、﹁ 事実 を誤 って 伝え るこ とに は、 憲法 上何 らの 価値 はな い﹂ と断 言す る
G e r t z
に反 対で( )
ある
︵こ の点 に関 し
69
ては
、本 章第 二節
⑴
の¬
に おい て紹 介し たフ ァー バの 見解 を参 照せ よ。 アイ ディ アの 自由 市場 論は、言 明者 の虚 偽表 明に は 寛大 で、 政府 の真 偽判 断に 対し て警 戒的 であ るべ きだ
、と いい たい ので ある
︶。
⑶
私は、こ こで は、
﹁事 実の 誤り
﹂の 社会 的価 値を 強調 した いの では ない
。﹁ 思想 の自 由市 場﹂ にい う﹁ 思想
﹂ にウ エイ トを 置い たと き、 一方 で、 記述 的命 題に つい ては
﹁事 実を 誤っ て伝 える こと には
、憲 法上 何ら の価 値は な い﹂ とい われ
、他 方で
、規 範的 命題 につ いて は﹁ 誤っ た思 想な どあ りは しな い﹂ とい われ
、﹁ 事実
/規 範﹂ の別 に 応じ て憲 法保 障の 領域 およ び程 度が 両極 化す るだ ろう
、と 強調 した いの であ る。 この ふた つの 命題 が両 立す るか どう かは
、﹁ 事実 の公 表/ 意見
・見 解の 公表
﹂、
﹁認 識/ 価値 判断
﹂と いう 新カ ン ト派 的二 分法 の正 否に かか って いる
。こ の正 否は 今の 私の 関心 事で はな い。 私は
、特 に新 カン ト派 の強 い影 響下 に ある わが 国の 憲法 学が
﹁誤 った 思想 など あり はし ない
﹂と 明言 する こと を期 待す る。 また
、主 義、 主張 等の 判断 作 用を 指す
﹁思 想﹂ を念 頭に 置き なが ら、
﹁﹃ 思想
﹄の 自由 市場
﹂論 が﹁ 真実
﹂︵ 事実 の真 実性
︶へ の到 達を うた った も のだ
、と 誤導 的な 紹介 を今 後は しな いよ う私 は学 説に 望む
。
︵
︶ Ch ap li ns ky v. Ne wH am ps hi re ,3 15 U. S. 56 8, 57 2︵ 19 42
︶.
︵ 57
︶ Se e, e. g. ,F ar be r, Th eC at eg or ic al Ap pr oa ch ,s up ra no te 12 ,a t9 20 .
︵ 58
︶ Se eV ir gi ni aS ta te Bd .o fP ha rm ac yv .V ir gi ni aC it iz en sC on su me rC ou nc il ,I nc ., 42 5U .S .7 48 ,7 70
︵1 99 0︶
︵情 報を 遮断 する こと の危 険と
、情 報 59 が自 由に 利用 でき ると きの 濫用 の危 険と の間 の選 択こ そ、 修正 一条 のな した とこ ろで ある
︶。
︵
︶ Ba mb au er ,s up ra no te 7, at 66 4.
︵ 60
︶ Se eA .M
EI KL EJ OH N, FR EE
SP EE CH AN DI
TS
RE LA TI ON TO
SE LF
-G
OV ER NM EN T8 6︵ 19 48
︶︵ 自己 統治 は市 場を 通し て真 理を テス トす るプ ロセ スで あ る 61
︶。 この 著作 でマ イク ルジ ョン は﹁ われ われ は、 人間 それ 自体 と同 じ尊 厳な る地 位を 人の 所有 物に 与え る誤 りを
、い つも おか しが ちで ある
﹂
︵I d. at 2︶ と明 言し た。 これ が、
﹁精 神/ 財産
﹂の 二分 法の もと での
﹁表 現の 自由 の優 越的 地位
﹂、
﹁二 重の 基準 論﹂ の原 型と なっ て、 戦後 のわ が 国の 表現 権理 論︵ およ び基 本権 論︶ に強 い影 響を 与え てき た。 もち ろん
、こ の影 響は
、こ の著 作だ けが もた らし たも ので はな い。 当時 の連 邦最 高裁 の裁 判官
、H
・ブ ラッ ク︵ H. Bl ac k︶
、W
・ダ グラ ス︵ W. Do ug la s︶ 両裁 判官 の〝 リベ ラル
〟の 見解 が、 わが 国憲 法学 に歓 迎さ れた ため で もあ る。
︵
︶ 本文 の説 明は
、F ar be r, Fr ee Sp ee ch wi th ou tR om an ce ,s up ra no te 50 を基 礎と して いる
。こ の論 者の 問題 設定 は実 に興 味深 い。 いわ く、
﹁表 現 62 の自 由の 特別 の地 位は この 自由 が他 には みら れな い特 異な 価値 をも って いる から では なく
