書き直されたコレオグラフイ‑が語るもの
‑ハインl)ヒ・クレーラーの『アテネの廃櫨』‑
はじめに
一九二〇年代におけるドイツのバレエ改革の第一人者 として、複数の国立歌劇場で活躍したバレエマスター、
ハインリヒ・クレーラ‑ll> (一八八〇年〜一九三〇年) は、その一五年にわたる創作活動の中で、一〇〇以上の 作品のコレオグラフイ‑を書き留めた。それらはプログ ラム、楽譜、スクリプトなど、現存する制作資料ととも に作品ごとにまとめてカタログ化され、現在はミュンヘ ンのドイツ国立演劇博物館に収蔵されている。視覚的、
聴覚的な情報源を少なからず含むコレオグラフイ‑資料 は、目撃者の証言という間接的な資料に負う、特に映像 記録の出現以前の舞踊史研究に対して、具体的な論拠と 新たな視点をもたらす可能性を秘めているのではないか
と考えられる。にもかかわらずこれまでのクレーラー研 究においては、 「彼(クレーラー)にしかわからないや
り方」(2)で書き留められているという理由で、それらの 資料が役立てられることはなかった。ところがその一方 で、クレーラーの記譜方法の出版や代表作の再演を希望 した見解(3)など、解読の可能性を示唆する資料も存在 する。むろん、こういった評価のばらつきは、各々のコ レオグラフイ‑を読むスキルの差や、コレオグラフイ‑
を実際に見たり踊ったりした経験の有無に左右されてい るに違いない(4)。だが、実際のところどうなのか。今回
『アテネの廃櫨』の分析に際して、作品解釈の観点から 結果が得られなかったこともあり、この機会に研究ノー トという体裁で、資料としての問題点と可能性を検証し ておきたいと考えた。そこで、クレーラーのコレオグラ フイ‑資料が舞踊研究の資料としてどの程度まで有効な のかという評価をこの研究ノートで行い、いかに有益な 資料として利用できるかについて考えてみたい。
1.出発点と射程:『アテネの廃城』の舞踊史的な位置づけ 本研究ノートの出発点は、筆者がクレーラーを立役 者とするウィーン国立歌劇場のバレエ改革期の舞踊の 近代化を研究しており、その一環で『アテネの廃櫨Die RuinenvonAthen』 (一九二四年九月二〇日ウィーン国立 歌劇場初演)を取り上げたことにある。その制作資料は、
彼の振付デビュー作『バッカス祭Bachusfest』 (一九一五 年フランクフルト市立劇場初演)のコレオグラフイ‑餐 料を部分的に含んでおり、調査の結果、二つのコレオグ ラフイ‑は原案一都案の関係にあることが明らかになっ た(表1二つの資料をまたぐ灰色の部分が『アテネの 廃堀』の全コレオグラフイ‑資料となる)。したがって、
まずは両作品の舞踊史における位置づけを説明し、研究
古 後 奈緒子
の方向付けを示しておきたい。
バレエ改革とは、ドイツ文化圏の公立劇場付きバレエ 団が、近代化を行う過程で被った二つの転換のはざまに 位置づけられる、舞台舞踊の理想を取り戻そうとする運 動である。一つめは、一九一八年の君主制の崩壊によ
る帝立から国立へというオペラハウスの組織替えを指 す(5)。 『バッカス祭』はこの直前、第一次大戦中に発表 され、初演地域にとどまらない注目を集めたとされる。
二つ巨‖ま、一九三〇年に前後して、各地の国公立劇場の バレエ団に、モダン・ダンス出身の振付家が起用される ようになることをさす。この二つの転換の間に、ドイツ ではバレエ・リュス作品のアダプトが始まり、諸芸術の モダニスムや前衛と結びついた、総合芸術としての舞台 舞踊芸術の可能性が探られたと言うことができる。オー ストリアの舞踊史家、アンドレア・アモートに倣えば、
ウィーン国立歌劇場におけるこの改革は、クレーラーの 在任中の制作を指すことになる(6)。その中でも筆者が重 点を置いているのは、リヒャルト・シュトラウスが芸術 監督であった時代(一九二四年まで)に行われた、バレ エ・リュスを範とする一流芸術家の共同製作による「バ レエ芸術の若返り」(7)の試みである。 『アテネの廃櫨』
は『ヨセフ伝説Josefslegende』と並んで、以上のような ウィーンにおける国立歌劇場の端境期を代表する作品と みなされる。
以上のことから、 『バッカス祭』を含む『アテネの廃 櫨』のコレオグラフイ‑資料の分析にあたっては、次の ような関心に照準を合わせていた。まず、ドイツのバレ エに初めてモダン・ダンスを採り入れたとされるクレー ラーのコレオグラフイ一に、どのようなかたちで新しい 舞踊のスタイルやメソッドの影響が認められるか。 7‑
ゴー・フォン・ホ‑フマンスタールが改作にあたった
