによる一連のシステ ムが不可欠となっている。マイクロフィッシュによる画像化によってそれが可能になっている。

わが国でも遅ればせながら、学術審議会の報告(1980年1月)によれば、大学図書館、コンピュ ータセンター、デ‑タ通信網を回路システムにして情報流通を図る構想を立てている。今日の大 量情報は、もはや人手でなくしてコンピュータと流通システムによって利用価値を生んでいると

いってよく、コンピュータによらなければ大量情報の記憶、処理、検索は困難である。このこと は一般大企業のデータ通信利用状況をみても分ることである。 1972年に第1次通信回線が開放せ られ電話線をデータ通信やファクシミリ通信にも使うことが認められてから(始めは法的規制が あって妨げられていた)、交通、金融機関等を中心にデータ通信のオンライン利用が活発となり、

情幸糾ヒ社会が一層促進せられてきた。今日は、コンピュータと通信とテレビ(ディスプレイ)の 3つのメディアがシステム化せられて映像、画像中心の情報が流通している現状である。いわゆ るニューメディアと称せられるのも、これら3種のメディアの種々な組合せによるものといって よい。必要な情報が誰でも、どこでも、いっでも利用されるのが情報化社会の粗いとすれば、今 日ほとんどの家庭に普及している電話とテレビを最高に生かし、又コンピュータに接続させて各 地のデータセンターを活用することであろう。ここでテレビというのは放送受信のみでなく、ブ ラウン管による情報提示器(ディスプレイ)としての利用を指している。即ちテレビの性格が変 ってきたのである。ビデオによる再生用として(これは放送ではない)早くから使用されている が、東生駒のHi‑Ovis (CATV)はセンターから家庭のテレビに静画情報を要求により送り出

しているし、キャプテン(CAPTAIN)は電話によってそれを可能にしている。家庭ではゲーム にさえ利用できる。このようにテレビが放送系と非放送系の両方のメディアとしてその機能を増 幅している。ビデオも単に再生用の録画器でなくて、カメラによる番組制作、編集用器としての 機能が強くなってきた。コンピュータも単に高速計算機のみでなく、プログラムによるデータ処 理機として活躍するなど、それぞれのメディアが複合的な機能をもつようになり、それらの組合 せによるニューメディアは宇宙的国際的なものから家庭的なものまで幅広く含んでいる。その含 む範囲は人によって異なるけれども、最近の放送、通信メディアで大量、多様な情報を画期的に 流通処理するものとして、およそ次のものが、あげられる。そしてそれらは単体としてより、前 述のようにコンピュータ及び通信線等との連結によってその機能を発揮しているのである。

ニューメディアを放送映像系のものと静止画像系のものとに分類してみると、次のようにな る。

(4)

157

図1 ニューメディアの分類 ニューメディアの教育機能

・放送映像系  放送・通信衛星 放送大学C3) ケーブルテレビ

ビデオディスク

(ペイテレビ、サブスクリプショ ンテレビ、ビデオ等もあげられる)

・静止画像系  ケーブルテレビ

ビデオテックス(キャプテン、プ レステルなど)

テレテキスト(文字多重放送) デ‑タ通信

電子新聞

Ⅲ 教育棟能について

送信される情報によっては刺激を受け、理解を深め、感動させられ、行動にまでかきたてられ ることは知られていることである。電話、ラジオ(音のみ)でもそうであるのに、ましてテレビ のように音と映像による複合情報は人に強い影響を与える。意図的計画的な教育番組は勿論であ るが、一般番組、ニュース番組でも受け手によっては知的情緒的欲求を、どれだけ満足させてい るか分らない。放送による呼びかけは多くの人々を動かすが、それでなくても番組視聴が人をし て発展的に行動せしめる。これらのことは通信そのものが本来、人に訴える教育機能をもってい

