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嶋 l ll

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ソウル芸術の殿堂 国際彫刻家展(註3) 井川憧売 2001

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玉木女子短期大学 図画=作 紙芝居(∫,〜⑲ 卒業制作展⑯ ⑫ ⑪のタイ トル 二きねんび‑ ドライブにつれて って ‑

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玉木女子短期大学 図画工作 デザインしよう⑬〜⑲ 色 日記⑳〜⑳

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玉木女子短期大学 図画工作 色日記⑳〜⑳ 下図⑳ ・⑳ 制作風景⑳ ・⑳ 朴会長の作品⑪

(5)

長 崎大学教育学部紀要 一人文 科学 ‑ N0.65,15‑30 (2002.6)

絵画の周辺、 そ して その最前線 Ⅲ

憧 亮

Pr oposs url apei nt ur ee ts ona va nt ‑ gar de Ⅲ Sei r yoI KAWA

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大学も動 き始めた

世 を挙 げて改革一辺倒 で あ る。 もちろん本学 もで あ る。 この よ うな事態 になったか らと いって も学 内の私の芸術活動 で は、何 の力 に もな らず、 む しろ独 り善が り的 な存在 に終始

してい るだ ろ う と思 う。何 よ りもその証拠 に、答 えの無 い、 つ ま り数字 で割 りきれ ない世 界が芸術 の活動で もあ るか らだ。 そ して芸術 が 自然科学 の世界 との学問競争環境 とは、 と て も及 ばないが故 に、 む しろその よ うな競争が あ る とすれ ばナ ンセ ンスだ と思 う。競争 よ りも、現 に学生 たちが喜 んで い る、 あ るいは喜 んで くれ る世界 に対 してその芸術 的感性 に 着 目す るこ との方が、本論 だか らだ。 そ うしなが ら、細々 と半 ばボ ランテ ィア として活動 して来 た。 これか らも格言 の ご とく、継続 は力 な りで しかな く、 これ まで通 り学生か ら学 び、共 に歩んで行 こう。

ところで、 アジ アの国 との国際交流 につ いて、 た とえ、個 人研 究室 レベルで も、私 は、

大学か ら何 が しかの手立 てが あって しか るべ きなの に、 それが無 い と前号 か に愚痴 を こぼ した。 ところが今年か ら国際交流等 に携 わって きた者 に も予算の割 り当てを し始 めたので、

大学が動 き出 した とい う実感が した。 それで先述 の手立 てな ど無 い と書 いた こ とに対 して 訂正 しな けれ ばな らない。 院生やゼ ミ生か ら 「これで これ までのゼ ミの先輩 たちが培 って

きた我が研究室 の17年間の苦労が報 われ ま したね」 と喜んで くれた。

動き出す ビジネス界 に新感覚

A新聞の地方版 で、̀̀ニーズをつか め なが さき旬 ビジネス事情 ''とい う見 出 しが 冒 に留 まった。 それ は、 ビジネスマ ンが言 う言葉 として、美術家が 日ごろ念仏 の ように唱 え てい る言葉 だ ったか らだ。 その例 として、地元か らの発信 として、花屋が従来通 りで は商 売が出来 ない。 ただ売 るだ けの花屋 か ら空間 を創設 しなが ら、 いや しの雰 囲気 を、客 たち へ新 たな空間 を演 出 (サ ー・ビス) し、 「モ ノを売 るので な く、 空間 を売 るのだ」 と、 つ ま り "空間" を売 り出 しに新 たな ビジネスへの展 開へ と動 き出 していた こ との紹介記事 だ っ た。

我 々芸術家が基礎 デ ッサ ンをす るに して も、 もっ と本格 的な芸術 の追究や その視野 の可 能性 を広 げ、 ギ ャラ リーの作 品展示演 出だ って、 まさに "空間" だ った。 これ を美術家等 の関係者が言 い出すな らまだ しも、商売人が言 い出 したのだか ら、 な るほ ど一般 的 に共感 を得 たのだ ろ うと笑 って しまったわけだ。 (註 1)

