の改善事項を中心に
著者 中川 清
雑誌名 社会科学
巻 42
号 1
ページ 75‑98
発行年 2012‑05‑31
権利 同志社大学人文科学研究所
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012792
生活改善言説の特徴とその変容
─ 生活改善同盟会の改善事項を中心に ─
中 川 清
本稿の目的は,生活改善同盟会の改善事項の分析によって,1920 年代の生活改善言 説の特徴を明らかにすることである。結論として以下の 8 点が導かれる。①生活改善 言説は,無駄と節約,旧弊と合理,弛緩と緊張,日本と欧米などの二項対立構図で貫 かれている。②生活水準の向上ではなく,もっぱら生活様式の改善に傾注される。③ 生活改善の担い手は都市の「中流階級」を中心に想定されている。④衣食住それぞれ に多くの改善項目が列挙されるが,項目相互の関連や全体像は明らかではない。⑤し かし非整合的な項目の列挙は,「中流階級」以下の階層が項目内容を部分的に取り込む ことを可能にした。⑥住宅改善の言説は,論理性と階層性において,生活様式の西洋 化を主導する。⑦社交儀礼に関して羅列される膨大な改善項目は,細かな注意と禁止 の言説で占められ,生活改善の方向性を示せない。⑧生活改善言説には 1930 年前後か ら修正や変化の兆しが認められ,やがて生活改善中央会の「非常時局對應生活改善實 行要目」では明らかな変質を遂げる。
1 生活改善の背景と課題の設定
それまで繰り返されてきた生活が,そのまま肯定的に受け止められることができなく なり,改善されねばならない営みとして理解されるのは,どのような事情によるのだろ うか。その時々に営まれている生活が,批判の対象となり,改善の余地のある習慣とさ れるのは,どのような条件においてであろうか。それまでの生活を見直して,新たな生 活状態への移行が促されるのは,どのような関係によるのであろうか。生き方や働き方 をたえず見直し改善していく姿勢は,今日では,当たり前のように受け入れられている。
けれども 20 世紀初めの日本では,とりわけ私的な家族生活の領域において,生活改善と いう姿勢は必ずしも当然のものではなかった。
確かに 20 世紀に入ると,学校における教育,工場や会社さらには役所における労働な どの現場では,机や椅子による立式の振る舞いが中心となり,服装も洋服が多くなってい た。また学校や多くの職場では,時間管理が厳格化され,週休制も浸透していた。都市を
中心とした公衆衛生は大幅に改善され,公的な空間における立居振る舞いも以前とは異 なってきた。生活の広範な場面で近代化にともなう変化が根づき始めていたのである(以 上,中川 2000b:90−98)。しかしながら,私的な家族生活の領域においては事情が異な り,なお近代以前の営みや習慣が続いていた。そこでは「緊張を欠いた」「生活振り」と いう評価(生活改善同盟会 1928:89)が示すように,生活改善の姿勢そのものが,これ から身につけるべき課題として手つかずのままで残されていた。政策的に表現するなら,
私的な家族生活こそが,最後に残された戦略領域として浮かび上がったのである。
生活をめぐる以上の政策構図に,第一次世界大戦後には新たな社会状況が加わる。対外 的には戦勝国として列強の一角を占め,それに相応しい生活のあり方が意識される。ま た国内的には米騒動後の都市生活の統治という新たな課題が登場する。こうして私的な 家族生活は,期せずして同じ時期に内務省と文部省の訓令によって,政策的な戦略拠点 として位置づけられる。
1919 年 3 月には内務省の「民力涵養」に関する訓令が出され,そこでの「五大要綱」の 5 番目には「勤倹力行」と「生活ノ安定」が示された。現実には各地域が実情に合わせて
「実行要目」を作成し実行するものとされ,いわゆる民力涵養運動が展開された。私的生 活に最も関係する 5 番目については,例えば岩手県の場合,勤労,貯蓄奨励,時間励行,
体格向上,能率増進,衣食住改善などの「要目」が挙げられ(岩本 2008:287−8),都市 部を含む愛知県などでも「勤倹奨励運動」があたかも年中行事のように実施された(愛 知県社会課 1925)。
一方 1919 年 7 月から 8 月にかけて,文部省は食習慣の改善や節約一般などの生活改善 に関する 3 つの訓令を続けて発令した。これに先立ち 19 年 6 月に文部省の普通学務局に,
通俗教育(後の社会教育)を管轄する第四課が設置され,初代課長には乗杉嘉壽が着任 した。三訓令をきっかけに生活改善運動が推進されるが,その所轄課が第四課であった。
運動の皮切りは,1919 〜 20 年の東京教育博物館(当時の館長は棚橋源太郎)での生活改 善展覧会であった。そして展覧会盛況の勢いを借りて,その開催期間中に生活改善同盟 会が結成されるのである。なお乗杉と棚橋は,初期の同盟会活動を担うキーパーソンで あった。
ほぼ同時期の内務省の民力涵養運動と文部省の生活改善運動を比較すると,いくつか の相違が認められる。前者は,地方改良運動からの流れを受け継いでおり,農村地域を中 心とした活動であるため,地域社会の各種組織との連携が強固で,私的生活の内部に直接 働きかけることは比較的少なかった。それに対して後者は,社会教育という新たな活動領
域への参入であり,当初は東京中心の活動から始まり,都市部の「中流階級」さらには 新中間層の家族生活への直接的な働きかけを意図した。なお 1930 年頃からは,後者でも 農村が焦点化されるにともなって(久井 2004),両者の以上のような対比は困難となる。
本稿の課題は,生活改善同盟会の活動,とくに衣食住や社交儀礼などに関する改善事 項の検討によって,1920 年代の生活改善をめぐる言説の特徴を明らかにすることである。
まず 20 年代の改善言説に議論を絞るのは,新たな都市生活を基盤として冒頭に示したよ うな関心が最も鮮明に表されているからである。その上で紙幅の許す範囲で,当初の改 善言説がどのように変容するのかも考えてみたい。生活改善同盟会の改善事項をとりあ げるのは,改善すべき事柄が生活の細部にわたり具体的かつ明瞭に記述され,しかも幅 広い私的生活の全分野に及んでいるためである。改善事項の検討に入る前に,関連する 先行研究と生活改善同盟会について最小限の確認をしておきたい。
先行研究として,まず挙げられるのは中嶌邦の研究である(中嶌 1974)。中嶌は,第一 次世界大戦後の状況において生活改善運動の意義を改めて検証するとともに,運動と「都 市中間層」の現実との「ギャップ」を指摘した。その後 1990 年代に入ると,内田清蔵や 磯野さとみの研究が登場し,小山静子はジェンダー編成の視点から「生活改善問題」を論 じた(小山 1999)。本稿との直接的な関連では,2000 年代における 2 つの研究成果が注 目される。1 つは,久井英輔による生活改善同盟会の組織活動の精力的な掘り起し作業で ある。もう 1 つは,磯野さとみが 1990 年代からの生活改善同盟会に関する作業を集大成 した業績である(磯野 2010)。本稿の改善事項の言説分析は,これらの研究によって輪郭 が明らかになった生活改善同盟会の組織と事業活動を踏まえた作業である。なお,同盟 会活動とほぼ軌を一にして開始され独自の運命を辿った森本厚吉の「生活文化運動」に ついては,さしあたり(原田 1982)と(寺出 1994)を参照されたい。
