昭 和 五 十 八 年 五 月
飛鳥藤原宮発掘調査出土木簡概報㈲
藤原宮出土木簡㈲
奈良国立文
レしイ財研究所
藤原宮出土木簡2
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八頁﹁弘仁元年;この右に﹁︵以下別筆こを加える︒
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図版七 木簡2 表
図版八 木簡2裏下端・木簡1表裏全形・木簡2表全形
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この概報には︑さきに公刊した﹁藤原宮出土木簡㈲﹂︵昭
和56年5月︶以後︑藤原宮の調査で出土した木簡について︑
その主なものを収録した︒なお山田寺跡出土のものを末尾
に附載した︒
一︑木簡出土の地点と状況
第一三︵次調査︵6 AT J‑C区︶
昭和57年12月〜58年3月
本調査は藤原宮西北隅を限る諸施設を確認する目的で実
施し︑T一〇〇「を調査した︒調査地は南北二地区に分か
れている︵巻末遺構配置図参照︶︒
検出した主な遺構は︑北区で西面外濠S D 260 北面外
濠S D 145 '井戸SE3370南区で河川SD3408≪3410 ・
3411井戸卯内訳呂等がある︒木簡は回り回つから一点︑
回内旨呂から弘仁元年銘木簡を含む二占︷︵以下︑弘仁元年
銘を木簡1とし︑他を木簡2とする︶が出土した︒
北区では西面外濠必しい呂と北面外濠必じ︸色の交点を
検出した︒宮の西面を北流してきた印り回口はこの場所で
北西方向へ流路を変えて宮外へ流れ出ており︑西流してき た叩り︸台は合流点直前の一六m程の間︑一旦北へ約四m湾曲することが判明した︒ 印り回つは西岸が完全に出ていないが︑幅約一七m以上︑深さI・六mで︑堆積土の中・下層で藤原宮期から平安時代の土器︑上層で鎌倉時代の土器が出土しており︑従来の所見と同じく︑宮廃絶後もこの濠が長らく存続していたことを示している︒木簡は西岸付近の溝底で削屑一点が出土したが︑小断片であり︑本概報には収載しなかった︒他の遺物としては︑瓦類︑陶硯︑土馬︑墨書土器︑帯金具等がある︒ 叩り︸刮は︑幅約七・五m︑深さI・五mで︑奈良時代前半の土器が多量に出土した︒おそらくその頃に埋没したのであろう︒他には瓦類︑削り掛け︑蘭笥︑陶硯︑土馬︑ ﹁廿七﹂ ﹁六十五﹂などが読める墨書土器等が出土した︒ 井戸叩吻S召は北区の東南隅にあり︑井戸枠は一辺○・八mで︑隅柱を立てて横板を組むが︑南辺は省略して掘形壁のままである︒深さはI・〇mである︒奈良時代前半の土器類が多量に出土した︒ 南区は大部分が河川流路である︒河川は東北方からの主
流路叩む訳右と︑南方からの流路SD3411が合流し︑西方
1
への流路叩し旨品につらなる︒最大幅は一五m近く︑深さ
はI・六mあるが︑長年月の間に細流が何度も流路を変え
て流れた様子がうかがえる︒遺物は叩りい呂と同じく︑最
下層では藤原宮期の土器を含み︑上層では一三世紀の土器
が出土したので︑鎌倉時代まで存続していたことになる︒
また︑下層から出土した緑粕瓶の同一個体の一部が北区の
叩む回っから出土したので︑この河川は叩む呂つへ合流し
ていたのであろう︒遺物としては大量の土器の他︑瓦類︑
土馬︑陶硯︑金銅製蝶番︑鉄製鋤先等がある︒
南区は内濠および大垣の西北隅部分の想定位置に当るが︑
両方とも確認できなかった︒河川が藤原宮造営時に既に流
れていたとすれば︑当初から造営されなかったか︑あるい
は位置をずらして造られた可能性もあるが︑なお検討を要
する︒ 井戸㎝内旨呂は南区の東北隅にあり︑ωし旨右の北岸に
