• 検索結果がありません。

イギリス刑事手続における『二重の危険の原則』

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "イギリス刑事手続における『二重の危険の原則』"

Copied!
126
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

イギリス刑事手続における『二重の危険の原則』

著者 佐藤 由梨

雑誌名 同志社法學

巻 68

号 5

ページ 1573‑1697

発行年 2016‑11‑30

権利 同志社法學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016884

(2)

    同志社法学 六八巻五号一〇三一五七三

           

                                       ﹁           ﹁ 

       ﹁

                                                ﹄    ﹃﹄ 

      ﹁﹂      ﹁﹂ 

(3)

    同志社法学 六八巻五号一〇四一五七四

はじめに

  日本国憲法第三九条後段は、﹁既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。また、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問われない﹂と規定し、いわゆる一事不再理を定めている。これを受けて刑事訴訟法第三三七条一号は、一事不再理に反して再起訴された場合は、免訴判決を言い渡す旨を規定している。

  一事不再理効の発生根拠として、かつては、これを大陸法に起源をもつ﹁既判力﹂として理解する見解が有力であった。すなわち、裁判所が一度判断したことは真実とみなされるため、以後その判断と矛盾する判決を言い渡すことができず、それゆえ後の訴追それ自体も禁止されると考えられていた 1

。しかし、現在は、被告人が一度刑事訴追の苦しみを受けたのであれば、再度同じ苦しみにさらしてはならないという、被告人が受ける有罪とされる危険や手続的な負担を一事不再理効の発生根拠と理解する見解(二重の危険説)が通説となっている 2

  もっとも、この二重の危険説の中でも、ニュアンスの異なる二つの学説が対立している。一事不再理効を裁判が終局的に確定したという事実に基づく効果と理解する裁判効力説 3

と、刑事訴追の苦痛を理由に再度の審理から自由になる被告人の人権と捉える手続効力説 4

との対立である。裁判効力説は、被告人の手続における負担を一事不再理効の前提としながらも、犯人必罰という国家的利益も考慮し、裁判が終局的に確定するまでは危険が発生しないと考えるのに対して、手続効力説は、被告人が訴追を受けた、すなわち手続上有罪の危険にさらされたという事実の効果として一事不再理効が発生すると考えるので、裁判の終局的確定をまたなくても危険が発生するということが理論上可能である。また、端的に手続的負担を一事不再理効の発生根拠とすれば、少年審判や形式裁判といった有罪・無罪の確定判決以外の裁判についても、手続上の負担を理由に一事不再理効が発生すると考えることが可能となる 5

。つまり、これらの学説のいずれ

(4)

    同志社法学 六八巻五号一〇五一五七五 に立つかによって、一事不再理効の発生時期や一事不再理効の及ぶ範囲について異なる帰結が導かれるということになる。  何らかの嫌疑で逮捕され、公訴の提起によって被告人となった者は、﹁無罪の推定﹂により有罪判決が確定するまでは法律上何らかの色づけがなされることはないが、社会的には一定の色づけをされ、これによる精神的または肉体的な苦痛を受けることになり、さらに、手続を受けることそれ自体の苦痛や有罪となり刑罰を受ける恐怖にもさらされることになる 6

。それゆえ、このような負担を被告人に強いる刑事訴追が、国家によって繰り返されることがないよう、終局的な判決の言い渡しを受けた被告人を一事不再理効によって手続から解放することが、刑事手続において重要な意味をもつ。これまで、わが国においては、少年審判における審判不開始決定がなされたのちに少年が成人した場合に、元少年を刑事訴追に付することが妥当であるのか、すなわち、審判不開始決定に一事不再理効を認めるべきかといった点や、検察官上訴は二重の危険に当たらないのかといった点が議論されてきた。少年審判における審判不開始決定については、審判不開始決定は、刑事裁判における判断とは異なる目的(少年保護の目的)で下されるものであるから、刑事裁判における無罪判決と同視することはできないとして、一事不再理効が否定されている 7

