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Einige Spiegelungen des Bewusstseins derEinheit Europas in den deutschen literarischenTheorien der Gegenwart

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

Einige Spiegelungen des Bewusstseins der

Einheit Europas in den deutschen literarischen Theorien der Gegenwart

高橋, 義孝

https://doi.org/10.15017/2332921

出版情報:文學研究. 45, pp.41-46, 1953-03-10. The Kyushu Literary Society バージョン:

権利関係:

(2)

ドイツ・ファシズムは軍事的︑政治的に徹底的な敗北を喫した︒そしてかつて三十年戦争当時グスターフ・アードルフ を招いたやうに︑今己ではアメリカ︑ソヴ=卜その他の国女をドイツの国土の上へ招く結果に終った︒ドイツがともすれ ばドイツ以外の国々の経済的︑敗治的︑そして精神的諸勢力の闘技場になるといふ︑あの﹁悲劇﹂が今日再び繰り返され てゐる︒たしかにそれはドイツ・ファシズムの罪過である︒善き功績とは︵人間の健全な感情にとつて︑厳密にいふなら

プレオナスムス.

nントラデイグチオ・イン・アドイヱグトす

︱ つ の 面 語 で あ ら う

︒ し か し 悪 し き 功 頼 と い ふ 言 葉 は 形 谷 矛 盾 で あ ら う か

o

︑と私は一九四九̲

年に書いた︒ーー'ドイツはアメリカとソウェトとをドイツ自身の許へ招いたばかりではなく︑ヨーロッバの国々へも招き

りうるのである︒こ札は紛札もないョーロソパの体国矢墜であらう︒すなはちョーロッパの︑ 戦争以前の時代におけるやうには絶対に無視しえぬものとしてしまった︒今こそ人は事実上の﹁西洋の没落﹂について語 寄せたのである︒第一一次批界戦争はヨーロゾパの国々にとつて︑アメリカとソヴェトとをいかなる意味でも︑第二次祉界

︑︑︑︑︑ーつの文化統一体としての

﹁統一ョーロッバ﹂意識の現代ドイツ文藝碑論における諸反映︵その一︶

﹁ 統

現代ドィッ文藝理論における諸反映 ョ ー ロッパ﹂意識の

︵ そ の 一

(3)

いやョーロ

﹁統一ョーロッパ﹂意識の現代ドイツ文藝彗論における諸反映︵その一︶

ヨーロッパの︒しかしョーロッパは︑ただそのやうな体面失墜によってのみ初めて可能にせられるやうな精神の高揚を今

︑︑︑︑︑

日体験しつつあるのではなからうか︒換言すればョーロゾパのより高き良心は︑ヨーロッパが一つの文化統一体であるこ

 

とを断念せざろをえぬことによって︑却つて︱つの文化統一体ーーーアメリカやソヴ=卜のそれに相並ぶ︑

ッパ人の意識においてはむるんそれらに優る一つの文化圏であるといふ自棠を持ち始めつつあるのではなからうか︒

ヘラスとクリスト教とが︑真正のョーロゾ︒ハ的精神財宝として新たに眺められだしてゐるのではあるまいか︒

墜と︑更に深い自党と

1

これはヨーロヅパの二十世紀におけるノウム︑

ョーロッパの﹁自己止揚﹂と呼ばれてしかるべ きものであらう︒第一一次世界戦争の終結を以つて︑近世初頭以来のョーロゾバ文化の独裁期は終りを告げる︒ョーロッバ

︑ ︑ の文化は批昇文化の疑払もなく有詑な一員として出発する︒もとよりこれはヨーロッパにとつて苦痛を意味するであら う︒しかしそれは本来の健康を︑すくなくと応据傲からの健康を約束ずろ苦痛である︒悪しき功績とは決して限定矛盾で

︵ヘーゲル︶にたいして︱つのネガティーフな寄与をなした︒それが

*拙稿﹁浪曼主義とドイツ・プァジズム﹂︵﹁現代世界文学購座﹂・ドイッ編︑新潮社︑昭和二十屯年四月︑︱︱]‑]六頁以下︒︶

一九四九年︑以上のやうな文章をなんの資料も参考書類も持たすに誌した乱が︑

ンビーの

s o

c i e t y

といふ勝義における歴史哲学的概念を知ったのは最近のことであり︑又︑

リスト教的・ラテン的・ゲルマン的要素の融合から生超し︑のちに特定のスラヴ的諸要因の参入によってその完成を見た

一文化統一体﹂としてョーロゾ︒ハといふ概念︑換言するならば﹁統一ョーロッパ﹂意設の醸成と増大とを証拠`つけろやう ナチスの﹁悪しき功績﹂であった︒ はない︒ナチス・ドイツはヨーロッパの﹁若返り﹂

﹁社会統体﹂とも訳せられるべきトイ

﹁ギ

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一︑

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(4)

窺ひ知ることができよう︒

* 寧 * な数女の材料に漸くにして接することができるやうになったのも最近のことであった︒

.

