基督教教育同盟会編『聖書教科書』の内容とその特 質
著者 佐々木 勝彦
雑誌名 東北学院大学論集. 教会と神学
号 40
ページ 175‑209
発行年 2005‑03‑25
URL http://id.nii.ac.jp/1204/00024382/
]
基督教教育側照会編「聖書教科吉」
の内容とその特質
佐々木勝彦
はじめに
われわれはすでに基督教教育同盟会編i聖害教科謀.l全五巻の編纂 の経紳について論じたが(佐々木勝彦「基督教教育│司盟会編著「聖番 教科Tlトl細纂の維紳」, キリスト教学校教育同脱1.百年史紀要j第2号,
2004.6 ),本論ではそれを踏まえつつさらにその内容に入って検討して みたい。
各fifの構成は次の通りである。a,発行年次,定価,総頁数,挿入写 真枚数等, b. 「序」の中で注目すべき記述,編纂者等7 C.詳細な目次,
d.特質。
I基督教教育同盟会編著『聖害教科書旧約の人物」基督教
出版社
a. 1933(昭和8)年9月10日発行, 1936(昭和11)年4H]H発行 (i】リ版), 50銭, 164頁,地図3頁,巻頭写真ln, 13行×36¥(468), 写真16枚
b・ 序
|本杏は,昨年の秋,弘前市に開かれた我が同盟会の第21回総会の 決識に基づいて,編纂されたものであります。昨年ll l l l2 1二lの理事 会はM総会の決識に基づいて,旧約教科番(初年級川)の執筆を青111学 院都Ⅱ│佃太郎氏に,新約教科書の執筆を明治学院小出正汗氏に委堀す ることに定めました。ついで1月3()日の求浜理事会は,その編纂に関
‑j‑る協哉諮詞の委員を左の諸氏に委堀することに定い,いづれも御承 諾を得ました。
聖『'}救科ilF編纂委員(順不同) 市村興市,林貞,川脈lli修,横田 栄三郎,末光信二,長谷川初音,坂田祐,撫山時j亀,平井hI;吉,秋保 孝戯,前烏潔,山本忠興,岩村渭四郎,安村三郎,諸氏」
「本会は続いて上級用の聖書教科書並に修身教科il$を編纂する希望 を抱いております。」
|昭和8年8月埜督教教育同盟会にて H1川大I If郎l c. H次
第1章旧約聖書大要,第1節聖書,第2節 |│」約聖詳,第3節 1 l」約聖i lトを読む心得,第2章旧約聖耆の地理,第1節序論,第2節 パレステナ地方,第3節シナイ及びエジプト地方,第』節メソポ タミヤ地方,第3章創造の物語,第1節天地万物の§ll造,第2節 人間の創造,第3節アダムとエバ,エデンの閲を追はる,第4節カ インと7'ベル,第4竜ノアの洪水,第1節人頻の轆落と罰,第2節 洪水,第3節洪水終る,第5章アブラハム,鰯1節アブラハム リ)時代,第2節ウルからカナンへ,第3節フ'ゾラハムとロト,第 4節アブラハムの大試練,第6章イサクと其の子・等,第1節イサ
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1*L併教数育同MM会編|型吾教科当」の内容とその特質 ?﹄
クの生立,第2節イサクの二人の子,第3節逃れるヤコプ,第4節 エサウとヤコプの再会,第7章ヨセフ(其の一),第1節ヤコプの 子供達,第2節ヨセフ売らる,第3節獄舎のヨセフ,第4節獄 舎から宰相へ,第8章ヨセフ(其の二),第1節ヤコブの子等エジ プトに穀物を求む,第2節再びエジプトに下る,第3節兄弟の再 会,第4節ヤコブの一族エジプトに移る,第5節ヤコブ境ヨセフ の死,第9章モーセ(瀧備時代),第1節エジプトに於るイスラエ ル人,第2節モーセの生立ち,第3節モーセの召命,第4節補 助者アロン,"1()章モーセ(活動時代),第1節パロの前に於る モーセ,第2節奇跡と災難,第3節エジプトを出づ,第ll章砿 野におけるイスラエル人,第1節ラメセスから紅海へ,第2節紅 海よりシナイlll'、,第3節十戒,第4節シナイ山からカデシまで,
第5節カデシよりモアブの野へ(モーセの死),第12章ヨシュア とカナン攻略,第1節モーセに仕へしヨシュア,第2節モーセの 後継者としてのヨシュア,第3節ヨルダン河を渡ってエリコヘ,第 4節各地の攻略と分荊,第5節ヨシュアの死,第13章群雄の時 代,第1節当時の状態,第2節烈女デボラ,第3節ギデオン,第 4節サムソン,第14章賢女ルツ,第1節モアブの女ルツ,第2 節ルツの孝養,第3節ルツ,ボアズの妻となる,第15章サムエ ル,第1節時代,第2節サムエルの生立,第3節イスラエル軍 敗る,第 1節サムエルとサウル,第5節サムエルの晩年,第16=
サウル王,第1節サウルの生立,第2節サウル,サムエルに会う,
第3節王としてのサウル,第4節サウル,サムエルの命に背く,第 5節サウルの人となり,第6節サウルの死,第17章ダビデ王(其
の一),第1節ダビデの生立,第2節ダビデとゴリアテ,第3節ダ ビデ,サウルに追はる,第4節ダビデとヨナタン,第18章ダビデ 王(其の二),第1節ユダ族の王ダビデ,第2節イスラエル全族の 王ダビデ,第3節ダビデの家庭,第4節ダビデの晩年,第19章ソ ロモン王,第1節ソロモンの治世,第2節ソロモンの知恵,第3節 ソロモンの事蹟,第4節ソロモンの栄華と晩年,第5節レハベア ムと王国の分裂,第20章エステル,第1節エステル王妃となる,
第2節ハマン,ユダヤ人を絶滅せんとす,第3節エステル,ユダ ヤ人の危機を救ふ
基督教教育同盟会編 「聖書教科害旧約の人物』 三省堂 a、 1938(昭和13)年3H30日発行, 1939(14)年2月20H発行(修 正再版), 70銭, 166頁,地図3頁,巻頭写真2頁, 13行×28字(1頁 364字),写真20枚
b. 序
「基督教主義男女中等学校用聖菩教科書」
「聖書教科書編纂委員岻徳一男(関西学院),三谷民子(女子学院),
都田恒太郎(青山学院),森田俊作(フェリス和英女学校),本宮彌兵衛 (同志社),小田信人(女子聖学院),大竹清(横浜英和女学校),富山時 子(普連土女学校),辻忠良(梅花女子専門学校),都留仙次(明治学 院)」
c・ 目次
第1章聖書の大意,第1節聖書,第2節旧約聖書,第3節新 約聖書,第4節聖書を読む心得,第2章旧約聖書の地理,第1節
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堆瞥教教育同盟会編l.聖善教科書jの内容とそり〕特興
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パレスチナ地方,第2節パレスチナの区分,第3節シナイ及びエ ジプト地方,第4節メソポタミア地方,第3章アダムとエバ,第 1節天地万物の創造,第2節エデンの園,第3節エデンの園を追 はる,第4節カインとアベル,第4章ノアの洪水,第1節人類 の堕落,第2節大洪水,第3節神の約束,第5章信仰の人アブ ラハム,第1節アブラハムの時代,第2節ウルからカナンへ,第 3節アブラハムとロ│、,第4節アブラハムの大試練.第6章イサ クとその子達,第1節イサクの生立ち,第2節エサウとヤコブ,第 3節ヤコブの逃避,第4節エサウとヤコブの再会,第7章ヨセフ の物語(其の一),第1節ヤコブの子ら,第2節ヨセフ充らる,第 3節獄舎のヨセフ,第4節獄舎から宰相へ,第8草ヨセフの物語 (其の二),第1節エジプトに穀物を求む,第2節再びエジフ,卜へ,
第3節兄弟との再会,第4節エジプトに於ける一族,第9章モー セ(其の一),第1節モーセと彼の時代,第2節モーセの生立ち,
第3節モーセの召命,第4節エジプトに於けるモーセ,第10章 モーセ(其の二),第1節エジプト出発 ,第2節雲の柱,火の柱,
第3節シナイ山へ,第4節モーセ,エテロと会見す,第11章モー セ(其の三),第1節シナイ山麓に着く,第2節カデシヘ,第3節 モーセの死,第12章カナン攻略,第1節ヨシュア,第2節エリ
コ城を探る,第3節ヨルダンを渡る,第4節エリコ城の陥落,第 13章士師時代,第1節その時代の状態,第2節烈女デボラ,第 3節ギデオン.第4節サムソン,第14章賢女ルツ,第1節ナ オミとルツ,第2節ルツの孝養,第3節ルツ,ボアズの妻となる.
