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Academic year: 2021

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(1)

髙瀬奈津子

中国北朝隋唐史

の煬帝

宮崎市定著 中公文庫   一九八七   隋王朝という王朝は、南北の統一、科挙制の設置、地方行政 制度の改革、大運河による南北交通システムの確立などなど… 中国史上画期的な業績を残している。また、隋王朝は二百数十 年ぶりの統一王朝であることから、周辺のユーラシア大陸東部 の 諸 国・ 諸 民 族 に 対 し て も 強 い 影 響 を 残 し て い る。 と り わ け、 日本の大和政権がはじめてまともに外交交渉を試みた相手も隋 王朝であるから、日本の歴史に対してもかなりのインパクトを 与えた王朝といえるだろう。   その隋王朝は五十年ももたずに滅んでしまった。その原因を 作 っ た と さ れ る の が、 本 書 の 主 人 公、 第 二 代 皇 帝 の 煬 帝 で あ る。著者の宮崎市定氏は、本書を隋建国のいきさつから説き起 こし、さらに隋室楊氏の家庭環境を取り上げている。そのこと で、当時の殺伐とした空気を感じ取ることができ、煬帝という 人物がそうした時代を背負って登場したことが分かる仕組みに なっている。   また、本書は隋代の歴史を知るだけでなく、その前後の時代 にもふれているので、南北朝から隋、唐へと続く時代の流れを 理解することができる。ゼミでは三国時代から唐代までの漢文 史料を取り上げるので、本書を読んで、この時代の歴史の流れ を頭に入れておいて欲しい。 その他の参考文献 ◦宮崎市定著『科挙―中国の試験地獄―』中公文庫   中央公論 新社 ◦三田村泰助著『宦官―側近政治の構造―』中公文庫   中央公 論新社 ◦川勝義雄著『魏晋南北朝』講談社学術文庫一五九五   講談社   二〇〇三 ◦李成市著『東アジア文化圏の形成』世界史リブレット 7   山 川出版社

日本語・日本文学コース

ブックレビュー

書名に*印を付したものは『危機と文化』 10号からの再録である

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漢字のはなし

阿辻哲次著 岩波ジュニア新書   二〇〇三   も は や 日 本 語 の 一 部 と な っ て い る 漢 字。 し か し、 「 漢 字 」 と い う 言 葉 が 示 す よ う に、 も と も と は 中 国 で 生 ま れ た 文 字 で あ る。 そ の 漢 字 を 受 け 入 れ た の は 日 本 だ け で な く、 朝 鮮 半 島 や ヴェトナムなどもそうであり、その結果、漢字は国際共通文字 としての役割を持つことになった。この地域では、話し言葉は そ れ ぞ れ 違 っ て い て も、 漢 字 を 使 っ て 交 流 し た「 漢 字 文 化 圏 」 が形成された。   では、その漢字はどのように成立したのか、どんな特徴があ るのか、それを分かりやすくまとめたのが、この『漢字のはな し』である。著者の阿辻哲次氏は「 文 も ん 字 じ 学」という文字の成り 立ちや性質を研究する専門家で、日本における漢字研究の第一 人者である。阿辻氏は漢字の成り立ちに関する本を何冊も出し ているが、本書が最も入門的な内容となっている。   本 書 で 一 番 お も し ろ い の が、 お そ ら く 第 三 章「 漢 字 の 作 り 方 」 だ ろ う。 こ こ で は、 「 漢 字 」 と い う 文 字 の し く み、 解 釈 の 方法、成り立ちが分かりやすくまとめられている。特に、漢字 の成り立ちでは、具体的にいくつかの漢字を取り上げ、その漢 字 が 作 ら れ た 社 会 的 背 景 ま で 説 明 し て い る。 ま た、 「 漢 和 辞 典 の使い方」についても言及されており、漢文学の授業を履修す る 人 や、 私 の ゼ ミ を 選 択 す る 人 は、 こ の 部 分 を 読 ん で お い て、 漢 和 辞 典 と は ど ん な 辞 書 な の か を、 是 非、 知 っ て お い て ほ し い。最後には、現代における漢字の問題を取り上げる。意外に も、コンピューターの登場によって、かえって漢字がよく使わ れるようになるとの予測を出している。本書は二〇〇三年に出 版されたものだが、その予測は当たっていると思われる。 その他の参考文献 ◦大島正二著『漢字と中国人―文化史をよみとく―』岩波新書 八二二   岩波書店   二〇〇三 ◦大 島 正 二 著『 漢 字 伝 来 』 岩 波 新 書 一 〇 三 一   岩 波 書 店   二〇〇六

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田中幹子

中古・中世の和歌・物語

本の文化

村井康彦著 岩波ジュニア新書   二〇〇二   三人で写真を撮ると、真ん中に写りたくないという人いませ ん か?   真 ん 中 に い る と 早 く 亡 く な る と い う 俗 説 が あ り ま す。 この発想の起源に、法隆寺の釈迦三尊像で有名な三尊像があり ま す。 中 央 に 置 か れ る の が 本 尊 で、 両 脇 に 脇 侍 で す。 つ ま り、 本尊は「仏」さまなので、この世の人ではない、だから真ん中 に 写 る と 早 く「 仏 」 様 に な っ て し ま う と い う 発 想 が 下 敷 き に なっているようです。     写真の立ち位置だけでなく、三尊像の影響は、室町時代八代 将軍足利義政の東山文化が作り出した、書院造りの室礼の三幅 を正式とする書画の鑑賞にも見られます。   院政期に歌聖として、六条家に柿本人麻呂の絵を飾り、左右 に草木図を供えた人麻呂影供も、横綱が太刀持ち・露払いを従 える横綱土俵入りも、発想の起源は三尊像です。   また写真に話を戻すと、魂が抜かれるという俗信が生まれる 背景には、自分の姿が撮られることへの恐怖があると思われま すが、それとまったく同じ感覚を、院政期から生まれる源頼朝 像などで知られる「似せ絵」に対して、関白九条兼実が抱いて います。     しかし今でもビデオでみると古典のイメージがよりはっきり するように、絵は、言葉よりも強く大衆の心を動かす力を持っ ています。それが、鎌倉期に『一編上人縁起絵巻』などの縁起 絵巻が大量に生まれる背景になっています。絵と文学、絵と宗 教の関係も日本文化の特徴として捉えることができます。   この本は、文学・政治・宗教・芸術というジャンルの壁を越 えて、日本文化の特徴という視点で具体的な作品・史実を解説 しています。文化学部の学生としてぜひ読んでいただきたい一 冊です。 その他の参考文献 ◦角川書店編集『源氏物語』角川ソフィア文庫ビギナーズ・ク ラシックス ◦ 岩 波 書 店 編 集 部 編『 日 本 古 典 の す す め 』 岩 波 ジ ュ ニ ア 新 書   岩波書店 ◦武光誠著『天皇の日本史』   平凡社新書

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あらすじで大づかみ

『源氏物語』

と平安文学

川合章子著 講談社α文庫   二〇〇八   古典といってまっさきに思いうかべるのは、やはり『源氏物 語』でしょう。十二単衣を身にまとい、琴を奏でて、和歌を詠 む、 そ ん な 優 雅 な 生 活 に 憧 れ を 持 つ 人 も 多 い か も し れ ま せ ん。 美しいものに取り囲まれていた女君の生活は、ひたすら男君の 訪れを待つことしか許されませんでした。どれほど、恋しくて も、女はただ待つだけ。   『 源 氏 物 語 』 に は、 数 々 の 魅 力 的 な 女 君 が 登 場 し ま す。 は か な さ、 気 高 さ、 優 雅 さ、 や さ し さ、 可 憐 さ、 妖 艶 さ、 賢 さ を 持った様々な階層・境遇・年齢の女君たちは、誰一人として魅 力のない人はいません。愛らしく、憎らしく、哀しく、おかし く、それぞれ精一杯の人生を生きます。それらの花々の間をめ ぐるのが光です。なぜ、そんな多情な男が天下随一の男性とさ れるのか。それは、平安時代の現実が、けっして恋に満ちたも のではなかったからです。   清 少 納 言 を 抱 え る 道 隆 と、 紫 式 部、 和 泉 式 部 を 抱 え る 道 長、 彼らの権力闘争は武力ではなく、どちらの娘のサロンが天皇の 心をひきつけるかというものでした。平安時代は、天皇をはじ め と し た、 高 い 位 の 一 族 と 姻 戚 関 係 を つ く る の が 政 治 で し た。 女君はそのための大切な政治上の道具。権力と結びつくために は、武力も学問も必要とされませんでした。いかに一族の中に 入 り こ む か、 い か に 一 族 の 娘 を 高 い 地 位 の 一 族 に 送 り 込 む か。 貴族の政治はそのことにあけくれていました。旅先で、琴の音 に 足 を と め て な ど と い っ た 出 逢 い は、 現 実 に は な か っ た の で す。   女君が個として尊重されていなかった時代、光は、決して家 柄では、恋をしません。光が求めるのは、教養と性格。美貌で すら、重要視しません。自分の個性、教養を発見し、評価して くれる。それも古今随一の貴公子に。これは、当時の女君の憧 れでした。   『源氏物語』は、恋物語として今もアニメや慢画としてまで、 知られています。しかし、当時の政治状況、社会体制を知って この物語を読むと、いままで見えなかった物語の奥がもっとよ く見えてきます。   この本はその道案内をしてくれます。   また、平安三才女、清少納言・紫式部・和泉式部の実態も垣 間見せてくれます。一度、手にとり、通学時でも電車の中で平 安時代にタイムスリップしてください。