で は、我々美術家 の空間の追究 と同 じで あ ろ うか。 その違 いは、私の場合 あ くまで も非

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井 川 憧 亮

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営利 に徹 してい ることO そ して無料で一般 の方々に芸術 的場面 ・表現 として キャンバ ス上 に、 ギャラリーに ̀̀空間''を提供 し、新たな "空間''を問 うて来 た ことだ。従 って経済的 関心 ご とや集客力等 は念頭 にない。 あるのは空間創 出その ものに こだわって来 た こと。 そ して私 に とれば、 ファイ ンアー ト以外 なに もので もなかった ことだ。 そんな ところに大 き な違 いが見 出 され るだ ろ う。 ご幣 を恐れず に言 えば、一般の方々 はお金 になるものや時流 に乗 る何が しかの評価 を前提 (ベース) として価値基準が生 まれ、 その行動 を取 るが故 に、

花屋 さんの空間発想 の着想 に市民 は感動 して しまうのだ ろ う。 しか しなが ら空間 を売 るの でな く、美術家 は空間 を得 (う) る作業 にいそ しんでいるのだ。

それか ら音楽の場合 は入場券 を しっか りと取 ってい るが、美術展 の場合、私の ような発 表の場 は入場券 な どとは、 まずあ り得 ない。先述の通 り、無料奉仕 とい う立場である。

その上、私の立場 は、具体 的な当てが全 くな く、 どこに向か って表現活動 を してい るの か、 ただはっき りしてい ることは、 あるが ままの現状 を受 け入れ る毎 日だ. そ して己の感 性 に忠実 に訴 える表現 を求めて、あて どもな く、 しか し楽 しみなが ら作品発表 を している。

才能 は忍耐 と精進であ ると、時た ま独 り言 を吐 きなが ら現在 に至 ってい るし、 この ような 当て もない芸術 の追究 は、今後 もひたす ら続 くことだろう。 そ して、私 は、空間を得 (う) る者が空間を売 ることに興味 を示 さないのが、芸術家の道だ と思 っている。

芸術 とテロの落 し物

日常生活や、 あ るいは市報等 において も、芸術 よ りもスポーツの方が一段 と話題 になる ことが多い。義務教育の現場 において も美術 は主要科 目でな く、 どこか に置 き去 られ よう としてい る。 それ を目の当た りにす るればす るほ ど、美術が生 き残 って行 けるのだ ろ うか と、焦 りに似た感情が こみ上 げてきたのは、今 に始 まった ことではない。本学の公開講座、

あるいは私の研究室の作品発表 を通 して、生 き残 りの方法 として、いろいろ試みて きたが、

これだ と言 う決定打 はない。 けれ どもこの ように模索 してい る進行形が、大切 な財産 とな ってい くので はないか とい う気が して くる。 なぜ な ら、 この行為 こそが創造 につなが って いるか らだ。

しか しなが ら日常で は、小 ・中学校 の生徒 が図画 を描 いて家 に持 ち帰 る と、親 たちが下 手だ とか言 って、実際 は美術が どんな ものであるのか理解 もしないで、平気で作品に口出 しをす る。 ところが数学だ とこうはす るまい。つ ま り、感性的な世界 は口出 しLやすいが、

論理的な ものには一 目置 くようだ。 もっ と言 えば、数学 は専門性 ・高度性があ る とい うこ とを暗黙 の うちに了解 している。美術 は誰で もが、 とりあえず 口を挟 むが、 ここで は専門 性 ・高度性 な どと言 う配慮がない。 ただ、下手だ と言 って、 それで終 わ る。数学の場合 は 下手 とは言わないo頭がいい とか、悪い とか言 って、人間の能力 を計 る尺度や科 目に して いる節が ある。 これで は美術 は どこか に押 しや られて も不思議ではない し、 当た り前の出 来事 として片付 けられているのが現状だ ろう。

ところが、 そうで はない ことを一般生活 において も、主張 して行かねば、美術 と言 う言 葉 も消失 して行 くことになるだ ろ う。何 とかせ ねば と思 いつつ、新聞紙上 を見ていた ら興 味をそそるものが あ り、音楽家 と詩人の対談録 で、昨年9月11日の米 同時多発 テロ事件で

