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西山学報 34 (19860330) 16中島 秀憲「ヘーゲルの哲学形成における芸術と宗教の位置」

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全文

(1)

ヘ ー

形 成

け る

芸 術

宗 教

位 置

1

  序

 

こ の

論文

におい ては,

青年

へ 一 ゲル の

哲学形成

の歩みにおい て ,

術や

宗教

が, 芸 術に つ い て は シ ラ ー ダ ー リ 芸 術

芸術

, 宗 教に つ い て は イ エ ス の宗 教がい か に関与 し, い か な る

置を占め て い るの かを考

す る もの で ある。

2

  体 系 完 成

の ヘ ー ゲ ル に お

芸 術

位 置

  神 学者で はな く, 哲 学 者と して の ヘ ーゲル に おい て は, 芸 術の 位 置は消極 的 な もの で る。 シ ェ リン グ的 立

に立つ

も初期の

哲学 的

で ある

1802

の 『フ ィ ヒ テ とシ ェ リン グの

学体 系の 差異 』 に おいて は , 「最近 の文 化,

養に 対 抗 して じて い る, 全 体 との 関連か らす れ ばご くわ ず かの 試み, つ ま り, 過

異国

をよ り意

深 く

し く

現す るこ とは ,

生命

っ た

術の

真 剣な 連理 解さ れ な くな っ た時に の み, ご くわ ずかの注 意をひ くこ と がで きるの で ある1) 。 遠い過去の ギ リシ ャ 世 界で 見出 され た よ うな最高 次の

完全性

は,

教養

化の 発

のある

段 階

まで ,現

教養

,文 化に比 す れ ば野 蛮 な

態に おい て のみを持 ち得たの で ある。

 

シ ェ リン グ 的立 場を乗 り越えた

の 最 初の 哲

系で あ る

1807

年 の 『精 神 現

学 』の

で は,

術は芸 術 宗 教 (ギ リシ ャ の 宗 教 )において 論 じ ら れて い る。

人的

精 神

と して は, 精

証 法 的運 動に よ っ て, 意

己意 識, 理性へ と高 まり, 人類の

神と して は, 古 代 的 な 自然 的

精神

で ある 「真 な る精 神 ・人倫」 よ り, 中世か ら近 世にか けての 「

己疎外的精

・教 養」 を経

1

(2)

西  山  学 報 て 「

己確

的精

・道 徳」 とい う現 代の

神へ

ま る 精 神は, 客 体 的

精 神

で あ る

宗教

を経て ,

絶対精 神

へ と高 まる。 こ の宗

的な

神は, 自然

教 (

イ ン ド,ペ ル シ ャ , エ ジ プ ト の

宗教)

か ら,

芸術宗教 (

ギ リシ ャ の

宗教)

, 啓 示宗 教

キ リス ト教)へ い う

な す

い て は , 人間は

的な ものを精 神的 なもの と して 把え る こ とが で きず 自然物の え る。 芸 術 宗 教は,

的 な もの を

術 と して , 人間 の 作品 と して , つ まり

 

「精

的 な も の」 と して把え る。 こ の芸 術 宗 教は, 彫刻, 祭 り (オ リン ピ ッ ク), 叙 事

, 悲

, 喜劇 とい う過 程 を経 る。 まず

が 自然な人 間 的な形 態 を もっ て 彫刻で

現 され る。 しか し, これ は

的 なもの で あ り,

的 なもの , 生

性 を表現 で き ない。 彫刻が よ り

的,

生命

的な

の とな っ て くる とこ ろに オ リン ピ ッ クが生 じる。 美 しい 動 的な身 体 性が神 と して崇 め られ る の で ある。 芸 術が よ り精

性 を

得 し

肉体

性を離 れ る と, 文

学作

品へ と移 動す る。 まず叙

事詩

に おい ては, 精 神は未だ自 らを統一的に把 握で きないた めに , 自らを

雑 多

の 行 為 と して 表

する。

に 精 神が 自らを

遍 (国 家) と個別 (家

) とい う精 神 的 契機 と して 把え る よ うに な ると,

遍 と個 別の 相 克の 運 動を運命 と して 表 象 する。 こ れが悲

で ある。 最 後 に,

精神

は,

国家

員で もな く

族の 一 立 の 個 的 自己 にめ ざ めて く る。 こ の 段 階が喜 劇で あ る。 ギ リシ ャ劇で は ,神々 が仮面をつ に よ っ て

じ られ るの だ が, 喜 劇の 終

で は

々 が失 態を

じ, 結

で は役者が仮面を脱ぎ捨て 神々 が人 間に 他な らぬ こ とを暴 露 するの で ある。

術 宗 教は, 自然宗 教の 単 純な彼岸 性に比 して , 人間

, 精 神 性を獲 得 した点 に大 きな意 義を もつ の だが, 宗 教的

精神

の 最 高 段

で あ る啓 示宗

に 比べ

ん で い る。 つ ま り, 人

に よ っ て , 人

態, 行

として

された もの は,

が い くらそ こ に

与 しよ う とも, 決 して 人 間 的 な もの をえ る こ とはで きないの で ある。 作 品は観 賞者 に 「畏怖 し つ つ 魅か れ る い うヌ ミノ ーゼ 的 感

の 「畏 怖 しつ つ 」 とい うモ メ ン トの

を与え る こ とはで きない の で ある。 ヘ ー ゲル が

術 宗

結末

で 引用 して い る 「神が死ん だ」2) とい う叫びは, 人 間の 絶

他 者 性喪

の 叫びで あ り, こ こ 一 

2

 

(3)

      ヘ ーゲル の学形成における芸術と宗教の位置 に

の子 イエ が 誕 生 す 必 然

す る あ る

 

1822

か ら

1831年

に か けて の 『歴史

哲学講義

』に おい て 、ヘ ーゲル

宗教

哲 学

して の よ うに い る。 「真な るもの は, しか し, 宗

場合

の よ うに表 象 と感 情の対 象 と な り, 芸 術の場 合の よ うに直 観の 対 象 とな るに と ど まらず, また思惟す る精

の 対

と もな る。 こ う して わ れ わ れは こ こ に

一 の 三 の形 態, すな わ ち哲

を もつ こ とにな る。 哲 学はその 限 りに おい て

最 も良

い ,

自由

な, また最 も明

な形態で ある」 3) 。

 1823

年か ら

1826

年 に か けての

r

美 学 講 義 に お い て は, 「

術の 最 高の 使 命 は, い うな れ ば, 宗

哲学

通 の もの で あ る 」 4} 。

的な る もの , 絶

的 な

芸術

直観

や感

に よっ て, 宗

は衰

によ っ て,

哲学

は思

に よ っ て把え るの で る。 「芸 術は諸 民 族が そ の 最 高の 諸 表 象を投入 して お り, そ れ は しば しば一民

を 認

す るための 唯一 の 鍵で ある。 そ れは

粋な思想 や超 感 性 的

界 と,

直接的

に 眼

に現 れる感

とを

媒 介

する中 間項で ある」 4〕 。 しか し,

科学

, 反

教養

代で あ る現

に おいて は,

芸術

は そ の 持ち

を 十 分にかすこ とはで き ない 。 「ギ リシ ャ 芸 術の うるわ しい 日々 も, 中世 後 期 の 金 時 代 も過 ぎ去 っ て しまっ た。 わ れ わ れの 現

