著者 阿部 朝衛
出版者 法政大学史学会
雑誌名 法政史学
巻 61
ページ 32‑54
発行年 2004‑03‑24
URL http://doi.org/10.15002/00011492
最近、先史時代の石器資料に、製作に失敗して放棄されたものが多く含まれ、しかも、熟練者による失敗品に加えて、練習のための失敗品が存在することを示し、そこに製作者の技能差があることを明らかにした(阿部二○○○・○一一一a・○一二b)。そして、熟練者と初心者が同じ場所で石器製作を行っていたとすれば、そこが文化伝承の場であったと理解した。縄文時代の資料では、最も一般的な石器である石雛・磨製石斧を扱い、従来未製品と分類されたもののほとんどが、製作を続行すると完成品になるものではなく、まさしく製作失敗品であることを明示し、石器組成上の問題点も指摘した。後期旧石器時代の資料では石刃 法政史学第六十一号
細石刃生産技術の技能差
はじめに 技法を例にとり、石刃打器の記述に未製川Ⅱという言葉を兄つけ出しがたいように、すべての石器が機能的に今日的につくられたものと理解されてきたようだが、使用を目的としない石器製作があることを明らかにした。しかも場面によってその組み合わせが異なると予想した。これらの事実は、考古学の基本課題である文化圏の成立背景を追究する上で重要である。伝承もしくは学習が文化圏成立要件の時間軸を最低限保証するからである。また従来の石器や技術の分類体系とその理解、先史時代人の集岡構成・行動の蝿解に大きく影響を及ぼすことになる。さらに、後述するように先史時代人がモノやコトをどのように知覚し対処するのかという認知構造と関連してくる。ここでは、このような研究課題の可能性を引き出すた
阿
朝衛 部
先史時代において、道具製作の練習あるいは伝承が行われたことを明らかにするには、技能差に注目することとする。すなわち、道具製作においての上手・下手を見出すことである。その際、生得的に備わった能力を基盤として、複雑な過程を踏む行為、たとえば石器製作や土器製作などを遂行することは基本的に学習によって可能になるということを前提とする。一般的に、基礎的能力が同じであるならば、集中的な学習を行えば行うほど、その知識は増大し、技量も向上する。したがって、その学習過程に応じた技能が存在し、結果として技能にはいくつかの階級が連続的に見られることになる。石器製作に注目したのは、一日一、加工を施したら元に戻すことができないため、その結果が残りやすく、また腐食に耐えるという利点があり、したがって技能差を抽出しやすいからである。技能を判断する際に二つの点が重要である。一つは計画・知識である。二つめは具体的な活動・操作である。 め、さらに個別の事例を検討することとする。資料は、新潟県岩船郡荒川台遺跡の細石刃石器群を対象とし、今回は細石刃核そのものの分析を主とする。
細石刃生産技術の技能差(阿部) 技能差の認定基準 ある目的を達成するには、おかれた状況を勘案し、そのための計画を立てる。具体的な行為を組み合わせ、それを時空間に割り当てることである。石器製作の場合、石器を用いた作業の必要性が契機となる。そして原石・素材の入手、加工具のしつらえ、加工・使用・廃棄、さらには再利用という工程が計画され、その場の状況と将来の状況をもとに各工程・作業が有機的に時空間上に配置される。これには経験に裏打ちされた知識が基盤となっている。また、個々の工程あるいは作業を遂行するための具体的知識も必要である。原石や工具を獲得する場合、石器製作・使用に適した材料の見分け方、その入手方法に関しての知識が必要である。加工工程にはいれば、加工の各段階での適切な石器形状・大きさをイメージする能力が必要である。これがあるからこそ、作業途中で予想に反した結果が生じても、それを知覚し修正しようとするのである。このこと自体も知識である。こうした知識を基盤とした計画に従って、具体的な行為がなされる。したがって具体的行為と知識は分離不可能である。しかし、その行為の正確さが結果に直接反映することになり、この度合いが技能差判断の次の基準となる。たとえば、直接打撃して剥片を取ろうとする時、石核打面の
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適切な点にハンマーを当てなければならないし、またその振りおろす角度・速さを制御しなければならないので、その結果に差がでてくる。適切な打点、角度・早さがあることを知っていたとしても、それができるかどうかは別問題である。身体的能力、経験の差が直接的に影響する。以上の二つによって、技能の差が出てくることになる。知識量が同じでも、具体的作業の的確さに違いがある、作業の的確さは同じだが知識に差がある、知識量・作業の的確さともに違いがある、などによって技能差が生まれる。年齢差に置き換えた場合、一般的に子供は大人に比べて経験が不足し、かつ体力的に弱いので、総体的に知識量・作業の的確さは低く、大人よりも技能的に劣ることになる。ただし、同一個人であっても、置かれた環境によって見かけの技能差として現出することもありうる。たとえば、良好な石材が入手できない環境下では、個人が有する技能を十分発揮できないこともあろう。関東平野にあっては、石材が乏しい千葉県域での石器の不細工さはそのためかもしれない。また北海道・東北地方と関東地方との石刃技法による資料の違いもこれを反映しているのかもしれない。これらが見かけの違いとすれば、両地域の集団間で技能差があるとはいえない。 法政史学第六十一号