さて生活改善同盟会は,1920 年に文部省の外郭団体として発足して活動を開始し,22 年に財団法人として認可され,1933 年には生活改善中央会に改編されて,1943 年に活動 を休止した。財団法人としての「生活改善同盟会寄付行為」の第 1 条では,その目的が
「社会民衆を教育し国民生活の改善向上を期する」とされ,第 2 条では,5 つの事業の第 1 番目に「衣食住社交儀礼等の改善に関する調査」が挙げられている(磯野 2010:63)。
実際 1920 年代前半には同盟会の下で住宅,服装,社交儀礼,食事などの調査委員会が設 けられ,それぞれ具体的な改善事項が決定されて,それらの事項を啓蒙し普及する活動 が展開された。同盟会活動とくに初期の活動にとっては,生活改善に関する調査にもと づいて改善事項の内容を決定することが最も重要な事業であった。以下,改善事項につ
いて具体的に検討していきたい。
2 生活改善同盟会の衣食住に関する改善事項
2.1 改善事項の経緯と概観
生活改善同盟会の発足にともなって「衣食住社交儀礼等の改善に関する調査」が精力的 に展開され,1920 年から 21 年にかけて住宅,服装,そして社交儀礼の調査委員会による 暫定的な方針や最終決定に近い改善事項がそれぞれ出版され,それら 3 つを「一括」して 1921 年には『生活改善調査決定事項』が刊行された。そして 1923 年の『生活改善調査決 定事項』では,新たに食事に関する方針が加わり,翌 24 年には初めて振り仮名をつけた 一般向けの『生活改善の栞』が刊行される。この『生活改善の栞』は,社交儀礼,服装,
食事,旅館其他(旅館,暦及び年中行事の統一,雛祭),一般生活振りの改善という 5 つ から構成され,住居を除いた私的生活の改善が提起される。
同じく 1924 年には相前後して『住宅家具の改善』が刊行されるが,それは 200 頁に達 し,『生活改善の栞』の 2 倍を超える頁数であった。佐野利器(東京帝国大学教授)を委 員長とする住宅改善に関する調査委員会の活動は,むしろ調査が先行し充実していたた めに,この時点で『住宅家具の改善』が独立して刊行されたと考えられる。その後 1928 年に『改訂生活改善の栞』が刊行され,そこでは住宅の改善も含まれて,私的生活の全分 野がカバーされる。生活改善同盟会が改善事項を簡潔にまとめた啓蒙的な冊子は,1930 年に『農村生活改善指針』が刊行されるものの,都市の生活を対象としたものとしては,
これが最後となる。本稿では,主として 1928 年の『改訂生活改善の栞』によって,都市 生活に関する改善事項の特徴を,それ以前の改善事項との異同にも注意を払いながら検 討したい。
個別の生活分野の検討に入る前に,全分野の概括ともいうべき「一般生活振りの改善」
を見ておきたい。そこでは 4 つの改善項目が挙げられる。1 つ目は「生活を規則正しくし て時間の活用に力むること」で,ここでは,日本の現状に対する「生活振りが甚だ不規 則で,且つ緊張を缺いて居る」という認識が前提とされている。ちなみに「生活振りを 一層緊張」させて「無駄を省き」,生活を「合理的」にして「活動能率を増進」すること は,生活改善同盟会の「設立の趣旨」の要点でもあった。日常生活を弛緩から緊張へと 転換することによって,活動能率を高め,時間を「有効に活用する事」ができるとされ たのである。
2 つ目は「生活は簡易を旨とし人手を借らぬやうにすること」で,女中などの使用人の
「人手を浪費して生産能率を減じ」ることなく,なるべく「自ら手を下し労作する」こと が「簡易」という言葉に込められている。都市の自営業層や新中間層上層以上の「中流 階級」では,当時,多くの世帯で使用人を抱えており,主婦の主な役割は直接手を下す ことではなく,使用人への間接的な指示にとどまっていたからである。世帯を形成して 間もない新中間層一般が女中を置くことは困難であり,この項目からは,生活改善言説 が相当高い地位の階層を想定していたことがうかがえる。
3 つ目は「生活は合理的にし迷信に囚はれぬ様にすること」で,「日の吉凶や方位の善 悪等」の「迷信」や「悪弊」の打破が「国民の活動能率」の向上に直結するとされる。4 つ目は「一切の無駄冗費を省き生活の安定を期すること」で,生活の無駄を省き,節約 によって貯蓄し,老後生活などの安定が目指される。(以上,生活改善同盟会 1928:89−
92)
4 つの項目のうち初めの 3 つは,弛緩,複雑,迷信という現状を克服して,緊張,簡 易,合理という生活に改善することが,それぞれ明瞭な二項対立構図で主張されている。
そして生活改善によって目指されるのは,いずれの場合も,活動さらには生産の能率増 進であった。克服すべき現状が指摘され,改善の方向が示され,能率増進が目指される という文脈は,生活改善同盟会の改善事項全体に共通する特徴でもある。当時の生活改 善運動にあっては,弛緩や複雑さを肯定的に受け止める余地はほとんど閉ざされていた。
最後の項目も,戦前の生活改善運動の特徴を示している。無駄を克服し節約によって 貯蓄を達成して生活の安定を目指すという 4 つ目は,生活の安定が節約と貯蓄(勤倹貯 蓄)によるという前近代からの文脈を引き継いでおり,生活水準そのものの向上を図るこ とは当初から想定されていなかった。同盟会以上に生活の「世界化」や「世界標準」を 主張した森本厚吉でさえ,生活問題の最善の解決策は「収入を増加すること」であるが,
現状では不可能として,次善の実行可能な方法を次のように述べている。「収入を活かし て使う」,「収入を今少し力あるやうに能率あるやうに使う」,「平たく・・・云ふならば 吾々の生活を改善することであります。」(森本 1971:166)森本にとっては,生活改善そ のものが次善の策とされていたのであるが,生活改善同盟会の改善事項では,生活水準 や程度の向上には言及されなくなり,もっぱら「生活様式」あるいは「生活振り」への 関心が示されることになる。生活改善は様式や方法の問題となり,限られたわずかな幅 でのやり繰りに運動の成否が託される。この点では,生活水準の上昇を所与とした高度 成長期の生活言説との差異が際立っている。
「一般生活振りの改善」では,活動の場を都市に置くという記述は見当たらないが,2 つ目に関して述べたように,運動の担い手として想定されていた社会階層が浮かび上が る。使用人の存在が当然視されることや,4 つ目に挙げられる「有価証券」や各種「保険」
などの貯蓄,「余裕のある人」による社会事業への寄付などは,中核的な担い手とされる
「中流階級」が,官公吏,教員,会社員などの新中間層の平均よりは高い所得や地位の階 層であったことをうかがわせる。改善事項でしばしば使われる「中流階級」(時に「中産 階級」)は,森本のいう「中流階級」(森本 1921)や「知識階級」(森本 1924)と共振し ており,実態的な新中間層とも重なりながら,その上方に分布していたと考えられる。
2.2 住宅改善の言説−立式・家族本位・安全−
住宅に関する改善事項は,早くから内容が固められていた。事実,1921 年の『生活改 善調査決定事項』の「住宅改善の方針」と,1928 年の『改訂生活改善の栞』における住 宅の改善事項とは,若干の表現の相違を除くと,全項目にわたって同一の内容であった。
加えて,文部省が主催した第 1 回社会教育講習会の『生活改善講演集 第壹輯』(1921 年)
の巻頭には,住宅改善に関する調査委員会の委員長を務める佐野利器の講演が収められ,
