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平安時代における「静態動詞」の一形式 : 動詞「す む(澄・清)」の意味用法

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九州大学学術情報リポジトリ

Kyushu University Institutional Repository

平安時代における「静態動詞」の一形式 : 動詞「す む(澄・清)」の意味用法

森脇, 茂秀

別府大学文学部 : 教授

https://doi.org/10.15017/4772297

出版情報:語文研究. 130/131, pp.35-51, 2021-06-02. 九州大学国語国文学会 バージョン:

権利関係:

(2)

一、はじめに 金田一春彦(一九五〇)の所謂「第四種の動詞」は、時間の概念を含まず、「ある状態を帯びることを表す」ものであり、現代日本語で「いつも「

ている」の形で用いられるもので、それらの動詞群は、「状態」を表すのに用い、「(例えば、ただ「聳える」だけなどのような動詞)単独の形で動作・作用を表わすために用いることがないのを特色とする」ことは、夙に知られていることと思われる (注。稿者は、この「第四種の動詞」の史的変遷過程を明らかにするべく、森脇(二〇〇四)では、平安初・中期の仮名文学作品に用いられた「似る」の用例を考察し、森脇(二〇〇七) では、『源氏物語』に表れた「似る」の用法を考察して、次のような結論を得た。

・「似る」は、否定語と共に用いられる用法が多数であり、この点では、「ゴトシ」というよりも、漢文訓読語「シク」(「シカズ」等)に近似の性質を有する。・「に」と「似たり」との間に、「ぞ」「こそ」等の係助詞が介在したり、「いとよく」等の修飾語が介在しており、漢文訓読にみられた「形式用言」としての「に似たり」形ではなく、仮名文に用いられた「に似たり」形は、状態性を有した「実質動詞」である。・「にぞ」「には」「にも」「にこそ」「いとよく」「げに」等、「に」と「似る」との間に介在し、「似る」は本動詞用法

森 脇 茂 秀 平安時代における「静態動詞」の一形式 ― 動詞「すむ(澄・清) 」の意味用法 ―

(3)

として捉えられる。・否定辞と共起しない「似る」肯定形は、「り・たり」と共起する。例外は「似て」形であるが、極めて少数である。・「り・たり」と共起しない「A、Bに〔似る〕+否定辞」の用例においては、概して、Aは、具体的な事柄や抽象的な事柄があり、Bには「一般性」や「標準的」といった性質が認められる。・否定辞と共起する「似る」否定形は、形式名詞「もの」や「べし」が介在する用法があり、この用法は漢文訓読語「シク」と共通性がある

さらに、森脇(二〇一三)では『源氏物語』中で「似る」(百三十二例)とほぼ同数の用例数である動詞「すぐる」(百二十五例)を考察した結果、次のような結論を得た。

・「すぐる」は否定語と共起する用法は少数である(『源氏物語』で約3%)。・「すぐる」は未然形、連用形のみであり、形態としては「すぐれ」のみ出現する。・「すぐる」は形態が固定化しており、「不変化動詞」とでもいえるものである。 ・「すぐる」と「たり・り」が共起する用法は、『源氏物語』で

・『源氏物語』で「すぐれて」が「すぐる」の

64

%である。

いうことを表すものである。 象・目的)に対してまさっている、よい状態である、と を示す助詞と共起する用法がある。これは、(基準・対 ・「すぐる」は、「に」「より」「よりも」等、「比較の基準」 照的である。 る。「似て」が「似る」の3%にしか過ぎないこととは対

28

%を占め そこで、本稿においては、「第四種の動詞」の史的変遷過程を明らかにするべく、現代日本語で、「いつも「

ている」の形で状態を表す」とされる、「第四種の動詞」群の中から、動詞「すむ(澄・清)」を取り上げる。この「すむ(澄・清)」は、現代日本語では、通常「空気がすんでいる」と、「ている」形で用いられ、「水や空気などに濁りがなくなり、透きとおった状態になる」意とされるが、その史的変遷過程を扱った論考は管見の限り見出すことができない (注。また、今回も、前稿に引き続き、平安時代の資料を対象とする。

(4)

動詞「すむ(澄・清)」の用例数を表にして纏めると次のようになる(〈表Ⅰ〉)。〈表Ⅰ〉を見ると、動詞「すむ(澄・清)」は、「似る」「まさる」に比べて用例数が少ないが、複数の作品に出現する複 二  平安時代初期の「すむ」

- 一、動詞「すむ(澄・清)

」の用例数概観

〈表Ⅰ〉すむ【澄・清】用例数

作品名 成立年代 すむ すみわたる 備考

万葉集 (759)

― ―

東大寺諷誦文稿 (830 ?)

― ―

竹取物語 (859 ?)

― ―

古今和歌集 (905)

― ―

延喜式祝詞 (905-927)

― ―

伊勢物語 (900 ?)

