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早稲田大学大学院

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早稲田大学大学院      2009年6月10日 経済学研究科長  永田  良  殿

課程博士学位請求論文本審査報告書

      審査委員

主査  鈴木健夫(本学政治経済学術院教授)

副査  南部宣行(本学政治経済学術院教授)

大内宏一(本学文学学術院教授)

廣田  功(帝京大学経済学部教授、東京大学名誉教授)

学位申請者:     

川崎(西永)亜紀子(2005年3月31日退学、研究指導  鈴木健夫)

学位申請論文:

「近代フランスにおけるユダヤ人社会―アルザス・ユダヤ人の分析を中心に―」

審査結果:

審査委員は、上記の学位申請論文について、慎重に審査し、且つ、申請者に対する口頭試問(2009 年5月26日)を実施した結果、下記の評価に基づき、同論文が博士学位論文に値すると判定する。

 

Ⅰ  本論文の構成と概要

1.本論文の構成

本論文の構成は以下の通りである。

    序論

    第1章  アンシァン・レジーム期のアルザス・ユダヤ人社会       はじめに

      第1節  定着と人口増加        第2節  職業構成 

第3節  アンシァン・レジーム期のアルザス・ユダヤ人をめぐる問題   (1)  ペアージュ・コルポレル(人身通行税 péage corporel)

  (2)  偽受領証事件l’Affaire de fausses quittances 小括

    第2章  「解放」後のアルザス・ユダヤ人社会―バ・ラン県の事例を中心に―

      はじめに   

第1節  法的枠組みの整備

  (1)  ナポレオンによる対ユダヤ人政策    (2)  第一帝政期以後の法的状況

      第2節  第一帝政期におけるバ・ラン県のユダヤ人       第3節  19世紀半ばにおけるバ・ラン県のユダヤ人       小括     

第3章  アルザス・ユダヤ人による「再生」の試み―職業教育の観点から―

      はじめに     

(2)

第1節  「再生」とは何か

      第2節  アルザスにおけるユダヤ人「再生」に関する議論       第3節  「職業奨励協会」による職業教育

      小括

    第4章  1848年の反ユダヤ暴動―ユダヤ人の「解放」の裏で―

      はじめに

第1節  暴動以前のアルザス地方

  (1)  1845年に始まる経済危機    (2)  「アルザス・ユダヤ人=高利貸し」というイメージ   第2節  暴動の実態

    (1)  暴動の経過    (2)  暴動の特徴   第3節  暴動に対する反応

    (1)  アルザスでの反応    (2)  ユダヤ人の反応    (3)  政府の反応   小括

    第5章  アルザス・ユダヤ人の移住とフランスのユダヤ人社会       はじめに

      第1節  移住の要因       第2節  国内移住       第3節  国外移住       小括

    結論 図表 

アルザス地図と1850年当時の主なユダヤ人コミュニティ 参考文献

初出一覧

2.本論文の概要

  本論文は、アンシァン・レジーム期から第二帝政期(1852−70)までの、つまりドイツ領になるま でのアルザスのユダヤ人を対象とし、彼らの人口、法的地位、職業、職業教育、移住や彼らに対する 暴動の実態と動向を解明し、そして、彼らとその社会がフランスの国民国家形成のなかでどのように 歴史的に位置づけられるかを、社会経済史的に考察しようとした研究である。

各章の概要は次の通りである。

(1)  「序論」では、本論文の問題設定、アルザスの地域的説明、「解放」(フランス革命期)前のフ

ランスの、そしてアルザスのユダヤ人の歴史的概況、先行研究、研究史に本論文が占める位置、

本論文の構成について記されている。

フランス的特徴とドイツ的特徴を同時に備え、スイスとの関係も密接な地域であるアルザスは、

ヴェストファーレン条約(1648年)でその大半がフランス領となるが、このフランスの辺境地域 に住むアシュケナズィ系ユダヤ人は、南西部・南東部のスファラディ系ユダヤ人に比較してユダ ヤの伝統に強く忠実であったことから、フランス革命から始まるフランスの国民統合の枠組みの なかでは最も遠い集団であったことが、まず強調される。そして、本論文の主要な検討対象とな る「解放」後の時期はフランスのユダヤ人にとっては「平穏な時代であった」と言われることも あり、またもともと少ない史料の散逸・焼失という条件もあり、本研究に関連する従来の歴史的 研究は手薄であること、そのなかで本論文はアルザス・ユダヤ人をフランス「国民国家」形成史 のなかで検討することを通して研究史の空白を埋める役割を負っていること、が指摘される。

