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007 年 6 月
Public
amnesty international
オフ・ザ・レコード(記録に残すな)
「テロとの戦い」で行われた
強制失踪に対する米国の責任
Off The Record
U.S. Responsibility for Enforced Disappearance
In the “War on terror”
AI Index: AMR51/093/2007
オフ・ザ・レコード(記録に残すな)
「テロとの戦い」で行われた強制失踪に対する米国の責任
目 次
用 語 解 説... 3 概 要 ... 4 はじめに ... 7 被拘禁者のリスト...10 子どもを含む被拘禁者の家族の拘禁...25 勧 告 ...27用語解説
CIA 米国中央情報局(U.S. Central Intelligence Agency)
FBI 米国連邦捜査局(U.S Federal Bureau of Investigation)
9-11 委員会報告書 米国に対する攻撃に関する国家調査委員会の報告書 FBI「最重要指名手配テロリスト」名簿 連邦捜査局が管轄している米政府が指名手配したテロ 被疑者名簿 LIFG リビア・イスラム戦闘集団 「正義のための報酬政策」 世界中にある米国の国益に対する国際テロリズム行為 を防止・妨害・あるいは有利に解決する、またはそのよう な行為を犯した個人をいかなる国においても逮捕あるい は有罪に導く情報を提供した者に、国務長官が数百万 ドルの報酬を与えることができるという、米国務省による 政策 「米国秘密拘禁施設」 米国当局が管轄する非公開、かつ起訴も通告もなしに 個人を拘禁しておくための施設 「米国秘密拘禁政策」 「テロとの戦い」で行われる、テロリスト被疑者を秘密裏 に逮捕、移送、拘禁する、米国当局の政策。2006 年 9 月 6 日、ジョージ・W・ブッシュ大統領は同政策の存在を認 めた。
概 要
2006 年 9 月 6 日、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、「テロとの戦い」による秘密拘禁プログラム を米国当局が実施していることを明らかにした。しかし、実際に何人が拘禁されているのかにつ いては公開しなかった。何人が「行方不明」の状態であるかを正確に把握しているのは、唯一米 国政府のみだが、報告書「オフ・ザ・レコード(記録に残すな)」は、米国政府が責任を負うべき 強制失踪の被害者個々人について、最も包括的なリストを示している。 アムネスティ・インターナショナル、ケージ・プリゾナーズ、センター・フォー・コンスティテュ ーショナル・ライツ(CCR)、ニューヨーク大学ロースクール人権とグローバル正義センター、ヒ ューマンライツ・ウォッチ(HRW)、そしてリプリーヴの主要な人権 NGO6団体の調査に基づき、「オ フ・ザ・レコード」は、ある時点で米国当局によって秘密の場所で拘禁されたと考えられる個人 を特定している。その全員が、今も「行方不明」のままである。 「オフ・ザ・レコード」は、「失踪」させられたとすでに判明している被拘禁者(例えばイブン・ アルシャイク・アルリビとして知られるアリ・アブドゥルハミド・アルファヒリ)に関する新た な情報と、新たに消息不明の被拘禁者 4 人の名前を明らかにしている。同報告書は、秘密の拘禁 場所を空にするために米国がどれ程違法に「代理拘禁」を利用しているのかを明らかにし、この 制度が「極悪中の極悪」を標的にするどころか、被害者の人権を侵害しながら重要度の低い被拘 禁者を一掃し、さらには強制失踪者の妻や子どもまでも拘束することもあるという事実を提示し ている。「オフ・ザ・レコード」はまた、秘密拘禁中、被拘禁者が受けたと主張している拷問その 他の残虐な、非人道的な、または品位を傷つける取扱いや刑罰についても報告している。報告書 は、以下の個人について報告している。 米国当局による拘禁が公式に確認されているが、その消息や所在については不明のままである個人 1.Hassan Ghul ハッサン・グル2.Ali Abu al-Rahman al-Faqasi al-Ghamdi (Abu Bakar al Azdi) アリ・アブ・アルラーマン・ アルファカシ・アルガムディ(アブ・バカール・アル・アズディ)
3.Ali Abdul-Hamid al-Fakhiri (Ali Abd-al-Hamid al-Fakhiri, Ibn al-Shaukh al Libi) ア リ・アブドゥルハミド・アルファヒリ(アリ・アブアルハミド・アルファクヒリ、イブン・ アルシャウク・アル・リビ)
目撃者の証言などから、米国当局が秘密裏に拘禁しているという有力な証拠があるが、その消息や所 在については不明のままである個人
4.Mustafa Setmariam Nasar (Abu Musab al-Suri, Umar Abd al-Hakim) ムスタファ・セツマ リアム・ナサル(アブ・ムサブ・アルスリ、ウマル・アブド・アルハキム)
5および6.2 人あるいは 3 人のソマリア人(名前は不明だが、そのうち 1 人は Shoeab as-Somali ショエアブ・アスソマリまたは Rethwan as-Somali レツワン・アスソマリ)*
7.Mohammed Naeen Noor Khan (Abu Talha, Talaha) モハメド・ナイーン・ヌール・カーン(ア ブ・タリャ、タラハ) 8.Abdul Basit アブドゥル・バシット 9.Adnan (姓は不明) アドゥナン 10.Hudaifa フダイファ 11.Mohammed(姓は不明)(Mohammed al-Afghani) モハメド(モハメド・アルアフガニ) 12.Khalid al-Zawahiri ハリド・アルザワヒリ 13. Ayoub al-Libi アユーブ・アルリビ 14. Abu Naseem アブ・ナセーム
15. Suleiman Abdalla Salim (Suleiman Abdalla, Suleiman Abdalla Salim Hemed, Suleiman Ahmed Hemed Salim, Issa Tanzania) スレイマン・アブダラ・サリム(スレイマン・アブダラ、 スレイマン・アブダラ・サリム・ヘメド、スレイマン・アフメド・サリム、イッサ・タン ザニア)
16. Yassir al-Jazeeri (Yasser al-Jaziri, Abu Yasir al-Jaziri, Abu Yassir Al Jazeeri, Yasser al-Jazeeri) ヤシル・アルジャゼーリ(ヤシル・アルジャジリ、アブ・ヤシル・アルジャジリ、 アブ・ヤシル・アルジャゼーリ、ヤシル・アルジャゼーリ)
17. Mohammed Omar Abdel-Rahman (Asadallah) モハメド・オマー・アブデルラーマン(アサダラ) 18. Majid(姓は不明) (Adnan al-Libi, Abu Yasser)* マジード(アドナン・アルリビ、アブ・ ヤセル)
19. Hassan(姓は不明)(Raba'i)* ハッサン(ラバイ)
20. (名前は不明)al-Mahdi-Jawdeh (Abu Ayoub, Ayoub al-Libi)* アルマーディジャウデ(ア ブ・アヨウブ、アヨウブ・アルリビ)
21. Khaled al-Sharif (Abu Hazem)* ハレド・アルシャリフ(アブ・ハゼム)
米国当局によって秘密裏に拘禁されているという複数の証拠があり、その消息や所在については不明 のままである個人
22. Osama bin Yousaf (Usama Bin Yussaf, Usama bin Yusuf, Usamah bin-Yusuf) オサマ・ビ ン・ユーサフ(ウサマ・ビン・ユサフ、ウサマ・ビン・ユスフ、ウサマウ・ビン・ユスフ) 23. Osama Nazir オサマ・ナジール
24. Sharif al-Masri (Abd-al-Sattar Sharif al-Masri) シャリフ・アルマスリ(アブドアルサ タール・シャリフ・アルマスリ)