(5)

金沢英之

古代文学・神話/ 〈物語〉とは何か

語の体操

みるみる小説が書ける6つのレッスン 大塚英志著 朝日文庫   二〇〇三   著者の大塚英志は、 『魍魎戦記MADARA』 『多重人格探偵 サ イ コ 』『 黒 鷺 死 体 宅 配 便 』 な ど の 作 品 を 手 が け た マ ン ガ 原 作 者 で す。 本 書 は、 原 作 者 と し て の 実 体 験 を も と に、 「 物 語 」 を 組み立てるための技術を徹底して実践的に、かつわかりやすく 説明したものです。   副題にあるとおり、内容は6つの章に分かれています。これ は、著者が実際にある専門学校で作家志願の学生を相手に行っ た 講 義 ノ ー ト を も と に し た も の で、 各 章 に は 講 義 録 風 に「 第 ○ 講 」 と つ け ら れ て い ま す。 具 体 的 に 挙 げ る と、 「 第 一 講   本 当 は 誰 に で も 小 説 は 書 け る と い う こ と 」「 第 二 講   と り あ え ず 「 盗 作 」 し て み よ う 」「 第 三 講   方 程 式 で プ ロ ッ ト が み る み る 作 れ る 」「 第 四 講   村 上 龍 に な り き っ て 小 説 を 書 く 」「 第 五 講   「行きて帰りし物語」に身を委ね「主題」の訪れを待つ」 「第六 講   つげ義春をノベライズして、日本の近代文学史を追体験す る」 、です。   本 書 が 従 来 の 小 説 入 門 の 類 と 一 線 を 画 す の は、 物 語 作 り を、 特別な能力を必要とせず、手順さえ踏めば誰にでもできる行為 として位置づけていることです。実際、私のゼミではこの本を テ キ ス ト と し て 物 語 の プ ロ ッ ト( あ ら す じ ) 作 り を 行 い ま す が、独りの例外もなく、完結したプロットを作ることができる ようになります。   本 書 の 面 白 さ は そ う し た 技 術 的 な 面 ば か り で は あ り ま せ ん。 身をもって物語を扱ううちに、物語というものがいったいどの ような要素から成り立っているのか、物語が人間にとってどう い う 意 味 を 持 つ の か、 そ も そ も な ぜ 物 語 は 生 ま れ て く る の か、 そういった問題へと、読者は自然に導かれることになるでしょ う。そこからさらに考え続けるためのヒントもいろいろとちり ばめられています。物語に興味のある人は必読の一冊です。 その他の参考文献 ◦大塚英志『キャラクター小説の作り方』角川文庫 ◦ウラジーミル・プロップ『昔話の形態学』水声社 ◦ジェラール・ジュネット『物語のディスクール』水声社 ◦折口信夫「小説戯曲文学における物語的要素」 (『折口信夫全 集』4)中央公論社

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山橋幸子

言語学・日本語文法・日本語教育

外国語としての日本語

佐々木瑞枝著 講談社現代新書   一九九四   日本語教育では日本語を母語としない人を対象として、世界 の一言語としての日本語を教える。他の言語との比較における 日本語の特徴を理解し、客観的体系的に説明できることが要求 さ れ る。 例 え ば、 非 母 語 話 者 は「 難 し か っ た 」、 「 難 し く な い 」 と言うのに「きれいかった」や「きれいくない」が受け入れら れないのは何故なのか疑問に思う。日本語母語話者には奇異に 思える「私も寂しがっています」にも日本語の感情形容詞の説 明が必要になる。そして非母語話者が「ビール」を「ピル」と 発音してしまうのはどのような理由によるものなのか。これら の疑問や問題を理解し解決するのは、日本語が当たり前の母語 話者にとって容易なことではない。学習者のこのような疑問や 問題と向き合い、理解する視点を養い、日本語を客観的に見つ め説明できる力の養成に役立つのが本書である。本書は著者の 経験を基に、外国語としての日本語教育において特に重要なポ イントが、以下のように七つの章に分けて書かれている。 第1章   日本語の音はここが違う――音声 第2章   動詞はどう教えるか――文法I 第3章   動詞のさまざまな形――文法Ⅱ 第4章   形容詞と受身――文法Ⅲ 第5章   待遇表現の指導――文法Ⅳ 第6章   言葉を覚える、文章を書く――語彙と作文 第7章   言葉にできないものを教える   普通にしていたら気が付かない奥底に潜んでいる日本語の特 徴が、日常生活を通して経験する学習者の生の声を実例として 平易な言葉で書かれていて、楽しく深く学ぶことができる。実 際の授業で利用できる練習問題や教材の例と共に教授法も勿論 紹介されている。外国語としての日本語教育に関心のある人は 勿論、言葉としての日本語の特徴に関心のある人に是非推薦し たい一冊である。 その他の参考文献 ◦上山あゆみ『はじめての人の言語学――ことばの世界』くろ しお出版 ◦柴田武『日本語はおもしろい』岩波新書 ◦ Jorden, Eleanor Hartz Japanese: The Spoken Language

Yale University Press

(7)

渡辺さゆり

日本語史、訓点語学/日本語の文字表記

本語の歴史

山口仲美著 岩波新書   二〇〇六   私たちが日常使用している日本語は常に変化している。最近 の若者の言葉づかいについて「乱れてきた」と危惧する人たち がいるが、日本語は太古の昔から常に変化し続けているのであ り、若者の言葉づかいも乱れてきたのではなく、変化し続ける 日本語の一側面を呈しているだけである。   本書は変化し続ける日本語を、以下の如く歴史軸に沿って通 観した書籍である。 Ⅰ   漢字にめぐりあう―奈良時代   Ⅱ   文章をこころみる―平安時代 Ⅲ   うつりゆく古代語―鎌倉・室町時代 Ⅳ   近代語のいぶき―江戸時代 Ⅴ   言文一致をもとめる―明治時代以後   日本語を学ぶ際には文法や仮名遣い、音韻や文体といった初 学者にとって多少眉をしかめたくなるようなテーマを回避する ことはできないが、本書では難しい解説ではなく古典文学や古 史料から多くの引用文を実例として掲載し、平易な表現でわか りやすく説明している。また引用文には現代語訳を付し、古典 が苦手な人にも内容が理解できる工夫が施されている。   巻末に掲載されている本書執筆のための「参考文献」リスト は、そのまま日本語史を学ぶ学生の必読書リストでもある。是 非、本書を読み終えた後に読んでもらいたい。   日本語の歴史に興味がある学生はもちろん、現代日本語や日 本文学に興味がある学生にも是非推薦したい。新しい発見を必 ず得ることができる一冊である。 その他の参考文献 ◦小松英雄著『いろはうた』中公新書 ◦築島裕著『日本語の世界5   仮名』中央公論社 ◦築島裕著『歴史的仮名遣い   その成立と特徴』中公新書 ◦笹原宏之著『日本の漢字』岩波新書

(8)

