浪川 幸彦 April 17, 2007
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数の体系
ここでは皆さんがよく知っている(と思っている)「数」について,その(存在と)基本 的な性質を確認しておこう。
同時に公理主義的方法で「厳密に」数の体系を作り出していく手順を概説する。そこで留 意されるのは次の事柄である:
• 概念を数学的に正確な言葉で定義すること,特に本質的性質を公理系として列挙する こと
• その体系が(既知体系に基づいて)存在することを示すこと(存在,無矛盾性)
• その体系がただ一通りに定まること(一意性)
• 公理系の中にあげられた諸性質に無駄がないこと(独立性)
ここでは講義の性格上第1点に的を絞って解説する。
ところでこのような「数」の理解に数学が到達したのは,ほんの1世紀前,20世紀初頭 のことであった。3千年近い数学の歴史から見れば,これはとても新しい出来事と言ってい いだろう。
またこのような数の体系を一般に抽象化したものを「代数系」という。以下の説明,特に 自然数から有理数までのそれは代数系の考え方の説明にもなっている。
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1.1 数とは何か?
実は「数」とは何かについて,統一的な定義があるわけではない。皆さんは今まで「数」
として次のようなものを学んで知っている:
数の種類 英語名 記号 自由にできる演算
自然数 natural number N 加法,乗法
整数 integer Z 加法,減法,乗法
有理数 rational number Q 加法,減法,乗法,除法
実数 real number R 加法,減法,乗法,除法
複素数 complex number C 加法,減法,乗法,除法
これらに共通する「数」の性質としてまず第一に挙げられるのは「演算」ができる,とい うことである。種類としては本質的に二つで加法と乗法である。減法は加法の逆演算,除法 は乗法の逆演算で,これらを併せて四則演算と呼ぶ。これらの演算に共通する性質は次の通 りである:
1. 加法に関して
(a) 可換法則a+b=b+a;
(b) 結合法則(a+b) +c=a+ (b+c);
2. 乗法に関して
(a) 可換法則ab=ba;
(b) 結合法則(ab)c=a(bc);
(c) 分配法則a(b+c) =ab+ac,(a+b)c=ac+bc;
次にこれらの数同士の関係を見ると,次の事実が分かる;
・数の範囲がだんだん広がっている;
・有理数までは,その拡大によって可能な演算の種類が増えている。これらは異なる代数系 として捉えられる;
・その後 有理数 → 実数 → 複素数 という拡張では,演算と異なる性質の変化があ る。
・実数までは「順序」があるが,複素数ではない。しかし二つの数の「近さ」の概念はすべ ての数である。これから個々の数について,順にそれらを構成しながら,その特徴を見てい くことにしよう。
1.2 自然数
1.2.1 自然数の定義
ものを「数える」というのは,言葉と並ぶ人間の最も基本的な知的操作であり,自然数の 概念はこれと結びついている。厳密に言えば,基数(ものの個数)と順序数(順番)の二種
類の概念がある。ここで示すのは後者による定義である。
数学的に自然数を初めて厳密に定義したのはG. Peano(1891)である。
Definition 1.2.1 (Peanoの公理系). 次の公理系をみたす集合Nを自然数(の集合)という。N
の要素を自然数という:
1)∃1∈N;
2)∃f :N→N:x7→x0 (x0 をxの後者または次の数という); 3)x∈Nならば,x0 6= 1;
4)x0 =y0(x, y ∈N)ならば,x=y;
5)[数学的帰納法の公理]集合M において2条件‘1∈M0, ‘x∈M ならばx0 ∈M0がみた されるならば,N⊂M.
