Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
サ
ラ
バ パ ーダ
作
ド
・一 ハ ・一 ・ コ ー 一シ
ャ(
翻 訳 及
び ノ ー ト) (
1
)
奈
良
康
明
お お よ そ8
世 紀 よ り12
世 紀 に か け て は, 中期 イ ン ド語 (Middle
lndo
−Aryan
) 文学よ り新 期イ ン ド語 (New
I
−A
)に よ る文学へ の移
行 期で あ る 。 その 中に あ っ て , 仏 教 タ ン ト リ ズ ム の うちの 一支 派, サ ハ ジ ャ 乗 (Sahaja
−yana
)に 属 す る “ 師 く1) (2) 匠” (Siddha
, Siddhacarya )た ちの 手 に な る 一 連 の caryaglti 及 びdohfi
文 学 は時 代 的に古 層 に
属
し, 後 代 のHindu
お よびJaina
mysticism 文学の 先 駆的 役 割c3)
を果 して い る。 現存 の
Caryagiti
−ko6a
(caryagiti 集)とい う作品 に は少 くとも22
名
以上 のsiddha
た ちの 作晶 を収めて お り,doha
に つ い て は, 本稿 の 主題 で あc4)
る
Sarahapada
をは じ め ,Kahhapada
,Tillopada
三者のDoha
−koSa
が 知 られ(
1
) “行の 歌”の 意で ,caryapada と も 云 われ る。 caryapada と は 二 行連 句 を意 味し,便
宜的に そ れ を 文学 ジ ヤ ン ル の 名前に用い てい る。 cp . S . Sen ,
lndian
Linguistics
, X ,1948,p .40
(2 )
doha
に は二 つ の 意 味がある。 (イ )doh
巨meter の こ とで , 25 morae を も ち, 13番 目の morae の あとに caesura が あ り, 二 行に か か れ るの で
dodhaka
又はdoha
,す な わ ち二 行連 句 (couplet )とい う。 (ロ ) し か し,
16
morae よ り な る 四行 連 句(catu $padi, caupal )もひ ろ く
doha
の 名の も と に総称さ れ る。 cp .S
・Sen
,History
。
f
BengaliLiterature
,New
Delhi
,1960
(以下 HBL と略 記 ), p . 20
Dohakoga
と い う場 合のdoha
と は後 者の意味で, 仏教の み な らず,当 時一般 に
流 行 し た 文 学型 式で ある。 例え ば Pahuda −
doha
はシ ヴ ァ 派の yogin で あ るRama
・sinha に よ り書かれ た もの で あ り, S .i vayadhamma ・
doha
は ジ ャ ィ ナ教 徒の 手 に なる作品で あ る。 cp ・
HBL
, p ・36
・ 仏 教サ ハ ジ ャ 乗に 属 す る Dohti ・koSa
に み ら れ るmeter の 詳 細につ い て は , see M . Shahidullah ,
Les
Chants
Mystiques
de
Kanhaet
de
Saraha , Paris, pp .57ff
(3 )
cp . HBL pp .
28
ff
;36
ff
;D
.Candra
Sen,
History
of BengaliLanguage
andLiterature . Calcutta ,1954 , pp .
44
ff
;S
. K .Chatterjee
,The
Origin
and Develop .ment of the
Bengali
Language , Calcutta,1926 (以 下 ODBL ), p . 121 ;S .B . Dasgu ’
pta , Obscure Religious Cult ,2nd Revised ed .,1966 (以 下
ORC
), pp .6ff
,50
ff
(4 )
こ の 二人 は そ れ ぞれ
Saraha
あ るい はK
;llrpa,Kanupa
,Kaniph
,Natha
と も呼ば れ る。Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
14
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー 。 コ ーシ ャ (奈良 康 明) て い る (以下 そ れ ぞ れ,DKS
,DKK
,DKT
と略 記)。 こ の 三 人 の うち,TillopEda
を除
く二 人の名
はCaryagiti
−koga
の作
者の う ちに もみ え, こ の 両作 品は, “ 同一 の 学派 に属 し, 両 者に み え る同 一の 名 前 は , お そ ら く同 一人 で あ る” , と 一 般 に こ ] 推 定 さ れ てい る。 両者 に み ら れ る思想 内容に も大差 はない が , し か し, その 言語, 表現方法に は か な りの 差 異が あ り, 同 じ くサ ハ ジ ャ 乗の 作 品 とい っ て も別 個 の 文学型 式 を 代 表 す る もの と み て い い 。
Caryagiti
−koga
の 言 語 はOld
Bengali
を 根幹と した もの で あ る こ と に異 論 は な く,
Western
ApabhrariiSa
(WAp
.)の 要素てe,)
が散見 さ れ る。 し か し
doha
は その 作 者が ベ ン ガ ル 地 方 一 少 くと も東部イ ン ドー 出
身
で あ る こ とが知
られ る 反面, そ の 言 語 は 種 々 に 想 定 さ れ て い る。 B .
Bhatthacarya
は,Kahha
は オ リッ サ 地 方 出 身の バ ラ モ ン で , お そ ら くUdiya
(ア) 語 を も っ て
DKK
を 書い た とす る。S
.K
.Chatterjee
は一 一一pt
のWAp
.とする が , そ れは作 者た ちの 母 国 語 でない 故に , 東部 ベ ン ガル 語の 語彙, 語 法 が 混 入 して い ぐs) る こ とを指摘
した。G
.V
.Tagare
は そ の 作 品の 書か れ た 地方 に 従 っ てEastern
Apabhrarhga
の 唯一 の 作 品と してDKS
,DKK
を あ げ,WAp
,と は別 佃の もの と (9 ) ,[1o)する。
S
.Sen
はAvahattha
の 中 に合 ま しめ る も, 実 質 はChatterjee
のWAp
.(
5
) cp . ORC pp .4〜 5 ;ODBL , p .122 : S . K ・Chatterjee は HevajraTantra
の 註釈書た る
Yogaratnamala
の 作 者Kafiha
.と DKK のKailha
とを 同 …人 とす る も, O
RC
は こ れを うたが い , Snellgrove も Kahha と は平凡 な名前で 同名異人 が多 く,この両 者を同一人 とする理 由が ない こ と を 示 し た。 cp . D . Snellgrove , The
Heva
.
jra
Tantra ,London
,1959
(以 下 HT ), pt・ 1, p ・14 ,foot
note ・尚,Car
頸 giti−Ko 舶に は Kahlla に帰せ ら れ る gltiが 12 ある が, Chatterjee はすべ て が 同 一人の 作 で
ある こ と を疑が い (
ODBL
p ・120 ), これ を う けて S ・Sen は 二 人の Kahha を想 定 する (
HBL
p −31
)Q(
6
)ODBL
pp ,98,112
幵;ORC p,5
;HBL
p,27
;L ’Inde
classique ,I
pp .384
,387
(
J
・Filliozat).尚,WAp
・につ い ては註 (8
)参照。(
7
)An
Introduction to BuddhistEsoterism
, calcutta ,1932 .邦訳, 神代 峻通, イ ンド密 教 学 序 説, 高 野山, 昭
37
,99
頁。 (8 ) ODBL pp .112 旺.た だし WAp .と は必 ず し も 西イ ン ドに の み用 い ら れ て い たわけで は な く, 広 く東部イ ン ドに おい て用い られ た ’‘ polite
language
” で ある。(
g
)Historical
Grammar
ofApabh
エarbSa,
Poona
,1948
, p.20 (以 下Tagare
,Ap
.
