ドル防衛とわが国対外経済援助
河 本 博 介
1968年はアメリカにとって新たな苦難の幕明けであった。新年早々,ジョンソン大統領 特使としてロストウ国務次官が来日し,西欧諸国へはカッツェンバック国務次官が派遺さ れ,それぞれアメリカのドル防衛策の説明とあわせてわが国も協力を求められた。
これよりさき大統領は, 1月1日の特別声明による国際収支の改善策を発表した。1967 年の国際収支の大幅赤字が35〜40億ドルにのぼる見込みであることを明らかにし,今後1 年以内に30億ドルの収支改善を行なうための対策をうちだすものであった。
特別声明によれば, ドル防衛の課題として増税,財政,金融面からの適切な対策,、賃 金,物価の上昇を抑制するための労使双方の 協力を求め,国際収支改善策としてさらによ
り直接的な規制措置を講ずることを明らかにしている。
国際収支対策の発表についで,さらに一般教書においても,アメリカは1オン冬35ドル の金価格を維持し,それに関連して法定金準備制度を撤廃せんがための立法措置を要請し,
ドル防衛,インフレ抑制が当面最大の課題であるとして,国際収支改善の決意を述べてい る。ドル防衛の特別声明で明らかにした直接的な対策は次のような措置である。
(1)対外直接投資の法的規制
(2)金融機関による対外融資の規制強化
(3),海外旅行の抑制 , (4)政府海外経費の節減
(5)輸出促進措置および非関税障壁の撤廃要請
上の特別声明において発表された国際収支改善策の概要をみると次のようである。(「米 国のドル防衛策強化と問題点」日銀調査月報,昭和43年2月号)これらはいわば直接的対策として その効果をあげんとするものである。
対外直接投資の法的規制
従来の自主的規制が国際収支改善の上で所期の目的を十分に達成することができなかっ
たとして,自主的規制にかえて,現行法の規定にもとずく法的規制を導入せんとする、もの
である。それによって
(1)フィンランド,ギリシャ,イギリスを除く西欧諸国への新規投資は,1968年の1年 間を全面的に禁止する。 、
(2)経済成長維持のために資本流入を必要とする国に対しては,新規投資を1965−66年 平均の65パーセントにおさえる。該当する国として,アブダビ,バハマ,バーレーン,バ
ミューダ,クウェート,クウェート・サウジアラビア中立地帯,カタール,リビア,サウ ジアラビア,アイルランド,イギリス,香港イラン,イラク,カナダ,日本,オースト ラリアおよびニュージーランドの18ケ国である。
(3)同様に発展途上国に対しては110パーセントに制限する。
(4)親会社から子会社に送金できる年間の金額を制限する。西欧諸国については原則と して禁止する。再投資に限り1965−66年平均の35パーセントとする。
(5)海外企業利潤の本国送金を促進する立法を検討する。
(6)海外企業の短期金融資産のバランスを1965−66年平均額の限度内におさえる。
これらの措置によって,国際収支の改善額として年間10億ドルを見込んでおり,今回の 対策のなかで最大の目標となっている。
金融機関による対外融資の規制強化
(1)1968年の商業銀行の対外融資残を1964年末残の103パーセントにおさえる。これは67 年11月に68年残として見込んだ目標の64年末残の109パーセントを引下げたものである。
(註)
(2)西欧先進国に対する1967年末の融資残は1968年中に40パーセント削減する。
(3)従来の自主的規制を継続するが,必要の場合,法的規制に転換する権限を連邦準備 制度理事会に付与している。
(4)これによる国際収支改善の目標額は5億ドルである。
海外旅行の抑制
(1)今後2年間米大陸以外の諸国への海外旅行の自粛を要請する。
(2)1967年末アメリカの観光収入は20億ドルの赤字を見込まれた。したがって海外旅行 の抑制によって5億ドルの改善をはからんとするものである。この措置としては,持出し 額の制限のごとき為替管理的方式によらず,人頭税或いは日割課税のごとき課税方式によ
ることが考えられている。
政府海外経費の節減
(1)兵力削減を伴わない形で海外駐留米軍の経費削減をはかる。
(2)NATO諸国と米軍配備のためのドル支出を節減する交渉を行ない,武器その他軍 需品の購入,中・長期債の買入れを求める。
(3)海外文官i数の10パーセント減少,海外非軍事雇用の減少。
(4)これらの措置を通じて5億ドルの経費の節減をはかる。
輸出促進措置および非関税障壁の撤廃要請
(1)輸出促進のため5ケ年計画をたて,同計画へ2億ドル支出するよう議会に要請する。
なおワシント≧輸出入銀行業務の拡充強化をはかる。
(2)海外諸国,特に西欧との非関税障壁の撤廃を交渉する。
(3)これらの改善策で5億ドルの貿易収支の黒字増加を見込む。
以上が特別声明にもられた直接的収支対策の概略であるが,これら一連の措置によって 年間30億ドルの収支改善を見込み,バランスの恢復をねらったものである。数字の内訳は すでに述べたごとき,海外支出の25億ドル削減と貿易収支の5億ドル増大を内容とするも のである。 しかし国際収支は収支項目の相互関連からの結果であるから,対外投資の抑制 が貿易収支にはね返ってくることも考慮:されねばならない。
