ヘ ー
ゲ
ル
の
哲
学
形 成
に
お
け る
芸 術
と
宗 教
の
位 置
中
島
秀
憲
1
序
こ の
論文
におい ては,青年
へ 一 ゲル の哲学形成
の歩みにおい て ,芸
術や宗教
が, 芸 術に つ い て は シ ラ ーやヘ ル ダ ー リン の芸 術や芸術
論が , 宗 教に つ い て は イ エ ス の宗 教がい か に関与 し, い か な る位
置を占め て い るの かを考察
す る もの で ある。2
体 系 完 成
後
の ヘ ー ゲ ル に おけ
る芸 術
の位 置
神 学者で はな く, 哲 学 者と して の ヘ ーゲル に おい て は, 芸 術の 位 置は消極 的 な もの で ある。 シ ェ リン グ的 立場
に立つ彼
の最
も初期の哲学 的
著作
で ある1802
年
の 『フ ィ ヒ テ とシ ェ リン グの哲
学体 系の 差異 』 に おいて は , 「最近 の文 化,教
養に 対 抗 して 生 じて い る, 全 体 との 関連か らす れ ばご くわ ず かの 試み, つ ま り, 過去
や異国
をよ り意義
深 く美
し く具
現す るこ とは ,生命
をも
っ た芸
術の深
い真 剣な 連関が最早理 解さ れ な くな っ た時に の み, ご くわ ずかの注 意をひ くこ と がで きるの で ある」1) 。 遠い過去の ギ リシ ャ 世 界で 見出 され た よ うな最高 次の美
的完全性
は,教養
,文
化の 発達
のある段 階
まで ,現代
の教養
,文 化に比 す れ ば野 蛮 な状
態に おい て のみ力を持 ち得たの で ある。シ ェ リン グ 的立 場を乗 り越えた
彼
独自
の 最 初の 哲学
的体
系で あ る1807
年 の 『精 神 現象
学 』の中
で は,芸
術は芸 術 宗 教 (ギ リシ ャ の 宗 教 )において 論 じ ら れて い る。個
人的精 神
と して は, 精神
は弁
証 法 的運 動に よ っ て, 意識
,自
己意 識, 理性へ と高 まり, 人類の精
神と して は, 古 代 的 な 自然 的精神
で ある 「真 な る精 神 ・人倫」 よ り, 中世か ら近 世にか けての 「自
己疎外的精神
・教 養」 を経1
西 山 学 報 て 「
自
己確信
的精神
・道 徳」 とい う現 代の精
神へ と高
ま る。 更に精 神は, 客 体 的精 神
で あ る宗教
を経て ,絶対精 神
へ と高 まる。 こ の宗教
的な精
神は, 自然宗
教 (
イ ン ド,ペ ル シ ャ , エ ジ プ ト の宗教)
か ら,芸術宗教 (
ギ リシ ャ の宗教)
, 啓 示宗 教(
キ リス ト教)へ とい う運動
をな す。自
然宗教
にお い て は , 人間は神
的な ものを精 神的 なもの と して 把え る こ とが で きず 自然物の 内に把え る。 芸 術 宗 教は,神
的 な もの を芸
術 と して , 人間 の 作品 と して , つ まり「精
神
的 な も の」 と して把え る。 こ の芸 術 宗 教は, 彫刻, 祭 り (オ リン ピ ッ ク), 叙 事詩
, 悲劇
, 喜劇 とい う過 程 を経 る。 まず神
が 自然な人 間 的な形 態 を もっ て 彫刻で表
現 され る。 しか し, これ は静
的 なもの で あ り,動
的 なもの , 生命
性 を表現 で き ない。 彫刻が よ り動
的,生命
的なも
の とな っ て くる とこ ろに オ リン ピ ッ クが生 じる。 美 しい 動 的な身 体 性が神 と して崇 め られ る の で ある。 芸 術が よ り精神
性 を獲
得 し肉体
性を離 れ る と, 文学作
品へ と移 動す る。 まず叙事詩
に おい ては, 精 神は未だ自 らを統一的に把 握で きないた めに , 自らを雑 多
な神
の 行 為 と して 表象
する。次
に 精 神が 自らを普
遍 (国 家) と個別 (家族
) とい う精 神 的 契機 と して 把え る よ うに な ると,普
遍 と個 別の 相 克の 運 動を運命 と して 表 象 する。 こ れが悲劇
で ある。 最 後 に,精神
は,国家
の成
員で もな く家
族の 一 員で もない 独 立 の 個 的 自己 にめ ざ めて く る。 こ の 段 階が喜 劇で あ る。 ギ リシ ャ劇で は ,神々 が仮面をつ けた人間に よ っ て演
じ られ るの だ が, 喜 劇の 終局
で は神
々 が失 態を演
じ, 結末
で は役者が仮面を脱ぎ捨て 神々 が人 間に 他な らぬ こ とを暴 露 するの で ある。芸
術 宗 教は, 自然宗 教の 単 純な彼岸 性に比 して , 人間性
, 精 神 性を獲 得 した点 に大 きな意 義を もつ の だが, 宗 教的精神
の 最 高 段階
で あ る啓 示宗教
に 比べ る と決
定的
な欠
陥を含
ん で い る。 つ ま り, 人間
に よ っ て , 人間
の形
態, 行動
として表
現 された もの は,作
者
が い くらそ こ に神
聖性
を附
与 しよ う とも, 決 して 人 間 的 な もの を越え る こ とはで きないの で ある。 作 品は観 賞者 に 「畏怖 し つ つ 魅か れ る」 とい うヌ ミノ ーゼ 的 感情
の 「畏 怖 しつ つ 」 とい うモ メ ン トの衝
激
を与え る こ とはで きない の で ある。 ヘ ー ゲル が芸
術 宗教
の結末
で 引用 して い る 「神が死ん だ」2) とい う叫びは, 人 間の 絶対
他 者 性喪失
の 叫びで あ り, こ こ 一2
一ヘ ーゲル の哲学形成における芸術と宗教の位置 に
神
の子 イエ ス が 誕 生 す る必 然性
が存す るの で あ る 。1822
年
か ら1831年
に か けて の 『歴史哲学講義
』に おい て 、ヘ ーゲル は,芸
術 と宗教
と哲 学
の関
連に 関して 次の よ うに述べ て い る。 「真な るもの は, しか し, 宗教
の場合
の よ うに表 象 と感 情の対 象 と な り, 芸 術の場 合の よ うに直 観の 対 象 とな るに と ど まらず, また思惟す る精神
の 対象
と もな る。 こ う して わ れ わ れは こ こ に合
一 の 第三 の形 態, すな わ ち哲学
を もつ こ とにな る。 哲 学はその 限 りに おい て最 も良
い ,最
も自由
な, また最 も明晰
な形態で ある」 3) 。1823
年か ら1826
年 に か けてのr
美 学 講 義』 に お い て は, 「芸
術の 最 高の 使 命 は, い うな れ ば, 宗教
や哲学