Gr
,)し かし彼のEastern
Ap
.,Western
Ap
.と はODBL
にい うの と は別 個の もので , あ くまで も地域的関係よ り名付 けら れた便 宜 的な もの と思われ る。 彼のい う ”
E
、Ap
.”と い う一の言 語 を設 定す る に は,
DKS
,DKK
の 二 作 品だけで は あま りに 資料が 不足で あろ う。
(
10
) Apabhrath ξa と Avahattha との 関係, 定議 等 に関 し て, see 奈 良毅, Apabhr ・Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良 康 明)
15
CID (エ2) 説 に同 じで あ り,S
.B
.Dasgupta
も 同様で ある。仏教サ ハ ジ ャ 乗 の 教義 と して , そ の esoteric な思 想 と sexoyogic な 修 行 法 は周 知の こ と であ る が , その た め に
Caryagiti
は殊 更に謎め い た 表現 を用い る。 こ れ は sahdha ・bha
曄 と呼ば れ , 外 的表 現の 裏に別 の 真実
の 意 味 を含 ま し め ん (コ3J とす る語 法 で あ る。 こ れ は caryaglti に 比 してdoha
に は比較 的少 ない 。両作 品, ある い は
Saraha
,K
盃hha
の年 代 につ い て は決 定的資
料の 不 足 も あ “4)っ て 定 説 と すべ き もの は な く,
Kanha
をSaraha
よ り古 い とす る説 と,Saraha
の(15) (16) 方 が古い とす る 説 が あ る。
S
.K
.Chatterjee
はCaryagiti
を950
〜1200
AD
と し, (17) (1ti)S
.B
,Dasgupta
とRahulasarhkrtyayana
は ,Caryagiti
及びDohakoga
の 両 作 品を ま と めて , そ れ ぞ れ10
−12c
,8
−12
c とす る 。Dohakoga
をCaryaglti
よ り (19) 古い とす る 説 も有 力 で あ るが,い ずれ も決 定的 な もの で は ない 。 とこ ろでSaraha
の 年 代 につ い て 興 味 をひ く記述がDKS
3
に見 出され る。 これ は 正統 イ ン ド教 を 批 判 して い る個所 で あ る が , ekadapdin と tridapdin とを な らべ る。 も し こ れ を シ ャ ン カ ラ 系 統 の “一 本 の 杖を持つ 遊 行 者” と ラ ーマ ーヌ ジ ャ (1016 −1091
)系 a血9a
andAvahattha
−Proto
−New
−lndo
−Aryan
Stage
,
1965
,言語 研 究 47 号。(11 ) HBL p .8
(12 )
ORC
p .4
(13 ) “
intentional
language
.”cp .
M
.M
.Vidhu
ξekharaSastri
, IHΩ,1928,
IV
, pp .287
ア
ー296 ;P ,C , Bagchi , IH Ω
VI
,1930, pp .384
ff;ORC
, pp .413ff
(Appelld1xE
);S
.Bh .
ShastrL
CaryEg ヱtiko ξa ofBuddbist
Siddhas , Santiniketan , ユ956 ,preface
XII
〜XIII
;J
.Filliozat
,L
’lnde classique ,
I
p .593
;B
.Bhtthacarya
,上掲邦訳書
91
頁, 尚同書249
頁, 松 永 有慶 氏の註解参照。 ま た仏教 梵 語における用法につ い ては, F . Edgerton ,
BHS
Dict
sandha , sandhya −bhaSya
こ の語は多 くの文 献に san ・
dhya
とあら わ れ , “ 夕暮の言葉” , 即ち, “ 半ば明 白に, 半ば秘密 ” な表現 と解さ れて い た。
Dansgupta
は, sandhya と は (Edgerton の い うご と く)sandhA の書き誤りで は な く, sandha とい う原 語 よ り, その表現の 性格上 二次 的に派 生 し, 用い ら れ
た語 とい う。
(14 )
M
.Shahidullah , op , cit., pp .28
,31
(Kahha
:700
AD
,Saraha
:1000
AD )。Tagare Ap .
Gr
。 pp,20,110 (15
) B . Bhatthficarya ,JBORS
,1928, pp .34
班 ;−do
− .上掲邦訳書79
頁以 下 (saraha633AD
,K
勧ha
717AD
);S
,Sen
,HBL
p .35
(両者共に l!OI
AD
以前) (16 ) ODBL pp .118 伍 特に p.123
(17) ORC p .8 (18 )Dohako6a (本書につ い て は後 述 一
29
頁 ) p.8
(
19
)D .Snellgrove .
HT
Intro
. p .14
foot
note ;S
。Sen
,Indian
Linguistics , X,1948
,P .
