指 定 介 護 老 人 福 祉 施 設 整 備 に お け る
ユ ニ ッ ト 型 個 室 推 進 の 影 響 に 関 す る 研 究
<要旨> 高齢化が進展している我が国において、高齢者施策は喫緊の課題となっている。その施策 のひとつとして、重度の要介護高齢者の終の棲家とも言われている指定介護老人福祉施設の 整備が進められている。本稿では、指定介護老人福祉施設のユニット型個室と多床室という 居室に着目し、東京都の補助制度で定められている多床室の上限規制が、指定介護老人福祉 施設に申込みを行っている人たちの需要にあっているのかということを、仮に効率的な競争 市場において価格が決まり、居住費について実費を徴収することを前提として分析を行った。 分析の結果、多床室の上限規制は申込者の需要と適合していないことが示された。2014 年(平成 26 年)2 月
政策研究大学院大学 まちづくりプログラム
MJU13620 森藤 庄司
目次
1. はじめに ...1 2.制度の概要 ...3 2.1 社会保障と介護保険制度 ...3 2.1.1 社会保障 ...3 2.1.2 介護保険制度創設の経過 ...4 2.2 介護保険制度における費用負担 ...4 2.3 介護保険制度における指定介護老人福祉施設 ...5 2.4 指定介護老人福祉施設に関する国の方針および東京都の補助制度 ...7 3.理論分析 ...8 3.1 居住費に関する理論分析 ...8 3.2 上限規制に関する理論分析 ...9 4.実証分析 ...10 4.1 分析の考え方 ...10 4.2 分析の方法 ...10 4.3 使用データ ... 11 4.4 推計結果と考察...13 5.政策提言 ...14 6.おわりに ...15 参考文献等1 1. はじめに 日本では高齢化が急速に進んでいる。その要因は大きく分けて 2 つある。ひとつは、生 活環境の改善や医療技術の進歩等により平均寿命が延伸したため、65 歳以上人口が増加し たこと。もうひとつは、少子化の進行により若年人口が減少したことである。図 1 に示す とおり、1950 年には、総人口に占める 65 歳以上の高齢者人口の割合である高齢化率は 5% に満たなかったが、1970 年に高齢化社会の水準とされている 7%、さらに 1994 年には、 その倍化水準である14%を超え、高齢社会と称された。そして、2012 年 10 月 1 日現在で は、65 歳以上の高齢者数は 3,079 万人となり、高齢化率は 24.1%となっている1。 図1 高齢化率の推移 出典:総務省統計局『国勢調査』より筆者作成 また、先進諸国の高齢化率と比較してみると、日本は2005 年には 20.2%と最も高い水準 となり、世界のどの国もこれまで経験したことのない高齢社会を迎えている。さらに、高齢 化の速度についても、高齢化率が 7%を超えてから、その倍の 14%に達するまでの所要年 数である倍化年数によって比較すると、日本は、フランス(126 年)やスウェーデン(85 年)、イギリス(46 年)、ドイツ(40 年)よりも早い 24 年で倍化しており、世界に例をみ ない速度で高齢化が進行している2。 こうした高齢化の進展に伴い、介護が必要とされる高齢者の増加、介護期間の長期化など 介護ニーズはますます増大した。一方、核家族化の進行、介護する家族の高齢化など、介護 が必要な高齢者をめぐる状況も変化していた。そこで、高齢者の介護を社会全体で支え合う 仕組みとして、2000 年に介護保険制度が創設された3。 介護保険制度におけるサービスは、訪問サービスや通所サービスなどの居宅サービスと指 定介護老人福祉施設などの施設サービスに分けることができる。施設サービスの中でも、老 人福祉法に規定する特別養護老人ホームで、かつ、介護保険法による都道府県知事の指定を 1 内閣府(2013)『平成 25 年版 高齢社会白書』 2 内閣府(2013)『平成 25 年版 高齢社会白書』 3 厚生労働省(2013)『公的介護保険制度の現状と今後の課題』 4.94% 7.06% 14.54% 22.84% 0.00% 5.00% 10.00% 15.00% 20.00% 25.00%
