研究ノート
柳 田 国 男 の 信 用 組 合 論
鈴 木 芳 徳
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明治三三年三月七日︑﹁産業組合法﹂が公布された︒施行は九月一日であった︒明治二四年︑信用組合法案が
第二回帝国議会に提出されたが議会解散のため不成立︑明治三〇年︑農商務省が産業組合法案を第一〇議会に
提出するも審議未了︑かかる経緯のうちに明治三三年の法律成立に至ったものである︒この間︑品川弥.一郎︑
平田東助らによるシュールツェ型の考え方が後退し︑農業を念頭においたライファイゼン型のものに接近し︑
そうした信用組合が︑他の協同組合(販売組合︑購買組合︑生産組合)と並んで﹁産業組合法﹂の中で規定される
ことになった︒
柳田国男(一八七五ー一九六.一)は︑明治三一二年東京帝国大学法科大学政治科を卒業後︑農商務省に入省した︒
丁度︑この明治三一二年に﹁産業組合法﹂が成立した︒柳田は︑農商務省にあって︑明治三五年﹃最新産業組合
通解﹂を大日本実業学会から刊行した︒(現在では︑﹃定本柳田国男集﹄筑摩書房︑第二八巻に所収︒)本書は︑農商務
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省に在る者の手になる通解であるが︑同時に柳田の産業組合観をよく伝えるものとなっている︒柳田はその後︑
明治三八年︑全国農事会(後の帝国農会)の幹事となり︑全国各地で講演するが︑この講演を集録して明治四三
年﹃時代と農政﹄が聚精堂から刊行された︒(今日では︑﹃定本柳田国男集﹄︑第一六巻に所収︒)この書物の中には︑
明治三九年の﹁報徳社と信用組合との比較﹂(報徳会)︑明治四〇年の﹁日本に於ける産業組合の思想﹂(第二回産
業組合講習会)という産業組合に関する二篇の講演が含まれている︒
以下︑小稿では︑柳田国男の信用組合思想について︑上記の著作の検討を通じて若干を記してみたい︒
二
明治三五年の﹃最新産業組合通解﹂は︑産業組合法(明治三一.︑年)の解説であるが︑同時に産業組合の意義と
歴史についての柳田の受けとめ方を良く示した書物である︒
柳田は︑まず﹁現今各地に設立せられたる産業組合の実況を聞くに︑其組合員たる者は多くは相当の資産︑
地位ある者に限り︑例えば小作農の如き自己の勤勉と正直との他には︑信用の根拠とすべきものなき者は殆と
皆共同事業の便益に均箔する能はざるが如し︒﹂(五頁︒前掲﹃定本柳田国男集﹄第二八巻による︒以下同じ︒)すなわ
ち︑﹁産業組合法﹂の主眼は﹁寧比等最小の産業者にして︑銀行をも会社をも利用すること能はざる者﹂にある︑
にも拘らず﹁必要の最急なる者を後にする結果を見ば︑極あて遺憾の事なりといふべし︒﹂(五頁)とする︒
この点を柳田が強調する背後には︑貧富の格差拡人と資本の集積傾向についての認識がある︒﹁資本の集積は
数の尤免かれざる所にして︑現今経済社会に於ける富の分配は︑多きに加へ少きに減ずるの奇観を呈せり︒﹂し
かも︑労役者には信用利用の方途も断たれている︒コ旦労役者の階級に籍を列ねたるものは︑仮令如何に気力
柳田国男の信用組合論
61 あり計画ありと錐︑世上の信任を受くるの望無きを以て︑信用により資本の融通を謀ること能はず﹂(九頁)と
見るのである︒
それでは︑﹁産業組合法﹂(明治三一.一年)に至る歴史の経緯を柳田はどう見るか︒