39
h
Komazawa University
NII-Electronic Library Service
晒・ Kom 三1z三1w三1 University 16 サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良 康 明) 統 に属す るシ ュ リー ・ヴ ィ シ ュ ヌ派の “ 三本 の 杖 を持つ 遊行者” を指 す もの とす れ ば (see 註 (
36
))Saraha
は ラ ーマ ー ヌ ジ ャ よ り後代 の 人 で ,11c
.以降 と せ ざ る を得ない 。 仏 教 サ ハ ジ ャ 乗 の 上 述 諸 作 品の 出 版 , 研 究はH
.P
.Shastri
に始 ま る。 彼 は1907 年,
Caryaglti
及 びDohakoga
の 原典をネ パ ール の DarbarLibrary
に発 見,(!e) (21)
1916 年
, そ れ らを 出 版 し た。 こ こに含 まれ.る の はCaryacaryavini
ξcaya ,DKS
, w2 )DKK
, 及 び そ れ ら に対 す るSanskrit
Commentary
,Dakarrpava
の 断 片で あ っ た。1938 年,
P
.C
.Bagchi
はCaryagiti
の チ ベ ッ ト訳 を 発 見 , その 助け を か りて edi ・c!u)
tion を 刊 行 した。 次 い で
s
.sen
はVajragiti
とい う作 品 ,prahedika
(謎の 詩 )の い くつ か と共 に,
Caryagiti
を “Old
Bengali
Texts
” の 名の 下 に校 刊, 英訳 を(24) (2s.1
附 した。 同時に
Index
Verborum
も作 製さ れ た。 本 書は最 近, 幾 分の 訂.正 を加 え (L,6)て単 行 さ れ た 。 近年,
Santl
Bhik
釧 蕊stri はBagchi
の 意志 を う けつ い でCar
−
yagiti
−ko
§a (以下CK
と 略 記 )な る刊 本 をMunidatta
のSkt
. commentary とこ27) 共に 出版 した 。
一 方,
doha
に つ い て は,1928
年,M
.Shahidullah
がDKK
,DKS
を 出 版 (supra 註 (2
),MS
本 と略 記 ), 仏 訳 を試みた。 翌年に はP
.C
.Bagchi
が 両作 品 (fS) の よ り古い マ ニ ュ ス ク リ プ トを発見, 1935年
に そ れ を 公 刊 し た (PB
本 )。 こ こ に はDKK
,DKS
,DKT
の 原 文 お よ びSkt
. commentary ,DKS
の 別 の recension(20 ) Hajar Bacharer Purarpa Bahgala Bha $ay Bauddha gana o
doha
,Calcutta
,1916
(
21
) これ が Caryagiti の 名の下 に先述して き た作品 で47
の gitiを含む。 尚, こ の タイ トル は学 者に よ り種 々 に修 .正 され てい る。 see ORC , P ・3 ;望 月 仏 教 大 辞 典, X , ‘‘
ドーノ、,,
(
22
) 後にN
.N
.Chaudhury
が 本断片の ほか, 二本 の マ =・ =ス ク リプ ト, チ ベ ッ ト訳 をもとに校訂 出版 した。 Studies of the ApabhraM6a Text of the Dakfirrpava , Cal . cutta Sallskrit Series X ,
1935
(
23
) Materialsfor
aCritcal
Edition of theOld
Bengali
Caryapadas
,
Jour
. of theDept . of
Letters
ofCalcntta
Univ .,1938(
24
)Indian Linguistics , X ,
1948
,pp
.1ff
.(25 )
op . cit, IX ,
1946
〜8
, pp .43
ff
(
26
)Caryagiti
−padavali ,Sahitasebha
,Burdhaman
,1956 (in
Bengali
)(27) Car 顕 gitiko罨a, santiniketan , 1956 . Bagchi と共著の 形をと っ て い る。
(
28
)Jour
. of theDept
. of Letters ofCalcutta
Univ
.,XXVIII
,1935 ,これ は後に単 行され た 。
DohakoSa
, Apabhrarin ξaTexts
of theSahajayana
School
, pt.1Textsand
Commentaries
,
Calcutta
Sanskri 亡Series
,1938Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー 。コ ーシ ャ (奈 良 康 明 )
17
に属 す る と思 わ れ る 断片が含ま れ, さ らに他文 献 (Sadhanamala ,
Hevajra
Tan −tra 等 )に 引用 さ れ るサ ラ バ の
doha
もSarahapadiya
Dohasalhgraha
(以 下SDS
)と して い くつ か集め られ て い る。 こ のMS
本お よ びPB
本 は偈頌 の 数, マ = ユ ス ク リ プ ト自 体 の 僅か な差異
は あ っ て も, 同 一 の recension に属 す るこ と は 明 ら か で あ り, 現 存の チベ ッ ト訳 も 同様 であ る。 こ の 両本 に もとづ き, チ ベ ッ ト (L,e) 訳に も大い に依 存しつ つSnellgrove
は1954
年,DSK
の 英訳 を 発表 し た。 最近Rahula
Salhkrtyayana
は よ り多 くの 偈頌 を含 む DSK の マ ニ ュ ス ク リ プ トを1934
年 に チ ベ ッ ト のSa
−skya 僧 院に て 発 見 ,1957
年 に (Siddha
Sarahapada
−krta
)Doha
−koSa
(Bihar
R
磯 raBha
§aPariSad
,
Patna
)を 公 刊 し た (以下RS
本 )。 8− 12 c に か けて ,doha
−koga
は広 く流 行し た文 学 形式 で あ り, 仏 教 サ ・ ・ ジ ャ 乗 の 作品 に つ い て も, 現 在 発 見 され , 公 刊 され た もの に と どま らぬ こ とが い わ (3D) れ て い たが ,RS
本 はPB
本 ,MS
本 と は別 の recension に 属す る もの で あ る こ と は明 ら か で あ る。 こ のRS
本 は さ らに Avahattha 原 文 は未 発 見 だ が, Saraha の 名を冠 す る幾多
の 作品の チ ベ ッ ト訳 を あ わせ 発 表 して い る 。 本 稿 は こ のRS
本 に もとず くDKS
の 翻訳 で あ る。DKS
は 上述 の 如 く, 三 の翻 訳 が従来 知ら れ て い た (
Sen
, Shahidullah , Snellgrove )。 し か し本 作品の 特 異な 内容と
性
格, 特 殊な譬 喩
, 術 語 等の ために, 直 訳 は殆ど意 味 を な さず, 従 来の 諸 訳 は万 全 と はい い がたい 。 本 稿 は, 後 述 する ご と く幾 多の 不 明 確 な 点 を 残 しな が ら も, 能 うる限 り精 細なinterpretation
を試み ん と す るもの で ある。RS
本の 依 拠す るマ = = ス ク リ プ トは, “ お そ ら く最古” の もの で , 年 代 は明 (31) 記 され て ない が,10c
あ るい は11
c の ク テ ィ ラ 文 字に よ りか か れ て い る。 偈 頌 の 数は, PB 本,MS
本が 112 で あ るに 対し,RS
本は , 筆 者の 計 算に よ る に 170(
29
)E
.Conze
,Buddhist
Texts
through theAges
,Oxford
,1954 . pp .224
−
239
.(以下
Snellgrove
,Tr
.)(
30
) ORCp
,5 ,尚, DKT につ い て も現 在は 1 recension のみ が知 られ て い る が, 新しい 偈頌が発 見 され る可能性が あ り,少 くと も
2
以 上 の recension の 存在が 予想 されて い る。 cp .