るといえよう。

次にわれわれは通信メディアを手段として利用し、生活や教育に関する情報を送受信している。

古くは「通信教育」の歴史があり、教科書、報告書(印刷物)を郵送することにより遠隔地間の 教育を成立せしめていた。今は放送がそれに加わり、さらに電話やケーブル線によって文字図形 情報が早く適確に送信されるようになった。これらは通信メディアを教育のために連絡、伝送の 手段として利用していることである。最近(1982年4月)わが国の2大都市間で通信衛星を中継 とする新聞の伝送の実験に成功したが、このことは通信メディアの教育機能を、ますます拡大す る事例となるものである。

以上をまとめれば通信メディアの教育機能の直接性、間接性といってよいが、いずれにしても 技術革新によるメディアの高椅能、大規模化は教育機能についても同様であって、教育の機会を より拡大し、又反面、学習の個人的欲求に、より細かく対応可能にせしめるものである。今まで のマスコミメディアは不特定多数を対象としていたのに対して、ニュ‑メディアは、よりローカ ル化、より個人対応化‑進みつつあるといってよい。また従来の図書館、学校は文字情報を中心 とした機関であっただけに映像中心のニューメディアの発達に大きな影響を受けることは必然で ある。子どもも大人も生活環境的にみてテレビぬきにしては考えられない状況である。というこ とはテレビが一種の教育的環境を作り出しているということであって、その事実を無視してはと いうより、それを直視して学校教育の問題を考えなければならない。C4)ここでいうテレビとは前 述したように放送受信の単体的テレビでなくして、ビデオにより再生するテレビ、ケーブルテレ

ビによる静止画像受信のテレビ、コンピュータと連結するテレビ、要するに複合体的テレビである。

(5)

次に各種メディアについて教育機能に焦点をしぼって、その可能性と問題点について検討して みたい。放送映像系については放送・通信衛星と放送大学について、静止映像系についてはビデ オテックスとケーブルテレビ(但しケーブルテレビは放送映像系でもある)について検討するo

l放送・通信衛星によるもの

通信メディアの技術革新による機能の拡大は、そのまゝ教育の普及と格差の是正につらなる といってよい。米国は宇宙開発先進国だけに放送衛星、通信衛星の分野においても高度の実験を 試み実用化を進めているF.W.Norwoodは米国を中心とした衛星を中心とする教育状況につ いてあらまし次のように説明している。NASA(宇宙航空局)による1969年以来のATS(Ap‑

plicationTechnologySatellite)‑1、3、5、6号は特に教育機能を宇宙的規模において発揮 している。例えば、ノ、ワイ諸島、太平洋南諸島、アラスカ地方にそれぞれ教育番組を送っており、

特はATS‑6号(1974年)は、より強力な機能をもって、アラスカのロッキー山地方と大西洋 岸のアパラチア地方とを連絡し双方向通信によって、中学生、教師、大人に対してそれぞれ教育 番組を送り、声の交流も可能にしている。アパラチア地方に限定しても3万2千人の公立学校の 教師に現職教育の番組を提供し、また大学コースの講議も出し、これにはケーブルテレビも利用 されている1976年のCTS(CommunicationTechnologySatelleite)は米国・カナダ共同の放 送衛星で、ATS‑6号よりも更に強化され、米力両方の大学(スタンフォード大学とカールトン 大学)問で工学の講義、ゼミを交流しているし、衛星による会議も可能にしているC5)

以上は、まさに教育テレビ番組も宇宙通信時代に入っていることを示すものである。これらは まだ地域間なり、教育機関の交流であるが、次の段階は衛星から直接家庭テレビへの送信である。