"暴力の前 に言葉 ・音楽 は無力か" とい う見 出 しに出会 った。 その終編 の ところで、 《作 家エ リ ・ヴイゼ‑ルは事件後、「1丁の機関銃 を持 ったテロ リス トは100人の詩人や哲学者

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絵画 の周辺、 そ して その最前線 Ⅲ

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よ り強 い」 と言 ってい ますが、暴力の前 に言葉 は無力 なので しょうか》の問 いに、詩人 は 次 の ように答 えていた。 《ヴイゼ ‑ルの言葉 は反語 だ と思 う。 なぜ な ら機 関銃 は、殺せ て も蘇 らせ る力 を持 たず、言葉 はつねに蘇 る力 を持 ちつづ けてい るか ら。私 は、複数 に よっ てかたちづ け られてい くのが本来 のアイデ ンテ ィティなのだ と考 えたい.21世紀の アイデ ンテ ィテ ィに とって最 も重要 なのは純粋 な一つ もので はな くて、混在 と複合 とい う、 ブル ー ラル(他者 のい る)アイデ ンテ ィテ ィの持 ち方 だ と思 う》 (《》 内は引用 ) (註 2)以上 ここで思 うのは、芸術 は何が しかの生 きる力 を絶 えず発信 し続 けて い るこ とだ。先程私 は 何 の当て もな くと書 いたが、 この よ うな文章 に出会 うと、 「まさ しく、 その通 り」 と同感 す る。

先 の新聞紙上 にあ るよ うな "いや し''とか ̀̀生 きる" とか "蘇 る力''とか についてで あ るが、私 自身 に とっては、作 り手で あるので 自身で措 いた り、飾 った りす る行為 の中で感 情 の広が りや楽 しさや充実感 を持 ちなが ら、心が空 っぽになって い くこ とが好 きなのだ。

それがた また ま、今流行 の ̀̀いや し''等 に直結 した に過 ぎない。特 に ̀̀空間" に して も、

キャンバ スで な く、 イ ンス タレーシ ョンの手法 に よって ギ ャラ リー全体 の "空間" その も のや、 また古 い もの に対 して も愛着 を持 ち表現 に関与 して きたか ら、私の作 品が今風 のイ

ンテ リアや都市景観的なあ り方 にまで接近 し、オーバー ラップ して来たのだ ろう。

私が彫刻家 !

この12月中旬 に "国際彫刻家展" (註3)に出品方々 (写真(丑〜④ )、 ソウルの芸術 の殿 堂 に出向いた。私が彫刻家 として認知 され ることが そ もそ も疑 問視 され る ところだが、 し か しこの国で は、重 い作 品 を作 ってお られ る石彫や金属彫刻家 らが、 はっ き りと私の作品 に対 して 「彫刻 空間 の新 たな提 唱 を して い る」 との こ とで あった し、 その上、 同展 の朴

( p ARKCha n ‑ Ka b )

会長 も 「井川作 品は、絵画 と彫刻 を結ぶ橋渡 しの ような存在」 と語 って くれた。 尚、本展 自作のイ ンス タレーシ ョンについては、最終項で述べ ることに しよう。

実 は、昨年 モ ラン美術館 で開催 された "ソウル国際彫刻展" (註4)に招待 出品 した時、

初 めての彫刻界か らの要請で あ り、不思議 な思 いで いたが、会場 で はイ ンスタ レーシ ョン の手法の海外か らの作家がいたので、 わ りとすんな り納得 した。実際、 これ までの経緯か ら見 て も分 か るように、美術界で は新 しいス タイルのジ ャンルが いろいろ と台頭 し、 それ らのジ ャンル分 けが、30年前 くら か ら分類 が難 し くなって きた こ ともあ り、現在で は一 括 して美術展 となってい る。 それ らを経験 ・承知 しなが らも、 おか しな話 だが私 は絵画 出 身だか ら絵画 に こだわ り、巷 で は20‑30年前 に 「絵画の終蕎」等が あ り、 そ して 「絵画 の 復権」等 とか とい う時流 もあった りして、実際の ところ皆混乱 ?し、憶測だが、 それで は

