笑顔と心を伝える
安城の三河万歳保存会 副会長 杉 浦 重 夫
皆様、本日はおめでとうございます。お話に入りま す前に約540年前が発祥といわれております三河万歳
「三羽鶴の舞」をご覧いただきたいと思います。
あらためましておめでとうございます。
年毎に栄えゆく世を寿ぎて 今朝新玉の春を迎えん 誠に芽出度う候
あら目出度うや 候ひける 御年始めの朝には そ の上は難波の都 中なる頃は奈良の都
さてこの御家の安らかに 祝詞奉る 東西南北中央 には キヒツ神の 五柱の御守護なり
塞神三柱を御門に祭り 禍津神を払いやる 国々普 く三年の 貢物 許されしが
其の年月も極りて 浜の真砂は数積もり 雪は豊年の貢物 許す故には いやなかなか 弥増しにけり 運ぶ貢の千秋萬歳の 千箱の玉を 奉る 広き御恵 筑波山 万歳楽の響きぞ のどけかりける 萬代までも祝ひて 千秋御繁昌と祭り栄え 御祝ひ目出度うや萬歳
萬歳楽では へへ御目出度い 三羽鶴の舞はヤーレ 昔は又々神代の アラ 折からには 神木なる コレワイ 榊の葉の小枝には 金なる鈴をば結わいつけてナ コレワイ アー千早振るふる 天の岩戸の神遊びかな 懸けまくもいさごもよく 開くときには 音がするぞヤ 吉利きり へへ吉利きり オオは吉利きり へへ吉利きり 喜利々がヤーレ オオ開いたぞや はだかりましたか これ様の御身代は アレアレ 大きなものだよ でっかいものかな コレワイ オヤ当春こそは 御宝物をば おっとり込んだか
背負ひ込んだか 夜さりなんぞは 神なる棚より へへ 大黒棚まで アラアラ銭やお金が ざくざくざくには オオざくざく へへざくざく オオざっくらずいたら 御目出度い 祝い込んでナ 参れば亦 御当家様には 悪事や災難 病気の難 火亊の難をば 押流し 給えば亦々 吉利の小枝に 吉利きり へへ吉利きり オオ吉利きり へへ吉利きり 喜利々がヤーレ 祝い込んでナ 参れば亦 御当家様には 代々 栄えて あら楽し
ただ今ご覧いただきましたのが神道三河万歳「三羽鶴の舞」でございます。ありがとうござい ました。私、杉浦重夫といいます。当年とりまして69歳、万歳を始めまして45年になります。
そして私の相方を務めました才蔵、廣村と申します40歳、万歳歴22年になります。私たちは今
ご覧になったように万歳を演じるのは得意と言いますか大好きなんですが、皆さんの前でこうし て話をするというのは慣れておりませんので、あっちにいったりこっちにいったりと何が出てく るか分かりませんが、今日の演題にもありますように、この笑顔と心を気持ちを皆さんにお伝え できたらと思っております。今日は、万歳の歴史、万歳発祥から明治初期そして現代まで。次に 私達の安城市に三河万歳保存会という会がございます、この保存会の設立目的と現在の活動状況 についてお話したいと思います。
まず最初に万歳の歴史からお話しさせていただきます。今ここで私たちがお話しするよりも皆 様方のが、ずっとずっとお詳しいと思いますが、私達の作りました資料で説明させていただきま す。平安朝中期といいます、約1020年程前に大江定基が三河の国司に任ぜられまして、年の初 めに「千歳楽」「万歳楽」の舞をしたのがそもそもの始まりといわれております。そして約540 年程前になります、室町末期の応仁の乱で焼き払われました尾張熱田の薬師寺の玄海法師が戦乱 を避け三河の地、現在の安城市別所町から岡崎市の本郷町、この辺りに移り住みました。そして 土地の人々に国家安泰、五穀豊穣を祈る「礼楽舞」というものを伝えたことに始まるといわれて おります。
