博士学位申請論文
ソーシャル・イノベーション生成過程の研究
─徳・卓越性の実践、使用価値の協創、そしてレバレッジング─
梅田 一見
2014年9月30日
要旨
要旨
本稿は、人びとが持続的な事業活動を通じて、より善い社会をめざし、社会の様々な課題を解 決しようとして挑むソーシャル・イノベーション生成の過程を動態的、全体論的に捉え、更にそれを 促す上で有用となる概念的フレームワーク(思考・実践・省察の枠組み)を提起するものである。
その背景として、今、時代が大きな転換期にあるということが言える。かつて経済は人々の暮ら しから切り離されず社会の諸関係の中に「埋め込まれ」ていた[ポランニー 1944]。近代以降の市 場経済の発展は社会の繁栄をもたらしたが、成長と効率の追求が環境破壊、経済格差、コミュニ ティの崩壊、社会的排除などの幣害を生み、又、マネー経済が我々の暮らし・労働を翻弄するな ど、市場の論理が社会の多くの領域に入り込み、「市場社会」と呼べる状況にある。
そして、経済と社会の関係を問い直し、経済至上主義を超える新たな働き方、生き方、社会の あり方が模索される中で、GDP成長率に替わる指標として、ウェルビーイング(善き生)やGNH
(国民総幸福度)なども検討されている。
さらに、東日本大震災・福島原発事故は、多大な災禍をもたらすと同時に、経済成長を前提に した官民協調の安定雇用・社会福祉モデルが機能不全に陥っていたことを顕在化させた。真の 復興は元に戻すことにではなく、新しい現実を創造することにあると言われる所以である。
政府の失敗、市場の失敗を批判したり、カリスマリーダーや新たなイズムに委ねることもなく、ロ ーカルに普通の人びと、民間の事業者が、多様化、複雑化する地域の課題解決をめざしてソー シャル・イノベーションに挑み、より善い地域づくりに参画しはじめている。
かような変化の中で、事業を通してソーシャル・イノベーションに挑む新たな主体として、官、民、
市民の既存セクターから派生したり、また新生種として起業したりと、その出自、形態も一様ではな いが、ソーシャル・エンタープライズ(社会的企業とも訳される)として括られる諸事業体がある。
社会的経済と市民連帯の伝統の上に福祉国家の明暗も経験し、社会的包摂などの新たな担 い手としてソーシャル・エンタープライズを官民で応援する欧州、そして草の根の市民活動、プロ の非営利組織経営、ヒーロー的社会起業家を生む米国と比べて、日本の実践・研究は質、量とも に発展途上にある。であるからこそ欧米の経験も参照しつつ、ローカルな実践に寄り添い、広く先 人たちの実践知からも学びながら、日本の状況に適した生成モデルを探ることが求められる。
又、イノベーションの研究は企業などの技術革新をはじめ、生産要素を「新結合」する内発的な 行為とそれによる経済的価値の創造として捉えたシュンペーター(1912)以来の蓄積があるのと比 べ、社会的価値の創造をめざし、外発的要素とも関わりながら行う人びとの営為の中に創発する 社会経済現象として捉えられるソーシャル・イノベーションの研究は端緒についたばかりと言える。
このような状況に鑑みれば、ソーシャル・イノベーションの原点に立ち戻って、社会変革そして 新たな価値創造の主体としての普通の人びとによるイニシアティブが誕生し、成長、発展していく 中で一人ひとりが可能性を発揮し、イノベーションが起こり、又、それによってより善い社会に変わ っていく過程を、次のように“物語”として構想することの意味は大きいと考える。
本稿は、ソーシャル・イノベーションは、その主体である人びとが、徳・卓越性(virtue)をその基 層とする諸動機から、より善い社会をめざして、ソーシャル・エンタープライズをそのビークルとしな がら持続的な事業活動をつうじて社会課題に取り組み、技術革新に限らず、ヒト・モノ・カネ・情 報・知識・関係性その他の資源を「新結合」し、利用者・協働者と共に、実体的な使用価値を協創 (co-creation)する中に創発するものであり、その過程で利用者満足そしてメンバーの働く喜びも 充たされるものとして提起する。
その際には、市場交換に加えて非市場的な互酬、再分配[ポランニー 1977]を事業モデルに 組み込みながら持続性を高め、又、多元的経済活動をつうじて社会課題を解決することで、社会 から離床した経済を社会の諸関係の中に埋め戻す。
さらに、個別ローカルの次元で協創した価値、課題解決策、育んだ関係性などをレバレッジン グ(テコの力として活用)して地域内外へその社会的インパクトを拡げていく過程も含めて、同様の イニシアティブが地域内で多層的に生まれ、互いに結ばれもしながら、地域全体がより善い“総有 的”な経済社会へ転換する素地をつくっていく可能性を探るものである。
その目的はソーシャル・イノベーションの生成過程を洞察すると同時に、それをもとに、より善い 未来の創生に積極的に影響を及ぼしうる一人ひとりが、又、集合的にその可能性を開花させられ るよう、その助けとなる思考・実践・省察の枠組みを構想することにある。
又、イノベーション生成の駆動力として、一人ひとりが正しいことをしようとする「意志」をもち、か つ正しいことをどのように上手く行うかという「技能」を併せ持った実践的知恵をもって、自らも生成 変化しながら、日々の活動のなかで徳・卓越性を実践するよう提起するものである。それは事業を つうじて創造しようとする社会的価値そして事業的価値との間に、働く喜びなど個人的価値を伴っ て、相乗的相互作用を生むことになる。
そして、個別ローカルの次元で、イノベーショ ン生成の前提としてこの実践的知恵の「意志」に 対応する〈目的〉〈主体〉〈動機〉、そして「技能」に 対応する〈手段〉〈方法〉に〈成果〉を加えた諸要 素が相互作用しながら有機的に結合する循環 過程と、同様のイニシアティブが地域内に多層 的に起こり、地域全体が変化していく過程とが連 関する動態モデルを提起する。
研究方法は、ソーシャル・イノベーションが境界領域にあることから、アクション・リサーチを含む 諸事例の帰納的研究を基盤に、関連する先行研究、さらに近現代の経済思想家の知見、先人の 暮らし・労働の実践知を重ね、仮説形成的推論で枠組みを構想する多面的で複合的なものであ って、枠組み仮説を事例に適用して更なるイノベーションを探りながら、その論理的整合性、経験 的妥当性を検証し、改良を加える構成的アプローチをとる。
要旨