訓読みのはなし

―漢字文化圏の中の日本語 笹原宏之著 光文社新書   二〇〇八   日本語を表記する際に用いる漢字は元来中国で生まれた文字 で、日本人はその漢字を受け入れ、日本語を表記するようにな りました。さらに漢字と和語(大和言葉)を結びつけることに より日本における訓読みが誕生したのです。訓読みはかつて漢 字文化圏諸国で行われていましたが、現在、多彩な訓読みが一 般的に用いられているのは日本だけでしょう。この多彩な訓読 み は 日 本 語 表 記 を 複 雑 な も の に し て い る こ と は 否 め ま せ ん が、 一方で表記の自由度を高めているのも事実です。本書はこの訓 読みについて、具体例を数多く示しながら、わかりやすい解説 を施しています。   本書には当初「月極駐車場―「ゲッキョク」と読んだことは あ り ま せ ん か?」 と 書 か れ た 帯 が 付 さ れ て い ま し た。 「 月 極 」 を「 つ き ぎ め 」 と 読 む こ の 熟 語 は、 現 在 の 学 校 教 育 に 登 場 し ま せ ん。 「 極 」 に つ い て 本 書 で は 次 の よ う に 説 明 し て い ま す。 「極」の訓読みは常用漢字表によると「きわめる」で「きめる」 ではないが、日本では江戸時代から「きめる」という意味と訓 が存在し、明治の国語辞書『言海』でも「きめる」の見出し表 記 に は「 極 」 し か 掲 げ ら れ て お ら ず、 「 つ き ぎ め 」 の 表 記 も 明 治初期から「月極」と表記されていた。しかし戦後の当用漢字 で「きめる」は「決」 、「きわめる」は「極」と役割分担が明確 化 さ れ、 そ れ 以 降 は「 極 」 を「 き め る 」 と は 読 ま な く な っ た。 つ ま り、 「 月 極 」 を「 つ き ぎ め 」 と 読 む の は 明 治 時 代 の 名 残 と いうことになります。余談ですが「極」の説明の最後に「北海 道や四国辺りの地方で「月決め」という異表記を目にすること がある。 」と書かれており、確かに札幌近辺では「月極」 「月極 め」 「月決」 「月決め」の表記を確認することができますが、こ の多彩さは全国でも珍しい現象です。   「 極 」 以 外 に も 様 々 な 訓 読 み や そ の 背 景 に つ い て 説 明 が 続 き ますが、最終章に「東アジアの訓読み」として中国における訓 読み(漢字をそれ本来の漢語による字音とは別の漢語によって 発 音 す る )、 朝 鮮・ 韓 国 や ベ ト ナ ム に お け る 訓 読 み に つ い て の 説明があり、漢字文化圏諸国における多彩な漢字受容の実態を 確認することができます。

(9)

日本語の奇跡

―〈アイウエオ〉 と〈いろは〉 の発明 山口謠司著 新潮新書   二〇〇七   現在の学校教育で最初に習う文字はひらがなです。ひらがな を 学 ぶ こ と に よ っ て、 日 本 語 の 文 章 を 書 け る よ う に な り ま す。 その後、カタカナを学び、さらに漢字を学習します。学校教育 でひらがなやカタカナは「五十音図」を使って学びますが、こ れは一九四七年(昭和二二年)以降のことで、それ以前ひらが な の 学 習 に 使 わ れ た の は「 い ろ は 」、 カ タ カ ナ は「 五 十 音 図 」 でした。それは文字を学ぶというより、日本語の発音が体系的 に羅列された「五十音図(カタカナ) 」で発音を学び、 「いろは にほへとちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)…」と七五調形 式 の 歌 で あ る「 い ろ は( ひ ら が な )」 に よ っ て 日 本 人 の 情 緒 や 繊細さを習得したと言えるでしょう。このようなひらがなやカ タカナは漢字が形を変えて成立した文字ですが、では、いつ頃 どのような環境で誕生したのでしょうか?   本書は、漢字が日本に伝来して以降、日本語表記のためにど のように用いられ変化したのか、また日本語の発音が変化する 中で、文字として表記されたひらがなやカタカナは、その後の 日本語の歴史(近代に至るまで)にどのような影響を与えたの か、などについてわかりやすく説明しています。単に歴史的な 言語現象を述べるだけではなく、聖徳太子、空海、明覚、藤原 定家、本居宣長など、日本史を彩る人物たちの言葉に関する業 績や、彼らの背景にあった政治体制、宗教、そして彼らがどの ように中国文化を受け入れたのか、あるいは日本文化にどのよ うに影響をもたらしたのかについても述べられており、大変興 味をそそられる展開となっています。本書によって、日本語史 上のさまざまな問題点を理解することができるでしょう。   本書の「あとがき」にも書かれていますが、ひらがなと「い ろは」は空海によって作られ、カタカナと「五十音図」は吉備 真備によって作られたというのは伝説です。伝説ではない歴史 には伝説以上に興味深い事実や背景が存在します。日本語の歴 史 も 同 様 で す。 そ の 歴 史 と 向 き 合 い な が ら、 〈 ア イ ウ エ オ 〉 や 〈いろは〉の役割を考えるのも面白いかもしれません。

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小笠原はるの

言語コミュニケーション

言語主義とは何か

三浦信孝編 藤原書店   一九九七   近代以降、わたしたちは、ことばと人の関係をどのようにと ら え る よ う に な っ た の だ ろ う か。 ま た、 そ の 結 果 形 成 さ れ た わ た し た ち の 言 語 観 と は ど の よ う な も の な の だ ろ う か。 た と えば、わたしたちがことばの数を数えたり、表したりするとき に、 「 二 カ 国 語 放 送 」 だ と か「 三 ヶ 国 語 話 せ る 」 と 表 現 し、 わ たしたちのことばとは異なることばを指し示して「外国語」と 言 い 表 す。 そ こ に ど う し て「 国 」 と い う こ と ば が 現 れ る の だ ろ う か。 ま た、 「 日 本 人 」 の「 母 国 語 」 は「 日 本 語 」 で あ る と 思 っ て い る こ と が 多 い。 し か し、 「 日 本 語 」 を「 母 国 語 」 と し て 考 え て い る 人 は、 「 日 本 人 」 だ け な の だ ろ う か?   ど う し て 「 日 本 人 」 は「 日 本 語 」 を 話 す 人、 と い う 風 に 考 え て し ま う の だろうか?「日本語」を話すことができない「日本人」は存在 するのだろうか?   このように考えると、わたしたちの意識の 奥 深 く に は、 「 ひ と つ の 言 語 は ひ と つ の 国 家 に 対 応 す る 」 と い う考え方が埋め込まれていることがわかる。   本書は、そういった近代が生み出した幻想のひとつ、一国家 一言語、一民族一言語という神話を異なる専門領域を持つ研究 者たちが解体し、具体的事例を挙げながら「幻想後」の世界の あり方とその言語的可能性を示す試みである。どのようにして わたしたちは「ことば」を国家単位でとらえるようになったの か、ということから始まり、近代国民国家とその言語政策、こ とばを通じた植民地支配、多言語主義に基づく言語、文学、翻 訳 の 可 能 性 な ど に 触 れ、 「 こ と ば 」 に 関 す る 新 し い パ ー ス ペ ク ティブを紹介している。   人と「ことば」に関する疑問を問題意識のとりかかりとして 本 書 を 読 み、 「 言 語 は コ ミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン の 道 具 で あ る だ け で なく、世界認識の方法でもある」ことをぜひとも確認してほし い。 その他の参考文献 ◦西成彦著『新編   森のゲリラ   宮澤賢治』平凡社 ◦西川長夫著『国境の越え方―国民国家論序説』平凡社 ◦ ア ブ デ ル ケ ビ ル・ ハ テ ィ ビ 著 / 渡 辺 諒 訳『 異 邦 人 の フ ィ ギュール』水声社 ◦ピエール・ブルデュー著/稲賀繁美訳『話すということ―言 語的交換のエコノミー』藤原書店