接しているが︑SD3410の岸が一部埋没したあと造られて
いる︒井戸枠の一辺はI・〇mで︑四方に︑縦方向に溝を
穿った隅柱を立て︑厚い横板を落しこんでいる︒現状で五
段︑一・一m分か残存している︒埋土は暗灰色粘質土一層
で︑底面に小石を敷く︒木簡1は上端から約八○四下のと ころに横向きの状態になってあり︑木簡2は東北の隅柱に沿って斜めに立ち上がるように埋没していた︒木簡の他︑削り掛け︑曲物底板︑横櫛︑土器︑富寿神宝が出土した︒掘形からも平安時代初頭の土器片が出土しているので︑ω内訳呂は短期間の利用にかかるものであろう︒ なお木簡1・2について︑釈読に必要な範囲内で外形上の観察結果について記しておこう︒ ︹木簡1︺長さ九八・二四︑幅五・七﹃厚さ〇・五匹︒ 樹種檜・板目型式番号呂に出土地点CM25 一部を除いて四周はほぼ原形を存している︒欠損しているのは左側︵裏面では右側︶で︑特に上部では三分の一が欠け︑表で﹁凡海福万呂⁝﹂の記載の次の行の大部分二行分か︶︑裏で﹁・:凡海福万呂下充枇束﹂と﹁薔夢直五把﹂の記載の前の行︵それぞれ二行分か︶が欠落している︒なお裏面最上段の記載は右端が完存しないが︑木簡の幅からみて全部で五行までであろう︒下部では最下段の左端○・七匹程が欠けているが︑一行分の記載が想定される︒裏面は判読に支障はない︒左側のその他の欠損部でも少々判読できない個所があるが︑いずれも推測のつく文字である︒
︹木簡2︺長さ八四・〇匹︑幅五・一匹︑厚さ〇・六匹︒
2
樹種檜・板目型式番号呂巴出土地点CM25
上下両端は原形を残しているが︑左右両端は廃棄される
以前に既に割除されている︒墨書は木目の方向と若干ずれ
ているため︑木目に沿って割られた左右の面に対し︑現状
ではやや斜めになっているようにみえる︒裏面は墨書があ
ったものを削り取ったらしく︑下方に削り残しの墨痕があ
る︒
第三四次調査︵6 A JM‑B区︶昭和56年5月〜57年3月
本調査は藤原宮西南隅の諸施設を確認する目的で行ない︑
約一五〇〇「を調査した︒
検出した遺構のうち藤原宮期に属するものは︑大垣︵西
面S A 258南面S A29呂︶︑内濠︵西面叩し芯呂︑南面
ωり呂じ︑外濠︵西面SD260南面印し留二等があ
る︒大垣︑内濠はそれぞれの西南隅部分を検出したが︑外
濠は民家が所在し︑調査できなかった︒木簡は西面外濠印
しに呂から一点出土した︒
西面大垣?^258は七間分一九m︑南面大垣SA29呂は
六間分こ︵mを検出した︒柱間寸法二・七mで︑いずれも 宮の外側方向への抜取穴をもつ︒ 内濠は大垣の内側約T一mのところにある︒幅は二m内外︑深さ〇・七mで︑堆積土は三層に分かれる︒上層からは多量の瓦が出土したが︑中・下層は遺物が少ない︒ 西面外濠6りに目はS A258の西約こ︵m程にあり︑二七m分を検出した︒後世の氾濫と浸蝕により著しく変形しており︑幅がス⁚︶mになる個所もあるが︑当初の外濠流路の痕跡をとどめている部分から推定すると︑濠の下底幅は五m程である︒深さは南端でI・三m︑北端でI・六mで︑北流する︒堆積層は五層に分かれ︑最上層はI〇世紀の遺物を含むので︑外濠は少なくともこの頃まで存続していたことになる︒木簡は最下層の砂疎層から出土した︒ 南面外濠叩む呂︸は?yV2900の南約二四mにあり︑ス⁚︶m分を検出した︒やはり二次的に拡幅︑変形しており︑西半北岸は北西方向に斜行する︒溝下底では幅三mの当初の東西方向の流路痕跡を残しており︑西流する︒堆積層は西面外濠とほぼ同じ状況を呈している︒ 外濠の出土遺物は︑木簡以外では︑瓦︑土器︑円面硯︑土馬︑銭︑人形︑削り掛け等の木製品︑獣骨がある︒墨書
土器は十二点あり︑﹁福器﹂ ﹁米﹂ ﹁道﹂ ﹁凡﹂などが読