そして、個別ローカルのイノベーション過程に着目する<虫の目>、同様のイニシアティブが多層 的に起きて地域そして経済全体が転換していく過程をみる<鳥の目>、さらにミクロとマクロのイノベ ーション過程を構造的に連関させて、より善い社会を創り出す智恵を時代を遡って経済思想に探 る<魚の目>といった複眼レンズを通して動態的構造を捉える。
本稿は8章から成る。1章は問題意識、先行研究レビューに加えて本稿の新たな視点を提起す る。2章ではアリストテレス、アダム・スミス、マルクス、ケインズ、シュンペーター、ポランニーを経済 思想史的にとりあげ、彼らの経済と社会の関係、社会変革そしてイノベーションの捉え方からの示 唆を得て、それと事例研究からの着想を綜合して構想した枠組みの概要を3章で提起する。続く4
~7章では生成過程の構成要素ごとに当該事例とともに論考する。
4章では、諸<動機>の基層にはアリストテレスが唱えた善き生のための徳・卓越性があり、その 大きな<目的>を入会地・コモンズにもみられ“誰かのものであっても皆のもの”といった心の習慣が 活きる“総有的”(コモンズ的)な社会モデルに探り、そこで営まれてきた修行と貢献は徳・卓越性の 実践に通じることを提起する。そしてソーシャル・イノベーションがもつ可能性を、世界80カ国で低 所得・被災家族の住宅を建てるNGOの実証例で示す。
5章の実践要素の<手段>では、スミス(1759)の「同感」を援用しながら、社会的、事業的そして 個人的に自ら重んじる諸価値の中で互いに共鳴する領域─それを“トライ・サークル・モデル”と呼 ぶ─から事業目的、事業領域、顧客価値提案を導き出す過程を“志”(mission)とし、事例とともに 提起する。又、公開調査結果からソーシャル・イノベーションでの若者の動機・出番を探る。
6章の<方法1>では、イノベーションの潮流からも学び、外部性も含む社会課題の解決にむけ て諸要素を「新結合」しながら、実体的な有用性をもたらす使用価値を利用者・協働者と協創する 中にそれが起こり、顧客満足そしてメンバーの働く喜びも充たされることを渡植(1986)の「半商品」
を援用して提起する。貨幣化しにくい使用価値を協創しながら事業の持続性を確保するためにも、
市場交換に加え非市場的な再分配・互酬を多元的に事業モデルに組み込み、又、それにより経 済を社会に実体的に埋め込むことを事例とともに示す。この価値協創を促すための、インフォーマ ルな相互学習・扶助の実践コミュニティ、人的資源の開発・活用、ガバナンスについて考察する。
7章の<方法2>では、個別ローカルで、「人ベース」に結び合い、価値協創する中にイノベーシ ョンが創発し、そこに総有的な“小さなコモンズ”が生まれていく過程と、同様のイニシアティブが多 層的に起こり、地域全体が“大きなコモンズ”に転換する素地をつくっていく過程とともに、ローカ ルで協創した課題解決策、関係性、協働者の資源などをレバレッジングして地域内外へ普及、政 策・制度化するなど社会的インパクトを拡充していく過程を、諸事例を伴いながら構想する。加え て、そのレバレッジのひとつでもある官民・地域協働を日英比較しながら、そして最後の要素とし て事業の<成果>評価がもつ戦略的な意味合いを考察する。
そして8章では、本稿で取り上げた諸事例を比較考察しながら、“徳・卓越性の実践”、“使用価 値の協創”そして“レバレッジング”を、ソーシャル・イノベーション生成の鍵要素として総括する。
目次 要旨
第1章 はじめに... 1
1.1 問題意識 ... 1
1.2 ソーシャル・イノベーションとソーシャル・エンタープライズ ... 7
1.3. ソーシャル・イノベーションに関連した先行研究... 12
1.3.1 欧米の動向そして日本への示唆 ... 13
1.3.2 ソーシャル・イノベーションの前提要素:主体、動機、目的... 23
1.3.3 ソーシャル・イノベーションの生成メカニズム ... 28
1.3.4 使用価値の協創そして働く喜び ... 38
1.3.5 「埋め込み」概念と多元的経済... 40
1.4 研究方法 ... 43
第2章 ソーシャル・イノベーションをめぐる経済思想の考察...47
2.1 社会における経済の位置の変化 ... 48
2.2 アリストテレス ... 54
2.3 アダム・スミス ... 61
2.4 カール・マルクス... 70
2.5 ジョン・メイナード・ケインズ ... 78
2.6 ヨーゼフ・A・シュンペーター ... 81
2.7 カール・ポランニー ... 86
2.8 ソーシャル・イノベーションに対して経済思想家たちが示唆するもの... 95
2.8.1 ヴィジョニング... 97
2.8.2 メンバーの動機と働く喜び ... 99
2.8.3 イノベーション ...100
2.8.4 新しい経済社会モデルの構想 ...104
2.8.5 経済社会の動態的構造...107
2.8.5.1 経済社会スペクトラム仮説 ...111
2.8.5.2 多元的経済社会構造モデル仮説 ...113
2.8.5.3 セクター構造仮説とソーシャル・エンタープライズ...114
2.8.5.4 ソーシャル・イノベーション・フレームワークの構想に対する示唆...115
第3章 ソーシャル・イノベーション・フレームワークの提起...119
4.2.1 これまで:メンバーのあいだでの“総有的”な関係性 ...132
4.2.2 これから:不特定多数との“総有的”な関係性 ...141
4.2.3 多職の先人たちが実践してきた「仕事」と「稼ぎ」、「修行」と「貢献」 ...145
4.3 米国のNGO、ハビタット・フォー・ヒューマニティの事例研究 ...149
4.3.1 コイノニア ...150
4.3.2 “志”:住宅・コミュニティ・希望を協創するパートナーシップ・ハウジング ...151
4.3.3 “使用価値を協創”する多面的事業モデル ...152
4.3.4 ボランタリーと市場交換を統合した事業構造 ...156
4.3.5 実績と社会的インパクト...159
4.3.6 “結び合い&レバレッジング”:協創モデルを全米そして世界にスケール・アウト...160
4.3.7 新たな挑戦と機会...162
第5章 ソーシャル・イノベーションを志す (Mission)...164
5.1 社会的な課題を“自分ごと化”する動機...164
5.2 トライ・サークル・モデル ...168
5.3 ソーシャル・イノベーションにおける若者の出番 ...173
5.3.1 若者のボランティア・寄付行動の動機─公開調査結果から読み解く...174
5.3.2 丸山真男による個人の析出パターン...181
5.3.3 起業家...183
5.3.4 メンバーとしての参画 ...183