25. Qari Saifullah Akhtar (Amir Harkat-ul-Ansar Qari Saifullah) カリ・サイフラー・アク タール(アミル・ハルカトウルアンサール・カリ・サイフラウ)
26. Mustafa Mohammed Fadhil (Moustafa Ali Elbishy, Hussein, Hassan Ali, Khalid, Abu Jihad) ムスタファ・モハメド・ファディル(モウスタファ・アリ・エリビシ、フッセイン、ハッサン・ アリ、カリド、アブ・ジハド)
27. Musaab Aruchi (Mosabir Aroochi, Masoob Aroochi, Abu Mosa'ab al-Balochi, Abu Mosa'ab Aroochi, Musaad Aruchi, al-Baluchi) ムサーブ・アルチ(モサビール・アルーチ、マス ーブ・アルーチ、アブ・モサアブ・アルバロチ、アブ・モサアブ・アルーチ、ムサアド・ アルチ、アルバルチ)
28. Ibad Al Yaquti al Sheikh al Sufiyan イイバード・アルヤクティ・アルシャイフ・アルス フィヤン
29. Walid bin Azmi ワリード・ビン・アズミ
30. Amir Hussein Abdullah al-Misri (Fazal Mohammad Abdullah al-Misri) アミル・フセイ ン・アブドゥラ・アルミスリ(ファザル・モハマド・アブドゥラウ・アルミスリ)
31. Safwan al-Hasham (Haffan al-Hasham) サフワン・アルハシャム(ハッファン・アルハシャ ム)
32. Jawad al-Bashar ジャワード・アルバシャル 33. Aafia Siddiqui アーフィア・シディクイ
34. Saif al Islam el Masry サイフ・アルイスラム・エルマスリー 35. Sheikh Ahmed Salim シャイフ・アーメド・サリム
36. Retha al-Tunisi レサ・アルチュニジ
37. Anas al-Libi (Anas al-Sabai, Nazih al-Raghie, Nazih Abdul Hamed al-Raghie) アナス・ アルリビ(アナス・アルサバイ、ナジウ・アルラギエ、ナジウ・アブドゥル・ハメド・アルラギ エ) 38. (名前は不明) al-Rubaia アルルバイア 39. Speen Ghul スペーン・グル * アスタリスクがついている個人は、人権 NGO によって初めて失踪者として公表された個人。2 人のソマリア国 籍の拘禁がこれまでに報告されている一方、第三のソマリア人が秘密拘禁施設に拘禁されていた可能性については 明確になっていない点に注意が必要。
はじめに
この報告書は、米国政府が海外で管轄している秘密拘禁施設に拘禁されていると考えられている、 少なくとも 39 人の被拘禁者(全員が現在まで消息不明のままである)について報告している。報 告書は、拘束されたときの状況に関する事実や拘禁について米国当局の関与を示す証拠、そして 現在の消息や所在の手がかりとなるあらゆる情報を含む個々人の情報を紹介している。 多くのケースにおいて、リストにある被拘禁者の消息はまったく分かっていない。報道や調査に よって多少の情報が浮かび上がったケースもある。しかしすべての場合、当局側の沈黙が深刻な 不安を生み出しており、拘禁されている人びとの消息と所在について、米国政府は情報を開示す る義務を負っている。 これらの人びとは国際法によって定義される強制失踪の被害者である。強制失踪は、以下のよう な状況下で起こる。すなわち: 国の機関または国の許可、支援もしくは黙認によって行動する個人もしくは集団が、逮捕、拘禁、 誘拐もしくはその他のあらゆる形態の自由の剥奪を行い、その自由の剥奪を認めず、もしくは失 踪者の消息もしくは所在を隠蔽し、かつ失踪者を法の保護の外に置く。1 強制失踪は、市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)や拷問等禁止条約など、米 国が批准し、遵守すべき条約に反する行為である。また、国際人道法にも違反している。 「失踪」した人びとの消息が不明のままである以上、国際法上、強制失踪は、失踪者の消息と所 在が明らかになるまで条約違反の行為であり続ける。強制失踪は、失踪者本人に被害を与えてい ることに加え、その家族にも苦痛を与え続ける。「テロとの戦い」における米国による拘禁
米国政府は、テロの被疑者や「テロとの戦い」に関連すると考えるその他の人びとに対する、広 範な拘禁制度を構築した。この拘禁制度には、テロリストの容疑をかけられた者の秘密裏の移送 (レンディション)、米国国外で、公式および秘密裏に米国当局が管理している拘禁施設での拘 禁、そして米国政府の要請による、外国政府が管理する施設での拘禁(代理拘禁)などがある。 1 強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約第2条。同条約への署名開始は2007年2月6日。参照サイト: http://www.ohchr.org/english/law/disappearance-convention.htmこうした行為の特徴は、手続き上の保護条項や事実上の権利保護の欠落(例えば、起訴なしの拘 禁や拘禁の正当性を審理する機会がないままの拘禁など)であり、こうした行為は国際法に違反 している。米国やその同盟国によって拘束された被拘禁者の多くは、数回にわたって秘密裏に移 送され、おそらくは複数の秘密拘禁施設に入れられている。
報告書の範囲
この報告書は、ある時点で米国が海外で運営する秘密拘禁施設に拘禁されていると考えられ、現 在も消息不明となっている被拘禁者たちに焦点を当てている。そのような「ブラック・サイト」(秘 密拘禁施設)に拘禁されている人びとの一部は既に解放されているが、それらのケースはこの報 告書では紹介していない。また、2006 年 9 月に CIA の拘禁施設からグアンタナモ基地に移送され た、14 名の「高い価値がある」被拘禁者についても、この報告書では扱わない。これらの被拘禁 者は、米国当局による秘密拘禁政策の存在をブッシュ大統領が公式に認めた 2006 年 9 月 6 日の前 にグアンタナモに移送された。ブッシュ大統領は、ブラックサイトは「空」だが、同政策を再び 実施する可能性があることを強調した。同政策のもとで拘禁されていたその他の人びとの消息に ついては大統領は明らかにしていない。2007 年 4 月にアブドゥ・アルハディック・アクイラキが CIA の秘密拘禁施設からグアンタナモに移送されたことは、同政策が現在も実施されていることを 示している。この報告書で紹介している個々人の存在は、秘密裏に拘禁されたすべての人びとが いまだに行方不明のままになっていることを示している。調査方法と情報源
米国当局による秘密拘禁プログラムという性質上、同政策実施による被拘禁者全員のリストは入 手できていない。この報告書で紹介している情報は、6つのNGO2が実施した調査から得られた結2 6つのNGO---Amnesty International, Cageprisoners, the Center for Constitutional Rights, the Center for
Human Rights and Global Justice at NYU School of Law, Human Rights Watch, Reprieve---は、「テロとの戦い」 で拘禁された個人の代理人として、あるいは啓発活動、調査、一般への報告書の公表などを通して、米国による「失 踪」事件を解決するために先頭になって活動を続けてきた。The Center for Constitutional Rights
(www.ccrny.org)、The Center for Human Rights and Global Justice (www.chrgj.org)、Reprieve
(www.reprieve.org.uk) は、かつては秘密拘禁施設であったグアンタナモの被拘禁者や秘密裏に国家間移送された
人びとなど「テロとの戦い」で米国に拘禁された人びとの代理人になってきた。Amnesty International