荒川台遺跡の細石刃生産技術は東アジアでは特異な存在であるため、細石刃核母型の製作技術・形状を指標として荒川台技法を設定した(阿部一九九二・九一一一)。今のところ類似した資料が北海道帯広市和泉町A遺跡(北沢一九九二)、長野県信濃町仲町遺跡(中村他一九七八)にみられ、また矢出川技法(安蒜一九七九)によるとされる細石刃核にも素材・調整の点で共通するものがある。しかし、荒川台技法の時間軸上の位置は確定していない。今後、石刃石 旧石器時代では、遊動生活を前提とすれば、各作業の時空間上の配置が重視されたであろう。また遊動に伴う物資の長距離運搬からすれば、良好な石材の選択、石器の規格化・軽量化、石器および材料の有効利用が求められていたであろう。これらが高い技能を要求する背景となっている。そこで細石刃生産の場合は、原石入手の方法、原石の質、加工方法、細石刃生産の仕方に焦点を当て、各種調整、事故が起こった際の修正の仕方、細石刃生産量、石核消費率などの要素で検討を加える。そして、各作業の時空間上の配置・連動性、各作業・工程での結果に対する知覚と対処に注目する。
ニ荒川台技法と母型の特徴
四
細石刃生産技術の技能差(阿部
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第1図荒川台遺跡細石刃生産工程模式図
第1工程第2工程第3工程
剥片生産技術Ⅱ.Ⅲ・Ⅳ類剥片
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頭部調整作業面転移二一
・0 6 ■406● -脂しへ 。器群との関係を含めて検討してゆくつもりである(阿部編二○○二)。石材は主に頁岩で、原石の大きさは一○センチメートルを優に超えるものである。この原石から剥離された剥片、あるいはその剥片を石核として取られた剥片が細石刃核の素材となる。石核への打面調整や作業面稜調整をほとんど行わない非石刃技法による。今のところ石刃技法との関連を直接的に示す剥片を素材とするものは見出していない。石核の打面や作業面の設定方法はさまざまで、おそらく原石の形・大きさによって決められたものと推定される。素材剥片は大型で分厚く、最低でも七、八センチメートルの長さを持つ。したがって、長さが一○センチメートル以下の小型の石材しか入手できない環境下では、荒川台技法を適用することは困難と予想される。東北地方太平洋岸、関東地方南部など良好な石材の乏しい地域では、荒川台技法を確認することはあまり期待できない。細石刃核打面側に素材剥片の厚い部分(多くは剥片打面側)を配置して、主に剥片背面側に加工を加え、平面形がU字ないしV字形、横断面形が三角形・台形・半円形、側面形が三角形・鑿状の母型を作り出す。素材腹面と加工面とが鋭角に交わるようになっている。素材腹面の平坦さを 法政史学第六十一号
上手に利用することを特徴とする。この点では、峠下技法(鶴九一九七九)と共通する。細石刃剥離作業面は正面図の側縁である。剥離作業面は平面形では「し」字状、側面から見ると縦方向に稜線が一本とおることになるので、その形状は石刃石核の稜調整作業面形状、削片系細石刃核の作業面形状と類似する。明らかに、細長く薄い細石刃の連続剥離に適した形状に調整されていることがわかる。打面は横ないし表裏面からの大きな剥離によって形成される。横からの打撃による場合が多い。細石刃剥離の直前で細かな打面調整が行なわれる。この母型の製作技術・形状の特徴を荒川台技法設定の指標とした。第1図の第2工程の母型I類、第2図がそれにあたる、母型の高さは四~一○センチメートルで、五~六センチメートルのものが多い。幅は五~七センチメートルで、囚センチメートルのものが多く、厚さは一・五~四センチメートルにおさまる。二側縁のうち、打面とより鋭角に交わる方が細石刃剥離作業面として選択される。これは、剥離という物理現象上、当然の結果であろう。そして、最初はまさに作業面稜線を取り込みながら細石刃剥離が進行する。しかし、剥離作業面は、素材腹面側あるいは背面側に偏って展開してゅ 一一一一ハ
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第2図荒川台遺跡の細石刃核趾型
く場合が多い。そして打面調整・再生などの調整が行われて、さらに細石刃生産が進行する。作業面頭部調整も行なわれる。最小の細石刃核の高さが二センチメートル前後であるから、打面再生・調整剥片の打面の厚さが二~五ミリメートル、母型の高さの平均を五・五センチメートルとすると、同じ部分で七回以上の打面再生・調整が可能となっている。なお、第1図に示していないが、剥離作業面にステップないしヒンジフラクチャーが生じたり、打面と剥離作業面との角度が九○度近くになったりしたときに、打面の奥に打撃を加えて作業面そのものの再生を行なう場合がある(第3図3.4)。最初の剥離作業面上での細石刃剥離の続行が不可能となると、その部分での調整をしないで反対側の縁辺に作業面を移す場合がある。最初の作業面と同じ形状をしているので、打面を調整するだけでよい。U字形ないしV字形の母型を作ることは、反対側の作業面に転移することを前提としていたと推定される。合理的な形状といえよう。細石刃剥離がかなり進行すると、円錐形に近くなる。最初は一側縁から始まった剥離作業が石核正面や裏面へ展開したり、あるいはもう一方の縁辺に移ったりするからであ 法政史学第六十一号