5.3.5 ボランティア ...184
5.3.6 新たなボランティア形態としてのプロボノ ...185
5.3.7 従来型の寄付 ...187
5.3.8 ネット寄付サイト ...189
5.4 事業領域・顧客価値提案 ...191
5.5 事業領域・顧客価値提案の諸事例:高齢者介護・障害者支援事業者 ...193
5.5.1 NPO法人 福祉サポートセンターさわやか愛知 ...193
5.5.2 NPO 法人 ケア・センターやわらぎ・社会福祉法人 にんじんの会 ...195
5.5.3 株式会社 元気広場 ...195
5.5.4 元気な亀さん ...196
5.5.5 NPO法人 デイサービス このゆびとーまれ ...197
5.5.6 社会福祉法人 浦河べてるの家 ...201
5.5.7 NPO法人 わっぱの会 ...204
第6章 使用価値の協創がイノベーションを生む (Co-Creating Use Value)...208
6.1 イノベーションと「価値協創」 ...211
6.1.1 「新結合」と「価値協創」 ...212
6.1.2 本稿におけるソーシャル・イノベーションの捉え方...217
6.2 使用価値の協創と働く喜び...220
6.2.1 使用価値 ...221
6.2.2 作り手と使い手の「半商品」的な関係性からつくられる使用価値...224
6.2.3 使用価値の協創が生起するソーシャル・イノベーション ...227
6.2.4 使用価値の協創がもたらす働く喜びと事業の持続可能性 ...230
6.2.5 ソーシャル・イノベーションが求められる3つの次元 ...235
6.3 事業モデル・事業ポートフォリオ...238
6.3.1 事業構造チャート ...241
6.3.2 [市場交換] 自主運営事業 ...243
6.3.3 [再分配] バウチャー(保険)制度事業・行政受託事業...244
6.3.4 [互酬] ボランティア・小口募金・賛助会員事業...245
6.3.5 [贈与・互酬] 大口寄付・助成金・CSR協働事業 ...250
6.3.6 アドボカシー・政策提案・社会運動 ...251
6.3.6.1 毎金曜日夜の官邸前、反原発デモ ...252
6.3.6.2 社会運動家で「年越し派遣村」元村長の湯浅誠 ...255
6.3.7 事業モデル・事業ポートフォリオに関連する事例研究 ...257
6.3.8 特定非営利活動法人ケア・センターやわらぎ ...259
6.3.9 米国のホームレス支援のコモン・グラウンド ...263
6.3.10 生活困窮者支援のNPO法人自立支援センターふるさとの会...275
6.3.11 ネット寄付プラットフォームを提供する英国のジャスト・ギビング社...289
6.3.12 アフリカと社員食堂をむすぶNPO法人テーブル・フォー・ツー ...293
6.4 学び合い、助け合い、価値協創する場としての実践コミュニティ ...294
6.4.1 実践者がつくるインフォーマルな学習コミュニティ ...295
6.4.2 実践コミュニティと職人的な働き方・生き方 ...297
6.4.3 イノベーションを生みだす実践コミュニティの育て方...299
6.4.4 使用現場のユーザーに学び、共に物語を紡ぐ、コミー株式会社の事例研究...302
6.5 人的資源・ガバナンス ...310
6.5.1 実践的知恵 ...312
6.5.2 サーバント・リーダーシップ ...314
6.5.3 ソーシャル・キャピタル ...316
6.5.4 ガバナンス─「総有的」と「協治」...317
6.5.5 外部との接点であり、同僚であるボランティア...319
7.3 ふんばろう東日本支援プロジェクトの事例研究...336
7.4 より大きな社会的インパクトを目指しての“レバレッジング” ...341
7.4.1 ソリューション、事業モデルのスケール・アウト ...341
7.4.2 CSR協働による広域活動と地元のパラレル展開...343
7.4.3 実践コミュニティと広域ネットワーク...344
7.4.4 ボランティア・寄付者・支援者のエンパワーメント ...346
7.4.5 アドボカシーと社会制度化 ...347
7.5 地域協働 ...351
7.5.1 イギリスの経験と比較して ...353
7.5.2 キャパシティ・ビルディング...357
7.6 成果評価 ...360
7.7 若者の就労・自立を支援するNPO法人育て上げネットの事例研究 ...363
7.7.1 起業の志そして賛同者の参画 ...364
7.7.2 自主事業:利用者と価値協創する「ジョブトレ」「御用聞き」、「結」「学習支援」...369
7.7.3 行政委託事業:地域の若者へアウトリーチする「地域若者サポートステーション」 ...373
7.7.4 広域事業:企業とのCSR協働で全国にスケール・アウト・寄付インフラづくり ...377
7.7.5 多数の事業が併存する事業ポートフォリオ ...379
7.7.6 “結マップ1”:人そして仕事・組織で結び合う...382
7.7.6.1 自主事業クラスター ...383
7.7.6.2 行政委託事業クラスター...384
7.7.6.3 広域事業クラスター ...385
7.7.7 “結マップ2”:実践知で結び合い、さらなる価値を協創する可能性の提起 ...386
7.7.8 成果評価―社会的投資収益率(SROI) ...390
7.7.9 生活困窮者自立支援法(2013年成立)がもたらす事業構造への影響 ...391
7.7.10 社会的インパクトの拡大とさらなるイノベーションの可能性(仮説提案)...395
7.7.10.1 アドボカシーと自社ソリューションの社会制度化 ...396
7.7.10.2 スケール・アウト...396
7.7.10.3 ソリューションの開発と進化 ...397
7.7.10.4 個人の能力開発・組織の力量形成 ...398
7.7.10.5 ナリワイづくり、地域づくりの「テツダイ」プロジェクト(試案) ...401
7.7.11 地域ケア・コモンズの協創に向けて...410
第8章 結びに:ソーシャル・イノベーションでより善い社会への転換を...411
8.1 社会に「示唆」を与えつづけた出光佐三の哲学と実践...412
8.2 “徳・卓越性の実践”そして“トライ・サークル・モデル” ...419
8.3 “使用価値の協創”そして”レバレッジング” ...423
8.4 ローカルでの価値の協創が“物語”を紡いでいく...428
