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〈フォーラム「現代社会と生涯学習」公民館を核とした人づくり〉基調講演 公民館活動を通した人づくり : 貝塚市の実践を例に

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はじめに

今日は、貝塚市の実践を事例にということで依頼されました。私は、和歌山大学に赴任する前は、 貝塚市の公民館嘱託職員を皮切りに、公民館の現場で18年間、それから2000年に教育委員会社会 教育課に異動となり、社会教育主事を8年間、合計26年間、社会教育に携わってきました。

1.公民館を取り巻く情勢

まず、最初に私の結論、問題意識を申し上げますが、「無縁社会」という造語が、昨年のNHK スペシャルなどでも使われ、わが国が、近隣との結びつきが非常に薄まったということが言われて います。それはもとより、地縁関係すらも縁(えにし)が絶たれている、こうした現代社会の現実 が大きくクローズアップされてきています。 そのような中にあって、今日、議題とする「公民館」が、これまで、果たしてきた役割とともに、 これから、果たすべき役割はどういったところにあるだろうか。 結論を先に申し上げますと、人々の多様な交わり合いを生み出して、そこで縁ある関係を紡ぎな がら、人々が生きていてよかった、あるいはこの町に住んでいてよかった、そうした社会や地域の ありように貢献していく。そうした公民館の機能が大きく求められていると思います。 とりわけ、この「無縁社会」といわれる今日においては、いま申し上げた公民館の機能は、より 鮮明になっているのではないかというのが、私の問題意識であり、最初に結論として皆さんに申し 上げたいと思います。 ところが、今日、行政的に申しますと公民館を取り巻く環境がそれほど楽観を許さない状況にな っていると思います。 まず、公民館とは、「社会教育法」20条(「公民館は、市町村その他一定区域住民のために、実際 生活に即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養の向上、健康の増 進、情操の純化を図り、生活文化の振興、社会福祉の増進に寄与することを目的とする」という施 設です。 古くを読み解きますと、寺中構想という話を皆さんはお聞きになったことがあるかと思いますが、 例えば、生活保護の申請手続きも公民館でやっていたという事実があります。つまり、狭い意味で の学習に限定しない公民館の多様性、あるいは広が りを法律はうたっているのではないかと、私は理解 しているわけです。 言うまでもありませんが、「社会教育法」第3条 は、「すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所 を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高 めるような環境を醸成するように努めなければなら ない」とされています。

基調講演 公民館活動を通した人づくり

−貝塚市の実践を例に

村田 和子

(和歌山大学地域連携・生涯学習センター)

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2.地域をつくる学び

さて、本題に入っていきます。「無縁社会」という言葉を示しましたが、もうひとつ踏み込んで 申し上げますと、今日、現代社会において、群れのなかで「ヒト」、つまり哺乳類という「ヒト」 は、人となり、人間になります。 「おぎゃあ」と産まれた赤ん坊が、最初は未熟な存在だけれど、多様な人との交わり合いによっ て、あるいは親の要求などによって人間になるというのは当たり前なのですが、いま人間化ができ ていない。だからこそ、「ヒト」が育ち、安心して「群れることのできる」隣近所、地域、家族間 関係が必要だと考えています。 そこで、社会教育及び公民館の役割をもう一度確認しておきます。人が育つ地域をつくるといっ た地域づくりの点において、公民館及び社会教育は、今後どのような役割を果たしていくのか、あ るいは果たしていくべきなのかということが、大きなテーマとして浮かび上がってくるかと思いま す。 今日、求められているのは、自分自身が一生涯にわたって、病気になっても、ハンディキャップ を負っても、生涯を通して人間らしく生きていく、自分らしく生きていく、そうした人間観、人生 観、あるいは人の成長発達と言い換えてもいいかと思いますが、そのことと、地域づくりを一体化 させていくような自分づくりが求められているのではないかと考えています。 同時に、そうした人々の幸せを実現していくような、多様な人生を承認し合っていく、いけるよ うな地域づくりが求められていると思います。 その際に、私たちはよく「学び」ということを言います。学びとは、行動する主体の変容である といわれます。つまり、机の上で何かを聞きかじって、知識として知るという行為は、学びの一端 ではありますが、学びそのものではありません。学びというのは、人間の行動、やってみることを 通して自らが変わっていく、その姿が学びという行為なのだと思います。ですから、地域を創る学 びには、社会教育・生涯学習が欠かせないと思います。 国際的な理解の一端を少しだけご紹介いたしますと、1985年のユネスコの「生涯学習宣言」で は、「学習権とは、読み書きの権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み 取り、歴史を綴る権利であり」と書かれています。また、「人々を成り行きまかせの客体から、自 らの歴史をつくる主体にかえていくものである」とも書かれています。 誰かに言われて渋々させられるのではなく、そこに自発性、自主性、エンパワーメントという内 発的な、自分自身がやろうとする、そのやろうとする前には、感じたり、気付いたり、考えたり、 工夫したり、あるいは様々な人々と多様に交わったりという行為があるかと思いますが、成り行き 任せの客体から、自らの歴史をつくる主体に一人一人がどのように変わっていけるのか、いくのか、 あるいは変わっていくような関係性を地域のなかに構築していくのかということです。公民館が、 その拠点にどのようになっていくのかということかと思います。