『アテネの廃櫨』台本が、いかに解釈され、舞台作品と して演出されたかである。以下に資料の分析結果を、ク レーラーの記述システムを中心にまとめる。
2.1クレーラーの記述システム:運動要素と均一で密 な記述の欠如
クレーラーは、古来の記譜法をアレンジした四つの方 法によってコレオグラフイ‑資料を記している。 (図1) 本人の説明(8)によれば、それは① 「踊る者の動きを平 面上に書き留めたもの」、 (参「空間に置かれたツオルン 式(9)の線状人形」、 ③ 「一般的にバレエとして知られて いるフランス式ステップ技術の名称」、 ④「速記」である。
これらの方法で記述された内容から、まずは先に示した 舞踊史的な関心に照らし合わせて行った分析結果を、解
‑161‑
表1 ☆ 『アテネの廃城』のコレオグラフイ‑資料★ 『バッカス祭』のコレオグラフイ‑資料
『プ ロメテ ウス の創造 物』 楽 譜 『アテ ネの廃 城』戯 曲 ☆ ★
幕 香 表記 手 書 き筋 + 番号 舞 踊場 面 の記述 戻 冊
】 十、 A llegro A u f dem H in te rg run d e rsch ein en T an zen d 第 八 番 ‥バ ッ カ ス の 韮 女 た ち の レ
慕 4 B ach an 也n n en . II , I , IV リー フの集 団
一
⑤
A lleg ro
A n d a n t e q u a s i
A u ftritt u n d T a n z v on 5 M 宜d ch ce n m it 第 九番 ‥竪琴 弾 き と輪 舞 の 踊 り手 で
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ゥ a 慕 H ar fe n , E in g rie c h isc h e r Jiin g h n g er‑
sch ein t lau sch en d .
n , III , E in M a d ch e n .也b er re ich t d e m Jiin glin g ein e H arfe.
IV ,Z S g ern d n im m t er sie u n d sp ielt.D u rc h d ie H arfe n k lan g e an g e lo ck t, ersch e m e n n o ch 6 M ad ch en .
I R e ig e n d e r 1 1 M 盆d c h e n u n d d e s
あ る少女 たち
異 邦 人 は■、 夢 の中 で若 い ギ リシ ア人 A lleg re仕0 Jiin g lin g s一, n . w . i i,k , x ‑x i とな り、 輪 舞 に加 わ って踊 り出す ○
⑥
U n p oco A dag io A lleg re仕0
A u ftritt u n d T an z vo n 4 o d er 8 Jiin g ling e 第 十番 ‥少年 たち の心 沸 きたつ よう (T an zeri nn e n) m itT am b ou rin s un d F lo ten . な ダ ンス
alle ab 踊 り手 た ちは一端 退 場
⑲ P a S t r a1
A d ag io A u血●i仕 ein es Jiing ling s u n d ein er B ach an‑ 第 十一 番 : 少 年 とバ ッカス の養 女 の tin .T anzd u ett.2 ,3,4 ,5, 6,7
5.D ie B ach an tin neck t d en Jiing ling , 9 .4 F aun e b elau sch en d as T an zen d e P aar J也n g lin g eilt ab , d ie sp o tte n d en F au n e Zu rd ck sto fi en d .
10 .D ie B ach antin fliert‑die F au n e versp er‑
ren dem nach e ilen d en J也ng lm g d en W eg .
デ ュエ ッ ト
⑬ A llegro ,C om m od o R iip elh aft er Sp ott :T an z d er 4 F au ne 第 十二 番 ‥牧神 が それ をか らか う
ョ
A llegro con b ri o E in zu g sp rin g e n d e r B a ch an tin n e n , d ie F au n lhn en entg eg en .