― ―

土左日記 (935)

― ―

後撰和歌集 (951)

― ―

大和物語 (956) 1

すむ 和歌中掛詞「住む」「澄む」

蜻蛉日記 (974) 1

すみけり 和歌中掛詞「住む」「澄む」

三宝絵詞 (984)

― ―

落窪物語 (988)

1 かいすむ2

枕草子 (1002)

― ―

和泉式部日記 (1004) 2 1 すみて/すめる

源氏物語 (1008) 35 4

紫式部日記 (1008) 2

堤中納言物語 (1005) 1

拾遺集「すまぬに見ゆる」引歌

夜の寝覚 ? 15

更級日記 (1060) 1 3 すみたる/すみのぼり1

大鏡 (1086)

― ―

古本説話集 (1126~1201) 1

和歌中「水はすみ」

詞歌和歌集 (1151)

― ―

梁塵秘抄 (1169) 9

すまば/すみ/すみて/すみては/

すむ3/すめばこそ/すめり1

三教指帰注 院政後期 1

すめり

新古今和歌集 (1205) 25

宇治拾遺物語 (1210頃)

― ―

方丈記 (1212)

― ―

徒然草 (1330頃) 2

天正狂言本 (1578?)

― ―

大蔵虎明本狂言集 (1642) 1

すむ「済む」の用例あり

計 97 9

(5)

合動詞形も「すみわたる」等に限定されており、そのバリエーションも少ないことがわかる。

- 二、平安時代初期「すむ」の用例

まず、平安時代初期文学作品中に表れた「すむ」の用例を挙げる。以下、用例に則して考察することとする。

(1)我とのみ契らずながら同じ江にすむはうれしきみぎはとぞおもふ(大和物語  三一五頁)(2)「身ひとつのかくなるたきを尋ぬればさらにかへらぬ水もすみけりとみれば、ためしある心ちしてなん」など、ものしつ。(蜻蛉日記  中  天禄二年六月  二三四頁)(3)その夜の月のいみじうあかくすみて、ここにもかしこにもながめあかしてつとめてれいの御ふみつかはさんとて、宮「童参りたりや」と問はせたまふほどに、(略)(和泉式部日記  十月手枕の袖  一二三頁)

(1)、(2)は、和歌中の用例である。(1)は、「私一人に契りを結んではくれなかったけれど、同じ入江に静かに共暮しをするのは、嬉しい身の上だと思います」と解釈できる。 (1)の「すむ」は、「助辞を伴わない単独の用法」であるが、『日本古典文学大系』「頭注」が「「住む」に「澄む」をかける」と指摘するように、「住む」との掛詞として用いられている。このように如何なる語に「すむ(澄・清)」が承接するかを考察しようとする場合には、「和歌」という音数律の制約とともに和歌の表現技巧にも注意を払う必要がある (注。(2)は、「私ばかりがこんな身の上になって、山ごもりするのかと、鳴滝に来てみますと、川の水ももう京へは帰らずいつまでもここにとどまろうと思っていた私と同様に、再び元へは帰らず澄みきって流れているのでした」と解釈できる。ここでの「すむ」は、和歌中の用例で助動詞「けり」と承接している。(3)は、「その夜の月がとても明るく澄んで、女も宮も月を眺めて物思いにふけって夜を明かし、翌朝、宮はいつものようにお手紙を遣わそうとして、「童は来ているか」とお尋ねになっているとき」と解釈できる。ここでの「すむ」は、主語が「夜の月」であり、助詞「て」と承接しているものである。

(4)見るや君さ夜うちふけて山の端にくまなくすめる秋の夜の月(和泉式部日記  昼間の訪れ  一二六頁)

(4)も、(1)、(2)と同じく和歌中の用例であり、「あなた

(6)

はごらんになっていますか。夜が更けて山の端に曇りもなく澄んでいる秋の夜の月を」と解釈できるが、ここでの「すむ(澄・清)」は「秋の夜の月」を修飾する連体修飾成分中に表れたものであり、「すむ(澄・清)」が助動詞「り」と承接している点は、「第四種の動詞」を考察する上で重要な用法である。

(5)まどろまであはれ幾夜になりぬらむただ雁がねを聞くわざにしてとのみして明かさむよりはとて、妻戸をおしあけたれば、大空に西へかたぶきたる月のかげ、遠くすみわたりて見ゆるに、霧りたる空のけしき、鐘の声、鳥の音(ね)ひとつにひびきあひて、さらに、過ぎにし方、今、行末のことども、かかる折はあらじと、袖のしづくさへあはれにめづらかなり。(和泉式部日記  九月二十日余日  手習いの文  一一五頁)(6)心に染みて琴を弾きたまふ。月のいと明らかに、空すみわたりて静かなるに、山の木陰、水の波、やうやう風涼しくうち吹き立てたるに、(略)(宇津保物語  三  楼の上下  五二三頁)

さらに『和泉式部日記』には(5)のように「すみわたる」と「すむ」の複合動詞形もある。この用例は「大空に西へ傾 いた月の光が、遠く一面に澄んで見えるのに、霧のかかった空の様子も見え、」と解釈できるが、この「すみわたる」は『宇津保物語』中にも(6)のような用例がある。ここでは、「月がたいそう明るく、空が一面に澄みわたって静かな夜に」解釈できる。このような「すみわたる」は、「月のかげ」「見ゆる」「月のいと明らかに」等のように、視覚的に捉えることができるものであると考えられる。