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(2)  第1章では、アルザスの大半がフランスに併合された1648年から「解放」前夜までのユダヤ 人が「追放令」が効力をもつ状況の中でどのような社会経済生活を営んでいたか、主として先行 研究に依拠して、彼らの定着状況・人口推移・職業構成等の分析から考察している。

まず、「はじめに」において1648年当時のアルザスの所領分布、ユダヤ人の比較的良好な環境、

その後の皇帝権弱体化・ペスト流行等によるユダヤ人迫害・追放、特別税徴収を条件とした居住 許可について言及された後、第1節において、彼らの定着と人口推移について各種人口調査等の 数字が吟味し検討されている。三十年戦争中に行商・軍馬供給商・金貸し等としてアルザスに流 入していたユダヤ人の人口は約1,500―2,000人と推定されるが、1689年には2,200人以上、1784

年には19,707 人に増加しており、この人口増加の原因は、軍馬・穀物供給商としてのユダヤ人

の必要や中・東欧からのユダヤ人流入等にあったと指摘される。都市の多くで居住を禁止されて いたユダヤ人は、若干の都市周辺のほかは、ほとんどが農村部に居住していたが、論者は、第2 節で、これらユダヤ人の職業構成を分析する。土地所有を認められず農業に従事することができ ず、手工業・自由業への就業も認められなかったユダヤ人の主要な職業は軍事物資・家畜・穀物 取引商、行商、金貸し等であったが、その実態の検討から、18世紀には職業の違いからいくつか の社会階層が生じていたことが指摘される。加えて、第3節では、1784年までアルザス・ユダヤ 人に屈辱的に課せられていた都市・所領通行税(ペアージュ・コルポレル)について、そして

1770-80年代に経済危機を背景に起こった偽受領証事件――非ユダヤ人が偽受領証を使って負債

の返済を拒んだ事件――について、それらの実情が紹介され、ユダヤ人が当時置かれていた差別 的境遇とともに、ユダヤ人の経済活動がアルザス住民の生活と深く関わっていたこと、ユダヤ人 の社会生活に王国政府が深く介入するようになっていたこと、が主張されている。

(3)  第2章では、まず1791年のアルザス・ユダヤ人に対する「解放」の内容が説明され、続いて、

解放後も残っていた法的制限の撤廃について、そして、1860年代後半までのアルザス・ユダヤ人 の人口動態と職業構成が先行研究およびバ・ラン県文書館やストラスブール市文書館の史料に依 拠して検討され、「解放」後の同化政策とその実態が考察されている。

1806年以降本格化するナポレオンのユダヤ人政策のなかで彼らを一元的・中央集権的に監督す る長老会(中央、地方)が設置され、フランス式の姓名が強制され、さらにはモール・ジュダイ ユ(出廷前の宣誓)の義務が廃止され、フランスのユダヤ人に対する同化が推し進められるが、

それと同時に、そのなかで同化が遅れているアルザス・ユダヤ人に対してはその経済活動を制限 する「恥辱令」が10年の期限立法で発布されたという事実が説明され、七月王政の頃にはユダ ヤ人の法的地位は向上していたと指摘する(第1節)。続いて、ストラスブールの位置するバ・ラ ン県を中心に第2節では第一帝政期の、第3節では19世紀半ばの彼らの人口推移と職業構成が 検討される。1806年以降にユダヤ人人口調査が実施されるようになり、1808年にはフランス全

