市民政治と social capital に関する試論的一考察
その他のタイトル Civic Politics and Social Capital in Europe and America
著者 土倉 莞爾
雑誌名 關西大學法學論集
巻 59
号 1
ページ 1‑71
発行年 2009‑06‑15
URL http://hdl.handle.net/10112/1498
おける平準化の進展が︑
丸山
男真
は︑
目 次
︳ 市 民 政 治 理 論 の 素 描 ニ パ ッ ト ナ ム の s o c i a l c a p i t a
l 論
=︳ヨーロッパにおける
s o c i a l c a p i t a l 四 展
望
市民政治理論の素描
アレクシス・ド・トクヴィルが︑百年以上も前のアメリカ社会の観察をもとにして︑﹁民主社会﹂に
一方における国家権力の集中と︑他方における﹁狭い個人主義﹂
態をとること︑中間諸団体の城砦を失ってダイナミックな社会に放り出された個人は︑かえって公事への関与の志向 から離れて︑日常身辺の営利活動や娯楽に自分の生活領域を局限する傾向があることを鋭く指摘したことを紹介して︑
市民政治と
so ci al ca pi ta
lに関する試論的一考察
市民政治と
試論的一
考察 s o c
i a l c a p i t a l
に関する
土
倉
の蔓延という二重進行の形
莞 爾
︵高
畠二
00
九︑
三0
四︶
︑と
いう
のが
高畠
このあまりにも早熟な洞察の意味は︑人間関係と交通手段がトクヴィルの時代と比較にならない規模で拡大し複雑化
した現代において︑とくに第二次大戦後においてようやく見直されようとしている︑と言う︵丸山二0
0 0
︑
三
七 ︶
︒
丸山によれば︑どの社会でも知識人の多数は正統・異端の中心部ではなく境界領域の住人であった︑知識人が
一般 に
﹁リベラル﹂な傾向を持つと言われる所以である︑と言う︵丸山一九九六︑三七︶︒丸山は︑現代特有の危険として組
織の圧力とそこに同調し埋没する人間の問題を指摘し︑それに対して︑組織の中でマージナルマン︑境界人として生
きることを説いた︵高畠二00五︑
三 ︶ ︒
丸山によれば︑現代社会における人間には︑組織への同調を要求する巨大な
圧力がかかっており︑そのなかで自己をいかにして守り抜くかが問題だという︵高畠二00五︑
ただ︑組織や国家内部でマージナルな存在としての批判を行なうことによってより大きな責任をとるという﹁政治
的知性﹂を涵養し︑個人の精神内部では﹁精神の柔軟体操﹂を通してリアリズムを復活させ︑個人と集団の関係にお
いては﹁精神的貴族﹂としての孤独な使命感を抱くことが﹁政治学の課題﹂である︵高畠二
0
0
九︑三0二︶とする丸
山真男と高畠通敏の市民政冶の見方はあきらかに異なってくる︒すなわち︑戦後政治学がいかに﹁高貴な断念﹂と
﹁冷徹な現実認識﹂によって貰かれているにせよ︑それがゆきどまりの道である以上︑私たちは﹁凡人のオプティミ
ズム﹂と﹁方法的な模索﹂を通じて市民の政治学を作り上げる以外にない
の視座であるが︑あえて問題提起をすれば︑方法的な模索が必要であればこそ︑﹁ゆきどまりの道﹂と断定するのは
早計であるし︑凡人であることは認めるが︑オプティミズムを持てと言われても︑
いというのが政治学における現在の問題状況ではないだろうか︒
現代社会における組織化の問題を考えると︑巨大組織は︑まず生活利害がかかった職業や職場︑
関 法 第 五 九 巻 一号
ペシミズムは捨てることができな
ついで宗教におい
一六
三 ︶ ︒
市民政治と
s o c i a l c a t a p i l
に関する試論的一考 察
て生まれる
︒ここで︑従来︑組織は基本的に﹁悪﹂だった
︒
しかし現実には︑組織のあり方は次第に変わっていった 市の地域社会における生活利害の組織化である
︵高 畠二 0
0五
︑
三ニ
ー
三 三
︶ ︒
たしかにそうかもしれないが︑社会の
ネットワークが
十二
分に機能しているかというと︑逆に︑溶解︑拡散︑断絶が広がっている側面もあるのではないか
︒
リップマンは
﹃世論
﹄一九
八
0
年代以降の日本において新たに進行しているのは︑大都で︑大衆的な世論とは︑擬似世論でしかないと社会心理的な分析を交じえて書いている︒
リップマンが
言論活動のなかで
貰 一
して追い求めたものはパブリ
ック︑公共の復活という問題だった
︵ 高 畠 二 0 0五 ︑
アメリカの大衆社会化のなかで︑公論が変質したと問題提起した
︵ 高 二 畠 0
五0
︑
ハーバーマスは︑違いがある人がそれにもかかわらず対
等
に付き合うという生活文化をつくったことのほうが重大 だと見る︵高畠二
0
0五 ︑
ニ ︱
) ︒
ハーバーマスなどがブルジョワ社会と区別された﹁市民社会﹂
︿
N
i v i l
G e s e s l l s c h a
f t
︾という言葉を造語したことが大切である
︒そ
れは企業社会と生活世界という対比を可能にす
る
︵ 高 畠 二 0
四0
︑
三四
ー
三 五
︶ ︒
とはいえ︑市民運動の中途から顕著になってきた﹁批判的思考から政策的思考へ﹂と いう掛け声について付言するならば︑それは︑
れ て
る い
︑
ハーバーマスが︑生活世界は常に体制による植民地化の危険にさらさ と指摘している問題を含んでいることを忘れてはならない 大企業や官僚的集権権力そしてマスメディアが形成されるなかで︑市民的公共圏を解体し︑システムが生活世界を全 面的に植民地化してゆく時代であるからである
︵ 高 畠 二 0
0五 ︑
一
八
0 )
︒
現代は︑知識人と大衆という身分的な区分が消滅し︑大衆の知的水準が大幅に上昇する
︵ 高 畠 二 0
0五
︑
三 二
︶ ︒
大
五︶ことが重要である︒ 一 七
ー
一 八 ︶ ︒
リ
ップ
マ ン
︑ は
一九
八
0
年前後
に︑
ことをまず押えなければならない
︒
高畠によれば︑
︵ 高 畠
二
0四
三 九
︶0︒ ︑
なぜなら︑現代社会は︑
一 五
マは枚挙にいとまがないほどである︒ 衆文化というのは︑オルテガ流の見方からすれば︑当然︑俗悪な文化だった︒しかし︑そのなかから新しい︑質の高い文化が育ってゆく︒豊かな社会化と大衆の市民化は︑政治の世界にも︑当然︑激動をもたらす︵高畠二
0 0
五︑ニ
六︶︒豊かな社会を大衆文化の文脈でとらえるならば︑地方分権の要求︑環境汚染︑広がり行く格差など重要なテー