三、源氏物語中の「すむ(澄・清)」

次に、『源氏物語』中に表れた「すむ」の用例について。承接語別に用例数を示すと次のようになる(〈表Ⅱ〉)。

〈表Ⅱ〉源氏物語すむ【澄・清】用例数

すむ 4 11%

すまず 2 6%

すみて 4 11%

すみたり 8 23%

すめり 12 34%

すむらん 1 3%

すみぬべし 1 3%

すむべし 3 9%

計 35 100%

(7)

- 一、助辞を伴わない「すむ(澄・清)

」単独用法『源氏物語』中の、助辞を伴わない「すむ(澄・清)」単独用法は4例で、全体の

すべて「和歌」中のものである。

11

%であるが、前出(1)のように、

(7)阿闍梨、この御使を先に立てて、かの宮に参りぬ。なのめなる際のさるべき人の使だにまれなる山蔭に、いとめづらしく待ちよろこびたまひて、所につけたる肴などして、さる方にもてはやしたまふ。御返し、(八の宮)あとたえて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ(五  橋姫  一二二頁)(8)(源氏)「月のすむ雲ゐをかけてしたふともこのよのやみになほやまどはむと思ひたまへらるるこそ、かひなく。思し立たせたまへるうらやましさは、限りなう」とばかり聞こえたまひて、(略)(二  賢木  一二五頁)(9)(帝)「月のすむ川のをちなる里なればかつらのかげはのどけかるらむうらやましう」とあり。(二  松風  四〇九頁)(

(女君)こほりとぢ石間の水はゆきなやみそらすむ月のかげ

10

)月いよいよすみて、靜かにおもしろし。女君、    くうつくしげなり。(二朝顔四八四頁) 外を見出だして、すこしかたぶきたまへるほど、似るものな ぞながるる

(7)は、「心」が「すむ(澄・清)」すなわち「心にけがれがなくなる」ことを意味しているが、ここでは、「俗世をすっかり離れて心静かに行ない澄ましているというわけではございませんが、世を憂きと観じ、宇治山にかりそめの住まいを設けています」と解釈できるであろう。当該箇所の『日本古典文学全集』(以下『全集』と略す)「頭注」には、「「すむ」は、「澄む」に「住む」をひびかす。」との指摘があるように、ここも「掛詞」としての用法であると捉えることができるであろう。(8)は、「雲ゐ」を修飾する連体修飾成分中に「すむ(澄・清)」が表れた用例で、(7)と同じく『全集』「頭注」は、「「すむ(澄・清)」は、「澄む」と「住む」とをかける。「月のすむ雲ゐ」とは出家入道した藤壺のの心境を想像していったもの。」と指摘している。ここでは、「月の澄む空を心にかけて、お跡をお慕い申して出家するといたしましても、この世の闇にやはり迷うことでしょう」と解釈できる。さらに(9)も、「川」を修飾する連体修飾成分中に「すむ(澄・清)」が表れた用例で、「月が住む

澄んでいるという川の

(8)

向こうにある里だから、月の光はのどかで、あなたも落ち着いていられることでしょう」と解釈できる。(

できるであろう。 た「すむ(澄・清)」の対象は、「心」「月」であることを指摘 「帝」「女君」等であって、社会的属性は低くはないこと、ま (澄・清)」を使用している言語主体は、「八の宮」、「源氏」、 有した、所謂「掛詞」として用いられている。また、「すむ て出現しているが、「すむ(澄・清)」に「住む」等の意を含 終止形一例と、名詞を修飾する連体修飾成分中、連体形とし このように助辞を伴わない「すむ(澄・清)」単独用法は、 は西へ流れてゆく」と解釈できる。 用例で、「石間の水は行きなやんでいるけれど、空に澄む月影 げ」を修飾する連体修飾成分中に「すむ(澄・清)」が表れた

10

)も「月のか

- 二、否定語と共起する「すむ(澄・清)

」の用法『源氏物語』中の、否定語と共起する用法は2例で、全体の6%である。

いかでかあらむ」と、ほほ笑みてのたまふ。 りしほどに、底清くすまぬ水にやどる月は、曇りなきやうの

11

)(略)(源氏)「(略)らうがはしく、とかく紛れたまふめ (    (三常夏二一七頁)

   (三梅枝四一三頁) けしきなり。歌なども、ことさらめきて、選り書きたり。 書きたれど、筆のおきてすまぬ心地して、いたはり加へたる

12

)左衛門督は、ことごとしうかしこげなる筋をのみ好みて

( ない内大臣の情人の腹、の意」とある。 しゃる」と解釈できるが、『全集』「頭注」には、「素姓の知れ いというわけにはいかないでしょう」と笑みを浮かべておっ 「底まで清らかに澄んでいない水に映っている月影は曇りがな む(澄・清)」が表れた用例で、否定辞「ず(ぬ)」と共起し、