体で47,166人、そのうちバ・ラン県は34.3%であり、バ・ラン県自体の人口は1784年に比べて

27.5%増加していること、そのなかでのストラスブールでの急増と農村部での減少が顕著である こと、そして職業構成においてはストラスブールでの職業範疇の若干の拡大が見られたものの第 一帝政期には顕著な変化はなかったこと、が指摘される。その後の時期についは、バ・ラン県の 人口は1846年までは増加するがその後は横ばいになり、フランスのユダヤ人人口に占める同県 の比率は下がり続けていること、そのなかでストラスブールでのユダヤ人人口は一貫して増加し ており、この背景には都市化および農村から都市(ストラスブール、パリ、リヨン等)への移住 があったことが指摘されている。論者はここでユダヤ人家族の在り方を検討し、核家族の高い割 合のなかでの拡大家族の存在、ストラスブールにおける単身世帯の多さに注目し、ユダヤ人家族 における親族間の紐帯の強さ、都市での出稼ぎという現実を指摘する。職業については、大多数 のユダヤ人がさまざまな商業活動に従事しているなかで、ストラスブールでは職業の種類の幅が

(4)

拡大し、手工業従事者も多かったことが目立った変化として指摘されている。

(4)  革命によって絶対王政から共和制に転換したフランスにとって新しい国家にふさわしい国民 の創出(「再生」)が課題となり、なかでもユダヤ人の「再生」=同化は大きな課題となったが、

この観点から第3章では、アルザス・ユダヤ人に対する教育政策、特に職業教育――地域的特殊 性からフランス語教育を伴う――に関する議論およびその実態が、先行研究およびバ・ラン県文 書館史料に依拠して解明されている。

第1節では、まずアンシァン・レジーム末期に起こったユダヤ人「再生」に関する議論が紹介 され、アベ・グレゴアールとウルヴィッツの提案のなかに「再生」のための職業教育があること が指摘される。「解放」後も「再生」がなかなか進まないアルザス・ユダヤ人に対してはその「再 生」の必要を説く議論が展開されるが、政府は新たに設置する長老会を通してユダヤ人の職業教 育を促進する意志を明瞭にした、とされる。しかし、アルザスでユダヤ人の「再生」が活発に議 論されるようになるのは「恥辱令」失効後の1820年代に入ってからであり、論者は、第2節に おいて、バ・ラン県農業技芸協会が募集(1824年)した懸賞論文3点と同時期の著書の内容を紹 介し、そこにユダヤ人の「再生」特に彼らの経済生活の転換のための積極的な職業教育の必要性 の議論があったことを確認する。そして、第3節において、そうした議論を契機にストラスブー ルでは長老会主体の「バ・ラン県貧民ユダヤ人のための職業奨励協会」(1825年創設)によって 積極的に推進された徒弟修業と学校教育の実態およびその有益な成果が明らかにされ、加えて、

少し遅れて長老会とは無関係にオ・ラン県に作られた同様の協会(コルマール)とその学校(ミ ュルーズ)についても、アルザス以外(パリ、メス)のユダヤ人職業教育とともに紹介されてい る。なお、ユダヤ人に対するこうした職業教育は同時期のフランス国内の職業教育の発展と時期 を同じくしており、両者のあいだには相互交流も盛んであったという事実も本節で言及されてい る。

(5)  多数のユダヤ人も参加した1848年の二月革命直後、アルザスでは激しい反ユダヤ暴動が起こ ったが、第4章では、各地域における反ユダヤ暴動の背景・実態・特徴が先行研究と各種史料(バ・

ラン県文書館、オ・ラン県文書館、国立文書館(パリ))に依拠して解明され、そして、アルザス 社会において「解放」されたはずのユダヤ人がこの時期にどのような歴史的境遇に置かれていた かが考察されている。

まず第1節で、反ユダヤ暴動が起こった背景として、1845年以降の凶作(病害・天候不順)に よる食糧危機・経済危機(物価高騰)、そして農村部では変わらぬ「ユダヤ人=高利貸し」意識か ら来るアルザス人の根強い反感について説明があり、続いて第2節では、暴動の経過を主として 同時代の証言によって検証し、暴動の特徴が整理されている。二月革命の知らせが届いた直後か ら広まった反ユダヤ暴動(ユダヤ人家屋の破壊・略奪、シナゴ―グ破壊)を著者は三つの時期に 区分し、第1期(2月末―3月初旬)ではバ・ラン県のサヴェルノ、マルムティエブリュマット、

オ・ラン県のアルトキルシュ、デュルムナック、セポア・ル・バ、アゲンタールなどでの状況を、

第2期(4月初旬)ではバ・ラン県のサヴェルノ、オッホフェルデン、エッテンドルフなどの状 況を、第3期(4月末、初の普通選挙実施時期)ではオ・ラン県のエーゲナイムにおける状況を、