第15章サムエル,第1節サムエルの生立ち,第2節イスラエル
単敗る,第3節サムエルとサウル,第4節サムエルの晩年,第16 章サウル王,第1節 ,サウルの功名,第2節サウル王,サムヱ ルの命に背く,第3節サウル王の人となり,第17章ダビデ王(其 の一),第1節ダビデ王の生立ち,第2節ダビデとゴリアテ,第3 節ダビデ,サウル王に追はる,第4節ダビデとヨナタン,第18"
ダビデ王(其の二),第1節ユダ族の王タビデ,第2節イスラエル 族の王ダビデ,第3節ダビデの家庭,第4節夕.ビデ王の晩年,第 19章ソロモン王,第1節ソロモン王の治世,第2節ソロモンの 知恵,第3節ソロモン王の事績,第4節ソロモンの栄華と晩年,第 20章エステル,第1節エステル王后となる,第2節ハマン,ユ ダヤ人を絶滅せんとす,第3節エステル,ユダヤ人の危機を救ふ,第 4節ユダヤ人救はる
d
l l933年版と1938年版の目次内容はほぼ│両lじである。その頁数も わずか2頁数の差である。 ところが1頁に印刷可能な文字数には約 104文字の差があり, これを単純に1933年版の頁数で計算すると40() 字原稿用紙に換算して約43枚の差になる。これは石過しえない数字で ある。ここには,教育現場からの意見が反映されていると琴えられる。
内容が多すぎるとの批判に答えた結果であり,第二巻以降はすべてこ の縮小版の規絡で編集されている。
2 1933年版はその第1章第3節「旧約聖書を読む心得」 (1938年度 版では第4節「聖書を読む心得」)において学習者への期待を記してい る。少し長いが, この企画全体の方向性を理解する上で極めて砿要な のでそのまま引用しておく。聖書は「神の言」であるから,信仰を前
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雌'│¥教毅育│IilMM金網|聖書教科i';lの内容とそひ〕特質 ﹇I
提にして読まれるべきであり,学習者はそのことを心に銘記するよう に勧めている。 したがってI"i'#教科害Iは,学習者が聖書を「神の 言」 として受け入オLだときに, その目標 達することになる。 この意 味で「聖書教科ilF.lは「信仰l を目指していたということができる。
|何れの書物にしても, それを読んで良く理解しようと欲するなら ば, その書物が杏かれた立場を理解してかからねばならないことは言 うまでもない。新約及び旧約の聖普を読む時には,特にこのことが必 要である。只浬然と聖書に│向Iかうならば,聖苦は解りにく く, また面 白くない苫物であろう。それなら,旧約型iトトは如何なる人々によって 如何なる立場から録されたかと言うに, これは古代のユダヤの,信仰 の篤い敬度な人達によって,録された書物である。彼等はこれを録す るに当たって,神の命令によって神の言葉を記していると言う信仰に 立っていたのであった。即ち,記者たちは只神の言葉を文字にあらわ したにすぎないのであって,出来たものは実に神の言葉であると信じ ていたのであった。 またこれらの聖書を録した人々とともにユダヤ人 の多くは,同じように,聖齊は神の言葉であると信仰し来たったので ある。
それ故に,私共が聖i トトを理解しようと思う鞍らば, この彼等と同じ 心持を有ち.彼等の心にlilh'iして, これに接しなくてはならないので ある。 このことは聖書を学ぶにあたって,雌初から是非とも心得てお かねばならない邸であって,岩しそうでなかったならば, この聖書が 与える尊いものを得ることなくして終るかも知れないのである。」
3第一巻は大地創造から統一王同時代までの歴史とエステル記を 取り扱っている。 しかし聖背の物語がそのまま記述されているわけで
はな<,聖書の地理的雌史的背餓に関する説明も相当加えられている。
これはI聖菩教科雪l全五巻に一貫して見られる叙述形式である。
4 「聖書教科書」第一巻はなぜ「旧約の人物lだったのだろうか。
内容的には「イエス伝」であってもおかしくなかったはずである。 こ れは学校礼拝と関係があったのだろうか。単純に型苦の順序に従った だけなのだろうか。あるいは歴史的地理的説明を頭視した結果なのだ ろうか。
11基督教教育同盟会編『聖書教科書イエス伝』三省堂
a、 1938(昭和13)年3月30日発行, 1939(昭和14)年2月20日発行 (修正再版),70銭, 165頁,地図1頁,巻噸写真2R, 13行x28¥(1頁 364字),写真17枚
b. I聖書教科番編纂委員屯徳一男(関西学院),三谷民子(女子学 院),都田恒太郎(青山学院),森H1俊作(フェリスポ││典女学校),本宮弥 兵衛(同志社),小田信人(女子聖学院),大竹清(横浜英和女学校),富 山時子(普連土女学校),辻忠良(梅花女子専門学校),都留{' '1次(明治 学院)」
c・ 目次
第1章イエスの誕生,第1節イスラエルの国と民,第2節イ エス誕生の告知,第3節イエスの│朧誕,第 1節幼きイエス,第2章 イエスの少年時代,第1節イエスの家庭,第2節十二歳のイエス,
第3節イエスのナザレ生活,第4節バプテスマのヨハネの誕生,第 3章イエスの伝道開始.鋪1節ヨハネの伝道,第2節イエスの受
132−
1if粁毅教制 州l会編|聖書教科苫」 d)内容とその特質 9
洗,第3節荒野に於ける誘惑,第4節最初の弟子,第4章ユダ よりガリラヤへ,第1節カナの婚宴,第2節ニゴデモとの対話.第 3節サマリヤの女との対話,第5章カベナウムにて,第1節カペ ナ ンムの子供,第2節故郷にて,第3節網にあふるる魚,第4節 イエスの奇跳第6章パリサイ人の反対,第1節取税人マタイ弟 子となる,第2節池の端の病人.第3節弟子達麦の穂を摘む,第 7jff l II上の垂訓,第1節十二使徒の選任,第2節山上の説教 (一),第3節 | │」上の説教(二),第8章メシヤの働き,第1節囚 へられたヨハネ,第2節香油を献くキる女,第3節ガリラヤ湖上に て,第9竜弟子達の信仰,第1節十二弟子の派遣,第2節ヨハ ネの死,第3節湖畔の饗要と波の上のイエス,第10章十字架の道,
第1節生命のパン,第2節ペテロの告白,第3節霊光のイエス,
第11章エルサレムへ,第1節仮庵の祭,第2節七十人の派遣,
第3節隣人への鍵,第4節ベタニヤの姉妹,第12章危機を前に,
第1節パリサイ人に就いて,第2節放蕩息子の臂,第3節ラザ ロの復活,第13章神の国の教へ,第1節富める若き司,第2節ヤ コブとヨハネの野望.第3節エリコにて,第14章エルサレム入城,
第1節勝利の入城,第2節宮潔め,第3節イエスの権威に就い て,第15章神殿に於ける論争,第1節カイザルのもの,第2節復 活に就いて,第3節貧しき女の献物,第4節エルサレムの滅亡を 語り鞘ふ,第16章新しき契約,第1節ユダの反逆,第2節弟子 の足を洗ひ給ふ,第3節鮫後の晩餐,第17章苦き酒盃,第1節告 別の言葉,第2節ケッセマネの祈り,第3節イエスの捕縛,第4節 フ'ンナスとカヤパとの群問,第18章この人を兄よ,第1節泣くぺ
テロとユダの最期,第2節ピラトの審問,第3節ゴルゴタの丘,第 4節十字架上のイエスとその埋葬,第19章イエスの復活,第1節 復活の朝,第2節復活のイエス(一),第3節復活のイエス(二),
第4節昇天 d.