(www.amnesty.org)、 Cageprisoners (www.cageprisoners.com)、the Center for Human Rights and Global Justice、 Human Rights Watch (www.hrw.org)、Reprieve は、秘密拘禁や国家間秘密移送について調査を実施しその結果を 報告書として発表し、米国やその他の政府に対し、そのような政策実施を止めるよう働きかけている。詳細は次を 参照:Amnesty International, United States of America: Below the radar: Secret flights to torture and ‘disappearance’ (Apr. 2006), United States of America/Yemen: Secret Detention in CIA "Black Sites" (Nov. 2005); Cageprisoners, Beyond the Law: The War on Terror's Secret Network of Global Detentions (2006); Center for Human Rights and Global Justice, Fate and Whereabouts Unknown: Detainees in the "War on Terror" (Dec. 2005); Human Rights Watch, Ghost Prisoner: Two Years in Secret CIA Detention (Feb. 2007), List of "Ghost Prisoners" Possibly in CIA Custody (last updated Dec. 1, 2005), The United States’ "Disappeared": The
論であり、それらは一般の情報源、政府関係者、また 6NGOが実施した目撃者への聞き取りなどか ら集められたものである。 この報告書は、それぞれの個人を3つのグループに分類しているが、そのグループ分けは該当す る個人に関する証拠の入手の程度や種類に基づいている。当局筋からの情報が限られているため に、このような分類をする必要があった。 グループ1:米国当局による拘禁が公式に確認されているが、その消息や所在については不明のままで ある個人 グループ2:目撃者の証言などから、米国当局が秘密裏に拘禁しているという有力な証拠があるが、そ の消息や所在については不明のままである個人 グループ3:米国当局によって秘密裏に拘禁されているという複数の証拠があり、その消息や所在につ いては不明のままである個人 それぞれのグループに分けて、被拘禁者が拘束された日付に基づき逆順に記載している。
被拘禁者のリスト
グループ1:米国当局による拘禁が公式に確認されているが、その消息や所在については不明の ままである個人 Hassan Ghul ハッサン・グル 2004 年1月 23 日、パキスタン国籍のグル(Ghul)はイラク北部で逮捕された。「9.11 委員会報 告書」は、グルはアルカイダのまとめ役であり、米国に拘禁されていることを確認している。2004 年1月26 日、ブッシュ大統領はグル逮捕に諜報関係者が大いに貢献したと賞賛した。逮捕後、グ ルは、米軍関係者と諜報関係者から尋問を受けたと伝えられている。2005 年 12 月 5 日にABCニ ュースは、グルがポーランドにある米国が管轄する秘密拘禁施設に拘禁されていたと報道した。3 2006 年 7 月 19 日、グルの名前は「もはや脅威ではないテロリスト」4名簿に載せられた。米国政 府はグルの消息に関する情報を発表しておらず、彼の所在は不明のままである。Ali Abu al-Rahman al-Faqasi al-Ghamdi (Abu Bakar al Azdi)
アリ・アブ・アルラーマン・アルファカシ・アルガムディ(アブ・バカール・アル・アズディ) 2003 年の 5 月または 6 月、サウジアラビア国籍のアルガムディ(al-Ghamdi)は、サウジアラビ アのメジナ当局に自ら出頭した。その数週間前に、妻が逮捕されたためにだと伝えられている。 「9.11 委員会報告書」によると、アルガムディは 2001 年 9 月 11 日の攻撃に向けたハイジャック 要員の候補であるとされ、現在は米国当局が拘禁していることが認められている。2006 年 7 月 19 日、アルガムディの名は「もはや脅威ではないテロリスト」名簿に載せられた。アルガムディの 消息に関する情報は米国政府から発表されておらず、所在はいまだに不明のままである。
3 Brian Ross & Richard Esposito, Sources Tell ABC News Top Al Qaeda Figures Held in Secret CIA Prisons,
ABC News, Dec. 5, 2005, http://abcnews.go.com/WNT/Investigation/story?id=1375123 and List of 12 Operatives Held in CIA Prisons, ABC News, Dec. 5, 2005, http://abcnews.go.com/WNT/Business/popup?id=1375287 .
4 「もはや脅威ではないテロリスト」名簿は、2006 年 7 月 19 日の米議会に、J. Gresham Barrett 南カロライナ
州議員、Thaddeus McCotter ミシガン州議員、John Carterテキサス衆議院、 Melissa Hart 元ペンシルバニア衆 議院によって紹介され、記録が残っている。リストの情報源について、これらの議員から何ら説明はなかった。ま た、このブリーフィング・ペーパーの準備中に行われた質問に対し、何ら新たな情報は提供されなかった。リスト は次のサイトで閲覧できる。http://thomas.loc.gov/cgi-bin/query/z?r109:H19JY6-0077
Ali Abdul-Hamid al-Fakhiri (Ali Abd-al-Hamid al-Fakhiri, Ibn al-Shaukh al Libi) アリ・アブドゥルハミド・アルファヒリ(アリ・アブアルハミド・アルファクヒリ、イブン・アルシャウ ク・アル・リビ) 2001 年 11 月 11 日前後、リビア国籍のアルファヒリ(al-Fakhiri)はパキスタンのコハトでパキ スタン当局に逮捕された。アルファヒリはリビア・イスラム戦闘集団(LIGF)の構成員であり、 1995 年から 2000 年までアフガニスタンのアルカルダン軍事訓練所で指導的立場にあったといわ れている。逮捕直後から、アルファヒリはアフガニスタンのカンダハールで米軍によって拘束さ れた。アルファヒリの管理をめぐってCIAとFBIの間でもめたようだが、その後、アルファヒリは 2002 年 1 月にCIAの管理下に置かれることになったと伝えられている。報道によると、2002 年1 月 9 日までにアルファヒリは米国空母バターンに移送され、その後、同月中にエジプトに移送さ れたとみられる。2003 年にアフガニスタンにある米国の秘密拘禁施設に移送される以前に、アル ファヒリは別の国で拘禁されていた可能性もある。アルファヒリは2003 年後半にアフガニスタン の秘密拘禁施設から、2005 年後半または 2006 年初頭にはリビアに移されたようだ。2005 年 12 月5 日のABCニュースは、アルファヒリはポーランドにある米国の秘密拘禁施設で拘束されてい ると報じた。5 逮捕後のアルファヒリのものとされる供述書は、報道によれば、米国のイラク戦 争前のイラクに関する情報収集の主要な部分を占めていた。2004 年 1 月、アルファヒリはその供 述を撤回したと伝えられている。現在、アルファヒリはトリポリの独房に拘禁されており、結核 を患って重篤な状態だと報じられている。アルファヒリに対する尋問や、尋問のために彼を第三 国に移送したことなど、アルファヒリの取り扱いのさまざまな面で米国が関与していることを、 米国政府関係者の少なくとも一人が認めている。2006 年 7 月 19 日、アルファヒリの名前は「も はや脅威ではないテロリスト」名簿に載せられた。彼の消息に関して、米国政府からそれ以上の 情報は発表されておらず、所在に関しても正式な説明はない。 5 脚注3を参照。