現代社会における技術革新は︑その規模とスピードを一新して進んできている︒しかし︑大切なことは︑商業主義
的な技術ではない︑人間中心的な技術を発展させる力は︑技術者自体のなかにあるわけではない︒それを生み出すの
は社会の要請であり︑政治の力なのである︵高畠二
0 0
五︑二
九
ー
三 一
︶ ︒
そこで︑現代というより︑そもそも近代とは何かを考えてみたい︒近代という世界は︑
カトリック教会が曲がりなりにも維持してきたヨーロッパ・キリスト教国という世界を解体し︑排他的な主権国家が
分立することから始まった︒主権国家は相互に対立と抗争を交えつつも他方で調和を求めバランスを求めて︑それな
りの体制を維持していた︒しかし︑現代において︑国家の主権性は揺らぎだし︑ニ︱世紀は︑国際化がさらに大規模
に進行する時代だというべきである︵高畠二
0 0
五 ︑三四
ー
三六︶ ︒
ここで︑近代国家において政治とは何だったか︑を考えておきたい︒
ヨーロッパでは︑
ロー
マ・
マキャヴェリは君主に期待をかけ︑君主が主
体として国家をつくることを論じた
︵高 畠二
0
0
五︑三
九
︶ ︒
しかし︑近代において︑国家の主体は市民でなければな
らない︒市民にとっての政治というものの第一が︑法であり制度であったことはただちに理解できる ︒まずルールと
いうものを近代的な実定法の形で定着させて︑立憲政治
c o n s t i t u t i o n a l g o
v e r n m e n t
を創出する︒だが︑法や制度を完備しただけで政治が終わるわけではない︒その枠のなかで︑日々の政治過程が始まる︒その政治過程の最大の問題
関 法 第 五 九 巻
一号
四
四
一 六 ︶
︒
市民政治と
s o i c a l c a p i t a
一に関する試論的
l
考 察
それが議会政治︑政党政治の焦点の問題となる
畠二︵ 高
0
0五
︑四
一
ー
四︒ 二 ︶
五
五
一五
ー
は︑市民相互の対立をどのようにして調整し︑少数派も納得して従う決定を生み出すことができるかということで︑
マックス・ヴェーバーは︑広域の地域社会の上に成り立った政府が︑暴力を正統的に行使する権限を住民に
一般的
に認めさせたとき︑政治権力が成立すると言ったことがある
︒
しかし︑第二次世界大戦のあたりから︑この時代の政 治は︑合法的な手続きを経て成立する政府よりも︑大衆の熱狂的な支持によって成立した超法規的な権力が大きな役
割を演じると考えられるようになった︒カール・シュミッ
トは
︑
﹃
政治的なものの概念﹄
という論文で︑政治はもはや党派間の利害の調整だとか︑法にのっとって行なわれる政策の実施だとかではない
︒友敵という対立緊張関係のな
かで︑主体的に下す決断こそが政治の本質であるとした
︵ 高
畠二
0
0五
︑四
四
ー
四五
︶ ︒
友と敵の区別は︑結合ないし分
離︑連合ないし離反の︑もっとも強度な場合を表すという意味をもち︑理論的にも実践的にも存立しうるのである
︒
政治上の敵が道徳的に悪である必要はなく︑美的に醜悪である必要はない
︒
経済上の競争者として登場するとは限ら ず︑敵と取引するのが有利だと思われることさえ︑おそらくはありうる
︒
敵とは︑他者・異質者にほかならず︑その本質は︑とくに強い意味で︑存在的に︑他者・異質者であるということだけで足りる
︒
したがって︑極端な場合には︑
敵との衝突が起こりうるのであって︑この衝突は︑あらかじめ定められた
一般的規定によっても︑また﹁局外にあ
り﹂︑したが
って﹁不偏不党である﹂第三者の判定によっても︑決着のつくものではない
︵ シ ュ ミ
ット
一九
七
0 ︑
ハロルド・ラズウェルによれば︑人々が求めている社会的な価値の争奪戦がすなわち政治であると規定する
︒
その
価値をもっとも集めた人が︑その分野でのエリート︑権力者であり︑奪われてしまった敗残者たちが大衆だと定
義す
る︵
高畠
二
0
0
五︑四
六 ︶ ︒
ラズウェルは︑権力と影響力に関する一般理論をつくり︑社会的価値を多く集めた者がエ
衆社会のアメリカのなかで︑ドイツとは違って生きつづけている市民的なデモクラシーの伝統にはじめてふれ︑そう
いうなかから新しい政治のイメージを造形してゆく︒人間がお互いに協同しながら︱つの目的を実現していく活動で
あり︑これこそが政治だとアーレントは言う︵高畠二
0
0
五︑四
九
ー
五0 )
︒さらに進んで︑シャンタル・ムフたちが目
指しているラディカル・デモクラシーとは︑例えば︑
の問題︑そして三番目に掲げられるのが︑
フェ
ミニ
ズム
︑
セクシュアリティ︑同性愛の問題である︵高畠二
0
0
五︑五
二︶
︒
市民が政治的主体の始まりとなる市民社会という問題をルネサンスにまで潮って考えてみたい︒
いて︑国家ははじめて︑神とともに人間に君臨する存在としてではなく︑人間がつくるぺき被造物としてとらえられ
た︒人間は︑自己の利益を求めて互いに無限に戦う存在となる︒無限に戦う存在であるが︑ここに社会契約という概
念が登場する︒社会契約という事実は歴史的にいくら遡っても発見できないかもしれないが︑
とを抜きにしてわれわれは市民国家を考えることができない︵
高畠
二
0
0
五︑六
0
ー
六 一
︶ ︒
そして︑名誉革命を擁護す
るために﹃市民政府論﹄を書いたジョン・ロックやフランス革命の推進者たちがたどりついたのは︑この社会契約を
結ぶ時の絶対的な基準として︑自然権としての人権が存在しているという仮定があった︒議会で独立した個人が︑理
性的な言論を通じて国民的利益の発見に努める︑その議会での討論を理解し︑それに参加する資格として﹁財産と教
養﹂が必要とされていた︵高畠二
0
0五︑
六ニ
ー
六 四
︶
︒
一九世紀イギリスでは︑議会制度における討議の絶対化や議員の絶対的独立が生まれる ︒
この
当時
︑
リート︑敗者が大衆だと定義した
︵ 高
畠二
0
五 ︑
0
関法
第 五 九 巻
一号
一五
七
︶ ︒
しか
し︑
エスニシティ︑すなわち黒人も含めた少数民族 ハンナ・アーレントは違う︒ 六
しかし︑契約というこ
I
ノ
ヨー
ロ
ッパ
で
マキャヴェリにお アーレントは︑大
市民
政治
と
s o c i a l c a p i t a l
に関
する
試論
的一
考察
は︑市場経済を中心に﹁国民経済﹂のシステムがつくられた
︒ここにおける﹁市民﹂
の実体は︑だいたい人口の四分
の一に満たない少数者だった︒
日本国憲法は︑第四章﹁国会﹂の第四
三条で︑﹁両議院は︑全国民を代表する選挙さ