数学としてはこのような公理系をみたす集合が存在して(同型を除いて)一意的であるこ とを示さねばならないが,その議論はここではしない。
またここでは自然数を1から始めているが,0から始める流儀もある。
以下の議論で決定的役割を果たすのは5)である。これが自然数の性質の本質中の本質で あると言ってよい。それは無限を有限の議論に変換してしまう「魔法の呪文」なのである。
Proposition 1.2.2 (数学的帰納法). 自然数nをパラメータとする性質P(n)に対し,
i)P(1)は正しい;
ii)任意の自然数kに対してP(k)⇒P(k0)
が証明できれば,すべての自然数nに対してP(n)は正しい。
1.2.2 加法と乗法
Theorem 1.2.3 (数学的帰納法による加法の定義). 自然数aを与えたとき,
i)ϕ(1) =a0; ii)ϕ(x0) =ϕ(x)0
で定義される写像ϕ : N → Nが一意的に存在する。ϕ(b) = a+b と書き,加法という。値 a+bをaとbの和という。
加法に関して可換法則,結合法則が成り立つ。
Line of Proof.この証明はかなり大変である。それは証明が難しいのではなく,むしろ当たり
前すぎて,何を仮定してよいか,細心の注意を払わないと間違ってしまうからである。
筋道としては
・存在するならば一意的であることをbについての帰納法で示す;
・存在することをaについての帰納法で示す;
・結合法則をcについての帰納法で示す;
・可換法則はまず‘a+ 1 = 1 +a’をaについての帰納法で示す;
・次に可換法則を一般の場合にbについての帰納法で示す;
という仕組みになる。数学的帰納法が理論構成に本質的な役割を果たしていることが分かる。
一例として一番簡単な結合法則の証明を掲げておこう:
A)(a+b) + 1 = (a+b)0 =a+b0 =a+ (b+ 1) ゆえにc= 1に対して結合法則が成り立つ;
B)(a+b) +c=a+ (b+c)が成り立っているとする。このとき (a+b) +c0 = ((a+b) +c)0 = (a+ (b+c))0
= a+ (b+c)0 =a+ (b+c0)
よってc0に対しても結合法則が成り立つ。数学的帰納法の原理からすべてのcに対して結合 法則が成り立つ。
Remark. よく‘1 + 1 = 2’が「数学的真理」の例としてあげられるが,2 = 10 は‘2’の定義で あり,それによれば‘1 + 1 = 2’は加法の定義に他ならない。
Theorem 1.2.4 (数学的帰納法による乗法の定義). 自然数aを与えたとき,
i)ϕ(1) =a;
ii)ϕ(x0) =ϕ(x) +a
で定義される写像ϕ:N→Nが一意的に存在する。ϕ(b) =abと書き,乗法という。値abを aとbの積という。
乗法に関して可換法則,結合法則,分配法則が成り立つ。
Line of Proof. 加法の場合とほぼ同じように証明する。法則については
右分配法則⇒可換法則⇒左分配法則⇒結合法則 の順で示せばよい。
Exercise 1. 乗法の結合法則を加法の場合に倣って証明せよ。
Remark. 小学校で習った積abの定義は「aをb回足すこと」であった。これは結果として正
しいが,実はまだ「b回足す」という概念が定義されていないので,ここで使うことはでき ない。これは次に述べる順序の概念が定義されて初めて意味を持つ。
1.2.3 順序
Definition 1.2.5. 自然数a, b に対して,a=b+k となる自然数kが存在するとき,aはbよ り大きい,bはaより小さいといい,a > b, b < aと書く。
a > bまたはa=bのときa≥bと,a < bまたはa=bのときa≤bと書く。
Theorem 1.2.6. a)自然数a, bに対して,a > b, a= b, a < bのうち,一つ,しかもただ一つ だけが成り立つ。
b)a > b, b > cならばa > cである。
Corollary 1.2.7 (簡約法則). a)a+c=b+cならばa=bである;
b)ac=bcならばa=bである
Corollary 1.2.8. a)a≥b⇔a+c≥b+c;
b)a ≥b⇔ac≥bc
Exercise 2. これらの系(corollary)を証明せよ。
Proposition 1.2.9. 1は最小の自然数である。
Theorem 1.2.10. 任意の空でないNの部分集合Aには最小の数が存在する。
Idea of Proof. M = {b ∈ N;すべてのa∈Aに対しb ≤ a}とする。上から1∈ M.またすべ ての自然数がM に属することはない。なぜなら Nは空でないので,あるa ∈Aであるが,
そうであればa+ 1∈/ M.したがってb ∈M で,b+ 1∈/ M となるものがある。b が求める 最小数である。
Theorem 1.2.11 (割り算の原理). 任意のa, b ∈ N に対し b = aq+r,0 ≤ r < a をみたす q, r ∈Nが一意的に存在する。
Definition 1.2.12. 自然数nに対し,[1, n] ={a ∈N; 1≤a≤n}とする。[1, n]と同じ濃度を 持つ(一対一対応がつく)集合を個数nの有限集合とよぶ。
Remark. これで初めて個数としての自然数が定義されたことになる。
1.3 整数
1.3.1 整数の定義