と、そんな思 いになった節 もあるのだ ろう。

いずれ に して も、 日本 において、 私 は確 か に彫刻 のジ ャンル他 と一緒 に作品発表 した経 緯 はあ るが、 (註5)彫刻の名 の付 く会か ら直接声がかか った ことは1度 もなか った。現代 美術 で は、絵画 と彫刻 とが接近 した こ とは言葉 の上で は知 って いたが、 この よ うな形 で、

彫刻界か ら、 しか も仏教像 ・漢字伝来 の国か ら招待 され るこ とが実 に珍 し く、悠久の歴史 観 と現在性 を感 じさせ、 それ ゆえ、美術 の最前線 を味わ うのだった。確 か に芸術界 も動 き 出 してい ることを、 よその国に出向いて初 めて実感 したのだ った。

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井 川 慢 亮

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美術教育 も動き出さない と

私 は教育学部 に勤 めて い る。 とはいって も、 これ まで の美術教育の立場 か らすれ ば、 私 は外野席 にい るよ うだ。 なぜ な ら本来 的な美術教育 はベ ーシ ックな土 台 としっか りとした 理念が あ り、 また効率 的で なけれ ばな らない とい う前提が あった よ うだ。 それ に引 き換 え て、私 自身 は美術 の教育 において、 も し理念 な どあ る とす るな ら、 どん どん壊 して行 くし か ない と思 ってい る し、 その手本 な ど分 らず にいた。学生 たちプレイヤーに応援席 か ら応 援 しなが ら、私 は どん な人 間の表現 で あれ、皆素晴 らしい もので あ り、楽 しい もので あ る

ことを伝 えて来 た。そ して美術 を授業で語 るには、 その人 自身の表現 を自由に任せ て来 た。

勤 めてか ら15年 を経過 した ところで、 院等の美術教育担 当者 が 「美術 の教科書 な どは現 代美術 を どん どん取 り入れて い るので、 これか らは現代美術 だ」 と教 えて くれた。 へ え と 思 った。一体 どんな現代美術 だ ろ うか。 きっ と市民権 を得 た現代美術 とは、 また して も権 威 が 出て信用 にな らないだ ろ うな と思 った し、 その上、 だか らと言 って、 院 ・美術科 にお

ける美術教育で私の仕事が注 目されたか といえば、何 に も !であ る。

ところで、私の実際の教育現場 で は、 "美術''と言 う名前 が消 え去 る日が近づ いてい る。

そ うあって はな らない。 その名前 の まま存続 す るに相応 し く直接 的 に成果が あが って い る 私 の大学 の授業実践 として、敢 えて 自負 して言 えば、例 えば玉木女子短期大学での幼児教 育学科での "図画工作''の授業 が あげ られ る。成果が あった とい う理 由の一つ は、彼女等 が美術系 とは縁 の遠 く、つ ま り彼 女 たちが一般 の人 として、美術 をす る歓 びを理解 して も

らってい るような状態で あ るか らだ。 そ こで彼女 たちが、保母 や幼稚 園の先生 になった時 のため、美術 を通 して、その身分 に適応 で きる基本 的な作業 を理解 して もらうこ とにあ る。

この授業 で は、直接 的な制作 のス ター トよ りも、 まず 自分 たちの身の回 りの認識 か ら美 術 の作業 を始 めて もらうように してい る。 これが本学 の美術専攻 生だ と、教員養成 と作家 養成 の狭 間 にあって、彼 らは都合 のいい時 に巧 み によ り分 けてい る。早 く言 えば、 コウモ リ的な存在 なのだ。 それで私の手法 は、高校 の先生方 とは随分違 った方法で あ り過 ぎ るら し く、私の言 うこ とは レベルが低 いのか !あ るいは高 いのか ?と、つ い思 って しま う。 上 級 生 くらいになって くる と、 「先生 の絵画教 育 は、美術 の専 門性 へ と飛躍 して い るんです ね。 それで裏 を返せ ば、人間が本来持 っていた美 的セ ンス とが、 美術 的技術論で な く、美 術 にお け る考 え方 ・展 開 の進 め方 としての専 門性 なんですね。 それ を理解 す るには時間が 必要 です。」と言 いなが ら、 同時 に この短大生 の作例 を見せ る と、 とて も感動 していた。

