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講演内容 平成29年度県外研修:熊谷市ホームページ

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(1)

平成29年10月5日(木)

カシマサッカースタジアム にて

カシマサッカースタジアムの風景

平成29年10月5日、自治会長180名が参加し、熊谷市自治会連合会県

外研修が行われました。

今回の研修は「2002年サッカーワールドカップ開催地の取組に学ぶ」を

テーマに、

「ちいさなまちのワールドカップ」

鹿嶋市 市民生活部 交通防災課 林 益弘 様 (2002年ワールドカップ開催時担当者)

の御講演をいただきました。

(2)

講演内容

「ちいさなまちのワールドカップ」

-2002FIFAワールドカップと地域社会―

鹿嶋市交通防災課 林 益弘 様による講演

1 鹿嶋市の概要

はじめに

ようこそ鹿嶋へお越しくださいました。私は2002年サッカーワールドカ

ップの担当でした。2002年は今から15年前のことです。今とは時代背景

も違い、ロケーションも異なりますが、少しでも皆様の参考になれば幸いです。

鹿嶋市の概要

鹿嶋市は茨城県の東部に位置しま

す。緯度を基準にすると、熊谷市と

だいたい同じくらいになります。最

近、圏央道が開通したこともあり、

熊谷からは2~3時間程度で来るこ

とができると思います。市の中心部

には鹿嶋神宮、南部には鹿嶋臨海工

業地帯、北部にはカシマサッカース

タジアムがあります。

鹿嶋市の時代背景を振り返ると、3つの時期に分けることができます。

第1期は、鹿島神宮を中心に門前町として発展してきた時期です。創建は神

武天皇の代までさかのぼることができ、2000年以上の歴史があります。武

道の神様である武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祭神としています。

第2期は、鹿島臨海工業地帯とともに発展してきた時期です。戦後の高度経

済成長期に整備され、大企業の進出で産業技術の集積が進みました。工業地帯

の代表的な企業である住友金属工業㈱(現 新日鐵住金株式会社。以下同様。)

は、当時東洋一の規模を誇っていました。

第3期は、スポーツ文化期です。1993年に開幕したJリーグで、初年度

鹿島アントラーズが優勝し、サッカーの街として全国的に有名になりました。

鹿嶋市は、海洋性気候で温暖です。人口はおよそ67,800人で、横ばい

か微増傾向です。その要素は、東日本大震災で被害を受けた周辺自治体からの

移住があること、臨海工業地帯の企業の好況や従事する労働者の年齢が比較的

(3)

