• 検索結果がありません。

赤 見 山   草 ね か り そ け

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "赤 見 山   草 ね か り そ け"

Copied!
13
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

赤見山 草ねかりそけ

一 口訳ということ

 東歌に﹁安可見夜型 久佐祢可利曽気 安波須賀倍 安良財布

伊毛之 安夜ホ可奈之毛﹂という未勘国相聞がある︒この歌はた

とえば次のように口訳されている︒

﹃古典文学大系万葉集﹄赤見山で草の根を刈りそいで︵承知の上

で︶逢ったのに︑はずかしがって従わない妹が何とも言えず可愛

い︒ ﹃万葉集注釈﹄安可見山の草を刈り除いてそこで逢ってくれ

てる上に︑そんな事はないと人には争ふあの子がほんとにいとし

いことよ︒ ﹃古典文学全集万葉集﹄赤見山の草を刈りはらってお

いてさせるもんかと抵抗するこの娘はむしょうにいとしい︒

 違いの原因は語句の解釈の差違にあるわけだが︑読者にとって

歌というのは所詮ロ訳以外にないとすれば︑誰も原歌を受取るこ

とは不可能なのかとも思われてこよう︒あるいは原歌はそうした

解釈に制限されてあるしかないとも思われる︒またそれより︑原

歌と解釈︵口訳︶の間にはほとんど関係はないのかもしれないと

も思われてくる︒それは音を伴ったりズムと散文との本質的な宿

命であって︑東歌も大系や注釈や全集のロ訳の中にだけしかない

のだという風に︒ あるいは人は︑諸ロ訳を判断し︑選ぶという作業をやめて︑歌

によって選ばれるという関係に入ることは不可能なのだろうか︒

とりとめもなく歩いてみることである︒ ﹁アカミ山﹂はどこにあ

赤見山草ねかりそけ︵渡部︶ るどんな山かなという風に︒ ﹃全釈﹄が﹁下野のは安蘇郡で佐野町の西北方に当っている︒東歌としてはこれが最もふさはしい地であるが果して古名の遺ってみるものであるかどうか明らかでない︒﹂という︒ ﹃新注﹄で﹁麓に萱場という部落があり︑古くからの草刈場であったと思われ︑この歌の背景にふさわしい︒﹂という︒ ﹁背景にふさわしい﹂ように考証がなされ︑学問はその筋にそっている︒で︑この栃木県佐野市赤見町の東山を﹁アカミ山﹂とした論考に椎名嘉郎氏﹁安可見夜麻﹂考︵﹁万葉﹂90︶がある︒ こうした諸点から考え合わせても︑この山は往古﹁赤見山﹂と 呼ばれ︑ときには若者たちが恋を語る山として︑あるいは農民 たちの春の農耕儀礼の山遊びの場でもあり︑また晩秋には冬に 備えるため競って枯枝を折り取り︑草々の繁る夏には︑まさに ﹃草根刈り除け﹄の共同作業の場であったと推定される︒とのように総括され︑ ﹁アカミ山﹂は何より客観性として姿を現わすのである︒これは村落共同体的な姿である︒︿客観性﹀の意味がそうなのであり︑もっと広くは歴史的文書︑考古的資料も加わってこよう︒アカミ山に関わる学問もそうした客観性に依拠していた︒ このようにでき上ったアカミ山・客観性という名の村落共同体的性質︑それは男女二人の共寝が持つ恣意性︑隠微性を拒否しは