M ad ch en m it H arfen u K orb en ,Jun g lin g e 8 Ju n g e m it S chw ertt盆n zer
Sch w ertan z ein e s Jting lin g s A u fforde ru n g zum K am pfsp iel
K am pfspielzw eier J由n g lin g e
第 十三 番 ‥少 年の戦 争 の舞踊
第 十 四番 ‥二 人の青 年 の剣 の試合
⑯ F
1
A lleg rett o I die M 宜d ch en h uldig en d en S ieg er.
II die F au n e versp o仕en de n U nterleg en en 111‑a B ach an ten tan zen d d azu ,‑T an z aller I ‑b , IV , V
VI S o lo : e in M 盆d ch en re ic h t ta n z e n d
第 十五 番 : バ ッカ スの大 狂乱 気 が つ くと、 異邦 人 は現実 に戻 りこ
⑨
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⑨ ョ 蝣 d e m "F rem d en ", d e r sic h au s s ein em
sch lafe n d e S tellu n g erh o b e n h at, ein e n W einlaub k ran z.
M Zw ei and ere w olle n ih n m it W ein ran k en sch m iick e n .
I I E r w eist dies ziiriick ,sein e
れ を眺 め てい る○
美 しい 少 女 が 異 邦 人 を 踊 りに誘 う n
a S eh e n su ch t ist n ic h t die se dy o n isisch e が 、 彼 は穏 やか に断 る○彼 の憧 れ は、
1 e
L u st.
VI Z w ei P ri ester (vo m fe ierlich en Zu g d es
この ような デ ィオ ニュ ソス 的 な快 楽 には なか つた のだO
よ り高 次 の理 想 を求 め よう とい う決 4 . B ild es) fiih ren d en F rem d en a u s d em 断 に答 え るか の よ うに、 司 祭 た ちが T ru b el d es B ach an al. 祝 祭 的パ レー ドを従 えて登 場 し、 異 X @ D e s B ach an alw ird fortg esetzt.
X I ゥ 2 tru nk ene Siren e
X II (15) alle tanzen in eine m Z ug ab . き D ie S iren e w erd en von B ach an tin n en m itg ezog en .
邦 人 を連 れて ゆ く○
読可能なもの、不可能なものを以下に選別しながら見て いきたい。
まず、解読不可能なものの筆頭に速記④がある。この 速記は、様々な分野で用いられ、戦前はドイツの二大速 記の一つであったガ‑ベルスベルガー式で記述されてい る。しかしながら、クレーラーはこの速記法にも独自の アレンジを加えており、正書法による一〇〇%の解読は 断念しなければならか、(10)また、六割ほど解読した結 果、その記述内容は、 「歩く、走る、跳ぶ」といった体 重の移動を表す動詞に歩数や方向を組み合わせたもの、
そして人物の行為を動詞で表現したものが主であること がわかった。記述は極めて簡潔で、解読の及んだ限り、
行為や運動がいかに遂行されたかについては、 「ゆっく りと」や「重々しく」程度の形容詞しか認められなかっ たoこのような一般的な行為や身体運動を指示する文は、
筋/行為として解釈しうる場合をのぞいては、あまり有 効な資料になるとは考えられない。これらの言葉を舞踊 的な表現に読み替えるには、それが指し示す舞踊の記憶 を共有していなければならないからである。これに対し バレエのステップ③は、特定の舞踊の様式と形態の客観 的な体系として存在しており、その一つ一つが名付けら れているので当然ながら一〇〇%解読が可能である。そ のステップの名はここではラテンアルファベットで記さ れ、速記④からは区別されている。