る。これは第1図の細石刃核IC類の一部、第3図1.2にあたり、高さ三センチメートルを切るほどの小型のものとなる。第3図1.2のように素材剥片の腹面と剥片への加工面が残されていないと、荒川台技法によるものと位置付けられない。さらに剥離が進行すると、矢出川技法(安蒜一九七九)によるもの、あるいは野岳・休場型(鈴木一九七二と区別がつかなくなる。これも荒川台技法の地理的分布を追求する上で負の要因となっている。なお、荒川台遺跡では荒川台技法による細石刃核の他に、あまり調整を行わないで細石刃を剥離するものがある。ただし少数である。荒川台遺跡資料を引用する研究者には、荒川台遺跡細石刃石器群の全体像を理解しようとせず、非荒川台技法による細石刃核に注目するものがいる。研究姿勢・方法に疑問がもたれる。以降の検討は、荒川台技法による細石刃核、あるいはそれによった可能性の高いものの石材、形状・剥離痕を中心として行なう。紙数の都合で九点にとどめた。
一細石刃核1第3図1は表面採集資料であるが、石材は光沢を放つほ 三細石刃核の検討
八
ど細粒の良好な頁岩である(阿部一九九二。発掘資料と(1)ともに母岩別分類、接〈口作業を徹底的に行なったが、母岩を同一にするものは見出せなかった。遺跡には石核の状態で持ち込まれていたと判断される。素材剥片の腹面は石核裏面図左端の剥離面にあたり、素材剥片の打面側を石核下端に配置している。その剥片背面に腹面から調整を施し、それが側面図に見られる剥離痕である。最初に比較的大きな剥離を施して、最後に縁辺を中心に細かな剥離を行なって調整している。荒川台技法によったと判断される。最初の剥離作業面は左側縁であっただろう。打面調整が細かく行なわれて細石刃の剥離が行なわれる。最初は一裏面図側で剥離作業が行なわれ、次いで打面調整がなされて正面図側で作業が行なわれる。その結果、打面を除く石核表面の七○パーセント以上に細石刃剥離が及び、円錐形に近い形状となる。表裏面の細石刃剥離に際し、押圧点は左から右へと規則的かつ等間隔に移動しており、直前の細石刃剥離痕の稜線を確実に取り込みながら剥離を進めていたと理解される。一○面以上の細石刃剥離痕のうち、末端がヒンジないしステップフラクチャーとなっているものは最後の三面である。それでも長さ一一・五セン
細石刃生産技術の技能差(阿部) チメートルの細石刃が剥離されている。この剥離で作業が停止する。高さ一一・九センチメートル、幅二・一一一センチメートル、厚さ二・一センチメートルとなる。打面調整などを行なえば、数点の細石刃生産が可能とみられるが、ほぼ細石刃核の大きさの限界に近づいている。重さは一三・一グラムである。二細石刃核2第3図2も表面採集資料で、光沢を放つ良好な頁岩を石材とする(阿部一九九二。これも母岩を同一とするものは他に見出せず、石核の状態で遺跡に持ち込まれたと理解される。第3図1のような石核の剥離がさらに進行した状態と理解した。裏面図中央下端の剥離痕が石核素材剥片腹面である。素材剥片の打面側を細石刃核の打面側に配置している。正面図左下が石核側縁・下縁の調整痕で、その右隣の剥離痕は素材剥片の背面にあたる。打面を除く石核表面の八○パーセント以上に細石刃剥離作業が行なわれている。表面に見られる初期の細石刃剥離は裏面図の四面の剥離痕で、その後、打面再生・調整が行なわれ、現状の打面となる。旧剥離作業面と新打面とが一二五度と鈍角に交わっているので、末端の分厚い再生剥片がとられたと理解され
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る。それによって正面側の作業面と新打面が鋭角となった。そこから五回以上の押圧が行なわれて細石刃が剥離される。第3図1と同様、裏面・正面ともに押圧点は左から右へと規則的に移動していることがわかる。裏面の作業面からは三点以上、正面の作業面から二点以上の細石刃が生産されている。表裏面ともに九回以上の押圧が行なわれているが、末端がヒンジないしステップフラクチャーとなっているものは見出せない。まだ「二点の細石刃の剥離は可能とみられるが、限界に近い大きさとなっている□側面図中央の剥離で作業が停止し、高さ三センチメートル、幅一・八センチメートル、厚さ一・三センチメートルとなる。重さは八・○グラムである。三細石刃核3第3図3も表面採集資料で、やや粗い粒子の頁岩を石材とする(阿部一九九二。他に母岩別資料は見出せない。背面に自然面を残す分厚い剥片を素材とし、背面に調整を施している。素材腹面は裏面図右下の剥離痕で、素材打面は石核打面側に配置されていたと判断される。石核側縁・下縁の調整は正面図周辺の剥離痕である。母型はU字形の平面形をなしていたと推定される。
細石刃生産技術の技能差(阿部) 正面図右側縁で剥離作業が始まり、すぐに作業面再生が行なわれたと見られる。その剥離が裏面図左端の剥離痕にあたる。そして細石刃の剥離が行なわれ、その痕跡が作業面再生痕右側の剥離痕一面である。そして打面調整が行なわれて(同時に左側に作業面が転移し?)細石刃生産が始まり、それが裏面図右から左に向かっての五面の剥離痕にあたる。しかし、最後の二面は末端がステップフラクチャーとなり、短いものしか取られていない。その後、打面調整が行なわれて正面図左側縁の作業面の再生がなされる。そして旧剥離作業面との境の稜線を使って押圧が一度行なわれる。しかし、末端がステップフラクチャーの短い剥片しか取られていない。この段階で打面と作業面は鈍角となり、作業が停止する。作業面再生はほぼ不可能となっている。打面再生を行なったとしても、石核上部を一センチメートルほど切り取らなければならなくなる。八回以上の押圧によって、まともな形・大きさの細石刃は四点生産されている。打面を除く石核表面の六○パーセント以上が細石刃剥離作業面として利用されているが、作業面再生面を除くと三○パーセントほどである。高さ四・八センチメートル、幅一一一・○センチメートル、厚さ二・八センチメートル、重さ一一一八・七グラムとなる。
