佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 三 四
佛
頂
尊
勝
陀
羅
尼
経
諸
傳
の
研
究
干
潟
龍
祥
一、 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 の 諸 傳 二、 杜 行 顕 諜 と 佛 陀 波 利 課 と 地 婆 訂 羅 諜 と に つ い て 三、 ・ 法 隆 寺 貝 葉 梵 本 に つ い て 四、 其 の 他 の 諸 本 に つ い て 五、 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 常 用 本 の 和 課 一、 奪 勝 陀 羅 尼 経 の 諸 傳 奪 勝 陀 羅 尼、 奪 勝 陀 羅 尼 経、 そ の 儀 軌 等 で 現 在 ま で 傳 へ ら れ て 居 る も の は 頗 る 多 種 あ つ て、 既 に 明 治 四 十 五 年 四 月、 糞 行 の 雑 誌 ﹁ 密 教 ﹂ 第 ニ ノ 玉 に 荻 原 雲 來 先 生 が そ の 多 く を 墾 げ て 居 ら れ る が、 猫 多 少 洩 れ て 居 る も の も あ る か ら、 そ れ ら を 補 つ て、 予 は 左 に 覗 在 予 の 知 る 限 り を 列 墾 す る。 而 し て 列 墾 に 當 つ て 一 塞 そ の 類 別 を し て 見 る 必 要 が あ る。 そ の 類 別 の 標 準 は 嘗 て 荻 原 先 生 の 爲 さ れ た 如 く 主 と し て そ の 陀 羅 尼 の 長 短 性 質 に 依 る が、 し か し 中 に は 陀 羅 尼 を 存 し な い も の も あ り (表 中、 ホ )、 又 陀 羅 尼 の み は 異 る も、 そ の 他 の 文 は 大 腱 他 と 合 す る と い ふ 如 き 場 合 も あ り (表 中 11 )、 故 に 全 然 陀 羅 尼 の み に 依 る と い ふ こ と も 出 來 な い が、 大 膿 は 陀 羅 尼 に 依 つ た。 か く て 甲 類 と 乙 類 と に 大 別 せ ら れ る。 乙 類 は 甲 類 に 比 し て そ の 陀 羅 尼 は 頗 る 長 く な つ て 居 る、 し か も そ は 主 と し て 密 教 的 特 殊 語 が 多 く な つ て 居 る こ と や (例om bhrm)相 似 た る 語 の く り か へ し が 多 く な つ て 居 る こ と に 依 る の で あ つ て、 根 本 の 趣 旨 に は 大 差 は な い。 甲 類 は 乙 類 に 比 し そ の 陀 羅 尼 は 比 較 的 簡 短 で あ る が、 叉 そ の 中 に も 二 種 を 分 つ こ と が 出 來 る。 表 中 数 字 を 冠 し た る を 第 一 種 と し、 假 名 を 冠 し た る を 第 二 種 と す る。 第 一 種 の 方 は 頗 る 原 始 的 で 簡 輩 で あ る が、 第 二 種 の 方 は や ゝ 長 く な つ て 來 て 居 る、 我 が 眞 言 宗 な ど で 普 通 諦 せ ら れ る も の は こ の 第 二 種 の 方 の も の で あ る が、 古 く 日 本 に 入 っ え の は 天 李 爲 経 の も の に し て も 弘 法 大 師 の 三 十 帖 策 子 本 に し て も 皆 第 一 種 の 方 で あ る。 さ て 列 墾 に 當 つ て は 甲 類 乙 類 各 別 に 墾 げ、 甲 類 の 方 は 第 一 種 第 二 種 を 別 に せ す、 何 れ も 大 禮 そ の 麟 課 又 は 傳 書 の 年 代 順 に 配 し た。 而 し て 便 宜 上 略 號 と、 大 正 藏 縄 の 番 號 と を 上 に 入 れ て お く。 (年 次 は 便 宜 上 西 暦 年 を 出 し た ) 甲 類 一略 號 大 正 一藏 ・名 曲灘 者 刀く ハ ⋮傳 者 西 麻 屑 1 (杜 ) 九 六 八 佛 頂 奪 ・勝 陀 羅 尼 純 杜 行 顕 鐸 (六 七 九 ) 1 1 ( 地 ) 九 六 九 佛 頂 最 勝 陀 羅 尼 経 地 婆 詞 羅 繹 ( 六 八 二 ) 2 (佛 ) 宋 明 九 六 七 佛 頂 奪 ・勝 陀 羅 尼 経 佛 陀 波 利 鐸 (六 八 三 ) 2 5 ( 地 ) 九 七 〇 最 勝 佛 頂 陀 羅 尼 浮 除 業 障 発冗 経 地 婆 詞 羅 課 ( 六 八 七 ) 4 ( 義 ) 九 七 ) 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 経 義 漂 課 (七 一 〇 ) 口 (善 ) 九 七 三 奪 勝 佛 頂 脩 ・瑠 伽 法 軌 儀 (傳 ) 善 無 畏 繹 21 ( 天 ) ( 天 不 爲 僻. 畿、 佛 陀 波 刺 澤 本 ) (七 三 九 爲 ) 1 ( 同 上 巻 末 附、 陀 羅 尼 別 翻 ) ( 六 八 四 翻、 七 三 九 爲 ) 佛 頂 律 勝 陀 羅 尼 絶 諸 傳 の 研 究 三 五
佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 三 六 6 ( 不 ) 九 七 二 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 念 諦 儀 軌 法 不 塞 鐸 ( 七 六 四-七 七 四 ) 2 (崇 疏 ) 玉 八 〇 三 ( 佛 頂 箪 勝 陀 羅 尼 纏 教 跡 義 中 陀 羅 尼 ) 法 崇 (七 七 五 ) 7 (中 亜 梵 ) ( 中 亜 嬢 掘、 律 勝 陀 羅 尼 梵 文、Stein, ch. 0041) ( 不 詳 ) 5 (法 隆 梵 ) ( 法 隆 寺 貝 葉、 奪 勝 陀 羅 尼 梵 文 ). ( 不 詳 ) ホ (若 ) 九 七 四、 F 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 別 法 若 那 繹 (八 〇 五 ) 創 (弘 策 ) ( 三 十 帖 策 子、 註 奪 勝 陀 羅 尼、 弘 法 大 師 爲 ) (八 〇 四 -八 〇 六 ) 6 ( 弘 不 ) ( 三 十 帖 策 子、 不 塞 澤 奪 勝 儀 軌、 弘 法 大 師 爲 ) (同) イ ( 弘 梵 ) ( 傳 弘 法 大 師 請 來、 梵 文 奪 勝 陀 羅 尼、 梵 字 眞 言 集 中 ) ( 不 群 ) 倉 8 (注 ) 加 七 四、 D 佛 頂 隼 勝 陀 羅 尼 注 義 ( 不 詳 ) ハ ( 加 ) 九 七 四、 C 加 句 需 盗験 い佛 頂 律 罵隙 脚陀 羅 尼 ( 不 詳 ) 副 ( 不 石 ) ( 不 塞 課 本 陀 羅 尼 石 刻 ) ( 梵 漢 ) ( 不 詳 ) 剖 (志 梵 ) ( 曾 志 妙 石 刻、 梵 文 ) ( 一 一 〇 七 刻 ) ヘ ( 亭 安 爲 ) 九 七 四、 E 佛 頂 奪 勝勝 陀 四維 尼 眞 言 ( 串 安 時 代 爲、 東 寺 三 密 藏 本 ) ロ (九 六 七 中 ) ( 佛 陀 波 利 課 本 高 麗 本 陀 羅 尼 ) ( 一一 二 五 一 以 前 ) ニ (具 足 ) 九 七 四、 c、 末 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 加 字 具 足 本 ( 不 詳 ) ト ( 弘 七 佛 ) 九 七 四、 B 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 (梵、 漢 ) (傳、 弘 法 大 師 所 傳 ) (一 一 九 一 以 前 )
ニ (淺 梵 ) (淺 草 寺 石 刻 ) 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 (梵 本 ) 乙 類 1 a ( 法 ) 九 七 四、 A 最 勝 佛 頂 陀 羅 尼 縄 法 天 鐸 (九 七 三-一 〇 〇一 ) 2 b ( 法 ) 九 七 八 玉 切 如. 來 烏 麸 賦 沙 最 勝 総 持 経 法 天 諜 ( 同 右 ) b ( ネ パ ー ル 梵 本 )
Csnisavi (Asiatic Scuety's Libry, Bengal, No. 79)
c ( 西 藏 所 傳、 東 北 帝 大 目 録、 五 九 七、 九 八 四 ) d ( 西 藏 班 傳、 東 北 帝 大 目 録 五 九 四、 五 九 五、 五 九 六、 五 九 八 ) e ( 法 護 ) 華 梵 加 句 露 験 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 法 護 鐸 ( 一 〇 五 八 以 前 ) f (鍮 ) 一 三 二 〇 ( 喩 伽 集 要 焔 口 施 食 儀 中 陀 羅 尼 ) (不 詳 ) g ( 居 壁 ) ( 居 庸 關 内 壁 刻 文、 梵、 漢、 藏、 回 乞 文、 奪 勝 陀 羅 尼 ) ( 一 三 四 五 刻 ) h (指 ) 九 七 九 干 麸 提 沙 毘 左 野 陀 羅 尼 指 空 課 ( 一 三 六 二 ) 耐 (支 梵 ) ( 支 那 出 版 梵 文 佛 典 集 中 ) (不 詳 ) ( 以 上 の 中、 5、6'、 e、b'、
はAnecdot Oxonensia Series, Vol.