れた議員でこれを組織する﹂と規定している
︒古典的な議会主義の制度がプルジョア市民を前提にしていたとするな
ら︑それを超えつつある現代の議会制度はいかなる人間像を前提にしているのか
︵高
畠二
0 0
五 ︑ マルクスは︑市民国家の理論そのものをイデオロギーとしてとらえ批判した︒
ブルジョア市民の言
説そのものが︑彼らの階級社会を隠蔽するイデオロギーだと批判した
︵ 高
畠二
0 0
五︑六
七
︶ ︒
本
来の人間を普
遍的なものとして規定し︑そこに人間が立ち
戻
れば︑労働者と資本家の争いはもとより国家や民族間の 紛争も調和的に治まるはずだとマルクスは考えた
︒労働者大衆が絶対的な貧困に追い込まれるという予言は当たらな
かった︒
そして権力の集中によって強権的に﹁正義の社会
﹂
をつくりだすということに︑当の社会主義国の民衆︑労 マルクスとは対照的に︑
によ
れば
︑
働者大衆が納得しなかった
︵ 高 畠 二
0 0
五 ︑一四ニ
ー
一四四
︶ ︒ フロイトは︑人間の本来のあり方は︑﹁リビドー 近代市民社会の構造によってさらに強められる
︵ 高
畠二
0 0
五 ︑七
七
マルクスは︑理性的な装いをもった
主張した︒
超自我としての理性や良心の役割は︑それを
子
供にふりかざす父親が権威主義的な家父長であったという とタナトスは︑どちらも人間世界にとって本質的なものだと考えるようになる
︵高
畠二
0 0
五︑六
九
︶ ︒ フロイトの
言
う﹁リビドー﹂の病理化の原因は︑
フロムの考え
ヨーロッパのキリスト教的な文化の
圧
力というよりも︑
現代資本主義
の構造によるものが大きい
︒したがっ
て︑その癒しは︑社会構造の変革を伴わなくてはできない
︒
ムの
構想
は︑
二
0
世紀後半の自主管理社会主義や市民運動の発展︑地方分権化などと多く重なっている
︵ 高 畠
二
0
0
一四五
ー
一四六
︶ ︒
晩年になって︑
フロ
トイ
は︑
フ ロ
エロ
ス
︵生の衝動
︶ ﹂ が充足された状態にあると
一三六
ー
一四 一
︶ ︒
なった︒政治は︑
一五
九
ー
一 六
一
︶
︒他方︑若者が自分の生の意味を見出すのが困難な時代になったということを︑イデンティティの喪失ということばで表したが︑それはたちまちのうちに流行語となった︵高畠二
0
0
五 ︑的な世界ではないということである︒ヴェーバーはカリスマという概念を導入する︒カリスマは︑人間や社会を変革 よって転回した近代社会がどのように成立したかについての分析で知られている︒ヴェーバーに言わせれば︑学者も
官僚もまた資本家も︑みな専門バカであることによって︑近代社会は初めて可能になる
︒
民衆を惰性的な日常生活から覚醒させ︑自身の内なるカリスマを自覚させる指導者が﹁カリスマ的指導者﹂ということの本来の意味である
︒
ヴァイマール共和国の行き詰まりを救うカリスマ的指導者として大衆運動を基盤に現れたのがヒトラーだった
︵
高畠
二
0
0五 ︑
一四
七
ー
一五
0 )
︒
マックス・ヴェーバーにとって︑近代世界は︑決してたんなるヒューマニズム︑人間中心大衆がなぜヒトラーを歓呼の声で迎えたか︒
つある現代に特有の人間疎外がある
︒
大衆は英雄やスターに弱い︒
このような大衆に迎合する政治を政治学者たちはポピュリズムと呼んでいるが︑かつての東京や大阪の知事選で青島幸男や横山ノックが当選したのも︑みなポピュリ
ズムのなせる業だということになっている︵高畠二
0
0五
︑七
四︶
︒
現代社会が高度に組織化された﹁巨大社会﹂と
一
般大衆から遠い︑わかりにくいものになった︒巨大社会におけるもう一
方の問題は︑そこにおける組織の巨大化と権力の集中である︒かつての東京や大阪の知事選挙のように︑無党派層が政党相乗り連合に対して
反乱を起こすのは︑﹁せめてもの腹いせだと言うべきである﹂と高畠は言う
︵
高畠二
0
0五
︑七
六
ー
七八
︶ ︒
だが︑これ
し前進させる基本要因にほかならない
ここで注意したいのは︑ 五 ︑
関法第五九巻
一 号
エーリッヒ・フロムの言うように︑そこに︑豊かな社会化が進行しつ
︵ 高
畠二
0
0
五︑
六七
ー
七二 ︶
︒ヴェーバーは︑
一
般に︑前近代社会を合理化に
八
J¥
一六
二
︶
︒ エリクソンはア市民政治と
s o c i a l c a p i t a
l
に関する試論的一考察 年のフランスの
Eu
憲法条約の否決はその典型的な例と
言
えよう ︒
また︑日本の高級官僚ほど特異な存在は︑現代の先進工業諸国のなかにはない 市民社会の宣言となる︑新たな人間中心主義の復活は︑
市民王義的な平和運動とも重なっていた
︒
九
九
は問題である
︒たしかに︑ある種のバッファー効果の面はあるが︑それにとどまらず︑選挙民の﹁乗じ安さ
﹂
の 面 は
ないだろうか
︒筆者はこれを﹁ちぐはぐさ﹂と呼んだことがある
︵土 倉二 00
八 ︑
九 六
五
‑
1 0 一
九
︶︒
とはいえ︑現代
の投票行動を全体的に観察すると︑﹁拒否の投票﹂︑﹁制裁の投票﹂のインパクトの大きさは無視できない
二︒
0 0 五 近では︑高級官僚が無責任なテロの対象となった
二︒
0 0 八年
︱ 一
月に起きた元厚生次官殺害事件の小泉毅容疑者に 対するメディアの見方はおかしかった
︒
テレビは小泉容疑者のふてぶてしい面構えを繰り返し放映した
︒
し か
し ︑
﹁ 政
治
﹂
はこの二年間で宰相が
三人も変わる迷走状態をきたし︑﹁産業﹂は百年に一度と言われる世界的不況でシュ リンクし︑﹁官僚
﹂
のみが盤石な権力として存在している
︒
事件はこうした歪な権力構造の中で起きた
︵
佐
野 二
0
0
九 ︑
一
九六
0 年代に世界的に広がった政治への市民参加の運動︑
マスメディアの情報を︑注意深く選択すれば︑大学に劣らない情報を手に
入れることができる
︵ 高
畠 二
0
0
五
︑ 八
0
ー 八
一 ︶ ︒
だが︑私見によれば︑今日におけるマスメディアの情報は︑大学と いう世界がどこか劣化させられている情況と重なることを推測させるものがある
︒ ﹃
フォーサイト
﹄二
0 0 九年六月
号のコラム
﹁異端妄説﹂というコラムに﹁世の中に絶対ということはない
︒
にもかかわらず︑この社会は白か黒かを
決めたがる
︒ちょっとした流れで同じことが白になったり黒になったりする
︒
あとから考えて︑実は逆だったという
ことの何と多いことよ
︒テレビのワイドショーにずらりと並んで︑したり顔でコメントしている﹃有名人