2 受けた施設であって、入所する要介護者に対し、施設サービス計画に基づいて、入浴、排せ つ、食事等の介護その他の日常生活上の世話、機能訓練、健康管理及び療養上の世話を行う ことを目的とする指定介護老人福祉施設は、2011 年 10 月 1 日時点で、全国で 5,953 施設 あり、総定員は427,634 人となっている4。しかし、2009 年 12 月の厚生労働省の調査にお いては、全国で約 42 万 1 千人5の入居待ちをしている申込者が存在しており、現在でも整 備が進められている。しかし、指定介護老人福祉施設の整備には多額の費用が必要であり、 整備経費を、主な設置主体となっている社会福祉法人6のみで負担することは難しく、指定 介護老人福祉施設で提供される介護サービスには、公益性があるとして、都道府県や区市町 村において補助が行われている。 東京都では、平成25 年度特別養護老人ホーム等施設整備基本方針を定め、新たに指定介 護老人福祉施設を整備する場合、生活の本拠となる居室は、図2 のような、10 人程度をひ とつのユニットとして、当該ユニットの入居者が交流し、共同で日常生活を営むことができ る共同生活室が隣接されているユニット型個室とすることを基本としている。また、指定介 護老人福祉施設の整備費補助を受ける場合、1 部屋の定員が 2 名から 4 名以下である多床室 の整備数には上限を設けており、補助額にもユニット型個室とは、差が設けられている。 ユニット型個室 多床室 図2 居室構成のイメージ 出典:厚生労働省『第28 回社会保障審議会介護保険部会資料』 しかし、多床室の整備数に設けられた上限は、指定介護老人福祉施設に申込みを行ってい る人たちの需要に合っていないのではないかと考えたのが本研究のきっかけである。 本稿の位置づけは、仮に競争市場のもとで指定介護老人福祉施設の居住費が決まり、入居 者から実費を徴収する場合、指定介護老人福祉施設に申込みを行っている人の居室の選好を 分析することで、指定介護老人福祉施設整備に当たっての基準が、需要に適したものとなっ 4 平成 23 年介護サービス施設・事業所調査による。 5 厚生労働省(2011)『第 75 回社会保障審議会介護給付費分科会資料』 6 平成 23 年介護サービス施設・事業所調査によると総数に占める割合は 9 割超となっている。
3 ているのかを分析する点にある。具体的には、まず、指定介護老人福祉施設に申込みを行い、 入居待ちをしている人のデータから、居室の選好に影響すると考えられる変数を用い、プロ ビットモデルによる推計を行う。次に、推計された各説明変数の係数と個々の申込者の変数 を乗じ、確率の値を作成する。その際に、仮に市場価格で提供された場合の居住費を算出し、 作成した変数を入れかえることで、想定市場価格における個々の申込者の居室選好を明らか にした。その結果、多床室の上限規制は、申込者の需要と適合していないことが示された。 本稿の構成は次のとおりである。まず、第 2 章で介護保険制度と指定介護老人福祉施設 の概要と現状について触れ、第 3 章で指定介護老人福祉施設の居住費と多床室の上限規制 の2 点について、経済学的な理論分析を行っている。次に、第 4 章において入居待ちをし ている申込者の選好について、本稿で使用するデータの説明を行い、実証分析により検証お よび考察を行う。その結果を踏まえ、第5 章で政策提言を行う。そして、最後に第 6 章で は、これまでの総括を行い、今後の課題をまとめる。 2.制度の概要 この章では、介護保険制度の概要や指定介護老人福祉施設の現状を把握し、本稿で取組む 課題の前提を明らかにする。そこで、まず社会保障と介護保険制度について整理を行い、次 に介護保険制度における費用負担について触れる。そして、介護保険制度における指定介護 老人福祉施設の費用負担と現状を明らかにし、最後に指定介護老人福祉施設に関する国の方 針と東京都の補助制度について概観する。 2.1 社会保障と介護保険制度7 本節では、介護保険が社会保障制度のひとつであることを踏まえ、社会保障と介護保険制 度創設の経過について述べる。 2.1.1 社会保障 介護保険制度は社会保障制度のひとつである。社会保障は、国民の生活の安定が損なわれ た場合に、国民にすこやかで安心できる生活を保障することを目的として、公的責任で生活 を支える給付を行うもの8とされている。具体的には、傷病や失業、労働災害、退職などで 生活が不安定になった時に、健康保険や年金、社会福祉制度など法律に基づく公的な仕組み を活用して、健やかで安心な生活を保障することである9。社会保障は、リスク分散10とリ スク軽減11という2 つの側面を持っているが、介護保険はリスク分散のための手段と言える。 7 小塩(1998)、椋野・田中(2001)を参考にした。 8 社会保障審議会社会保障将来像委員会第一次報告(1993) 9 厚生労働省(2012)『平成 24 年版 厚生労働白書』 10 自分の責任に帰することができない理由によって発生する、さまざまな経済的リスクに対して社会全体 で備えること。 11 自分の責任に帰することができない理由によって発生する、さまざまな経済的リスクが実際に発生する 可能性そのものを社会全体で引き下げること。
