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平 成21年 版

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平 成2 1年 版

文 化 庁 編

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我が国には,神社,寺院,教会,教派,宗派,教団などの宗教団体があり,

それぞれの教義や伝統に従って宗教活動を行っています。

これらの宗教団体の多くは法人格を取得し宗教法人となっていますが,こう した宗教法人などの現状についての全般的な資料は必ずしも多くはありませ ん。文化庁では,例年,これらの宗教法人などに関する最新の資料,統計等を 収載した「宗教年鑑」を編集,発行し,一般の方々の参考に供してきました。

また, 「宗教年鑑」では,日本の宗教の概要についても紹介しておりますの で,宗教に関心をお持ちになっている各方面の方々に広く活用していただけれ ば幸いです。

最後に,この年鑑の作成に当たって御協力いただいた宗教団体,都道府県,

その他関係団体の各位に深く感謝の意を表します。

平 成 2 2 年 1 1 月

文化庁文化部長

小 松 弥 生

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1 この年鑑は,第1部日本の宗教の概要,第2部宗教統計,第3部宗教団体 一覧の編成であり,これに資料が加えられています。

2 第1部日本の宗教の概要は,神道系,仏教系,キリスト教系,諸教に分け て,今日までの流れについて年代を追って平易に紹介するとともに「宗教統 計調査」のデータをもとに,日本の宗教事情を数字の上から紹介していま す。

3 第2部宗教統計には,従来どおり,平成2 0年末現在の宗教団体に関する各 種の統計を掲載しています。

4 第3部宗教団体一覧には,文部科学大臣所轄包括宗教法人一覧,文部科学 大臣所轄単位宗教法人一覧,都道府県知事所轄包括宗教法人一覧及びその他 の包括宗教団体一覧を掲載しています。原則として平成2 2年1月1日現在の ものを掲載しています。その後,変更届があったものについても可能な限り 掲載しています。

5 資料には,日本宗教連盟及び同協賛団体一覧と都道府県における宗教法人 事務主管部局課一覧を掲載しています。

6 巻末にこの年鑑に掲載されている宗教団体の索引があります。

平 成 2 2 年 1 1 月

文化庁文化部宗務課

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序 はしがき

第1部 日本の宗教の概要

はじめに ……… 1 1 神道と神道系の諸教団 ……… 2 2 仏教と仏教系の諸教団 ……… 7 3 キリスト教とキリスト教系の諸教団 ……… 1 9 4 諸教の諸教団 ……… 2 4

第2部 宗教統計

宗教統計 Q&A ……… 2 7 第1表 宗教法人数総括表 ……… 3 3 第2表 全国社寺教会等宗教団体・教師・信者数 ……… 3 4 第3表 系統別単位宗教団体・教師・信者数 ……… 4 6 第4表 包括宗教団体の被包括宗教団体・教師・信者数 ……… 5 0 第5表 単立宗教法人・教師・信者数 ……… 5 2 第6表 包括宗教団体別被包括宗教団体・教師・信者数 ……… 5 4

第3部 宗教団体一覧

1 文部科学大臣所轄包括宗教法人一覧 ……… 1 0 3

2 文部科学大臣所轄単位宗教法人一覧 ……… 1 2 5

3 都道府県知事所轄包括宗教法人一覧 ……… 1 5 9

4 その他の包括宗教団体一覧 ……… 1 6 1

(8)

1 日本宗教連盟及び協賛団体一覧 ……… 1 6 6 2 都道府県における宗教法人事務主管部局課一覧 ……… 1 6 7

宗教団体名索引 ……… 1 7 1

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第 1 部

日本の宗教の概要

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神道では古くから各地に神社が祀られたほか,幕末維新期には多数の神道系教団が創設 された。仏教は,6世紀半ばに移入され,さまざまな宗派が成立し,全国に寺院が分布 するに至ったが,明治時代以降も新しい仏教系教団が多く創立されてきた。中国からは このほか儒教や道教も古代から伝えられており,諸宗教の中に根づいているものもあ る。キリスト教でもカトリックやプロテスタントの諸教派が伝えられ,イスラーム,ヒ ンドゥー教なども活動している。

ここでは,日本において現在活動している諸宗教について,とくに教団を結成してい るものを中心として,その沿革を略述する。

下表は,本年鑑の統計から作成した神道系,仏教系,キリスト教系,諸教各系統の単 位宗教法人数と包括宗教団体数である。なお,宗教活動を行い,一定の組織化を達成し ている宗教団体であっても,宗教法人でないものを把握することは困難であり,下表中 の包括宗教団体のうち非法人とは,宗教法人を包括しているがそれ自身は宗教法人とは なっていない包括団体を指している。

宗教団体 系統

単 位 宗 教 法 人 包 括 宗 教 団 体 被包括法人 単 立 法 人 合 計 法 人 非 法 人 合 計 神 道 系 83,236 1,998 85,234 134 26 160 仏 教 系 74,967 2,605 77,572 166 30 196 キ リ ス ト 教 系 2,796 1,593 4,389 68 14 82 諸 教 14,593 414 15,007 31 5 36 合 計 175,592 6,610 182,202 399 75 474

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神道と神道系の諸教団

神道とは,日本民族に固有の神・神霊についての信念に基づいて発生し,展開してき た宗教の総称である。また神道という場合には,神・神霊についての信念や伝統的な宗 教的実践に限らず,広く生活の中に伝承されている態度や考え方をも含むこともある。

神道は,大別して,神社を中心とした神社神道,幕末以降創設された教派神道及び前 二者のように宗教団体を結成せず家庭や個人において営まれる民俗神道があるという説 が有力である。以下,教団として成立している神社神道と教派神道について記述するこ ととする。

神社神道系

神社神道系の諸教団の多くは,神社を中心として構成されている。したがって,ま ず,神社の沿革について略記する。

現在,宗教法人となっている神社は約8万あり,また宗教法人とならずとも人々の崇

やおよろずのかみ

敬を受けている神社も数多くある。その神社にまつられている祭神は,俗に八百万神と いわれるように実に多彩であり,また祭神が不詳の神社も少なくないが,祭神が明確な ものについて,一応,次のような区分がなされる場合がある。漓万物創造に関する神

あめのみなかぬしのかみ た か み む す び の か み か み む す び の か み ふ つ の

――天御中 主 神,高皇産霊神,神皇産霊神(造化三神)など,滷霊能上の神――布都

みたまのおおかみ ことしろぬしのみこと かなやまひこのみこと

御魂大神など,澆職業に関してまつられた神――事 代 主 命,金 山 彦 命など,潺天象

ひ の か ぐ つ ち の か み みづはのめのかみ かもわけいかづちのかみ おお

に関する神――火之加具土神,罔象女神,加 茂 別 雷 神など,潸地象に関する神――大

やまくいのかみ そこ つ なか つ う わ つ わ た つ み の か み たかおかみのかみ

山 咋 神,底津・仲津・表津綿津見神など, 澁動植物に関する神――高 ! 神など, 澀食

う か の み た ま の お お か み

物に関する神――宇鏨之御魂大神など, 潯人をまつったもの――菅原道真(天満宮) ,徳 川家康(東照宮) ,戦争等で亡くなった人々(靖国神社,護国神社)など。なお,神社 の中には,神宮,大社などの名称を有するものがあるが,このうち神宮という名称を有 する神社のほとんどは,皇室にかかわりのある神社,歴代の天皇をまつる神社である。