は, その 一

芸術

には有

では ない。

実際

製 作

に従

する芸 術 家で さ え も, 四 辺に 高 まりゆ く

術の や , 芸 術に つ い て 思念 し, 判 断す る 一

慣習

さ れて , その 風に 染み, 自分 の 活 動その もの に従

よ り も

くの 思 想を もち こん で いる。 それの み な らず, 全

精 神的教養

か らい っ て も,

芸術

家みずか らが か よ うな反 省 的

界 とその

状況

の さな かに 立っ て お り, 意

決断

に よ っ て そ れか ら離 脱す る こ ともで きない し, ま た特

な教 育や, 生

活事情

か らの 隔離に よっ て ,

われ た

園を人

的 に つ くり出すこ ともで きない よ うに なっ て い る の で ある。 これ らすべ て の

に おい て

詮 芸

は, そ の 最

の 使

の 面 か らい え ば, わ れ わ れに とっ て過 去の もの で ある」5,。  

1830

年の

r

エ ン チ クロ ペ いて も, 「哲 学は, 芸 術 と宗 教 と の統 一 。 ただ し,

芸術

の形

面に おける

的な

直観様 式

, 生

の主 観

3

(4)

西 山 学 報 数の

立 的

へ の

実体

的 内

の分

, こ の ようなあ り方が宗 教の

総体

性に おい て 一

宗教

で は展

して い く

離散

展 開

され た もの の

媒介

表象

に おいて 行な わ れ るの だが 一

に 一つ の 全

る だけ な く ,

純 粋な精 神 的直

と な り, そ う して

己意

的 思惟へ 高め られて い る限 りで,

学は芸 術 と宗 教の 統一で る」6) 。

3

 

シ ラ ー とヘ ー ゲル ヘ ル ダー ソ ン

 

以 上の よ う な

術に

消極的

評 価

は, ヘ ー 初 期

学 論に おい て 見 出す こ とはで きな い。 ヘ ー

1794

年の

r

民 族

宗教

と キ リス ト

』,

1796

の 『実 定 宗教 として の キ リス ト教の 性 格 に おいて は, 明らか に シ ラー 的な

的 立

に 立 っ て い る し,

1796

年の

6

月か

7

に書か れ た と 推定 さ れ る 『体 系 計 画』 か ら

1798

年の 『キ リス ト

精 神 とそ の

まで は, ヘ ル ダ ー リンな美 的 合一の 立

で あ る。

 

ヘ ーゲル は

1795

4

16

の シ ェ リン グ宛の 手紙の 中で , シ ラーの 『人 間の

的教

に つ い て 』 と

は傑作だ として い る。 ヘ ル ダ ー リン は , シ ラ ー っ て その 文 学的才 能を認め られ, シ ラーが主 宰 して い た

文芸

雑 誌 「ター リア」 の最 終 号 (

1794

11

月発行)に

r

断 片 ヒ ェ ベ ー リオン』 と詩

r

運 命』 を 載せ て も らっ た。 この ほか ,シ ラー は, 出版 社の コ ッ タ 社に ヘ ル ダ ー リン の 『ヒ ュ ベ ー リオン 』 の 出版を推 薦 したり, 翻 訳をす すめ たり, い ろい ろ とヘ ル ダ ー リンの

世話

をして い る。 シ ラ ーの 『

人 間

教育

に つ いて 』 に

し て は, ヘ ル ダ ー リン は

1796年

2

月の ニ ー 手 紙 の よ い る。 「私は, わ れ わ れ がそ の

で 思惟 し, 生

して い る 『分離』 を明らか に する原理 を見 出そ う と思 っ て い ます。 … … もちろん 理

示の あい だの

抗争

を,

践理性の

けを

りる こ と な く, 理論 的に, 知 的直 観 におい て, 消 滅 さ せえ る可 能 性を もつ もの で な け れ ば な りませ ん。 わ れ わ れは

践 理

の 代 り に , 美 的な心 ば えが必 要 とな り ま す。 私は, こ の

学 書 簡を 『人間の 美的教 育 に つ い て の

書簡

』 と

命 名

るつ も りで い ます。 こ の 書

に お い て , 哲

か ら 一

4

(5)

ヘ ー 学形成お け芸 術 位 置

文学

及び宗

に まで

論及

する こ とに な

ましょ う」7)。

結局

は こ の 『

新書

簡 』 を完 成す る に至 ら な か っ たの で あるが。

 

シ ラー, ヘ ル ダ ー リン , ヘ ー 生きて いた時

, つ ま り

18

世 紀 末か ら

19

世 紀初頭 に か けては, 激 動につ ぐ激 動の 時 代で あ っ た。 まず思想面 で は, ド イ ツ に おいて は, 啓

蒙主義

は,

級の

活動

上 の た め に

社会

の 条 件を よ く す る よ う な働 き を充 分にす る こ とがで き な か っ た。 か くて 知 識 階 級の間で は, ル ソ ーの 思想の 影 響, 啓蒙 主

に対す る反 動 と して , 悟 性の 専 制や 人 為に 対 する反逆T 個人の生の情 感と尊 厳の強烈 な運 動が生 じた。 フ ラン ス は

1789

年 の

7

14

日, 民 衆の バ ス テ ィ ーユ 要 塞 襲 撃に よっ て フ ラ ン ス 革 命 に入 り,

8

4

日 に は

民議 会に おい て封 建 制の 廃 止が決 議 され, 同じく

26

日に は 「人権 宣 言」 が

択 され,

自由

平 等

主権在

民の

基本原

理 が

宣言

された。

 

こ の

しい人 間性の 目覚め に よ っ て惹 き起 こ された

由, 平 等の 叫び は ,

めは , シ ラ ー , ヘ ル ダ ー リン ,へ 一 ゲル の 心を深 く把えた の で ある。 シ ラー に つ い て は,

1792

9

月, パ リで 開か れ た

民 議 会にお い て , 自

の ため に

か っ た外 国人 に フ ラ ン ス

和 国

名誉市

民の 称 号 を

る こ とに な っ た時, シ ラー も そ の 「フ ラ ン ス 民」の 内に

え られたの で ある。 ヘ ル ダ ー リン とへ 一ゲル に つ いて は, ロ ーゼ ン ク ラ ン ッの 『ヘ ー ゲル 伝』が 次の よ うに伝えて い る。 「シ ュ テ ィ フ トに は