(2)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二九号

しまいか︒二人はせいぜい二米四方くらいの草を刈り払ったので

あろうか︒学問というものによって照し出され︑提示されてある

アカミ山とこの二米四方ほどの空間は発想の次元を異にしている

のではないか︒即ち村落共同体性の提示であるアカミ山は男女の

共寝のための草刈りを属性として含みはしないだろうと思う︒

 その両者を接合するのはいうまでもなく上二旬と下二旬の間︑

﹁アハスガへ﹂という第三句によっている︒文字通りここでく山﹀

とく男女﹀が出会っている︒ ﹁アハス﹂がキイワードで︑この使

用に一切がかかっていた︒ 地名+山は村落共同体によって︵のみ︶対象化されている︒そ

の山は実際に萱刈り場だったかもしれず︑ ﹁萱場﹂は刈った萱の

立て場だったかもしれない︒しかし﹁アカミ山﹂という提示は村

落共同体によるイメージを内包しているだけで原則として第三者

に窺い知られるものではないであろう︒そして二旬目が成立す

る︒これはアカミ山の属性︑提示されたものの雪質である︒この

段階では下二句の男女関係はまだない︒第三句が一︑二句との関

連で同時的に存在する︒即ち二︑三句は提示旬﹁アカミ山﹂の性質なのである︒一︑二︑三句は一まとまりのイメージを持った独

立先行旬ゐあるいは慣用句であった︒ ﹁赤見山クサネカリソケア

ハスガへ﹂が︑初句﹁アカミ山﹂を提示した村落共同体の何らか

のイメージだったという風になる︒

 それがく赤見山の草を刈り除いてお逢いになる﹀という意味で

あったとは限るまい︒これでは赤見山の提示の背景が消えてしまっている︒男女の寝の方に赤見山が引き寄せられてしまう︒そう

なら赤見山を考証する学問は成立すまい︒︿赤見山が草刈り山だ

   の         からVどうして︿草を刈り除いて共寝する﹀という文脈が可能な

のか︒いろいろ言われている︒ ﹃新考﹄赤見山にて草を刈りはら

ひて相寝しなり︒

 では﹁相接﹂と赤見山の幅がほとんど同じである︒山が事の現

場になっている︒また︑ ﹃新注﹄上二塁を野合の床を作るべく草

を刈り除く実況と見るのが通説だが︑その場合寧ろ刈らずに置く

はず︒というのも一理あろう︒また対して︑

﹃訳注﹄刈る刈らないは草の状態によるのであって︑すぐその上

に腰をおろせる柔い草原の草ならいざしらず︑荒草とすればじゃ

まになるからこれを刈り除くとしても別に不都合はなかろうと思

うので︑私は屋外の交合の実況と見たい︒

ともいわれよう︒ ﹁刈る刈らないは草の状態によるのであって﹂

というような恣意性︑あるいは偶然性が﹁赤見山﹂の提示には含

まれようがないこと前述の様であるが︑そうした感覚に拠ってみ

ても︑その萱場の萱を﹁愚草﹂とするなら︑それを刈り払って︑

その上に寝るなど言語同断な話なのである︒それはとにかく︑近

時の注釈はすべてこの︿実況﹀説である︒右の﹁訳注﹂の口訳を

挙げると︑

 安可見山の草を刈り除いて私と逢ってくれている上に︑他人に

 対してはそんなことは絶対にしていないと言い争うあの子が︑

 ほんとに可愛くいとしいことよ︒

という風になる︒諸注参照しての周到な訳なのである︒ ﹁他人に

対しては﹂ ﹁言い争う﹂という文脈である︒同じ実況説︑にして

も︑そこでは第三句までと下二面の間には時間がある︒前掲の

﹃注釈﹄の系列で︑これには︑ ﹃校注﹄女が二人の間のことを他

人と争うのであろう︒

(3)