﹂
よ
︒あな 五
︶ ︒
︵ 高
畠 二
0
0
五 ︑
八 七
︶ ︒
だから︑最
維持することを最高目的とする︒ヴェーバーは︑ スマンは解明している︵高畠二
0
0
五 ︑一 六
八 ︶
︒
た方の教養と経験に裏づけされていないコメントが︑どれほど世の中を毒しているかを考えてほしい︒無知の再生産
に手を貸しているのにすぎないのだから﹂と書かれてあることもこの情況と同一な局面だと思われる︒
リースマンによれば︑内部指向型の人間にも︑自己中心的になったり︑世の中を悲憤懐慨したり︑独断先行したり
がちになるという欠点があるのに対し︑他者志向型の人間には︑人の痛みがよくわかる優しさを兼ね備え︑他者の意
見によく耳を傾けるという長所がある︒自分の身のまわりから発想する人たちが政治の世界に進出してくる︒そうい
う市民集団は基本的に︑拒否権集団
(
v e
g t o
r o
u p
)
となるだろうとリースマンは言う︵高畠二
0
0
五︑八
三
ー
八四
︶︒
自
己主張がないとか︑他人に同調して生きているとか︑いまの日本の若者たちにつねに張られるレッテルの根拠をリー
名望家や有力者でもあったブルジョア市民とは違う︑そういう普通の人間が︑現代日本の政治を担う新しい主体で
なければならない︒大衆が︑生活の内実を問う時代に︑その意味で市民化した時代に︑私たちははじめて入ったとい
うことができる︒大時代的に革新の必要を説く時代は終わった︒たんに生活保守の感覚を批判するのは浸透力をもた
ない︒大衆的市民を基盤にした政治構造はどのようなものになるぺきか︵高畠二
0
五
0
︑八
六
ー
九三 ︶
︒
日本では︑政治はいつも︑ずるい︑汚い︑嘘をつく政治家とか権力を行使して利益の取引をするとかのイメージと
重なっている︒マキャヴェリによれば︑君主が備えるぺきヴィルトゥとは︑道徳とはまったく関係のない︑国家を統
治する﹁能力﹂として定義された︒国家理性は︑法や道徳あるいは宗教の上に政治権力を置き︑それによって国家を
的に正統化したものという特別な地位を与え︑この正統性のタイプを分析することに精力を集中した︒ヴェーバーに
関 法 第 五 九 巻
一号
マキャヴェリ以来の伝統を引き継ぎ︑国家権力に︑暴力行使を独占
1
0( l
O)
市民政治と
s o c i a l c a p i t a
l
に関する試論的一考 察
よれば︑政治的責任とは結果に対する責任であって︑心情における責任とは区別されなければいけない
︒
この歴史的な必然を︑資本主義が階級闘争の結果没落し︑社会主義が勝利する流れと解釈した
︵高 畠二 00 五
︑ 九
七
ー
1 0 二 ︶
︒
日本にとっての近代とは西欧諸国に追いつくための努力の時代だった
︒ ﹁
追いつき追いこせ﹂の政策が官民あげて
取り組まれてきた
︒そ
れは︑戦前・戦後を通じての国策であった︑と言ってよいだろう
︒
しかし︑政権にない立場の 者には︑もっと長期的にものを考え提案する余裕がある
︒長
期的に考えれば︑
﹁現実﹂とするか
︒
日本の政治において︑平和国家としての理想を語り過剰消費社会の転 換を説く議論は︑空想主義の名の下に切り捨てられてきた︵高畠二
0 0 五 ︑ 言葉は︑依然として︑政治への民衆参加の危険の強調であり︑
と高畠は説く
︒しかし︑ここは問題である
︒
ポピュリズムは市民参加︵市民社会︶にとって両刃の剣である︒
マキャヴェリ的な政治のリアリズムを市民の政治的リアリズムで包み込み︑乗り越えてゆくことこそが︑今日にお ける市民の政治の究極的な目標でなくてはならない
︒
日本語の﹁運動﹂は本来︑身体と熱意しかない民衆が︑他者を︑
しかも権力をもつ人を動かす唯一の方法である
︒
市民派の政治学者であるダールは︑望ましい影響力と望ましくない
影響力とをどう分けるかという問題に議論を集中する︵高畠二00五︑
は﹁現代の私たちは︑
﹃
理性的
﹄という形容詞をいくらか懐疑的な目で吟味する必要がある﹂
と述べたが︑時代の位相は変わった︒むしろ︑現在の私たちは︑主としてマスメディアによって掻き立てられる
﹁フィーバー﹂という動詞にも懐疑的でなければならない︒
何を動かすことのできない
(
‑
︱ )
マ ル
ク ス
は ︑
いま不可能に見えるものも可能となる
︒
ポピュリズムの排
撃で あ
る ﹂
︵高 畠二 00 五
︑
高︵ 畠二 00 五
︑
︱ ︱
九
︶︱︱ 五ー ニ七
︶︒
しかしながら︑かつて︑高畠
︱一 三︶
10
六
‑
10
九
︶︒
﹁現在の政治指導者の合
パ ッ ト ナ ム の
s o c i
a l c a
p i t a
l
論
一ヶ月も経たないうちに︑
(︱ 二︶
ア メ
ソ連・東欧社会主義諸国が崩壊し︑西欧諸国におけるマルクス主義的革命運動や政党が解体した︒その時代から後 が現代だという時代のとり方もある
︒目
前に迫った
ニ ︱
世紀を展望すれば︑そこには新しい巨大な社会問題が待ち受 け︑世界が新しい激動の時代に突入することを予感させる数々のきざしが現れている
︒
現代政治論が始まって
一世紀
後に︑ようやく︑人類の半分を占めるもう一方の主役が登場してきた︒古代ギリシャのアテナイの民主制は︑今日的
に言えば︑直接民主制として形成されていた︵高畠二
0
0 五 ︑
︱二
九
ー
一 三
二 ︶
︒
現代は︑職業生活に入るということの心理的障害が︑高くなった社会である
︒
家庭を顧みずに会社や仕事に生きる
のが男の美徳として賞賛された時代は︑急速に終わりつつある︒共通の合言葉は︑生活の量的な拡大ではなく質的な 充実を図るというものだった︒﹁ネットワーク﹂は︑主婦をはじめとする素人の有志が自発的︵ボランタリー︶
合した︑小集団の横の連帯を示唆する︒大衆的な市民の形成は︑かつての近代市民国家の形成に匹敵する政治のシス テム全体の変化へとつながる可能性を秘めている︒労働は物的な生産に関わり︑仕事は文化の発展に関わる︒これに
対して政治は︑複数主体の共同行為によって営まれる
︵ 高 畠 二 0
五0
︑
アメリカ人の市民的態度は︑少なくとも二
0 0
一年九月︱一日の暴力的なテロ攻撃の直後に一変した︒テレビが世 界貿易センタービルとペンタゴンに航空機が突っ込むテロ攻撃の惨状を映し出した︒それを見たアメリカ人の間に愛
国心や社会的連帯感が急速に高まり︑積極的な政府への希望が再燃した︒大惨事後︑
リカ人の五人のうち四人以上が家や服︑車を星条旗で飾り立てた
︒
そして七 0 %ほどの人が﹁
9 .
