研究ノート
要素価格均等化命題と生産要素移動
浦 上 博 逵
一 経済統合と生産要素移動
いわゆる﹁経済統合﹂はその実態に即して種々に分類されうるであろう︒なかんづく財の移動の完全な自由を
加盟諸国間で認める関税同盟と︑さらに進んで財の移動に加えて生産要素移動の自由をも含んだ共同市場の形態
とでは︑その現実的な成果に大きな違いがある︒ョーロッパにおけるECとEFTA︑ラテン・アメリカにおけ
るCACMとLAFTAとでは経済的効果に関して顕著な相違があり︑そこでは加盟構成諸国間の経済体質の相
違に加えて︑共同市場的性格をもつか関税同盟的性格︵自由貿易地域的性格︶をもつかが重要な問題となる︒つまり
資源の最適分配を達成するためには︑財移動の自由ばかりではなく︑生産要素移動の自由をも必要とする︒資源
の最適分配とは︑要約すればいかなる地域においても同種類の生産要素の限界生産力が均等化することを意味す
要素価格均等化命題と生産要素移動
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る︒要素市場において完全競争が実現されているならば要素価格も等しくなるであろう︒すなわち経済統合の加
盟国間で要素の限界生産力︵価格︶が相違しているならば︑経済効率の点からより高い限界生産力︵価格︶の存在
する地域に要素は移動するのである︒しかし要素が移動する以前に︑その生全要素を使用する財が自由に移動す
ることによってその生産要素の限界生産力︵価格︶を均等化させることができるならば︑財移動は直接的な要素
移動の効果を代替することになる︒その場合には要素移動にまで踏切る必要はない︒これまでの経済理論では︑
財の自由な移動は国際的に生産要素の︵相対的あるいは絶対的︶価格を均等化させるであろうという命題︵ヘクシマ
ー=オリーン定理︶が定式化された︒しかしこのような結論が現実的な妥当性を有するものであるならば︑資源の
最適分配に関するかぎり経済統合の問題においても関税同盟の段階で充分な筈である︒しかし要素価格均等化命
題が現実的に何らかの欠点をもつと︑共同市場の状態の方がより経済効率的となる︒もちろん生産要素移動によ
る域内の不平等的発展︵集積化傾向︶等のような望ましくない効果や各国の国内制度あるいは政策に及ぼす厄介な
問題が生じてくることは疑いもないことであるが︑要素価格均等化命題が必らずしも現実に妥当するものではな
いということにかんがみ︑経済統合において要素移動を含む共同市場の形態が必要であることの根拠にしたいと
思う︒ また同時に︑現実の世界経済では経済統合のみならず国際企業あるいは民間・政府による種々な形での要素
︵特に原材料・資本・技術等︶の移動がしばしば見られる︒このような事実も︑要素移動の効果が必らずしも種々
な面で財の移動に取って代られないことを示すものであろう︒
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二 要素価格均等化命題
貿易の開始とその利益は今もって︑リカード流の比較生産費の理論にその原点をもつ︒彼の理論の中で最もそ
の基本となるものは︑生産要素の国際的非移動性に基づく生産費の相違と︑国際的交換︵貿易︶における労働価
値説の放棄であろう︒そのような前提の下で貿易の開始とその利益を述べれば︑生産費に比較優位が存在するた
めに貿易が開始されて貿易パターンが決定し︑財の交換比率が有利化することによって貿易の利益が生じるので
ある︒二国︵イギリス・ポルトガル︶︑二財︵衣料・ブドウ酒︶︑一生産要素︵労働︶の場合︑それぞれ要素︵労働︶で
計った生産費所与とし両国の生産可能曲線が与えられれば︑輸送費零の下でその説明は図1のようになる︒そこ
で国際交換比率が両国の生産可能曲線の間で決定されるならば︑両国はそれぞれの比較優位のある財に特化し︑
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要素価格均等化命題と生産要素移動
国内で成立していた労働価値説に基づく交換比率よりも有利な国
際交換比率でもって︑同一量の自国財でより・多くの相手国財︵あ