神社に様々な神々がまつられているのは古代の日本人の信仰とその後の事情に由来す る。古代の日本人は,かつて本居宣長が「尋常ならずすぐれたる徳のありて可畏き物を

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先としてまつる神,滷祖先神でなくとも氏に由緒ある神,澆居住地の鎮守の神,を含む が,氏神というとき澆の鎮守の神をさすのが近世以降では一般的となっている。集落に その地を守護する鎮守神をまつる風習は普及し,明治初期には,全国の神社の数は,旧 村落の大字村の数1 8万余に近かったといわれる。

このように神社は,基本的には,氏族や地域集団といった一定の社会集団によってま つられてきたが,神社の個性や祭神の神徳が強調されその土地や血縁関係を離れて伝播 し,広く参詣者を集め,神社によっては各地に分社が勧請されていく一面をも有してい る。例えば,古くは熊野神社が熊野信仰の流布に伴い各地に分布していった。また,伊 勢の神宮は,古くは国家的なものに限られていたが,ことに戦国末頃から伊勢の大神が 各地に飛び移るという信仰によって,各地に神明社が建設されていった。現在,神明社 は全国に約1万8千社あるといわれる。また,宇佐八幡宮に発祥するとされる八幡神は 武術の神として源氏一族をはじめ武人が広く尊崇するところとなった。現在,八幡神社 は全国におよそ2万5千社あるといわれる。

また,京都の伏見稲荷大社を総本社とする稲荷神社にまつられる稲荷大神・宇鏨之御 魂神は,古くは農業神として広く信仰されていたが,やがて殖産興業神,商業神,屋敷 神などへと機能が拡大され,農民層のみならず商工業者層,武士層へと浸透し,全国的 に普及していき,現在全国に約3万2千社あり,全国で最も多くまつられているといわ れる。

菅原道真をまつる天満(天神)社は,道真の太宰府での没後,その怨霊の活動が語ら れ,京都に道真の霊がまつられたことに始まる(北野天満宮) 。この信仰は室町時代に 全盛となり,文学詩歌などの神としても崇められ,広く天神講が普及した。現在,天満 社,天神社は約1万5百社あるといわれる。

神社の在り方としては,それぞれ単独に活動するものであり,連合して教団的結束を 有するものはあまり見られなかった。神社が教団的な形態を採るようになったのは,神 社が国家の管理を離れ,宗教法人令による宗教法人として各々の道を歩むこととなった

−3−

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昭和2 1年以降のことである。以来,本年鑑に列挙される神社神道系の宗教団体が結成さ れている。

神社を中心として結成された宗教団体のうち最大のものは,神社本庁である。神社が 国家管理を離れるに際し,大日本神鐵会,皇典講究所,神宮奉斎会の民間三団体が中心

ほん

となって宗教団体の結成が図られ,昭和2 1年1月2 3日「……全国神社の総意に基き,本

そう

宗と仰ぐ皇大神宮の許に,全国神社を含む新団体を結成し,協力一致神社本来の使命達 成に邁進し,以て新日本の建設に寄与せんことを期す。 」との「神社本庁設立に関する 声明」を発し,神社本庁が発足することとなった。神社本庁は,同3 1年5月,神社信仰 のための拠るべき指針として「敬神生活の綱領」を示し氏子・崇敬者の教化・育成につ とめ,また同5 5年7月から「神社本庁憲章」を施行し,神社本庁の精神的統合の基本的 規範を確立した。

本宗とされる神宮(一般には伊勢神宮)を新しい敷地に移し替え,神宝を新たにする 2 0年に一度の式年遷宮が戦後は昭和2 8年,4 8年,平成5年に執り行われ,神社界のみな

らず,一部の仏教団体などもあわせて奉賛した。次回は,平成2 5年である。

神社本庁には,全国の主要な神社を含め,全国神社の大部分(7 9, 0 4 1社)が加盟して おり,4 7都道府県にそれぞれ神社庁が置かれている。

神社本庁以外の神社を中心とする包括宗教団体の性格は,漓神社本庁と同様,神社が 糾合して成立したもの,滷神社の崇敬者講などを中心として成立したもの,の二つに大 別できる。漓としては,近畿の府県に分布する神社が糾合した神社本教,広島県下の神 社を中心とする神社産土教,かつての大日本神鐵会北海道支部渡島部会に属した神社が 結成した北海道神社協会などがあり,滷としては,御嶽神社を中心とする木曽御嶽本 教,石竟神社を中心とする石竟本教,日御碕神社を中心とする出雲日御碕大神宮教など がある。

教派神道系

教派神道系の諸教団は,神道的宗教伝統の中から特定の組織者・創唱者を中心とし,

彼らの教説や宗教体験に従う信者からなる組織宗教である。その萌芽は古く山岳信仰の 講集団などに求められるが,本年鑑に記載されている諸教団は,幕末以降に成立したも

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行教,神道大成教,神習教,扶桑教,御嶽教,神理教,禊教,金光教,天理教,神道大 教――現在の名称)及びその傘下に入っていて戦後分離・独立した教団並びにそれらの 教団の系譜を引くもの(本年鑑では教派神道系に分類) ,とそれらの教団とは別に成立 したもの(本年鑑では新教派系に分類)とに区分される。なお,天理教は,戦後,教派 神道系を脱し,諸教に入っている。

教派神道系の諸教団は,神道的要素を基調とするものの,さらに儒教,仏教,道教,

修験道その他多様な要素を具備し,創唱者の独創的思想を中心としてそれぞれ独自性を 示し,教派神道と称しても一概にその内実を語ることは困難である。 『宗教学辞典』で は,教派神道系教団を漓山岳信仰系,滷純教祖系,澆禊系,潺儒教系,潸復古神道系に 区分している。ここでは一応この区分に従って,若干の教団を紹介することにする。

漓山岳信仰系の教団は,霊峰を崇敬の対象とし,さらに霊峰での修行を重視する山岳 信仰の講集団に由来するもので,富士山信仰を基本とする富士講,この富士講から柴田

はなもり なかば

花守が組織した実行教,宍野 半 (1 8 4 4〜1 8 8 4)が結成した扶桑教のほか,丸山教,富

おうすけ

士教,富士本教などがある。また,木曽御嶽山信仰の御嶽講社の系統には,下山応助が 明治初年に組織した御嶽教,御嶽教修正派,御嶽山曽間本教,御嶽山大教,いのちの会 などがある。

滷純教祖系の教団は,教祖の個人的な宗教体験及びそれに基づく教えをもとに結成さ

れ た も の で,黒 住 宗 忠(1 7 8 0〜1 8 5 0)の 黒 住 教,金 光 大 神(川 手 文 治 郎) (1 8 1 4〜

1 8 8 3)の金光教,出口なお(1 8 3 6〜1 9 1 8)を開祖とし,出口王仁三郎(1 8 7 1〜1 9 4 8)を 聖師と仰ぐ大本がある。また,中山みき(1 7 9 8〜1 8 8 7)が開いた天理教の系譜に,大道 教,世界心道教などがある。

