論文の内容の要旨
氏名:高橋 清隆
博士の専攻分野の名称:博士(総合社会文化)
論文題名:C. S. ルイスにおける神学的言説の諸相
序論は研究の動機、テーマ選定の理由、目的、研究の方法等、研究の意義についての提示である。
第一章は先行研究の総括である。第二章以降から、ルイスの神学的言説の諸相を具体的に検証する が、各章を聖書や神学者たちとルイスが考えるキリスト教弁証とを比較考察することによりルイスの キリスト教理解が「生一本のキリスト教」に依拠しつつも、ルイス独自の神学の特徴が見られる点を 浮き彫りにする。その内容のあらましは以下の通りである。
第二章はルイスのキリスト教受容と弁証についての簡明な記述である。第一節はルイスのキリスト 教受容までの過程を取り上げる。それに大きな影響を与えた要因の一つは幼い時からの読書の習慣に 伴う本の選択である。ルイスがキリスト教棄教後まもなくして偶然に G.マクドナルドの『ファンタス テス』を読み神聖さを感じたことや偶然文芸雑誌を読んでいたところに北欧神話の挿絵に目がとまり 大きな衝撃を受けた驚異体験(憧れ)のことに言及している。第二節はキリスト教弁証に関してのル イスの考えの分析である。ルイスはキリスト者内に見られる「生一本のキリスト教」と相反する自由 主義的キリスト教、モダニスト神学と聖書批評に従事するある種の人々、ファンダメンタリスト、的 外れのキリスト教を痛烈に批判するが、ルイスのキリスト教弁証に際してはそれを踏まえるべきであ るとする。また、ルイスのキリスト教弁証に際して欠かせない他の要素として「憧れ」を挙げる。「憧 れ」を別世界の消息を告げるもの、究極的実在の確かな徴と定義し、「憧れ」を神や天国という「目的」
に導く「手段」と見ることによりルイスがキリスト教弁証を実践したとの見解を示し、以下に続く各 章においてそれがどのように行われるかに注目することにより、ルイス神学の真髄を探り当てる。
第三章はルイスの有神論の分析である。第一節で啓示を定義した後、神学者たちが啓示を一般啓示 と特別啓示の二種類に分類して説明していることを見た後、その分類法に倣い、ルイスの啓示観を検 証する。一般啓示において神は「自然」を用いて自分自身を顕わすが、ルイスは自然から神性を抜き 取ることにより神に導く道具あるいは手段とすることにより自然を用いて神を啓示する。第二節は神 の存在証明と題し、存在論的証明、宇宙論的証明、目的論的証明、道徳論的証明の四項目に分けて論 じた後、ルイスの証明方法へと移行する。特に目的論的証明において、ルイスは 1.神話、2.憧れを用 いて証明していることが独特であり、ここで「憧れ」という「手段」を用いて「目的」である天国に 導く、というルイス神学を見ることができるとする。第三節は非キリスト教的世界観と題し、無神論、
汎神論、二元論、理神論の四項目に分けて論駁する。なお、ルイスは汎神論論駁において「合一」と いう概念を用いる。ルイスの「合一」の概念にも注目することにより、ルイス神学の特質を探る。
第四章はルイスの聖書論に関する論述である。他の神学者たちと同様に、ルイスは聖書が神の霊感 を受けたものであることを認めるが、疑問を呈する個所もある。ルイスは、聖書は科学的、歴史的に 無謬でないと考えていた。しかし、ルイスは神話をそこに絡ませ、創造説話を含む「神話が神により 高められた」と言うとき、彼は創造の教理を支持する。神話が聖書にある理由は、神話が聖書の真理 の相似形であるからである。神話が神との相似形と言うルイスの考え方は神話を導き手、つまり、「手 段」とし、「目的」である神へと導いてくれるとも考えられる。神の霊感も聖書の書き手だけでなく異 教徒の神話の作り手にも及ぶとの考えは、死んで甦る神の神話が、ニカイア信条や使徒信条にある、
昔からキリスト者が真理と考える「キリストの受肉、死、復活」を強力に支持する。このことは神話 が「生一本のキリスト教」を伝えることに寄与していることの証左となる。それゆえに、ルイスは、
キリスト者の基本的な信条であるアタナシオス信条の一説を引き合いに出し、受肉によって人の命は 神の命の器となるのと同様、文学が神の言葉の器として用いられると言う。この見解はカトリックの 聖書観と一致していると解することができること、また、聖書の文学形態、特に詩的形態についての 考察により、ルイスが詩的形態を通して聖書の意味を悟りながら読むことを勧めたことは『日本基督 教団信仰告白・十戒・主の祈りを学ぶ』にある、「聖霊の導きを求め、福音の真理を悟るように読むこ と」と一致したと見ることにより、聖書の読み方に関しても、ルイスの意見は「生一本のキリスト教」
の基本信条にしっかりと根ざしているとする。