などあり︐大系の同時性とは違っている︒

 この実況説を基にするとアカミ山という萱山︑あるいは草刈山

にはあちこち二米四方位の空間があったことになり面白い︒       それはとにかく大系や全集では妹と直対性の歌となり︑注釈︑

訳注︑校注などでは時間的に後の歌となり︑全集﹁この娘﹂︑注

釈﹁あの子﹂ほどの違いがでている︒

 しかしこの実況性︑現場を条件とした拝情性というものと﹁ア

カミ山﹂という一般性提示︑村落共同体的客観性は本来異質のものではないかと思う︒その異質をなんとかまたぎ越そうとしての

散文秩序化努力が︑いわゆる口訳というものなのであろう︒対し

てたとえば︑

 三四九四子持山若かへるてのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあ

どか思ふという歌があって︑構成が似ている︒これも普通は︿子持山の楓の若葉が紅葉するまで﹀という風に受けとられている︒これもい

わば子持山の実景なのであるが︑しかし若葉が紅葉にまで到るこ

とは子持山に限らないから︑右様の限定は︿我と汝﹀の関係に︑

提示﹁子持罫﹂が引きつけられてしまっていることになる︒こうして恣意性︑個人的具体性に引き寄せられると上三旬に種々な口

訳が可能になる︒﹃東歌疏﹄夜が開けて︑あたりが明るくなることを言ふのだら

う︒ ﹃評釈﹄も同様︒

﹃注釈﹄色づくまで︒

 大系︑全集︑校注︑略解︑古義︑精解などこの系列︒

﹃全註釈﹄この句で︑老年に至るまでの意をあらわしているのだ

ろう︒赤見山 草ねかりそけ︵渡部︶ ﹃私注﹄赤変ずる意の動詞︒モミヅは潮来を意味するのかも知れ

ぬ︒

﹃訳注﹄八久しく﹀︿長く﹀の讐︒

 拾穂抄︑童蒙抄︑考︑問目などこの系列︒と全く各様あるのば

個二二情に引きつけてうまく合わないせいであろう︒たとえば大

系﹁カエデの葉が色づくまで一緒に寝ていたいと私は思う︒﹂と

なると長すぎるという不安︒逆に﹁老年に至るまで﹂では春〜秋

では短かすぎることになろう︒久しく︑長くの讐にしても︑それ

が寝の時間なのか︑生活全体の時間なのかはっきりしない︒

 実はこの上三句も個的に推測される内容とは違った︑それ自体

の独立性︑村落共同体的イメージとしてあったのではないか︒折

口氏と︑師説を引く高崎氏は上二旬を︿序歌﹀にも受けとれよう

とする︒これは右様の疑問をも含んでのことであろう︒その場

合︑序というものが持つまとまりは第三句までである観念を構成

していたはずである︒ ﹁子持正価かへるての﹂ではなく︑ ﹁子持

山若かへるてのもみつまで﹂なのである︒その共同体のイメージ

・言葉の第三句目﹁もみつまで﹂を更に使用することによって下

二句を誘発し︑三︑四︑五言で本意︵仔情︶を形成することにな

るのが東歌の一般的形なのである︒

 だから今︑折ロ氏のように︿序歌﹀を考えてみて︑しかも上三

句を一まとまりにした場合も︑その内容は︿明るくなるまで﹀と

一致するかどうかは判らない︒︿夜があけるまで﹀をいうために

この上三句の独立先行旬があったとは限るまい︒とにかくこれは﹁子持山﹂が提示される時の村落共同体的イメージだった︒

 ﹃代匠記﹄ ︵精︶に﹁今按児持主ハ活量ヨメル者ノ住アタリニ

アル山ニテ︑何トナク云ヒ﹂とあるが︑多分そのように﹁子持山﹂

(4)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二九号

は理由なき提示なのであり︑その一般的性質として三旬までの言

い方があったのであろう︒それに四︑五句が結合し︑歌の体裁が      構成されたのは子︵児︶桜山という名によろう︒ ﹁子持山若かへ

るてのもみつまで﹂から﹁寝もと我は思ふ﹂が発情する︒そして

﹁汝はあどか思ふ﹂と問うことが可能なのは上三句の我と汝の共

通項・生活的日常語が既に在った故ではないか︒︿共寝﹀とすれ

ば理不尽だが︑本来はそれ以前に︑日常生活のある目安としての

一般表現で︑一種挨拶のような存在であったろう︒その基盤の上

で︑歌が成立するという時に子持山i寝と結合したのであろう︒

 三句までの共通イメージ︑それが生活上の何であったかは判ら

なくなっている︒四︑墨筆を付加して歌というものに変貌してし

まったためである︒日常生活がそのままの姿をさらして五音・七

音律調の歌などになるわけはない︒歌まで引きずられて来た時

に︑日常生活は姿を隠すわけである︒あるいは日常生活を切り捨

てた時に歌に成るとも言いうる︒

三四九二 小山田の池の堤にさすやなぎ成りも成らずも汝と二人

はもという歌で︑三句までを讐喩的な序詞とみることが比較的容易な

のはその生態が現在まで残っていたせいもある︒しかしここでも

序の部分と本意の部分は次元を異にしている原則は同様である︒

日常語としては四旬までが先行独立してあったことは︑︿ナル﹀

︿ナラナイ﹀の音を使いば︑正月のなり木責めなどにそのまま呪

言のように残っていることによって推測できる︒その第四句﹁成

りも成らずも﹂を使って四︑五句の本意部を形成するわけである︒提示は上三句の名詞句︑その性質として第四句があったとい

うことになる︒

 さて以上は︑子持山の歌について︑その︿序歌﹀的性質︑ある

いは讐的有様についてみてきたわけであるが︑赤見山の歌につい

ても︑というより東歌全体の性質に右様のことが考えられてよい

のではないかとも思う︒

 さし当っては﹁赤見山﹂の歌であるが︑ここでも三旬まではい

わゆる序の性質をもっていて︑本意が付加される基礎をなしてい

るのではないか︒村落共同体の生活的一般性︑日常的挨拶をその

内容としているのでは︐ないか︒それが詩歌の世界で︿喩﹀という

座を与えられているものではないか︒子持山のにしても︑赤見山

のにしても︑提示の属性・喩の内容は本質的に不明である︒判明

してしまえば喩の生命は失われてしまうだろう︒意味というもの

が秩序の構造に似る限り︑そこに入り込めないものが秩序以前と

して取り残される︒喩はその世界に住んでいる︒

 東歌はその喩の世界に強く結びついている︒これは図らずも

︿詩﹀としての性質なのであるが︑学問というのはその喩の世界

をも意味化しようとする努力で︑故にその努力に比例して詩の喪

失が行われる︒多分︑︿詩Vが人の意識を対象化するのが本当な

のである︒

二 安可見夜麻

 ﹁アカミヤマ﹂とよむのであろう︒ただ︑

の⁝様に現われる︒

三三六二 見取包囲    見隠し

三三九一 左祢見延奈久ホ さね見えなくに ﹁見﹂は巻十四に次

(5)

三三九六

三四〇七

三四一七

三四四一三四四九

三四七〇

三四七一三四八五

三五〇六

三五〇八

三五一五三五一六

三五一九三五二〇

三五三〇三五三四

三五三七三五七一

と並べて判るように

 逆に︿見る﹀が必らず

ず︑三三六五

三三九一三四〇五

三四五〇

三四七三 目由可汝乎代署安利都追見礼婆与曽ホ見之欲波久毛為ホ見由流安麻許芸久見由安比見亘波罫登奈見要論追等里見我祢二面奴己能創業安比見受安良婆見都追之努波西見都芝之熱波奉安必見而由可武見都追思努波牟見直受話母世之乎見多亘思安比見之児良之見都追曽伎奴草    ﹁見﹂美胡之能佐吉曽我比ホ美由流二流比登奈思ホ那良敵亘美膚帯於母ホ美要都留

赤見山 草ねかりそけ︵渡部︶  目ゆか汝を薦む ありつつ見れば よそに見しょは 雲居に見ゆる 海人漕ぎ来見ゆ 相見ては もとな見えつつ とり見がね 見えぬこのころ 相見ずあらば 見つつしのはせ 見つつしのはも 相見て行かむ 見つつしのはむ 見えずとも せしを見たてし 相見し児らし 見つつそ来ぬるは必らずく見るVという意味である︒﹁見﹂文字で表現されているとは限ら見越の崎そがひに見ゆる見る人なしに並べて見れば面に見えつる 三五三一 安比美ホ許思量 相見に来しか三五四七 美受比佐ホ指天 見ず久にしてなど︑︿見る﹀という内容と思われるところに﹁美﹂字が使われている︒ しかし﹁見﹂字が例外なしにく見る﹀の意味に使われているらしいところがらみて︑ ﹁安位見面疽﹂はなるほど山名には違いなく︑従って︿見る﹀という動詞が要求されるべきはずはないものの︑やはりここにはく見るVという意味が潜んでいるように思われる︒表記者と作者︵あるいは勇者︶が別人であったにしてもく見る﹀の脈絡はあるのではないか︒と共にこの﹁見﹂字はこの歌で割合重要な役割を果たしているのではないか︒ さてその ﹁アカミ山﹂は先に掲げた諸注釈にもみられたように︑一は連体修飾的に︑一は連用修飾的に下句につらなる︒ イ 連体修飾 アカミ山の草 注釈︑全集︑訳注︑私注︑疏︑代田記︑童抄︑考︑略解など ロ 連用修飾アカミ山で︑にて 大系︑新考などといった具合であるが︑︿アカミ山の草を刈り除いて逢うVとくアカミ山で草を刈り除いて逢う﹀には少量があるかもしれない︒大系が﹁で﹂としたのは︑アカミ山の草を︑では大げさと思ったのかもしれない︒ましてその口訳は﹁草の根を刈りそいで﹂であった︒ そうしたことはとにかく︑解釈するとなると連体修飾か連用修飾しかなく︑あとは主語でしかあるまい︒だが歌は﹁アカミ山﹂としかいっていないのである︒これを正直に受取るとなると︑これは呼びかけか︑提示のような様相を持つはずである︒他の巻に