治ク ラブ が結成 された。 フ ラン ス の 新 聞が購 読 さ れ, その

道が貪 り読ま れ た」8) 。 「ヘ ー ゲル は 自由と平 等の 最 も熱 烈な弁 護 者で あ り, 当 時の すべ て の

頭 脳

革命

て い た 」 。 「へ 一 ゲ ル は強 烈 なジ ャ コ バ ン

と して通 っ て い た。 そ して ヘ ル ダ ー リン もこ の方

を共に して い た。 あの 学 寮の 拘 束のな かで よ り自由な発展 を縛 られて い る こ と を強 く感じ れば感じるほ どこ の

方 向

が取 られたの で 8) 。

 

しか し, 革

はやがて テ ロ と結びつ き, 全 世 界を覆 う破 壊の 嵐は, 人々 の心 を

度の不

と恐怖 に陥し入 れた。 か くして, 人 間の

由, 平 等の

に,暴

と圧 政が

配 す る

, また ド イ ツ との 領土 問題で は, 革

フ ラ ンス は ド イ ツ の 革

運動を支

せ ずに, 絶 対 主 義 国 家フ ラン ス と同 じく

自国

の 国

の み しか追

5

 一

(6)

西 山 学 報

しない こ とが露わ に な っ た

9》 ,

らは

々 ,

革命

や現

社会

況 に対 し深い 失 望や嫌 悪を感 じたの で あ る。

4

 

シ ラ ー とヘ ー ゲル

 

後シ ラーに とっ て は,

家の

造は暴 力 革

に よる現 存 秩 序の 破 壊に よ っ て

な わ れ るべ て , む しろ

各個

人の

な る 人

間性

の 改

か ら出発すべ き なの で ある。 この 理論 的 基

づ け が 『人間の

的 教 育に つ いて 』 1ω で あ る。 こ の

で シ ラーの こ の

著作

なる

芸術論

で は なく, 一

政治

的 な

論文

ある。 同 じこ とは , ヘ ー ゲル の 一 神 学 論ヘ ル ダ ー ン の 『ヒ ュ ペ ー リオ ン』 や 『エ ム ペ ドクス , そ の他の詩 作につ い て も言え る。

 

シ ラーは, 現 代 精

の 分裂

態の 根源を, 人

性の 内なる分 裂 とみな す。 そ の 分 裂 と は直覚 的悟 性 (想 像 力

と思

的知

(抽 象 的, 論理的 思 考 力) と の , 感 性 的 衝 動と形式 衝動との , 自然 と道徳 との分 裂で あ る。 時 代 精 神は 一方 の か ら他方の ま た逆へ と , 転々

揺 す るの みで あ る。 こ の分 裂

況の 克 服を

家に 期 待す るこ とは不 可能で あ る。 厂な ぜ な ら現在の 国 家は災い を も た ら した ほ か な らぬ張 本 人で あ り, ま た 理性が 理念の中で 命じる よ う な 国家 は , こ の よ うな人間 性の改善の基

と なる こ とがで きる の で は な く, 逆に こ う した改 善に よっ て は じめて 基礎づ け られ ね ば な らない ので ある」(

Nr

7

)。 シ ラー はこ こ で , 感 覚 的 自然

態の 野 蛮 国 家に

るの で もなければ,

性 を

圧 する理

性法則

界 を目

すの で

ない。

術を目指 すの で ある。 で は , 何故 芸 術に おい て分 裂

況が克 服 され え る の で あ ろ う か。

 

シ ラ ー は 人に 二 つ の 衝動を認め る。 我々 の 内な る必 然 的な もの を現 実

するとい う感

的 衝

と,

々 の

な る現

的なもの を必然性の

わせ る と い う形 式 衝 動で ある。 感 性 衝 動は, 人 間の身 体 的 存

, すなわ ちその 感

性に発 し,人 間を時 間の枠の中に置き,

とす る

きをす る。 感 性 的

動に 一方 的

て い , 人間は感 覚 に支 配 され, 時 間 的な もの に 引 きず られ, 現 実 世界 へ つ なぎとめ られ,

遍的な もの , 永遠 的な もの を見 失 っ

6

(7)

ヘ ーゲル の哲学形成にお ける芸 術と宗教の位 置 て 単な る動物的存在へ と堕 し

己の 人 格 性を喪 失す る。 形 式 衝 動は, 形態 を

象 と して も ち ,人 間の 理 性 的 本性か ら発 し, 人間を

由に し, そ の 現

調和

さ せ,

態の

変化

に か か わ らずそ の

人格性

確保

す る こ とに

め る。 形 式 衝 動に 一方的 に支配 されて い る限 りで は, 人 間は感性的衝 動を理 性 衝 動の 下 に絶 対 的に従

させる が , そ れだ け

界 との

多面

的な

接触

ざされ,

感受

は萎えて しまうこ とに なる。   人 は一衝動を もっ て 他 方の 衝 動を制 圧 する とい う形で は, 内なる分 裂を 克服 する こ と がで き ない 。 我々 に と っ て 肝 要な こ と は, 両

全 な形で 発展 させ るこ で あ る。 「

両方

性格

び つ け られ れば, 人

は現

実存在

最高

と最 高の独 立性 とを

由に

びつ , 世界 に お い て

己 を

うこ と な く, 逆 に世界 をそ の 全 無限 性 と と もに

分の 中に 引 き寄せ ,

己の 理性の統一一 の え るで あろう」

Nr

. 