独立して刊行された 1924 年の『住宅家具の改善』では,21 年の「住宅改善の方針」が再 録されたうえで,住宅の構造・間取や設備,庭園,家具,都市の共同住宅や郊外環境につ いて細部にわたる改善が示される。各分野にわたる生活改善のなかで,最も明快で,拡 がりのある方針を指し示していたのは,住宅の改善事項であった。
『改訂生活改善の栞』では,6 つの改善項目が示されるが,住宅の基本部分に関わる最 初の 3 つは以下のとおりである(生活改善同盟会 1928:62−65)。
1)住宅は漸次椅子式に改めたい。
2)住宅の間取設備は在来の接客本位を家族本位に改めること。
3)住宅の構造及び設備は虚飾を避け衛生及び防災等實用に重きを置くこと。
ここでも,座式と椅子式(立式),接客本位と家族本位,虚飾と衛生・実用が二項対立 の形で描かれた上で,椅子式によって能率増進が,家族本位によって生活上の「愉快」が 可能になるとされる。
1 番目の椅子式は,「今日世界通有の生活法」で,日本だけが座式を放置しておくこと は最早許されない,という切迫した認識において主張されている(生活改善同盟会 1928:
62)。上記の講演では佐野利器も次のように述べている。「速やかに坐る生活を廢して立つ 生活に入りて以て退嬰的な生活から脱して,さうして立つ生活の潑剌たる氣分に入つて,
生活の能率を增進したいのであります。」(文部省普通学務局 1921a:7)「立つ生活」こそ が心身の活動を「自由」にして能率を増進するというのである。しかも,家庭以外の学 校や多くの職場ではすでに立式が普及しており,そのため余儀なくされる座式と立式の
「二重生活」は,一刻も早く克服するべきであるとされる。
座式から立式への移行は,身体の所作にかかわる変更であり,家具などの設えはもとよ り,服装の様式や食事の仕方,さらには宴会の設備にまで影響を及ぼすことになる。まず 家具については,『住宅家具の改善』において,食事室でのテーブルを含め,居間や客間 の「共用室の家具は椅子式にしたい」と明言され(生活改善同盟会 1924b:82−83),具 体的な家具やその配置が図示される。また「専用室」における「寝間の分離」の実現と,
そこへの寝台の導入にも言及される(同前書:55−56)。服装については,後述するよう に洋服の導入が促される。食事の改善項目には,もっぱら衛生上の観点から「食品を直 接床の上に置く風を改め食事は食卓の上に於てすること」が挙げられ,椅子式が望まし いものの畳敷きの場合は「飯臺」(卓袱台)でもやむを得ないとされる(生活改善同盟会 1928:60−61)。最後に宴会については,改善事項の最初に「宴会の設備は成るべく椅子 卓子式に依ること」とされ,衛生にとどまらない「弊害」の除去が指摘される(同前書:
12)。
2 番目の家族本位の主張は,広い意味では虚飾から実用への文脈に位置づけられるが,
独特の響きを有していた。「家族の日常生活を愉快ならし」め,「眞に意義ある生活」を 営むには,客間や玄関を重視する「従来の通弊」を改め,居間,食事室,寝間の充実を 図るべきであるとされる(生活改善同盟会 1928:63−64)。そして,居間については次の ように述べられている。「居間の設備は質素と高尚を旨とし且つ家族團欒の目的を達する 為め出来るだけ愉快な装飾を施し,主として主婦の好みによつて作られるべきでありま す。」(生活改善同盟会 1924b:160)家族本位という限られた視点からではあるが,生活 改善運動において,節約や能率とは異なる「愉快」という個人の選好に関わる価値基準 が導かれたのは注目に値する。
「愉快」という表現は使われないものの,家族本位の視点は随所に見出すことができる。
住宅改善の項目の 4 番目では,「庭園は在来の観賞本位に偏せず」実用を重視して,「家 族本位に設備すること」と述べられ(生活改善同盟会 1928:65),食事の改善項目では,
「主人本位に偏せず家族全體に適する料理法を奨勵する」とされ,「婦人が粗食に甘んじ ることを美風と心得てゐた䡰慣習」を打破することが付言されている(同前書:54)。加 えて,宴会に関する改善事項では,「出来るだけ夫人其他相當年齢の家族をも併せ招待し
或いは同伴すること」とされ(同前書:13),雛祭の改善については,大人向きではなく
「女兒本位の楽しい人形祭日とすること」と述べられている(同前書:74)。
このような幅広い生活分野での改善が,「愉快」に結実するのかどうかは明示されてい ないし,生活改善言説の主調音になりえなかったことも確かであるが,無視できない響き を放ち続けていたことも否定できない。生活改善同盟会の提示する多岐にわたる改善項 目が,部分的にではあれ取り入れられるとすれば,その動機は,節約や能率というより,
「家庭生活を愉快に」という気分に近かったからである。
3 番目では,「一切の虚飾を避けて」「住宅に必要な防寒防暑の用意,耐震耐火及び盗難 に對する防備並びに保健衛生に對する構造設備等實用的方面」を重視することが主張さ れる(生活改善同盟会 1928:64−65)。この点は,先の佐野の講演では「保安」と「衛 生」に該当するが,前者に関して「住居は家庭の外廓である,其保護體である,之を破壊 しやうとする所の外力卽破壊的外力に對して安全でなければならぬ」と(文部省普通学務 局 1921a:22),住宅が家族にとって,外部に対して閉じられた「堅牢」で「安全」な構 造設備であることを指摘している。また棚橋源太郎も同じ講習会において,「留守番のい らぬ家屋を造る」と切り出し,「家の構造を改良して女もモッと外へ行つて活動する事の 出来るやうに」と述べている(文部省普通学務局 1921b:129)。垣根を高くせず「庭園は 成るべく開放的に」という記述もみられ,閉じられた私的な居住空間を確保した上での,
活動や開放性,いわば外部との関係性にも言及されていた。
2.3 住宅改善言説の位置と意義
そもそも住宅は,頻繁な改変に適さない基本的なストックである。住宅改善の実現に は,時間においても,費用においても,衣食の改善と比べものにならないほど大きな困 難がともなう。立式への所作の変更は,椅子の導入だけで実現されるわけではない。構 造設備家具の改変は,節約とは正反対の支出を余儀なくするであろう。にもかかわらず,
切迫した認識にもとづいて,最も明快な主張を重ねたのが住居に関する改善事項であっ た。しかも,立式や家族本位の主張は,他の生活分野とも関連し,それらの改善項目に 少なからず影響を及ぼした。以上の意味で,住宅改善言説は,生活改善同盟会の改善事 項の中でも西洋化を主導する位置にあったといえよう。とはいえ後述するように,住宅 改善の西洋化は,上流階級の洋館のような欧化主義とは区別され,構造の面でも振舞の 面でも「中流階級」の身の丈に合った様式の西洋化であった。
同時に住宅というストックは,階層性の顕著な表現でもあり,住宅改善言説は,同盟
会運動の階層的な位置を鮮明に表すことになる。「中流住宅」という用語を頻繁に使って いる『住宅家具の改善』の記述をみてみよう。共用室の「床に疊を敷くことは廢し度い」
とされながらも,床に土足で入るのではなく,「足袋」や「スリッパ」を使用することを 推奨している(生活改善同盟会 1924b:83)。「中流住宅」が,明治期からの上流階級のい わゆる洋館とは区別されていることは明らかである。一方で,提示されるどの設計実例
(「小住宅」を含め)も,5 室以上で女中部屋を備えており(生活改善同盟会 1924b:91−
105),当時の月給生活者である新中間層の平均部屋数を 2 室程度上回り,女中を抱えず 家賃を支払う新中間層一般の生活様式とも乖離していた。加えて写真版で示される洋式 の家具調度類の立派さは,新中間層の手に届くものではなかった。