11

)は、「水にやどる月」を修飾する連体修飾成分中に「す る。 関係は、「内の関係」ではなく「外の関係」であると考えられ ている。」と解釈できるが、「すむ(澄・清)」と「心地」との ない感じが現れてそれをなんとか隠そうとするところが見え りを好んで書いているけれども、線の使い方にあか抜けのし 「ず(ぬ)」と共起し、「左衛門督は仰々しくえらそうな線ばか 「水」等の自然現象ではなく「心地」である。ここでは否定辞 が表れた用例であるが、被修飾語は、これまでの「月」や

12

)は名詞を修飾する連体修飾成分中に「すむ(澄・清)」

(9)

このように否定語と共起する「すむ(澄・清)」は、否定辞「ず」と承接し、名詞を修飾する連体修飾成分中に用いられ、形態としては「すまぬ」形であり、「すむ(澄・清)」の被修飾語は、「(水にやどる)月」、「心地」であって、これは、助辞を伴わない「すむ(澄・清)」単独用法と共通していると考えられる (注

- 三、

「すみて」の用法『源氏物語』中の、「て」と共起した「すみて」形は4例で、全体の

11

%である。

(    ながるる(二朝顔四八四頁) (女君)こほりとぢ石間の水はゆきなやみそらすむ月のかげぞ 静かにおもしろし。女君、

13

)(略)昔今の御物語に夜更けゆく。月いよいよすみて

(    はれさもたち添ひたり。(四若菜下一六五頁) 松原も色紛ひて、よろづのことそぞろ寒く、おもしろさもあ 海の面おもしろく見えわたるに、霜のいとこちたくおきて、

14

)夜一夜遊び明かしたまふ。二十日の月はるかにすみて

く、母君の御けはひ加はりて、揺の音深く、いみじくすみて

15

)箏の琴は、女御の御爪音は、いとらうたげになつかし (    聞こえつるを、(略)(四若菜下百九十二頁)

   みて聞こゆ。(四若菜下百九十三頁) ろくすまして弾きたまふ。さらにかたほならず、いとよく に、心とどめて必ず弾きたまふべき五六の撥を、いとおもし かしくいまめきたるに、琴は、五個の調べ、あまたの手の中

16

)返り声に、みな調べ変りて、律の掻き合はせども、なつ

静かなるに」と同類型の場面であると考えられる。( るが、これは、前出(6)「月のいと明らかに、空澄みわたり

13

)は「月がますます澄んで、静かで美しい」と解釈でき

される」と解釈できるが、( 「二十日の月がはるかに澄んで、海の面が美しく遠くまで見通

14

)も

( 型的なものといえるであろう。 のは「月」であり、それが「おもしろし」と解されている類

13

)と同じく、「すむ(澄・清)」 の琴の(揺(ゆ)の)音色」である。また、( こえた」と解釈できるが、ここでは「すむ(澄・清)」のは「箏 い加わって、揺(ゆ)の音色が奥ゆかしく、たいへん澄んで聞 まことにかわいらしくやさしい感じで、母君の弾きざまも添

15

)は、「箏の琴は、まず女御のお弾きになった御爪音が、

(澄・清)」のは「琴」の音色であって、(

16

)も「すむ

13

)、( それを「おもしろく」弾くのである。よって、この用例は「まっ

14

)と同じく

(10)

たく澄みきった音色に聞こえる」と解釈できるであろう。このように「て」と承接した「すみて」の対象は、視覚的な「月(の光)」と、聴覚的な「琴の音色」であり、「すみて聞こゆ」とあることからも、「すむ(澄・清)」は、作為的・意図的なものではなく、非意志的なものである、と捉えることができるであろう。

- 四、

「すみたり」の用法『源氏物語』中の、「たり」と共起した「すみたり」形は8例で、全体の

体形」のみが出現する。

23

%であり、形態としては「すみたる」と「連

(    こゆるほどに、(略)(五椎本一八〇頁) だしたまへるに、鐘の声かすかに響きて、明けぬなり、と聞 水の面もさやかにすみたるを、そなたの蔀上げさせて、見出 きつつながめたまふ。有明の月のいとはなやかにさし出でて、 とどしきころ、君たちは、朝夕霧のはるる間もなく、思し嘆

17

)八月二十日のほどなりけり。おほかたの空のけしきもい

の花の開けさしたる朝ぼらけおぼえて、残り多かりげにほほ てにすみたるものの、なつかしきさま添ひて、おもしろき梅

18

)この御ありさまはこまかにをかしげさはなくて、いとあ    (三常夏二三三頁) 笑みたまへるぞ、人にことなりける、と見たてまつりたまふ。

いるので」と解釈できる。( 語として機能しており、「(宇治)川の水面も清らかに澄んで るが、「水の面、すみたる」と「すむ(澄・清)」が主節で述

17

)の「すみたる」は接続助詞「を」と承接した用例であ

つ」と解釈できる。 情の細やかさがそなわっていて」と、「落ち着いた品格を持 かな美しさはないが、まことに上品で清楚ではありながら、 ありさま」である。この用例は「女御のお姿は、きめこまや 「ものの」と承接した用例で、「すむ(澄・清)」の主題は「御