徳川発祥の地で生まれました三河万歳はその地名を取りまして別名、「別所万歳」という呼び 方をします。今でも三河万歳というよりも別所万歳、それから私たちの隣に西尾市がありますけ ども、西尾の三河万歳は「森下万歳」。森下万歳や別所万歳のような呼び方をされる方が今でも お見えになります。そして玄海法師の後を継いだ大行日吉法印というお坊さんが安祥松平家に仕 えまして、戦場に赴く時に矢除けの祈祷、または戦勝祈願をして送り出したと、そして万歳師の 一党を統率したといわれております。そして江戸時代になります、徳川家康もこれらの万歳師を 寵愛しまして、一向一揆の際には各地に万歳師を巡回させてその様子を探らせたなどという説も 安城市歴史博物館のほうには残っております。その後に徳川家康はその功を賞して関東17か国 の勧化巡回を許し、関所通行ご免のお墨付きを与えました。家康は天下を統一しますと、どうし ても武士の世界というのは殺伐な気分になりがちだということで武士の気持ちを和らげるため に、万歳が良いのではないか、自分の生まれた三河が発祥の三河万歳がいいのではないかという ことで、私達万歳師に名字、帯刀を許し、武家風の大紋を付けさせまして江戸城や大名屋敷の座 敷に参入を許す格式を与えました。
今ここに少し画面が小さいですがお分かりいただけますでしょうか、右側におりますのが太夫 ですね。大紋を着て長袴でおります。そして刀を差しております。少し見にくいでしょうか、先 ほど私は右手に笏を持ちましたけども、この時代は扇の一種の中啓を右手に持っております。特 に元旦の早朝、卯の刻(午前5〜7時)の江戸城開門の儀式の際には、万歳師が門の外より「鍵 いらず戸ざさる御代の明けの春」と唱えますと、門の中より「思わず腰を伸ばす海老錠」と応え てめでたく城の門が開くのが例となっていたということであります。江戸時代に三河の万歳師た ちは正月に江戸へ出掛けます。そして三河と縁のある武家などを回るようになりました。毎年決 まった御家に行くわけです。ずっと万歳が行きます。三河の出身の武士の処に行きます。これを 旦那場と呼ぶようになりました。旦那様って言いますね。旦那場というようになりました。江戸 時代後半の万歳の多くは、家々の門や玄関で舞う「門付万歳」というものでしたけども、私たち 三河万歳は旦那場で舞う「座敷万歳」をすることが特徴でした。門付、玄関先ではやりません。
お家の中に上がります。座敷でやります。
話は少し変わりますけが、江戸時代に才蔵市があったといわれております。毎年12月28日に
江戸の日本橋南詰四日市、今の中央区の日本橋一丁目辺りだといわれておりますけども。ここに 才蔵市という市が立ちまして、万歳の太夫の相方をする才蔵ですね、才蔵を雇う市場だったとい うことです。三河万歳の場合、三河から太夫が単身で江戸に向かい、現地で才蔵を期間雇用する のが慣習となっていました。12月28日に開かれております才蔵市で、才蔵さんを選ぶわけです。
正月の間だけですね、正月が終われば太夫は三河へ帰ります。才蔵さんで雇われた人は勿論出身 の地域へ戻ります。丁度今の季節作業員と言いますか、期間工と言いますか、ちょっと似たよう な形かなという気も私達はしております。才蔵は主に下総といいます千葉県から来た農民の人達 が多かったということです。太夫さんに選ばれますと正月までの短期間に才蔵を演じる手ほどき を受けました。意気が合うように練習します、正月が終わるとそれぞれ出身地へ帰ると。そんな ようなことであったといわれております。
江戸時代から明治になりますと、近代国家を目指す明治政府は昔ながらの占いであるとか祈祷 をする万歳を禁じました。神道国教化の流れの中で廃仏毀釈運動が起り、仏教色の強い陰陽道下 にあった三河万歳は一時苦難の時代を迎えますが、その時に三河の万歳師たちは明治政府が進め ます神道の形をとり、唱える言葉や服装を神主風に変えました。先ほどご覧いただきました大紋 を着て帯刀、中啓を持っていました。