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エクソフォニー

母語の外へ出る旅 多和田葉子著 岩波書店   二〇〇三   二 十 世 紀 文 学 に は、 二 通 り の パ ラ ダ イ ム が あ る と い え よ う。 ひとつは、ひとつの共同体での体験を、その言語で内部まで掘 り下げて書く方法。もうひとつは、一人の作家が、複数の言語 や 文 化、 共 同 体 を 体 験 し て 書 く 方 法。 こ こ で は 後 者 の 例 と し て、日本人でありながらドイツ語でも作品を発表している多和 田葉子をあげたい。サルマン・ラシュディらのように旧英国植 民地出身の作家が英語で作品を書き、世界的に読まれるように なるというのは、今ではめずらしいことではない。しかし、多 和田のように移民や帰国子女でもない者が海外に住み、その国 の言葉で創作をし、成功するというのはグローバル化された社 会でもまだまれである。   多和田の作品は、物語の断片から新たな物語が創られていっ たり、好奇心溢れる言葉が重層的に交差したりと、興味深い世 界を作っている。そういった物語と詩を自在にあやつる著者が 展開した一つの文学思想が本書の題名ともなっている「エクソ フォニー」である。この言葉は、私たちが母語の外に出た状態 一 般 を 指 し て い る と い う。 「 エ ク ソ 」 的 に 外 に 出 て い く、 つ ま り私たちがいったん自分の母語の外に出れば、意味が失われ音 が 聞 こ え て く る が、 そ の 音 が 再 び 意 味 に な る 前 に、 あ る い は、 再び言葉になる前に、その場で縦横無尽に奏でられる音楽。そ れ が エ ク ソ フ ォ ニ ー と 呼 ば れ る。 多 和 田 は い う。 「 わ た し は た くさんの言語を学習するということ自体にはそれほど興味はな い。言葉そのものよりも二カ国語の間の狭間そのものが大切で あるような気がする。わたしはΑ語とΒ語の間に、詩的な峡谷 を見つけて落ちて行きたいのかもしれない」 (三十一頁) 。   「 エ ク ソ フ ォ ニ ー」 は、 亡 命 や 移 民 と い っ た 外 側 か ら の 言 語 感 覚 で は な く、 創 作 者 の か ら だ の 内 側 に あ る も の で、 〈 こ と ば にさらされて言葉を書くという〉言語表現者なら誰もが体験し ている本質的な感覚をあらわしている。本書は、ことばにさら さ れ た 者 の 記 録 で あ り、 そ れ 自 体 が こ と ば の 身 体 論 と も い え る、斬新な発想と観点から語られており、すぐれて現代的な文 学思想である。 その他の参考文献 ◦李良枝『由熙・ナビ・タリョン』講談社文芸文庫 ◦リービ英雄『星条旗の聞こえない部屋』講談社 ◦村上春樹『やがて悲しき外国語』講談社

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佐藤勝彦

教 育 工 学、 メ デ ィ ア・ リ テ ラ シ ー 教 育・ ネ ッ ト ワ ー ク 文化論

ディア

リテラシーを

学ぶ人のために

鈴木みどり編著 世界思想社   一九九七   「 メ デ ィ ア・ リ テ ラ シ ー」 と は、 メ デ ィ ア か ら の 情 報 を 社 会 的 文 脈 の 中 で 読 み 解 く 力、 単 な る 情 報 の「 受 け 手 」 で は な く、 社会との関りの中でクリティカルに「読み手」としての主体性 が問われる能力を指している。本書は、1997年の出版であ る。当時、オウム事件や松本サリン事件、阪神大震災などの事 件や自然災害がニュースとして報道された。報道するメディア 自身が多くの問題を露呈し、メディアに対する不信感が高まっ た時期でもあった。この頃からメディア・リテラシーに対する 関心が高まり、メディア・リテラシー教育の必要性を主張する 人々が増えた。   メディア・リテラシーへの関心の高まりは、時代の要請でも ある。マス・メディアから一方的に発信される大量の情報を受 容 す る 社 会 シ ス テ ム が イ ン タ ー ネ ッ ト の イ ン フ ラ 整 備 に よ り、 市民が情報を発信するツールを手にした。情報の双方向性であ る。インターネットはメディアと私たちの関係を大きく変化さ せた。   本 書 で は、 理 論 か ら 実 践 ま で、 こ れ か ら メ デ ィ ア を 学 ぼ う と す る 人 々 に は 最 良 の テ キ ス ト で あ る。 実 践 で は、 テ レ ビ の ニ ュ ー ス 番 組 や ド ラ マ、 広 告( C M )、 ア ニ メ ー シ ョ ン 番 組、 新聞、映画、インターネットと幅広く取り上げられている。ま た理論では、この領域の先駆的研究者であるレン・マスターマ ンの論文が収録されている。   興味が惹かれる実践記録として、著者(鈴木みどり氏)が大 学 の 学 生 と の 共 同 研 究 で、 阪 神 大 震 災 発 生 の 翌 日 の 今 日 一 日 の ド キ ュ メ ン ト で、 N H K、 日 本 テ レ ビ、 T B S、 フ ジ テ レ ビ、 テレビ朝日、テレビ東京の六つの番組を分析し、火災・崩壊現 場・避難所・ガス漏れ……インタビュー・BGMなど多角度に 渡って分析を行っている。 その他の参考文献 ◦梅田望夫著『ウェブ進化論』ちくま新書 ◦保岡裕之著『メディアのからくり』ベスト新書 ◦ ノ ー ム・ チ ョ ム ス キ ー 著 / 鈴 木 主 税 訳『 メ デ ィ ア・ コ ン ト ロール』集英社新書 ◦菅谷明子著『メディア・リテラシー』岩波新書 ◦逢沢明著『ネットワーク思考のすすめ』PHP新書

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プロパガンダ

~広告 ・ 政治宣伝のからくりを見抜く~ A・プラトカニス/ E . アロンソン著 社会行動研究会訳 誠信書房   一九九八     1934年、レニ・リーベンシュタールの制作映画「意志の 勝利」は 20世紀における最も効果的なプロパガンダ映画と言わ れています。   現代におけるプロパガンダは、アメリカにおける湾岸戦争へ の武力行使の正当性をアメリカ国民に訴えかけた一人の少女の 証言でした。   1990年 10月、米国議会下院における公聴会で、 15歳のク ウェート少女ナイラは産婦人科病院で目撃した一部始終を涙な がらに証言しました。その内容は「乱入してきたイラク兵たち が、 生 ま れ た ば か り の 赤 ち ゃ ん を 保 育 器 か ら 一 人 ず つ 取 り 出 し、床に投げ捨てて殺した」ということでした。ナイラ証言は 全国ネットで放映され、多くのアメリカ国民は残虐なイラク兵 に激怒し、クウェートに同情する気運が高まりました。ベトナ ム戦争で多くの若者を失った米国民は戦争参加に消極的でした が、このキャンペーンで一転しました。   大統領をはじめイラク攻撃賛成議員たちは、議会で何度もナ イ ラ 証 言 を 繰 り 返 し 訴 え、 国 連 安 保 理 事 会 も 武 力 行 使 を 容 認 し、アメリカ国民を戦争へと導くことになりました。   この湾岸戦争で 10万人以上のイラク兵が戦死し、イラクの敗 北で終わりました。   その後、ニューヨークタイムズ紙の記者が、ナイラ証言はす べて嘘であり、彼女は駐米クウェート大使の娘であることを明 らかにしました。このプロパガンダはクウェート政府が米国の PR会社ヒル&ノートン社に莫大な報酬を支払い、戦争に向け てアメリカの世論を味方につけることに成功しました。   本書では、現代に生きる私たちが、大衆操作の企てや集団規 模の説得の標的になっていることに警笛を鳴らし、プロパガン ダのカラクリを見抜く方法を提供しています。今日におけるメ デ ィ ア の 進 化 は、 よ り 複 雑 で 洗 練 さ れ た プ ロ パ ガ ン ダ・ テ ク ニックが使用されます。特に、インターネット時代に交換され る情報が、フェアなメッセージなのか騙しの手口なのかを見抜 くスキルが要求されます。一読をお勧めします。 その他の参考文献 ◦ギュスターヴ・ル・ボン著/桜井成夫訳『群衆心理』講談社 学術文庫 ◦ノーム・チョムスキー著/本橋哲也訳『メディアとプロパガ ンダ』青土社 ◦ ノ ー ム・ チ ョ ム ス キ ー 著 / 鈴 木 主 税 訳『 メ デ ィ ア・ コ ン ト ロール~正義なき民主主義と国際社会~』 集英社新書 ◦ セ バ ス チ ャ ン・ ロ フ ァ 著 / 原 正 人、 古 永 真 一、 中 島 万 紀 子 共 訳『アニメとプロパガンダ』法政大学出版局

