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藤原宮出土木簡㈲

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Academic year: 2021

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(1)

昭 和 五 十 八 年 五 月

飛鳥藤原宮発掘調査出土木簡概報㈲

藤原宮出土木簡㈲

奈良国立文

レし

財研究所

(2)

藤原宮出土木簡2

訂正

八頁﹁弘仁元年;この右に﹁︵以下別筆こを加える︒

(3)

図版一 j

木簡1表 (A

(C)

(B)

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図版二 木簡I表

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図版三 木簡1表・裏

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(6)

図版四 木簡1裏

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図版五 木簡I裏

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(8)

図版六 木簡2表

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(B)

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図版七 木簡2 表

(10)

図版八 木簡2裏下端・木簡1表裏全形・木簡2表全形

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(11)

 この概報には︑さきに公刊した﹁藤原宮出土木簡㈲﹂︵昭

和56年5月︶以後︑藤原宮の調査で出土した木簡について︑

その主なものを収録した︒なお山田寺跡出土のものを末尾

に附載した︒

一︑木簡出土の地点と状況

第一三︵次調査︵6 AT J‑C区︶

      昭和57年12月〜58年3月

 本調査は藤原宮西北隅を限る諸施設を確認する目的で実

施し︑T一〇〇「を調査した︒調査地は南北二地区に分か

れている︵巻末遺構配置図参照︶︒

 検出した主な遺構は︑北区で西面外濠S D 260 北面外

濠S D 145 '井戸SE3370南区で河川SD3408≪3410 ・

3411井戸卯内訳呂等がある︒木簡は回り回つから一点︑

回内旨呂から弘仁元年銘木簡を含む二占︷︵以下︑弘仁元年

銘を木簡1とし︑他を木簡2とする︶が出土した︒

 北区では西面外濠必しい呂と北面外濠必じ︸色の交点を

検出した︒宮の西面を北流してきた印り回口はこの場所で

北西方向へ流路を変えて宮外へ流れ出ており︑西流してき た叩り︸台は合流点直前の一六m程の間︑一旦北へ約四m湾曲することが判明した︒ 印り回つは西岸が完全に出ていないが︑幅約一七m以上︑深さI・六mで︑堆積土の中・下層で藤原宮期から平安時代の土器︑上層で鎌倉時代の土器が出土しており︑従来の所見と同じく︑宮廃絶後もこの濠が長らく存続していたことを示している︒木簡は西岸付近の溝底で削屑一点が出土したが︑小断片であり︑本概報には収載しなかった︒他の遺物としては︑瓦類︑陶硯︑土馬︑墨書土器︑帯金具等がある︒ 叩り︸刮は︑幅約七・五m︑深さI・五mで︑奈良時代前半の土器が多量に出土した︒おそらくその頃に埋没したのであろう︒他には瓦類︑削り掛け︑蘭笥︑陶硯︑土馬︑ ﹁廿七﹂ ﹁六十五﹂などが読める墨書土器等が出土した︒ 井戸叩吻S召は北区の東南隅にあり︑井戸枠は一辺○・八mで︑隅柱を立てて横板を組むが︑南辺は省略して掘形壁のままである︒深さはI・〇mである︒奈良時代前半の土器類が多量に出土した︒ 南区は大部分が河川流路である︒河川は東北方からの主

流路叩む訳右と︑南方からの流路SD3411が合流し︑西方

(12)