がらりと変わりまして今私が着ております、これが明治以降、神主風の衣装ということで、笏 を持っておりましたね。神主さんが持つ同じ笏であります。こういう形でやるようになりまし た。即ち国家神道の下に生きる道を求めたことにより再び明治の末期から大正にかけて万歳が非 常に盛んになりまして、正月には関東各地の旦那場を巡業するまでになりました。毎年年末にな りますと、万歳師達を乗せた「万歳列車」が三河から関東に向け出発したということです。年末 から約百箇日ですね、関東へ出掛けまして旦那場を回りまして三河に帰ってきます。ほとんどが 農民ですから田んぼを耕して田植えの準備をするという。そんな暮らしであったということであ ります。安城の三河万歳は、明治の中期以降、尾張万歳の影響を受けました福釜万歳が主流にな る時期もありました。
今映っていますのが尾張系の「御殿万歳」という万歳であります。太夫が一人、真ん中におり ます。そして左右に才蔵が、この写真では六名おりますけども才蔵が二人、四人、六人と扇形に 並びます。これが「御殿万歳」といわれるものであります。
次に「三曲万歳」といいます、こちらも尾張のほうから先ほどの御殿万歳と同じく伝わってき たものであります。三味線に胡弓、小鼓の三つの鳴り物(楽器)を使いまして歌舞伎の「忠臣蔵 三段目」であるとか「神崎東下り」などを万歳風に面白く演じております。今も私達は「御殿万 歳」「三曲万歳」ともに演じています。
時代は昭和に入りまして昭和42年、「安城の三河万歳保存会」が発足しました。昭和45年に三 河万歳の正統を継承します、別所町出身で茨城県に住んでみえました若杉流の万歳ですね。三河 万歳の若杉流ですけども、若杉さんより神道三河万歳を伝授されました。それが今ご覧いただい た万歳であります。これが三河万歳の正統の三河万歳というものであります。昭和50年、愛知 県指定民俗無形文化財、さらに平成7年に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。伝承 演目と致しましては「三羽鶴の舞」「七草の舞」「天の岩戸開きの舞」先ほど画面に出ておりまし た尾張系の「御殿万歳」「三曲万歳」、全て私たち保存会が伝承して後継者に伝えています。
この写真の「第30回国民文化祭・かごしま2015」が鹿児島で今年行われました。11月15日の 閉会式に第31回開催県が愛知県ということで、大会旗の引き継ぎ式に愛知県の伝統芸能紹介で
三河万歳を参加させていただきました。閉会式の舞台で公演させていただいた写真です。先ほど 言いました大紋に刀を差しておりますね、そして右手には中啓を持っております。次に同じくそ の時の才蔵であります。先ほど私の相方を務めました廣村でございます。このような衣装でやら せていただきました、場所とか舞台によりましてはこの衣装を今でも使っております。
次に私たち三河万歳保存会のことについてお話させていただきます。まず最初に私たち保存会 結成の目的と活動状況でございます。先ほども少し述べましたが私達の安城市の福釜、榎前地区 の人たちを中心に明治から大正、昭和にかけて三河に入ってきました尾張系の御殿万歳である
「七福神の舞」「三曲万歳」が舞われておりました。安城市に伝わる三河万歳の後継者を育て伝え ていくには、どうしても一つの組織と言いますか、会を作る必要があるということで昭和42年 20名弱で保存会が結成されました。保存会が出来た当時は今のように色々な娯楽もありません でした。無かったことはないですね、少なかったですね。特にこの地区は安城でも農村部のほう でした、農作業が暇な時(農閑期)そして昼間は農作業をやりますけども、夜間、空いた時間を 利用して皆で集まって鼓の叩き方、喋り方ということで万歳の練習をしておりました。そして少 しずつ色々な所から、万歳やってるならやってもらえんかなというような話がくるようになりま した。頼まれて農作業の空いた時期とかに万歳をやりに出掛けておりました。保存会が出来まし て約50年近く経ちます、保存会員28名です。やっと8名増えました、勿論その発足当時の20名 の方は残ってみえる方はもう5、6人です。