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偉雄

日中比較文学文化/異文化理解への道

文脈の近代

斎藤希史著 名古屋大学出版会   二〇〇五   こ の 本 の 扱 っ て い る 主 題 と い う の は、 「 十 九 世 紀 後 半 か ら 二 十 世 紀 に か け て、 か つ て な い ほ ど 相 互 に 交 通 し 作 用 し あ っ た 日 本 と 中 国 に 起 き た écriture の 変 容 で あ る。 そ こ に 生 じ た 「 漢 文 脈 」 の 新 た な 展 開 を、 文 学 史・ 小 説・ 翻 訳・ 作 文 な ど、 書 く こ と と 読 む こ と の 場 に 即 し て 捉 え、 近 代 の 意 味 を 問 う 論 考」であると、著者ははじめに示している。   推 敲 と し て は、 著 者 が 自 ら 示 し て い る よ う に、 「 テ ク ス ト を 単一において理解するのでなく、複数のテクストの間において 理解する」という研究手法をとっている。これによって行文に は自在に文献を操り、興味深い指摘が随所見かけられる。その 一例を挙げてみよう。   第Ⅱ部「梁啓超と近代文学」において、梁啓超と日本文学の 関係を簡単に「影響や受容」という捉え方を採らないで、梁啓 超が明治日本との関わりの中で、新しい小説論の構築ができた のは、その間に「文脈」が存在していたからだと、問題提起を し て い る。 文 中 で は「 粤 語 」 を 母 語 と す る 梁 啓 超 の 出 自 か ら、 光緒帝に謁見を賜ったにもかかわらず、大した出世も叶わない 「 真 相 」 を 一 つ の 切 口 に し、 梁 啓 超 の 言 語 意 識 を 突 き 止 め る。 梁啓超にとって「文」としての文言がある一方、実用性に徹し た「質」の言語もある。この文脈から梁啓超にとっての粤語の 存在意味が見出せ、彼にとっての日本語の位置付けも十分に把 握することができたのである。   本書はまた小細工に懲り特殊な学界用語をふりかざし中核が 不可解のままにしておく類いのものとは違い、入門者にとって も十分読解可能なものである。学術図書であると同時に、平易 明晰で楽しく読むことのできる一冊である。 その他の参考文献 ◦溝口雄三 『中国の衝撃』東京大学出版会   一九八九年六月 ◦ 蔡 毅 ( 編 集 )『 日 本 に お け る 中 国 伝 統 文 化 』 勉 誠 出 版   二〇〇二年四月 ◦ 浜 下 武 志『 東 ア ジ ア 世 界 の 地 域 ネ ッ ト ワ ー ク 』 国 際 文 化 交 流 推進協会   一九九九年五月 ◦ 中 野 美 代 子『 乾 隆 帝 ― そ の 政 治 の 図 像 学 』 ( 新 書 ) 文 藝 春 秋 二〇〇七年四月

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比較文学考

張偉雄著 白帝社   二〇一二   比較文学文化研究は、一国の文学文化現象を世界の文学文化 現象の大海に放出して考察するようなもので、研究方法として は影響研究、対比研究など多岐にわたって行われてきたが、近 年来、翻訳の研究や、異文化理解の研究なども盛んに行われて い る。 異 文 化 理 解 と は 何 か を 考 え る と き、 「 異 文 化 を ま た が っ て生きた人物」に焦点を当てることは、一種の有効な手段であ る。ダイナミックな文化交流の中で、同化、統合、共生といっ た 複 雑 な 相 互 作 用 を 通 し て、 自 文 化 や 異 文 化 は 再 構 築 さ れ た り、再生産されたりするのである。文化交流の重要な媒体であ る人物の異文化体験を考察することは、こういった再構築され た文化を解明する鍵でもある。   近代以来、日本や中国において多くの異文化体験の先駆者が いた。かれらは貴重な体験をもとに、数多くの異文化体験談を 残してくれた。その数多くの異文化論の中から、たまに非常に 排他的、攻撃的な異文化論も見当たるが、異文化を自分自身の 文化的養分として積極的に吸収し、自文化、異文化にも多大な 貢献を成し遂げてきた人物も多く存在している。本書では外交 官の黄遵憲や同時代の牧野義雄などに焦点を当てて、異文化理 解、共生のメカニズムを探求してみる。   比 較 文 学 文 化 研 究 の 方 法 論 と し て、 「 翻 訳 研 究 」 は 東 ア ジ ア において盛んに行われているものである。本書ではイギリスの 東洋学者、翻訳者である Arthur Waley を中心に、翻訳におけ る「変容」の実態及び原因を分析してみる。   翻訳者の Arthur Waley は文学者に対する最大の理解者の一 人 で あ る。 「 文 学 者 は か れ ら の 感 情、 喜 怒 哀 楽 と い う も の を 作 品に注いでいるので、訳者がそれを感じとれなくて、単に無味 乾燥に辞書に載っている言葉を羅列するに止まったら、まった く 原 作 を 代 訳 す る 資 格 が な い!」 か れ は こ の よ う に 発 言 し 翻 訳 活 動 を 実 践 し て い る。 一 国 の 作 品 を 外 国 語 に 翻 訳 す る と き に、翻訳者は意識的に或いは無意識的にどうしても自ら翻訳文 に潜り込んで、自分の感動を翻訳文の読者に与えようとするの である。これは文学の翻訳は一種の再創作であると言われる所 以 で あ る。 Arthur Waley の 翻 訳 に は、 再 創 作 に よ る 変 容 が 多 く見える。翻訳の変容を指摘することによって、異文化に位置 する原作者、翻訳者、或いはその両文化に位置する読者層に対 する認識を深めていく事ができ、異文化理解につながるもので ある。本書は以上のような角度で「異文化理解」と「翻訳の変 容」の両端を探ってみるものである。

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ファビオ・ランベッリ

比 較 宗 教 ・ 文 化 記 号 論 / 日 本 と イ タ リ ア の 比較宗教 ・ 日 本 に お け る イ ン ド 文化 の 影響

ザー・

サイド

イシュトバン・バンニャイ著 ブッキング   二〇〇六   異 文 化 の 理 解 は「 異 化 」 か ら 始 ま る こ と が 多 い。 異 化 と は、 私達の周りにある、ごく普通で日常的なものごとになにか不思 議な感じを覚えて、それらを違う目で見る切っ掛けになる、と いうことです。自文化を違う目で見るようになったら、それま で想像もしなかった多様性・複雑性・重層性などが見えてきま す。異化によるこの自文化の多様性の意識こそ、異文化の研究 と理解に欠かせないことです。   しかし、異化は自然に生まれてこないので、異化を生み出す 態度を育てるのに様々な練習や体験が非必要ですが、異化は型 に囚われないまたは型を破る感性なので、型を教えるマニュア ルではなかなか身に付かないでしょう。   そこで、異化という感性を身に付けたい人には、この本を強 く 薦 め ま す。 著 者 の バ ン ニ ャ イ さ ん は ハ ン ガ リ ー 出 身 ニ ュ ー ヨーク在住のイラストレータで、その作品には非常に面白い物 事 の 見 方 が 提 示 さ れ る の で す。 こ の『 ア ザ ー・ サ イ ド 』 で は、 タイトルからもわかるように、各ページの映像を次のページに 違う観点、関連性・枠組み――いわば「向こうから」見る試み です。頭が痛くなるほどのビジュアルなアドベンチャーを読者 に経験させてくれます。結果的には、映像の向こう側にいる相 手の立場に立って世界(私たちも含めて)を違う目で見て、数 多くの新しい関連性を意識して、本を読み終わるともっと豊か な世界、もっと豊かな自分を発見することになるでしょう。   ゼミのテーマとは直接関係のない本ですが、ものごとの新し い見方そのものを感覚的に教えてくれるということで、貴重な 教材になると思います。 その他の参考文献 • イ シ ュ ト バ ン ・ バ ン ニ ャ イ『 ZOOM ズーム』ブッキング • イ シ ュ ト バ ン ・ バ ン ニ ャ イ『 RE-ZOOM リ ズ ー ム 』 ブ ッ キ ン グ

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松友知香子

美学・芸術学

入門

 

MOT コレクションを中心に 長谷川祐子編 淡交社   二〇一〇   こ の 本 は、 ア ー ト を 通 し て 自 分 の 柔 ら か い 感 性 と 向 き 合 い、 「 自 分 の 心 を 自 由 の な か に 解 き 放 ち た い 」 と 願 う 女 の 子 の た め の現代アート入門書です。筆者は、東京都現代美術館キュレー ターの長谷川祐子氏。キュレーター(学芸員)とは、美術館や 博物館で展覧会を企画し、アートと人々の出会いの場を創造す る人です。   アートは、アーティストが生まれてから見てきたもののすべ ての集積を、こころのフィルターで 濾 ろ 過 か し、現実世界のなかで 表現したものです。そこでは通常の世界観が反転して存在して います。たとえば自分の傷つきやすさは敏感な感覚の現れとし て、不安や反発は、社会の常識に対して自分の特異性を自覚し つづける心の強さとして受けとめられます。このようなアート が、本書では数多く紹介されており、自分の世界をより豊かに 広げていくことができるでしょう。   長谷川氏は、 「ふにゃふにゃの、自分の形がまだきまらない、 で も 変 わ り た い と 思 っ て い る た よ り な い 女 の 子 が、 い ろ ん な ア ー ト に 出 会 う た び、 『 よ く わ か ら な い け れ ど、 な ん だ か 惹 き つけられたり』 、『目をそむけたくなるけど、記憶に焼きついて 離れないので、おそるおそる戻ってみたい』と感じたとき、こ の 本 を 思 い 出 し て 欲 し い と 述 べ て い ま す が、 性 別 に 関 係 な く、 若々しい感性を持ったすべての学生に読んでもらいたい一冊で す。 そのほかの参考文献 • 三 浦 篤 著『 ま な ざ し の レ ッ ス ン 1   西 洋 伝 統 絵 画 』 東 京 大 学出版会   二〇〇一 • ホ ン マ タ カ シ 著『 た の し い 写 真   よ い 子 の た め の 写 真 教 室 』 平凡社   二〇〇九