澆禊系の教団は,教理・実践の面で禊による心身の鍛練をとりわけ強調するところに

まさかね

特徴があり,井上正鉄(1 7 9 0〜1 8 4 7)を教祖とし,坂田正安・鉄安らが結集した禊教,

まさもち

芳村正乗(1 8 3 9〜1 9 1 5)を教祖とする神習教などがある。

くにてる

潺儒教系の教団は,儒教と復古神道の要素を融合して有するものであり,新田邦光

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せいさい

(1 8 2 9〜1 9 0 2)が開いた神道修成派,平山省斎(1 8 1 5〜1 8 9 0)が創唱した神道大成教な どがあり,神道大成教からは修験道教,天地教(兵庫)などが派生している。

潸復古神道系の諸教団は,その教えに本居宣長・平田篤胤ら近世の国学者の神道説の

たかとみ

影響をもっとも濃厚に受けているもので,出雲大社大宮司千家尊福(1 8 4 5〜1 9 1 7)の組

おおやしろ

織した出雲大 社 教,巫部経彦(1 8 3 4〜1 9 0 6)が開いた神理教,明治初期に設置された 神道事務局,神道本局の系譜を引く神道大教などがある。

図1 神道の流れ

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日本の仏教は,インドから中国,朝鮮半島を経て伝来した。仏教の公伝は,5 3 8年

(一説に5 5 2年)といわれるが,それ以前にも,民間では,渡来人などにより伝えられ ていた。やがて,中国・朝鮮半島の仏教がもたらされて宗派が形成された。例えば,南 都仏教は,渡来僧や遣唐使などによって伝えられたものであり,天台宗と真言宗は唐よ り最澄と空海が伝えて開創したものである。

さんろん じょう

鎌倉時代初期までは日本の仏教は8宗あると考えられていた。すなわち,三論, 成

じつ く しゃ ほっそう け ごん りつ

実,倶舎,法相,華厳,律の南都六宗と天台宗,真言宗である。しかし,鎌倉時代には 定着した仏教文化を背景に,法然の浄土宗,親鸞の浄土真宗,日髑の日髑宗など日本人

にっそう

自身による独自の仏教が創唱された。また,この時代には入宋した栄西と道元により,

臨済宗と曹洞宗が伝えられた。

戦前,宗教団体法以前,公認された仏教宗派には,1 3宗5 6派があった。1 3宗とは,法 相宗・華厳宗・律宗・天台宗・真言宗・融通念仏宗・浄土宗・臨済宗・真宗・曹洞宗・

おうばくしゅう

日髑宗・時宗・黄檗 宗 (成立順)である。昭和1 4年,宗教団体法が成立したとき,こ れらの宗派は,2 8宗派にまとめられた。1 3宗5 6派と2 8宗派の関係は,次頁のとおりであ る。

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戦後,宗教法人令が成立し,国の認可制度がなくなると,多数の仏教教団が分派・独 立し,多くの宗派が新設された。その後,昭和2 6(1 9 5 1)年の宗教法人法成立を機に,

多少,解散したものもあるが,文部科学大臣所轄包括宗教法人としては平成2 0(2 0 0 8)

年末現在,1 5 5の仏教宗派が存在している。

以下,日本仏教の主な宗派とその流れについて,簡単に紹介することにしよう。

−8−

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た,法隆寺や四天王寺などを建立している。法隆寺は,その後,長く法相宗の学問道場 としての役割を果たしてきたが,今日では法相宗から独立し,聖徳宗を形成している。

四天王寺は天台宗に属していたが,戦後独立して和宗を形成し,その総本山となってい る。

奈良仏教

奈良時代に入ると,遣唐使によって唐から移入された学問仏教が奈良の諸大寺院で学

じょうじつ く しゃ ほっそう

ばれた。これは一口に南都六宗といわれており,三論・ 成 実・倶舎・法相・華厳・律 の6宗をいう。このうち法相宗とは,インドに由来する唯識教学を研究する学派で,今 日,興福寺と薬師寺を二大本山とし,その伝統を伝えている。また,華厳宗は,東大寺

げんじゅ

を大本山とし,中国の賢首大師法蔵が華厳経に基づき大成した華厳教学を研究する学派

る しゃ な

である。東大寺には,7 5 2年,華厳経の教主・毘盧遮那仏をかたどる大仏が建立され,

この東大寺を総国分寺とする国分寺の組織も整備された。総じて,奈良仏教は,鎮護国 家的性格を有していた。なお,7 5 4年,唐から鑑真(6 8 8〜7 6 3)が来朝し,授戒の制を 確立した。鑑真の開創した寺院が唐招提寺で,今に律宗を伝えている。

平安仏教

平安仏教を代表するものとしては天台宗と真言宗とがある。

〔天台宗〕

天台宗の開祖は,伝教大師・最澄(7 6 7〜8 2 2)である。最澄は入唐して隋の天台智 ! の大成した天台教学を究め,さらに密教と禅と律の伝授も受けて帰朝し,8 0 6年,円

(天台教学) ・密・禅・戒の四宗を綜合する天台法華宗を開創した。天台教学は法華経 に基づくものであり,あらゆる人々は仏となる因(仏性)を有しているという一乗思想

さんたいえんにゅう

のほか,三諦円 融の教え,一念三千の教えなどの思想を有している。と同時に,心を 統一しつつ自己と存在の実相を観察する 止観 を中心とした実践行も重視し,教観双

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ろうざん

修を標榜する。天台宗には,峰々を毎日歩きまわる回峰行,長い年月山に籠る籠山行な ど極めて厳しい行が伝わっており,今に,これを修する人が絶えない。なお,最澄は戒 に関して特に大乗の立場での戒を主唱し,日本仏教における戒観の基礎を築いたことも 忘れることはできない。このほか日本の天台宗はもとより密教を含んでいたが,その後 真言宗の影響を受けたり,円仁(7 9 4〜8 6 4) ,円珍(8 1 4〜8 9 1)が出てさらに密教化 し,真言宗の東密に対し台密と呼ばれる密教を栄えさせた。

天台宗の総本山は比叡山延暦寺である。天台宗からの分派としては,円珍門下の余慶 が三井の園城寺に拠ったところから始まる天台寺門宗,戒称一致(大乗円頓戒と称名念

じ しょう しんせい

仏を統合)の教学を唱えた慈 摂 大師真盛による天台眞盛宗などがある。なお,戦前,

鞍馬寺や浅草寺は天台宗に属していたが,戦後いずれも独立してそれぞれ鞍馬弘教,聖 観音宗を形成している。

〔真言宗〕

真言宗の開祖は弘法大師・空海(7 7 4〜8 3 5)である。空海は唐で恵果より真言密教を 学び,ことごとく秘法を伝授されたという。帰国ののち真言宗を開き,8 2 3年には,嵯 峨天皇から東寺を賜って皇城鎮護の道場とし,8 3 5年,高野山で入定(入寂)した。こ の間,布教活動とともに福祉的活動や橋をかけるなどの社会事業にも尽力した。密教と いうのは,歴史上の釈尊が説いたとされる顕教に対するもので,法身仏(いわば絶対 者)である大日如来が,直接説いた教えという。生きとし生けるものは,宇宙の根源的 な生命である大日如来の顕現であり,我々も身・口・意の三密行の実践により即身成仏 することができると説く。そのほか具体的な行として阿字観などがあり,また諸尊の加 護を求めて加持祈顰がしばしば修される。曼荼羅は密教の悟りの世界=宇宙の大生命を 象徴的に図画でもって示したものであり,かつ現実世界がそのまま理想世界であること を示すものである。また,高野山は,弘法大師・空海の入定の地であり,大師の救いを 信じて南無大師遍照金剛と唱える大師信仰の中心となった。この高野山金剛峯寺を総本 山とする高野山真言宗は真言宗団の中でも最大の宗団である。また,真言宗は皇室と縁 が深く,大覚寺,仁和寺等の門跡寺院が多くあり,それぞれ一派を形成している。