2 アントラーズとワールドカップ

(1)アントラーズの誕生

◎誕生の経緯

アントラーズの誕生には住友金属工業が関わっています。鹿島臨海工業地帯

には、高度経済成長期、多くの大手メーカーが進出し、工場ができ、全国から

多くの労働者が集まりました。しかし、当時の鹿嶋は、休日を過ごすところは

何もなく、時間をつぶせるところといえばパチンコ屋くらいでした。このよう

な状況に企業側が危機感を持ち、若者が働き遊び定着する街を目指す取組を始

めることになりました。この取組の中で目をつけたのが住友金属工業のサッカ

ー部でした。

当時、住友金属工業には日本リーグ(Jリーグの前身)に所属しているサッカ

ー部がありました。日本リーグの1部2部を行ったり来たりする程度の実力で

したが、プロリーグ(=Jリーグ)を立ち上げる計画に併せて、住友金属サッカ

ー部を J リーグに参入させ、鹿嶋にプロサッカーチームを作ろうという計画が

立ち上がりました。

しかし、Jリーグ運営側からは、Jリーグ

へ の 参 入 は 99.9999%無 理 だ と 言わ れ て い

ました。実力がない、集客が見込めない、

サッカー専用スタジアムがないという3つ

の課題があったからです。これらをクリア

できない限りは J リーグへの参入はできな

いと言われていました。この3つの課題を

克服するため、世界的トッププレーヤーであるジーコの加入、署名活動による

集客の取組、茨城県によるサッカー専用スタジアム建設の確約を取付け、何と

か J リーグに参入することができました。そして、初年度からいきなり優勝し

たのです。Jリーグのお荷物だと思われていたチームの大躍進に、鹿島アントラ

ーズ人気が一気に盛り上がりました。

◎地域の役割

鹿島アントラーズの活動には、地域が大きな役割を果たしています。具体的

には、3つのキーワードで説明することができます。

<加わる>鹿島アントラーズには鹿嶋市も出

資(130,000千円)しています。

<携わる>地域の方々がスポーツボランティ

アとして携わっています。母体とな

ったのは体育協会です。チケットも

ぎり、会場の案内、清掃活動など縁

(4)

< 戦 う > 私 設 応 援 団 で あ る イ ン フ ァ イ ト が サ

ポーターとして活動しています。選手

を鼓舞し、チームと一緒に戦っていま

す。

(2)ワールドカップの招致

1990年代には、日本でのワールドカップ開催が話題になりました。サッカ

ーは世界に通じるスポーツです。数あるサッカー大会の中でも、ワールドカッ

プは世界中の人々が注目する最も規模の大きい大会です。アントラーズの活躍

により、鹿嶋の知名度は全国的に大きく向上しま

したが、ワールドカップの会場に選ばれることで

更なる飛躍を目指し、招致を進めることになりま

した。当時の招致活動では「鹿嶋からKASHIMA

へ」というキャッチフレーズを使用していました。

また、この頃には、鹿嶋=スポーツ先進のまち

としても知名度が向上していました。市内の高校

がサッカーの全国大会に出場したり、武道やラグ

ビ ー で も 全 国 大 会 に 出 場 で き る よ う に な り ま し

た。アントラーズの発足が、アマチュアスポーツ

に も 良 い 影 響 を 与 え る よ う に な っ た の だ と 思 い

ます。

3 ワールドカップに向けて

(1)基本方針

招致活動が実を結び、1996年にカシマサッカースタジアムがワールドカ

ップの会場に選ばれました。

しかし、鹿嶋市はあくまでも会場(スタジアム)がある都市という立場で、

開催都市に位置づけられているのは茨城県でした。ワールドカップに向けて主

体的に活動できるのは開催都市の自治体であり、会場の都市の自治体が主体的

に活動できる余地はほとんどありませんでした。当時、開催都市と会場都市が

同一だったのは、札幌市・横浜市・大阪市・神戸市だけで、同様の悩みを抱え

ていた自治体も多かったと思います。さらに、開催都市の上部団体に JAWOC

(ワールドカップ日本組織委員会)、さらにその上部団体に FIFA(国際サッカ

ー連盟)があり、何かひとつ取組を実施するにしても様々な厳しい制約があり

(5)