3.公民館をめぐる主な政策動向

公民館をめぐる主な政策動向です。先日、長野県の上田市に行きました。日本の公民館、社会教 育の歴史をつくってきた自治体の一つかと思います。今年の1月に、公民館の首長部局移管問題が 行政推進委員会からおもむろに提起され、提起があるまで社会教育課長がその動きを知らなかった という話を、ヒアリングでお聞きしました。 そこで課長がいみじくも言われたことが、とても印象に残っています。何かといいますと、「切

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実な生活課題や地域課題に、公民館はどのように向き合ってきたのか。ややもすると、十分に向き 合ってこられなかったのではないか。いま、この首長部局移管というのは、利用者を始め、社会教 育委員さんも、この事態を深刻に受け止めて、どうにかしなければならないと非常に危機感を持っ ているけれど、こういったピンチは、ある種のチャンスかもしれない。もう一度公民館を、あるい は社会教育を検証する必要がある。」ということです。私もまったく同感です。

4.公民館の現代的役割

では、公民館の現代的な役割は何かということですが、 第一は、「0歳から100歳までが『集う』場であること」です。これは今日、お集まりの皆さん がお勤めの、あるいは利用されている、あるいは何らかの審議会でかかわっておられる皆さん方の、 ひざ元の公民館の実態に照らして、ぜひご確認をしていただきたいのです。 つまりどういうことかといいますと、皆さん方の公民館は、どのような方が集まっておられます かという意味です。いってみれば、年齢です。比喩的に100歳と言いましたが、赤ちゃんから高齢 者、もっと言えば死の淵にある方も含めて、多様な方々が集うような公民館ですか、という問いか けです。 第二は、「楽しみがある、わくわくする『アニマシオン』」です。アニマシオンとは、わくわくす る、魂が揺さぶられるような思いを文化的に表現した言葉です。 第三は、「基本的人権を大切にする(保育付き講座、ハンディキャップのある人の講座、外国籍 住民)」です。これは戦後の公民館理念の一つでもありましたが、その一端を、貝塚市を例に見て みたいと思います。 例えば、保育付き講座です。これは、若い子どもを持っている人たちのための主催講座や場の提 供は実施されていますか。あるいは、そうした人たちの行為に応えるような活動の展開になってい ますか、という意味です。あるいは、ハンディキャップを持たれている方の講座や、外国籍のある 住民の皆さんへ、公民館がどのように対応されているのか、いないのかというようなことも、ぜひ 振り返ってみていただければ幸いです。 第四は、「『集う』から学び、結び、交わる」です。これは、かねてから言われていることですの で、言うまでもないかと思います。 第五は、「地域住民の自治組織活動とネットワークの形成」です。これは、時間が許せば、後ほ ど少し触れたいと思います。 第六は、「ライフミニマムとしての公民館、地域再生」です。社会学者の大野晃さんが書かれた 『限界集落と地域再生』の中で、集落の限界化、過疎と高齢化のなかで、持続可能な地域社会の存 続が厳しい、そうした集落の実態に光を当て、その際に、ライフミニマムという提唱があります。 それは、人々がその地域で生活を継続していくためには何が必要か。命の最低保障です。そのうち の一つは、生鮮食料品や、新鮮なもの、食材が入るような、買えるような場が近くにあること。二 つ目は、年金の引き落とし等々も含めた、金銭の授受ができるようなATMのコーナーなどがある こと。三つ目は、これは公民館でできるのではないかと思いますが、熱いうどんの一杯でもすすれ て、人々とおしゃべりできる場所があること、と提言しています。 過疎や集落の限界化が進む中にあって、公民館でもできますが、学校を活用し、地域の人々が多 様に交わる場として、生涯学習の拠点として、学校を再生させていくという考え方からも有効では ないかと思うわけです。