次の二つは歴史的に用いられてきた舞踊記譜法と比較 が可能なものなので、クラウデイア・イェシュケの記譜 についての研究、 『タンツシュリフテン(舞踊文字)』(ll) を参照し、記録的な価値を備える記譜からの距離を測る。
線状人形Strichfigur②と呼ばれる図は、イェシュケに よれば、直接ダンサーの身体から写し取られ、翻訳作業 なしに誰もが読むことができる、どの時代でも用いられ る素朴な記述手段であるとされる(12)。だがツオルン式に なるとそれが洗練され、時間単位を細かくとって記述す ることで、映画の原理に近いやり方で運動の経過を表し うるという(13)図2)これに対しクレーラーの線状人 形は、本人の見解に反して、ツオルン式と根本的な点で 異なっている。というのは、ツオルンが楽譜に並行して 配置した線状人形を、クレーラーは時間の持続から取り 出して(拍子が付されてはいるが)、 「空間の中に」配置 するからだ。 (図1‑(∋)しかも、クレーラーのそれは二、
三の例(図3)をわぞき、ほぼ単独のポーズしか示され ない。したがって、ここからも時間の経過を伴う運動に ついての情報を得る可能性は閉め出されている。しかし、
よく見られる、トルソを前後に深く倒し(片)脚でバラ ンスを保つ、パセティックな印象を与える姿勢(図1‑⑦) などには、モダン・ダンスらしき表現を見てとることも できる。
最後に①のフロア・パターンは、空間を上から捉えた 場合のダンサーの配置と移動の軌道を示すものである。
それは、登場人物たちの物語の各場面での立ち位置、相 互の関係を映し出すとともに、 「フイギュ‑ル・ダンス Figurentanz」と呼ばれる宮廷に由来する社交ダンスで重
祝されるフロア・パターンをなすこともある。前者をと おしては台本の解釈や演出に関する側面、後者をとおし ては舞踊の装飾的、象徴的な側面が映し出される。ここ で扱った資料では、二種のコレオグラフイ‑がある第五 番のアダージオでは、 『バッカス祭』の中で、歴史的な 宮廷舞踊に由来する装飾的なフロア・パターンが見られ た(図4)のに対し、 『アテネの廃櫨』においては、装 飾を排する傾向が認められる(図5)。関連して、この 場面では『バッカス祭』ではまだ用いられていた花づな 装飾(図6)が、 『アテネの廃櫨』では廃止されている。
したがって、 「バレエとモダン・ダンスの間」(14)に求め られてきたクレーラーの作風について、このようなフロ ア・パターンの傾向の変化から明確な裏付けられるかも 知れない。
以上のことをまとめると、クレーラーのコレオグラ フイ‑資料においては、全体をとおして動より静の身体 イメージ、それと関連して、時間的な要素より空間的な それが優位に立っているということが言える。また分析 の過程で、フロア・パターン(丑と線状人形②から、モダ
ン・ダンスの影響とおぼしき要素が認められた。しかし 問題なのは、クレーラーの記述方法からは、戯曲の解釈 や演出、そして身体イメージに関する情報は得られても、
舞踊の運動において捉えられるべき側面が抜け落ちてい ることである。これは、実は記述システムだけに関わる 問題ではない.むしろ一番の問題点として指摘しなけれ ばならないのは、クレーラーの記述の密度に著しい差が あることだ。言い換えれば、このシステムでより密なコ レオグラフイ‑資料が作成されたなら、とりわけツオル ンに倣って線状人形の動きを細かく割ったなら、いかな る運動がそこでなされたかを伝える作品資料を作成する 可能性も生じてくる。しかしながら、例えば『アテネの 廃堀』においても、表1のように記述の充実した頁があ るかと思えば、フロア・パターンひとつきりの頁が散見 される。さらに、その都度記述方法が切り替わるので、
一つの要素を連続して追うことができない。このように 記述が気まぐれで不均質、あるいはさらに悪いことに疎 であるなら、システムがある程度整っていても、それは 記録としてのノーテーションの「前段階」(15)にすぎない。
この特徴は、舞踊だけでなく台本解釈のレベルでも、記 録として致命的である。しかしそもそも、クレーラー本 人は、第三者に理解される記録ということを度外視して いたのだった。では、このような「彼にしかわからない」
資料をどのようにしたら研究に役立てることができるの だろうか。この問題について考えるために、クレーラー がコレオグラフイ‑をどの段階で記し、いかに用いてい たのかを見ておきたい。
2.2 コレオグラフイ‑資料の用途:創作過程における 覚え書き
「近代のコレオグラフイ‑」というテクストの中で、