への流路叩し旨品につらなる︒最大幅は一五m近く︑深さ

はI・六mあるが︑長年月の間に細流が何度も流路を変え

て流れた様子がうかがえる︒遺物は叩りい呂と同じく︑最

下層では藤原宮期の土器を含み︑上層では一三世紀の土器

が出土したので︑鎌倉時代まで存続していたことになる︒

また︑下層から出土した緑粕瓶の同一個体の一部が北区の

叩む回っから出土したので︑この河川は叩む呂つへ合流し

ていたのであろう︒遺物としては大量の土器の他︑瓦類︑

土馬︑陶硯︑金銅製蝶番︑鉄製鋤先等がある︒

 南区は内濠および大垣の西北隅部分の想定位置に当るが︑

両方とも確認できなかった︒河川が藤原宮造営時に既に流

れていたとすれば︑当初から造営されなかったか︑あるい

は位置をずらして造られた可能性もあるが︑なお検討を要

する︒ 井戸㎝内旨呂は南区の東北隅にあり︑ωし旨右の北岸に

接しているが︑SD3410の岸が一部埋没したあと造られて

いる︒井戸枠の一辺はI・〇mで︑四方に︑縦方向に溝を

穿った隅柱を立て︑厚い横板を落しこんでいる︒現状で五

段︑一・一m分か残存している︒埋土は暗灰色粘質土一層

で︑底面に小石を敷く︒木簡1は上端から約八○四下のと ころに横向きの状態になってあり︑木簡2は東北の隅柱に沿って斜めに立ち上がるように埋没していた︒木簡の他︑削り掛け︑曲物底板︑横櫛︑土器︑富寿神宝が出土した︒掘形からも平安時代初頭の土器片が出土しているので︑ω内訳呂は短期間の利用にかかるものであろう︒ なお木簡1・2について︑釈読に必要な範囲内で外形上の観察結果について記しておこう︒ ︹木簡1︺長さ九八・二四︑幅五・七﹃厚さ〇・五匹︒     樹種檜・板目型式番号呂に出土地点CM25 一部を除いて四周はほぼ原形を存している︒欠損しているのは左側︵裏面では右側︶で︑特に上部では三分の一が欠け︑表で﹁凡海福万呂⁝﹂の記載の次の行の大部分二行分か︶︑裏で﹁・:凡海福万呂下充枇束﹂と﹁薔夢直五把﹂の記載の前の行︵それぞれ二行分か︶が欠落している︒なお裏面最上段の記載は右端が完存しないが︑木簡の幅からみて全部で五行までであろう︒下部では最下段の左端○・七匹程が欠けているが︑一行分の記載が想定される︒裏面は判読に支障はない︒左側のその他の欠損部でも少々判読できない個所があるが︑いずれも推測のつく文字である︒

 ︹木簡2︺長さ八四・〇匹︑幅五・一匹︑厚さ〇・六匹︒

(13)