今回のドル防衛策の中心が国際収支改善の目標額からみても,対外投資の直接的規制に あることが明らかである。さらに従来の自主的規制にかえて法的規制をおり込んだもので ある。自主的規制だけでは対外直接投資の削減に十分な効果が期待されず,企業間の不平 等も起りがちと考えられた。
また金融機関の対外融資ガイドラインが強化され,ここでも法的規制の移行への道が用 意されたこと,貿易収支の面について輸出入銀行の融資拡充,joint export association の設置計画とならんで西欧との非関税障壁の撤廃交渉がうたわれており,その後輸入税,
輸出リベート制の導入,輸入課徴金の新設が考慮された。これはドル防衛策の一環として はともかく,実施のあかつきには各国貿易におよぼす影響は大きく強力な反対が予想され るものである。
海外旅行の自粛と同時に,一般教書のなかでもアメリカへの観光客の誘致促進のための 必要な立法措置を議会に要請している。
これらドル防衛の諸対策が主として西欧大陸諸国を対象としたものであるところに今回 の特徴がある。すなわち,対外直接投資の法的規制は西欧大陸諸国,その他先進諸国およ び発展途上国とわけられ,西欧大陸諸国に対しては全面的に新規投資が禁止されているこ とである。銀行の対外融資の規制についても,一般的なガイドラインの規制と別に,1967 年末の短期の与信残高を1968年中に40パーセント削減し,ターム・ローンについても期限 の更新,或いは返済分の再貸出を禁止するなどの規制強化を行なわんとすることからも明
らかである。
従来,アメリカはドル防衛への協力を求めながらも,自らは国際収支改善への努力が十 分でなかったとするEEC側の批判に対し,アメリカとしては今回のごとききびしい対策 をうち出さざるをえなかった。.そのためには国際収支が大幅に黒字を示しているEECを 対象として改善をはかろうとしたこと,換言すれば,国際収支節度に対するEECの批判
をいれるとともに,EECに対する逆攻勢をとったともみられ,明らかに西欧大陸諸国に 対する差別的取扱いがそこにあらわれているといえよう。
(註)商業銀行以外の金融機関については,1968年末の規制対象資産残を1967年末残の95パーセント以
下に削減する。西欧大陸先進国に対しては必要な輸出金融以外の新規投資は行なわないようにす
る。なお日本およびカナダに対する長期投資は従来めごとく規制対象外とする。
銀調査月報)
(前掲論文,日
アメリカが強力なドル防衛策をうち出さざるをえなかったことは,ベトナム戦争をかか え連年国際収支の赤字を継続し,ことに1967年の後半大幅な赤字増大を惹起したことにあ ることはいうまでもない。戦後のアメリカの国際収支の動きをみるとつぎのごとく.である。
(前掲論文,日銀調査月報)
単位100万ドル
1947年 48 49 50
5152 53 54 55 56 57 58 59 60
6162 63 64 65 66 67
財貨サー ビスの輸
出計
19,737 16,789 15,770 13,807 18,744 17,992 16,947 17,759 19,804 23,595 26,481 23,067 23,489 27,244 28,575 30,278 32,339 36,958 38,993 43,039 45,603
晒蝋
財貨サー ビスの輸 入
計
16,015 13,193 12,149 10,117 14,123 13,319 12,281 12,799 14,280 17,379 19,390 16,264 16,295 19,489 19,954 20,604 22,071 25,297 26,276 29,168 30,716
8,208 10,349 9,621 12,028 15,073 15,766 16,561 15,931 17,795 19,628 20,了52 20,861 23,342 23,198 22,954 25,148 26,442 28,468 32,036 37,937 40,203
内商品
財貨サー ビス収支
じり5,9了9 7,563 6,879 9,108 11,202 10,838 10,990 10,354 11,527 12,804 13,291 12,952 15,310 14,732 14,510 16,187 16,992 18,621 21,488 25,510 26,367
11,529 6,440 6,149 1,779 3,671 2,226
386
1,828 2,009 3,967 5,729 2,206
147
4,046 5,621 5,130 5,897 8,490 6,957 5,102 5,400
政府贈与
資本取引 民間資本
計
一6,121
−4,918
−5,649
−3,640
−3,191
−2,380
−2,055
−1,554
−2,211
−2,362
−2,574
−2,587
−1,986
−2,769
−2,780
−3,013
−3,581
−3,560
−3,375
−3,446
−4,249
内
直接投資
一 987一 一 906一
一 553一 一1,265一 一1,048一 一1,160一 一 383一
一L622一 一L255一
一3,071
−3,577.