14

。 人 間は ,感 性 的 衝 動と形 式 衝 動の他 に 遊戯 衝 動 (

der

 

Spieltrieb

を もっ て い る。 こ の 衝

は,

分 が生み 出 した もの を そ の ま ま受

し, また感 覚が 受 容 しよ う と思 う とお りに 生み出す。 「遊

は感 覚や興 奮か らその 力 動的 (

dynamisch

)な

響を受 けるの に 比例して, そ れ を理性の 概 念 と一致 させ , また 理性 とその 法則か らそ の 道徳 的 強 制を受け取 るに 比

して それ を感 覚の

と和 解 させ るで あ ろ う」 (

Br

14

。 そ の

対象

が生

感覚

衝動

と, その

対象

形態

で ある

形式 衝動

との

通の

対象

は 「生 命ある形 態 」 (

Br

15

, つ まり 「美 」 (

Br

15

)で ある。 人間は,

由 とい う中間状 態にお い て , 感 性 的 衝 動に対 して も理 性 的 衝 動に

して も主人 で あ り, 道 徳 的規

に よ っ て 内な る感

を抑 圧せずとも, 心の 欲 する が ま ま に , 普遍 妥 当的に判 断 し行 為す るこ とがで き る。 従 っ て 「人間をそ の単な る 自然 的 生 命に おい て さえ も形式 にわせ, 美 的 領 域が達 しうる限 り彼を美的 に す る と い こ とこ そ が, 陶 冶の最 も重大な課 題で ある」(

Br

23

)。

 

シ ラーは, こ の人間の 内の

的衝

聖 なもの とみ な す。

 

「こ の

聖へ の 素質を, 人 間 が それ 自身 と して 臼己の 人 格性の

に もつ こ と は 否定で き ない 。 こ の 聖の 道 一 決 して 目標に 到達 しえ な い の を道 とよんで よ け れ ば 一 は 一

7

(8)

西 山 学 報

感覚

か れて いる」

Br

11

 

しか し, 現

況に 目を移 す とシ ラー は

息せ ざ るを得 ない。

r

人間 の

的 教育に つ い て』 を次の よ うにん でい る。

 

「しか し, こ の よ うな

しい 仮

存在

す るの で あ ろ うか。 どこ に それ を見つ けた らよ い の だ ろ うか。 必 要上か ら言 えば, そ れ は すべ ての 純

な気 持 を もっ た魂の

に 存在す る こ と で ある。 で も

際 上で は, 純 粋 な教 会や共 和

と同様に , いくつ かの 数少な い 選び抜か れ た 団

に の み見 出され るで あ ろ う。 そ こ で は, よその 習 俗の 平 凡 な

並の

模倣

で はなく,

固有

しい

質が

振舞

いを

くの で あ り, また そ こ で は , 人 聞は大胆 な単純さを

らか な無 垢の 心 を もっ て 複 雑 き わ まる諸 関係 の を歩み, 自分の 自由を主 張す る ために 他人の 自由を傷つ け るこ ともな く,

美を示 すために

の品 位を投 げ捨て る必 要 もない

Br

27

 

か くの ご と くシ ラーは

美学

か ら現 代の 分裂

克 服口を見 出そ う とす るの だ が , ヘ ー ゲル は

宗教

論の立 場か らそ の 糸口を 見 出そ うとする。 す な わ ちヘ ーゲル は, イエ ス が現 れた頃の ユ ダヤ社 会の分 裂 状 況 と現 代 世界 の 分 裂 状 況 とを対 応 させ る。 そ の対 応 点とは 「

悟性

と心

」 との 分裂で あ る。 ユ ダ ヤ

社会

に おい て は, 悟 性に よる心

の 抑圧 とい う もの が

律法

とい う

で現 れ, 現

代社会

に おい て は, 啓

蒙主義

の合理 的反省文 化 とい う形で現 れて い る。 へ 一ゲ ル は イ エ ス の行

の 内に , ユ ダ ヤ

社 会

の 分 裂 克 服 の 可 能 性を探 り, かつ そ の 可能 性の 内に ま た, 現代の 分 裂

況の 克 服の 可 能 性を見 出そ うと努 力す る の で る。  ヘ ー ゲル 神 学論初 期に おい て はシ ラーの 的 立場か ら イエ を 把 え よ う とする。

 

まず,ヘ ー ゲル が

接 引用 して い る シ ラーの文 を捜 て み る

1792

年か ら

1794

『民 族 宗 教とキ リス ト教』の 「精 神 がその 墓 穴か ら

っ て きて , われ われに ,

報復

女 神

の こ とを報

して くれる よ う な こ と」 11〕 所 は, シ ラ ー の

諦念』

 

1786

の 中の一

  

かつ て

 

が墓 穴よ り立 ち上 が っ て 一

8

(9)

ヘ ーゲル の 哲学形成における術 と宗教の位置

  報復

女神

の こ とを

げた た め しが ある だ ろ うか12) を借 用 したもの で あ り, 別の 箇所で は, 同 じ く 『諦念』 の中の一節で 後に その 不 穏 当な 内容で発 禁 と な っ た もの     夢 見 る人の 想 像 力を攻略 する た め に

  

掟の た い まつ

えて い る とこ ろ がその ま引用さ れて い る。 また

1795 年

か ら

1796年

に か けて の

『実

宗教

と して の キ リス ト教の 性 格』 に お い て も同じ一節 「夢 見るの ・・… ・

が 引用 されて い る。

 

又, シ ラーの 「人 間性の

聖 性」 に 関して は, ヘ ー ゲル は

1795

年の 『イエ ス の生 涯 』で は, 次の よ うに 述べ て い る。 「世界 審 判

もまた, 同 じよ うに , た                 ゆ              ■      だ 口先 だけ, 信 心 深そ うな顔つ きだ けで神を崇め, そ の神の似 姿, つ ま り人 間 の うちに

め な い

しては ,

らを永 却に罰す る

を下 すの で あ る 」13)。 ま た, 安 息 日 にイ エ ス が

人 を癒 した時, ユ ダヤ 人が イエ ヌ に

し 「律 法を破っ た」 と非 難す るが, その 非難に 対す るイエ ス の言葉 をヘ ー 次の よ うに創 作 して い る。

r

あ なた方は , 人間の価 値 と ,人 間の 内に あ る, 神 の

念 と

の 意

の認

とを

自身

か ら汲 み こ とい

て い る の だ。 一 みずか らの うち なる この 能 力を尊重 しない人は, 神 を崇めて い ない の だ」14)。

 

ヘ ー ゲ ル の 『民 族 宗 教 とキ リス ト教』の主 要テ ーマ は 「客 観 的な宗 教と主

的 な宗 教 との 一」 で あ る。 つ まり,

系 化,

象 化 されて し まい , 個別 性 を欠 く

遍で ある

客観

的な宗 教 と, 感

と行 為 とい う形

で表 現 され, 個別 的 な もの にと ど ま り,

遍性を もつ に い た らぬ主 観 的な宗 教は,

互に

完 し

い ,民 族の中に生

を もつ 宗 教にな らね ば な らない の で あ る。 シ ラ ーは 「

衝 動」の に , 理性 と感 性 との 媒

介項

を把え るの だ が, ヘ ー は イ

に客 観

観 性 との媒 介

を把え る。 即 ち

は, イエ ス ・ キ リ

的な もの , 超個人的な理想 とい うキ リス トの

面 と, 我々 の 感

に 訴 え か け, 語 り,行 為 するとい う人 間イ エ ス の側 面 とを把え , しか も, それが 一 の生 命 と して 輝い て い るの を 認識す る。 本 来な ら ば , か くの 如き真の 神 人が拡め た 一