と共
通 の もの で あ る 」 4} 。神
的な る もの , 絶対
的 なも
の を,芸術
は直観
や感覚
に よっ て, 宗教
は衰象
によ っ て,哲学
は思弁
に よ っ て把え るの で ある。 「芸 術は諸 民 族が そ の 最 高の 諸 表 象を投入 して お り, そ れ は しば しば一民族
の 宗教
を 認識
す るための 唯一 の 鍵で ある。 そ れは純
粋な思想 や超 感 性 的世
界 と,直接的
に 眼前
に現 れる感覚
とを媒 介
する中 間項で ある」 4〕 。 しか し,科学
, 反省
,教養
の時
代で あ る現代
に おいて は,芸術
は そ の 持ち味
を 十 分に生かすこ とはで き ない 。 「ギ リシ ャ 芸 術の うるわ しい 日々 も, 中世 後 期 の 黄金 時 代 も過 ぎ去 っ て しまっ た。 わ れ わ れの 現代
は, その 一般的な状
態か ら い うと芸術
には有利
では ない。実際
に製 作
に従事
する芸 術 家で さ え も, 四 辺に 高 まりゆ く芸
術の 反省や , 芸 術に つ い て 思念 し, 判 断す る 一般
の 慣習に誘
惑 さ れて , その 風に 染み, 自分 の 活 動その もの に従前
よ り も多
くの 思 想を もち こん で いる。 それの み な らず, 全体
の精 神的教養
か らい っ て も,芸術
家みずか らが か よ うな反 省 的世
界 とその状況
の さな かに 立っ て お り, 意志
や決断
に よ っ て そ れか ら離 脱す る こ ともで きない し, ま た特殊
な教 育や, 生活事情
か らの 隔離に よっ て ,失
われ た楽
園を人為
的 に つ くり出すこ ともで きない よ うに なっ て い る の で ある。 これ らすべ て の点
に おい て所
詮 芸術
は, そ の 最高
の 使命
の 面 か らい え ば, わ れ わ れに とっ て過 去の もの で ある」5,。1830
年のr
エ ン チ クロ ペ デ ィ ー』 において も, 「哲 学は, 芸 術 と宗 教 と の統 一 で あ る 。 ただ し,芸術
の形式
面に おける外
的な直観様 式
, 生産
の主 観性
,多
3
西 山 学 報 数の
自
立 的諸
形態
へ の実体
的 内容
の分散
, こ の ようなあ り方が宗 教の総体
性に おい て 一宗教
で は展開
して い く離散
と展 開
され た もの の媒介
が表象
に おいて 行な わ れ るの だが 一単
に 一つ の 全体
へ と統合
され る だけで な く ,統
一 されて 純 粋な精 神 的直観
と な り, そ う して自
己意識
的 思惟へ 高め られて い る限 りで,哲
学は芸 術 と宗 教の 統一で ある」6) 。3
シ ラ ー とヘ ー ゲル , ヘ ル ダー ソ ン
以 上の よ う な
芸
術に対
する消極的
な評 価
は, ヘ ーゲル の初 期の神
学 論に おい て 見 出す こ とはで きな い。 ヘ ーゲル は ,1794
年のr
民 族宗教
と キ リス ト教
』,1796
年の 『実 定 宗教 として の キ リス ト教の 性 格』 に おいて は, 明らか に シ ラー 的な美
的 立場
に 立 っ て い る し,1796
年の6
月か7
月
に書か れ た と 推定 さ れ る 『体 系 計 画』 か ら1798
年の 『キ リス ト教
の 精 神 とそ の運命
』の直
前まで は, ヘ ル ダ ー リン的な美 的 合一の 立場
で あ る。ヘ ーゲル は
1795
年4
月
16
日の シ ェ リン グ宛の 手紙の 中で , シ ラーの 『人 間の美
的教育
に つ い て 』 とい う論
文は傑作だ と評して い る。 ヘ ル ダ ー リン は , シ ラ ーに よ っ て その 文 学的才 能を認め られ, シ ラーが主 宰 して い た文芸
雑 誌 「ター リア」 の最 終 号 (1794
年11
月発行)にr
断 片 ヒ ェ ベ ー リオン』 と詩r
運 命』 を 載せ て も らっ た。 この ほか ,シ ラー は, 出版 社の コ ッ タ 社に ヘ ル ダ ー リン の 『ヒ ュ ベ ー リオン 』 の 出版を推 薦 したり, 翻 訳をす すめ たり, い ろい ろ とヘ ル ダ ー リンの世話
をして い る。 シ ラ ーの 『人 間
の美
的教育
に つ いて 』 に関
し て は, ヘ ル ダ ー リン は1796年
2
月の ニ ー トハ ン マ ー宛の手 紙で 次の よ うに述 べ て い る。 「私は, わ れ わ れ がそ の中
で 思惟 し, 生存
して い る 『分離』 を明らか に する原理 を見 出そ う と思 っ て い ます。 … … もちろん 理性
と啓
示の あい だの抗争
を,実
践理性の助
けを借
りる こ と な く, 理論 的に, 知 的直 観 におい て, 消 滅 さ せえ る可 能 性を もつ もの で な け れ ば な りませ ん。 わ れ わ れは実
践 理性
の 代 り に , 美 的な心 ば えが必 要 とな り ま す。 私は, こ の哲
学 書 簡を 『人間の 美的教 育 に つ い て の新書簡
』 と命 名
するつ も りで い ます。 こ の 書簡
に お い て , 哲学
か ら 一4
一ヘ ーゲル の哲学形成にお ける芸 術と宗教の 位 置
文学
及び宗教
に まで論及
する こ とに なり
ましょ う」7)。結局
,彼
は こ の 『新書
簡 』 を完 成す る に至 ら な か っ たの で あるが。シ ラー, ヘ ル ダ ー リン , ヘ ーゲル が 生きて いた時
代
, つ ま り18
世 紀 末か ら19
世 紀初頭 に か けては, 激 動につ ぐ激 動の 時 代で あ っ た。 まず思想面 で は, ド イ ツ に おいて は, 啓蒙主義
は,市
民階
級の活動
と向
上 の た め に社会
の 条 件を よ く す る よ う な働 き を充 分にす る こ とがで き な か っ た。 か くて 知 識 階 級の間で は, ル ソ ーの 思想の 影 響の 下, 啓蒙 主義
に対す る反 動 と して , 悟 性の 専 制や 人 為に 対 する反逆T 個人の生の情 感と尊 厳の強烈 な運 動が生 じた。 フ ラン ス は1789
年 の7
月14
日, 民 衆の バ ス テ ィ ーユ 要 塞 襲 撃に よっ て フ ラ ン ス 革 命 に入 り,8
月4
日 に は国
民議 会に おい て封 建 制の 廃 止が決 議 され, 同じく26
日に は 「人権 宣 言」 が採