かくばん

1 2世紀には,覚鑁(1 0 9 5〜1 1 4 3)が出て密教と高野山の復興につとめた。覚鑁は金剛 峯寺と大伝法院の座主を兼任するなどしたが,金剛峯寺勢力と折り合わず,高野山を離

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言宗智山派の基を据えた。

〔修験道〕

平安末には日本古来の山岳信仰が仏教,道教,シャーマニズム,神道などと習合し て,修験道という一つの宗教体系を作り上げた。中世期,大峰山では吉野・熊野を拠点

しょう ご いん

として修行が行われ,熊野側では聖 護院を本山とする本山派が,吉野側では大和を中 心に当山派が形成された。江戸時代には両派が認められていたが,明治政府により神仏 分離政策がとられ,明治5(1 8 7 2)年,修験道は一宗としては廃止され,本山派は天台 宗に,当山派は真言宗に組み込まれるかたちとなった。現在は独立して本山修験宗,真 言宗醍醐派,金峰山修験本宗,修験道などとなっている。

鎌倉仏教

鎌倉時代には多くの宗派が生まれている。平安末から鎌倉時代にかけては政治の実権 が貴族から武士へと移る転換期であり,その一方,天災・飢饉・戦乱などによって民衆 の苦悩は深まっていった。しかも仏教史観によれば,末法の時代でもあった。そうした 中で貴族階級中心の平安仏教に代り,民衆の救いへの願いに応える仏教が生まれたので あった。

〔浄土宗〕

浄土宗系の教団で宗祖とされている法然(1 1 3 3〜1 2 1 2)は初め比叡山に上り,次に南 都に遊学し,諸宗の奥義を究めたが満足できず,ついに中国の善導大師の『観経疏』の 一文に触発されて,専修念仏を唱導する浄土宗を開創した。すなわち,この末法の時代 には阿弥陀仏の御名を称えることによって極楽浄土にひきとっていただき,そこでやが て悟りを開く方がふさわしいとして,専ら念仏の易行のみを修する立場を選択した。こ の他力易行としての念仏は,愚人,悪人こそが救われる道として,当時の民衆に大きな 影響を与え,法然のまわりには貴族から遊女らに至るまで集まった。しかし,従来の諸

ちょう じ

宗は伝統的な仏教を否定するものとして反発し,朝廷に念仏 停 止の令を発するように

−11−

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働きかけた。結局,法然は,土佐(実は讃岐)流罪に処せられ,高弟らも,死罪や流罪 に処せられた。

現在の浄土宗は,法然の高弟のうち特に九州地方で活躍した弁長(1 1 6 2〜1 2 3 8)の鎮 西流を中心とする宗派である。第三祖の良忠(1 1 9 9〜1 2 8 7)は主に関東を中心に伝道 し,その門下からさらに全国に弘まった。戦後,一旦は分立した知恩院の浄土宗本派,

増上寺の浄土宗,金戒光明寺の黒谷浄土宗が合併し,知恩院を総本山とし,増上寺,金 戒光明寺,光明寺,善導寺などを大本山とする現在の浄土宗を形成している。

法然の高弟の一人証空(1 1 7 7〜1 2 4 7)の門流には,現在,浄土宗西山深草派,西山浄 土宗,浄土宗西山禅林寺派があり,これらは西山三派といわれている。

〔浄土真宗〕

浄土真宗の宗祖は親鸞(1 1 7 3〜1 2 6 2)である。親鸞は初め比叡山で修学に励んだ が,2 9歳の時,京都六角堂に参籠したおり,聖徳太子の夢告を得て,法然の下に参じた といわれる。やがて法然の高弟の一人となり,法然が四国流罪とされたときには越後流 罪に処せられた。その後,関東で教えを広め,晩年には京都に帰ったが,手紙(消息)

により関東の門弟を指導し続けた。親鸞は,法然の唱導した浄土門の念仏の教えこそ真 実の教え(=浄土真宗)であると考えていた。もっとも親鸞の立場はむしろ信心に徹底 し,信が定まったときに必ず仏となる者の仲間(正定聚という)に入る,すなわち,浄 土往生以前にこの世で救いが成就する(現世正定聚)とされた。しかもその「信心」も

「念仏の行」も,如来より施与(廻向)されたものとされ,絶対他力の教学を完成した

じ ねんほう に

という。晩年には自然法爾と述べている。なお,親鸞は妻帯も仏道を妨げないことを唱 え,非僧非俗と称し,出家教団とは異なる教団を形成した。

現在,真宗教団で最も大きなものは,浄土真宗本願寺派(西) ,真宗大谷派(東)の 東西本願寺教団である。本願寺は元来,親鸞の饒堂であり,親鸞の子孫が管理した。三 代覚如(1 2 7 0〜1 3 5 1)の時,本願寺となり,第8代の髑如(1 4 1 5〜1 4 9 9)は活発に布教 活動を展開し,今日の大教団の基礎を築いた。なお,西本願寺は豊臣秀吉から寄進され た土地に建てられ,東本願寺は,その後,徳川家康が当時現職を離れていた教如(光 寿)に施与したもので,東西両本願寺が並び立つこととなった。真宗の十派は真宗教団 連合を結成しているが,東西本願寺教団以外に真宗高田派,真宗興正派,真宗仏光寺派

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融通念仏宗は良忍(1 0 7 2〜1 1 3 2)が開祖である。良忍ははじめ天台宗を修めたが,比 叡山を下り,4 6歳のときに阿弥陀如来より「自他融通の念仏」を受け,融通念仏宗を開 いたという。自他の念仏が相互に力を及ぼしあって浄土に往生すると説いている。良忍 はまた,天台声明の中興の祖としても有名であり,大念佛寺を総本山としている。時宗 の開祖は一遍(1 2 3 9〜1 2 8 9)である。一遍は証空門下の聖達に学び,後に熊野本宮で神

すてひじり ゆ ぎょう

勅を得たとして自らの教学を形成した。一遍は捨 聖といわれ,遊 行をこととし,彼の

さん

門弟も一遍に従って諸国を遊行した。また念仏を称えた人には算という念仏の札を与え た(=賦算) 。その宗団は,初め,時衆と呼ばれ,室町時代にかけて大きく成長した。

清浄光寺(遊行寺)が総本山である。

〔禅宗〕

鎌倉時代に成立した禅宗に,臨済宗と曹洞宗がある。

臨済宗は中国で成立した禅の一派で,禅匠臨済義玄の禅風を伝える宗派である。日本 には栄西(1 1 4 1〜1 2 1 5)が宋より伝えた。ただし,現在に伝わる臨済宗各派のほとんど

なん ぼ じょうみょう しゅうほうみょうちょう

は,鎌倉末期から室町期に活躍した大応国師(南浦 紹 明) ,大燈国師( 宗 峰 妙 超) ,

はくいん

関山慧玄といういわゆる応燈関の流れである。さらに江戸時代には白隠(1 6 8 5〜1 7 6 8)

