﹁思 想の 自由 市場
﹂論 の組 み直 しに 向け て
阪 本 昌 成
は じ め に 第一 章
﹁思 想の 自由 市場
﹂批 判の 論拠 は何 にあ るの か 第二 章
﹁思 想の 自由 市場
﹂論 の組 み直 しの いく つか のス テッ プ 第三 章 基本 用語 の洗 い流 し 第四 章 Fr ee Ma rk et of Id ea sの 意義 お わ り に
は じ め に
⑴ アメ リカ にお ける 表現 権理 論の 指導 的研 究者 F・ シャ ウア
︵F .S ch au er
︶は
、﹁ 最も よく 知ら れて いる 修正 一 条の 理論 は、 一九 一九 年に 始ま った
﹂と
( )
いう
。こ れは
、A br am sv .U ni te dS ta te s, 25 0U .S .6 16 ,6 30
︵1 91 9︶ にお け
.
るO
・W
・ホ ーム ズ︵ O. W. Ho lm es
︶裁 判官 の少 数意 見を 指す
。す なわ ち、 修正 一条 に関 する Fr ee Ma rk et pl ac eo f Id ea s, 定訳 に従 えば
﹁思 想の 自由 市場
﹂と して 知ら れて いる 見解 であ る︵ 本稿 は、 しば らく の間
、F re eM ar ke tp la ce of Id ea sを
﹁ア イデ ィア の自 由市 場﹂ と表 記し てお き、 通説 的な 捉え 方を 語る とき には
、意 図的 に﹁ 思想 の自 由市 場﹂ との 表記 に
( )
よる
。︶
5
ホー ムズ 裁判 官の 有名 なフ レー ズは
、こ うな って いる
。
﹁歴 史が 競い あう 多く の信 条︵ fa it hs
︶を 覆し てき たこ とを 人び とが 知っ たと き、
…… 望ま しい 究極 の善
︵t he ul ti ma te go od de si re d︶ は、 アイ ディ アの 自由 な授 受︵ fr ee tr ad ei ni de as
︶に よっ てよ りう まく 達成 され てき たこ とを 確信 する よ うに なっ た。 すな わち
、真 実か 否か の最 善の テス トは
、市 場に おけ る競 争に おい て受 容さ れる だけ の力 をあ る思 想
︵t ho ug ht
︶が もっ てい るか どう かで ある こと
、ま た、 真実 こそ 人び との 願い を安 全に 実現 しう るた めの 基盤 であ るこ と を、 人び とは 確信 して きた ので ある
。い ずれ にせ よ、 これ がわ が国 制の 理論 であ る。 これ は、 人生 すべ てが 実験 であ るよ うに
、ひ とつ の実 験で
( )
ある
﹂。
9
⑵ この ホー ムズ の見 解は
、厳 密に いえ ば、 修正 一条 に関 する 法理・ 論・ では なく 非法 学的 な︱
︱あ えて いえ ば、 文 学的 な︱
︱ア ナロ ジー また はレ・ ト・ リ・ ッ・ ク・ に過 ぎな か
( )
った
。ホ ーム ズの 真意 は、 政治 的少 数︵ 反対
︶者 の言 明保 護ま
<
たは 自由 な討 議を 通し ての 公民 によ る自 己統 治を 強調 する こと にあ
( )
った
。に もか かわ らず
、ホ ーム ズの 姿勢 の底 流
=
には 彼の 経済 市場 理論 また は経 済市 場一 般に 対す る信 頼感 があ る、 との 理解 が普 及し てい
( )
った
。こ の理 解の もと
>
で、
?ホ ーム ズの 思考 は経 済自 由市 場に おけ る楽 観的 な﹁ 見え ざる 手﹂ 理論 さな がら だ@ と批 判さ れて きた ので あ る。 その 実は
、ホ ーム ズは 経済 市場 にお ける 自由 主義 の否 定論 者だ った のだ
。こ のこ とは
、労 働時 間制 限を 実体 的
du ep ro ce ss
︵契 約自 由︶ 違反 だと 判断 した Lo ch ne rv .N ew Yo rk 25 0U .S .6 16 ,6 30
︵1 90 5︶ にお いて 彼が 反対 意見 を 述べ てい たこ とか らも うか がい 知れ る。 彼の 真意 がど うで あれ