。また、検察官上訴については、第一審から上訴審までを継続した危険と解することによって、二重の危険に当たらないと考えられている 8

。しかし、これらの見解に対しては学説上反対意見も根強く存在する。ゆえに、一事不再理(二重の危険の原則)の意義や﹁危険﹂の意義を確定する必要性は高いといえる。

  本稿は、二重の危険の原則における﹁危険﹂の意義を明らかにする作業を、イギリス(以下では、イギリスとはイングランド及びウェールズを指すものとする。)の議論を検討素材として行うことにしたい。日本が一事不再理効の発生根拠としている二重の危険説は、英米の二重の危険の原則に由来するからである。そして、イギリスでは、新しい有力

(5)

    同志社法学 六八巻五号一〇六一五七六

な証拠が発見された場合、検察官が控訴院に対して、無罪となった被告人について無罪判決を破棄し再審を求める申立てをすることができる旨を規定した二〇〇三年刑事司法法により、約八〇〇年の歴史をもつコモン・ロー上の大原則である二重の危険の原則の例外を認めた。このような立法の動きはイギリスにとどまらず、オーストラリアやスコットランドなどイギリスの影響を受けた他のコモン・ロー諸国でも、二重の危険の原則に例外をもうけるべきかについて検討がなされ、実際に不利益再審を認める立法が実現している

)9

  イギリスは、どのような理論的根拠によって、刑事手続における基本的権利とされる二重の危険の原則に例外をもうけることを正当化したのであろうか。そもそも、イギリスでは、二重の危険の原則における﹁危険﹂がどのように理解され、いかなる場合に被告人は二度目の訴追から守られるべきであると考えられているのであろうか。これらの点を明らかにすることで、日本における一事不再理、すなわち二重の危険の原則の﹁危険﹂の意義に一定の示唆が得られるのではないか。また、イギリスにおける立法の影響が他国にも拡大していることから、イギリスの立法の原動力が何であったのかについても、分析する必要性は高いと言えよう。日本においても、イギリスと同様の議論が起こる可能性がないとは言い切れないからである。

  本稿では、第一章において二重の危険の起源を、第二章において二〇〇三年刑事司法法制定以前のイギリスにおける二重の危険の原則と、市民的及び政治的権利に関する国際規約と欧州人権条約という、二つの国際人権法における二重の危険の原則を、第三章において二〇〇三年刑事司法法制定に至るまでの経緯、法の制定に関して公表された報告書、二〇〇三年刑事司法法の概要、再審請求がなされた判例を概観する。これらをふまえ、第四章において一事不再理(二重の危険の原則)をめぐるわが国の議論の方向性について、若干の検討を加えることにしたい。

(6)

    同志社法学 六八巻五号一〇七一五七七

、 ﹄(﹄( 1﹄() ﹄(

﹂。 、何、二。﹁ 2) 

﹄(﹄(   ﹄(﹂﹃ 3﹄() ﹄(

4﹄() 

5) ﹄( 6) 

4

7) 

8)  eeCal Code OffiOrimCCMcersittminC Cel omodM)) ndmrney General oeeittomf ACg inta SanalitrusAtto9) 

(7)

    同志社法学 六八巻五号一〇八一五七八 November 2003 Discussion PaperModel Criminal Code Officers Committee of the Standing Committee of Attorney- General, Discussion Paper: Chapter2, Issue Estoppel, Double Jeopardy, and Prosecution Appeals against Acquittals, Nov. 20032003. Council of Australian GovernmentsCOAG))DoubleJeopardy COAG Law Reform Working Group, Double Jeopardy Law Reform; Model Agreed by COAG2007.Scottish Law CommissionScottish Law Commission, Discussion

Paper on Double Jeopardy 2009))Double Jeopardy Scotland Act2011

第一章  二重の危険の原則の起源   近代刑事手続に関する諸原則の中で、二重の危険の原則ほど根源的な原則はない。二重の危険の歴史は、刑事手続の歴史であるとさえいわれている 1