クレーラーは、創作の過程でフレーズが生まれたら、そ れは書き留められねばならないと語っている。 「音楽は
‑163‑
徳(バレエマスター)によって身体運動に変換されるが、
そのような「ダンス」のコンポジションを書き留めるこ とで初めてコレオグラフイ‑は生まれるのだ。」(16)そし て、極めて興味深いことに、クレーラーはこのようにし て一人で全体のコレオグラフイ‑を書き上げてしまい、
「個々のダンスやダンスの筋全体の稽古は、仕上げられ たコレオグラフイ‑ (資料)に倣って行われる」(17)とい う。このことは、 「彼は最初のリハーサルを召集する前 に、すべてのシーン、すべてのダンスの案を周到に計画 していた」(18)という証言にも裏付けられる。
イェシュケの「実践における舞踊文字の使用」(19)とい う章から、一般的な記譜の用途に照らし合わせてみると、
考えられる舞踊記譜の用途は、 1.創作の手段、 2.記憶の 直接的な補助、 3.作品の再演や4.新演出の手段の四つで ある。創作の手段1.というのは、音楽の作曲家のような 意味で記譜のみを操って創作を行うもの(この例は、舞 踊史においては確認できないという)で、記憶の直接的 な補助2.は創作の途上にある振付家がアイデアを書き留 めるような例、作品の再演と新演出の手段3.、 4.として は、作品の完成後に再現を前提として書き留められる例 が挙げられる。再演3.は作品を知るが時間を経て記憶の 補助が必要な者、新演出4.は作品を全く知らない者を読 解者として想定している。そのとき創作手段1.と記憶の 補助4.においては、作品完成前における記憶の負荷の 軽減や操作性のよい記号への置き換えが重要なのであっ て、再演3.や新演出4.のように、完成後における再現 のための記録や保存を問題とするのではない。そして、
これらの用途に応じて、 4.から1.に向かうにつれ、記述 内容とそれを読む人の距離が縮まるため、記述のシステ ムとしての一貫性、客観性、均質性の度合いは自ずと低 くなってゆく。このように整理すると、さきに示したよ うなクレーラーのケースは、まずは2. 1.の要素が入る 可能性も否定はできないが)に相当すると考えられる。
つまりクレーラーのコレオグラフイ‑資料は、創作の過 程において書き留められた記憶の支え、覚え書きという 意味でのメモランダムということになる。
この時点で、クレーラーのコレオグラフイ‑資料を客 観的な記録4.とみなす可能性はすでに閉め出されてい るが、さらに問題となるのは、資料が創作の過程におい て、それもかなり早い段階で書き留められている点であ る。つまり、覚え書きとして書き留められた内容が、リ ハーサルをとおして最終的に変化する余地を残すのであ れば、作品資料としては利用範囲がかなり限定されてし まう。しかしながらさきのテクストの冒頭で、クレー ラーは理念的には記録に近い「全体の書物による保存」
を唱えている。 「コレオグラフイ‑は様々なダンスやダ ンスの上演全体を書のかたちで留め、より広義には、そ ういったダンスの草案を書き、場面を形成する技術/芸 術である。」さらに彼は、創作において覚え書きが不可 欠なのは、書き留めたコレオグラフイ‑をもとに、作品 パートの有機的な連関を見つけ、演出を検討、吟味する ためだという。クレーラーは述べる。 「コレオグラフイ‑
作品全体の選択、創造、演出に関しては、近代の振付家 は極めて大きな課題を担っている。ここにおいてコレオ グラフイ‑ (資料)は、以前は大部分無視されていた演 出の技術と分かちがたく結びついている。」(20)こうして 吟味を経て生み出されるコレオグラフイ‑は、書き留め られた時点ですでに「仕上げられた」ものなのであり、
その全体が「ソナタや交響曲に比する有機的な構成」 (21) を備えるなら、それは上演において少々の変更を容れて も、ゆるがない作品の同一性の拠り所となるようなもの なのではと考えられる。このように、リハーサル前のこ のコレオグラフイ‑資料の完成が主観的な作品の完成で あると考えると、クレーラーのコレオグラフイ‑資料が 再演のための記憶の補助3.として用いられていることも 理解できる。
このようにコレオグラフイ‑資料が作品のどの層を書 きとどめたものかが明らかになった今、残るは、作品や ダンスについての何らかの記憶を前提とするメモランダ ムから、記憶を共有していない者が何を読み得るかとい う問題となる。資料を手がかりに、その書き手であるク レーラーが想起する運動、空間、時間の内実を読み手が 再現できる可能性は、ほぼ無さに等しいと思われるから である。