、他 の公 共財 と同 様に 過少 生産 され るか らだ
、と な ぜ私 たち は考 えよ うと しな いの か。 表現 は自 己表 現の 領域 であ って
、経 済問 題で はな い、 と私 たち はな ぜ捉 えが ちで ある のか
﹂。 また
、前 掲注
︵
︶お よび その 本文 も参 照。 さら に、 情報
・知 識が 公共 財で ある こと
、そ れに 対処 する ため の法 的思 考に つい ては
、R
・ク ータ ー
=
・ユ ー 49
Th レン
、太 田勝 造訳
﹃新 版 法と 経済 学﹄
︵商 事法 務、 一九 九七
︶一 六一 頁以 下、 長谷 部恭 男﹃ テレ ビの 憲法 理論
﹄︵ 弘文 堂、 一九 九二
︶一 二頁 以 下、 同﹃ 憲法
︹第 四版
︺﹄
︵新 世社
、二
〇〇 八︶ 一一 四、 二〇 二頁 もみ よ。
︵
︶私 は先 の本 文で
﹁公 共財 の生 産・ 供給 等の
﹃市 場の 失敗
﹄が
、ど こま で、 経済 理論 から の批 判と して 一般 化で きる かは
、慎 重な 検討 を要 す る 63
﹂と 指摘 して おい た。 たし かに
、情 報は
、非 競合 性・ 非排 他性 をも って いる
。が
、し かし
、市 場に おい て有 用と 目さ れる 情報 は、 今日 にお い ては
、私 的財 とし ての 法的 保護 が与 えら れて いる こと のほ うが 多く
、情 報の 多く は商 品︵ co mm od it y︶ とな って いる
、と いっ てよ いよ うに 思わ れる
。た とえ
、法 的保 護が 存在 しな いと きで も、 情報 の生 産者 はそ の供 給す る情 報に プロ テク トを かけ たり
、コ ピー 可能 な期 間に 限定 をか けた りし て、 技術 的に 私的 財と なる よう 工夫 して いる
。情 報の 取引 が通 常の 私的 財と 異な る点 は、 情報 がコ ピー フリ ーで ある ため に、 生産 者が 収益 をあ げが たい
、と いう こと であ ろう
。こ の困 難さ は、 情報 が生 産者 の手 から 離れ て下 流に 行け ば行 くほ ど顕 著と なる
。が
、こ の傾 向も 情報 が商 品と なっ て市 場取 引の 大き なシ ェア を占 めて くる にし たが って
、技 術的 に対 処さ れる だろ う。
︵
︶ Se eF .S ch au er ,F ea r, Ri sk an dt he Fi rs tA me nd me nt :U nr av el in gt he
“C hi ll in gE ff ec t,
”5 8B .U .L .R
EV
.6 85
︵1 97 8︶ .シ ャウ アは
、す べて の法 令 64 は多 かれ 少な かれ
﹁萎 縮効 果﹂ をも つの であ って
、こ の効 果を 口に する だけ では 論点 を先 鋭に はで きな い、 とい う。 シャ ウア のこ の論 攷は
、 修正 一条 の哲 学が
﹁思 想の 自由 市場 の失 敗﹂ に寛 大で
、﹁ 政府 の規 制の 失敗
﹂に は警 戒的 なの だ、 と巧 みに 説明 して いる
。政 府規 制が 危険 回避
者を 産出 する もの であ って はな らず
、政 府︵ なか でも
、裁 判所
︶は リス ク・ テイ カを こそ 保護 せよ
、と いう ので ある
。
︵
︶ 政治 的言 論に 対し ても つ萎 縮効 果を 警戒 して
、連 邦最 高裁 は Ne wY or kT im es Co .v .S ul li va n, 37 6U .S .2 54
︵1 96 4︶ にお いて
﹁現 実の 悪意 ル ー 65 ル﹂ を確 立し た。 最高 裁は
、た しか に萎 縮効 果に 神経 をと がら せた が、 その 効果 をも って 問題 の州 法規 定を 違憲 とし たわ けで はな い。 Ne w Yo rk Ti me sの 法廷 意見 をも のし たブ レナ ン裁 判官 は、 問題 の州 法の 萎縮 効果 を、
損 害の 発生 が推 定さ れて いる こと
、 被告 の fa ul tの 程度 によ って は懲 罰的 損害 賠償 をも 許し てい るこ と、
い ずれ の場 合で も賠 償額 が高 額で ある こと
、 個人 を特 定し ない で政 府を 批判 した とし て も、 それ は関 連す る職 にあ る人 物を 批判 する こと だと 変形 され てい るこ と等 の法 構造 のな かに 見出 した ので ある
。
︵
︶ Fa rb er ,F re eS pe ec hw it ho ut Ro ma nc e, su pr an ot e5 0, at 56 1n .2 6.