本法の成立は︑品川弥二郎に発する︒品川弥二郎と平田東助の両名が当時︑着目したのは︑ドイツにおいて
勃興してきたシュールツェ・デーリッツ型の協同組合であった︒シュールツェ・デーリッツ(一八〇八i一八八
三)の主唱した信用組合は︑都市型の︑金融機関性を強く持った︑開放的性格のものであった︒柳田はいう︒﹁此
法制定の事の始めて議会の問題となりしは︑遠く明治二四年の交に在り︒当時此事に与りて最力ありしは故品
川子爵なりとす︒子は朝に立ちて熱心に此法の制定を説かれしのみならず︑自ら国中を遊説して直接に組合の
設立を勧誘せられしを以て︑其結果一部人士の問には漸く此問題の重要なることを認め︑経済の術を講ぜんと
するものは︑先つ目を此制度に注ぐに至れり︒﹂(二頁)但︑ここに成立した﹁産業組合法﹂は︑シュールツェ・
デーリッツ型のものという訳ではない︒のちに柳田は﹁日本の産業組合殊に信用組合は︑産業組合法の規定に
依れば余程ライファイゼン式に傾いたものであります︒是は法案の理由書などで見ても分るので︑云々﹂(﹃時代
と農政﹄︑﹃定本柳田国男集﹄第一六巻︑=四頁)と述べている︒
次に︑柳田は︑報徳社を﹁産業組合と目的を同くせりと錐︑其起原は遠く維新の前に在りて︑管理の方法の
如き或は現今の状況に適応すること能はず﹂(﹃定本柳田国男集﹂第二八巻︑=頁)と評する︒この点は後に︑報
徳社の長所と短所を挙げて論じた講演により詳細である︒
柳田は︑﹁産業組合とは同心協力に由りて︑各自の生活状態を改良発達せんが為に︑結合したる人の団体な
り︒﹂(↓二頁)という︒また﹁合同協力は常に孤立独行よりも利益多きこと︑及び顛苦に際して︑他人の保護︑
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救援を仰ぐよりも対等の人が相結び互に助けて之を凌ぎ行くが人間として遙に立派なることは共に言ふ迄も無
きことにて︑協同と自助とは世に立ち事を行はんとするものの心掛としては常に勧誘すべきこと﹂(四六頁)と
している︒﹁同心協力﹂といい︑﹁協同と自助﹂という柳田の思想が︑産業組合理解の中心軸となっていること
が見てとれよう︒
さて︑柳田は︑﹁新時代の経済の一の特色は資本の運転に在り︒﹂(八七頁)という︒現今の表現に従えば︑﹁資
本運動﹂の支配下にある︑ということであろう︒商品作物の生産が増加し︑農業も自給自足ではなくなって
﹁従って金銭を手掛ることは昔時に比して遙に多くなれり︒﹂(八九頁)しかるに︑﹁日本の農業者は現今五百万戸
以上あり︒而して其半分は一町以下の地面を耕す小百姓にして︑其又大部分は小作人なり︒彼等は自ら資本と
して使用すべき金銭の貯蓄無きのみならず︑他より之を借入るるの能力無き者多し︒﹂しかも﹁資本の供給はf
分に之に応ずるに足らず︑従って金利の高きは極あて自然の勢なり︒﹂(八九頁)
こうした条件の下で︑資金供給⁝機構として何が考えられるか︒
﹁普通銀行は尤︑便利なる金融機関なれども︑其組織たる資本の回収が頻繁なれば︑それだけ利益は多きなれ
ば之に対し商人と競争して適当の融通を得んとするは抑々無理なり︒﹂(九〇頁)
﹁勧業銀行は言ふに及ばず︑農工銀行とても十円︑二十円の小口の貸借の如きは︑費用︑手数のみ多くかかり︑