一2,936
−2,375
−3,885
−4,180
−3,425
−4,456
−6,523
−3,690
−4,213
−5,052
749 721 660
621508 852 735 667 823
総合収支
じり一1,951
−2,442
−1,181
−1,372
−1,674
−1,599
−1,654
−1,976
−2,416
−3,371
−3,543
−2,885
4,210 817 136
−3,489
− 8
二1,206
−2,18 ,
一1,541
−1,242
− 973 578
−3,365
−3,870
−3,881
−2,370
−2,2G3
−2,670
−2,798 二1,337
−1,357
−2,283
1967年は1〜34半期年率(前掲日銀調査月報)
この表によると1947年,総合収支で42.1億ドルの黒字であったものが急速に減退し,19 50年約34.9億ドル弱の大幅赤字に逆転し,翌51年収支のバランスが恢復したが,それもっ かのま52年から再び継続的に赤字を示している。この間黒字を示したのは1957年のみであ
る。戦後のアメリカが1950年を境に持続的な国際収支の悪化を示していることについては,
その収支の内容についてもっとたち入った検討を必要とする。
この表から知りうることは,貿易収支が一貫して順調な大幅黒字を示していることであ
る。ことに1959年をのぞいて1956年以降顕著であり,従って財貨サービス収支じりもこれ
に応じた数字を示している。このことはドル防衛策でかかげられている輸出増大計画,外 国の非関税障壁の撤廃要請と一見矛盾する。それにもかかわらず慢性的収支の赤字をもた らしていることは,民間資本の流出,政府贈与,借款および海外軍事支出がその要因とし て作用していることによる。
民間資本の流出は投資収益の増加として還元するが,このうち直接投資の占める割合が 大きく,1956年以降大きく増加している。直接投資の地域別配分では,欧洲が最も多く,
このうちEEC向けがその発展に伴なって著しく増加している。これについでカナダが多 い。一方1963年の金利平衡税,65年のガイドラインの導入で銀行の長短期対外貸出は減少 の傾向であったが,直接投資はむしろ増加傾向を示し,全体としての民間資本の動きは19 64年の約65.2億ドルをピークに減少に向つたが再び増大を示している。
政府贈与,借款は戦後漸減し,1950年代はかなり低くなったが,1960年以降漸増に転じ ている。さ、らに赤字の一大要因はベトナム戦争によるものである。海外軍事支出は朝鮮動 乱により1951年以降急増し,50年の約5.7億ドルから51年の12.7億ドルとふえ,この傾向 は1958年の約34.3億ドルとつづいた。同年をピークとして梢々減少に向つたが,ベトナム 戦争のために再び増加し,1966年以降海外軍事支出は大幅に増加して収支を悪化させる要 因となっている。かかる国際収支の持続的な赤字によって,ドルに対する信認はゆらぎ金 流出も目だって重大化するに至った。
1967年11月,イギリスではポンド防衛めため過去3年間にわたり苦難の道をたどってき たウィルソン内閣が,逐にポンド切下げに踏みきった。その切下げ率は14.3パーセントで あったが,金本位制確立以来150年の歴史のなかでポンド切下げは4回目であり,戦後に おいては1949年9月の30.5パーセントの切下げにつづくものであった。
これより・さき1964年秋,国際収支の悪化に対応して,保守党内閣のあとをうけて成立し たウィルソン新内閣は15パーセントの輸入課徴金を新設し,公定歩合を5パーセントから 一挙7パーセントへ引上げ,11ケ国申央銀行と国際決済銀行から30億ドルにおよぶ緊急援 助を受け,さらにIMFから10億ドルの引出しによりポンド危機の回避につとめた。国際 金融協力によるポンド危機の切りぬけが一時的に行なわれたものの,イギリスの国際収支 の改善は期待のごとく進まず,ポンド不安が解消しなかったことは周知のごとくであった。、
