アメリカ合衆国一九六四年公民権法第七篇制定及び一九七二年法改正に至る社会的背景を検討する。(1) 私は以前、同法第七篇における雇用差別訴訟の差別成立に関する論稿を発表する機〈言に恵まれた。その際、第七篇訴訟における雇用差別の成否の法理を検討するにはアメリカ合衆国特有の差別に関する歴史的、社会的、文化的背景(2) の検討が不可欠であると、感じた。本稿は、この点に関する若干の検討を試みる。ところで、わが国の文献でもこの点に関する論文は既にいくつか発表されている。たとえば、花見忠教授の「採用
の自由と基本権11司法救済と行政艇瀧」や奥山明良教授の「アメリカ雇用差別禁止法制の生成と発騨」といった労
作である。花見教授の論稿は、主に、合衆国議会での議論を検討する中から第七篇制定過程時の論争点および七二年米国における雇用平等法立法化の背景(藤本) はじめに
米国における一雇用平等法立法化の背景
’一九七二年法制定に至る社会的背景-1藤本茂
法学志林第八十七巻第一号一一改正に至る法制上の問題を浮彫りにしている。奥山教授の論稿は人種差別に対する法規制の契機を歴史的に解明しかつ、連邦、州の関連立法、法的規制の現在を丹念にフォローしている。
また、桑原靖夫教授の「雇用平等立法の効果と限界--欧米の経験に学ぶ挫唾」は、七一一年改正後の法状況を、社 会学的見地より「社会的公正」の概念でもって分析している。そして、現在陥っている欧米の雇用平等問題の混乱状 況を雇用「平等」法という〈パンドラの箱〉を開けた事態、と鋭く指摘する。 確かに、〈パンドラの箱〉を開けたことによって多くの混乱が生じている。しかし、なぜ、アメリカ合衆国は、〈パ ンドラの箱〉を開けたのであろうか。まだ〈パンドラの箱〉の底には「希望」が残っていた。雇用平等法という〈パ ンドラの箱〉には「希望」は、ないのであろうか。あるとすればそれは何なのであろうか。本稿は、この意味では、
なぜ開けるに至ったのかを、検討する。その際、私は、次の点に留意することが重要であると考える。(6)
第一に、アフリカ系アメリカ人を筆頭とする少数派の置かれ続けた社〈声的経済的不平等の解消を、「平等」の問題 として法的にどう組み込んだのか、である。たとえば、第七篇が、かかる少数派の社会的経済的地位の向上を雇用上 の「平等」という点からみて、使用者の採用の自由を制約したと述べる場合にも、当該自由に対する制約には一一つの 契機が考えられる。第一には、人員選択方法決定の自由を制約する契機である。第二に、そのなかで残った者の中か ら誰を選ぶか決定する自由を制約する契機である。前者は、従来の雇用劃慶の差別的性格(たとえば人種分離制度) をどう捉えるかとも関係し、かつ従来から少数派の置かれてきた社会的経済的状態を、法の視野にどう持ち込むこと ができるか(たとえば雇用試験の筆記能力検査を差別問題として法の視野にどう採り込むか)と関係する。後者は、
採用や昇進などの有資格者のなかに少数派に属する者がいる場合、その者を採用あるいは昇進させると決定をするこ との是非(たとえば採用について少数派の者に決定することが逆差別となるか)である。この点は、単に少数派の社 会的経済的地位の低さの問題に解消されない論点を含んでいる。 第二に、アメリカ合衆国における雇用関係・労使関係法に関する「平等」概念の系譜である。「平等」は、使用者 の契約の自由〈取り引きの自由)を制約する法概念として広く用いられてきた。今回の第七篇もこの系譜に属すると 考える。とすると、ニューディール期の労働立法との関連性について検討する必要があろう。 第一一一に、一九六四年公民権法は、雇用以外の分野での人種等の差別をも禁止している。たとえば、選挙権資格、公 共教育機関、公共施設利用に関する人種差別政策の禁止などである。雇用の分野に関する第七篇は、その中の一篇で ある。この点から、「平等」概念について、これら他の分野の「平等」との一般性と雇用独自の特殊性(あると思う が)をどう明確化するかの問題がある。もっとも、この論点は、本稿では扱えなかった。 以上の観点から、アメリカ資本主義の展開と人種分離政策によって少数派が置かれ続けてきた状況、それを是正し 解消する「雇用平等」の理念、第七篇制定への原動力である黒人等少数派の公民権運動、そのなかで醸成された「平
等」理念を検討することとする。(1)拙稿「アメリカ合衆国における雇用上の平等一’一一一完」法学志林八五巻一、一一、三号。(2)前注八五巻一号七二頁など。(3)東京大学労働法研究会編『労働法の諸問題」勁草書房二九七四)所収。(4)成城法学一四、一五号(昭五△。(5)ジュリスト八一九号。米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)一一一
人種分離制度(、の胃の、且。ご)は、アメリカ合衆国の人種差別の一形態である。しかし、当該制度は、アメリカの経済、国家政策のなかで果たした役割、歴史性、生活領域に及ぶ範囲の広さ、詳細さ、徹底さ等の点で、制度としての完全さを有していた。人種分離制度は、その意味でアメリカ資本主義のなかで白人優越主義を満足できる象徴的制度
である。一九六四年公民権法第七篇が雇用における人種分離制度の撤廃をその目的の一つにしているのも、かかる人種分離(1) 制度の実態と深く関わっている。しかし、かかる制度の及ぶ範囲の広さ、詳細さへ徹底さの故に、雇用の分野のみの問題では解決しえない困難性がある。たとえば、雇用での人種分離制度が黒人等の少数派に経済的低水準を強い、それがかかる少数派子女の教育上の低水準を招きかつ維持し、その結果社会的に低い地位とされる職種に就くことを余儀なくされると同時に、かかる状態を低学歴であることを理由に肯定化する、といった具合である。雇用上の人種分離制度の撤廃はかかる全社会に
およぶ人種分離制度の環を切り離すひとつの方法として位置付けられる性格のものであろう。 法学志林第八十七巻第一号
■ (6)以後、単に黒人と称することとする。
一人種分離制度の形成・発展と法状況
1人種分離制度の生成
四
(2) 人種分離制度は、単に、奴隷制度崩壊直後の南部において制定された「黒人法(画一■C寿o・口の)」に代わる制度として発生したわけではない。北部において南部奴隷制度と同時期に生成し、南北戦争による奴隷解放以後、アメリカ経(3) 済が工業化に向けて発展するととJbに、アメリカ社会全般に広がった制度である。すなわち、北部にあっては一八三○年までに奴隷制度は廃止され、自由な黒人は、奴隷を強制されることなく選挙権等の公民権を法的には承認された存在であった。しかし、このことは、北部が南部と異なり白人優越主義と無縁の