それ以外の方は新しい人で、新しく入られてもやは りどうしても足腰が痛くて立ったり座ったりがえらいよとか、声が出にくいよということで辞め られる方もありまして、出たり入ったりで現在28名の保存会員で活動をさせていただいており ます。今ですと台本だとかCDだとかDVDだとか色々な映像とか色んな物があります。記録に も残っております、そういう物を見て、覚えたり練習することは出来ます。保存会ができた時は 何も無かったですね。まず台本から作りました。台本作って録音するのも昔のテープレコーダー に録音するという。私が保存会に入りまして45年になりますけども、私が入った時も台本だけ はありましたが映像とかはありませんでした。先輩たちがやられるのを見て覚えました、必死で したね。普通の音楽、歌と違いまして楽譜はありません。先輩がやるのを聞いて自分も声、節と 言いますか、声を出してみる。何かちょっとおかしいな、合わないなということで何回も繰り返 すばかりでしたね。そういうことで覚えました。現在は先程も言いましたがCDとかDVDとか あります、私たちの覚えた時と比べまして今のほうが覚えやすいですが、なかなか保存会員が増 えません。
次に私達の保存会の活動状況を紹介します。毎月定期的に保存会の練習場で練習をしておりま す。現在安城市内の小学校、中学校、高校と四ヶ所の学校に郷土芸能クラブなどのクラブがあり ます。そこのクラブ活動に私たち保存会から定期的に行きまして一緒に練習したり教えたりとい う、その様な活動をしております。その他に安城市内はもちろんのこと、市外の色々な行事等に 参加させていただいております。先程も少し紹介させていただきましたが、先月は金沢で全国の 万歳6団体、加賀万歳、越前万歳、伊予万歳、尾張万歳、伊勢万歳、三河万歳、この6つの団体 が集まりまして「全国古典万歳大会」が行われました。鹿児島県の「国民文化祭」の閉会式にも 参加させていただきました。そしてもう随分前になりますが、アメリカ、オーストラリア、メキ シコと海外公演もさせていただいております。
次に保存と伝承についてお話させていただきます。先程と重複する部分もあるかと思います。
国或いは県の指定を受ける為に安城発祥の正統な三河万歳、別所万歳を習得伝承する必要があっ
た為に、別所出身の茨城県在住の若杉さん親子のところに行きまして、教えを願って伝授されま した。その時の太夫名が若杉喜利太夫です。最初の紹介の際に出ました、三代目若杉喜利太夫と いいます。若杉さんはもう16代目、17代目です、教えていただいて正式に伝承したということ で太夫名をいただきました。若杉喜利太夫でございます。私がその三代目ということで三代目若 杉喜利太夫という名前を使わせていただいております。国の指定を受けて嬉しい反面、その次の 時代の人、次の人に伝えていく、教えていく責任感ですね、もう毎日試行錯誤です。どうしたら 保存会員が多くなるだろうか、どうしたら上手く伝わるだろうか、そればかりを毎日考えている ような状態です。
尾張系の「御殿万歳」と三河万歳「別所万歳」の一番の違いは、三河万歳は太夫1人に才蔵1 人に対し、御殿万歳は太夫1人に才蔵2〜6名で演ずることです。御殿万歳は扇形に並んで演じ ます、舞台芸の面が大きいのに対し、三河万歳は訪問芸の面が大きく、お家の座敷に上がり祝詞 をあげ、場所によりましては頭を下げますと御覧になる客様の膝の上に頭が触ってしまいそう、