今次のポンド切下げによって諸外国の平価切下げの誘発を防止するため,イギリスを除 く10ケ国グループとスイスは直ちに現行レートの維持を発表したが,アイルランド,イス ラエル,デンマーク,スペイン,ガイアナ,バミューダ,フィジー,マルタ,バハマ,香 港など追随して直ちに切下げを実施した。
ロンドン金市場における金相場は高騰し,まさにゴールドラッシュの状態におち入り,
アメリカは公定歩合を急拠4パーセントから4.5パーセントに引上げた。ポンドにつづく
ドルの不安につながるものであった。ジョンソン大統領は1オンス35ドルの現行金価格の
維持に対するアメリカの決意を声明した。
ポンド:切下げの波紋は,先進国の国際金融 協力体制に微妙な影を投げかけた。はじめイ ギリス政府はIM:Fからの10億ドルの引出しとは別に,30〜50ドルの巨額の援助資金を要 請し」これが受入れない場合にはポンドの切下げとIMF借款,国内経済の引締めを同時 に実施すると申入れたと伝えられた。この巨額の援助要請に対し,EEC側ことにフラン スはポンド切下げとデフレ政策による構造的体質改善を要求して援助に反対したと伝えら れている。アメリカにもポンドを援助するほどの十分な余裕はなくその借款は拒否された。
IMFはポンド切下げの措置を承認するとともに14億ドルのスタンド・バイ方式による緊 急借款を与える方針を決定した。 ドルとポンドをキイ・カレンシイとしてその上にたつI M:F体制がポンド切下げ,ドル不安にゆさぶられるのも当然であろう。
ポンド切下げを契機に,欧洲の金市場はいっせいにドル売り,金買いに殺到した。アメ リカの金価格引上げ,金売却停止措置に対する警戒がこれに下車をかけるものであった。
ポンド切下げ直後の第1次ゴールドラッシュではフランスを除く金プール参加7ケ国(ア メリカ,イギリス,西ドイツ,イタリア,オランダ,ベルギー,スイス)の中央銀行代表 が現行金価格を維持するために共同行動をとることを声明してようやくおさまった。
アメリカの金保有高は1950年代においてすでに170億ドル台に,その最多保有高に比し 約50億ドルの減少を示していた。60年代に入りドル防衛策が講じられたけれども,60年代 前半でなお約40億ドルの金流出があった。1967年には,66年にアメリカから巨額の金を引 出したフランスの金保有率が90パーセントに達したこともあってその引出しを中止したた め,ポンド切下げまで金流出額は比較的に僅少であった。
1966年末に131.6億ドルまで低下した金保有高は,67年9月末で5400万ドルの減少にと どまった。ポンド切下げにつづく11月下旬および12月申旬の2次にわたるゴールドラッシ ュで同年末までに約9.4億ドルにのぼる金流出をみ,120億ドルすれすれまでに減少した。
そのためすでに述べたごとく法定金準備の廃止が問題となり,大統領は一般教書のなか でその撤廃を要請した。年頭のドル防衛策の発表でゴールドラッシュも下火になったが,
法定金準備の廃止にまで追い込まれるに至ったところに事態の深刻さがある。 1月3日の 発表では金保有高は119.8億ドルにおちこんだ。連邦準備券の発行高は約420億ドル,この 25パーセントの金準備を必要とするζとから,アメリカの自由に使える金は殆んど底をつ いたことになる。しかもアメリカの負う短期債務は約290億ドルにして,このうち金で支 払いを約するものだけで約140億ドルをこえている。
68年3月,アメリカ議会で金交換の一時停止,金フ。一ルの価格操作の中止が問題とされ たことをきっかけに,第3次ゴールドラッシュが始まった。3月中旬には金はさらに減少
し114億ドル台にまで低下した。国際決済銀行理事会は金プール7ケ国が現行金価格を維 持することにしたと声明,ついで同中旬,金プール7ケ国中央銀行総裁会議で金プールの 機能停止を決定した。
このワシントンにおける中央銀行総裁会議の決定は国際通貨制度の上で歴史的である。
1961年に発足してより約8年間,その活動を停止せざるをえない状態に立ち至った。:.金プ ールの力を上回るほどのゴールドラッシュの激烈さは,キイ・カレンシイとしてのドルへ の不信のあらわれである。アメリカが貿易収支の上で連年大幅の黒字を持続しているにも かかわらず,1957年を除いて総合収支で赤字を継続していることは,ベトナム戦争であれ,