したがって住宅改善が目指していた「中流住宅」の階層的位置は,上流階級と新中間層 一般の間にあったと考えられる。「中流住宅」の表す階層的位置と「中流階級」とが等し いとすれば,同盟会運動の担い手を新中間層と特定するには無理がある。新中間層一般は
「中流階級」に引き上げるべき対象ではあっても,速やかに住宅改善を受け入れ実現でき る担い手ではなかったからである。しかも,「俸給生活者の九分通りは借家住ひ」という 状況(棚橋 1927:52)にもかかわらず,借家を意識した記述は皆無であり,ほとんど持 家層を前提とした住宅改善にとどまっていた。生活改善同盟会運動の担い手の拡がりを 困難にした理由の 1 つでもある。
ところで立式,家族本位,堅牢で安全という住宅改善項目は,それぞれ一定の論理を もっていた。すなわち,最大の関心事である立式は,世界標準であり,活動を自由にし て能率を増進する。家族本位は,「一家團欒」の関係や機能を重視して(文部省普通学務 局 1921a:12),生活の享受に関わる視点を導入する。構造・設備に関わる堅牢で安全は,
科学的な実用に即して私的空間の独立性の確保を目指す。これらの配列の順序は,改善可 能なソフトからハードウエアへと並べられていると考えられなくもない。けれども,立式 は家族本位でなくとも可能で,家族本位も構造・設備の改善を必要条件とはしない。そ れぞれの相互関連と,さらには住宅改善の全項目によって描かれる全体像は明らかでは ない。この点は,同盟会のすべての改善事項に関わる問題でもあるが,住宅改善の場合 は一定の論理を備えていたため,各項目間の整合性がより鋭く問われたのである。
先に述べた生活様式の西洋化を図るという住宅改善言説の主導性と,言説の階層的位 置を踏まえると,強引に関連づければ逆に次のようにまとめられるかもしれない。すなわ ち,「中流階級」が営むべき家族生活の実用的な居住条件を整えることによって,私的生 活の享受や「愉快」を封じることなく,所作の変更や「溌溂とした」活動を可能にして能
率の増進を図る,と。けれども個々の改善項目は,多くの人々にとって,日本の旧弊と対 比した西洋化のポイントが箇条書きで並べられている,と受け止められるほかなかった。
実際,新中間層の多くは,改善項目の中の実現可能な内容のごく一部を,部分的に取り 込むことができるにすぎなかった。それらは例えば,ガラス戸の導入であり,畳に卓袱 台か和式長机を設えた情景として現実化した。項目相互の関連や全体像は,新中間層は もとより同盟会にとっても意識されることはなかった。箇条書きの提示とその部分的な 取り込みという構図にこそ,住宅を始めとする改善言説の現実的な意義が認められるべ きなのかもしれない。
いずれにしても住宅改善は,当時の新中間層を中心とした生活実態を踏まえると,そ の項目内容の多くが実現可能性の低いもので占められていた。これに対して服装改善は,
当時の男女や子供の服装の実態にもとづいて,具体的に実行可能な改善を提示するとい う,住宅改善とは少し異なった特徴を帯びていた。
2.4 服装改善の言説−洋服導入の姿勢−
『生活改善調査決定事項』の「服装の改善」は厳しい調子の和服非難から始められる。
すなわち,「在來の和服は事務服としても,將た勞働服としても甚だ不便なばかりでなく,
一般に自由の活動を妨げ」,したがって「和服は畢竟寢衣とし,又は閑居休養の衣服とし て」価値あるに過ぎず,「斯様な服装が長く今日まで我が國に行はれて居たことは,(中 略)實に世界の一大奇蹟と謂はなければなりません。」と切り出される(生活改善同盟会 1921:9)。その後の『生活改善の栞』では,改善項目が具体化され精緻化されるが,一方 で和服の強い批判は影をひそめ,服装改善は,世界の「激しい生存競争」に対応する「生 活様式の改善」の一環として展開される(生活改善同盟会 1924a:43−44)。ここでは,改 善項目が一層整備された『改訂生活改善の栞』によって,服装の改善内容を検討したい。
服装全般については最初に,衛生,動作(「活動の自由」),経済,美観,簡単という衣 服の目的に合った様式として,「洋服が最も現代人の生活に適して居る」と結論づけられ る(生活改善同盟会 1928:32−33)。その上で,和服の部分的改良や工夫について 7 項目 にわたって述べられるが,それらは洋服への「過渡期」における調整という位置づけに とどまっていた。なお『生活改善の栞』では,服装全般に関する改善事項の最後に,和 服の場合も含め「成るべく靴を使用するやうにしたい」という項目があったが(生活改 善同盟会 1924a:51),1928 年の改訂版では削除されている。
つづいて男子服,婦人服,子供服に関する改善事項が,それぞれの実態を考慮した上で
述べられる。まず男子服については,「漸次洋服に改め和服は成るべく自宅用に止める」
とされ,「和服使用の範囲をできるだけ制限」して洋服の導入が図られる。また男子礼服 についても「中産階級以下」を念頭に「簡便の國民禮服」について細かに言及されていた
(以上,生活改善同盟会 1928:36−38)。婦人服については,「通常服事務服及作業服は 成るべく早く洋式に改めたい」と述べられ,男性よりは緩やかな洋服の導入が図られる。
女性の場合は,「完全なる安全下ばき様のものを用ひたい」という項目が加えられ,下着 の着用が推奨されているが,衣服全体と身体感覚の関係は明らかでない(以上,同前書:
39−40)。
最後に子供服については,「成るべく速に洋服式に改めたい」と,洋服の積極的な導入 が主張され,男女に分けた洋服例が詳細に図示される(生活改善同盟会 1928:40 以下)。
ちなみに京都市学校歴史博物館には,開智尋常学校の卒業生集合写真がいくつか展示さ れている。それによると,1921 年の女子 44 名全員が和服,同じく男子 47 名中 21 名が洋 服であった。1937 年になると女子組 53 名全員が洋服,1944 年の男子組 50 名全員も洋服 となっており,卒業写真からではあるが,この間の子供服の変貌が認められる。
以上のように服装改善の言説は,和服批判の強弱や若干の変更(靴の使用など)が認め られるものの,洋服の導入という首尾一貫した主張に貫かれていた。しかもその主張は,
男性,女性,子供の服装の実態を踏まえて,それぞれ実行可能な内容に調整されていた。
その際の洋服導入の根拠は,和服と比べて「活動の自由」が,子供の場合には「運動の自 由」が確保されることであり,さらに「着るにも作るにも」「簡便」であり,かつ経済的 であることであった。なお,洋服の導入が他の生活分野やマクロの能率増進とどのよう に関連するかの言及がほとんどなされていないことも,服装改善の言説の特徴であった。
ところで,現実に洋服を着用することができる社会階層は,ストックである住宅改善以 上の拡がりを想定することができる。洋服の導入は,「中流階級」に限定されない新中間 層などにも及び,幅広い社会階層に受け入れられることが可能であった。しかしながら,
洋服の受容を直ちに同盟会運動の担い手の拡大と理解することは困難であり,一歩譲っ ても,洋服の受容が生活改善という文脈での受容であったかどうかも大いに疑問であっ た。
2.5 食事改善の言説−改善項目の羅列−
「食事の改善」は,他の分野の改善事項から遅れて最後にまとめられた。『生活改善の 栞』では 21 項目が挙げられ,4 年後の改訂版では,3 項目が削除されて新たに 1 項目が