(6)

長崎大学教育学蔀人文科学研究報告 第二九号

もたとえば﹁味酒三輪乃山﹂ ︵一七︶などがあって︑これなども

口訳に微妙なものを要求するであろうが︑とにかく東歌での名詞

句というのは︑歌の成立する舞台のようなものの︿提示﹀なので

はないか︒先に﹁児毛知命麻﹂の例をみたが︑かかる在り様は共

に提示のように存在しているのではないか︒

 もちろんその提示された﹁アカミ山﹂というものの内容はあ

る︒それは前項にみたように村落共同体的な一般的性質としてあ

ろう︒その次元ではくアカミ山の﹀でもないし︑八アカミ山で﹀

でもないものであったろう︒具体的にはその提示されたものの性

質は次句の﹁草根刈りそけ﹂に托される︒即ちこの句があるから

アカミ山は草刈り山であろうことが把握されるのである︒そして

この﹁草根刈りそけ﹂が連用修飾句であることによって平句︑第

三句を含む︒そしてこの第三句までで︑ ﹁アカミ山﹂に付与され

た村落共同体的一般性のイメージは完結していたはずである︒そして下二句の発情︑というのは歌の構成は多分︑上三句に含まれ

た﹁見﹂をバネとしているだろう︒ ﹁児高知夜営﹂の村落共同体

的一般性が﹁児持﹂によって下二句を発情させた事情に等しい︒

 東歌にみられるこうした名詞句による提示は東歌構成の根幹的

条件をなし︑ほとんど歌の主体であり︑歌の展開の舞台をなして

いる︒

三 久佐祢可利曽気

大系﹁草の根を刈りそいで︵承知の上で︶﹂

注釈﹁草を刈り除いてそこで﹂

全集﹁草を刈りはらっておいて﹂

など少しずつ違って訳される︒ ﹁草の根を刈りそいで﹂には他の

訳にない根が入っている︒萱を刈った︑その切りロの上での逢い

など言語同断と先にいったが︑萱の刈り株は性悪な刺傷を与え

る︒農民は誰でもそれを知っていよう︒だから﹁草の根﹂を刈り

そいで︑という風になるが︑それでは苦労がすぎよう︒ ﹁刈り除

いてそこで﹂というのは﹁刈りそけ﹂と逢うを結んでいる点は同

じであるが︑︿刈り除いて逢う﹀だけではこの上二尊を序のよう

にとることも出来るようで︑たとえば﹃全註釈﹄では﹁以上︑逢

うの準備で︑序詞と見られる﹂という︒これに対して実況のよう       にとろうとすれば﹁刈り除いてそこで﹂と訳されることになるの

だろう︒次の﹁刈りはらっておいて﹂は頭注にあるように︑ ﹁逆

接的中止法﹂と考え︑︿野外で交わろうとする準備をしておきな

がら﹀とのようになるのだろう︒これは﹁刈りはらっておいて﹂

︵逆接中止︶←﹁アハスガへ﹂︵反語︶の関係でそうなのであ

る︒この反語は管見では﹃全集﹄に初めて出てきたものである︒しかし﹁刈り除け﹂・下二連用は︿刈り除けて﹀︿刈り除いてV

と連用修飾的にいってしまってもかまわないだろう︒もっともそ

うしても﹁アハスガへ﹂を反語のようにとれば中味は逆接中止の

ようになるわけである︒︿刈りそけてしまっては﹀︿アハセヨウ

ガアルカ﹀といった風になる︒ ﹁アハスガへ﹂を反語とすると︑

ともかくここ︵第三句︶で一旦終止である︒ ﹃全集﹄はここまで

をトでうけて四・五句につなげる︒

 以上は実況のようにとるものの代表例であるが︑讐喩的にとる

ものに︑﹃代匠記﹄繁キ草ヲ刈ノケテ人ヲ入ラシムル如ク︑障ル事トモ有

(7)

ヲ凌キテといった解釈があり︑考︑略解︑古義など同様︒しかしこの二句

まではいわゆる序詞とは違うように思われる︒代匠記のいう﹁如

ク﹂の前・後がそれほど妥当な相関とも思われず︑第二句も掛詞

のようには見えない︒第二旬が連用修飾らしいことは右にもいっ

たが︑これは第三句にかかり︑第三旬﹁アハスガへ﹂は後述の如

く終止する形であるから︑喩とするならその内容は上三句全体を

まとめたものでなければなるまい︒一︑二言だけで暗喩をなして

いると理解するには語句的にも文法的にも手掛りがない︒喩であ

る場合は︑提示されたアカミ山の属性︑三句までの村落共同体の

イメージによると考えねばなるまい︒

 アカミ山を草刈山と捉えていることは第二句によって想定でき

るが︑それだけでは村落土ハ同体のイメージの一般性︑挨拶性を浮

き立たせることはできない︒まず﹁草根﹂の問題であるが︑先に

代匠記にもあったように ﹁草ヲ﹂と訳されるのが普通である︒

﹃疏﹄に︑

 草を刈り取り︑その根を掘りのけるのである︒⁝⁝あかみ山で

 共同作業をする臼があって︑その日人々はその山に集りあふか

 ら︑と言った説明も不自然ではない︒だが古風には︑草刈り作

      