18

)の「すみたる」は、接続助詞

(    へり。(三梅枝四一一頁) かどに、いといたう筆すみたるけしきありて、書きなしたま

19

)やがて御覧ずれば、すぐれてしもあらぬ御手を、ただ片

(    見えにくく恥づかしげなりしに、(略)(五総角二七三頁)

20

)かれは思ふ方ことにて、いといたくすみたるけしきの、

たらしく見せまうき御さまを、兵部卿宮のさも思したらばな るさまはまさりて、をかしうおはすめれば、ただ人にてはあ

21

)中の君も、うちすがひて、あてになまめかしう、すみた

(11)

ど思したる。(五  紅梅  三六頁)(

(    はこよなしとぞ人思へる。(五竹河六九頁) に心深きけはひはまさりたまへれど、にほひやかなるけはひ

22

)いとそびやかになまめかしうすみたるさまして、重りか

(    すみたるところあり。(三梅枝四一三頁) ど、難波の浦に通ひて、こなたかなたいきまじりて、いたう のは、水の勢ゆたかに書きなし、そそけたる葦の生ひざまな

23

)葦手の草子どもぞ、心々にはかなうをかしき。宰相中将    つきなり。(六手習三三八頁) めきたる容貌に、髪は五重の扇を広げたるやうにこちたき末 どすみたる色を着て、いとささやかに、様体をかしく、いま

24

)薄鈍(うすにび)色の綾、中には萱草(くわんざう)な

19

)~(

「すみたる」の用例である。(

24

)は、名詞を修飾する連体修飾成分中に表れた

らっしゃる。」と解釈できる。( 筆づかいは)まことにたいそうすっきりした感じで書いてい む(澄・清)」の対象は「筆」である。よって「(兵部卿宮の 体修飾成分中に「すみたる」が表れたもので、ここでの「す

19

)は「けしき」を修飾する連

うにひどく静かに落ち着いた様子がおつきあいしにくく気づ き」と承接した用例で、「薫は姉君のほうがお好きで、ほんと

20

)の「すみたる」も「けし ( まりであったけれども」と解釈できる。

なので」と解釈できる。( なご様子は姉君よりすぐれて、お美しくていらっしゃるよう 君にひきつづいて、気高く楚々とした風情があり、もの静か で落ち着いている様子。」とある。ここでは、「中の君も、姉 が表れた用例で、当該箇所の『全集』「頭注」には、「物静か

21

)は「さま」を修飾する連体修飾成分中に「すみたる」

で」と解釈できるであろう。 接した用例で、「まことにすらりとみずみずしく落ち着いた様

22

)の「すみたる」も「さま」と承 る。さらに( 中将のものは)非常にすっきりした風情がある」と解釈でき る」が表れた用例で、「(若い人々に書かせた草子の中で宰相

23

)は、「ところ」を修飾する連体修飾成分中に「すみた

ち着いた品格をもつ」という意を表している、と考えられる。 る連体修飾節に表れた用例は、人柄や書体、色合いなどが「落 る」「はっきりしている」といった意を表すが、名詞を修飾す (澄・清)」が主節に出現した用例は、「透きとおった状態にな たる」形で出現し、和歌中に用いられた用例はなく、「すむ 以上のように、「たり」と共起した「すみたり」は、「すみ のを着て」と解釈できる。 「薄鈍色の綾の表着、その下に萱草色などの落ち着いた色のも

24

)の「すみたる」は「色」と承接した用例で、

(12)

- 五、

「すめり」の用法『源氏物語』中の、「り」と共起した「すめり」形は

全体の

12

例で、

まず、和歌中の用例を挙げる。 するものである。 見えるが、和歌中の用例は、連体修飾成分として名詞に承接 形」のみが出現する。また、この「すめる」は和歌中に3例

34

%であるが、「すみたる」同様、「すめる」と「連体

(    (六東屋九四頁) わざと返り事とはなくてのたまふ、侍従なむ伝へけるとぞ。 月かげ (薫)里の名もむかしながらに見し人のおもがはりせるねやの と古めかしく書きたるを、恥づかしくもあはれにも思されて、 えてすめる月かな

25

)(弁の尼)やどり木は色かはりぬる秋なれどむかしおぼ

(    夜の月(二明石二三〇頁) (源氏)あはと見る淡路の島のあはれさへ残るくまなくすめる

26

)(源氏)「あはとはるかに」などのたまひて、

耳馴れはべりにけりや」と聞こえたまふ。 やはする

27

)(僧都)「さしぐみに袖ぬらしける山水にすめる心は騒ぎ    (一若紫二九三頁)

( 月の光がはっきりしていることを表現していると捉えられる。 くりに澄みわたっていることです」と、「むかし」と比較して て」の用法と同質のものである。ここでは、「月だけは昔そっ