従って何の効能も無ければ︑其申込を辞するなるべく︑又成るべく大口の確なる方を先にすべし︒殊に全く抵
当に入るべき不動産を持たざる小作人の如きは︑資本の必要は決して地持農夫に劣らざるも︑此等の銀行より
金を借ること能はざるなり︒﹂(九〇頁)
こうして産業組合︑とりわけ信用組合の意義が重要となってくるのであるが︑その核心は奈辺にありや︑柳
柳田国男の信用組合論 63
田の説く所を箇条書きに改めて整理してみよう︒
ω﹁親密の交際及び其団結心﹂︒(九一頁)即ち︑﹁農工銀行等が債券の発行︑不動産の担保を以て要件とせる
が如く︑信用組合に於ては組合員の共同貯蓄︑郷党に於ける親密の交際及び其団結心を以て成立の要件と
す︒﹂(九一頁)
②﹁法人の人格﹂(九一頁)を付与したる点︒即ち﹁我国に於て昔より行はれし頼母子講︑積立講の如きも全
く之と同じ趣旨のものなれば︑信用組合は其根本に於て決して新しき制度には非ざれども︑唯之に法人の
人格を付与して財産の独立を保たしめ︑一二の組合員の失敗の為め全く共同計画が瓦解するの危険を防
ぎ︑同時に登記等の方法を以て外部との取引を円滑ならしあたるは︑新法律の力なり︒﹂(九一頁)
㈹資本の使用目的としては︑﹁生産業の資本即ち元手﹂としてのみ︑貸付対象とする点︒即ち﹁産業組合に
在りては︑設立の時よりして︑生産業の資本即ち元手としてに非ざれば︑貸さぬ借らぬと約束して始むる
ことなれば︑此の如き奪合を生ぜず︑役員は見込ある事業と見れば之に貸付け︑又算盤の持ち難きやうな
る計画ならば︑忠告して思ひ留らしむることもある﹂(九二頁)べしとする︒
傾組合加入者は無限責任を負うものとすることが望ましいこと︒さきにも記したように﹁産業組合の設立
は法人の誕生なり︒﹂(四五頁)とするが︑本法律の上では組合員の責任は︑無限責任︑有限貴任ならびに保
証責任の三者のうちのいずれかを選択しうるものとされた(法第条)が︑柳田は︑﹁連帯無限の責任を負担
する組合は︑能く其債権者を安心せしめ得るを以て︑交渉を円滑且つ容易に為し遂ぐることを得るの利益
あり︒加之組合員の結合心を堅固にし互に相愚り相助け︑若し獺惰不注意等に由り或は身を過またんとす
る者あるときは︑之を戒め之を励まして共同の目的に赴かしめんが為には︑無限責任の組織を採るに如く
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はなし︒﹂(一七頁)とする︒
㈲小地域に限定して︑信用組合は形成さるべきこと︒﹁他の種の産業組合には同一の制限︑無きに拘らず︑
信用組合のみは必ず其区域を定め︑〜市︑一町︑一村を出づべからずとせるなり︒﹂﹁朝夕其行動を審にす
ること能はざるものは︑之を組合員とせざるが原則なり︒是蓋し組合制の特色にして︑我国の如く︑数百
年の間︑養成せられて︑而も漸々廃弛せんとする郷党の結合心を回復し︑社会道徳の制裁によりて︑個人
の弱点を匡正し︑唯利的原動力の外に︑純粋の対人信用制を設けて︑以て国民の品性を上進せしめんとす
るものなり︒﹂(九三頁)
以上が︑柳田の﹃最新産業組合通解﹄(明治三五年)における信用組合の理解である︒﹁当今資本融通の途に乏
しく労働の困難にして利益の少なきこと農業を以て最甚しとするを以て﹂(=頁)農業への適用を最も強く訴
え︑その﹁同心協力﹂(一一頁)を説き︑﹁仲間一同︑互に励み合い戒め合ひ︑組合の円満に発達すること﹂(九一一.