 業は競争するからと見て︑あらそふに懸ったと考える方が自然

 である︒

とある︒ ﹁その根を掘りのける﹂というのは開墾の場合であろ       う︒ ﹁古風には﹂草刈り作業をあらそふというが︑風土記などの

様相からみてそれは考えられない︒が︑いずれにしても﹁上二

句︑序歌﹂ということになる︒

 ︵ロ訳は︶俺に逢ってくれてみながら︑あかみ山の草の根を刈

赤見山 草ねかりそけ︵渡部︶  りのけるその為事ではないが︑俺に一一抵抗する彼女が︑無上 に可愛いことよ︒となっている︒︿競争する﹀とく抵抗する﹀がうまくかみ合っているとは思われない︒ 万葉集中の﹁クサネ﹂を挙げてみると︑

一〇 ⁝⁝岡の草根をいざ結びてな

四三五⁝⁝磯の草根の枯れまく惜しも

一八九八⁝草根の繁き恋もするかも

とあって︑用字は﹁草根﹂︑すべて︿草﹀と解釈されているよう

である︒あるいは︑

 かほ鳥の聞なくしばなく春の野の草根の繁き恋もするかも

などでは︿草の根﹀の繁き状態をいったものではないかとも思わ

れる︒それこそ古風には草根の繁き様にもよく気づいていたと思

われる︒こうして︿根﹀の方も復権させてみると︑︿草根結び﹀

という︑魂結びの一種があっても悪くはないと思うし︑岡の傾斜

面や崩れた岸などにそれが可能だったのではないか︒﹁磯の草根﹂

の場合︑これは磯に露出した根で︑今でも河原などではどこでも

みられよう︒

 こうして根の復権も全く不可能なわけではないと思うが︑さて﹁草根刈り除け﹂がく草の根を刈り除け﹀かというと︑やはり

﹁刈り除け﹂の対象は草となるしかないのではないか︒

 アカミ山︵提示︶草を刈り除いて︑なのであろう︒置注ここま

でを次句の︿逢う﹀の条件のようにとる︒しかし東歌とはいうも

ののそうした例はないのである︒ ﹃全集﹄で﹁三四八九は男だけ

だが︑ここは女も草を刈っている︒﹂というその

 梓弓黒影の山辺のしげかくに妹ろを立ててさ寝処払ふも

(8)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二九号

の歌にしても︑男が草刈りをしているという直接の証拠はない︒

だから男女が草を刈り除けてそこで逢うという例は東歌にもなか

った︒ ﹁ソク﹂は仁徳記に﹁曽岐をりとも﹂︑丹後風土記︵逸文︶に

﹁管区をりとも﹂とあって︑これは動詞四段に活用する︒︿離れ

る・遠のく﹀の意である︒﹁そきへ﹂﹁そくへ﹂の言い方がある︒

三九六四 山川の曽伎欝乎登保美はしきょし妹を相見ずかくや嘆

かむ

﹁ソキ辺﹂ ︵遠く離れた所︶なのであろう︒

四二四七 群雲の曽伎敵能紫波美我が思へる君に別れむ日近くな

りぬの二例は万葉集の後ろの方に出てくるが︑

四二〇 ⁝⁝天雲乃曽久敵能極⁝⁝

五五三 天窓乃遠隔乃極⁝⁝

一八〇一 ⁝⁝天雲乃退部乃限⁝⁝

などは比較大前の方に︑しかも同様の言い方で現われている︒

 この自動詞四段の﹁ソク﹂がく離れる・遠のく﹀であるに対し

て﹁草根刈りそけ﹂は他動下二段になるだろう︒後者の例を挙げ

ると︑二七六九 我が背子に我が恋ふらくは夏草の苅除十方生ひしくご

としと﹁除﹂字の使用からも判るように不用のものを除いてしまヶこ

とをいっている︒

三八三二 からたちの茨苅除︵曽気︶倉建てむ尿遠くまれ櫛造る

刀自も邪魔になるものを除く意である︒この状態からは﹁草根刈りそ

け﹂は明瞭に︑共寝に邪魔な︑不用な草を刈り除いて・刈り払っ

てとなるのが自然である︒

 しかしこの稿を始めた理由は︑縷述してきたように︑アカミ山

は提示であり︑そこに含まれるイメージは第三句までで完結して

いるはずだということにあった︒このイメージには下脚長は含ま

れていないということである︒第二句でようやく草刈山である性

質は見えてきたのであるが︑この段階では当然︿共寝﹀は含まれ

ていない︒したがって︑草刈山であるアカミ山には不用の部分として除去される草はない︒草刈山であるものが邪魔なものとして

除去する草を持つわけがない︒とすれば右様な把握に対する総体

的反対性として上三句があったことになろう︒ ﹁アカミ由草根刈

りそけアハスガへ﹂は草根刈り除けを拒否的に支えていることに

なる︒ 二旬まではく草を刈りのけて﹀でよい︒︿離すVの方を使えば

︿刈り離して﹀である︒ ﹁根﹂を復権させれば︑いわゆる草︵茎

葉︶の部分と根で︑︿草と根を切り離してしまって﹀と細かな内

容になる︒これが村落共同体が﹁草根刈りそけ﹂といった心意な

のだと思うが︑その客観性については云い様がない︒

 邪魔なものを除く︑とするのは次句の﹁アハスガへ﹂と相関し

て︑アハスを﹁逢ふ﹂+﹁す﹂ ︵尊敬︶とするところがらきてい

る︒男女の逢いが前提であれば︑邪魔な草をく刈り除いてVでよ

かったわけである︒

四 安波須賀倍

アハスガへは既にみてきたように︿逢はすが上﹀︑全集だけが

(9)