るいは同一量の相手国財をより少ない自国財︶でもって入手すること
になるのである︒しかしこの仮設の中にもし要素移動の自由︵移
動費用は零︶を導入するならば︑二財の生産はそれぞれ絶対優位の
地域でもっておこなわれるであろう︒このような場合リカード的
貿易開始の初期条件は消滅してしまうことになる︒
近代貿易理論はさらにリカードの説く比較優位の原因を求め︑
そこで貿易のパターンと利益と結果を明らかにしようとした︒そ
れは各国の要素賦存量の相違が比較優位の状態を作り出し︑そのような要素の限界生産力の相違が貿易のパター
ンを決定し同時に利益を生ぜしめ︑貿易パターンに従った財の自由な移動の結果︑そのような相違は消滅し貿易
はその点で均衡するであろうということであった︒これを新古典派モデルで説明すれば図2のようになる︒二国
︵A・B国︶・二財︵X・Y財︶・二生産要素︵C・L︶を想定し︑X財はC生産要素に集約性があり︑Y財はL生産
要素に集約性があり︑またA国はL生産要素に比してC生産要素の賦存量が多く︑B国はその逆であるとする︒
生産要素の限界生産力逓減の傾向と需要量を決定するために両国に共通な社会消費無差別曲線︵IIとFF︶をそ
れにつけ加えれば︑両国の生産可能曲線と社会消費無差別曲線の傾きが等しくなる︵三曲線に共通な接線γγ上の︶
点Qで貿易が均衡し︵両国で両財の生産費比率が等しくなり︑両国の生産要素価格比率が等しくなる︶︑貿易の利益は両
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国により上位︵II←FF︶の消費無差別曲線上で消費することを可
能にすることによって示される︒ここで注意すべき点は︑貿易によ
って両国の生産要素の限界生産力比率︵要素価格比率︶が等しくなる
ように︑国内で要素の移動が起こり︑それが国際間での要素移動を
代替するということである︒
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三 要素価格均等化命題の条件と生産要素移動
ヘクシャー=オリーンの定理が成立するためにはさらに種々な条件が必要とされる︒サミュエルソンはそれを
次のように述べた︒
一︑二国間であること︒
二︑二財であること︒
三︑それぞれの財は二生産要素を用いて生産され︑生産関数は一次同次性を有しているものであること︒
四︑生産要素の限界生産力は逓減的であること︒及び二財はそれぞれの生産要素に異なった集約性があるこ
五︑二生産要素は両国で同質であり︑技術的な生産関数についても同様であること︒
六︑財の移動は︑輸送費零︑完全競争が存在するという条件の下で完全に自由であること︒一方生産要素の移
動は皆無であること︒
七︑両国はそれぞれに比較優位をもつ財の生産に時化する傾向を有するけれど︑完全特化までには至らないこ
と︒
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二国・二割の条件はサミュエルソンによって一般的均衡分析の下で拡大された︒ここで注意しておかなければ
ならないことは︑次の条件とち関連することであるが︑財の種類と生産要素の種類のそれぞれの数の比較であ
る︒要素の数が財の数よりも多い時には︑要素価格均等化の命題は成立しないことになる︒例えば二国・二財・
二生産要素モデルに第三の生産要素を考えた時︑ある国が最初に与えられた二生産要素では比較劣位にある財に
も拘らず︑それに同時に他用される第三の生産要素が比較的豊富にあるため︑その低い価格でもって高い生産費
をカバーすると両国でその財の価格が等しくなるような状態が存在する︒そこでは各生産要素の限界生産力は相
違したままで貿易が生じないことになる︒それ故に要素の限界生産力を均等させる為には︑直接的に要素が両国
間で移動する必要が起こるのである︒また生産要素の数が増加することによって︑相対的費用の概念と相対的集
約性の概念が不明瞭にもなる︒
生産関数が一次同次性であるという条件は︑現実に﹁規模の経済﹂が作用するという点から批判されてきた︒