*

A  

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oy nb ee , 

St ud y  o f   Hi st or y 

I, 

1 93 5 2 ,  S .   15  f f .  

(F

. 

W.   Pi ck ,  S tu di e  z ur e  W lt ge sc hicht

e,   19 4 9 ,  S .  2 4 f f

. )  

* * 

P .  E•

Hi ib in ge r,   Sp ii ta nt ik e  u nd   fr i i he s  M it te la lt er

̀ 

 

De ut sc he  Vierteljahrsscbrift

  fu r  Li te ra tu rw 1s se ns cb af t  u nd   Ge is te sg es ch ichte,

6 .   2   Jabrg. 

1 95 2 ,   1・H ef t, .     S 1 5 .  

***たとへば﹁ドイツ青年の座朕会﹂︵雑誌﹁改造﹂昭和二十八年一一月号︶における一ドイツ青年の次のやうな発言︒﹁しかし︑ナチ

︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

スの失敗によってわれわれドイツ人は目ざめたのです︒それと同時に︑ヨーロッパも目ざめてきました︒ョーロッパは︱つでなけ ればならない︒すべてのコーロッパ人が真剣にそう考えるようになりました︒もちろん︑政治的にはまだ多くの困難な問題を残し てはいますけれど︑少なくともヨーロゾ︒︿は次第にその方向に向いつつあると言えます︒﹂︵そのばあい︑中心となる理想︑イデー はどのようなものか?︶﹁それに︑コーロッパの文化です︒ョーロッパには︑キリスト教とか︑ルネサンスとか︑科学精神とか︑

︑ヽ︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑

いろいろ豊かな粕神財がある︒この精神財を共有しているという︑つまり文化的な連帯意識がョーロッパを︱つにむすびつけるわ けです︒といつても︑なにもそれに観念的なものでになく︑きわめて現実的なものです︒﹂︵傍点筆者︶

精 神 生 活 の あ る 部 面 に お け る 変 化 や 動 き が

︑ 必 ず 他 の 諸 部 面 に お け る 同 様 の 変 化 や 動 き を 呼 び 起 す と い ふ こ と を

︑ そ の 比 類 な い 特 色 と す る ョ ー ロ ッ パ 精 神 生 活 に お い て

︑ こ の や う な

﹁ 統 一 ョ ー ロ ッ パ

﹂ 意 識 の 成 立 は ま た 現 代 の ド イ ツ 文 芸 理 論 に も 精 密 に 反 映 し て ゐ る

︒ わ れ わ れ は こ の や う な 反 映 の 若 干 を

︑ た と へ ば ヴ ェ ル ナ ー

・ ミ ル ヒ の 小 著

﹁ 文 学 史 の 諸 諜 題 と諸眼界について﹂

(W er ne r Mi lc h,  

er Au fg ab en n  u d  G re nz en   de r  L it er at ur ge sc hi ch te ,  Wi es ba de n  1 95 0.

に)

ミルヒの論稿における︑注目せらるべき第一の点は︑国民文学と批界文学とを抑へて︑彼が﹁ョーロゾ︒︿文学﹂及び﹁ヨ ー ロ ッ パ 文 学 史

﹂ を 強 調 し て ゐ る 事 実 で あ る

︒ 通 例

︑ 世 界 文 学 と い ふ 文 学 史 的 概 念 は そ の 対 臨 者 に 国 民 文 学 と い ふ 阿 じ く

﹁統一ョーロッパ﹂意識の現代ドイツ文藝理論における諸反映︵その一︶

(5)

﹁統一ョーロッパ﹂意識の現代ドイツ文葵理論における諸反映︹その一︶ 文学史的概念を持つ︒さてしかし批界文学とは抑々いかなるものであらうか︒それは︑これまでに書かれたすべての文学 作品を指すのか︑或はゲーテが岩へたやうに一国民文学から他の国民文学へと影饗を及ぼした偉大な作品を指すのか︒い づれにせよ﹁一般文学史﹂といふやうなものはまだ存在せず︑文学史にとつてここには未解決の問題がびそんでゐる︒そ

れもドイツにおけろ文学史の成立事情を願みるならば無醗からぬことであらう︒芸皿し文学史は︑国民文学といふ概念が漸

く行はれ始めた時代に初めて成立した︑極めて年若い学問分科で也ろ︒国民文学は当然国民を前提とすろのみならず︑あ の国に属する個六人が自分の母国語と昨ぶ言語で一人の位大な詩人が文学作品を創造したといふ事実にたいずろ誇り︑国 民感情を前提とする︒かつてゲーテはシラーを追億して﹁蓋し渠︑われらの一人なりき﹂といったが︑この﹁われら﹂と は全低昇の知識階級の所属員のことであらうか︑或はまたワイマルの人たちを指すのであらうか︑或はまたその言葉と精

