) 紳 一 一紋
社 食河絹 虎 5 1 ・ 2 ‑9
L B B 域研究第 1 8 集
宿 場 町 の 歴 史 と現 在
ー 岡 山 県 矢 掛 町 ‑
36 (q甘
C
岡山大学教育学部社会科教室内地域研究会
は
じめ に
地域研究嫡 18鵜 「宿舶町 の歴史 と現在一 岡山如失脚町‑」を公刊す る。失嵐町 を調査地 に選ぶ に際 して ,当研大 きな危根が あ った。矢
鋸
Ir
は,県下町村の うちで も人 [コが始 も多 く,鵜大 の市街 地をかかえてお り ,三 年次生にとって ,負担が避雷では',ていか と案 じられ たか らである。それだけ に ,公刊の迦びに至 った尊 び もひ としやて参っ‑,!C.。炎天を もの と もせず ,昼夜頭触 った 草生諸君 の酪力 もさる ことTLか ら ,町長 ,教育長をは じめ とす る投機 ,教育委員会 ,なかで も蔽接大 学 との窓 口にな って終始 か桝 斤如 、ただいた教育委息女 ,庶 刀を群.L一集 して下さ'った町 誌編唯姿見各 位 ,肋杏 に快 く応 じて下 ‑きった町 民の方 々の御協 力の賜 によることは ,申す せで もない。改めて心 か ら梢持し申 し上げたい。
もちろん ,学生U)軸告だけ に ,開旭点 も多い. しか し ,若さ と熱 意をrtfiけ ,総力を結娘 した学生 緒君の努力は ,随所tr=お汲み と りいただけ る もの と他 じてい る。公刊 の価値 も,ここにあると ,ひ そかに自負 してい る次弟である。 もし ,この成果が 矢掛町 の発掛 こ役立つ とすれば ,盤外 のP.'ぴで
;̲hる。
公刊に際 して ,町境をは じめ とす る町民 各位の御協力にLLSl劇 して 「て至えが き」 の結び と したいo
訴 査 参 加 者
参加指導教官
I 藤 沢 晋 米 村 昭 二 田 中 史 郎
虫 明 肌 三 浦 通三郎 高 並 進 ̲ 高 橋 遵 郎 宗 田 克 己
参 加卒舘 生
. . 山 川 祇 仁 萩 原 一 之 薪 元 I I g 昭 中 野 奨智子 在 闇 富 久 平 方 英 子
' 参 加 学 生
l ■ l ‑ 1
目 名 和 子 藤 原 鈴 香 杭 田 畢
‑ . 桑 田 俊 明 松 岡 決 江 山 部 美和子 片 岡 光 田 中 糞恵子 牧 野 睦 子 赤 木 洋 子
+ . 佐 虐 隆 子 定 金 和 子
稗 壇 早 苗 馬 瀬 糞智子 大 井 智 + 藤 原 忠 子 木 村 公 子 次 作 波 敏 江 大 川 糞都子 高 取 悦 子 共 木 源 三 宅 韮 正 森 浩 三 尾 崎 悦 子 竹 下 裕 子 松 岡 文 子 草 野 洋 子 内 田 通 子 金 沢 雅 男 小 林 元 子 阿 部 恒 子 蜂 谷 淑 子 光 森 政 子 \ 大 函 冊 子 渡 辺 郁 子 河 合 久 和
武 内 映 子
・ J 、 山 唐弟子 宮 本 好利子 西 本 磨由美
西 村 健 一 租 崎 由貴子
北 村 将 子 岩 崎 華 子
倉 稀 餐 範 山 本 益 美
吹
始 1車 矢掛町 の枇 饗
‑‑ ‑・一・ ‑ ‑ ‑・一・一 ‑・一 ・ 一一 ・一・‑ ・ ̲ 一 一 ・ ‑ ‑ ・ い
・一一一 1. 位虹 と沿岸 '●‑t‑ ‑ '‑一 一M1‑ ‑ I‑ 叫‑一一 一一 ‑I ‑ ‑‑‑‑‑
I‑‑‑‑‑2.矢掛 の現 況
易12牽 自然環 境 ー I ‥ ‑ ‑… I
… ‑ 一●
1・ 地形 と地JjE‑‑‑‑・・一一.‑ ‑・‑L‑‑∴ ‑‑一一‑ ・
‑ ‑ ‑ ‑ ‑
I‑I‑‑‑‑一・一一一叫 ,小 .‑.̲̲̲TJ.. 1 2. 気 候 】.… ‑.̲‥ .̲I ̲̲̲..I̲.̲第3牽 人 口と娘落 し 矢掛町 の人 口動 態 2. 過疎化水落
1. 条里制と郡 家
2. 古代 の李 族 ‑1一・ 3・ 中 世の山 城 と蔀 族 ‑
娼 5
歳
近世 の矢掛町 1 ill主・1)地方支ljlL娘耕 城 を中心 と して ‑ ‑
2. 山 薬 生 産 一・‑‑ I̲̲‑N̲.., 3. 年 環 の 上 納 ̲.̲ ,.I 4
.