加えられ,計 19 項目となっているが,改善内容や項目の順序には大きな変更は認められ ない。したがってここでも,『改訂生活改善の栞』にもとづいて検討したい。食事改善の 言説の特徴は,総論に当たる前文が 2 行だけで皆無であること,改善項目が 19 項目に及 び多岐にわたっていること,の 2 点にまとめられる。
まず前文では,食事に関する改善事項は少なくないが「先づ以て衛生經濟作法等の見地 から」「改善実行」を期すると述べられ(生活改善同盟会 1928:44),直ちに改善項目が 列挙される。けれども正直にいって,19 項目の配列の論理的な展開を読み解くことは困 難である。あえていえば導入の,「食物に關する知識の向上に努むること」という抽象的 な第一項目から,廉価で「榮養価値」に富む食品を選ぶという第三項目までは,栄養に関 する科学的知識の必要性を説いているともいえる(同前書:44−47)。けれども栄養の視 点は,前文の 3 つの「見地」には含まれておらず,この点でも齟齬を感じざるを得ない。
食事改善に関する 19 の項目は,栄養,衛生,節約,作法の視点を織り交ぜながら,コ メの代用や節酒節煙なども含め,単に羅列されているというべきであろう。時に箸の上げ 下ろしともいうべき細部にわたる記述も見受けられ,それらが脈絡なく重ねられている のである。さらにいえば,弁当製造業者や食品取扱業者が心得るべき項目も含まれ,家 族生活という生活改善運動の戦略設定が十分意識されていない節さえ見受けられる。「枝 葉末節十把ひとからげ式」あるいは「無構造羅列式」と評されたのも(山口昌伴 1999:
148),根拠のないことではない。
食事の改善項目を,単なる羅列と評さざるを得ない理由は,食事に関する生活様式の 検証がほとんどなされていない点に求めることができる。和食を軸とした従来の生活様 式に対する総括的な認識や評価が介在されていないのである。そのため,生活改善の具 体的な方向性が明らかにされず,例示される食品には「中流階級」向きのものが散見さ れるものの,食事改善の階層的な担い手も漠然としていた。そもそも食事改善において は,住宅や服装のような明確な二項対立構図を示すことができなかった。例えば,「米の 代用」に続いて「パン食」の利点に言及されるが,現状では米食を廃することはできな いとして「両者の併用」が奨励される(生活改善同盟会 1928:49−50)。単純化が許され るなら,和食と洋食に代表される二項対立の認識構図を明示できないため,食事改善の 方向性も不鮮明になり,改善項目のあれこれの羅列に終始したともいえよう。
とはいえ以上の事情には,やむを得ない側面もあった。食事は住宅や衣服と異なり日々 新たに繰り返され,当時の消費支出において食費は最も大きな割合を占めていた。人々に とって食事は日常的な関心事であり,最も身近で習慣的な生活分野であった。そのため,
住宅や服装のようには,生活改善が二項対立で歯切れよく主張できず,改善内容がまだ ら模様になり,改善事項が羅列されるのは,やむを得なかったのである。やがて 1930 年 代にかけて,羅列された改善項目が部分的に,あるいは一つの項目の内容の一部が断片 的に少しずつ取り込まれてきたことも否定できない。改善項目の取り込みは,20 年代か らの都市生活の実態的な変化とも相まって,「婦人子供の嗜好」が考慮され,「飯臺」(卓 袱台)を囲んで「一日三回」の「食事の楽しみ」を享受するような情景を(生活改善同 盟会 1928:54−61),現実に浮かび上がらせたからである。
食事改善のもう一つの特徴は,その階層的な担い手の曖昧さ,踏み込んでいえば担い手 の拡がりである。食事が最も身近で習慣的な生活分野であるためか,改善項目のどれを 取っても,担い手を「中流階級」に特定できるものは見当たらない。むしろ新中間層一 般を軸に,工場労働者層などへの拡がりも想定できる。この点は,先の情景からも想定 できよう。生活改善同盟会は当初「中流階級」を中心に運動の担い手を想定していたが,
住宅,服装,食事と改善事項が重ねられるにつれて,担い手はそれぞれの実態に即して,
いわば下方へと拡大する傾向にあったと考えられる。一方で,それぞれの改善事項の論 理展開は,担い手の拡大に応じるように,住居,服装,食事の順に論理的な整合性を希 薄にしてきたといえよう。いずれにしても,衣食住の改善事項は,その階層性と論理性 において,少しずつ異なった性格を帯びていたのである。
3 社交儀礼などに関する改善事項
以上前節では,日常生活に関わる物質的な生活分野の改善事項を検討してきた。本節 では,社交儀礼などの非物質的もしくは非日常的な分野の生活改善に焦点を絞りたい。
3.1 社交儀礼改善の経緯
社交儀礼の改善事項の性格については,生活改善同盟会組織の発足時に遡る方が理解 しやすい。財団法人として認可される前の「本会規約」第 2 条によれば,「会員相互ノ協 力ニ依リテ国民生活ノ改善向上」を期するとされ,まず会員自らが生活改善を行うという 直接的な実践組織という性格を帯びていた。そのため規約の第 3 条では,「衣食住社交儀 礼等ノ改善ニ心掛クルハ勿論先ツ以テ着手シ易キ左記事項ノ実行ニ努力スルモノトス」
とされ,会員自らが実行すべき 17 の事項が列挙されていた(磯野 2010:66)。
それらの事項には,訪問,公衆作法,贈答,年賀,冠婚と葬祭,宴会という順で社交
儀礼の 7 つに該当する事項が収められており,後の『生活改善調査決定事項』で挙げら れる社交儀礼に関する 8 つの事項のほとんどが含まれているが,衣食住に関する事項は 見当たらない。17 の事項には,時間の厳守や冗費を貯蓄に等の一般的な事項,「雇用人」
の人格の尊重という階層を特定する事項などが収められているが,全体としては社交儀 礼に関する内容であり,会員にとって着手しやすい事項とは,社交儀礼の生活分野であっ たと考えられる。
したがって財団法人化される以前の『生活改善調査決定事項』での社交儀礼に関する 改善事項も,新たに「外国人に對する作法」が加えられたものの,会員が自らの生活慣 習の改善を行うという性格を多分に帯びていた。そのため社交儀礼の改善事項の内容は,
会員であるいわば真正の「中流階級」の生活慣習や実態を強く反映することになった。例 えば「葬儀に關する改善事項」の最初の項目には,「死亡の通知は近親者に限り,新聞廣 告は簡略を旨とし,妄りに多數の名を連ね又は幾通りにも之を爲さゞること。」が挙げら れており(生活改善同盟会 1921:25),冠婚葬祭の儀礼自体が限られた階層の営みを想定 していたことがうかがえる。自宅の宴会に芸者を呼ばない,面会時間を電話や新聞雑誌広 告で予め示す,訪問の際は名刺を差し出すなど,細かに指示される項目は,当時の「国民 生活」からは隔絶した内容であった。当初の社交儀礼に関する改善事項は,「中流階級」
に限られた階層性を帯びて出発したのである。
3.2 社交儀礼などの改善事項−細かな留意項目の羅列−
その後,生活改善同盟会は 1922 年に財団法人化され,会員相互の協力組織から,第 1 節でみたように「社会民衆を教育し国民生活の改善向上を期する」運動組織へとその性 格を変化させるが,社交儀礼の改善事項には大きな変化は認められない。24 年の『生活 改善の栞』では,『生活改善調査決定事項』のほとんどが踏襲され,9 番目の改善事項と して「國賓に對する國民の作法と心得」が加えられるが,改訂版では削除される。『生活 改善調査決定事項』と『生活改善の栞』の大きな相違は,新たな柱として「旅館其他の 改善」と「一般生活振りの改善」が追加されたことであり,この点は改訂版にも引き継 がれる。