1 1
﹂の出来事に応
関 法 第 五 九 巻
一号
一 七
0 ‑
︱ 七
八 ︶
︒
に集
市民政治と
s o c i a l c a p i t a l
に関する試論的一考察 を強調する書を一九九二年に刊行した︒
彼は︑その後︑
じて慈善寄付をしたと報告した︒
徳久恭子によれば︑ )‑
0
ロバート
•N
・ベラー ロバート•D.パットナムの議論は様々な問題 一言で言えば︑社会的連鎖︑絆のこ
アメリカ人は突如として連邦政府への信頼を表明した
︵ス
コッ
チポ
ルニ
0
0
七︑
ニ︱
アメリカン・デモクラシーの大義が異様なまでの高揚をみせたこの時期に︑
民王主義の危機がさかんに論じられ始めていたことを見落とすわけにはいかない︑
﹁この時期﹂とは︑﹁
9.
11
﹂以後という意味である︒
たちやマイケル・サンデル同様︑
アメリカ国内では︑
と言う︵
徳久
二
0
五
0
︑二
九四
︶ ︒
つまり︑民主主義の危機がさかんに論じられ始めていたその
時期に﹁
9.
11
﹂事件は起きたということになる︒
とはいえ︑民主主義の危機といっても漠然としている
︒ここでは
民主主義を
s o c i l a c a p i t a
l
という視角から考察してみたい︒s o c i a l c a p i t a l
とは︑
とである︒以下︑本節においては︑
o s c i a l c a p i t a l
をキー・ワードとしてそれをさらに民主主義の政策形成の問題を 重ねて考えてみたい︒不透明なリスク社会の到来が実感される今日︑点を芋むにしても︑傾聴に値するように思われる︵徳久二
0
五0
︑二
九五
︶
︒渡辺靖によれば︑
パットナムも︑二
0
世紀末のアメリカ民主主義において︑市民的な美徳や公共的な
信頼性を支える
s o c i a l c a p i t a
が貧困化している事実を指摘し︑
l
トクヴィルがかつて称賛した︑個人と政府の中間に 位置する市民レベルの活動や対話の活性化を訴えている
︵渡
辺二
0
0
四︑三ニ
︱)
︒ 山脇直司によれば︑
析・指摘・批判した︵山
二脇
0
六0
︑五
三八
ー五
三九
︶ ︒
イギリスの政治学者︒ヒーター
A
・ホ
ール
も︑
︵一
︶三
゜ヽ
トッ
ナム
ま︑
/
' し
`
イタリア中部の州政府のパフォーマンスが南部の州政府より優れている要因を︑シヴィック・ピューマニズムの伝統 を受け継ぐ市民文化の成熟度に求めながら︑﹁人々の社会的信頼関係のネットワーク﹂としての
s o c i l a c a p i t a l
の意義
一九九
0
年代のアメリカにおけるs o c i a l c a p i t a l
の衰退を分
パットナムを念頭
に置きつつ︑近来の数年間の内に社会科学からもたらされた顕著な発見の一っとして︑もっとも市民的な国家である
アメリカ合衆国において︑諸個人が共同体の事柄に参画すること︑お互いを信頼しあうこと︑
しあうことなどにおいて︑それらが腐食する傾向にあることが知らされていると
言う
(
H a l l
2002 , 21)︒本節もパット
ナムの議論に焦点をあてて︑以下考察することにする︒
パットナムの主張は︑簡単に言えば︑
s o c i a l c a p i t a l
の累積が民主主義のパフォーマンスを高め︑人々はそのパ
フォーマンスの高さのゆえに民主主義への信頼を増幅させ︑制度を安定させると結論づけた ︒
パッ
トナ
ムは
︑
民主主
義の危機と呼ばれる現象は︑
s o c i a l c a p i t a l
の浸食によって引き起こされたという仮説を立て︑それを自発的結社へ の参加の増減から実証し︑その理由を様々な側面から述べている
︒
パットナムは︑
s o c i a l c a p i t a l
の浸食の原因を︑
①時間と財政的な圧力︑②郊外化︑長時間を要する通勤および都市のスプロール化︑③テレビによる余暇時間の 個人化︑④世代による変化に求めている
︵徳
久
二
0
五二
0
︑九六
ー
ニ九
九
︶ ︒
注目しなければならないのは自発的結社のあり方の変貌である︒政治制度や社会構造の変化が自発的結社のアイデ
ンティティや組織形態およびその戦略に修正を迫ったことで︑自発的結社の第一義的な目的は︑自集団を政治状況に
適合させ︑政府から利益を引き出すことになってしまった︒このような自発的結社のあり方の変貌が起きた一九
0 0
年代という同時代を生きたジョン・デューイは︑産業社会と市場で構成された﹁巨大な社会
G r e a t S o c i e t
y
﹂は︑連帯と協働からなる社会を原子化された個人に解体し︑公衆を消滅させると警告した︵徳
久
二
0
0
五三0
︑二 ︶ ︒
学校教育が果たしている︑社会的統合︑平等主義︑人格的発達という三つの機能は︑社会体制の基本的前提と密接
な関わりを持つ ︒この点についてデューイによって代表されるリベラリズムの立場は︑資本主義という社会︑経済体
関 法 第 五 九 巻
一号
一四
一定の基盤に皆が結合 ︵ 一 四︶
市民政治と
s o c i a l c a p i t a l
に関する試論的一考察 六
ー
三0八 ︶
︒ 三四
︶ ︒
デューイの考え方は︑二
0
世紀前半を通じて︑
一九六
0
年代に入ってから︑
世紀以上の間︑
一
五︵ 一
五︶
制について︑政治面における民主主義とならんで︑基本的に肯定的な立場にたって︑議論を進める
︵宇
沢二
000︑
リベラリズムの立場にたった教育理論の基礎を形づくってき アメリカ社会は︑ベトナム戦争︑人種問題︑都市問題に代表されるように︑
大きな地殻変動を経験することになった
︒
リベラリズムの教育理論もまた︑デューイの理想主義から大きく後退する 今日における手続き主義的リベラリズムの理論における問題は︑その実践において顕著になる
︒すなわち︑過去半
アメリカの政治は陶冶の希望を放棄し︑政府は競合する善き生の構想に関して中立的であるべきとす る形態のリベラリズムを具現化してきた
︒手続き的共和制は︑自由を自己統治とそれを支える徳に結びつけるのでは
なく︑目的に関して中立であり︑個人が自己の目的を選択し追求できるような権利の枠組みを求めてきた
︵サン
デ ル
一九
九九
︑四
︱
) ︒
D
M
と小切手に象徴される場当たり的な関係を前提とする政策提唱型の第三次結社によって公共政
策が形成されている現況を考慮すれば︑参加が信頼を酸成するというパ