P
.C
.Bagchi
,Jour
of theDept
. ofLetters
,Calcntta
Univ
., XXIX .1939. . p . 147 .更に SubhaSitasarpgraha (以 下 SS )(ed .
by
C . Bendall , L【)ndon ,
Paris
,Leipslck
,1905
)lc
引 用 さ れ るDKS
,DKK
,DKT
の偈頌に は ま だ 他に知 られ ぬ もの が残 っ て い る。 そ の う ち8
頌はPB
, MS 本に見 出さ れ, さ らに 別の 一一・頌 は こ の RS 本に見 出さ れ る。 またMS
本に紹 介さ れ てい る チベ ッ ト訳に は原文 未 発 見 の もの がか な りの数にの ぼ る。 (31
) RS 本,BBhomika
, pp .66
−68
N工 工一Eleotronio LibraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 18 サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈良康 明) で あ る。 本 edition に は 一行お き に 通し番 号が機 械 的に附 さ れ て
165
に至 る が , こ れ は便宜 上 の もの で , 偈 頌の 数を 示 し た もの で はない と思わ れ る 。 上述 し た如く
doha
に は couplet ,quatrain
が 含 まれ, 各 偈 頌の 行 数 は一定で はない か らで あ る。
RS
本170
の 偈頌 の う ち, PB 本 ,MS
本 に見 出 され る もの は72
, 従っ て の こ りの98
が新 ら しい もの で あ り, 偈 頌の 配 列 も大 い に異な っ て い る。 (後 記の 対 照 表参 照 )、
RS
本の 構 成 は可 成 り乱 雑で ある。doha
を集 録し た作品 は殆 ど が anthology の性 格を も ち, 偈 頗 は組 織的に 集 め られ て 一 の 体 系をなす もの で は な い 。 し か し そ れ に して も,DKK
,DKT
,DKS
(PB
,MS
本 )は 一応 の 統 一 を 示 し てい る に 比 し ,RS
本 は混 乱の 度が は げ し く, 類 似の 内容の 偈頌 が 処 々 に 散 在 して い て , 殆 ど統 一 はない 。 甚だ しい 例と して は,No
.26
とNo
.93
と は全 く同 一 の 偈 頌 で あ り, 伝 承上 の 混乱を 予 想せ し め る。 ま た Bagchi が DKT の 断片 と して 紹 介 する もの と 同 じ偈 頌がRS
に見 出さ れ (下記の 対照表 参照), 果 し て 全 部 がSaraha
な る 詩人の 作 で あ る か 否か は大い に疑 問で あ る。 もっ と も, 旧 e(】itions
中 に み られ る もの に もDKT
と 同一一 ま たは類 似の 偈 頌が あ り,DKK
に比 してDKT
とDKS
と の 比較的 近い 関 係が 推測 さ れ得 る。 そ し て さ ら に,RS
本No
.51
(PB
27
;MS
29)は
Hevajra
Tantra
に 紹介 さ れ るApabhrarhga
偈頌 の 一 (ll
. 5 . 68)と 同一で あ り, ま た他の
Tantric
文 献に見 られ るの と同 じ偈
頌 もい くつ か あ る。 先述した如 く,
Saraha
の 年代 を11
c 以 降と し得る な ら ば,Hevajra
Tantra
(8
c, seeHT
,PP
.10), Sitdhanamala (8
c, see Bhatthacarya(
editor)
’ s Intro ,PP
10)に あ る頌 をSaraha
は 白 由に引 用 しつ つ 自らの 作 品に くり入れ た もの と思わ れ る。 し か し こ の 他 に もSaraha
作 と伝 え ら れ る偈 頌に し て, 他のTantric
文献 に見 出 さ れ る例は ほ か に も多 く予 想 され るの で あ り, この 点につ い ての 詳 細な対照 は今後
の 研 究課 題 と して の こ され て い る。 (s2)本 edition は た だ 一本の マ ニ ュ ス ク リ プ トに よ っ て 校 訂され た もの で あ る。 勿論, 旧 editions は 参 照 さ れ て お り, 更 にチ ベ ッ ト訳 も併せ 紹 介 さ れ て い る が, これ は
MS
本 に発 表 され て い るもの と 同 じ であ り, 従 っ て 新 し く発 見 さ れ た98
の 偈 頌に は相 応 す る もの は 見 出さ れ ない 。 ま た, こ の 部分 に対 して は註 釈 書 も存 (32
) こ の マ ニュ ス ク リプ トは Bihar
R
磯 raResearch
Institute に保 管 され て い る とい わ れ る が,
1955
年にDr
・S
.Sen
が照回 し た ところ見 当らずとの こと であ り, さらに
1959
年 に筆者が探し求め た蒔に も 入手不 能で あ っ た。Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・ コ ーシ ャ (奈良康 明)
19
在 しない 。 variant reading も記載 さ れ て な く, 率 直に い っ て, 校 訂 者 の 読 み 方 に疑 問の あ る もの が可 成 りあるの で ある が , それ らを比較 検 討 すべ き材 料が ない の は き わ め て 遺 憾で あ る。 さ ら に サ ハ ジ ャ 乗 の 作品 と して 当 然 な こ とな が ら, サ ハ ジ ャ 特 有の 術 語, 譬 喩, 成 句 が多 く あ らわ れ る。 術語 は 他 の 文 献 あ る い は 旧 editions など よ り大 凡明 ら か に し得る も, 特 殊な譬 喩や表 現が突 然に現れ る場 合 に は, 現 在, 解 釈する に殆 ど不 可能 と思 わ れ る もの もい くつ か あ る。 校 訂 者は そうした困 難 さ を す く うた めに
Hindl
chayfi を 附 して い る が , こ のHindi
は 現 代Hindl
で はな く, さ り とて 中期Hind1
で もな い 。 き わ め て古い 形 を と ど め る, い わ ば , 正 体不 明のHindi
と思 わ れ , 時に は原 文よ り も chaya の 方 が 難 解で あ c3u) る点 も見受け ら れ る。し か しなが ら, 新 しく発 見 され た 偈 頌 に は思 想的に 重 要 な もの が多 く含 ま れ, また,
dohakoga
の 伝 承 や, サ ・ ・ ジ ャ 乗 の 他の 文 献 と の 関係の 面 な どに お い て , 注 目すべ き もの で あ るこ と は論 を俟たない 。 そ の 故に, 底 本の 幾 分 の 不完全 さ, 解 読の 困 難 さ も省 りみ ず, あ え て 訳 出 を 試 み た わ けで あ る が, そ れ だ け に本訳 は 一 種 の trial で あ り, 今 後, 新 しい 資 料 が 発 見 され て解明 さ れ て い くこ と を望 む と同時 に, 大 方の 御 教 示 を頂 けれ ば幸
で あ る。訳 出に あ た っ て は, あ く まで も
RS