︵ 66
︶ 名誉 毀損 事案 であ るG er tz での この 有名 なフ レー ズは
、あ くま で傍 論に おい て表 明さ れて いる 点に は留 意を 要す る。 傍論 にお いて 連邦 最高 裁 67 がこ こま で明 言し たの は、 公衆 の関 心事 にか かる 公的 なコ ミュ ニケ ーシ ョン の事 案で あれ ば、 意見 の表 明は 不法 行為 にな らな い、 と強 調す る ため だっ たよ うだ
。こ のフ レー ズは こう 続け られ てい る。
﹁あ る意 見︵ op in io n︶ がい かに 悪質 であ ろう と、 それ を糺 すの は、 裁判 官や 陪審 員の 良心 にか かっ てい るの では なく
、他 のア イデ ィア との 競争 に委 ねら れて いる
。こ れに 対し て、 事実 を誤 って 伝え るこ とに は、 憲法 上何 らの 価値 はな い﹂
。G er tz での この 傍論 は、 これ 以降
、﹁ 意見 の表 明/ 事実 の摘 示﹂ の二 分法 のも とで
、意 見保 護の 流れ へと 判例 やR
ES TA TE ME NT
の第 二 版を 向か わせ るポ イン トと なっ たの であ る。
︵
︶ Ge rt zv .R ob er tW el ch ,I nc ., 41 8U .S .a t3 39 -4 0. さら にG er tz は﹁ 名誉 毀損 の犠 牲者 にと って 第一 の救 済策 は、 自助
︵言 論に よる 対抗
︶で あ る 68
﹂と いう かと 思え ば︵ Ib id ., at 34 4︶
、﹁ 真実 が虚 偽に 対抗 でき るこ とは 滅多 にな い﹂ とも いう
︵I bi d. ,n .9
︶。
︵
︶ 連邦 最高 裁も
、N .Y .T im es Co .v .S ul li va n, 37 6U .S .2 54 ,2 79 n. 19
︵1 96 4︶ にお いて
、﹁
︵公 職者 を批 判す るに あた って
︶事 実の 真実 性を 証明 す る 69 よう 求め る法 準則 は、 公衆 によ る多 様な 討論 を制 限し 活力 を失 わせ る﹂ と指 摘し たさ い、 J・ ミル トン を引 用し て虚 偽の 言明 が真 実を 際だ た せる こと に貢 献し てい る点 を強 調す るに 至っ た。 Fa rb er ,F re eS pe ec hw it ho ut Ro ma nc e, su pr an ot e5 0, at 56 9は
、N .Y .T im es Co .の 法理 を、 経済 学の 観点 にた って
、次 のよ うに 解明 して みせ る。 新聞 社の 編集 者は
、記 事が 六〇
%真 実︵ 虚偽 であ るこ との 確率 は四
〇%
︶で ある こと
、こ れを 販売 すれ ば一
〇万 ドル の増 益が ある こと
、を 知 って いた とし よう
。さ らに
、こ の記 事が 真実 であ れば
、社 会的 な正 味利 益が 一〇
〇万 ドル にの ぼる とこ ろ、 虚偽 であ ると して 名誉 毀損 と判 定さ れれ ば五
〇万 ドル の賠 償金 を支 払わ ねば なら ない
、と して みよ う。 社会 的総 利益 の計 算を もと にし て判 定す れば
、記 事は 公表 され るべ きで あ る。 が、 五〇 万ド ルの 損失 に直 面し てい る新 聞社 は、 損得 計算 をし て公 表を 避け るだ ろう
。こ の危 険回 避を 回避 する には
、新 聞社 によ る虚 偽の 公表 を大 きく 保護 する 法理 が必 要と なる
。萎 縮効 果ま たは 自己 検閲 とは この こと をい う。
お わ り に