そのような効果を認めるならば︑財の価格は均等化しないばかりか各生産要素の限界生産力を逓増させますます
両国で乖離を生じさせることになる︒しかも要素移動の必要性に対してある面では背反するものでもある︒それ
は経済統合を特に後進国で経済発展の戦略と看做す場合︑﹁規模の経済﹂を目標とすることがあり︑その時には
組み合わされた生産要素の投入は一定値以上の倍率でもって生産物を産出するため︑より多くの生産要素を集め
ることが有利なこととなる︒そこで一国だけでは不足する生産要素をより広い要素市場から集中させるのに要素
移動が必要とかるのである︒このような事例は経済統合だけに限らず︑例えば経済発展にとって不可欠な資本蓄
積に対しても︑資本が稀少な後進国にとってー規模の経済﹂を達成するために資本豊富国から何らかの形で資本
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の流入が急がれる︒このような点からすれば︑﹁規模の経済﹂を一定とした条件で財務動か要素移動の効果を代
替するという命題は︑要素移動の目的とは背反的な性格を有することになる︒なぜならば要素移動が起これば
﹁規模の経済﹂が達成できる余地を残している地域が存在するからである︒
﹁規模の経済﹂が一定であるという条件に較らべてみれば︑各生産要素のそれぞれの限界生産力が逓減的であ
るという条件は現実的に受け入れ易いものであり︑それを重要な根拠にして要素価格は均等化するのである︒同
時にサミュエルソンは﹁規模の経済﹂を一定とする条件の下では︑生産可能曲線が原点に対して凸型であるよう
な形態は成立しないと主張した︒しかしいまここで﹁規模の経済﹂が存在し各生産要素の限界生産力にも逓増傾
向があるものとすれば︑両輪にそれぞれ二財︵X・Y財︶の量をとると生産可能曲線︵AB︶は図3のようにな
り︑初期の与えられた価格線︵PP︶との交点Qで両財を生産して
いるが︑一度どちらかの生産に価格が有利に動いたならば︑競争的
条件の下ではその財の完全時化の点︵両軸との交点︶まで生産が続く
ことになるのである︒完全特化か存在する場合には後に説明するよ
うに最早要素価格均等化の命題は成立しなくなる︒この状態での貿
易の利益はリカード流の国際分業化の利益となるが︑﹁規模の経済﹂
をより効率的に享受するという資源の最適分配の基準からすれば︑
その財の生産に適した要素の移動がより強くなされる必要がある︒
財の要素集約性については要素間の代替を容認するならば逆転の生
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じろ可能性がある︒ある国である生産要素価格が相対的に高くなるに伴れてそれに集約性をもっていた財の生産
で︑相対的に安くなった生産要素より多く使用した方が有利であるようなことが起こると︑両国は同じ集約性を
もつ異なった財に比較優位をもつことになる︒そのような場合には︵逆転回数が奇数︶︑両国の輸出財は異なって
いても同じ要素集約性を有することになり︑貿易の効果は両国で要素価格を同方向に動かし要素価格間の相違が
狭まるか拡がるかはその時の状況による︒例えば相対的に労働豊富国が労働集約財に比較優位がある場合には︑
貿易は両国の労働価格を押し上げることになる︒逆にその国が資本集約財に比較優位がある場合には︑貿易は両
国の労働価格を引き下げることになる︒相対的に高くなった生産要素の価格がさらに高くなればいま一度要素の
集約性は逆転することになるかもしれない︒︵逆転回数が偶数︶このような場合には貿易の効果は両国において要
素価格を異なった方向に動かすことになる︒その動きによっては要素価格の相違は接近するかもしれずあるいは
乖離するかもしれない︒例えば相対的に労働豊富国が労働集約財に比較優位がある場合には︑両国で要素価格は
互いに近づくであろうし︑逆にその国が資本集約財に比較優位がある場合には︑互いに遠いていくことになる︒
つまり財の要素集約性に逆転の可能性を導入するならば︑最早そこでは各財の要素集約性は一義的でなく︑生産
要素価格比率と相対的生産費比率︵相対価格比率︶が一対一対応にならないため︑要素価格均等化命題は成立しな