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川村清志

文化人類学、映像文化論 新 * 編・

鬼の玉手箱

―外部性の民俗学― 小松和彦著 福武書店   一九九一   呪 い や 憑 物、 鬼 と い う と、 オ カ ル ト 小 説 や 映 画、 あ る い は ファンタジーの世界のことだと思われます。しかし、日本の文 化の奥底には、このような「闇」の部分が常に潜んでいます。   筆 者 の 小 松 和 彦 さ ん は 文 化 人 類 学 者 で、 日 本 の 民 俗 文 化 の 「 闇 」 の 部 分 に 注 目 し て 研 究 し て こ ら れ た 方 で す。 小 松 さ ん は 中世以後の昔話や伝説を文化人類学的な構造分析の手法を用い て 考 察 す る 一 方 で、 四 国 の 山 村 で の フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 通 し て、 「 い ざ な ぎ 流 」 と い う 謎 に 満 ち た 民 俗 宗 教 の 研 究 も 続 け て こられました。   こ の 本 は、 小 松 さ ん が 自 身 の 研 究 テ ー マ を 選 ん だ 過 程 や フィールドワークの体験、そこで得られた成果をわかりやくま とめた本です。自らがフィールド先で「崇り」にあった経験な ど も 紹 介 し つ つ、 「 異 人 殺 し 」 や「 憑 霊 」、 「 犬 神 」、 「 河 童 」 な ど の 分 析 が、 矢 継 ぎ ば や に 進 め ら れ て い き ま す。 一 読 さ れ れ ば、 こ こ に 登 場 す る 不 可 思 議 な 昔 話、 伝 説、 そ し て 民 俗 宗 教 は、日本文化を陰から支える重要な役割を果たしてきたことが 理解できるでしょう。   しかもこのような民俗文化は、単に歴史資料のなかの存在で はありません。それらの一端は、今日のフィールドワークを通 し て も 接 近 す る こ と が 可 能 な の で す。 そ の よ う な 説 話 や 信 仰 は、独自の世界観のもとに存在し、多くの人々に共有されてき たことも、この本は教えてくれます。   さ ら に 本 の 後 半 で は、 一 連 の 妖 怪 ブ ー ム や、 「 口 裂 け 女 」 の ような都市伝説についての検証もなされています。そこで記さ れた分析の視点は、現在のメディアミックスのなかで展開する ゲームやアニメのファンタジー世界を考察するうえでも、重要 なヒントを与えてくれるでしょう。 他の参考文献 ◦柳田国男『妖怪談義』講談社学術文庫 ◦岡野弘彦『折口信夫の晩年』中公文庫 ◦山口昌男『道化の民俗学』ちくま文庫 ◦中沢新一『僕の叔父さん網野善彦』集英社新書

歴史文化コース

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川上

日本北方史 日 * 本の時代史 19

蝦夷島と北方世界

菊池勇夫編 吉川弘文館   二〇〇三   こ れ ま で 多 く の 日 本 史 の 通 史 が 編 さ ん・ 発 行 さ れ て い る が、 蝦夷地や北海道がその一冊に加えられたのは、本書が初めてで ある。それも日本史関係出版では、最も定評のある吉川弘文館 の通史に納められた意義は大きい。   北海道を中心とした北方の歴史は、古くは旧石器時代から縄 文時代・続縄文時代・オホーツク文化時代・擦文文化時代とい う考古学的な時代から、アイヌの時代へと移行する。さらにこ のアイヌの時代は、日本史では古代・中世~近世・近現代と重 なる。この蝦夷地の中心にいた人は、アイヌであった。アイヌ 民族の歴史はそれ自体、研究が進んでいるが、アイヌ民族は自 ら の 文 字 を 持 た な か っ た こ と か ら、 歴 史 を 復 元 す る の が 難 し い。 現 在 で は、 歴 史 学( 文 献 学 ) を は じ め、 考 古 学・ 民 族 学・ 美術史などからの研究により、その歴史が少しずつ明らかにな りつつある。そこで重要なのは、いつの時代でもアイヌ民族が 孤立していたのではなく、周辺地域との活発な交流・交易を通 じて、アイヌ社会が成立していたことである。   本 書 は、 以 上 の 課 題 に よ っ て 六 人 の 執 筆 者 に よ っ て、 次 の テ ー マ に よ り 構 成 さ れ て い る。 「 蝦 夷 島 と 北 方 世 界 」( 菊 池 勇 夫 )・ 「 北 方 社 会 の 物 質 文 化 」( 越 田 賢 一 郎 )・ 「 北 東 ア ジ ア か ら みたアイヌ」 (榎森進) ・「アイヌ女性の生活」 (児島恭子) ・「ア イ ヌ の『 自 分 稼 』」 ( 谷 本 晃 久 )・ 「 蝦 夷 島 の 開 発 と 環 境 」( 菊 地 勇夫) ・「日露関係のなかのアイヌ」 (川上淳)   本書により、北方史の杜に足を踏み入れ、豊かな北方社会の 歴史を学んでみよう。 その他の参考文献 ◦榎森進著『アイヌ民族の歴史』草風館   二〇〇七 ◦ 菊 地 勇 夫 著『 ア イ ヌ 民 族 と 日 本 人   東 ア ジ ア の な か の 蝦 夷 地』朝日選書   朝日新聞社   一九九四 ◦根室シンポジウム実行委員会編『三十七本のイナウ―寛政ア イヌの蜂起二〇〇年』   北海道出版企画センター   一九九〇 ◦藤田覚著『松平定信』中公新書   中央公論社   一九九三 ◦ 山 本 博 文 著『 日 本 史 の 一 級 史 料 』 光 文 社 新 書   光 文 社   二〇〇六

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漂流民とロシア

北の黒船に揺れた幕末日本   木崎良平著 中公新書   一九九一   江戸時代に日本からロシアへ漂流した者が多数いた。一番有 名なのは、伊勢の漂流民大黒屋光太夫であろう。また、日本の 歴史に記録されていない伝兵衛やゴンザなどもいたことが、ロ シアの記録で分かっている。   著者の木崎良平氏は、ロシア史の研究者であったが、日本か らの漂流民を研究した第一人者もであった。本書はその研究成 果を一般向けに分かり易く著されている。しかし、それぞれの 漂流については詳細に記述されていて、ロシアへの漂流民につ い て 知 る 研 究 の 出 発 点 と し て、 是 非 と も 参 考 に す べ き 一 冊 と なっている。   本書が目指したのは、ただの詳細・正確という歴史事実の洗 い出しではない。明治政府が江戸幕府の否定の上に成立し、江 戸時代を 「 鎖国」としたことへの批判である。最近では高校教 科 書 で も「 鎖 国 」 は 訂 正 さ れ つ つ あ る が、 「 鎖 国 三 〇 〇 年 的 史 観」が生き残っているとし、本書は、こうした古い歴史観を乗 り越え、日本の「鎖国」への道程を見直し、新しい歴史観の形 成を提唱している。   なお、私は北方史をロシアとの関係からも研究しており、日 本人のロシアへの漂流記録は、研究史料として欠かせない。い つもこの本を参考に研究を進めている。私事になるが私が立正 大学大学院に在籍したときに、木崎先生が教鞭を執っておられ た。先生は西洋史専攻の学生に教えており、私は日本史専攻で あったので直接先生の講義は受けていなかった。先生に教えを 請うたのは、卒業してからである。手紙のやりとりを何度も繰 り返し、出張のときにはお目にかかり、ついには講演にまで来 ていただいたこともあった。この木崎先生も鬼籍に入られ、今 はこうした著作からしか学ぶ事ができないのは残念である。   漂流民を通して、江戸時代の日本や対外関係を考える優れた 著作であり、特に歴史を学ぶ学生にお薦めの一冊である。 その他の参考文献 ◦亀井高孝校訂『北槎聞略』岩波文庫   一九九〇 ◦ 木 崎 良 平 著『 光 太 夫 と ラ ク ス マ ン   幕 末 日 露 交 渉 史 の 一 側 面』刀水書房   一九九二 ◦木崎良平著『仙台漂民とレザノフ   幕末日露交渉史の一側面 №2』刀水書房   一九九七