地域であることを意味するわけではない。北部にあっても、法的にはともかく社会生活の次元では「第二市民」とし(4) ての地位を認識させる様々な方法が黒人に対して取られていた。たとえば、黒人の「ゲットー」は一八四○年代すでに、ボストンやニューヨークに存在していたし、学校教育においても黒人は黒人学校で教育されていた。また、南北戦争頃の北部は、株式会社制度の導入、重エ業生産、中央銀行設立等が相次ぎ、金融資本が形成されつ
つあっ運。この時期において北部では、黒人は、既に自由な市民であり、エ業化された都市社会にあって人種分離制
度の下で特定の居住区に住み、下層労働者層を形成する「第一一市民」の地位にあった。南北戦争は、経済的にはアメリカのエ業国化への発展を決定づける内乱であった。北軍勝利の結果、南部は、北部による占領・再建下に置かれ、北部による強圧的な「人種平等政策」を受け入れなくてはならないこととなった。このことが南部の人種関係を非常に不安定な状態に置いたことも事実であろう。奴隷制度に類似する「黒人法」の制米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)五 2人種分離制度の発展
法学志林第八十七巻第一号一ハ定・廃止も従来の人種関係を変革しなければならない情勢と従来の人種関係の》樺持との間での模索の過程で生じた出来事であった。他方、奴隷解放により自由となった黒人は、たとえば、投票権、陪審員となる権利等の行使により黒人の政治力が一挙に増大するなど、法的に保障された「自由と権利」を享受できた時期でもあった。(6) しかし、アメリカの海外膨張政策のための「一八七七年の妥協」によって、人種平等の道は、南北の統一の名の下に頓挫することとなった。二八七七年の妥協」により、自治権を回復した南部は、南部内でのプアーホワイトと従来の富裕な白人との抗争を黒人をスケープ・ゴー卜することによって解決する方法を採用した。このことは、人種分離制度の新たな段階を迎えることとなった。人種分離制度は、たとえば、公共施設や交通機関での周知の人種分離や「祖父条項」などの投票撫餐格制限条項等、会社のあらゆる場面で厳然と徹底的に実施されるようになったのである。雇用に関してもこの点は同様であった。奴隷解放後、黒人の多くは、南部に留まり主に農業労働に従事していた。
しかし、農業生産方式の改善、南部地域のエ業発展、技術革新、北部からの白人の流入等によって、使用者による差(7) 別的雇用、人種分離政策や同蘂組合・労働組合による組〈ロ加入資格の剥奪や制限がなされ、従来黒人の職種とされていた鍛冶職等の技能労働からも閉め出されることとなった。黒人は、僅かばかりの技能からも自由とされた結果、何(8) 等の身分的拘束もない「自由な労働者」として南部社今云にあってもその社会的地位を限りなく低下させていった。他方、アメリカ金融資本の飛躍的発展は職黒人を徐々に南部から北部へと移動させることとなった。第一次大戦を経る頃には、北部エ業都市では、流入した黒人と以前からの白人との間で雇用の確保をめぐる人種間の緊張をもたら
すようになった。その緊張状態は、北部の人種分離制度を先鋭化させていった。こうして、南北戦争を境に、人種分離政策は、北部固有の人種差別制度から、南部を経て一層先鋭化され、アメリ
人種分離制度は、労働市場において職種選択の自由を、企業内部にあっては募集・採用、昇進・昇格あるいは移動 (可目の獣)の機会(職務C◎ず)選択の自由)を、黒人等の少数派から奪ってきた。ここでは、後者の差別構造と密接
(、)に関連する企業の労務・人事管理の側面からその関連性を検討して見たい。アメリカにおいて、雇用関係はエ業の発達とともに契約関係として捉えられるようになった。しかし、初期の段階 では、生産に多くの熟練を要し、雇用形態として、内部請負制(茸の目色-8口甘口R⑰〕閏の日)が採られた結果、実際の 労務・生産管理の権限は請負人としての熟練エにあり、使用者の労働者管理は間接的なものでしかなかった。その後、 使用者は熟練エを直接雇用する職長制を採用するようになり生産・労務の管理支配を徐食に強めていく。しかし、現
場での権限は職長たる熟練エが握っていた。この生産p労務の管理支配構造を根底から変様させたのが、「大量生産方式」であり、労務。人事の「科学的」管
えたのである。 (9)力全土に広く行き渡っていった。結局、人種分離制度は、白人優越主義によって支蘂えられ、アメリカ経済の発展と共
に発展した制度であるということができよう。雇用関係にあっても、人種分離制度は、「自由な」市民社会の理念をゆるがせることなく、白人優越主義を満足させるに足る有効な制度でありえたからこそ広範かつ長期に渡って持続し理である。
「大量生産方式」は、大量の移民、第一次大戦を契機とする黒人等の少数派及び女性という膨大な非熟練労働者層
米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)七 3「科学的」管理と人種分離制度
法学志林第八十七巻第一号八を背景に飛躍的に発展した。かかる方式は、技能労働から機械による分業に基づく労働の単純化、不熟練労働を可能(u) にした。この結果、熟練エの生産・労務への支配は根底から覆されることになる。.(聰)「科学的」管理は、従来の熟練エによる「成り行き管理」を排徐し、企業の〈ロ理的運営を実現するために作り出された。その内容は、概略次のようである。すなわち、職務内容を徹底分析し、次に作業エ程に「標準」作業麓なるものを作定する。それに基づき作業それ自体の設定、計画、配置を行うというものである。しかし、かかる管理方法は、(週)単に、作業エ程の《ロ理化に限らず、新たに人事・労務の管理を専門に行う部局を必要とし、さらに、管理事務部門にも応用され企業組織全般に渡って実施されるようになった。こうして、使用者による生産や人事・労務の管理に関す(皿)る中央集権的管理支配体制が確立された。また、かかる体制の確立が熟練エから蛍働者管理のヘゲモーーーを奪い去ることを意味するものであったために職能
組合と使用者との間の対立抗争も激烈であったのでん蕊・
「科学的」管理は、ますます職務を細分化、専門化し、各職務権限・責任を明確にし、職務の客観化された資格要(、)件を設定し、巨大化する企業組織の客観的〈ロ理的運営に寄与するようになっていった。また、人事・労務部門の拡充により、労働者の採用、教育・訓練、移動昇進・昇格、解雇等の合理的労働者配置及び管理が行われ労働者支配を確固としてきた。いまや、企業は、客観化された職務に労働者をいかに適正に配置するかが重要になったといえよう。(Ⅳ) しかし、かかる企業組織形態、運営は一方では、使用者個人の窓意的な嗜好による差別を排除する機能を営みうるとはいえ、他方では、差別の形態をその存否も含め、複雑にする。第一に、募集・採用、教育・訓練、移動、昇格・昇進、解雇等に設定された基準とか職務の資格要件が、それを差別の対象として認識するか杏かを含めて問題となりうる。たとえば、トラック運転手の職務について、黒人は市内運送業務に就き白人は市外運送業務に就くといった人種により分離された職務となっていた場合、それが改正され両方の職が人種に関し開放され人種分離が撤廃されたとしても職務としては区別されたまま残り職務間移動が禁じられかつ採用について在職労働者の紹介を条件としていたままならば、従来の分離制度下での人種構成と変わらないことは、
