• 検索結果がありません。

Akio YONEDA(Received,October31,1980)

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "Akio YONEDA(Received,October31,1980)"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

125

美術教育における現行教材内容の再検討 中学教科書デザイン教材を中心として

米  田  明  生*

(昭和55年10月3/日受理)

Re−consideration of the Current Teaching Materials in Middle−School Art Education

Akio YONEDA

(Received,October31,1980)

1.はじめに

 来年度(昭56)から中学校においては改訂された新しい学習指導要領のもと,新しい教 科書による授業が開始される。新学習指導要領は昭和52年7月に公示されたが,それに伴

う美術教科書はどのような内容のものが発行されるか注目すべきものであろう。そもそも 現段では,新しい教科書の原稿本に対する検定審査など諸種の過程は既におえていると思われ るのでこの点について触れることは出来ない。しかし,本年度限りの使用となっている現 行教科書は,それがそなえもっている諸問題について整理しておくことは無意味ではない と思われる。現行の美術教科書は四社から発行され,その総てが昭和52年4月に検定済と なり,以来全国の各地で使用されてきたものである。これら教科書が直接生徒の目に触れ,

教育の場で生徒に直面することで美術教育の一局面をつくり出してきたことは事実であろう。ま た当面,我が国の公教育では教科書は最大かつ唯一の体系的教材とみなされている。勿論,

教科書だけが教材ではないが,生徒の自由な表現活動を授業の基底とする美術教育におい ても,教科書は主たる教育の手段や媒介として重要な役割を果たしていることは否定できない。そ こで,これら教科書の果たしてきた役割と同時に内包する諸問題,とりわけ中学校デザイン教材 を考察して,来るべき新しい教科書へのかけ橋や提言としたい意図をも含んでいるものである。

 しかし,これまで教科書についての科学的な方法論はもとより,このような教科書につ いての研究,論述の類を見い出すことは困難である。とくに中学校の教育現場から断片的 な こえ は聞くことはあっても,美術教科書についての科学的方法論その他は皆無に等 しい。従って本稿においてはこのような状況のなか,教科書についての研究や方法につい て十分な検討を加えたうえ取りかかったわけではない。したがって,一方では独断的見解 をおそれながら,また他方では感想の羅列になる危険をかえりみず述でなければならない

こととなった。

*長崎大学教育学部美術科教室

(2)

 まず,現行教科書を歴史的な流れにおいて捉えるために,美術(図画)教科書の変遷を たどり,その概略をみたい。

2.美術(図画工作)教科書の変遷  2−1 戦前の教科書

 わが国の学校教育のスタートは明治5年(1872)の学制の布達とともにはじまる。学制 スタート頭初の美術教科書は「罫画」(明治5年学制とともに公示)や「画学」(明治6年 追加公示)など,間にあわせの,いわば「指示」教科書によるものであった。しかしこの ような状態も,明治20年(1887)の,最初の教科書の検定が施行された年には,山形寛(1)

によれば官民合わせて50余種をかぞえる多きに達した。

 ところでこの期の主要な教科書であった「西画指南」(明治4年発行)と「図法階梯」(明 治5年発行)はいずれも当時の代表的な教科書でありながらその構成をまるで異にする,

いわば対照的な形式をとった図画教科書であった。即ち「西画指南」がロベルト・スコッ トボルンの著書の訳書であるとされ,輪郭や陰影の描き方や,用器画などの説明の文章が 主体であったことによるものである。これに対して「図法階梯」は説明なしの図だけから なり,それは直線,曲線をはじめとして,器物,農具,楽器,建物,風景にいたるものの 臨画のためのものであったことが大きな特徴といえよう。このように「文章」と「図版」

と言うタイプをまったく異にする図画教科書がともに使用されていたことは注目してよい と思われる。これを現今の美術教科書とただちに比較することはできないが,現今のもの が作品による図版構成一辺倒によるものからみれば興味あるものと思わざるを得ない。

 明治はじめの教科書はもともと「眼及手ノ練習」として描写や線引きがその主たる目標 であったことは言うまでもないが,このことが当時ヨーロッパで行われていた知的教育の 手段(ドイツ)や産業振興の実用的目的(イギリス)のための図法および形態の感覚練習 と技術習得のためのものであったことは周知のことである。このことはとりもなおさず文 明開化をいそぎ,その範をヨーロッパに求めたことが美術教科書にも反映されているもの であった。その結果これまでの毛筆による日本画の類型的な表現を捨て,鉛筆による客観 的写実的描写への移行を示す.ものに他ならなかった。このような強い西洋志向の,まさし く西洋一辺倒の教科書に対して,フェノロサや岡倉覚三(天心)らの主張による国粋保存 論が盛んとなり,明治18年(1885)文部省に設置された図画取調掛がこれに対応するかた ちとなった。また,教科書検定が施行された明治20年以降,明治22年(1889)頃からの教 科書はこの国粋保存論の線にそったもので,鉛筆画によるものより,毛筆画を内容とする 教科書が圧倒的に多くなうた。この毛筆画系教科書も極まるところお手本の臨画であり,

先の鉛筆画系教科書と強いて比較すれば,単なる用具と画法の違いにすぎないものであっ た。しかし鉛筆画論も根強く残り,両論それぞれ優位とする論争は絶えない事態となり,

これより以後,明治40年(1gO7)頃までこの論争はひき続かれることとなった。

 ところでこの期の鉛筆画系教科書の教材は,前の「図法階梯」の内容をひきっぎ,直線 曲線にはじまり器物,植物,建物,動物,風景,人物等であり,これらの正面画,輪廊画,

施影略画,施影密画へと内容をすすめる組織であった。また明治30年(1897)頃から漸次

それら対象物の描写の難易によって教材を配列するようになったが,しだいに図版による

(3)

美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

127

お手本教科書が定着していった。

 また最初の毛筆画による教科書は明治21年(1888)の「小学校毛筆画帖」(京都・正宝堂)

と「図画帖」(金沢・鹿田浩吉)によってであり,やがて明治30から32年をピークに毛筆画 の全盛をむかえる。これら毛筆画系教科書の教材は鉛筆画のそれに準用してつくられ,毛 筆による垂直・水平の線から単体の器物の正面画,輪廓画へとすすみ,淡墨の平塗りから ぼかし,さらに彩色画にいたるものである。しかし鉛筆画法と異なるのは,筆順や筆力を 重視していることであろう。すなわち運筆の方向を示したり,線の大小,強弱,抑揚を一 応に取り扱っていたことによるものである。

 また図画の種類として散見されるものとして,明治10年代には臨画,写生画,工夫画(ま たは意匠画,紋画),聴画,復画(または再生画),想像画などであり,明治20年代には臨 画,写生画の他,応用画,透写画,図案などであり,それぞれそのやり方や教授法を述べ ているが,実際は「臨画一点張り」であったことは否定できない。