カナダでは既に一部行われているし、米国でも進められている。コムサット通信衛星会社はその 商業化を図り、1980年12月にTCC(連邦通信委員会)‑認可申請を出している。1984年頃には 実現の見通しで、それによれば簡単に全国をカバーでき、総合、教育・文化、運動・成人の3チ ャンネルで放送するという。いよいよ家庭テレビでも宇宙通信に直接つながることになる。特に 教育、文化に恵まれないへき地が衛星放送によって恩恵を受けることは明らかである。それに最 も熱心なのはカナダである。北極圏に広がる広大な地域に散在する多くの寒村に衛星から教育番 組を届けて教育水準の向上と普及を一挙に図ろうとするものである。いわばへき地教育を衛星放 送によって改革する意図である。同様の計画はわが国でもあり、1984年に打ち上げ予定の放送衛 星(実験用放送衛星は既に1978年に打ち上げて実験中)により全国の難視聴地域(多くは‑き地) の解消を払っている。国内の‑き地ということともに、国際的にへき地とみなされるのが発展途 上国で、南米、東南アジア、アフリカの国々では単独又は共同の放送衛星利用によって後れてい る教育の充実を計画している。大規模な計画はアフリカの23カ国の専門家会議によるもので、サ ノ、ラ砂漠以南の35カ国をカバ‑する計画で静止衛星2コを打ち上げ、学校向けの教育番組中心に 放送の予定でその実寛は1990年以降とされている。(6)

国内的にも国際的にも、学校にも個人にも画期的に教育の内容の量、質、程度の向上を期待し うることは衛星放送によって時間空間の障害を克服しうるためであり、やがては世界の人々が共 通の理解と関心をもち文化の向上を明るく展望させるものといいたい。といっても衛星放送事業 は、ぱく大な資金を要する事業であって、それをもちうる大企業、国のみに可能である。とすれ ばそれをもたない多くの国々、人々はそのような世界的な情報化社会から、ますます外れていく ことになり、かえって格差は広がる懸念さえもたれる。恐らくこのような問題はユネスコのもつ

(6)

ニューメディアの教育概能 K!

ような国際事業にまたざるをえないであろう。また衛星放送が巨大な組織となるにつれて、管理 統制の問題が起こってくる。それが番組制作、内容にまで及んでくるとしたら、果して自由な通 信が保証されうるのであるか、ふり返って考えなければならない。

ともかくも日米間のテレビ宇宙中継が始まったのが1963年からでその後約20年を経過したが、

確かに両国間の報道通信の速度と量は飛躍的にふえたであろうが、相互の生活の理解という点で どれだけ深まったか、まだまだ大人も子どもも共通理解に‑だたりのあることが、アンケートの 結果などで示されており(7)今後の教育にまつより他ない。

2 放送大学

放送を学校教育の場に取入れる発想はラジオ放送開始(1925年)後、まもなく起っており、

6年後の1931年には東京(AK)で実現している程、古い歴史をもっている。教育テレビ番組も テレビ発足当初(1953年)からあり、本格的には6年後の教育テレビ局開局から始まる。現在は 放送教育といえば、テレビ番組の利用が中心になっている。始めは放送番組は教室の授業には異 質なものとして、休み時間、放課後にやっと取入れられたものが、 50年後の今日においては、カ リキュラム、時間割の中に独自の教材、メディアとして市民権を得ている。小学校に始まった放 送教育は漸次、中学、高校に普及し、最も遅れていた大学に今、新しい事態が起ってきた。高等 教育の普及、社会教育(生涯教育) ‑の要望が高等教育開放の強い要求となり、少数エリートの 象牙の塔は最早過去のものとなり、大学は最新の通信メディアによって国民に開放せざるをえな くなってきた。米国では大学が放送局を設け、学内放送はもちろん、地域社会のための教育番組 を出していることは普通のことであるが、わが国でも漸く数大学で、公開講座として民放局を利 用して番組を出すようになった。これらはあくまで社会教育のためのものであるが、これに対し て放送手段を充全に利用して大学に匹敵する教育内容と資格を与えようとするのが放送大学であ