が出て,これを中興した。禅とは精神統一の状態を意味する dhya¯na(ja¯na)の音写・

ぜん な

禅那の語に由来する。すなわち,坐禅を組んで精神統一の状態に入り,自己の本性を見 徹し,悟りを開くことを目的としている。その悟りの境地は,言葉によって説明するこ

ふ りゅうもん じ きょう げ べつでん

とはできず,師と弟子の間で心から心へと伝えられる(不 立 文字, 教 外別伝) ,とい う。また,古来,禅僧には,その悟りの立場から発する奇抜な言動が禅問答として遺さ れているが,それらは後に禅の学人にとって自らの修行を深めるよすがとして活かされ

こうあん

るようになった。これを公案という。白隠禅は公案による禅修行を主体としている。

臨済宗の中で最も大きな宗団は臨済宗妙心寺派である。妙心寺の開山は関山慧玄

(1 2 7 7〜1 3 6 0)で,室町時代に雪江宗深によって全国的な広がりをもつ一派となった。

その他,主な大本山とその開山を挙げると,建仁寺は栄西,南禅寺は無関普門(1 2 1 2〜

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(24)

1 2 9 1) ,天 龍 寺 は 夢 窓 疎 石(1 2 7 5〜1 3 5 1) ,大 徳 寺 は 宗 峰 妙 超(大 燈 国 師) (1 2 8 2〜

1 3 3 7) ,建長寺は蘭渓道隆(1 2 1 3〜1 2 7 8) ,円覚寺は無学祖元(1 2 2 6〜1 2 8 6) ,また,相

みょう は

国寺は夢窓疎石を開山,春屋 妙 葩(1 3 1 1〜1 3 8 8)を二世とし,各本山ごとに宗派を形 成している。

臨済禅は武士階級に好まれ,また,絵画(水墨画) ,演劇(能) ,茶道等,中世の文化 に非常に大きな影響を与えた。

いんげんりゅう き

なお,江戸時代,明の禅僧・隠元 隆 ! (1 5 9 2〜1 6 7 3)によって臨済禅がもたらされた が,現在,黄檗宗として伝えられている。京都宇治の黄檗山万福寺を本山としている。

曹洞宗は,やはり中国の曹洞宗の禅を,道元(1 2 0 0〜1 2 5 3)が入宋して伝えたもので ある。道元は初め,比叡山に上り修行し,その後,栄西にまみえて禅を修するように

しんじんだつらく

なった。さらに宋に渡って禅宗諸師に遍参し,ついに天童如浄の下に, 「身心脱落,脱 落身心」と大悟し,印可を受けたという。帰朝したが,旧仏教の圧迫を受けたり,幕府 にも受け入れられなかったりしたため,越前に移り,永平寺を開き,弟子の育成に尽力 した。

し かん た

曹洞禅は臨済禅と考え方がやや異なり,公案は用いず,只管打坐,ただ坐るというこ とを重んじている。坐禅は仏のはたらき,仏の活現に他ならないということで,これを

ほんしょう みょうしゅ

「本 証の妙 修」といっている。また,曹洞宗では, 「行持綿密」 , 「威儀即仏法」といっ て日常生活の微に入り細にわたって綿密な規定がなされている。

道元の家風は,極めて厳格で,格調の高いものであり,一般に広まる性格のものでは

けいざんじょうきん

なかったが,その門下の第四祖,瑩山 紹 瑾(1 2 6 8〜1 3 2 5)が禅を大衆化し,現在の大 教団の基礎を築いた。瑩山紹瑾は,石川県の能登に総持寺を開創したが,これは明治に 入って火事にあい,横浜の鶴見に移っている。現在,曹洞宗は福井の永平寺と鶴見の総 持寺の二大本山制をとり,道元を高祖,瑩山を太祖として尊崇している。

〔日髑宗〕

きよすみ

日髑宗は,日髑(1 2 2 2〜1 2 8 2)を宗祖とする。日髑は初め,清澄山に登って仏教を学 び,後,比叡山で天台教学を究めるなどし,故郷(千葉)に帰り,建長5(1 2 5 3)年,

清澄寺で南無妙法髑華経と高唱したのが開宗とされる。その後,鎌倉を中心に布教活動 を展開し,幕府に対して法華経に帰依すべきことを訴えたが聞き入れられず,そのこと

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(25)

日髑宗では,南無妙法髑華経の題目(経の題名)を唱える唱題を説くが,それは,法 華経こそが釈尊の悟りのすべて,すなわち宇宙の実相を表わしており,しかも「妙法髑 華経」の題目は,単に名称ではなく,法華経の説く内容,つまり仏陀の証悟の世界その ものである,という日髑の考えからである。なお,日髑は,南無妙法髑華経を中心に,

諸仏諸尊を回りに配した図によって末法の衆生を救済するという釈尊の本懐を顕わした

まん だ

が,その図顕の大曼荼羅も本尊として礼拝の対象としている。

現在,日髑系の教団には,身延山を祖山とし,池上本門寺に宗務院を置く日髑宗をは

けんぽんほっ け

じめ,顕本法華宗,法華宗(本門流・陣門流・真門流) ,本門法華宗等々,種々の宗派 がある。ここには,法華経に対する解釈の相違が介在している。なお,日髑の寂後,身 延の御饒は日髑の定めた六老僧が管理したが,その中の一人,日興(1 2 4 6〜1 3 3 3)の流

にちれんしょうしゅう

れを汲むのが日髑 正 宗であり,富士の大石寺に拠っている。

近現代の仏教

〔明治の仏教〕

明治維新後,仏教を取り巻く状況は変化した。神仏分離と廃仏毀釈によって,寺院は 影響を受けた。明治5(1 8 7 2)年の壬申戸籍によって,僧侶は身分ではなく職業とな り,同年には僧侶の肉食・妻帯・蓄髪を勝手たるとする布告が出された。教団の再編が 行われ,本山から管長を中心とする組織に変化した。また江戸時代までの伝統的な宗学 から,海外に留学した学僧たちによって近代仏教学が展開していった。仏教啓蒙運動や 在家仏教運動が始まったのもこの時代からの特徴である。

〔新しい仏教教団〕

近代以降には,伝統仏教を背景としつつも新たな教団が,設立されていった。

天台系に属する主な教団に,念法眞教,孝道教団などがある。念法眞教は,大正1 4

お ぐられいげん

(1 9 2 5)年,教祖小倉霊現(1 8 8 6〜1 9 8 2)が阿弥陀仏の啓示を受けたとして天台宗所属 の教会を開いて布教していたが,昭和2 2(1 9 4 7)年,別派独立したものである。孝道教

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おか の しょうどう

団は,昭和1 1年,岡野 正 道(1 9 0 0〜1 9 7 8)及びその妻貴美子(1 9 0 2〜1 9 7 6)が,霊友 会より独立し,宗教結社孝道会を結成したのに始まる。

真言系の主な教団に,真如苑,辯天宗などがある。真如苑は,真言宗醍醐派で修行し

い とうしんじょう

た伊藤真 乗 (1 9 0 6〜1 9 8 9)が,後,醍醐派を離れ,昭和2 3(1 9 4 8)年,まこと教団を 設立,その後,現名称に改められたもので,涅槃経を所依の経典としている。辯天宗 は,高野山真言宗寺院の住職の妻であった大森智辯(1 9 0 9〜1 9 6 7)が辯才天の天啓を受 けて,昭和2 7年に立宗した。