8.5.今後の研究課題─“物語”の交換と協創の「場」づくり...430
引用文献・参考文献...432
はじめに
第1章 はじめに
1.1 問題意識
本稿は、人びとが持続的な事業活動をつうじて、より善い社会をめざし、社会の課題を解決しよ うとして挑むソーシャル・イノベーション生成の過程を包括的・全体論的に捉え、更にそれを促す 上で有用となる概念的フレームワーク(思考・実践・省察の枠組み)を提起するものであるが、人び との営為の中から創発するこの社会的現象の考察は始まったばかりである。そして、新たな経済 社会モデルが模索される今、社会変革そして新たな価値創造の主体としての「普通の人びと1」に よるイニシアティブが誕生し、成長、発展していく中で一人ひとりが可能性を開花し、イノベーショ ンが起き、より善い社会に転換する素地をつくっていく道程を構想しようとするものである。
人は、何かのきっかけで、不正義や不条理なことで辛い思いをしている人たち、破壊されていく 自然、活力を失っていく町・村落などに遭遇する。心を動かされ、それを自分事として受けとめて、
「何か私にできることは」と思い立ち、寄付、ボランティアにはじまって、その支援、解決に自らをコ ミットし行動を起こすことがある。これはまさに私たちが東日本大震災(2011)で経験したことである。
又、同時に起きた原発事故では、人間の安全保障の問題として問われるべき13万人(発生3 年後)の避難者、そして「原発村」と呼ばれる産官学の利権構造の存在と対峙し、「何かがおかし い」と立ち上がり、脱原発の集会・デモを呼び掛ける人、それに参加する人、地域で再生エネルギ ーに挑む人たちがいる。被災当事者として自ら立ち上がる人たちの存在も忘れてはならない。
一方で、震災以前から、戦後の経済成長を前提に国が産業・企業を、企業が社員を、そしてそ こで働く父親が家族全員を支えるといった、国家が主導しそれに企業が連携することによって維 持されてきた安定雇用・社会福祉モデルが機能不全に陥っていた。又、成長と効率を追い求めて きた経済至上主義の弊害が、環境破壊、地域農業の衰退、失業、経済格差、コミュニティの崩壊、
社会的排除など構造的な問題として現れていた。さらに「市場は全域的ではなく、家族は万全で はなく、国家には限界がある」[上野 2011: 455] つまり、この未曾有の自然・文明の災禍は多くの 犠牲・災難をもたらすと同時に、発生以前から抱えていた諸課題を顕在化させたのであり、真の復 興は元に戻すことにではなく、新しい現実を創造することにある。「我々の直面する重要な問題は、
その問題を作った時と同じ考えのレベルで解決できない」(A・アインシュタイン)のである。
国の失敗、市場の失敗を批判することにとどまらず、地域に根ざした普通の人びと、民間の 事業主体が、自分たちの地域の課題解決をめざしてイノベーションを起こし、より善い地域づく りに参画しはじめている。インド独立の父、マハトマ・ガンジーが「見たい世界の変化にあなた自 身がなれ」を自らの行動で示したように。
1 カール・ポランニーは、1943年の米国のペニントン大学での講演で、ジャン・ジャック・ルソーの偉業を、「マル チチュード(多数の群集)を意味する政治用語でも、貧民を意味する経済用語でもない、人間の正当な代表者とし ての『普通の人びと(the common people)』─あるがままの人びと─を発見したことである。(中略) 『普通の人びと』
が感じたこと、考えたこと、行ったこと、彼らの労働の仕方や生活の仕方、伝統や忠誠心にはすべてに価値があり、
それらは純粋で健全である」とした[若松 2011: 233]。
又、経済社会全体の視点からは、カール・ポランニー(1944)が指摘したように、経済活動はかつ て人々が共に暮らし労働を営む社会の諸関係の中に「埋め込まれた」(embedded)ものであった。
近代以降の市場経済の発展は社会の繁栄をもたらしたが、成長と効率を追い求めた経済至上主 義が、環境破壊、経済格差、地域農業の衰退、コミュニティの崩壊、社会的排除などの幣害を生 み、又、マネー経済によって我々の暮らし・仕事が翻弄されるなど、経済が社会を飲み込むほど 大きな影響力をもつに至っている。
歴史をさかのぼると、自由放任の市場主義を擁護したとされるアダム・スミスは、『道徳感情論』
(1759)と『諸国民の富』(1776)の2著作を生涯、幾度も改定し、「人は社会的存在である」とした上 でアリストテレスらが唱えた「徳性」(virtue)も受け継ぎながら、道徳哲学から経済理論に発展させ た。人の情感、動機、行動を捉え、人と人が互いに「同感(sympathy)」と「世話の交換」を生活次元 で実践するものであるとしながら、虚栄心・自己愛・貨幣愛といった人間の弱さが経済を成長させ ることも認めた上で、その暴走をフェア・プレイのルールそして「徳の道」で抑えるといった実用主 義を併せもって、社会の秩序(公正)と繁栄(豊かさ)につながる道程を構想した。
しかし彼の死後、産業革命を経て資本制市場経済の進展とともに、彼の「見えざる手」を市場の 自動調整メカニズムとして狭く解釈し、市場・貨幣・価格システムを中心に経済合理性に基づく人 間活動の一側面のみを扱う純粋経済理論が生まれ、経済は社会から分離していった。
19世紀には、資本主義経済が生み出す経済格差、社会的不公正が拡がっていった。カール・
マルクスは史的唯物論を唱え、労働者階級による革命で資本主義の廃棄と社会主義社会の建設 を企図した。ジョン・M・ケインズは、スミスも警告していた貨幣愛の危険性を指摘しつつ、国家介 入による有効需要の創出で生産・雇用を拡大し経済秩序の回復をめざした。一方、ヨーゼフ・A・
シュンペーターは起業家の「新結合の遂行」(後にイノベーションと呼ぶ)による価値創造が国民 経済を発展させると説きながらも、起業家精神が経済的成功とともに失われ「資本主義は成功す るがゆえに衰退し、社会主義に変質する」とし、経済と社会、政治、文化などとの相互関係の媒介 としてイノベーションを捉えた。そしてカール・ポランニー(1977)は、アリストテレスの経済論を受け 継ぎ、人間は生活のために自然および仲間たちに依存し、それらとの相互作用の中で生き、その 過程において物質的欲求を満たす手段を継続的につくり提供することが経済であり、人の暮らし、
生業(livelihood)を実体=実在的(substantive)に捉えた。そして、市場交換だけではなく、互酬、再 分配、家政といった非市場・非貨幣経済も含めた多元的な経済活動を人びとの社会的諸関係の 中に位置づけようとした。つまり、経済人類学の知見をもとに市場経済の論理では捉えきれない 経済活動もあり、市場経済の考え方で全ての経済社会を捉えることに無理があることを提起した。