実 際、短大生 たちは、思 いの他 私の話 を聞 いて くれ る し、結果 的 に結構、美的 ・感覚 的 に皆 楽 し く取 り組 んで来 た し、 また心 の癒 しや発散 に もなった よ うで あ るか ら、誠 に不思 議 な思 いで あ り、 この よ うな結果 で あ るか ら、美術 す る こ との教授方法 は、案外 こんな と

ころに存在 してい るのだ。

やがて これ らの授業成果 を、例 えば図書館 等での講演 (註6)において も、 これ を応用 す る ととて も受 けが良 く、 それか ら地域文化活性化 のための、美術 ワー クシ ョップ (註7) の作業 に関 して も、 この短大 の "図画工作"等が土 台 ともなってい る。

本学 の美術教育 も、 こんな身近 な ところか ら動 き出 して、美術 に取 り組 んで行か ない と、

人々か らも忘れ去 られ、 また週休2日制 と共 に美術教育 は完全 に潰れて しまうだ ろ う。

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絵画 の周辺、 そ して その最前線 Ⅲ

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玉木短大の コミュニケー シ ョンアー ト

も とも とこの授業 内容 は、80年代始 め頃、4年 ぐらい勤 めた立教女学院 におけ る美術 の 授業で発案 (下記の 1‑ 3) した ものだ った。 その後、活水女子短期大学で 6年 あ ま り実 施 (下記 の 1‑ 4、5)し、続 いて玉木女子短大 で更 に、 よ り改良 ・進化 (下記の1‑ 8)

さ せ 現 在 に 至 り、 総 じ て20年 以 上 の キ ャ リ ア を 持 っ て い る 。

それで は、授業 内容実施方法 を具体 的 に述べ ることに しよう。

1 最初 に、色 につ いて考 え る。例 として 1つの色 を取 り上 げて見 る。 赤 とい う色 を机上 周辺か ら探 してみ る。 シ ャー プペ ンシルの色、携帯電話 の アクセサ リーの色、筆入れの カバ ー、手提 げサ ックの色等 々が並べ られ る。 ピンク色か ら朱色、紅色、紫、茶色様 々 で、 限 りな く赤 に近 い色で あ るけれ ども、 で は一体、 どれ を赤 と感 じ、決 め るので しょ

うね ?とい う問 いか けをす る。最終的 に気付 くこ とは、 自分が、私が、 その色 を感 じて 決定 す ることで ある。

2 次 に、色 は、置かれ る環境 に よって変化 す る実験 をす る。 ピンク色 の赤が緑色 の上 に 置かれ る と、 その色 よ りもよ り赤味が増 して くる。 ピンク色 の上 に置 けば 目立 たな くな

る。 この ような経験 か ら、色 は常 に生 きてい ることを感覚で知 る。

3 色 日記 の作成 をす る。 …朝起 きてか ら今 まで 目に留 まった品物 を20個 列記せ よ" とい うもの を記入 して もらうので、色 日記 の フォーマ ッ トを説 明 す る。 ノー ト 1ページ に、

左側 か ら品物名、 その右 隣 に色名、次 の欄 には、色名 に沿 って1‑ 2(cm)正方形 の色紙 を貼 る。 こうして出来 あが った もの を色 日記 と称 してい る。 これ を見れ ば 日常、意外 に も多 くの色 と按 してい る とい う感慨 を持つ。各人の色 日記 を幾分、分析 をす る。例 えば、