 さて鉛筆画,毛筆画の論争は,今日の美術教育の本質からみれば,まったく論外のそし りを免かれないものであるが,このような事態に文部省は明治35年(1904)図画教育調査 委員会を発足させ,とくに欧米の状況を視察させた。またよく明治36年(1905)には教科 書をめぐる汚職事件から教科書を国定とするなどの模索のなかから生まれた教科書が,明 治43年(1910)に発行された「尋常(高等)小学新定画帖」である。他に「尋常(高等)小学 鉛筆画帖」,「尋常(高等)小学毛筆画帖」の計6種が大正2年まで発行された。この中の鉛 筆画帖,毛筆画帖は従前のものを改訂したにすぎないが,新定画帖は美術教育史上とくに 注目すべき教科書となった。何故ならば,この新定画帖は第一に子どもの発達に意を注ぎ,

教材のバランスと配列を図り,低学年から色彩材料の活用,用具・教材等を多方面からと り入れ,透視図や陰影など技術指導の他,記憶画,考案画を低学年より多ぐ組み入れたこ となどによるものである。っまり,子どものイマジネーションによる創意を低学年に重視 して,しだいに描写力を伴う写生画にうつるようにし,かつそれらを教師の指導技術によっ て伸すよう計画されたものとうけとられる。このことは生徒用教科書が副で,教師用が主 であったことにもこのことがあらわれている。新定画帖はアメリカの図画教科書が種本で あるとされているが,その教材組織は,描画,用器画,図案にわたり,それぞれに体系的 指導が重視されている。描画は,記憶画,考案,写生,臨画,の4種類をあげ,各配当が示

されている。また図案については考案画として重視され,記憶画とともに低学年より多くの 配当比重を占めているが,図案の教材はパターンおよび連続模様の組立てと考案が主であり,

特に連続模様には力点がおかれていると思われる。これまでの図案の意味するところは工 夫して描いた絵の案で,つまりエスキースのことであったが,しだいに模様的なものを意 味するようになっていく。またこの図案教育については,新定画帖の発行とほぽ時を同じ くした明治40年(1907)の勧業博覧会など外的な条件も加わり,ここに図案の確かな歩み をはじめたことは見逃すことはできないであろう。しかし新定画帖の使用については当初 とまどいがあり,さらには従来からの鉛筆画帖と毛筆画帖が使用できると言う不徹底な改 革におわったことは歪めないこととなった。

 さて大正8年(1919)からの自由画教育の運動を経た昭和7〜11年(1932〜1936)には

「尋常(高等)小学図画」が刊行された。新定画帖以後それまでの20年余りは我が国の図

(4)

画教科書は放置されたままであった。この問,多くは新定画帖がっかわれていたものの,

自由画教育運動がまたたく間に全国にひろまり,日本の美術教育史上金字塔になり得たの は,とりもなおさず,それまでのお手本教科書の臨画が実体であったことをものがたるも のであろう。しだいに戦時色が強まる昭和16年(1941)には,国民学校令によって,芸能 科図画・工作が誕生した最初の教科書「ヱノホン」(国民学校初等科1・2年用)が出さ れ,以後昭和19年(1944)までに「初等(高等)科図画」,「初等(高等)科工作」など5 種が発行されている。これらの国定教科書は,いずれも,先の新定画帖の系統性に,自由画 教育運動の精神が加味されてはいるものの,何よりも大きな国家的要請である軍国思想と 国民酒養の精神,さらには皇国民錬成に基づく教科書であったことは言うまでもない。

 先の小学図画の教材の系統についてみるならば,表現,鑑賞,説話の各教材からなり,

明確なかたちがとられ,それなりの進歩は認められる。表現教材として思想画,写生画,

臨画,用器画,図案からなり,軍国の象徴の思想画が新たに加わった。思想画には軍艦や戦 闘機があらわれ,また戦闘の様相がリアルに描かれている図版が多い。低学年においては,

この思想画と写生画が主な図画教材となり,順次図案,臨画,用器画が加わる組織になって いる。ところで小学図画の図案教材として散見されるものには,動植物の単体での図案化 が目立っている。即ち,単純化や便化が多く,その他器物の装飾図案,年賀状(十二支)

や絵馬の図案など日常的ではあるが一貫性のない姑息な題材に終始している感がある。こ こで尋常小第一学年の指導上の力点として次のような美文がうたわれている「思想を豊か にし,自由表現を尊び,描写の趣味を養ふことに力める」9〉まことに空々しく思えるのは,

これを逆説的に解することができないからであり,ここに国定教科書の戦懐的一断面を垣間 見ることができる。

 次ぐ芸能科図画の「ヱノホン」や「初等科図画」の教科の系統,配列は殆んど小学図画 に倣い,個々の題材は植物の写生等があるものの戦時色一色の感が強いうえ,国家主義的 な題材がさらに目立っているものである。例えば初等科図画の勤労,防空演習(第4学 年),銃(写生画),要塞(いずれも第6学年)。また「思ひで」として,男女の子どもが士 官の案内で艦上にいて,とび交う飛行機やい並ぶ戦艦をみている絵がある。これを構想力

と描写力の修練とし,さらに「配色」として戦車や飛行機の迷彩の効果を国防思想の酒養 とするなど,戦争協力の姿勢が前面にあらわれている。しかし,色彩や形体についての教 材は,戦争と国防上の理由から必須であったにせよ,体系的で一貫性があることは認めな

ければならないであろう。

 以上の主だった教科書を概観したことによれば,我が国の図画教育が職人的技術習得の

やり方で出発し,しかも産業奨励の意図も多分に含むものであったこと。そのために,い

きおい手本教科書となり,図画の授業はもっかその臨画であったことがわかる。このお手

本教科書の臨画教育は,新定画帖や小学図画,ヱノホンと,その内容と時代を異にして

も本質的にはかわっていない。また教育の国家統制が強化されていく過程で,図画教科書

も漸次見本的作品例の図版構成が形成されたと思われるものである。これは自由教育運動

後の教科書,小学図画がこのことを最もよくあらわしている。またこの見本作品の図版に

よる教科書の構成が,実はわが国の美術教育の古典的教科書観であったことを,ここに認

めないわけにはいかないであろう。

(5)

129

美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

 2−2 戦後の教科書

 戦後の教科書は,学習指導要領と教科書の検定制をおいてはかたれないことは言うまで もない。前者は教育課程編成の基準を示し,図画工作(美術)の目標・内容を規定して教 科書の編集と教材の選択に深く関わっていることによるものである。また後者は,教科用 図書検定基準にきめられた基本条件と教科の必要条件に,審査の結果合格しなければなら ず,このことによって惹起される諸種の拘束や制約によるものであることは周知のとおり

である。

 戦前より続けられてきた国定教科書は,戦後の検定制が発足するまで何回か改訂された が,美術関係の教科書はこれには含まれていない。そればかりか,新しい教育体制のもと,

小学校および中学校において,図画工作および美術の教科書が登場するのは,中学校にお いては昭和27年(1952)からであり,小学校においては,終戦から10年を経た昭和30年(1955)

からとなった。敗戦時からこの間の経緯はとも角,その経過をたどってみたい。

 占領軍の教育政策にもとづく幾多の指令や教育使節団の報告書等によって,教育の戦後 処理もおわり,昭和22年(1947)3月には新しい教育のすがたが示された。教育基本法と 学校教育法がそれであり,さらに学習指導要領・一般編(試案)も出され,ひきつづき5 月には学校教育法施行規則によって,小中学校に「図画工作科」が設置されたことなどに よるものである。学習指導要領・図画工作編(試案〉も同じ5月に発行され,教科の目標 や内容が具体的に示された。しかし先の学校教育法によって教科書の検定が規定され(第 21条,中・高校もおなじ)ていて,明治36年(1905)以来,40年間余の国定教科書の時代 はおわりをつげることになる。これによって国定教科書の存続は免かれたものの,学習指 導要領の法的拘束力(昭和33年版から)と相まって,爾来教科書を通しての国家による教 育の統制が新にはじまることとなった。これより先の終戦直後の学校では,占領軍の「日 本教育制度二対スル管理政策」(昭和20年10月22日)の教育に関する最初の指令によって,