対外援助であれアメリカの対外政策のよってくるところで, ドルへの不信はアメリカの対 外政策に対する不信につながるともいえよう。国際的金融協力によってドル防衛の体制の 維持をはかり,危機の一時的な回避が行なわれても,国際収支の改善が行なわれない限り 国際的金融協力にも限度があるであろう。
四
不況からの立直りをみせている西欧の景気に対し,アメリカのドル防衛策の与える影響 はこのましくないものであろう。ことに不安定のポンドをかかえ,ポンド再切下げの可能 性を内包しながら国際収支の建て直しにとりくんでいるイギリスには打撃となるものであ
ろう。
過去15年間西欧の繁栄がドルの赤字に支えられてきた面のあることからして,今回の措 置がデフレを欧洲へ浸透せしめる懸念がある。フランスでも年間15億フランに相当するド ル投資が停止するとこれによる影響も大きく,またアメリカからの観光収入の減退も無視 できないものがあろう。西欧に進出したアメリカの企業が直接投資について制約をうける ことになれば,資金調達でユーロ・ダラーに依存せざるをえないことになろう。西欧企業 の成長率が6パーセントであるのに対し,在欧アメリカ企業のそれが大幅に上回っている ことから,アメリカ企業が西欧で資金調達に向うことになると金融市場は圧迫を受け,金 利の上昇,デフレ化への警戒など表面の問題となってこよう。
カッツェンバック国務次官の訪欧でドル防衛措置をめぐって,EEC側の反応として伝
えられるところは(前掲日銀調査月報,国別動向,P.85.),アメリカが国際収支節度を認識した 点はこれを認めながら,国内における需要抑制に強力な対策を講ずることに十分でない点 に不満をみせている。直接投資の規制,銀行の対外貸出の規制はいずれも西欧に対する直 接的影響をもつものであるだけに金利面への影響が注目され,各国申央銀行によるスワッ
フ。
??ネどで金利上昇をおさえる対策が考慮されている。
当面EEC側の関心事は,アメリカが輸入課税および輸出リベートの制度を導入しよう としている点であろう。アメリカがこのような政策を採るならば,これへの対抗策もまた 必然化してこよう。ケネディ・ラウンドの実施や世界貿易の自由化傾向を阻害するもので,
国内のデフレ化の懸念を欧洲におしつけて,貿易収支の黒字を増大せんとするアメリカの 方針に対する反擾がそこによみとれるであろう。
ドル防衛策は直接的には西欧を対象としているものであろうが,しかしなお日本に対す
る大きな影響を無視することは許されない。資本自由化が一部に限られていて対日投資が
なお少額にあるから,直接投資の削減についてそれは西欧先進国が受けるほど直接的では ないであろう。しかしドル防衛措置がわが国の輸出に反映することになれば重大である。
またアメリカの低開発国への投融資の伸びがおさえられると,アジア開発銀行など国際金 融機関へのア・メリカの拠出もまたおさえられることになる。
ロストウ国務次官の訪日で日本に対する要請として伝えられたものは,インドネシアへ の援助とアジア開発銀行への特別拠出である。前者については,アメリカが中心でまとめ ようとした新規インドネシア援助の2.7億ドルのうち,その3分の1を日本に肩代りを期 待していることである。後者はアジア開発銀行の出資とは別に特別拠出2億ドルの要請で
ある。
具体的な問題処理については68年1月のホノルルにおける日米経済委員会の討議にゆだ ねられた。ホノルル会議における国際収支対策小委員会における予定議題はつぎの事項で
あった。
(1)防衛分担金の肩代り (2)中期証券の購入
(3)ガリオア・エロア資金の早期返還
中期債はアメリカの求める国際金融協力の一形態として,外貨建の非市場性の財務省証券 いわゆるローザ・ボンドを発行し外国申央銀行に引受けを求め,それによって過剰保有ド ルを吸収せんとするもの,すなわちドルを二期の債権iに振替えてドルの金交換を防止し,