Definition 1.3.1. 次の性質をみたす集合Zを整数環とよび,その要素を整数という:
1) Z⊃N;
2) Zには加法および乗法が定義され,それらに関し結合法則,可換法則,分配法則が成り 立つ;
3) Zの加法はさらに群になっている。すなわち任意の整数a, bに対してa+c=bとなる整 数cが存在する;
4) Nの加法および乗法はZのそれらと一致する;
5) Zの真部分集合で上記の性質1)−4)をみたすものは存在しない。
Remark. 集合Rが上記の性質2)−4)をみたすとき,これを環という。
Corollary 1.3.2. 1) Zには,任意のa ∈ Zに対しa+ 0 = 0 +a =a をみたす零元0が存在 して一意的である;
2) 任意のa ∈Zに対しa+ (−a) = (−a) +a= 0をみたす反元−aが存在して一意的である;
3) 整数a, bに対してa+c=bとなる整数cはc=b+ (−a)と表せる。これをb−aと書く Exercise 3. 1) 任意のa∈Zに対し−(−a) =aであることを示せ;
2) 任意のa, b ∈Zに対し(−a)(−b) =abであることを示せ(a0 = 0は使っていい)
Theorem 1.3.3. Zは存在して一意的である
1.3.2 整数の基本性質
Theorem 1.3.4. 1) 任意の整数a ∈Zに対し,
a∈N, a= 0, −a ∈N
のうち一つ,しかもただ一つが成り立つ。Nに属する整数を正数,−a∈Nである整数を負 数とよぶ。2) a, b ∈Zがいずれも正であるとき,a+b, abも正である
Proposition 1.3.5. 1) Zは単位元(a1 = 1a=a)を持ち,それは自然数1である;
2) a, b∈Zが条件ab= 0をみたせば,a= 0またはb = 0である
Theorem 1.3.6. a, b∈Zに対し,a−b∈Nのとき,aはbより大きい,bはaより小さいと いい,a > b, b < aと書けば,これはNでの順序の拡張となっており,これによりZは全順 序集合となる
Corollary 1.3.7. a)a≥b⇔a+c≥b+c;
b)c > 0ならば、a ≥b ⇔ac≥ bc c)c < 0ならば、a≥ b⇔ac≤bc
1.4 有理数
1.4.1 有理数の定義
Definition 1.4.1. 次の性質をみたす集合Qを有理数体とよび,その要素を有理数という:
1) Q⊃Z;
2) Qには加法および乗法が定義され,それらに関し結合法則,可換法則,分配法則が成り 立つ;
3) 任意の有理数a, b∈Qに対してa+c=bとなる有理数cが存在する;
4) 任意の有理数a6= 0, b ∈Qに対してac=bとなる有理数cが存在する;
5) Zの加法および乗法はQのそれらと一致する;
6) Qの真部分集合で上記の性質1)−5)をみたすものは存在しない。
Remark. 上記の性質2)−5)をみたす集合F を体とよぶ。実数全体,複素数全体もまた体で
ある。自然数から始まった整数環,有理数体へという代数系としての拡張はここでひとまず 完成する。
Corollary 1.4.2. 1) 1はQでも単位元である(a1 = 1a=a);
2) 任意のa6= 0∈Qに対しaa−1 =a−1a= 1をみたす逆元a−1が存在して一意的である;
3) 有理数a 6= 0, bに対してac=bとなる有理数cはc=ba−1と表せる。これを b
a とも書く
Exercise 4. 任意のa6= 0∈Qに対し(a−1)−1 =aであることを示せ
Proposition 1.4.3. 1) b 6= 0, d 6= 0ならば, b a = c
d となるのは ad =bcのとき,しかもその ときに限る;
2) 任意の a b,c
d ∈ Qに対し a b + c
d = ad+bc
bd ;
3) 任意の a b,c
d ∈ Qに対し a b · c
d = ac bd Theorem 1.4.4. Qは存在して一意的である
1.4.2 有理数の基本性質
Theorem 1.4.5. 任意の有理数a∈Qはa= p
q, p∈Z, q∈Nと書ける。
Theorem 1.4.6. 1) a= p
q, b = r
s ∈Q, p, r ∈Z, q, s∈ Nに対し,ps−qr ∈Nのとき,aはb より大きい,bはaより小さいといい,a > b, b < aと書く。これはZでの順序の拡張となっ ており,これによりQは全順序集合となる(すなわち任意の有理数a∈Qに対し,
a >0, a= 0, a <0 のうち一つ,しかもただ一つが成り立つ);
2) a, b∈Zがいずれも正であるとき,a+b, abも正である
Remark. このような順序を持つ体のことを順序体とよぶ。
Corollary 1.4.7. a)a≥b⇔a+c≥b+c;
b)c > 0ならば、a ≥b ⇔ac≥ bc;
c)c < 0ならば、a≥ b⇔ac≤bc
Proposition 1.4.8. 異なる二つの有理数a, bに対し,その間に有理数c;a < c < bが必ず存在 する
Remark. これに対し,整数環ではaとa+ 1の間に整数は存在しない。つまり整数は離散的
であるが,有理数はそうでない。
Exercise 5. これを証明せよ。
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