<鹿嶋市のワールドカップに向けての基本方針>

日本はもとより、諸外国から訪れる方々に鹿嶋らしさを前面に出した、

地域全体で温かみのあるワールドカップを作り上げるとともに、

市民の多くが何らかの形で参加できるワールドカップを推進する。

<鹿嶋市の3つの柱>

①ホスピタリティ ②インフォメーション ③セキュリティ

このような状況でしたが、世界的なイベントに市民の関わりが無いなんて残

念、せっかく会場に選ばれたからには何かやりたいという強い思いのもと、ワ

ールドカップに向けての基本方針を策定しました。

そして、市民がワールドカップに「何らかの形で関わる」という部分を具現

化するため、3つの柱を作りました。

重要なのは市民一人ひとりが楽しむことです。背伸びはせず、自分ができる

ことをやることです。大変そうだ、やらなければならないという気持ちになる

ようではうまくいきません。

行政側も「イベントは成功して当然だ」という考えになりがちですが、大き

なイベントでは何らかのトラブルは起きて当然です。トラブルも含めて全てを

受け入れ、楽しむ姿勢が重要です。

ただ、そのような考えを持ってはいましたが、フーリガン(暴徒化するサポ

ーター)の問題、テロの問題(9.11が発生した翌年の開催であった)など、様々

なトラブルを想定していました。

(2)組織の強化

ワ ー ル ド カ ッ プ へ の 市

民 参 加 の 第 一 歩 と し て 、

市 民 懇 話 会 を 設 置 し ま し

た。

こ の 組 織 は 、 開 催 ま で

の 気 運 の 上 昇 や ワ ー ル ド

カ ッ プ を 活 用 し た 事 業 の

成 功 の た め に 結 成 し た 、

鹿 嶋 市 内 の 主 要 団 体 全 て

が参加した組織です。

こ の 市 民 懇 話 会 で は 、

FIFA や JAWOC などの

上 部 組 織 か ら の 情 報 を 流

鹿嶋市

鹿嶋市区長会

鹿嶋市議会

鹿嶋市体育協会

鹿嶋市サッカー協会

カシマスポーツボランティア

私設応援団インファイト

(社)かしま青年会議所

鹿嶋市観光協会

鹿嶋市鹿島商工会

鹿嶋市大野商工会

鹿嶋市消防団

シニアクラブ連合会

鹿嶋市女性団体連絡会

鹿嶋市PTA連絡協議会

鹿嶋市青少年育成市民会議

鹿嶋市子ども会育成連合会

鹿嶋教育部会

鹿島高校

฀鹿島灘高校

清真学園

鹿島学園

交通安全協会鹿島支部

交通安全協会大野支部

鹿島ライオンズクラブ

鹿島中央ロータリークラブ

鹿嶋市建設業協同組合

鹿嶋市飲食店組合

鹿嶋市旅館組合

しおさい農協鹿島中央支店

しおさい農協大野中央支店

鹿島灘漁業協同組合

鹿嶋市金融団

住友金属工業株式会社

㈱鹿島アントラーズFC

鹿嶋市国際交流協会

エフエムかしま市民放送(株)

鹿嶋郵便局

東京電力(株)鹿島営業所

鹿島神宮

鹿嶋市文化協会

(6)

し、情報の周知を図りました。同時に、鹿嶋市が考える今後の方向性も共有し

ました。

ま た 、 市 民 懇 話 会 の 内 部

も 6 つ の 専 門 チ ー ム に ブ ロ

ッ ク 分 け し 、 そ れ ぞ れ の 役

割 を 明 確 化 さ せ ま し た 。 同

時 に 、 鹿 嶋 市 の 職 員 の 中 で

も プ ロ ジ ェ ク ト チ ー ム を 結

成 し 、 市 民 懇 話 会 と 同 様 に

6 つ の 専 門 チ ー ム に ブ ロ ッ

ク分けを行いました。

(3)各種事業への取り組み

ワールドカップ開催に向けて、市・県・国にそれぞれ役割があります。スタ

ジアムの改修や周辺の道路整備等のインフラ整備は、国や県が担当しました。

鹿嶋市が担当する部分はお金のかからないソフト事業の部分です。鹿嶋市では、

3つの柱に基づき、各種事業を推進しました。

<シティデコレーション>

市役所の庁舎や道路沿 いに、日本・韓国・

鹿嶋市で試合を行う国(アルゼンチン・ナイ

ジェリア・ドイツ・アイルランド・イタリア・

クロアチア)の国旗を掲揚し、気運の向上を

図りました。

<花いっぱい運動>

スタジアムに来るお客様をおもてなしするた

め、花いっぱい運動を実施しました。この運動

が市民参加の第一歩となりました。

スタジアム改修が完了した最初の試合で、ス

タジアム周辺道路に各自プランターを持ち寄り、

並べました。プランターには「ようこそ鹿嶋へ」

というシールを行政で準備し、貼り付けてもら

いました。鹿島アントラーズからもシールの寄贈がありました。

しかし、プランターの設置にあたり警察から懸念を示されたことがあります。

警察によると、フーリガンが興奮するとプランターやのぼり旗を凶器として使

(7)