3
‑
める︒ 藤原宮期以外の遺構としては︑弥生時代の井戸二基︑土
壌や溝︑古墳時代の溝︑土墳︑藤原宮廃絶直後の掘立柱建
物二棟︑平安時代の掘立柱建物三棟︑塀四条︑井戸二基︑
堰︑橋脚等がある︒
山田寺第四次調査︵い帥ベウーr区︶
昭和57年8月〜58年1月
本調査は金堂の東の北区と塔の東の南区のニケ所におい
て行なった︒面積は六〇〇「である︒
検出した主な遺構は︑七世紀代では︑山田寺東回廊帥o
呂︑回廊の東側の南北塀SA5呂︑基幹排水路である素掘
南北溝卯む昭こと石組南北溝SD531'土墳︑八世紀代で
は東西塀S A 505'土墳︑瓦敷︑平安時代のものでは掘立
柱建物∽一回︸︑瓦敷S X 535南北溝S D 552土墳等
がある︒東回廊は南・北両区に分かれるが︑他はすべて北区
で検出した︒木簡は叩し回︸から二点︑包含層中から一点
出土したが︑このうち判読可能な二点を収載した︒
東回廊は︑北区では北端から六・七・八間目︑南区では
一五・一六間目を検出した︒北区では版築基壇と東側縁石︑
礎石のほか︑地覆石や地覆の二鄙が残存し︑その上に大量 の瓦が堆積していた︒南区では回廊建物の東側柱列そのも のが西方へ倒壊したままの状態で残存していた︒倒壊の時 期は︑出土土器からI〇世紀末と推定される︒ 南北掘立柱塀SA5呂は回廊の東約一七mの位置にあり︑ 五間分を検出した︒寺地の東部を仕切る施設のIっと考え られる︒ 南北溝ωし回っはSA5呂の東四・二mの位置にあり︑ 幅一m︑深さ〇・六mで︑南流する︒ 石組南北溝sり回︸は∽む回っの東半に重複し叩り回こ の堆積層を掘り込んで作られており︑南流する︒幅〇・九 m︑深さ〇・二mで︑東側壁は玉石を二〜三段に積み︑西 壁は一段だけ積んでいる︒堆積層は上下二層に分かれ︑七 世紀中頃から八世紀前半の土器が出土し︑加工木片屑も多 く含まれていた︒木簡は上下各層から一点ずつ出土した︒ 両溝の関係は︑まず叩り回つが七世紀中頃に造られ︑七世 紀後半にSD531につけ替えられ︑八世紀中頃には︑㎝む 回︸も埋没したものと考えられる︒ 東西掘立柱塀SA505は北区調査区南端にありSA5呂
のすぐ東から調査区東端までで一三間分を検出した︒柱掘
4 −
形がωむ回︸の積石を壊して掘られているので︑SA505
がSD531より新しい︒またSA 505を西へ延ばすと金堂
心とほぼ一致するので︑寺域の東半部を南北に二分する施
設と推定される︒
ωX回Jは間層をはさみながら瓦を三〜四層敷いた土塁
状の高まりとなっており︑SA500やS A 505の西端を覆
っている︒
掘立柱建物印顎目︸は調査区東半部にある一間×二間以
上の東西棟である︒
南北溝切む呂には回廊のすぐ東にある素掘溝である︒
他の木簡一点は︑切り回︸の東側北方で︑平安時代後期
から鎌倉時代にかけての土器を含む︑回廊倒壊後の土層中
から出土した︒同層中からは押出仏三点も出土している︒
二︑凡 例
日 第三六次調査出土の木簡1・木簡2の原寸大図版を次
の要領で掲載した︒
イ︑木簡1は表裏面とも全て掲げたが︑木簡2は裏面の
文字が僅少のため︑表の全部と︑裏の文字のみられる 下端部だけとした︒ 口︑図版は紙面の制約上︑木簡の一面を四〜五枚に切断 しているが︑それぞれ少しずつ重複させてある︒ ︵︑図版と釈文の両方に︑木簡の各面の記載の適宜の個 所に㈲〜囲の記号を付し︑対照の便宜をはか︑た︒ 二︑末尾に木簡1表裏全形︑木簡2表全形の図版を掲げ た︒縮尺は約%である︒ I 第三六次調査以外の木簡釈文は︑最上段に出土地点︵ア ルファベット・数字︶︑次の段に形態を示す型式番号を記 した︒型式番号は次の通りである︒なお本概報では千位 の6を省き三桁の数字で表わした︒ 呂に型式 呂芯型式 目冨型式