本 に 忠 実 な る訳 に つ とめ, 校 訂 者の 読み 方 に対 す る疑 問, 解 読を 困難な ら しめ る 文法 形や表現 等はす べ て 脚 註 に 記 した。 また ,PB
,MS
本に もみ ら れ る偈 頌 に対 して は,内容上 , 差 の あ る もの は 全 部 指 摘 して おい た。 こ の 場 合 ,意味内容が 同 じで あ る と きに は ,文 法 形の 差 は あっ て も引 用 して い ない 。 RS 本 に は校 訂 者が適当 と思 うと こ ろ にHindi
を も っ て 見 出 しを つ けて い る。 本訳 にお い て も 一応そ れ を踏 襲 し て い る 。 訳 文 中,〔 〕
はSans
・krit
Commentary
よ りの 補訳 (従 っ て これ は,PB
,MS
本 に見 出 され る偈 頌に か ぎ る), ( ) は訳者の 補っ た部分 で ある こ と を示す。 附 記 紙 数の関 係上 , 本 稿に はNo
.54
まで を掲 載 し た。(
33
)H
三ndi chaya の 読解にあた っ て はカル カ ッ タ大 学のSatya
Ranjan
Banerjee
博士 な らび に Ramesh
Mathur
氏に御 教示 を う け た 点が 多い 。 又, Avahattha 原 文の解 読に つ い ては 同大学の
S
・Sen
博士 に多大の御指導をい た だい た。 附記 して謝意を表 します。
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University 20 サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良 康 明)
DKS
対 照 表 1. RS 本の 番 号は 上述 の 如 く verse number を示 さぬ 故, 同 一・番 号の 下に 収め られ る二 行が 二頌 と読 むべ き場 合 に は, 後 の 頌 を ’ を も っ て 示 した。 2.( ) は PB ,MS
本 に お い て原 文 が 未 発見 で あ りチ ベ ッ ト訳 (Tib
.)の み あ る こ と を 示 す。3
.“ そ の 他 ” と は他の 文 献に全 文 あ るい は 一部が 引 用 され て い る こ と を示 す。4
。* 印は 全 文 が な く一部 が 欠損 して い る こ と を 示 す。5
.° 印は “全 同”で な く “類 似” して い る こ とを 示 す 。PBMSRS
その 他 PBM釧
RS
その 他 l IPBMSRS そ の他 PBMSRS そ の 他111
252749CKp
・24515356
7981121
222262850
5254104
8082121
,3
43434272951HT
∬,5
,68
535455566162
81828384 555 283052 . 5557638385
666
293129CKp .101
,565844SSp
・1084867
87878
303132
*33
}
・・157
15859606465
85868788999
323489
、596166
8789101010
333590
16
・6267
889025
11
(11
).ユ1
343633
i6116368
8991
(12
)(12
)1.353734
1621
6469
9092 13131 厂11 ’ 3638271631
6570 9193 14 (14 )囓12373928
646671
9294 15 (15
)113 384091656772SSp
・369395
161718
161718
*1920
17
17,141516
SDS IV SSp ・32 SSp .32
SSp
・10
39404142 43 4142434445
362423922693
SSp
・36
6667168697071
686970717273 75 94959697989996979899100101
CKp .14 SSp ・36
192118
444694727476
10010220
2122
23
22
2324
25
192042
43
DKT
2, a−b
CKp
・114
4546474849
474849505194
’95969798
737475761777576777879
78
旨゜1561
101 102103104 103 104105106SSp
,36
−7
242648
5052
199781 80i
し128
105107 N工 工一Eleotronio LibraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良 康明 ) 21 PBMS
糯
・・81
… ) Rsl その 他iPB
t1091
(111
) 110 (112
). 111 (113 ) DKT13
DKT
12112
M
・1
・ ・1
・ ・ 他 (114
) 31 3558
PB 本 , DKT の 断片SS
PP ・i 36, 79i CK P ・35
[
PBM ・[
・ ・」
・ ・ 他ノ
ー 7 7CKp ・62
・Saraha
の 断片II
,9
(PB P .7
)Kriya
− am − graha ・ P・IM
・1
・ ・ 1141
・ ・ 他 ロ pa 師 一ka
(cfOR
CP
.80
) DKT .91
六派
c3の〔1
〕バ ラ モ ン (95)
1
バ ラ モ ン た ち は, 秘 義 (
bheu
,Skt
bheda
(
ka
)m)
を知 ら ず に 四 ヴ = 一 ダ を読 む。2
土 , 水, ク シ ヤ 草 を と っ て
〔
彼 等 は ヴ ェ ー ダ を〕
読む。 また, 家 に座して火 を もや す。 供 物 を投げい れ るた めに 火 を もやす こ と は無益 で あ り, けむい 煙が 眼 をや くば か りで あ る。 〔36〕 c37)
3
一本 あるい は 三 本の 杖 を
持
っ て 聖仙を よ そ お い , ハ ン サ の 教 え に よ っ て(
34
)Comm . a 亡ra tavad
,gad
dar
ξanani ucyante .brahma
.isvara ・arhanta ・bauddha
.]ok 蠢yata −sa エhkhy 齢 ca .しか し PB ,
MS
,RS
三本及び チ ペ ッ ト訳を通じて 最後の 二派 に 言 及 す る とこ ろ が ない 。
く
35 ) Com 皿 ・・j
且ti−bhedajanadbhir
とある も,bheda
は サハ ジヤ乗で い う神 秘的真理 を指 す る もの と思わ れ る。 cp
’
PB
104 :rpau
ghare
pau
vape 血 vohi thiu ehu paria .4ahu
bheu
.また RS 74 ;112
’;165Gnfra
).Also
cp ,MS
, “myst さre”;
ORC
p .84
;
Hindi
‘‘myster ジ’(
36
) ekadapdi tridapdi 古来, Hindu の 遊行者 (sannyasin )は三本 を一つ に し ば っ た杖を携えて お り,trida 鱒
in
と呼ば れ てい たこ と が知 ら れ て い る。 e.9 .Manu
S m ;ti刈,10 ;Yaj 飴 valkya
S
叫 t三 皿,58
し か し後代に シ t。,リー ・ヴィ シ ュ ヌ 派 の Rama ・
nuja 系 統に属 する遊 行 者は常に 三 本の杖を持ち, シヴ ァ 派教団の設 立 者 た る Sahk ・
ara 系 統の もの は一本の 杖 を用い, 両 者も それ ぞれ tridapdin , ekada4din と呼ば れ
て い た。 cp .