だがその後、ソ連の国家社会主義の破綻とともに市場自由主義経済が暴走し自然環境を破壊 し、さらには市場原理の純粋型であるマネー資本主義が、私たちの暮らし、労働を翻弄している。
そのような中で、改めて経済と社会の関係を問い直し、経済至上主義を超える新たな人の働き 方、生き方、善き生(well-being)、善き社会のあり方を模索する動きがある。かつてマルクスらが唱 えたような革命論でも、又、新たなイズムや観念論でもない。事業を通じたイノベーションで地域の 課題を解決し新たな価値を創造しながら、経済活動を社会に埋め込み直し、人が人、社会、自然
1.1 問題意識
と共に生きる関係性をつくろう2との実践がローカルに起き始めている。そして、そのような個別多 様なイニシアティブを課題、地域を横断し、ミクロからマクロ次元までより善い経済社会に転換させ る過程を構造的に捉え、それを促進できる枠組みを構想することは有用であろう。
このような時代の転換期にあって、それが復興支援、福祉介護、教育、環境、地域づくり、海外 支援その他のいずれであれ、人が何かのきっかけで関わり始めたとして、その展開次第で、社会 の変革につながることもあれば、又、自らの働き方、生き方に大きな影響を及ぼすことは確かであ る。その状況、動機も様々で、寄付・ボランティアにとどまる人、NPOなどで働く人もいれば、自ら ある特定の社会目的を掲げて起業し、より大きなソーシャル・イノベーションに挑む人もいる3。
起業したら、個人の共感、利他や自己犠牲の精神だけでは続かない。その思いを組織ミッショ ンにまで昇華させ、賛同者・支援者を募り、新たな関係性を育てながら、持続可能な運営、つまり、
社会性、事業性それに自分たちの生活と働く喜びも担保することが求められる4。その上で、ロー カルで創出されたソリューション(解決策)が地域内外、全国、海外にまで普及し、国・自治体の社 会制度となったりして、より大きな社会的インパクトを与えていく可能性も秘めている5。
そして近年、社会的課題を自分ごと化し、持続的な事業活動を通してイノベーションを起こして その解決に挑みながら、より善い地域社会にむけた貢献が期待される新しい民間の事業体が生 まれている。企業、市民・NPO、行政といった既存セクターのアクターがその枠から派生して活動 を拡げたり、複数のセクターの特質をハイブリッドしたり、又、新たな新生種として起業したりと、そ の出自も様々で、実践が先行する。かように様々な社会的イニシアティブ、社会的目的の組織を、
本稿ではソーシャルーシャル・エンタープライズ(social enterprise)6としてゆるく括くることにする。
2 かつての入会地、コモンズでは、人びとが自主的に共同して萱、薪炭・木材・肥料、食糧、水などの共通資源
“common pool resources”を利用・管理していた。本稿では、先人たちの暮らし・労働の実践知、近現代の経済思 想家の知見を援用しながら、ソーシャル・イノベーションの向こうに描くより善い社会のカタチを探る。私的所有と合 理的選択に基づく市場経済的なものではなく、“誰かのものであっても皆のもの”といった精神の習慣が生きる“総 有的”(commons-based)な社会モデルを第4章2節で提起し、その思想を実践する諸事例に言及する。
3 アダム・スミスもその道徳哲学の中に受け継いだアリストテレスの“virtue”(ギリシャ語のアレテ―の英語訳であり、
徳性、卓越性などを意味する)のもつ倫理性・道徳性・審美性に、フロネーシス(実践的知恵)を加え、職人にその 起源があるとしながら、共同体の伝統に学び、自らの徳・卓越性(virtue)を実践する中に共通善としての善き生
(well-being)が実現するとしたのが A・マッキンタイア(1981)である。本稿は、この徳・卓越性を、人を向社会的行動、
社会的な起業に向かわせる動機の基層にあるもとして3.2節、第4章1節で提起する。そして、若い世代を中心に、
彼らのボランティア、寄付そして仕事、生活などでの意識・行動をとらえた複数の公開調査結果を分析し、それと 関連させながら、彼らの関心、未充足の欲求に応えるものとして、徳・卓越性を実践し働く喜びを経験できる場とし てのNPO、ソーシャル・エンタープライズなど社会目的組織がもつ潜在力を第5章3節で示す。
4 社会目的で起業する際の動機をとらえるフレームワークとして、“トライ・サークル・モデル”を第5章2節で提起す る。まず、社会的、事業的そして個人的の3つの価値領域を3つのサークルで表わし、それぞれに自らが重んずる キーワードを選び、その中から領域を超えて共鳴できる諸価値の領域を見つけ、そこから、事業目的、そして事業 領域そして顧客に提供する価値命題を戦略的に導き出すプロセスを支援する枠組みである。
5 “Everyone a Changemaker”(誰もが社会を変えられる)と唱えながら、世界中の社会起業家を発掘・支援するア ショカ財団の創設者の Bill Drayton(2006)によれば、「彼らは魚を困った人に分け与えること(チャリティ・慈善)、釣 りの仕方を教えて自分で魚を獲れるように支援すること(ソリューション提供)では満足せず、根本的な問題解決の ために漁業界の全体システムまでも変革する」としている。
6 欧米においても、さまざまなソーシャル・エンタープライズによる実践が先行しており、国ごとの事情・歴史の違い もあり、その定義、捉え方は一様ではないことを次の2節で詳述する。米国に倣い、ビジネスの手法で社会課題を 解決する事業体として「社会的企業」とする邦訳もあるが、「企業」では営利目的の企業のイメージに重なこともあり、
それを敢えて使わないことで、既存の枠を超えてイノベーションの可能性を広く探ることにする。又、“enterprise”
の原意には、(困難なこと、大胆なことを)企てる、(冒険的な)事業もあって、企業、会社に限定されない。
事業型NPO法人、社会志向型の企業そして協同組合、さらには営利企業によるCSR事業なども 含み、営利・非営利を問わず、さまざまな法人形態をとり、その定義も一様ではない。
それは、企業と比べてより社会性を帯び、市場交換に再分配、互酬を含めた多元的経済活動 を、行政と比べてより革新性と起業家精神を、そしてNPOに比べて事業性、持続性、安定雇用の 要素を付加させたようなもので、共通する特質として、社会性、事業性、革新性の3つが挙げられ るだろうが、その中で、特に注目すべきが革新性、いいかえればイノベーションである。