その色 目記 に緑色が ない方 には、 その人 のひ ょっ とす る とその人のセールスポイ ン トと な るか も、 あ るい は性格 の判断 も出来 る し、今 日 とい う日の コンデ ィシ ョン とも言 え る で しょう等 と伝 え る と反応が あ る。 どち らか とい うと当た る人が多 く、但 し、 ここで は な るだ け、 良 い よ うに解釈 を してあげ るこ とが、色 のイメージを持つための関心度 を高 め ることは、言 うまで もない。 (写真⑳ 〜⑳)

4 デザ イ ンを しよう。 ここで は、各 自好 きなシ ンボルマー クを措 いて も らう。花形 、星 型、ハ ー ト型、文字 のイニシ ャル等 な どのデザ イ ンが登場 す る。 シ ンボルマー クが 1つ 決定 した ら、 これ を F6サ イズの画用紙 に全 く同形 で20個 を画面 に鉛筆でマー ク し、配 置 して も らう。置 き方 ・バ ランスな ど各 自の 自由 とす る。鉛筆 でマー ク し配置 した同形 20個 を、左上か ら、 そ して左下へ と順番 に20個 の番号 を打 って もらう。続 いて、色 日記 の番号 とこのデザイ ン上 の番号 とを合致 させ、色 日記 の番号 にあ る色名 の色 を、つ ま り 同形 同色 の色紙 を貼 ってい く作業 とな る。 この時、予 め色紙 を敏 に した りして "マチエ ール" を作 って い き、 その用語 も実感 させ学 ばせ る。 (写真⑬〜⑲)

5 4が出来 あが る と、皆 いいデザイ ンが仕上が るので、 自然 に出来 あが ったデザイ ンを かわいい と言 うし、皆工夫 した もの と見 るか ら、 デザ イ ンをす る眼が少 しで も肥 えて く るこ とも確 かで あ る。例 えば、‑ ‑ ト型 の形 を選 んだ学生 は、 その中に 目の留 まった品 物 が歯 ブラシで あれ ば、 そのハー トの中 に小 さ く歯 ブラシの形 を入れ る といった具合 に 工夫 を して い る。皆で鑑賞会 をす る こ とで、一人一人の立場 を芸術 的観点 か ら批評 して あげる ことが大事 な点であ る。 もう彼女 たちは、 アーテ ィス ト気分 で あ る。

6 班別 に分 かれて、5を も とに してス トー リーを考 える。 これ は紙芝居 を作 らせ るわ け

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井 川 僅 亮 28

だが、最終的 に長 さ10mの大 きな ロール紙 (巾130cm)を使用 して、共 同制作‑ とつ な げ るた めの下絵 ともな る。 (写真⑳ ⑳) このスケールの共 同制作 の大 きさで責任 を持 っ て措 く時の人数 は、 またス トー リーの話 し合 いの場 を持つ時の人数 は、 1つの班 に約6

‑ 7

人が適 当な数で あ る。 デザ イ ン した絵 を物語 り化 す るのだか ら、各人が主役 となっ て い く。意外や意外や、世 に も素晴 ら しい紙芝居 が 出来 あが るのだ0 (写真⑤ 〜⑲ ) こ れ を発表 して もらうが、他 の グルー プに強 く関心 を持 ち、創造性 を理解す ることにな る。

7 6を も とに、大 きな長 い画用紙 に共 同制作 が始 まる。 10mの ロール紙 を見 て、 その大 きさに仰天す る彼女 たち。 で も下絵が あ るので、大 きな画面 を床一杯 に伸 ば して、画面 上 の剖振 りを し、 1コマ、 1コマづつ当た りをつ けて拡大下掃 きを して行 く。紙芝居 の コマ数 と同様、 ロール紙上 1人 1コマで6‑ 7コマ となる。水性用 の絵 の具 を使用 す る。

各班個性 が まち まちで、予想 以上の作 品が仕上が る。 ここで は中間発表会 もす るが、大 事 なのは仕上が ってか らの批評会 だ。 ここで、初 めて全員がや りあげた達成感 に達す る。

8 作品発表会 (卒業制作展 )へ。 (写真⑪⑫ )展示 には各班 の物語 の コメ ン トと制作者 名 をつ けたA4サイズのボー トを取 り付 ける。 あ とは鑑賞会で は、特 に附属幼稚園生 を呼 んで きて、作品前で語 りか けるように と、指示す る。