︑﹁合はすがへ﹂ ︵させるもんか︶であった︒ ﹁がへ﹂をくが上

にVととるか︑︿かは﹀︵反語︶にとるかによる︒もう一回文脈

を辿ってみると︑       アカミ山草根を刈り除いて︵刈り離して︶は︑提示と︑その提

示されたものが同時に具有する内容のはずである︒関連して﹁草

根刈りそけーアハスガへ﹂はまたその提示が具有するイメージで

なければなるまい︒

 たとえば新注は﹁或は刈草を一定の場に集めて置く意か﹂とい

う︒これにはく草を刈って︑それを集めVというイメージがあ

る︒先にあった﹁萱場﹂・草立て場のような情景を構成するわけ

である︒しかしこの場合は﹁刈り除け﹂の除くの場所がなくな

り︑かつ︿集あて置く上に﹀では当然︑三句までの完結性が流れ

てしまう︒

 ﹁刈り除け﹂の除くが不用なもの︑邪魔なものを対象にしてい

ることは先にのべたが︑それで終ってしまう﹁茨刈り除﹂のよう

な場合に対して︑ ﹁夏草の刈り除ども生ひしく如し﹂のように︑

その後の︑根の部分の生ひしくに視点が向けられる場合がある︒

すなわち﹁刈り除く﹂ ︵切り離す︶を︑根と茎︵枝︶との両方か

らみる場合があるわけである︒後者から発生したイメ;ジが﹁夏

草の刈り除ども生ひしく如し﹂という農耕的一般性である︒︿夏

草の⁝⁝ようだ﹀という日常的挨拶︑富みたいなものがあったの

であろう︒それが﹁如し﹂に表われている︒この歌では下三句が

共通項なのである︒似た言い方に︑

三四九一 柳こそ伐れば生えすれ世の人の恋に死なむをいかにせ

よとそがある︒ここで柳は提示であっていい︒︿川柳伐れば生えすれ﹀

赤見山草ねかりそけ︵渡部︶ とでもすれば︑二句目は提示されたものの村落共同体的イメージである︒ここでも主体は根本の方にある︒上競馬は喩で︑それだけで完結し︑まとまったイメージをなしている︒これも諺めいた日常的挨拶の中にあったであろう︒ アカミ山という提示の性質として﹁アカミ山草根刈り除け︵草を刈り離して︶アハスガへ﹂もまとまったイメージ︑村落共同体的一般性としてなければならないだろう︒その時﹁アハスガへ﹂とは一体なになのか︒①三四六五 高麗錦紐解き放けて寝るが上に︵車借ホ︶あどせうとかもあやにかなしき②三四七九 赤見山草根刈り除けアハス賀倍争ふ妹しあやにかなしも③三四二〇 上野佐野の舟橋取り放し親は放くれど我は離るがへ