4 2.1.2 介護保険制度創設の経過 介護保険制度の創設前においても、社会保障のもと、介護サービスは、2 つの制度によっ て給付されていた。そのひとつは社会福祉制度によるもので、特別養護老人ホームにおける 介護サービスが措置制度によって給付されていた。また、老人保健制度において、医療保険 対応で老人福祉施設などによる介護サービスを受けることができた。しかし、措置制度にお いては、公的部門によって、介護サービスを一方的に決められ、利用者は自らの意志によっ てサービスが選択できなかった12。また、異なる2 つの制度で給付されていたため、サービ ス内容や費用負担にバランスを欠いていた。よって、施設の選択は、その人の心身の状況で はなく、自己負担額の多寡などによって左右されることも多かった。その状況は、社会的入 院13を生む理由のひとつとなり、医療資源が医療の必要性のない人に使われているという意 味で非効率な使われ方をしているなどの問題があった。 2 つの制度の縦割りの弊害をなくすためには、介護サービスを独立した、ひとつの制度で 給付することが必要と考えられ、社会保障制度における社会保険として、2000 年に介護保 険制度が創設された。 2.2 介護保険制度における費用負担 介護保険の被保険者は、介護保険法第9 条により、40 歳以上の者と定められている。図 3 のとおり、被保険者はあらかじめ保険料を拠出し、リスクの発生に備えていることから、 サービス費用の 1 割を負担することで、介護保険サービスを利用することができる。残り の9 割分については、5 割を被保険者から徴収している介護保険料、残りの 5 割は国、都道 府県、区市町村が一定割合を負担している。 図3 介護保険制度の仕組み 出典:厚生労働省『公的介護保険制度の現状と今後の役割』 12 内閣府経済社会総合研究所(1996)『介護保険の経済分析』による。 13 入院医療の必要ではなく介護の必要などの利用からの入院。
5 2.3 介護保険制度における指定介護老人福祉施設 従来、指定介護老人福祉施設は、4 人部屋などの多床室主体で整備が行われていたが、居 住環境を抜本的に改善し、入居者の尊厳を重視したケアを実現するため、個室・ユニットケ アを特徴とする「居住福祉型の介護施設」として積極的な整備を進めることが示され、2003 年度以降に整備する指定介護老人福祉施設については、全室個室・ユニットケアとすること が原則とされた14。国は、ユニット型施設の積極的な整備を進め、2014 年度のユニット型 施設の入居定員が、総定員数に占める割合を70%以上とすることを目標としている15。 これを踏まえ、指定介護老人福祉施設の利用者負担について概観する。指定介護老人福祉 施設は、介護保険法に規定されている施設であることから、介護保険料を漏れなく納付して いれば、前述したとおり、介護保険サービスを 1 割負担で受けることができる。現行制度 で指定介護老人福祉施設を利用した場合の主な利用者負担の概算は図4 のとおりである。1 割負担や食費については、所得状況に応じた負担限度額があるため、所得段階1 から 4 の 間で差はあるものの、同じ所得段階においては、ユニット型個室と多床室で金額の差はない。 しかし、居住費については、ユニット型個室はプライバシーが確保された居住環境などが評 価され、多床室と比べて高い基準額16が設定されている。 図4 指定介護老人福祉施設における利用者負担 出典:厚生労働省『第28 回社会保障審議会介護保険部会資料』 14 厚生労働省(2002)『全国厚生労働関係部局長会議資料(老健局)』 15 介護保険事業に係る保険給付の円滑な実施を確保するための基本的な指針 16 平成 17 年厚生労働省告示第 402 号にて基準額が定められている。
6 終の棲家とも言われる指定介護老人福祉施設で入居待ちをしている申込者は、2009 年 12 月に厚生労働省が集計した数値では、42 万 1 千人である。今後、65 歳以上の高齢者数は、 2025 年には 3,657 万人となり、2042 年にはピークを迎え、3,878 万人となると予測されて いる。また、図5 のとおり、75 歳以上の高齢者の全人口に占める割合は増加していき、2055 年には、25%を超える見込みとなっている。日常生活上の世話などを行う指定介護老人福 祉施設の需要は今後も高まることが想像でき、2012 年度で 52 万人の利用者数は、現状の 年齢階級別のサービス利用状況が続いたと仮定した場合、2025 年度で 1.7 倍の 87 万人が利 用すると推測されている17。 現行制度のもとでは、増え続ける高齢者が安心して生活できるような介護サービスが受け られ、かつ、居住環境にも配慮された指定介護老人福祉施設を、どのように計画していくか が行政の課題となっていると言える。 図5 75 歳以上の高齢者数の急速な増加 出典:厚生労働省『第46 回社会保障審議会介護保険部会資料』 17 厚生労働省(2013)『第 46 回社会保障審議会介護保険部会資料』