呂じ型式呂回型式呂31型式 長方形の材長方形の材の側面に孔を穿ったもの︒一端が方頭で︑他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒原形は6011 6032 ・6051型式のいずれかと推定される︒小形矩形のもの︒小形矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたも
5 −
呂脂型式
呂S型式
の︒方頭・圭頭など種々の作り方がある︒長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたもの︒長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他
端を尖らせたもの︒
目脂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが︑
他端は折損・腐蝕などによって原形の失われた
もの︒原形は6031 ・ 6032−6033型式のいずれか
と推定される︒
目印型式 呂胞型式
目印型式 呂呂型式
目2型式
長方形の材の一端を尖らせたもの︒長方形の材の一端を尖らせているが︑他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒原形は呂33.6051形式のいずれかと推定される︒用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒折損・割截・腐蝕その他によって原形の判明し
ないもの︒
若巴型式 削屑
曰 釈文に加えた符号はつぎの通りである︒
7べ 戸X
抹消した字画のあきらかな場合に限り原字の左傍
に付した︒ ■I 抹消により判読困難なもの︒ 口口口 欠損文字のうち字数の確認できるもの︒ T − L欠損文字のうち字数が推定できるもの︒
口口欠損文字のうち字数の数えられないもの︒
口口記載内容からみて上または下に少なくとも一字以
上の文字を推定したもの︒
﹁ ﹂ 異筆︑追筆
白合 点
・ 木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒
カ 編者が加えた注で疑問の残るもの︒
ママ 文字に疑問はないが意味の通じ難いもの︒
︹ ︺ 校訂に関する注のうち︑本文に置き換わるべき文
字を含むもの︒
︵ ︶ 右以外の校訂注および説明注︒
6 −
一
第三六次調査﹁`y﹂﹂−0︶
木簡1表︵図版一・二︶
弘(八)
降 元年十q廿日収納袖手
合曼千五百
同日下ヤ果
(C)直和苓奇進老
口筑
見残千冒尺十玖東
イ 更 四
心‑4(刻卑)
山
(B)印 可 佃二町よ
(刻線)
゛段千二白財三象え右辰納帳
紅海福万色佃面段琳立
ド
石川魚主 上三月元弟口建追
浄丸福丸寺 ︵段二面五十二東
目⁚﹂収納帳
7
木簡1表︵図版二・三︶
j 汪
○ 弘
(G)
仁 元年十目昇六日下作七釆五把
c五ご
喪倉翁﹂石`升料十六東 十三東籾料別禾Λ升 一束籾女廸食料 二釆亙え功料 庄垣作料ナロ東
函へす二目作五日下
元年佃三町夭段面寸歩
自庄造二町六段百サ歩福万沁作面段又地玉︵段同租上
二不得べ定田三町面肺口 ﹇≪
可(H)
(F)
主国下趾街浪多古入白浪五汁
料桶圭二灸ごn絹
白米運大功二東 巾再升従経日食一束五把 合下稗七束五把 残稲一千回ぷご象五把
上租穀凹石五斗回升料頴五エ︵東︵塵土︷︸
穐せ九人刷八讐斗功食回東五把匹必
裂塵回枚編斗尾績人會二瓦
正倉嵐運好上日正倉血紬又ロロ頁‰ 目
[コ
8 −