いわゆる教科書の墨塗り作業がすすめられた。筆者も担任教師の指示に従って,こわごわ と墨をぬった記憶が未だ鮮明である。「その他教科書に関する覚書や,口頭により指令は矢 っぎ早にやって来て,文部省も,教科書出版会社も実にてんやわんやのさわぎをした。昭和 二十一年(1946)一月中旬になって,昭和二十一年度の教科書は四月一日の新学期に間に 合わせようとの指令が出て,教科によっては,止むを得ず,挿絵もなく,表紙もない十六 頁刷り放しの教科書を出したものもある」曾)しかしこれらの事態は図画工作科については なかったようであるが,昭和21年6月の文部省教科書局長よりの通牒によってこの時点か

ら図画,工作の旧教科書の使用が完全に禁止された。旧教科書とは先にあげた,もっとも 戦時色のつよい芸能科図画の時代の教科書であり,これが子どもの視覚に直接訴え,強烈 な影響を与えることを考えれば,当然しごくと言わねばならない。「しかし図画工作の教科 書は,総司令部民間情報教育部もその出版検定に反対しており,またこの時(昭和23年=

引用者註)は,すでに国定または検定の教科書が出版されているものと同種類のものに限

られており,図画工作科の教科書は,国定のものも検定のものも無かったのであるから出

版されないことになった」ぎ)このようなことで,先にのべた通り,中学校においては昭和27

年度(1952),小学校においては昭和30年度(1955)から戦後はじめての図画工作科の教科

(6)

書が登場するまで無教科書の時代となった。したがってそれまでの図画工作科の学習のよ りどころは勿論先の文部省教科書局長からの通牒であり,後になっては一次試案(昭和22 年),二次試案(昭和26年)なる学習指導要領であったことは言うまでもない。

 一方,教科書の検定の手はずは着々とすすめられ,昭和23年(1948)「教科用図書検定要 領」の告示,よく24年2月には「教科用図書検定基準」を定め,ひきつづき昭和25年(1950)

の同基準の一部改正によって中学校「図画工作」,高校「図画」・「工作」が,またおくれて 28年(1953)の同基準一部改正によって小学校「図画工作」の検定教科がそれぞれ発行さ れる諸般の措置はすべてが整ったことになる。ここにいたって教科書の検定は他教科と足 並みが揃い,その制度が完全に確立されることとなった。

 ところで,図画工作科の無教科書の時代,もっとも学習の拠りどころとなった学習指導 要領の内容にふれる必要があるが,他紙面でも触れているし,またこれについては多くの 見解が述べられているので最小限にとどめたい。

 戦後最初になる学習指導要領・一般編(試案)は昭和22年(1947)3月に発行され,そ の後5月に同図画工作編が出されている。前者は教育の一般目標から,教科課程その他五 章からなり,正に教育の一般的なすがたが示されていると言えよう。教育課程という概念

はまだなく,教科の内容と学年的な配当を系統づけた教科課程として示されていることが 印象に残る。後者の図画工作編は,小・中学校合体の132ぺ一ジからなる。これを中学校(第 七,第八,第九学年)についてみるならば,総じて図画工作の技術指導と生活を豊かにす

るための内容が目立っている。教材例が示されてはいるものの,描画,色彩,形体,図案,

製図,木竹工,金工(第八,第九学年),手芸,設備・備品の保存及び小修理,材料別によ る各種の絵画,鑑賞と細分され,第九学年は,これらにさらにコンクリートの混合及び使 用が加わっている。この試案はバージニア州のコース・オブスタディを参考にしたとされ ているが,その直訳の感がつよく,あまりにも実生活上の体験と生活技術の指導を多くと

り入れ,さらには産業技術の分野を担った感はまぬがれないものであろう。

 次の昭和26年q951)の改訂版(試案)では,その基調は一次試案とかわらないまでも 内容が大きく整理統合され,わかり易いものとなっている。即ち,中学校の場合,教材の 柱を表現・鑑賞・理解・技能熟練の教材の四領域からなっているのがそれである。また表 現教材は,描画,図案,配置配合,工作,製図から編成されているが,全体としては,前 回の生活技術面の基調は依然として残しながらも,造形の基本的原理の指導が貫かれてい る点がもっとも大きな特質となっている。このことは,美術教育の重要な基底の一翼を示 したものであり,これまでの図画教育が「眼及び手の練習」や描写をはじめとする技術習 得に本質的には何らかわらなかったものを,教育に造形の原理を目指した新たな観点とみ

ることができる。

 このようななかで,図画工作科の最初の教科書は中学校で昭和26年展示,27年度から使

用,小学校では29年展示,30年度から使用されることとなった。中学校用図画工作として

26年に検定を済ませたのは14種にのぽり,30年前後には33種の多きに達した。また小学校

用として初年度(昭和29年)の検定済教科書は23種であった。名を連ねている編著者とし

ては,画家,評論家,美術教育家,民問の団体等多岐にわたっている。これより25年を経

た現在,4〜5種となり,どれも変りばえのしない類型的な教科書からすれば隔世の感が

(7)

131 美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

ある。

 小中学校の図画工作教科書が出そろった昭和30年(1955)代のはじめの教科書の特色と して,山形寛は次の諸点をあげている。即ち,紙質・印刷がよい。児童・生徒用が本体で ある。著しく系統性のない教科書。一頁に多くの教材を詰め込んでいる。ほとんど児童・

生徒の作品で編集しているなどの五点をあげている。因みに昭和31年度から36年度まで使 用された「中学生の造形」(開隆,監修・猪熊弦一郎他,昭和30年発行,36ぺ一ジ,定価72 円)の第三学年用についてみるならば,正に山形が指摘した通りであるが,重要なことは 教材化の手だてが何も施されていないことである。つまり,学習指導要領二次試案に従っ て,それを図版で編集したにすぎないものであり,それゆえ写真や作品等の図版の羅列に 終始していることである。例えば八ぺ一ジ「抽象絵画」には,モンドリアン,クレーと生 徒作品の三枚の図版が掲載され,「自然の形をうつさないでも,自分の気持を表わすことが できる」と,少しの説明文がある。このように生徒に描かせようとするのか,鑑賞資料と するのか,何の手だてもない。またデザインにあたる当時の図案についてみるならば,「色 彩の構成」(P.14)は,造形原理の一つの事例に一枚の図版をあてて,造形原理の例を示

し,他にコラージュ等の生徒作品がある。二次試案での造形原理は理解教材に組織されて いるので,このぺ一ジは造形の諸原理の説明と,その理解をはかったものとみられる。さ らに学習指導要領との相関をみるならば,第三学年に「3.地域社会の美化改善など・・…・」