l 編集者は四福音書を用いてイエス伝を繩めている。そのため各福 音書記者の独自な視点といったものはほとんど考慮されていない。つ まりこのイエス伝は文献批判的な考察を前提にしていない。はたして これが意図的なものなのか, それとも当時の日本の新約学の常識に 従っただけなのかということについては,具体的な資料つまり編集段 階の詳細な記録及び教師用解説書がまだ見つかっていないため,一般 的な推測に頼らざるをえない。編集委員会の構成から見て, これが当 時の神学的共通理解であったと思われる。
2他の四巻と同様に各単元に関連する聖句が上段に別枠で特記さ れており,学校および教会で本書を用いる際に,学びの本来の対象が 聖書であることを意識させるように編集されている。特に学校におけ る学習者にとって教科書がもつ意味を考えるとき, これは大切な配慮 であった。学習者にとって数科害とは, まずそれ自体が学びの対象で あったからである。学習指導者の判断によっては, まず聖脅の当該箇 所を読ませ,次にまとめとして教科書を用いることも可能な編集に なっている。
3執筆の責任が個人から編纂委員会に移行したことについては前 回の論考で指摘した通りであるが,本書を読むかぎり,編纂委員会独 自の視点を示す記述はほとんど見当たらない。 これは当時の国家に
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ltf併教教育lt il州会繍|聖菩教科, IF.│の内容とそり)特噛 1 1
よって要詰された結果に過ぎないのだろうか。それとも細纂委員会の 構成が示すような超教派的妥協の産物なのだろうか。
4 たとえ本書のより客観的であろうとする叙述が外的要因によっ てもたらされたものだとしても,本書には明らかにプロテスタン│、の
「聖書主義」が反映されている。それは,明治以降の日本キリスト教史 において受け入れられてきた型il:の位置を反映している。本書がプロ テスタン│、諸教派の学校で受け入れられたのは, この「聖書主義」が あったからであり,本耆は初めからI聖書主義」的に編纂され記述さ れる必要があった。それは, なるべく 「解釈の余地」を残さない仕方 で表現される必嬰があった。好意的に理解するならば, |解釈」は学習 指導者の手に委ねられた。 しかもこれは,諸教派の独自な存在と主振 が許されなくなりつつあった当時の状況卜で,残された数少ない選択 肢のひとつであった。
5総頁数165頁の中に巻頭写真を含めて19枚の写真が挿入されて おり,文字のみならず像を通して聖書への関心を高めようとしている ことが分かる。 「聖書教科書.l編纂の際には, たしかに子供の発達を中 心とした自覚的なカリキュラムは存在しなかった。 しかしこれらの写 真の存在は,学習群の理解を容揚にしようとする努力がなぎれたこと を示している。教科書編纂と併行して行われた「パレスチナ掛け地I叉1 i の企両出版も,同じく学習者の理解を助ける教材の開発を求める教育 現場からの声に応えようとするものであった。
IⅡ基督教教育同盟会編纂「聖書教科書パウロ伝」
三省堂
a. 1938(昭和13)年3月30日発行, 70銭, 183頁,地図2頁,巻頭 写真2頁, 13行×28字(1頁364¥),写真18枚(約半頁サイズ)
b. 序
「基符教主義男女中等学校用聖書教科謀」
「幸に,年々発行部数も増加し,現在に於いては本同盟会加盟学校全 体に於いて該教科書が使用されるようになりました。基督教主義学校 に於ける宗教教育の完成を期する為には,聖書教授が殿も重要な役割 を占めることは改めて言うまでもないと存じます。その為に秩序と連 絡あり, また霊的にも,教育的にも,修餐的にも更に価値ある教科書 の完成が待望されて来たのでありました。
今岡幸に,聖書教科書編纂委員諸氏の協力ある努力と三省堂の好意 とに依り,第一巻「旧約の人物」都田恒太郎,第二巻「イエス伝」森 田俊作,第三巻「パウロ低」千葉勇五郎,第四巻「預言者とその教計││」
都留仙次,第五巻「イエスの教訓」本宮彌兵衛,以上全五巻の完成を 見ました事は感謝の至りに堪えませぬ。」
「昭和13年3HIH基督教同盟会理事長阿部義宗」
c・ 目次
第1噸パウロの幼年時代,第1節パウロの誕生,第2節パウ ロの家庭,第3節タルソに於ける学校生活,第4節エルサレム遊 学,第2章青年時代のパウロ,第1節パウロの悩み,第2節基 督教会の発展,第3節ステパノの殉教,第3章パウロの回心,第
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咄粁教教育同盟会編「聖TI;教科i'$l u)内容とその特fl l3
1節迫害の狂暴,第2節迫害の結果,第3節ダマスコ途上の霊 光,第4節パウロの更生,第4章準備時代,第1節アラビヤに 隠退,第2節パウロ,エルサレムに帰る,第3節エルサレムの民 彼に耳を賞さず,第4節エルサレムを追はれタルソに逃る,第5章 フ'ンテオケ教会の勃興,第1節シリヤの首府アンテオケ,第2節ア ンテオケ教会の起源,第3節パウロの招勝,第4節パウロ, エル サレム教会を訪ふ,第6章パウロの第一伝道旅行,第1節クプロ 島上陸,第2節ピデシヤのアンテオケに於ける大説教,第3節イ コニオム,ルカオニヤ地方の伝道,第4節アンテオケヘの凱旋,第 7章エルサレム会議,第1節新旧思想の衝突,第2節エルサレム への上告,第3節福音的宗教の勝利,第8軍パウロの第二伝道旅 行,第1節バルナバと別る,第2節青年伝道者テモテ,第3節世 界教化の分岐点,第4節欧州伝道の第一戦,第9章テサロニケに 於ける成功,第1節テサロニケ伝道,第2節テサロニケ教会,第 3節マケドニア伝道の成績,第10章アテネの論戦,第1節世界 文化の中心,鋪2節アテネに於けるパウロ,第3節パウロの応戦,
第4節パウロの説教に学ぶ,第11章第二伝道旅行より凱旋,第1 節コリントの力戦,第2節信教自由の承認,第3節文書伝道者 としてのパ ンロ,第4節欧州伝道より凱旋,第12章第三伝道旅行,
第1節此の期間の概観,第2節エペソに行く,第3節エペソの 信徒,第4節パ『ンロ,エペソを去る,第13章マケドニアよりギリ
シヤへ,第1節信者訂│ │練の苦心,第2節エルサレム救済募金連動,
第3節牧会上の成功,第14章パウロ,エルサレムへ急ぐ,第1節 錘を廻してエルサレムヘ向ふ,第2節悲壮な訣別,第3節堅き死
の覚悟,第15章エルサレムの難,第1節不利な時,第2節教会 の歓迎,長老等の同↑i'i,第3節計画頓挫,第4節危機‑・",第16 章議会より総督官庁へ,第1節議会に於けるパウロ.第2節イエ スの激励,陰謀の失敗,第3節総腎への送付,第4節大祭司らの 来訴,第17章アグリッパ王の前に立つ,第1節新総│¥ブェスト.