9

(10)

西 山 学 報

宗 教

において は , 入間 は 内 な る実践理 性 に よっ て感 情の 赴く ま まに道 徳 的行 為 を なすの で ある。 ヘ ー , 人類の 歴史 に お い て か くの 如 き調 和 的な世 界が ギ リシ ャ に おい て 現 存 して い

 

しか し, 真の 宗 教で あるはずの キ リス ト教は, 現 実には教 義や規 則 とし て , 感情や想 像 力を抑 圧 する

定 的な宗 教に 堕 して い る。 ヘ ーゲ ル は こ の 問題 に つ い て 『実定 宗

と して の キ リス ト教の 性 格 』で論 じて い る。 ヘ ー 定 性の 原 因を, イ エ ス の 「

と して の

存在

」 とい う原理 の 内で は なく,

子 達や

団の 内に把えて い る。

 

「イエ ス は

教と道

とを道

性に まで

あ, そ の本 質

在す る とこ ろの

を再 興 し よ う と した」15) , イエ ス の 存

命中

に既に,イ エ

宗教

生 命性

め る

要素

て い る 。 「

ら が イエ ス の 教えに つ いて

えて い た

を なして い た の は, こ とに , イ エ

で あ っ た こ と と, イ エ ス へ の 依 存で あっ た。 彼 らは真理 と

由と を

分 自身で

したわ けで は な く, 苦 労 して学んで そ れ らに つ い て 漠 然 と した

感情

と型ど お の を つ に いた っ た に す ぎな い

らが

名誉

に思 っ て い た こ と は, この 教え を忠

に 理 解し, 保 存 する こ とで あ り … …患 実 え を 他人 に 伝 えて い くこ とで あっ た」1G)。 こ う して , イ エ ス の 教え は , ま もな く, 宗 派を作っ たキ リス ト教に よ っ て,神の 命 令 と同 じ よ うな掟に 変え ら れ, 内な る

践理

か ら

発 的に生じ る

義務

は, 宗

上の

令 と して の

義務

え られ たの で あ る。 又, キ リス ト

俗 国 家と深く

関係

す るこ とに よ っ て , 教 会は民 衆の精 神の

配 とい う役目を引 き受 け,

家の 中の国 家 (statis 

in

 sta − tusと な っ て し ま っ たの で あ る。

5

 

ヘ ル ダー ヘ ー ゲル

 

我々

1796

年 にヘ ー ダ ー リ 詩 「エ レ ウシ ス 17) の に, ヘ ー

, シ ラ ー ヘ ル な美へ 移 行 して い る の を看て と る こ と が で きる。

  

あ あ女 神 よ

 

され ど

 

汝 が聖 堂に声な く 一 10 一

(11)

       ヘ ーゲル の哲学形成に おける芸術と宗教の位置    神々 の つ どい は  き よ め られた る祭 壇よ り

  

オ リュ ン ボ ス へ と逃れ

りぬ    聖なる きよ めの し らべ    我 らにまで つ は らず

  

学者

 

恵の

ま して

  好

奇心 の 心 を抱 き (こ の 心 もて 探 究す るもの は汝を

視す

  知

恵を わ が もの となさん とて    た だ  い た づ らに

  

汝が高 き意 味の 刻まれる

句を詮 索 す

  

む な しい か な

らは 塵埃をつ か み しの み か くの 如 く現代 精

に とっ て は, ギ リシ ャ

精神

は既 に遠 く過去の もの と なっ て い だ が しか し

  

聖な る

神よ

  今

宵も また我は

 

汝を聞 け り    汝 らの 子 ら生 もま た 汝を    我 に啓示 するこ と  しば しば に して

  

彼 らの行 動の魂 汝なるを

は感

す    女 神よ

  

汝 は

き意 味    た とひ一切 の ぶ とも    ゆ ら ぐこ とな き 誠 実の 信仰 か くの く, ギ リシ ャ

精神

は, 現

の 胸の奥 深 く

けて い る の で あ る。 こ の 『エ レ ウシ ス 』 とシ ラ ー

『ギ リ ャ の

々 』

 (

1788

) を

対比

して み よ う。 以 下 『ギ リシ ャ の

々 』 18 の 一

で あ る。

  

美 しい 世界

 

は どこ に い る の だ

 

帰 れ

び 一

11

(12)

西  山 学 報

  

友 た る

い た

  

あ あ

 

た だ

の 妖

に の み

  

的 な痕 跡が まだ生 きて い る    そ の 国は死 して喪に服 し

  

いかな る

神聖

も私の 眼

に は ない

  

あ あ

 

あの 輝 く生

を もっ て い た形 像か ら

の み が立 ち帰る

 

ーに とっ て は, ギ リシ v と現

との 距 離は埋め るこ とがで き ない もの で あ り, ギ リシ ャ の 神々 は, 単に神 話の

界に

来す る

しい

実在

で あ るに す ぎ な い。 神話 的な教え は,

術 家が 利用で きる比 喩的 な もの の 源なの で あ る。 し か し, へ 一 ゲル の 過

へ の憧 憬は

来 性を も含 む もの で ある。

 

ヘ ー ゲル は,

1796

年の 『ド イ ツ観 念 論の最 も初 期の

系 計 画』 (

Das

 

alteste

Systemprogramm

 

des

 

deutschen

 

Idealismus19

, 一

Systemprogramm

 

呼ば れて い る) と

て い る論 文におい て次の よ うに述べ い る。 「最 後にてを合一 する 理 念,美の 理 念, 高 次の プ ラ トン的な意 味に おい て 受 けと られた言

。 理

最高

次の

活動

, つ ま り,

て の 理

を包 括す る理

活動

は,

美 的

で あ

の みが

に お ける

妹 となるこ とがで きる。

哲 学

人 と同じ

を所有 しな け ればな らな い2ω 。 ヘ ーゲル は こ こで は , 「

」 を シ ラー的に人 間の 内なる

動 として の 遊 戯 衝 動の 内に把えて い るの で は な く, プラ トン 的な理念

の 立

か ら, また, ス ピ ノ ザ 的な

実体性

の立

か ら 厂美」 を 把 えて い るの で ある。 つ ま り, 彼はシ ラ ーに比 して , よ り存

論 的 に 「美」 を 把 えて い るの で あ り, こ こ に ヘ ル ダ ー リン的 な思 想が 色濃いの で あ る。

 