容易に想定され是延・この場合、かかる改正が差別と認識されるかどうか(形式的には両方の職務は白人黒人双方に
門戸を開いたことになる)、何を差別として問題とするのか(職務を区分したままであることか、職務間移動の禁止か、採用条件か)、何を理由として差別とするのか(使用者は、新制度採用の際の差別意思が問われるのか、新制度 採用以降も変わらない状態が予見できたにもかかわらずそれを回避していないことか、あるいは単に差別状態が継続
する事実に責任の所在を求められるのか)等が問題となる。第二に、採用、昇進等に関し多く実施される試験等人選の審査基準・内容の問題である。たとえば、雇用試験において、職務遂行とは直接関係のない知識を出題したり、より高度な知識を要求するといった場合である。この場合人
種に関係なく審査するとしても結果的には黒人が切られることが多くなる。これを差別と認識するのか。何を理由として差別というのか(使用者が黒人等少数派を排除する意思をそこに見るのかあるいはそうではなく結果からか)。 差別とされるとしても雇用試験の設問のどの部分が差別として問題とされるのか。当該設問と職務との関連がどの程 度ならば差別と判断されるのか。それが最終の結果にどの程度影響していれば、差別とされるのか等、解決困難な問
題が生じる。
第三に、外部や労働組合の職業訓練機関の人種差別政策あるいは差別撤廃への無関心によって、労働能力向上への
米国における雇用平簿法立法化の背景(藤本)九アメリカの雇用慣行の特色を示すもうひとつの例に人員補充方法がある。アメリカでは、人員補充は、欠員が生じた場合その都度行われ、・空席のあるなしに関わらず一括して定期的に採用(、)
が行われることばないといわれる。また、使用者は人員選択の方法決定の自由があり、公募や「職業紹介所」を介し た採用を特に義務付けられているわけではない。したがって、求職者はまず、特定介業毎の「職務」内容、応募資格、 空席の有無などの情報を得ることが実際に雇用機会を確保するうえで重要になる。 事実、黒人等の少数派は、白人の現職労働者の空席に関する情報からは遠ざけられ、企業からの学卒予定者の募集 は白人学校のみであったり、民間職業紹介所を介する場合でも白人をのみ対象とするものであっ姪廻、一般公募の場
(翠)〈ロでも応募書類に人種を書く欄があったり仮になくとも公募者氏名から黒人であることが推察でき使用者ボ容易に人
種を知ることができる等の結果、より良い雇用の機会から遠い存在であった。黒人等の少数派は、雇用に関する情報から遠ざけられた結果、より良い雇用の機会からますます遠ざけられ、「第
二市民」の地位を固定化されてしまったといえよう。 法学志林第八十七巻第一号一○門一戸が黒人に対して閉ざされていることが多いが、これらの教育、訓練を経たことが採用、昇進等の条件となっている場合、かかる条件を設けることの当否を含め雇用上の差別としてどの程度まで法が、使用者の人事政策に介入しう
(四)るか、問題となろう。この種の問題は単に雇用に留まらない広がりを持つものである。4人員補充方法と人種分離制度
「自由放任」は、企業活動のレベルでは、国家による干渉の排除、私的経済領域での自由競争を前提とする私的利 潤の追及、自由企業(鴬の①具の『胃厨の)の理念であり、労使関係のレベルでは、経営特権(曰:四mの曰のロ〔胃のHom畠『の、)
(型)の確立という経営事項に関する使用者の排他的特権の主張として現れた。また、社会的には、「適者生存の法則(社
(露)〈云的ダーヴィニズム)」が主張され、個人の自由競争を正当化する理念が語られた。しかし、自由放任は個人が同一の基盤に立った「自由競争」であって初めてその論理的整合性を有する。それを欠
く所では、単に社会的弱者切り捨ての論理以外のなにものでもない。当時の急速に金融資本化されつつあるアメリカにおいては、まさに強者のための論理でしかなかった。とはいえ、経済発展、海外膨張期のアメリカにあっては、かかる理念は「自由と平等」の理念の延長線上にある支
持されるべき論理として広範に浸透し単なる社会的理論に留まらず法的意味すら有したのである。 (四)た。南北戦争以降、アメリカ産業資本は急速に金融資本化する。南北戦争の北部の勝利は北部産業資本家の勝利でもあ った。北部産業資本は、自らの理念を「自由放任」とし、アメリカ資本主義の発展に応じてこれを適度に主張してい
自由放任は法的には契約の自由として観念され、私的経済活動領域における国家的規制の排除を第一義とする。
米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)一一 5「契約の自由」と雇用差別
(1)
コモンロー上の「契約の自由」
(鋼)コモンロー上の契約の自由の保障は、合衆国憲法上の「適正手続条項(ロ臣の勺H・・の閉口目、⑦)」(特に修正一四条)(釦)が実体的権利をjも保障したと解されるに及んで、実定法上の根拠を有することとなった。元来、「適正手続条項」はγ人権保障に関わる連邦や州の規制について、手続上の適正を連邦や州に求める規定であると解されてきた。また、「適正手続条項」が明言する自由(一影口ご)とは、主に身体的拘束からの自由であり、財(狐)(鋤)産(で8口の耳])とは所有および使用を指し、契約の自由は含まれていなかった。
一九世紀末から今世紀にかけ、「適正手続条項」は徐々に、国家からの規制を排除する実体的権利を保障した規定
法学志林第八十七巻第一号一一一元来、コモンロー上では雇用関係は、主人と従者双方の義務と責任を課す身分関係と捉えられていた。.(妬)一九世紀後半、産業の発展と共に、雇用関係は近代的契約関係理論によって説明されるようになる。かかる展開は、使用者の被用者に対するコモンロー上の身分関係から導き出される義務(例えば被用者の健康や幸福を保護する義務)を、約定事項のみ使用者は責任を持つという形で軽減し、職務上生じた危険を被用者に負担させることとなった。また、契約解除の自由は、労使双方同等のものと観念され、いかなる理由によってもあるいは理由がなくとも自由に(”) 行使できるとされた。その結果、従来期間の定めない契約が一年の期間と推定される原則に対し、原則が逆転し、いわゆる期間の定めない契約は労使双方随意に雇用を終了しうる鼻葛筥雇用と推定されるようになった。雇用関係を契約理論によって説明することは当時の使用者の責任を著しく減少させる機能を持った。と同時に、不熟練労働の度(鍋)〈pいを強めている当時の労働関係にあっては使用者の絶対的自由裁量を保障する機能をも果たした。②合衆国憲法による「契約の自由」の保障
