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1節 ヨーロッパ人との出会いと全国統一(解答)

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Academic year: 2021

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(1)

https://iidrill.com 解説

★★★★ (1)

★★★ (2)

★★★★ (3) 芸術が盛んになった文芸復興(再生)のことを(Aルネサンス)という。

★★★ (4) 宗教改革を行った宗教家はルター(イ)とカルバン(エ)である。

★★★ (5) プロテスタントは、「抗議する者」という意味である。

★★★ (6) イエズス会には、ザビエルのような宣教師もいた。

★★★ (7)

★★ (8) アメリカ大陸はスペイン人の植民地となった。

★★★ (9)

★★★ (10)

ビザン帝国と結びついた教会は正教会で(ア)、ローマ教皇を中心とした教会名はカトリック教会(イ)である。

イスラム教の勢力によって聖地エルサレムがうばわれ巡礼が妨げられたためヨーロッパの王や貴族が「十字軍」

を編成して、エルサレムを目指した。

1492年に(B)コロンブスがアメリカ大陸を発見し、1498年には(C)バスコ・ダ・ガマがインドに到達し、16世紀後 半には(D)マゼランの船隊が世界1周を成しとげた。

三角貿易とは、アメリカ大陸で栽培したさとうきびから砂糖をつくったり、銀を採掘した。労働力はアフリカから 奴隷を輸入した。このように大西洋をまたぐ三角貿易が行われた。

オランダは、17世紀にはヨーロッパの貿易や金融の中心として栄え、東インド会社を設立して、アジアにも海外拠 点を増やした。

B C D

エ イ ア

(4) (6)

(9)

貿易名

三角貿易 奴隷

(10)

東インド会社

(3)

ルネサンス

(5)

プロテスタント

(7)

イエズス会

(8)

植民地

(1)

正教会 カトリック教会

(2)

十字軍 1

目標時間

40

★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい

1節 ヨーロッパ人との出会いと全国統一(解答)

第3章 近世の日本

(2)

https://iidrill.com 解説

★★★ (1) 1543年、ポルトガル人を乗せた中国の船は種子島に流れ着き、鉄砲を伝えた。

★★★★ (2)

(3) 1549年、アジアで布教していたイエズス会のザビエルがキリスト教を伝えるために日本に来た。

★★★★ (4) 長崎や(A平戸)を中心に来日したポルトガル人やスペイン人との間で貿易が行われた。

★★ (5) ポルトガル人やスペイン人は南蛮人と呼ばれたため、この貿易を「南蛮貿易」という。

★★★★★ (6)

★★★ (7)

★★★★ (8)

★★★★ (9) キリスト教は民衆の間にも信仰が広まり、17世紀はじめには、信者が30万人をこえたといわれている。

★★★★ (10) 長篠の戦いのときに、織田信長は他の戦国大名にさきがて鉄砲を有効に取り入れた戦い方をした。

★★★★ (11) 織田信長は楽市・楽座政策により、座や各地の関所を廃止し、商工業の発展を図った。

★★★★★ (12)

★★★★ (13) 織田信長は5層の天守閣をもつ、安土城を築き、豊臣秀吉は壮大な大阪城を築いた。

★★★★ (14) 全国統一を目前とした織田信長は本能寺(京都府)で明智光秀にそむかれ、自害した。

★★★★ (15) 豊臣秀吉は朝廷から関白に任命された。

★★★★ (16) 豊臣秀吉は、天皇の命令の形をとって、総無事令(停船命令)を出し、全国統一事業を進めたか。

★★★ (17) 信長と秀吉の時代を「安土桃山時代」という。

★★★★★ (18)

★★★★ (19)

ヨーロッパ人によって種子島に伝えられた鉄砲は、のちに日本の堺(大阪)や国友(滋賀県)で生産されるようにな りました。

南蛮貿易で輸入したものは、生糸や絹織物など中国産の品物が中心で、毛織物、時計、ガラス製品などの、ヨー ロッパの品物もあった。輸出したものはおもに銀であった。

貿易の利益に着目した九州各地の戦国大名の中には、キリスト教徒になったものがいた。この大名を「キリシタ ン大名」と呼ぶ。

1582年、イエズス会は、布教の成果を示すため、伊藤マンショなど四人の少年を、豊後の大友宗麟などのキリシ タン大名が派遣した使節として、ローマ教皇のもとへ連れていった。