25

)は、「月」を修飾する連体修飾成分中のもので、「すみ

( していると考えられる。 「すむ(澄・清)」が、「月の曇りがなくはっきりする」意を表 いる。ここでは、「今夜の澄みわたった月であることよ」と、 (注 注」には、「「澄める」に「為(す)」をかける。」と指摘して みて」の用法と同質のものであるが、当該箇所の『全集』「頭

26

)も、「夜の月」を修飾する連体修飾成分中のもので、「す にけがれがなくなる」ことを意味している、と考えられるで 助辞を伴わない「すむ」単独用法(7)と同質のもので、「心 のではありません」と解釈できるが、ここでの「すむ」は、 の水にも、久しく住んで行いすましている心は動かされるも ここでは、「あなたがいきなり感涙に袖をお濡らしになった山 に、「すむ」は、「掛詞」としての機能がある、と考えられる。 む」(「住む」と「澄む」とにかける)」との指摘があるよう この当該箇所の『全集』「頭注」には、これまでと同じく「「す

27

)は「心」を修飾する連体修飾成分中のものであるが、

(13)

あろう。次の(

28

)~(

ないものである。

30

)は、「すめる」の被修飾語が表出してい

(    つきて、恋しくおぼえたまふ。(四若菜下一九四頁) たまふ。道すがら、箏の琴の変りていみじかりつる音も耳に

28

)大将殿は、君たちを御車に乗せて、月のすめるにまかで

(    夜の、すめるはたとへん方なし。(二明石二五五頁) して、心ことなる調べをほのかに掻き鳴らしたまへる、深き とのたまひて、京より持ておはしたりし琴の御琴取りに遣は

29

)(源氏)「さらば、形見にも忍ぶばかりの一ことをだに」

   (一帚木一四二頁) やうにて、世にかへりみすべくも思へらず、(略) れば、やがて尼になりぬかし。思ひ立つほどはいと心すめる

30

)(人々)『心深しや』などほめたてられて、あはれ進みぬ

できる。( む」は、「月の曇りが消えてはっきりする」の意であると解釈 わたっているなかをお帰りになる」と解釈でき、ここでの「す

28

)は、「すめる」の主語が「月」であり、「月の光が澄み

あって、「その深夜の澄んだ音色はたとえようもない」と解釈

29

)は、「掻き鳴ら(す)音色」が「すめる」ので ( 意であると考えられる。 でき、ここでの「すむ」は「音や声がよく響きとおる」との

歌中に用いられた( む」単独用法(7)「あとたえて心すむとはなけれども」、和 は「心に迷いがなくなって落ち着く」意を表しており、「す た当座は、じつに悟りすましたようで」と、ここでの「すむ」

30

)は、「やうなり」と承接した用例であるが、「思い立っ

ものであると考えられる。

27

)「すめる心は騒ぎやはする」と同質の

(    る月に、をりつきなからず。(一帚木一五五頁) の内より聞こえたるも、今めきたる物の声なれば、清くすめ

31

)律(りち)の調べは、女のもの柔かに掻き鳴らして、簾

(    とて、御簾捲き上げさせたまふ。(二朝顔四八〇頁) 思ひ流され、おもしろさもあはれさも残らぬをりなれ。(略)」 あやしう色なきものの、身にしみて、この世の外のことまで 盛りよりも、冬の夜のすめる月に雪の光りあひたる空こそ、

32

)(源氏)「時時につけても、人の心をうつすめる花紅葉の に、思ひつるもしるく起きおはしましけり。 見なされて、遣水にすめる月の影さへ絵に描きたるやうなる かのには似ず、同じき花の姿も、木草のなびきざまもことに

33

)紛るることなくあらまほしき御住まひに、御前の前栽ほ

(14)

(五  総角  二四九頁)(

   (二松風四〇八頁) や更くるほどに、殿上人四五人ばかり連れて参れり。 しろきに、月高くさし上がり、よろづのことすめる夜の、や をりにあひたる調子吹きたつるほど、川風吹きあはせておも

34

)弾き物、琵琶和琴ばかり、笛ども、上手のかぎりして、

31

)~(

( ある。

36

)は、「すめる」の被修飾語が表出した用例で しくないこともありません」と解釈できる。( 風の楽の音ですから、清く澄んだ月の趣に、時節がらふさわ

31

)は、「月」を修飾する連体修飾成分中のもので、「現代

思議に身にしみて」と解釈できる。次の( 夜の澄んだ月に雪の映えあっている空が、色はないけれど不 夜の澄める)月」を修飾する連体修飾成分中のもので、「冬の

32

)も「(冬の きりした月の光」と捉えることができるであろう。( は常套。」と指摘するが、ここでは、「遣り水に映っているはっ 注」は、「「すめる」に、「澄める」と「住める」とをかけるの