前出のシュンペーター(1912:第2章2節)にとって、イノベーションは技術革新に限らず、アイデ アの発明家でもなくそれを実行、実現する起業家が、広く生産手段の「新結合の遂行」により新た な財貨、生産方法、販売先、仕入先、組織をつくりだし価値創造することであって、それが国民経 済を発展させるものであった。それと比べると、社会的な課題に挑むソーシャル・イノベーションは、
技術も含めその解決策にはじまり、人と人そして社会との新たな関係性と働き方、地域を超えてよ り大きい社会的インパクトへとレバレッジする方法、創出価値を収益化し持続性を担保する事業モ デルなども含め、社会との関係性の中で見いだされる新しい物事の切り口、捉え方、価値の創造 であり、より幅広く動態的なものであると言える7。
そして、金銭的な動機以上に着目した起業家特有の、勝利者にならんとする意志、創造の喜 びなどのエートスそして彼らの社会・政治・文化的側面と経済的成功との相互作用を動態的に捉 えたシュンペーターの視点は、P・F・ドラッカーそして経営学に受け継がれ、近年の社会起業家 論などにもその影響が見受けられる。
又、商品開発、マーケティング、ソフトウェアなどの分野では、消費者を使用現場での価値の創 造者として捉え、彼らが商品開発に関与する“ユーザー・イノベーション”ならびに作り手と使い手 による“価値の協創”(co-creation)がすでに始まっている8。対人社会サービスにおいても利用者・
被支援者との間で同様の取り組みがあり9、ソーシャル・イノベーションへの応用が期待される。
さらに、自然、治安、教育など市場価値化しにくい外部性も含めた社会課題の解決などで実現 する社会性と、それを担う組織の持続性、経済性を含めた事業性。二項対立的に捉えられがちな これら二つの要素が対立せずに、かつその担い手である起業家そしてメンバーの働く喜びも同時 に充たしながら、いかにソーシャル・イノベーションを起こすのかの実践知が求められている10。
以上のように我々に提示されている機会と挑戦に鑑みれば、次のような問いを設定することが できるであろう。
7 ソーシャル・イノベーションは、イノベーションと比べるとより新しくより広い概念であって、その捉え方も研究・実 践分野によって違いがあり(3節で詳述)、企業そして行政の政策・制度改革でもイノベーションは起きるが、本稿 では、新しい民間主体であるソーシャル・エンタープライズに着目して考察をすすめる。そして、シュンペーター以 来のイノベーション関連の研究も概括し、本稿なりのソーシャル・イノベーションの捉え方を第6章1.2節で、そして それが対象とする、ソリューション、マネタイズ(収益化)、レバレッジの3つの次元を同2.5節で示す。
8 von Hippel(2006)、Prahalad and Ramaswamy(2004)、他を第6章1節で詳述する。又、筆者自身も戦略コンサルタ ントとして、企業、NPOと協働して、対話と価値協創のプラットフォームの実証実験を行ってきた。
9 Pestoff and Brandsen(2009)、さらに日本の高齢者・障害者ケア(第5章5節)、低所得世帯の住宅建築(第4章3 節)、若者の就労・自立支援(第7章7節)の分野での事例がその取り組みを示している。
10 社会性と事業性を新結合する基層的な動機として、徳・卓越性の実践を3.2節、5章2節で提起する。
1.1 問題意識
《人はいかなる動機・きっかけで、より善い社会の姿を思いながら、社会のある特定課題を自 分ごと化し、ソーシャル・エンタープライズを起業、又はそのメンバーとして参画するのか。その 社会目的を達成するために、どのように事業を定義し、実践するのか。又、いかに人、地域と 関わり、顧客の満足とメンバーの働く喜びを充たし、事続性も確保しながら、課題を解決し、価 値を創造するのか。さらに、このイノベーションの社会的インパクトをどのように地域内外に拡げ、
社会を変えていくのか》
つまり、本稿で考察すべきは次のことであると考える。人がソーシャル・イノベーションに挑む動 機とそれによって目指すより善い社会の姿を探るとともに、持続的な事業活動を通じていかにイノ ベーションを起こし、社会的インパクトを与えていくのかといった実践過程とその方法、さらに、
様々な主体によってイノベーションが起き、社会の課題解決・価値創造に経済活動が埋め込まれ、
より善い社会に構造転換する素地をつくっていく過程を動態的に捉えることである。
それは「正しいことをする意志(moral will)をもち、正しいことをどのように上手く行うかという技能
(moral skill)を併せ持った実践的知恵(practical wisdom)11」を一つのフレームワーク(思考・実践・
省察の枠組み)として提起することで具体化される。正しい意志があっても技能がなければ課題解 決には繋がらず、スキルがあっても志がなければソーシャル・イノベーションは成立しない。
つまり、本研究は、事業活動をつうじて挑むソーシャル・イノベーションの生成過程に着目し、そ の実行主体である人そして人の労働に視座を置きながら、そのためのビークル(乗り物、手段)とし てソーシャル・エンタープライズを捉え、社会課題の解決、新しい価値の創造、そしてより善い社 会への転換を促すものとしてのソーシャル・イノベーションの可能性を探る。
又、ソーシャル・イノベーションの生成を洞察するだけでなく、それを促進することを目的とする ことからも、イノベーションの実践者である人びとにとり有用であり、かつ彼ら一人ひとりがもつ可能 性を開花させられるよう、支援できる枠組みでなくてはならない。一方で、経済社会が提示する多 様で複雑な課題、機会を捉えて、さまざまな人びと、組織が営む多様な事業活動に理論モデルを 一律に適用することは妥当とはいえないであろう。
個別の実践に寄り添い、彼らの方法論としてのベスト・プラクティスを抽出するというより、例えば、
どのような状況下で誰によっていかに課題解決され普及したのか、自らの変化も含めて何を学ん だのかといった一つの“物語”(narrative)としての実践知を、他の実践例とともに、より大きな視野 に入れて共有、交換し、各自が、そして集合として、それからの学び・気づきを導き出せるような一 連の思考・実践・省察の枠組みが求められる。
11 Schwartz and Sharpe (2010)
Practical Wisdom:The Right Way to Do the Right Thing.