とあり,これに対応するものが教科書では「地域美化  私たちの村や町を住みよいもの に計画しよう」(P.21)では,都市の模型作品例と平面図,他に二,三の公園などの写真が ある。文章はどれも図版の説明で「美しい公園」,「都市計画と模型」と言ったものである。

このように図画工作科の教科書の編集とは,どの図版をとりあげ,如何にレイアウトを行 うかと言う形式上の問題のみと考えざるを得ないもので教材の内容に関わることはまった くふれられていないのである。このことは現行の美術科教科書についてもその傾向は何ら 改められていないが,これについては節を別にして述べたい。またこの期にあえて付 言すれば,中学校については高校入試のための「実力養成」として各種のワークブックや 参考書がかなり発行され,学校によっては授業に採用される一面もあったが,美術が高校 入試からはずされるとこれもなくなった。これと同時に「主要五科目」といわれ,美術は いよいよ「周辺科目」として疎んぜられ,高校入試のためとは言え,「実力養成」のみちも 閉ざされた。

 さて昭和30年代は教育の国家統制がしだいに強化され,それが実行されていく時期にあ

たる。これは我が国の高度経済成長とその期を同じくするもので,昭和33年(1958)改訂

版の学習指導要領は以後法的拘束力をもつようになり,正にこのことをよくあらわしてい

る。さらに昭和38年(1963)の「教科書無賞法」「同措置法」によって,義務制での教科書

は無償となった。これによって「民衆の希望はようやくみたされたかにみえたが,それは

うらぎれた。(中略)これは国家による教科書の統制をつごうよくする方策とひきかえに成

立したにすぎなかった」9)ここで言う方策とは,まぎれもなく広域採択や教科書出版企業の

指定などをもちこんだ規定である。また教科書の体裁やぺ一ジ数など,出版社の経済的制

約は決定的な要素をもたざるを得なくなった。このような検定制にはじまる一定の施策は

ここに至って,美術(図画工作)科教科書の性格を特徴づける強大な要因はすべて出揃っ

(8)

たと言えよう。しかし,どの教科書も類型的で,版を押したようなワンパターンとなるも う一方の要因も少なからずあると思われるが,これにっいては節を改めて述べることとす

る。

 さて昭和33年(1958)改訂の学習指導要領は,美術科の内容に大きな変化をもたらした。

中学校において工作・工芸の内容がはずされたことと,図案が改まり,表現の柱にはじめ て「デザイン」が当場したが授業時数が2・1・1となって教科の形をなさなくなったこ

とである。これらにともなって教科名も図画工作から美術と改まり,内容も一段と現代性 をおびてきた。これをデザインについてみるならば,「色や形などの基礎練習」と「美術的 デザイン」の大項目がもうけられ,前者の内容はデザインの基礎と造形の諸原理をあげ,

後者には建築と工業デザインを除いた広い分野のデザインを含むものであった。このよう な広汎な分野のデザインの学習が要求され,教科書もいきおいこれらの教材を断片的に詰 め込む結果をもたらした。デザイン学習をひろく行うことについては,甚だ望ましいこと ではあるものの,それがもたらす小間切れの不徹底さと,美術科の施設設備や教師の資質

と定員,時間数など山積する未解決の問題をあらためて露呈することにもなった。それゆ え教育現場の実状に容易にそぐわない,いわばデザイン学習の理想像を示したものであっ たと言わざるを得ないし,このことで後に広く浅く盛りたくさんの教材であることのそし りを受けなければならなかったと思われる。しかしながらデザインの領域に限らず,美術 科にとってこの改訂版は以後の学習指導要領の基本的な体系を形成したことは否定できな いであろう。つまり以後の改訂の母型となっていると思われる。即ち,昭和44年(小学校 は43年)改訂で授業時問数が2・2・1となり,工芸が加わったり,また52年の全面改訂 でもアニメと環境デザインなど除外されたりの幾多の軌道修正は行われたものの,その基 調は33年改訂版の軌道上にあって,さらに「調和」や「ゆとり」がとくに加色されたと思 われるものである。

 ところで前述したように,中学校で教科書が使用されだして間もない昭和30年前後の美 術教科書の発行数は,30余種にのぽっているが,その後の発行数を単純にあげれば,昭和 36年度(第二次試案の時代)には11社17種を数えたものが,37年度(昭33年改訂版の時代)

には8社8種となり,さらに47年度(昭44年改訂版の時代=現行)では4社4種となって 順次発行教が半減していることがわかる。このことは美術教育にとっては決してよろこば しい現象ではない。厳しい検定審査とはげしい販売競争による教科書の商品性,つまり一 種の経済力にまかせての淘汰の結果としても,限られた種数では,国定と等しい結果をま ねく危惧にとらわれる。

 さて,学習指導要領が法的拘束力をもつようになっての教科書で昭和38年から40年度ま で使用された「美術」(日文,倉田三郎他著昭和40年1月発行34ぺ一ジ,定価68円)の第二 学年では,昭和33年改訂版の学習指導要領に著しく忠実に編集されていることがわかる。

その中の一っ「抽象形をもとにした構成」(P.21)では,「点・線・面などの抽象形をもと

にして,変化と統一に注意して,美しい構成をしてみよう」として,点をつかって統一か

らしだいに変化の大きい構成を示している。即ち,造形における統一と変化の様相の感覚

的・知的把握をねらったものとして,適切な手だてを行っているのが目にとまる。また美

術的デザインとみられるものに「カレンダー時間表」(P.27)には,立体時間表やカレンダー

(9)

美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

133

の新しい試みが図版から十分うかがえて,生徒のデザインに対する意識から考えて格好の 教材と思われる。このように概して言えることは,現行の教科書よりよほど新鮮で,また 現在にも十分通用するものである。数例の追跡だけではあるが,これ以後の検定と教科書 の商業主義によって,このような新鮮なものが失われ,あるいは,屈折したかたちになっ てしまったと思われなくもないものである。

3.現行教科書  3−1 作品集教科書

 本年度かぎりの現行教科書(中学校用)は四社からそれぞれ一種づつ刊行されている。

昭和44年(小学校は43年)改訂の学習指導要領にともなって,47年度から使用されている ものである。勿論この間,49年と52年の二回の検定を受けていることになるが,これらの 教科書は既述した通り,その構成が著しく類似していることである。学習目標に対する個々 の取り扱われる題材や図版の多少の相違以外はどれをとっても同様の感は免がれ得ないもので あろう。つまり美術科教科書のパターンが,動かし難い強固な因襲にとらわれているかに思われ る。このことから言えば美術教科書としては正しくワンパターンの編集構成と言わざるを 得ない。そこで,何がどのようにワンパターンなのか,先ず共通してみられる2・3の事 項についてあげてみたい。

 第一は,これら教科書の類似している要因ともなっている教科書の構成,および教材の 構造が作品主義をとってすすめられていることであろう。即ち,美術教科書がさながら作 品集の感を呈しているのはこのためであり,このことが最も重要なキーストンともなって いると思われる。何故ならば,明治のはじめから頑固に続けられてきた「お手本」教科書 の性質をそのまま受けつぐもので,この点では何ら本質的なかわりはないと言えるし,こ の「お手本」的伝統を改めることは即ち教科書の教材観の変更であり,これなくしては美 術教科書の進歩はあり得ないとさえ思われるからである。勿論,作品図版も必要であり,

