論文の内容の要旨
氏名:西山 智之
博士の専攻分野の名称:博士(法学)
論文題名:性犯罪抑止のための新たな刑事政策的視点に基づく諸施策の提言
本論文は、性犯罪という問題現象を分析し、性犯罪に対する刑事司法制度の現状と課題を検証した上で、
性犯罪の被害者を一人でも減らすためにはどのような制度が有効かについて提言することを目的としたも のである。
平成15(2003)年以降、刑法犯認知件数は減少を続けているものの、女性・子どもを対象とした犯罪、
特に性犯罪はその減少幅が小さく、対策の重要性は高まっている。性犯罪は、他の犯罪と比較して被害者 に与える被害が甚大で、被害者は長い間精神的な苦痛や後遺症に苦しめられることが先行研究によっても 明らかになっており、そうした点からも早急な対策が必要な犯罪現象である。近年、性犯罪処罰規定の改 正や、刑事施設・保護観察段階における特別なプログラムの充実強化等が行われ、性犯罪対策は進められ ているものの、性犯罪者に対する有効な再犯防止策として未だ十分ではないと思われる。それは、①責任 主義の考え方に基づき刑期を決定する我が国の刑事法では、性犯罪者を再犯させないための治療期間とし て十分な時間の確保が難しいこと②強制性交等(強姦)罪・強制わいせつ罪といった重大な性犯罪を防ぐ 為には、前兆事案と呼ばれる声掛けや覗きといった軽微な性犯罪の段階で対処することが必要であるが、
そのような制度が存在しないこと③性犯罪者に対しては、性犯罪の病理性を考慮した処遇が必要であるが、
現在の刑事司法制度はそうした想定をしていないこと、といった理由からである。
実際に、刑法犯認知件数全体が減少する中、強制性交等(強姦)罪・強制わいせつ罪の認知件数が現状 維持傾向にあるという点以外にも、以下のような性犯罪の実情が存在する。
①性犯罪は公式統計と実際に発生した犯罪発生件数の差である暗数の数値が高いことで知られるが、法務 総合研究所の「犯罪被害実態(暗数)調査」及び内閣府の「男女間における暴力に関する調査」を基に強 姦被害者数の推計を行ったところ、認知件数の約20倍もの強姦被害者が存在することが明らかとなった。
②一般的に世間では性犯罪の再犯率は高いと認識されているのに対し、研究者からは、性犯罪の「一般再 犯危険性」は30%を超えており高いものの、「同一罪名再犯危険性」及び「同種再犯危険性」は5%~16%
であることを根拠に再犯率は高くはないと指摘されていた。しかし、これを被害者に甚大な被害を与える 重大犯罪に限定して比較すると、性犯罪(強姦罪・強制わいせつ罪等を合わせた数)の再犯率は重大犯罪
の中では16%と他の犯罪と比べ非常に高いといえることが明らかとなった。
③性犯罪者の一定数は性嗜好障害という、「国際疾病分類ICD-10 」でも認められている精神疾患の患者で あるとされている。この性嗜好障害の患者は、同じ性的問題行為を繰り返すパターンが多いとされるが、
中には覗きから強姦罪、小児性愛から強制わいせつ罪といったように行為がエスカレートする症例も多い ことが指摘されている。
それ故、性犯罪は社会に大きな影響を与えている犯罪であり、早い段階での対処を行う必要のある犯罪 であることが明らかである。
それでは性犯罪に対する政策の方向性をどのように見定めるべきであろうか。
英米を中心とした犯罪予防の理論を見た際に、予防医学に基づく 3段階予防を犯罪予防へ応用するとい う実効的な理論が存在する。この考え方は元々は 1976 年にアメリカ合衆国のブランティンガム(Paul Brantingham)らによって考え出されたものであるが、現在まで多くの文献に引用されるなど注目されてお り、我が国でも警視庁をはじめとした多くの機関の提言書等でこの考え方が採用されている。この犯罪の3 段階予防は、加害者化・被害者化防止教育や環境設計によって行われる事前予防である第 1次的予防、潜 在的犯罪者の早期発見とそうした潜在的犯罪者に犯罪を起こさせないための早期対応からなる第2次的予 防、犯罪実行者に対して矯正処遇等の再犯予防を行う第3次的予防から構成されている。
我が国の各段階における性犯罪への対応状況を確認すると、第1次的予防に関しては2000年前後に環境 犯罪学に基づく犯罪予防政策が国家主導で大きく取り入れられたことを受けて、現在かなり充実した事前 予防策が構築されている。第3次的予防に関しては、刑事政策学における伝統的手法であり、社会復帰思 想に基づく処遇方法の研究が日々なされている我が国では、十分な研究の蓄積が存在している。ところが
第2次的予防段階における対応策は我が国では十分に行われていない。それどころか2次的予防段階であ る捜査段階においては、性犯罪者(である可能性が高い者)の多くを再犯防止措置を行わずに社会に戻し てしまっている。例えば、平成29年版犯罪白書を見ると、平成28(2016)年に強姦罪で逮捕・送検された