グループ2:目撃者の証言などから、米国当局が秘密裏に拘禁しているという有力な証拠があるが、 その消息や所在については不明のままである個人
Mustafa Setmariam Nasar (Abu Musab al-Suri, Umar Abd al-Hakim)
ムスタファ・セツマリアム・ナサル(アブ・ムサブ・アルスリ、ウマル・アブド・アルハキム) 2005 年 11 月 1 日またはその前後、シリアとスペインの二重国籍を持つナサル(Nasar)は、パキ スタンのクエッタでパキスタン当局によって逮捕された。2004 年 11 月、ナサルは FBI の「最重 要指名手配テロリスト」名簿に記載された。2004 年 11 月 18 日、米国務省はナサルについて、ア ルカイダの構成員であり、アフガニスタンの軍事キャンプで軍事訓練を指導していたとし、ナサ ルの居場所に関する情報に対して、「正義のための報酬政策」を通じて500 万ドルの報償を出すと した。その他の報道記事は、ナサルが思想的指導者であり、戦略家であり、また著述家として最 も知られていると報じている。ナサルはまたアルカイダの活動に関連して、スペインでも指名手 配されていた。2006 年の 4 月と 5 月、パキスタンの諜報関係者は、ナサルが米国およびシリア双 方から指名手配を受け、少なくとも 2 カ月前には米国に身柄を引き渡され、パキスタンにはいな いことを認めた。同時期の2006 年 3 月、ナサルの名前は少なくとも米国の一つのテロリスト容疑 者名簿からはずされた。2006 年 7 月 19 日、ナサルの名前は「もはや脅威ではないテロリスト」 名簿に載せられた。その他のナサルの消息は米国政府から発表されておらず、所在も正式には説 明されていない。 2 人あるいは 3 人のソマリア人(名前は不明だが、そのうち 1 人は Shoeab as-Somali ショエアブ・ アスソマリまたは Rethwan as-Somali レツワン・アスソマリ) 2004 年 12 月以前のあるとき、ソマリア国籍の 2 名が逮捕され、米国の秘密拘禁施設に拘禁され た。マルワン・ジャボール(Marwan Jabour)6 は、2004 年 12 月から 2005 年末にかけて、彼 の隣の監房に 2 名のソマリア人が拘禁されており、ときどきソマリア語で話しているのが聞こえ たと述べている。 またこの拘禁施設で、ジャボールは一人のソマリア人の写真を見せられた。ジャボールはこの男 を知っており、ソマリア人のショエアブ(Shoeab as-Somali)またはレツワン(Rethwan as-Somali) だったという。この写真は同施設内で以前に彼が拘禁されていた監房でとられたものだと、ジャ ボールは気がついた。このソマリア人の男性は、2004 年 12 月から 2005 年後半にかけて、ジャボ ールの隣の房に収容されていたソマリア人の一人かどうかは判然としない。
6 マルワン・ジャボール(Marwan Jabour)は米秘密拘禁施設に拘禁され、2006 年に釈放された。詳細は、Human Rights
これらの被拘禁者の消息に関して、米国政府からの情報はなく、所在も不明のままである。
Mohammed Naeen Noor Khan (Abu Talha, Talaha)
モハメド・ナイーン・ヌール・カーン(アブ・タリャ、タラハ) 2004 年 7 月 13 日、パキスタン国籍のカーン(Khan)は、CIAその他の米国の諜報関係者が支援 するパキスタン当局によって逮捕されたと伝えられている。カーンの失踪後の報道によれば、カ ーンはアルカイダのコンピュータと通信の専門家として働いていた容疑を持たれていた。2006 年 に出版されでた回想録「イン・ザ・ライン・オブ・ファイア(砲火の中で)」で、パキスタンのム シャラフ大統領は、カーンに関する情報と高い関連性が見られる「氏名不詳のパキスタン人」の 逮捕とその後の取り扱いついて、詳細に述べている。7 ムシャラフ大統領によれば、この人物は パキスタン当局に逮捕されたが、これは彼を「追跡」していた米国によって提供された「強力な 手引き」に基づいていた。また英国当局もこの人物に対して「直接接触」することが許されてい たという。米国当局が管轄する秘密拘禁施設で拘禁されている少なくとも一人の被拘禁者が、カ ーンが拘禁されていることを示す写真を見せられている。2006 年 7 月 19 日、「アブ・タラー」の 名前が「もはや脅威ではないテロリスト」名簿に載せられた。カーンの消息に関して米国政府か らの情報はなく、所在はあいかわらず不明である。 Abdul Basit アブドゥル・バシット 2004 年 6 月中またはそれ以前に、サウジアラビアまたはイエメン国籍のバシット(Basit)は逮 捕され、米国当局が管理する秘密拘禁施設に移送された。マルワン・ジャボールによれば、彼は そこで他の被拘禁者たちと言葉を交わし、自分のことを「アブデュル・バシット(Abdul Basit)」 と名乗った。米国政府はバシットに関する情報を公表しておらず、その所在はいまだ不明である。 Adnan (姓は不明) アドゥナン 2004 年 6 月中またはそれ以前に、アドゥナン(Adnan)は逮捕され、米国の秘密拘禁施設に移送 された。マルワン・ジャボールによれば、彼はそこで他の被拘禁者たちと言葉を交わし、自分の ことを「アドゥナン」と名乗った。アドゥナンの消息に関する米国からの情報はなく、所在は不
明のままである。 Hudaifa フダイファ 2004 年 6 月中またはそれ以前にフダイファ(Hudaifa)は逮捕され、米国当局が管理する秘密拘 禁施設に移送された。マルワン・ジャボールによれば、彼はそこで他の被拘禁者たちと言葉を交 わし、自分自身を「フダイファ」と名乗った。フダイファの消息に関する米国からの情報はなく、 所在は不明のままである。 Mohammed(姓は不明)(Mohammed al-Afghani) モハメド(モハメド・アルアフガニ) サウジアラビアで生まれたアフガン人のモハメド(Mohammed)は、パキスタンのペシャワールで 2004 年 5 月に逮捕された。マルワン・ジャボールによれば、モハンメドはジャボールと他の被拘 禁者2 人とともに、パキスタンのイスラマバードの拘禁施設から 2004 年 6 月 16 日に移送され、 ジャボールとともに米国当局が管理する秘密拘禁施設に収容された。モハメドに関する米国当局 からの情報はなく、所在は不明のままである。 Khalid al-Zawahiri ハリド・アルザワヒリ 2004 年 2 月 25 日、エジプト国籍のアルザワヒリ(Khalid al-Zawahiri)は、パキスタンの南ワ ジリスタン地方のアザム・ワラクでパキスタン当局によって逮捕された。逮捕直後、アルザワヒ リはパキスタンと米国の諜報関係者双方から尋問を受けたと伝えられており、その後、おそらく はアフガニスタン内の米国当局が管理する拘禁施設に移送されたと言われている。アルザワヒリ はアルカイダの幹部といわれるアイマン・アルザワヒリ(Ayman al-Zawahiri)の息子と報じら れている。リド・アルザワヒリの消息に関して米国からの情報はなく、所在は依然として不明で ある。 Ayoub al-Libi アユーブ・アルリビ 2004 年 1 月、リビア国籍のアルリビ(al-Libi)はパキスタンのペシャワールで逮捕されたと伝