る。これは大学としても放送局としても今までにない新しい道を開くものである。そのモデルは 既に10年前(1971年)に開校している英国の公開大学にある。公開大学は文字通り「国民に開か れ、思想に開かれ、方法に開かれる」という理念の下に新しい時代の要請に応えようとしている。

利用している方法及び通信手段は次のようなものである。

テキスト、放送(ラジオとテレビ)、録音テープ、教科による教材器具、サイクロブス、コン ピュータ、電話相談、電話会議、それにチュ‑タ、カウンセラ‑、スク‑リング等の個人的集 団的人間関係

さらにできるだけ多くの地方に学習センタ‑を設け、コンピュータと電話網を利用することによ って指導と学習の便を図っている。〔8)

わが国の放送大学の構想が示されたのは14年前の1967年であって、うよ曲折をへてやっと1981 年6月に放送大学学園法が成立し同学園が設立せられた。関学は3年後の1984年であるが、当初 の放送電波のエリアは関東一円で学生数は3万人を予想しているが、 1990年頃には専用の放送衛 星を打上げて全国の80%をカバーし、学生数は45万人を予想している。入試は行わず高校卒の資 格ならば誰にも入学の機会を与えるのは、まさに大学教育を国民に開放するものであって大学の 歴史の上に画期的といえる。公開大学と比較して放送大学の利用するメディアはそれほど多彩で ないが、独自の放送局をもち、放送を中心の教育システムをとるのが特徴的であり、それにはラ ジオによる放送教育以来50年の歴史が背景にあるからであろう.

反面、長かった放送大学成立過程における審議から分るように重要な問題が含まれている。既

(7)

投の放送制度、大学制度に割込んで新しい組織を準国営的に作るだけに、例えば,大学及び放送 局の管理運営に対する国家統制の懸念、また大学の自治、学問の自由についての懸念が強く出さ れているのである。教育、特に高等教育を国民に開放する路線においては誰も異存はないであろ うが、巨大な資金と組織を必要とし、公的独占的性格をもつだけに危険性も逆に感ぜられるので あろう。米国のように電波メディア(放送・通信衛星を含めて)の利用を自由競争原理で進める 主義と異なって、わが国はヨーロッパ的に電波の公的(国家的)性格を強調する傾向にあり、放 送大学もその路線において検討され問題解決されていかねばならないと思う。英国ではわが国と 事情が異なるが、やはり新しい問題であるだけに試行錯誤的に問題を解決してきていることが報 告されているC9)

3ケーブルテレビ

ケーブルテレビは今日ニュ‑メディアの中心的存在であるといってよい。何故なら放送メデ ィアともコンピュータとも連結して多様な機能を発揮しうるからである。即ち放送映像系として

も、静止画像系としても利用され る有利さをもっている。ケーブル テレビ自身は有線であり配線地域 は主に都市内に限られるが、放送

・通信衛星と連絡することによっ て通信網は一躍、全国に又は国際 的にも広げられる。他方画像系と してのビデオテックスと連結して、

より豊富なデータを利用すること ができる。その進んだ例はカナダ

データ センター (コンピュータ)

利用者

(テレビ)

で図2に示すように、3つのメディアが密接に連絡して情報の交流を行っている。

ケーブルテレビの多様な機能の中で教育機能に限ってみても、放送教育番組や映画などによる 直接的な教育機能と教育情報(静止画像の)伝送メディアとしての間接的教育機能とがある。但 し静止資料でも、プログラム学習(CAIのような)のものは、語学、技術学習用など直接学習 といえるものである。わが国のケーブルテレビは、1980年度末で約2万8千の施設数があるが、