であると解されるようになった。実体的デュープロセス(2ヶ鳥昌く⑦」色⑩宮。g路)の考え方である。これには、「財
(調)(鈍)産」を構成する内容に「職務(ずロ印冒の、、.。、目冨【]。p》g一言、)」や「労働(一:◎門)」が含まれ、労働権(勤労権、H-m宮 目冨・鼻)は財産権として市民すべてが享受しうる権利と解されるようになった。ただ、その実体は、自己の労働の 売買のため契約をする権利と構成されたが故に、他の「契約の自由」と基本的に変わるところがなかった。すなわち、 国家による規制からの自由を基調とし、自己の労働能力を自由に処分し、自由に移動し、適法な職に就く等の自由を 実現する契約を締結する自由として保障された。また、このことが、労働者も使用者と同じ市民として「幸福を追求
(弱)する権利」を実現できるとも考轌えられたのである。以上の結果、契約法の分野では、約因に関する精撤なルールおよび算葛苣雇用の推定等によって使用者の自由を
(鮠)制限する一般原則を見い出すことは、非常に困難であった。 不法行為の分野においても、この点は同様であった。解雇など労働者の蕊る経済的不利益は、退職によって使用者 が蒙る経済的不利益と同質の「契約自由」の行使の結果であり、別個独立した不利益とは捉えられなかった。また、 雇用差別自体を金銭的損害賠償の対象となる法益侵害と捉えることも、伝統的判例法によって類型化され、個人の行 為を一般的に規律する法原則を欠く不法行為体系あっては容易に認められなかった。 さらに、使用者の悪意(ず昌曰。【一ぐの、》のく一一目。{ざの)による差別的取扱、例えば解雇は、解雇手続自体が適法にな された場合、一般に、動機だけでは独立の不法行為を構成しないとされていたため、理由の如何からは不法行為とは
米国における雇用平等法立法化の背景(藤本) 一一一一 ③雇用差別に対する規制法学志林第八十七巻第一号一四なりえなかった。後に雇用関係の当事者以外の第三者による債権侵害等において、専ら悪意による行為が不法行為責(訂)圧の対象とされるに至ったが、証明等の困難性から不法行為を成立させることは容易ではなかった。以上のように〈人種等を理由とする雇用差別は、ほとんど法的救済を受けられなかった。では、差別的取扱に関する規制に関する制定法の分野ではどうだったのであろうか。(鍋)合衆国憲法修正一四条は「平等保護条項(の目色]官。(の30口。]皆いの)」でもって「州の行為(禺胃のmao口)」につき、差別的取扱を禁じ、合衆国議会にかかる点の立法制定権を認める。しかし、修正一四条制定当初、「平等保護条項」(調)は「適正手続条項」に包含され、独自の意義が認められていなかった。また、合衆国議会の立法制定権は「州の行為」〈⑩)に関するものであり、連邦は、州を飛び越え市民の私的関係を直接には規律しえないと解された。さらに、「分雛すれ(虹)ど平等(⑰の已口H具①す貝①P凹巨})」の原則が確立されるに及んで、州政府は広範な自由が保障された。それゆえ、連邦法(妃)による人種差別禁止政策の実施は非常に困難であった。「平等保護条項」がその独自の意義を評価され、雇用差別の撤廃の重要な武器として用いられるのは第二次大戦後
のことである。
(2)南北戦争直後、南部において奴隷制度に代えて黒人の経済的活動の自由や移動の自由等を制限し奴隷状態を維持する意図で制定された法の総称。北部の占領・軍制下において無効とされた。(3)C・v・ウッドワード箸、清水博、長田豊臣、有賀貞訳『アメリカ人種差別の歴史』福村出版(一九七七)三○頁。 (1)たとえば、冗員す●・国2月。m・ゴ・言臘の□]m・昌巳:二・P]・す⑫の円の悶島・口:昌目岸一のご回・吊昏のQぐ』】四骨薗少具・{】や霞.]国ロ・富】・ず.]・◎帛伊圏ご宛のざHロ】患『(こ『①)・国周すの『[国菖》属国:弄田:。『§已昏のショ且8口円の、巳⑫]円①曰懲(国ヱシ.巳司)ごく。]・伊田胃斤」.
く(u)泉卓一一箸「アメリカ労務管理史論」ミネルヴァ轡房(一九七八)四’五頁。塩見治人「「アメリカン・システム』の生産力穣造」オィコノミカ一一巻一号四七頁以降。(⑫)作業趣の決定を熟練エや職長の経験によって行い、これに基づき使用者が賃金を決定し労務費の軽減を図ろうとした制度。使用者の賃金決定に関する権限は強化したが作業趣の決定は熱線エに委ねられたままであって使用者の労働者管理・支配は不米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)一五 (、)賃金差別、
j の已己『■ロ。【の』。 ○ず自一の⑩伊・口一周岸〕]円..]臣『】愚『巨旦の具冒一胃】旦石豆-.8℃三。シ⑰己のRmom宛■、旨][翼⑫。乱日一口員-.口ご向日ロ]。]目①貝ご負o一『一一Fぴ①『‐昼⑦⑫画己ユoゴー用】ぬ与匿》・ぐ】、8『]・の8口の・向』.(□己『.。{二一旨。】③で忌腸.】』『『)・質①」・缶]津⑩」ご『・四目ごB⑫の口》倉四目寿同昌已一.罠‐B⑤具、ご」島のF圏三・・(冗員、、愚ご己『・で忌路』皀己)菅昌侭切I圏①.(4)C・v・ウッドワード前注醤、三一頁。(5)レオ・ヒニーパーマン箸、小林良正、雪山慶正訳『アメリカ人民の歴史』岩波新書(一九五四)特に(上)二一二頁以下、(下)一頁以下。ヒルファディング署、岡崎次郎訳『金融資本論』岩波文庫。鎌田正一一一「第一次大戦前のアメリカ資本主義」宇野弘蔵監修『講座帝国主義の研究3」青木野店(一九七一一一)所収。石崎昭彦署『アメリカ金融資本の成立」東京大学出版会(一九六二)、特に第一一軍。浦部法穂「アメリカの独占資本と最高裁(一)」国家学会雑誌八四巻一一・一一一号一頁、特に一一頁以下。(6)アメリカ海外膨張政策のため南北の再統一が早急に必要であった。①北軍の撤退、②国家的な保磯政策による南部の人爾平等遮成の放棄、③南部白人による南部支配。人菰問題解決の承認等を骨子とする一連の政策転換。(7)労働組合による人稲分離政策は職能を基盤とするAFLにおいて特に強かった。W・Z・フォスター箸、貫名奨隣訳『黒人の歴史』大月街店(一九七○)五○六頁。ハワード。ジン署、猿谷要監修、平野孝訳『民衆のアメリカ史(中)』TBSブリタニカ(一九八二)五四四’五四七頁。(8)C・v・ウッドワード箸前掲注(3)一一三頁。]◎旨・ロ・富の目砂句昌『両目。]日⑩日や圃○感8⑩席、】い】鳥◎目目」向曰さ月の,曰①具旨忌の己昌扁巳の冒(の⑫画畠閂員の目鼻】。p四一伊函ワ◎冒幻のぐ・噌巨(后g)“算巴凸。(9)人租分離制度の具体的形態は、南北と北部では差異があるといわれる。南部は職種、北部は職務によって人菰分離されて、jいたという。』]【H⑪』ご『・囚巨目『。⑫3.②百℃日ロ。【⑦P算麗⑰1画9.71 (、)賃金差別の問題は、多くは賃金が職務にしたがって決定される関係上、職務の差別に包摂される。両巨(二○・国こ【曰『。②目.