座とは営業の独占を認めてもらうために,商人や手工業者たちが公家や寺社などの保護を受けてつくった同業者 の組合のことをいう。

豊臣秀吉は、(①佐渡)金山(新潟県)、(②生野)銀山(兵庫県)、(③石見)銀山(島根県)などの開発を行い、大 判や小判などの統一的な金貨を発行した。

秀吉は長崎がイエズス会に寄進されていることを知り、日本は神国であるとして、宣教師の国外追放を命じた、こ のことを「バテレン追放令」という。

2

【織田信長の主な戦い】

年代 戦い 人物 備考

1560年 桶狭間の戦い(愛知県) 今川義元(静岡県、駿河) この戦いで勢力を広げた。

1573年 足利義昭 一時は足利義昭を援助したが、敵対するようになり、

京都から追放した(室町幕府の滅亡)。

1575年 長篠の戦い(愛知県) 武田勝頼(山梨県、甲斐) 鉄砲を有効に活用した。

(2) (4)

(9)

(15)

(14)

場所

本能寺 京都府

(例)鉄砲を有効に取り入れた。

(10) (11)

楽市・楽座

(5)

南蛮貿易

(7) (8)

キリシタン大名 天正遣欧少年使節

(1)

鉄砲

(3)

(フランシスコ)ザビエル

(6)

輸入したもの 輸出したもの 生糸(絹織物、毛織物、

時計、ガラス製品など)

(18)

(16)

総無事令(停船命令)

(17)

安土桃山時代

(12)

営業の独占を認めてもらうために,商人や手工業者たちが公家や寺社などの 保護を受けてつくった同業者の組合。

(13)

B C

安土城 大阪城

(19)

バテレン追放令

佐渡 生野

石見

(3)

https://iidrill.com 解説

★★★★ (1)

★★★ (2) (C刀狩り)を命じて農民や寺院から刀や弓、やり、鉄砲などの武器を取り上げた。

★★★ (3) 武器と農民との身分の区別がはっきりしたことを(D兵農分離)という。

★★★★★ (4)

★★★★ (5) アは足利義満、イは江戸時代の鎖国の内容、ウは北条氏、エは豊臣秀吉が行った。

★★★★ (6) 安土城や大阪城には支配者の権威を示す、高くそびえる天守閣はつくられている。

★★★ (7) 下剋上で成り上がった大名や大商人たちがつくりあげた雄大で豪華な文化を(E桃山文化)と呼ぶ。

★★★ (8) 唐獅子図屏風をえがいた人物は狩野永徳である。

★★ (9) (G千利休)は、名誉や富よりも内面の精神性を重視し、質素なわび茶の作法を完成させた。

★★★ (10) 17世紀には(H出雲の阿国)という女性が始めかぶき踊りも人気を集めた。

★★★★★ (11) 図2はローマ字で書かれた平家物語である。

★★ (12) ヨーロッパの文化から影響を受けて成立した芸術や流行の風俗を(I南蛮)文化という。

★★ (13)

1592年の明との戦いを文禄の役、1597年にふたたび明と戦ったことを慶長の役という。日本の軍勢は苦戦し、

1598年、秀吉が病死したのを機に全軍が引きあげた。

1銀閣は室町時代に足利義政が建てた、2が答え、3金閣は室町時代に足利義満が建てた、4東大寺南大門は鎌 倉文化の建造物である。

豊臣秀吉はものさしやますを統一するとともに(A太閤検地)を行い全国の田畑の面積や土地のよしあしを調べ、

予想される収穫量を、すべて米の体積である(B石高)であらわした。

3

(5)

(13)

(4)

1592年の戦い 1597年の戦い

文禄の役 慶長の役

兵農分離

(6)

天守閣

(7)

桃山文化

(1)

A B

太閤検地 石高石高

(2)

刀狩

(3)

(11)

平家物語

(12)

南蛮文化 2

(8)

狩野永徳

(9) (10)