︵賀倍︶

④三五〇二 我が目国人は放くれど朝顔のとしさへこごと我は盗

るがへ︵心当︶

⑤四四二九 厩なる縄絶つ駒の握るがへ︵黒黒︶妹が言ひしを置

きてかなしも

と︑ ﹁ガへ﹂という言い方は東国にしかみられない︒ ﹃時代別国

語大辞典上代篇﹄では︑一応︑先の二例を﹁する上に・である一

方で﹂︑後三例を反語の助詞と示している︒

 第1例は﹁ガへ︸こという言い方で連用修飾的な用法であるに

対し︑後四例は﹁ガへ﹂で終止的な形かもしれない︒第2例は歌

の途中にあるので第1例に近いものとみられるが︑そこで終止し

ているととれば第3︑第4例にひとしくなろう︒むしろ第2例と

第5例の関連を考えてみた方がよい︒第5例について﹃時代三国

(10)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二九号

語大辞典﹄では﹁ガへの後にトを補わなければ反語と解すること

に支障がある︒﹂というのであるが︑同時に︑第2例に ﹁トを

補﹂えば︑こちらを反語と解することが出来ることになろう︒

  ﹁ガ念こと﹁ガへ﹂は用法が違うのではないか︒﹁ガへ﹂は

反語を示し︑終止の形としてトで受けると︑本稿の歌は︑

 ︿アカミ山草根刈りそけアハスガへ﹀ト

      争ふ署しあやにかなしも

となって︑当然︑トの上︑三句は一まとまりのイメージとして現

われてくるではないか︒ ﹁具なる縄絶つ駒の後るがへ﹂はトで受

ける一まとまりでなければ歌意は成立し難い︒

  ﹁アカミ山草根刈りそけアハスガへ﹂までが終止の形で︑一ま

とまりのイメージであるとすると︑︿草を刈り除いてお逢いにな

るかはーー反語﹀では意味が完結してこないし︑提示のアカミ山の

役割も宙に浮いてしまう︒

 右に挙げた東国歌五例の中に﹁サク︵放く︶﹂が三つある︒

 紐解き放けて

 放くれど⁝⁝翻るがへ

 放くれど⁝⁝離るがへ

紐の場合はいわば不用︑放棄性を持つが︑他の例は放く⁝⁝計る

の対応で示したように︑二者の間を切り離すのである︒︿ソク﹀

にもこの切り離すという内容が含まれているのではないか︒︿草

を刈り除いて﹀一︿草根を切り離して﹀アハスガへという具合に

なる︒当然アハスガへは﹁合はすがへ﹂ ︵反語︶となろう︒草を

刈り除いて︵再び︶合わせるか︒草と根を刈り離してしまって再

びその草を合わすか︑とのようになる︒ ﹁合はす﹂は﹁合ふ﹂の

他動詞︒反語的に完結する一般的な言い方としてあったのではな 一〇

いか︒ アカミ山という提示と︑草根刈りそけの事実と︑その表現は同

一水準にある︒だから﹁アカミ山草根刈りそけ﹂という表現は事

実と同じことであって別に難しいものではない︒そして︑一旦刈

り除いた草を再び合わせることができるか︑というのは諺のよう

な︑一般的挨拶言葉だったのではないか︒それがアカミ山周辺の

共同体的︿生活﹀の意味なのであろう︒︿覆水盆に返らず﹀など

というような言葉だったのだろうか︒だからこの三句はそれ自体

一まとまりの共通語として下二句に先行してあった︒あるいは巫

蜆的な原初を持ったものかもしれないが︑そこまでは判らないに

してもある指標性の言葉だったのだろう︒

 もう一度﹁厩なる縄絶つ駒の後るがへ﹂についてみてみよう︒これまた村落共同体における共通認識を基礎にした言葉ではなか

ったか︒ 厩なる縄絶つ駒の去るがへ妹が言ひしを置きて悲しも

については上二句序詞のように扱われているが︑その前に︑上三

旬はまとまったイメージとしてあったろう︒即ち厩の馬を引き出

そうとしてマセをはずし︑中に入ってロ輪をかけると馬は人より

先に外に出ようとする︒手綱を取る人は慣れていないと︑馬を後

から引っぱることになる︒犬の例を考えればよく判る︒縄でつな

いでおいても︑人が馬を外に引き出す素振りをみせれば必ず馬は

人より先に︑縄を切ってでも外に飛び出そうとする︒多分その状

態が捉えられているわけで︑︿厩から︑縄を切ってでも飛び出す

馬が︵手綱を取る人に︶遅れようか︑遅れはしない︑トいうよう

に﹀と︑ほとんど意志が含まれ︑二言までの主語句・馬の意志と

作者︵あるいは妹︶の意志が一致している表現である︒︿遅れよ

(11)

うか︑遅れはしない﹀までが主語︵馬︶の述語として一まとまり

なのである︒

 これは﹁遅るかは﹂であった︒それを︿ト妹が言う﹀場合は﹁後る︵後に残される︶かば﹂なのである︒馬からの性質と人か

らの性質で違ってきている︒前者は馬に関わる村落共同体性︑一

般性であり︑後者は妹のことである︒ ﹁⁝⁝かは﹂は疑問・反語

といわれるように︑人への問いかけを含んでいる︒他人の意志に

関与しようとしている︒その点で妹と馬︑個人性と共同体性が関

わろうとしている︒解釈で﹁ト﹂が入るのは前三旬がそこでイメ

ージの終結を持つ故である︒ ﹁かは﹂が終止する形を受け︑そこ

までを他人に関わらせるのである︒ ﹁罷るがへ﹂という言い方同

様に︿後に置き残されるものか﹀というのも︑これは一つの語気

なのである︒

 そして﹁合はすがへ﹂と同様に︿合わせるものか﹀も一つの語

気である︒先にのべたように︑ここを﹁合はすがへ﹂と訓み︑頭

注に﹁合ハスは下二段︒ ﹃神代紀﹄上に﹃翻身の陽元を汝身の陰

元に合せむ﹄とある︒﹂といったのは全集である︒口訳を﹁させ

るもんか﹂とした︒そのせいで﹁刈りそけ﹂が逆接中止法となっ

て︑ ﹁草を刈りはらっておいて﹂となること先述の通りである︒

結果的には﹁がへ﹂ ︵が上に︶が第二句に移動した状態である

が︑第二句はやはり︿草を刈りはらって﹀と連用修飾の形でい

いのではないか︒といっても反語ととる限り︑第二句は逆接中

止の気味を持つには違いない︒しかしここは第三旬まで続いて︑

⁝⁝がへで完結する語気である︒全用例がそうなのである︒

 三句で完結しているとして︑三︑四︑五句﹁アハスガへ争ふ妹しあやにかなしも﹂のアハスは上三句のアハスからは変質してい

赤見山 草ねかりそけ︵渡部︶ る︒ アカミ山草根刈りそけ合はすがへ      合はすがへ争ふ妹しあやにかなしもと二重の形なのである︒この形ですぐ判るように︑いわば上三句は序詞なのである︒歌が成立する東国の生活的喩なのである︒