J
.N
.Farquhar
,,An
Outline
of the ReligiousLiterature
in India,Oxford ,
1920
, pp ・174
;243 ;井 原徹 山, 印度 教, 大 東 出版 社, 昭和18
年,315
頁;L
Renou ,V
Hindouism
,Ωue sais −je
, No .475 一邦訳, 渡辺照 宏, 美田稔, イ ン ド 教, 白水 社,1960
, 91 頁 (た だ しRenou
は “一 つ の 節 (n。eud )の ある杖”, “ 三 っ の 節の あ る杖” と解す る)。 本頌の 場 合, もし著 者 Saraha が後 者の用法 を意 識 して い た とすれ ば, Ramanuja の年 代 (1016
−1091 AD )か ら し て, Saraha も ユ1 c 以降 の 人 と 云 わ ざ るをえ ない t N工 工一Eleotronio LibraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty
22
サ ラ パ パ ーダ作 ドーバ ー 。コ ーシ ャ (奈良康明)〔
自 らを〕
賢 者 と考
え る。〔
彼
等の〕
誤 謬に よ り世界
は虚偽に束 縛され て い る。〔
彼 等は〕
法 も非法 も (実は)同 じ で あ る こ とを知 ら ぬ。 〔2
〕 パ ー シ ュ パ タ (38)4
〔こ の 派 の 〕 師 匠た ち (airia −,
Skt
.arya
−)は灰 を〔
身体に〕
塗 り,頭
に は髻
とい う荷 物 をの せ る。 家に座 して は灯 を と も し, 一隅に座 して は鈴を振 る。5
眼を閉 じ, 趺座 を組み ,
〔
人 々 の〕
耳に〔
これ が 正 しい 道 だ〕 と囁 く と, (39) 人 k は だ ま され て し ま う。 彼 等 は後家 や ら, 一 月 間の 断食の 誓を たて て い る (4の 女 や ら, そ の 他 の 人 を 謝 礼 金 め あ て に入 信 さ せ る。〔3 〕
ジ ャ イ ナ
6
爪 を 長 く伸ば し, 汚れた衣 服を ま とい , あ るい は 裸 で 髪の 毛 (kesa
−;Skt
.ke6a
−)をひ きむ し りな が ら, ジ ャ ィ ナ 僧 (khabapa
−, Skt .kSapa4a
−)は, かc41)
く外 観か ら し て 〔真 実 の 〕乗 物 (道 ) (
japa
,Skt
. yana −)をあ ざ 笑 う。 か くして 〔自分勝 手な〕 解 脱の 教 で 自ら を束 縛 す る。
7 もし裸 に解 脱が あるの な ら, 犬 や 野 狐 に も (解 脱 は あ ろ う)。 身体 の 毛
(
10ma
−,Skt
.loman
−)をひ き む しっ て 成 就 (siddhi )が あるの な ら,若
い 女の 腰 (nialhba ,
Skt
. nitamba −)に も (成 就が ある に ち がい ない )。8
尾 羽 (picchi
, Skt .piccha
−)を 手 にす るこ とに よ り解 脱 が み られ る, と い L42)うの な ら,孔 雀 や ヤ ク に も解 脱は あろ う。
拾
い 集め た穀 物 を食と し て (ufichebhoaperh
,Skt
. ufichenabhojanena
)智 慧が得 られ る な ら, 象 や馬 も智 慧 を得 るで あろ う。
9
サ ラ バ は 云 う。 ジ ャ イ ナ 僧
(
khabapa
−)に解 脱が あ る と私に は思わ れ ぬ 。身 体 (か ら して ) 真理 を はなれ て い るの で, 他 世 界 が成就 す る こ と は全 くな
(
37
)halhsa
ueselh =PB
, cp . MSharbsaU
bes9
;Comm
. para皿 ahathsa .ve6am こ
こ で (parama ・)
ha
孟sa とはVi
爭pu の こ と と思わ れ る。(38 ) 西城 記 11・20 に い うと こ ろの 塗 灰 外 道であ る。 Pagupata にお け る 灰 の 愛 用 に つ
い ては , see 原 実,
PaSupata
研 究 (1
), 印仏研 U ,No
.1
,1964
,pp
.408 ,411(
39
) rarpdi . Comm , svfimirahita . cp .Hindi
‘‘a widow .”(40 ) m 叫
41
,Comm
, masikopavaisiki . cp . Tagare ,Ap
.Gr
., p .317
;Hind1
, ‘‘a wo ・
皿 an with shaved
head
, widow . ”
(41 )
jarpa
.Comm
, marga .尚MS
はjana
(Skt
・yana ) (MS 本 vss .6;37
) とjapa
(
Skt
.jfiana
)(op . cit. vss8
;23
)を区別 する も,PB
, RS は し か らず。(
42
) camara こ の 動物の 尾は特に ジ ャ イ ナ 教徒に よ り, 虫を追い 払う払子 と し て 用いられ た。
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University
サ ラ バ パ ーダ作
ドーバ ー ・コ ーシ ャ (奈 良 康 明)
23 (43, い o
〔4 〕
仏 教 (44)10
長 老の 教に従 う新入 の 僧 や比 丘 た ちは (単に)出 家 者 の 服 装 (だ け)で 尊
敬 され て い る。 あ る もの は座 して 経典 を説 明 し, ある もの は思 索に耽 っ て い c45) るの が み られ る。 c4e) c47)
11
他の もの は大 乗 に 走 り, 〔ま た 他の もの は〕
マ ン ダ ラ輪 を 冥 想 (?)す る。 ま (4B)た他 の もの は 空 (
gaarpa
−,Skt
.gagana
・)
に 執着す る。 こ の 〔サ ハ ジ ャ の〕
完 c49)全 な智 慧
(
pari
的 a・,Skt
.parijhana
−)以 外に は 何 もない の だ 。11
,(
上 述 諸 派の 如 く)サ ハ ジ ャ を捨 て て涅 槃に走 っ て も,最
高の 真 理 は 一 つ だ に得られ ぬ 。12
何 人 で あ れ , 如何な る もの に 対して で あれ, ま た如何な る方 法に よ っ て で(
43
)pada
c.d
:tatta−rahiakafi
na tavapara
kevala
sahai ・PB
,
MS
(pa
tabafor
natava)
MS
は ttibaを tapa と解 し (cp .Tib
,dka
’)”priv6
de
r6alit6le
corps n’en −dure
quedouleurs
”と訳す も首 肯し が た い。 意 味内容の上 か ら も無 意 味で あ り,
sEhai (
Skt
. sndhayati )も endurer とみ る こ とは む つ か し い 。 tava は tavat と 解すべ く (cp .
MS
62 (=PB60
;RS
67
);90 (=PB88
;RS
25
);84
(=PB
82
);85 (=PB
83
) ま た para (Tib
. c’am )は
CQmm
に従 っ て paraloka の 意に解 すべ きで あろ う (cp . RS .
48
below
)(
44
) celluComm
,da6a
・6ik
爭a.padi, cp .Tagare
, Ap .Gr
., p.383
( “a
disciple
”);MS
本 pp .207,222 (= ξrfimarpera );Hindi cela , ‘‘
a
disciple
.”(
45
) cp .PB
, MS :kovi
cintekara
sosaidittho
(思 索に耽 り心 を涸 ら して い るの が みられ る)。
(
46
) marpdala ・cakraBagchi
はDKS
(PB
本 )24
;98
;DKK
9
;18
等 を比 較 しつ つ ,Shahidullah の “
le
cercle magique et
la
roue tantrique “(
MS
本 p.94
)を批 判し,実は “
alower state of the mind in
its
march towards the state of vacuity (cittaの 上昇につ い て は cp ,註 54,
70
)”と解す る (PB 本 pp .