I. part III に あ り gは ﹁ 密 一教 ﹂第 三 ノ 一 (大 正 二 年 四 月 ) に 寺 本 氏 論 丈 中 に 見 ゆ。 ) 以 上 の 中 で、 甲 類 第 一 種 の 中 で は (佛 ) 宋、 明、 が 最 も 流 行 し た と 思 は れ る こ と は 銑 に ( 地 )、 ( 義 )、 ( 不 ) 等、 相 つ い で 醗 澤 が 幽 た に も か 混 は ら ず、 法 崇 の 疏 は こ の (佛 ) に 凱 す る も の で あ る こ と に よ り て も わ か る。 又、 其 の 後 支 那 に て は 佛 頂 律 ・勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 三 七
佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 三 八 不 室 澤 が 重 ん ぜ ら れ た こ と は 石 刻 文 に 屡 々 こ れ あ る に よ り て 知 り 得 る が、 し か し 日 本 に 於 て は 第 二 種 の 中 の 加 字 具 足 本 が 傳 へ ら れ て か ら は 全 く こ れ を 用 ひ て 居 る。 又 乙 類 の 方 で は 陀 羅 尼 に つ い て 見 る 時 は 法 天 課 第 二 の も の の そ れ は そ の 後 の 諸 傳 の も の に 最 近 い か ら こ れ を 以 て。 代 表 せ し め 得 る で あ ら う。 そ こ で 予 は 左 に 論 を 進 め る 便 宜 上 甲 類 第 二 の 代 表 と し て (佛 )、 第 二 種 代 表 と し て 具 足 本、 乙 類 の 代 表 と し て 法 天 第 二 鐸 の も の の 陀 羅 尼 を 梵 文 に 還 元 し て 左 に 封 照 せ し め る こ と ゝ す る。 2 ( 法2 ) 二 (貝 栖 ) b(薯崇温)
佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 三 九
佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 〇 先 き に 塞 げ 九 所 に よ り 知 ら れ る 如 く、 梵 文 に て も 数 多 く 残 つ て 居 る の で あ る か ら、 今 更 漢 音 爲 よ り 梵 文 に 還 元 す る が 如 き 必 要 は な い と も 云 へ や う が、 實 際 に 於 て、 現 存 す る 梵 文 の も の は 何 れ も 後 世 の も の で、 直 接 印 度 入 の 手 に よ つ て 書 か れ た も の と て は た 法 隆 寺 貝 葉 本 位 で あ り、 そ れ す ら 學 者 が 自 ら 書 い た の で は な く 書 爲 生 に 書 爲 せ し め た も の の 如 く で、 從 つ て 二 一 三 爲 誤 か と 思 は れ る 班 が あ る 程 で あ る か ら、 況 ん や 他 は 支 那 又 は 日 本 人 が、 梵 語 を よ く 知 ら す し て、 却 つ て 漢 音 爲 字 の 獲 音 の 方 に 慣 ら さ れ て か ら 梵 文 に し た と 思 は れ る の が あ つ て、 過 誤 が 少 か ら す あ る。 そ れ よ り
は 古 き 漢 音 爲 か ら 直 接 に 還 元 し た も の の 方 が 却 つ て 正 し き 梵 文 を 得 る か ら で あ る。 予 が 右 に 出 し た 梵 文 を 基 本 と し て、 且 予 の 附 し た 番 號 を た よ り に 三 十 蝕 の 各 経 の 陀 羅 尼 を 比 較 し て 見 れ ば、 自 ら 其 の 出 入 乃 至 憂 遷 の 跡 を 知 り 得 る か ら、 予 は こ に 其 の 玉 々 を 墾 げ る こ と を 省 略 し て 直 ち に 問 題 の 存 す る も の に つ い て の み 左 に 究 明 す る こ と ゝ す る。 二、 杜 行 頻 課 と 佛 陀 波 利 課 と 地 婆 詞 羅 課 と に つ い て 佛 陀 波 利 繹 本 の 初 め に 序 文 が あ る、 そ れ に ょ れ ば、 こ の 陀 羅 尼 経 を 支 那 に 齎 ら し た の は 佛 陀 波 利 で あ つ て、 そ れ は 永 淳 二 年 (六 八 三 ) で あ り、 時 の 帝 は、 口 照 三 藏 及 杜 行 顎 等 に 命 じ て 課 せ し め 匹 然 る に 帝 は こ れ を 宮 廷 内 に 留 め 世 間 に 流 布 せ し め な か つ た の で、 波 利 は 大 に 悲 泣 し 経 本 を 還 さ ん こ と を 講 う た。 そ こ で 梵 本 の み を 還 し 與 へ た か ら、 波 利 は 最 明 寺 に 行 き、 漢 僧 順 貞 と 共 に 課 し 弛 ( こ れ が 佛 陀 波 利 諜 本 )。 垂 撲 三 年 ( 六 八 七 ) 僧 志 静 な る 者、 日 照 三 藏 に 會 ひ 三 藏 よ り こ の 兇 を 口 授 さ れ、 後 更 に 奮 梵 本 を 取 り て 勘 更 改 定 し た。 今 佛 陀 波 利 本 中 の ﹁ 初 註 云 最 後 別 翻 者 是 也 ﹂ と ( こ の 別 翻 ば (3) 今 の 麗 本 に ぱ 勿 論 無 く 宋 明 本 に も な い が、 天 挙 爲 維 に ば 明 に 巻 末 に 附 し て あ る、 天 李 爲 終 の 償 値 ば こ に も 大 に 認 め ら れ る。) こ れ に よ れ ば (杜 ) と(佛 ) と は 全 く 同 玉 原 本 で、 佛 陀 波 利 が 將 來 し た も の で、 課 年 は 爾 方 共 永 淳 二 年 (六 八 三 ) の 如 く に 見 へ る。 然 る に 實 際 は 必 す し も 然 り と は い へ な い 如 く で あ る。 麟、 此 の 経 の 正 宗 分 と も い ふ べ き 部 分、 郎、 三 十 三 天 で 善 住 天 子 が 出 て 來 る 所 以 下 は 雨 澤 大 罷 合 致 し、 陀 羅 尼 も 小 異 は あ る が 大 罷 は 合 す る が、 初 め の 序 文 に 當 る 所 は 全 く 1 2 異 つ て 居 る。 大 艦 卑 勝 陀 羅 尼 経 の 序 分 を 大 別 す れ ば 二 類 に な り、 (杜 ) (地 ) ( 地 ) は 一 類 を な し、 こ れ は 大 比 丘 衆 八 千 入、 菩 薩 三 萬 二 千 入 と す る 型 の も の で、 他 は (佛 ) 及 (義 ) の も の で、 こ れ は 大 比 丘 衆 千 二 百 五 十 人、 著 薩 萬 二 千 入 と す る 型 の 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 一
佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 二 も の で あ る。 (佛 ) と (杜 ) と は 同 足 原 本 と い ひ な が ら 序 分 の 所 は 明 に 異 本 で あ る 冷 こ れ が 一 つ の 問 題 で あ る。 次 に、 (佛 ) の 経 序 に は 日 照 三 藏 (地 婆 討 羅 ) 及 杜 行 顎 等 に 共 に 課 さ し た と あ つ て、 雨 人 共 澤 の 如 く、 (地 ) と (杜 ) と を 別 出 し な い、 然 1 る に 現 在 明 に (杜 ) の 外 に (地 ) が あ り、 又、 こ れ に は そ の 澤 場 に 列 し 九 沙 門 彦 檬 の 序 が 附 し て あ り、 課 の 由 來 を 詳 記 し て 居 り、 し か も こ れ は 永 淳 元 年 (六 八 二 ) 五 月 二 十 三 日 の 日 附 で あ る か ら、 澤 も そ の 直 前 に 出 來 弛 も の と 見 な け れ ば な ら ぬ。 こ ゝ で 第 一、 前 の 序 と こ の 序 と で 澤 年 が 異 り、 第 二 に こ の 彦 綜 の 序 に は 佛 陀 波 利 將 來 の こ と を 一 言 も せ す、 たゝ 儀 鳳 四 年 ( 六 七 九 ) 正 月 五 日 杜 行 顕 が 度 婆 等 と 共 に 課 す、 時 に 庸 誰 國 誰 が 有 つ た 爲 に、 世、 勢 等 の 字 を 避 け て、 世 奪 を 聖 卑 と し 大 勢 を 大 趣 と す る 等、 其 の 他 文 章 不 備 の 鮎 あ り、 杜 は 訂 正 し た き 意 志 あ り し も 果 さ す し て 死 す、 そ こ で 彦 綜 が そ の 逡 志 を 縫 ぎ、 地 婆 河 羅 及 道 成 等 十 人 を 請 ひ 改 課 し た と い ふ の で あ る。 こ れ に よ れ ば 杜 が 繹 し た の は 儀 鳳 四 年 で、 そ れ を 地 婆 詞 羅 等 が 永 淳 元 年 に 改 澤 し た の で あ る。 故 に ( 杜 ) と ( 地 ) と 雨 方 現 存 す る こ と は 不 思 議 で な く、 又 澤 年 に つ い て ぼ (4) 澤 に 實 際 た つ さ は つ た 彦 綜 の 言 の 方 が 何 人 が 書 い た か 不 明 な る (佛 ) の 純 序 よ り は 信 ぜ ら れ る で あ ら う。 たゝ 彦 綜 は 繹 の 請 來 者 の 名 を 墓 げ て 居 ら ぬ の は 遺 憾 で あ る が、 こ れ は 恐 ら く 佛 陀 波 利 が 持 つ て 來 た も の で あ ら う。 杜 行 顎 は 支 那 人 で、 別 に 経 を 將 來 し た と は 何 れ の 傳 を 見 て も 考 へ ら れ な い、 故 に 経 の 將 來 者 は 杜 以 外 の 人 で な け ね ば な ら ぬ か ら、 然 ら ば 他 の 傳 の 如 く 佛 陀 波 利 に 蹄 す る が 穏 當 で あ ら う。 か く て 先 き の (佛 ) の 序 と こ の 彦 腺 の 序 と を 併 せ て 考 ふ る に、 佛 陀 波 利 が 儀 鳳 四 年 (六 七 九 ) 以 前 に 請 來 し て、 そ れ を 杜 が 儀 鳳 四 年 正 月 に 澤 し、 次 に 地 婆 討 羅。 か 永 淳 元 年 ( 六 八 二 ) に 鐸 も た が、 何 れ も 宮 廷 内 に 留 め ら れ た か ら、 佛 陀 波 利 は そ の 原 本 の 返 却 を 請 ひ、 自 ら 順 貞 等 と 共 に 澤 し た。 こ れ が 永 淳 一 玉 年 (六 八 三 ) と い ふ こ と に な る の で あ る。 翻 澤 年 時 に つ い て は こ れ で 一 塞 決 定 し た。