千利休 出雲の阿国

(4)

https://iidrill.com 解説

★★ (1) 豊臣秀吉の死後、関東を領地とする(A徳川家康)が勢力をのばした。

★★★ (2) 石田三成を中心とした西軍と家康を中心とする東軍に分かれて戦いを(B関ケ原)の戦いという。

★★ (3) (A)は1603年、朝廷から( C )に任命され( D )幕府を開いた。

★★★★ (4) 徳川家康は1603年、朝廷から(C征夷大将軍)に任命され(D江戸)幕府を開いた。

★★★★★ (5) 幕府の直接の支配地は約400万石で全国の石高の約(E4)分の1にまでおよんだ。

★★★★★ (6) 藩を治めていた大名とは将軍から一万石以上の領地を与えられた武士のことをいう。

★★★ (7) 東海道などの江戸を起点とした主要な道を「五街道」という。

★★★ (8) 大名を取り締まるための法律を「武家諸法度」という。

★★ (9) 第3代将軍徳川家光は大名は1年おきに領地と江戸を往復する制度(参勤交代)をつくった。

★★★★ (10) 幕府が朝廷を監視するために「京都所司代」を置いた。

★★★★ (11) 天皇や公家の行動を制限し、政治上の力を持たせなかった法律を「禁中並公家諸法度」という。

★★★ (12) 大老は非常の時など必要に応じて置かれた職である。

★★★★ (13) 親藩と譜代大名を江戸周辺など重要な地に多く配置し、外様大名を江戸から遠い地に配置した。

★★★★ (14) 武士は支配特権として名字と帯刀が許された。

★★★ (15) 百姓には、土地をもつ(ア本)百姓と土地を持たず小作を行う(イ水のみ)百姓の区別があった。

★★★ (16) アは鎌倉時代、イは奈良時代の743年、ウは豊臣秀吉の安土桃山時代、エは江戸時代の説明である。

目標時間

30

★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい

2節 江戸幕府の成立と鎖国(解答)

第3章 近世の日本

1 C (5)

江戸

D

(3)

(1)

(6)

将軍から一万石以上の領地を与えられた武士

(7)

五街道

(8)

武家諸法度 徳川家康

(2)

関ヶ原の戦い

(4)

幕領

(11)

禁中並公家諸法度

(12)

大老

(13)

(例)親藩と譜代大名を江戸周辺など重要な地に多く配置し、

外様大名を江戸から遠い地に配置した。

(14)

名字(帯刀)

(9)

将軍名 制度

徳川家光 参勤交代

(10)

京都所司代

(15)

水のみ

(16)

イ、ア、ウ、エ

(5)

https://iidrill.com 解説

★★ (1) 徳川家康は海外との貿易の発展に努め、日本船の渡航を許す(A朱印)状を発行した。

★★★★ (2) 多くの日本人が海外へ移住し、東南アジアの各地には(B日本町)ができた。

★★★★★ (3)

★★ (4)

★★★★ (5)

★★★★ (6)

★★★★ (7)

★★★★ (8) 幕府による禁教、貿易統制、外交独占の体制を(F鎖国)という。

★★ (9) キリスト教徒を発見するために踏絵(踏む絵のこと)を使って、絵踏(絵を踏むこと)を行った。

★★★ (10) 17世紀半ば、中国大陸では国内での反乱によって明が滅び、(G清)を建国した。

★★★★★ (11)

★★★★ (12)

★★★ (13)

★★★★ (14) 松前藩は、戦いをやめることを提案し、来訪したコシャマインを殺害した。

1639年、ポルトガル人を追放し、1641年には、平戸のオランダ館を出島に移動した。こうして、中国船とオランダ 船だけが、長崎で貿易を許された。

ヨーロッパやアジアの情報を入手するためオランダ人にはオランダ風説書を、中国人には唐船風説書の提出を 義務づけた。

幕府からの輸出は金や銀であったが、大量流出が経済の混乱を招くとして、(ア銅)と(イ俵物)にかえるようにな った。俵物:いりこや干しあわび、ふかのひれなどの海産物で、中国料理の主要な食材になった。