、経 済の 自由 市場 との アナ ロジ ーに 訴え かけ なが らア イデ ィア の自 由市 場を 語る やり 方 は、 建国 以来 の法 文化 の伝 統︵ マデ ィソ ニア ン的 表現 の自 由理 論= 公民 にふ さわ しい 対話 の自 由擁 護論 と︶ も共 鳴し た こと もあ って
、そ の後
、最 高裁 判例 にお い
( )
ても
、学 説に おい ても
、普 及し てい った
。そ れば かり か、 アイ ディ アの
Q
自由 市場 への コミ ット メン トが 現行 のコ ミュ ニケ ーシ ョン 法規 制に も影 響し てい る、 とま で断 定す る論 者す らみ ら
( )
れる
。
⑶ S
アイ ディ アの 自由 市場 とい う考 え方 は、 その 後、 L・ ブラ ンダ イス
︵L .B ra nd ei s︶ 裁判 官に よっ てや や精 緻 にさ
( )
れた
。こ れに 共鳴 した 人び とは
、ア イデ ィア の自 由市 場な る﹁ 哲学
﹂が 修正 一条 の特 別の 地位 を支 える もの だ
W
と捉 えた
。こ れに 対し て、 同﹁ 哲学
﹂に 批判 的な 論者 は、 経済 市場 の実 態を 引証 しな がら
、ホ ーム ズ= ブラ ンダ イ スの
﹁理 論﹂ の欠 陥を 浮か び上 がら せよ うと
( )
した
。批 判的 な論 者は
、経 済自 由市 場で の競 争的 環境 が維 持さ れれ ば
10
良質 の﹁ 商品
﹂が 勝ち 残る
、と 説く 経済 理論 の欠 陥を つい て、 アイ ディ アの 自由 市場 論に も同 質の 欠陥 があ る、 と 強調 した
。と いう こと は、 この 種の 批判 は、 経済 自由 市場 とア イデ ィア の市 場と をパ ラレ ルの 関係 に設 定し てい る こと にな る。 換言 すれ ば、 この 批判 は、 経済 自由 市場 の﹁ 見え ざる 手﹂ 理論 を修 正一 条に 転用 した
﹁理 論﹂ がア イ ディ アの 市場 理論 なの だ、 と位 置づ けた うえ で、 一方 の経 済市 場の 失敗 例を 引証 して 他方 のア イデ ィア の市 場の 失 敗を
﹁論 証﹂ した ので ある
。経 済自 由市 場が さま ざま に失 敗し てお り、 しか も、 自由 競争 の理 論が 現実 から 遊離 し てい るよ うに
、? 両立 しが たい 多く のア イデ ィア が競 争的 環境 に置 かれ れば
、良 質の 知識 また は真 実が 勝ち 残る
@ とす る理 論の 柔さ
・甘 さは 明白 だ、 とい うわ
( )
けだ
。
11
良質 の商 品が 経済 市場 でも 勝ち 残る わけ では ない
、と いう 具体 例を 列挙 する こと は簡 単だ った
。ま た、 経済 市場
が一 般均 衡状 態に は至 らな いこ とや
、そ の機 能不 全の 例を 指摘 する こと も簡 単で ある
。世 界恐 慌を 体験 し、 その 後 のニ ュー ディ ール 政策
︵政 府の 市場 介入 に︶ よっ て立 ち直 った かに みえ るア メリ カ社 会で は、
﹁レ セ・ フェ ール 政 策﹂ への 信頼 度も 確実 に揺 らぎ
、﹁ 見え ざる 手﹂ 理論 への 信頼 は地 に落 ちて いっ た。
⑷ たし かに
、一 九三
〇年 代と なる と、 経済 学の 潮流 も変 わり 市場 や自 由競 争の 捉え 方も 大き く変 質し た。 今日 の経 済学 の用 語で これ を特 徴づ けれ ば、
﹁市 場の 失敗
﹂︵ ma rk et fa il ur es を︶ 理由 とす る市 場へ の政 府介 入と
、市 場 の適 正な 秩序 を計 画的
・人 為的 に作 り出 すた めの 政府 によ る有 効需 要創 出を 容認 する 経済 学の 隆盛 であ る。 ひと 言 でこ れを 言い 直せ ば﹁ 自由 競争 への 不信 感﹂ を露 わに する 経済 学の 隆盛 であ る。 この 経済 学に おけ る論 調の 変化 に伴 って
、法 学者 を含 む社 会科 学者 は経 済学 の視 点を 利用 して ホー ムズ
=ブ ラン ダイ スの
﹁思 想の 自由 市場
﹂の 弱点 をつ いた
。彼 らの
﹁理 論﹂ は、 あま りに 理想 的な 市場 を念 頭に 置く 楽観 的比 喩 また は神 話だ った のだ
、と いう わけ だ。 経済 学の 視点 はと もか く、 たし かに この 比喩 が楽 観的 であ った こと は否 め ない