頁)を願ったのである︒
三
明治四三年︑﹃時代と農政﹄なる書物に収載された二篇の講演︑﹁日本に於ける産業組合の思想﹂ならびに﹁報
徳社と信用組合との比較﹂についてやや詳しく見ることにしよう︒とくにここでの問題の焦点は︑報徳社の評
価にある︒なお︑柳田は︑報徳社の論評について次の様に記している︒﹁此書物の中で報徳社を批評した一篇は
報徳会の雑誌﹃斯民﹄の誌上で跡にも先にも殆ど唯}度烈しい攻撃反駁の的であったと云ふ珍しい履歴を有っ
て居ります︒それも相手が七十余齢の老学者岡田良一郎先生で無かったならば仮令口では何と言はれても長文
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を草する迄の面倒は見て下さ.bなかっなりうと思ひます︒﹂﹁先生の議論は﹃斯民﹄第編の第五号と第八号とに出て居りますから私が自分に都合の好い所ばかりを抜出したので無いことは容易に証明が出来ます︒﹂(﹃定本
柳田国男集﹄第一九巻︑五ー六頁)
さて︑柳田は︑二宮尊徳の報徳会を高く評価するが︑同時にそれを歴史の観点から批判する︒柳田は云う︒否て私は此事を論じて大いに反対を受けた事がありますが︑要するに報徳社の人から見ると現在の制度が完
全無欠であると言ふのですけれど︑歴史的に研究すれば批判の余地があります︒朱子の社倉法があの侭で日本
に輸入しにくかったのと同じく︑徳川時代の報徳社は明治四〇年代に応用し得るには多少の変更が必要である
かもしれませぬ︒併し報徳社は夫が元のままで現在の時勢に適応するや否やは別問題として・少なくとも其創立の時代には必要にして且つ十分なる制度であったのであります︒﹂(第一六巻︑一〇六頁)
すなわち︑柳田は︑徳川時代と明治四〇年代とでは違う︑と云う︒何がどう違うと見るのだろうか︒昔と今と︑どこが違うのか︒
﹁貧乏人の困窮窮乏と云ふ種類が丘田とは大いに違って来たのであります︒昔の貧乏と云へば放蕩其他自ら招いた貧乏か︑又は自分の家に現はれて来た蒔の大なる災害不幸の結果で稀に起ることでありましたが・現代
では此外に真面目に働きつつ尚少しつつ足りないと云ふ一種の不幸が現はれて来ました︒是は金銭経済時代似
特色であります︒昔から貧民は有るが︑今日の貧窮は自覚しつつ防ぐに術の無い苦しい窮乏であります︒﹂(一〇
八頁)
この認識の根本には︑金銭経済時代の到来という事がある︒金銭が︑或は資本が問題の中心になる︒﹁殊に農
業に於ては資本又は元手と云ふものは︑文字ばかりでなく其実質も亦近年まで無かったのです︒明治時代から
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と云へば少しく極端かも知れませぬが︑兎に角最近の産物であります︒早い話が特用農産物の栽培であります︒
吾々の目前に於て他人の為にする肇即ち工業原料等の栽培品の種類の殖えたのは著しいのであります︒現在
は養蚕専門の農業が出来て繭や糸を作るために南京米乃至は内地米を買って食って居る百姓がある︒自家用の
余剰を売ると云ふよりも寧ろ始めから他人の為市場の為に生産する農業が出来たのであります︒語を換へて言
へば農業が一の企業となり従って資本の問題となって来たのであります︒﹂(一〇九頁)
このように金銭経済の時代に入ることにより貧困の内実が変化し︑資本11元手のもつ意味が高まって来る︑
こうした背景の下で︑信用組合への新たな期待が生じてくる︒そしてそれは逆に言えば報徳社への批判となっ
てくる︒柳田が報徳社を批判する最大の論点は次の様なところである︒
﹁さて終に臨み私は報徳社に限らず徳川時代の社倉義倉其他の貸付融通機関の仕事と︑現在の信用組合の仕