Riverhead Trade は実践 的知恵を、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』第6巻第5章の中で説いた「フロネーシス(慎慮)」として捉え、それ は、行為・実践の中で、より善く生きるために、どうあるべきか、何をなすべきかを慎慮するものであるとした。アダ ム・スミスは、『道徳感情論』 6版6部 1 篇 VI.i.15 の中で、「慎慮は・・あらゆる可能な事情と境遇において自らが 置かれた状況で最も適宜性をもって行為するという、技術、才能、習慣または性向を想定させる・・それはもっとも 完全な徳と結合したもっとも完全な英知である」とした。『道徳感情論』で社会の秩序(公正)と繁栄をめざす「意志」を、『諸国民の富』で経済的な繁栄を実現する方法である「技能」を示したとも言える。実践的知恵に関しては第6 章5.1節で詳論する。
さらに、研究対象となるソーシャル・イノベーションそしてそのビークルとして着目するソーシャ ル・エンタープライズは、ともに新しい概念で実践が先行する。その捉え方も幅広く、研究分野とし ても境界領域であることから、次のように、空間軸、時間軸、智軸の3軸を複合した多面的で学際 的な研究アプローチが必要になるであろう。
まずは、多様で個別具体のソーシャル・エンタープライズによるソーシャル・イノベーションの実 践事例から着想を得た上で、非市場経済も含めて経済社会を広く捉え直すとともに、個別ローカ ルなイノベーションが集合的に地域社会全体の構造転換を促す動態的な過程も含めた空間軸。
次に、学際的に関連分野の先行研究の知見に学ぶとともに、より善い社会のかたちを探るモデル として、先人たちの暮らし・労働の実践知を現代に編み直すことも含めた時間軸。
そして、前出のスミス、マルクス、ポランニー、シュンペーター、ケインズそれにアリストテレスの6 人の思想家たちを選び、彼らが経済と社会の関係をどのように捉え、それぞれの時代が提示した 挑戦と機会といかに対峙したのか、その彼らの思索の道程を追体験し、ソーシャル・イノベーショ ンそしてそれを捉える枠組みを構想する上での示唆を得ようとする智軸である。
本稿では、これら3軸を使って多面的、相乗的にアプローチすることで、ソーシャル・イノベーシ ョンを動態的、構造的に洞察し、それを促進できるフレームワークを構成的12に構想する。そして、
その枠組み仮説をさまざまな実践事例の分析に適用し、事例ごとに更なるソーシャル・イノベーシ ョンの可能性を探り、又、その論理的な整合性、実践的な妥当性を検証しながら枠組みをさらに 改良していく。
加えて、以上のような問題意識を、第2章2節で言及しアリストテレスが世の中で起きる現象
(motion, change)の本質を捉えようと提唱した「四原因説」を援用して整理する。その前に、シュン ペーターが起業家による生産手段の「新結合の遂行」という内発的な行為そしてその成果として 国民経済の原動力となる価値創造13を捉えてそれをイノベーションとしたのと比べて、社会的課題 を対象とするソーシャル・イノベーションの生成には外発的要素の影響がより大きくかつそれとの 交通が不可欠となり、より創発的で社会(経済)的な現象として捉えるのが自然であろう。
そして「四原因説」に当てはめてみると、ソーシャル・イノベーションの生成(過程)とその成果が、
その現象そのものの実体であり本質を言い表す「形相因」となる。又、ソーシャル・ノベーションを 成立させる要素である諸々の事業活動が「質料因」、社会的課題の解決、利用者満足とメンバー の働く喜び、そしてより善い経済社会への転換が、イノベーションによってその実現をめざす「目 的因」、さらに、起業家と参画メンバーの動機そして彼らがイノベーションを起こすビークルとして 運営する事業体であるソーシャル・エンタープライズが、イノベーションを引き起こす「始動因」にあ たると考えられる。その上で「形相因」だけを観念的に探求しても、ソーシャル・イノベーションとい
12 理解しようとする対象を分解、分析するのではなく、構成的(constructive)につくることで理解しようとすること。本 研究は、さまざまな事例研究からの帰納的推論に加えて先行研究、先人の実践知から着想を得て枠組みをつくり、
それを使って個別事例の考察、理解を深め、その過程からの気づきで枠組みを改良していくアプローチをとる。
13 Dees,J.Gregory(1998,2001)によれば、起業家と訳される“entrepreneur”の語源は、「セイの法則」で知られる1 9世紀初期のフランスの経済学者の Jean Baptise Say(1767~1832)が、低い効率と収穫の分野からより高い分野 に経済資源を移動し価値創造する者を称して使ったフランス語にあって、そのまま英語になっている。この(経済)
価値創造者という意味で、シュンペーターは起業家を捉え、それが経済発展をもたらすとしたと推測できる。
1.2 ソーシャル・イノベーションとソーシャル・エンタープライズ
う現象の本質は掴めず、この四原因を実体的に、かつ相互関連するものとして全体論的に考察 することが必要となる。
そこで次節で本稿の主題であるソーシャル・イノベーションに関連する先行研究をレビューする にあたり、まずはその「始動因」となるソーシャル・エンタープライズの実践とそれを対象とする先行 研究の概括から始めることにする。又、それには次のような背景もある。
第2章2節で後述するように、イノベーションは古代ギリシャの時代から起きていたとされており 実に2千年を超える実践があった後に、それをシュンペーターらが概念化してから百年足らずで ある。それと比べて、近年になって新たな概念語とともに注目されはじめた現象が本稿の主題で あるソーシャル・イノベーションであって、その生成過程に関連した研究の蓄積は限られている。