し か し 原 本 同 異 の 問 題 は 未 だ 解 決 さ れ て は 居 な い。 先 に 言 へ る 如 く、 (佛 ) と (杜 ) と は 少 く も 序 分 の 部 で は 異 本 で あ 1 1 る。 然 る に、 (杜 ) と (地 ) と は 序 分 も 其 の 他 全 禮 も よ く 合 す る。 た 陀 羅 尼 は ( 地 ) の 院 羅 尼 は 一 種 特 別 の 虚 が あ る が、 こ 1 れ に つ い て は 後 に 述 べ る。 そ の 他 は 全 罷 よ く 合 し て 居 る か ら 明 に ( 地 ) は (杜 ) の 改 課 と 見 て い ゝ。 故 に 問 題 は 何 故 に (佛 ) 1 2 と (杜 ) 又 は (地 ) と が 序 分 の み 異 る か に あ る。 こ れ を 勘 考 す る に 當 つ て は、 次 の ( 地 ) に つ い て 考 へ て 見 る 必 要 が あ る。 2 1 ( 地 ) は ( 地 ) 等 と 大 艦 同 じ で あ る が、 たゝ 善 住 の 前 生 話 等 今 迄 の も の に 無 き も の が 加 つ て 居 る 爲 に 長 く な つ て 居 る の で 1 あ る。 こ れ は 明 に 異 本 で あ る こ と は わ か る が、 今 そ の 序 分 を 見 る に 先 き に 云 へ る 如 く (地 ) や ( 杜 ) と 同 じ で あ つ て、 (佛 ) や 2 (義 ) と は 異 る 型 の も の で あ る。 而 し て、 こ の (地 ) の 原 本 は 恐 ら く 地 婆 討 羅 自 身 將 來 し た も の で あ ら う。 彼 は こ れ ま で に 大 乗 顯 識 経 等 十 餓 部 を 課 し て 居 る が 昏 何 れ も 彼 自 身 將 來 の 本 と 思 は れ る か ら、 そ の 多 く の 將 來 本 中 に こ の も の も 三 部 あ つ て、 そ れ を 最 後 に 鐸 し た の で あ ら う。 而 し て 最 初 杜 が 課 す る 時 に も 關 與 し た で あ ら う こ と は 想 像 さ れ る が、 そ の 際 に 或 は 佛 陀 波 利 將 來 本 中 の 序 分 の 所 が 自 分 の 將 來 せ る 序 分 の 部 と 合 は ざ る を 見 て、 そ こ の 所 を 自 分 の 將 來 本 に 合 す る や う 改 め て 澤 さ し た の で は な か ら う か。 又 自 分 が 後、 杜 課 を 改 澤 す る 時 に も、 佛 陀 波 利 本 を 澤 す る の で は あ る が、 そ の 序 分 の 所 だ け は 自 分 の 所 持 本 と 明 に 異 る か ら、 そ こ の み は 自 分 の 所 持 本 に 合 す る や う に 改 め て 澤 し た も の で あ ら う、 も し 然 ら す ば 佛 陀 波 利 が 二 本 將 來 し た か、 又 は 地 婆 詞 羅 が 二 本 將 來 し た か で な け ね ば な ら ぬ が、 何 れ の 傳 に も 二 1 本 將 來 し た と 考 へ ら る べ き 記 事 は な い。 故 に (佛 ) と (杜 ) 及 (地 ) と の 序 分 の み 異 る 貼 は 以 上 の 如 く 考 へ ね ば 解 繹 が つ か な い で あ ら う。 (佛 ) の 経 序 に、 杜 行 顕 と 地 婆 詞 羅 の 澤 本 は 宮 廷 内 に 留 め て 世 間 へ 出 さ な か つ た、 佛 陀 波 利 が 請 う た 時 も、 1 梵 本 の み を 還 し て 課 本 の 方 は 廷 内 に 留 め た と あ る は、 そ の 事 實 は 別 と し て、 原 本 と ( 杜 ) 及 (地 ) と が 合 は な い 所 が あ る こ 佛 頂 隼 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 三
佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 四 と が わ か つ て 居 九 か ら、 原 本 と 課 本 と を 揃 へ て 見 せ る こ と を 嫌 つ た こ と の あ る を 暗 示 す る も の で は な か ら う か。, 1 最 後 に 残 さ れ た 問 題 は (地 ) の 陀 羅 尼 に は 他 の 何 れ と も 合 は な い 文 句 が あ る ご と で あ る。 例 へ ば、 (ayuhsan Sodhay sodh) の 次 に 薩 婆 謁 摩 婆 羅 墾 引 禰 謎 嘘 羅 蹟 (sarvalakarmavaran me roruva) と あ り、 又、 次 に (usnisa) と (vijaya) と の 次 に 蹟 羅 掲 羅 恒 那 (vararatna) と あ り、vijavaの 次 に 蓬 摩 駄 都 蘇 (dharmadhatusu) と あ る、 こ れ ら は 全 く 他 の 何 れ に も 見 ら れ な い も の で あ る が、 如 何 に し て し か る か、 こ れ は 原 本 に 然 あ つ た と は 思 は れ な い、 ( あ つ れ と す れ ば 明 に 佛 陀 彼 利 本 と 合 ば な い こ と に な る し、 叉、 か、 る 何 れ の 傳 に も な い も の が あ る の ば 原 本 ら し く な い。 曜 こ れ は 恐 ら く 翻 繹 の 際 に 地 婆 詞 羅 自 身 が 挿 入 し た も の で あ ら う。 其 の 他 の 差 異 は 大 し た も の で は な い が、 し か も そ の 中 に は 佛 陀 波 利 の 方 で 原 文 を 誤 れ り と し て 改 め た も の も あ ら う し、 叉 後 世 第 二 種 の も の が 出 て か ら 後 人 か そ れ ら に 從 つ て 改 め た も の も あ (る の 1 で あ ら う。 か く 見 る 時 は や は り (地 ) の 原 本 は 佛 陀 波 利 將 來 本 で あ つ た と 見 る べ き で あ ら う。 1 以 上 に よ つ て ( 杜 )、 (佛 )、 (地 ) 三 繹 本 間 の 問 題 は 大 禮 解 決 し 得 九 も の と 思 ふ が、 猫 最 後 に 一 つ、 (佛 ) の 中 の 陀 羅 尼 に つ い て 二 言 せ ね ば な ら ぬ。 現 在 大 正 藏 経 中 の も の は 麗 本 を 底 本 と し た か ら 其 の 本 文 中 の 陀 羅 尼 は 宋、 明 本 の も の よ り 頗 る 異 つ て 居 て、 傳 善 無 畏 澤 本 中 の 陀 羅 尼 に よ く 似 て 贋 る か ら、 予 は こ れ を 口 と し て 刷 臨 二し 允。 こ れ は 恐 ら く 後 に 傳 善 無 畏 繹 本 等 第 二 種 に 属 す る 陀 羅維 尼 が 行 は れ る に 至 つ て か ら、 (佛 ) の こ の 陀 羅 尼 を そ れ に よ つ て 改 訂 し て、 そ れ を 麗 本 に し た も の で あ ら う。 宋、 明 本 の は 大 正 藏 経 に は 巻 末. に 別 出 し て あ る が、 こ の 方 が (佛 ) 本 來 の も の で あ る。 予 が ( 佛 ) と し て 塞 げ る 時 に は こ の 宋、 明 本 の 陀 羅 尼 を 持 つ た も の を 指 す の で あ る。 而 し て、 佛 陀 波 利 が 澤 し た 時 に は そ れ だ け で あ つ 九 の だ が、 現 在 そ の 経 序 に あ る 通 り、 垂 撲 三 年 志 静 な る も の が 日 照 三 藏 に 會 ひ、 陀 羅 尼 を 口 授 さ れ、 後 に 蒼 翻 梵
本 を 取 り て 勘 校 し た、 そ れ を 別 翻 と し て 最 後 に 附 す る こ と に し 九 と あ る か ら、 少 く も こ の 時 以 後 は こ の 別 翻 を 最 後 に 附 し た も の が あ つ た 筈 で あ る が、 先 き に い へ る 如 く、 麗 本 に は 固 よ り 無 く、 宋、 明 本 に は ﹁ 此 兇 最 後 別 翻 ﹂ と い ふ 爽 註 が あ る に も 係 ら す、 實 際 は 最 後 に 附 し て な い (大 正 藏 経 の 校 合 に 誤 り な し と ぜ ば )。 然 る に 天 卒 爲 経 に は 爽 註 は な い が、 別 翻 の 陀 羅 尼 が 最 後 に 附 し て あ る。 故 に 予 は 表 に 瑚 出 し た。 こ れ を 見 る に そ れ は (杜 ) の 陀 羅 尼 と 音 爲 の 文 字 ま で 殆 ど 合 (5) す る。 こ れ は 師、 志 静 に 地 婆 討 羅 が 授 け た の で あ つ て、 そ の 際 ( 杜 ) を 見 な が ら 授 け た か ら で あ ら う。 他 に 新 な る 資 料 の 得 ら れ な い 限 り こ の 問 題 は 以 上 の 如 く 見 る べ き で あ ら う。 三、 法 隆 寺 貝 葉 梵 本 に つ い て 現 存 す る 奪 勝 陀 羅 尼 の 梵 本 の 中 で は 何 と い つ て も 法 隆 寺 に 存 す る 貝 葉 梵 本 が 最 古 の も の で あ ら う (中 亜 撰 掘 の も の も あ る が、 こ れ ぱ 誤 脱 が か な り に 多 い か ら 票 本 に 塞 げ る わ け に 匡 い か 沁 )、 法 隆 寺 の も の は 内 容 は 別 と し て 見 て も そ の 貝 葉 そ の 字 罷 の 古 い と い ふ 鮎 か ら だ け で も 頗 る 珍 重 す べ き も の で、 既 に 阿 叉 羅 帖 に も そ の 模 爲 が 患 て 居 る が、 泰 西 の 學 者 に も 早 く よ り 知 ら れ、 印 度 古 字 膿 學 上 鋏 く べ か ら ざ る 資 料 と な つ て 居 る も の で、 從 つ て こ れ に つ い て の 解 説 は 今 よ り 五 十 蝕 年 前 ( 一 八 八 四 ) 英 の マ ッ ク ス ・ ミ ュ ラ ー 翁 と 我 が 南 條 文 雄 博 士 と に よ つ て 出 版 さ れ たAnecdota Oxoniesia
Series, vol. I. part III
に 於 て 詳 密 に な さ れ、 且、 そ の 巻 末 に は 附 録 と し てBuheler 氏 の 字 膿 學 上 よ り の 詳 論 が 附 せ ら れ て 居 り、 爾 來 こ の 僅 か 二 葉 の 貝 葉 梵 本 は 普 ね く 世 界 の 印 度 學 佛 教 學 界 に 重 き を な す に 至 つ た。 然 る に こ の 貝 葉 の 年 代 に つ い て、 從 來 東 西 の 學 者 ば 何 れ も こ れ を 以 て 六 世 紀 中 の も の と 認 め て 居 六。 ビ ュ ー ラ ー の 前 掲 論 文 に し て も 更 に 同 氏 が 一 八 九 六 年 に 出 し たIndische palaeo-graphie に し て も 然 り で あ る が、 叉 萩 原 雲 來 先 生 の 難 誌 ﹁ 密 教 ﹂ 第 ニ ノ 一 ( 明 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 五
佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 六 治 四 十 五 年 四 月) の 論 文 も 大 艦 そ れ を 認 め て 居 ら れ る。 し か も そ の 嫁 つ て 來 る 根 嫁 は 一 に こ の 貝 葉 梵 本 が 小 野 妹 子 に よ い か る が つ て 達 磨 大 師 の 袈 裟 等 と 共 に 支 那 か ら 請 來 さ れ た も の だ と い ふ 斑 鳩 便 覧 の 記 事 を そ の ま、 信 奉 し た に よ る の で あ る。 小 野 妹 子 は 推 古 帝 の 十 六 年 ( 六 〇 八 ) 支 那 よ り 鱗 り 再 度 そ の 年 出 獲 し て 翌 年 ( 六 〇 九 ) 蹄 朝 し て 居 る か ら、 妹 子 將 來 と す れ ば 六 〇 八 年 か 六 〇 九 年 で あ る が、 斑 鳩 便 覧 に よ れ ば、 ﹁ 一、 鏡、 玉、 水 瓶 二、 一、 錫 杖、 一、 淫 磨 大 師 附 屡 袈 裟、 一、 岡 鉢、 一、 律 勝 多 羅 尼 般 若 心 経 多 羅 葉 梵 書、 右 者 太 子 御 前 生 於 衡 州 南 岳 山、 恵 思 輝 師 念 輝 法 師 串、 六 生 間 御 持 物 也、 太 子 三 十 七 歳 時、 小 野 妹 子 自 大 階 國 將 來 品 也。 ﹂ と あ り、 而 し て、 こ の 便 覧 の 説 は 恐 ら く 太 子 誕 生 を 敏 蓬 帝 元 年 と 見 る の で あ ら う か ら、 さ す れ ば 三 十 七 歳 は 即 六 〇 八 年 に な る。 而 し て 達 磨 大 師 附 属 の 袈 裟 と 並 べ て あ り、 且 南 岳 山 か ら 太 子 六 生 間 の 御 持 物 と し て 將 來 し た と あ る か ら、 こ れ は 蓬 磨 以 來 南 岳 山 に 傳 は つ て 居 た も の と 推 定 し て 不 都 合 で は な く、 然 れ ば こ の 貝 葉 は 六 世 紀 中 頃 迄 に 書 か れ て あ つ 九 も の と 推 定 し 得 る に 至 つ た の で あ る。 蓬 磨 ま で 逆 上 ら し め る こ と は 別 と し て も、 小 野 妹 子 將 來 と す れ ば 少 く も 六 世 紀 終 迄 に 書 か れ て あ つ た も の と 見 て 差 支 な い わ け で あ る。 從 來 東 西 の 學 者 は そ れ に き め て し ま つ て 居 た の で あ つ て、 こ 砂 黙 に つ い て は あ ま り 疑 ひ を 持 つ 者 は な か つ 池 や う で あ る (予 の 寡 聞 の 爲 で あ ろ な ら ば 寛 恕 母ご れ れ い )。 ビ ニ ー ラ 氏 の 如 き も、 も し 右 の 傳 が な い な ら ば、 宇 艦 よ り 見 て は 八 世 紀 初 の も の と い は ざ る を 得 な い と い つ て 居 る
(An. Ox. Ary. S. I, III. p. 90.)