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5.貝塚市の社会教育行政の特色

まず、地域の概況です。現在の人口は約9万3千人で、多少増えておりますが、だいたいほぼ横 ばいという状況です。 社会教育行政ということでは、大きな特色があります。1985年(昭和60年)に、社会教育主事 の任用資格者を登用して、社会教育主事、私もそうだったのですが、公民館主事、スポーツ主事 等々として、社会教育機関に配置し、それらが横につながり合う。つまり、公民館主事、スポーツ 主事、文化財の学芸員や図書館の司書、行政におかれている社会教育主事がその機関の要となりな がら、この町全体の社会教育行政を推進していく制度として、「社会教育分野における専門職制度」 を設け、教育委員会の内規で位置付けられています。 これらの主事で、主事会を組織し、月1回、時間内で集まって、各部署の現状や課題を共有し、 研鑽しています。これからの貝塚の教育、さらに言えば、行政、あるいはその中で社会教育がどの ような役割を果たしていったらいいのかを、毎年リポートをまとめ、社会教育委員会議に提案する などの実務的な仕事もしております。 その中で一番大切にしてきたものは、住民、市民の皆さん方の要望を受け止め、まちづくりを担 う市民の主体的な力量を育てていくために、切磋琢磨し信頼関係をお互いにつくり合いながら、職 員同士も仲良くなろう、横につながろうということです。

6.貝塚市の公民館活動の変遷

現在、公民館は3館です。小学校区に1館、あるいは中学校区に1館と、設置基準が緩和されて おりますが、中学校が5つあるこの市にとって、公民館という箱物は決して多いわけではありませ ん。 初めて公民館が建設されたのは、1953年(昭和28年)です。機会があればご覧いただきたいの ですが、1971年(昭和46年)に当時の文部省がつくった映画『公民館』というものがあります (私は、授業でこの『公民館』を使います)。 この映画の前半は、貝塚の働きながら学ぶ紡績の女性労働者の実態が、公民館活動として描かれ ます。隔週定時制高校がこの公民館に設置されていた時期があり、隔週定時制高校を公民館が運営 していたという過去の歴史があります。「えっ、公民館で高校を運営していたの」と、興味を持た れた方は、あとでまたお聞きください。 働きながら学ぶ場を公民館が開設していた「貝塚女子高等学院」を、文科省が映画にしたわけで す。1970年代半ばには、先ほど示しました基本的な人権に則った主催講座の展開という時期に移 ります。これには大きな理由があります。 一つ目は、いまお話しした隔週定時制の高等学校が、高等学校の教育現場としては非常に貧困な 状況にあったことです。学校設備、あるいは教育環境そのものが、端的に言えば、非常に差別的な 教育環境のなかに設置されている高等学校ではないかという、当時の公民館職員の提起がありまし た。 もう一つは、同和問題が国民的な課題と言われてきた中で、基本的な人権に則った講座の展開を 公民館が目指す時代に入って、「貝塚女子高等学院」の幕が閉じられました。 公民館の提起、発案したことは、一つは、「子育てに関する講座」です。そして、「ハンディキャッ プを持つ人のための教養講座」なども展開し、今日まで継承されています。 公民館が主催講座を提供する、あるいは主催講座を開催するということは、いずれの公民館も行

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われているかと思いますが、貝塚の特徴は、主催講座の修了後、自主的な学習グループを奨励する、 つまり公民館が応援をして、市民の皆さん方の自主学習を勧めていくような援助、あるいはそのた めの支援を一生懸命やっていくという公民館の事業スタイルにあります。 1980年代には、自主学習グループがいくつも誕生しました。今からご紹介する、地域の子育て サークルと言われるものもそのうちの一つになりますが、子育て講座などを通じて生まれた親同士 の学び合いの会です。1988年(昭和63年)には、貝塚子育てネットワークの会というものが生ま れ、今日までこの会は自主的に継続され、生まれてから22年に至っています。