此 民 の 負 担5
. 出氏の住宅細道窮 6 輩
近 代 の 矢 掛 町 l・ 近代化‑ の あゆみ9.uJ9
ウ■⁝▲.tJ 1‑つJ‑1JJLJ'..hV'‑
102 129
●
崩 7ILTI 交 通 と 通 信 .‑ ..‑̲̲I.一・...‑,.̲̲̲.‑ ̲〜二p‑‑‑一一一一 一十 一・日 一一・・ 243 1 並 1世の 交 血 ‑‑‑.一一一一1.I,.・r・‑‑ .一一・・一‑‑・・1‑‑‑I‑I∴・‑1・‑ .・一 ・‑‑1213 tz 近 代 o)交血
3, 郵 俵 と旬 信
婦 8葦 経 済il'LL;追
1̲̲̲‥ ̲‑ ̲̲.,̲ 。廿l一一一 331 .J {
一一, .ー̲̲̲… ̲̲〜..J溝 一二̲.∫̲̲ 318 .II
I̲ ー
̲. ̲. . ̲ ̲
.̲ ̲..,I̲ ̲̲.̲̲̲̲̲一.̲.̲ 357 I̲・‑ ̲一 …̲・ 一 . ・ 一丁
一・一一一‑‑一・〜一一.‑‑r一一一‑ 38‑)・115 1. 出 菜 の 発 展 ・ ‑‑‑
2. 出
典
摘 1/B ,一一‑一一‑・l. 鉱 工業
5 滴 棄 ‥‑‑一一 一
窮 9来 社 金 構 造
L 調査地 の概 況 ̲A̲一一一.・̲‑ 527
2̲ 家 族 柵 成 ‑‑ ‑一・一一一一・・・・‑‑‑小 一・1‑ ・一一一一T‑‑.‑‑‑‑I,,‑̲.I‑̲̲・ ‑ 530 3, 家族 の作
成
補遺 と役割分地 ‑ ‑‑‑‑一・一一 ‑ ‑一 一 一‑ 一 一‑‑‑ 【p‑‑‑I‑ 537 4 同族 と耕族 ‑I‑‑‑‑‑‑I‑‑‑I‑‑‑‑‑I‑‑ ‑ ‑・1‑I‑1一一一一一・T一 一一・r.595
. 虚 業 払 同 組 合嫡 tl】輩 家 政 と 民 俗̲
L
社 寺 2. 年 中 行 水581
3 民 家 ・一 ・‑・・.I‑.‑ ‑̲̲ I‑̲,‑̲I.‑‑̲̲̲̲∩̲̲.̲.̲一 小 ̲
‑r 一 一
633第 1章 矢 掛 町 の 概 況 1
. 位 置 と冶 草/ // 0 / 〟
矢掛叫は, 間山県の娼繭粗 東経155105 520 ,北緯5 4 2 7 2
5
に餌乾し ,小田川之柴 山川の流域東西1 1Kn,南北15Kmにひ らけ ,血坊は9,1 191
7tであるo歴史的には ,山地U)中腹か ら上 rL汝 にかけて 多 くの古墳が 発見され, 矢掛 ,束 ・西川 面 中川 , 坦山田地区 に朱:l準.追跡が確認 で きることか ら ,歴史 の古さが他げれ る。また, r倭名類衆紗 」国郡
牲ヤし み な 少
の部にある。 甲埠
,
拝藤,草噂 ,契成 ,駅家の 4郷が矢掛町 城内にあると措定で きることに も歴 史の高さを伺 うことがで きる。近 tP̲・の矢掛町は ,支配朗係は私領 あるいは 鉄肺 とかな り錨額 し7Eた交代 も頻 繁で あ ったが ,大部 分が庭瀬鰍 こ所崩 し ,文政12年 (1 829 )以降は,徳川‑ ツ縮領 とlLっていた。そ の間 ,矢掛 の中心部は ,蒐永12年 (1a 5 5 )以牌 の参勤
文
代制によって ,旧山階iTlの橋場町 と して 発展 し , 夜業 ,交過 ,文化の中心地 と して栄えた。現在で も,大名 の宿 泊所であ った本陣 をは じめ ,古風な 土成造 りの家が立ち‑ならぴ ,当時 a)名残 りを とどめてい る。明治期 に入 ると, 矢掛は ,康博鑑別 川によって ,明治 8年 間山県 に属 し ,明治22年 の町村制 の 施行 に伴い ,矢掛村 と小林村が合併 し ,同2 9年 に町制を しいて矢掛町 と改称 した。li九 ,上 ・下 両高末村 ・内EU村 ・字角村の4か村が 合併 して糞 川村 ,東三成
・
横谷が一つ にな って三谷村 ,里山 柑 ・奥山出 ・中村が山田村 ,A)T価 ・剛 l順 ・宇内が川 面村 ,そ して ,本棚 ・掛転・江良が合併 し てLP川村 として新 しく発足 した。さ らに ,明治ヱ2年 ,‑jEUj・甲琴 を合併 し‑/i,」、田村は ,大 正1 4 年町制 を しき ,小「即汀と攻休 した。こ う して ,tf'‑A後地方 日給法か施行 されたLtB和22年 には, 矢掛町 ,美 川村 ,三 符村 ,山u]村 ,川 面村 ,中川村 ,小 tl]MJの2町 5か村を数えていた(,
ところで,この2町5か村が ,町村 合併促進法 の施行を契機 に ,昭和2 8年 ,北川村 を含む令 併 払讃会 を設け ,合併 を臥離した.その主な理 由と して ,地勢上 ,交過上 ,経済上'密接 な馳係を もち , 文化 ,人材J.,風俗を同 じくし ,行政上に机 、て も ,国鼎 J)出先機鵬 の同一 管鞄内にあることや組合 立 の社会 教育施設が少な くtLい ことが あげ られていたO しか し ,′トEEJ町 ・北川村が独 自の摘鹿 を 立てて ,離脱す ることにな ったため ,P;'i和2 9iF,矢掛町外5か村で もって ,新た に委員会を設定 し ,調丑 ,計画策定等 について施滋す ることになったq その間 ,美川J村 ,山ttl村 ,川面村 の村有林
・」、林肘鼠 茎列 10財産区の1銅 扱いをめ ぐって助糾 した ものの ,財産区はそ のま‑,4=と し ,杵 仔榊 よ 財産区を設定 して,旧村 に存在す る ことで結781‑をつ け ,L唱和2 9年5月1日を もって新矢掛町が 発 )‑iす ることと・/=った。そ の後 ,L昭和5占年 1月1 5日 ,小 LB町 を納入合併 して ,今日の矢掛町 とな った のである0
2.
矢 掛 の 現 況矢掛は ,南東1 7KLnの地点に煉筒 梅渦工 染地帝 の拠 点水 島 ,また ,西南2 5KmU‑)ところに備 後工 特地域の中心地福山市を控えることか らも
,
い 謹大 きく変化 しつつ あるoJ ∴ ‑
副‑‑ , ここ L‑
人 口は ,昭和4 5年の国勢調査侍 に糾 、て ,18・6 65^ (男子8・8 19人 ,女子?・8 4 6 ), また世帯数は ,4・d 1l世帯で県下町村 の うち戚大 の人 口を誇 ってい るo しか し ,昭和4 0年 の国 勢訴壷 に比べると,ムバー セ ン .ト (1.19 2人 )の人 口淑 とな 9 ,着年 人 口の都 市派 Hjは ,矢掛で
も例外 ではなか った く嚢 1‑ 2‑ 1)
衰 1‑ 2‑ 1 人 口と世帯 の推移
11了 計 ‑‑笠 、ユ 4.0 4 1 42 45
4 4
45 4 6総 人 口 的 19.857 19,940 19.642 19.555 19,091日 aH 5 18,927 指, 敬 100.0 loo.4 98.9 97.4 96.1 94.0 94.0 世 帯叡 (世帯 ) 4.546 4,675 4,680 4,682 4.895 4.占.ll 4,714 指 数 loo.0 102.8 102.9 10ま.0 1015 101.4 1017 1世帯当 9人 口
( 〜
4.4 4.5 4̲2 4.1 4.1 4.0 ■ 4.0(住民登魚人 口,昭40,45は国勢調査 )
500200
1 0
00
′ 出荷 /′‑ .