7 2.4 指定介護老人福祉施設に関する国の方針および東京都の補助制度 指定介護老人福祉施設の入居者の決定は、当初、申込み順とする取扱いがされていたが、 省令18が2003 年 8 月 7 日付で改正され、運営事業者は、介護の必要の程度や家族等の状況 を勘案し、指定介護老人福祉施設サービスを受ける必要性が高いと認められる入居申込者を 優先的に入居させるように努めなければならないこととされた。 また、前述した国のユニット型施設の推進を受け、都道府県でもユニット型施設を推進し ている。東京都においては、整備費補助制度で、表1 のとおり基準額の区別化と促進係数19 を設けることで、整備事業者に対して、ユニット型施設の整備に対するインセンティブを与 えるとともに、多床室の整備数には、増加定員の 3 割を上限とする規制を行っている。東 京都は、ユニット型推進の立場を堅持しつつも、東京都内において、施設建設に利用できる 土地が少なく、用地取得費や建設コストも高いため、指定介護老人福祉施設の整備が困難で あり、ユニット型のみの整備では入居申込者の増加に対応しきれないこと。また、現在のユ ニット型個室の利用者負担では、低所得者が利用することが難しく、東京都の地価・物価等 を考慮すると、利用者の居住費負担および事業者の負担は、地方と比べて大きくなること。 これらのことから、東京都では、多床室も一定数必要であると考えており、利用者のプライ バシーを確保することと、国の指針に則り、ユニット型個室を 70%以上確保することを条 件として、ユニット型個室と多床室を合築して整備することを認める方針を示している20。 また、ユニット型個室は、従来の多床室と比べて居住費が高いことから、整備を進めるに当 たっては、介護保険の第1 号被保険者(65 歳以上の方)の 3 割程度を占める低所得者(利 用者負担段階の第1 段階から第 3 段階)の方の利用者負担能力への配慮が望まれるとして いる21。これらを踏まえ、東京都は、補助制度において多床室の3 割上限を設けたと考えら れる。よって現行では、指定介護老人福祉施設を整備するに当たっては、居住環境に配慮し つつ、より入居の必要性が高い人が入居できるよう計画することが行政に求められると考え られる。 表1 東京都の補助制度の概要 出典:東京都『特別養護老人ホーム等整備費補助制度の概要』より筆者作成 基準単価 促進係数 ユニット型 4,300,000 円 有 多床室 3,483,000 円 無 ※多床室の定員数は増加定員の3 割が上限 18 指定介護老人福祉施設の人員、設備及び運営に関する基準 19 整備率の低い地域の整備を促進するため、基準単価に最大 1.5 倍の係数を乗じるもの。 20 東京都福祉保健局(2010)『大都市の実態に即した介護保険制度のあり方等に関する緊急提言』 21 東京都特別養護老人ホーム施設整備等のあり方に関する検討委員会(2011)『特別養護老人ホームの施設 整備基準に関する検討結果』
8 3.理論分析 この章では、指定介護老人福祉施設整備の居住費と多床室の上限規制の 2 点について、 経済学での理論を整理した。 3.1 居住費に関する理論分析 本節では、居住費に関する理論分析を行う。 指定介護老人福祉施設の供給者は、利益を得ることができる価格を付けることができる場 合、供給を行う。これは、図6 の供給曲線𝑆1として示される。仮に需要曲線が𝐷1の場合、 供給曲線𝑆1との交点が存在しない。これは、供給者が価格𝑃1で供給する場合、空きが出 るリスクがあることから、供給が行われないことを示している。次に、需要曲線が𝐷2の 場合、供給曲線𝑆1との交点𝐸1が均衡点となる。これは、需要が大きく、供給者は𝑃2と いう高い価格を付けることが可能であり、□𝑃1𝑃2𝐸1𝐴分の利潤を得ることができるため、 供給が行われることになる。しかし、市場に利潤がある限り、新規参入が起こるため、 この均衡𝐸1は短期均衡となる。参入が起こった結果、供給曲線は右方にシフトし、𝑆2と なり、価格は𝑃1まで下がり、交点𝐸2が長期均衡となる。これが、正常な市場の状況で ある。 続いて、指定介護老人福祉施設の整備に対して補助がある場合を考察する。この場合、供 給者は補助の分だけ負担が軽減されるため、図7 のとおり、供給曲線は下方にシフトする。 価格が低くなることにより、競争的な市場であれば供給されないような価格での供給が行わ れる可能性があると言える。 図6 競争市場の場合 図 7 補助制度を活用した場合 価格 数量 𝑃1 1 𝑃2 𝐷1 𝐷2 𝐸2 𝐸1 A 𝑆2 𝑆1 2 価格 数量 𝑃1 1 𝑃2 𝐷1 𝐷2 𝐸2 𝐸1 S