第五章はルイスの三位一体論である。まず三位一体の教義についての説明後、神論、キリスト論、
聖霊論へと移行する。ルイスは難解な三位一体を、図形の例えで説明しようとする。その理由は、僅 かながらでも三位一体についての観念を持つことができ、そのような観念を得た時に初めて神につい て認識できるからである。神論においては、神の特質である神の愛について注目する。ルイスは人間 の愛と神の愛を比較し、神の愛の特質が勝っていることを説明するのであるが、人間の愛を神の愛の 相似形とするとき、人間の愛を「手段」とし、それを吟味することで「目的」である神の愛を知る、
ひいては神との「合一」に近づく一つの手立てとなると主張する。ルイスのキリスト論では、キリス トの人性、すなわち、一つの人格に神性と人性の二性が同時にあり、それぞれ完全である、という教 義であるが、それを我々が理解するのは困難である。しかし、ルイスは彼自身がキリストの人性を理 解するのに役立った「生一本のキリスト教」の概念を巧みに用いて説明する。しかしルイスは、我々 にその説明が役立たなければ無視してもかまわないと言う。このことは、ルイスにとって有用な方法 であってもそれはただの手段であって「目的」に導くことができなければその手段に固執しない、と いうことをルイス自身が言明していることになる。このことは、ルイスにとって重要なのは「目的」
である神であり、それに導く「手段」ではないことの証左である。聖霊論では父なる神と子なる神が ともにいることにより聖霊が生じ相互的な愛の「合一」を見るとする。そこに人間も加わり「合一」
するようルイスは勧める。ここにもルイス神学を見ることができる。
第六章はルイスの教会論についての分析である。カトリック、プロテスタント、聖公会の各教派の 教会の定義を見た後、ルイスの教会論を検証する。ルイスは教会を「小さなキリスト」、「キリストの 体」、「キリストの花嫁」と見なし、教会を通して我々人間がキリストと「合一」することが教会の唯 一の目的であると言う。教会を「キリストの体」と見なすことは、キリスト教各教派も同意している ことである。つまりここでもルイスは「生一本のキリスト教」の考えを用いて、ルイス神学の特徴で ある神との「合一」を強調しているとする。
第七章はルイスの人間論に関する分析である。人間論におけるルイス神学の特徴は特に自由意志に ある。ルイスは神が人間に自由意志を与えた理由を、愛や善や喜びを可能にする唯一のものだからで あり、自由意志を用いて神と結びつくことが最高度の幸福であると述べる。ここにもルイス神学の特 徴である神との「合一」を見ることができる。
第八章はルイスの救済論である。特にこの章ではルイス神学の特徴が色濃く表れているとし、まず、
ルイスの憧れの定義を再度確認する。その後、地獄論、煉獄論、天国論を『天国と地獄の離婚』から 分析する。地獄論においては、地獄を選ぶ者たちの特徴の一つに、「目的」ではなく「手段」に固執す ることを『天国と地獄の離婚』のエピソードの一つから挙げ、それをルイスが我々に与える警告であ ると受け止める。煉獄論では、煉獄での浄化を、自我を捨てることに伴う「痛み」とルイスが捉えて いることを提示する。彼はそれを歯科医によって治癒され、治療のため血で汚れた口内を水ですすい で清潔にするがごとく、死者をより良い状態へとするため、死者の罪を洗う浄めの場所として巧みに 例えを用いて煉獄を説明する。それを『天国と地獄の離婚』では、「赤いトカゲを肩に乗せた男の亡者」
のエピソードを通して我々に提示する。その理由を、赤いトカゲを男の自我と見なすとき、天国に入 るためにはトカゲが死ななければならない、つまり自我を放棄し、それに伴う痛みを経験しなければ ならないからであるとする。天国論では、ルイスの天国の定義を、自己の所有を放棄し社会性を持つ 都市として神から個人的に祝福される場所とし、天国での神の目的を、人間が再び神に「合一」され るように、可能な限りの個別性を所有することであると見ることにより、ここにもルイス神学の一端 を見ることができるとする。また、それを可能にする特質は『天国と地獄の離婚』のセアラ・スミス のエピソードから自己放棄であるとする。
結論において、ルイスの宗教的著作、ファンタジー、小説を丹念に読み解いて、拾い集め、組織的 神学として提示した結果、終始一貫して流れているルイス神学の柱の一端を担うものは「手段」―「目 的」―「合一」であることを強調する。また、ルイスは、三位一体、キリストの人性などに代表され る困難な教理にも勇敢に立ち向かい、彼なりの解決策を図っていることや、ルイスの提示した天国論 が時を隔てて違う形で表れ、いまだに解決策を見ていないことから、ルイスの学問に取り組む姿勢や、
提示した神学には大きな社会的意義があるとする。