第2節アグリッパの来訪,第3節パウロの弁明,第18章憧れの 都ロマヘ,第1節難航,第2節難船,第3節マルタ島上陸,第 19章ロマの幽閉,第1節幽閉! │ 'の活勤,第2節会見の破裂,第 3節諸教会の配慮,鋪20章パウロの晩年,第1節パウロの解放,
第2節スペイン遠柾,第3節パウロの岐後,第4節オステア路 傍の蝿
d、
1 1パウ口伝」 と言.われているように, その内容は瞳記物語風に綱 められている。戦後初期の教科書の多くがIH・新約緒論のスタイルを 選択したことを考えると,これは独自な発想とみなすこともできる。し かしこれは本当に自覚的な選択の結果とは脅えにくく, むしろ学校と 教会の教育現場からの要請に応えようとした結果であろう。
2幟成は使徒言行録の順序に従っており,その間にパ:ンロ諜簡の記 事が挿入されている。 さらにその中に比較的詳細な地理的歴史的説明 が挿入されている。その結果,全五巻の中で雌大の頁数(183頁)になっ ている。
3地理的歴史的説│リIの部分がかなり多いにもかかわらず,物語とし て編集されているため全体として大変銃みやすい。ただし教科書とし ては取り扱いにくかったと考えられる。学習群の方からすオLば,使徒
188−
l,l軒数教育liJM会緬I聖当教科書」の内容とその特質 15
言行録を読む場合と同じ問題が起こりやすいからである。つまり同じ ような話しが続くため.かえって事件の前後関係が暖昧になってしま い,記憶に残りにくいからである。 また指導者の方からすれば,物語 としての完成腰が商いため,聖耆を引用したり,説明を加える余地が 少なく,「イエス伝̲│の場合とはちがった工夫が求められることになる。
4 しかし物語の部分と地理的歴史的説明の部分の組み合わせにつ いては,積極的評価もありうる。両者の異質性のゆえにむしろ解説が 必要になり,指導者の助言が求められるからである。
1V基督教教育同盟会編『聖書教科書預言者と其の教訓」
三省堂
a. 1938(昭和13)年3月30日発行,70銭, 168頁,預言者年表3頁,
地図3頁,巻頭写真lfi, 13行×28*(1頁364¥),写真19枚 b. 「本書は執筆者都留仙次氏及本会聖書教科書編纂委員諸氏の協 力に成るものなり。」
c・ にI次
第1章神の代弁者としての預言者,第1節預言の意義,第2節 預言者の資格,第3節預言者の事業,第4節神の世界的経輪の布 告,第2章王朝の指導者サムエル(其の一) (紀元前1050),第1節 サムエル以前の預言者,第2節母ハンナの祈とナザレ人の誓,第3節 預言者運動のホll設,第4節サウル王の任命,第3章王朝の指導者 サムエル(其の二),第1節神の要求,第2節ダビデ王の任命,第 3節ダビデ王への戒告.第4章審判者エリヤ(紀元前875),第1節
北朝の異教政策,第2節カルメルl1l上の審判,第3節ナボテの葡 萄園,第5章正義の人アモス(紀元前760),第1節アモスの時代 及び人物,第2節神に遇ふ準備,第3節神の言の飢鰹,第4節正 義の樹立,第6章愛の人ホセア(紀元前741),第1節ホセアの人 物,第2節苦き経験による真理の発見,第3節背反者に対する勧 告と慰藷,第4節愛は最後の勝利者,第7章聖の人イザヤ(紀沁 前740),第1節イザヤの時代及び人物,第2節イザヤの召命,第 3節万車の神エホバ,第4節インマヌエルの預言,第8章霊の人 エレミヤ(其の一) (紀元前639),第1節エレミヤの時代及び召命,
第2節国難の切迫,第3節エルサレムの陥落,第4節亡│亟l及び 俘囚事情,第9章霊の人エレミヤ(其の二),第1節俘囚に対する 慰藷,第2節個人的道徳の基調,第3節新しき契約,第4節霊 的宗教の本質,第10章復活の預言者エゼキエル(其の一) (紀沁前 597),第1節エゼキエルの時代及び人物,第2節俘囚の生活,第 3節個人的救極,第11章復活の預言者エゼキエル(其の二),第1 節遍在の神,第2節復活の預言,第3節聖なる宮,第4節聖 流と世界的使命,第12章慰の使者第二イザヤ(紀元前549),第1節 イザヤの後継者,第2節クロス王の任務,第3節悩める僕,第4節 犠牲の原理,第13章聖都の再興とネヘミヤ(紀元前445),第1節 ネヘミヤの時代及び人物,第2節聖都の再興,第3節精神的建設,
第14章世界的使節ヨナ(紀元前332),第1節ヨナの時代,第2節 ヨナの召命,第3節ニネベの救済,第4節神の本性と聖愛,第15 章証者ダニエル(紀元前167),第1節時代の背景,第2節少年 ダニエル,第3節信仰と試練,第4節王者に対する預言者の権威,
−19()
腱'│¥教教育同盤会編I聖書教科割の内容とその特彌 17
第16章福音の先駆者マラキ(紀元前444),第1節メシヤの待望,
第2節わが使,第3節時は満てり
..