9 3.2 上限規制に関する理論分析 次に、指定介護老人福祉施設における多床室の整備上限について分析を行う。 東京都で新設される指定介護老人福祉施設の多床室の整備数には、前述したとおり、増加 定員の 3 割までとする上限が設けられていることから、仮に多床室を最大限供給するとし た場合、供給量は、図8 のとおり、ユニット型個室 0.7 に対して多床室は 0.3 になる。供給 量が制限された結果、価格が上がるところ、基準額により光熱水費相当の居住費とされてい る多床室では超過需要が発生している。 図8 多床室に 3 割上限がある場合(所得段階 4 段階の人の場合) 仮に供給者が市場調査などを行い、需要を把握したうえで、自由に供給することが可能で あれば、図9 のように、効率的な数量と価格が決まるが、この市場で決まる数量について、 実証分析において明らかにしていく。 図9 供給者が自由に供給できる場合 価格 数量 ユニット型個室 S 0.7 𝑃 D 価格 数量 ユニット型個室 S X 𝑃 D 価格 数量 多床室 S 0.3 超過需要 D 価格 数量 多床室 S y 𝑃 D
10 4.実証分析 本章では、東京都で行われている指定介護老人福祉施設の整備費補助に関して設けられて いる多床室の上限規制が、入居待ちをしている申込者の需要に合っているのかについて実証 分析を行う。 4.1 分析の考え方 本稿では、都内の某地方自治体において、実際に指定介護老人福祉施設に申込みを行い、 入居待ちをしている人のデータを用いて、ユニット型個室と多床室のどちらを選好している のかを分析する。しかし、この居室選好は、基準額などによる影響を受けていることから、 競争市場において成立する価格に基づき決められたものとなっていない。よって、本稿では 仮に効率的な競争市場での均衡価格であれば、申込者は、どのような居室選好を示すのかを 分析する。実証に当たっては、離散選択モデルにおけるプロビットモデルを活用し、分析を 行う。プロビットモデルは、変数が1 または 0 の値をとる 2 項変数が被説明変数になって いる場合に、多用される非線形モデルのひとつである。この場合、被説明変数が 1 をとる 確率に、説明変数が与える影響を推定できる。また、プロビットモデルは、非線形であるこ とから、予測される確率が0 と 1 の間に入るという特徴があることから、今回の分析に用 いている。 本稿の分析では、プロビットモデルで推計された各説明変数の係数に、個々の申込者の変 数を乗じることで、確率の値を示す変数を作成し、関数を用いて確率を導出する。その際に、 仮に競争市場であった場合の価格を調査し、変数を作成し入れかえることで、仮に競争市場 であった場合において、申込者はどのような選好を示すのかを分析する。 4.2 分析の方法 まず、現状における申込者の居室選好を把握するため、使用データの「多床室選好ダミー」 の基本統計量をとる。これにより、基準点として、現状の申込者の需要を把握することがで きる。 そして、仮に競争市場において居住費が決まった場合に、申込者の居室選好がどのように 変化するかを分析するために、以下の推計式により、プロビットモデルの係数を推計する。 <推計式> 多床室選好ダミー= α + 𝛽1女性ダミー+ 𝛽2年齢+ 𝛽3要介護度 + 𝛽4所得調整済み価格差(現行)+ ε プロビットモデルで推計された係数は、被説明変数である「多床室選好ダミー」が 1 を とる確率に対する各説明変数の影響を示している。以下に示す計算式のとおり、この係数を、 個々の申込者の各説明変数に乗じることで、確率の値を示す変数を作成する。その際、「所
11 得調整済み価格差(現行)」については、「所得調整済み価格差(想定)」に入れかえること で、仮に競争市場であった場合の選好を推計する。なお、「所得調整済み価格差(想定)」に 必要な数値である想定市場価格については、建設費や備品費などの費用を、定員や償却期間 で除すことで算出し、それらを積算することで導出した。 <計算式> 確率の値= 個々の女性ダミー × 𝛽1+ 個々の年齢 × 𝛽2+ 個々の要介護度 × 𝛽3 + 所得調整済み価格差(想定) × 𝛽4+ 定数項 × 1 以上の計算式により求めた確率の値を、標準正規分布で評価し、確率を導出する。ここで 導かれた確率は、所得調整済み価格差のみをいれかえることで、想定市場価格のもとでの申 込者の需要を示していると考えることができる。 そこで、導出した確率について、0.5 以上であれば多床室を選好しているものとして 1、 0.5 以下であれば多床室以外を選好しているものとして 0 をとるダミー変数を作成する。