えられている。マルワン・ジャボールによれば、2004 年 1 月 16 日、アルリビはジャボールとそ の他の被拘禁者 2 人とパキスタンのイスラマバードにある拘禁施設から移送され、ジャボールと ともに米国当局の秘密拘禁施設で拘禁された。この秘密拘禁施設に拘禁された最初の月に、ジャ ボールはアユーブ・アルリビに呼びかけられたことがある。姓がアルマーディ・ジャウデ(アカ・ アユーブ・アルリビ)(17 ページ参照)という被拘禁者が、2006 年に米国の秘密被拘禁施設から リビアの拘禁施設に移送されたと言われており、同じ人物である可能性が高い。アルリビのその 後の消息に関する情報は米国政府から発表されておらず、所在は不明のままである。 Abu Naseem アブ・ナセーム チュニジア国籍のナセーム(Naseem)は、2003 年 6 月 17 日にパキスタンのペシャワールでパキ スタン当局によって逮捕された。アルカイダのために偽造書類を提供し、アルカイダの複数の作 戦を支援した嫌疑を受けたと伝えられている。彼の逮捕時の報道によれば、彼は米国の管轄下に 移送されたと報じられている。同じ日に、別の被疑者も逮捕され、アフガニスタンのバグラム空 軍基地に移送されたと報じられている。2003 年末に、アフガニスタンにある米国当局が管理する 秘密拘禁施設で彼の声を聞いたとの証言がある。ナセームのその後の消息に関して米国政府から の情報はなく、所在も依然、不明である。
Suleiman Abdalla Salim (Suleiman Abdalla, Suleiman Abdalla Salim Hemed, Suleiman Ahmed Hemed Salim, Issa Tanzania) スレイマン・アブダラ・サリム(スレイマン・アブダラ、スレイマン・アブダラ・サリム・ヘメド、ス レイマン・アフメド・サリム、イッサ・タンザニア) 2003 年 3 月 18 日、イエメンまたはタンザニア国籍のサリム(Salim)は、ソマリアのモガジシオ で逮捕されたと伝えられている。ソマリア人の軍閥長が病院から彼を誘拐し、モガジシオの空港 まで運び、空港では米国当局者がサリムを拘束したと報じられている。1998 年のタンザニアとケ ニアの米国大使館爆撃に関与したとして、米国はサリムを追跡していたと伝えられる。2004 年、 アフガニスタンにある 2 カ所の米国秘密拘禁施設において、サリムが拘禁されていたとの証言が ある。サリムを目撃した元被拘禁者によれば、サリムは米国による拘禁中に激しい拷問を受けて おり、腕が折られ、銃尻で額を殴打されていたとのことだ。米国政府はサリムに関する情報を公 表しておらず、所在はいまだ不明である。
Yassir al-Jazeeri (Yasser al-Jaziri, Abu Yasir al-Jaziri, Abu Yassir Al Jazeeri, Yasser al-Jazeeri) ヤシル・アルジャゼーリ(ヤシル・アルジャジリ、アブ・ヤシル・アルジャジリ、アブ・ヤシル・ア
ルジャゼーリ、ヤシル・アルジャゼーリ) 2003 年 3 月 15 日、モロッコ国籍のアルジャゼーリ(al-Jazeeri)は、FBI 要員の支援をを得たと 伝えられるパキスタンの治安部隊によってラホールで逮捕された。報道によると、アルジャゼー リは米国とパキスタン双方の当局要員から尋問された。アルジャゼーリが拘束された時、彼の名 は「重要指名手配テロリスト」リストには含まれていなかったものの、パキスタンの連邦情報相 は彼をアルカイダ・ネットワークの上位7 人の指導者の一人と認定していた。 目撃者の証言によると、アルジャゼーリはアフガニスタンのバグラム空軍基地内でCIAが管轄する 施設内に 2003 年末から 2004 年始めまで拘禁されていた。マルワン・ジャボール(Marwan Jabour )の証言によると、アルジャゼーリは米国当局の秘密拘禁施設へ 2004 年 4 月に移送され、 2006 年 6 月までジャボールは彼との面会が何度か許されたという。またジャボールによると、ア ルジャゼーリは米国の尋問官の下で拷問を受け、激しく殴られた結果、腕に回復不能な怪我を負 ったと語っている。ジャボールは「彼の体に拷問の痕が複数あるのをはっきりと見た」と語って いる。8 また、アルジャゼーリは大音量の音楽を 4 カ月間連続で聴かされ続けたと示唆した。 2003 年に米国政府は、ヤシル・アルジャゼーリは逮捕もしくは殺害されたと認めた。2006 年 7 月19 日彼の名は「もう危険ではないテロリスト」名簿に載せられた。ヤシル・アルジャゼーリの 消息に関するその他の情報は米国政府より公表されておらず、彼の所在は不明のままである。
Mohammed Omar Abdel-Rahman (Asadallah) モハメド・オマー・アブデルラーマン(アサダラ) 2003 年 2 月中旬、エジプト国籍のアブデルラーマン(Abdel-Rahman)はパキスタンのクエッタ にて逮捕された。アブデルラーマンは「盲目のシャイフ(首長)」と呼ばれるオマー・アブデルラ ーマン(Omar Adbel-Rahman)の息子であり、米国によると、2001 年 9 月 11 日以前からアフ ガニスタンで軍事訓練キャンプを運営し、2001 年 9 月 11 日の攻撃を計画する上である役割を担 っていたという。アブデルラーマンから得られた情報は、ハリド・シャイフ・モハメド(Khalid Sheikh Mohammed)をパキスタン・米国合同部隊による逮捕に利用されたと報告されている。ハ リド・シャイフ・モハメドは、秘密拘禁政策の適用を受けたひとりであり、現在、グアンタナモ において拘禁していると米国政府が認めている人物である。アブデルラーマンは逮捕後、米国当 局によって拘禁され、2003 年 3 月始めに米国当局の尋問を受けたと報道されている。ABCニュー スは2005 年 12 月 5 日、アブデルラーマンがポーランドにある米国の秘密拘禁施設で拘禁されて いると報道した。9 2006 年 7 月 19 日、彼の名は「もはや脅威ではないテロリスト」名簿に載せ 8 2006 年 11 月 23 日、マルワン・ジャボールへの聞き取りより。 9 脚注3を参照。
られた。アブデルラーマンの消息に関するその他の情報は米国政府からは公開されておらず、そ の行方は不明なままである。
Majid 〔姓は不明〕(Adnan al-Libi, Abu Yasser) マジード(アドナン・アルリビ、アブ・ヤセル) リビア国籍のマジード(Majid)は 2003 年にアフガニスタンにて逮捕されたと思われる。米国財 務省はアドナン・アルルビ(Adnan al-Libi)を「幹部クラスのリビア・イスラム戦闘集団(LIFG) 指導者」と称していた。10 報道によると 2003 年末、アドナン・アルルビがアフガニスタンにあ る米国秘密拘禁施設で拘禁されており、その後、別の秘密拘禁施設に移送され、そこで2004 年 4 月まで拘禁されていたと考えられている。マジードの消息について米国政府は何の情報も公開し ておらず、所在は不明のままである。 Hassan 〔姓は不明〕 (Raba’i) ハッサン(ラバイ) リビア国籍のハッサン(Hassan)は、パキスタンで 2002 年に逮捕されたと思われる。彼が逮捕 された際に、当時妊娠中だった妻(氏名・国籍は不明)が一緒だった。ハッサンはリビア・イスラ ム戦闘集団(LIFG)の一員だったと言われている。逮捕後の 2003 年 11 月にハッサンはアルファ ヒリ(al-Fakhiri [ak Ibn al-Shaykh al-Libi])とともにアフガニスタンの秘密拘禁施設から別の 秘密拘禁施設に移送され、2004 年 4 月までそこにいたと思われる。その後、2005 年末もしくは 2006 年にリビアに移送され、現在トリポリにて拘禁されていると報道されている。ハッサンの消 息に関する情報は米国政府から公表されておらず、その行方について公式発表はないままである。
(名前は不明)al-Mahdi-Jawdeh (Abu Ayoub, Ayoub al-Libi) アルマーディジャウデ(アブ・アヨウブ、 アヨウブ・アルリビ) リビア国籍のアルマーディジャウデ(Al-Mahdi-Jawdeh)は LIFG の一員だったとされている。 2006 年にリビアに移送される前、アルマーディジャウデは米国当局による秘密拘禁施設にいたと 報道されている。アルマーディジャウデは、マルワン・ジャボール(15 ページ参照)とともに秘 密拘禁施設に拘禁されていたというアユーブ・アルリビ(Ayoub al-Libi)という名の被拘禁者と 同一人物である可能性がある。米国政府はアルマーディジャウデの消息について一切の情報を公
10 米財務省 Treasury Designates UK-Based Individuals, Entities Financing Al Qaida-Affiliated LIFG, Feb.