7.公民館活動の実際

平成の時代に入ってから、山側の地域にホールを持った公民館が設置されました。1953年(昭 和28年)、最初に公民館が設置されたときも、市民会館という文化ホールを公民館が敷設しており、 ホールで様々な文化事業が行われてきた、行ってきたという、貝塚市の特徴もあって、後に建てら れる箱物にホールを兼ね備えてきたということも、ハード面の一つの特徴になるかと思います。 若い人達の組織の一つに、バンド連絡会があります。1953年(昭和28年)に建てられた公民館 のホールが非常に古くなり、平成に入って、新しい文化ホールが建ち上がり、その中で公民館の文 化ホールの市民会館は、そのまま公民館ホールとして残っていた時代があります。 そこで公民館が、これは貝塚市に限定しませんが、地元の高校生たちにその場を提供して、軽音 楽であるとか、ロックバンドであるとか、子どもたちに青少年の居場所をつくろうという趣旨、考 え方に至り、その場を提供してきました。 こうした中で、バンド連絡会という自主サークルが生まれ、その青年たちが場所をどのように使 うかも含めて、年に1回は自分たちで、コンサートを主催するようになります。そのコンサートが 山手公民館に引き継がれて、今日まで行われています。ですから、ここは中高生がいない公民館な のではなく、中高生からも非常に親しまれている公民館の姿をご覧いただけるかと思います。 また、外国籍を持って日本で暮らす地域の人々に声をかけ、国際サロンを公民館で開設していま すが、国際サロンを担当した新人職員は、バンド連絡会とつながって交流をすれば、もっとお互い に楽しくなるし、人々が生きやすいまちになるのではないかと考えて、こうした異文化交流事業を 仕掛けたということです。 また、浜手地区の公民館ですが、ここは、関西空港が建ち上がったときに、人工造成地の新しい 町がつくられたところで、ちょうど22年を迎えます。小学校よりも早く、コミュニティーセンター としての公民館が建てられました。コミュニティーセンターは大阪府が建てたものでしたが、その 後、貝塚市がもらい受け、公民館として運用していくことになり、やがて、22年を迎えるまでに至 りました。 最初は職員が二人、専任の館長と嘱託職員でスタートいたしました。最初、職員が取り組んだこ とは、『公民館タイムス』というニュースをつくることでした。ニュースをつくり、何でもお困り ことがあったら、公民館にやって来ませんかという、そういった配達便を、賛否は別として、そう した営業活動を公民館職員が地域にポスティングし、住民の要求の掘り起こしを行ったのです。 この公民館の事務所の前には広いロビーがあり、そのロビーを有効活用したいという思いがあり ました。有効活用したいというもう一つの理由は、新興住宅ということもあり、転勤族が多い町で、 何かまとまった講座、何回かのプログラムに参加はしにくいが、ふらっと気軽に訪れて楽しめるよ うな場や空間、そうしたことが公民館にも提供できないかということです。地域のなかには、いろ

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いろな多彩な芸術文化を自ら行っておられる方もおられて、いまではそうした方々の力なども借り ながら、月1回のロビー講座が定着してきています。

8.子育てネットワークの会

「子育てネットワークの会」は、1988年(昭和63年)に、当時の公民館の講座から生まれたグ ループや、自主学習グループに交流を呼びかけでできた会で、現在は乳幼児から中高生までの、縦 のつながりの組織になっているのが一つの特徴です。 それから公民館との関係ですが、公民館と共催で、主催講座を立案し、他の住民の皆さんに学習 機会を提供するという、そうした事業をこの会と公民館が協力、協働して行ってきました。 それにはどのような意味があるかというと、例えば乳幼児部会では、子育て講座という講座がそ のうちの一つなのですが、乳幼児を抱える保護者の声を大事にしながら、その人たちの悩みごとや 困りごと、その中から学習のテーマを導き出し、さらに学習のプログラムとしてつなげ、講座とし て開催するという仕組みです。同じように、乳幼児部会から幼稚園部会、小学生部会、中高生部会 というようにつながってきました。 この会には、他にもプレイパーク部会というのがあります。これは、自分たちの責任で自由に遊 ぶ冒険遊び場づくりです。いまの子どもたち、特に学童期に入った子どもたちが、時間と空間と仲 間が必要なはずなのに、その場が非常に乏しいことに気付いた親たちが、どうにかしなければなら ない、どうにかしたいと願ったところから生まれました。 「困ったな、どうにかしたいな、どうすればいいのかな」、「東京の世田谷区では、プレイパーク というものが行われているそうですよ。プレイパークというものについて、一度学習してみません か」という職員の提案がありました。「なんでしょう、プレイパーク。勉強してみたいな」という ことで、公民館と皆さん方がご一緒に学習するなかで、このプレイパークの実践ということが始ま っていきます。 乳幼児部会の座談会を例にとると、話される内容は、兄弟げんかの悩みとか、父親がなかなか子 育てに協力してくれないとか、あるいは子どもの虐待とかです。 サラリーマンの夫を送り出して、夫が帰ってくるまで誰も大人と話さなかった、こうした時間が ふと考えてみると1週間も続いている、こんな状態が続く限り、私はどうにかなってしまいそうだ、 赤ちゃん言葉しか話せない大人になってしまうのではないか、という悩みが出されました。 そこで、虐待が決して人ごとではないことに気づく。孤立感を深めている親たちが非常に多く、 その孤立感を抱えた人たちが、こうした座談会の場にやって来ることによって、悩んでいるのは自 分たちだけではない、あの人もこの人も同じような悩みを抱えているのだということに共感し合う が今日、とても大切です。 例えば、子どもの寝る時間が遅くなるという情報交換の中で、では、なぜ子どもが寝るというこ とが大事なのか、睡眠とは人間の発達にとって、どういった効果をもたらすのかということについ て、科学的に学ぶということが必要だと思うわけです。ここに公民館の社会教育施設としての意義 があるかと思います。 交わり、交流する側面と、お互いに情報と経験値をさまざまに伝え合う営みと、それから、さら に分からないことを科学的に学ぶ、そのことをきちんと学習として公民館が保障するということも、 これからの公民館にとって重要なことだと理解しています。 先ほど中高生部会のことを紹介しました。中高生の親たちとの話し合いの中から、実はその親の