ットナムの命題は困難であるかもしれない
︒
つまり︑復古的な方途から道徳的秩序とコミュニティの再生を求めても︑建設的な打開策は見出せないように思われ
る︒
なぜなら︑産業化や福祉国家の進展とともに︑
するものへと転じ︑それを体現する諸制度は市民
共
同体の機能を著しく阻害しているからである
︵徳
久二
0
0五︑
三〇
簡単に言
ばえ
︑
s o c i a l c a p i t a
とはある集団のなかで共有され人々の協力の
l
基盤となる一連のインフォーマルな価
値観や規範だと定義できる︑ ︵宇ことになった
沢二
0
0
0
︑ た︒しか
︑し
とフランシス・フクヤマは言う︵
フク
ヤ マ ニ 0
0
0a
︑三 一
︶ ︒
一三六
︶ ︒
アメリカの政治的経済的社会的構造はリベラリズムの論理を表出
フクヤマによれば︑
s o
c i
a l
c a p i t a
l
に関する理論家として︑忘れてはならない人物がいる︒彼は
s o c i a l c a p i t a
l
という言葉こそ使わなかったが︑その重要性を大変明確に理解していた ︒
クヴィルは﹃アメリカの民主主義﹄
の技法﹂を持っていると述べた︑
の自由解放は人間を無関心にするということである ︒個人は市民の最大の敵である︑
は述べている︑とジークムント・バウマンは言う︒市民とは自らの幸福を︑都市の平和と発展をとおして実現させよ
うとする人間であり︑これに対して︑個人とは︑﹁共通の大義﹂︑﹁共通の幸福﹂︑﹁正しい社会﹂︑﹁公正な社会﹂と
いった概念に︑慎重で︑懐疑的で︑無関心な人間である︵バウマンニ
0 0
1
︑四七︶︒問題は︑個人がいかにして
アメリカ人の政治︑政府への関与は過去三
0
年を通じて大きく変化してきた︒これは︑方の唯一の変化であるというわけではないし︑さらには最も劇的で明確な変化の例ということでもない︒
米国有権者の六ニ・八%が︑
の低下を経て︑
フランスの貴族で旅行家のアレクシス・ド・トクヴィルがその人である︒ト
の中
で︑
アメリカが自分の祖国のフランスとはまったく対照的に︑豊かな﹁連帯
と言う︵フクヤマニ
000
a︑三六 ︶
︒
と︑
同時
に︑
ケネディとニクソンのどちらを選ぶか︑ トクヴィルが指摘するのは︑人間
というようなことをトクヴィル
という投票に参加した
︒
クリントンとドール︑そしてペローの中からの選択を行なった有権者は四八・九%となった ︒これは
二
0
世紀でほぼ最低の投票率である︒大統領選挙への参加は︑過去
三六年間を通じて︑四分の一ほど下落した︒中間
選挙︑地方選挙の投票率もだいたい同程度の低下を示している
︒投票行動の全体としての低下は︑個人の変化に帰す
ることはほとんど不可能であり︑そのすぺては事実上世代的なものである ︒その人生を通じて︑また人生のいかなる
場所を占めまた政治関心のレベルがいかなるものであったとしても︑ 帯の技法﹂を身につけるか︑ 関
法 第 五 九 巻
一号
ではないだろうか︒
ベビーブーム世代とその子供は︑その両親や祖 コミュニティとのつながり 一六
一九九六年には数十年 ︵
一 六
︶
一九六
0
年 ︑ ﹁ 連
市民政治と
s o c i a l c a p i t a l
に関する試論的一考察
六 ︑
三八
ー三 九 ︶
︒
一七
︵ 一
七 ︶
一九八
0
年から一九九二年の落ち込みの後に︑この父母と比べて投票に行かない傾向があった
︒
ベビーブーム世代とその子供が全国の有権者に占める割合が増加するに つれて︑投票率の平均は︑厳然として下降していったのである︵パ
ット
ナム
ニ
0
0
六 ︑三
一 ー 三 五
︶ ︒
パットナムによれば︑最近の知見によって︑投票行動それ自体が︑ボランティアや︑その他よき市民としての行動形態を促進することが示されている︒
よって︑投票率が二五%︑あるいはそれ以上低下しているというのは米国民主 主義において︑決して小さな問題ではない︒そこで︑考察を進めると︑ポスト・ベビーブーム世代およそ一九六
一 九 八
0 ー九 0
年代に成人を迎えた男女は︑情報源の急増にもかかわらず︑公的な事柄に関
一九八
0
年代から一九九0
年代の国政選挙の最中でさえも︑これらの若者は年長の者と 比べると︑例えば下院の与党を答えられるものが三分の
一も少なかった︵パットナムニ
0
0六 ︑
三六ー
三 七
︶ ︒
にその世代のテレビニュース視聴率も五二%から四一%まで低下した︒今日の三
0
代以下は︑現時点でのその年長者︑あるいは二
o i
三
0
年前の同じ年であった者と比ぺると︑
一九五
0
年代末から一九七0
年代末に至る大統領選挙キャンペーンを通じて︑
二大政党のどちらか︑あるいは両方か
らの接触を受けたと回答する有権者はますます増加していった
︒
政党の活力に関する指標は一
九九六年にはほぼ史上最高まで上り詰めたが︑それは﹁投票動員
g e t o u t t h e v o t e
G O
T V
﹂
活動が花開いた結果であった︒政党財政もまた一九七
0
年代と一九八0
年代に急騰した︵パットナムニ
0 0 草の根レベルでキャンペーン集会に出席したり︑政党のためにボランティアで働くといったことは︑過去三
0 年を
さら
に︑
三五
歳以下の新聞購読率は︑
する知識が相当程度少ない︒
四年以降に出生し︑
ニュースに関心を払わず︑現在の出来事の知識も少ない
︒ 一
九六五年時点での三分の二から︑
一九九
0
年には三分の一に低下し︑同時通じて政党支持以上にその頻度が低下している︒いかにしてこの相矛盾する構図は両立できるだろう政党の側か プロフェッショナル化と商業化の証拠でしかない︒有権者の回答したこの﹁接触﹂は実際には︑近所に住んでいる政
党運動員が訪ねて来たものである可能性はますます減り︑
コールセンターからの匿
名の電話である可能性がますます 高まっている
︒
財政資本│̲マスマーケティングの手段が政治上の通貨として︑
s o c i a l c a p i t a l
すなわち草の
根の市民ネットワークー—ーを着実に置き換えていった
。パッ
トナムによれば、よく考えてみると、政党組織の活力増 加と有権者参加の減少の間にある対照は︑完全に理解可能である
︒
政治からその﹁消費者﹂が背を向けるようにな
っ
たがために︑政党は懸命に大金を投じて︑投票や労働力︑寄付を激しく競うようになり︑そしてそのために
の︶
組織構造が必
要となった︒
組織としての政党と︑政府内の政党は強力になったが︑公衆と政党のつながりは弱