l 問題はi.預言者と其の教訓」という表題から生じてくる。 「教訓」
とは「教えさとし, いましめること。 またその言葉」を指すからであ る。 これは明らかに倫理的道徳的意味内容を指す言葉である。編纂委 員会がこの言栞の使用に何ら問題を感じなかったとすれば, あるいは むしろここに稲極的な意味を込めたとすれば, この表題から何を統み 取るべきなのかという課題が生じてくる。本論の性格上われわれはこ こでこの問題に深入りすることはできないが,当時の聖書科の授業が
│修身」の代わりとなっていたケースが多かったこと, さらにこの暖昧 な状態を止め,両者を明確に区別するように当局が求めていたことを 忘れてはならない。事実,第一巻の序には「本会は続いて上級用の聖 害教科番並に修身教科書を編纂する希望を抱いております」 と明記さ れており, それは当時の教育現場の要請に応えようとするものであっ た。
2 ところが「教訓」というイメージで読み始めると,戸惑ってしま うはずである。目次内容から分かる通り, それは旧約聖害の後半部を 取り上げているにすぎないからである。あるいは「預言者」 という叙 述対象が「教訂│ │」 という表現を呼び起こしたのだろうか。
3 当時の出版事桔やこの表題から考えて,政治や国家についての記 述を期待するのはわれわれだけではないであろう。しかしこれらにつ いての直接的な記述は見当たらない。では間接的な表現はどうであろ うか。 これは解釈の問題になるので微妙だが, なるべく 「現代|の政
治や国家に対する直接的な批判にならないように配慮していると思わ れる。
4第1草(第3節)では「預言者の事業」についてこう述べている。
「第四に,預言者は,王朝を建設し, これを擁護する者であった。彼は,
真の意味に於ける愛国者であった。王を支持し, その精神的指導者と なり,永遠の神に対する義務を教へ,神の国実現の道を指し示すこと は,特に多くの預言者の踏んだ路であった。」
サムエル記上8章の「あなたたちは王の奴隷となる。その日あなた たちは,自分が選んだ王のゆえに,泣き叫ぶ。しかし,主はそのR,あ なたたちに答えてはくださらない」といった記事やダビデ王の「バト・
シェバ事件」などの記事は取り̲上げられていない。
5 ただし,次に紹介す‑るIイエスの教訂│ │』の内容を先取りして考え るならば, I預言者と其の教司│ │ '!の以上のような展開は,政治や国家の 問題はそちらに譲ると判断したうえでの記述であった可能性もある。
その場合には, あまり刺激的にならないように意図的にそれらの記述 を省いたことに強る。
6 これは第一巻から第四巻までのすべてに当てはまることである が,学術的にはいずれも高い水準にある。現代仮名遣いに直すなら,出 版から六十年以上もたった現在でもそのまま通用する記述が沢山含ま れている。特にその地理的歴史的記述はすぐれている。 これは,当時 の日本の神学界を代表する人びとに執筆を依頼した結果であろう。
1112−
1,唯惰数教育│面l盟会編i聖書教科I【削り)IJ1容とそり)特f'i l9
V基督教教育同盟会編『聖書教科書イエスの教ヨ││」
三省堂
a. 1939(II召和1.1)年2月20H発行, 70銭, 168頁,地図2頁,巻頭 写真2頁, 13行×28LF(1R364字),写真8枚
b. │聖密教科菩編纂委員飽徳一男(関西学院),三谷民子(女子学 院),都ll1恒太郎(青山学院),森田俊作(フェリス和英女学校),本宮弥 兵衛(同志社),小H1信人(女子聖学院),大竹清(横浜英ホl l女学校) ,海 山時子(普連土女学校),辻忠良(梅花女子専門学校),都留仙次(明治 学院)」
c, 目次
前禰イエスの教訓│の要旨
第1承イエス・キリスト,第1節人格の感化力,第2節人格 の四万面,第2章イエスの教訓の特徴,第1節一般的特徴,第2節 イエスの教訂1 1に於ける独創性,第3章イエスの神観,第1節父な る神,第2節聖なる神,第3節霊なる神,第4節義と愛なる神,
第5節減ける神,第¥l章イエスの人間観,第1節人間の冊i値.第 2節罪悪の問題,第3節苦痛の問題,第5章神のI封,第1節神 の国の意義,第2節神の国の成員の資格,第3節教会,第6車宗 教の本義,第1節神意と律法,第2節神の国の義,第7章典の 幸福,第1節幸福の追求.第2節イエスの九福,第8章其の祈,
第1節祈の生活,第2節事前の祈,第3節事後の祈,第4節祈 と自己点検,第5節祈は神に対するもの,第6節公衆の祈,第7節 アアメンの意義,第9章道徳と宗教,第1節道徳の教師イエス,第
2節イエスの道徳の特徴,第3節平易なる道徳,第1()承救の恵 義,第1節救の宗教,第2節罪,第3節信仰と悔改,第4節罪 の赦とキリストの救,第5節聖化,第6節洗礼
後蛎イエスの教訓の実践
第l1章 |刊家,第1節善き国民,第2節イエスの郷土盤,第3 節祖国愛と人類愛,第4節遵法の精神,第12章公民,第1節人 格価値の発見,第2節社会と個人,第3節キリスト教的公民の特 質,第13章家庭,第1節必然と自由,第2節結婚,第3節親 と子,第14章社会生活,第1節ヨハネとイエスの生活態度,第2 節社会的機会の利用,第3節社会的生活の危険と幸編,第・1節礼 儀と交際,第5節隣人礎と協愛の義務,第15歳奉仕,第1節邪 へる生活,第2節与ふる幸福と与へ方,第3節愛の実践,第16='、;f 財産,第1節富める青年,第2節寓に伴う危険,第3節偏託さ れしものとしての財,第4節心と財宝,第5節財産の聖別,第17 章友備,第1節イエスの友情,第2節誤れる型の友怖,第3節 真の友悩の要衆,第18章永遠の生命,第1節生命の不思議,第2 節旧約聖誓の生命観,第3節イエスの生命観
。.
l l我等はややもすればイエスの公生涯の華々しい活勒に幻惑され て, イエスの児索期に於ける道徳的宗教的教養に就いての営察を怠り 勝である。然し, イエスのような完全な人格は幼児よりの道徳的宗教 的教礎なしに自然に出来たとは考へられない」 (9頁以下)と述べ, イ エスの児童期を家庭的宗教的自然的環境から説明しようとしている。
イエスの人格は身体的方面,知的方面,情意的方面,社会的方測のinl
−19 1
1#L i¥数教制' ilIM会綿「聖書教科書」の内容とそり)特間 21
れにおいても調和して発達していたとされている。 しかし今│ |, この ような理解を受け入オLる専門家はほとんどいない。
2 Iイエスの教訓Ⅱという表題から推察されるように,本ilIにおい てイエスは無本的に「道徳の教師」 として理解されている。 したがっ てこれを神学的にどのように評価すべきかという問題が生じてくる が,内容の紹介をi l的とする本論の性格上.あまりこの問題に深入り する必要はない。ここでは,弁証法神学の影響が全く兄られないこと を指摘するにとどめておきたい。 「道徳の教師」イエスについて次のよ うな記述が見られる。
|イエスの教へた宗教は父なる神と神の子たる人間の│弘I係である。此 の関係は慨式的でも戒律的でもなく,深い意味の道徳的なものである」
(56)。「イエスの神のIJ<Iの義は其の人の内に絶えず成長発腱するもので ある」(63)。 I共観桶背il}に現れているイエスは神の│刺の我を教へた至 尚な道徳の教師であった」(84)。 「然し, イエスの教へた道徳は宗数か ら離れたものでも宗教と対立するものでもない。彼の宗教は道徳的で あり,彼の道徳は水数的なのである」(85)。 「人間の神に対する宗教的 態度はifとして道徳的従順にある。 イエスにとって神と交るという上 # は,眼想や神秘的融合ではなく,道徳的に神人が和合する半, すなわ ち救済の体験であり.人間が神意と一致する事である」 (86)。