そして 1928 年の『改訂生活改善の栞』では,改善事項内の項目が合わせて 5 つ削除さ れ,2 つの改善事項の説明が簡略化されるなどの調整が施されるものの,社交儀礼の改善 内容は『生活改善調査決定事項』とほとんど変わりなかった。それゆえここでも『改訂生 活改善の栞』の記述に即して検討したい。「社交儀礼の改善」は,結婚,葬儀,宴会,贈
答,訪問接客送迎,年賀回礼時候見舞,公衆作法に関す事項と,外国人に対する作法の 8 つの改善事項から構成されて,さらに各改善事項には 8 つ程度の項目が含まれている。
そのため「社交儀礼の改善」は,改訂版においても最大の頁数を占めている。
改善事項の全体的なトーンは,同盟会発足当初に想定されていた「中流階級」の虚礼 虚飾や贅沢奢侈を廃するという内容で貫かれており,各事項の中の膨大な項目は,細部 にわたる注意や禁止という内容の羅列に終始していた。あえて具体例を挙げれば,披露 宴での新婦の色直しの廃止,宴会の挨拶は食前に演説は食後に,相手が迷惑する時刻の 訪問を避ける,儀式講演等の席では静粛を破らない,などの項目が重ねられるのである。
膨大な項目は,もっぱら注意や禁止の言説で占められており,住宅や服装でのような生 活改善の方向は示されない。唯一見い出せる一般化可能な改善内容は,時刻の励行や時 間の尊重であったが,1920 年代後半以降になると,第 1 節で述べた内務省系列の運動と も相まって,時刻励行は次第に独立した事項として取り扱われることになる(生活改善 同盟会編 1929b:114−133)。
ところで社交儀礼は非物質的な生活分野で,経済的条件に制約されず改善の実行が可 能であり,その点では「中流階級」を担い手に限定する必要はなかった。改善事項の最後 の 2 つである,公衆作法に関す事項と,外国人に対する作法のように,「我が那に於ける 公衆間の作法は甚だ幼稚で,歐米國の秩序整然たるの比では」ないとして,「一般國民」
を意識した改善内容(生活改善同盟会 1928:22,27)を提示することもできたはずであ る。けれども社交儀礼の改善事項は全体のトーンとして,少なくとも初めの 6 つの事項 は,すでにみた経緯もあって,担い手として「中流階級」を強く意識した内容であった。
そのため,受け手の側からすると社交儀礼全体の意図を受け止めることができず,羅列 される膨大な項目を部分的に取り込むことさえ困難であったと考えられる。
生活改善運動としては,『生活改善の栞』で新たな柱として加えられた「旅館其他の改 善」も注目される。『改訂生活改善の栞』では,配列などがより整備され,「暦及び年中 行事の統一」,「雛祭の改善」,「旅館の改善」の 3 つの事項で構成される。これらは,非 物質的,非日常的な分野であるため,本項で言及する。
まず「暦及び年中行事の統一」では,正月などの「民俗的年中行事」を太陽暦によっ て全国的に「統一」することによって,「國民的意識の統一」を期するとされる。そこで 同盟会の工夫として自画自賛されるのは,旧暦の正月を 2 月 11 日の「紀元節」と重ねて
「紀元正月」とし,1 月 1 日の正月祝を一般としつつも,「地方の状況に應じ」て「紀元正 月」も認めるいわば折衷案であった(以上,生活改善同盟会 1928:69−72)。注目される
のは,都市ではなく全国とりわけ地方が関心の対象であり,「紀元正月」を実施する際の 手続きにまで言及していることである。東京中心の会員から出発した同盟会の変化の兆 しをみることができる。そして,各種の祭りを太陽暦の日に定めることが述べられ,な ぜか雛祭のみが改善事項に取り上げられ,すでにみた「女兒本位」が主張される。3 つ目 の「旅館の改善」は,生活というより旅館営業者に関わる指摘が 10 項目も重ねられてお り,ここでは立ち入らない。
全体として社交儀礼などの改善内容は,整合的な理解が困難で,生活改善同盟会の狙い は混乱していたといわざるを得ない。最後にわずかな手がかりとして,一貫して社交儀 礼などの調査委員を務めてきた三輪田元道の説明をみておきたい。三輪田は,1931 年の
『今後の家庭生活』に収められた「社交儀禮の改善」において,5 つ改善事項の意図と思 われる項目をそれぞれの冒頭に挙げている。すなわち,宴会は「家族主義」にもとづく,
結婚は「人格的結合」である,葬儀は「精神的愛惜の状」による,交際は「信を以て生 命となす」,公衆作法は「常に時間を尊重す」と,事後的にではあるがそれぞれのポイン トを振り返っている(生活改善同盟会編 1931:233−238)。総じて近代的なメンタリティ ともいうべき姿勢であるが,このような意図が社交儀礼などの膨大な改善項目からは読 み取り難かったことも事実であった。
4 生活改善言説の変容−修正と変質−
4.1 『實生活の建直し』と『生活改善實話集』
1928 年の『改訂生活改善の栞』において改善事項が調整・整備されてからは,『農村生 活改善指針』などが刊行されるものの,都市生活全体に関する改善事項の改訂や作成の 動きは確認できない。そこで間接的な説明資料として 1929 年に刊行された『實生活の建 直し』を取り上げ,1930 年前後の生活改善言説の性格をみておきたい。
『實生活の建直し』は,総論,服装の改善,食事の改善,住宅の改善,社交儀礼の改善,
公衆衛生,予算生活,時に関する改善,暦及び年中行事の改善(付:雛祭の改善),迷信 の打破の 10 章から構成される。新たに 4 つの章が設けられているが,最初の公衆衛生で は,都市に限らず全国に蔓延する疾病を個別に列挙・解説して「社会衛生」が喚起されて いる。つづく予算生活については後述する。時に関する改善は,以前の改善事項の時刻励 行と時間尊重に関連する項目と記述をまとめて独立させたものである。最後の迷信の打 破は,タイトル通りの啓蒙色の強い記述で貫かれている。新たな 4 つの章の特徴は,改善
言説の内容の妥当する範囲が,都市から地方を含む全国に,「中流階級」からそれ以外の 階層を含む国民一般へと明らかに拡大していることである。次にみる予算生活において,
「標準生活費」が論じられるのも,多様な一般階層が視野に入れられたためであろう。
予算生活の議論の特色は,「有限の収入を以て」,「家族經濟を合理化する」あるいは
「出づるを制す」という姿勢であり(生活改善同盟会編 1929c:323−325),収入の上昇や 生活水準の向上には言及されない。注目されるのは,「標準生活費」が「一ヶ月二百圓内 外」と推定されていることである(同前書:362)。生活改善同盟会の刊行物で,生活様式 にとどまらず,生活費が具体的に示されるのは,多分これが初めてだと思われる。ここで の標準生活費が同盟会の想定する水準であったかどうかは判断できないが,「中流階級を 爲す俸給生活者ですら」「多數」がこの水準に達していないという記述からは(同前書:
363),「中流階級」の標準生活費を意味していると考えられる。この月額 200 円前後の生 活費は,当時の新中間層平均の約 2 倍に当たる。ちなみに同盟会発足当時から,「中流階 級」(「知識階級」)の国民全体に占める割合の極端な少なさを問題としていたのは,森本 厚吉であった(森本 1920;1921)。
ところで以前からの改善事項と重なる 5 つの章は,それぞれ具体的な説明が増えて改 善項目も増加するが,言説内容の基本的なトーンに大きな変化は認められない。第 1 章