事との間に;甚だ異なった点があるといふことを申して置かなければなりませぬ︒それは現在の経済組織に
於ては昔より資金需要の範囲が一般に大きくなったと云ふことであります︒古は報徳社などでは助貸と云ふも
のが貸付の殆と凡てであった︒人が困窮して居るから貸す︒寧ろ金が無ければ生活が出来ない位だかり貸すと
云ふ消極的防衛手段の貸付が主でありましたが︑現在は最早この助貸即ち消極的の貸付を以て唯一の目的と為
すべき時代は過ぎ去ったのであります︒﹂(一〇八頁)
このポイントは︑﹃最新産業組合通解﹄の序論で次のように示されている︒﹁二宮尊徳翁の創意に成れる所謂
報徳社の組織は・⁝産業組合と目的を同くせりと錐︑其起源は遠く維新の前に在りて︑管理の方法の如き或
は現今の状況に適応すること能はず⁝⁝﹂(﹃定本柳田国男集﹄第︑.八巻︑二頁)と︒
さて︑柳田は︑報徳社の仕組みの長所・短所を個々に詳しく検討する︒それを若干整理した形で以下に示し
柳田国男の信用組合論 67
てみよう︒
第一に︑報徳社の長所は次の通りである︒
ω本社と支社の関係︒今日の連合会の機能に相当するものを本社が果しており︑監督連絡︑保護育成に当
たる︒
②加入条件が緩やかであること︒産業組合の実態は﹁大概は中流以上の人達の集合であって︑最も組合の
必要を感ずべき下級の住民は殆ど少しも恩沢を受けて居らぬのです︒﹂(=七頁)
㈹目的が極めて広いこと︒産業組合は﹁其目的とする範囲が狭過ぎるが︑報徳社の方は組合の目的が極あ
て広いのであります︒﹂(二七頁)
ω資本を外部から仰がないこと︒即ち﹁自分の資本を積立てて後に事業を始めると云ふ主義であります︒﹂
(=八頁)
⑤積極的な教育効果のあること︒﹁積極的に道徳の進歩を促して居りますので︑其仕事は自然教育的の効果
が多いのであります︒﹂(=九頁)
第二に︑報徳社の特色ないし疑問点を挙げる︒
ω報徳社は金融のことを主としない︒﹁預金貸付の事を主とするには別に信用組合を設くれば善いので︑報
徳社は余力があったときに之を行ふのであるという原則である︒﹂(二九頁)
伽褒賞のために資金を支出する︒﹁力田精農の者を褒賞する為に資金を支出することを定款に規定するも
のが沢山にありますが︑是も郡奉行や代官の名を以て報徳役所を経営して居った時代には兎も角名誉の事
で従って奨励として有効でありましたらうが︑今では民情も違って少なくとも理想の公民は恵与を以て其
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善行勤勉を誘ふことは出来ぬ﹂︒(一二.一責)
㈹無利息貸付ということ︒しかし結局は礼金として利息を支払うのであれば︑それをハッキリ規定した方
が良い︒﹁報徳社の教義から申せば無利息貸付といふことも相当の事でありませう︒年賦の最後に報酬金と
か元恕金とか云って出す金は︑申さば本人が衷情から出さなくては居られないもので︑御礼をすると云ふ
趣旨でありますから︑報徳社の教義から云へば之を無利息と云ふことも出来ませう︒然しながら︑・⁝:報
酬と云っても矢張利子のことでありまして⁝⁝報徳社員も亦少なくも其半数以上の者は恐らくは此報酬金
を以て利子の別名だと心得て居るでありませう︒﹂(=一六頁)
第三に︑報徳社の短所を挙げる︒
ω貸付資金が潤沢でないこと︒﹁若し我々の解する如く︑二宮先生の当初の志は小民の経済の協力的自立に
在りとしますれば︑貸付金が潤沢でないと云ふ批評は是非しなければなりませぬ︒﹂(一二七頁)
②組織及び事務が非常に保守的且つ形式的であること︒
㈹教派の分立が激しいこと︒
以上が柳田による報徳社の理解であり批評である︒これを一言にして云うなら︑金融的側面での旧守性であ