し かし、この状況は、ユニット型個室の価格を受けて、ユニット型個室から多床室に選好を変 えた人は推計できているが、多床室の価格を受けて、多床室を諦め、申込みを行わないとい う人は推計できていない。そのため、今回の推計では、申込みを行わないという人を、想定 市場価格を受けて、多床室を選好した人のうち、個々が属するそれぞれの所得段階の平均的 な収入から、多床室の年間居住費や食費などを差し引き、符号が負となる人と仮定した。 以上の手順で、仮に競争市場であった場合の申込者の居室選好を推計する。 4.3 使用データ 先に示した分析を行うために、都内の某地方自治体における指定介護老人福祉施設の申込 者データを使用した。以下で、変数として用いた各データについて示す。 (1)被説明変数 被説明変数として用いるのは、指定介護老人福祉施設に申込みをしている人のうち、多床 室を選好していることを示す「多床室選好ダミー」である。これは、申込みをしている居室 の種類が多床室の場合に 1、ユニット型個室など多床室以外の居室を選好している場合は 0 としたダミー変数である。なお、データ提供自治体においては、複数の指定介護老人福祉施 設への申込みが可能である。よって、多床室とユニット型個室をともに申込んでいるケース もわずかだが確認された。ダミー変数の作成に当たっては、複数施設の申込みを行っている 場合、申込みを行っている全ての施設において、多床室を選んで申込みを行っている人を 1 とし、多床室とともにユニット型個室にも申込みをしている人については 0 とした。
12 (2)説明変数 居室の選好に影響があると考える要因として、以下に示す変数を説明変数とした。 まず、申込者の性別が女性の場合は 1、男性の場合は 0 とした「女性ダミー」である。女 性は、男性と比較して平均寿命が長い22ことから、終の棲家とされる指定介護老人福祉施設 で過ごす時間も長くなると考えられるため、符号が負となり、個室を好む傾向があるのでは ないかと考え選択した。次に、申込者の「年齢」、「要介護度23」を選択した。「年齢」は意 識がはっきりしている若い人ほど個室を好む傾向にあり、年齢が上がるほど、多床室を好む 傾向があるのではないかと考えられるため、符号は正となると考える。また、「要介護度」 は身体状況を示しており、要介護度が低い人ほど自分でできることが多いことから、個室を 好む傾向があり、要介護度が上がるほど多床室を選好する傾向があるのではないかと考えら れるため、符号は正となると考える。最後に、「所得調整済み価格差(現行)」である。これ は、各申込者の属する所得段階24の総所得と年金収入の和の平均値を分母とし、現行のユニ ット型個室の居住費と多床室の居住費の基準額の差をとった数値を分子とした変数である。 この変数は、所得段階が低くなるほど、変数が大きくなるため、符号は正となり、所得が低 いほど多床室を好む傾向があるのではないかと考えられる。 なお、プロビットモデルの推計の際には用いていないが、「所得調整済み価格差(想定)」 を作成した。これは、「所得調整済み価格差(現行)」同様に、各申込者の属する所得段階の 総所得と年金収入の和の平均値を分母としているが、分子を補助金等がない場合を想定した ユニット型個室の居住費と多床室の居住費の差をとった数値とした変数である。 以下で、プロビットモデルに用いた各変数の基本統計量を表2、相関係数表を表 3 に示す。 表2 基本統計量 22 厚生労働省 HP に掲載の平成 24 年簡易生命表の概況によると、男性 79.94 年、女性 86.41 年である。 23 介護の必要性を示したもの。1 から 5 の数値で示され、数値が大きくなるほど、介護の必要性が高い。 24 申込者の世帯における所得状況を示したもの。提供自治体においては、第 1 段階から第 13 段階に分かれ ており、数値が大きくなるほど、世帯における所得状況は良い。なお、第 1 段階から第 3 段階までが世帯 非課税となる。
変数
平均値
標準偏差
最小値
最大値
多床室選好ダミー
0.636
0.018
0
1
女性ダミー
0.666
0.018
0
1
年齢
84.429
0.278
56
104
要介護度
3.021
0.049
1
5
所得調整済み価格差(現行)
3.288
0.062
1
10
観測数
704