くなる︒それに加えて要素間にかなりな程度の代替性が認められているものとするならば︑より安い生産要素を
用いて稀少な生産要素を代替しようとするため︑財の価格︵生産費︶が両国で均等化してしまい貿易が停止してし
まう︒その時にはそれぞれの生産要素の限界生産力は両国で相違したままとなり︑それ以上の効率を達成するに
は要素の移動が必要とされる︒そして現実にはしばしば多くの財でこのような生産要素の代替が見られるのてあ
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る︒ 生産要素が同質であるということは︑現実の経済の中ではほとんど妥当性をもたないことであろう︒主として
自然環境に依存する資源の質の相違は一般的なものであるし︑たとえ土地に限っても気候条件等の自然環境を考
慮すれば︑同資性はほとんど存在せずそれぞれの産物に適した土地がある︒労働に関しても熟練の程度に加えて
その背後にある教育・知識及び国民性等の文化的環境を考慮するならば︑労働の同質性も疑わしいものとなる︒
資本についての同質性は最も現実的妥当性をもち得るように思われろが︑資本に結合する技術・知識・組織等を
考え合せるとその同質性も損われることになる︒後進国等で見られる資本の導入に付随する技術の導入が必要な
理由もここにあるであろう︒特に技術・知識が生産上重要な役割りを果す今日︑生産要素としてそれらを別に考
えるならば︑それのもつ独占的秘密維持の性格から技術・知識の同質性は著るしく失なわれ︑そこで経済効率上
技術・知識の移動も円滑で広く普及することが望ましい︒いま要素価格均等化命題との関連でそれぞれ質の相違
する生産要素を種類の異なった生産要素と看做すならば︑サミュエルソンのいう財の種類よりも要素の種類の方
が多くなるというケースに含まれる可能性が強くなる︒生産要素の同質性の条件が確かなものでないとするなら
ば︑生産関数の同質性は一層不破かなものとなる︒生産要素の異質性及び技術・環境の相違はそれぞれの国が同
財の生産について異なった生産関数を有することになり︑財の生産の選択は要素賦存量のみによっては一義的に
決定されなくなる︒このような点で貿易パターンの決定に関する理論的欠陥が︑アメリカの貿易構造を実証的に
分析した結果﹃レオンティェフ逆路﹄として提出された︒これは相対的に資本豊富国だと一般に考えられていた
アメリカが︑比較的労働集約性ハもつ財を輸出し比較的資本集約性をもつ財を輸入している事実の発見であった︒
一一152一一
アメリカの労働生産性の質の優位さ等がその原因と考えられるが︑その後数多くの論争を惹起したのである︒
財の移動の輸送費が零であるという条件は︑一見して現実的ではないということが解る︒要素価格均等化分析
の中では︑同財の同一地域間の輸送費用が同一であるとすれば︑その費用を財の生産費に含めることによって解
決し得るかもしれない︒しかし大量輸送の費用逓減効果あるいは輸送方法の改善等を考慮すればより複雑なもの
となる︒また国内市場価格に輸送費を加えたものが相手国市場の価格と等しいならば︑その財の移動は起こらな
いことになり︑両国の生産要素の限界生産力は相違した状態のままにある︒この時要素の移動の方が財の移動よ
りもたやすいと︑要素が移動することによって経済効率が高まることになる︒より現実的で明白な事実は︑財の
移動よりも要素の移動の方が輸送費用を節約し得る時である︒現在の世界経済においてしばしば見受けられる国
際企業の発達にはこのような理由も存在する︒つまりある要素移動の費用を加えても︑輸出先市場での直接的な
生産の方が自国生産に財の輸送費用を加えたものよりも安い時には︑その要素は他に障害がない限り移動される
のである︒現実にも生産要素の中には資本あるいは技術それにある種の天然資源は財の輸送よりもたやすいもの
であり︑最近ではECにみられるように交通機関の発達により労働の移動もさほど困難なことではなくなってき
ている︒またたとえ土地のようにある要素は固定的であっても︑それと組み合わせにある要素が移動するなら