「総論」の第 1 節「一般生活の改善」は,棚橋の執筆と推測されるが,これまでの同盟会 運動を総括する試みとなっている。ここでは第 4 章「住宅の改善」の記述を検討し,改善 言説の修正ともいうべき変化を取り上げたい。もちろん,すでにみた椅子式や家族本位な どの基本は共有されているが,かつてのような性急さがなくなり,住宅改善を論じる視野 が拡大しているのである。この章の執筆者は内務省社会局技師(同盟会調査委員を兼務)
の中村寛と考えられるが,このことも影響しているといえよう。
まず言説の変化として注目されるのは,改善の対象を拡大して,「中産階級」以下とり わけ借家層に対する都市の住宅政策が論じられ(生活改善同盟会編 1929c:168−171),
農村の台所改善や同潤会の住宅設計にも言及されていることである。振り返ってみると,
当初から佐野は,「細民住居の改善」こそ「社会政策」にほかならないと主張していたが
(文部省普通学務局 1921a:42−43),改善事項には取り入れられなかった。また棚橋も
『社会政策大系』所収の論文では,「国民の大多數を占めて居る中産以下の階級」に「小住 宅」を供給して「生活の改善向上」を図るのは「社会政策」であると述べていた(棚橋 1927:51−52)。都市の住宅政策や社会政策一般の管轄が内務省であったことはいうまで もない。階層性の強いストックである住宅の改善においては,文部省よりも内務省に近
い政策課題が浮上してきたのである。
また言説の修正として注目されるのは,従来の住宅改善は「日本住宅の缺點を責むる に急で」「歐米の住宅様式を無反省に採用」してきたという認識である。その上で,日本 の気候風土との適合を図るには,構造の堅牢と安全を確保しつつ,伝統的な住宅の縁側 とひさしを採用して,住宅を開放的にすることが必要であると主張される(以上,生活 改善同盟会編 1929c:175−177)。実際,『新しい日本住宅實例』の全篇にわたって紹介さ れる同潤会の分譲住宅では,上記の設計が採用され,しかも「現在の一般的生活様式を 基準として和室を主とした」と述べられている(生活改善同盟会編 1929a:7)。当初の住 宅改善の細部はいくつかの点で修正され,「一般生活様式」との調整が図られたといえよ う。なお,『今後の家庭生活』の中村論文「住宅の改善に就いて」においても,言説の変 化と修正の主張が繰り返されている(生活改善同盟会編 1931:301−323)。
以上の『實生活の建直し』では変化の兆しが認められるものの,それまでの改善事項を 基調としていたのに対して,『生活改善實話集』では全くといえるほど様相を異にしてい た。まず生活改善同盟会による「はしがき」では,「教化総動員運動」の参考に資すると 述べられているが,「生活改善」の言葉は見当たらない。勤倹力行の主題で構成される前 半は,徹底した節約と善行による努力と達成の物語で占められ,「職工」の事例が 2 つ含 まれるものの,ほとんどが農村の模範例であった。生活改善という主題の後半も,農村に おける台所と冠婚葬祭の改善や時間励行がほとんどであり,一部には勤倹力行も混在し ていた。このため『生活改善實話集』では,都市の「中流階級」や新中間層の事例を全 く見出すことはできない。それぞれの記述は,更生運動の事例や「方面委員取扱実例集」
の響きに限りなく近づき,新たな生活様式を模索するかつての息吹は感じられなくなる。
さらに『生活改善實話集』の推薦者や当事者には,報徳会,婦人会,青年団さらには隣 保会などが散見され,時には「民力涵養必行事項を徹底的に實行する」という文言すら 見受けられる(生活改善同盟会編 1929b:73)。言説レベルではともかく,少なくとも生 活改善運動の現場では,組織や行事さらには財政などの点で,内務省との関係が深まって いたのではないだろうか。生活改善同盟会の支部事務所が当初から,県や市の学務課よ りは社会課に多く設置されていたことや(磯野 2010:32),財政的にも内務省の補助金が 相当額に上っていたことからも(同前書:40),生活改善運動への内務省の関与がうかが える。いずれにしても生活改善同盟会は,内務省との関わりを深化するのにともなって,
運動の実行場面での軌道修正を余儀なくされることになる。
4.2 生活改善中央会の生活改善言説
生活改善同盟会は全国的な組織展開を図るために,1933 年に生活改善中央会に改称・
改組された。ところが,中央会の生活改善言説の全貌を把握できる資料は極めて少ない。
久井英輔によれば,1936 年に『葬儀に関する改善要項』,『結婚に関する改善要項・贈答 に関する改善要項・時の尊重利用に関する改善要項』が,1937 年に『宴会に関する改善 要項・旅館に関する改善要項』,『公衆作法に関する改善事項・外国人に対する作法』が 刊行されるが,それらはすべて社交儀礼に限定された分野であり,同盟会の改善事項の
「内容の焼き直しである」とされている(久井 2007:174)。1938 年に刊行されたとされる
『生活改善實行要目』は,生活分野全体にわたる改善言説と考えられるが,その所在は現 在のところ確認できない。
ところで,1941 年に刊行された甫守謹吾『現代女子実用法』には巻末付録として「生 活改善中央会調査決定事項」が収められている。これが何時どのように決定されたのかは 不明であるが,生活分野全体に及ぶ「決定事項」が挙げられている。その構成は,最初 に社交儀礼が挙げられるものの,服装,食事,住宅,旅館,雛祭,一般生活振りと続き,
『改訂生活改善の栞』と酷似している。社交儀礼の中の改善事項も,8 つ目までは全く同 じで,9 つ目に「時の尊重利用」が独立して挙げられる。それぞれの項目内容も,洋服の 指示,椅子式の採用,家族本位,女児本位など,ほとんど同じである。
以上の検討から,『生活改善實行要目』の詳細が不明な現段階では,少なくとも 1937 年までの中央会の生活改善言説の基調は以前と変わらなかったと考えられる。ところが,
1941 年刊行の中央会編『生活改善第一篇』に収められた「非常時局對應生活改善實行要 目」では,言説の内容はまさに一変する。「特に卽時斷行を必要とする生活改善事項に就 いて調査し」採択された「要目」は,以下の通りである(ただし「要目」が採択された時 期は不明)。服装,食事,住宅に関する改善から始められ,「送迎,慰問,贈答」,「祝祭佛 事葬儀等」,「婚禮」,「集會及び時間の尊重利用」,「隣保相扶」,「家計豫算」,「公衆道徳,
作法」,「資源愛護」「に関する改善」という 11 の柱で構成されている(以上,生活改善 中央会編 1941:23−32)。この「實行要目」が,衣食住から社交儀礼などに及ぶ生活分野 全体をカバーしていることは明らかである。しかしながら,改善内容は驚くべき変化を 遂げていた。順を追って簡単に検討したい。
まず服装に関する最初の項目では,使用期間の延長と新調の抑制が挙げられる。そし て婦人服は「軽便な和服または洋服」とされ,「婦人の洋服は活動に便利ではあるが,妄 りに流行を追つて華美に流れぬやうに」と指摘される(生活改善中央会編 1941:24)。食
事に関する最初の項目では,国産品の使用が奨励され,住宅に関する改善では,もっぱ ら空襲に対する備えが細かに挙げられる。衣食住の改善内容は,全面的に変更されたと いっても過言ではない。かつての二項対立の認識は忘れ去られ,生活様式への関心は消 え去るか後退して,「節約」と(食の場合は)「合理化」で貫かれているのである。