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下川和夫

自 然 地 理 学 / 自 然 の 見 方・ 景 観 の 読 み 方・ 自 然 と 人 び との生活 景 * 観の分析と保護のための

地生態学入門

横山秀司編 古今書院   二七七頁   二〇〇二   自然破壊、公害などの環境問題、そして自然災害などの諸問 題は、自然と私たち人類の関係に破綻が生じた時に顕在化する 現象である。地理学は人間と自然の関係を地域において問題に する学問だから、地理学はこれらの問題解決に大きな役割を果 たせる学問領域といえる。     ところでドイツでは一九七〇年代以降に、自然保護や環境保 全、自然災害を考える際に生態学的視点が重視されるようにな り、自然と調和し、自然と共生する地域づくりが積極的に進め られるようになったが、その際に地生態学的分析をベースとし た 計 画 立 案 が 行 わ れ て い る( 横 山、 一 九 九 五 )。 つ ま り 健 全 な 環境を保全するために、地生態学の手法が応用されてきた。   本 書 は 地 理 学、 環 境 科 学 の 分 野 の 研 究 者 10名 が、 冒 頭 の 問 題 に 対 処 す る た め の 手 法 を 提 案 し た 専 門 書 で、 教 科 書 で も あ る。まず最初に、地生態学研究の先進地域である欧米諸国にお ける研究動向が紹介され、第 2章では景観構成要素である地因 子に焦点を当て、地生態学へのアプローチの具体的方法が示さ れる。次いで国内のいくつかの地域における実践的研究が応用 例として例示されている。ちなみに下川は第2章5節で地生態 学を積雪環境からアプローチする方法を紹介し、また第3章3 節では研究例として美瑛の丘の景観とその変遷及び観光問題を 担当した。美瑛は2年生のゼミで合宿を行ってきた場所でもあ る。   日本の各地域で「自然と人びとの生活」を主題に、おもに地 域の気候環境と生活文化の関係を、現地調査によって明らにす ることを目的としてきた下川ゼミにとって、本書は地域におけ る自然と私たちの関係を考える際の基本的なテキストである。 参考文献   ◦ 青 山 高 義 ほ か『 日 本 の 気 候 景 観 』 古 今 書 院   二 〇 〇 〇   一八一頁 ◦ 小 泉 武 栄 ほ か『 山 の 自 然 学 入 門 』 古 今 書 院   一 九 九 二   一八七頁 ◦小疇尚研究室編『山に学ぶ』古今書院   二〇〇五   一四一頁 ◦シリーズ『自然景観の読み方1~ 12(全 12冊) 』(一九九二~ 一九九四)岩波書店 ◦横山秀司『景観生態学』古今書院   一九九五   二〇七頁

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日本の気候景観

―風と樹   風と集落 ― 青山高義・小川肇・岡秀一・梅本亨編 古今書院   二〇五頁   二〇〇九   「 ♪ 誰 が 風 を   見 た で し ょ う   僕 も あ な た も   見 や し な い   けれど木の葉を   顫 ふ る わせて   風は通りぬけてゆく♪」これはイ ギリスの詩を 西 さいじょう 條 八 や そ 十 が訳した「風」という童謡で、中高年の 人には懐かしい歌である。風そのものは見えないのだが、揺れ る木々を通してその流れが目に見えるような詩である。   目には見えない気象現象が、継続し卓越して作用すると、目 に 見 え る 形 で 地 形 や 植 生( 自 然 )、 人 間 の 生 活( 人 文 ) に そ の 痕跡を残すことがある。それを気候景観という。たとえば、そ の時に風が吹いて木々を揺らしていなくても、傾いた幹やなび いたような枝ぶりなどを通して、その場所の風に関する情報を 見てとることができる。   気候景観という用語を最初に使った矢澤(一九五三)によれ ば、気候景観とは「気候特性の表現体と考えた場合の自然・人 文景観の総称である」という。言い換えれば「地表の状態が気 候 の 影 響 に よ っ て そ れ ぞ れ の 地 域 特 有 な 様 相 を 呈 し て い る と き、 そ れ を 気 候 景 観 」( 吉 野 ほ か、 一 九 八 五 ) と い い、 い わ ば 気候環境に対する自然や人間の反応が景観に表れたものといえ る。   本書では、日本各地の樹木や植生、家屋や集落等の景観の中 から風に関係する気候景観が抽出され、例示されている。もち ろ ん 気 候 景 観 を 造 り 出 す 気 象・ 気 候 要 素 は 風 だ け で な く、 気 温、降水、積雪、湿度、日照などさまざまである。しかし、風 を主たるテーマに置いているのは、風の影響が多様で、しかも 顕著に表れる場合が多く、研究例が最も多いからであろう。ま た 私 た ち の 日 常 生 活、 生 産 活 動( と く に 農 林 水 産 業 ) に お い て、最も注意を払うべき気象現象のひとつだからであろう。た とえば日本各地には名前を持った風が数多く知られており、そ の数は二、 一四五種にも及ぶという(関口、一九八五) 。東北の 「やませ」 、北関東の「空っ風」は誰もが知っている局地風であ る。また阪神ファンなら応援歌「六甲おろし」を思い出すかも しれない。本書によれば六甲颪はボラ型のフェーンだという。   ちなみにこの本で紹介されている北海道の事例は、大雪山の 尻尾状植生、斜里平野の防風林、根釧台地や利尻山の偏形樹の 研 究 な ど で あ る。 「 地 域 に お け る 自 然 と 人 と の 関 わ り 」 を ゼ ミ のテーマとする下川ゼミでは、この本は基本的な資料のひとつ となっている。 参考文献 ◦関口武『風の事典』原書房   一九八五   九六一頁 ◦矢澤大二『気候景観』古今書院   一九五三   二二七頁 ◦吉野正敏ほか編『気候学・気象学辞典』二宮書店   一九八五   七四二頁

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高宮広土

人類学 生 * 物の科学  

遺伝

特集  

日本人の起源

エヌ・ティー・エス   二〇〇七年三月   ヒトの歴史は四百万年 ~ 五百万年といわれているが、最近の 調 査 に よ る と、 も っ と 古 く な る 可 能 性 も あ り そ う だ。 チ ャ ー ル ス・ ダ ー ウ ィ ン が 予 言 し た よ う に、 ヒ ト の 祖 先 は ア フ リ カ 大陸で生まれ、進化した。そして、その一部がアフリカ大陸を 出 て、 世 界 中 に 拡 散 し た。 も ち ろ ん、 日 本 へ も。 つ ま り、 日 本人とアフリカ人は、実は大変近い兄弟なのである。では、そ の「兄」からいつ頃後に日本人の祖先は進化し、日本列島へわ たってきたのだろう。   『 日 本 人 の 起 源 』 と い う テ ー マ は、 多 く の 日 本 人 に と っ て 大 変魅力的なテーマであろう。このテーマに関して、最新の情報 を 提 供 し て い る の が、 こ こ で 紹 介 す る 雑 誌 で あ る。 『 日 本 人 の 起源』を理解するためには、表紙にあるような古人骨学的アプ ローチが一般的な方法である。本特集では、まず、人骨からど のような『日本人起源論』が提唱されたか、簡単に研究史をま とめている。さらに、古人骨から明らかになりつつある『日本 人起源論』に加えて、遺伝学やDNA等、最近進歩の目覚まし い分野における最新のデータも紹介されている。この最新の情 報 に よ る と、 人 骨 か ら み る と、 現 代 日 本 人 の 祖 先 は 南 方 系 で あったといわれているが、遺伝子やDNAからみると、北方系 ら し い。 つ ま り、 『 日 本 人 の 起 源 』 に 関 し て は、 ま だ 十 分 な 答 え は 出 て い な い。 が、 実 は こ こ ま で 理 解 す る の に 百 年 以 上 か か っ て い る。 数 年 後 に は も っ と は っ き り し た 答 え が 出 る の で は。   これらのテーマに加えて、過去の人々の食性や健康状態につ いての論文も掲載されている。また、明治から今日までに日本 人の体つきは、大きく変化したらしい。どのように?   ちょっ と難しい論文が多いが、このようなテーマに関心ある人はトラ イしてみて。 その他の参考文献 ◦中橋孝博『日本人の起源』講談社 ◦池田次郎『日本人のきた道』朝日新聞社 ◦埴原和郎『日本人の起源』朝日新聞社 ◦山口敏『日本人の生い立ち』みすず書店 ◦鈴木尚『化石サルから日本人まで』岩波書店 ◦『原日本人』朝日ワンテーママガジン 14   朝日新聞社 ◦『人類学がわかる』 AERA Mook 8 朝日新聞社