イノベーションの先行研究から広く学びながらも、それとは別にソーシャル・イノベーションという 現象に特化した洞察、研究が必要である。それには、そのような現象がより多く生起することが前 提となる。そしてその主体としては、官、民、市民の各セクターの参加者さらにクロス・セクターでの 地域協働も重要であるが、本稿では、ソーシャル・イノベーションに真正面からその事業目的とし て挑む新たな民間主体としてのソーシャル・エンタープライズにまず着目する。
又、ソーシャル・イノベーションの先行研究と比べて、ソーシャル・エンタープライズとして括られ る多様な事業体の実体そして制度的な研究には、欧州を中心とした協同組合やアソシエーション などを対象とする社会的経済論、米国の非営利組織論、社会起業家(起業家精神)論などの蓄 積がある。又、ソーシャル・エンタープライズの本来的な目的としてソーシャル・イノベーションが改 めて注目されるとともに、近年、事業活動を通してソーシャル・イノベーションで社会的課題の解決 をめざす起業家にはそのビークルとしてソーシャル・エンタープライズを活用する者も多い。
故に、ソーシャル・イノベーションに着目し、その生成過程を「形相因」として捉えようとする本研 究にとり、その「始動因」である人がそのためのビークルとして事業運営するソーシャル・エンター プライズ、「質料因」である彼らの実践活動、さらにその「目的因」も含めて、それらの実践動向そし てそれを対象とする先行研究をレビューすることは有用であるばかりか、むしろ不可欠である。
1.2 ソーシャル・イノベーションとソーシャル・エンタープライズ
本節では、ソーシャル・イノベーションの担い手として、民、官、市民の3つのセクターが置かれ た状況を概観し、人びとがイノベーションに挑む際の新たなビークル(乗り物、手段)にソーシャ ル・エンタープライズとして括られるような様々なイニシアティブ、事業体が生まれてきたことの背景 を考察する。その上で、先行する欧米の実践動向と先行研究を概括し、それから得られる日本へ の示唆とともに、それをソーシャル・イノベーションに関連する先行研究のレビューにつなげる。
ところで、企業、行政そして市民・NPOなど地域の各セクターに参加するアクターには、より善 い地域社会に向けたさらなる貢献を期待したいところではあるが、彼らもまたそれぞれに難しい課 題に直面している。
又、地域社会といっても、そこに一つの大きな社会があって、私たち全員がそこに暮らしている という訳ではない。“社会”という言葉も“society”の訳語であり、明治以降に一般化したのだが、そ れ以前には、「交際」「仲間」「社中」など原語の意味合いにより近く解釈されていたようだ。つまり、
人々の相互関係、共同的な営みをする人のまとまりとしての多様なソサエティ、言い換えれば、コ ミュニティが地域に数多く存在し、しかも同じ人が複数のコミュニティに所属したり、コミュニティ同 士が重なっていたり、地域外とも繋がっていたり、といった意味をこめて多層的に共存しており、そ れらが総体としての地域社会をつくっていると考えられる。さらに、地域を超えて、より広く社会を 捉えるとなると、そのような地域社会がさらに数多くそこにある訳で、社会を、いわゆる「入れ子」構 造として捉えることもできるだろう。
そして、このような地域社会において、多様化、複雑化する社会課題を解決すべく、従来のセク ターの枠を超えて様々な参加主体が、ソーシャル・イノベーションに挑みはじめている。既存のセ クターから派生したものや、新たな実践のカタチとして生まれたものなど、さまざまな出自、形態を とりながらも、既存の枠には収まりきらない、それでいてある共通する特質をもつ事業(体)が、国 内でも生まれてきている。未だその萌芽期にあって、規範的に定義される新たなセクターというより、
それぞれの実践が先行している。そして彼らも含めて地域の様々な営み、活動によって育てられ た“コモンズ”(第4章2節で提起する“総有的”なコミュニティ)が徐々に重なり合って、総体として の“総有的”な地域社会を形成していくといったイメージで、新しい動きを捉えることを提起する。
本稿では、それらの新しい事業体を、「ビジネスの手法で社会課題を解決する(非営利)組織」
といった一般的なイメージで捉えられることの多い邦訳の「社会的企業」とは敢えて呼ばずに、欧 米でも、それぞれの環境そして発展の歴史の違いからも、実践的にも理論的にも幅を持たせた捉 え方がされている“ソーシャル・エンタープライズ”(social enterprise)という原語を、そして“社会的 な起業、社会的に起業する”といった表現を、同様の意味合いで使うことにする。そして、人がそ の主体となって事業運営するソーシャル・エンタープライズによる様々な実践に寄り添いながら、
それがどのようにソーシャル・イノベーションの生起につながっていくのかの可能性を広く探る。
かくして、既存の3つのセクターの現状をレビューした上でソーシャル・エンタープライズの動向 と先行研究を概括し、それをソーシャル・イノベーションの先行研究レビューへ繋げることにする。
まず、戦後の長い間、経済成長そして実質的に人々の社会保障を支えてきた企業そして協同 組合などを含む民間セクターであるが、特に、企業経営には、グローバル競争で生き残り、株主 の四半期毎の業績期待にも応え、失われた20年とも揶揄される国内の閉塞状況から抜け出すた めには、製品・サービスに留まらず、ビジネス・モデル、企業・組織のあり方、顧客、社員そして広く 社会との関係性も含むイノベーションそして新たな価値創造が求められている。
又、従来は、経済活動からの剰余益をメセナ、フィランソロピー(チャリティ)として寄付したり、ボ ランティア活動に参加して、直接の対価を求めずに“余力で善いことをする”といった社会貢献活 動が中心で、経団連にも1%クラブや社会貢献推進委員会などが生まれていた。それが、2000 年代初頭以降、自らの活動がもたらす環境・社会への負の影響を及ぼさないように対応を要求さ