以上、 1‑ 8へ と進行等 を説明 したが、 この通 りに実施 して も必ず しも、 うま くい く とは限 らない。 けれ ども、誰で もが美術 す る歓 び に充実感 を持っ こ とは、確 かで あ る。

ここにはデザイ ンを強制的にす るのでな く、 自 らの うちに出会 いを見 出 し、 その出会 い の美 しきを知 らず知 らず獲得 してい くところに大 きな感動が あ る。 またお喋 りを しなが らで きる とい うの も魅力であ る。 これ を文字通 り、私 は コ ミュニケーシ ョンアー トと名 付 けてい る。

結 び =ニ ュー トラルな場 と空間遊泳

前述 した ようにソウル芸術 の殿堂での作品発表 したが、 その考察 について述べてみ ようO イ ンスタレーシ ョン とは、精神 的な ものを要求 され るか と思 えば、かな り感覚的で もあ り、

それ こそ気紛れで あ り、 いい加減 で もあ る。 これ を定義 して説 明がつ くものな ら、 こんな 作業 は しないだ ろ う。 丁度、画面上で格闘す るあの感覚 に似て はい るけれ ども、平面上 の ものは、作 品発表 において ギ ャラ リー空間 に強 く関与 しない。極端 に言 えば、作 品 それ 自 体 で独立 してい る存在 だ。 だか らイ ンス タ レーシ ョンは、作品 それ 自体 で独立せ ず、 それ よ りももっ と重層 的で身体 的 な動 きを有す る。 もっ と言 えば、建築 的 ・庭 園的 な組 み立 て に似 て、 そ こを散歩 す る、 あ るい は参加 す る営 みで あ る。 更 に言 えば、宇宙 的で、複 合 的 ・混在 的な空間設営の ような感覚 と言 った方がいいか もしれ ない.

ところで、 この美術館 の空間の作 りは、構造 的 に見 る と2階建 てであ るが、2階の途 中 か ら半分、 1階吹 き抜 け空間が一直線 に設 け らて い る。 つ ま り、2階か らも 1階が半分見 降 ろせ る空間作 りとなってい る。 (写真②)

私の作 品設営場所 は、 1階のほぼ中央 のやや入 り口寄 りで、 吹 き抜 け と l階天井 の狭 間 に与 え られた。 この与 え られた とい う表現 は微妙 なニ ュア ンスを含 んで い る。仁川空港か ら美術館 に到着 し、 この展示場 にた ど り着 いた、 た また まここに居 たに過 ぎない。 コ ミッ シ ョナーの総監督朴会長 が、 「そ こで もいいです よ。海外招待作家ですか ら好 きな場所 を 多 く使 って くだ さい と言 われた。天井 を見 ると、渦巻 き状 にす るには、低 い天井 の方が

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絵 画 の周辺、 そ して その最前線 Ⅲ

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セ ッテ ィング しやすい し、ふい と、 この場所 を決定 した。

何故か。 それ は、偶然 に も、1階の天井が2つの天井 を持 つ場所 に遭遇 したか らだ。天 井 を よ く見 る と、2階か ら見下 ろすの に少 しバ ル コニー的 に コの字 に出 っ張 りが交互 にあ り、つ ま り、天井が、 あ るようで ない ところだ ったか らで あ る。 この極 めてニ ュー トラル な場 を意識的 に活用 す るこ とに した、 その直感だった。

一般的 に見て、 この ような場所 に作家 は作品 を置 くの を出来 るだ け避 けるだ ろ う。案外、

彫刻作 品 はボ リュームをあ るので、 まだ その場 を保 つか もしれない。 ところが、実際 には 殆 どの彫刻作品 は壁 に依存 す るものが多 く、意外 な感 じが した。 この様 を見て、私 は、芸 術作 品 は背景 の壁 を どれだ け必要 としてい るか を思 いの他、知 らされた。つ ま り壁が ない ところに作品 を置 くとその存在感がか な り薄れて くるか らだ ろ う。芸術作品 は壁が あ るこ とで存在 を主張 し続 け、 そ して成立 して来 たので はないか と、改 めて思 った。