/ノr ‑ ‑
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従 業ノ /
ノ ノ gl業r
‑‑、、
● 、
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領故 年 昭
図 1‑ 2‑ 1 叔造本楽所政 ,従業者数 ,出荷額の伸び (昭1 0‑ 1 0 0 )
‑ 2‑
曲菜 も大 きく変わ り ,第2,第5次産業の発展 によって ,その比重は次第に低下 してい るO (表1‑ 2‑ 2)0 1970年世界曲発 センサスによると ,血家数5.072戸 ,経営耕地両横 11714Laで ,昭和40年度に比べると ,戯 家政 147戸 ,面韻 71Laの滅少となるo Lか も ,揺
且 家政5.072戸の うち専業出家は ,わずか299戸で. 10年BiJ.に比べ ,実に1.048戸の減少 となる
。
戯琴の斜悔化は否定すべ くもない。これ とは逆に ,第2次,窮5次麓弟従頒者は急速に増え.その比誼を高めて きている。 とくに輿 逝讃徒ホ者掛 よ,昭和40年 の1.794名か ら2.672名‑ と増え ,全就業者数の4分の1近 くを 占め (図 1‑ 2‑ 1),=茶利晶出荷街 も僻和45年現 在541,245万円で ,昭和40年庇の5 倍近 くにも連 している。
こうして ,矢掛は ,いま大 き く変わ
b
つつあるのである。以下では ,この変化を詳細 に跡付け , 発展 しつつ ある矢掛町 の実態を究明す ることに したい。‑ 5‑
衷 1‑ 2‑ 2 産 凄 別 就 業 人 口
窮 1次建築
出 講
林 業
漁 業
第2次産業
鉱 秦
建 設 薬
娘 造 非 番5次蓮華
卸売小売奨 金触 保 険 不必 達 架
信菜
血ea輸益迎公
サ ー ビス業
公 務
昭 和 4 0 年 昭 和 4 5 年
& 93 女 寒 総 数 男 女 率
7 (
^7
2.572 5.545人 55.5′ 4,4占9‑ 1, 7 8 7 7 2,占82 40一 軒.2DI 2,555 5,545 55.5 4.4
5 5
1,774105 2.占7921〜1i! 400..11巨 DD
1 2
4I
I 905 19.9 5.579 l 1.92ム J
95巨 292三 l.455 50T4
1
I 0.2 22 21 i 1 0.2
8 552 2占 5.4 占85 1.27962ム 1.59559 24.占.20
:工 ;
145 ‑ 57
(国勢調査 )
‑ 4‑
第 2 葦 自 然 環 境
1
. 地 形 と 地 質矢港町 で払 中央 よりやや南に偏 して,小
田
川の谷 ,'jL 全体的にみれ比,ほぼ鹿西 V E
兄い ていて, 山地如 Lと南 と忙分解 してい るo北部比,吉備高原山地 の綾辺部であ り,南 都山地は,遍照山LLは也(阿部山 名照山,弥高山など の一連の山塊 をい う‑ 岡山収 2 0万分の1土地分属軌 19 7 4,経済企画庁 )vt属する。 これ らの山地は,いずれ もLLl頂成斜面 を もつ,囁原山地で,全体 と して小起伏の山地 といえるが,本町城 紘,それ らのLLJ地の撮辺 で河谷に 上って,砕 く切 りとずれた急斜面の部分(n=当 るので,河谷低地か らみて,比較的高峻 表地親 を皇 してい るO断層vC彩甘された地形が卓越 することも,険 しさをひき たてている一つの額田である,谷vcのぞか急斜面払 一勝 5 ロ 07n内外 までそばだち,その上は起 伏の少ない山頂媛起伏面で,前の侵蝕輪週の あとをとどめてい る.この山頂緩起伏面の部分Ld,矢 井
PT
の町域外になるOすなわち,北西部に広く虎く
山頂牒起伏面は,央星町 ・井 原市 に輯し,南部 の阿部LU・遺風 ll・弥高山の山頂嬢斜面払 並慨市 ・里庄町 ・金光町 ・倉政市の区域で ある。この地域 を地形地域区分 すると
,(
I)南部山地 (盛照山山地 ), (2)小田川低地 (3)北部山地 (吉備 3高原山地両線 )の三つVC分け られ るo山地 が本町
の
了 近 くを占めるo 山地を柵成 する岩石払 南部 山地は石英斑岩が主体で,′J、田川 に沿 う山脚では花樹岩がみ られる.北部山地は主 として花 尚岩 よりな り,一部に輝線岩が存在す る.図2‑ 1‑ 1は, 宗田克己 ら(小副 JIT流域
志
Ⅰ自然織 19 56 )VC上る矢掛附近の地質図であるO失政町の 自然的土地条件 を大 づかみにするた捌こ. 2 0万分の1岡山県土地分類図付属牲料 (経 済企画庁, 197 4)か ら, 自然的土地条件別面鎌 をぬ き出す と, 次の通 りである。
表2‑ 1‑ 1 矢掛町の 自然的土地条件
(2 0万分の1『帥山瀬土地分がL4』付ki.賀札 虎済企画庁,1974よb)
a.榛高区分別面穣 単位肋 (四捨五入 )
b.惰斜区 分別面積 0..‑50
5qL‑80 8へ...150 15q‑200 20q‑30(∋ 50(L′400 400〜 主 要 河 川湖 沼
‑ 5‑‑
C.
地形
区分 別面横山
地 丘 陵 台 地 一段 丘 低 地 他そのl
合 計大起
伏 伏中
超 小
伏起 也山故 言
十 大起伏 咲小起 計 砂 P一A.一一 計 扇状地位 三 角洲性 計a.土壌統群分布面横
兼 ,% 褐 求 赤 梅 釈 タ 舵 そ 令音十 熱 7打 色秦 ソド 兼 色低 色低 ラ 顔 の 士 士ク 柿土 ^' 土色 土也 士也 土イ 士 他
白.表層地質分布両 親
未 鹿 結 堆 初 物 蘭 椿 姫 額 物 火 山 ■性 岩 石 深 成
岩そ
令計館 環 紗 秤 軒 硬岩 砂岩 岩 鍾派 坪 育 ‑蘇 ▲火 流敬 安山 計 i 繋 舵紋 一計 と と 膚 岩質 緑A 灰 砕山 卓質 岩質 間者餐 哀 岩質 め 紗 土描 物 岩ち 岩 岩灰 屑物 岩石 岩ち 石石L⊥一香ち 岩一1」石 他
EE(1) ただ し,ここVC示 された数値は,食小図示単位 を1肋 として描かれた20万分の1凶 をもとVCL,概括的把握 ない し構成 比率の利 用のために計測 された もので,実在の 面瑞 とは必 ず しも密着 してい ない.