178
−9
).こ の ケ 所は他の仏 教Tantricism 諸派に対す る批判であ る。 尚
Maqdalacakra
IC
っ きHT
Glossary q . v.(
47
) padab
: marpdala cakka mavi nadheu . nadheu は不可解。 Hindi chaya は
bhavai
(Skt .bhavayati
)(48 ) gagana は
9Unyata
と同義に用い ら れ る。 cp .ORC
, p. 101;RS
115below
.尚,同じ く空 (sky )を意味す る aka ξa が古 く
Saddharmapupdarikas
廿tra 124 .11 にSttnyata
と殆ど 同義に用い ら れて い る。 cp .Edgerton
, BHS Dict し か し akaSa が
5nnyata
の 意に用い ら れ る例は サハ ジヤ乗 文 献に は見 当 らぬ よ うで あ る 。(
49
)PB
の padab
−d
の 読み 方は異な る。 tahiih sutanta takkasatthahoi
,koi
man −dalacakka
bhavai
aprpa cauttha tattadisai
” そ こ (大乗)に は経典が あり論書 があ る。 あ る もの は マ ン ダ ラ輪 を 冥想 し,ま た 他の もの は 四諦を みつ め る ”
。
Komazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 Unlverslty 24 サ ラ バ パ ーダ ー作 ド ーハ ・コ ーシ ャ (奈 良 康 明)
あれ ,満足 を得た とい っ て も, 冥 想 (
jhapa
−,Skt
.dhyana
−)を行 っ て何で解脱が得られ よ う。 (同様に )灯 火が何に なろ う。 供 物 が何の 役 に 立 と う。 マ ゆの ン ト ラ を修 習 し た とて 何 が 出来 よ う。
13
霊 場, 苦 行林に赴 い て 何の 甲 斐 が あ ろ う。 沐 浴 して 解 脱が得 ら れ ると で も い うの か。 Cblノ 14 あ あ, 偽 りの 束 縛 を捨 て よ。 汝 が迷 わ さ れ て い る もの をふ り捨 て よ。 か の〔サ ハ ジ ャ の
〕
完 全 な 智慧以 外 に は何 もな い の だ 。 他の 歌(
= 他の 文 献 ?)
{b2)に (書か れて い る
)
す べ て は , 正 にそれ 〔サ ハ ジ ャ 〕なの だ。15
読 誦 され 唱え られ る もの はそ れ〔
サハ ジ ャ 〕で あ り, シ ャ ース トラ , プ ラ (53)一ナ に説明 され る もの もそ れ で あ る。 こ の 〔サ ハ ジ ャ
〕
を 目指 さ ぬ 〔解 脱 に関す る〕 見 解はない 。 しか し, そ れ は, ただ, す ぐれ た 師の 足
〔
下 に奉仕 し て 始め て 〕み ら れ る。16
師の 言葉が 〔弟子の 〕心 (hia
−,Skt
.h
;daya
−)に は い る な ら, そ れ は 〔サ ハ ジ ャ そ の もの を得る こ とで 〕 あた か も掌 中に し っ か りとお さ ま っ た もの にみ えるc サ ラ バ は 云 う。 世 界は虚 偽 にお お わ れ て い る。 愚 か
者
は自
ら の本
性 (がサ ハ ジ ャ で あ る こ と) を 知 らぬ 。9
慈
悲 を 伴 う修
習17 慈 悲 (
karurPa
)な くして 空 (sufifia −,Skt
.舶 nya (悟 ))に 執 着 する もの は最 高の 道に入 る こ と は な く, ま た, 慈 悲 の み が成 就 して も, 人 は来 世に お い て も, 解 脱 を うる こ と は ない 。 17’ し か し, こ の (慈悲 と空 の )両者が 合 す るな ら, その 時 には存 在 (
bhava
) c54)も涅 槃 (ni1 )
b
互na )も な く な る 。(50 )
kintaha
kijjai
mantahabhave
血 . PB reads sevva 血for
bh
巨 ve 血(51 )
dhandh
亘 cp MS p .233
;Tagare , Ap .Gr
., p .410 ;BHS Dict .,dhandha
(52 ) pada c−
d
:tasu pariapahu appa ppakovi
, avare gappe sabbai sovi . PB は殆と同 じ だ が
MS
はMss
.の abare ape sajjai soi に基づ き,Tib
.訳 を参照して abace ・ape sabboi soi (
Dans
le
rξveildc
la
conscience , tout estle
soi)(
53
) これ らの 文献に示 され て い るの は結 局は サハ ジヤ に外 な らぬ こ と をい う 。 尚cp .RS
121 . (54
)karupa
と9anyata
は仏 教タン ト リ ズム の二大原理で ある。 こ の両者は そ れ ぞれ upaya と prajfiE とも呼ば れ, さ らに男性お よび女性 原 理と もされ る。 人 間 の 身体 は宇 宙の 縮 図で あ り,そ こ に は 三 本の主要な神経 (nada )が ある。 左 右 の 二 本 は 二 N工 工一Eleotronlo LlbraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service Kom 三1z三1w三1 University サ ラ バ パ ーダ 作 ドーバ ー ・コ ーシ ヤ (奈 良康明)
25
18
冥想も行な わ ず , 出家 もせず , 家に妻 と共に住み , はげ し く〔
五欲の〕対
(55)象を たの し み つ つ , (し か も)解脱 が ない の な ら, サ ラ バ は 云 う。 (そ ん な)
“ 完 全な智 慧” は私に は うれ し く な
題
よ
19
も し 〔サ ハ ジ ャ が 〕眼 に 見 え る もの なら, 冥 想に よ り何 をし よ うと い うのか。 また そ れ が (見 えぬ もの な ら, その )暗 黒の 中で 冥想が 役に立 つ で あ ろ (57 )
うか。 (さ れ ば)サ ラ バ は 叫 ぶ。 “ サ ハ ジ ャ の 本 性は 存在で も非存在で もな い ” 。 (fiき)
20
そ れ に よ っ て 人 が 生 れ る もの (= サ ハ ジ ャ )に よっ て 人 は死 に, そ れ に よっ て 最高 の 大 楽 (
parama
−mahasuha −,Skt
. sukha −)も成就 さ れ る。 サ ラ バは云 う。 “ 私に
(自
分の意
志で)
何が出 来 よ う。 (しか るに)獣 の ご と き世 間 c5fi) の 人 は, 私 が 何 を して い るか を 理 解 し な い 。21
あ る もの は す ぐれ た 財 宝 を 蓄積 し, 他 の もの は 百人に散 じ 与え る。 (しか元 的対立概念 を代表する と考え られ てい て,
karu4a
, upaya は右の ,9tinyata
, pra ・
1
鮪 は 左の神経 に 比定 され る。 こ の 両 者が中央の 神経の下 方, ヘ ソ の 辺 に あ る Nir ・m 的 acakra (ニ ヒ ン ドゥー ・タ ン トリズ ム の
Maladhara
・cakra )に て合 す る と , そこ に “粗 雑な菩 提心 ”(saMv ;ti−
bodhicitta
)が生 ずる。 か く して生 じた 菩 提 心 は 中央の 神 経 (
Avadhtitika
) を通 っ て .L
昇し,他 の cakra (see 註 70 )を経 て 頂上 の恥 P畑 一cakra に至る。 か くして粗 雑 なる菩提心は “ 完全 な る菩 提心”(vlvrta )と なり大楽 (
Mahasukha
)の 状 態とな っ て解脱 す る。 こ こ に は一切の 対立概 念はな く, 存在 (bhava
)と か涅槃 (nir 順 ロa) とい っ た区別 も ない と され る。 故に菩 提心 と は, 単に “菩 提を求 め る 心 ” で は な く, “The extremely
blissbul
state of mind pro .