ヘ ーゲル は,

r

精神現象

学 』の 中の現

た る自己確 信 的

精 神

終末

, 現 代精 神が

宗教

精神

の 過程 を経 よ う とす る段 階の とこ ろ で, ヘ ル ダ ー リン とノ ヴ ァ ー リス を暗に

し な が ら, ロ マ ン チ カ ーの精 神の結 末につ い て 述 べ て い る。

 

しい魂は,

和解

て い ない この矛盾の意 識 と して は混 乱 して狂 気 と 一

12

(13)

へ 一ゲル の哲 学形成に おける芸術と宗教の位 置 な り, そ して

憧憬

, 癒 し難い肺

の 内へ 飛散して い く」 21) 。 「

気」 とは,

1802

32

歳 )

精神状

うくな り,

1806

年 (

36

) 以降 廃

人 同

と な っ た ヘ ル ダー リン こ とで あ り, 「

肺病

」 とは,

1801

年 (

29

)に肺

死 したノ ヴ ァ ー リス の こ とで ある。 ヘ ー ゲル は 『

精 神

象 学

』 の

で は、現 代 精

を, 人 間 主

で の

精神

み の究

極点

, 客

体性

精神

と把え,

しい

(ロ マ ン チ カ ー)を, 感

や直観の 中で 客 体 性を取 り戻そ うとする精

の運 動 と把 えて い る。 一

ヘ ーゲル は, 現 代

精神

しい魂だ けで な く,

しい

に 対 し現実 的な内容を与え るは ずの 精 神, つ ま り行 為す る精 神が

在す るこ とを 把 えて い る。 行 為す る精

とは, シ ュ レ ー 説 『 』22) に 現 れて い る ような, レ ッ テル として の美 しい 魂 (

遍 性

をふ りか ざ し, その

らの個別 性に従っ て

由奔

をする

精神

の こ とで あ る。 現

代精神

教 的精 神へ 移 行 する た課 題 と して っ て い るこ とは, 宗 教 的な サ ー で ある

しい

行為

精神

解 し, 現

性, 内容を

得す る こ と で あ る。 こ の 和 解に到 達 するため に は,

しい魂は,

感情

直観

に と どま らずに , 反省や悟 性を も取 り入 れて , 思弁 的な立場で , 自己 と他 時との 根源 的 同 一

れ も, 人 間 主 体の側で の

精神

の 歩みの 究

極点

で あり, 各 々 が

と個 とい う

精神

を な して い る とい うこ と)を認

しなければ な らない 。 こ の 和 解 を経て , 美 しい 魂も, 行為 する精 神 も, 新しい精 神の

機と な るので あ る。

 

で は, ヘ ーゲ ル は確か に 一 方で は, 美 しい魂 に

して 「狂気」 だの 「肺

」 だの 配 な批判を して い るの だが, 他 方そ の 内に, 『キ リス ト教の精 神 とそ の 運 命』 に お ける が如 く現

面 して は挫

せ ざるを得ない イ エ ス の 美 しい の 宗教で は な く, 現 実性を超 越 しつ つ 現

性 を獲 得 する で あろ う真の 宗教の

体 とい う もの を把えて い るこ とにな る。 そ うす る と, へ 一 叙述

る美 しい を, そ の 過 激な表 現を鵜 飲みに して 「

狂気

」 と把え た り,

い は, 我々 が一

に ロ マ ン ス トとい う言

で 理

して い るよ うな 「

情緒

や感 傷を好 む 人」 と把え る こ は, 非 常に 一 面 的な理解で ある こ とにな る。

 

新 しい精 神に お け る美 しいの真の意

を解 明す る鍵 は, 美 しい魂の

表 者 一

13

(14)

西  山 学 報 と して ヘ ー ゲル の念 頭にあるヘ ル ダー リン , つ ま

フ ラ ン ク フ ル ト時

代深

く相 互に

響を及ぼ し

っ た ヘ ル ダ ー リン が, ヘ ー

哲学

い か

めて い る かを

考察

する こ と で ある。

 

我 々 は, ヘ ル ダ ー 内に , ヘ ー ゲル に先ん じて , 既に チ ュ ー ビ ン ゲ ン時 代の

1792

年の詩 『自由に 寄せ る

讃歌

23, に おいて ,

一 ,

裂,

再合

思想

が現 れて い るの を

る こ とがで きる。

2

下 引用 する

は,

と い う形を とっ て い るの だ が ,

初の

一 的 段 階は,

  

愛が ま だ

飼の

姿

を して

  無 邪気

い だを歩 み

  

心 して うれ

に     母 な る 然 の に すが り と表 現 されて い る。 第二 の 分 裂の 段 階は,

  

だ が悲 しいか な /一 わ た しの 楽 園は震

し た !     四大の怒 りは咒い を約した !

  

や がて

い胎 内か ら

  

たかの ま な ざしをした傲

か び 出た

  

悲 しいかな/

 泣

き な が らわ た しは

と ともに

  無

と と もに

  天

上に のがれた一     花 よ  枯 れよ/  わた しは真 剣な暗い 気 持で 叫ん だ

  

枯 れよ

  も

して咲

き出

るこ との ない よ うに! と表 現され,

三の 再

一 の

階は,

  

さあ

る が よい

 愛

と誠

の も とへ 一

  

あ あ!

  久

し く

われて い びの も と

  

愛は かの ながい争い を宥 和 させ た

  

然の

よ / 一

14

(15)

ヘ ール の哲学形成にお け る芸 術と宗教の 位置

   

ふ たたび

配者 と な れ! と表現 さ れて い る。 こ の

女神

げご とに答え る形で ,

   

おん み の 告 げは喜ば し く

 

神々 の こ と ばの よ

   

女王 よ /

 

そ の 強 い現 こ そ おん み の 賞讃で あ れ

   

新 しい創造 の は既 に まっ た    実 りをは らむ種子はすで に芽ば えた と

わ れて い る。

 

1794

11

月か ら

1795

1

月に

か れ た

r

ヒ ュ ペ ー リオン の 青

時 代』 に おい て は, 「もしも精 神が な んの抵

約 を

け ない とす る な ら, 我々 は 自分を も

人 を も感 じな くな るで ろ う。 しか し

分 を

じな くなる こ と は 死 で あ る。 こ うして,

限とい う

しさは,

的 な

溢 と

か ち難 く結び つ い て い る24)

1795

年 4 月

に書か れた と推 定 され 『判断 と存 在』 (

Ur

− teil und  

Sein

と名づ け られて い る

学 論 文におい て は , 「

我は,

我が

我か ら分 離 する こ とに よ っ て の み可

で ある」 25) 。

は, 分 裂に

んずる主

客体

の 統一 を 「存在」 (

Sein

) と表現 し て い る。

 