生徒はこれによって作品と貴重な対話を深めることもあろう。それのみか他の意義と効用 も十分認められるものである。しかし,逆説的に言えば,何故美術教科書は作品集にしな ければならないのかと言うことに他ならない。

 これをデザイン教材についてみるならば,アィディァから完成まで,すべての学習の要素 を生徒に学ばせ,創造と表現の効果を期待することは最も望ましいことであろう。しかし 題材によって,また時間数や材料加工その他の諸々の条件では,デザインのプロセスの一 部を深く追求して学習させることが逆にデザインの本質を学ばせることになると思われる。

このような教材の学習も考えられるべきであり,そのためには教科書教材の構造を生徒の 発達に相応させながら把握されなければならないであろう。すなわち,デザイン学習のも つ感性的・知的分野の分析的教材の開発にあると思われる。このような方法はとりもなお さず青年前期の中学生の客観的・合理的思考や観察の高まりに呼応するものであり,それ ゆえこの時期の特徴的な教材が組識できると思われる。

 第二に教材の構造は学習の形態をも規定するのみならず,目標までも規定してしまうも

のであり,ワンパターン教科書の元区とみられる作品集教科書はこの点でも見直されるに

十分な価値あるものと言えよう。ことにデザインについては,アイディアを練り,考察し,

(10)

討論したりする要素が学習の大きなウェイトを占めるものと思われる。このような場合,

完成作品の図版よりも,アイディア,考察,討論の手だてや位置づけ等は重要であると思 われる。即ち,学習目標に対する教材への「羅生門アプローチ」をはかり,生徒の思考と 創造[生をゆりうごかし,よりたかめるためには,文章表現の教材も考えられてしかるべきであろう。

このような意味から作品集教科書はすべてに適切とは言えないし,またすべてに必要とも 思われないものである。それのみか生徒は作品集教科書を作品製作の発想の段階でそのま ま指向しかねない。何故なら,そこには自と発想指向のわく組みが形成されると,色をぬっ たり,形をとったりが生徒にとっては最大かつ最終の仕事に位置づけられよう。つまり,

学習指導要領に示された,いわば「方向目標」である「のばす」・「たかめる」・「育てる」・

「ゆたかにする」ことの機能に対して,想像や連想にもとづく個性的創造は閉鎖されたと ころから出発せざるを得ないと考えられる。生徒は図版に類する作品をつくることが当初 からの目標になり,それ以前の発想からの出発は起りにくいものであり,それ故生徒の目 標は即作品製作としてあらわれ,デザイン学習はとりもなおさず没個性的なものつくりの 技能的学習にすり替わる危険すらあると思われる。

 第三は,改めて指摘するまでもなくよく世評にものぼったことであるが,教材が小間切 れであることから,題材がめまぐるしくかわることである。教材相互の関連性の乏しい教 材が盛りたくさんと言うそしりは禁じ得ないものである。これは学習指導要領に忠実であるこ

との裏返しであり,現行学習指導要領(昭和47年改訂版)が前に述べた通り,高度経済成 長に見あう,いわば理想案の性格を呈していることのあらわれであるとみられる。しかし 学習指導要領に示されたn項の目標やn項の内容に対応し,忠実たらんとしてすぐさまn 項の教材(作品図版)が配列されていることは,どの教科書もみられることで,このこと

は否定できないと思われる。これは美術の教材には,本来この要素は少なからず存在する と思われるが,この考えに従えば,n項の数を減じれば,盛りたくさんのつめ込み主義か ら開放され,「ゆとり」のある教材配列ができることになる。目標や内容といわれるもの の,要は子どもにわかちつたえる文化や文化財であるが,n項の精選によっては,逆に教 材の量が増大することもあり得る。だからと言って一教材でn項の目標が包含されること を力説するつもりはないが,少なくとも,学習指導要領の目標や内容に対応する教材配列は,

前後する教材や相互の関連や発展をはかることによって,系統性や統合が明確化されると 思われる。例えば,学習指導要領のCデザイン「(1)色や形などによる構成ができるように する」を受けて,各社とも基礎構成の教材を組んでいる。しかしこれら基礎構成の教材を 伝達のためのデザインや環境のためのデザインと関連づけて,一連のつながりをつけるこ とで,小間切れの断片的要素をなくしてスパイラルに発展する余地が残されるとともに,

これに要する時間と生徒の意識等の上から一層の効果が期待できるものと思われる。教科 書教材はこの点についても配慮されなければならないと思われる。

 3−2 デザイン教材  美術教材の特性

 教科書の教材を考察する場合,当然教材の配列と構成のうえからみなければならない。

即ち目標論や教材論が直接関わってくる。しかしここではそれらを基底において先ず美術

(11)

135

美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

教科書教材の特性とも言えることにふれておきたい。

 美術教材つくりの基本が「目標に対応した現実の,子どもの発達課題にあわせての,そ の含む形象を媒介にした直観と表象である」(6)と定義される。それゆえ美術教育には明確な 到達目標がたてにくい。また,もし到達目標が立ったとしても評価は現実性にとぽしいう

え,技術的観点に立った評価が優先する危険がともなうものである。したがって学習指 導要領も方向目標が示されている。学習指導要領の「…を育てる」・「…を深める」がそれ であり,これらの方向に従って個々の教材の最小限目標がきめられたとしても究極は生徒 個人の内的可能性や創造性を目指すうえから,客観的な達成度の判断が極めて困難な教科 の特性がある。つまり「描けるか,描けないか」・「うまくできるか,できないか」の技術 的判断は容易であるが,しかしこれが常に最終目標にはなり得ない。そのうえ生徒の個人 差や受容の要素を考慮したとき,生徒の変容の状態はかなり難いと言わざるを得ない。こ の.ような目標と教材の構成と評価をとりまく諸問題は教材の特性と合わせ,教材研究の立 ちおくれの大きな理由の一つとなっていると思われる。また生徒の発達段階の順を追って 教材配列が組織できるほど簡単なものではないことは一般に認められているものの美術教 育の基本的な問題としての基礎とは何かと言うことが未だ曖昧でその実体が示され得な いのも事実である。このことは今回(昭52)の学習指導要領の改訂にあたって,基礎的と か,エッセンシャル,精選と言うことばが随分つかわれた。その結果は教材数の絶対量を 減じることでおわったことがその本質であろう。単純にデザインの領域の内容の項目をあ げれば昭和43年版学習指導要領では12(一年),13(二年),10(三年)であったのが,昭 和52年版ではそれぞれ5,5,4に減じている。しかし項目が少なくなり,また目標が少 なくなればそれにつれ教材数が少なくなるとは限らないし,逆に多くなることもあり得る ものである。図版構成がそのすべてとなっている美術教科書は,その編集にあたってこの 基礎事項を如何に把握しているかを問題としたい。

 また教材の構成について言えることは,先ず他領域との関連と区分である。各領域ごと の教材区分が不明瞭なことに加えて,無理に区分することへの問題があげられる。このこ とは学習指導要領にその要因を発するが,この古典的なジャンル概念による領域区分は現 代の美術の現状と動向からみれば,著しく矛盾にみちたものにみえる。各社の教科書から 散見されるものは,デザインの立体構成と彫塑〔東書,2年,P.15とP.19。彫塑の領域