表しておらず、現在も所在は不明である。
Khaled al-Sharif (Abu Hazem)
ハレド・アルシャリフ(アブ・ハゼム) リビア国籍のアルシャリフ(al-Sharif)はLIFGの一員だったとされている。アルシャリフはアル ファヒリ(
al-Fakhiri
)やハッサン(Hassan
)とともに 2003年末にアフガニスタンの秘密拘禁 施設において拘禁されていたと報道されている。アルシャリフは2005年末もしくは2006年にリビ アに移送され、その後トリポリにて拘禁されていると報じられている。アルシャリフの消息につ いて、米国政府は情報を公表しておらず、その所在は不明なままである。 グループ 3: 米国当局によって秘密裏に拘禁されているという複数の証拠があり、その消息や所 在については不明のままである個人Osama bin Yousaf (Usama Bin Yussaf, Usama bin Yusaf, Usamah bin-Yusuf)
オサマ・ビン・ユーサフ(ウサマ・ビン・ユサフ、ウサマ・ビン・ユスフ、ウサマウ・ビン・ユスフ) 2005 年 8 月 7 日、パキスタンもしくはサウジアラビア国籍と思われるビン・ユーサフ(bin Yousaf) は、パキスタンのファイサラーバードで逮捕された。アブ・ファラージ・アルリビ(Abu Faraj al-Libi)の電話帳にあった記録から彼の携帯電話を追跡されたことによって逮捕されたと報じら れている。アルリビは、米国諜報関係者の支援を受けたパキスタン当局によって、パキスタンの マルダーンで2005 年 5 月 2 日に逮捕され、秘密拘禁政策の実施を受け、現在はグアンタナモ収容 所に拘禁していることを米国当局が認めている被拘禁者のひとりである。ビン・ユーサフはアル カイダの工作員で、アルリビと近い関係にあったとされている。報道によると、ユーサフが逮捕 された際にドイツとイタリアの都市の地図が押収された。ユーサフは2005 年 8 月 9 日にラホール へ、そして翌日にはイスラマバードへと移送され、そこで米国当局者によって尋問されたと報じ られている。米国政府はユーサフの消息についての情報を一切公表しておらず、所在はいまだ不 明である。 Osama Nazir オサマ・ナジール パキスタン国籍のナジール(Nazir)は 2004 年 11 月、パキスタンのファイサラーバードにおいて パキスタン当局によって逮捕された。ナジールはアルカイダとの関与が疑われている組織ジェイ シェムハンマドの、高い地位の要員だったと報じられている。ナジールは、2002 年 3 月にイスラ マバードにて起きた、厳重警戒・外交地区にある教会への攻撃に関与した容疑がかけられている。 また後に、2005 年 7 月 7 日のロンドン攻撃における自爆犯シャザド・タンウィアと関係があると
された。報道によると、ナジールの逮捕後、米国当局が彼の身柄を要求したという。2006 年 7 月 19 日、ナジールの名は「もはや脅威ではないテロリスト」名簿に載せられた。ナジールの消息つ いて、これ以上の情報は米国政府から公表されておらず、所在は不明である。
Sharif al-Masri (Abd-al-Sattar Sharif al-Masri)
シャリフ・アルマスリ(アブドアルサタール・シャリフ・アルマスリ) エジプト国籍のアルマスリ(al-Masri)は 2004 年 8 月 29 日、パキスタンのクエッタにおいて、 パキスタン当局によって逮捕されたと報じられている。パキスタン情報相は、彼の逮捕を2004 年 9 月 1 日に認めた。情報相はアルマスリとともにもう一人が逮捕されたことを認めたが、その身 元については不明だと語った。報道は、この人物がサウジアラビア、イエメンもしくはパキスタ ンいずれかの国籍である伝えている。アルマスリが彼の尋問員にアルカイダの計画について話し たという記載が、2005 年 11 月、米国の情報筋は、米国内の目標を攻撃するために核物質をメキ シコ経由で米国に持ち込むというアルカイダの計画を、アルマスリが尋問官に話したと伝えてい る。米国はマルマスリの消息に関する情報を公表しておらず、所在は不明のままである。
Qari Saifullah Akhtar (Amir Harkat-ul-Ansar Qari Saifullah)
カリ・サイフラー・アクタール(アミル・ハルカトウルアンサール・カリ・サイフラウ) パキスタン国籍のアクタール(Akhtar)は 2004 年 8 月 6 日、パキスタンの諜報関係者に追跡さ れ、アラブ首長国連邦のドバイで同当局の支援のもとで逮捕されたと報道されている。2004 年 8 月から 10 月にかけて多くの報道が、アクタールは同国で逮捕された後にパキスタンへ移送され、 パキスタン当局によって尋問されたというパキスタン情報相の発言を取り上げている。ある匿名 の諜報関係者は、アクタールはラホールで尋問されている可能性があると示唆した。アクタール の容疑は、ハルカトル・ジハード・アルイスラミ(Harkat-ul Jihad al-Islami)を率いていたこ と、パキスタンのペルベズ・ムシャラフ大統領暗殺計画に関与したこと、そしてテロリストの訓 練キャンプをアフガニスタンのリシュコルで運営していたことである。パキスタン最高裁判所は、 アクタールの人身保護請求に関して、パキスタン政府にアクタールの拘禁に関する詳細を提出す るよう求めた。米国政府がアクタールの尋問に関心を持っていると報道されており、2006 年 7 月 19 日に彼の名は「もはや脅威ではないテロリスト」名簿に載せられた。アクタールの消息につい ての情報は米国政府から公表されておらず、所在はいまだ不明である。
Mustafa Mohammed Fadhil (Moustafa Li Elbishy, Hussein, Hassan Ali, Khalid, Abu Jihad)
ムスタファ・モハメド・ファディル(モウスタファ・アリ・エリビシ、フッセイン、ハッサン・アリ、カ リド、アブ・ジハド)
エジプト国籍あるいは更にケニアの国籍も持つ可能性があるファディル(Fadhil)は 2004 年 7 月もしくは 8 月、パキスタンにおいてパキスタン当局によって逮捕されたと報じられている。フ ァディルは1998 年に起きたタンザニアとケニアの米国大使館爆破事件に関して、米国連邦政府の 起訴状に名を上げられている人物である。2001 年 10 月 10 日、ファディルの名は FBI の「最重 要指名手配テロリスト」名簿に載せられた。その後、彼の名は何の説明もなく名簿から削除され た。米国政府はファディルの消息に関する情報を公表しておらず、彼の所在は不明のままである。
Musaab Aruchi (Mosabir Roochi, Mosoob Aroochi, Abu Mosa’ab al-Balochi, Abu Mosa’ab Aroochi, Mussaad Aruchi, al-Baluchi)
ムサーブ・アルチ(モサビール・アルーチ、マスーブ・アルーチ、アブ・モサアブ・アルバロチ、 アブ・モサアブ・アルーチ、ムサアド・アルチ、アルバルチ) パキスタン国籍のアルチ(Aruchi)は 2004 年 6 月 12 日、米国諜報筋の電話とインターネット探 知に基づき、CIA が指揮したとされる準軍事部隊によりパキスタンのカラカチで拘束された。ア ルチはアルカイダの幹部要員とされており、ハリド・シャイフ・モハメド(Khalid Sheikh Mohammed)の甥である。ハリドはかつて米国秘密拘禁政策の適用を受け、現在はグアンタナモ に拘禁されていると米国が認めている被拘禁者である。匿名のパキスタン諜報関係者複数が、ア ルチはパキスタン当局によって3 日間拘禁され、その後、何ら印の付いていない CIA の飛行機で パキスタン空軍基地から目的地不明のまま移送されたと語っている。2006 年 7 月 19 日、モサビ ル・ローチ(Mosabir Rooch)名が「もはや脅威ではないテロリスト」名簿に載せられた。アルチ の消息に関する情報は米国政府から公表されておらず、所在は不明のままである。
Ibad al Yaquti al Sheikh al Sufiyan
イバード・アルヤクティ・アルシャイフ・アルスフィヤン