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四細石刃核4第3図4は比較的良質の頁岩を石材とする。母岩別資料6に所属するもので、母岩資料の構成を見ると、遺跡に原石で持ち込まれて加工されたと推定される(阿部一九九二)。図示したものは表面採集資料の細石刃核に剥片が二点接合したものである。背面に自然面を広く残す分厚い剥片の打面を石核の打面側に配置している。剥片末端に加工を施して、U字形の母型としている。両側縁の自然面を除去する加工は行なわれていない。右側縁で細石刃生産が開始され、それが、a背面の剥離痕にあたる。しかしこの細石刃は厚みがあり、また背面に自然面を残しているので、刃としては不適切である。ついでaの剥片が取られる。幅一・五センチメートル、長さ四センチメートル以上の厚手のもので、剥離作業面再生剥片と理解される。その後、打面再生・調整を行なって、四回の押圧が加えられて二点の細石刃が剥離される。ともに末端がステップフラクチャーとなり、また剥離作業面が内反りしたため、石核下端を大幅に調整しないと細石刃剥離の続行は不可能となっている。他の二Nの押圧は、長さ五ミリメートルのチップを剥離したに過ぎない。そこで左側に作業面を移し、四回以上の押圧がなされる 法政史学第六十一号
が、長さ一・五センチメートル以下のものしか取られていない。それがbの背面に観察される。それによって打面と作業面との角度が鈍角となる。そしてbを剥離する。これも作業面再生と理解されるが、それによって作業面は内側に湾曲してしまい、細石刃の剥離は不可能となる。その後、下端から若干の剥離が行なわれるが、作業面の十分な修正とはなっていない。これで作業が停止する。石核下部を細くしないと細石刃剥離は不可能である。しかし調整するにしても、素材腹面と作業面とが鈍角に交わっているので、その修正にはかなり困難を伴うと予想される。押圧は九回以上行われたが、細石刃は二点のみ生産されたことになる。打面を除く石核表面の三○パーセントほどが細石刃生産に活用されているが、作業面再生面も除くと一○パーセント以下となる。接合時の大きさは、高さ四・八センチメートル、幅一一一・六センチメートル、厚さ一一・三センチメートル、重さ三十九・五グラム、最終時は、高さ四・八センチメートル、幅二・七センチメートル、厚さ二・一一一センチメートル、重さ一一三・八グラムである。五細石刃核5第3図5は、Kl皿グリッドー層出土資料で、やや粗い粒子の頁岩を石材とする(阿部一九九三。母岩を同一に
四 二
するものは今のところ確認されていない。背面に自然面をもつ極めて大型の剥片を素材とし、素材背面を細石刃核の右側に配置している。素材背面側に加工を施してU字形の母型に仕上げている。最初に比較的大きな加工を施し、最後に縁辺部に細かな調整を行ない、稜線を作り出している。この後、素材剥片背面からの剥離によって打面が作り出される。打面と側縁が鋭角に交わる右側縁が剥離作業面として選択される。細かな打伽調整を行なわずに一○M以上の抑圧が行なわれているが、まともな細石刃は四点しか取られておらず、残りの六点は末端がステップないしヒンジフラクチャーの剥離痕となっている。そのため、作業面上に著しい高まりが生じる。残り六回の剥離の一部は作業血再生剥離とも考えられるが、それでも失敗といえよう。最初の四回の押圧点は左から右へと移動している。反対側の側縁打面部に腹面から調整が施されているが、おそらく最初の剥離作業の後であろう。しかし、打面と作業面とは鋭角とはならず、より鈍角となっている。現状では石核の上部二センチメートル以化を切り取らないと細石刃剥離続行は不可能となっており、また切り取ったとしても長さ二・五センチメートルの細石刃を剥離する
細石刃生産技術の技能差(阿部) ことは不可能となっている。したがって作業を停止したのであろう。剥離作業は、打面を除く石核表面の二○パーセント以下しか及んでいない。高さ四二センチメートル、幅一一一・三センチメートル、厚さ一一・一一一センチメートルとなっている。重さは三五・五グラムとなる。六細石刃核6第4図6は表面採集資料である(阿部一九九二。やや粗い粒子の頁岩を石材とする。今のところ、他に母岩別資料は見出せない。打面の設置場所が他の荒川台技法によるものとは異なるが、母型そのものが荒川台技法によるので、ここに含めた。背面に自然面をもつ分厚い剥片を石材とし、素材打面をU字形母型の上部に配置している。しかし、素材腹面の波打が著しく、母型側縁・下縁の調整によっても修正されていない。素材腹面側へ調整を加えれば、修正可能のはずである。母型上部に調整を施して細石刃核打面を作ろうとしている(裏面図上端右側)が、その剥離痕と側縁とが鈍角に交わり、側縁稜線を剥離作業面とすることができなくなっている。しかし、この調整面を打面として、正面図上部の剥離が行なわれ、縁辺がつぶれるほど剥離を加えている。左端の剥離痕は細石刃剥離とも想定されるが、全体的
四