にのみ入れているもの(光村,2年,P.24。同3年,P.24)〕。構想による表現(絵画)と イラストまたはデザイン技法〔開隆,1年,P.12・13。同2年,P.10・11。光村,2年,

P.17〕。使うためのデザインと工芸〔各社とも取り扱いに多少のニュアンスはある〕。さら にデザイン・工芸と技術・家庭科などとの関連も必然的にある。このなかで,特筆すべき はコラージュ,フォトモンタージュ,デカルコマニー,フロタージュ等を構想による表現

(絵画)に多用している開隆堂は,他と比べ著しい特徴を示している。これらの技法を用

いることで生徒の内的表現を触発しイメージ化を目指したものと思われるが,絵画表現と

しては余りにもオートマティクな要素を有するがゆえに,実際の指導がむつかしい教材と

思われる。即ち,材料や技法の可能性の実験と,これらの技法とイメージをもとに集積し

たり,あるいは予想したりしてタブローとするには,中学一年及び二年の生徒の発達からみ

れば適切とは言えない面が多すぎると思われる。ここで重要なのはイメージと作品化の統

(12)

合であり,それなくしては単なる実験としておわる危険があり,この意味では,デザイン の素材体験として,その実験と表現の可能性を追求するあり方が適当と思われる。

 このように領域の問題はなお今後も引続くものと思われるが,それぞれの教材とその取 扱いによっては,まったく誤った概念をつくりかねない危険がともなうものである。勿論 一般美術と普通教育における美術教育は,その理論,手段,目標など異にする。また,美 術教育の歴史がしばしばこの両者の混同と浸透作用によって,ゆがめられたことは周知の ことであろう。しかし美術教材が一般美術界やさらにひろく社会性をも同時に帯びている ことは当然であろう。それゆえ,美術教育の領域が,学習指導要領に示されるように,い つまでも古典的な系統性に因った区分をすることが,逆に美術教育をゆがめ,スポイルす る可能性があることも十分考慮しなければならないであろう。これらのことは,52年の学 習指導要領改訂版によって,わずかに領域の変更が行われた。即ち,使用のためのデザイ

ン(デザイン領域)を工芸の領域に統合させたのがそれである。その他は同じ領域内での 整理・統合または削除であって基本的には変りはない。しかし,これでデザインと工芸の 領域が解決したことにはならないことは明白であり,これによって立体と平面という表象 次元の問題がうかびあがってくる。また,現段階では極端であるかも知れないが,キネティ

クアートやライト・アート,さらにコンピューターアートなどは十分美術教材になり得る し,このときどの領域に属させるのであろうか。現代っ子はマイコンを自在に使い,その 繰り返しと即時性と可変(プログラミング)などのヴァリエーションによって作図作画を 楽しんでいる。この子たちの創造へのエネルギーと吸収力を誘引する力は今の学校のみな らず美術教育にもない。子どもたちに魅力ある授業であるためには,彼らの生活現実への アプローチが著しく欠如していると思われる。領域の問題もこの視点から捉えなければ,

徒に過去におし返すことになりかねないであろう。

 第一学年,基礎構成

 さて,デザイン(1)に相当する基礎構成の教材で,一年では各社そろって自然物を単純化 しそれをもとに構成する教材を取りあげている。これは学習指導要領「イ自然形を観察し,

その特徴をもとに,新しい形をつくること」に対応して構成されているものである。題材 にピーマン,キャベツ,みかんなどが圧倒的に多く,これらを構成した作品例が多くをし めている。しかし,光村だけは他社(日文,東書,開隆)と異なり,単体でのシンボル化 を指向し,紋章,マーク,標識,アイソタイプヘとつながりをつくっている。これはさら に伝達のためのデザインヘ直結するもので,この意味では最も教材のひろがりと関連づけ がよく,また亀倉,河野,福田らの作品も一層この教材の主旨を際立たせている。またこ の教材は社会生活に根ざした身近さがあり,近年マーク類やアイソタイプは増加する一方 であることからみれば,学年配列も無理なく適切な教材と思われる。

 これに対して他の三社(日文,東書,開隆)の教材は対象物の観察とその構成にねらい がある。ただ,日文と東書は後の構成に大きなウエイトを与えていると思われるが,開隆 は単体での単純化のみを取りあげている。開隆の場合は,かつてみられた便化によく似た 手法だが,他に「着物のもよう」(P.23)などの図版もあり,一貫性の感じられない散漫な 図版構成である。

 本来,このような教材は,対象物の観察と描写がその前提となるものであり,このこと

(13)

137

美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

は,他の領域にも通ずる共通性をもつが,重要なことは,単純化し構成する過程であ ろう。

なぜならば中学一年の段階では,単純化し構成することは彼らには徒にうつる(東書P.

20,図③)一面もあることを予想しなけれがならないだろう。また十分な指導がなければ,

自然物に形をかりた,いたずらに形骸化された陳腐な形になりかねない。つまり,なぜこの ように単純化するのかと言う必然性の理解とその手法の多様さが授業の最大の問題と思わ れる。ともあれこの教材のよりどころであり,かつ目標とするところは,自然物にひそむ 美をくみとるところにあると思われる。「それは単なる自然物の皮相的な変形や単純化だけ ではなく,むしろ,自然物のなかから美しさをくみ取るための洞察力や多様なものの見方 に重点がおかれている」9)それゆえこの教材は様々な解釈が可能になる。あたかも日文(一 年・P.24,25と二年・P.21)のようなあつかいでは,対象物を単純化し,構成をするため に自然物の素材を単にかりているとしか思われないものである。これは,正に,前述した ように便化の現代版とも言えよう。単純化について竹内博は,次のように言っている「さ て中学生は色や形をどのようにとらえているであろうか。この実態を的確にとらえるため には綿密な調査や注意深い観察が必要であろうが,ほぽ次のようなことがいえると思う。

(中略)形に関しては,対象を客観的に認知し,再現しようとする意識が強いため,ひと にわかるように単純化するということにかなりの低抗を示す」(8)と。これは教材の構成から 指導の内容に大きく関わることであり,ともあれ,第一学年でのこの教材は教師にすれば,

十分な指導の手だてと豊富な力量を,生徒にすれば試行錯誤の十分な時問を要するものと 思われる。教材の解釈によって,もし単純化した構成に力点が置かれるならば,デザイン の頭初のこの時期にこの教材はそれほど重要であるのかと言う疑問は当然であり,生徒も これによってデザインに大きく自信を失する原因ともなりかねないであろう。単純化の構 成も確かに美術・工芸・デザインの重要なメーマである。デザインについてみるならば,

現実には写真やスーパーリアリズムのイラストもあふれている。したがって,この教材の 日文のような取りあつかいは,その配列と教材の構造を一考されるべきであると思われる。

ところで,次の(2)伝達のためのデザイン,(3)使用のためのデザインについてみるな らば,総じて,東書がきめ細かく教材を揃え,そのうえ中学生の日常性に題材をとりあげ,

かつ,一定のレベルを保っていて最も興味深い。日文はレタリングに多くを占めていて,

他は教材の取り扱いに単調さが目立ち画一的な凡庸さでおわり,図版の魅力に欠ける面が あろう。光村は,紙の立体構成以外は小学校の工作の延長と言う印象は禁じ得ないもので,

