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ソーシャル・イノベーションをめぐる経済思想の考察

第2章 ソーシャル・イノベーションをめぐる経済思想の考察

本研究は、持続的な事業活動をつうじて、社会のさまざまな課題を解決しようと挑むソーシャ ル・イノベーションのダイナミックな生成過程を洞察し、且つ、それを促進することのできる概念的 フレームワークを提起するものである。又、ソーシャル・イノベーションを、その主体である人が、

徳・卓越性をその基層とする諸動機によって、ソーシャル・エンタープライズなどを起業もしくはメ ンバー参画し、持続的な事業活動を通して社会課題に取り組み、技術革新に限らず人・モノ・金・

情報・組織・関係性などを「新結合」し、利用者・協働者と関わり合いながら新たな価値を協創して いく中に創発されるものとして捉える。

さらに、ゆきづまる市場経済、福祉国家、環境制約を超えようと新たな経済社会発展のパラダイ ムの模索が行われている中、本研究はソーシャル・エンタープライズを中心とした民間主体による 価値協創のイニシアティブが地域内外で多層的に起こり、新たな関係性も生まれ、その担い手で ある人びとも生成変化していく中に、より善い社会の姿を探ろうとするものである。

その目的は、ソーシャル・イノベーションの生成過程を解明することに留まらず、それをもとに、

より善い未来の創生に積極的に影響を及ぼしうる一人ひとりが、又、集合的に、持続的に経済活 動を営みながら、その可能性を開花させられるよう、その助けとなる思考・実践・省察の枠組みを 構想することにある。

又、カール・ポランニー(1944)が、かつて経済は社会の諸関係の中に埋め込まれていた

(embedded)としながら70、社会における経済の位置づけとその変化を洞察し続けたように、経済と 社会とは相互に関連し、その関係性は時代とともに変化してきた。つまり、経済と社会の関係を正 しくとらえようとすることなくして、ソーシャル・イノベーションへの解を探ることはできない。

一方、本研究のテーマとしてソーシャル・イノベーションに着眼するきっかけに、近年、メディア、

行政が、やれ社会起業家や社会的企業などと煽る中で、それぞれの社会課題に淡々と挑み、社 会をより良くしようと実践する人びととの出会いがあった。そしてそのようなローカルなイニシアティ ブが、彼らが接する顧客・利用者、地元コミュニティ、そしてさらには経済社会全体にどのようなイ ンパクトを与えることができるのか、逆に、マクロの経済社会環境が、彼らの活動、ソーシャル・イノ ベーションの生成にどのような影響を与えうるのだろうか、といった問いが生まれた。

このような問題意識から、個別具体の実践現場の視点に加えて、経済社会全体の視点からソ ーシャル・イノベーションを捉える方法として、歴史の中にそのヒントを探ることにした。つまり、かつ ての経済思想家たちが経済と社会の関係をどのように捉え、それぞれが生きた時代が提起した挑 戦と機会にいかに向き合ってきたのかを、文献を通して彼らの経験、思索の道程を追体験し、そ れから得る示唆を、より善い社会への転換を促す社会イノベーションの考察に活かすことにする。

70 経済社会学者の Karl Polanyi(1886~1964)が提唱した概念で、人は自然そして仲間たちに依存し、それらとの 相互作用(交換)の中で生きており、実在する欲求を充足する手段をつくり提供することが経済活動であり、経済は 社会の中に埋め込まれているとした。自らの欲求を、希少性、経済化、そして最小の支出で最大効果を得ようとす る最大化原則など合理的な行為で満たそうとする「経済的人間(エコノミック・マン)」を前提にした純粋経済理論と は異なる捉え方を示した。これは本研究が援用するキー概念であり、本章2.7節ならびに第6章3節で詳述する。

2.1 社会における経済の位置の変化

賢人たちの追体験をはじめるにあたり、まず、われわれの経済社会の現状をどのように捉えるこ とができるかの一つの仮説を提示することにする。先に結論とも呼べるものを示すと、かつては、

人と人、人と自然、人と社会が関わり、共に働き、暮らす社会の諸関係に埋め込まれたものであっ た経済活動が、そこから離床するだけではなく、近年、ますます社会そのものを飲み込むほどまで 大きな影響力をもつに至っている。

又、それを使用することで、人の暮らしを豊かにする有用性をもつものとされながら、その有用 性が、使用する人、状況、目的などによって変わるために、量的に計測できないとされた使用価 値71(use value)に代わって、交換の媒介手段である貨幣の数量によって他の財貨に対する購買 力として表すこともでき、使用前の交換(売買)段階でつくられる交換価値(exchange value)を中心 に資本制商品・市場経済の歴史はすすんできた。

さらに、現代の私たちの労働・暮らしは、投機マネーをはじめ、貨幣増殖を自己目的化し国境 を越えて暴走する市場=貨幣経済、それが純粋化した金融資本主義に翻弄されている。

一方で今、自然、環境、教育、治安など地域社会共通の資源72であり、また市場経済のロジック では括りきれないものの劣化がすすみ、その問題が多様化、複雑化している。高齢者・障害者、

子育て、若者就労を支援する社会的対人サービス需要も拡大し、従来の画一的な行政サービス だけに頼ることもできない。それらに対応すべく、官、民、市民など幅広い参加主体による、新たな 価値の創造が求められている。そして、それに追い討ちをかけるかのごとく東日本大震災・原発事 故が起きた。その経済的なダメージもさることながら、真の意味での復興を遂げるためには、人と 自然、人と人、人と社会との関係性を根源的に見直さなくてはいけないとの機運が生まれている。