社交儀礼などに関する 8 つの柱の内容は,すでに示したタイトルからも推し測ること ができよう。「出征軍人の歡送迎」や「國家的祝祭日」などは「嚴肅」に,その外の社交 儀礼は「質素」にと区別され,慰問の実行や「愛國公債」の購入が繰り返し勧奨される。
時間尊重,隣保相扶,公衆作法以外の社交儀礼に関する 5 つの柱では,全体の基調が「質 素」と「節約」で彩られるのである。また,公衆作法での「大國民の態度を失はない」と いうゆるぎない地位の表現には(生活改善中央会編 1941:32),世界列強に伍するために 新たな生活様式を模索した,かつての姿勢は跡形もなく失われている。森本が問題とし た欧米との生活水準の相違はほとんど解消されていなかったにもかかわらず,改善言説 の自己認識は大きく転換していたのである。
いずれにしても,生活改善同盟会の改善事項の内容と比べると,「非常時局對應生活改 善實行要目」の言説は見る影もなく変質してしまったといわざるを得ない。「要目」は全 体として「節約」と「質素」を基調としてまとめられ,その限りで,それぞれの生活分 野の改善方向はズレや矛盾なく整序されることになった。このことは,「要目」の言説対 象が特定の社会階層ではなくなり,階層性そのものを脱色して,国民一般へと一気に拡 大されたことと表裏一体の関係にあった。
5 まとめにかえて
本稿では,生活改善同盟会の改善事項の分析によって,1920 年代の生活改善言説の特 徴を検討してきた。その結果は,以下の 8 点にまとめられる。
①生活改善言説は,無駄と節約,旧弊と合理,弛緩と緊張,日本と欧米などの二項対立 構図で貫かれていた。②言説の内容は生活水準の向上ではなく,もっぱら生活様式の改善 に傾注されていた。③生活改善の担い手は都市の「中流階級」を中心に想定されていた。
④衣食住それぞれに多くの改善項目が列挙されるが,項目相互の関連や全体像は明らか ではなかった。⑤しかし非整合的な項目の列挙は,かえって「中流階級」以下の階層が項 目内容を部分的に取り込むことを可能にした。⑥住宅改善の言説は,論理性と階層性にお いて,生活様式の西洋化を主導した。⑦社交儀礼に関して羅列される膨大な改善項目は,
細かな注意と禁止の言説で占められ,生活改善の方向性を示すことができなかった。⑧言 説レベルに限っても,1930 年前後から修正や変化の兆しが確認でき,やがて生活改善中 央会の「非常時局對應生活改善實行要目」では,その対象が一気に国民一般に拡大され,
その内容も明らかな変質を遂げた。
以上のまとめは,「思想も精神も生活によつて左右せらるゝ以上は,最も急を要するは 生活の改善なり」と宣言した(文部省普通学務局 1922:諸言 2−3),生活改善同盟会の リーダーにとって不本意かもしれない。精神主義的な社会教育から脱して,思想や精神 を規定する生活の改善を意図していたからである。乗杉嘉壽は,生活改善の次元を 3 つ に分けている。前提とされる道義的生活,物質的な生活改善に関わる能率生活あるいは 合理的生活,最終目的である「個人の生活の奥底」に関わる創造的生活の 3 次元である。
そして,最終目標への「近道」として「物質的様式」の改善に関わる同盟会運動が位置づ けられる(以上,乗杉 1923:128−131)。同盟会運動は目的への迂回にほかならないが,
そこでは「個人の生活の奥底」が目指されていたのである。乗杉にあっては,「個人の生 活の奥底」に「心の奥」(同前書:129)と表現されるような,大正時代的な人格が想定 されていたのかもしれない。
もう一人のリーダーである棚橋源太郎は,生活改善の要点を,生活の単純化,生活の合 理化,内面生活の充実の 3 つに概括している。棚橋は,資源の制約条件を意識して,「消 費節約」と「内面生活を豊かに」することとを同じ次元の緊張関係として論じているが,
内面生活が「人生の意義歸趣」や「自己の何物たるか」(棚橋 1927:24)という視点と関 係づけられていたことは注目される(以上,生活改善同盟会編 1929c:16−25)。生活分 野全体にわたる改善事項と項目の執拗な列挙は,個人と内面生活のこのような認識が介 在させられていたため可能になった,という解釈も成り立つかもしれない。
残された紙幅で,「要目」への変質の言説要因,当時の生活実態との関係,生活をめぐ る運動論の課題の 3 点について,簡単に言及しておきたい。
まず,生活改善言説が「非常時局對應生活改善實行要目」へと変質した要因について である。あれほど主張されていた生活様式の西洋化志向が,なぜ一変してしまったのか。
もちろん 1937 年の国民精神総動員運動と 38 年の国家総動員体制の展開は,大きな状況 要因として見逃せないし,それ以前からの内務省の諸組織や運動との関係も軽視できな い。けれども 20 年代の生活改善言説に内在していえば,何が要因だったのか。結論を急 げば,列挙される多くの改善事項や項目が相互の整合性を欠いて全体像に結実せず,規 範的な生活モデルを提示するに至らなかったことが挙げられる。同盟会が担い手として
当初想定していた「中流階級」が実体的な基盤をもたない状況では,都市の新中間層な どにも受け入れられる生活モデルが不可欠だったからである。以上は,結果の③と④に 関わっている。
次は,当時の生活実態との関係である。結果の⑤に示したように,1920 年代から 30 年 代にかけて,列挙される項目内容が部分的あるいは断片的にではあるが,都市の新中間 層などによって取り込まれていった。もちろん生活様式としての整合性のない斑模様の 取り込みであり,それが言説の効果であったかどうかも不確かであるが,戦間期の生活 の実態として注目される。ところで,この間の新中間層や工場労働者などの生活構造は,
極めて密度の高い緊張した状態が続いていた(Nakagawa 2000a)。部分的な取り込みは,
安定した状態においてではなく,緊張した生活状態において行われたのである。生活改善 言説の特徴である弛緩と緊張という二項対立は,世界という外部に向けての緊張であっ たが,斑模様の取り込みは,生活の営み内部の緊張をともなっていたのである。
最後は,結果の②に関わる運動論あるいは生活戦略についてである。生活改善同盟会 の運動は,生活水準の向上を保留して,もっぱら生活様式の改善を目指していた。それ に対して,戦後の高度成長とその後の時期には,生活水準が上昇して,消費の飛躍的な 拡大が享受された。けれどもそこでは,中流意識は広範に流布したが,同盟会の想定し た「中流階級」が形成されたわけではない。そして,現在に至る 20 年余りの間,平均的 な生活水準はほとんど変わらず推移しているが,このような状況は,近代以降の日本に おいて初めて直面する事態である。今後の生活戦略を考える場合,生活水準の上昇を見 込まないで,生活様式の構築を意図した生活改善運動の経験が示唆することは少なくな いはずである。
付記
本稿を作成するにあたって,2010 年 10 月の「生活改善運動」に関する国立民族学博物館国際 研究フォーラムから多大な知的刺激を受けた。主催されたボルドー第 3 大学のアンヌ・ゴッソ氏 とフォーラム参加者に感謝したい。
また,フォーラムに参加された広島大学の久井英輔氏からは,生活改善中央会の「生活改善実 行要目」について貴重な助言をいただいた。あわせて感謝したい。
参考文献
愛知県社会課(1925)『勤倹奨励運動ノ概況 第二輯』愛知県社会課。
原田勝弘(1982)「生活改造運動の使徒:森本厚吉」生活研究同人会編『近代日本の生活研究−