者のうち63.9%、強制わいせつ罪では59.9%の者が不起訴処分となり社会に戻っている。これは刑法犯全
体の不起訴率が61.8%であることを見ると特段高い数値ではないが、強姦・強制わいせつのような重大犯 罪で逮捕・送検された者の多くが不起訴となり、釈放されていることは大きな問題である。更に警察段階 においても、罰則規定がないため前兆事案とされる軽微な性犯罪や性的問題行動について、再犯防止措置 をほとんど採ることが出来ずに社会に戻してしまっている。よって我が国が今後において重点的に取り組 まなければならない時期は、第2次的予防段階である。
それでは、今後の性犯罪者に対する政策として第2次的段階における政策が必要であることが明らかと なったが、どのような制度の下で実施することが相当であろうか。
我が国の刑事法は応報刑を軸に行為責任に基づき刑期を決定しており、犯罪者の危険性判断に基づく保 安処分的措置の考え方は採用されていない。また、裁判で有罪が決定するまで矯正処遇が行えない現行法 制では、警察段階・検察段階における治療等の再犯防止措置を強制的に行うことは困難である。そうした 点を踏まえると、我が国での性犯罪者治療を行う制度として、精神医療制度への移行が有効であると考え られる。我が国では、保安処分の考え方は否定されているものの、精神医療として対象者を警察・検察段 階で強制入院(措置入院)を行う制度は認められている。もちろん本人のためというパレンス・パトリエ の考え方に基づく治療であることが前提である。そこで、性犯罪者の一定数が抱える性嗜好障害という精 神疾患に着目し、精神医療への移行・性嗜好障害の治療を行い社会に戻すことが、性犯罪者と社会の両者 にとって有益であると考えられる。従来の刑事政策では刑事司法制度による刑罰権の行使のみが犯罪対策 として行われてきたが、犯罪の事前予防が重要な課題となっている今日では、行政的措置による犯罪予防 も重要な地位を占めるようになってきている。そこで、犯罪性が明らかな者に対しては従来の刑事司法に よる性犯罪者処遇を行いつつ、将来の性犯罪の危険性が明らかな者に対しては行政的措置による性犯罪の 予防的な措置を考慮すべきではないだろうか。以上のような考察に基づいて、以下の制度の構築を提言す る。
警察段階:まず、声掛けや付きまといといった前兆事案への早期対応として、前兆事案を繰り返す者へ の性犯罪再犯防止講習の受講義務付けを提言した。これは前兆事案を一定回数以上行った者に対し、認知 行動療法に基づいた性犯罪防止のための講習を行う制度であり、前兆事案の段階でこの再犯防止のための 講習を義務付けることにより、十分にその効果が期待出来るものである。次に、精神保健福祉法の精神障 害者の定義を拡大し、性嗜好障害の疑われる者は警察段階で精神鑑定に回し、措置入院とする制度の構築 を提言した。本制度はこれまで取りうる手段のほとんどなかった警察段階において、性犯罪者を精神医療 に移すことによって治療的処遇を行うとする制度である。
検察段階:検察段階では強制性交等罪・強制わいせつ罪で起訴猶予とする者に対して精神鑑定を行い、
性嗜好障害の疑われる者に対しては、起訴猶予の条件として更生緊急保護による性犯罪者処遇の可能な更 生保護施設への入居を条件とする制度の構築を提言した。この更生緊急保護は、現在も行われている制度 であるが、その更生緊急保護の実施施設や実施体制をより強固なものとし、刑事施設で性犯罪者処遇プロ グラムを行っていた刑事施設職員の OB,OGを採用するなどして、性犯罪者の治療的処遇が出来る施設を創 設した上で、その施設への入居を促進させる制度の構築を提言した。
裁判段階:裁判段階では、執行猶予とされた性犯罪者全員を保護観察付とすべきとした上で、特別遵守 事項として、性犯罪者処遇プログラムの必須化を提言した。更に、保護観察付きの猶予処分の期間に特別 遵守事項に違反した性犯罪者への収容的治療措置として、ワシントン州の制度を参考とした日本版の民事 的収容制度の導入を提言した。
加えて、第1次的予防段階である事前予防と第3次的予防段階である事後(再犯)予防についても提言 を行った。
事前予防策では、環境犯罪学に基づく都市設計の手法や、加害者化・被害者化防止ための教育方法につ いて提言を行った。その中で、近年警察で行われている犯罪地理学を使用した犯罪予測マップによる警察 力の重点配置や、警察・住民・行政の三者連携による性犯罪への対処方法に至るまで、幅広く政策提言を 行った。
事後(再犯)予防については、性犯罪者の出所者情報に基づく再犯防止措置の実効性の確保や専門的治 療の可能な刑事施設の創設、保護観察における専門的処遇の充実の提言を行った。その他、十分な刑期の
確保のため、刑の一部執行猶予制度の活用について提言を行った。