3罪の赦しと噸化に関しては次のように述べている。そしてここに も弁iilll法神学の彫郷は見られない。つまり教育の可能性それ自体を問 う問鼬意識は感じられない。
|罪の赦は人│川業では得られない。これは神の恩恵によるより外に仕 方のないものである。ただ神の恩恵により,人間に何ら功紙も功徳も
なくして与えられるものである」(99)。 │ !', ,'!性も行為もイエスの如く聖
<なり,愛と義とを全うする為には一生涯の努力糀進が必要である。罪 が赦されると同時に,聖者の刺│く尚潔なIW!性や行為に達するのではな く,絶えず祈り,聖徒の交りによって協力し,絶えずイエスを模範と して向上するよう心がけ,神の完全なるが如く完全ならんと努力する 事が必要である。かくして次第に聖化されて行く。聖化とは人間だけ の道徳的努力ではなく,神より罪の赦を得, その恩蝿による神と偕な
る生活に入る事である」 (100)。
4編纂委員会ば「キリスト教と国家」の問題をどのように取り扱お うとしていたのだろうか。 これも 「聖諜教科#」を論ずる際にどうし ても避けられない問いである。基督教教育│!il槻会編となっているかぎ l)において,間接的ではあれ, この教科J1トは基符教教育同競会のj'/:場 を公けしているからである。 もしその内容が編纂当時の国策に灰する とみなされたならば,発行そのものが不nJ能であったはずである。や がてI聖耆教科iff.lが廃刊に追い込まれて行く§蹄!iについてはすでに 言及した通りであるが, ここでは事態がまだそこまで切迫していな かった。
国家の問題はIイエスの教訂││ ,Iの後半部(「イエスの教訓|の要旨)
において取り上げられている。後半部の櫛成は,同家→公民→家庭,
社会生活→奉仕→財産→友梢→永遠の生命, となっている。 この描成 自体が編集者の立場を表現している可能性が商い。理論的には,私的 なものから公的なものへと展開することもできたはずだからである。
仮に公的なものを論ずることが難しい状況にあったとすれば, むしろ 私的なものから論ずるという選択肢も考えられる。 しかし本脊の描成
196
l,L'侭教教角同盟会編I型善教科評」の内容とそり)特fI 23
は逆になっており, まず「国家」について積極的な立場を腱│#Iしてい る。その記述はいずれも極めて弁証的で,終末論的な発想は見当たら ない。
Iイエスが彼の生活した地方の地方権とロマ帝国の統治とを騨重し た事は明│LIな事実である。民衆は彼をユダヤの王に擁立しようとした が, これを断然斥け,政治的革命の渦中に投ずる事を峻扣し, 自分は 精神界の指導肴である事を明らかにした。 イエスは神意に従順で善良 な人間を造りだす事が口的であった。然し,善良な人間は│!1時に善良 な国民でなければならない」 (105)。 「己が生まれ且つ成存した郷土や 国家を愛するは健全な人間の自然の情である。特に美しい自然に恵ま れ,光脚ある歴史を持っている田に対しては, その美を識芙し,雁史 を誇り,其の岡の発展と幸福との為に進んで奉仕せんとするのが人情 である。パレスチナもかかる匠lの一つであって…・"」 (1()6)。 Iイエス
もまた郷士愛の情熱を持つ一人であった」 (106)。
さらに第11章第3節では, イエスは「自国を無視した所謂世界主義 者ではなかった」(109)とされ,第4節では,テモテニ2.1 2,ロマ13・
1 2,ペテロ−2. 1314, 17を引用しつつ「遵法の鞘神」が説かれて いる。執兼当時の時代状況を感じさせる記述である。
第12章「公民」には次のような記述が見られる。 「彼(イエス) は 人格を高調する事によって二つの極端を避けた。その一/jは利己的個 人主義であり,他方は非人格的社会主義である」 (113)。 「イエスには,
個人と社会とは対立する存在ではなく,一元である」 (115)('1。
5第13章「家庭」,第14章「社会生活」,第15章「奉仕」には次 のような記述がみられ,いずれも執筆当時の雰囲気を強く皮映してい
る。 | イエスは家族制度を尊重し,家庭を祝福した」(123)。 「家族制度 の異る欧米に基督教が伝わったが故に, キリスト教には孝道がない等 と誤った非難をする者がないでもないが, イエスは自身の口から孝道 の神に事へる真の道である事を教へているのである」 (1278)。 「イエ スは礼儀正しい当時の社会に通常行われている習慣に一致するように 努力した」 (134)。 「滅私奉公の精神及び努力なくしては,何の方面に 於ても重要な人物とはなりえない」 (140)。
VI残された課題
われわれの目的は『聖書教科書j全五巻の内容を紹介し, その性格 を明らかにすることにあった。各巻の内容と特質についてはすでに述 べた通りであるが,それと共に幾つかの問いも浮かび上がってくる。こ れらの問いはわれわれの課題を越えており,今後の研究に譲らざるを えないが, ここにその幾つかを箇条耆きにしておきたい。
I 教科書が誕生するまで,聖書科の授業は実際にはどのように行わ れていたのだろうか121。なぜこのときにi聖吉教科書j全五巻だったの だろうか。その朧史的必然性はどこにあったのだろうか。
Z この企画を実行することによって,基督教教育同盟会と同蝿会関 係諸学校は,特に│京l家の宗教政策との関係で何を得たのだろうか。あ るいは何を失ったのだろうか。
3 多くの同盟会関係諸学校はその「建学の精神」を「礼拝と聖害科」
によって表現しようとしてきた。 もしそうだとすれば,聖諜科の教科 響の研究は単に聖書科の教育内容の問題にとどまらず, 当時の礼拝問
198
'よ督教教制!iIMM介糊I聖『1}毅科,I}」 リ)│,'1容とその特f'1 25
題と関わらざるをえなくなる。特にそこでli 'Iが語られ,何が行われて いたのかを朧史的に明らかにする必要がある
4実際にはほとんど使川されなかったにもかかわらず, たしかに I興亜賛美歌.I (昭和18年3jl)とI興亜少年讃美歌I (昭刷1 18年l l jl) が作成された歴史を考えるとき, 『聖吾教科ilト.!全五巻が廃刊に追い込 まれた事実(昭和17年811 7 1 1)はどのように評価すればよいのだろ
うか0
5 1聖神教科書』全五巻の存在は,戦後の教科書作りにとってどの ような意味をもったのだろうか。それらは他の教科のようにfitに「蝿 塗り」の対象にすぎなかったのだろうか。はたしてこのことに弓及し ている資料は存在するのだろうか。
6聖詳科の教科書について論ずるさい,そオしが学内で特別な,世味を もっていたことも忘れてはならない。建学の粘神と関わっているため,
聖耆科の設慨とその教科祥の選択は学校当伽)の判断によるのが普通だ からである。 さらに教師にIIiめるキリスI、者の割合も大き較怠味を もっている。その比率によっては聖書科の存在怠莪が問われ, その教 科書も厳しい批判の対敦と癒る。では,拠りil}数科詳」の場合. これら の事情はどうなっていたのだろうか。 l'il棚会編纂ということで問題は すべて解決されたのだろうか。
7 1聖『li教科割全J[巻には,黙承文学に│腱Iする記述がほとんど見 当たらない。これは教科『i}という性格を配唯した結果なのだろうか。そ れとも何か特別な理由があったのだろうか。
註
(1) 11'il体の本義』 (1937)及び「臣民の道j (1941)を鍔雅とさせる文蹴が 次々出てくることに留意しなければならない。証(2)を参照。