自作 の設営 は2点で、 まず、2階の コの字 の出 っ張 り (バ ル コニー的 な)天井 か ら、 同 じ高 さの天井 をった った 1階の天井 (何 れ も同面 で低 くなって い る)へ と、緩やか なカー ブを措 くように作 品 を吊 り下 げ るよ うに した。 もう一 つの作品 は、予 め決 め られて いた大 きさの規定 として、制作 していた小 さな渦巻 き状作品 を設営 した。実 は これ は意識 的 に小 さ くした もので あ るが、新 た な展 開 とな る作 品で あ るよ うな気 が して来 た。 (写真①④ ) 従来 だ と、作品 を小 さ くす る とい う抑制 された表現や気持 ちが な く、作 品が作 られ た等身 大 のスケールで、 その まま設営 していたか ら、 む しろ空間の広が りへ と拡大化 して行 く感 覚 だ った。 だか ら、作 品 を小 さ く見立て る行為 は、見 る者 自身が小 ガ リバ ーか ら大 ガ リバ ーになった よ うな感情 にな るような錯覚 になって しま う。 これ まで に、ず うと拡大化 した 作品発表が続 いていたので、視覚 的にその ように慣 れて きたいたであ ろ う。

こうしたニ ュー トラルな場所 にあって、 自作 の見 え方 は どうだ っただ ろ うか。彫刻作 品 群が押 しなべて黒 い ものが多 く、決 め られたボ リュームの範 囲で あ るので、個 々 の作 品 に 近寄 って初 めてかた ちが見 えて くる。 それで場所性 に よる空間 に関わ る問題 は意識 として は、見 えて こない。 これ に対 して、私のは、実 に開放 的な展示 とな り、 しか も色彩が あ る ので、朴会長 (朴作 品写真31)が言 われた ように 「全体 的な彫刻作品群 を引 き立 て る役割

も しなが ら、 絵画作 品 を彫刻 的空間へ と導 き、 よ り一層、作 品の存在 感 として全体 的 に、

ぱっ と目に飛 び込 んで見 える」 との ことだ った。

存在性 の主張 は、表現 にお ける大事 な要件 で あろ う。 自然界 において も野 の花 々たちや 昆虫たちの よ うに、 自然の錠 に従 いなが らも、 おそ ら く好 き好 んで選 んだので な く、 自然 の条件が整 った場 において、 あ るが ままに存在 し、生 き生 き とした風景 を繰 り広 げてい る。

それ らの環境 (場 ) ・色 の気遣 いに敬服 しなが ら、 それ にあやか りた く思 う。 そ して タン ポポの種子の ように吹 けばふわ りと風流 に従 う様 (さま) に も憧 れ る。

(12)

井 川 僅 亮 30

1 朝 日新聞 平成1415日付 註 2 朝 日新聞 平成1417日付

註 3 INm RNAnNALSCULPTORSEXHIBm ONforandtogetherwi ththeFRIENLYSCULFIt)RS METATSYMPOSIUMSWORLDⅥ DESEOULARTCENTER 2001.12.14‑12.23

註 4 "KoreanSculptureWorldwideSculpture"MORANMUSEUM OFART 2000.ll.4‑ll.26 前号 を 参照。

註 5 '80艶 姿華彩、'81様 ・式 な どで、絵 画、 彫刻 、鍛 金、 デザ イ ンな ど様 々 な専 攻 出身が いた。

註 6 演題 : "表現 す る講座 :美術 って どん なに楽 しいだ ろ う'' 講演者:筆者 於長与 町立図書館 2001.12.1.13:30‑

7 小浜 ワー クシ ョップで は、 '01'99'98の実践例があ る。資料等 については、本研究室 に保 管 している。

尚、 本論 の執 筆 にあた り、 国際彫 刻家展 に ご招待 して くだ さった朴会 長、 また玉木 女子 短期 大学幼児教育学科 「図画工作」受講生並 びに同大学 に感謝の意 を表 します。

参照

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