五 安良壁芯伊毛蟹

①草を刈り離して︑元通りに合わせるものか

②﹁合わすがへ﹂一させるものか

はくト﹀でうける︒ト争う妹である︒ ﹁争ふ﹂は抗争するであろ

う︒①のアハスが村落共同体の生活語であったに対し︑②のアハスは当時にしても古語であったのではないか︒︿共寝﹀など日常

語というよりは論文的体裁語でしかないように︑ ﹁合はすがへ﹂

なども抽象語でしがなかっただろう︒︿させるものか﹀など週刊

誌にもありはしないほどだがそれと判る状況に似ている︒だから

︿と争う妹﹀も個入的には存在しないのではないか︒その点で実

況的な歌でも︑直対的な歌でもない︒

 ﹁合はす﹂ ︵させる︶が世間に浮遊する興味であるほどに︑こ

の歌も客観的な放らつな興味を詠んでいる︒本意部のアハスが村

落共同体的一般性のアハスによって薄められている︒これは一種

の言葉の遊びなのであるが︑どうしてこの形が可能になったかと

いうと︑ 児早知夜着若かへるてのもみつまで寝もと我は思ふ汝はあどか

思ふ

(12)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二九号

で︑下二句が﹁児童知夜麻﹂という提示の﹁児﹂あるいは﹁子

持﹂によっているだろうと先に挙げたが︑ここでは﹁安可見者      麻﹂の﹁見﹂によっているだろう︒見は逢うの情意語でもあっ

た︒ ﹁赤見山草根刈りそけ合はすがへ﹂という言葉︑その︿見﹀

・男女の逢い︑によってアハスガへが性に転換する︒

 ⁝⁝させる という日常的一般性

   させるものか という性範疇

の転換は表現を支えている条件によって可能になる︒その条件に

︿見﹀がある︒

六 安夜ホ可奈之毛

三四〇八 新田山嶺にはつかなな我に寄そりはしなる児らしあや

にかなしも

三四七九  ︵本稿の歌︶

三五三七 くへ越しに麦食む小馬のはつはつに相見し児らしあや

にかなしも

四四三二 障へなへぬ命にあればかなし妹が手枕離れあやに悲し

三四六二 あしひきの山沢人の人さはにまなと言ふ児があやにか

なしさ三四六五高麗錦紐解き放けて寝るが上にあどせうとかもあやに

かなしき

といった風に﹁あやにかなしも︵さ︶ ︵き︶﹂と止める東国歌の

一つの特性がある︒四四三二は防人歌であるが︑全集が訓みを 一二

︿悲﹀としたのは他の東歌の例とは少異があるとみたためであろ

うか︒︿かなし﹀の主体が作者のようになっているから︑ここは

     悲しと望む方が相応しい︒それはとにかく﹁アや山斗ナシ﹂とい

う風に終結するのは以上だけである︒これには何か基礎の共通が

あると思われる︒そして実は右の一例の防人歌は︑

 右の八首︑昔年の防人が歌なり︒主典刑部少録正七位上磐余伊

 美吉諸君抄写し︑兵部少輔大伴宿祢家持に贈る︒

と左註にあるもので︑これ以前の﹁天平勝宝七歳乙未の二月⁝⁝

諸国の防人等が歌﹂とは存在条件に少異があるものと思われる︒

東歌により近い性質を持つはずである︒そして事実あの﹁厩なる

縄絶つ駒の後るがへ妹が言ひしを置きて悲しも﹂という構造の

歌も︑この八首中の一首なのであった︒

 みられるようにカナシの内部は変化しても﹁アヤニカナシモ﹂

と歌うのは東国歌であった︒そんなわけでこう歌うのはく実況﹀

における個人の仔情ではあるまい︒ ﹁争ふ妹﹂はくこの児﹀でも

︿あの娘﹀でもないだろう︒ ﹁赤見山草根刈りそけ合はすがへ﹂

が村落共同体の諺なら︑ ﹁あはすがへ争ふ妹しあやにかなしも﹂

は村落共同体の感情であろう︒本意という名によって序は薄めら

れ︑消し去られるのが一般であるが︑実は本意部の拝情は序に包

含されてのみその真実を示すだろう︒

 というのは上三旬の﹁アハスガへ﹂と下三句の﹁アハスガへ﹂

の間には︑縷述してきたように大変な幅があるはずである︒この

農耕的一般性と個人性︑共同性と偶然性︑景物性と恣意性といっ

た︑いわゆる序・被序の間には飛びこせない深淵があるはずであ

った︒それを︿解釈﹀というものがそうしてしまったように歌は

くヨウニVで簡単につないでしまっているのである︒深淵の底に

(13)

沈んだものは永遠に姿を現わすことはない︒それは歌における村

落共同体性であり︑文学における生産共同体の秘部である︒この

秘部からの生起が﹁あやにかなしも﹂には含まれている︒ ﹁あや

にかなしも﹂という正体不明の表現がそれを証明している︒ ﹁か

なし﹂というのは東歌の感情なのである︒この感情は序と被序の

聞の矛盾から生まれたのであろう︒いわば生産共同体の性質が歌

になるはずなどありはしなく︑しかも歌である時の︑その間に挾

まれた人間の在り様の把握が﹁かなし﹂であったのだろう︒タブ

ーは人の目からは隠れている︒しかもタブーであるからにはその

闇の中にうごあく入間がある︒そうした人を捉える時の言葉が

﹁あやにかなしも﹂であったのだろう︒

︵昭和五十四年十月三十一日受理︶

赤見山 草ねかりそけ︵渡部︶一三

参照

関連したドキュメント

Makomo Mushroom with Cheese, Salmon Roe, Wasabi, Roasted Rice Broth Sweetfish with Roe in Broth, Tuna with Mustard Vinegar Miso. 小 皿

電源コードを傷つけたり 、 破損したり 、 加工したり 、 無理に曲げたり 、 引っ張ったり 、 ねじっ たり 、 束ねたり 、

【その他の意見】 ・安心して使用できる。

①自宅の近所 ②赤羽駅周辺 ③王子駅周辺 ④田端駅周辺 ⑤駒込駅周辺 ⑥その他の浮間地域 ⑦その他の赤羽東地域 ⑧その他の赤羽西地域

それで、最後、これはちょっと希望的観念というか、私の意見なんですけども、女性

○菊地会長 では、そのほか 、委員の皆様から 御意見等ありまし たらお願いいたし

レーネンは続ける。オランダにおける沢山の反対論はその宗教的確信に

I stayed at the British Architectural Library (RIBA Library, RIBA: The Royal Institute of British Architects) in order to research building materials and construction. I am