13 表3 相関係数表 4.4 推計結果と考察 まず、現状における申込者の居室選好を表4 に示す。 表4 現状における申込者の居室選好 現状においては、ユニット型個室よりも多床室を選好していることが、指定介護老人福祉 施設の申込者のデータから知ることができる。この居室選好は、指定介護老人福祉施設の申 込者のうち約 6 割を占めている世帯非課税者の影響が考えられる。現行の価格において、 多床室の3 割制限は申込者の需要に合っていないことがわかる。 続いて、プロビットモデルを用いた推計式による推計結果を表5 に示す。 表5 推計結果 観測数 選好割合 ユニット型個室 256 0.364 多床室 448 0.636 計 704 1.000 被説明変数 多床室選好ダミー 女性ダミー -0.472 *** 0.118 -3.99 年齢 -0.011 0.007 -1.60 要介護度 0.007 0.038 0.19 所得調整済み価格差(現行) 0.544 *** 0.101 5.40 定数項 1.134 * 0.604 1.88 疑似決定係数 観測数 (注)***、**、*はそれぞれ1%、5%、10%の水準で統計的に有意であることを示す。 係数 標準偏差 z値 0.0473 704
多床室選好ダミー
女性ダミー
年齢
要介護度
所得調整済み価格差(現行)
多床室選好ダミー
1
女性ダミー
-0.109
1
年齢
-0.092
0.286
1
要介護度
0.003
-0.093
0.001
1
所得調整済み価格差(現行)
0.162
0.286
0.017
-0.080
1
14 「女性ダミー」については、予測していたとおり、符号は負となり、女性はユニット型個 室を選好する傾向があることが1%有意で示された。また、「年齢」の符号は負、「要介護度」 の符号は正となったが、統計的な有意性は得られなかった。最後に、「所得調整済み価格差 (現行)」は、予測していたとおり、符号は正となり、所得が低いほど多床室を好む傾向が あることが 1%有意で示された。この推計結果から、年齢や要介護度などの身体状況などは 居室の選好に大きく影響していないことが明らかとなった。これは、居住環境の違いやそこ から得られる介護サービスの質の違いなどについて、申込者は、自らの身体状況を踏まえて、 評価していないと考えられる。しかし、「女性ダミー」からは、性別によって、今後、指定 介護老人福祉施設で過ごす期間を加味して、個室という環境に対して評価がされていると考 えられる。また、「所得調整済み価格差(現行)」は、所得段階によるところが大きく、所得 状況が居室の選好に対して影響があることが明らかとなった。 さらに、想定市場価格における申込者の居室選好を表6 に示す。 表6 想定市場価格における申込者の居室選好 想定市場価格における指定介護老人福祉施設の申込者の居室選好を、申込みをやめる人を 考慮し推計すると、選好割合はほぼ同数である。想定市場価格となり、ユニット型個室、多 床室ともに居住費が上がったことにより、現行価格であれば、ユニット型個室を選好してい た申込者のうち 167 人がユニット型個室を諦めており、多床室の想定市場価格を受けて、 ユニット型個室を諦めた167 人を含めた 525 人が申込み自体をやめてしまうと考えられる。 これにより、現状による申込者の居室選好と比べて、ユニット型個室の選好割合が高まった。 5.政策提言 本稿では、指定介護老人福祉施設の申込者の居室選好について、実際に指定介護老人福祉 施設に申込みを行っている人のデータを用いて実証分析を行った。その結果、現状における 居室選好、想定市場価格における居室選好ともに、東京都が定めている多床室の 3 割上限 とは適合していないことが明らかとなった。この分析結果から危惧されることは、現行の制 度のまま整備が進むことで、ユニット型個室において効用の低い人の利用が進み、効用が最 大化されないのではないかということと、居住費の高いユニット型個室が多く整備されるこ とで、実際の入居において、負担能力という要因が大きくなり、省令で定められている要介 護度などを踏まえた優先入居が損なわれてしまうのではないかということである。これらを 総観測数 選好割合 ユニット型個室 89 0.497 多床室 90 0.503 申し込まない 525 -計 704 1.000
15 踏まえ、本稿の分析から導き出される結論として、東京都は、既に行っている将来のユニッ ト型個室への転換を担保することを前提に、指定介護老人福祉施設の整備費補助を行う際の、 多床室の整備数は増加定員の 3 割を上限とするという規制をなくす必要がある。前述した ように、東京都は国の示したユニット型個室の目標数値の他、東京都においては、用地取得 費や建設費用の高さなどからユニット型のみの整備では入居申込者の増加に対応しきれな いこと、さらに、第1 号被保険者の 3 割を占める低所得者に配慮する必要があることによ り、多床室の整備数に3 割の上限を設定していると考えられる。