用されることが想定されるとのことでした。行政側としては、市民の立場にな

って警察と粘り強く交渉を続けました。

花壇も新しく作りました。この花壇は、道路用地

の中にあります 。まだ 車線として整備 されて いな

い部分を花壇に すると いう発想です。 前例の ない

取組でしたので 、道路 を管理している 国土交 通省

と粘り強く交渉 を続け ました。また、 スタジ アム

から離れている 市民に は、自宅の塀の 外に花 を出

してほしいと呼びかけたところ、多くの方に協力いただきました。

このような運動は、ワールドカップが終了したと同時に無くなると思ってい

ました。しかし、現実は違いました。自分たちの花壇は自分たちで守るという

姿勢で、今でもきちんと管理してくれているのです。場所により温度差はあり

ますが、市民の大きな力を実感しました。

<一斉清掃>

日本は比較的 キレイな 国だと言われ ています が、

やはりイベン トを開催 するとゴミは 出ます。 そこ

で、市民の力 を借りて 、清掃活動を 行いまし た。

この活動が現 在の市内 一斉清掃や海 岸一斉清 掃に

つながっています。

<街角観光ボランティア>

こ れ ま で 人 口 6 万 人 の 鹿 嶋 市 に 4 万 人 も の 外

国人が来ることはありませんでした。住民の間に

は、身体が大きく言葉が通じない外国人への漠然

とした苦手意識があったと思います。しかし、外

国人も同じ人間です。怖がらずにカタコト英語で

も ボ デ ィ ラ ン ゲ ー ジ で も コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン を

試みれば意思疎通できるものです。行政側として

も、鹿嶋市で試合をする6か国の簡単な会話集を

作りました。案内ボランティアの衣装にも工夫をこらし、May I help you?(お

手伝いしましょうか?)という表示を付けました。相手が困っていなくても積

極的なコミュニケーションを心掛けてもらいました。

<自発的ホスピタリティ>

女性中心 の自発 的な活 動も始ま りまし た。和 風

の箸袋、ブロ ーチやう ちわを手作り し、選手 や外

国人観光客にプレゼントしていました。

また、合 唱団や ダンス 団体も結 成され ました 。

(8)

1年前のプレ大会)のイベントでは、団体側の強い要望があり、飛び入り参加

で合唱を披露していただきました。この団体が現在も続く少年少女合唱団(虹

キッズ)となりました。

<各種イベント>

イベントも数多く実施しました。イベント

では、アントラーズと深いつながりのあるブ

ラ ジ ル の サ ン バ を 披 露 す る こ と も あ り ま し

た。(アントラーズの歴代の外国人選手はほ

ぼブラジル人選手であった)

また、イベントは市民団体の活動を披露す

る場でもあり、様々な新しいつながりが生ま

れました。企業からも協賛品の提供という形

で協力がありました。

鹿嶋市ができるのはスタジアムの外のこと

です。市営の駐車場では、パブリックビュー

イングを行いました。市民の皆さんが楽しむ

場を提供することを重視していました。

テント村も作りました。外国人観光客の野

宿対策です。朝食に牛乳とパンを配ったとこ

ろ、大変喜ばれました

市役所にはワールドカップ対策本部を設置

しました。24時間対応で6カ国の通訳が可

能です。市民向けニュース広報も発行しまし

た。これは、現在も鹿嶋市のホームページで

閲覧できます。地元ラジオ局の FM かしまに

出演することもありました。限られた地域で

しか受信できませんが、そのことで逆に気軽

に出演できました。

県警との連携でセキュリティ対策を講じま

した。自治会は地元住民の不安な声を吸い上げて、行政に伝える役割を担いま

した。この声について県警と行政で対応を検討し、ひとつずつ不安を安心に変

えていきました。ワールドカップには全国から警察官の動員がありました。派

遣されてきた警察官の食事や宿泊場所を提供するのも市の役割でした。

インフォメーション

(9)