     樹種檜・板目型式番号呂巴出土地点CM25

 上下両端は原形を残しているが︑左右両端は廃棄される

以前に既に割除されている︒墨書は木目の方向と若干ずれ

ているため︑木目に沿って割られた左右の面に対し︑現状

ではやや斜めになっているようにみえる︒裏面は墨書があ

ったものを削り取ったらしく︑下方に削り残しの墨痕があ

る︒

  第三四次調査︵6 A JM‑B区︶

       昭和56年5月〜57年3月

 本調査は藤原宮西南隅の諸施設を確認する目的で行ない︑

約一五〇〇「を調査した︒

 検出した遺構のうち藤原宮期に属するものは︑大垣︵西

面S A 258南面S A29呂︶︑内濠︵西面叩し芯呂︑南面

ωり呂じ︑外濠︵西面SD260南面印し留二等があ

る︒大垣︑内濠はそれぞれの西南隅部分を検出したが︑外

濠は民家が所在し︑調査できなかった︒木簡は西面外濠印

しに呂から一点出土した︒

 西面大垣?^258は七間分一九m︑南面大垣SA29呂は

六間分こ︵mを検出した︒柱間寸法二・七mで︑いずれも 宮の外側方向への抜取穴をもつ︒ 内濠は大垣の内側約T一mのところにある︒幅は二m内外︑深さ〇・七mで︑堆積土は三層に分かれる︒上層からは多量の瓦が出土したが︑中・下層は遺物が少ない︒ 西面外濠6りに目はS A258の西約こ︵m程にあり︑二七m分を検出した︒後世の氾濫と浸蝕により著しく変形しており︑幅がス⁚︶mになる個所もあるが︑当初の外濠流路の痕跡をとどめている部分から推定すると︑濠の下底幅は五m程である︒深さは南端でI・三m︑北端でI・六mで︑北流する︒堆積層は五層に分かれ︑最上層はI〇世紀の遺物を含むので︑外濠は少なくともこの頃まで存続していたことになる︒木簡は最下層の砂疎層から出土した︒ 南面外濠叩む呂︸は?yV2900の南約二四mにあり︑ス⁚︶m分を検出した︒やはり二次的に拡幅︑変形しており︑西半北岸は北西方向に斜行する︒溝下底では幅三mの当初の東西方向の流路痕跡を残しており︑西流する︒堆積層は西面外濠とほぼ同じ状況を呈している︒ 外濠の出土遺物は︑木簡以外では︑瓦︑土器︑円面硯︑土馬︑銭︑人形︑削り掛け等の木製品︑獣骨がある︒墨書

土器は十二点あり︑﹁福器﹂ ﹁米﹂ ﹁道﹂ ﹁凡﹂などが読

(14)

める︒  藤原宮期以外の遺構としては︑弥生時代の井戸二基︑土

壌や溝︑古墳時代の溝︑土墳︑藤原宮廃絶直後の掘立柱建

物二棟︑平安時代の掘立柱建物三棟︑塀四条︑井戸二基︑

堰︑橋脚等がある︒

  山田寺第四次調査︵い帥ベウーr区︶

       昭和57年8月〜58年1月

 本調査は金堂の東の北区と塔の東の南区のニケ所におい

て行なった︒面積は六〇〇「である︒

 検出した主な遺構は︑七世紀代では︑山田寺東回廊帥o

呂︑回廊の東側の南北塀SA5呂︑基幹排水路である素掘

南北溝卯む昭こと石組南北溝SD531'土墳︑八世紀代で

は東西塀S A 505'土墳︑瓦敷︑平安時代のものでは掘立

柱建物∽一回︸︑瓦敷S X 535南北溝S D 552土墳等

がある︒東回廊は南・北両区に分かれるが︑他はすべて北区

で検出した︒木簡は叩し回︸から二点︑包含層中から一点

出土したが︑このうち判読可能な二点を収載した︒

 東回廊は︑北区では北端から六・七・八間目︑南区では

一五・一六間目を検出した︒北区では版築基壇と東側縁石︑

礎石のほか︑地覆石や地覆の二鄙が残存し︑その上に大量 の瓦が堆積していた︒南区では回廊建物の東側柱列そのも のが西方へ倒壊したままの状態で残存していた︒倒壊の時 期は︑出土土器からI〇世紀末と推定される︒  南北掘立柱塀SA5呂は回廊の東約一七mの位置にあり︑ 五間分を検出した︒寺地の東部を仕切る施設のIっと考え られる︒  南北溝ωし回っはSA5呂の東四・二mの位置にあり︑ 幅一m︑深さ〇・六mで︑南流する︒  石組南北溝sり回︸は∽む回っの東半に重複し叩り回こ の堆積層を掘り込んで作られており︑南流する︒幅〇・九 m︑深さ〇・二mで︑東側壁は玉石を二〜三段に積み︑西 壁は一段だけ積んでいる︒堆積層は上下二層に分かれ︑七 世紀中頃から八世紀前半の土器が出土し︑加工木片屑も多 く含まれていた︒木簡は上下各層から一点ずつ出土した︒ 両溝の関係は︑まず叩り回つが七世紀中頃に造られ︑七世 紀後半にSD531につけ替えられ︑八世紀中頃には︑㎝む 回︸も埋没したものと考えられる︒  東西掘立柱塀SA505は北区調査区南端にありSA5呂

のすぐ東から調査区東端までで一三間分を検出した︒柱掘

4 −

(15)