その約60%は端子数500‑51のもので、501以上のものは、324施設にすぎない。契約世帯は全国 で、300万でテレビ所有世帯数の約11%であるC103

。英国は260万世帯、14%で、わが国と余り変

らないが、米国はスーパーステーションと称せられる1企業のみで、500万、700万の契約数をも ち、全国でテレビ所有の27%に及ぶ程、普及している。これは通信衛星を利用して全国的なネッ トワークを張るためであって既存の3大テレビネットワークに脅威を与えているということであ るCll)英国のBBCまでが有料テレビ番組を作成し通信衛星を利用して米国のケーブルテレビに 売込もうとしているほどである。このようにケーブルテレビは全国的、国際的になりつつあるが、

もともと市町村における地域社会的なものであった.それはわが国のケーブルテレビ発達の歴史 をみれば分る。その歩みは遅いが将来、通信衛星をもち、ペイテレビを強く打ち出せば米国式に 発達するかもしれない。

ともあれケーブルテレビが難視聴解消から同軸ケーブルによって飛躍的にチャンネル数を増し た時から新しい通信時代を招来したのである。そのモデルとしてよく米国オハイオ州コロンバス

(8)

ニューメディアの教育機能

161

のキューブ(Qube)(ワーナ‑アメックス社のケーブルテレビ)が引き合いに出されるが、わが 国でも小規模ながら類似の実験をケーブルテレビで行ってきている。それらによればケーブルテ レビの機能の特色は、多数チャンネル、自主放送、双方向性、である。このことが従来のマスコ ミ中心に情報を消費していた家庭生活に、文化生活に大きな影響を与えるのは当然であろう。多 数チャンネルの中のいくつかは直接間接に教育チャンネルとして使用せられ、自主放送、双方向 性に市民が、いろいろの程度に参加していくことは新しい市民教育の役割を果しているのである。

多数チャンネルの番組はますます個性化していくであろうが、その内容が問題であって既に商業 主義による弊害が指摘されている。わが国では純教育ケーブルテレビと称してよいものが出来た。

館山市と下市町のケーブルテレビがそれで、学校のために教育内容を充実し、その格差を是正す る機能をもたしたのである。また公営、組合経営のケーブルテレビも必ずといってよいほど学校 教育番組をもち、視聴者の関心を集めている。自主番組、双方向性をまともに市民のために取上 げて実験を試みているのが東生駒のHi‑OvisであるC123

。例えば地域に関する歴史的地理的番組

を制作し、その中に市民の参加と協力を求めたりする。1つの番組は市民のための自由番組とし 市民の自由な参加によって作られる。時には地域の課題をテーマに計画的に作られることもある。

語学、技術的な番組はスタジオと家庭テレビ(視聴しながら参加)との双方のやりとりによって 進められるなどである。ここには、はっきりとマスコミメディアでなくて、地域のメディアとし て市民に密着し、市民に参加を求め、新しい地域作りを指向したメディアの性格が表れている。

しかし問題は以上のことが実験故になされうるということもあって、これが実験体制から離れて 独立の事業体としてなされうるかということである。公営ならばともかく私企業として経営でき るか問題であるOわが国のケーブルテレビで独立採算のとれるものは恐らくないであろう。公営 か或いは親会社に依存している状況である。米国のように何百万の契約者にペイテレビを送る会 社の存立は今のところわが国では考えられない.そこにわが国のケーブルテレビの問題があるが、

それでも最近5カ年間に施設数は1.6倍に、契約者は1.8倍に増加している。これは恐らく地域に 密着したコミュニティメディアを住民が求めている表れであって、その原動力は多様化した生活 上、文化・教育上の諸欲求が各年令層を通じて強くあるためであろう。それに対応しうる新しい メディアが必要なのである。

4ビデオテックス

電話によりコンピュータセンターを呼びだし家庭のテレビに必要情報(文学・図形)を映し 出す方式がビデオテックスであるが、わが国ではキャプテン(KAPTAIN)と称し、1979年12月 から東京都内で1000戸を対象に実験を始めている。類似の方式で文字多重放送がある(テレテキ スト)。これはテレビ付加装置のみでテレビに文字・図形情報を写し出しうるもので、1983年末 には放送法改正の上、実果される見通しである。欧米では両方式とも実用化に入っており、特に 英国は進んでいる。