。一九一三年スタウト・ケース・オクラホマ州最高裁判決 2

の中で、﹁二重の危険の原則は、ローマ法やイギリスのコモン・ロー、そしておそらくは、他の全ての法体系においても常に深く根ざしてきた。その原則が常に存在してきたことは、明確な起源をもつことと同じくらい意義がある﹂と述べられたことからもわかるように、二重の危険の原則は非常に古い歴史をもつものの、その正確な起源は明らかではない 3

。そこで、裁判所が行う歴史的な観点からの主張を説得的にするために、二重の危険の原則の詳細な歴史的研究が必要であるとの指摘もみられる 4

。こうした問題意識を前提に、本章では、古代ギリシャと古代ローマにおける二重の危険の原則、イギリスへの同原則の流入

(8)

    同志社法学 六八巻五号一〇九一五七九 と発展、ブラックストーンらによる近代的な二重の危険の原則の形成の三段階に分けて、二重の危険の原則の歩みを跡づけたい。

      第一節  古代ギリシャ、古代ローマにおける二重の危険

  一九五九年バルトクス・ケース合衆国最高裁判決において、﹁同一の行為に対して二度起訴するという国家の権限への畏れや嫌悪は、西洋文明に古くからみられる。その起源は古代ギリシャ時代や古代ローマ時代にまで遡る﹂と述べられたことからもわかるように 5

、二重の危険の起源は、古代ギリシャや古代ローマにまで遡ることができる。

  古代ギリシャの政治家であり弁論家であったデモステネスは、﹁法律では、同一の人間が、同一事件に関して、⋮二度、審理されることを禁じて 6

﹂いる、﹁法律は陪審廷がいったん決めたことについて、もう一度協議することを許していない 7

﹂と述べたとされる。このように、古代ギリシャには、﹁何人も同一の犯罪について二度審理されることはない﹂というルールが存在していたのである 8

  しかし、ここからは、どのような場合に禁止された二度目の審理にあたるかなど、そのルールの具体的な運用方法までは明らかにならない 9

。むしろ、申立人が法の抜け穴を探して、裁判所がすでに処理した事案の審理を再開することが容易に行えたことから、この時代の二重の危険の原則は、完全なものではなかったのではないかとの見解が示されている ₁₀

  古代ローマにも二重の危険という概念が存在した。﹃ローマ法大全﹄には、﹁統治者は、同じ者が、すでに無罪になった犯罪で再び告発されることを認めるべきではない﹂との原則が記されている ₁₁

。また、イギリスの法律家がよく使う、

(9)

    同志社法学 六八巻五号一一〇一五八〇

﹁何人も同一の犯罪に対し、二度処罰されるべきではない(

ne m o d eb et b is pu nir i p ro u no d eli ct o

)﹂との法諺は、ローマ法に起源があると考えられている ₁₂

  もっとも、古代ローマの二重の危険の原則は、現代のそれと、多くの点で異なっていた。例えば、﹃ローマ法大全﹄の﹁統治者は、同じ者が、すでに無罪になった犯罪で再び告発されることを認めるべきではない﹂という原則は、文字通りに解せば、無罪後に再び告発することを禁じたものであり、有罪後の再度の告発を禁じるものであったのかは明らかでない。また、古代ローマの刑事訴追は、国家によってなされるものではなく、犯罪の被害者またはローマ市民によってなされるのが通常であったが、﹃ローマ法大全﹄は、二重の危険の原則が、同一の犯罪について、同一人物による二度目の告発を禁じるのか、別の者による告発についてまで禁じるのかは検討の余地があるとし、﹁今告発者として名乗りを上げている者が、その告発が他の者によってすでになされたことを知らなかったことを証明すれば、告発者となることが許される十分な理由が存在する﹂として、同一の犯罪の二度目の告発を一定程度許容していた ₁₃

。さらに、古代ローマの法律家であったパウルスは、﹁被告人は、無罪後三〇日以内であれば告発人により再び告発されうるが、それ以降は告発されることはない﹂と述べており、二重の危険を禁止する効力は、三〇日を経過しないと生じない制限つきの原則であったことがわかる ₁₄