2.3 書き留められたものの読解の可能性
昨年出版された「連動を思考する」(22)という論考の中 で、イェシュケが次のように述べる件がある。 「舞踊記 譜はもはや、主にその記録としての価値に縛られて読ま れるのではなく、むしろ運動実践の一般的な本質にかか わる源泉として読まれる。そういった源泉として、舞踊 記譜には、身体、空間、時間のいかなるコンセプトを媒 介するのか、またどのような運動の仕方や形式を、書き 留めるほど重要だとみなすのかといったことが問われて いる。」(23)この引用は、記録的価値を備える記譜につい ての論述であるが、後半部はクレーラーの資料にもあて はまる。つまり、コレオグラフイ‑資料に読みとること ができるのは、舞踊そのものだけではなく舞踊について の思考なのである。そこに映し出されるのは、筆記者が 舞踊という現象をどのような視点から、どのようなシス テムに倣って分節しているのか、また、数ある情報の中 で、舞踊や作品のどの要素が書き留められているか、と いった事柄である。このことを意識するなら、クレー ラーのコレオグラフイ‑資料について、記録としては問 題だと思われた点から、かえって多くのものが得られる だろう。アレンジされた記述方法は、作家が舞踊を見る オリジナルの観点を、そして不均一な記述は、その内容 が記憶されねばならないことを顕著に表すからである。
以上のような観点から、クレーラーのコレオグラ フイ‑資料をもう一度振り返り、このバレエ改革者が舞 踊をどのように捉えているかを描き出したい。
一つめは、歴史を横断して用いられるという線状人 形(24)に表れた、普遍的な人間身体の捉え方に認められる。
クレーラーがこの方法で瞬間的に把捉する身体イメージ
は、運動を拍子で分割した‑コマではなく、時間の経過 の中で、表現としてのポテンシャルが高まった瞬間切り 取られたものだと考えられる。そしてこの身体イメージ は、部分ではなく一つの有機的な統一体として捉えられ ている。このことは、ツオルンがしばしばステップの表 現として線状人形の下半身のみを書き留める(図7)の に対し、クレーラーが常に全身を措いていることからも 理解される。実はこのように瞬間の印象的な身振りを 捉える点で、クレーラーの舞踊の捉え方は、戯曲を執筆 したホ‑フマンスタールのそれと親近性を持っている。
ホ‑フマンスタールは、絵画などの自らの豊かな視覚体 験にねぎす身振りに、ドラマの要所で決定的な役割を与 えるからである。したがって、コレオグラフイ‑資料に おける線状人形は、戯曲の解釈という観点からも重要で あるし、舞踊以外のジャンルー例えば図像学や文学一に おける様々な身体イメージとの照応関係において解釈さ れる可能性も備えている。
次に、作中おびただしい回数フロア・パターンが切り 替えられているが、それが『バッカス祭』では装飾的、
『アテネの廃嘘』では人間関係の心理ドラマを表す傾向 を備えていることが注目される。もともとクレーラーの 空間配分の秩序は、一八世紀までに生み出されたフイ ギュ‑ルをよく踏まえ、幾何学的な精神と、洗練された 歴史意識を示していた。 (図8)そして舞台の上からパ ターンを捉える意識はその後も保存されるが、次第にモ ダン・ダンス色の濃い人物の相関関係や心理的な象徴‑
と変化してゆくようである。 (図9)これは明らかに、
一九世紀末的な装飾バレエの趣味から、人間ドラマに集 中させる心理空間を提示するモダン・ダンスへという、
舞踊史的な関心に応える変化を示している。
最後に、以上に見てきた四つの記述方法を用いたこと は、彼が複数の視点から舞踊を捉えていることを反映し ている。これは少なくないコレオグラファーのメモラン ダムに認められる特徴ではある。しかし例えば、同時代 にモダン・ダンス運動の舞踊家たちがいくつか生み出し た舞踊記譜が、踊り手の視点からの身体運動の記述がメ インであることを思い出してみると、視点の複数性、特 に上から捕らえる空間が重要な点に、クレーラーの独自 性を認めることができるだろう。劇場空間におけるこれ らの視点の所在を思い浮かべてみると、 ①では空間の上 方、 ②はダンサーの正面に視点をとっており、これはそ れぞれ、客席の高い舞踏会場や、プロセニアム・アーチ 型の劇場の客席に座る観客の視点と重なり合う。 ③と(む については必ずしも定点をとることはできないが、基本 的にダンサーに向けられた運動の指示(特にバレエの専 門用語)であることから、視点は踊り手と一体化してい ると捉えられる。したがって、クレーラーは、いうなれ ば踊り手と観客の二つの視点から舞踊を捉え、双方の視 点を行き来しつつ、自らの豊かな舞踊の経験を作品に反 映させて振り付けを行ったのだと考えられる。