まっている︒
政党を産業と捉えるなら︑この新たな﹁労働節約型効率性﹂を歓迎できるかもしれないが︑政治を民主 主義的討議と捉えるならば︑人々を締め出すことはその実践において完全にポイントを外すことになる
︒政治への参
加は︑金が時間に取って代わるとともに︑ますます小切手帳に基づくものとなっている
︒
政治クラブヘの参加が一九
六七年から一
九八七年の間に半減した同時期に︑政治キャンペーンを財政的に支援した人々の割合は倍近くに増加し
た︒
﹁全国化とプロフェッショナル化は市
民
活動家の役割を︑小切手や投
書の書
き手として再定
義していった﹂と政 治学者のヴァーバと共同研究者は結論づけている
︵ パ ッ
トナ
ムニ
0 0
六︑四
0 ー
四 二 ︶ ︒一九七三
年から一九九四年のほぼ毎月︑請願への署名︑公的集会に参加︑政党活動に参加︑選挙に立候補︑といっ
た一
ダースの市民活動家のシンプルなチェ
ック
リス
トを
︑ ローパー調査が数千の米国人に対して提示した
︒市民
的 ︑
︵ 有料
ら 見 た 組 織 的 繁 栄 と
︑ 投 票 者 の 側 か ら 見 た 組 織 的 衰 退 を
? と パ
ットナムは問う ︒
結局︑この傾向は米国政治の
関法 第 五 九 巻
一 号
八
︵ 一
八︶
市民政治と
s o c i a l c a p i t a
l
に関する試論的一考察 ある︵パットナ
ムニ
0
六
0
︑四
三
ー
四六
︶ ︒
稀な議員立候補に至るまで大きく低下した︒
一九
︵ 一
九︶
政治的参加パターンの変化は︑この期間を通じてどのように起こったのだろうか
︒その回答はシンプルである
ローパー調査の測定によれば︑ほぼすぺての形態のコミュニティ関与は︑もっともありふれた陳情署名からもっとも 準を維持できていた場合と比ぺると︑地域問題についての公的集会から一六
0
0
万人の出席者が減り︑八0 0
万人の役員が減り︑八
0
0
万人の地域組織リーダーが減り︑政府改革のためにと組織された男女が三0
0
万人減少したので今日
︑も
一九七
0
年代中盤に米国人がコミュニティ問題に関わっていたときの水 アレクシス・ド・トクヴィルの時代の
一七
0
年前と同様に︑他のほとんどの国の市民よりもずっと︑米国
人は自発的結社
v o l u n t a r y a s s o c i a t i o n
に 参 加 す る 傾 向 が 高 い 入 会 好 きo j i n e r
として上位にあるのは︑北部ヨー
ロッパのいくつかの小国のみである︒
この四半世紀の間に︑自発的結社の数はおおよそ
三倍となったが︑平均会員数
の方はおおよそ十分の一となっているように見えるグループは多くなったが︑そのほとんどはずっと小さくなっ
てしまった︒一九六
0
年代から一九九0
年代の間の組織的爆発は︑
レターヘッドの増大を示すのであり︑草の根参加
のブームではないのである︒
新たな巨大会員組織は︑明らかに政治的重要性を増している
︒パットナムによれば︑お
そらくもっとも劇的な例は米国退職者協会
AARP
であり︑それは一九六0
年には正式会員数四0
万だったものが︑
一九九
0
年代中盤には三三
0
0
万人になったのだった︒しか
し︑
AARP
の優良会員であるためには︑年に数秒の時 間さえあればよいー小切手のサインにかかる時間である︵パットナムニ
0 0
六︑五
ニ
ー
五 四
︶
︒
社会的なつながりという観点からは︑この新たな組織は古典的な﹁
二次集団
s e c o n d a r y a s s o c i a t i o
n
﹂とは大きく異なっており︑新たな名称││おそらくは﹁三
次 集 団
﹂ を 付 け る 必 要 が あ る
︑ と パ ッ ト ナ ム は 言 う
︒ そ の 会 員 の 大
多数にとって︑唯一の会員活動とは会費の小切手を切ることか︑時折ニュースレターに目を通すことである︒
パットナムによれば︑
一九 九
0
年から一九九七年の間に︑︵二 0)
ワシ
ン
トンに基礎を置く組織の活気は︑それがどれほど大きく︑拡大中で強力であったとしても︑米国コミュニティにおけ
る社会的つながりと市民参加の生命力の基準としては信頼が置けない︑とパットナムは断言する︵パットナムニ00六︑
PTA
の会員数は一八歳以下の子を持つ家族一
0
0
のうち五0
近くであった一九六0
年代初加のリバウンドがあったが︑この組織が一九五
0
年代終盤から一九六0
年代初頭に得ていた会員数の高まりを再び取PTA
は五
0
万の会員を失ったのだが︑その時に一八歳以下の子供を持つ家庭の数は二
0
0
万以上︑そして公立学校への入学は五0
0
万増加していたのである︵パットナム非 常 に 多 様 な 組 織 に 共 通 す る 特 徴 一 九 六
0
年代までの急速な成長と突然の中断︑続く急速な低下は︑米国コミュニティヘの市民的関与の変化をめぐる︑証拠のモザイクの中の重要なピースである︒それぞれの組織の典亡の
詳細を探索したあとでさえも︑このような組織のそれぞれー互いにその構成員︑年齢︑
な っ て い る が
︑ 二
0
世紀の最終四半世紀に︑ほぼ同時に荒波に突入した︑という注目すべき事実はそのまま残る︑とパットナムは主張する︵パットナムニ00六︑六四︶︒したがって︑地域組織への積極的な関与が︑二
0
世紀の過去数十年の間に半減以上を示しているという点に︑これらによる推定が非常に近接して収束しているということは︑南西
部の樹木の年輪と︑北極の氷核︑そして英国海軍の記録がすべて一致して地球温暖化への同程度の変化率を検証した 二
00
六︑
五九
︶︒
り戻すことはなかった︒ 頭の高みから︑ 五 七
︶ ︒
一九
八
0
年代初頭には二0
家族にまで下落している︒リーダーシップは大きく異
一九 八
0
年代と一九九0
年代初頭には若干の参関 法 第 五 九 巻 一号
二
0
市民政治と
so ci al a c pi ta
lに関する試論的一考察 バー﹂であると自称し続けているが︑
一 八
五 ︶
︒
スコッチポルによれば︑
一九
七
0
年代から九のと同程度の明確さ︑説得力を持つものである︒結論として︑多くの米国人が︑自分はさまざまな組織の
しかしほとんどの者はコミュニティ組織にもはや多くの時間を割かなくなって いる委員会の仕事をしなくなり︑役員を務めるのを止め︑会合へ出席しなくなっているのである
︒しかも︑教育