ここで、経済に目を向けると、実体経済から乖離して資産価格が一時的に大幅に高騰したバブ ルが崩壊してから20年、日本経済そして日本社会はその後遺症に悩まされてきた。そして、貿易 や工場設備などに投資されるのではなく、国境を超えて飛び交う投機マネーが経済を動かし、そ れが我々の社会そして生活に大きな影響を及ぼしている。

一方、長い歴史の中で、かつてのように、戦争、植民地化そして資本帝国主義によって先進国 が利益を蒐集してきた時代は終わり、工業化した新興国がグローバル競争に加わり、商品価格は 下がり、デフレ状態から脱却できないできた。生産過剰、資本過剰に陥り、工場などの設備投資 以外に投資機会を求め、金融・不動産バブルを引き起こすと同時に、工場の稼働率は下がり、長 期を要するイノベーションより短期的なコスト削減に走り、非正規雇用の拡大で雇用が不安定化し 平均賃金が下がり、その結果、消費は減退する、いわゆる負のスパイラルにある。又、環境・社会 への負荷が外部不経済として表面化し、成長と効率を追い求めてきた経済運営のツケが、環境 破壊、資源枯渇、経済格差、社会的排除などに回っている。和製英語であるグローバル・スタンダ

71 第6章2.1節で Adam Smith(1723~1790)に言及しながら、使用価値、交換価値について考察する。

72 “common pool resources(共通プール資源)”として、Elinor Ostrom (1994)が提起した概念で、本研究で使用す る“総有的(commons-based)”な考え方とも通底しており、第4章2節で詳述する。

2.1 社会における経済の位置の変化

ード73の名のもとに米国流の実力主義、株主価値重視、雇用の流動化をすすめる中で、戦後高 度成長期の終身雇用・年功序列・企業別労組の三種の神器[Abeggren 1958]に支えら、「国が産 業・企業を、企業が社員を、そこで働く父親が家族を支える」企業依存型の社会福祉システムも崩 壊し、それに替わる福祉国家も存在しなければ、貧弱な国家財政ではその建設もかなわない。

かつての工業化、経済成長で手に入れたはずの物質的な豊かさと共同体からの自由であった が、核家族化そして少子高齢化が進み、年間自殺者が3万人を超え、貧困も拡がり、つながりを 失いばらばらになった個人が将来不安に怯える社会にある。国の統治能力への不信、医療・年金 をはじめ将来への不安もあって、金を使わず貯め込み、経済も活性化されない。

新自由主義への批判が高まる一方で、自民党の安倍政権下では、前民主党政権が掲げた「新 しい公共」はお蔵入りし、金融・財政・成長の3本の矢から成る、いわゆるアベノミクスによる円安・

株高誘導のバブル景気浮上策がとられた。経済が閉鎖的な国民国家体系を前提とすることなく余 剰資金が瞬時にグローバルに移動する今や、円安のメリットも限られている。さらに輸出への好影 響を期待する製造業で働く人の数も 1 千万人に満たない。

過去の教訓を忘れ、バブルに乗じようとする者の陰で、経済的、社会的に排除される層が拡が っている。福島原発事故により県外での避難生活を強いられている人の数は5万人を超え、人間 の安全保障が海外の問題ではないことを証明した。つまり、成長と効率を追い求める市場経済と、

富の再分配・人権保護を含む社会正義・公正との間のバランスが失われている。さらに、代表制 民主主義の根幹にもかかわる全国の選挙区間の「一票の格差」の問題もある。これらは、資本制 市場経済、国民国家そして民主主義の3つのシステムの相互性を特徴とした近代社会が制度疲 労を起こしていること、そして「国家」と「市場」の二元論がその限界にあることを示している。

貨幣で表わされる市場経済のパイの縮小をスケープゴートに、経済成長さえとり戻せば社会の 諸課題は解決されるのだろうか。資本主義の駆動力は生産性の向上と資本の自己増殖にあって、

成長なくして維持できない構造にあるとされるが、現代の閉塞感を、経済の低迷だけに還元できる のだろうか。そもそも、かつての経済成長は物質的な充足をもたらしはしたが、果たして人の豊か さ、幸福感は増したのだろうか?アリストテレスの時代から最高善(greater good)として希求されて きた善き生(ウェルビーイング、well-being)を、われわれは生きていると言えるのだろうか。

GDP成長率にかわる豊かさの指標: ウェルビーイング、GNH

先進国の集まりであるOECDは、経済成長=GDPの増加=豊かさ、といった単純な図式はす でに限界にあるとの問題意識に立って、10年以上前から、経済生産の指標を超えて、人びとそし て家族・家計の多様な経験、生活状況に着目し、人びとのウェルビーイングそして社会の発展

(social progress)の度合いをより的確に測定し、それによって、より善き生のためのより善き政策提

73 海外では“de facto(デ・ファクト)standard”と呼ばれ、法令上の“de jure(デ・ジュール)”や規格上でのものでは なく、慣習的に標準化されている状態を表すのに使われることばであるが、グローバル・スタンダードには、デ・ジュ ール的な意味合いが示唆される。米国の経営慣行が海外に普及したとしても、あくまでもデ・ファクトである。

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