おわりに
以上が、ハインリヒ・クレーラーの『アテネの廃櫨』
の、コレオグラフイ‑資料についての研究の現在の地点 である。最後に、彼のコレオグラフイ‑資料の舞踊史研 究の資料としての評価をまとめ、今後の展望に触れるこ
とで、この研究ノートの結びとしたい。
はじめに、ウィーンのバレエ改革についての舞踊史的 な関心とともに、作品資料として取り組んだが、この段 階で多くの問題が露わになった。まず文字の情報が完全 に解読できず、またできたとしても、舞踊としても人物 の行為としても情報量の少ない記述内容であること。そ して、舞踊記譜の方法を応用した記述システムは、独自 のアレンジにより身体運動についての情報を欠落させて いたことが挙げられる。さらに、記述が規則性をもたず 不均質なことにより、演出に関して求められる情報さ え、安定して得ることがままならなかった。これらは、
クレーラーのコレオグラフイ‑資料が、第三者に向けた ものではないことを端的に反映しているが、したがって その分析の際は、作品の記録や舞踊の記録ではなく、作 家の創作過程におけるメモランダムであることを念頭に 置いて取り組まねばならない。一方で、クレーラーのコ
レオグラフイ‑論を参照することで、この創作過程にお けるメモランダムが、作家自身にとって、あるいは記憶 を共有する者にとっては、作品の総譜にあたるものとし て機能することが確認された。その上で、記憶を共有し ない者にとっての資料的価値は、作家が舞踊の一般的な 要素をどのようにとらえているか、舞踊を時間と空間の 中でどのように分節しているか、作品のどの部分を記憶 されるべきと捉えているかといったことの中に模索され る。
このような観点でクレーラーのコレオグラフイ‑資料 を捉えたとき、歴史的な記譜法からの逸脱や不均一さと いった記述の問題点を、利点とすることができる。その 結果資料に読みとられたものは、クレーラーの舞踊観に
とどまらず、宮廷舞踊が歴史的に生み出してきた装飾 的、幾何学的な形態についてのコレオグラファーがの豊 かな教養、身体の統一的な捉え方や新しい身体イメージ の中に映し出されるモダン・ダンスとの親近性、そして、
『バッカス祭』から『アテネの廃櫨』の間の約一〇年間 に起こった舞台舞踊の変化等々である。これらの結果は、
バレエ改革の立役者でありながらレパートリーを遺さ ず、バレエとモダン・ダンスの中間に保留されてきたバ
レエマスターの評価についての、具体的な材料となると 考えられる。
最後に、コレオグラフイ‑資料の読解にもとづく研究 の現状‑の反省と、今後の展開のために、画像のデータ ベース、諸要素の数値化の必要性についてふれておきた い。今回見たような、それ自体の情報量が少なく、諸要 素の記号としての体系化が行われていないコレオグラ フイ‑資料の解読にあたって、切に求められたのは、比 較可能な外部の資料であった。特に、身体イメージを
‑165‑
静的に捉えるクレーラーと、自身の絵画的、図像学的な 記憶を戯曲に折り込むホ‑フマンスタールの仕事を架橋 するためにも、画像のデータベースを参照しなかったこ とが悔やまれる。また、今回二つのコレオグラフイ‑
資料の比較により明らかになったのは、舞台上の人員 や、身体イメージやフロア.パターンといった分節され ている要素の場面ごと、作品ごとの数が、クレーラーの 仕事の変化の一端を示しうるということである。その 際、ウィーンのバレエ改革が、舞台上の情報量を増大さ せた装飾バレエに対する批判であることから、フロア・
パターンのような数えうる情報量の比較によっても、
ウィーンのバレエ改革の一端を描き出すことが可能なの ではないかと考えられる。
注1) HeinrichKrollerバレエマスターとして、一九一七 年から一九三〇年までミュンヘン、一九一九年から 一九二二年までベルリン、一九二三年から一九二七 年までウィーンに在任。
( 2 ) Max, See: Tanzer, Choreograph und Regisseur in der Zeitenwende Zu Heinrich Korllers 40. Todestag und 90. Geburtstag am 25. Juli 1970. In: Neue Zeitschri丑 fur Musik. hrsg. v. Ernst Thomas u. Otto Tomek.