(2) 今I可, 「聖普教科書I全五巻の採用実態を研究するため, ケース・スタ ディとして東北学院を選び, その中学・高等学校,大学,黄料龍などに残され ている資料に当たってみた。基督教教育同盟会総会の資料から,東北学院では これ うの教科iliが使用されていたことが分かっていたからである。その結果,
現在までリ〕ところ教科番は一冊しか残されていず, その使川実態をぷす黄料 は存在しないことが判明した。 しかしこの過程で「聖TI激科巾I鼎全Ji巻の使川 をめく.る当局との衝突とその経過を示す記事に出会った。 これは東北学院の 特殊なケースというよりも全国的に起こっていた問題の宮城リ,4版と考えらオL るので,あかせてこの記事の内容を紹介し,当時のキリスト教学校のli'fかれて いた雄しい状況を知る手がかりとしたい。
まず(1)"1¥教教育同盟会総会の資料の中からi聖沓教科11削り)採川実数 の記録を紹介し,次に(2) 「聖書教科耆j及び「聖番科|にIM1わる火北学│塊と 宮城学院関係の資料, (3)宮城県の賓料, そして晶後に(4)凹榊科|課外化 問魑に間する雄督教教育同粗会総会資料を取り上げてみたい。
(1 ) J,f │¥教数行同淵会総会資料に見られる「聖書教科TI}lの裸朋校と採川数 a)第27L」I総会(1939.12.21〜23)資料より
型許教科諏採用校及び数一覧表(1939(昭和ll)年 1月l81 1現在)
l I III約の人物1, 2「イエス伝」, 3「パウロ伝│, 4 「碩言者とその数副l l 1, 5
|イエスの数IJI│」
I 2 3 1 3
青│」I学院(1 1 ') 280 250 25()
i!j1 1 l学院(女) 200
ブエリス英卿l女学校 190 81) 6U 81) 50
普連土女学校 lO5 105 lOO I{)1)
弘liij女学校 28 81 4 72 北陸女'サ枝 130 10() 80 81) 北lf!女学校 88 135 105
適墳女学校 85 100 75 91) 70
典「・学院 85 99 75 73
女子聖判塊 140 140 159 132 98
200−
AL'勝教教育│両l脱会綱凹雑教科11剛の内容とその特賛
﹇Jdl
n唖r﹈
関東学院'i' 恵泉女学翻 金城女子専門女学校 明治学院(!II) 愛泉女学校 立教中学校 岬岡英和女学校 尚綱女学校 捜典女学校 東北学院(中)
東洋英fll女学枝 111梨英和女学校 横浜英和女学校 洗足女学絞 白百合女学校 郁文館 その他店充 小計(A) 大阪支店区域
│司志社中 同志社商等女学部 西南学院中
ウィルミナ女学校 プール女学校 平安女学院 下関梅光女学院 西南女学院 九州女学院 瞳島女学院 関西学院111 小計(B) 総計 総合計
250 20() 2()() 15()
70 55
25()
7()
20()
2()0 37
16() 130 8() I:1()
35 12 140 1]0 150 18()
140 200 100
I(〕
120 170
100 90 135 120
6 1
I5 82
90 10
98 28 61 99 98
80 55 1813
(〕() 78 32 1867 15I17 1155 15
2791
25(1 150 150 171 136
120 230 350 150 130
28()
35(}
230 1()0 1()7 7()
12()
271 15()
2 10 115 315 142
160 150 2()(}
9() l()5 73 60 23()
101 76
180 l l()
1 ,677 41 ,468 15,189
120 1,624 3,I137
〔?〕
1,303 511 901 3,170 2,038 2.()38
b)"281gl総会(19iIO(昭細15).5.28〜29)黄料より 聖謝救科諜綱纂販売委員会報告
報告邪」間
l ll什和15年5月現在検印総数15"290冊,印税予定額1,0701930銭 2昭和15年嘆型11ト教科響販売状況の件(5月21日三省堂報告)
第1巻第2巻第3巻第4巻第5巻 合計
l ,1年座 :1 ,300 3,500 2,800 2,0()0 1.910 14,540 15ffIIE 3 l(10 2,700 2,900 1,300 2 90(1 12,900
この記録よるとl&1年度の合計・は145 10となっているが,前年度の総会記録 (第27回総会)では15189となっており,明らかにその総数が異なっていろ。
正確な理1I1は不明であるが,予約数と販売実数の違いかもしれない。
聖i!I教科禅使用校別冊数
1巻 2巻 3巻 l1巻 5巻 東北学院 150 150 80 70 100 明治学院 200 160 140 110 100 iliill女学│" 300 93 330 300 100
枇浜英細女学院 115 50 2()
型心女学院 15() 111 」10 76 恵泉女学院 7(} 55 75 52 56 尚綱女学院 180 150 120 71
〔?〕東学院 230 200 230 150 130 束洋英fll女学校 90 87 33 56 41 フエリス女学校 90 150 70 80 30 捜真女学校 110 90 90
北』{1女学校 .11 16 15 70 弘前女学校 35 15 10 5() フレンド女学校 80 95 80 80 同志趾!l1学 225 224 220 227 160 ウイルミナ女学校 220 220 160 180 同志祉尚等女学部 230 180 150
プール向等女学校 I60 170 205 195 150
聖心女学院 50 80
計 2,676 2,1()5 2,099 1,280 1,664 (この外に使川校あるも報告未若)
[19411.4.にウイルミナ女学校は大阪女学院高等女学部に改称〕
(2) 1↓〔北学院と宮城学院における「聖替教科評」及び「聖替科」抑外化間越
−202−
職¥教職〔青同W会細I聖丼教科TIト.lの内容とそ.U)特!('1 29
f,) I東北学院時報1曲言一好1940(昭,;I│ 15) .9.1(I東北学院│ '{年史箇料糾」
415417")には11Wi'}戦科FII」及び│聖苫科」課外化問題にIMI連して次の*k3 な記41が掲戦さオLている。なお[ 1の内容は華省の紬。
出村悌三郎「宮城IIL当川jの基督教主義学校に対する要朗」(! │rlil l 15年7j l 211 I 1)
l li!の教肯課より予め通牒あり,先jl [七月〕十八│ │学院'l1学部視察の為め 松浦学務部1t.娃技リ11視学,鈴木鶴を随ひ中学部に来院せらる。 .……』II!il}の授 業を観られ,使川」して培った聖評教科苔に特別の注意を払はれた様であ‑〕た。
参観終り院I調<にて……其折聖普の授業に用ゐっつある教科11トは文部街の検 定を経たものか,或は認可をi¥たものかとの問いに対して中学校の戦科uに は聖【1Fなどはなき蚊に文部宙の検定などは勿為ないが,此激科ilトは中等牒腱 の基軒数̲i猫学校や、 H曜学校の為に基督教教尚同盟〔会〕の縄幕したるもり)
にして,物補文部満の承認を得て全国の基督教主義指定学校の多数が, 1nに参 暮州として使川してい;るもので,普通の中学校教科II;とは其趣を異にしてII!I るものであることを答へたるにr解して帰られた。吾々との謡はそオLきりで あった。典翌l │学勝部」畠は沸城女学校を視察され, In1棟のことに注腫されたと ェくふことを聞いた。典後間もなく東京諸新聞の地方版〔東京III1寓城版7II 23II I I │本梢閥l'にj文する聖ilF教育を排撃,県学務部が雌後の断I I I' │ 1II主挽の 温床│〕に於て. リ,里1局の談として,基督教主義学校は文部省の法規を無視し 非揃時耐にそぐはい数frをして居る。且其指導精神に誤りがあるから脚城リ「L では率先して之が延正を計らんとしてをる等等と雀ざ立てた。余(出村悌《