択 され,自由
,平 等
,主権在
民の基本原
理 が宣言
された。こ の
新
しい人 間性の 目覚め に よ っ て惹 き起 こ された自
由, 平 等の 叫び は ,初
めは , シ ラ ー , ヘ ル ダ ー リン ,へ 一 ゲル の 心を深 く把えた の で ある。 シ ラー に つ い て は,1792
年
9
月, パ リで 開か れ た国
民 議 会にお い て , 自由
の ため に闘
か っ た外 国人 に フ ラ ン ス共
和 国名誉市
民の 称 号 を贈
る こ とに な っ た時, シ ラー も そ の 「フ ラ ン ス 市民」の 内に加
え られたの で ある。 ヘ ル ダ ー リン とへ 一ゲル に つ いて は, ロ ーゼ ン ク ラ ン ッの 『ヘ ー ゲル 伝』が 次の よ うに伝えて い る。 「シ ュ テ ィ フ トに は政
治ク ラブ が結成 された。 フ ラン ス の 新 聞が購 読 さ れ, その報
道が貪 り読ま れ た」8) 。 「ヘ ー ゲル は 自由と平 等の 最 も熱 烈な弁 護 者で あ り, 当 時の すべ て の若
い頭 脳 と等
しく革命
の 理念
に 熱中
して い た 」 。 「へ 一 ゲ ル は強 烈 なジ ャ コ バ ン派
と して通 っ て い た。 そ して ヘ ル ダ ー リン もこ の方向
を共に して い た。 あの 学 寮の 拘 束のな かで よ り自由な発展 を縛 られて い る こ と を強 く感じ れば感じるほ どこ の方 向
が取 られたの で ある」8) 。しか し, 革
命
はやがて テ ロ と結びつ き, 全 世 界を覆 う破 壊の 嵐は, 人々 の心 を極
度の不安
と恐怖 に陥し入 れた。 か くして, 人 間の自
由, 平 等の下
に,暴力
と圧 政が支
配 す る時
, また ド イ ツ との 領土 問題で は, 革命
フ ラ ンス は ド イ ツ の 革命
運動を支援
せ ずに, 絶 対 主 義 国 家フ ラン ス と同 じく自国
の 国益
の み しか追5
一西 山 学 報
求
しない とい うこ とが露わ に な っ た時
9》 ,彼
らは各
々 ,革命
や現実
の社会
状
況 に対 し深い 失 望や嫌 悪を感 じたの で あ る。4
シ ラ ー とヘ ー ゲル
・
今
後シ ラーに とっ て は,国
家の改
造は暴 力 革命
に よる現 存 秩 序の 破 壊に よ っ て行
な わ れ るべ きで な くて , む しろ各個
人の内
な る 人間性
の 改造
か ら出発すべ き なの で ある。 この 理論 的 基礎
づ け が 『人間の美
的 教 育に つ いて 』 1ω で あ る。 こ の 意味
で シ ラーの こ の著作
は単
なる芸術論
で は なく, 一種
の政治
的 な論文
で ある。 同 じこ とは , ヘ ー ゲル の 一連の 神 学 論,ヘ ル ダ ー リン の 『ヒ ュ ペ ー リオ ン』 や 『エ ム ペ ドクス 』, そ の他の詩 作につ い て も言え る。シ ラーは, 現 代 精
神
の 分裂状
態の 根源を, 人間
性の 内なる分 裂 とみな す。 そ の 分 裂 と は直覚 的悟 性 (想 像 力)
と思弁
的知性
(抽 象 的, 論理的 思 考 力) と の , 感 性 的 衝 動と形式 衝動との , 自然 と道徳 との分 裂で あ る。 時 代 精 神は 一方 の 極か ら他方の 極へ , ま た逆へ と , 転々動
揺 す るの みで あ る。 こ の分 裂状
況の 克 服を国
家に 期 待す るこ とは不 可能で あ る。 厂な ぜ な ら現在の 国 家は災い を も た ら した ほ か な らぬ張 本 人で あ り, ま た 理性が 理念の中で 命じる よ う な 国家 は , こ の よ うな人間 性の改善の基礎
と なる こ とがで きる の で は な く, 逆に こ う した改 善に よっ て は じめて 基礎づ け られ ね ば な らない ので ある」(Nr
.7
)。 シ ラー はこ こ で , 感 覚 的 自然状
態の 野 蛮 国 家に戻
るの で もなければ,感
性 を抑
圧 する理性法則
の世
界 を目指
すの でも
ない。彼
は芸
術を目指 すの で ある。 で は , 何故 芸 術に おい て分 裂状
況が克 服 され え る の で あ ろ う か。シ ラ ー は 人間の 内に 二 つ の 衝動を認め る。 我々 の 内な る必 然 的な もの を現 実
化
するとい う感性
的 衝動
と,我
々 の外
な る現実
的なもの を必然性の従
わせ る と い う形 式 衝 動で ある。 感 性 衝 動は, 人 間の身 体 的 存在
, すなわ ちその 感性
的本
性に発 し,人 間を時 間の枠の中に置き,質料
とす る働
きをす る。 感 性 的衝
動に 一方 的に支
配 されて い る限 りで は , 人間は感 覚 に支 配 され, 時 間 的な もの に 引 きず られ, 現 実 世界 へ つ なぎとめ られ,普
遍的な もの , 永遠 的な もの を見 失 っ6
ヘ ーゲル の哲学形成にお ける芸 術と宗教の位 置 て 単な る動物的存在へ と堕 し,
自
己の 人 格 性を喪 失す る。 形 式 衝 動は, 形態 を対
象 と して も ち ,人 間の 理 性 的 本性か ら発 し, 人間を自
由に し, そ の 現象
の多
様
を調和
さ せ,状
態の変化
に か か わ らずそ の人格性
を確保
す る こ とに努
め る。 形 式 衝 動に 一方的 に支配 されて い る限 りで は, 人 間は感性的衝 動を理 性 衝 動の 下 に絶 対 的に従属
させる が , そ れだ け世
界 との多面
的な接触
は閉
ざされ,感受
性
は萎えて しまうこ とに なる。 人 は一方の 衝動を もっ て 他 方の 衝 動を制 圧 する とい う形で は, 内なる分 裂を 克服 する こ と がで き ない 。 我々 に と っ て 肝 要な こ と は, 両者
を十
全 な形で 発展 させ るこ とで あ る。 「両方
の性格
が結
び つ け られ れば, 人間
は現実存在
の最高
の充
実性
と最 高の独 立性 とを自
由に結
びつ け, 世界 に お い て自
己 を失
うこ と な く, 逆 に世界 をそ の 全 無限 性 と と もに自
分の 中に 引 き寄せ ,自
己の 理性の統一一 の 下に従え るで あろう」(
Nr
.14
) 。 人 間は ,感 性 的 衝 動と形 式 衝 動の他 に 遊戯 衝 動 (der
Spieltrieb
) を もっ て い る。 こ の 衝動
は,自