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学びもとても大事なのだが、わが子の成長とともに、悩みも複雑になってきます。子どもの性の悩 み、あるいはどう生きるかという人生の目標等々、親として子どもたちにどう向き合うかというよ うな話の中から、次の世代を担う中学生に、直接自分たちが何かを伝えることができないかという 思いが出てきたのです。 そこで一つの試みとして(残念ながら、いまは行われていないのですが)、地元の中学校とコラ ボレーションして、幼児を知ろうという学社融合型の授業を実現しました。選択授業という幅の狭 いものではありますが、育児サークルのお母さんたち・お父さんたちが、保健師さんたちと一緒に 学校に出向きまして、子どもたちと遊ぶということです。子どもを抱きあげたり、あるいは一緒に 遊んだりします。 ところが、最初、乳幼児を持つ親たちは、中学校にわが子を連れて出向くことに非常に不安を感 じていました。当時、この中学校は荒れていて、あまりいい評判を聞いていなかったから、「かわ いいわが子を連れて行って、わが子に何かあったら誰が責任をとってくれるんや」と、そんな話で す。そこで中・高生の親たちは「まあまあ、そんなことはないし、十分配慮するから、1回行って みようよ」ということで、行ってみたのです。 そうしますと、このような心配をよそに、中学生たちがうまく子どもたちと交わりました。それ で、乳幼児の親がどう言ったかといいますと、「この子が生まれてから、私はこの子が中学生とこ のように交わっている姿を初めて見た」というわけです。なるほど、地域社会のなかで、普通に乳 幼児が中学生と交わるという場面は、意識的・意図的につくりだしていかないと、なかなかないの だなという簡単なことが分かりました。 最後に、この会がなぜ22年間継続してきたのか、という点に関して少しだけふれます。一つは、 公民館との共催講座というシステムで学習機会を持ち、学び直したり、あるいはその場を自ら提供 する側になって、主体的な学習活動を継続する環境にあったからということです。 もう一つは、会として、1年に1回、それこそ夏の暑いさなかに、朝から夕方まで子どもの保育 をつけた学習会というものを実施してきたことです。公民館には利用グループ、団体の方がおられ るかと思います。その方々が、自助作用といいましょうか、自分たちの活動を検証し、発展の展望 を描けるような学習の場が、その組織にどれだけ位置付いているかというということが、大きなキ ーワードになってくるのではないかと思います。 子育てネットワークの会は、発足して5年目から1年に1回、1日をかけて、いま申し上げたよ うな学習会を持って、乳幼児を持つ人から、中高生まで幅広い年代がいますから、茶髪から白髪ま でが集まりまして、自己紹介をしたり、自分たちの悩みを交流したりします。 今年、このようなエピソードがありました。公民館に来て1カ月という母親です。小さい子ども がいて、友達がいない、子どもも遊ぶ仲間がいない、公園に行っても誰もいない。そういう中で、 ある人から公民館を勧められ、この会でどのような発言をしたかというと、次のような話でした。 私の両手は空いていたのにというエピソードでした。 これは何かというと、そのサークルが終了後の後片付けをしていたときに、ご自分の子どもさん は誰かよその方が見ておられたのですが、近くにいた子どもが、あるところで、わっとすごく大き く泣き出して、その泣き出した子どものところへ、子どもを抱えていた方がかけより、もう一方の 手で泣いている子どもを抱き上げたという瞬間をとらえて、その方は「私の両手は空いていたのに」 とおっしゃったわけです。 どういう意味かといいますと、あの人は両手がふさがっていて大変な状況であって、私の両手は