.(咽)泉前掲轡注(u)合』広文社(昭五二)。
(Ⅳ)泉前掲番注(u)五二-五四頁。副田満輝署『経営労務論研究』ミネルヴァ癬房(一九七七)二四一一頁。の⑩。温のの[圖巨沼』■自己三色目、の日の具ご苛餌「餉岸⑩宛騨8”の]昌一。:用のの□。pい】ず農勗の、》震両目ご】。]日①具・閃色8§」勺。『の『ご喜向」・ず]P円忌日言・”。、印色目」困曾ケ曾庁国筥.■胃8臣艮国『:⑪伸二○岡匡・閂ロ○・(]や3)》具呂、-画9.1J (四)し]岸のユニベ・囚巨目BいのP2R脚pC5⑭胃圏、I圏P凹旨I田切・J1 (四)出自『]『・同」二百a⑭幻蝕8[二m目且ロ島。pご両目己一.]日のロ百三ヶ員宅18両P巨農qや.《園ロョーロヶの己の⑫目19『》]四m‐ず厩。。ご向旦・ず罠ご』。a射]・の【◎目の】(ご日ぐ。。{臣一目◎厨勺円①脇凹巳弓)ご具『図l畠・(卯)司馬正次「アメリカの労働」石垣博美、小川晃一、大山綱夫、司馬正次、鈴木璽吉共著『綜合辮義アメリカ』木課社(一九七九)所収。田中博秀「雇用慣行の日米比較」日本労働協会雑誌一一二九号一一頁。(、)勺自]国・Z◎愚『8回目1m目旨①一両・田筥・の(o・壹倉目◎尹国旦司&『向日ロ一.]日の員圏(○.一巨日・ロ目『・勺局圏.】埠震)・禺邑・(躯)現在では、人種を示すあるいは類推しうる項目を設けることは実質上できない、桑原嫡夫「雇用平等立法の効果と限界」ジニリスト八一九号五一頁。
(鋼)宇野弘蔵監修「鱗座帝国主竣の研究3』所収の各瞼稿。有賀寛箸「アメリカ政治史』福村出版二九七四)。浦部法穂「ァ
(咽)職務による客観的労務管理について、泉前掲密注(u)第五率。職務分析の果たす役割、職務分析の方法について、藤田忠署『職務分析と労務管理』白桃審房(昭一一一四)。近時の経営実態に関して、山田正喜子署『アメリカの経営風土』ダィャモ一一四頁。F・W・テイラー箸、上野陽一訳『科学的管理法』技報堂(一九五七)二一九’二三五頁。一六
法学志林・第八十七轡第一号十分である。泉前注轡一一’三○頁。H・プレイヴァマン箸、富沢賢治訳『労働と独占資本』岩波番店(一九七八)一○九γ(、)一九一七年頃には事務労働部門にもかなりの程度及んでいたといわれる。H・プレイヴァマン前注密三二八’三三九頁。(u)H・プレイヴァマン前注譜九七’一○○頁。泉前掲轡注(u)一○一一一頁以降、特に一一三l一一四頁。白井泰四郎著『現代日本の労務管理』東洋経済新報社(昭五七)三四’三七頁。田島司郎署『アメリカ労務管理形成史』ミネルヴァ書房(一九八一)二三頁。ンF社(昭五六)。 一八’一一九頁。田島前注轡二五頁。M・J・ナドワー一一箸、小林康助訳「新版科学的管理と労働組(躯〉浦部前掲注(5)欝文一一、’一八頁。(妬)アメリカに関する「身分から契約へ」の史的展開について、木下毅箸『英米契約法の理論(第二版)』東京大学出版会(一九八五)第二章第三、四節。勺与農己叩⑥]目旨【・倉F圏ご》⑫。&のQ自旦冒冒⑫国四一]巨②旨の葛(両の己.”巨閉①二の畠の.】』$)》o高官自ら・算局』I屋『・シーご冒伊・のC匡目目・倉亭:。『P色亀自旦冒自切風色]”①]昌自⑫冒昏①□日芹の」の圖《の⑫。【シBの邑図圏(【]巨弓の『・】②己)・呉$1s・Z。(8)勺8[⑥同感目、鼻乱]一両日ご]。]円、い、巳目、斤冨Bpm【ロ]ロ】9画『、の汕昏のご巳ご【◎目付『目百画【の。p]]旨、。。」ず一号.麗国色『『・伊臼司幻①『・】田⑤.屋筐I】⑪畠・困鈩目・]旨・星.ご【四⑰(の、:」の閂§貝・坤巨.g息・(幻)シユ昌円ぐ.ご昌扁』⑫国[の⑩ご呂印,、庁・画『『(巳&)・(詔)雇用関係を純粋に契約理論ですべて説明されるとする時期はそう長くはない。雇用関係の特徴を経済的必然による強制が働きそこに成立する継続的関係であるとの認識が深まるにつれ、雇用関係の身分的性格を指摘する鰭稿が見られるようになる。1J 木下前掲密注(躯)第二率第四節。勺三]どのの一目一o寿.⑫9国:←の恩・色【ご‐さ》圏‐訊雪司切‐己・rl (羽)連邦の行為に対して、修正五条。州の行為に対して修正一四条。州による経済、社会立法について、当該条項が適用される。また、州憲法での適正手続規定は、「E三.{房のP、且」であるといわれる。たとえば、田中英夫署「英米法のことば』有斐閣(昭六一)七頁以下。(釦)田中英夫「私有財産機の保障規定としてのC戸の勺8,⑩閉口ppmのの成立」国家学会雑誌六九巻一・一|号’七二巻八号P畑博行「適正手続き条項と連邦殿高裁判所」川又良也編『総合研究アメリカ④』研究社(一九七七)所収など。(、)浦部前掲注(5)論文八四巻二・一二号一九頁。田中前注論文。(鑓)巨少目・]胃・》Oopm二目二.目]伊色ョ『亟麗Pg]』圏・息し曰・]貝・臣・oCp昌白二.口こい2弓亟$鴎》呉留トー患⑨.(鋼)巨鈩日・]貝・》OCpm昏昌旨目巳田自司亟圏P色[】匡切・]①傍目・]胃・星》CO曰⑩二日二.園]伊四司亟gPg⑰ご・(鈍)]』シ日・]臣『・・Oopm昏員】。:]伊当『亟麗』・貝]】圏・園部秀慣「米法における勤労楢」司法研究報告轡第三輯第五号(昭一一六)○
米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)一七, メリカの独占資本と最高裁(一一完)」国家学会雑麓八五巻一・二号。(型)石橋主税「アメリカにおける経営梅」高田源清縞著『経営梅の砿立』国元轡房(昭三七)所収、特に一一一一六’二二七頁。片岡昇署『労働者権と経営椀』労働法学出版(昭三八)、特に九九J一○六頁。シ・の四目臣①】0..斤》目冨国ぬう[8冨目四m①.①肝、ケ○円伊田弓]・」⑭『(』し⑰巴。
ご『・国盲目目。⑫のPの頁曾鈩・】。⑬』P切歯cロや『⑭)・(訂)F・向・団旨」⑰m・国・(銘)戸松秀典「平等狸 (訂)F・向・囚且厨・国・日」』巴IE西『・(銘)戸松秀典「平等保護と司法審査-1囚完」国家学会雑誌九○巻七・八号’九一巻七・八号。藤倉暗一郎「平等条項と連邦最高裁判所」、田中成明「平等主義と裁判の役割」以上川又編前掲注〈釦)番所収。芦部信喜「私的団体に対する人権規定の効力」、松平光央「平等保護条項と経済的不平等の是正」、田中英夫「ゾーニングと法の前の平等」以上芦部信喜・奥平康弘・橋本公亘編『アメリカ憲法の現代的展開1人槽』東京大学出版会(一九七八)所収。(鍋)戸松前注論文、九○巻七・八号一○’二頁。(知)Q乱一国崩冨、○湯の⑫》昌旧・両」・雷⑨(届忠)・一八七五年公民権法の合憲性が争われた。同法第一条は、全市民の財産樋等の権利が十分かつ平等に保障される旨の規定であり、第二条は、第一条により保障される権利を人種、皮膚の色を理由に侵害する者に、刑罰を課す旨、定めている。判決は、同法が連邦修正一四条に基づき制定されたものであるとみなしたうえで、同条に違反し違憲と判断した。(虹)国のいい]ぐ・句⑦侭巨8Pgの.Q・]]路(屋憲)・本件ではルイジアナ州の列車における人種分離法の連邦修正一四条違反が争われた。連邦最高裁は目的地に乗客全員を運ぶことができれば列車内部で人種分離をしても「平等保護条項」違反にはならない 法学志林第八十七巻第一号一八