分 が生み 出 した もの を そ の ま ま受容
し, また感 覚が 受 容 しよ う と思 う とお りに 生み出す。 「遊戯
衝動
は感 覚や興 奮か らその 力 動的 (dynamisch
)な影
響を受 けるの に 比例して, そ れ を理性の 概 念 と一致 させ , また 理性 とその 法則か らそ の 道徳 的 強 制を受け取 るに 比例
して , それ を感 覚の関
心と和 解 させ るで あ ろ う」 (Br
.14
)。 そ の対象
が生命
で ある感覚
的衝動
と, その対象
が形態
で ある形式 衝動
との共
通の対象
は 「生 命ある形 態 」 (Br
.15
), つ まり 「美 」 (Br
.15
)で ある。 人間は,美
的自
由 とい う中間状 態にお い て , 感 性 的 衝 動に対 して も理 性 的 衝 動に対
して も主人 で あ り, 道 徳 的規範
に よ っ て 内な る感性
を抑 圧せずとも, 心の 欲 する が ま ま に , 普遍 妥 当的に判 断 し行 為す るこ とがで き る。 従 っ て 「人間をそ の単な る 自然 的 生 命に おい て さえ も形式 に従わせ, 美 的 領 域が達 しうる限 り彼を美的 に す る と い うこ とこ そ が, 陶 冶の最 も重大な課 題で ある」(Br
.23
)。シ ラーは, こ の人間の 内の
美
的衝動
を神
聖 なもの とみ な す。「こ の
神
聖へ の 素質を, 人 間 が それ 自身 と して 臼己の 人 格性の中
に もつ こ と は 否定で き ない 。 こ の 神聖の 道 一 決 して 目標に 到達 しえ な い もの を道 とよんで よ け れ ば 一 は 一7
一西 山 学 報
彼
の感覚
の中
に開
か れて いる」(
Br
.11
)
。しか し, 現
実
の状
況に 目を移 す とシ ラー は嘆
息せ ざ るを得 ない。彼
はr
人間 の美
的 教育に つ い て』 を次の よ うに結ん でい る。「しか し, こ の よ うな
美
しい 仮象
の国
が存在
す るの で あ ろ うか。 どこ に それ を見つ けた らよ い の だ ろ うか。 必 要上か ら言 えば, そ れ は すべ ての 純粋
な気 持 を もっ た魂の中
に 存在す る こ と で ある。 で も実
際 上で は, 純 粋 な教 会や共 和国
と同様に , いくつ かの 数少な い 選び抜か れ た 団体
の中
に の み見 出され るで あ ろ う。 そ こ で は, よその 習 俗の 平 凡 な月
並の模倣
で はなく,固有
の美
しい性
質が振舞
いを導
くの で あ り, また そ こ で は , 人 聞は大胆 な単純さを安
らか な無 垢の 心 を もっ て 複 雑 き わ まる諸 関係 の 中を歩み, 自分の 自由を主 張す る ために 他人の 自由を傷つ け るこ ともな く,優
美を示 すために自
分の品 位を投 げ捨て る必 要 もない 」 (Br
.27
)。か くの ご と くシ ラーは
美学
の 立場
か ら現 代の 分裂状
況の 克 服の 糸口を見 出そ う とす るの だ が , ヘ ー ゲル は宗教
論の立 場か らそ の 糸口を 見 出そ うとする。 す な わ ちヘ ーゲル は, イエ ス が現 れた頃の ユ ダヤ社 会の分 裂 状 況 と現 代 世界 の 分 裂 状 況 とを対 応 させ る。 そ の対 応 点とは 「悟性
と心情
」 との 分裂で あ る。 ユ ダ ヤ社会
に おい て は, 悟 性に よる心情
の 抑圧 とい う もの が律法
遵守
とい う形
で現 れ, 現代社会
に おい て は, 啓蒙主義
の合理 的反省文 化 とい う形で現 れて い る。 へ 一ゲ ル は イ エ ス の行為
の 内に , ユ ダ ヤ社 会
の 分 裂 克 服 の 可 能 性を探 り, かつ そ の 可能 性の 内に ま た, 現代の 分 裂状
況の 克 服の 可 能 性を見 出そ うと努 力す る の で ある。 ヘ ー ゲル は, 神 学論の初 期に おい て はシ ラーの 美的 立場か ら イエ ス を 把 え よ う とする。まず,ヘ ー ゲル が
直
接 引用 して い る シ ラーの文 を捜 して み る と ,1792
年か ら1794
年の 『民 族 宗 教とキ リス ト教』の 「精 神 がその 墓 穴か ら昇
っ て きて , われ われに ,報復
の女 神
の こ とを報告
して くれる よ う な こ と」 11〕 の箇 所 は, シ ラ ー の詩
『諦念』(
1786
年)
の 中の一節
かつ て
死
体
が墓 穴よ り立 ち上 が っ て 一8
一ヘ ーゲル の 哲学形成における芸術 と宗教の位置
報復
の女神
の こ とを告
げた た め しが ある だ ろ うか12) を借 用 したもの で あ り, 別の 箇所で は, 同 じ く 『諦念』 の中の一節で 後に その 不 穏 当な 内容で発 禁 と な っ た もの 夢 見 る人の 想 像 力を攻略 する た め に掟の た い まつ が
暗
く燃
えて い る とこ ろ がその まま引用さ れて い る。 また1795 年
か ら1796年
に か けて の『実
定宗教
と して の キ リス ト教の 性 格』 に お い て も同じ一節 「夢 見るの ・・… ・」
が 引用 されて い る。又, シ ラーの 「人 間性の
神
聖 性」 に 関して は, ヘ ー ゲル は1795
年の 『イエ ス の生 涯 』で は, 次の よ うに 述べ て い る。 「世界 審 判者
もまた, 同 じよ うに , た ゆ ■ だ 口先 だけ, 信 心 深そ うな顔つ きだ けで神を崇め, そ の神の似 姿, つ ま り人 間 の うちに神
を崇め な い連中
に対
しては ,彼
らを永 却に罰す る判決
を下 すの で あ る 」13)。 ま た, 安 息 日 にイ エ ス が病
人 を癒 した時, ユ ダヤ 人が イエ ヌ に対
し 「律 法を破っ た」 と非 難す るが, その 非難に 対す るイエ ス の言葉 をヘ ーゲル は 次の よ うに創 作 して い る。r
あ なた方は , 人間の価 値 と ,人 間の 内に あ る, 神 の観
念 と神
の 意志
の認識
とを自
分自身
か ら汲 み こむ とい う能力
を誤解 して い る の だ。 一 みずか らの うち なる この 能 力を尊重 しない人は, 神 を崇めて い ない の だ」14)。ヘ ー ゲ ル の 『民 族 宗 教 とキ リス ト教』の主 要テ ーマ は, 「客 観 的な宗 教と主
観