神とがシラーの作品の褪に言語となり型態となったドイツ人をいふのであらうか︒十九世紀はこの第一一一番目の解答を採つ

たし︑文学史は︑すなはち十九世紀の子としてむろんこの解答を桐威づけた︒ドイツ人が今日文学といふ時︑彼は一つの 国民文学を︑すたはちワルター・フォン・デア・フォーゲルワイデからリルケに至ろ統一的文学を︑チョーサーから=リ オットに至る連続的文学を考へるのであろ︒言語は諸文学を相分つ限界を形成してをり︑最高の文学はもはや麟訳せられ ろことも移槙せられることもないから︑このやうな命窪は論なく正しいし︑又︑意義深いといふことができろ︒しかしこ の命題の正当性は条件づきであらう︒なぜなら諸文学の︑

言語的並びにまた形式的︑内容的に相異なる形成物への分岐

は︑相異なろ諸国民文学が同一の根源に還元せら札るといふことによって絶えず修正せられる一つの発展だからである︒

国民文学といふものがョーロッパにおいては︑そのどの一つでも必ずラテン文学の偉大な伝統と相並び︑或はその伝統の

四四

(6)

中から発展してきたといふ事実を顧慮すろことなく︑諸大の国民文学について語る者︑

本的問題は︑それらがホメロス︑或はウニルギリウスをずぺての文学の父祖として醇敬してゐるといふ点に存するといふ

ことを見逃`すやうな者は︑無益にもわれとわが視野定荻はめる者にほかならない︒さういふ人間は恐らく現代の文学潮流

のあれこれを解明することはできようが︑

らう︒つまりわれわれはーーとミルヒはいふーー祉界文学と国民文学といふ合言葉の間に弟︱︱一の合言葉

学﹂を挿入し︑諸々の国民文学を一つの世界文学に対置せしめるよりも︑

今日まで行はれてきた世界文学の歴史はただ並列的に支那︑印度︑

ーデ

ン︑

アメリカの文学を︑

恰もそれら諸文学が一様に同一の癒味において国民文学であるかのごとくに取扱ってゐろ

一般的文学史といふものがあるとするならば︑それはまづ第一に︑クリスト教的及びヘラス的坦念

財の上に築かれたョーロッパの文学を︑他の諸文化圏から分離し︑ソクラテス及びクリスト

ス以来︑ヨーロヅパにおい1 7

てはある特定の文学観が成立してをり︑それがたとヘクリスト教的・人文主義的思想を敵に廻す時といへどもたほかつョ

ーロゾ︒ハ的諸根源にたいして種々の関係を有するといふことを証明すべきであらう︒そしてかかるョーロゾ︒ハ文学は一箇

の統一休であり︑世界文学ではたいが︑しかしョーロッパの言語的に相異なろ諸国民文学を抑々初めて可能にするところ の超越的関聯ではあらう︒問題は批界文学と国民文学とを対立せしめることにではなく︑道に課題はホメロスから今日ま

での一一十七世紀を概観することである︒ が︑さうではなしに︑

四立 =ジプト︑ギリシア︑英国︑

ヨーロッパの文学史の謀題は次ぎの点に存すろ︑すなはち種々の言語的並びに文

化的関聯の分岐過程と︑それらの分岐的諸発展の︑汎ョーロッパ的︑欧洲的文化統一体への逆行的動きとの把握であろ︒

﹁統

一ョ

ーロ

ッパ

﹂意

0現代ドイツ文藝理論における賭反映︵その一︶ ロシア︑ドイツ︑

スウ

一文化襦の統一性について語るべきであらう︒ ﹁ヨーロッパ文 ョーロゾパの文学的伝統をその連続的発展において捉へることはできないであ 一切のヨーロゾ︒ハ文学の一つの根

(7)

*  ﹁統一ョーロッパ﹂意識の現代ドイツ文蕊理論における諧反映︵その一︶ 批界文学といふ概念からすろならば﹁低下﹂を意味し︑国民文学といふ観念からするならば﹁上昇﹂を意味するところ

﹁統一ョーロッ︒︿﹂意識の親代ドイツ文芸瑯論における第一の反映と見 たして差支へあるまい︒ョーロッパ人の取扱ふべき文学史的視野の狭臨化乃奎は拡大といふ︑現代ドイツ文学史家のかか ろ提唱も︑いふまでもなく実はかつてニコライ・ベルヂャイェフが﹁しかし潰滅しつつあるのは国家のかくかくの形体で ほなくして︑正に国家そのものであろ﹂といった時︑またトーマス・マンがノーベル賞を授けられたヘルマン・ヘッセに 書き送った祝賀の書簡中に﹁国家とは今日一箇の絵画的価値たるにすぎない﹂といった時になされた預言的想念に密かに

ニコライ・ベルヂャイェフ﹁現代の終末﹂︵荒川龍葦訳︑生活社︑昭和十八年︑ 通するものを持つてゐるのである︒ の︑かかる︒ハースペクティーヴの推移現象こそ︑

三.

一五

頁︒

四六

G

完︶

参照

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