に見た場合、これらの剥離の意図は不明である。その後、下端を打面として六回以上の押圧を行なっている。初期の打面を石核下端に設けることは、荒川台技法ではありえない。若干の打面調整を行なっているようである。最初の二回は細石刃の剥離に成功しているが、後の四阿では、末端がステップないしヒンジフラクチャーとなり、寸詰まりの剥片しか取られていない。この結果、剥離作業面に段ができてしまい、これで作業が停止する。大幅な打面再生や作業面再生をしないと、細石刃剥離の続行が不可能な状態になっている。下端の修正を行なえば可能かもしれない。しかし上部の打面再生作業を行なった場合、石核はかなり小型となり、細石刃の長さを保証できなくなると予想される。打面を除く石核表面の五パーセント以下しか剥離作業面として利用していない。高さ五・六センチメートル、幅一一一・六センチメートル、厚さ二・八センチメートル、重さ五一・五グラムとなる。明らかに石核消費率、細石刃生産率は低い。七細石刃核7第4図7も表面採集資料である(阿部一九九二。良質の頁岩を石材とする。これも母岩を同一にするものは他に 法政史学第六十一号
見出せない。石核素材剥片の腹面は裏面図の大きな剥離面で、素材剥片の打面を石核下縁に配置している。下端は、腹面からの調整によってエンドスクレイパーの刃部のように調整されている。右側縁は素材腹面側への調整によって作り出し、左側縁は素材剥片背面をそのまま利用している。U字形の母型であったと判断される。しかし、腹面への調整を行なっている点、左側縁で素材腹面・背面が鈍角に交わっている点で、典型的な母型とは異なる。素材腹面は平坦であるので、腹面への調整は不必要であったと判断される。初期の細石刃剥離作業面は右側縁で、一面の剥離痕が観察される。おそらく「二回の剥離しか行なわれていない。その後、打面再生・調整を施して、現状の打面に至っている。この打面調整は粗い。一番大きな剥離痕は再生剥離とも見られるが、石核の高さを勘案した場合、無駄な剥離と判断される。その打面から一三回以上の押圧が行なわれているが、まともな大きさ・形の細石刃は剥離されていない。また、九面の剥離痕の末端がステップないしヒンジフラクチャーとなり、作業面上に高い段を作り出してしまっている。この段階で剥離作業は停止する。打面を除く石核表面の二○パーセント以下しか剥離作業面として利用 四四
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細石刃生産技術の技能差(阿部
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四五
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第4図荒)Ⅱ台遺跡の細石刃核(2)
されていない。なお、打面中央の大きな剥離痕は細石刃剥離作業後に形成された可能性がある。それが事実であるならば、その意図はまったく理解不能である。石核の大きさは、高さ一一・七センチメートル、幅三・七センチメートル、厚さ二・○センチメートルである。重さは一九・○グラムである。高さは石核の限界にきているので、打面再生や作業面再生を行なったところで、二センチメートルを超える細石刃の剥離は不可能となっている。八細石刃核8第4図8は母岩別資料125に含まれる発掘資料である(阿部編二○○二)。粒子の粗い頁岩を石材とする。黄色に風化しており、安山岩の可能性がある。その後の調査資料をあわせるとほぼ原石に近い状態まで接合する。接合資料には三点の細石刃核と一点の同母型が含まれ、細石刃核三点ともに一、一一点の細石刃しか生産されていない。一点の母型は荒川台技法によるが、形状はあまり整っていない。詳細は後の報告書に譲るとして、一点の細石刃核を示した。背面に広く自然面を残す分厚い剥片を素材とし、その打面を石核打面側に配置している。下縁のみに粗い調整を施 法政史学第六十一号
し、背面からの打撃によって石核打面を作り出している。結果、U字形の平面形となる。右側縁全体に自然面が残され、細石刃剥離上、不利のはずであるが、それを取り除くための調整はまったくなされていない。打面と作業面とが鋭角に交わる右側縁が剥離作業部として選択される。合理的な判断である。しかし、打面調整は行なわれず、細石刃が剥離される。六回以上の押圧が行なわれているが、最初の押圧によってのみ細石刃が剥離される。背面に自然面をもち、ねじれた形であるので、刃としては不適切である。その他も寸詰まりのものしか取られておらず、三点の末端はヒンジフラクチャーとなっている”側縁や打面の調整によって作業面形状の修正は可能であるが、ここで作業が停止する。打面を除く石核表面に占める剥離作業面の割合は五パーセント以下である。高さ五・○センチメートル、幅五・二センチメートル、厚さ三・○センチメートル、重さ五八・七グラムとなる。九細石刃核9第4図9は比較的細粒の頁岩を石材とする発掘資料である。母岩別資料組の接合資料で、原石で遺跡に持ち込まれ、加工されたと理解される。
四六