的 な宗 教 との 統一」 で あ る。 つ まり,体
系 化,抽
象 化 されて し まい , 個別 性 を欠 く普
遍で ある客観
的な宗 教 と, 感情
と行 為 とい う形式
で表 現 され, 個別 的 な もの にと ど ま り,普
遍性を もつ に い た らぬ主 観 的な宗 教は,相
互に補
完 し合
い ,民 族の中に生命
を もつ 宗 教にな らね ば な らない の で あ る。 シ ラ ーは 「遊戯
衝 動」の 内に , 理性 と感 性 との 媒介項
を把え るの だ が, ヘ ーゲル は イエ ス の内
に客 観性
と主
観 性 との媒 介項
を把え る。 即 ち彼
は, イエ ス ・ キ リス トの 内に ,神
的な もの , 超個人的な理想 とい うキ リス トの側
面 と, 我々 の 感情
に 訴 え か け, 語 り,行 為 するとい う人 間イ エ ス の側 面 とを把え , しか も, それが 一 の生 命 と して 輝い て い るの を 認識す る。 本 来な ら ば , か くの 如き真の 神 人が拡め た 一9
一西 山 学 報
宗 教
において は , 入間 は 内 な る実践理 性 に よっ て感 情の 赴く ま まに道 徳 的行 為 を なすの で ある。 ヘ ーゲル は , 人類の 歴史 に お い て か くの 如 き調 和 的な世 界が ギ リシ ャ に おい て 現 存 して い た と考
える。しか し, 真の 宗 教で あるはずの キ リス ト教は, 現 実には教 義や規 則 とし て , 感情や想 像 力を抑 圧 する
実
定 的な宗 教に 堕 して い る。 ヘ ーゲ ル は こ の 問題 に つ い て 『実定 宗教
と して の キ リス ト教の 性 格 』で論 じて い る。 ヘ ーゲル はそ の 実 定 性の 原 因を, イ エ ス の 「中
間項
と して の存在
」 とい う原理 の 内で は なく,弟
子 達や教
団の 内に把えて い る。「イエ ス は
宗
教と道徳
とを道徳
性に まで高
あ, そ の本 質が存
在す る とこ ろの 自由
を再 興 し よ う と した」15) が , イエ ス の 存命中
に既に,イ エ ス の宗教
の生 命性
を実
定性
へ と歪め る要素
が存 して い る 。 「彼
ら が イエ ス の 教えに つ いて把
えて い た信
念の 基礎
を なして い た の は, こ とに , イ エ ス と友
人で あ っ た こ と と, イ エ ス へ の 依 存で あっ た。 彼 らは真理 と自
由と を自
分 自身で獲
得したわ けで は な く, 苦 労 して学んで そ れ らに つ い て 漠 然 と した感情
と型ど お りの もの を もつ に いた っ た に す ぎな い。彼
らが名誉
に思 っ て い た こ と は, この 教え を忠実
に 理 解し, 保 存 する こ とで あ り … …患 実に その 教え を 他人 に 伝 えて い くこ とで あっ た」1G)。 こ う して , イ エ ス の 教え は , ま もな く, 宗 派を作っ たキ リス ト教に よ っ て,神の 命 令 と同 じ よ うな掟に 変え ら れ, 内な る実
践理性
か ら自
発 的に生じ る義務
は, 宗教
上の神
の命
令 と して の義務
に変
え られ たの で あ る。 又, キ リス ト教
が世
俗 国 家と深く関係
す るこ とに よ っ て , 教 会は民 衆の精 神の支
配 とい う役目を引 き受 け,国
家の 中の国 家 (statisin
sta − tus)と な っ て し ま っ たの で あ る。5
ヘ ル ダー リン とヘ ー ゲル
我々 は,
1796
年 にヘ ーゲル がヘ ル ダ ー リン に宛て た詩 「エ レ ウシ ス 」17) の 中 に, ヘ ーゲル の 立場
が , シ ラ ー的な美か らヘ ル ダー リン的な美へ 移 行 して い る の を看て と る こ と が で きる。あ あ女 神 よ
され ど
汝 が聖 堂に声な く 一 10 一
ヘ ーゲル の哲学形成に おける芸術と宗教の位置 神々 の つ どい は き よ め られた る祭 壇よ り
オ リュ ン ボ ス へ と逃れ
去
りぬ 聖なる きよ めの し らべ は 我 らにまで つ たは らず学者
は知
恵の愛
に もま して好
奇心 の 心 を抱 き (こ の 心 もて 探 究す るもの は汝を蔑
視す)
知
恵を わ が もの となさん とて た だ い た づ らに汝が高 き意 味の 刻まれる
章
句を詮 索 すむ な しい か な
彼
らは 塵埃をつ か み しの み か くの 如 く現代 精神
に とっ て は, ギ リシ ャ精神
は既 に遠 く過去の もの と なっ て い るの だ が, しか し,聖な る
女
神よ今
宵も また我は汝を聞 け り 汝 らの 子 らの 生 もま た 汝を 我 に啓示 するこ と しば しば に して
彼 らの行 動の魂 汝なるを
我
は感知
す 女 神よ汝 は
高
き意 味 た とひ一切 の 滅ぶ とも ゆ ら ぐこ とな き 誠 実の 信仰 か くの 如 く, ギ リシ ャ精神
は, 現代
精神
の 胸の奥 深 く生
き続
けて い る の で あ る。 こ の 『エ レ ウシ ス 』 とシ ラ ーの詩
『ギ リシ ャ の神
々 』(
1788
) を対比
して み よ う。 以 下 『ギ リシ ャ の神
々 』 18) の 一節
で あ る。美 しい 世界 よ
お
前
は どこ に い る の だ帰 れ
再
び 一11
一西 山 学 報
友 た る
自
然の花
い た時
!あ あ
た だ
詩
の 妖精
の国
の中
に の みお
前
の伝
説的 な痕 跡が まだ生 きて い る そ の 国は死 して喪に服 しいかな る
神聖
も私の 眼前
に は ないあ あ
あの 輝 く生
命
を もっ て い た形 像か ら影
の み が立 ち帰るシ ラーに とっ て は, ギ リシ v と現
代
との 距 離は埋め るこ とがで き ない もの で あ り, ギ リシ ャ の 神々 は, 単に神 話の世
界に由
来す る美
しい実在
で あ るに す ぎ な い。 神話 的な教え は,芸
術 家が 利用で きる比 喩的 な もの の 源なの で あ る。 し か し, へ 一 ゲル の 過去
へ の憧 憬は未
来 性を も含 む もの で ある。ヘ ー ゲル は,
1796
年の 『ド イ ツ観 念 論の最 も初 期の体
系 計 画』 (Das
alteste
Systemprogramm
des
deutschen
Idealismus19
), 一