サウジアラビア住民のスフィヤンは2004 年 1 月 22 日、パキスタンのカラカチにて、パキスタン 情報当局によって逮捕されたと報じられている。スフィヤンはアルカイダの要員であると疑われ ている。スフィヤンはワリード・ビン・アズミ(Walid bin Azmi、20 ページ参照)が逮捕された 翌日に逮捕されており、アズミが提供した情報がスフィヤンの逮捕につながったと報道は示唆し ている。米国政府はスフィヤンの消息について情報を公表しておらず、所在はいまだ不明である。
Walid bin Azmi ワリード・ビン・アズミ
「アラビア人」と報じられるビン・アズミ(bin Azmi)は 2004 年 1 月、パキスタンのカラチで の諜報関係者による捜索によって拘束されたと伝えられている。ビン・アズミが拘束された諜報 関係者による捜索では 12 人ほどが逃走し、拘束されたものは FBI と報じられる米国当局に身柄 を引き渡されたと伝えられる。ビン・アズミはパキスタンに拠点を持つアルカイダ工作員であ るとされ、2000 年の米国駆逐艦コール爆破事件の容疑者のひとりと言われている。 ビン・アズミの消息に関する情報は米国政府から公表されておらず、所在はいまだ不明である。
Amir Hussein Abdullah al-Misri (Fazal Mohammad Abdullah al-Misri)
アミル・フセイン・アブドゥラ・アルミスリ(ファザル・モハマド・アブドゥラウ・アルミスリ)
エジプト国籍のアルミスリ(al-Misri)は 2004 年 1 月 18 日、パキスタンのカラチにて、パキス タン当局によって逮捕されたと報じられている。アルミスリはアーメド・オアー・サイード・シ ャイフ(Ahmed Omar Saeed Sheikh)とアルカイダと関係があると伝えられている。逮捕直後の 報道は、ある匿名のパキスタン当局関係者の話として、尋問官はアルミスリが米国の指名手配人 物かどうかを確認しようとしており、近くFBIが尋問に加わる可能性があるとしていた。同人 物はまた、アルミスリが逮捕された当局の捜索で逮捕された人びとはイスラマバードへ移送され、 その後、米国当局に身柄を引き渡されると語ったとも伝えられている。米国政府はアルミスリの 消息に関する情報はを公表しておらず、所在は不明のままである。
Safwan al-Hasham (Haffan al-Hasham)
サフワン・アルハシャム(ハッファン・アルハシャム) 2003 年 5 月 15 日、サウジアラビア国籍のアルハシャム(al-Hasham)は、パキスタンのハイデ ラーバードからカラチに車で移動中、おそらく
米国当局者の立ち会いの下で、
パキスタン当局 によって逮捕された。報道記事は、アルハシャムがアルカイダの連絡責任者であった疑いが持た れていたことを示唆している。2006 年 7 月 19 日、アルハシャムの名は「もはや脅威ではないテ ロリスト」名簿に載せられた。アルハシャムの消息に関する情報は米国政府から公表されておら ず、行方はいまだ不明のままである。 Jawad al-Bashar ジャワード・アルバシャル 2003 年 5 月初め、エジプト国籍のアルバシャル(al-Bashar)はバロチスタン州のウィンデール (Vindher あるいは Windar)で、アフガニスタン国籍のファルザンド・シャー(Farzand Shah) とともに、法執行当局によって逮捕された。アルバシャルはパキスタンで活動するアルカイダの一員と考えられており、ハリド・シャイフ・モハメドとの関係が疑われている。ハリドはかつて 米国秘密拘禁政策の適用を受け拘禁され、現在はグアンタナモに拘禁されていると米国が認めて いる被拘禁者である。アルバシャルの消息に関する情報は米国政府から公表されておらず、所在 はいまだ不明のままである。
Aafia Siddiqui
アーフィア・シディクイ
2003年3月28日ころ、報告によれば、パキスタン国籍のシディクイ(Siddiqui)は、3人の子ども (当時それぞれ7歳、5歳、6か月)とともにパキスタンのカラチで逮捕されたと報じられている。 2003年3月18日、FBIはシディクイの所在を確認して尋問できるように、彼女に関する情報提供を 求める通達を出した。マジード・カーン(Majid Khan)、アリ・アブドゥ・アルアジス・アリ(Ali ‘Abd al-‘Aziz ‘Ali.)をはじめとする秘密拘禁政策の適用を受け拘禁されていると米国政府 が認めている被拘禁者にシディクイが関係していると、米国政府は主張してきた。シディクイは 逮捕された後、米国に引き渡され拘束されていると伝える報告が数多くある。しかし、2004年5月 26日、当時のアシュクロフト司法長官とロバート・ミュラー・3世FBI長官は、シディクイを米国 に脅威を与える人物であると特定し、これにより彼女は拘禁されていないと判断していることを 示唆した。米国政府はシディクイに関するそれ以上の情報を明らかにしておらず、その所在は不 明のままである。Saif al Islam el Masry
サイフ・アルイスラム・エルマスリー 2002 年 9 月、エジプト国籍のエルマスリ(el Masry)はグルジア政府当局者によりグルジアのパ ンキシ渓谷で逮捕された。エルマスリーはアルカイダの上級評議員であると疑われている。報道 によると、グルジア政府高官はエルマスリーと同捜索で拘束したその他の被拘禁者たちを米国当 局側に引き渡したことを認めた。米国政府はエルマスリーのその後の消息に関する情報を明らか にしておらず、現在も行方不明のままである。
Sheikh Ahmed Salim (Swedan, Sheikh Ahmad Salem Suweidan, Sheikh Ahmed Salem Swedan, Sheikh Swedan, Sheikh Bahamadi, Ahmed Ally, Bahamad, Sheik Bahamad,Ahmed The Tall)
シャイフ・アーメド・サリム(スウェダン、シャイフ・アーマド・サレム・スウェイダン、シャイフ・ アーメド・サレム・スウェダン、シャイフ・バハマディ、アーメド・アリ、バハマド、シェイク、 バハマド、アーメド・テ・タル)
2002 年 7 月 11 日、ケニヤ国籍のサリム(Salim)はパキスタン政府当局者によってカラチで逮捕 された。おそらく米国の法執行機関の支援があったと思われる。サリムは 2002 年のある時点で米 国の拘禁施設に移送されたことを報道は示唆している。サリムは、1998 年のタンザニアとケニア における米国大使館爆破事件に関与しているとして、米国連邦当局が起訴した。サリムは現在も FBI の「最重要指名手配テロリスト」の名簿に名前が挙がっている。サリムのその後の消息につい て米国政府からはなんの情報も開示されず、現在も所在不明のままである。 Retha al-Tunisi レサ・アルチュニジ 2002 年前半から中頃にかけて、チュニジア国籍のアルチュニジ(al-Tunisi)はパキスタンのカラ チで逮捕された。アルチュニジはアルカイダの上級幹部であるとされている。マルワン・ジャボ ール(Marwan Jabour)は米国の秘密拘禁施設に拘禁されていた時、米国管轄下に拘禁されている と思われるアルチュニジの写真を見せらたと報告している。この写真は、チュニジア国籍のリダ・ ビン・サレ・アルヤジディ(Ridah bin Saleh al Yazidi)の可能性もあるが、アルヤジディは現 在グアンタナモに拘禁されており、弁護人がついていない。アルチュニジの消息について米国政 府は明らかにしておらず、所在は分かっていない。
Anas al-Libi (Anas al-Sabai, Nazih al-Raghie, Nazih Abdul Hamed al-Raghie)
アナス・アルリビ(アナス・アルサバイ、ナジウ・アルラギエ、ナジウ・アブドゥル・ハメド・アル ラギエ) 2002 年 2 月、リビア国籍のアルリビ(al-Libi)はスーダンのハルツームで逮捕されたと報じられ ている。その後、米国とスーダン双方の当局者の間でアルリビの身柄をを米国側に引き渡す交渉 がなされたと伝えられている。アルリビは、1998 年のタンザニアとケニアの米国大使館爆破事件 に関与したとして連邦当局によって起訴されており、2001 年 10 月 10 日、アルリビの名前は FBI の「最重要指名手配テロリスト」名簿の第一版に掲載され、現在も掲載されている。おそらく、 アルリビは拘束された後、ある時点でエジプトに移送され、現在はまた別の国にいると思われる。 アルリビのその後について米国政府は明らかにしておらず、その所在は今も不明である。 (姓は不明)al-Rubaia アルルバイア 2002 年、イラク国籍のアルルバイア(al-Rubaia)は、イラク国内で逮捕され、後に米国の拘禁施 設に移送されたと思われる。アフガニスタンにある秘密拘禁施設で拘禁されていた別の被拘禁者