こ の よ うに ヘ ル ダ ーソ ン は ,

的 な もの との 連 関に おい て, 有 限 性や否定 性 を肯定的に考 察 して は い る。 しか し, この段 階で言われて い る 分 裂, 貧 し さ は, 人 間の 側の 分 裂, 貧 しさで あ り,

々 は人間の 分裂 を超

して

らっ て い る ので あ る。 『ヒ ュ ペ ー リオン 』

 (

)に おい て も, ヒ ュ ペ ー リオン の美 しさ とは,

悩や 分 裂 を積極的 に

媒介

す るとい うよ り も, む しろ, 苦 悩や 分 裂を離れて ,

界に 逃 れ る もの で ある。

 

しか し, ホン ブル グ

時代

に 入る と, 特 に 『エ ム ベ ドク レ ス の基 底 』 以

, 分 裂の

が絶

者そ の もの に関係づ け られて, 神 的な もの の 運 動の 一 過 程 と し て ,

積極

的に把え ら れる よ うにな る。 例え ば

1798

11

月 の 弟 に 宛 て た 手 紙 (

Nr

169

で は, 「神 的な もの は, そ れ が発 現す る

ず ある

の 悲哀 と屈 辱 とを伴わずに はい ない 26)。

1799

秋の 『エ ム ペ ドク レ ス の

基 底

』 (

Grund

zum  

Empedokles

に お い て は , 分 裂が 「過 度 の 親 密 性」 27) (

Ubermass

 

der

一 15 一

(16)

西 山 学 報

Innigkeit

られて い る。 つ ま り, 根 源 的に は人 間 と自然 とは過 度に 一 の で ある が, その

親密性

直接

的 な ま まで は 意

され ない。 そ の親

密性

覚 さ れ る た めに は, 悲

という形で

然 と人 との 厳 しい

立が克服 され,

自覚

的 に再 合一 がな され る こ とが必 要で あ る。 ヘ ル ダ ー っ て は ,

哲学

教 で はな く, 精

の純 粋な営みで ある文 学 こ そ が, 愛を根 底 とする美の 世界を構 築す る もの で あ り, 人 と自然と を再合 一 もた らす もの で

 

以 上, 思 想 的 な面に 限 っ て , フ ラ ン クフ ル ト時 代, ホ ン ブル グ時 代の ヘ ル ダ ー

み を か え っ て み たが, 我 々 は そ こ に 明 らか に , 一

的な 意

で の

しい魂 を超え出て い る もの を把え る こ とが で きる。 我々 は, ヘ ル ダ ー 思 想 , 確かに , 同 一 非 同一 の 一 とい うよ う な, 現 実性や個 別 性を も契 機 と して 止 揚 す る弁 証法的 な合一思 想 を看て と る こ と が で きる。

 

フ ラ ン ク フ ル

の ヘ ー ゲル の 思 想 に , こ の よ うなヘ ル ダ ー リン の 思想, 或いはヘ ル ダー リン的 な患 想 が 深 く

響 を及 ぼ し て い る の で ある 。   『ヒ ュ ペ ー リオン 』第一部 に お ける ヒ ュ ベ ー リオン は, 現 実に 立 ち向っ て 現 実を変革 する とい うよ り もむ しろ、

に よ っ て

の 精

的 連

の 人 類

興 する こ とを

す。 ヘ ー , この

に よ る

体 との

解, 分 裂 の 克服 とい うテーマ

1797

7

月 まで に書か れた断片 “

positiv

 wird  ein

Glauben

 

genannt

”2B) よ

1798

の 早 い時期に書 か れ た

断 片

Fortschreiten

der

 

Gesetzgebung

”29) まで の 心 テーマ で ある 次の 文は ,

positiv

 wird  ein

Glauben

 

genannt

直 後 か れ 断片

Religion

 eine  

Religion

 stiften ”30)

の 一

で あ る。

 

「た だ

に おいて の み 人 は客

と 一 あ る 。 客

は支 配す る こ と もな く支配 され るこ ともない。

  

想像 力に よっ て 実

とされ た こ の

神聖

る」。 また

同年

か れた

断片

Glauben

 

ist

 

die

 

Art

”31) に い て は 「

一が存在 と同 義で る」 と表 現 されて い るが, こ の 「存在」 は, ヘ ル ダ ー リン の 『判 断 と存在』の

存在

」 と 同 じ内

言葉で ある。 ま た, 有 限 性や 分 裂の

極 的意

して は,

1800 年

9

か れ た “

System

fragment

”32 に おい て は, 「生 (

das

 

Leben

)は, 結 合と非 結 合の結 合で あ り, 一 16 一

(17)

       へ 一 ゲ哲学形 成おける芸 術と宗教位置

限な る

無 限 なる生へ の高まりが宗

で ある こ の 無 限 な る

精 神

Geist

と称す こ とがで き る, また

1800

9

24

日か ら書 き

め られ た

r

実定

宗 教 と して の ス ト教の 性 格』の 論 文の改

稿

に おいて は,

稿と は異な り, 反

定性に して の意義づ け が 露で ある。 つ まり 「概 念 に とっ て は, 偶 然 的な もの, 歴

的 な ものが, 宗 教に とっ て は必 然 的な もの, もしか す ると唯 一 と な る あ る」33♪ 。

 

こ の ように ,

1796

年 の

Syste

program

か ら

1800

年の

Systemfragment

に か

けて の ヘ ー ル は , 全 体 とし て はヘ ル ダー リン 的な

想に

っ て い る。 し か し, 体系づ けた叙 述 こ そ して い ない が, 遅 く と も

1798

年 頃まで に は, ヘ ーヘ ル ダ ー リン な立

に, つ まり, あ くまで も

の 内に詩 的に

再合

一 を

ろ う とす る立

に限界 を

も感

じて い る。

1798

秋の

断片

Zu

 

der

 

Zeit

da

 

lesus

”34) , 言 わ ゆる “

Grundkonzept

 zum  

Geist

 

des

 

Christentums

に おい て は次の ように述べ て い る。 「ひ とつ の

の 宗

を 創る こ と。 そ の 理想 は, それ は見 出さ れ るの か 」, 「

しい魂は

しい

享楽

の 瞬

所有

し て い る が, それは瞬 間に す ぎな い」,

r

反省は

一 しない」。

1800

年 の 初 期 まで に 書か れた と推定 され る, 彼の代 表的 な神 学 論 『キ リス ト教の

神 とそ の 運

』 は, 現 実か ら逃 避 し, 少 数の 美しい魂の 間で だ け純 粋な精 神を守ろ う とす る イ エ 教 団に

と世 界 との , 神 的な もの と生 との 分離が教 団の 運命で あ る, とい う内容で 終 っ て い る。

1800

年の “

Systemfragmente

” に して も, イエ ス の 的宗 教 を批 判する形で 「教 会 と国 家が別々 の もの で あ りえる は ず が な い。 国家に とっ て思 惟 された もの ,支 配 的なものは, 教