33

)の『全集』「頭

「夜」を修飾する連体修飾成分中のもので、(6)や(

34

)は

13

)(

「何もかもが澄みきっている夜がやや更けるころ」と解釈でき 等と同じく「おもしろき」場面でのものである。ここでは、

14

) ( る」と解することができるであろう。 るが、ここでの「すむ」は、「はっきりしている。さえてい

(    まへば、(略)(四若菜下一八六頁) ひおきはべりける、げにさなむはべりける。(略)」と申した bすみのぼりはてずなむ。女は春をあはれぶ、と古き人の言 に吹き合はせたるやうには、いかでか。笛の音なども、艶に れ。春の空のたどたどしき霞の間より、朧なる月影に、静か けしき、花の露もいろいろ目移ろひ心散りて、限りこそはべ しはべれど、なほことさらにつくりあはせたるやうなる空の のとどこほりなきに、琴笛の音も明らかに、aすめる心地

35

)(略)大将の君、「秋の夜の隈なき月には、よろづのもの    たり。(六手習三〇八頁) る心地すれば、いよいよめでられて、宵まどひもせず起きゐ くもてはやす。吹きあはせたる笛の音に、月もかよひてすめ なれば、なかなかめづらしくあはれに聞こゆ。松風もいとよ

36

)今様は、をさをさなべての人の今は好まずなりゆくもの

用法」中の、( が表れた用例である。これは、「否定語と共起する「すむ」の

35

)aは、「心地」を修飾する連体修飾成分中に「すむ」

12

)「筆のおきてすまぬ心地して、いたはり加

(15)

へたるけしきなり。」と同じ構造であるが、否定語と共起した(

しているが、(

12

)の場合は、「たり」「り」が出現せずに直接「ず」と承接

ではございません」と解釈できる。( 度の高い)秋では笛の音なども、美しく澄みのぼりきるもの と複合動詞形があるが、これも主題は「笛の音」であり、「(湿 することができる。また、近接場面にb「すみのぼりはつ」 りと聞こえて、澄み切った感じはいたしますけれども」と解 る。ここでの主題は「笛の音」であり、「琴や笛の音もはっき (注

35

)aは、「すめる」と、「り」が出現してい

いることを指摘できる。 「月(影)」「夜」「心地」であって、これらは互いに連関して 修飾成分として修飾する被修飾語句が顕在化しているものは、 いない時の主題は「月」「夜」「心」であり、「すめる」が連体 するものである。また「すめる」の被修飾語句が顕在化して が出現し、和歌中の用例は、連体修飾成分として名詞に承接 このように、「すめり」形は、「すめる」と「連体形」のみ とができるであろう。 とが、「はっきりしている。さえている」意であると解するこ ることができるように、ここでの「すむ」は、「音」と「月」 色に月も心を合わせて澄みわたっている風情なので」と解す る連体修飾成分中に「すむ」が表れた用例であるが、「笛の音

36

)も「心地」を修飾す 三

- 六、

「すみぬべし」「すむらん」「すむべし」の用法

(    り」などのたまひて、(略)(四幻五二五頁) て身を馴らはしたらむは、こよなう心すみぬべきわざなりけ しうさうざうしくこそありけれ。深き山住みせんにも、かく

37

)(源氏)「独り住みとみは、ことに変る事なけれど、あや    のやど(一桐壺一一二頁) (帝)雲のうへもなみだにくるる秋の月いかですむらむ浅茅生

38

) 月も入りぬ。

『源氏物語』中の「すむ」は、完了の助動詞「ぬ」と承接した用例(

とだろう」と、解釈できるが、( る。ここでは、「このうえもなく心が澄みきったことになるこ 中の用例で、「わざ」を修飾する連体修飾成分中のものであ

37

)が1例存する。この用例は「光源氏」の会話文

( 「外の関係」であると考えられる。 と考えられる。またここでの「すむ」と「わざ」との関係は、 ん」が先行し、「すむ」の意に複層的な意味が含有されている 同質のものである。ここでも「独り住み」や「深き山住みせ

30

)「心澄めるやうにて」と 助動詞「らむ」と承接しているものである。当該箇所の『全

38

)は帝の和歌中に用いられた「すむ」の用例で、推量の

(16)

集』「頭注」に「「雲のうへ」は宮中をさす。「月」の縁語。「すむ」は「澄む」と「住む」をかける。」とあるように、やはり和歌の「掛詞」という表現技巧が駆使されているもので、「涙に曇ってよく見えぬ秋の月はどうして澄んで見えることがあろう。」と解釈できる。次の(

39

)~(

き」と「連体形」のみが出現する。 したものであるが、「すみたり」、「すめり」と同じく「すむべ

41

)は「すむ」に、助動詞「べし」が承接

(    (二須磨一六七頁) のなれ」などのたまひて、明けぐれのほどに出でたまひぬ。 思へばはかなしや。ただ、知らぬ涙のみこそ、心をくらすも 空なながめそ

39

)(源氏)「行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ

(    (一末摘花三四二頁) すむべき夜のさまにもはべらざめるに」と聞こゆれど、(略) たり。(命婦)「いとかたはらいたきわざかな。物の音(ね)