それぞれ具体的に紹介している。暴動の特徴としては、二月革命の影響を受けてのブルジョア支 配層(ユダヤ人高利貸し)に対する民衆の反抗という側面が確かにないわけではないが、それよ りもあらゆる階層のユダヤ人に対する襲撃であったということなどが主張されている。第3節で は暴動に対する反応が検討されているが、アルザスでは住民および行政・司法・新聞にとっては 過度の高利を取り立て何の慈善活動も行っていなかったユダヤ人に対する反抗として受け取られ たこと、アルザスの長老会は積極的な行動を取らなかったこと、パリのユダヤ人指導層は暴動の 実行者や無策な長老会への激しい非難と同時に、「同化が遅れている」としてアルザス農民とアル

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ザス・ユダヤ人双方への蔑視が見られたこと、そして、被害を受けたアルザス・ユダヤ人のなか にはスイスへと移住していくものが多かったこと、が論証されている。他方、成立したばかりの 臨時政府にとっては、政権の安定のためにまず秩序の回復が重要であり、そのなかで信教の自由 を保障しようとしていた、ということが指摘されている。以上の検証をまとめた「小括」のなか では、さらに、このときを最後としてアルザスでは大きな反ユダヤ暴動が発生しなくなること、

その背景には第3章で検討したような職業教育などによるユダヤ人「再生」の試みがある程度実 を結んでいたこと、この暴動を通してフランスのユダヤ人社会が決して一枚岩でないことが露呈 したこと、また再度アルザスの特殊性が浮き彫りにされたこと、が言及されている。

(6)  工業化・都市化の進展とともにヨーロッパでは移住・移民が盛んになるが、第5章では、アル ザス・ユダヤ人の活発な移住の実態とその問題性が、先行研究に依拠して検討されている。

第1節では、人口動態の推移からユダヤ人の農村部から都市部への移住が促進されていた事実 が確認され、移住のプッシュ要因として居住の自由、農村の近代化・貧困化によるユダヤ人の活 動領域の狭小化、反ユダヤ暴動、1871年のドイツ併合(国籍選択の義務)が、そしてプル要因と しては移住先の都市における職業の多様性や職業教育の機会が挙げられている。そして、第2節 では国内移住の、第3節では国外移住の実態が検討されている。1830年代ごろから見られるよう になる移住は、当初はアルザス内での農村部からストラスブール(商業)、ミュルーズ(綿織物業)、 ビシュヴィレール(ラシャ織物業)などの諸都市への移住であったが、その後はパリへの大きな 移住の波が生まれたことが指摘され、パリにおけるアルザス・ユダヤ人の活躍、スファルディ系 ユダヤ人との融合にも言及されている。1871−72 年の国籍選択に伴うアルザス・ユダヤ人のフ ランス領移住の実情とそれを促した要因(若者の兵役忌避、土地への低い執着度、社会的処遇の 違い、「フランス人」としての国民意識、フランスへの輸出関税)も明らかにされている。国外移 住としては主として貧しいユダヤ人によるアメリカ移住が活発であったが、その実情も明らかに され、彼ら移住者はアメリカでは「ユダヤ人」を再認識させられるにいたる事情が説明されてい る。アルザス・ユダヤ人のスイスへの移住も盛んであったが、アメリカ移住者と同様に彼らもそ こで「ユダヤ人」を意識することになる。加えて、フランスの植民地アルジェリアに移住したア ルザス・ユダヤ人と土着のユダヤ人との複雑な関係への言及もなされている。こうして、国内移 住したアルザス・ユダヤ人が次第にフランス人としての国民意識を持つようになったこと、移住 によって「フランスへの同化」が進展したこと、19世紀後半にはパリがユダヤ人社会の中心にな ったこと、同化を実現したアルザス・ユダヤ人はそれまで受けてきた冷淡なまなざしを19世紀 末に流入してくる「東方ユダヤ人」に向けるようになること、国外に移住したアルザス・ユダヤ 人は移住先で「フランス人」である前に「ユダヤ人」として扱われたこと、が指摘されている。