(妬)判例では、シニの鴇]円く・⑫冨弄の。帛伊・巨墜:画.】『の。Q・合『(』g『)・旧◎&□円く・Z①葛唱C;鴎、.Q・留屯(』旨餉)・文献では、勺:]一言ロロ圏》目冨国、賃3両□巨国]。g・耳目岸]旨向日巳一・]日の具》患R]・忠・”の弓・葛』(忌念)・田中前掲注(釦)論文、・七二巻一一一号三八頁から七二巻八号一六頁、特に、七二巻七号二三頁以下。丸田隆「リアリズム法学の生成と機能に関する一考察」法と政治二九巻一号一三五’一三六頁。(妬)F・向・四目のm・向日も】・]日の具鼻菖]』『⑰.■且ご匙目一旬nの8日』○口口角日面目館昏①シヶロ②曰くの向浜の風②の。{因B己]C琶曾勺◎急国.s〔ざ一回目・伊・用⑦ぐ・〕g』・属]①I』冷桿(』②s)》鈩制昏胃向・口〕ロ詩巨・曰冨印巨ヶ、厨月の。閂浅目の臥厨口司画】N同日ご]。]目①員甲目胃囲伊の臼、一息・目房向日ロ一・〕;・sZ3庁己の、冨日ご卜・用2.℃s・患⑨‐垣留(已弓)・匡守&ヨ・国二目・“g》の耳目聰厨旨印且厨の》の1m鳴く.□鳥の勺・君のHo。.:」号の0..8頁・南向日勺一・]曰:ロ胃H】且目凰・自・皀冨・豈・炉・”の剣・忠.③予呂(乞薗)・匡津の」三・国pB8いのご・の圓口鴨勗Z・旨・§少一一三・鳥:胃の向昌一の」【・属〕巨鼻o“息のご勺『・阿蔑・ロ巨且の『司匡のご目、目a・”の一・
れた。連邦錘と判示した。
第一次大戦後から一九二○年代にかけてのアメリカ経済の繁栄を支える理念は、依然として「自由放任」であった。そして、かかる理念を実践する主体は戦前と変わらない独占資本であった。とはいえ、戦前の反トラスト的状態とは異なり、戦後は、「かつてない『自由放任』の享受を社会的に認容され、大企業-高能率の建前をかざして経営のあ(1) らゆる面に『資本の論理』の追求を効果的になしえた」状況を現出させた。事実、戦一別の二大財閥への集中とは異なり、産業ごとに寡占体制が確立し、その中で自由競争が見られた。また、中小企業などの寡占体制に対する批判は、(2)『個別対処的な自由主義的主張の枠内に留まっていた。結局、「自由放任」とは、総体的には寡占体制での巨大企業相
米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)一九 第一次大戦後、ア再編をなし遂げた。《
二「社会的公正」の生成と雇用上の平等
(狸)歴史的には、.八七七年の妥協」の一部とされている。E・N・グリズウォルド署、藤倉皓一郎訳『現代のアメリカ法」法律文化社二九六七)一一五l一一八頁。1前史
⑪第一次大戦後から大恐慌まで
アメリカは、技術革新・合理化を行い、いち早く平和経済に移行し、巨大化し成熟した独占資本の
法学志林第八十七巻第一号”二○
互間の自由競争の論理にほかならないといえよう・他方、この繁栄は、多くの社会問題を顕在化させたことも事実である。第一次大戦後の一時的螢鐵倒力過剰現象以降も、農業不況によるエ業都市への人口移動とりわけ南部黒人の都市への移動へ達業構造の転換による大量のレイ・オフなどで、いぜん、大量の失業者群は、減ることにはならなかったPまた、標準・規格化された商品の氾濫は、市民の生活様式・生活意識を変化させ、女性を労働力市場に送り出すことに、Uなった。さらに、経済の急成長によるインフレ、大量の不熟練労働者群の存在等は、就業労働者に対し労働強化を強いると共に、賃金の引き下げなどの劣悪な労働条件をも強制した。加えて、戦後の産業構造の再編は、労働組合運動にも重大な影響を及ぼした。戦後の産業再編は使用者による労働者の管理・支配を決定づけた。組合に対しては、使用者は会社組合(8日己:]巨巳:)の育成やオープン・ショップ
運動を展開した・労働組合側の対応は、鉄道産業のような一部に団体交渉の慣行・制度が見ら礼譲ものの、総体的に
(4) は職業別組〈ロ主義を推持し産業構造の変化に対応した運動を展開したとはい』えなかった。以上のように、第一次大戦後一九一一○年代かけての産業構造の転換は、一方で経済的繁栄をアメリカにもたらしたといえるが、他方では多くの面で社会的矛盾を抱え込んだ。かかる状況の中で、黒人等の少数派の置かれた状態はどうだったのであろうか。大量の失業者群にあって数少ない良好な雇用機会をめぐって、人種間、特に白人黒人の間は、より厳然かつ暴力を 伴うほどに緊張し、人種分離制度は、全国に浸透していったP政治力組織力を持たない黒人等の少数派は、使用者や
一九二九年秋、株式市場の投機崩壊を契機に始まった大恐慌は、アメリカ経済を根底からゆさぶった。もはや、私的経済領域への国家の積極的介入なしには体制自体推持しえなかった。ニューディール政策の登場である。ニューディール政策は、こと労働・社会立法および政策に関しては、その当初、「富の分配の不平等」に着目した自由主義的政策の延長線上で捉えられるといわれる。すなわち、対立する利益集団相互間の利害調整という性格を有していたといわれる。たとえば、全国産業復興法(吾のz農。:自己pm8q閃⑦8『①H]シn斤)も、ひとつには、労使間の経済的不平等を労働者に団結権、団体行動権を認め、労使の自主的交渉の下でこれを是正することを目的として
米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)一一一 労働組合に単に利用される存在でしかなかった。大勢は、外見上の好況の中に埋投し独自の社会問題としては認識されなかった。黒人等少数派の労働者問題を独自(5) の社会問題として認識し、対処するようになるのはニューディール期以降のことである。しかし、かかる状況は、黒人等少数派に対して主体的運動の重要性を自覚させる契機ともなった。たとえば、(6) zシ缶○田(z農。ごP]シ閉。。』農。pず円昏のシ牙色目の日の具。崗Q)一日の」勺①。□一の)の活動、黒人文化活動の活発化などがそれである。もっとも、これらの運動は基本的にはアメリカ的自由主義の発想であり、人種融合を基調とする平等主義(のP目一一息。p)に立っていた。ここに、第二次大戦後の公民権運動を支える思想のひとつを見ることができる。(7) また、黒人内部での階層分化が顕在化してくるのもこの時期である。後の黒人内部での人種平等に関する考え方の違いが生ずる要因がここに芽生えたといえよう。
②大恐慌p不況