これらのメディアは前述の放送映像系が依然としてマクロなメディアの性格をもち、不特定多 数を対象とするに対して、静止映像であるけれども個人的要求に対応するものである。情報セン ターには個人のあらゆる要求に対応することは出来ないかもしれないが、コンピュータの容量に よってはかなりの情報が蓄積されるわけである。生活関係、公共関係のものから、趣味、教養、

娯楽に至るまで多様なほど利用価値は高いといえる。もともと教育のためではないが、教育関係 情報を入れることによって利用できる。上述のケ‑ブルテレビもテレテキスト同様に、この種の

(9)

情報を利用でき、その資料はマイクロフィッシュの形でセンターに収集してある。最近はテレフ ォンサ‑ビスも、かなり各種の情報をサービスできるようになったが、それを家庭のテレビに画 像化したわけである。ビデオテックス(英国ではビュ‑デ‑タ〔Viewdata〕と称する)の先進国 の英国での教育的利用状況をみてみよう。

D.W.Dalyの説明によれば、プレステル(Prestel)(ビューデータのこと)は1976年に実験を 開始し、フルサービスは1979年からロンドンで始めた1980年には既に電話加入人口の68%がこ れに加入しているという。その中で教育利用としては次のものをあげている。

(1)教育に関する公示、連絡(入試、入学に関する説明など)

(2)プログラム学習(回答用の選択肢があり、フィードバックされる。これは、へき地教育 にも利用される)

(3)フィルムライブラリーへのフィルム借出しの予約、或いは各種行政機関への予約、支払 (4)テストクイズ

以上をみれば分るように、直接学習用メディアとして利用する場合と、連絡用として利用す る場合とあり、これを従来のような印刷物による郵送法と比較すれば、いかにも早く確実である 点が優れているC13)

。しかしその内容はテレビブラウン管による表示という制約があり、短絡的

短時間的なものに限定されざるをえない。テレビの一画面には標準文字で120字(15×8)とい われるが、新聞、書籍と比較して文章内容量の差は明らかである。またブラウン管に表出される 文字のちらつきは、やや長時間の読解には困難である。また画像として表出されてもプリントさ れないことである。印刷ならば適当に分割し所持し、どこでも読める。プリントの点は技術的に は困難なことではないERICも即プリントされるので利用価値が高いといえよう。わが国のキ ャプテンはみても分るように、プレステルほど大規模でないが、雑多な情報は含んでいるけれど も深い内容のものは期待できない。ノ、イ・オ‑ビスの例をみてみようC10

。このデータベースは

キャプテンのように電話による開放制でないOあくまでケーブル線のある約160戸に限られてい るが、地域性の濃い情報を収集している。例えば公共、行政、行事、気象、交通、教養、娯楽

関係のもの、教育関係のものとしては、学校案内、子どもを対象にした、文字、ことわざ、科学 知識に関するテスト、クイズものである。対象人数が少ないだけに、より生活に密接した情報を 収集しうる強味がある。しかしこれもやがて文字多重放送が始まり、ビデオテックスが可能にな れば全国的、一般的情報と地域情報とに分けて分担的に考えざるをえないだろう。ケーブルテレ ビはもともと地域性を基盤にしたものであるが、それを強調していくと経済性に弱くなり存立が 危くなるという矛盾があるのであるが、他のニューメディアと競合するより、その独自性を生か すべきであり、地域的な画像情報は生かされねばならない。

Ⅳ教育棟能と受け手

以上の論では主要メディアのもっている教育の特性について述べたのであるが、以下はそれら の放能を視点を変えて分類し、受け手のレベルによって利用法も内容も異なることについて考察 した。一般にマスメディアの教育機能を考えた場合、直接的な教育機能と間接的な機能とがあり、