1609年、対馬藩(長崎県)の努力で日本と朝鮮との間に国交が回復し、将軍の代がわりごとなどに、祝賀の使節

(H朝鮮通信使)が日本に派遣された。

琉球王国は、将軍や琉球王国に代替わりがあると、江戸に行き、あいさつをしたことを琉球使節という。このとき琉 球王国は、薩摩藩に服属していた。

幕府は1612年、キリスト教禁止令を出し、迫害しましたが、神への信仰を領主への忠義よりも重んじるキリスト教 の教えが、幕府の考えに反していたためである。

1635年に徳川家光は日本人の海外渡航を全面的に禁止するとともに、長崎の町中に住んでいたポルトガル人を 出島に移し、日本人と交流できないようにしたか。

重い年貢の取り立てに苦しんだ島原(長崎県)や天草(熊本県)の人々は1637年、神の使いとされる天草四郎(益 田時貞)という少年を大将にして(C島原・天草一揆) を起こした。

(1) (2)

朱印 日本町

(3)

神への信仰を領主への忠義よりも重んじるキリスト教の教え が、幕府の考えに反していたため

(4) (5)

出島 島原・天草一揆

(7)

C E

オランダ風説書 唐船風説書

(6)

朝鮮通信使

(13)

琉球使節

(14)

シャクシャイン

(11)

俵物

(12)

(8)

鎖国

(9) (10)

絵踏

2

(6)

https://iidrill.com 解説

★★★★ (1)

★★★★ (2)

★★★★★ (3)

★★★★ (4) しょう油を運ぶのは(A菱垣廻船)、酒を運ぶのは(B樽廻船)である。

★★★★ (5) 江戸時代に手紙や荷物を運ぶときに活躍した人は「飛脚」と呼ばれた。

★★ (6) 江戸は「将軍のおひざもと」、大阪は天下の台所と呼ばれた。

★★★★ (7) 諸藩は大阪に「蔵屋敷」置いて、米や特産物を販売した。

★★ (8)

★★★★★ (9) 利益を独占しようとしてつくられた,商人らによる同業者組合を株仲間という。

★★★★ (10) 第5代将軍(D徳川綱吉)は儒学を奨励した。儒学の中では、身分秩序を重視する(E朱子学)が広く学ばれた。

★★★ (11)

★★★★ (12) a人形浄瑠璃;近松門左衛門(イ)  b浮世草子(小説):井原西鶴(ア) c俳句(俳諧):松尾芭蕉(ウ) 

★★★★ (13) d大和絵風の装飾画:尾形光琳(エ) e浮世絵:菱川師宣(カ) f歌舞伎:市川團十郎(オ)

京都や大阪を中心とする上方で栄えた、都市の繁栄を背景に、経済力を持った町人を担い手とする新しい文化を

(G元禄)文化という。

農業では近畿地方の進んだ技術が各地に伝わり、深く耕すことができる備中ぐわや脱穀を効率的にする千歯こ きなどによって生産力が向上した。

農村でつくられた、原料となる、麻、わた、あぶらなや、染料に使う「あい」や「べにばな」などの作物を「商品作物」

という。

都市では、問屋や仲買いなどの大商人が、(C株仲間)という同業者組織を作り、幕府の許可を得て営業を独占し た。

江戸時代の水産業の場所と種類について下表にまとめたので、参考にしよう!また江戸時代の主な地域の特産 物についても下表にまとめた。

目標時間

50

★・・・簡単 ★★・・・少し簡単 ★★★・・・標準 ★★★★・・・少し難しい ★★★★★・・・難しい ★★★★★★・・・かなり難しい

3節 産業の発達と幕府政治の動き(解答)

第3章 近世の日本

(3)

(6)

a e

イ ア ウ エ カ オ

菱垣廻船 樽廻船

(5)

飛脚 エ

(7)

蔵屋敷

(2)

商品作物 ウ

(4)

A B

名称

千歯こき 脱穀作業

農作業

(1)

徳川綱吉 朱子学

(11)

元禄文化

(8)

株仲間

(9)

(例)利益を独占しようとしてつくられた、商人らによる同業者組合

(10)

人物名 学問

(12) (13)

1

【江戸時代の水産業について】

場所 種類

九十九里浜(千葉県) いわし漁 紀伊(和歌山県) 捕鯨やかつお漁 土佐(高知県) 捕鯨やかつお漁 蝦夷地(北海道) にしん漁やこんぶ漁

【江戸時代の各地域の特産物について】

地域 特産物

野田、銚子(千葉県) しょうゆ

伊丹、灘(兵庫県) 酒造

瀬戸内海

金沢(石川県)、有田(佐賀県) 磁器 輪島(石川県)、会津(福島県) 漆器

南部(岩手県) 鋳物

越前(福島県)、美濃(岐阜県)