(2)矢掛町域 で4
0
0,nLを越す ととろは2帝展庇vcす ぎない。最高部は北の境界VCある祐梅 山で約5 10,8(三角点の高 さは5 05167n)で ある。(3)傾斜区分は500を越す斜面が ないわけではないが, それ らの斜面は一 つ一つの く くり が図示単位 より小 さいので,兼房 されず,平均的 な傾斜 として集計 され てい るO
(4)2 00‑ 4
0
0,TLの 起伏並 を もつ山地 を′j、起伏 山地 と して分類 してい るので,矢掛町内 の山地は, I,‑iとん ど, これ VC軟当す るt)(5)宗田 らの地 Jj5回に石英斑岩 として記俄 され てい るものqL ここでは流紋岩 賀岩 石 と して, また輝線岩は,斑れい岩餐岩石に まとめ られ てい るO
l (イ) 南部山地 (造館山山地 )
阿部山( 566・5仇 ),慈照山 (4 0 5・578),弥 高山(50 7.7m)などよりなる地塊で,主 として石英斑岩,阿部 山の北の伽藍山や中山,盛照山の北 碇 などの花尚岩 と一部VC古生代粘硬 岩 な どか らをるO全体 として東商 忙連 なる ようにみえ るが,北東一 再西方向 と,それについで南北方向 のぞFや急斜面 が連越 してお り, 北東一南西方向の 山塊 が雁行 してい るとい ったほ うが 上さそ うてら
・.‑ムー
る。阿部山山塊の北西斜面比,′J、相川 ・尾坂川の谷に 而 して,北東‑南西方向にのぴてお り, この谷 の西南への延 良は,袖山市の北東の谷VTLまでた どるととがで きる. 「また, この地形感は,北東へは, :LtS谷の谷か ら江良峠を越 して. 清水谷そ して行都を抵ぷ瀬 に延長で きようo遺風 山の北西斜面綻,人 波一地蔵峠を梼ぷ北東一両西方向の斜面で rJり.その方向に地政峠か ら,山ノ神 (粗方町 ),さ ら忙 笠岡再演VC至 るまで, 直線的に谷を結ぶ ことがてきる。地蔵峠やLHノ神では,断層破砕帯や断層滑市 をみることができるので,北東一雨西方向の谷払 明 らかに耕造 作牌休 したもの と判断 きれ よう。阿 部lLJの北西斜面, さらVCまた,阿部LLlの東斜軌 弥高山山塊の西斜面, ‑iた,慈 照山の虎斜面 など, 商北方向の斜面や谷 も,不明瞭 なが ら,三角末 梢面的 夜斜面が認め られ,構造支配 を思わせ る。 この 三角末端面 と三角末端面 との間に払 息 な沢が王も吐 していて,その出 口(,C比扇状地や東銀 がみ られるG
た とえば,江良では,その開折のすすんだ沢のE)に, 明敏 夜朗状地形をつ くってい る。 この原状地面 紘.階段状 に耕地が開けてお r),畑地, あるV,結果輔姐 として利用 され,腐端か ら下手は水朗で,礁 清は山際れ 水田の裾にあたるところに並んでvlる. この ようか 也形 (,it.小規模 7たが ら,小田川の谷 忙面 して東西に走 る弥高山の北斜面 の鹿 でも‑^くつかみ られ る。
那 賀山山地払 北が急で, 南はい くらカ準 で あ り,此政的広い山頂壌 斜面は
,
甫忙傾いてい ること か ら,憤動地塊 といわれ る。 この傾向払 切峰両国 (図 21 1‑ 2)やその断 面図(図 2‑ 1・‑5) か ら軌 みとることがで きるO との山頂放斜面上を雨か ら谷が侵蝕 してい るので,分水嶺は,北VC舶 し てi・Lり,洗口都 との境は, この軸線に 上ってVlるo竜冊山 (405・5,A)紘, この樹線上のぶ 高Jで県南の名山で あるが, 矢掛か ら山EElを経て粗方VC 越える旧萌遥忙接 してそぴん この頂上VC払 18011/ばか りの旧侵蝕谷の谷頭が残 っていて, 50
7n奄下 った建地の端に冷泉が湧出 してい る。 この 建地の南の高地か ら,寄島山地越 しに,水島港 を一
旦
VCかさめ られ るO山]‡経 斜面は,阿部山,弥高山 などで広いO これ らの山頂緩斜面の福引‑i,必ず しも一定 してから ず,阿部山で5 5 0‑ 580仇,遁鼎山で5占ロー 4OOTn,弥高山で250‑ 5107nなどで, 7.
ロ ック
海
VC異 なる変位丑 をもつ運動が あった と思われ るO(.,) ′J、馴 低 地
書価高原中部の水を集め,東流 して商果川忙合す る′J、田川に沿 って,小 月)JH故地 と呼ばれ る狭長を 河谷平野が連 なってい る。 この低地は,全体 として結束西方向VCのぴているが,柵か('Cみれば,蔑鹿
も方向を変えて,ジグザグしなが らつなが ってVlるO
笠岡市 ・矢掛町の境付近,小Ef]川が尾坂川を合わせ る魯た りよ り,河谷の方向は,北東方向ve̲のぴ てい るが, 矢掛の市街 あた りか ら,大 きく方向 を変え て南下 し,里山田付近か ら再び'北 東方向 に向い ,
∫
束三成か らは,東南東方向か らしだいに東方向 忙なって狭 ま り,舌備郡兼
備
町 との境 で,娘掛山 .妹 山の 間の鯛海部 を横切る。 この ような河谷の方向結,前項の山地の構造 の方向 と適応 した もので あ り, 明 らかVC地質構造忙支配された谷 とレーうことがで きエ う
O この構造性の河谷 を,小田川は沖耕低地 を つ くって流れている.低地の幅は1kBI前後で,河谷の方向の変換する部分や, 支谷の流入 する部分で, やや幅広 くなり,其僻
町との 境で猿股 となる。 こ,D軟陰部は,凍掛山 ・妹山付近の堅硬 で珪Jjfの石英̲7.̲・
■■ ′ F「ー
斑岩 が抵抗岩 となって生 じた ものであろ うO 慣lk冴前後の河谷の なれ または,この河谷 とその支 谷 とVIC比 さまれた ところなどに,沖横地の なかVC島状VC孤立する分離丘俊がい くつか存在 ナるQ満 山 ・三 本松山 ・日要地の北西の 山 生山 ・茶 臼山 ・中山 など大小様 々で あるO これ らの丘陵は,ほ とん どが花樹岩 で構成 されてお り,交差 する桃造の著 しい花樹岩地帯の河谷の特徴 を示 してい る6
矢掛町内で収 も平坦 な仲秋面 が広 がるところは,小 田川 と尾坂川 との合流点付近の浅海 (あすみ ) で ある。海抜 高度は 2 1‑ 227nで, 下流の簡川面(22‑ 2 57花)よ りも, い くらか低 くさえ あ
るOそ,D地名か ら推 して,か っては湿地 ・沼沢に類 した状 態で あった ところ と思われ るO その低辛 夜水 田地借を後 に,前を′トEEl川の碇防VC組 まれた ところVC位尼 する大仁五は ,水田面 よりやや高vl
自然卿 方の上 に石垣 を粂いて立地 した典清で ある。 自然喝防は,現在の小 田川 冶いVC,水 田面 より やや高 く,桑畑 ・果樹園その他の畑地 と して利用 され てい るところが多いが,水田化 した部分 もあ
るo
自然埠防上 に立地 した集 落は,前述の大仁玉の他 作, 矢掛の市街地の うち旧山陽道 vc沿 う西町 ・ 胡町 ・中町 な どや
,