般
にSystemprogramm
と 呼ば れて い る) と
名
づ けられて い る論 文におい て次の よ うに述べ てい る。 「最 後に全てを合一 する 理 念,美の 理 念, 高 次の プ ラ トン的な意 味に おい て 受 けと られた言葉
。 理性
の最高
次の活動
, つ ま り,全
て の 理念
を包 括す る理性
の活動
は,美 的
活動
で あり
,真
と善
の みが美
に お ける姉
妹 となるこ とがで きる。哲 学
者
は詩人 と同じ美
的力
を所有 しな け ればな らな い」2ω 。 ヘ ーゲル は こ こで は , 「美
」 を シ ラー的に人 間の 内なる衝
動 として の 遊 戯 衝 動の 内に把えて い るの で は な く, プラ トン 的な理念性
の 立場
か ら, また, ス ピ ノ ザ 的な実体性
の立場
か ら 厂美」 を 把 えて い るの で ある。 つ ま り, 彼はシ ラ ーに比 して , よ り存在
論 的 に 「美」 を 把 えて い るの で あ り, こ こ に ヘ ル ダ ー リン的 な思 想が 色濃いの で あ る。ヘ ーゲル は,
r
精神現象
学 』の 中の現代
精神
た る自己確 信 的精 神
の終末
, 現 代精 神が宗教
的精神
の 過程 を経 よ う とす る段 階の とこ ろ で, ヘ ル ダ ー リン とノ ヴ ァ ー リス を暗に指
し な が ら, ロ マ ン チ カ ーの精 神の結 末につ い て 述 べ て い る。「
美
しい魂は,和解
を得
て い ない この矛盾の意 識 と して は混 乱 して狂 気 と 一12
一へ 一ゲル の哲 学形成に おける芸術と宗教の位 置 な り, そ して
憧憬
の中
, 癒 し難い肺病
の 内へ 飛散して い く」 21) 。 「狂
気」 とは,1802
年
(32
歳 )精神状
態が危
うくな り,1806
年 (36
歳) 以降 廃
人 同様
と な っ た ヘ ル ダー リンの こ とで あ り, 「肺病
」 とは,1801
年 (
29
歳
)に肺病
死 したノ ヴ ァ ー リス の こ とで ある。 ヘ ー ゲル は 『精 神
現象 学
』 の中
で は、現 代 精神
を, 人 間 主体
の側
で の精神
の歩
み の究極点
, 客体性
喪失
の精神
と把え,美
しい魂
(ロ マ ン チ カ ー)を, 感情
や直観の 中で 客 体 性を取 り戻そ うとする精神
の運 動 と把 えて い る。 一方
ヘ ーゲル は, 現 代精神
の内
に美
しい魂だ けで な く,美
しい魂
に 対 し現実 的な内容を与え るは ずの 精 神, つ ま り行 為す る精 神が実
在す るこ とを 把 えて い る。 行 為す る精神
とは, シ ュ レ ーゲル の 小説 『ル チ ン デ 』22) に 現 れて い る ような, レ ッ テル として の美 しい 魂 (普
遍 性)
をふ りか ざ し, その実
,自
らの個別 性に従っ て自
由奔放
な生
き方
をする精神
の こ とで あ る。 現代精神
が宗
教 的精 神へ と移 行 する ため に課 題 と して 残 っ て い るこ とは, 宗 教 的な サ ー クル で ある美
しい 魂が行為
する精神
と和
解 し, 現実
性, 内容を獲
得す る こ と で あ る。 こ の 和 解に到 達 するため に は,美
しい魂は,感情
や直観
に と どま らずに , 反省や悟 性を も取 り入 れて , 思弁 的な立場で , 自己 と他 時との 根源 的 同 一 性(
い ずれ も, 人 間 主 体の側で の精神
の 歩みの 究極点
で あり, 各 々 が普
と個 とい う精神
の契
機を な して い る とい うこ と)を認識
しなければ な らない 。 こ の 和 解 を経て , 美 しい 魂も, 行為 する精 神 も, 新しい精 神の契
機と な るので あ る。で は, ヘ ーゲ ル は確か に 一 方で は, 美 しい魂 に
対
して 「狂気」 だの 「肺病
」 だの 冷配 な批判を して い るの だが, 他 方そ の 内に, 『キ リス ト教の精 神 とそ の 運 命』 に お ける が如 く現実
に直
面 して は挫折
せ ざるを得ない イ エ ス の 美 しい 魂 の 宗教で は な く, 現 実性を超 越 しつ つ 現実
性 を獲 得 する で あろ う真の 宗教の母
体 とい う もの を把えて い るこ とにな る。 そ うす る と, へ 一ゲル の叙述の中
に あ る美 しい 魂を, そ の 過 激な表 現を鵜 飲みに して 「狂気
」 と把え た り,或
い は, 我々 が一般
に ロ マ ン チス トとい う言葉
で 理解
して い るよ うな 「情緒
や感 傷を好 む 人」 と把え る こ とは, 非 常に 一 面 的な理解で ある こ とにな る。新 しい精 神に お け る美 しい魂の真の意
義
を解 明す る鍵 は, 美 しい魂の代
表 者 一13
一西 山 学 報 と して ヘ ー ゲル の念 頭にあるヘ ル ダー リン , つ ま
り
フ ラ ン ク フ ル ト時代深
く相 互に影
響を及ぼ し合
っ た ヘ ル ダ ー リン が, ヘ ーゲル哲学
形成
の中
で い か な る位
置
を占
めて い る かを考察
する こ と で ある。我 々 は, ヘ ル ダ ー リン の 内に , ヘ ー ゲル に先ん じて , 既に チ ュ ー ビ ン ゲ ン時 代の
1792
年の詩 『自由に 寄せ る讃歌
』23, に おいて ,統
一 ,分
裂,再合
一 という思想
が現 れて い るの を知
る こ とがで きる。2
下 引用 する節
は,女
神
の告
げ事
と い う形を とっ て い るの だ が ,最
初の合
一 的 段 階は,愛が ま だ
羊
飼の姿
を して無 邪気
に花
のあ
い だを歩 み人
間
は安
心 して うれ しげ
に 母 な る 自然 の 胸に すが り と表 現 されて い る。 第二 の 分 裂の 段 階は,だ が悲 しいか な /一 わ た しの 楽 園は震
動
し た ! 四大の怒 りは咒い を約した !や がて
夜
の 暗い胎 内か らは
げ
たかの ま な ざしをした傲慢
が浮
か び 出た悲 しいかな/
泣
き な が らわ た しは愛
と ともに無
邪気
と と もに天
上に のがれた一 花 よ 枯 れよ/ わた しは真 剣な暗い 気 持で 叫ん だ枯 れよ
も
う決
して咲き出
るこ との ない よ うに! と表 現され,第
三の 再合
一 の段
階は,さあ
帰
る が よい愛
と誠実
の も とへ 一あ あ!