は、独房の壁に書かれたアルルバイアの名前と彼の逮捕に関する情報を読んでいた。アルルバイ アの消息についての情報を米国政府は明らかにしておらず、所在は不明のままである。 Speen Ghul スペーン・グル マルワン・ジャボール(Marwan Jabour)は、米国当局による秘密拘禁施設に入れられていた時、 アフリカのある国の国籍で、米国当局によって拘束されていると思われるスペーン・グル (Speen-Ghul)の写真を見せられた。米国政府はスペーン・グルの消息について情報を開示して おらず、その所在は不明のままである。
子どもを含む被拘禁者の家族の拘禁
いくつかの事例で、米国の秘密拘禁政策により拘束されている被拘禁者の(子どもを含む)家族 が逮捕・拘禁されたり、威圧的な取り扱いを受けたりしている。捜索を受けている個人とその家 族は別々に逮捕されることもあれば同時に逮捕されることもある。そのような取り扱いの1つの目 的は、被拘禁者の情報を得ることにあると思われる。家族の何人かはその後釈放されたが、消息 が依然として不明のままの家族もいる。 2002年9月、報道によると、ユスフ・アルハリド(Yusuf al-Khalid 、当時9才)と アベド・アル ハリド(Abed al-Khalid、当時7才)は、父親であるハリド・シャイフ・モハメド(Khalid Sheikh Mohammed)をパキスタン治安部隊が拘束しようとした際に捕らえられた。パキスタン当局はその 数ヵ月後にハリド・シャイフ・モハメドを逮捕することに成功し、米国政府はハリド・シャイフ・ モハメドを米国秘密拘禁政策に基づいて拘禁していることを認めた。現在、ハリド・シャイフ・ モハメドはグアンタナモ収容所に収容されている。 2007年4月16日の声明で、アリ・カーン(Ali Khan、米国秘密拘禁政策により拘禁され、現在グア ンタナモにいると米国政府が認めたマジード・カーンMajid Khanの父親)は、ユセフとアベド・ア ルハリドは、マジード・カーンとその弟のモハメド(Mohammed)が2003年3月から4月に拘禁されて いたのと同じ場所に拘禁されていることを示唆した。モハメドは2003年3月5日の逮捕後、約1か月 間、パキスタン当局によって拘禁されていた(下記参照)。アリ・カーンはその声明の中で以下の ように指摘している。 ***** モハメドによると、彼とマジードは、ハリド・シャイフ・モハメドの、おそらく6才と8才の幼い2 人の子どもが入れられている場所に同じく拘禁されていた。パキスタン人の看守は私の息子に、2 人の子どもは上の階に別々に拘禁されており、別の看守たちが食事と水を与えていない、と教え た。また、脅えさせるために子どもたちは膝の上に蟻や他の虫を置かれるなど精神的な虐待を受 け、彼らの父親が隠れている場所を言わせようとしている。11 ***** ハリド・シャイフ・モハメドが2003年3月に逮捕された後、ユセフとアベド・アルハリドはパキス タンから米国の拘禁施設に移送されたと報じられている。伝えられるところでは、子どもたちは、 11 2007 年 4 月 16 日付けのアリ・カーンの供述書を参照。以下の URL で閲覧可能。 www.ccr-ny.org/v2/legal/september_11th/docs/Ali_Khan_statement.pdf父親の活動に関する尋問のために移送され、父親が米国に協力することを強要するために利用さ れた。2002年3月10日付けの新聞記事は、CIA尋問担当官が子どもらを監禁しており、ある係官は 次のように説明したことを確認している。 **** 「我々は子どもたちを丁寧に扱っている。とにかく、ほんの子どもなのがだから・・・。しか し、我々は彼らの父親に関するできるだけ多くの情報を得る必要があるのだ。児童心理学者を常 に立ち会わせており、彼らは最高のケアをしている」12 **** ハリド・シャイフ・モハメドの戦闘員資格審査法廷の記録によると、ハリド・シャイフ・モハメ ドは自分の子どもが逮捕され虐待されていることについて知っていることを明らかにしている。 「彼らは意図的に私の子どもを逮捕した。まだ幼い子どもだ。逮捕され、4か月も虐待を受けた」 13 2003年3月5日、マジード・カーンは、彼の弟のモハメドとその妻、そして生後1カ月になる弟夫婦 の娘とともにパキスタンのカラチで逮捕された。彼らは全員、所在不明の場所へ連行された。マ ジード・カーンの義理の妹とその娘は1週間拘禁され、前述したように、モハメド・カーンはおよそ 1カ月の間、パキスタン当局によって拘禁された。 2003年3月28日、報道によるとアーフィア・シディクイ(Aafia Siddiqui、22ページ参照)はパキ スタンのカラチで3人の子どもとともに逮捕された。(当時子どもたちはそれぞれ7才、5才、6か月 であった) 2003年8月11日、米国政府が秘密拘禁政策で拘束し、現在グアンタナモに拘禁されていることを認 めているハムバリ(Hambali)は、彼の妻であるマレーシア国籍のノラルウィザ・リー・アブドゥ ラ(Noralwizah Lee Abdullah)とともにタイで米国との共同作戦中に逮捕されたと報道されてい る。
2004年7月24日、米国政府が秘密拘禁政策で拘束し、現在グアンタナモに拘禁されていることを認
12 Olga Craig, CIA Holds Young Sons of Captured al-Qaeda Chief, Sunday Telegraph (U.K.), Mar. 9, 2003,
次のURLから閲覧可能。
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=%2Fnews%2F2003%2F03%2F09%2Fwalqa09.xml
13 米国防省 Khalid Shaykh Muhammad, Transcript of CSRT (KSM) Hearing, 以下のURLから閲覧可能。
めているアーメド・ハルファン・ガイラニ(Ahmed Khalfan Ghailani)は、報道によれば、パキ スタンのグジャラートで、2人の女性(ウズベク国籍の彼の妻と南アフリカ国籍のズバイル・イス マイル(Zubair Ismail)のパキスタン人妻)と5人の子どもとともに逮捕された。彼の逮捕はパ キスタンと米国の共同作戦で、CIAとFBIの要員が指揮していたと報じられている。
勧 告
・ 米国は、秘密または非公認の拘禁を中止しなければならない。 ・ 米国によって、あるいは米国の指揮下で拘禁されている人びとに関して、米国および関与して いる第三国は以下のことを行わなければならない。 - 被拘禁者の氏名と所在を明らかにすること。 - 国際赤十字委員会(ICRC) が訪問を求めているすべての被拘禁者に対し、ただちに同委 員会による面会を認めること。 - 明確な刑事容疑で被拘禁者を起訴し、公正な裁判に関する国際基準に合致した裁判所で裁 判にかけること。さもなければ被拘禁者を釈放すること。 - 被拘禁者が弁護士に面会し、家族と連絡を取ることを認めること。 ・ 米国は、「テロリスト」の被疑者の家族を、家族関係に基づいて拘禁してはならない。 ・ 米国は、たとえすでに釈放されたり、第三国の拘禁施設へ移送されたり、あるいは死亡してい たとしても、「テロとの戦い」の下で拘禁されたすべての個人の氏名、消息、所在について明 らかにしなくてはならない。 ・ 米国は、秘密裏に拘禁された個人に対して、賠償金を含む補償を行わなければならない。 ・ 各国政府は、秘密拘禁を支援してはならない。すなわち、各国政府は秘密拘禁の運営について 支援したり協力したりしてはならない。そして、そのような運営の情報を得た場合はその情報 を明らかにすべきである。Amnesty International International Secretariat
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