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空いていたのに、そんな私は、その大変さに気付くことも、手を差し伸べることもしなかった、自 らの至らなさを反省したという話です。私はその話を聞きまして、1カ月の人がこのようなことに 気付く、気付きあう学びの場でもあり、こういうことがとても大事だと、その場で私は話をしまし た。

9.公民館の機能の可能性

確かに公民館という箱ものに集まってくる人たちがいて、どのようにその場を提供したり、ある いは活用したりしていくかということもありますが、重要なことは、公民館という箱ものではなく、 その機能を地域づくりにどのように生かしていけるのかという点です。 阪神・淡路大震災があったとき、私は貝塚市の中央公民館で主事をしていました。あの震災から 教訓にするものは何か。公民館でこのようなことを話題にしていました。 一つは、地域の防災システムの構築ということです。もう一つは、震災のあとの防災システムの 構築もさることながら、多くの人たちの命が助かったにもかかわらず、実は仮設住宅で孤独死をさ れているような実態を目の当たりにしたときに、地域のなかで人々が支え合い、助け合うような、 そういったことに貢献するような公民館、あるいは社会教育の役割が重要ではないかということで す。こうした話し合いを、当時の公民館職員たちと一生懸命したわけです。 利用者の皆さん方も、子育てのネットワークづくりなどということを一生懸命やろうとすると、 その活動は公民館という枠のなかに収まるものではなく、実際の生活の場である地域のなかで、さ まざまな実践が求められるわけです。プレイパーク一つとってもそうですね。あるいは学校との関 係もそうです。その時の大きなキーワードは、子どもも大人も支え合いながら、助け合っていくよ うな、そういった仕組みに供するような社会教育、公民館の活動を、どのように展開するかという 問題意識です。 一方で、公民館で学んだことを地域に生かそうということを、われわれは一生懸命言ってきたわ けです。これは、「新しい公共」との考え方と結びつくのですが、財政難が進行していく中で、「公 民館は、金と暇のあるものの集まりと違うか」と。つまり、受益者負担の考え方とか、あるいは有 料化の考え方などが進行してきまして、ますます公民館に厳しい目が向けられていくわけです。あ るいは公民館そのものの存在の否定する考え方も出てきます。 そうなると公民館としては、その存在証明をしていかなければならないということに問題意識は ふくらんでまいります。では、どのようにその存在価値の証明をしていくのかということです。以 前からこの町でも、行革の推進ということは行われていましたから、財政や、あるいは人が減って いくということは、ご多分に漏れずあったわけです。そのときにわれわれが考えたことは何か。こ れは利用者や、市民の皆さん方と、学び合いながら、次のことを目指そうではないかと話し合った わけです。 つまり、公民館で学んだことを、地域にもっと生かしていこうということです。公民館族という ように貝塚では言われていたのです。あるいは公民館の内と外との問題。公民館に足しげく通って いる人にとっては、公民館はなくてはならない、かけがえのない存在ではあるが、1回も公民館に 足を運んだことのない人にとっては、それはまったく存在価値のないような、そういった公民館で あっていいのか。もっと、より多くの人たちに知らせる手立てはないか。 3館という箱ものの貧しいことも手伝って、学んだことを地域に生かそうということの中から、 一つの試みとして行ったのが、「北小学校ふれあいまつり」という取り組みです。北小学校を舞台