そのレベルが問題とみられる。また開隆はイラストに多くを占め,動く造形の教材がある ものの,他は工芸と材料加工の技能的要素の教材が続き,デザインのもつ知的要素の図版 例が見当らないものである。

 第二学年,基礎構成と伝達デザイン

 次に第二学年(1)は造形の原理がその主要をなしているが,学習指導要領の「律動,

均衡などを考え,変化と統一の美的秩序を意図して,構成をすること」を受けて,各社が

幾何形態や造形エレメントでの構成を題材としている。ここで変化と統一の造形原理の重

要性については述べるまでもないが,重要なことはこのような造形原理に対して一方では

生徒の自由な表現のよろこびも包含されなければならない。この点では,光村と東書は一

定の評価はできると思われる。光村の「美しい構成(秩序のある構成をする)」(P.26,27)

(14)

は,ことに際立っている。点・線・面を用いた例と集積パターンなどの題材で造形原理に 迫っているし,ビクトル・バザルリーの作例も生かされ,一貫性がある。東書は強いて言 えば,配色(P.16),平面構成(P.18)ともに変化に対する統一性の要素が強調されてい る感があり,特に平面構成においては一定の規則性と統一性をもった例だけで,ランダム な構成練習での美的秩序を目指した作例がないが,この点では変化と統一の真の構成練習 にはなり得ず,形式的な構成練習におわりかねない。また開隆の「構成と配色」(P.16・17)

は幾何形態の繰り返し模様で,いわば幾何学的な分割パターンの図版例で,自と多くの造 形要素を含み,造形の諸原理の理解と活用はおろそかにならざるを得ず,同じくバザルリー の図版は飾りものになっていて教材化の手だてが不足している。のこる日文の「配色と構 成(色や形の変化と統一を考えて平面構成をする)」(P.20,21)は,グラデーションの図 版を置いているが,どのように変化と統一を考えて構成しようとするのだろうか,その手 だては何もないし,20ぺ一ジの図版で適切で魅力的なものは見当らないようである。21ぺ一 ジは,集じん機と楽器の単純化教材の図版が掲載されている。一年にひきつづき再び単純 化の教材であるが,この単純化の教材については,前に述べた通り,この配列と構成には 大いに疑問がのこらざるを得ない。なぜならば,デザイン(1)は基礎構成(練習)にあ たるもので,この教材に,自然物および人と物の単純化だけが最上の教材とは思われない。

ことに二学年の変化と統一の造形原理の重要な目標設定に対しては,著しく希薄な教材と 言わざるを得ない。元来,変化と統一の美的秩序の学習は,あらゆる造形物やその事象を 捉えて教材とすることができる。しかし,どの領域においてよりも直裁的で効果的な基礎 構成においては,なるべく構成要素を単純にして,変化として作用する要素と統一的にはた らく要素を生徒に認知させるとともに,両者の調和の接点をはかる学習に他ならない。そ れゆえ調和に向って試行錯誤の感覚練習が必然的にともなうことになるが,このような変 化と統一の学習目標に対して,日文のグラデーションと単純化の構成題材ではその教材化 の基底が著しく貧弱と言わざるを得ない。

 ところで(2)の伝達のためのデザインを一年との関連においてみるならば,光村は一 年のマーク,アイソタイプから自然保護と体育祭のポスターをとりあげているのに,二年 では案内図,統計図,絵地図,機構部の説明図をとりあげ,他の三社が一せいにポスター であるのに比し特異である(開隆では三年P.18,19にあたる)。特に統計図,絵地図や機 構部(機関車,玩具)の説明図(P.28,29)などは他教科との関連や中学生の関心の点で 興味ある教材と言える。開隆は一年の動植物のイラストは他社にないとりあげであったが,

二年では環境美化と公害のポスターをあげている。公害ではアーネスト・トロバー(P.21 東書も一年で掲載)の作品が一つあるのみで,他はすべて教師に委ねられているかたちで

ある。この傾向は他社にも共通してみられる。ただ開隆では,環境美化(P.20)の主題を 身近な場所からさがす手だてと姿勢がうかがえる取り扱いとなっているのが印象にのこる。

東書は一年では個人生活からみたテーマ(日課表,ホームコンサートなど)をとりあげ,

二年では学校生活(P.20〜23)でのデザインと標示にしぼっている。ありふれた体育祭を

テーマとするデザインでも,生徒の意識に密着したかたちで展開していてとりあつかいの

工夫がわかる。そして,この分野では一・二年を通して最も一貫性があり,教材のとりあ

げ方も群を抜いている。ことに,「校内の標示」(P.22,23)ではアイディアを生かした試

(15)

139

美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

みとして創意ある教材であるとともに,学校を楽しくできる教材になっていると思われる。

日文の一年はレタリング,マークと案内図であるのに対し,二年では緑化等のポスター(P.

22,23)とアニメ(P.24,25)で構成している。ポスターについては,ただ漫然と作例図 版を取り合わせた感は免がれず,無責任な図版掲載と言わざるを得ない。なぜならば,デザイ

ンの分野でのビジュアルデザインとは何かと言う視点と,さらに中学生に相応する造形性 や社会性,さらに彼らの関心度から把握される視点でこれら双方のオーバーラップに位置 する分野の問い直しが真に欠如していると思われるからである。またアニメと絵本を二年 でとりあげているもの特異であろう(光村と東書では三年にとりあげ,開隆は全くとりあ

げていない)。

 第三学年,使用のためのデザイン

 三年では,使用のためのデザインについて,各社の代表的な教材を列挙すれば,開隆は

「日用品のデザイン」(P.26,27)であり,日文は「あかりのデザインと製作」(P.26,27)

であろう。前者は各種の容器と時計やはかりの製品写真がある。これをみる限りでは鑑賞 用として編集したものと受けとられるものであるが,他にしかるべき教材がない。前述し たようにこれも無責任な図版掲載と思われる。数桁の文章によれば「……機能によってど のようにデザインされているか観察して,考えてみよう」とあるのみである。後者の日文 は乾電池を使った照明具をデザインし,製作しようとし,製作のプロセスを追っている。

照明具のデザインと製作の双方に同等のウエイトをかけた扱いであるが全体としては工芸 的な彩りが強いものになっている。これは現代の生活から考えると教材の発想がやや観念 的で,取り扱いに新鮮味がないところからくるもので,いきおい「つくる」ことに主力が かかったように思われる。東書は「パッケージ(機能を考える)」(P.25)であり,光村は

「いす(機能と構造を考えて作る)」(P.32,33)となっている。東書も「小さな家具」(P.