ば︑限界生産力比率は均等化することになり貿易が開始される根拠は失なわれることになる︒次に財の移動が自
由で要素の移動が皆無であるとしても︑財及び生産要素市場で限界生産費及び限界生産力が必らずしも価格に等
しくなく︑供給量が市場価格機構とは別に恣意的に決定されるという不完全競争下では︑それぞれの関係に一義
的な関係が存在しなくなるため要素価格均等化命題は成立しない︒もともと自由貿易は貿易の利益の外に市場を
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より完全競争状態に近づけ︑競争の利益をあげることを目的とするものでもある︒しかしたとえ自由貿易の特内
でも価特が管理的な件特を有している特には︑国際価特よりも実際には安い生産費をもつ財の価特がつり上げら
れ︑輸出よりも国内市場での独占的立場を享受する場合もあるであろう︒あるいはより広く国際価特をも支配し
得るような財も現実には存在する︒財の自由な移動だけでは完全競争が充分に達成され得ない場合には要素の移
動がより効果的であろう︒また現代では財市場と同特に要素市場それ自件にも不完全競争が生じている︒先進諸
国間の経済統合で要素の移動をも目標とする特には︑生産要素の最適再分配としてこのような効果も含まれてい
る︒この点に関していえば︑﹁規模の経済﹂が二定であるという条件と共に完全競争の条特も要素移動の必要件
と背反したものとなる︒つまり生産要素の移動が必要とされるのは現実の経済状態をより完全競争状態に近づけ
ることにあるにも拘らず︑完全競争を条件として財の移動は要素移動の効果を代替すると主張するためである︒
最後に不完全特化の条件について考えてみれば︑貿易は比較優位財への特化の傾向を結果として齎すが︑仮に
その財の生産に完全に特化するならば︑要素価特の均等化は成立しないことになる︒その理由はもし不完全特化
の状態であるならば︑財の相対価特比率︵相対的生産費比率︶は要素の限界生産力比率の比率に等しいことになる
が︑完全特化の場合には︑その財の相対価特は最初の一単位を生産する相対的限界費用に達しないことになり︑
要素の限界生産力比率の比率が成立しないことになる︒この事は結局生産可能曲線と両輪との交点のどちらかで
生産がなされることを意味し︑共通の価格線︵限界生産費比率︶が存在し得ないことを示している︒つまり完全特
化に移行した国では両国の生産要素の限界生産力比率が完全に均等化しないうちに︑そのすべての要素を他財の
生産からこの特化した財の生産に移してしまうことになる︒そこでそれ以上の要素の限界生産力の相違を縮める
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ためには要素の移動が必要とされるのである︒現実の世界経済ではこのような完全特化は経済発展の水準がかな
り相違する国同士ではなおさら︑同水準にある国でも財の多様化あるいは生産関数の相違によってしばしば見受
けられる︒特に技術革新を生産要素として考えるならば︑これらの国でも異質化か起こり完全特化の状態がある
期間に亘って継続することがある︒そこでもまた技術革新の普及︵移動︶あるいは少なく共それと組み合せられ
て使用される他の生産要素の移動は︑経済効率を高めるものである︒
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四 結 び
国際的な資源の最適分配を意味する要素価特の均等化という命題に即して︑財の移動は生産要素の移動の効果
を代替するという主張のもつ条特を吟味してきた︒しかし最後に多くの理論的分析に対してなされてきたのと同
様︑その分析が静態的であるという批判がここでもまた妥当する︒特に要素賦存量・技術・嗜好を取り上げてみ
ても︑これらについては現代では変化することが日常的なことである︒要素賦存量に関しては︑労働の量は主と
して今日でも人ロ増加率に依存するが︑人口の増加のみが労働の量を増加させるのではなく︑労働意識や知識の
持ち方によっては労働力に転じたり転じなかったりする場合がある︒例えば教育あるいは経済発展への強い志向
−156 一一