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に、公民館が地域の皆さん、それから公民館で育ってきた、子育てや女性問題のサークルの皆さん、 あるいは、老いを地域で支えていこうというネットワークの皆さん、あるいは、高齢者大学や、趣 味やおけいこごとといわれるクラブ活動の人たちともご一緒しながら、地域(小学校区)に会場を 移しまして、その校区のPTA、婦人会などの支援の団体の皆さんと結びつきを深めながら、ふれ あいまつりというお祭りをやりました。 そのお祭りを通して、この地域がどのような地域であるか。例えば、高齢者がどんなところに、 どんな住まい方をしていて、何にお困りであるかということを、よく学びました。そこで、私たち は、例えば老いを地域で支えようとやっているグループは、具体的にどういった活動を地域のなか につくりだしていけばいいのかを考える、あるいは地域の婦人会の皆さんは、私たちは、なかなか 人前でうまく言葉をつないで伝えるということが苦手できたけれど、公民館で学んだ人たちは大変 丁寧に話ができる人たちですねといったかたちで、最初からそのようにマッチングしたかというわ けではありませんが、理解を深めながらの活動でした。 貝塚市も少子化が進行している地域でして、小学校に余裕教室が生まれてきています。地域の、 特に老人会の皆さんから、「私らにとって公民館は、歩いていくには遠すぎる。身近なところにも っと公民館的な機能が欲しい」という声があがり、後にその余裕教室が、地域に開放され「ふれあ いルーム」というかたちで、今日続いています。 17年目ぐらいの活動でしょうか、現在ここは、校区福祉委員会という社会福祉協議会を母体とす る組織の一環に入り、「ふれあいルーム」運営委員会というものの中で、組織運営されています。 特徴は、団体活動が定期的に行われていたり、おし ゃべり広場などといった名前で、高齢者の居場所づ くりがここで行われたりしています。 これが「社会教育か」と言われると、「そうです」 とも「それだけでもありません」とも言えるかと思 います。つまり、いろいろな側面をもつ取り組みで す。地域の学校と、あるいは地域の福祉と連動した 公民館の、学んだことを地域に生かす実践事例とい うことでご紹介させていただきました。

10.まなびーねっと貝塚

「まなびーねっと貝塚」というのは、教育委員会主催の「生涯学習コーディネーター養成講座」 修了生による有志の会という性格の組織です。 私は、2000年5月に教育委員会社会教育課の主事になり、社会教育係に配属を命じられました。 社会教育課にきてみますと、職員が二人、嘱託さんが一人でした。正直、非常に体制が手薄いと思 いました。予算と体制が手薄いなかで、社会教育係として何ができるだろうかと思案をしまして、 そこで改めて目を通しましたのが、当時の貝塚市の生涯学習計画でした。 貝塚市の生涯学習計画の中には、市民のリーダーの育成・養成がうたわれています。これは、い まに始まったことではないのですが、私自身の実感としましては二つありました。一つは、確かに リーダー養成は大きな課題であることに間違いはないが、さらにいえば、北小学校の経験などを通 じて、異質なものに出会ったときに、そこをうまく橋渡ししていくような、そういった人の存在と 役割、それをコーディネーターと当時呼びましたが、その存在がとても重要だと認識していました。