母型整形時の剥片が二点、打面からの調整剥片が一点接合している。背面に自然面をもつ分厚い剥片を素材とし、その打面を石核打面側に配置している。母型は下端の尖ったV字形に近い形状と判断される。ただし、周辺はギザギザとなっていたと推定される。最初に左側縁に剥離が加えられる。それがa剥片背面上部の剥離痕である。右側の大きな剥離痕は打面側からの石核調整とみられ、その後の左への二回の剥離は細石刃を求めての剥離の可能性がある。しかし、二回とも寸詰まりのチップしか取られていない。その後、aの剥片が取られる。これは剥離作業面再生とも考えられる。この後、同じ打面から細石刃を剥離したかもしれないが、判断不能である。そして打面再生が行なわれて、現状の打面となるが、細かな調整は行なわれていない。再生面を打面として、左右の剥離作業面から剥離が行なわれる。左側縁では四回以上の剥離が行なわれるが、いずれも寸詰まりの剥片のみ生まれる。そして二面の剥離痕の末端がヒンジフラクチャーとなり、また同時に剥離作業面上に稜線が失われたので、細石刃剥離は不可能となってしまう。右側縁では細石刃剥離が行なわれたかもしれないが、それは確認できない。そして作業面再生の剥離が行な
細石刃生産技術の技能差(阿部) 以上、九点の細石刃核を記述してきたが、その結果を表にまとめた。表を参照しながら技能差を抽出し、その意味を検討してみる。一石材選択と遺跡間の関係最初に工程と作業場所との関係を検討しておこう。ここでは石材の選択、母型加工、細石刃剥離の場所を中心に行 われた。これによって、まっすぐな稜線が失われ、左側縁と同様に、整った形の細石刃剥離は困難となっている。石核上部を二センチメートルほど切り取れば、右側縁で長さ三センチメートルほどの作業面を確保できるかもしれないが、それを行なわないで、作業は停止する。六回以上の押圧が行なわれているが、一点も細石刃は確認できない。打面を除く石核表面に占める作業面の面積は五パーセント以下である。母型調整剥片二点を除いた段階での大きさは、高さ六・八センチメートル、幅約五センチメートル、厚さ二・二センチメートルである。重さは四八・八グラム。残核は、高さ五・七センチメートル、幅一一一・四センチメートル、厚さ一一・二センチメートル、重さ四五・二グラムである。
四技能差と学習過程
四七
なう。石材は、1.2.7は良質、4.9は比較的良質、3.5.6はやや粗い頁岩、8は粗い頁岩であった。良質な頁岩は、遺跡周辺ではほとんど採集できず、特に光沢をもつほどの1.2はまったく採集できない。良質頁岩は遺跡直下を流れる荒川の上流約二○キロメートルの山形県小国盆地、あるいはさらに遠方の山形県最上川流域で採集される(阿部一九九五・九六・九七)。これらの地域では、頁岩の他、流紋岩、鉄石英、凝灰岩、安山岩などが採集できるが、粒子の細かさ、均質さ、大きさ、採集量という点で、頁岩がもっとも優れている。粗い頁岩は山形県で大量に採集され、また荒川台遺跡周辺でも採集可能である。ただし、新潟県側ではやや粗い頁岩でも採集頻度は極めて低い。比較的良質な頁岩はさらに頻度が下がる。とはいえ、その頁岩でさえこの地域で採集される流紋岩、鉄石英、凝灰岩、安山岩などより良質である。いずれにしても、頁岩はよりよい石材として認識され、選択されていた。母岩別資料にもまとまらない良質の細石刃核1.2.7は、おそらく山形県でその原石が採集され、その付近で母型ないし石核に加工され、荒川台遺跡に持ち込まれていたのであろう。その他の若干粗い頁岩を石材とし、母岩にま 法政史学第六十一号
とまらない石核もこの理解が可能である。遊動生活を前提とすれば、将来の移動地点を意識して、軽量化して運搬したと理解される。少なくとも二地点を時空間上に合理的に配置していたのであろう。ただし、5.6.7の細石刃生産率は低い。母岩にまとまる4.9は遺跡南下の荒川の河原で原石が採集され、遺跡に持ち込まれて加工されたとみられる。母岩別資料全体でみると、これはどこか他の遺跡への持ち出しを行なっている可能性があるので、良質頁岩の単独資料と同様の理解が可能である。ただし、4.9の細石刃生産率は低いという問題点がある。8については、遺跡直下の荒川流域から原石が採集されたとみられるが、ほぼ原石の状態まで接合しているので、遺跡外に母型や石核が持ち出されたとは考えにくい。遺跡内で完結している可能性が高い。ところが母岩別資料内の他の細石刃核も今回紹介した細石刃核と同様、細石刃の生産性は低く、また母型も整った形をしていない。この遺跡のみで消費し尽くすという意識もまったくうかがえない。これに加えて、石材の粒子は他に比べてもっとも粗く、石材選択という点でも異質である。以上のように、1~7.9は8に比べて、石材選択とい 四八
う点では優れ、作業場の時空間配置は合理性を有しているといえよう。特に1.2は際立っている。二母型作出・細石刃生産工程次に、母型作出・細石刃生産という大枠の工程で検討してみよう。母型作出上では、いくつかの石核で問題点を指摘した。すなわち4.6.7.8.9で、いずれもU字形.V字形の平面形を意識しているが、作業面・打面に問題点があった。そこには、立体としての細石刃核の意識が乏しいか、生産されるであろう細石刃の形に対する予想が暖昧であることが指摘できる。4では両側縁、8では片側縁に自然面が残され、初期の細石刃背面に自然面が残されることになり、刃物を供給するという点では不適切であろう。また、原石表皮はやわらかくなっているので、剥離する上でも支障があると考えられる。さらに4では作業面の下部が内側に若干湾曲しているので、細石刃の剥離はもともと困難であったと理解される。したがって、本来の作業面形状に対する認識が不十分であったと推定される。ただし、8については、初期細石刃剥離ではそうした細石刃が生まれることも仕方ないとみていたのかもしれない。6では、まっすぐな作業面稜線を