しかし、第 1 号被保険者 には介護の必要性がある人から全くない人まで含まれており、長期的に見れば需要者ではあ るが、対象者の把握として最適ではないと考えられる。つまり、この需要者の前提がミスマ ッチを起こしている原因のひとつと考えられ、これを解決するために、多床室の 3 割上限 をなくすことが考えられる。さらに、指定介護老人福祉施設の整備を、利用者の需要を把握 した市場に任せ、入居者から居住費の実費を徴収することで、効率性は高まり、より多くの 人が適切に利用できるような指定介護老人福祉施設の整備が進むと考えられる。指定介護老 人福祉施設には、多くの入居待ちをしている人がいる。新たな受入れ先となる指定介護老人 福祉施設を急速に増やすことができない中、限られた資源を有効に活用していくことが求め られる。 6.おわりに 本稿では、指定介護老人福祉施設の居住費について、効率性を求め、実費を徴収するとい う前提に立ち、学術的な見地から分析を行った。その結果、多床室の上限規制は入居待ちを している申込者の需要と適合していないことが確認された。ただし、今回の分析では、想定 市場価格における居住費の算出において、居室の種類別に建設費等を積算することが困難で あるため、面積按分を用いて算出を行った。これにより、ユニット型個室のみにある設備等 が平均的に評価されるため、多床室の居住費は過大になり、多床室の選好が過少、ユニット 型個室の選好が過大に推計されていると考えられる。今後の課題として、想定市場価格の居 住費の積算に当たり、詳細なデータを収集して分析を行うことが望まれる。 今後も増加が予想される要介護高齢者対策として、その受け入れ先のひとつである指定介 護老人福祉施設の整備は喫緊の課題と言える。指定介護老人福祉施設の居住費に、効率性を 求めることに難しさが伴うことは想像に難くない。しかし、地価の高い東京都において、今 後も整備を進めるのであれば、需要に応じて多床室を柔軟に活用して増やしていくことも考 えられる。また、個人の尊厳を守るために個室が望まれるのであれば、地価の安い郊外にあ る未利用の公有財産を活用して整備するという手法も、今後、導入についての検討が進むと 考えられる。本稿が、このような検討や研究蓄積の一助となれば幸いである。
16 謝辞 本稿の作成に当たり、福井秀夫教授(プログラムディレクター、副査)、西脇雅人助教授 (主査)、橋本和彦助教授(副査)、前川燿男客員教授(副査)には、問題提起から理論分析、 実証分析に渡り貴重な助言並びにご意見をいただいたほか、安藤至大客員准教授、矢崎之浩 助教授をはじめ、まちづくりプログラム関係教員の皆様からお忙しい中、大変貴重なご意見 をいただきましたことに心より感謝申し上げます。 また、関係自治体からは貴重な研究データや資料を提供いただくとともに、貴重な時間を 割いて、制度の理解を深める助言をいただきました。ここに記して感謝の意を表します。 加えて、この1年をともに過ごし、様々な苦楽をともに乗り越え、貴重なアドバイスを頂 いたまちづくりプログラムの学生の皆様にも、深く感謝申し上げます。 最後に、貴重な研究機会を与えてくださった派遣元の荒川区と頻繁に温かい励ましとアド バイスをくださった修了生および研究生活を温かく支え、励ましてくれた妻、家族に改めて 深く感謝します。 なお、本稿における見解および内容に関する誤り等は、全て筆者に帰します。また、本稿 の内容は筆者の所属機関の見解を示すものではないことを申し添えます。 参考文献等 【参考文献】 内閣府経済社会総合研究所(1996)『介護保険の経済分析』 小塩隆士(1998)『社会保障の経済学(第 3 版)』日本評論社 佐藤信人(1999)『介護保険制度-制度としくみ-』建帛社 椋野美智子・田中耕太郎(2001)『はじめての社会保障(第 9 版)』有斐閣アルマ 厚生労働省(2012)『平成 24 年版 厚生労働白書』 内閣府(2013)『平成 25 年版 高齢社会白書』 【参考資料】 厚生労働省(2002)『全国厚生労働関係部局長会議資料(老健局)』 厚生労働省(2010)『第 28 回社会保障審議会介護保険部会資料』 東京都福祉保健局(2010)『大都市の実態に即した介護保険制度のあり方等に関する緊急提言』 厚生労働省(2011)『第 75 回社会保障審議会介護給付費分科会資料』 厚生労働省(2013)『公的介護保険制度の現状と今後の役割』 厚生労働省(2013)『第 46 回社会保障審議会介護保険部会資料』 東京都福祉保健局(2013)『特別養護老人ホーム等整備費補助制度の概要』 東京都特別養護老人ホーム施設整備等のあり方に関する検討委員会(2011)『特別養護老人ホ ームの施設整備基準に関する検討結果』 厚生労働省ウェブページ『平成24 年簡易生命表の概況』