duced
through the sexo ・yogic practice ” (ORC p. 28 )と定 義さ れる。(
55
) 感 覚 的 享 受 をう けつ つ , しかもそ れ に溺れ る ことな く解 脱を求め ることに つ い て ,cp .
DKT
24 :“毒 薬 〔に通 じてい る人は , 毒 薬 〕 を飲んで も, 毒薬に害さ れ ぬ如 く,〔Yogin は〕存 在に とら わ れ るこ と な く, 存 在 〔即 ち感覚 的悦 楽 〕 をた の し む ♂
’
RS
48
;71
;92
;100
;144
(below
), HT1
,ii
etc .(
56
) padad
;Saraha
bhapai
pariapaki
ruccaaPB
reads muccai (Skt
. mucyate )and MS uccai (Skt . ucyate , cp . Tib smra )
for
ruccaa .(
57
) pada a−b
:jai
paccakkhaki
jha4e
klai
, ahavajhana
andhara sgdhiaa PB ニ…
jai
parokkha andhara madhiaa
;MS
:……aha parokkha andhara mabiai (“onmesure … )
(
58
)ja
llai
uvajjai talla
三btijjai
talai
parama 皿 ahasuha sijjhaiPB
, MS :jallai
marai uvajjhai (
MS
uba °)vajjhai (
MS
ba
°) ta11ai parama mahasuha sijjhai(“
そ れ に よ り人が生れ, 死に, 縛 られ る もの に よ り〜 ”
)
(59 )
pada
c−d
;Sarahabha
ロai mahuki
kkarami
pasa Ioa 4abujjhai
ki
karami
PB , MS :Saraheth gahapa guhira
bhasa
kahia
pasu .loa
nivvoha (MS .bb
・)jima
rahia , “ S .は奥 深 く深 遠な言 葉を語 る。 獣の世界は (それ を ) 理解せ ずに い る ” 。 N工 工一Eleotronio LibraryKomazawa University
NII-Electronic Library Service
楠 Kom 三1z三1w三1 University
26
サ ラ バ パ ーダ作 ドーバ ー ・ コ ーシ ャ (奈 良康明)も)こ の 両 者は時 と共 に死 んで 行 く。 (真 理 を) 私 は語ろ うと 思っ て も語 る (6o) こ と は 出 来ぬ。
22
頭pi
cala垣
raagai
jiva
dare
〜
a sag與
こ の 二 つ の 道が 私 に よ り説かれ た。 汝 の 望む と こ ろ に 従え。 {62)
1
且’
b
(
citta)
(63)23
た だ (粗 雑な菩 提 )心 (citta )の み が 一 切の 種子, 存 在 (bhava
−)も 涅 槃(
pivv
的 a・) もそ れ よ り派生す る。 そ れ は如意 珠 で あ り, 尊重 す べ きで ある。〔
そ れ は世 の 利益 を は か る入の 〕望 みの 果実を与え て くれ る。24
人は カ ル マ に束 縛され て い る 。 こ の カ ル マ の解 脱 に よ り意 (mama ・,Skt
. (fi4)manas ・)の 解 脱が あ る。 意の 解 脱の 結 果, 最 高の 涅
槃
を得る。25
全世 界 は文 字 (akkhara −,Skt
. akSara −)に束縛 さ れ て い る。 文 字 を知
らぬ 者 (
Ptrakkhara
)は な い 。 しか し文 字 を 超越 した 状態 (pirakkhara
)を得 (60 ) サハ ジ ャ あるい は最高の 真 理は智 識と して 教え得る もの で はな く, 自ら体 得す る 以 外に方 法の ない こ と は随 処に強調 され る。(
61
) pade a・b
は難解で あ る。 特にdare
と は何 か。H
三ndi chaya も同じ くdare
。 また Pfida c−
d
も内容的に唐 突で, 伝 承上の 混乱が予想さ れ る。 (62
) citta 及 び manas は サハ ジ ャ乗の 重要な概 念である が, その 意味 内容は未 だ充 分 に明 ら か で ない よ うで ある。 先 学は こ の 両語を 同義 語 と み な し, mind ,1 ’ esprit と訳す。 た だ Snellgr 。ve の みが , そ れぞれ , thought , mind と使い分 け る が, 両 語
の意味内容は復 雑であ り,か つ , 用 法上の 混乱 も あ る。 こ の 点につ い て は 別 に 発 表
する が (“
Three
Dohasin
theDohakoSa
ofSaraha
− with Special Reference tothe Meanings of
Citta
and Manas − ,1966
年 春 出版のGuru
加 」訌ijallfor
Dr . S .
Sen
に発表の 予 定 )citta に は (1
)思考 (tbought ),(2 )saihvrtibodhicitta
, (3
)vivrti
bodhicitta
の 三 義 を区別すべ き で あり一 但 し DKS ,DKK , DKT を通 じてbodhicitta
な る語は用い られず, まして, sarhvrti , vivl ;ti な る語 も 見 当 ら ない 。し か し, 註 釈 及び実 際の用 例の比較 研 究 よ り みて も, 例えば
HT
に説か れ る こ の 教義は
doha
作 者た ちは充分に意 識 し て い た こ と は疑い が ない 一 manas は 意(mind ;知的機能) citta と混同 さ れ, salhvrti 及び viv ;ti
bodhicitta
の 意 味に用い ら れ る。
(
63
) 現 象 世 界は vikaIpa の働 きに よ っ て (sarbvrti ・bodhi
−)citta }こよ り作 り出 された もの で あ る。 cp .
ORC
pp .36ff
.(
64
)こ こ の manas とは vikalpa をに な う知 的機能の こ と と思わ れ る。
cp .
Comm
;tat.(sic .karman
)parityagadhimok §epa cabhavati
manomokSam .mokSaficatmatmiyavikalparahitataya mithyabhavanaya manah safijfiaiva
bha
.ndhanEt tasya nirodhah .