に とっ て は, 想像 力 に よ っ て 表現 され た

け る もの と して , ま さし く同 じ全 体で ある」 と述べ られ て い る。

6 

青 年

ヘ ー ゲル に お

宗教

 

か くて

1802

の 『フ ィ ヒ テ とシ mV ン グの

学 体 系の 差異い て は, 先 にた ご 現 代分 裂克 服 る の 芸 術 は な く

哲学

の で あ 一 17 一

(18)

西 山 学 報 るQ

 

ヘ ル ダー リン の

再合

一 の

道は全生 涯かけ

あ り ,

1800 年

頃ま で の ヘ ーゲ ル に とっ て は, そ の道は宗

で あ っ た。 で , そ の宗 教は, カ ン ト的 そ して シ ラー的な道 徳

宗教

か ら, ヘ ル ダ ー

宗教

へ , そ れ か ら 思 弁 的

宗教

へ と

行 して い る。

 

1800年

体系断片

』に おい て は, 「

学は宗 教が 現 れ れ ば身を引か ね ば な らな い35) う表現 , し か し, こ の 「

教」 は,

学 (この場合は 「反省」 と同義で ある)の無 力 故に哲 学に

対抗

して れ る

教で は な く,

学の成 果を踏ま えて現 れる宗 教で ある。 つ ま り思 弁を経た宗 教で あ る。

 

ヘ ーゲル は

1796年

以降, つ ま りベ ル ン時 代の 後期 以 降, シ ラ ー 人間

美 的調 和」 に 界 を出 し, ヘ ル ダ ー 詩 的 弁 証 分 裂 克 服 意 義を 認 め ,

1798

年以降,その 中に イエ ス の 宗 教の 本 質を把え ,その 原理 が愛 と美に よ っ て いか に現

に おいて

生命

ち得 る かを探 っ て い っ た の だ が, 『キ リス ト教の

精神

とその

に おい て

せ ざるを得な かっ た。 こ の頃の ヘ ー ゲル は, 後期 ヘ ー っ て , イエ ス の 死の 内に , 「現実と自 然の 離 」 しか見 出せ ないの で ある。 これはヘ ル ダ ー リンの 『エ ム ペ ド ク レ ス の場

と対 称 的で あ る。

 

エ ム ペ ド ク レ ス は,

然 と人 間の 分裂 とい う

代の運 命を 一身に引 き受け, それを一時 的に 解 消す る。 しか し, そ の解 消は過 度の親 密 性で あ り, 個人 的 な もの に と ど ま り, 一

般大衆

の と な る こ と がで き ない。 最 終 的な解 消は

人 的なもの で な く, 普遍 的, 人 類 的な もの で なけれ ば な らない 。 も し, 個人 が最 終 的な解 決を した な らば, そ の 普遍 的な もの は個別 的な もの の うちに呑 み つ く されて し まい , そ の

個別

自然 的

を もっ て

遍 も

消滅

して し ま う か く て , エ ムベ ド ク レ ス は, 過度の親 密 性を担っ て, 意 志的 に

らの

体を エ トナ 火 山の 火 ロ に身 を投 じ,

らの 個 別性を止 揚 す るの で ある。

 

一般 に , 青 年 時 代の へ 一 ゲル の 思索の歩み を説 明す る場 合, 「宗 教か ら

学 へ 」 と

図式

が 当て られて い る。

か に,

r

精神

象学

』 やそれ以 降の 著 作 一

18

(19)

ヘ ーゲル の哲 学形成に お ける芸 術と宗教の位 置 におい て は ,

精神

最 高

位は

学で あ り, そ の 下の境 位が宗 教で ある。 し か し

筆者

は, ヘ ーゲ ル の まさ しく

宗教

か ら

哲学

へ の 歩み (即 ち 『精

象学

』 の 誕生) に おい て, 「宗 教か ら

哲学

へ 」 とい う図式で は な く, 「

術か ら哲

へ 」 とい う図 式 を

るの で ある。

 

ヘ ー ゲル は

源 を, 人 間

なる分 裂 (理

と感

)に で は な く,

的 な もの (客

性 ) と人間 的な もの (主

体性

) との 分 裂に 把 え る。 そ して ,美 しい の サ ー クル で ある イエ ス の宗 教の に, 或い はヘ ル ダ ー リン 的な

芸術性

に , 人

主体性)

を超え出で て

的な もの を渇 望 して い る

聖な心

(客 体性 )を把え る。 しか し, こ の 神 的な もの が芸 術 と して , 又 は美 的 サ ークル と して 現 存して い る限 りで は , それ は

び世界 か ら分離 し て し ま う。 こ こ に 美 しい魂の宗 教の限界が存 する の で ある。 こ の限界を乗 り越え る た めに , ヘ ー ゲル は美 的サ ー クル の リー ダ ー と して の イ エ ス の もとに立 ちとど ま る の で は な く,

十宇

架 上の刑 死

後復活

した, 「キ リス ト

の イ エ ス 」 に立 ち帰 る。 しか もこれは ,

哲学

的回 心 で ある。 ヘ ー , キ リス ト

を概 念 的に 把 え る こ とに よ っ て , キ リス ト教の 内に

精神

の 運動の

理 が 表象と して

語 られ て い るこ を認め るの で る。 つ まり, 彼は哲 学に よ っ て初めて , キ リス ト教 が真理で ある こ とを認め るの で ある。 か くて イ エ ス の 刑 死は 「

北 」 と して で はな く, 神 的な もの の 「個別か ら真の

遍へ 」 とい う運 動 と して積極 的に把え られるこ とに な る。 ヘ ー ゲル は , 現 代の ヘ ル ダ ー リン 的芸 術 性の 内に イ エ ス の 宗

す るもの を, 現 代の ヘ ル ダー リン の 「

気」

 

狂気

と は

精 神

の 死で ある)の に イエ ス の 刑 死

応す る の を把え る。 彼は, イ エ ス の 宗 教が イ エ 刑 死 後

体 性を

精 神

化 するこ とによ っ て真の キ リス ト教 となっ た と考え る。 同 じ く

は,

的な もの と人 間 的な もの の分 裂 とい う現 代の 宿

を 担 っ て い るヘ ル ダ ー リン 的な

が, 哲

に よ っ て その 精 神 的意義が 自覚化 される こ とに よ っ て , 真の普 遍 性を得る, と考え るの で ある 36) 。 註 へ 一ゲル の略年表 一 19 一

参照

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