が、 し か も 強 い て 右 の 傳 と 合 は さ ん と し て、 刻 文 の 字 罷 よ り は 筆 爲 の 字 罷 の 方 が 早 く 進 む か ら と の 理 由 を 以 て、 こ の 法 隆 寺 梵 本 を 六 世 紀 中 の も の と 見 て 居 る の で あ る。 然 る に そ の 第 一 の 根 嫁 は 一 つ に 前 述 の 如 く 斑 鳩 便 覧 で あ る。 こ の 書 は 徳 川 時 代 の 末 (天 保 頃 ) に 壁 賢 な る 者 の 編 輯 し た も の で、 固 よ り ま ゆ つ ば も の 古 來 の 傳 に 嫁 つ た も の で、 信 愚 す べ き 箇 班 も 少 か ら す あ る が、 然 し 傳 読 の み に よ つ た 所 は か な り に 眉 唾 物 で あ る。 今 當
面 の 貝 葉 妹 子 將 來 の 傳 の 如 き も そ の 一 つ に 屡 す る。 第 玉 こ ゝ の 書 き 方 を 見 て も、 達 磨 大 師 の 袈 裟 等 と 並 べ て こ の も の を 塞 け て 居 る 貼 を 見 た 草 け で も 史 實 と し て は 問 題 だ と い ふ こ に 氣 つ か ね ば な ら ぬ が、 更 に か く の 如 き 傅 は 何 時 頃 何 庭 か ら 出 た か を 槍 す る に、 殆 ど そ の 檬 り 慮 が 見 當 ら な い。 法 隆 寺 資 財 帳 等 に は 全 然 無 き は 勿 論、 延 唇 僧 録 第 二 巻 の も の と せ ら れ る 所 の 繹 思 詫 撰 の 上 宮 皇 太 子 善 薩 傳 に も、 た 南 岳 思 輝 師 が 太 子 の 前 生 な る こ と を 傳. 漣 る の み で あ 互、 降 つ て、 (6) 李 安 朝 中 頃 ( 藤 原 猫 雪 氏 に 從 へ ば 延 喜 十 七 年 ) の 李 氏 撰 聖 徳 太 子 傳 暦 上 巻 に も、 妹 子 が 太 子 の 命 を 受 け て 衡 山 南 岳 に 法 華 経 を 取 り に 行 つ た と い ふ 傳 を 記 す も、 そ の 際 こ の 貝 葉 の こ と に つ い て は 一 言 も 燭 れ て 居 な い か ら、 此 の 頃 に も 恐 ら く ま だ こ の 貝 葉 を 妹 子 が 持 つ て 來 た と い ふ 傳 は 出 來 て 居 な か つ た の で あ ら う。 こ の 貝 葉 梵 本 の こ と ガ 初 め て 出 て 來 る の は 鎌 倉 時 代 (嘉 禎 よ り 建 長 に か け て ) に 顯 眞 と い ふ 入 の 筆 録 し 九 聖 徳 太 子 傅 私 記 亦 名 古 今 日 録 抄 な る も の で あ る。 こ れ の 上 巻 の 三 面 僧 房 の 條 下 に ﹁ 大 房 南 三 房 新 爲 三 聖 塞 院 ⋮⋮此 内 在 三 太 子 御 影 嚇 在 二 厨 子 一 脚 噛 納 二 顯 密 聖 教 画 叉 眞 言 道 具 一 具 納 之、 三 衣 ニ テ ノ 等 在 二 此 内 弔 叉 弘 法 大 師 御 筆 小 字 法 華 経 一 部 複 一 巻、 一 行 惣 書 二 十 行 刈 凡 大 師 御 筆 具 二 十 種 徳 叉 大 師 者 太 子 御 身 也、 天 竺 勝 髭、 唐 土 南 岳、 日 本 上 宮、 皆 是 弘 法 大 師 也。 詣 二 太 子 廟 堀 一 誼 二 登 光 定 一皆 是 有 ノ 歯。 故 大 師 御 筆 自 然 留 二 太 師 御 前 囎 云 々⋮⋮
叉
多
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而 し て 右 の ﹁ 叉 多 羅 葉 二 枚 ﹂ と い ふ 所 の 右 側 に 朱 字 を 以 て、 ﹁ 口 傳 云、 雨 二 此 物 一非 二 我 信 力 只 依 二 太 子 聖 跡 一 所 ノ 降 也。 故 ニ セ シ メ 安 二 此 御 殿 殉 可 ノ 奉 二 後 人 拝 見 一 云 々 ﹂ と あ り、 勿 論 こ の 朱 註 も 顯 眞 自 筆 な る こ と 史 家 の 誼 す る 班 で あ る。 さ て こ の 記 事 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 維 諸 傳 の 研 究 四 七佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 八 に よ れ ば、 三 面 僧 房 は 固 よ り 講 堂 と 共 に 焼 失 し 九 の で あ る が、 そ の 大 房 の 南 三 房 の 所 を 新 に 聖 難 院 と し 六、 そ の 聖 雲 院 の 内 に 太 子 御 影 を お ま つ り し た が、 そ こ に 顯 密 聖 教 や、 眞 言 道 具 や、 弘 法 大 師 御 筆 の 小 字 法 華 経 な ど 混 共 に 貝 葉 梵 本 を 安 置 し て あ る。 そ れ に は 奪 勝 陀 羅 尼 と 般 若 心 経 と 十 二 塵 託 三 十 五 禮 文 と が 書 か れ て あ る。 と い ふ の で あ つ て、 正 し く 現 存 す る 貝 葉 の こ と を 指 し て 居 る。 然 る に そ の 由 來 に つ い て は た 口 傳 に ﹁ 此 物 を 雨 ふ ら す ﹂ と あ り て、 何 入 が 何 慮 か ら 講 來 し 弛 か は 全 然 わ か ら ぬ こ と に な つ て 居 る。 而 し て 聖 験 院 に 安 置 す る 迄 は 如 何 で あ つ た か と い ふ に、 此 傳 の 裏 キ カ ワ ラ フ キ 書 の 方 に、 ﹁ 當 二 東 室 北 一 行 孕 町、 在 二 木 瓦 腎 堂 三 間 一 面 也、 號 圓 成 院、 萬 壽 年 中 雨 二 多 羅 葉 三 班 也、 室 智 聖 入 住 班 也 ﹂ と あ り、 こ ゝ に 多 羅 葉 と い 諭 は 前 に い ふ も の と 同 一 物 と 見 ら れ る か ら、 然 れ ば、 こ の 多 羅 葉 は 萬 壽 年 間 (藤 原 道 長 の 頃、 二 〇 二 四-一 〇 二 八) に こ の 圓 成 院 に 雨 ふ ら さ れ て 來 九 と い 諭 の で あ る か ら、 元 は や は り 法 隆 寺 内 の 圓 成 院 に あ つ 池 も の で、 そ れ は 萬 壽 年 間 か ら あ つ た と い 勘 ご と に な る。 し か も や は り ﹁ 雨 ふ ら す ﹂ と い ふ の み で、 何 人 の 講 來 か は わ か ら ぬ。 而 し て 先 き に 墾 げ た 朱 註 に ﹁ 口 傳 日 ﹂ と は 何 人 の 口 傳 か 明 で な い が、 元 來 こ の 聖 徳 太 子 傳 私 記 そ の も の は、 顯 眞 自 (8) ら そ の 上 巻 の 終 り の 方 に 記 す る 通 り、 顯 眞 以 前 に、 法 隆 寺 内 に 代 々 居 た 班 の 層 蜷、 贅 印、 灘 豊、 智 勝、 隆 詮 等 の 賜 に 泌 事 口 傳 と し て 傳 へ ら れ て 來 仁 も の で、 顯 眞 は 隆 詮 の 弟 子 と し て 常 に 隆 詮 に 随 ひ 居 り、 折 に ふ れ そ の 口 傳 等 を 書 き 集 め て お い 九 も の が 師 こ の 私 記 と な つ た の で あ る か ら、 こ ゝ に 朱 註 の 口 傳 と い ふ は 郎 師 か ら 弟 子 に 傳 へ ら れ た 口 傳 の 意 味 に 解 せ ら れ、 從 つ て 顯 眞 以 前 の 師 資 相 承 の 口 傳 と 解 せ ら れ る が、 し か し そ の 下 の ﹁ 我 信 力 ﹂ と い ふ ﹁ 我 ﹂ と は 誰 れ を 指 す か は 不 明 で あ る。 口 傳 を し て 居 る 師 自 身 の 意 味 に も 解 せ ら れ る が、 又 馴 の 人 を 指 し た と も 解 せ ら れ る、 こ ゝ て は 別 の 人 と 見 な け れ ば な ら ぬ や う で も あ る が、 何 れ に し て も 雨 ふ ら し 九 そ の 人 を 指 す の に 相 違 な い か ら、 こ れ が 問 題 に な
る。 も し 前 後 の 關 係 よ り 判 断 す れ ば、 弘 法 大 師 自 身 の こ と を 意 味 し て 居 る 如 く に も 見 へ る が、 や は り 問 題 と し て 残 さ れ る。 そ こ で 雨 ふ ら し た も の は 依 然 不 明 で、 從 つ て 講 來 者 は 此 傳 に も 明 に し て な い。 時 代 は 萬 壽 年 間 に 雨 ふ ら し た と い ふ 傳 を 信 ぜ ば 李 安 中 期 と い 諦 こ と に な る が、 こ れ を 誼 明 す。 へ き 他 の 根 嫁 が な い か ら 疑 問 と し て も、 顯 眞 以 前 磨 豊 以 來 口 傳 せ ら れ て 居 る こ と ゝ す れ ば、 増 豊 等 の 傳 記 は 明 で な い に し て も、 兎 に 角 李 安 末 鎌 倉 初 頃 に は 此 の 傳 説 は あ つ た と 見 ら れ る わ け で あ る。 然 し こ ゝ に も 小 野 妹 子 將 來 と い ふ が 如 き こ と は 全 然 無 い。 而 し て、 雨 ふ ら し た と い ふ 字 は 極 め て 意 味 深 長 に し て し か も 事 實 を 物 語 る も の と い ひ 得 る で あ ら う。 郎、 何 時 頃 か ら 誰 れ が 持 つ て 來 た と も な く 法 隆 寺 内 に (初 め 圓 成 院 に、 後 ぱ 聖 鋸 院 に ) あ る こ と に な つ た と い ふ の で あ る。 而 し て 小 野 妹 子 將 來 云 々 の 傳 は 顯 眞 の こ の 聖 徳 太 子 傳 私 記 筆 録 の 時 代 を 過 ぎ て 後 徳 川 時 代 斑 鳩 便 覧 編 纂 迄 の 間 に 出 來 た 傳 説 で あ る こ と が わ か り、 そ れ だ け に こ の 傳 説 の 便 値 少 き こ と が わ か る で あ ら う。 然 れ ば 法 隆 寺 貝 葉 の 年 代 の 決 定 は か ゝ る 史 的 便 値 少 き 傳 論 に 依 る べ き で な く、 た ゝ そ の 葉 質、 字 罷、 墨 質、 及 内 容 よ り 決 す べ き で あ る。 漢 字 を 讃 む 人 の 少 か つ た 牟 世 紀 前 の 西 洋 人 の 言 に い つ ま で も 日 本 の 學 者 は 冑 從 し て 居 る べ き で は な い。 さ て 法 隆 寺 貝 葉 の 葉 質 墨 質 等 に つ い て は そ れ が 近 代 に 作 つ た 賢 物 で な い こ と は 明 で あ る 以 上 問 題 に す べ き 所 は な 2 い、 そ こ て 問 題 と な る の は 内 容 と 字 罷 と て あ る。 内 容 の 方 は、 (佛 ) ( 地 × 不 ) の 陀 羅 尼 の 何 れ に も 最 も よ く 合 す る も の て、 從 つ て (天 ) や 三 十 帖 策 子 本 の 陀 羅 尼 に も よ く 合 す る も の て あ つ て、 廣 く い へ ば 甲 類 第 一 種 に 屡 す る も の て あ る か ら、 こ の 陀 羅 尼 の 中 て は 古 い 方 に 屡 す る と い ふ こ と は 出 來 る が、 し か し そ れ 以 上 年 代 を 決 定 す る 手 が ゝ り は な い。 そ こ て 残 る は 字 罷 學 上 の 問 題 て あ る。 し か し こ の 場 合 に 豫 め 注 意 し て お く べ き は、 ( 一 )、 時 代 は 同 時 代 て あ つ て も 地 方 に よ 佛 頂 律 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 四 九
佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 硯 究 五 〇 り 又 筆 者 の 傳 統 に よ り 又 筆 者 の 個 人 的 癖 に よ り 少 し く 古 禮 を 帯 び る こ と も あ れ ば、 少 し く 新 し く 見 へ る こ と も あ る。 又、 そ の 反 封 に、 同 様 の 理 由 か ら 時 代 が 少 し 異 つ て も 同 時 代 の 如 く 見 へ る こ と も あ る と い ふ こ と。 ( 二)、 ビ ュ ー ラ ー が 特 に 強 調 し て 居 る 如 く、 刻 文 の 字 と 窮 本 の 字 と で は 刻 文 の 字 の 方 が ど う し て も 少 し く 古 膿 を 存 す る こ と に な り 易 い と い ふ こ と で あ る。 然 し そ の 何 れ の 場 合 と 難 も 百 年 以 上 も の 差 を 盤 す る が 如 き こ と は 殆 ど あ り 得 な い と 思 は れ る。 實 際 ビ ュ ユ ー ラ ー のIndisch Palaeographie の 附 表 を 見 て も か く の 如 く 槻 取 さ れ る
(Tafol IV, V, VI.
た 封 照 し て)。 し か し そ れ に も 孫 は ら す ビ ュ ー ラ ー は 法 隆 寺 貝 葉 の 場 合 に 於 て の み、 字 罷 か ら い へ ば 八 世 紀 初 の も の と 見 な け れ ば な ら ぬ が、 妹 子 將 來 と い ふ の で あ る か ら 六 世 紀 中 頃 迄 に 書 か れ た も の で な け ね ば な ら ぬ と し て、 六 世 紀 中 頃 迄 に か ゝ る 字 髄 の 存 す る こ と は 一 に こ れ が 爲 本 の 字 罷 な る 故 で あ る と 會 通 し て 居 る
(Anecdota S. I, III. App.)。
し か し、 如 何 に 爲 本 の 字 艦 は 刻 文 の 字 罷 よ り 進 み 易 い か ら と て、 約 二 百 年 も 飛 び 離 れ て 進 む と い ふ こ と は 予 に は 到 底 信 ぜ ら れ な い。 況 ん や 予 は 互 に ぼ 寧 近 接 す る と 思 は れ る 刻 文、 貝 葉 紙 本 等 の 梵 字 の 比 較 に よ り て も、 大 凡 法 隆 寺 貝 葉 梵 字 の 年 代 を 推 定 し 得 る に 於 て を や。 而 し て 予 が 今 こ ゝ に 互 に ほ 近 接 す る 梵 字 を 示 す も の ゝ 標 本 と し て 次 の 五 つ を 纂 け る、 帥、 第 一、 高 野 山 寳 壽 院 藏、 紙 本、 梵 文 大 乗 浬 葉 経 断 片。 第 二、 奈 良 海 龍 王 寺 藏、 貝 葉 爲 本 一 葉。 ( 近 江、 坂 本 來 迎 寺 貝 葉 も 大 禮 同 種) 第 三、 矛 パ ー ル 貝 葉 爲 本、 ケ ン ブ リ ツ ヂ 圖 書 館 藏、No. Add. 1702 第 四、 矛 パ ー ル 刻 文、 ハ ル シ ヤ 紀 元 一 五 三 の 年 號 あ る も の。 第 五、 不 パ ー ル 貝 葉 爲 本、 ケ ン ブ リ ヅ ヂ 圖 書 館 藏、No. Add. 1049 年 號 二 五 二 と あ る も の。
右 の 内 第 玉 は 既 に 知 ら れ る 如 く、 弘 法 大 師 御 筆 と し て 代 々 安 群 院 に 傳 へ ら れ、 後 レ 寳 性 院 門 主 に 傳 へ ら れ て 來 た も の で、 先 年 高 楠 教 授 に よ つ て 認 め ら る ・ や、 こ れ が 大 乗 捏 契 経 の 梵 文 の 一 部 な る こ と が 知 ら れ る に 至 つ て、 今 や 世 界 の 學 界 の 一 至 寳 と な つ て 居 る も の で あ る が、 こ の 字 禮 は か な り 古 禮 に 屡 す る も の で、 殊 に 近 時 中 央 亜 細 亜 諸 地 方 か ら 擬 掘 さ れ た 諸 古 爲 本 と 比 較 し て 予 が 子 細 に 貼 槍 せ る 結 果、 こ の 字 膿 は 中 亜 の 中 で は 何 れ か と い へ ば 干 闘 文 字 系 に 属 す る 字 盟 を 學 ん だ 人 の 手 蹟 な る こ と を 知 る に 至 つ た。 こ の 況 葉 経 梵 文 爲 本 と 殆 ど 同 時 代 の も の と 思 は れ る も の に 敦 郭 出 土 の 罫 一娑 暑 旨 p 陀 羅 尼 の 紙 本 断 片 カ あ る。 (Stein MIss. ch. 0092) こ れ は 現 存 金 剛 智 澤 の 千 手 千 眼 観 自 在 菩 薩 廣 大 圓 満 無 凝 大 悲 心 陀 羅 尼 (大 正 藏 玉 〇 六 一 番 ) (青 頸 陀 羅 尼 ) の 途 中 か ら 終 り ま で に 當 る も の で、 梵 字 文 の 下 に ソ グ ヂ ヤ (疎 勒 ) 字 音 (9) 宣 側が あ る も の で、 ソ グ ヂ ヤ 入 の 手 に よ り、 叉 は 少 く と も ソ グ ヂ ヤ 人 に 教 へ る 爲 に 書 か れ た も の な る こ と は 明 で あ る が、 梵 字 の 字 膿 は 全 艦 の 調 子 が 右 浬 葉 経 の も の に 頗 る 近 く、 一 々 を 検 し て も、 a 瓢 が 右 肩 に 極 め て 短 か い、 黙 に 等 し い が 如 き 鉤 を 掛 け た も の で あ る こ と や、1鮎 や u 黙 の 書 き 方 や、 u 黙 に 一 種 の 古 艦 を 存 し て 居 る こ と や e 鮎o鮎 も 爾 者 極 め て よ く 一 致 し て 居 る こ と や、 其 の 他 一 々 の 字 盟 も よ く 似 て 居 る、 而 し て こ の 敦 郭 本 に は 特 に 就 灘 の 書 き 方 に 於 て 印 度 の 方 で は あ ま り 用 ひ ら れ な い も の で、 干 闘 で は 古 く か ら よ く 用 ひ た と 思 は れ る 玉 つ の 型 か あ る、 そ れ は 文 字 の 中 程 の 上 方 か ら 右 肩 へ か け て 鎌 の 刀 の 如 く に 斜 め に 掛 け る の で あ る ( 以 上 實 物 の 爲 眞 及 字 膿 表 参 照 )。 而 し て こ の 敦 郭 本 を シ (10) ル ブ ン ・ レ ヰ ー 教 授 は 大 凡 西 紀 七 〇 〇 年 内 外 と 見 て 居 ら れ る が、 固 よ り そ の 根 嫁 は 主 と し て 漢 課 の 方 か ら の 推 定 で あ つ て、 字 膿 そ の も の か ら き め た の で は な い と 思 へ る が、 し か し そ の 結 論 は 字 罷 の 方 の み か ら 見 て も 首 肯 し 得 る と 思 は れ る。 而 し て、 こ の 敦 郭 出 土 本 と 高 野 山 浬 葉 経 と は 少 く も そ の 字 罷 を 見 れ ば 先 き に 云 へ る 如 く 殆 ど 同 時 代 と 見 て 美 支 な 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 五 一
佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 五 二 く 固 よ り 筆 蹟 ば 高 野 山 本 の 方。 か 遙 に 立 派 で あ る が、 し か し 字 禮 は 新 し い と は 思 へ ぬ。 高 野 山 本 の 方 に は 敦 郭 本 の 爲 眞 に 出 て 居 る 部 分 に は 見 ら れ な い 一 つ の 型、 特 に そ れ は 古 く よ り 干 聞 の 方 で 主 と し て 用 ひ ら れ た 型 が 残 つ て 居 る。 師、 a字 に 於 け る 筒a鮎 に 於 て、 字 の 右 側 中 程 に 突 出 し た 鉤 を 附 す る や り 方 で あ る。 こ れ は 干 閲 の 方 で は よ く 用 ひ ら れ る が、 印 度 の 方 で は 起 源 的 に は あ つ 弛 が、 實 際 は あ ま り 用 ひ ら れ な い 型 で あ る。 猫 こ の 本 に は く 羅 菖 玖 子 韻 で 停 止 す る し る し に 斜 線 を 右 下 へ つ け る の と 共 に、 又 右 上 へ つ け る の が あ る が、 こ れ も 古 い 型 で あ つ て 七 世 紀 終 吻 の も の と 思 は れ る Jharahpathan の 刻 文 や、Lakkhammandal の 刻 文 に は こ れ あ る も、 そ れ 以 後 の も の に に 殆 見 當 ら な い も の で あ る。 (11) 而 し て、 こ の 浬 繋 経 の も の を 干 閲 出 土 の 爲 本 中 例 へ ばHoertnle Ms. No. 143. S. A. 16 金 光 明 最 勝 王 経 の 断 片 の も の と 比 較 す る に、 後 者 は 明 に 干 閲 系 な 特 有 の 鮎 が よ く 表 は れ て 居 り、 又 全 艦 と し て 前 者 よ り 古 く は あ る が、 し か し よ く 似 た 特 徴 が あ る 著 し き 例 と し て は a字 の 書 き 方 で あ る (以 上、 實 物 爲 輿 及 字 禮 表 参 照 )。 