木簡1裏︵図版三・四︶
(A)
口口 口口口米
鴇米尋料一東過口口
祭料物秀同暫雲雀耳夫功一束 依門即か冬郡詮日食二東
庄内神祀料五恥
(C)
︹iff*:
冨3 膏夢宜五把 日日釆
節料物昇久留美ふ持行夭堵一東
小£吽凭経ヘ日二束六把料苅答 合下百︵十七象九把 歿稲二千二百五十止東六把
(B)
口口訴凶ひJy凡海福万ら下見対東
た海加卯岐万5十東 ケ出奪給ナ七東虫侍尽ドぼ
(D)
還\<? ≫0妻冲延脊二え
穴友三nろ石こ
o弘評二年正月・サー︵0下白五す七竃之申
在庁東廊口口叉01J休口 口口口進丁京有行人功食
東
、
又在季︑艮易舶呼厨守欄振奏歩薇ホ 宮一竹庄椅運卑引建万呂六船日
食奇酒料三束日別一升六合食 刄冶日別一升
9
木簡1裏︵図版四・五︶
口口こそ衣口か銭代油6五十三束亘銭て一貫七6十五久
(E)Cffiac*3口口口々日下二百ツェ束︵把之申
こ年旧作料且下白人恚器特象
I J jlIyI'︱^又瓦海福万呂所佃作 胡忖末依負下了
小主給出挙絆五農
在言艮馬取昇厨子
屈又歩板亘二貫五白匯ぐ茄十六東
an (G)又乍寸東葛木消四目口衣料・
又下言 11 N﹂り ″1fll!に″︱ J3 1 そ々
口釦︵酒手料建万
合下回白ナニ釆︵把
6口 ﹇&へ﹈i?六十支に5 幻刻司7へ
l
た海回八式摯
(F)同福k?c≫O
光田事
砥學
小主 廿口 給廿口 修後経
す回日帥正月芸ig411\15C三題
食柏面y一把
二郎千従百キ食六把
(H)
残︵白暫束︵把
10
A)
木簡2表︵図版六・七︶
ソ
(B)
︵年す一一目・ 合点︶
7
〃J
/y
八剛こそヤニqサ 日日春京上米
\
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口I
一石五汁嫉代打駄賃十象
r ̄ S
‑ J
9享上米︲0石口頑升三東駄賃口東
リロ目口
同
う
そ 年十考 ゛ぐ
屠口 ・ .
、j二胎十︵日京上米
`く?゛く `f︑ン︑ 吏 `″` 〜
彩諺ま稲
内稲口口口東
l
A^yVVV
l
木簡2裏下端︵図版八︶
r'`X 口積
口J
口五
l
口目口﹂﹂料
(C)
︹七J
︵別董ふ 三斗盲扁三象
疋
之
で
す七 象加秀功原賃サ東
JV f/ /^ ^ ^ /V '^
1 y
て聊食三池・
1 1 一
(4d点︶
A
第三四次調査︵6 A JM︱B︶
西面外濠 ∽口`呂
叫4剛口口欲口之口
j
︵月十九口 五口
」itt‑ :!山田寺第四次調査︵`∽ベローr︶
石組溝 ω口SJ
辻m・口 和口
口
N﹂OL︲
包含層
妬l
口口寺 経論司 口口口目
口 口 口召へ尨
︵
側 面 J
︵題籤︶
12
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!SD260IIIIIIIIIIIIIIIIIIIII−1−IIIIIII−III111−II111−
西面外濠
|L。
「−IIIIIIIIIIIIIIIIIII−−111−IIIIII111
第36次調査 遺構配置図
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SD145
SE3370
一一一一一一一一│
SD3408
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1
北
面
SE3400
ヽ −
SD3410 / //
西面大垣想定位置 /−IIIIII111−︲
/
/
外
一一 濠
Å
一
北面大垣想定位置
北面内濠想定位置
一
昭和43年
奈良県教委調査
‑
藤原宮木簡出土地点略図
●文化財研究所調査
○奈良県調査 数字:調査次数