ニューディール期の労働立法は、「社会的公正」の実現を目指す国家の積極的政策と見ることができる。労働立法によって国家は、労働市場において劣勢に立つ労働組合をつうじて、労働市場の統制を促進し、その統制力によって労働運動を体制内化することを期待した。と同時に、団体交渉を通じて、労使自治による労働条件の推持改善、さら(9) には、雇用拡大を図り、景気を回復させることも期待した。これは、労働政策的には、第一に、従来の労使関係が極めて個人主義的形式的平等論に立っていたのを、より現実に即した集団による平等主義への転換を意味し、第二に、国家の敷いた枠組みの中で、集団的労使自治による労使間の新たなルールを設定することを意味し、第三に、その緒(、)果へ連邦による間接的な労働条件統一および雇用の安定の達成を期待したとい蕊えよう。かかる積極的な労働政策は、企業内の労使関係にも新たな変化をもたらすこととなった。すなわち、労務・人事管(u)
理機構は、ある一定のルールの下に秩序立てられることになる。使用者の「経営権」の承認とその上に立った労働条
ニューディール期のかかる労働・社会立法および政策がP十分な成果を治めたか否かはともかく、労使関係という特殊社会の経済的不平等が労使間の交渉力の不平等に起因すると捉え、使用者の契約の自由あるいは経営特権を規制(8) する契機となった点に注目したい。また、その制約が「平等主義」の観点から捉鰐えられている点に留意したい。そして、経済的不平等に着目して「平等主義」の観点からかかる労使間の利害調整を使用者の自由の規制という方法で図っていこうとする政策目的を「社会的公正」と呼ぶ。 いた。一一一
2連邦労働立法と黒人の状態 法学志林第八十七巻第一号一一{一
件に関する団体交渉という構造である。
しかし、「経営権」の内容はさほど明確ではなくまた経営が労働者管理と関連し、結局労働条件と関わりを多かれ
(⑫)少なかれ持つ以上団交対象となり』えた。この結果、使用者は、採用、昇進等の人事管理に関し、窓意性を排除するこ とで組合の「経営権」への侵食を防ぐと共に、より合理的な経営を実施するため益々客観的な資格要件に基づく厳格
(過)な審査を行うようになった。また、使用者は、労働協約あるいは自らの政策として先任権制度を承認し労働者にある
(皿)程度の雇用を保障することを通じ、企業の規律推持及び価値ある労働者の確保を期待するようになった。 ところで、この状況は、黒人等の少数派にとってはどんな影響をもたらしたのだろうか。 採用、昇進等の客観的資格要件や先任権等の雇用保障は従来の黒人職に適用することだけではなく黒人等の少数派
(遍)に白人職への門一Fを開くことができる条件ともなろう。しかし、実際には、使用者は単独であるいは労働協約を締結
〈焔)し、人種分離政策を維持したため、多くの黒人は、ニューディール政策の恩恵を直接享受することができなかった。 たとえば、組合員の紹介によって組合加入が認められる場合、黒人が白人組合員の紹介によって組合員になるなど
たとえば、函容易ではない。また、全国組織に加入しても地方組織では、多くは白人組合とは別に黒人の組織を作ってのことであった。全国労
(、)勘関係法は一父渉単位による排他的交渉代表制を定めており、一父渉単位の決め方次第で白人職のみに先任権を認めある いは白人黒人職を含めた広い職務を一単位とした場合当該単位の多数を白人組合が占めることになる結果、白人組合
(肥)の利益が優先される。こうして、より良い雇用機〈室の平等な保障等の黒人独自の利益は、企業の雇用政策には、なか
(四)なか反映されなかった。米国における雇用平等法立法化の背景(藤本)一 一
三
一一ニーディール期の労働立法は雇用上の人種差別の撤廃を直接の目的としていない。その点では、第七篇と直接の 関連はない。しかし、労働立法を合憲と判断した考え方と合憲判断の手法は第七篇に影響を与えていると思われる。 法学志林第八十七巻第一号(皿) 二四さらに、被用者は個人としては、労働協約によって受ける利益の公正な取扱を、直接使用者を相手にして請求でき
(、)ないとされた。加えて、明文の差別分離制度を廃止しかつ先任権制度を黒人にも適用する場合でも、「使用者は、以前の差別制度の 時の職務ランクを事実上残し、・以前の黒人職を低いランクに位置付けたり、先任権順位を低くしたりした。その結果、
黒人は、レイ・オフ、昇進等で絶えず不利な立場に立たされていた。そしてなによりも、労使関係立法は、使用者の行為が被用者の団結権、団交権の行使と抵触する場合にのみ当該使 用者の行為を規制する。人種を理由とする差別的取扱を直接、禁止の対象とはしない。ここにすでに労働立法を雇用 差別に対して適用するうえの限界があった。また、一九三八年公正蛍働基準法は、労働時間p賃金など労働条件が基 準を下回る場合を規制する。しかし、当該法律も人種等を理由とする差別取扱を直接禁止の対象とするものではない し、実際には、黒人には、季節労働者、家内労働者や農業労働者が多く、したがって、黒人労働者の多くは、本法の
(型)適用対象外にあったといわれる。そして、この時期にあって白人と黒人の経済的格差は一段と拡大したのである。 ニューディール政策は、こと黒人等の少数派にとっては、利益をもたらしたとはいえず、黒人はニューディール期
(鰯)にも下級職種・職務に固定化。、永続化させられ、より良い職務に就く機会からますます遠くなっていった。
3ニューディール期の労働立法と第七篇
すなわち、第一に「社会的公正」に基づく積極的平等主義による使用者の自由を制限する論理の形成、第一だ、修正
◆一四条に代わる州際通商条項の立法制定権を用いて立法の手法である。以下、これらの点を検討する。
ニューディール当初、合衆国裁判所は「適正手続条項」を財産権等の実体的権利を保障した条項として捉え、連邦法、 州法による財産権の規制を違懲としてきた。これが変更される端緒となったのが、三閏Q)厨【国。【の一Q》.ご・㈲閂肝彦 事件合衆国最高裁糺湘である。本判決は、女子労働者の最低賃金基準を定めたワシントン州法の合憲性を判示した際、 修正一四条の「適正手続条項」について次のように述べた。「法の適正手続を伴わずに自由を奪うことを禁ずる合衆 国憲法の規定は、絶対的かつ無制限の自由を承認したことを意味しない。人民の健康、安全……福祉に脅威をもたら す害悪に対して法の保護を求める社会組織における自由もまた保護の対象となる。……その目的に合理的に関連し共
(霞)同体の利益(冒扁『冊【。{昏の8日B冒昼Ⅱ公共の福祉)にかなう規制は法の適正な手続である。」 こうして、連邦最高裁は、私的経済領域での個人主義的「自由・平等」の理念を一部修正し、その規制に対する違 憲判断を抑制した。結果、使用者にとって「契約の自由」は絶対的なものではなくなり、制定法の目的に限定される 範囲内に限られるとはいえ使用者の行為に「正当事由」が求められる結果を意味することとなっ趣・ これは、現実の労使間における経済的力量の差異が顕在化し、両者の対立が社会的に看過しえなくなり、個人主義 的「自由・平等」の自由な行使とその結果に対する責任との間の予定的調和が崩れたとき、それらの対立する現実的 利害を調整するとの観点に立ち、より具体的な社会関係での平等関係の実現を目指して、一方当事者である使用者の