主に学校を対象とするような教育番組やプログラム学習のプログラムは計画的系統的で前者に属 し、個人的要求により、またその受取り方によって教育的影響を与えるinformalな番組や情報

(10)

ニューメディアの教育概能 a*

は後者に属するといえよう。前にニューメディアを分類した際の放送映像系はマスコミ的で学校 教育的情報を強めるほど公的性格をもち、法的規制をうけるであろうし、静止画像系は個人のラ

ンダムアクセス方式で必要な情報を必要時に提供する故に、より自由であることが基調になる。

そして利用者の主体性ということが両者の場合にともに必要である。直接的計画的であるからと いって受け手が受身になってはならないのであって、むしろ主体的取組みが必要なのである。放 送された番組でもテープレコーダやビデオに資料としてとり、自己に通したように処理編集する 方法もあるのである。情報センタ‑の情報にしても大企業、大組織によって収集分類されたのも あれば、 1つの学校で個人的に集積していかねばならないものもある ERICも利用するのは大 学研究者であるが、その資料を提供するのも大学研究者である。要は各メディアには教育機能の 直接性、間接性の差は認められ、その強度の差はあろうが、利用者の主体性のところで問題にし なければならないことである。

次にメディア利用者(受け手)には様々なレベルがある。

(1)家庭における幼児の利用

(2)小・中・高の子どもを対象にした教育番組及びメディアそのものの利用 (3)教師を対象とした現職教育のための利用

(4)学生、研究者を対象とした講義用、研究用、または交換による利用 (5)社会人を対象とした市民教育のための利用

ニューメディアは様々なレベルの人々に学校以外に随所随時に教育を受けられる場と機会を提 供することになり、単に教育の場を開放したというだけでなく学校教育のあり方を問い直し改革 を迫るようになってきている。高等教育から幼児教育に至るまで、それぞれの教育の普及、水準 上げ、格差是正が進んできていることは、前述した通信衛星による大学教育の交換、放送大学の 例、幼児教育のための「セサミストリート」の例をみても分かる。

もちろん、マスコミメディアの教育作用は学校教育のそれとは質的に異なるものであるし、そ の独自性を発揮しなければならない。学校教育は教師が主導力をもつが、メディアの教育的価値 を引き出し利用するのは利用者の主体性にかゝわる問題である。特に現実に大量の情報にさらさ れている子どもたちが自らのために有効に処理操作しうるかである。これは何も新しい問題でな くて古いメディアの研究において実践されてきたことである。例えば学校新聞研究会において子 どもに学校新聞の利用を通して環境、社会を見る目を養い、意見を発表する方法を探究している し、放送教育では校内放送活動や番組制作活動を通して、子どもたちを放送の受け手でなくして 送り手として主体性を確立しようとしている。テレビ視聴能力の研究も進められている。以上を 総じていえば、情報、映像の読み書き能力、いいかえれば情報処理能力を形成することが情報化 社会に対応していくために必要ということである。それを前述の利用者のレベルの発達段階に応

じてその方法論が今後に研究されねばならない。

Ⅴ ま と め

以上の論を残された問題とともにまとめてみると

1.情報処理能力に関していえば、作ることは、みることを強化する方法でもあるが、いかな るメディアの利用が子どもの発達に適応しているかである。基本的メディアからということにな

(11)

ろうが、カメラ、テープレコーダーなど最近は低年齢児に使用されていることを考えると、その 操作法、表現法について指導のためのカリキュラムが必要である。

2.メディアの利用は一部の子どもでなくして、すべての子どもにさせることである。例えば 校内放送は放送部員の仕事に限定しないで、放送活動を皆の者のための日常的な学習としなけれ

ばならない。

3.ニューメディアが簡単に家庭や学校に普及するとは考えられない。経済的負担と教育効果 が関連的に考慮されるのが常である。いま家庭と教室に最も普及しているのはテレビである。そ してテレビこそ放送映像系、静止画像系にも用いられるメディアである。テレビ情報を中心にそ の処理、制作能力を中心にすべきであろう。