里 山田の土生が ある。矢掛の市街地の 自然礎防 は, 215万分の1の地形図 では, 市街 地 として描かれ ていで競み とれ ないが.旧山限道 に沿 う星並み取かってい るところがそれで あ り, その す ぐ北の道路 を歩 くと,後背湿地を利用 した湿田が点 々と残 っ てお り,湿EBの南側に石垣や ブロ ックを築いて建 て られ た,旧山修 道沿いの 家屋の盛 がみ られ る(写 其 2‑ 1‑ 1)。後背 湿地には, 粘土 の堆横 が著 しい. 矢掛小学校 の ポー リング穀料 に 上れば,粘土 層は1,九似上, ところVCよっては 57,LのソJLトの堆横 が知 られる(
図2‑ 1‑ 4 )。土生 の典渚で も, 自然 姫防の上 作石垣 を築い て家慶 がの ってい る。
主 として紗鎌J宙よ りなる押棟低 地の地下構造 は, まだ十分vc解 析 され てqiい ないO花尚岩 を基盤 と して紗鞭層がの るが,その厚 さや, 神様 と洪棟の境界間頓 など明 らか にされてい ないO軸棟 付近の柱状 図は,次の通 りで ある (図2‑ 1
‑ 5)0
どiiiiiiiii
写其 2‑ 1‑ 1 自然殉防上の矢掛の 旧市衝の家屋 旧山階道 沿いの家島 を北の道路 か らみた もので,手 前は
後背湿地 を利用 した水 田。家屋は後背湿地側では石垣や ブロックの上vcの ってい るo
IT 8‑ .
女 形ト 附丸地 常田
J L
1 4
図 2 ‑ 1‑ 1 矢掛肘近地焚図
(r小田Jll下総竣
藍J
II自粕 . 19 5a‑宗田克己ら小による )‑ 9‑
坊 峰 面 図
4L一一■一一一▲■■.■・...‑▲■一‑.一一一一・一・・・.・.・.・.一・J‑
r2121112 切 半 面 回 ( 2 万 5 千 分 の 1 地 形 図 を 用 い , 噂 5 0 0 仇 以 下 の 谷 を 埋 め た も の )
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(Q♂せJl蟹軸染恒温■67軸率恒藍出せ
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国恒始bj・QNI↑‑Z図)函慎む10着rTTL#贈れ‑L‑N函‖〃〝ハ日用川川ノ̲
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L仰;a [ 二
周 2‑ 1‑ 4 矢掛小学校の地下の地角柱状図
荘 ) 中島地 下工実株丸凄社咋 よるポ‑ リノグー 昭和 4d年‑の 較科 よ り作成
●
El: 表 土 b: 砂 瞭 C: 秒 d,: 抄賓・yル ト F',. シ ル ト f : .:I,Jt・ト賓も比 (粘土 Jjlソル ト) g: 粘 土
̲13‑
河谷 低地の すべてが,覗 在の氾 漉戚で は ないO′」、田 川やその 支流 の新 しい下刻 忙 上って一か っての氾濫原 は数10
g ▲ 淵〜
2m種皮の段 丘圧 をつ くっ て殴丘
イ
ヒし, 収 も新 しい氾 慈 広壮,その 内側忙 ある(写第 2‑ 1‑
2)。 これ ら
写美 2‑ 1‑ 2 旦 山田の押凍低地
手 前の畑 地仏 小 田川の 自然
卿
。その少 し後 vc, 比高教 10cmか ら178億 度 の′」、号竜殴丘崖 が参 り, それ エ !)後払 道 々川 がつ くる政扇状地面。 また右側 の由雄忙畦屈状地がみ られ る。の段 丘崖 払
小田川本流 でlli, ところに 上って不 明瞭 とな り,連続 的に追跡 し忙 くvlところ もあるO美 山川 をさ かのほ る と,現河床は韓 (炊 くな り,段丘崖は高 言を増 し,段丘 として明瞭 vE識別で きる よ
う
VC竜るo桜木の手 前の黄 山備付 近で拭,硯河 床か ら段丘面 までの比膚は 約4
7 n
,茶屋 ケA付近で約 4,5TnとなるO この段丘 は土 井 よ り上純の 映谷内に点在 する段丘傑 層 をもつ小平坦 面につ ながる と思われ る(写真2‑1‑5)
写共 2I 1‑ 5 鬼 ケ岳温泉付近の水盛 され た蹄 をもつ帯頭.
現 河床 よ り10数 Tnの 高さ。
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水. 泉 回
図 2 ‑ 1‑ 占 矢掛町の水系 (5万分の1の地形笹tを用い て作図 )
.一一17‑
との岩 石段丘 性の小平坦面 紘,鬼 ケ岳温 泉付近で,硯 河床 より比縞 1 2.7
1 h
で あ る。 これは, 美山川の下刻
の辛 しさを物 磨 るもの としへ える。星田JH 府い忙Jdl.低 い段 丘崖が連 綿的vc追跡で
きる。 写楽 2I 1‑ 4
無
料の 市街地の北 方の扇状地面の扇端 近 くo 矢掛の市街地の北方の山鹿
にt r i
,扇状地が連 な り複合扇状地 を皇 し,届端 を市街地付近 にまでのば してい る し 写寅 2‑ 1‑ 4)O呼救寺 や多聞 寺は,
娼端 付近に位 圧 してJも、り,束は,扇端付近 が段丘崖 で 切 られ てい るようで あるo東三成の大 谷川のつ くる虜状地,果 山EE]の道 々川のつ くる扇状地,横谷の大渡川の つ くる扇状地を どQi, いづ九 も纏めて練傾斜の扇状地 で あ り,血塊近 くは,小田川の氾底屈 で切 られて, 比庵赦 10 cn1の段丘虚 を も‑,て段丘化 してい る。その他 小さな傾状地や崖錐は, 日滋や江良,里 【L旧 の東の山 姥 孜と,趨Lj(,こしは しげみ るこLがで きるO
(3) 北部山地 (吉備福原山地舶 )
‑吉備 麻原面 と呼ばれ る援起伏面払 矢掛町の北 軌 尊皇町 と井 原市 とに広 くひ ろが っている。その 高さ(,1 5 0 0m前後か ら4 0 0mを越 す ところ もも i,J,その上杵は5 0 07nを越す戎丘状の孤峰が と ころところ'/C残 ってい るo この地域 は,主 として古生代の碑縁者や泥岩 か らなってい るO矢耕町
域( h =
はい るのは, この後起伏面の練辺か ら,小EP川の河か忙かけ ての地域 で.主 と して花磁 岩 よ りな り, 黄 山川 ・星田川 .大創 II・林 田川や,その他の小河谷に よって峡谷が うがたれ,媛起 伏面がほ とん ど 残存 したいほ と忙侵蝕 され,ために,比軟 的け わ しい起 伏をもつ山地 と在ってい るo苦節 高原上を流 れる小河川LJi,矢掛町 境近
く
に当 る高原面の根皿 で,明瞭 兼避急点 を もって急流 とな り,水は岩 &.噛 んで流れ溶 ちるo確 をなすところ もある。星憎
川の支幹
にかか る雄虎 滝は,その‑
例である。急流 は い っき.t(,C2 0 07n近 くも流れ下 ってか ら軸 し,やや開けた谷間 に出るO央山ノ目は.美 星町 の三 山の盈地lJJlで, 吉備屯風 上の水 を典め,北方の字 戸谷 を蓬 回 してか ら,鬼ケ 岳温泉付近か らは南(n=むか って,鬼 ケ岳の峡谷 を羅 くうが って流れ る。鬼 ケ岳の峡谷の出口近くVr‑,
‑‑1i)‑
「
防災,櫛瓶用の鬼 ケ岳ダムが ある.