そんな近くで演ずることもあります。2人でやります太夫と才蔵の呼吸が合いますと、勿論台本 があって台本のようにやりますが、臨機応変に時間も変えますし喋ることも変えましてアドリブ がいっぱい出てきます。それがこの三河万歳です。2人でやる。それが利点と言いますか、7人 でやります御殿万歳は太夫1人に才蔵が何人かおりますので、そんなことをやりますとバラバラ になりますけども。三河万歳は2人で演じます。三河万歳は太夫と才蔵の2人ですので場所、お 客様の反応を見まして色々変えます。特に旦那場に行きまして正月に何十軒も回る時には正直な 話、しっかりとやっておりますと一日に限られるんですね、回れる軒数が。ですからお客さんの 反応を見まして飛ばしたりということもあります。それと中には、毎年にもう万歳師さんが三河 から関東へ来ているから、今日位は我が家にも来る日だよっていう時でもそこのお宅に用事が出 来ることがあるんですね。そうしますとそこのお家は留守なんです。留守ですけども、ちゃんと 床の間に三宝が有る。その上にお米が入った升が載り、御祝儀が載っています。万歳さんは留守 でも御邪魔します、座敷に上がり神棚へお参りして祝詞をあげて、そして万歳を舞って、お米と か御祝儀をいただき代わりに今年の御札を三宝に載せ、来年も来ますよということで帰ります。
そんな旦那場という、毎年決まって行く所ですからね。そういう繋がりがあったということで す。
万歳は祝福芸です、皆様に笑顔と大きな声で福を届けに来ましたよ今年も来ましたよと、話し かけます。万歳をやる私達、自分が演じていまして、こうワクワクする、そんな乗ってきた万 歳、そんなワクワクする気持ちで演じませんと見ていて下さる皆さんに気持ちが伝わりません。
まず自分が楽しむこと。何でもそうでしょうけどね、趣味もそうですよね。自分が楽しまなけれ ばね、万歳も一緒なんです。自分がワクワク楽しい、それを皆さんにわけて与えてあげる、そん な気持ちでやっております。昔と違い色々な娯楽がたくさんあります、若い人は特に色んな娯楽 があります。小学校とか中学校とか高校で万歳を3年間とか学びましても、なかなかそれを続け るということが難しい、分かります。自分達もそうだと思います、今だったら。特に難しい言葉 で覚える、楽譜が無いとかそんなことありますか。万歳を一寸やってみたいなと思う人はなかな かみえません。しかし学校のクラブ活動で経験した、子どもの時に経験したことがある。そうし ますとその人達が大人になってと言いますか、大きくなって、チョット何か一つ会社で隠し芸が ほしいなとか、何か趣味がほしいなとか、それから自分の子供が学校のクラブ活動でまた万歳入 ったら、そんなような時にまた思い出す。自分もやってみようかなと、そんなことを期待して私
達は皆さんに子供さんたちに万歳を教えています。また皆さんがそう思って貰う為には、私達保 存会員が何時も一生懸命笑顔、一生懸命大きな声で福を与えに来ましたよという、その気持ちを 伝える。舞台で格好良く演じることで子供たちが見ている。格好いいな、チョット自分もやって みたいな。そんな気持ちを子供たちが持ってくれたらと思っております。皆さん笑顔、笑顔、笑 顔です。笑顔は自分も周りの人も皆幸せな気持ちにさせます。
私は最初に言いましたけども69歳です。どうでしょう、69歳に見えますでしょうか。73に見 えるとかそういうことは言わないで下さい。ここで69、嘘でしょう、59でしょうって言われる かなと期待したんですが、ちょっと無理かも知れませんけど。少しは若く見えるかと思います。
万歳やっているおかげです。笑顔で腹から声を出します。お腹がすきます、ご飯が美味しく食べ ることが出来ます。皆さんの前で万歳をします、背中や腰が曲がっていては格好が悪い、姿勢が 自然と良くなります。ということで、やはり肌もつやつやしております。皆さんの前で話する 時、何をやる時でも皆さんの前に立つこと、やっぱり姿勢が良くなります。それが若さの秘訣だ と思います。
まとまりの無い話ばかりでした。今日の万歳にはちょっと出てきませんでしたけど、昔から言 いますよね。鶴は千年、亀は万年という言葉があります。今日この席にお越しいただきました皆 さん、そしてご家族の皆さん、愛知大学、豊橋市、日本、いや世界、鶴にも亀にもまして千年、
万年もご健康でご発展されますことをお祈り致しております。ありがとうございました。