24)とし椅子や収納家具をあつかっているが,こちらは環境構成の教材として,生徒のゆ めを育てる楽しいものになっている。さて東書のパッケージは,このこと自体は目新しい ものではないが,内容物によるパッケージングのための各種の機能が要求されるうえ,ビジュ アルな要素が大きいものであり,どちらにもウエイトをかけられるし,中学三年としては 好適の取り扱いとなっている。また光村の椅子は,むつかしい教材であるが,その取り扱 いに大いに興味がもたれる。なぜなら人体支持家具としての位置づけと,人間といすの関 係,さらに人体といすの機能,いすと材料・構造等多岐にわたるものを,手ぎわよく取り 扱っていることによるものである。図版の一枚一枚が以上のような意味で生かされているが,

同時に教師の力量が問題でもあろう。特に人間工学的追求の一面は,不可欠であり,その 研究方法の一部である座姿測定のようすを写真紹介して手ぬかりはないが,この写真を授 業にどう生かし得るかで教材のもつ意義は異なったものとなると言っても過言ではない。即ち,

生徒は単にいすの形をしたものをつくるか,もしくは,いす本来の機能性を考えたものと なすかであるし,またスタディーモデルについても同様のことが言えるであろう。いずれ にしてもこの教材と,その取り扱いは興味ある教材となっている。

 このような,各学年のデザイン教材を総括すると,平面デザイン(教育現場の実状は平

面デザインが主で立体の教材は極めて少ない)においては,日文に代表される如く,形を

とったり,色を塗ったりするいわば教材のもつ保守i生が強いことである。近年,学校の造

(16)

形用のための各種の材料が開発されその数は著しく豊富である。また各種の用具の使用と 工夫によって簡単に希望する大きさや形にすることもできる。このような諸材料は商社の 特定扱いを配慮すれば積極的に使用した教材が望まれる。特に,基礎構成においてはその 感が強いものである。

 次は,デザインが必然的にもつ生活との結びつきをどう把握するかの問題であろう。つ まりデザインのもつ定位は,現在から未来へとひろがる人間の生活の営為のなかにあるこ とを抜きにしては,デザインそのものが成立しないことは言うまでもないであろう。この ことは,子どもの生活と意識にそったものとして,教材化に大きく反映されなければなら ないし,これからも,より重要な問題になることと思われる。しかし現実には,このこと がデザイン教材の構成に生かされているのは多くはなかった。東書と光村の一部の教材に みられるもので,他の二社について興味をひくものは見当らなかった。またそのような教 科書にかぎって,目標がそのまま教材であったり,内容そのものになっていると思われる ものが多かったのも事実である。「伝達のためのデザイン」ではすぐさまポスターの作品図 版がまったく不用意に掲載されたり,「機能をもったデザイン」では,ものつくりにはや変 りする感覚では,美術科教科書の教材の後進性はいましばらくは改められそうにないおも いを禁じ得ないものである。

 さらに言えることは,現代が直面している諸々の社会的問題を取り上げ,あるいは問い かけるテーマが極めて希薄であることへの疑問である。即ち,現代社会が抱えもつ問題は 種々ある。自然破壊,公害,暴力あるいは平和問題などもそのなかの一つであろう。この 種のテーマをもつ教材をあつかったのは二例〔開隆・二年(P.21)と光村・一年(P.29),

共にアーネスト・トロバーの同一の作品,save our plant save our peoPle〕だけで生徒 作品例はない。これらの問題が日常化しつつあると言うのであろうか。それとも現実の切 実な問題とは逆に,いよいよ生徒の温室栽培の系譜を目指す故なのか評釈はつけ難く,多

くを編集者の疑問としなければならない。

4.ま と め

 現行美術教科書のかかえもつ諸問題を総括的に捉え,かつその流れと位置づけをみるた め,教科書の歴史的変遷を辿った。そのなかで明らかになったことは,美術教科書に対す る伝統的で因襲的な教科書観があることであった。それは明治のはじめ美術が学校教育に とり入れられて以来,ながい間にわたって臨画教育としての技術習得を負ってきた側面,と,

また他方では教育への国家統制の強化という側面をもって形成されたものと言えよう。つ まり,図版によるお手本教科書に,国家の目指すお手本とが重合し,一体化して発展して きたものとみることができる。このことは,大正から昭和のなじめでは顕著であり,これ が今日の教科書にもみられる図版構成からなる作品集教科書のルーツであると言える。さ

らにこのお手本図版の体制に自由画教育運動のネガティブな面が弊害として加味され,い たずらに自由放任の美術教育のもう一つの体質が醸成されて,いよいよ美術教科書の教材 観も定着したものと思われた。

 次に現行教科書を考察したなかでは,前にのべた作品集教科書の図版構成の伝統が,と

もあれデザイン教材の元凶とも思われ,これより脱して図版構成の意義とその効用を問い

(17)

141 美術教育における現行教材内容の再検討(米田)

直すべきであること。さらにデザインの必然的にもつ生活との結びつきと関連性において,

子どもの生活現実や意識の考慮がより一層重大であり,この点に欠如した教材が多くみら れたことなどであった。したがって,デザインとは色を塗ったり,形を作ったりの生徒の 主体的契機に乏しい単なる色あそびや形あそびの行為におわる危険を強く感じざるを得な かった。しかし全体がそうであるわけではなく,二,三の題材については興味ある取り扱 いをみることができた。

 さて,このような教科書教材のもつ欠点は,来年度(昭和56)からの新しい教科書から は,どのように改良されるであろうか。来年度から大きくかわるものに,機能をもったデ ザインが工芸の領域に統合される。この領域での教材の構成には十分な配慮が特に望まれ る。なぜならば中学校現場の美術関係の施設設備の現状に目を向けるとき,教科書の図版 が空々しい飾りものになるか,さもなくば,ごく限られた一部の鑑賞教材にしかならない ことを危惧するからである。このような事態にならないためにも教科書教材とその構成と 構造には十分な検討がさらに必要であろう。

引 用 文献

12345678 山形寛 日本美術教育史 P。41〜50 黎明書房 昭42

同上     〃    P.528 同上     〃    P.832 同上     〃    P.835

山住正己 教科書 P.192 岩波書店 昭45 中内敏夫 教材と教具の理論 P。132 有斐閣 昭53

真鍋一男他監修 造形教育大系 造形の基礎3 P,16 開隆堂 昭50 熊本高工編 美術教育大系 7デザイン P.45〜46 学芸書林 昭43

参考文献

1 米田明生 中学校美術におけるデザイン学習の問題点 長崎大学教育学部教科教育研究報告第3号 昭55

2.芸術教育研究所編,美術教育事典 国土社 昭33

3.日本美術教育連合会編 日本美術教育総鑑 戦後編 日本文教出版 昭41 4.日本教職員組合編,中学校教科書の研究 一ツ橋書房 昭52

5.文部省 学習指導要領 昭22年版(一般編,図画工作編)26年版,33年版 44年版 52年版

6.歓喜隆司他編,教科教育の課題と展望 第一法規出版 昭55

参照

関連したドキュメント

断面が変化する個所には伸縮継目を設けるとともに、斜面部においては、継目部受け台とすべり止め

明治初期には、横浜や築地に外国人居留地が でき、そこでは演奏会も開かれ、オペラ歌手の

と言っても、事例ごとに意味がかなり異なるのは、子どもの性格が異なることと同じである。その

目標を、子どもと教師のオリエンテーションでいくつかの文節に分け」、学習課題としている。例

□ ゼミに関することですが、ゼ ミシンポの説明ではプレゼ ンの練習を主にするとのこ とで、教授もプレゼンの練習

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き

● 生徒のキリスト教に関する理解の向上を目的とした活動を今年度も引き続き

具体的な取組の 状況とその効果 に対する評価.