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学校教育と社会教育が結びつくとき、あるいは支援の組織と新しい活動が融合しようとするとき、 あるいは他の行政と公民館がかかわろうとするとき、常にそこになんらかの摩擦といいましょうか、 問題が生じがちで、いろいろ苦慮してきたものですから、それらを市民の人たちも力をつけてコー ディネートしていくような、そういった人材養成プログラムが必要だということです。 もう一つは、市の行政も、もっと行政内の行政連携が必要である、連携とかパートナーシップな どはもう聞き飽きた、言葉はきれいだけれどこれは違うよという実態を目の当たりにしてまいりま して、どうにかそこに揺さぶりといいましょうか、メスを入れることができないかと考えたわけで す。 そこで行政の職員にも声をかけまして、当時の企画課が生涯学習推進委員会(全庁的組織)の幹 事長となり、社会教育課が事務局長という位置付けも手伝って、連携が可能になり、庁内の職員も 参加するということになりました。 実はそこで、有志の会、これは市民の皆さんがそのあとにつくられた会のことをいいますが、有 志の会が講座のあと、困られてしまいました。コーディネーター養成講座後、確かにそのことを地 域に生かすということは重要だと認識したけれど、ではどうやって地域に生かすか、何をしたらい いのか、試行錯誤が続くなか、ある地域に出合いました。これが、三ツ松西之町という地域です。 この地域は、高齢者の一人暮らし世帯が、全世帯120世帯のうちの85世帯、小学生がいない地域 になっているのです。町会長は、超高齢社会のなかで、町会の維持そのものが非常に困難になって きており、祭りはおろか、町会の自治そのものの存続に非常に危機感を持っておられました。その なかで、「まなびーねっと貝塚」という外部の力を借りながら、町会を運営していくことができな いかと思われたのです。 具体的には、西之町の町会館をベースにしながら、週1回、「まなびーねっと貝塚」の人たちが、 例会活動を行っておられます。どのようなことをやっているかというと、町会の文化活動支援、こ の生涯学習で何かやりたいという人たちなので、けっこういろいろなことができる、特技をお持ち の方が多いのです。ケーナが吹けるとか、三味線ができるとか、生オケで歌ってみたいと地域の高 齢者が言ったら、「よっしゃ、じゃあ、自分たちでオーケストラを仕立てて、夏祭りをやろうやな いか」。あるいは「クリスマスツリーを飾ってみたい」などと高齢者が言ったら、環境問題に取り 組んでいる方が「よっしゃ、じゃあ、ペットボトルを材料にして、もみの木に飾ってみよう」とか、 いろいろな発案で、新しい風が吹き込まれることになりました。 しかし、現実には厳しい高齢化の進行のなかで、「まなびーねっと貝塚」の方の言葉を借りれば、 「われわれのできることは何もない。ただそこにあって、そこに共に同伴するだけ」とおっしゃい ます。「私たちが何かをさせてもらおうなんて、とてもおこがましい。そこにあって、共に考える、 そのなかで自分たちがやれることをやるしかない」とおっしゃって、私は胸に詰まってしまいます。 このように、自分の町会には子どもがいませんから、近くの小学校に働きかけ、その小学校の小 学生と一緒に冬のクリスマス会を町会館の前でやってみたり、それから小学校に出かけて、子ども さんたち、親御さんたち、PTAの人たちとジョイントして、夏休みの1日を過ごしてみたり、あ るいは子どもたちの見守り活動をしてみたりなどの活動の広がりを生んでいます。 また、この地域の周辺に団地があって、この校区は母子・父子世帯が大変多い地域で、学級の3 分の1ぐらいが単身家庭という家庭環境にあります。そのなかで朝食を欠食する児童が大変多い。 この地域の人たちは「それを親の責任と言ってみてもはじまらない」と言い、自分たちが朝食をつ くり、子どもたちに振る舞うような、そうした福祉活動をつくりだしていけないかという提案まで

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もあり、地域の力というのは、ある意味すごいなと感じるわけです。

11.学習の構造化

それでは最後に、まとめをします。学習の構造化ということです。これは松下拡さんの提起を、 少し分かりやすくまとめたものです。 生活のなかから生まれる不安や疑問(なぜ、どうして)から学習は生まれるのですが、①そのこ とに関心を持つ、②具体的に事実を知る、③その実態にある問題に気付く、④その問題をもたらし ている要因を追及する、⑤自分の問題を確認し実践課題を据える、⑥問題解決への対策をたてる、 ⑦問題解決のための技術を身につける、です。 何を言っているのだろうと思われるかもしれませんが、今日お話しした「子育てネットワーク」、 「北小ふれあいルーム」、「まなびーねっと貝塚」も、この学習の構造化の流れで、今日まで進めて きたし、それから公民館もこのような流れ、構造化のなかで公民館活動や、あるいは主軸となる主 催講座を展開してきたということを、まとめとして言わせていただいています。 それでは公民館職員は、その中でどのような役割を果たしてきたのかということです。①人と人 がふれあい、本音を話すことができる場づくり、②市民の不安や疑問について、いっしょに考え、 話し合う、③大人が人間関係を訓練する仕組みをつくる、④協働の取り組みを通じて、共感関係を つくる、⑤子どもたちにいろいろな大人に、大人・高齢者にいろいろな子どもに出会わせる、とい うことをしてきました。 まとめのまとめになります。「住んでよかった、住み続けていきたいまちをつくる公民館」とは 何かです。それはとりもなおさず、地域のなかでの私と居場所の大切さを物語っているか、と思う のです。私という存在が受け止められる公民館、その関係性をどうつくりだしていくか。今日はそ の一端を貝塚市を例に見てまいりました。そのなかで、1カ月のお母さんの事例を示したように、 新しい自分の発見というのも重要な要素かと思います。 あるいは、やってみることの重要性です。何かそこで気がついて、「ああ、分かった」ではなく、 自分ができることでいいから、あるいは「力を合わせて、みんなでやってみいひんか」ということ を、推奨してきたというわけです。 それは、とりもなおさず一人では生きられないことを学ぶということでもありました。日常的に 培われる住民自治というようなことを申し上げまして、私の話は以上とさせていただきます。どう も、お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

参照

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