ダムの すぐ下流 では,河床vc岩盤 が 結出 し,見車 を河 蝕徴地形 がみ られ ち (写実 2‑ 1‑ 5)。上音末か ら 下 高末 VCかけては, 幅 を増 した河谷 に払 1‑ 2段の河 岸段丘 が明瞭で ある。下位 の ものは,硯河床か ら比 高約2m,上位の もの比, 5‑ 57n の岩 石良蝕段丘で あるo
尭山川の東部で拙,倉見池付近 と 横沢寺付 近などに高庇 5
0
0m前後 の媛 超伏面が残 ってい るに過 ぎない.ここで も急杏谷を さかのぼ ると,経 起 伏面の高位谷 峨 憤斜で あ り, 皿 状の谷 に比 水 田 がみ られ るoこれ らの援起伏面の 上忙, 高東山58O m,懲 峰山599,札などの峰が あるo
(目名和子 ) L
写美 2‑ 1‑ 5 鬼ケ岳ダ ム直下の卦 rJJlの河床
引用 ・参考文献
1・ 経済企画庁総合娼発局 (1974)
乙 矢掛高等学佼 生徒会 (1956) 20万分の1『岡山県土地分類 図 』および同付属紫科
5・ 矢掛 高等学校 生徒会 (1959 )『′J咽 川下沌域蔑』1自然編
『′トE別"T流域誌 』tl集落編
‑20̲
Yパ[」避U■′l・■
.
1気
2
中lsj地 方の気候vL 大 き く
,
澄 日本式気候 と湖 戸的式気候の2つ
に,分け られ る。護 日本 式気 侯は 冬季に雨や雪が多 く,降水A・が年1.18 00‑ 1.96DJJrを記録する。 それ に対 し, 瀬戸内式気候 は, 柵天が 多く,砕水J生は少 ない。 岡山県 は,位.Fr的忙瀬戸内式気候の影8 を大 き く受け てい る。そ こで,史v c
くわ しく岡山県の気侯 をみ てみ よう.岡山県の5a候は,図2‑ 2‑ 1の如 く,大 きく5
つ
に分 け られ る. (和逮雅 夫監♯ : 「日本の残像 J に よる) それぞれの特徴は, 次の通 りで ある。I.中国 山地気候区
貴堤 が痕 も低 く,峰雨Jiaは年 間%.過 し,軌 亡少 をい月忙 たいO もちろん,梅 雨 ・台風 季(′こは常 しく 多い O
∬.
Ll‖枇 候区書備 福原を 除 き,一般 に也僕で,降水塩 は鞄 盲 ・台風孝 を除 き,一般 に少 ないo
L n .
瀬戸内気候区温暖 で
′‑‑・ .‑ 1 ・ 」 〜 ,
降水iLtは年間を通 じ, きわめて/少ないJb.,Ⅲ
a)一夏. 冬 も 降 水 山 は 少
な い 。Ⅲ a2
1
叫 al よ り,瀬戸内気候の特攻が強いo皿 bl一夏 ・冬 ともに降水 牡は少 な く,冬噴 かく,ま は高温 で あるO
皿 b2‑(m)bl と同 じたが.その煩向 は さら忙強い。瀬戸内気候の最 も代表的地域で, 年 日脚時 間は, 2,400時間を越すo
矢掛町は,位足的忙也(TD)alに入 る。そ こで,拘山 (瀬戸内気候区‑(u)a2 ),笠岡 (瀬戸内気 辰 L去‑(班)b. ),佐鼻 (吉備戚原上 ),
軌
Ll
(山常 気候区,盆地 )などと地紋 しなが ら,矢掛町の葡候 的特色 をみ てみ よう。i ‑ ・ ; : I : ; : : : i . ; ; ̲ i
且♭ L 廟 晒
図 2‑ 2‑ 1 岡山県の 気 軽 区 分 一円1‑
(1) 気 温
矢鹿
町
VCL・け る年平 均気温払 1 4.5℃で あ り,一般VC温暖 といえるが,舟 褒月 (8月 )紘, 2 占・9‑cT・,かな り 暑 く ,原寒 月(1月 )払 i 4' c
K下 る. 近年 (昭和45‑ 47年 )の攻高 ・ ii・低気温は, それぞれ, 5 iD'C,‑910℃ を鞄良 した。 (襲 2‑ 21 2)月別平均気温の 年変化 (表2‑ 2‑ 1)をみ ると,矢掛の気温の年変化払 ほぼ同 じ梓鹿に ある 岡山や, 地域的に近い海岸 わいの笠岡 とくらべて0,5l
c
橿低 く, また県北の辞山のそれ よりは,o・
占
'C
程高いが,ほぼ類似のJlター ンを示 している.岡山 ・笠岡 と比軟 すると,夏の気温はほほ同 様だが,矢掛の冬は, 1‑ 2℃低 くなるO月別平均 日載 差 (図21 2‑ 2)をみ ても,それは,岡 LLE・豊岡 より大 きく,その年変化のバクー ンも,軌 lLの傾向に近い。最高 ・最低気温VEついて も, 岡山 ・笠岡の もの よ り矢掛 ・津山のほ うが.貰 は より暑 く,冬は 上 り寒vlものが記録 されている.以上の ようを各 地の気温の異同は, 1つVC仏 地理現康の違いを表現 してい る もの と考 え られ る。
執 11は盆地で あり,矢掛は南北 を山地で限 られた′」、EEl川 の谷間に あるところに,類似性がある.冬 季に暖かい笠岡は,漸戸内海に面 し,他 と比戟 して気温の低い佐屋は,苫備高原上に位値 するか ら
としへえ よう。
表2‑ 2‑ 1 昭 和 45‑ 47年の平 均 月別気 温
蒜海で
1 2 5 4 5 A 7 8 9 10 ll 12 平 均 矢 14 17 占.4 1iO 17.8 21.a 2d,0 2d.9 22.7 15.7 1Q.4 5.8 14.5℃佐 屋 2̲0 一.8 4.5 ll.3 1d.1 19.5 25.8 24.6 20.5 15.8 ad 4.1 12‑5℃ 岡 山 4.1 5.5 8,9 lib 1a2 21.9 2L5 27.2 2i2 16.5ll.0 a.5 15.0℃
tlt 山 2̲8 5̲2 5.9 12.8 17.3 21.2 25.5 2&4 22.2 15.1 ?.7 5.1 119'C
衷 2‑ 2‑ 2 最高 ・最低気
温 (S
4与〜 47)気 1 ‑選聖 矢 掛 佐 屋 岡
山
細 山 豊 岡庇 高 気 温℃ S 一4 .85LO月 B 44 .8さ5.7 月 8 45 .784 7 .8月5 5.a 月 8 45 .75&5月 8 47 .85 5.4月
l叔 低 気
.