形がωむ回︸の積石を壊して掘られているので︑SA505

がSD531より新しい︒またSA 505を西へ延ばすと金堂

心とほぼ一致するので︑寺域の東半部を南北に二分する施

設と推定される︒

 ωX回Jは間層をはさみながら瓦を三〜四層敷いた土塁

状の高まりとなっており︑SA500やS A 505の西端を覆

っている︒

 掘立柱建物印顎目︸は調査区東半部にある一間×二間以

上の東西棟である︒

 南北溝切む呂には回廊のすぐ東にある素掘溝である︒

 他の木簡一点は︑切り回︸の東側北方で︑平安時代後期

から鎌倉時代にかけての土器を含む︑回廊倒壊後の土層中

から出土した︒同層中からは押出仏三点も出土している︒

二︑凡  例

日 第三六次調査出土の木簡1・木簡2の原寸大図版を次

 の要領で掲載した︒

 イ︑木簡1は表裏面とも全て掲げたが︑木簡2は裏面の

  文字が僅少のため︑表の全部と︑裏の文字のみられる   下端部だけとした︒  口︑図版は紙面の制約上︑木簡の一面を四〜五枚に切断   しているが︑それぞれ少しずつ重複させてある︒  ︵︑図版と釈文の両方に︑木簡の各面の記載の適宜の個   所に㈲〜囲の記号を付し︑対照の便宜をはか︑た︒  二︑末尾に木簡1表裏全形︑木簡2表全形の図版を掲げ   た︒縮尺は約%である︒ I 第三六次調査以外の木簡釈文は︑最上段に出土地点︵ア  ルファベット・数字︶︑次の段に形態を示す型式番号を記  した︒型式番号は次の通りである︒なお本概報では千位  の6を省き三桁の数字で表わした︒ 呂に型式 呂芯型式 目冨型式

呂じ型式呂回型式呂31型式 長方形の材長方形の材の側面に孔を穿ったもの︒一端が方頭で︑他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒原形は6011 6032 ・6051型式のいずれかと推定される︒小形矩形のもの︒小形矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒

長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたも

5 −

(16)

呂脂型式

呂S型式

の︒方頭・圭頭など種々の作り方がある︒長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたもの︒

長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他

端を尖らせたもの︒

目脂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが︑

     他端は折損・腐蝕などによって原形の失われた

     もの︒原形は6031 ・ 6032−6033型式のいずれか

     と推定される︒

目印型式 呂胞型式

目印型式 呂呂型式

目2型式

長方形の材の一端を尖らせたもの︒長方形の材の一端を尖らせているが︑他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒原形は呂33.6051形式のいずれかと推定される︒用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒

折損・割截・腐蝕その他によって原形の判明し

ないもの︒

若巴型式 削屑

曰 釈文に加えた符号はつぎの通りである︒

7べ 戸X

抹消した字画のあきらかな場合に限り原字の左傍

に付した︒ ■I 抹消により判読困難なもの︒ 口口口 欠損文字のうち字数の確認できるもの︒ T − L欠損文字のうち字数が推定できるもの︒

口口欠損文字のうち字数の数えられないもの︒

口口記載内容からみて上または下に少なくとも一字以

    上の文字を推定したもの︒

 ﹁ ﹂ 異筆︑追筆

 白合 点

・   木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒

カ   編者が加えた注で疑問の残るもの︒

ママ   文字に疑問はないが意味の通じ難いもの︒

︹ ︺ 校訂に関する注のうち︑本文に置き換わるべき文

    字を含むもの︒

︵ ︶ 右以外の校訂注および説明注︒

6 −

(17)

第三六次調査﹁`y﹂﹂−0︶

木簡1表︵図版一・二︶

弘(八)

降 元年十q廿日収納袖手

合曼千五百

同日下ヤ果

(C)

直和苓奇進老

口筑

見残千冒尺十玖東

イ 更 四

心‑4

(刻卑)

(B)

印 可 佃二町よ

(刻線)

゛段千二白財三象え右辰納帳

紅海福万色佃面段琳立

石川魚主 上三月元弟口建追

浄丸福丸寺 ︵段二面五十二東

   目⁚﹂収納帳

(18)