  カノン法(教会法)においても、同一の者を二度危険におくことが禁止されていた。カノン法の二重の危険の原則は、旧約聖書のナホム書にある﹁苦難は二度生じない﹂という一節に対して、三九一年に、キリスト教の聖職者であり神学者でもあった聖ヒエロニムスが与えた解釈にその起源がある。聖ヒエロニムスは、この一節を、﹁神は同一の行為を二度罰することはない﹂と解釈したのである ₁₅

。この解釈は、後世に強い影響を与え、その後のカノン法において、﹁神は同じ行為を二度罰しない﹂という解釈が、長年にわたって引き継がれていくこととなった ₁₆

。例えば、カノン法学の父と

(10)

    同志社法学 六八巻五号一一一一五八一 して知られる法学者ヨハンス・グラティアヌスが一一四〇年に発布した﹃グラティアヌス教令集(

D ec re tu m G ra tia ni

)﹄には、﹁聖書には﹃神は同じ問題を二度罰することはない﹄と書かれている﹂、﹁ある者が有罪となったか無罪となったかに関わらず、同じ犯罪についてさらなる訴訟がなされることはない﹂と示されており、また、法学者でもあったローマ教皇グレゴリウス九世が一二三四年に発布した﹃グレゴリウス教皇令集(

D ec re ta ls D . G re go ri P ap ae IX

)﹄にも、﹁被告人が無罪を言い渡された犯罪に対する非難を繰り返すことはできない﹂旨が示されている ₁₇

  しかし、カノン法における二重の危険の原則の根拠となった聖ヒエロニムスの解釈には疑義も示されている。というのも、聖ヒエロニムスが解釈を与えた一節の前の節を見ると、﹁お前たちは神に対して何をたくらむのか。神は滅ぼし尽くし、敵を二度と立ち上がれなくされる。⋮⋮神は二度苦しめることはない﹂とあり、これは文言通り、神が最初の罰で敵を完全に滅ぼすので、二度罰する必要がないために、同一の行為を二度処罰しないという意味になる ₁₈

。そうであるとすれば、適切な解釈は、﹁神はその必要がないために二度裁かない﹂ということになろう ₁₉

。また、聖ヒエロニムスの解釈に従うとしても、旧約聖書ナホム書の﹁苦難﹂を﹁処罰﹂と解するのか﹁訴追﹂と解するのかによって、カノン法が二重の﹁処罰﹂を禁止していたとも、二重の﹁訴追﹂を禁止していたとも理解することができる ₂₀

。カノン法が二重の﹁処罰﹂を禁止していたのであれば、無罪後の再訴追が認められることになり、今日の二重の危険の原則とは大きく意味が異なることになる。

      第二節  イギリスへの二重の危険の原則の流入と発展

  イギリスのコモン・ローにおける二重の危険の原則の起源に関して、三つの学説が存在している。第一の見解は、一

(11)

    同志社法学 六八巻五号一一二一五八二

〇六六年のノルマン征服後に、大陸からローマ法あるいはカノン法を通じて二重の危険という概念がイギリスへ流入し、それがイギリスの法学者や判例に影響を与えたとするものであり ₂₁

、第二の見解は、一二世紀にイギリスで起きた﹁ベケット論争﹂によって、カノン法の二重の危険の原則がコモン・ローに影響を与えたとするものである ₂₂

。第三の見解は、ノルマン征服以前のアングロ・サクソン系の刑事手続の中で、裁判所が、実際的で明白な手続上の前提として、二重の危険の原則による保護を発展させたとする見解である ₂₃

。二重の危険という概念が、大陸からイギリスへ流入したものであるのか、イギリス国内で独自に生じたものであるのかは、西洋法の多くが共通の法概念から派生したものである以上、確かめるのは困難であるとされているが ₂₄

、いずれにせよ、国王と教会の裁判管轄権をめぐる争いである﹁ベケット論争﹂とそこで主張されたカノン法における二重の危険の原則は、イギリス国内に二重の危険の原則を認知させ、普及させる契機となったと有力に考えられている ₂₅