これによって金流出を防ごうどするねらいをもつものである。連邦準備銀行の主要国中央 銀行とのスワップ協定,金プールなどと並んで一連の国際収支対策であって, ドルの金交 換自粛要請をさらにすすめて中期債の売却によって行わんとするものである。西ドイツの 中央銀行は1967年5月アメリカと協定を結び,7月以降1年間に5億ドルの中期債の購入 を引受けている。
わが国の場合国際収支の不安を絶えず伴なっており中期債の購入の余裕に乏しい。中期 債の購入のためには米市中銀行から預金を引出さねばならず,それだけクレジット・ライ
ンが減ってくる。ドルを中期債の形で凍結することには困難がある。また武器購入の増加,
西独方式の積立金の新設などの要望についてもそれぞれに困難が伴なっている。
日本側の協力としては,輸入ユーザンスの振替えの問題が持出された。従来相当部分を アメリカの市申銀行に依存していたものを,一部欧洲の金融市場に転換しようとするもの である。すなわちユーロ・ダラーへの切替えであるが,従来実績に乏しく,且つ金利の動 きも荒いため実質的には割高の金利となる。アメリカにおける外債発行も手控え,外債発 行計画のうち5千万ドルを西ドイツに振向け,両者あわせて約3億ドルの協力を行なうこ
とになったようである。
ホノルル会議における経済 協力部会では,わが国の対外援助の機構,援助条件の緩和に
ついて論議がかわされたd部会においてアメリカ側の主張する点は,日本の借款供与の条
件がきびしすぎるとすることであった。DACによれば1966年現在,日本の2国間政府借 款の平均条件は,期間についてみると14.4年,利率は年5.2パーセントである。アメリカ の場合は,それぞれ29.3年および3パーセントである。現状においては発展途上国の債務 の累増は著しく,1967年半ば頃までに全体で400億ドルに達し,インドなど国によっては 元利支払で身動きがとれぬ状態にあることを指摘し,日本の借款条件の緩和を強調した。
これに対し日本側は,援助のための財政資金の投入に限界があること,日本の国民所得 は増大したが1人当り国民所得はなお低い水準にあること,もともと国内における金融の 条件がきびしく対外援助だけを緩和しがたいことを説き,今後は金利の低い海外経済協力 基金の融資を拡充することで条件緩和をはかりたいと応答するところがあった。
東南アジア援助についてはアメリカ側は,政府ベースのものは.減少しつつあるが民間ベ ースを含めた援助額は減少しないように努めたいとしたが,日本への肩代りを期待してい ないとは必ずしもいえない。さきにもふれたごとく,インドネシア援助は日本を含めた先 進9ケ国による債権国会議で1967年から援助を開始し,インドネシアは68年総額3.15億ド ルにのぼる援助を要請,日本にはこのうち3分の1の拠出を求めている。一方アジア開発 銀行の特別基金では,日本は農業開発基金を含み1億ドルの拠出をとりきめているが,ア
メリカはさらに1億ドル追加するよう67年9月の第6回日米経済委員会で非公式に要請し たいきさつがあった。日本の発展途上国に対する援助は昭和41年の5.38億ドルから42年度 は6億ドルに増加し,43年度はさらに増加する見込みである。日本の場合その対象国は主 として東南アジアが考慮さるべきである。
五
佐藤首相の訪米による日未首脳会談で両国の責任あるパートナシップということが強調 された。いってみればアメリカのベトナム政策支持であり, ドルへの協力を内容とするも のである。ポンド切下げにつづくドルの不安,泥沼のベトナム戦争,悪化する国際収支,
EECからの攻勢など苦境にあるドルへの支援,さらにアジアーへの対外援助の肩代り推進 となれば,円の負担する役割は重くなる。円のドルへの協力が強化されるほどドルに密着 した円の受ける影響も強くなる。いわゆる「ドルの傘」の問題である。国際協力とナショ ナル・インタレストをどのように調整するか当面の課題であろう。この小論の一つの問題 は対外経済援助の問題である。援助の拡大を求められている。さきに述べたアジア開発銀 行の特別拠出2億ドル,或いはインドネシア援助の拡大,さらに第2世界銀行の増資問題
もひかえている。経済 協力に対しわが国として,基本的にどのように対処してゆくべきで あるか再検討を要することがらである。