冒 ‑ 9.0 ‑ 1D.0 ‑ &ヱ ‑ 9.9 ‑ 5.i‑22‑
E
∵∴ ・一
規 2‑ 2‑ 2 昭 和45‑ 47年の平 均 月別 日倣差
図 21 2‑ 5 慨LL,鼎各地の クライモグ ラフ (相和 45‑ 47年平均 )
‑ ヱ与‑
(ロ)停水足
表2‑ 2‑5か ら読み とれる よ
う
に,矢掛 より北に位際する津Lll, 香傭高原上の佐屋は,一 年 を 通 じて他の地方 より雨足が多 く,竹節:梅 雨 ・台風孝 には,その差 が大 さい。 これ Ld=対 し,矢掛以 南 では 雨が少 ない。一 般に, 矢掛は他の瀬戸内気候区の地方 と同 じく,梅雨期 を中心 とす る, 5 ・a I7月及び,里か ら秋へ凝 る台風期の9月VC雨丑 が多 く,必 て,盛 夏 (8月 )及び,冬季の12 ・1・ 2月は雨rRが少 ない といえ るO
襲 2‑ 21 5 昭和4 5‑ 47年の平均降水丑 月
観加地 1 2 5 4 5 占 7 8 9 10 ll 12 年 降水起 矢 掛 50 57 59 109 122 226 277 128 14占 70 46 45 1.555 hm l
佐 屋 57 57 67 120 150 245 555 158 185 85 54 47 1.540HRI
̲塑 山 45 55 57 110lH d 251 249 109 155 81 44 59 1.267nlaI
,細 山 占5 占0 74 1【】8 151 259 54‑6 122 187 75 44 50 1,519MB[
ト) 大 衆現救
̲ji2‑ 2‑ 4よ り,失弧 紳山払 それぞれ,谷間及び盆 地に位政 してい るため,夜 間の冷え込 みが雌 しく,その ため癖の発生が他rJ地方 /K比べて多vlことがわか るo ま・/i, 矢掛 ・帥 山 ・重岡d.
一般 にJ岩が少 ない
。r
小 田川下流域恵 Ⅰ自然荊
」忙 上れ ば,矢薮町 忙おける現 題,雪の状態は
次の ようであるOa 滞‑ 初 濁れ 北部 では一般 (′こ11月上 旬及 び中旬にみ られ,南部では, 11月上旬か,そ 九 より少 し遅 れてみ られ る。 樺頂は:,北部 では4月下旬, 南部IT比 4月上 旬で あるo b 彦一一小は[川,その他の水丑の 多い川に近凄 した所で仏 しば しば多 くの膚VC包 ・まれること
もある。 Lか し,逆 に,水辺 か ら遠い ところは,一般 忙務 が少 ない ようで あるO全般 的 に, この士朗或は森 が少 ない。
C 雪‑ この地域 で盟が見 られ るのは, 12月 より5月始めに至 る期間で, かすかに ちらつ く 功 合 も含 めて,年 間10回以上VC75:ることは少 ない。横習韓鹿 も大 した こと虹 なく,
5C7r以上になることはめ った忙 ないO
衆 2‑ 2‑ 4 大 気 硯 日 数
∫.I 屋 rm LLT 一軍 l
而 管 雨 冒 座 開 野 霧 ! 雨 質 蒋 T 雨 響 #
45 128 20 70547 150 541 1 158 21 16 152 46 106 109 14
0
44 129 15 5 105 58 ll 152 21 28 159 48 95 114 9
O
45 158 15 ム 120 40 24 14占 19 14 1占2 48 95 116 9 8 4占LIT 160.158 ll̲5・12 a 156 29 19 177 14 25 ZD2155 50 10 ld0 17 18 167 44 110 11259 189 141 128 55
巨) 風
r'J、軋 り下流城 詰 Ⅰ自然
詩
」に 上れば,矢掛町の風の特徴 は次の ようであるO‑殻的vcは風比,夏は南 か ら,冬は北か ら吹 くのが当然で あるが,実際には,一様 でない地形忙応 じて,風向 ・風速は極 めて複雑 を もの となってい る。 この こと払 次に示す図2‑ 2‑ 4か らもわか ら.全般的vc風は裾かで ある.特 に強い風が吹 くの払 台風孝の夏 か ら秋 にかけ てである。 また,冬 季の木枯 し払 毎辞秒 速15払程 度vC吹 き荒れてい る。
′一 、‑
図 21 2‑ 4 風 向
周
荘(1)′J、田川T流域 蓋 I自然詩‑ 1 9 5 61 より作成 (21 太い矢印はまの,紳vl矢印は冬の風向 を示すo
一三5‑
(a;)
矢
BI町 内の北部 と南部の気候の比叔矢掛 と鬼 ケ岳 ダムでの気温 ・陣水食 に 上って,矢掛町内の南部 と北部の気 侯を代襲 させ るの机 必ず しも妥当 とはいえ ないが,他にデーOがないので,南部 と北部の気候の差異 をみるための1
つ
の目安 とL.て, と りあげ てみる。矢掛 と鬼 ケ岳1ムの気温の 年変化,お エぴ・月別降水丑 を・図2
1 2‑
5に示すO矢掛 と鬼 ヶ岳Fムの気温 を比較すると, 1 ・5月 を除 き.鬼 ケ岳 ダムのほ うが1'C近 く低温 であ るが, そ う大 きな差異は なV,O各 月の降水丑 払 全般的に矢掛のほ うがやや多いoただ し1月と9 月に
は
, 鬼ケ岳 ダムのほ うが僅かに多い。 これ帆 冬の降雪状態 と台風拳の降水状憩 とVCかかわる のであろ うo3
20f0βr ‥、 〜 l l I .