5.ニューメディアの技術開発が先行して保守的な法制、制度と摩擦を生じているのが現状で ある。また家庭のテレビ、ケーブルテレビなどメディア自身の性格も変ってきている。放送、通 信メディアは個人生活、社会生活に深く機能的に影響するだけに、その法的、制度的問題も今後

の重要な研究課題である。

(1)石川旺、放送の公共的課題、 1981.文研月報11月号pp. 57‑58

(2)アルビン・トフラー・徳山二郎監修、第三の波、 1980,日本放送出版協会、例えばpp. 543‑562 (3)放送大学そのものが、ニューメディアというより、それらを利用した教育システムということである。

(4)ユネスコ「マクブライト委員会」報告、永井道雄監訳、多くの声、一つの世界、 1980,日本放送出版協会、

第1部第2章5、教育的な潜在能力を参照した。

(5) Frank W. Norwood, Education by Satellite in the USA、 Educational Media International 1981. No.

2pp.13‑18

(6)朝日新聞1980年12月18日付記事参照。

(7)朝日新聞、日米両国民の世論調査、 1982. 4月13日。

(8) Norman Gowor,放送手段による教育の可能性と問題一英国公開大学‑、ジユリスト、 1980. 3.1, pp.

28‑37

(9) Norman Gowar,同上書の他、討論、 「放送手段による教育の可能性と問題」、ジユリスト、 1980、 3.1 pp.

38‑53

00 昭和56年度通信白書、 1981、 p. 252

的 Michael Wines, The Cable Revolution, National Journal, 1981. 10. 24, pp. 1888‑1895

的 太田静樹、 CATVにおける公共性と住民参加について、 1979、奈良教育大学紀要 28巻1号pp. 169‑179 的 Dennis W. Daly, Viewdata in Education, Educational Media lnternotional, 1981. No. 2 pp. 19‑22 44)映像情報システム開発協会、運用実験によるモニターの志向変化ならびに反応に関する調査の中間報告によ

る。

(12)

165

Educational Functions of New Media

Shizuki Ota

Department of Education, Nara University of Education, Nara, Japan (Received April 30, 1982)

The purpose of this paper is to explain the functions of new media (which have been current topics), and their effects on education.

It is a characteristic feature that new media are mainly combined with telephone, television and computer. They are classi丘ed into two types, namely, broadcasting‑motion picture system and still‑picture system. Out of them, some media are taken up for discussion, such as broadcasting satellite, a university of the air, cable television and videotex. In what condition are they at present, and what rolls have they played in education?

New media have expanded notably educational opportunities for the people and produced curriculums to meet a variety of individual needs for learning. This means that they make good the deficiency of mass media from the nature of one way communication for unspecinc majority. In addition, they will probably reform current educational system. Through the levels of development of receivers the abilities to process information must be trained, especially at school for coping with social changes above mentioned.

As a topic for further discussion, legal regulation of new media is to be considered.

参照

関連したドキュメント

ともわからず,この世のものともあの世のものとも鼠り知れないwitchesの出

これらの先行研究はアイデアスケッチを実施 する際の思考について着目しており,アイデア

存在が軽視されてきたことについては、さまざまな理由が考えられる。何よりも『君主論』に彼の名は全く登場しない。もう一つ

実際, クラス C の多様体については, ここでは 詳細には述べないが, 代数 reduction をはじめ類似のいくつかの方法を 組み合わせてその構造を組織的に研究することができる

いしかわ医療的 ケア 児支援 センターで たいせつにしていること.

 親権者等の同意に関して COPPA 及び COPPA 規 則が定めるこうした仕組みに対しては、現実的に機

  支払の完了していない株式についての配当はその買手にとって非課税とされるべ きである。

発生という事実を媒介としてはじめて結びつきうるものであ