日髑系には,新宗教団体が非常に多い。本門仏立宗は,本門法華宗で出家したが,

後,還俗した長松清風(1 8 1 7〜1 8 9 0)が,安政4(1 8 5 7)年,佛立講と称する講を起こ したのに始まる。法華宗に所属して活動したが,戦後,昭和2 1年,独立して本門佛立宗 と称した。

霊友会は,小谷喜美(1 9 0 1〜1 9 7 1) ,久保角太郎(1 8 9 2〜1 9 4 4)によって始められた もので,法華経信仰を基盤とした祖先崇拝が基本となっている。この霊友会から,昭和 1 0〜1 3年頃,孝道教団,立正佼成会などが独立し,さらに戦後,昭和2 5〜2 6年頃,妙智

だいえいかい

會教団,佛所護念会教団,正義会教団などが独立した。そのほか,妙道会教団,大慧會 教 団 な ど も,霊 友 会 か ら 独 立 し た 教 団 で あ る。立 正 佼 成 会 は,長 沼 妙 佼(1 8 8 9〜

1 9 5 7) ,庭野日敬(1 9 0 6〜1 9 9 9)らによって始められたもので,当初は,霊友会とほぼ 同様の信仰形態であったが,その後,原始仏教,大乗仏教の教理を大きく採り入れ,近 年は,宗教協力等に力を入れている。なお,創価学会は,昭和5(1 9 3 0)年,牧口常三 郎(1 8 7 1〜1 9 4 4)によって設立された在家信者団体である創価教育学会が母胎である が,牧口は自らの教育理論の確立のために日髑正宗の信仰を採り入れ,その後次第に信 仰を中心とする団体に発展したものである。

そのほか日髑系の新宗教団体として法師宗,思親会などがある。

〔戦後の仏教〕

戦後,宗教団体法の廃止と宗教法人令の制定により多くの宗派が旧来の宗派から分 離,独立した。その中には浄土宗のように再度,合同したものや,分離して異なる包括 法人として存在しているものもある。

多くの宗派では教団組織を宗教法人法に合わせて整備を行った。また,現代社会にお

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また,仏教界では伝統仏教教団により昭和2 9(1 9 5 4)年に「仏陀の和の精神を基調と する全一仏教運動」という理想のもと全日本仏教会が結成され,昭和3 2年に財団法人と して認可を受けた。財団法人日本宗教連盟の協賛団体でもあり,教団の相互理解と宗派 間による宗教協力,行政や社会問題への対応,世界の仏教徒との連携,親善などさまざ まな活動を行っている。

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図2 仏教の流れ

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日本への伝道

キリスト教の日本への伝道は,天文1 8(1 5 4 9)年,ローマ・カトリックのイエズス会 の宣教師F・ザビエル(1 5 0 6〜1 5 5 2)の来日に始まる。豊臣秀吉はキリスト教の信仰を 禁じたが,1 7世紀初頭には,数十万人の信者がいたといわれている。徳川幕府も徹底し た弾圧を行ったため,キリスト教徒は全滅に等しい状況となった。

日本へのキリスト教の本格的な再布教が準備されたのは幕末の頃であった。諸外国は 日本の開国を求め,日本国内に公館を建て始めたが,この動きとともに宣教師たちの日

ち ぼく

本上陸が始まった。ローマ・カトリックでは,安政5(1 8 5 8)年ジラールが日本知牧に 任ぜ ら れ,翌 年,フ ラ ン ス 総 領 事 館 付 司 祭 兼 通 訳 の 資 格 で 江 戸 に 入 っ た。文 久2

(1 8 6 2)年には横浜に,元治2(1 8 6 5)年には長崎の大浦に天主堂が建てられ,長崎に 上陸したプチジャンは潜伏していたキリシタンを発見した。

ギリシア正教会では,安政6(1 8 5 9)年に箱館にロシア領事館が設置され,聖堂も建 てられた。文久元(1 8 6 1)年にはロシアの修道司祭ニコライが領事館付司祭として赴任 した。

一方,プロテスタントでは,まず安政6(1 8 5 9)年にアメリカの監督教会(聖公会 系) ,改革派教会(カルバン派系) ,長老教会(カルバン派系)からの宣教師・牧師が,

それぞれ長崎,神奈川へ上陸し,外国人居留地を中心にキリスト教の伝道や教育が行わ れ,明治5(1 8 7 2)年には横浜にプロテスタント初の日本基督公会が設立された。

こうしてキリスト教の日本への布教が再び始まったが,一方,明治新政府は,当初キ リスト教を禁止する政策を取り,明治元(1 8 6 8)年切支丹邪宗門禁制の高札を掲げた。

しかし,条約改正とからんだ国際世論の前に,明治6(1 8 7 3)年ついにキリシタン禁制 の高札を撤去するにいたった。この高札撤去はキリスト教の公認を意味するものではな かったが,実質的にはキリスト教の布教は黙認されることとなった。このようにして,

キリスト教各派の布教活動が一層拡大されていった。

プロテスタントのうちルター派は明治2 5(1 8 9 2)年,アメリカ南部一致ルーテル教会

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が伝道を始め福音ルーテル教会を組織し,同2 8(1 8 9 5)年にはフィンランド系も伝道を 開始した。カルバン派はプロテスタントでは最も早く伝道を開始し,日本基督公会を設 立したが,明治1 0(1 8 7 7)年に日本長老公会と合同し日本基督一致教会を創立,明治2 3

(1 8 9 0)年には日本キリスト教会と改称した。会衆派では,アメリカン・ボードの宣教 師らによって宣教が進められたが,明治1 1(1 8 7 8)年,関西の9公会が日本基督伝道会 社を設立,明治1 9(1 8 8 6)年に日本組合基督教会が結成された。バプテスト派では,ア メリカのゴーブルやブラウンによって伝道が開始され,明治6(1 8 7 3)年,横浜に第一 浸礼教会が設立された(北部バプテスト系) 。また,明治2 2(1 8 8 9)年からは南部バプ テストの伝道も始まり,両派は協議して日本の伝道区域を東西に分け,東部は北部バプ テスト,西部は南部バプテストの分担とした。メソジスト派では,明治6(1 8 7 3)年に アメリカ・メソジスト監督教会とカナダ・メソジスト教会の宣教が始まり,この二者に アメリカ・南メソジスト監督教会系が加わり三者が合同して,明治4 0(1 9 0 7)年に日本 メソジスト教会が結成された。

キリスト教系諸教団

昭和1 5(1 9 4 0)年に宗教団体法が施行されたが,この法律の施行に当たってキリスト 教で宗教団体たる教団となったのはローマ・カトリックの日本天主公教教団とプロテス タントの日本基督教団であった。日本基督教団はプロテスタントの日本布教の初めから あった超教派主義的な合同教会的性格の教団であり,当時,日本で活動していた教派の うち日本聖公会の一部とセブンスデー・アドベンチスト以外の教派がこれに参加した が,個々の教会の中には参加しないものもあった。

昭和2 0(1 9 4 5)年,宗教団体法に代って宗教法人令が施行され,各教派は新たに独自 の教団形態を目指す道が開かれた。プロテスタントでは,宗教団体法当時の日本基督教 団に所属していた教派の中には,日本基督教団に留まるものも多かったが,この教団か ら分離し,独自の教団を形成するものもあった。また,戦後には新たに布教を始めた教 団も少なからず存在した。

ローマ・カトリックは,宗教法人令により天主公教教区連盟となり,さらに昭和2 6

(1 9 5 1)年からの宗教法人法によりカトリック中央協議会となり,今日に至っている。

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おいて活動している宣教会修道院の数は3 6,男子の修道院が1 8 3,女子の修道院が6 5 9,