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Man the Hunter

Richard Lee and Irven Devore

編 一九六八   本 書 は 論 文 集 で あ る が、 人 類 学 と い う 学 問 に 革 新 を も た ら し た 書 物 の 一 册 で あ る。 編 者 の 一 人 で あ る Richard Lee は 一 九 六 三 年 に カ ラ ハ リ 砂 漠 に 住 む 狩 猟 採 集 民 !Kung San の 科 学 的 な 研 究 を 開 始 し た が、 Lee の 研 究 以 前 に は、 狩 猟 採 集 民 は「野蛮、遅れている、一日中食料探しをしている」と考えら れ て い た。 し か し、 Lee の 研 究 に よ り、 前 述 の 固 定 観 念 的 な 解 釈 と は 百 八 十 度 異 な る 狩 猟 採 集 民 像 が 明 ら か と な っ た。 !Kung San の 生 活 の 舞 台 は、 カ ラ ハ リ 砂 漠 と い う ヒ ト に と っ て 大 変 過 酷 な 環 境 で あ っ た に か か わ ら ず、 彼 ら の 労 働 時 間 は 極 端 に 短 く、彼らは彼らの環境を熟知し、食料獲得に何の不自由のない 生活を送っていたのである。   一九六〇年代にはその他の地域でも狩猟採集民の研究が実施 されていた。一九六六年にシカゴ大学においてこれらの研究者 が 一 堂 に 会 し、 狩 猟 採 集 民 に 関 す る シ ン ポ ジ ウ ム が 開 催 さ れ た。このシンポジウムを元にしたのが本論文集である。何度こ の論文集を開いてもゾクゾクするのだが、人類学の錚々たる研 究者七十名以上によるシンポジウムであった。一九六〇年代ま でにその存在が確認された世界中の多くの狩猟採集民を対象と している。すなわち、アフリカ、東南アジア、アジア、オース ト ラ リ ア、 北・ 南 ア メ リ カ 大 陸 に 分 布 し た 狩 猟 採 集 民 で あ る。 さらに、過去における狩猟採集民に関する情報提供ということ で、考古学者等による報告も含まれている。   このシンポジウムを通して理解されたことは、北米西海岸に 居住する狩猟採集民のように「例外的」な狩猟採集民は存在す るものの、多様な環境に分布する狩猟採集民ではあるが、アフ リカの砂漠や熱帯雨林であろうと、オーストラリアの砂漠であ ろうと、北極圏に住む狩猟採集民であろうと、農耕民や私ども よりはよっぽど楽な生活を送っていたということである。それ ゆえ、ヒトの歴史の九十九%以上が狩猟採集の時代であったの である。 その他の参考文献 ◦マーシャル・サーリンズ『石器時代の経済学』法政大学出版 局 ◦田中二郎『カラハリ狩猟採集民―過去と現在』京都大学出版 界 ◦スチュアート・ヘンリ『採集狩猟民の現在』言叢社 ◦

Ed. by Lee, R. Hunters and Gatherers, Cambridge Univ.

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本田優子

アイヌ語・アイヌ文化

イヌの碑

萱野茂著 朝日新聞社 初版一九八〇年・文庫版一九九〇年   本書は、二風谷(日高支庁管内平取町)という集落に生まれ 育 っ た ア イ ヌ、 萱 野 茂 氏( 一 九 二 六 ~ 二 〇 〇 六 ) の 自 伝 で あ る。二風谷は人口五〇〇人に満たない小さな村だが、アイヌの 伝統的な習俗が息づく地域として内外に知られている。   萱野氏が子どもの頃は、まだ多くのアイヌの人々が、チセと 呼ばれる茅葺き屋根の住居で暮らしており、カムイノミ(神へ の祈り)など、アイヌの伝統的な儀礼も各家庭で伝承されてい た。 し か し、 日 常 会 話 の 多 く は す で に 日 本 語 に 変 わ っ て お り、 萱野氏は流ちょうなアイヌ語を家庭の中で身につけた最後の世 代の一人だといわれる。萱野氏が生きたのは、まさに現代の日 本社会の中でアイヌのコミュニティーのあり方が大きく変容し た激動の時代であり、本書は単に一人のアイヌの人生の記録に とどまらず、近現代のアイヌ社会を理解するための必読書とい える。   萱野氏は本書の最後の部分で、アイヌ語を教えるための幼稚 園を作り、その園長になりたいとの夢を語っている。刊行から 三年後の一九八三年、私は萱野氏の助手として二風谷に移り住 んだ。そして、幼稚園の代わりに「二風谷アイヌ語塾」を創設 するお手伝いをし、その後十一年間、アイヌの子どもたちに対 するアイヌ語教育に関わりながら、二風谷の住人として暮らし た。当時私が住んでいた家は、現在、我がゼミの夏の合宿所と な っ て い る。 そ れ ゆ え、 特 に 私 の ゼ ミ を 希 望 す る 人 た ち に は、 私の研究の礎となっている二風谷という土地の歴史や、そこに 流れる風の匂いを知ってほしいと願っている。   本書はそのための最初の一歩となるにちがいない。 その他の参考文献 ◦萱野茂『アイヌの昔話』平凡社ライブラリー   一九九三 ◦中 川 裕 『 ア イ ヌ の 物 語 世 界 』 平 凡 社 ラ イ ブ ラ リ ー   一九九七 ◦池澤夏樹『静かな大地』朝日新聞社   二〇〇三 ◦瀬川拓郎『アイヌの歴史』講談社選書メチエ   二〇〇七 ◦ 姜 戎 著 / 唐 亜 明・ 関 野 喜 久 子 訳『 神 な る オ オ カ ミ( 上 下 )』 講 談 社   二 〇 〇 七 ( ア イ ヌ 文 化 に 直 接 関 係 は し な い が、 オ オ カ ミ 神 の位置づけを考える上で大きな示唆を得た。とにかく面白い)

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ゲド戦記

アーシュラ・K・ル=グウィン著 清水眞砂子訳   全六巻 岩波書店   一九七四~二〇〇四   ファンタジーの代表作として、世界中の人々に愛されている 『ゲド戦記』 。基本的には、アースシーという多島世界に生きる 魔法使いゲドの物語だが、一巻と六巻では、物語のテーマも主 人公も大きく変化している。第一巻「影との戦い」では、少年 時 代 の ゲ ド が「 影 」 と の 対 決 に よ り 自 己 を 確 立 す る。 第 二 巻 「 こ わ れ た 腕 輪 」 は、 後 に ゲ ド の 妻 と な る テ ナ ー と い う 巫 女 と の物語。第三巻「さいはての島」では、クモという男との戦い を通して生と死を考える。第四巻以降、ゲドは魔法の力を失っ てしまうが、その意味するものを、作者は女性ならではの視点 で描いている。   ル=グウィンは、文化人類学者だった父の影響を受け、幼い 頃 か ら 先 住 民 族 の 文 化、 神 話 や 価 値 観 に 親 し ん で 育 っ た と い う。それゆえだろうか、アイヌ文化を専攻する私にとって、こ の壮大な物語はファンタジーであるにもかかわらず、とても身 近 な 感 覚 が あ る。 た と え ば、 「 名 前 」 と い う も の が 有 す る 特 別 の意味や名前を呼ぶことにまつわる禁忌は、この物語の主題の 一つであるが、これはアイヌに限らず、古代の日本も含め様々 な民族に見られるものである。   ゲドを含むアースシーの多くの人々が褐色の肌をしているこ と に も、 ル = グ ウ ィ ン の 関 心 の あ り 方 を う か が う こ と が で き る。しかし彼女は、一般に先住民族の世界観とステレオタイプ に結びつけられがちな「善」を、第五巻では根底から覆してみ せた。そのうえで、世界の成り立ちや正義についての価値観を 再構築する手法は、見事としか言いようがない。   二〇〇八年二月の文化学会大会では、本書の翻訳者である清 水 眞 砂 子 氏 を お 招 き し、 記 念 講 演「 ゲ ド を 聴 く 」 が 開 催 さ れ た。講演前には、本田を含む本学教員によるトーク「ゲドを語 る」も行われており、いずれも本学会の紀要『危機と文化』第 一〇号に所収されている。併せて紹介しておきたい。 その他の参考文献 ◦ 清 水 眞 砂 子『 「 ゲ ド 戦 記 」 の 世 界 』 岩 波 ブ ッ ク レ ッ ト 二〇〇六 ◦ 上 橋 菜 穂 子『 獣 の 奏 者 』 全 五 巻   講 談 社   二 〇 〇 六 ~ 二〇一〇 ◦ 坂 田 美 奈 子『 ア イ ヌ 口 承 文 学 の 認 識 論( エ ピ ス テ モ ロ ジー)―歴史の方法としてのアイヌ散文説話』お茶の水書房   二〇一一

参照

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