り消極性の指摘である︒金融的機関として見た場合の報徳会の問題点を柳田に従って整理すれば次のようにな
る︒
ω規模が小さい︒﹁要するに報徳社事業の規模が何時迄も大きくならぬのは返す返すも歎はしいことであ
ります︒⁝⁝資金の豊富で無いことだけは確かであります︒⁝⁝而して所謂無利子貸付を旗幟として居る
間は︑報徳社自身の経済はどうしても発達しやうが無い:::︒﹂(一三四頁)
柳田国男の信用組合論 fig
②融資に積極的でない︒﹁報徳社の人は損をするのがつらくて貸出さずに預金にして置くのだらうと邪推
をせられても仕方が有るまいと思ひます︒﹂(一三四頁)﹁昔の報徳社は凶年の時の助貸を目的としましたが︑
今の報徳社は平年の資本需要の為に積極的に力を尽すを以て時に合へる事業としなければならぬといふこ
とを考へぬのであります︒﹂(一三五頁)
⑧資金収支計算がなされていない︒﹁そこで私の思ふのに︑報徳社と云ふものはまだ報徳社自身の分度を考
察して居らぬのです︒報徳社は立派な法人格を持っている人民であり︑而も自分の身分資力を測定する点
にかけては法人であるだけに我々の暮し向身代の込入って居るのから見れば遙かに分度を立て易いのであ
ります︒然るに其資産収入の中幾分を生活費とし幾分を貯蓄とし幾分を代用とすべきかの方針さへも立た
ぬのです︒﹂(一三五頁)
四
柳田国男の信用組合論が︑
う︒ 単なる技術論・組織論の域を超えたものであることがほぼ明らかになったと思
すなわち︑柳田の場合︑}方には﹁貧富﹂という問題への深い洞察がある︒﹁元来貧富と云ふ事は人間最大の
問題でありますが︑古人は大抵皆足ることを知れよとか分に安んぜよとか云ふやうな教訓を以て︑社会の秩序
を維持しようとして居りましたけれども︑この所謂知足安分の説なるものは細かに之を分析して見ますれば随
分残酷なるものでありまして︑若し今日の時勢で特権ある階級即ち金持とか貴族とかいふ人達が自ら之を貧乏
人に向って説いたとしますれば︑恐らくは社会主義と同様な反抗を招いたに違ひありません︒﹂(第一六巻︑一一
70 商 経 論 叢 第32巻 第4号
一頁)知足安分説へのこの批評は︑柳田の依って立つ立場を明らかにしている︒
同時に︑他方で柳田は︑﹁協同と自助﹂をもって指針とすべきことを説く︒﹁顛苦に際して︑他人の保護︑救
援を仰ぐよりも対等の人が相結び互に助けて之を凌ぎ行くが人間として遙に立派なることは土ハに言ふ迄も無き
ことにて︑協同と自助とは世に立ち事を行はんとするものの心掛としては常に勧誘すべきこと﹂(第二八巻︑四六
頁)とするのである︒﹃最新産業組合通解﹄の末尾は︑次の文章で閉じられている︒﹁世に小慈善家なる者ありて︑
屡々叫びて日く︑小民救済せざるべからずと︒予を以て見れば︑是甚しく彼等を侮蔑するの語なり︒予は乃ち
む 答へて日はんとす︒何ぞ彼らをして自ら済はしめざると︒自力︑進歩協同相助是︑実に産業組合の大主眼なり︒﹂
(第二八巻︑=二〇頁︑圏点は原文︒)
庶民金融研究に先駆的業績を果された森静朗教授は︑柳田の思想を次のように要約される︒コ方では農民を
人格と認めながら︑慈善的立場を排撃し︑自覚による自助︑自治︑土ハ助︑共栄の組合活動を提唱したが農村の
実体との矛盾は余りにも大きいものがあったように思われる︒資本を近代化の担い手として信用組合の中に取
り上げた最初の人と言えよう︒﹂(森静朗﹃庶民金融思想史体系1﹄︑日本経済評論社︑昭和五︑一年︑六〇六頁)
柳田において既に︑信用組合の﹁協同組織性﹂と﹁金融機関性﹂の二面が取り上げられているのを見た︒に
わかには両立しがたいこれら二面にこそ︑爾後における信用組合発展に関わる数々の難問が伏在していたので
ある︒(一九九六︑一)