南北問題は今日最大遊資の一つである。先進国と後進国との経済格差はむしろ拡大化の 傾向にある。後進国の貧困と開発の遅れは,後進国側の援助期待を一層大きくしている。
ポンド切下げに端を発した国際金融の変動は高金利化を招いて後進国の開発の道を困難ζ
している。アメリカの6年つづきの好況は金利戦争と呼ばれるごとき高金利化を招いた。
その後アメリカの景気沈静,欧洲の不況で一方1967年は公定歩合の引下げがみられたが,
ポンド危機,国際収支の悪化に対処してイギリスでは公定歩合の大幅引上げが行なわれ,
この金利引上げはアメリカ,カナダをはじめ諸国へ波及してきた。
このような高金利政策へあ転換は,低利の開発資金を必要とする発展途上国への資金の 流れを阻害し,無償援助に対する要求をさらに強めることになる。先進国の発展途上国に 対する経済協力は,貧困を救済し経済開発を促進するものであるが,発展途上国の開発,
経済成長を援助促進することによって,先進国自体の経済の発展をはからんとする先進国 側からの援助の必要性もある。或いは発展途上国の社会的,政治的安定のための必要から,
さらには援助国のナショナル・インタレストからする市場開発や原材料資源の確保などの 必要性もそこに考えられる。
わが国の経済協力の実績は次のごとくである。(「経済協力の現状と問題点」通産省,1966年)
単位100万ドル
1962 1963 1964 1665
1 賠償その他
。与 技 術 協 力
@ 計
71.0 R.6 V4.6
72.2 S.5 V6.7
62.9 T.8 U8.7
76.2 U.0 W2.2
直 接 借 款
キ期
@ 延 払 輸 出信 用
@ 整 理 信 用
泓^ @ 計
12.5
P26.1
「 7.5
P31.1
60.3
@47.9
「 8.8
@99.4
49.1
@89.6
「 11.6
P27.1
114.9 W2.8 Q9.2 Q26.9
海 外 投 資 69」
76.7 39.6 87.4,多 国 間 ベ 一 ス
@ 計 ホ 国 民 所 得 比
cAC統計による総額
7.2 Q82.0 O.61%
Q95.1
b12.1
Q64.9 O.5%
Q78.4
9.7 Q45.1 O.41%
R03.8
17.5 S14.0 O.62%
S85.6
(注)1.整理信用はアルゼンチン,韓国等に対する旧0/A勘定の繰延分である。
2. DAC統計による総額は,5年以下1年超の輸出信用および利益の再発資を含む。
3. 5年超,実行額ネット
DACの示した数字はわが国のそれと若干異るが, DAC諸国申アメリカ,フランス,
イギリス,西ドイツにつぐものである。DACの統計によると,1956年1.23億ドル,57年
1.18億ドル,58年3.2億ドル,59年1.95億ドル,60年2.49億ドル,61年3.874億ドルとなっ
ており・,従って対国民所得比も62−65年についてみるとそれぞれ,0.61,0,51,0.48,0,
73パーセントとわが国のそれを上回っている。
わが国の援助をその形態別にみると,援助総額中で政府ベースの占める割合は1966年で 53パーセントである。これはDAC平均の65.2パーセントより低いが,b民間ベースのもの
より多く且つその伸び率が近年大きい。そのなかでも賠償が殆んど変らないのに対し,無 償経済 協力,国際機関への拠出,直接借款が増加している。一方民間ベースの援助はDA C諸国の申で輸出信用の比重が高いことが特徴である。民間ベースαゴもめといらてもその 大部分が輸出入銀行および経済協力基金によるものである。 (「増大する経済協力と財政負担
」岩瀬義郎,金融財政事情,第867号)
2国間・政府ベースの借款の平均条件は次のようである6
1962 63 64 65
平均償還 年 限
16.0 12.0
平均利率
5.8 4.4
「経済協力の現状と問題点」通産省
1966.PP.22〜23.ト,66年77.2パーセントである。
87.8パーセントがアジア地域で,そのうち極東および東南アジアが中心である。
スの経済援助は,経済 協力における政策の直接的反映でとくに重要である。
おける発展途上国向けの延払輸出でみても,1965年でその72パーセントを占め,