水準の急速な向上により︑以前は市民参加を促していたスキル︑資源︑関心がかつてなかったほど多く与えられてい るにもかかわらず︑
である︒
すなわち︑米国人は︑単に政治的生活のみからでなく︑組織生活全般から︑大挙してド
ロップアウトしつつあるのである︑とパットナムは言う
︵ パ ッ
ナト
ム
ニ
0
六
0
︑七
0 ー
七 一
︶ ︒
しかしながら︑﹁市民生活は︑二
0
世紀後半のアメリカにおいて︑突如として︑また根本的に再編成された﹂とい
うシーダ・スコッチポルの見解もある︵
ス コ
ッチ
ポル
ニ
0 0
七 ︑0
年代の間に︑より古い自発的なメンバーシップ連合体は急速に衰退し︑他方︑新しい社会運動や専門的に運営される市民組織が大挙して登場し︑全国の市民生活の目標や様式を定義し直した
︒政府は市民的活動家に新しい機会と障
壁を与えた︒社会的理想は変化した︒資金調達の新しい技術や源泉が市民組織者に新たな機会やインセンティブを生 み出した︒仲間の市民を動員して会費を支払わせる定期的に集まる対話式の結社は︑野心的なエリートにとってもは
や意味を失った︒
彼らは代わりに政府や全国のメディアを直接利用できる専門的に運営される組織を運営できた
︒新
たな挑戦︑リソース︑理想に反応し︑特権的で高度な教育を受けた市民が率先して結社の世界を作り変えた
︒主要な
アメリカ人が階級横断的なメンバーシップ連合体から抜け出し︑市民的エネルギーを専門的アドボカシー活動︑民間
財団からの支援獲得︑機構の理事職に向け直した︒その結果が変貌した市民社会であった︒なぜならば︑市民リー
ダーはもはや大量
の仲間・市民を進行中の会員活動へと動員することに献身的に取り組まなかったからである
︵ス
︵ニ︱)
﹁メ
ン
0
四 b︵
二
ニ
︶
動が広範な人々を政治に動員したが︑この母胎になったのは旧来の組織ではなく︑新たに設立された組織であった
︒一
九七 0 年代以降になると政治参加を媒介する団体の形態はさらなる変化を遂げる
︒すなわちこの時期には政策要求
を掲げる新しい形態の組織であるアドボカシー・グループが多数誕生し︑この流れは一九九 0 年代まで続く
︵辻 二
〇
二 ︱九 六
︶
0
s o c i a l c a p i t a
l に支えられた団体と︑政策主張団体との間には︑両者の長所を生かした相互補完の
関係が築かれる必要がある︵辻
二0 0四
c
︑ 二
六 九
八 ︶
︒
高柳彰夫も﹁冷戦後世界において
NGo
︑あるいは広く市民
社会の諸組織の国境を越えたアドボカシー
一 五 一 ︶
と専門的アドボカシー活動について注意を促している
︒アメリカの現代の市民社会はひどい状態にあるというパットナムの見解に対して︑
私生活︑職場︑資力のある地区でお互いに理解し合う新たなやり方を手に入れている
︒また︑彼らは︑特有の共有さ
れた課題を達成するための創造的な新しいやり方を考え出している︒多くの種類の非営利組織は︑新たな見方︑先例
のないノウハウを社会奉仕や文化的経験の提供ばかりか︑公共政策の討論にも注入してきた︑と言う
︵ス コ
ッ
チ
ポ ル
二0
0
七 ︑
一
八
八
︶ ︒
だ が
︑
の 改
善 は
︑
二
0
世紀半ば以降︑合衆国の市民社会で重大な役割をいっそう果すようになった財団の介入が原因で起
こったことは確かである
︒しかし︑民主的な説明責任は非常に少ない︒
富裕層は︑彼らのお気に入りの機構やシン
ク ・
タ ン
ク ︑
アドボカシー・グループ︑﹁草の根﹂運動に助成金を寄付するための免税措置を受ける財団を発足させ
ようと決意する
︒巨額の寄付をする富裕者あるいは
一族の社会奉仕に献身する態度を称賛できるとしても︑同時にそ コ
ッチ ポ
ル ニ
0
0七 ︑
一
八
五
︶
︒
辻 康
夫 は
︑
関 法 第 五 九 巻スコッチポルは︑それで好い︑と言っているのではない
︒公共的議論の広がり︑公共政策
一号
︵政策的な提言や働きかけ︶活動への注目が高まっている﹂
︵ 高
柳
二0
0
七 ︑
スコッチポルにしたがって︑
ス コ
ッ チ
ポ ル
は ︑
ア メ
リ カ
人 は
︑
一
九六 0 年代には社会の変革をめざす多様な運
傾いてきた︵
ス コ
ッチ
ポル
ニ
0 0
七 ︑の寛大さが民主的応答性の低下を招いていることにわれわれは気づいている
︒今日のアメリカの大衆を代弁している
と主張する組織は︑直接の個人的接触︑相互作用的環境への関
与
を通して多くの普通の市民を動員しょうとするイン
センティブ︑能力を欠いている︒
そして地元の自発的活動と全国的影響力を求めるプロのアドボケート︑補助金形成
者との間に大きなギャップが開いてきた︒
この種の類似した変化が︑選挙︑結社に関わる生活でも広がり︑
アメリカ
における公的論議は皮相な仕方で分極化するようになった
︒
公共政策の形成は︑庶民の手を離れ︑社会階層の上部に
ここ
で︑
一九
七
ー
一九八
︶ ︒
パッ
トナムのアメリカ人の宗教参加にかかわる所説を補足しておきたい
︒パッ
トナムによれば︑緩慢な︑
しかし容赦のない世代交代によって︑宗教活動の徐々にではあるが必然的な全国的な関
与
低下が引き起こされてきた︑
と言う︵パッ
トナ
ム
ニ
0
0
六︑七
一
︶ ︒
主流のプロテスタント派は今なお宗教界における主要部分であるが︑これらの
信
徒は減少しつつあり︑高齢化し︑宗教的活動への関
与を低下させている︒
カトリック信者の多くがますます名のみの
教会メンバーになっている一
方で︑完全に自分の宗教から離れてしまうプロテスタントとユダヤ教徒の数は多く︑ま
た着実に増加している︵パッ
トナ
ム
ニ
0
0
六︑八
五
ー
八六 ︶ ︒ 結論として︑
と比ぺて教会に行かなくなり︑また通う教会もそれから広がるコミュニティヘの関わりを減らしつつある
︒宗教生活
におけるこの傾向は︑世俗的コミュニティにおける社会的つながりに見られる不吉な減少を︑埋め合わせているとい うよりむしろ強化してしまっている︑
重要な指摘である︒ ゜ヽッ
トナ
ムま
︑
ノ
' し
`
アメリカ人は三
0
ー四
0
年前と言う︵パッ
ナト
ムニ
0
六
0
︑八
九
︶ ︒
宗教と
s o c i a l c a p i t a
l
の関連性を暗示するアメリカ人のコミュニティとのつながりで︑政党︑市民組織︑教会︑労働組合などはフォーマルな部分であるとす
市民政治と
s o
c i a
l c a p i t a
考察
l
に関する試論的一三
︵二
︶三