久
し く失
われて い た喜びの も とへ愛は かの ながい争い を宥 和 させ た
自
然の支
配者
よ / 一14
一ヘ ーゲル の哲学形成にお け る芸 術と宗教の 位置
ふ たたび
支
配者 と な れ! と表現 さ れて い る。 こ の女神
の告
げご とに答え る形で ,おん み の 告 げご とは喜ば し く
神々 の こ と ばの よ うに偉
大
だ女王 よ /
そ の 力強 い実現 こ そ おん み の 賞讃で あ れ
新 しい創造 の時 は既 に始 まっ た 実 りをは らむ種子はすで に芽ば えた と
歌
わ れて い る。1794
年11
月か ら1795
年1
月に書
か れ たr
ヒ ュ ペ ー リオン の 青年
時 代』 に おい て は, 「もしも精 神が な んの抵抗
も制
約 を受
け ない とす る な ら, 我々 は 自分を も他
人 を も感 じな くな るで あろ う。 しか し自
分 を感
じな くなる こ と は 死 で あ る。 こ うして,有
限とい う貧
しさは,神
的 な充
溢 と分
か ち難 く結び つ い て い る」24)。
1795
年 4 月
に書か れた と推 定 され 『判断 と存 在』 (Ur
− teil undSein
)と名づ け られて い る
哲
学 論 文におい て は , 「自
我は,自
我が自
我か ら分 離 する こ とに よ っ て の み可能
で ある」 25) 。彼
は, 分 裂に先
んずる主体
・客体
の 統一 を 「存在」 (Sein
) と表現 し て い る。こ の よ うに ヘ ル ダ ーソ ン は ,
神
的 な もの との 連 関に おい て, 有 限 性や否定 性 を肯定的に考 察 して は い る。 しか し, この段 階で言われて い る 分 裂, 貧 し さ は, 人 間の 側の 分 裂, 貧 しさで あ り,神
々 は人間の 分裂 を超越
して安
らっ て い る ので あ る。 『ヒ ュ ペ ー リオン 』(
特
に第
一部
)に おい て も, ヒ ュ ペ ー リオン の美 しさ とは,苦
悩や 分 裂 を積極的 に媒介
す るとい うよ り も, む しろ, 苦 悩や 分 裂を離れて ,愛
の世
界に 逃 れ る もの で ある。しか し, ホン ブル グ
時代
に 入る と, 特 に 『エ ム ベ ドク レ ス の基 底 』 以降
, 分 裂の問
題が絶対
者そ の もの に関係づ け られて, 神 的な もの の 運 動の 一 過 程 と し て ,積極
的に把え ら れる よ うにな る。 例え ば1798
年11
月 の 弟 に 宛 て た 手 紙 (Nr
.169
)で は, 「神 的な もの は, そ れ が発 現す る時
,必
ず ある種
の 悲哀 と屈 辱 とを伴わずに はい ない 」26)。1799
年
秋の 『エ ム ペ ドク レ ス の基 底
』 (Grund
zumEmpedokles
) に お い て は , 分 裂が 「過 度 の 親 密 性」 27) (Ubermass
der
一 15 一西 山 学 報
Innigkeit
)
と把え られて い る。 つ ま り, 根 源 的に は人 間 と自然 とは過 度に 一 な の で ある が, その親密性
は直接
的 な ま まで は 意識
され ない。 そ の親密性
が自
覚 さ れ る た めに は, 悲劇
という形で自
然 と人 との 厳 しい対
立が克服 され,自覚
的 に再 合一 がな され る こ とが必 要で あ る。 ヘ ル ダ ー リン にと っ て は ,哲学
や宗
教 で はな く, 精神
の純 粋な営みで ある文 学 こ そ が, 愛を根 底 とする美の 世界を構 築す る もの で あ り, 人 と自然と を再合 一 に もた らす もの で ある 。以 上, 思 想 的 な面に 限 っ て , フ ラ ン クフ ル ト時 代, ホ ン ブル グ時 代の ヘ ル ダ ー リン の 思索の
歩
み をふ りか え っ て み たが, 我 々 は そ こ に 明 らか に , 一般
的な 意味
で の美
しい魂 を超え出て い る もの を把え る こ とが で きる。 我々 は, ヘ ル ダ ー リン の思 想の 内に , 確かに , 同 一 と 非 同一 の 同一 とい うよ う な, 現 実性や個 別 性を も契 機 と して 止 揚 す る弁 証法的 な合一思 想 を看て と る こ と が で きる。フ ラ ン ク フ ル ト時
代
の ヘ ー ゲル の 思 想 に , こ の よ うなヘ ル ダ ー リン の 思想, 或いはヘ ル ダー リン的 な患 想 が 深 く影
響 を及 ぼ し て い る の で ある 。 『ヒ ュ ペ ー リオン 』第一部 に お ける ヒ ュ ベ ー リオン は, 現 実に 立 ち向っ て 現 実を変革 する とい うよ り もむ しろ、愛
に よ っ て真
の 精神
的 連帯
の 人 類共
同体
を再
興 する こ とを目指
す。 ヘ ーゲル に おいて は , この愛
に よ る客
体 との和
解, 分 裂 の 克服 とい うテーマ は ,1797
年7
月 まで に書か れた断片 “positiv
wird einGlauben
genannt
”2B) よ り1798
年の 早 い時期に書 か れ た断 片
“Fortschreiten
der
Gesetzgebung
”29) まで の 中心 テーマ で ある。 次の 文は ,“
positiv
wird einGlauben
genannt
” の直 後 に書か れ た断片 “Religion
, eineReligion
stiften ”30)の
中
の 一節
で あ る。「た だ
愛
に おいて の み 人 は客体
と 一で あ る 。 客体
は支 配す る こ と もな く支配 され るこ ともない。想像 力に よっ て 実
在
とされ た こ の愛
が神聖
であ
る」。 また同年
に書
か れた断片
“Glauben
ist
die
Art
”31) に おい て は 「合
一が存在 と同 義で ある」 と表 現 されて い るが, こ の 「存在」 は, ヘ ル ダ ー リン の 『判 断 と存在』の 「存在
」 と 同 じ内容
の 言葉で ある。 ま た, 有 限 性や 分 裂の積
極 的意義
づ けに関
して は,1800 年
の9
月
以前
に書
か れ た “System