在俗会の数は2 1である。

ギリシア正教会系の教団として,日本ハリストス正教会教団がある。日本ハリストス 正教会教団(ハリストスとはキリストのギリシア語読み)は,戦後在米ロシア正教会と 連携して活動したが,昭和4 4(1 9 6 9)年モスクワとの関係を回復し,同4 5年自治教会と して正式に認められた。同教団では,全国が三つの主教教区に分けられ,東京復活大聖 堂(ニコライ堂)が首座主教聖堂となっている。

プロテスタントの最大の教団は日本基督教団である。同教団は,日本基督教団の従来 の合同教会としての理念を継承し,現在でも宗教団体法下の日本基督教団を構成した教 派の多くを包含している。同教団は,教団総会を最高の政治機関とし,教会の運営につ いては教会総会があり,会議制を採っている。教団は1 9 5 4年には信仰告白及び生活綱領 を定め,1 9 6 9年には沖縄キリスト教団が合同した。

英国教会系では日本聖公会がある。日本聖公会は明治2 0(1 8 8 7)年2月に全国の教会 を組織した教団結成を決めていたが,第2次大戦中教団組織を解体させられた。昭和2 0

(1 9 4 5)年1 2月改めてその機構を復活して今日に至っている。日本聖公会では,全国を 1 1の教区に分け,それぞれ主教をおいている。ローマ・カトリックと同じく聖公会の教 区も独立しており,教区内の事柄は主教を中心として運営されている。日本聖公会は,

首座主教のもとに一つの管区を構成し,他の管区の干渉を受けずに主教を叙任し,総会 ですべてを決定する。

日本基督教団,日本聖公会以外の主なプロテスタントの教団を列挙すると,まず,

ルーテル派では,日本福音ルーテル教会(アメリカ一致ルーテル教会系を中心にフィン ランド系の福音ルーテル教会等が合同)が最大のものであり,日本ルーテル教団(アメ リカ・ミズーリ派ルーテル教会系) ,日本ルーテル同胞教団(アメリカ・ルーテル同胞 教会系) ,などがある。カルバン派では,日本基督教会,日本基督改革派教会,カン バーランド長老キリスト教会日本中会などがある。会衆派は日本基督教団に合同してい

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る。また,メソジスト派の教会の多くも日本基督教団に合同しているほか,日本自由メ ソジスト教団(ホーリネス系)などがある。バプテスト派には多くの教団があり,中で も日本バプテスト連盟(南部バプテスト系) ,日本バプテスト同盟(北部バプテスト 系)のほか,日本バプテスト・バイブル・フェローシップ(ファンダメンタル・バプテ スト教会系) ,日本バプテスト教会連合などがある。また,ホーリネス系としては,日 本ホーリネス教団(旧聖教会系) ,基督兄弟団(旧きよめ教会系) ,イムマヌエル綜合伝 道団,東京宣教会きよめ教会などがある。

キリスト教界の戦後の動き

現在,日本のキリスト教界には日本キリスト教連合会や日本キリスト教協議会などの 教団・教派を越えた組織がある。日本キリスト教連合会はカトリックとプロテスタント による団体で,法人事務の向上を図るために相互に研修し,親交を深めること,また憲 法に定める信教の自由と政教分離の原則に基づき,全キリスト教会の信仰による良心の 自由と共通の利益を守ることを目的とし,財団法人日本宗教連盟の協賛団体ともなって いる。日本キリスト教協議会はプロテスタントの教会(教団)とキリスト教関係団体に よって構成され,加盟団体のキリスト教としての一致をもとめるとともに,平和,人権 問題などに取り組んでいる。

戦後,聖公会などプロテスタント教会を中心に進められてきたエキュメニズム(教会 合同運動あるいは世界教会運動)は1 9 6 0年代になると,カトリック教会が第2ヴァチカ ン公会議以降,積極的な姿勢を打ち出したこともあって,大いに進展した。その一環と して1 9 7 8年にはカトリックとプロテスタントの協力によって『新約聖書 共同訳』が刊 行され,1 9 8 7年には旧約聖書も含む『聖書 新共同訳』が刊行された。

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諸教の諸教団

諸教に分類される教団

諸教とは,神道系,仏教系,キリスト教系のそのいずれとも特定しえない教団をいう。

すなわち,神道と仏教,あるいは神道と仏教とキリスト教など,複数の宗教が混合して できた宗教や,それらの宗教のいずれとも関係なく,独自に創唱された宗教などである。

ところで,戦前,公認された宗教は,神道,仏教,キリスト教の三教のみであり,非 公認の宗教団体は,行政上, 「類似宗教」として扱われたのであった。宗教団体法で は,教派,宗派,教団,寺院,教会以外はこの法における宗教団体としては認められな かった。ただし,これらの宗教団体以外に,教義を宣布したり儀式の執行を行う組織に ついては,宗教結社として届出させるものとした。大正末期から昭和期にかけて,新宗 教が多く出現してくるが,これらは公認されている宗教団体の中に所属して活動した り,非公認の類似宗教団体として活動し,宗教団体法下にあっては宗教結社として活動 するなどした。しかし終戦後,宗教法人令により宗教法人の設立が届出制になると,い わゆる新宗教も,それぞれ宗教法人を設立していった。戦後間もない頃には,神々の ラッシュアワーと呼ばれたこともあった。諸教の教団は,こうした新宗教の教団が多 い。なお天理教は,もと神道教派1 3派のひとつであったが,その後,自らの教団が神道 でないことを表明したため,現在,諸教の中に含まれている。天理教系のほんみちも元 は教派神道に数えられていたが,諸教に移った。

諸教の主要な教団としては,天保9年,親神・天理王命(てんりおうのみこと)が,

教祖(おやさま)中山みき(1 7 9 8〜1 8 8 7)をそのやしろ(社)としてこの世に顕現し,

教祖の口を通じて啓示されたという天理教,大正8年に,教祖深田千代子(1 8 8 7〜

1 9 2 5)が霊感を得て創めたという円応教,昭和4年に総裁谷口雅春(1 8 9 3〜1 9 8 5)が,

「生命の実相を知れ」 「人間神の子」 「天地一切のものと和解せよ」といった神啓を受け たとして,翌年3月に結成された生長の家,教祖岡田茂吉(1 8 8 2〜1 9 5 5)が昭和1 0年大 本教から独立して開いた世界救世教,御木徳近前教主(1 9 0 0〜1 9 8 3)が,徳光教開教者 の金田徳光,ひとのみち教団開教者の御木徳一(1 8 7 1〜1 9 3 8)の啓示によって悟道体得

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肉体に降臨し,神人合一を体験したとして,地上に神の国建設,世界平和達成のため神 教(みおしえ)を垂教,布教活動を展開した天照皇大神宮教,岡野聖憲(1 8 8 1〜1 9 4 8)

が昭和4年に立教して「生活即宗教」を説いた解脱会などがある。

新宗教教団の連携と現代日本における宗教協力

諸教に分類される教団の多くは比較的新しい教団が多い。そのうちのいくつかの団体 は本年鑑で神道系,仏教系に分類されている新宗教教団などとともに財団法人新日本宗 教団体連合会(略称・新宗連)を結成している。法人法が施行された昭和2 6年(1 9 5 1)