。また、中世のイギリスでは国王による正式訴追と私人訴追が明確に分けられていなかったことから、その両方で訴追された場合に問題となる二重の危険も、イギリスにおける二重の危険の原則の発展に影響を与えたとされる ₂₆

  一  世俗裁判所と教会裁判所による二重の危険   イングランド王ウィリアム一世は、一〇六六年のノルマン征服において、ローマ法王が征服を支持したことの見返りとして、世俗裁判所とは独立した裁判管轄権を有する教会裁判所の設置を認めた ₂₇

。教会裁判所は、宗教的事件(

sp iri tu al ca us es

₂₈

の裁判管轄権を、世俗裁判所は世俗的事件(

se cu la r c au se s

)の裁判管轄権を有しており、両者はお互いに干渉してはならないことになっていた。このため、基本的に両裁判所の裁判管轄権が衝突するおそれはなかった ₂₉

  ところが、教会裁判所が、世俗的事件であっても、聖職者が被告人あるいは被害者となった場合には教会裁判所の裁

(12)

    同志社法学 六八巻五号一一三一五八三 判権が及ぶことを主張しはじめ ₃₀

、教会裁判所と世俗裁判所の裁判管轄権をめぐる争いが生じるようになった。この争いの解決策として、ヘンリ二世によって、一一六四年にクラレンドン法(

T he C on st itu tio ns o f C la re nd on

)が制定され ₃₁

、①カノン法上の犯罪ではなく、窃盗や殺人のような重大な犯罪を行った聖職者は世俗裁判官の面前に召喚され、そこで訴答し、②その聖職者は、世俗裁判官の監督下で、教会裁判所での審理に基づいて有罪判決を宣告され、聖職を剥奪され、③聖職を剥奪された者は、世俗裁判所で俗人として刑を言い渡される ₃₂

ことが定められた。同法の制定により、窃盗や殺人といった世俗の罪を犯した聖職者は、教会裁判所と世俗裁判所の両方で審理し処罰されることになったのである。これに対し、カンタベリ大司教トマス・ベケットが、聖職者を教会裁判所と世俗裁判所の双方で裁くことは、カノン法の﹁何人も同一の犯罪について二度処罰されない﹂の法諺に反すると主張したのが﹁ベケット論争﹂である。このヘンリ二世との対立により、ベケット大司教はイギリス国外への逃亡を余儀なくされ、ついには、一一七〇年に、四人の騎士によって暗殺されたことから、この論争は一応の終結をみた。ところが、この暗殺の結果、国民はベケット大司教を殉教者とみなし、ローマ法王もベケット大司教を列聖したことで、ヘンリ二世の立場は危うくなった ₃₃

。また、ローマ法王が、クラレンドン法によって世俗裁判所で聖職者が処罰される点を非難したことから ₃₄

、ヘンリ二世はクラレンドン法を撤回し、聖職者が殺人など世俗の重大犯罪を犯したとしても、これに対して世俗裁判所は裁判管轄権をもたず、教会裁判所だけが審理し処罰することができるとする、いわゆる﹁聖職者特権(

be ne fit o f c le rg y

)﹂を認めた。この一連の出来事、とりわけ﹁聖職者特権﹂の制定は、ヘンリ二世がローマ教会に対して譲歩したことを意味し ₃₅

、これによって、ベケット大司教が主張した法諺、すなわちカノン法における二重の危険の原則が考慮に値するものであるという印象を裁判官たちに与えることとなったと評価されている ₃₆

(13)

    同志社法学 六八巻五号一一四一五八四

  二  私人訴追と国王の正式訴追による二重の危険   ノルマン征服以前のアングロ・サクソン期においては、訴訟は﹁私人訴追(

ap pe al

)﹂として、主に私人によって提起されていた ₃₇

。ノルマン征服後、大陸からやってきたウィリアム一世が、新たな領地で国王の優位を維持するためには、封建的な社会秩序の形成と国王の権限の拡大が必要であった。この国王の権限拡大の一環として、国王による裁判権の掌握がなされはじめ、その過程で、私人訴追と国王の正式訴追による二重の危険の問題が生じることとなった。