か く の 如 く し て、 こ の 高 野 山 の 浬 繋 経 の 梵 字 は 少 く も 字 艦 そ の も の は 大 凡 西 紀 七 〇 〇 年 前 後 の も の で、 而 し て 印 度 直 系 と い ふ よ り は 中 亜 の 特 に は 干 閲 系 の 字 を 學 ん だ 人 の 手 に よ つ て 書 か れ た も の で あ る と 推 定 さ れ る。 さ て こ れ と 當 面 の 法 隆 寺 貝 葉 梵 字 と を 比 較 す る に、 法 隆 寺 貝 葉 の 方 は 字 罷 に 中 亜 系 特 に 干 閲 系 と い ふ 如 き 黙 は 殆 ど 見 出 さ れ な い。 純 粋 印 度 系、 特 に、 矛 パ ー ル 等 に 残 存 す る も の と 甚 近 い 系 統 の も の で あ る こ と が わ か る。 a 字 の 特 殊 の 形 の 如 き は こ れ に は 見 ら れ な い。 か く 系 統。 か 異 る と せ ば 比 較 す る に も 同 等 の レ ベ ル に 於 て し て は な ら ぬ こ と 勿 論 で あ る。 し か し 又、 雨 方 に 共 通 す る 黙 に つ い て は 一 塞 比 較 す る こ と も 無 意 味 で な い、 た " そ れ だ け で 直 ち に 決 論 を 出 し て は な ら ぬ と い ふ こ と を 注 意 し て 居 れ ば い ゝ。 さ て 今 雨 者 を 比 較 し て 見 る に、 一 般 に 法 隆 寺 本 に 於 て は 字 の 右 端 の 縦 の
Z 9 巴 ぞ α 昏 曇
謁
冒
欝
線 が 長 く 字 禮 の 水 卒 線 以 下 に ま で も 下 り、 且、 そ の 端 を 右 の 方 へ は ね る 傾 向 の も の が 多 く な つ て 居 る。 こ れ は 古 い 所 に は な く、 新 も く な る に 從 つ て こ の 傾 向 が 増 す の が 普 通 で あ る が、 高 野 山 の に は そ の 傾 向 が ま だ あ ま り 出 て 居 な い、 法 隆 寺 本 の 著 し き 例 と し て
は、ka. ca. ta. tha. dha.
に 見 ら れ る 通 り で あ る。a黙 は 法 隆 寺 の は 右 肩 に 棒 を 附 す る も の な ゝ み と な つ て 居 り、 高 野 山 本 に あ る 如 き、 殆 ど 黙 に 等 し き が 如 き 短 き 鉤 の も の は 見 當 ら な い。 i貼 は 何 れ も 殆 ど 文 字 の 下 の 水 李 線 迄 達 し て 居 る、 高 野 山 本 に 於 て は か ゝ る も あ る が、 し か し 途 中 迄 の も の ゝ 方 が 多 い、 こ れ も 下 迄 下 が る の が 新 し い 方 で、 古 い 班 で は 下 迄 下 が ら な い の が 多 い。 u 鮎 に は 毎 の 場 合 を 除 い て 二 通 り あ つ て、 一 つ は 現 在 の デ ー ブ ナ ー ガ リ ー の そ れ の 如 く す る も の で、 他 は 字 の 最 後 の 線 の 下 に 左 よ り 右 に 斜 に 極 め て 短 い 線 又 は 三 角 鮎 を 書 く も の で あ る が、 法 隆 寺 の は そ の 前 者 の 方 が 過 牛 藪 を 占 め て 居 る、 高 野 山 本 の 方 は そ の 後 者 の 方 が 過 牛 藪 を 占 め て 居 る。 こ れ も 前 者 の 多 い 方 が 新 し い と 見 ら れ る も の で あ る。 以 上 諸 鮎 を 考 ふ る に 法 隆 寺 貝 葉 の 方 が 高 野 山 浬 葉 経 の も の よ り 字 禮 に 於 て は 幾 分 新 し い と 見 ら れ る、 然 し 何 分 先 き に 述 べ た 通 り、 高 野 山 本 の 方 は 何 れ か と い へ ば 中 亜 系 統 の 字 罷 で あ り、 法 隆 寺 本 の 方 は 直 接 印 度 系 と 見 ら れ る か ら、 實 際 そ の 書 か れ た 年 代 の 差 は 必 す し も 字 罷 の 差 ほ ど で は な い で あ ら う と 考 へ ら れ る。 從 つ て こ れ だ け で は 法 隆 寺 貝 葉 梵 字 の 年 代 を 決 す る わ け に は い か ぬ。 そ こ で 次 に 比 較 せ ら る べ き も の は 明 に 阻 度 系 続 の も の で な け ね ば な ら ぬ。 そ の 初 め は 即 奈 良 海 龍 王 寺 所 藏 (來 迎 寺 の も 大 禮 同 種 ) の 貝 葉 梵 字 で、 ( 爲 眞 ば 望 月 氏 佛 敏 大 臨 典 に あ り )、 こ れ は 次 の 第 三 の も の と 甚 近 く、 強 い て い へ ば 海 龍 王 寺 の も の が 幾 分 古 い と 思 は れ る も の で あ る か ら. そ の 説 萌 は 次 に 准 じ て 知 ら れ た い。 次 は 第 三 の ネ、 パ ー ル 貝 葉 爲 本、 グ ン ブ リ ツ ヂ 圖 書 館 藏、 (12) ふ た て No. Add. 170 で あ る。 こ れ は 菩 薩 地 持 経 (喩 伽 師 地 論 菩 薩 地 ) の 梵 文 で あ る が、 筆 者 は 二 手 に な つ て 居 り、 十 九 枚 目 の 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 五 五
佛 頂 隼 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究、 五 六 中 程 迄 は や、 古 き 型 で あ り、 そ の 以 後 は や 新 し い 型 で あ る。 し か し つ ゝ け て 書 か れ て あ る よ り 見 れ ば、 書 い た 時 代 を 異 に し た と は 思 は れ な い。 た 書 い た 人 の 癖 を 異 に す る の み で あ ら う。 而 し て こ の 字 禮 を 見 る に、 そ の 古 い 方 と 新 し い 方 と で は 幾 分 の 差 は 見 出 さ れ る が、 然 し 他 と 比 較 す る 場 合 に は 全 罷 を 一 様 と 見 て 差 支 な い こ の も の は そ の i字、 tha. ya. 等 に 於 て は 法 隆 寺 の も の よ り 古 い 型 の も の で あ る が、 然 し 又i貼 の 書 き 方 は 法 隆 寺 の も の と は 異 り 近 代 の も の に 近 く な つ て 居 る。 そ の 他 の 鮎 で は 法 隆 寺 の も の と 甚 相 近 い が、 全 艦 の 氣 分 は 幾 分 か 法 隆 寺 の よ り 古 い と も 見 ら れ な い こ と は な い と い ふ 程 度 で あ る。 故 に ほ 同 時 と 見 て 差 支 な い と 思 は れ る。 さ て 次 に ネ パ ー ル 刻 文、 ハ ル シ ヤ 紀 元 一 五 三 の 年 號 の あ る も の を 見 る に
(Anecdkds Ox. Ary. S. I. III plate VI No. VI)
こ れ は i字 の 如 き は 法 隆 寺 や 高 野 山 浬 葉 経 本 の 如 く 新 し き 方 の に な つ て 居 る が、 す 鐙 の 如 き は 比 較 的 古 い 形 を 存 し て 居 る、 其 の 他 の 黙 に 於 て も 海 龍 王 寺 本 や、 不 パ ー ル の 右 の 本 や 法 隆 寺 の も の よ り 幾 分 古 く 見 へ る 所 も あ る が、 そ れ は 刻 文 で あ る が 爲 と 考 へ ら れ る か ら 恐 ら く 書 か れ た 時 代 は 四 者 大 差 は な い と 見 て 然 る べ き で あ ら う、 強 い て い へ ば 四 者 の 中、 法 隆 寺 本 が 幾 分 新 し い と 見 ら れ な い こ と も な い と い ふ 程 度 で あ る。 而 し て、 不 パ ー ル の 刻 文 に は ハ ル シ ャ 紀 元 一 五 三 の 年 號 が あ る が、 こ の ハ ル シ ャ 紀 元 と は 畠西 紀 六 〇 六 年 頃 と す る こ と に 歴 史 家 は 大 禮 一 致 し て 居 る か ら 予 も そ れ に 從 つ て お く が、 然 れ ば こ の 刻 文 は 七 五 八 年 頃 の も の と な る。 然 れ ば 法 隆 寺 貝 葉 も 大 罷 八 世 紀 後 牟 に 書 か れ た も の と 見 て 然 る べ し と い ふ こ と に な る。 猫 最 後 に 今 (13) 一 つ 年 代 の 明 な ネ パ ー ル 貝 葉 爲 本 と 比 較 し て 見 や う。 そ れ は 先 き に 纂 げ た ケ ン ブ リ ツ ヂ 圖 書 館 藏、No. Add. 1049の も の で あ る。 こ の 字 罷 は 全 艦 と し て、 字 の 頭 部 が そ の 胴 部 と 同 じ 位 に 横 廣 く な り、 而 し て 頭 部 の 隙 間 の あ る 所 が 比 較 的 少 く な り、 次 第 に 近 代 の デ ー ゾ ナ ー ガ リ ー 文 字 起 近 よ ら ん と し て 居 る 傾 絢 が あ る。 こ の 鮎 で 法 隆 寺 の も の よ り 少 し