⑸ 。 法学
、憲 法学 に限 って いえ ば、 アイ ディ アの 自由 市場 論の 衰退 は、 同論 とあ たか もセ ット であ るか のよ うに 説か れて きた
﹁明 白か つ現 在の 危険
﹂テ スト
︵C le ar an dP re se nt Da ng er Te st
︶が 変質 した こと とも 関連 して いる
。 ここ での 詳論 は避 ける が、
﹁明 白か つ現 在の 危険
﹂テ スト に関 する 連邦 最高 裁判 例は
、言 論の もた らす 害悪 が重 大 であ るほ ど、 明白 性・ 切迫 性の 要件 を緩 和さ せて しま い、 結局 のと ころ
、害 悪の 重大 性と 害悪 発生 の明 白性 とを 衡 量し て﹁ 保護 され る言 論/ 保護 され ない 言論
﹂の 結論 を得 る手 法に 変質 した
。こ れは
、同 テス トが
﹁法 準則
﹂︵ le g- al ru le
︶と して の切 れ味 をも たな い、 個別 的利 益衡 量論 の一 手法 にな った こと を意 味し て
( )
いた
。
12
⑹ アメ リカ 憲法 学に おけ る表 現権 理論 の特 徴は
、個 別的 利益 衡量 論を 可能 なか ぎり 避け よう と格 別の 努力 を展 開し てき てい る点 に
( )
ある
。政 府に よる 表現 規制 が萎 縮効 果を 与え ない ため には
、事 前の 予測 と法 的安 定性 が確 保さ
13
れて いな けれ ばな らな い、 とい うわ けで ある
。連 邦最 高裁 と学 界と は、 この 点に 留意 して
、結 論を 誘導 する 力︵ 定 型化 され た要 件︶ をも って いる
﹁法 準則
﹂を 作り 上げ よう とし てき たの であ る。 法準 則の 確立 まで に至 らな いと き、 利益 衡量 のや り方 を教 導す る﹁ 司法 審査 基準
﹂︵ 大き くは
、三 つの 審査 基準
︶が 用い られ る。 三つ の審 査基 準に つい て、 ここ で論 ずる 必要 はな かろ う。
﹁明 白か つ現 在の 危険
﹂テ スト は、 当初
、法 準則 だと 期待 され た。 とこ ろが
、判 例上 そう では なく なっ た。 とな ると
、同 テス トと セッ トで ある かの よう に位 置づ けら れて きた アイ ディ アの 自由 市場 論も 学界 にお いて は評 判を 落 とす こと
、必 定と なる
。
⑺ それ でも
、連 邦最 高裁 判例 は、 アイ ディ アの 自由 市場 論に 依拠 し、 表現 の自 由の 特別 な地 位を 語り 続け て
( )
いる
︵民 主プ ロセ スと 表現 の自 由と の関 連性 を強 調す る最 高裁 判例 も、 本稿 は、 アイ ディ アの 自由 市場 論の 亜種 だと みて
( 14 )
いる
。こ の点 につ いて は、 後に ふれ るこ とが あろ う︶
。連 邦最 高裁 にと って は、 アイ ディ アの 自由 市場 論の もつ 説得 力 は 15
依然 とし て不 動の よう で
( )
ある
。な るほ ど、 連邦 最高 裁が 同論 の力 と論 拠を アカ デミ ック に探 求す るこ とは ない
。
16
その 探求 は法 学の 徒に 任せ てい るか のよ うだ
。が
、個 別的 な最 高裁 判例 が同 論を 展開 する とき
、? 何か があ る@ と 私は 感じ てい る。 ただ し、 連邦 最高 裁が アイ ディ アの 自由 市場 論を 口に する とき
、最 高裁 の結 論が 言論 擁護 的で ある とみ るの は早 計で ある
。同 論に は明 確な 輪郭 と論 拠に 欠け てい るぶ ん、 いか よう な方 向に でも 利用 でき る︵ 実際
、連 邦最 高裁 判 例は
、擁 護の 方向 にも 制約 の方 向で も、 同論 を用 いて きて いる
。︶
︵.
︶ F. Sc ha ue r, To wa rd sa nI ns ti tu ti on al Fi rs tA me nd me nt ,8 9M
IN N. L. RE V. 12 56 ,1 27 8n .9 7︵ 20 05
︶︵ 以下
、“ In st it ut io na lF ir st Am en dm en t” と 引用 する
︶。