I ‑ キ
Ji
′ 一 亀†
∫ /
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∫
∫ ltII
′ lII
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芦
̀ /13久JLLクBq /o//Jl国 2‑ 2‑ 5 聯 口45‑ 4 7年平均 月別気幽 および 月別陣水胸
‑26‑
N 矢掛町の植生の概略
矢掛町の植生 につい て仏 教 ヶ所 につい て.価か 複成 寮を試み た忙 とどせる。 そ こで矢掛町の
他
生の特徴VrIつい ては
,r
,ト副 IIT流域誌 Ⅰ自然罵」 を参考忙 しで, 次の よう(,こ概述す るoなか ,今回観察 した植物分布は図 2‑ 2‑ 日こ示す。
a) 北部高地
ここでは, マツが卓越 してお り, その他vc租林咋 上るスギ ・ヒノキが 目につ く. 7tた. 谷に(・‑i, ク1)・マンサク ・クル ミ ・カキなどが 自生 してい も。 ここで特 徴的 なのは, 中国地方では南限 と思 われ る高LLl性の レンゲツツジが宇 戸で見 られ, B地点 で仏 関東地 方特 有なナップジが見 られ るの VC対 し,図2‑ 2‑ 6で示す ように,暖地性の稚物,特に, ネコノナチ ・シ 1)ブカ ガシ, A地点に おけ るソ ヨゴ ・7 ラカシ (これは,暖かい気侯の シ ンボル とされ てい る. )などが存在す るこ とで ある。 これは.北部は,温度的 には南部 より低温 で 5,.り,一般的に,温帯性の 植物が卓越 するわけ だが,山の南斜面は,太陽光 に よって北部の他地域以上 に暖 め られ たため,こ こに,暖地性の植物 が生育可能VEなった と,考え られ るa
t)) 南部高地
北部に比べて,広葉 樹は一般 忙少 な く, しか も. 点在す る傾向 を示 してい る。その生 え方払 大 きな粒 .Q:柵的 な もので ある。それ らには, アべ17キ ・クヌギ ・アラカシ ・センダン(暖地性 )な ど がある. ここでは,北部の ク 7)・エゴノキなど柱, ほ とん どみ られ ない
。
「また,暖地性の もの とし て, モ タコク ・ヤマモモ・ソ ヨゴなどがみ られる。 しか し, この地域は,北斜面 となってい るため 太陽光線 が当 りにくく,北部 と此 して,暖地性の租物は少ないoc) 中央低地
・」、田川の河岸及び巧州 に帆 メダクが粍 放 し刀ハるのが 目につ く。・また河道 及 減 封、ら離れた谷に 沿 って, マjZ'ケ も群落 をな してい るo特 Vr., 山田 柵脊vc多い。 この竹 やぶの なかに,暖地性の ア ラカツが生 えてい る ことが ある. また,水辺 かこ仏 必ず といって よいほ ど, y ンジ lが生 えている のが 目VCついたO
(佐藤 隆 子 )
‑27̲
一一一ノ 11 ′‑■′
図2‑ 2‑ 8 矢 掛 町 の 植 生
‑28‑
親 3 章 人 口 と 集 落
1 .
矢 掛 町 の 人 口動 態(J) は じめに
矢掛町 は昭和2 9年5月1日,旧 矢曲町,苑川村 ,三谷村.山 田村 .川面村,ヰりlL村 ,以上 dケ町村が合 併 し,さ らQと帖和56年 1月 15日忙旧′J、田町を納 入 して,総
両
税 90, 1 2KnIの 現在 に至 っている(,Hf絹U48年 4月50日魂 在 で捻人 口18,792人 とな ってお り,郎下 町村 のう ちでは長 大 の人 口を萌 して し1るO 人口分布は小机E
帆 域 の平 地及 び通 路 沿触
機 中 Lてお り,lH矢 掛町 ,/」、臥町が改姓が高 く,旧美 川村 では旧矢掛町 の#)1/ 6とレ、う低 さにな っている 。そ して人 口減少に よ り, どのItl町村 も大体 同 じ様
に低 く/t つても,(.)矢掛町 Vj市街郎V
(,̲周辺人 口が姓 中 してい くとい った形態は とられてレ、ない0 人 。減少は町を越 えて. 岡山 市,愈教 市又郎外‑ と人 口移 出が おこなわれてい るか らである。世帯軌土4・7 4 8戸で4‑ 5年前か ら徐 々に 増 加 して い る。とれ Eは核 家族化が進ん で重たため と考 え られるo以上か矢掛 町 oD人 口の現状 であるOr京 5‑ 1‑ 1 失准帆地Ig別人
L J
地区
世 帯 政 ‑?, 人 女 口株 人 口 具i100つ き 女にL
人ノ洩 普山 Ef] d1一〜 1.216 1.547 2',557 110一8 12.5 208
川 面 Sd1 1.075 1.131 2.206 105.2 9,5 252 中 川 548 1,078 1.159 2,257 lD7,5 10.5 215 /」、 Eti 667 1,265 1,5d1 2.d24 107.7 6.4 410
江 ) B・48・4.役
場
住民登 藤人 口に 上る.(。)人 口の増 淑 ‑ 人 lニト 世帯数 の推移 ‑
この地域 は昭利 2 5年以 降,ず つと人 口か淑少 し戯 けて きて レ、る。大正 元年 か ら昭 利 48埠 までの人 口 ・蛙常数 の推移 を衷 5‑ 1‑ 2,衷 5‑ 1‑5, で示 そ う. 昭和2 5年が偉 大 の人 [コを もち, 2 4.155人でこれを1 00とす るL, 5 5年 で21,9 dO人, 40年 には19.8 5 7人 , 45年 には さらに叔 って 18,9 d 2人にな ってお り,その比 は9 0・1J 8 2・5‑ 7 8・dであるo こ U)ように 25年以降 40年 ぐらいまで急激を人口奴少を きた してLレ、る
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しか し' 4 0年代 にな って そ のス ピー ドは しだいに弱 ま b, 45
年か ら税在 にかけては奴少は‑して いる もの の,ほん のわ ずかメ̲29‑
(頓豊(Ar側馬鹿団再叫朴匝」鹿嘆∃匿)
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