細石刃生産技術の技能差(阿部) 意識していないことが明瞭である。素材腹面側に若干の加工を施すだけで修正可能であったはずが、背面への加工しか行なわれていない。次の細石刃剥離工程へ連動させようとする意識もないと推定される。また打面作出をしても作業面との適切な関係を理解していないと判断される。さらに実際の細石刃剥離は、荒川台技法ではありえない下縁から行なわれている。7については、左側縁は、素材腹而と背面が鈍角に交わり、かつ平面では「し」字状とはならない可能性がある。また、右側縁では調整を素材腹面側に行ない、わざわざ素材腹面の平坦部を破壊している。したがって、6と同様、適切な作業面の形状を理解しておらず、次の細石刃生産との関係を十分に認識していたとはいえないと判断される。9については周辺の調整が粗いという問題点があった。1.2.3.5の母型については、現状の残核では特に問題点を見出せない。次に表をもとに細石刃剥離工程上の問題を検討してみよ》う。打面を除く石核表面における剥離作業面の割くロでは、1.2.3は六○パーセント以上で、その他は三○パーセント以下であった。六○パーセント以上をaグループとし
四九
よう。三○パーセント以下のもので、細石刃を生産している4.5.6をbグループ、生産していない7.8.9をcグループとしよう。母型作出上の検討結果と比較すると、問題のあった4.6.7.8.9はすべてbないしcグループに所属していることがわかる。また、石材選択、遺跡間の関係で異質な8はcグループに属している。aグループは、打面調整が細かい、押圧剥離回数に対する細石刃数は高くヒンジ・ステップフラクチャー回数が低い、押圧点の動きが規則的、という特徴がある。cグループはその逆で、打面調整は粗いかなし、ヒンジ・ステップフラクチャー回数が多い、押圧点の規則的な動きが看取できない、という傾向がある。当然、押圧剥離回数に対する細石刃生産率は低い。bグループは、剥離作業面の石核表面での割合も含めて、a.cグループの中間に位置することがわかる。石核の最終の大きさ・重さでは、aグループがb・cグループに比べて小型の傾向がある。母型の大きさが同一であるならば、aグループが石核の消費率が最も高く、また実質的な細石刃生産数も最も多いといえる。そして細石刃生産率が最も低いものはcグループ、中間がbグループということになろう。 法政史学第六十一号
調整上の問題をあげると、bグループの5、cグループの7が注目される。5では、右側縁の剥離作業の後、左側での打面調整が行なわれているが、この部分では打面と側縁が鈍角で交わっているので、打面調整の意味は見出せない。しかも調整によってその部分はさらに鈍角となり、適正な打面と作業面との関係が著しく破壊されてしまっている。打面と作業面との関係を正確に理解していないと判断される。7については、打面中央の剥離痕が問題である。この剥離は打面再生という効果を生んでおらず、一方で細石刃核の高さを著しく減じてしまっている。石核の高さに対する認識が欠如していると理解される。最後に作業を停止した理由を検討しておこう。aグループの2以外は、打面と作業面との角度が鈍角となる、剥離作業面が著しく変形する、という事態に陥ったため作業を停止している。2は現状の打面から「二点の細石刃剥離は可能であるが、石核の大きさがほぼ限界に近づいているので停止したのであろう。他は、なぜ停止したのだろうか。1では、打面調整したとしても数点の細石刃しか望めないだろう。3.4については、石核の修正が物理的に困難であったと推定される。5.7では石核上部の大幅な切り 五○
細石刃核観察表
囚図■■■■因図・
●●●田閨u亜閲幽■■■■■■■■■■■■因図■因図■■■■因図■■■・
図』■■■■■ロロロ■曰 圃■■■■■■■■■■
●●
牒萠生
一石生数 一細刃産
|秤圧I点の動き
霧 |蕊
1-’震
母岩番号
鮒緬鮒一
1鴬
.Sフラクチャーはヒンジ・ステップフラクチャーの略である。石刃生産可能数は現状の石核からの可能数を示す。正の可能性は何らかの石核調整によってさらに細石刃剥離が可能となる場合を示す。)」印は「ある」、「-」印は「ない」を示す。
閂1軍陣辰判閣坦潭e埠程柵(亘諾)
番号
出土地点
母岩番号 石材素材腹面形状 母型形状 母型調整左側縁 下縁右側縁
打面形成 打面再生 打面調整 作業面再生 作業面割合(%) 押圧回数 細石刃生産数
Sク一
。-フヤ
Hプチ
圧のき 押点動
石生可数 細刃産能
修正の可能性 石核重量(9) 石核高さ(c、)
1表面採集単独細粒平坦? U字形?
?。
○○
?。
?。
細かい
?。
70以上10以上103規則的 0○?13.12.9 2表面採集単独細粒平坦? U字形? ○○
?.
?.
○細かい
?。
80以上9以上50規則的 1,283 3表面採集単独やや粗粒 平坦? U字形 ○○○
?。
○細かい左右60以上8以上42規則的 0○?38.74.8 4表面採集6比較的細粒 平坦U字形 ○
?。
○細かい左右30ほど9以上22
?。
0○?32.84.8 5K22I単独やや粗粒 平坦U字形 ○○○○粗い20以下10以上46半規則的 035.54.1 6表面採集単独やや粗粒 突出U字形 ○○○細かい? 5以下6以上24
?。
0○51.55.6
7表面採集単独細粒平坦U字形 ○○
?。
○?
粗い20以下13以上09
?.
0192.7
8G19Ⅱ70125粗粒平坦U字形 ○○なし5以下6以上1?3
?.
0○58.75 9F18Ⅱ3449比較的細粒 平坦V字形 ○○○
?.
○なし左右5以下6以上02
?.