新 し い と い は ざ る を 得 な い。 前 接 子 韻 r の 書 き 方 も こ ゝ で 始 め て 近 代 デ ー ブ ナ ー ガ リ ー の 如 き 形 に な つ て 來 る、 (法 隆 寺 の 貝 葉 迄 に 古 膿 で 足 の 短 い T 字 形 で あ る )。 其 の 他 の 貼 に 於 て も 法 隆 寺 本 や ネ パ ー ル の 先 き の 貝 葉 本 よ り は や ゝ 新 し い 形 に な つ て 居 り、 や が て 近 代 デ ー ブ ナ ー ガ リ ー に 近 づ か ん と し て 居 る こ と が 観 取 出 來 る。 た 撃 r、r、I、Iの 四 字 は 當 時 二 通 り の 書 き 方 が あ つ て、 其 の 一 つ は こ の 貝 葉 の も の で、 他 の 一 つ は 法 隆 寺 貝 葉 に あ る も の で あ る が、 後 世 迄 残 つ 弛 の は 法 隆 寺 貝 葉 本 の 系 統 の も の で あ る。 此 の 匙 は 一 つ 特 殊 の 鮎 で あ る が、 其 ハの 他 の 諸 黙 に 於 て 以 上 の 如 く、 こ の 貝 葉 本 はAdd. 1702 7 の も の よ り や ゝ 新 し い。 而 し て、 こ の 貝 葉 に は 二 五 二 と い ふ 年 號 が あ る が、 こ れ は そ の 紀 元 の 名 を 書 い て な い け れ ど も、 や は り ハ ル シ ャ 紀 元 と 見 る よ り 他 に 見 方 が な い か ら ハ ル シ ャ 紀 元 と 見 る こ と に 學 者 は 一 致 し て 居 る。 然 れ ば こ れ は 九 世 紀 中 頃 と な る。 ビ ュ ー ラ ー も ベ ン ド ー ル も こ の も の とAdd. 1702 の も の と あ ま 吻 大 差 な い も の と し、 た ゝ 幾 分 か1702 の 方 が 古 い が や は り 九 世 紀 の も の と し て 居 る が、 予 は 先 に 述 べ た 如 く 字 膿 よ り 判 断 し て 雨 者 の 間 に 今 少 し 開 き が あ り、 少 く も 法 隆 寺 貝 葉 とAdd. 1702 お と の 間 に 乍 世 紀 以 上 の 隔 た り あ り と 見 て 不 都 合 で は な く、 そ の 法 隆 寺 貝 葉 よ り 更 にAdd. 1702 の 方 が 幾 分 か 古 い か と 思 は れ る る 位 で あ る。 か く て 予 の 測 定 に よ れ ば、Add. 1702 が 九 世 紀 中 頃 ( こ れ ば 明 で あ り )。 法 隆 寺 貝 葉 梵 文 は 八 世 紀 後 牛。Add. 1702 も 八 世 紀 後 牟。 ネ パ ー ル 刻 文 ハ ル シ ャ 紀 元 一 五 三 の も の は 明 に 七 五 八 頃。 海 龍 王 寺 本 も 殆 ど 同 時 で、 八 世 紀 中 頃 高 野 山 寳 壽 院 大 乗 浬 葉 経 の も の は 字 膿 よ り す れ ば 七 〇 〇 年 頃 で あ る が、 し か し こ れ は 系 統 を 異 に す る も の で あ る か ら 實 際 書 か れ た の は 今 少 し 後 で あ る か も 知 れ ぬ が、 そ れ に し て も 八 世 紀 前 牛 中 と 見 て 大 過 な い も の で あ ら う。 以 上 の 如 く 法 隆 寺 貝 葉 梵 本 は 八 世 紀 後 牛 の も の と 見 ら れ る が。 か く 見 る こ と は 字 罷 の 上 の み で な く、 そ の 他 の 事 情 佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 五 七
佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 五 八 と 衝 突 を 來 た す こ と は な い と 思 は れ る。 第 一 に そ の 頃 は 恰 も 不 室 三 藏 の 澤 の 出 來 た 後 頃 で あ る が、 先 き に 云 へ る 如 く、 こ の 貝 葉 梵 本 は 佛 陀 波 利 本 や 不 室 澤 本 の も の に よ く 似 て 居 る も の で、 予 の 謂 ふ 甲 類 第 一 種 に 属 す る が そ の 頃 は も し 善 無 畏 鐸 な る 傳 を 信 す る な ら ば、 既 に 甲 類 第 二 種 に 屡 す る も の も 傳 は つ て 居 九 後 で あ る か と も 思 へ る が、 し か し そ れ に し て も、 そ れ に も 係 ら す、 第 一 種 系 統 の 不 室 課 が あ る の で あ る か ら、 そ の 頃 こ の 貝 葉 が 書 か れ て 支 那 日 本 に 將 來 さ れ た と し て 何 等 不 都 合 は な い。 又 こ の 貝 葉 の 性 質 を 考 ふ る に、 こ れ は 般 若 心 経 と 奪 勝 陀 羅 尼 と 及 字 母 と を 書 い 池 も の で、 (14) し か も ビ ュ ー ラ も い へ る 如 く、 こ れ は こ の 二 葉 だ け で 一 本 と し て 傳 へ ん と し 九 も の で あ る こ と は、 一葉 を 合 せ た そ の 内 面 に 當 る 班 だ け に 書 き、 外 側 に 當 た る 所 は 表 紙 代 用 と し て 居 る こ と に よ つ て わ か る。 然 れ ば こ れ は 當 時 印 度 に 於 て 密 教 が 隆 盛 で あ つ た 時、 そ の 密 敏 的 佛 教 の 最 精 要 と も い ふ べ き こ の 一 経 一 陀 羅 尼 を 傳 へ、 且 つ、 こ れ を 傳 へ 教 へ る こ と に よ つ て 同 時 に 梵 字 を 傳 へ 教 へ ん と し て 字 母 を 附 し て、 一 本 と し た も の と 考 へ ら れ る。 し か も そ の 字 母 は 太 子 傳 私 記 に は 十 二 慶 哺 光 五 躰 文 と あ る が、 實 際 は 塵 託 は 十 二 で な く、 十 六 で あ り、 し か も そ の r、 r、 1、 1 の 四 字 は 終 り に 附 屡 的 に 出 し た の で は な く、 正 式 に u の 次 に あ る。 こ れ も 悉 曇 梵 字 の 書 き 方 と し て は 新 し い や り 方 (で、 古 く は こ れ を 除 い た 十 二 の み が 普 通 で あ つ て、 次 に こ の 四 字 を 終 り に 附 加 し、 最 後 に は u の 次 に 入 れ る こ と に な つ た も の の 如 く で (14) あ る。 又 躰 文 の 終 り の 方 に 二 9 ぢ を も 入 れ て 居 る が、 こ れ も 古 い 班 に は こ れ 無 く、 從 つ て 淵 四 で あ る の が 普 通 の 如 く で あ る。 こ れ ら 諸 鮎 を 考 へ て も こ の 貝 葉 が 八 世 紀 後 牛 に 印 度 で 書 か れ て 持 來 さ れ 九 も の と 見 る に 何 等 矛 盾 を 生 ぜ な い。 又 弘 法 大 師 が 支 那 で 學 ば れ た 梵 字 印 三 十 帖 策 子 の 梵 字 と 比 較 す る に、 勿 論 こ れ は 當 時 支 那 に 於 け る 恵 果 阿 闊 梨 等 に 學 ば れ た も の で あ ら う か ら 既 に や ゝ 毛 筆 書 き に 慣 ら さ れ、 多 少 印 度 や 中 亜の も の よ り 攣 化 し て 居 る は 當 然 で あ る が、 し
か し 大 膿 法 隆 寺 貝 葉 の 文 字 と あ ま り 大 き な 差 は な い や う に 見 へ る。 こ の 貼 か ら も 法 隆 寺 貝 葉 本 の 年 代 に つ い て の 予 の 考 を 攣 更 す る 要 は な い。 猶 ビ ュ ー ラ ー は、 こ の 法 隆 寺 貝 葉 梵 字 は も し 記 傳 が な い な ら ば、 字 禮 の 方 か ら は 八 世 紀 初 よ り 古 く は な い と い つ て 居 る こ と 先 に 述 べ た 通 り で あ る が、 し か し そ の 八 世 紀 初 と い ふ の と、 予 の 八 世 紀 後 牛 と い 両 の と 少 し 異 る 如 き も、 ビ ュ ー ラ ー の 意 味 は 八 世 紀 初 で な け ね ば な ら ぬ、 そ れ よ り 後 で は い け ぬ と い ふ 意 味 で は な か ら う か ら、 此 の 鮎 文 字 の 字 罷 の み よ り 來 る 結 論 に 於 て ビ ュ ー ラ ー の 説 と 予 の 考 と あ ま り 大 差 な い も の で あ る。 以 上 の 如 く 予 は こ の 法 隆 寺 貝 葉 梵 本 は 大 凡 八 世 紀 後 牛 の も の と 見 る、 固 よ り 先 に も 屡 々 述 べ た 如 く、 字 禮 は 地 方 に よ り、 傳 統 に ょ り、 そ の 入 の 癖 に よ り て、 必 す し も 同 一 時 代 同 玉 型 と き め る わ け に は い か ぬ が、 し か し 如 何 に そ れ ら の 鮎 を 考 慮 に 入 れ て も、 こ の 法 隆 寺 貝 葉 が、 六 世 紀 中 頃 迄 に 書 か れ た も の と 見 る こ と は 不 可 能 で あ る。 然 る に 從 來 こ 宴 を 六 世 紀 中 の も の と 信 ぜ ら れ て 來 た の は、 全 く 後 世 の 傳 説 な る 斑 鳩 便 覧 の 記 事 に 迷 は さ れ て 居 た も の で あ る。 最 後 に こ の 貝 葉 を 日 本 に 請 來 し た の は 何 時 頃 の 誰 れ で あ る か に つ い て は 予 に は 大 罷 想 像 は つ か ぬ で も な い が、 し か し 確 な こ と は 現 在 の 資 料 で は 何 と も い へ な い の で あ る か ら や は り 疑 問 の ま ゝ に 残 し て お く。 四 其 の 他 の 諸 本 に つ い て 其 の 他 の 諸 本 の 中、 別 に 問 題 の な い も の に つ い て は 言 ふ を 要 せ ぬ が 多 少 問 題 の あ る も の の み に つ い て 記 し て お か う。 口 (善 )、 奪 勝 佛 頂 脩 喩 伽 法 軌 儀、 善 無 畏 課 と し て 今 大 正 藏 経 に 出 て 居 る が、 こ の 名 も 問 題 で あ る し、 善 無 畏 鐸 と い ふ の も 問 題 で あ る。 現 在 こ の 本 は 享 保 年 間 刊 豊 山 大 學 本 と、 高 山 寺 藏 古 爲 本 と、 東 寺 三 密 藏、 天 治 元 年 ( 一 一 二 四 ) 察 本 佛 項 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 五 九