米国における閥用平等法立法化の背景(藤本)二五(1) 「社会的公正」の論理
第七篇との関連を示すもう一つの点として、合衆国議会の立法制定権の根拠を州際通商条項に求めたことが掲げら
れる。合衆国議会の立法制定権限は直接市民を規律する法律につき、州との関係から、従来、制限的に解されてきた。特に雇用関係では合衆国議会はほとんど触れることができなかった。しかし、州際通商の拡大と共に連邦の私的経済領域への規制の必要性も増大する。こうして、州際通商を規制することのできる「州際通商条項(冒国の目①8日日3月
&目、の)」は次第に拡大解釈されるようになっ(樫・ニューディール期の労働立法もこれに依拠して制定された。
(餌)他方、修正一四条は、第一節において「州の行為(切目の、口啓。□)」につき、「適正手続」をとるよう定めている。従って、連邦は司法権につき「州の行為」に管轄権を有しその限りで州による市民の活動の規制を違憲としてきた。ところで、合衆国議会の立法制定権について、同条第五節には、市民の活動を規制する立法を制定することが認められていた。にもかかわらず、第一節と統一的に解釈され、「州の行為」が優先されると解されてきたのである。そのた かかる「社会的公正」の観点からの具体的平等の実現を達成する論理は、第七篇の法的基盤を用意することになっ(記)た。第一には、使用者の自由を規制する法的枠組みを提供することとなったという点であり、第二には、労働者相互間の平等関係の実現を法的視野に含めることを可能にした点である。 法学志林第八十七巻第一号自由を制約することを是認したものといえよう。(〃)が「平等」であると考農える。
②立法制定の手法 一一一ハこの規制を是認する政策目的が「社会的公正」であり、法的媒介項
ニューディール期に雇用上の人種差別撤廃に関する政策がなされなかったわけではない。「社会的公正」による平等政策が貧困や失業といった社会問題の克服にある以上、その影響を最も蕊る社会的弱者、黒人等の少数派を全く無
例えば、一九三三年失業救済法(号①ご己の己や一.】B①具閃の}厨(シ9.【】c忠)は、連邦における雇用機会平等の原則を最初に明示した法律で、本法に基づいて合衆国政府は行政分野での政策決定運用がなされた。しかし、同原則は政
策理念の表明に留まり実効性はなかったといわれる。また、連邦政府公務員の採用に関しては、一八八三年Q己の①『ぐ】8シRでメリットシステム原則を確立する試みがなされ、界且}の8口シRでは宗教上の差別を禁じ、雇用上の平等の一つの具体化を見た。もっとも、人種差別を禁ずることが連邦公務員に対し明示されたのは一九四○年大統領命令第八五八七号に基づくQ『一一mのHa8宛巨]のが最(狐)初である。これは同年”P目いごの。【シ9として立法化された。さらに、連邦政府契約者に対して政府が契約締結時に契約条項において公正雇用慣行を実施するよう義務付けるょ米国における履用平等法立法化の背景(藤本)二七 (鋼)視するわけにいかない。 め連邦が制定法でもって直接市民を規律することは、極めて困難であった。そこで、合衆国議会は、基本的人権の保障に関わる立法を「州際通商条項」の拡大解釈による手法を用いて、修正一四条の前記問題を回避したのである。「州際通商条項」に依拠する手法は連邦が直接、市民相互の関係を規律しう(皿)(躯)る新たな道を開いたのであり、第七篇も、かかる手法を用い、谷口憲性も確認されている。
4人種差別撤廃政策
法学志林「第八十七巻第一号1二八(躯)うになったの●も、一九四一年大統領命令第八八○二号においてである。(妬)いくロ衆国議会レベルでは、一九四一一年以降第七篇制定まで実に百を越える雇用平等慣行法案の提出がなされて●もいる。州レベルでは、ニューヨーク州で一九三九年、民間企業の使用者を対象とした法案が提出された。本法案は労働長(釘)官が申立てにより使用者の差別政策を調査し結果を公表するというものであった。しかし、制定法となったのは一九(躯)四五年の時点で、ニューヨークとニュージャージー両州のみであった。こうしてみると、第一に、雇用上の人種差別是正を直接の目的とする政策が講じられるようになるのは、ニニーディール期というよりも第二次大戦との関わりにおいてであるといえよう。すなわち、この時期における国際関係は〈ナチズムとの対抗関係が政治課題となりつつあり、ナチズムの民控應排外主義との明確な差異を国の内外に明らかにする必要をアメリカ合衆国に迫っていた。また、戦争遂行目的のため国内を統合する必要があった。合衆国の人種差別
撤廃政策はこの当時にあっては、かかる国家の対外政策上の要因によって促されたのではないだろうか。第二に、連邦レベルでは、人種差別撤廃政策は主に、行政政策として行われたということができよう。それも政府(羽)契約に関して公正雇用慣行を実施するよう求める大統領命〈祠の果たした役割が大きかったように思われる。しかしそうだからこそ、人種差別撤廃政策は特定の範囲に留まっていたし、実効性確保も違反企業の公表及び契約破棄に留ま
り、これらの実施も控えめで、啓蒙が主であっ(樫・
以上、ニニーディール期は、第一一次大戦後の人種差別撤廃政策の基鍛護備あるいは、その社会的背曇飛思想的背景が形成発展した時期であったといえよう。
(1)浦部法穂前掲麓文国家学会雑誌八五巻一・二号一○二頁。森呆「第一次大戦’一九二○年代のアメリカ資本主義」宇野弘
蔵監修前掲轡所収、一四一一一頁。(2)ラインハルト・ベンディクス箸、大東英祐?鈴木良隆訳『産業における労働と槻限』東洋経済新報社(昭五五)三七九’
四○○頁。(3)光岡正博署『団体交渉権の研究』法律文化社(一九八二)七四’八一一頁。桑原昌宏「アメリカの労働法」沼田稲次郎編
『労働法事典』労働旬報社(一九七九)所収、七二-七一一一頁。(4)Tww(世界産業労働者組合、一九○五年股立)が産業別組織化を目指して運動を開始したが、多数を得るに至らなかっ た・CIO(産業別組織会磯、一九一一一八年設立)まで待たねばならない。また、反トラスト法の組合への弾圧的な適用といっ たことも考慮されなければならない。川口露「アメリカの団結樋」日本労働法学会編『労働法瀦座第七巻下』有斐閣(昭一一一四)
所収。光岡前注密七○l八一一頁。(5)フーパー商務長官により始まった失業保険等の社会保障政策もその実効性は乏しかったといわれる。森前掲注(1)瞼文、
(5)フーェニ五四頁。F ̄、
zヨ【Z。