0○45.25.7
取りが必要で、切り取った場合、細石刃の長さを保証できない恐れがあった。また5では、左側の打面調整を行なっているが、それが無意味であるという問題点があった。しかし、6.8.9では、打面再生・作業面再生や打面調整を行なえば、まだ石核の再生は可能である。修正の技術的能力を持ち合わせていない、修正後の形状を具体的にイメージできない、修正のやり方を知らない、という理由が考えられる。8は、もともと打面調整を行なっていないので、修正のやり方を知らない可能性がある。6については、不適切な作業面・打面作出作業を行なっているので、修正後の形状をイメージできない可能性が高い。9はどちらとも判断できないが、打面調整を行なっていない(知らない)ので、細かな調整能力が欠けていると推定される。ただし、打面再生を行なっても小型になると予想していた可能性は否定できない。以上のように、停止の理由は、aグループ、bグループ5、cグループ7では石核形状・大きさで説明できる。その状態に陥ったと判断されてまさに放棄されたのであろう。ただし、5の左側打面調整は知識の欠如による恐れがある。一方、bグループ6とcグループ8.9では、知識・具体的イメージの欠如、ないし行為の不正確さ・未熟 法政史学第六十一号
さで説明できる可能性が高い。このようにしてみると、aグループほど調整の役割や石核の適切な形状・大きさが正確に認識され、押圧の仕方が良好であったと判断される。また工程間・剥離間の関係、その結果が明確に意識されていたと理解できる。一万、cグループはその逆であり、bグループはその中間といえよう。最初に検討した遺跡間関係で理解不能であった8がcグループに所属することは偶然ではない。三技能差と学習過程以上、石材選択・遺跡間関係からみた計耐性、石器製作にかかわる知識、工程ないし剥離に対する知覚と判断、具体的操作、という点で、aグループ、bグループ、cグループの順番でそれらの質・量が連続的に低下してゆくことがわかる。したがってaグループ、bグループ、cグループをそれぞれ技能の異なる上級者、中級者、下級者によるものと位置付けられる。しかし、これらを、同じ経験を積んだ諸個人間の技能差とみてよいのであろうか。まともな細石刃を一点も生産していないcグループについては、細石刃生産という本来の目的を達成していないので、経験を積んでいない人物によったとみるのが自然である。そして各グループ間での技
五
一 一
荒川台遺跡の細石刃生産において上手・下手があり、そこに三階級もの技能差があった。そして各階級が連続していた。荒川台遺跡は技能の異なる複数の人々で構成され、下級の資料は初心者によるもので、あるいは子供によって残された可能性がある。上級者にとっては細石刃を補給する目的で石器製作が行なわれたが、初心者にとっては練習であったといえよう。初心者が上級者のもとで練習していたとすれば、上級者の側から見れば、技術伝承ということになる。この理解は、本遺跡の石刃技法にも当てはまる(阿部二○○一一一b)。したがって本遺跡では、石刃石器群・細石刃石器群ともに、同様の行為が行なわれていたと推定される。このように、初心者は技能を高めて中級者・上級者となる。すなわち知識の質量を高め、知覚と対処を確かなもの 能差が連続的であることからすれば、それらを学習過程の違いととらえることが可能である。下級者は学習をとおして、知識の質・量を高め、知覚と対処を的確にして中級者、上級者となっていくのであろう。しかも上級者の言動を手本としながら技能を向上させたのであろう。
細石刃生産技術の技能差(阿部) むすび とし、行為を的確に遂行するようになる。結果としてその時代の技法・技術水準を維持することになり、これによって文化圏の時間軸が保証される。一方、集団の遊動形態、他集団との交流関係が空間軸を保証することになろう。荒川台遺跡第三次調査以降の資料では、今回のcグループの石核よりも稚拙さをうかがわせる資料や各グループの中間的要素をもつ資料が見られ、技能差はさらに多くの階級に分けられる可能性がある。そこには経験の差による技能差だけではなく、同一の経験を積んだ上での器用・不器用といった技能差を見出すことができるかもしれない。また、一つの母岩が技能の異なる複数の人間によって消費されている可能性もある。今回の分析を踏まえてさらに検討を加えたいと思っている。同時に技能差の判断基準も明確にしてゆきたい。そして将来的には人類の知能進化過程の研究に適用したいと考えている。
註(1)すべての石器はかならず一つの母岩(原石)に所属するが、ここでは二点以上で構成されるものを母岩別資料と呼ぶ。|点だけのものは単独資料と呼ぶ。引用文献
五
’九’四四頁阿部朝衛(編) 阿部朝衛一九九一「新潟県関川村荒川台遺跡採集の石刃石器群と細石刃石器群」「法政考古学」第一六集五九’八一頁阿部朝衛一九九二「新潟県関川村荒川台遺跡第』次調査報告」「法政考古学」第十八集一’一三六頁阿部朝衛一九九三「新潟県荒川台遺跡の細石刃生産技術の実態l荒川台技法の提唱l」「法政考古学」第二○集一’二二頁阿部朝衛一九九五「新潟県北部地域における石器材料の調査」「帝京史学」第一○号三五三’一一一七二頁阿部朝衛一九几六「新潟県北部地域におけるⅢ石器時代の使用石材」「帝京史学」第二号一二七’一六六頁阿部朝衛一九九七「新潟県北部地域における縄文時代の石材使用とその背景」「帝京史学」第一二号一一五’一五三頁阿部朝衛二○○○「先史時代人の失敗と練習1石鍼と磨製石斧の分析からl」「考古学雑誌」第八六巻第一号一’二六頁阿部朝衛二○○三a「Ⅲ石器時代の技術伝承と社会化」「考古学ジャーナル」第五○四号四’六頁阿部朝衛二○○一一一b「旧石器時代の技術伝承l新潟県荒川台遺跡の石刃技法を例としてI」「法政考古学」第三○集 法政史学第六十一号
二○○二「荒川台遺跡’一九八九年度調査 l」帝京大学文学部史学科安蒜政雄一九七九「日本の細石核」「駿台史学」第四七号一五二’一八三頁北沢実一九九二「帯広・泉町A遺跡」帯広市埋蔵文化財調査報告第一○冊帯広市教育委員会鈴木忠司一九七一「野岳遺跡の細石核と西南日本における細石刃文化」「古代文化」第二一一一巻第八号一七五’一九二頁鶴丸俊明一九七九「北海道地方の細石刃文化」「駿台史学」第四七号一一三’五○頁中村由克ほか一九七八「野尻仲町水道工事立会調査報併書」長野県上水内郡信濃町水道課(付記)一九八四年に法政大学文学部助手となってから現在まで、伊藤玄三先生には大変なお世話になっている。今回の資料は助手時代から調査してきた遺跡からのもので、先生には発掘中の遺跡にお越しいただき直接ご指導を賜っている。そして、学生ともども大いに元気付けられたことを記憶している。先生からいただいた学恩に報いるには十分な論考とはいえないが、私がひとり立ちできるようご配慮くだされたこの遺跡資料で考察できたことはうれしく思っている。これまでの伊藤先生のご指導に心より感謝申し上げる次第である。 五四