郎jは……1,u1Ajは果して其様な発表をなされたかを賀したるに対し, リIlでは 其様な発炎をしたのではない。あの記事は記荷の主観を捉じて腱ることが多 いので,これ依り,1にも学校にも相当迷惑を及ぼしたと忠ふ・併しI,1として朧ff の貰厭上あることにつきては文部当局の指令を仰ぎ,其術令に恥さて#ILとし ての詳処をする械りで其蝋が決定次第基督戦主義諸学校の首脳街と悪『淡を遂 げ〃 粥をIリ満妥当的に処離したいと恩うてをるから其時まで侍って典オlとの ことであった。先ll二十六1 Iに此問題につき協議したいから学勝部1鋼〈に参 柴せよとの通牒を受けたるを以って,余〔出村悌三郎〕はIr1l l =lt処に出頭した。
県側で;土松浦学務部災,金内教育課長,是枝県視学の当人で.我々は寓城学院 のクリーテ校災,尚綱女学校のi司橋校焚,仙台高等女学校趾代理と余のIJuf',で あ‑〕た。 .… ・
此庇学務部1&が基督教主義の学校を視察L,又其締果として本1 I此懇I淡会 を開くに蕊りたるは│11も斯規な事態が発生して典緊急処慨を識fる必喫が 起ったと工くふのではない。之は1《はば昨年文部省が全国的に総合視察を行ひ とに雌づいて適切な処禰をなさしむく<各学校の泳恵を喚起した ,典蒋後策
の継統‑ぐあるので.前に文部省は県に対して総合視察の緒果を鯏め公立学校,
私立'γ:杖,女'雅校夫れ夫れに必要なる注意を与ふくさこと,又l!鳴併戦、i義学校 に対しては必要ノFLPる注意を与ふべきことを指令さオした。 ′1:「勝部災は之に雄づ いて視察をなし, l l.文部省の意向を間はれたことが間紙lそで棚々なる誤伝を 起こして各ノjimに悪影秤が起りさうであるから.此i川迦を成るべく」I I、<片{、1 ljて無益の批伝を除くと云ふことが一つと, それに此隙蜘i:側の襲望を率1111:
に侭へてJlミ常時ji ,jl§にある我国の教育に協力さオ'たい。然らばリ,!の典製する 所は1閲Iかと云へば夫オLには三箇条ある。先づ一般/」針から蕊へぱ槻IT│に於け るあらゆる学校の敦育目的の中心点は皇国民の紳成と式ふことである。従っ て堆粁教言i擬学校も之を中心とせねば鞍らぬ。示毅の#i念を以って教行を行 ふことは特殊学校の椎イilであり.使命であるだろうが,狼数を求教の為めにす るのでなく、学校数育としては宗鞍も矢張り型国民紳成と菰ふ第‑‑.の日的の 手段とせねばならぬ。此方針に基いて県は基符教主筏学校に愛望するf簡条 の鰯・は学校が頒教的礼拝をする前には必ずi副歌斉唱.寓城過拝幕をi丁ふこ と。第二は未だ実行せざる学校があるならば御真彫を奉賊すべきこと。第三は lWi+}はAZを数ふるは溌支ないが之を修身科のうちに入れず.峰吋は」i咽民撰 成の!「 大切なる課Hであるから専ら国民道徳を散ふぺざこと. liljして型f1}
は探外として教ふくさこと,出来得べ<んは馳意科と‑jること,併しそれは絶 対に必甥では雄いがただ科外として正科と区別する必唄がある。以上剤│馴条 は必ず之を実il:して贋ひたい・要はかくの如きことは法規とか強制命令と云 ふ様厳ことで紐<、印蒋自発的に国体の明徴, I 1本鞘神のと,)場をll折して.宗 数学校リ)本来の使命の全せられんことを望むと云ふことでありました。之に 対して余はかく杵えて償いた・学校教育の目的が皇lxl民練成にあることの餌l 方針は税学院の心から共鳴賛同する所で,岡体のlリl"I1本枡神の鮎揚は我学 院の造次にも顛姉にも忘れざることである。之を実現するノj法として宗数的 厩念によらんとするのであるが,決して其本木を顛倒することばないつもり である。従ってリ,!の要望さるることは吾々には巳に既に悉く実行してをるこ とである。例えば礼拝前に於ける宮城遥拝の如ざは雄l 1とを汀‑』てノバる[1939 (I IIifilll)年6ノーl 17旧「この日より礼拝前に皇A!;遥椰を1]なう。 また従来の生 徒敬礼法を挙手の礼に改める」〕・御真影奉戴の如きは御11の堆粁教二if農学校 に率先してとを蛾いて居る[1935(昭和10)年1(1 j]29 1 1 1"11'1影奉賊式」}・従 来は紙宏幸に蜜li'iし奉りたる御真影は今回更に新に奉安殿を雌立コーることに 'とL了ってLLに迄に杵Fして居る (1941(昭和16)年l l jl3 1 1 1 illll'l雑恭'友殿落 成│]。 l',:し夫れ咽I1トの授業は以前に文部省の示唆に従ひ修身科のうちに入れ て脱けとのことで修身科の一部として教授し米りたるので,今唆とを引放し て蝿ilトとして数ふることは寧しる素志であったから, il12ijiの兇,糊はなく之を
2(伽1
唯'│¥教教育同暇会編「聖書教科誉.Iの内容とその特fi 31
正課とぜず科外として教ふるも何も差支えなく唯随意科とするときには生徒 の不規律を来す娠凶となるからそれは随意科とはなし難し。盤するにリ,↓の要 望せらるる事は我学院にとりて一として新しき事ではなく巳に実行し米りた
る所である局を告げリIL側の了解を得たのであった│ (415417H)。
この記班に見られる東北学院の対応について『東北学院百年史」 (第四編第 三電「深まる困苦」) はこう述べている。
|要は物互liをどちらの面から見るかである。宮城遥拝も受け入れた,御典彫 も奉蛾している,聖諜も汪課から外す. と見てくれば.すべての点で易々諾々 と県あるいは文部肯の指示に従ったことになろう。 しかし反対にキリスト教 の礼拝は依然として継続するし.聖書も必修として教え続けるという決愈の 表│リlと取れば, |壌微な形での抵抗の姿勢との解釈も十分に可能である。事実,
東北学院は【 ' 1学部においても,高等学部(高等商学部, さらに後には航空工業 専門学校)においても.誰職あるいは礼拝堂が軍事目的のために接収され, ま た学生・生徒.教興らが徴用あるいは軍事訓練のために.学校を離れて,礼拝 が物理的にイ<11能となるまでは.毎日始業に先立つ礼拝も聖君の授業も守り 通したのである.| (857頁)。
b) I 戦時下の寓城学院1 (2002年11月2日,宮城学院資料宗)は, IMilト科|
課外化問題に関連しこう述べている。
「'サ事視察
1939(I I"i11 1 *1)年,文部省は令国を12の地区に分けて僻学(とくがく)官を派 適し.得学校における教育状況掌握のための学事視察を行った。同年6"6 I1,視崇間は寓城リ,Lへやってきた。始に県下すべての女学校1竜が第一商等女学 校(現・第・女子商等学校)へ集められ、政府の教育方針を告げられた。その 2日後の6冊8 1 1 , 3人の督学官が宮城女学校を訪れた。彼らは校炎C.D.ク リーテに対L, II(I民輔神の教育が薄いので, もっと徹底させるよう指誠した。
また祝I│には識美歌,聖害朗読,礼拝をやめ, 「君が代」と教育勅鵠を'l 1心に 縦<式典を行うよう忠告した。
翌194(1年6川県の教育炎が来校し,追跡調査が行オ》れた・さらに71126
「I ,県内のプロラースタント系ミッションスクール3校(東北学院,窩城女学校.
尚綱女学校)がり11から呼び出され, カトリック系1校(仙台女学校,現・仙台 内百合学│刺)の階I,常のもと, 3つの提言がなされ、実行を要請された。それは '1帆礼に│亜│家を峡い宮城遥拝すること 2聖雷の授業を必鋼からはずすこ と. 3御真膨を受けること」であった。 3つめの事項は宮城女学校にだけあて はまるものだった。桝城女学校の御哀影奉戴と奉安殿建設は,全│玉l的にみても