の1 0月に結成され,財団法人日本宗教連盟の協賛団体である。その目的は「人類福祉の 増進」と「世界平和の建設」であり, 「宗教協力」 , 「信教の自由」 , 「政教分離」 , 「国民 皆信仰」の四つを活動の指標としている。

すでにいくつかは紹介したが,戦後,日本では神道界や仏教界,キリスト教界それぞ れが協同し,宗教協力が盛んに行われてきた。昭和4 5年には日本宗教連盟主催の「第1 回世界宗教者平和会議」が海外からキリスト教やイスラームなどの聖職者を招いて京都 で開催された。同会議は世界各地で催され,平成1 8(2 0 0 6)年には第8回の会議が再び 京都で開催された。また,昭和4 6年には京都において諸宗教及び宗教研究者による「現 代における宗教の役割研究会」 (略称・コルモス)が開催され,現在にまで及んでい る。昭和6 2年8月4日には京都市と比叡山上で「比叡山宗教サミット」が開催され,そ れ以降,毎年8月には国内外から宗教者が集まり,世界平和祈りの集いが催されてい る。

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図4 諸教の流れ

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第 2 部

宗教統計

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昭和2 0年の終戦,そして日本国憲法の発布をみるに及んで宗教行政の内容も大 きな転回をみることになりました。信教の自由・政教分離の原則が憲法に規定さ れ,自由な宗教活動を保障するために,政府は,宗教団体の法人格取得に関する法 律の分野を除いて,宗教事情から手を引くこととなり,宗教事情に関しては,宗教 団体の自発的協力なしには知り得ないこととなりました。

しかしながら宗教資料に関する問い合わせが多く,教育上,文化活動上でも宗教 に関する知識の要求も盛り上がってきたので,昭和2 4年になって,宗教法人令によ る宗教法人である教派,宗派,教団の主管者と協議のうえ,統計報告を毎年1 2月末 現在で宗務課が「文化資料とする」ことを主な目的として,取りまとめることとな りました。なお,同時に単立宗教法人については,それを所轄する都道府県で取り まとめて報告が行われることになりました。

この時以来,毎年,宗務課から文書をもって依頼を行う慣行ができあがりまし た。現在では,この統計が宗教界自体でも重宝され,この統計や調査には積極的な 協力を得られるようになっています。

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Q2 この統計の範囲を教えてください。

この統計の範囲は下の図の波線より左側です。 ( )は平成2 0年1 2月3 1日現在 の数字です。

図からもおわかりのように,この統計は宗教法人を対象として,その関連で非法 人宗教団体をとらえていますので,非法人宗教団体のみを有する包括宗教団体及び 単立宗教団体はこの統計の対象外です。

宗教団体(法人)と所轄庁

(注) 被包括宗教法人及び単立宗教法人の上段の数字は文部科学大臣所轄宗教法人数,下段の数字は都道 府県知事所轄宗教法人数である。

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宗教団体)で宗教法人となっているものです。この種の宗教団体は,神社,寺院,

教会,布教所等同法第2条第1号の範ちゅうに入る宗教団体を包括しています。別 言すれば,神社,寺院,教会,布教所等を構成要素として,共通の宗教上の目的の 下にこれと一体的な宗教活動を行う組織であって,ふつう,教派,宗派,教団とい われているものです。

単位宗教法人(団体)とは,神社,寺院,教会,布教所など同法第2条第1号の 範ちゅうに入る宗教法人(団体)であって,この法人(団体)が包括宗教団体のさ ん下にある場合には,被包括宗教法人(団体)といい,いずれの包括宗教団体のさ ん下にも入っていない場合には,単立宗教法人(団体)といいます。宗教団体の中 では,統計表にも見られるように,神社,寺院,教会,布教所等の単位宗教団体が 圧倒的に多く,しかも,その中で包括宗教団体のさん下にある,いわゆる被包括宗 教団体がその大部分を占めています。

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(42)

(参 考)

宗教法人法(抄)

(宗教団体の定義)

第2条 この法律において「宗教団体」とは,宗教の教義をひろめ,儀式行事を 行い,及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をい う。

一 礼拝の施設を備える神社,寺院,教会,修道院その他これらに類する団体 二 前号に掲げる団体を包括する教派,宗派,教団,教会,修道会,司教区そ

の他これらに類する団体

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(43)

の, (キ)については文部科学大臣又は都道府県知事所轄単立宗教法人からの,

(ウ) (エ)については都道府県知事所轄包括宗教法人からの, (オ) (カ)につい ては包括宗教団体からの報告に基づいて作成しました。

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(44)

Q5 この統計表に用いた各欄について教えて下さい。

ア 宗教団体は,宗教法人と非法人の宗教団体の合計です。

イ 系統は,由緒,沿革,教典,教義,儀式などから見て,また,各宗教団体の判 断によって,整理の便宜上,神道系,仏教系,キリスト教系,諸教の4つとし,

更に神道系を神社神道系,教派神道系,新教派系,仏教系を天台系,真言系,浄 土系,禅系,日髑系,奈良仏教系,その他,キリスト教系を旧教,新教としまし た。諸教には,神道,仏教,キリスト教各系統のいずれにも入らないと見なされ る諸派を入れました。したがって,伝統宗教,新宗教などの分類によるものでは ありません。

ウ 神社,寺院,教会とは,それぞれ神社,寺院,教会の名称をもつもの。布教所 とは,布教所,講義所,伝道所,説教所,宣教所の名称をもつもの。その他と は,上記に該当しない修道院,別院,分苑,支部などの名称をもつものをさしま す。

エ 教師は,それぞれの宗教団体が決める教師資格を有しているもので,各宗教団 体に共通する一定の基準はありません。ここでは当該教団が教師と考えるものの 数が掲げられています。なお, ( )で示した数字は,教師中の外国人教師・宣 教師数(教師資格を我が国あるいは外国のいずれで取得したかを問わず,外国籍 を持つ者をこの中に入れました。 )です。

オ 信者は,各宗教団体が,それぞれ氏子,檀徒,教徒,信者,会員,同志,崇敬 者,修道者,道人,同人などと称するもののすべてを含んでいます。信者の定 義,資格などはそれぞれの宗教団体で定められ,その数え方もおのおの独自の方 法がとられています。

カ 各 欄 中, 「―」は「該 当 な し」を, 「…」は「未 報 告(不 詳) 」を 示 し て い ま す。

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(45)

所 轄 系統

包 括

宗教法人 合 計

被 包 括 宗 教 法 人

単 立

宗教法人 小 計 文部科学大

臣所轄包括 宗教法人に 包括される もの

都道府県知 事所轄包括 宗教法人に 包括される もの

非法人包括 宗教団体に 包括される もの

文部科学大臣所轄

神 道 系 128 21 ― 1 64 86 214 仏 教 系 155 153 ― 5 115 273 428 キリスト教系 61 37 ― 2 206 245 306

諸 教 30 25 ― ― 52 77 107

計 374 236 0 8 437 681 1,055

都道府県知事所轄

神 道 系 6 82,969 133 112 1,934 85,148 85,154 仏 教 系 11 74,374 62 373 2,490 77,299 77,310 キリスト教系 7 2,686 29 42 1,387 4,144 4,151 諸 教 1 14,557 2 9 362 14,930 14,931 計 25 174,586 226 536 6,173 181,521 181,546 合 計 399 174,822 226 544 6,610 182,202 182,601

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参照

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