Musik Verlag B. Schotts Schohne: Mainz 1970. Nr. 9.
S. 447. Jungwirth, Katharina: Heinrich Kroller. Cho‑
reograph zwischen Ausdrucktanz und Ballett. MA an der Ludwig‑Maximilians‑Universitat Miinchen. 1996. S.
10.
3 ) Moroda, Derra De. Heinrich Kroller: A continental choreographer. In: The Dancing Times. London.
Sept. 1926. p. 563.は「バレエを書き留める方法を発 明」したとし、出版を希望している。ベルリン国 立歌劇場がシリーズで出版したイラスト本Pirchan, Emil. Josephslegende. Das Werk der Staatsoper.
Originallithographien zu den Inszenierungen der Werke moderner und alter Meister an der Berliner Staatsoper. hrsg. von Franz Ludwig Horth. Fritz Gur‑
li仕VerlagBerlin 1922.には、 『ヨセフ伝説』のコレ オグラフイ‑資料の一部が清書されて印刷されてい る。 Mlakar, Pia und Pino; Unsterblicher ¶leatertanz.
Notzel1996.S.92.は、 『ドン・フアン』を解読・再 演する意義を述べている。
(4)モロダとムラーカーは、クレーラーと同時代の舞踊 家でもある。
(5)改組に伴い何が変化したのかについては、拙稿「ド イツ文化圏における19世紀末バレエの克服と芸術 創造としての舞踊の試み‑『ヨセフ伝説』における
身ぶりの表現‑」大阪大学文学研究科美学研究室紀 要『美学研究』第二号で扱ったのでご参照いただき
たい。
(6) Amort, Andrea. Die Geschichte des Ballets der Wiener Staatsoper 1918‑1942. Diss. Wien 1982.
(6)一九二一年より一九二七年まで(正式な就任は 一九二三年から)
( 7 ) M. H.: Riachard Strauss und die Wiener Tanzkunst.
In: DerTanz. (1921), Nr.17, S.2.
( 8 ) Kroller, Heinrich: Moderne Choreographic ln: Blatter
der Staatsoper. Julius Kapp. 2Jg. 3. Heft. Nov, 1921.
S.17.
(9) FriedlichAlbertZornライブツイヒのバレエ教師。
一八四〇年にGramatik derTanzkunst.を出版。 19 世紀のドイツの記譜のスタンダードとなる。
(10)この評価は正書法との突き合わせからは読めない箇 所が存在することと、ガ‑ベルス・ベルガー協会に 紹介してもらった速記者の助言による。
(ll) Jeschke, Claudia: Tanzschriften. Ihre Geschichte und Methode. Bad Reichenhall: Comes 1990.
12 ebd.S.79.
(13) ebd. S. 79f.
(14) Jungwirth, Katharina: Heinrich Kroller. Choreograph zwischen Ausdrucktanz und Ballett. M.A. an der Ludwig‑Maximilians‑Universitat M也nchen. 1 99 6.
(15) ebd.S.432.
(16) Kroller. S. 17.
17 ebd.S.17.
(18) Death of Prof. Heinrich Kroller. In: The dancing Times. London 1930. Sep. 19
(19) Jeschke, S. 135‑162.
20 Kroller. S. 18.
(21) ebd. 17.
(22) Jeschke, Claudia: Bewegungen denken. In: Moving Thoughts, hrsg. von Janine Schulze u.a. Leipzig:
Tanzarchiv Leipzig 2003. S. 45.
(23) ebd. S. 45.
(24) Jeschke. 1990. S. 80.
図1 『アテネの廃嘘』 (表1の(彰番に対応)
図5 (表1の☆⑤番) 図4 (表1の★5番)
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fv一、 M s 図2 ツオルン式記譜例 Cos仙mtanz "Los Castellanos より
図3 (表1の⑯番Finale☆2貫目に対応)
図9 (表1の☆⑯番)
図7 ツオルンの"Grammatik...中の図版
図7 ツオルン式で記された"Menuetalareine
図6上から 図4の続きのⅦ 同
類似するフォーメーション 花綱飾りのイラスト例
ー167‑
図8 (表1の★十六番Finaleに対応)