(7)  「結論」では、各章での検討の結果が整理されて述べられ、そして、特に、アルザス・ユダヤ 人はアンシァン・レジーム期にさまざまな制限・差別を受けながらもアルザス農民と経済的に緊 密な関係を結び、アルザスに是が非でも必要な存在であったこと、「解放」以後は農村での存在理 由を弱めたユダヤ人は都市部(アルザス内諸都市、パリ)へ移住して多様な職業に就き、パリで は「フランス人」としての強い国民意識をもつようになったこと、しかし同時に農村部に居住し 続けたユダヤ人は変わらぬ差別的偏見・反ユダヤ暴動のなかで同化しないままに置かれたこと、

そしてここにアルザス・ユダヤ人社会層のなかに二極化が生じていたこと、などが強調されてい る。

Ⅱ  評価

  ユダヤ人の歴史に対する研究には種々の接近方法があり得るが、本論文は、アルザスという辺境地 域の農村ユダヤ人を対象とし、彼らが近代フランスの国家・国民統合過程のなかでどのような経緯で

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それに組み込まれていったかを、社会経済史的に実証しており、その点で、従来の研究史にはない特 色をもつ。

  アルザスは、フランスとドイツの領土争いの舞台となり、そのときどきに両国の国境に位置し、し かし同時に独自の社会をもっていた地域として歴史を歩んできたが、その地域のユダヤ人もまた、他 地域のユダヤ人とは状況を異にする生活を営むことを強いられた。この特殊性ゆえに、アルザス・ユ ダヤ人の社会的実態を解明することによってこそフランスの国家・国民統合過程がより浮き彫りにさ れてくるという面があり、その点で、本研究は少なからぬ学問的貢献をなしていると言える。

「解放」後のユダヤ人については彼らが「フランス人」のなかに埋め込まれていったがゆえに歴史 の表面に登場してくることが少なく、それだけ史料や研究に乏しいが、本論文は、そうした少ない先 行研究に加えて文書館史料や当時の雑誌・パンフレットなどの一次資料を自ら発掘してよく消化し、

アルザス・ユダヤ人の人口、法的地位、職業、職業教育、移住、および彼らに対する暴動の実態につ いて手堅く分析している。全体として論争的というよりは淡々とした記述で貫かれているが、全体の 構成は論理的で筋が通っており、随所に従来の通念的な理解に論証を加えるような、またその通念的 な理解に修正を迫るような成果を含んでいる。たとえば、アルザスの社会にとってユダヤ人の存在が 必要不可欠であったという事情は、常識的に考えれば推測できる点ではあるが、それが論証されるこ とによってより説得力をもってくるし、職業教育や反ユダヤ暴動の実態の解明は学問の前進に寄与し ていると言える。また、都市化・工業化が進展するなかでユダヤ人の間に都市移住者と農村居住者と の二極化現象がみられ、それが「同化」に複雑な影を落としていたといった指摘なども注目に値する。

予備審査過程では、より完成度の高い論文とすべく、先行研究の内容のより踏み込んだ紹介、アル ザス・ユダヤ人を対象とする問題性のより明示的な説明、「同化」のより深い考察、「近代的信用制度」

の実態のより正確な説明、アルザス・ユダヤ人の信仰したユダヤ教の補足的説明、若干の誤記や不自 然な表現の修正が求められたが、本審査の対象とした論文においては、そのいずれの要求に対しても 可能なかぎりの加筆修正が施された。この加筆修正によって、とりわけ本論文の論旨に深く関わる点 として、①解放前から第二帝政期までという長い時期のアルザス・ユダヤ人を対象とした社会経済史 的な動的分析という、先行研究にない本論文の独自性がより明確になり、②アルザス・ユダヤ人社会 にとってはフランスの他地域のユダヤ人社会よりも「フランス化」・「同化」の影響がより重大であっ た事情がより明確になり、また、③職業教育を事例として社会経済史的に考察した「同化」について は、職業上の同化がすぐさま偏見・差別の撤廃あるいはユダヤ人の「再生」に直結しなかった複雑な 諸事情がより明らかにされた。

以上の評価により、本論文は、従来の研究史の空白を埋める、そして今後のわが国におけるアルザ ス・ユダヤ社会研究の重要な土台となる研究であることは確かである。ユダヤ人の「同化」の問題性 は深く、著者のさらなる継続的な研究が期待される。

       

以上 

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