木簡1表︵図版二・三︶

  j  汪

○ 弘

(G)

仁 元年十目昇六日下作七釆五把

c五ご

喪倉翁﹂石`升料十六東  十三東籾料別禾Λ升  一束籾女廸食料  二釆亙え功料 庄垣作料ナロ東

函へす二目作五日下

元年佃三町夭段面寸歩

自庄造二町六段百サ歩福万沁作面段又地玉︵段同租上

二不得べ定田三町面肺口       ﹇≪

可(H)

(F)

主国下趾街浪多古入白浪五汁

 料桶圭二灸ごn絹

 白米運大功二東  巾再升従経日食一束五把 合下稗七束五把 残稲一千回ぷご象五把

上租穀凹石五斗回升料頴五エ︵東︵塵土︷︸

穐せ九人刷八讐斗功食回東五把匹必

裂塵回枚編斗尾績人會二瓦

正倉嵐運好上日正倉血紬又ロロ頁‰        目

[コ

8 −

(19)

木簡1裏︵図版三・四︶

(A)

口口   口口口米

鴇米尋料一東過口口

祭料物秀同暫雲雀耳夫功一束 依門即か冬郡詮日食二東

庄内神祀料五恥

(C)

︹iff*:

  冨3 膏夢宜五把 日日釆

 節料物昇久留美ふ持行夭堵一東

 小£吽凭経ヘ日二束六把料苅答 合下百︵十七象九把 歿稲二千二百五十止東六把

(B)

口口訴凶ひJy凡海福万ら下見対東

た海加卯岐万5十東 ケ出奪給ナ七東虫侍尽ドぼ

(D)

還\<? ≫0妻冲延脊二え

穴友三nろ石こ

o弘評二年正月・サー︵0下白五す七竃之申

在庁東廊口口叉01J休口 口口口進丁京有行人功食

又在季︑艮易舶呼厨守欄振奏歩薇ホ 宮一竹庄椅運卑引建万呂六船日

食奇酒料三束日別一升六合食        刄冶日別一升

(20)

木簡1裏︵図版四・五︶

口口こそ衣口か銭代油6五十三束亘銭て一貫七6十五久

(E)Cffiac*3

口口口々日下二百ツェ束︵把之申

 こ年旧作料且下白人恚器特象

      I J jlIyI'︱^

又瓦海福万呂所佃作 忖末依負下了

小主給出挙絆五農

在言艮馬取昇厨子

又歩板亘二貫五白匯ぐ茄十六東

an (G)

又乍寸東葛木消四目口衣料・

又下言    11 N﹂り ″1fll!に″︱ J3     1    そ々

口釦︵酒手料建万

合下回白ナニ釆︵把

6口 ﹇&へ﹈

i?六十支に5 幻刻司7へ

た海回八式摯

(F)

 同福k?c≫O

光田事

砥學

小主 廿口 給廿口 修後経

す回日帥正月芸ig411\15C三題

食柏面y一把

二郎千従百キ食六把

(H)

残︵白暫束︵把

10

(21)

A)

木簡2表︵図版六・七︶

(B)

︵年す一一目・ 合点︶

7

八剛こそヤニqサ 日日春京上米

       口I

一石五汁嫉代打駄賃十象

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木簡2裏下端︵図版八︶

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(22)

第三四次調査︵6 A JM︱B︶

西面外濠 ∽口`呂

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山田寺第四次調査︵`∽ベローr︶

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包含層

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側 面 J

︵題籤︶

12

(23)

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西面外濠

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第36次調査 遺構配置図

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SD145

SE3370

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SD3408

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SE3400

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SD3410   /  /

西面大垣想定位置 /−IIIIII111−︲

一一

北面大垣想定位置

北面内濠想定位置

昭和43年

奈良県教委調査

(24)

藤原宮木簡出土地点略図

●文化財研究所調査

○奈良県調査 数字:調査次数

参照

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