40

)のたまひしもしるく、十六夜の月をかしきほどにおはし

思ひたまへながら、かう口惜しき濁りの末に、待ちとり深う とはべれば、いかがはさもとり返し濯いたまはざらむ、とは

41

)(略)(源氏)「(略)よろづの事につけて、浄めといふこ    うて、(略)(三行幸二九二頁) すむべき水こそ出で来難かべい世なれ。(略)」など申したま

であろう。( 釈できる点は、これまでの用法と共通していると考えられる 「最後には澄むはずの月影がしばらくは曇るでしょうが」と解 の用例は「月影」を修飾する連体修飾成分中のものであり、 と、「すむ」が「掛詞」であることを指摘している。また、こ 白が晴れるの意と花散里のところへ住む、の意を含ませる)」 の『全集』「頭注」には、「「すむ」(月が澄むの意に、身の潔

39

)は「光源氏」の会話文の、和歌中の用例で、当該箇所

( もございませんようですのに」と解釈できる。 である。ここでは、「琴の音色の澄んで聞こえそうな空模様で のさま」を修飾する連体修飾成分中に「すむ」が表れた用例

40

)は、「大輔の命婦」の会話文中の用例で、「夜 解釈できる。 いうものは湧き出てきにくいのがこの世の実情なのです」と かにそれを待っていようと底深くまで澄み清めてくれる水と 体修飾成分中に「すむ」が表れた用例である。ここでは、「い

41

)は「光源氏」の会話文の用例で、「水」を修飾する連

(17)

四、おわりに

以上、平安時代の仮名文学作品を対象として、動詞「すむ(澄・清)」の意味用法を考察した結果、次のような結果を得た。

・「すむ」単独用法は「和歌」中に限られ、「すむ(澄・清)」に「住む」という意を含めた、所謂「掛詞」として用いられる。・「すむ」は否定語と共起する用法は少数であり、否定辞と「たり」「り」とは共起しない。・「すむ」と「たり・り」が共起する用法は、『源氏物語』で

・「すみたる」は、和歌中に用いられた用例がなく、「すむ」 を担っている。 連体形のみである。「すむ」は連体修飾用法が重要な機能 18K00633・「たり・り」が共起する用例は「すみたる」「すめる」と「基盤研究C」の研究成果の一部である。) ぐる」約三割を占める、中間に位置する。必要に応じ、各種索引、注釈書を利用した。また本稿は科研 て」が「似る」の3%にしか過ぎず、「すぐれて」が「す本古典文学大系』、『新編日本文学全集』を参照した。また、 ・『源氏物語』で「すみて」は「すむ」の約一割である。「似その他は岩波書店『日本古典文学大系』により、適宜『新日

57

%である。また、「ぬ」と承接した用例が1例ある。(尚、本文は、『源氏物語』は小学館『日本古典文学全集』、 ご教授賜れば、幸いである。 四種の動詞」との関係については、別稿を期したいと思う。 中世以降の「すむ(澄・清)」の史的変遷過程や、他の「第 に連関している。 のは、「月(影)」「夜」「心地」であって、これらは互い り、「すめる」が修飾する被修飾語句が顕在化しているも が顕在化していない時の主題は「月」、「夜」「心」であ ・「すめる」は和歌中に用いられ、「すめる」の被修飾語句 いた品格をもつ」という意を表す。 節に表れた用例は、人柄や書体、色合いなどが「落ち着 している」という意を表すが、名詞を修飾する連体修飾 が主節の場合は、「透きとおった状態になる」「はっきり

注1この「第四種の動詞」については、例えば、国広哲也(二〇一

(18)

は、や「」(詞、詞、移動(位置変化)動詞)であると指摘するものもある。 である。 は、 る。た、は「に、「~ し、の「む(住・棲・)」は、 2 本稿では、辞書の立項表記を参照し、「すむ(澄・清)」と表記

い。」と指摘している。 は、に、は「   る。た、『日版』 う和歌の表現技法の「許容度」との関連で捉えなければならな は、が、 3 で「む(澄・)」と「 が少ないということを指摘している。 (「ず」「じ」「で」等の)否定を表す助詞・助動詞に上接する例 4 明(は、」「て、

ついては、ここでは保留する。 5 「「澄める」に「為(す)」をかける。」とあるが、掛詞の解釈に 6 (注4)に同じ。

(参考文献)・金田一春彦(一九五〇)「国語動詞の一分類」(『言語研究』

・近藤明(一九八四)「助動詞「り」「たり」の活用形の偏在をめぐっ ・国広哲也(二〇一五)『日本語学を斬る』(研究社) 代日本語の時間の表現

』(ひつじ書房) ・工真由(一九五)『アト・テス体

15 て」(『国語学研究』

(『国語学研究』

)「」「リ・ 24 初・中期の仮名文を中心に

」(『別府大学国語国文学』 秀()「詞「

42

例を中心に

(『別府大学国語国文学』

(二〇〇七)「静態動詞「似る」の一形式

『源氏物語』の用 46 国文学』

「似る」「すぐる」の用例を中心に

(『別府大学国語

(二〇一三)「平安時代における「静態動詞」の意味用法の一形 49

55

(もりわき  しげひで・別府大学文学部教授)

参照

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