4 ワールドカップが残したもの

ワールドカップによって、インフラ整備が行われましたが、国際的なビッグ

イベントでインフラ整備が行われるのは当たり前のことです。私自身はワール

ドカップが残したものとは考えていません。インフラ整備よりももっと重要な

ものが2つ残ったと思います。

(1)市民との協働のまちづくり

ワールドカップの開催を通して、ボランティア意識の高まり、おもてなしが

上手になり、市政への関心が高まったと思います。多くの市民の皆さんがスタ

ジアムに足を運ぶようにもなりました。そして何より「鹿嶋市に生まれて良か

った」という誇りを持てるようになったと思います。

市民の皆さんを巻き込んでワールドカップを開催できたことは、協働のまち

づくりを達成ができたということになると思います。これらのワールドカップ

で培ってきたことは、2020年の東京オリンピックにも生かせるのではない

かと思います。

(2)国際交流の展開

韓国・西帰浦(ソポギ )市との

姉妹都市の締結を行いました。き

っかけになったのは、韓国でワー

ルドカップの取組についての公演

を依頼されたことです。

講演を行うだけではつまらない

ので、何か交流が生まれればと思

い、鹿嶋の子どもの絵を韓国に持

って行きました。すると、その絵

を韓国の小学校で展示してくれた

のです。その後、中学生のホーム

ステイが始まり、様々な交流が生

まれました。

一過性で終わるのか、終わった

あとも何らかのつながりが残るの

か、この違いは非常に大きいと思

(10)

5 終わりに

錦織孝一鹿嶋市長からの挨拶

鹿嶋市へようこそ。これほど大勢の方がお越しくださった

こ と に 大 変 驚 い て い ま す 。 ま た 、 熊 谷 市 の 自 治 会 加 入 率 が

74.2%で、鹿嶋市 49.8%に比べると非常に高いことにも驚い

ています。その秘訣を教えてほしいです。

2002年のワールドカップで、特に男性の意識が変わっ

たと思います。女性の方が子どもの学校関係のつながりがあるので地域とのつ

ながりもあったが、男性の方は会社勤めをしていたせいか、地域とのつながり

が薄かったと思います。これが、ワールドカップをきっかけに変わりました。

様々なボランティアに参加することで、地域に顔を出すようになりました。そ

して、ワールドカップが終わってからも地域との関わりを持ち続けています。

鹿島神宮のボランティアガイドもその一例です。彼らは鹿嶋出身ではないにも

関わらず地元のことを勉強し、ボランティアガイドをしてくれています。その

他にも、大通りの花いっぱい運動、公民館活動などにも参加しています。

これまでは「協働」の考え方でまちづくりを進めていましたが、これからの

まちづくりは「共創」の概念のもと進めていきたいと考えています。公民館を

主体とし、市民・事業者・行政の三者がそれぞれ自発的に活動できるようにし

たいと思っています。行政だけではできないことがたくさんあるので、どうし

ても地域の皆様の力が必要になります。

2019年には茨城国体が開催されます。2020年の東京オリンピックでは

サッカー会場に選ばれました。これほどのチャンスは今後訪れないと思います。

オリンピック委員会の規制が厳しく、横断幕ひとつ設置するにも一筋縄ではい

かない部分もありますが、みんなで知恵を出し合い、このチャンスを生かした

いです。街づくりを進め、歴史的な

イベントを成功させたいと思います。

鹿嶋市は熊谷市と比べれば小さな

街ですが、市民のまとまり・融和・

思いやりは誇れる部分であると思い

ます。高速道路も開通し、距離が近

くなったこともあるので、今回の研

修をきっかけに、今後様々な情報交

参照

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