(7)

https://iidrill.com 解説

★★★ (1) 1716(享保元)年に(A徳川吉宗)が紀伊(和歌山県)藩主から第8代将軍になったとき、幕府は財政難に苦しんでいた。

★★★ (2)

★★★ (3)

★★★ (4) 吉宗の行った(D享保の改革)のよって財政は一時的に立ち直った。

★★★ (5)

★★★★ (6)

★★★★ (7)

★★★ (8)

★★★★ (9) 一揆の中心人物がわからないようにするために円形に名前を書いた。

★★★ (10) 都市では、米の買いしめをした商人に対する(J打ちこわし)が起こった。

(B公事方御定書)という裁判の基準となる法律を定め、庶民の意見を聞く(C目安箱)を設置した。

土地を手放して(E小作人となる者や都市に出稼ぎに出る者も多くなり、一方で土地を買い集めて(F地主)となる 者が出るなど農民の間で貧富の差が拡大した。

18世紀ごろから、商品を買い集める問屋が農民に織機(しょっき)やお金を前貸しして布を織らせ、製品を安く買い 取るようになったことを(G問屋制家内工業)という。

19世紀ごろには、大商人や地主の中に、工場をつくり人をやとって分業で製品をつくる者が現れた。これを(H工場 制手工業(マニュファクチュア))といい、近代工業発展の基礎になった。

農村では多くの村が団結して、領主に年貢の軽減や不正を働く代官の交代などを要求する(I百姓一揆)を起こし、

大名の城下に押し寄せることもあった。

(4)

公事方御定書 目安箱 享保の改革

(5)

E F

(8)

(1)

徳川吉宗

(2) (3)

百姓一揆

(9)

一揆の中心人物がわからないようにするため。

(10)

打ちこわし

小作人 地主

(6)

問屋制家内工業

(7)

工場制手工業

(マニュファクチュア)

2

(8)

https://iidrill.com 解説

★★★ (1) 松平定信が行った改革を「寛政の改革」という。

★★★★ (2)

★★★★ (3) 1825年、幕府は(B異国船打払令)を出した。

★★★★★ (4) 外国船の打ちはらい批判する書物を書いた蘭学者は渡辺崋山と高野長英である。

★★★★ (5) 1839年に、幕府によって蘭学者が厳しい処罰を受けたことを「蛮社の獄」という。

★★ (6)

★★★ (7) 1841年、老中のc水野忠邦は、幕府の力を回復するため、(D天保の改革)を行った。

★★★★ (8) 17世紀後半に使われた、藩独自の紙幣を「藩札」という。

★★★★ (9) 徳川吉宗、田沼意次、松平定信、水野忠邦が行った改革について、下表にまとめたので参考にしよう!

★★★★★ (10) 薩摩藩や肥前藩、長州藩などは、「雄藩」と呼ばれ、政治的発言力を持つようになった。

★★★★ (11)

★★★★ (12)

★★★★ (13)

1808年に、イギリスの軍艦が長崎港に侵入する事件を「フェートン号事件」といい、その後起きた、漂流民を引き 渡そうとしたアメリカの商船を砲撃する事件を「モリソン号事件」という。

1837年、大坂町奉行の役人で陽明学者の(C大塩平八郎)は弟子など300人ほどで大商人をおそい、米や金をき きんで苦しむ人々に分けようとした。((C大塩平八郎)の乱)

天保の改革(1841年)のことに、水野忠邦は清がイギリスに負けたことを知り、異国船打払令をやめ、寄港した外 国船に水やまきを与える一方、軍事力の強化を目指した。ア1776年、イ1789年、ウ1840年、エ1917年の出来事で ある。

アは1716年に徳川吉宗が享保の改革、イは1841年の天保の改革、ウは松平定信の寛政の改革、エは18世紀後 半の田沼意次の改革の内容である。

享保の改革は1716年、寛政の改革は1787年である。イの田沼意次の改革は享保の改革と寛政の改革の間に行 われたが、わいろが横行したり、各地で百姓一揆や打ちこわしがおこり、失敗に終わった。ア桜田門外の変は1860 年、ウ大塩平八郎の乱は1837年でエ参勤交代の制度は第3代将軍徳川家光のときに定められた。