しており経済協力における東南アジアのもつ重要度は高い。
わが国の経済援助の特徴としてあげられる点は,以上のところがら次のごとくである。
(1)アジア地域(特に東南アジア)が中心である。
(2)政府援助の比重が大きい。
(3)財政資金の負担で行なわれてきた。
(4)平均償還年限が比較的に短期であり,平均金利も同様に高い方である。
ベトナム戦費の負担, ドル防衛の推進でアメリカの東南アジア援助への影響は避けられ ないであろう。東南アジア諸国の日本への期待はより強まるであろう。いわゆる1パーセ
ント決議,先進国はその国民所得の1バーモントを発展途上国の経済援助に向けようとい う目標は,1964年の第1回UNCTADで決議され,わが国もこれに参加している。
日本の対外援助は賠償という形で戦後始められ,それが中軸であったが,日本の経済成 長の進展で積極的な経済協力の姿勢が求められ,東南アジデ開発閣僚会議はそのあらわれ でもあった。アジア開発銀行の設立,農業開発基金の設定にもアジア経済開発への地域協 力の新しい万向づけがみられる,しかし国民所得に占める援助の割合は,.すでに述べたよ
1965年におけるDAC加盟国の平均償還年限と平均利 率:と対比してみると,アメリカで28年,3.3パβセン ト,イギリスで22.1年,3.3パーセント,西ドイツで 16.9年,4.2パーセント,フランスで16.6年,3.7パー セントとなっており,わが国のそれが短期であり且つ
高利率であることを示している。
わが国の援助の地理的区分をみると,アジア諸国の
占める比重が高く,1965年実績で総額の67.7パーセン
ことに政府ベースのものでは65年83.9パーセント,66年
政府ベー
民問ベースに
逐年増加
うに1パーセントにはなお達せず,DAC全体の平均におよぼない。1パーセント援助は 国際的にいわば公約した達成目標であるとするに対し,所得水準の格差,社会開発の遅れ,
社会保障の不備,これらいずれの面をとってみても先進国を自称しての1パーセント援助 は背伸びした目標ではないかとする考えも強いものがある。
南北問題の解決を前進させるためには経済協力の必要性はいうまでもない。低開発国経 済援助は市場の確保拡大の点からみても援助国の利益として還元する。しかしまたわが国 の援助能力にも限度がある。従って国民所得の1パーセント援助を一律に課すのは妥当性
を欠いでいる。また援助条件の緩和が求められているが,これも国の現状によって性急で あっても困難であるとするのである。
低開発国経済開発の10年と呼ばれた1960年代もあと残り少ない。南北の格差が縮少の方 向に向かっていると次の表から楽観できるであろうか。 1パーセント援助の約束すらまだ 多くの先進国で達成されていないし,また低開発国の年平均5パーセントの成長目標自体,
高きにすぎた目標であったといいうる状態である。
国 民 総 生 産 一人当り国民総生産
年 率 対前年比 年 率 対前年比
人 口
揄チ N率
1955−60160−65
65{661955−6d6・一65
65166発懸}+ヂ国4.4
申 南 米 4.9 申 東 5.6 南 ア ジ ア 4.2 東 ア ジ ア 3.8
ア そ
先
ア
欧
そ ブ リ
の 進
(合計)
メ り
の 力
他
国力
洲 他
3.4 2.2 4.5 6.1
4.8 4.5 6.4 3.8 4.9 3.4 8.0 5.0 4.8 4.5 7.0
3.7 5.2 5.9
−2.4 6.8 4.0 7.3 5.0 5.9 3.6 5.0
4.9 4」
5.4 5.5 4.8 2.1
9.0 4.8 5.4 3.5 6.1
2.1
2.0 3.3 2.1 1.3
2.2 0.5 3.7
4お
2.3 1.6
3.9 1.4 2.3 1.1
6.4 8.8 3.4 3.5 5.6
1.2 2.2 3.4
−4.8 4,2 1.6 5.7 3.9 4.6 2.7 3.6
2.4 1.1 2.9 3.1 2.2
−0.3 7.4 3.7 4.2 2.6 4.7
2.5 2.9 2.4 2.5 2.7 2.4 1.6 1.1
1.2 0.9 1.4