fragment
”32) に おい て は, 「生 (das
Leben
)は, 結 合と非 結 合の結 合で あ り, 一 16 一へ 一 ゲルの哲学形 成における芸 術と宗教の位置
有
限な る生
の 無 限 なる生へ の高まりが宗教
で ある。 こ の 無 限 な る生
は精 神
(
Geist
)
と称す こ とがで き る, また1800
年
9
月24
日か ら書 き初
め られ たr
実定
宗 教 と して の キ リス ト教の 性 格』の 論 文の改稿
に おいて は,初
稿と は異な り, 反省
や実
定性に対 して の意義づ け が 露わで ある。 つ まり 「概 念 に とっ て は, 偶 然 的な もの, 歴史
的 な ものが, 宗 教に とっ て は必 然 的な もの, もしか す ると唯 一 の 美 しい もの と な るの で あ る」33♪ 。こ の ように ,
1796
年 のSyste
皿program
か ら1800
年のSystemfragment
に かけて の ヘ ーゲ ル は , 全 体 とし て はヘ ル ダー リン 的な
合
一思 想に従
っ て い る。 し か し, 体系づ けた叙 述 こ そ して い ない が, 遅 く と も1798
年 頃まで に は, ヘ ーゲ ル はヘ ル ダ ー リン 的な立場
に, つ まり, あ くまで も美
と愛
の 内に詩 的に再合
一 を計
ろ う とす る立場
に限界 をも感
じて い る。1798
年
秋の断片
“Zu
der
Zeit
,da
lesus
”34) , 言 わ ゆる “Grundkonzept
zum
Geist
des
Christentums
”に おい て は次の ように述べ られて い る。 「ひ とつ の
美
の 宗教
を 創る こ と。 そ の 理想 は, それ は見 出さ れ るの か 」, 「美
しい魂は美
しい享楽
の 瞬間
を所有
し て い る が, それは瞬 間に す ぎな い」,r
反省は愛
と合
一 しない」。1800
年 の 初 期 まで に 書か れた と推定 され る, 彼の代 表的 な神 学 論 『キ リス ト教の精
神 とそ の 運命
』 は, 現 実か ら逃 避 し, 少 数の 美しい魂の 間で だ け純 粋な精 神を守ろ う とす る イ エ ス の 教 団に 関し,神
と世 界 との , 神 的な もの と生 との 分離が教 団の 運命で あ る, とい う内容で 終 っ て い る。1800
年の “Systemfragmente
” に して も, イエ ス の 美的宗 教 を批 判する形で 「教 会 と国 家が別々 の もの で あ りえる は ず が な い。 国家に とっ て思 惟 された もの ,支 配 的なものは, 教会
に とっ て は, 想像 力 に よ っ て 表現 され た生
け る もの と して , ま さし く同 じ全 体で ある」 と述べ られ て い る。6
青 年
ヘ ー ゲル に おけ
る宗教
か くて
1802
年の 『フ ィ ヒ テ とシ mV ン グの哲
学 体 系の 差異』 に おい て は, 先 に述べ た ご と く, 現 代の分 裂を克 服で きる の は芸 術で は な く,哲学
な の で あ 一 17 一西 山 学 報 るQ
ヘ ル ダー リン の
再合
一 の実
現へ の 道は全生 涯かけて詩
作で あ り ,1800 年
頃ま で の ヘ ーゲ ル に とっ て は, そ の道は宗教
で あ っ た。 で , そ の宗 教は, カ ン ト的 そ して シ ラー的な道 徳宗教
か ら, ヘ ル ダ ー リン 的 な愛
と美
の宗教
へ , そ れ か ら 思 弁 的宗教
へ と移
行 して い る。「
1800年
の体系断片
』に おい て は, 「哲
学は宗 教が 現 れ れ ば身を引か ね ば な らな い」35) とい う表現が あるが , し か し, こ の 「宗
教」 は,哲
学 (この場合は 「反省」 と同義で ある)の無 力 故に哲 学に対抗
して 現れ る宗
教で は な く,哲
学の成 果を踏ま えて現 れる宗 教で ある。 つ ま り思 弁を経た宗 教で あ る。ヘ ーゲル は
1796年
以降, つ ま りベ ル ン時 代の 後期 以 降, シ ラ ーの 「人間性
の 美 的調 和」 に 限界 を見出 し, ヘ ル ダ ー リン 的 な詩 的 弁 証法 に分 裂 克 服の 原理 的 意 義を 認 め ,1798
年以降,その 中に イエ ス の 宗 教の 本 質を把え ,その 原理 が愛 と美に よ っ て いか に現実
に おいて生命
をも
ち得 る かを探 っ て い っ た の だ が, 『キ リス ト教の精神
とその 運命
』の 結末
に おい て挫折
せ ざるを得な かっ た。 こ の頃の ヘ ー ゲル は, 後期 ヘ ーゲル とは異 っ て , イエ ス の 死の 内に , 「現実と自 然の 分離 」 しか見 出せ ないの で ある。 これはヘ ル ダ ー リンの 『エ ム ペ ド ク レ ス 』の場合
と対 称 的で あ る。エ ム ペ ド ク レ ス は,
自
然 と人 間の 分裂 とい う時
代の運 命を 一身に引 き受け, それを一時 的に 解 消す る。 しか し, そ の解 消は過 度の親 密 性で あ り, 個人 的 な もの に と ど ま り, 一般大衆
の もの と な る こ と がで き ない。 最 終 的な解 消は個
人 的なもの で な く, 普遍 的, 人 類 的な もの で なけれ ば な らない 。 も し, 個人 が最 終 的な解 決を した な らば, そ の 普遍 的な もの は個別 的な もの の うちに呑 み つ く されて し まい , そ の個別
の自然 的
な死
を もっ て普
遍 も消滅
して し ま う。 か く て , エ ムベ ド ク レ ス は, 過度の親 密 性を担っ て, 意 志的 に自
らの肉
体を エ トナ 火 山の 火 ロ に身 を投 じ,自
らの 個 別性を止 揚 す るの で ある。一般 に , 青 年 時 代の へ 一 ゲル の 思索の歩み を説 明す る場 合, 「宗 教か ら
哲
学 へ 」 とい う図式
が 当て られて い る。確
か に,r
精神
現象学
』 やそれ以 降の 著 作 一18
一ヘ ーゲル の哲 学形成に お ける芸 術と宗教の位 置 におい て は ,