(11) (13)

a

ウ ア イ イ エ ア

(12)

ア、ウ、エ、イ

(4)

高野長英 渡辺崋山

(1) (2) (3)

寛政の改革 フェートン号事件 異国船打払令

(8)

藩札

(9) (10)

ウ イ

(5) (6) (7)

蛮社の獄 大塩平八郎 天保の改革

3

【徳川吉宗、田沼意次、松平定信、水野忠邦が行った改革について】

人物 改革名 内容 人物 改革名 内容

徳川吉宗 享保の改革

・武士に質素、倹約を命じた

・上げ米の制(参勤交代で大名が江戸にいる 期間を1年から半年にするかわりに、1万石 につき100石の米を幕府におさめさせた。

・公事方御定書という裁判の基準となる法律 をつくった。

・庶民の意見を聞く、目安箱を設置

・一時的に財政は立ち直った

松平定信 寛政の改革

・江戸の湯島に昌平坂学問所をつくり、朱子 学以外の学問を教えることを禁じ、試験を 行って人材の登用を図っ。

・江戸に出てきていた農民を故郷に帰し、倹 約令を出すとともに、旗本や御家人が札差 からしていた借金を帳消しにしたたり、政治 批判を禁じたり、出版を厳しく統制した

・厳しく統制したので、人々の反感をかった

田沼意次

・商工業者の力を利用して幕府の財政を立 て直そうとした

・長崎の貿易を活発にするため、銅の専売 制を実施した

・蝦夷地の調査を行い、印旛沼(千葉県)を 干拓を始めた

・商工業者が株仲間をつくることを奨励し、特 権を与えるかわりに営業税を取ったが、地位 や特権を求めてわいろが横行した

・1782年に天明のききんにより、各地で百姓 一揆や打ちこわしがおこり、老中をやめさせ られた

水野忠邦 天保の改革

・株仲間を解散を命じ、江戸に出かせぎにき ている農民を故郷の村へ帰させた

・江戸や大阪周辺の農村を幕領にしようとし たが、大名や旗本の強い反対にあった

・改革は2年余りで失敗した

(9)

https://iidrill.com 解説

★★★ (1) 18世紀半ばに(A本居宣長)が、日本古来の伝統を評価する「古事記伝」をあらわし、(B国学)を大成した。

★★★ (2)

★★★ (3)

★★★ (4) 江戸を中心とした庶民を担い手とする文化を(F化政)文化という。

★★★ (5) 鈴木春信が多色刷りの美しい版画の錦絵を始めた。

★★★ (6) 喜多川歌麿は美人画をえがいた。

★★★ (7) 歌川(安藤)広重は優れた風景画を残した。

★★★ (8) 葛飾豊斎も優れた風景画を残した。

★★★ (9) 十返舎一九が東海道中膝栗毛を滝沢馬琴が南総里見八犬伝を書いた。

★★★ (10)

★★★ (11)

★★★ (12) 出島での貿易を幕府に許されていたヨーロッパの国はオランダで、アジアでは中国のみと貿易を行っていた。

★★★ (13) 諸藩では、(L藩校)を設け、武士に学問や武道を教え、人材の育成を図った。

★★★ (14) 読み・書き・そろばんを教えるところを「寺小屋」という。

(C杉田玄白)などがヨーロッパの解剖書を翻訳した「(D解体新書)」を出版し、オランダ語でヨーロッパの文化を学 ぶ(E蘭学)の基礎を築いた。

19世紀はじめに、伊能忠敬が幕府の命令で全国の海岸線を測量し、現在と変わらないほど正確な日本地図をつ くった。

俳句では、(J与謝蕪村)が絵のような風景を表現し、(K小林一茶)は農民の素朴な感情をよんだ。

4

(14)

寺小屋

(11)

小林一茶

(12) (13)

オランダ 藩校

(8)

葛飾豊斎

(9)

東海道中膝栗毛 南総里見八犬伝

十返舎一九 滝沢馬琴

(7)

喜多川歌麿 歌川(安藤)広重 E

蘭学 伊能忠敬

(4)

(10)

与謝蕪村

A B

本居宣長 国学

C D

杉田玄白 解体新書

化政文化

(5)

錦絵

(6)

(2) (3)

(1)

参照

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