  こうした私人訴追と国王の正式訴追による二重の危険の問題を解決するために、遅くとも一五世紀までには、二重の危険の原則に類似する抗弁が存在していたとされる ₃₈

。陪審員の審理による私人訴追で無罪となった者は、すでに無罪を言い渡されていることを、同一の犯罪に対する国王による正式訴追への抗弁として主張することが可能であり、同様に、国王による正式起訴で無罪となった者は、すでに無罪となったことを、同一の犯罪に対する私人訴追への抗弁として主張することが可能であった ₃₉

  しかし、一四八七年立法によって、この前の無罪の抗弁に、例外が設けられることになった。一四八七年立法以前は、人を死に至らしめる罪については、被害者の死後一年と一日が経過するまで、私人訴追が正式訴追に優越することが慣習となっていた。このため、被害者の死後一年と一日が経過するまでは、国王による正式訴追が提起されることはなかった。ところが、この期間中に私人訴追が行われなかった場合に、一年の遅れにより証拠が散逸したり、事件そのものが忘れられるなどして、正式訴追の提起が困難になる事態が生じた ₄₀

。そこで、国家の裁判権の拡大と、私人訴追を提起する権利とのバランスをとるために、一四八七年立法は、人を死に至らしめる罪については、私人訴追の提起をまつことなく、即時に国王による正式訴追を提起することを可能とし ₄₁

、さらに、一年と一日が経過するまでは、正式訴追の無罪が、後の私人訴追に対する抗弁とはならない旨を定めた ₄₂

。一四八七年立法による、私人訴追と正式訴追による二重の

(14)

    同志社法学 六八巻五号一一五一五八五 危険は、一四八七年立法の適用が人を死に至らしめる罪に限定されていたことや、私人訴追が徐々に衰退し、裁判権が国家に独占され、正式訴追が主流となったことなどから、次第に問題にならなくなっていったが、それでも、一九世紀初頭まで、正式訴追の無罪判決後に私人訴追が提起されたという事件が実際に存在した ₄₃

  一五三四年には、ウェールズで犯された重罪について無罪判決を言い渡された者を、犯罪がなされてから二年以内であれば、イングランドで再び審理することを認める法が制定された ₄₄

。また、一五九一年バウックス・ケース王座裁判所判決 ₄₅

では、瑕疵ある起訴状によって正式訴追され、ある犯罪の無罪判決を言い渡された者は、危険におかれたとはいえないとして、新しい正式訴追において同一の犯罪について再び審理されうることが示された。このように、一六世紀は、二重の危険からの保護が著しく減退した時代であった ₄₆

。その原因を、正式訴追と私人訴追による二重の危険を認めた一四八七年立法に見出す見解が存在するが ₄₇

、他方で、一四八七年立法によって、結果的に、二重の危険という概念に対する公的な認識が広がることになったとの見方をする見解もある ₄₈

      第三節  近代的な二重の危険の原則の形成

  一六世紀は、二重の危険からの保護が減退し、二重の危険の原則の発展における﹁暗黒期﹂であったとの評価がなされている ₄₉

が、他方で、二重の危険の原則の近代化のきざしもあった。一六世紀に執筆されたイギリスの法学者であり裁判官でもあったウィリアム・スタンフォードの著作が、一七世紀以降の法学者に強い影響を及ぼし、これらの法学者が自らの著作の中で二重の危険を取り上げたことによって、一七世紀後半以降、イギリスにおいて二重の危険の原則が発展していくことになったのである。

参照

関連したドキュメント

一一 Z吾 垂五 七七〇 舞〇 七七〇 八OO 六八O 八六血

チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

︵原著三三験︶ 第ニや一懸  第九號  三一六

〔追記〕  校正の段階で、山﨑俊恵「刑事訴訟法判例研究」

3 In determining whether a term sati sfies the requirement of good faith, regard shall be had in particular to the matters ( )

三 危険物(建築基準法施行令(昭和25年政令第338号)第116条第1項の表の危険物

[r]

目について︑一九九四年︱二月二 0