佛 頂 律 勝 脚陀 羅 尼 伽紐 諸 傳 の 研 究究 六〇 と、 仁 和 寺 藏、 寛 治 八 年 ( 一 〇 九 四 ) 窮 本 と の 三 本 が あ る が、 麗、 宋、 元、 明 版 藏 経 中 に は こ れ が な い。 叉 支 那 の 澤 経 録 を 見 て も 善 無 畏 澤 に は か ゝ る も の は な い。 六 ゝ 慧 琳 の 一 切 経 音 旦 護 ( 八 〇 七 屡 ) 巻 滑 五 に は こ れ を 墾 け、 開 元 十 年 ( 七 二 二 ) 課 と し て 居 る が 慧 琳 の こ ゝ の 前 後 の 記 事 よ り 見 て あ ま り 信 用 は 出 來 な い。 然 る に 日 本 入 唐 八 家 中 の、 圓 行 の 請 來 目 録 ( 八 三 九 製 ) に、 奪 勝 佛 頂 眞 言 修 喩 伽 経 一 部 二 巻、 三 蔵 善 無 鋤 課 な る も の あ り、 次 い て 承 和 十 四 年 ( 八 四 七 ) の 恵 蓮 の 請 來 目 録 ( 大 正 藏、 二 一 六 八 A ) に は 奪 勝 念 諦 法 二 巻 上 下 と あ る が、 こ れ は そ の (大 正 藏、 二 一 六 八、 B ) に 奪 勝 佛 頂 眞 言 修 喩 伽 法 一 部 二 巻 善 無 畏 諜 と あ る も の に 相 違 な く、 叉 宗 叡 の 貞 観 七 年 ( 八 六 五 ) 製 の 新 書 爲 卿請 來 求 法 門 等 目 録 に も 箪 勝 佛 頂 修 喩 伽 儀 軌 一 部 二 巷 善 無 畏 澤 と あ る。 故 に 少 く も 九 世 紀 初 頃 に は、 支 那 て も 善 無 畏 澤 と 構 せ ら れ て、 律 勝 佛 頂 眞 言 修 喩 伽 法 叉 は 経、 又 は 儀 軌 二 巻 な る も の の 存 し 六 こ と は 知 ら れ、 日 本 に 傳 は つ て 居 る の は、 部、 圓 行 等 諸 師 の 請 來 の も の に 相 違 な い こ と が わ か る。 そ こ て 前 へ 蹄 つ て、 こ の も の の 名 は 奪 勝 佛 頂 眞 言 修 喩 伽 儀 軌 と て も す る の が 最 善 て あ ら う。 而 し て 以 上 の 傳 て は 善 無 畏 澤 と な つ て 居 る が、 高 山 寺 古 爲 本 の 下 巻 の 所 に は 繹 善 無 畏 集 と あ り、 享 保 刊 本 に は 異 本 に は 弟 子 喜 無 畏 集 と あ る と。 そ の 何 れ も 恐 ら く は 右 の 誰 れ か の 傳 に 夫 々 か く 書 い 六 も の が あ つ 六 の て あ ら う と 想 像 さ れ る が、 今 は 確 め る 方 法 が な い。 そ こ て 内 容 を 見 る に、 こ れ は 全 禮 を 通 じ て 最 初 か ら 一 本 て あ つ た も の 冷 善 無 畏 が 課 し 六 と い ふ よ り は、 む し ろ 或 は 課 し 或 は 修 法 の 次 第 を 口 授 筆 録 せ し め な ど し て 全 艦 を 一 本 に 統 合 し 六 と 見 る べ き も の て あ り、 從 つ て 澤 輯 と て も い つ 六 方 が よ い の て あ ら う。 而 し て 課 輯 と し て も、 そ れ は 全 部 を 善 無 畏 が や つ 六 か 否 か も 疑 問 の 班 が あ る。 例 へ ば、 巻 下 の 大 灌 頂 曼 茶 羅 品 の 初 に、 こ の 品 の 嫁 所 と な つ 六 も の が 塞 げ て あ る が、 其 の 多 く は 善 無 畏 課 の も の て あ り、 叉 は 少 く も 善 無 畏 以 前 に 澤 の あ る も の て あ る が、 六 ゝ 崔 醸 且 恒 羅 は 支 那 の そ の 當 時 の 経 録 に は 見 え な い が、 日 本 へ は 不 塞
澤 と し て 傳 は つ て 居 る、 も し 不 室 課 と す れ ば 善 無 畏 残 後 と 見 る の が 普 通 で あ る か ら 問 題 で あ る、 然 し 不 室 鐸 と い ふ こ と も 問 題 で あ る し、 又、 澤 本 は 無 く と も 善 無 畏 は 原 本 を 知 つ て 居 た と 見 る こ と は 出 來 な い わ け で は な い か ら、 何 と も 決 定 は 出 來 な い。 從 つ て 目 下 の 班、 た と ひ 支 那 の 當 時 の 経 録 (開 元 録、 績 開 元 録、 貞 元 録 等 ) に な い か ら と い つ て、 慧 琳 音 義 以 後 は 善 無 畏 と 關 係 づ け て 居 る の を 全 く 否 定 す る こ と も 出 來 な い、 た 善 無 畏 澤 と 明 に 銘 打 つ こ と は 差 控 へ て お か ね ば な る ま い。 種 々 の 鮎 か ら 判 断 す る に 善 無 畏 の 弟 子 あ た り が 圭 と し て 善 無 畏 の 課 し、 又 は 口 授 し て お い た も の を 中 心 に 編 輯 し た も の と 見 る べ き で あ ら う。 さ て 現 在 日 本 に あ る 諸 本 の 中 で は 東 寺 三 密 藏 の 宣 州本 が 鋏 黙 か 最 少 い や う で あ り、 高 山 寺 本 は 最 脱 誤 か 多 い や う で あ る。 而 し て 陀 羅 尼 に つ い て 見 る に、 仁 和 寺 爲 本 は 現 在 眞 言 宗 常 用 の も の 即、 加 字 具 足 本 と 全 然 同 じ に な つ て 居 る が、 こ れ は 恐 ら く 後 世 書 爲 の 際 か く 訂 正 し た の で は な か ら う か。 其 の 他 の も の は 具 足 本 (16) に 比 し て、amrtabhiskair同 の 次 にmahamntrapadair 蟹 鋏 き、dahamntrapadair の 次 に く 一 を 脱 し、mama の 次 にsya (爲 ) を 鯨 分 に 入 れ て 居 り、budhya の 次
にvibudh vibudhya bodhaya bodhaya
を ゐ 又、vibodhaya rapadair の 次 に 銘 日 9 を 一 つ 夫 々 鋏 い て 居 る。 然 し 最 初 日 本 に 傳 へ た 時 の は 大 艦 か く の 如 き で あ つ た の で あ ら う。 猫 享 保 刊 本 從 つ て 大 正 藏 経 本 に は 第 六 本 尊 眞 言 品 の 終 り に 三 十 四 別 法 が 附 し て あ る が、 こ れ は む し ろ 最 後 に 附 す べ き も の で あ ら う。 而 し て 三 十 四 法 に な つ て 居 る が、 そ の 中 の 第 二 十 七 に は 第 二 十 八 と し て 分 出 す べ き 悪 鬼 神 の 條 を 混 じ て 居 る の で あ る か ら (恐 ら く に 爲 誤 に ょ る の で あ ら う )、 從 つ て 全 膿 は 李 安 爲 経 の 如 く 三 十 五 法 が 本 當 で あ ら う。 但、 三 十 四 法 と し た も の が 支 那 で も 早 く か ら あ つ た こ と は 恵 蓮 の 請 來 目 録 ) 大 正 藏 二 一 六 八 B ) に 奪 勝 佛 頂 修 鍮 伽 内 別 行 成 就 三 十 四 法 一 巻 な る も の が あ る に よ つ て も 知 ら れ る。 猶 こ れ と 卒 安 爲 経 と の 關 係 は そ の 項 に 於 て 述 べ る。 佛 頂 隼 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 六 一
佛 頂 尊 勝 陀 羅 尼 経 諸 傳 の 研 究 六 二 禦 (崇 疏 ) 法 崇 の 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 経 教 跡 義 記 ( 叉 匡 疏 ) は 不 室 鐸 の 出 來 た 翌 年 に 著 し た の も の で あ り、 法 崇 は 不 室 を 奪 敬 し て 居 た こ と は 疏 の 終 り の 方、 陀 羅 尼 の 娑 縛 賀 の 註 繹 の 際 に ﹁ 興 善 寺 大 廣 智 三 藏 和 尚 以 義 解 日、 ﹂ と い つ て 居 る こ と に よ つ て も わ か る。 し か し 自 分 の 註 繹 し て 居 る 経 は (佛 ) の も の で あ つ て 不 室 課 の も の で は な い。 た 不 室 課 に よ つ て ( 佛 ) の 陀 羅 尼 に 二 三 ヶ 所 加 筆 し た と 思 は れ る 所 は あ る。 而 し て、 彼 れ の 註 繹 は 大 膿 過 誤 少 き も の で あ る、 た ゝ 陀 羅 尼 を 十 門 に 分 つ て 居 る が、 そ の 第 八 門 と 第 九 門 と の 間 の 分 け 方 は 面 白 く な い と 思 ふ。 予 の 後 に 出 す 課 文 と 封 照 せ ら れ よ。 7 ( 中 亜 梵 ) 中 亜 機 掘 陀 羅 尼 梵 文 紙 巻 本 (Stein, ch. 0041) はJRAS. 1911. p. 461 以 下 に 全 文 を 翠 げ て あ る。 か、 こ れ に よ る と 甲 類 第 一 種 に 屡 す る 如 く で あ る が、 第 二 種 的 な 所 も あ り、 然 し 未 だ 第 二 種 に は な つ て 居 ら す、 加 ふ る に 終 り の 方 甚 誤 脱 の 多 い も の で あ る、 文 字 は 楷 書 で な く 草 書 腿 で、 か な り 齪 暴 な 書 き 方 で あ り、 年 代 を 明 に き め る こ と は 困 難 で あ る ( こ の 陀 羅 尼 の 次 に 大 佛 頂 白 傘 蓋 陀 羅 尼 が あ る )。 ホ (若 ) 佛 頂 奪 勝 陀 羅 尼 別 法、 若 那 課、 こ れ は 麗 宋 元 明 本 に 共 に 無 い が、 大 正 藏 経 は 大 日 本 績 藏 経 の も の か ら 取 つ た の で あ る が、 恐 ら く 日 本 へ こ れ を 最 初 傳 へ た の は 圓 仁 で あ ら う、 そ の 入 唐 新 求 聖 教 目 録 中 に あ る。 著 ( 若 の 誤 植 か ) 那 澤 と な つ て 居 る が、 そ の 巻 頭 に、 ﹁ 口 問 筆 綴、 授 與 崇 幅 寺 僧 普 能 ﹂ と あ る か ら 純 梓 の 課 で は な い。 こ れ に は 陀 羅 尼 は な い が、 先 叢 像 法、 次 に 結 壇 法、 終 り に 別 法 三 十 八 を 説 い て 居 る。 こ の 別 法 の 部 か こ の 本 の 主 要 部 で あ る、 而 し て 三 十 八 は 傳 善 無 畏 の 三 十 四 法 と 殆 ど 同 じ で、 た 最 後 の 第 三 十 五 以 下 四 つ が 加 は つ て 居 る の み で あ る。 又、 書 像 法 と 結 壇 法 と は 傳 善 無 畏 澤 の 書 像 法 第 七 の 中 程 ( 大 正 藏、 頁 三 七 六、 中 段、 第 十 三 行 目 ) の 書 像 法 以 下 に 殆 全 く 合 す る。 こ れ に よ り て も