わが国における権利保護保険の機能と課題
内 藤 和 美
■アブストラクト
わが国の権利保護保険制度は,紛争当事者となった被保険者が,その紛争 解決のために必要となる訴訟費用や弁護士費用等の負担によるリスク(費用 リスク)を負担する機能(費用リスク負担機能),および,弁護士会と協定 保険会社等が協働で運営するシステムを通じて弁護士紹介を行う機能(法的 サービス・アクセス機能)を有する点に大きな特徴がある。権利保護保険の 費用リスク負担機能は,責任保険の防御給付機能を補完する役割はもとより,
被保険者の権利保護の領域を一層拡充するものであり,この点において,権 利保護保険の名称の由来ともなったドイツの権利保護保険から多くの示唆を 得ることができる。一方,法的サービス・アクセス機能は,主に中小企業の リスク管理の観点から,紛争解決にかかる費用を軽減する費用リスク・コン トロール手段となることが期待される。
■キーワード
権利保護保険,費用リスク,法的サービス・アクセス
⚑. わが国の権利保護保険の沿革と意義
⑴ 権利保護保険の沿革
わが国の権利保護保険制度は,2000年10月⚑日に発足した。保険契約者お よびその家族(現在は,企業等を契約者とする団体契約も存在し,この場合
*平成28年⚓月18日の日本保険学会関東部会報告による。
/ 平成28年⚗月⚘日原稿受領。
は団体の構成員)が対象となる事故・事件の被害者となり,弁護士に損害賠 償請求の法律相談や事件依頼をする場合に,弁護士費用および手続き費用が 保険金として支払われるとともに,弁護士紹介を希望する被保険者に対して は,日弁連リーガル・アクセス・センター(以下,日弁連 LAC という。)
を介して各弁護士会 LAC が弁護士紹介を行うという制度である。つまり,
保険による弁護士費用等のてん補機能と弁護士会の弁護士紹介機能が結び付 けられているものを権利保護保険制度と呼び,市民が法的紛争に直面して弁 護士にアクセスしたいと考える時の費用の問題とアクセス・ルートの問題を 解消することを目的とする1)。
権利保護保険制度を利用することができるのは,日弁連と協定を締結した 保険会社等が販売する権利保護保険に加入している保険契約者とその家族で ある2)。
わが国では,弁護士費用や訴訟費用を支払うことができない人への弁護士 費用等の立替制度として,法律扶助が発展してきたが,これは低所得者層へ の救済的な政策となる傾向が強く,また,富裕層は弁護士費用や訴訟費用を それほどの負担感なく支出できることから,権利保護保険は主として中間所 得層の権利を保護するための費用調達手段として開発されたものである3)。
ところで,制度発足の当初,⽛権利保護保険⽜という名称が採用されたの は,ドイツにおける “Rechtsschutzversicherung”(直訳すると⽛権利保護 保険⽜)の用語が法的権利を防護する意義に止まらず,第三者に対して権利 を主張する意義をも包含するニュアンスがあることに倣ったものとされる4)。
1) 秋山清人⽛弁護士保険(権利保護保険)揺籃期⽜棚橋孝雄ほか編⽝権利実効 化のための法政策と司法改革⽞4-12頁(商事法務,2009)(当初の名称である
⽛権利保護保険⽜がなじみにくいというので,日弁連は⽛弁護士保険⽜という 通称も使うようになった)。
2) 秋山・前掲注1)14頁。なお,2016年⚗月⚑日現在の協定保険会社等(損害保 険会社,共済組合,少額短期保険会社)は16社となっている。
3) 佐瀬正俊⽛権利保護保険の歴史とその将来像⽜自由と正義64巻⚗号⚙頁
(2013)。
4) 堤淳一⽛権利保護保険(弁護士保険)⽜塩崎勤=山下丈編⽝新・裁判実務体
権利保護保険制度が発足する以前は,損害保険において訴訟費用や弁護士 費用等をてん補する機能を有するのはもっぱら賠償責任保険であり,損害賠 償責任を追及された被告側に生じた訴訟費用や弁護士費用をてん補するもの であったところ,欧州や米国の状況に鑑みて,わが国でも原告となる者のた めの訴訟費用や弁護士費用をカバーする保険の必要性が認識されるようにな ってきたといえる5)。
わが国では,自動車保険に付帯される弁護士費用特約が,権利保護保険の 普及・発展の契機となったが,自動車保険の弁護士費用特約が開発・導入さ れた背景には,⽛加害交通事故における加害者と被害者の間のアンバランス な事情⽜があり,真の意味での被害者救済を図るためには,被害者が弁護士 に相談し,自らの権利を実現する手段を確保する必要があった6)。
権利保護保険の契約件数の推移を見ると,2003年に協定保険会社の一つが 自動車保険への原則付帯として以来急増し,2006年には大手損害保険会社が 協定保険会社となったことで100万件を超え7),その後も協定保険会社数の 増加などに伴って契約件数は順調に伸び,2014年には2100万件を超えた8)。
このように,権利保護保険は,最近まではもっぱら自動車保険に付帯する 弁護士費用特約のことを意味するものであったところ,2013年には少額短期 保険会社から,交通事故等の日常事故に起因する損害賠償請求だけでなく,
系19 保険関係訴訟法⽞205-206頁(青林書院,2005)。
5) 堤淳一⽛訴訟費用保険⽜比較法雑誌29巻⚑号353-355頁(1995)。
6) 山下典孝⽛わが国における弁護士費用保険に関する一考察⽜石田重森=江頭 憲治郎=落合誠一編集代表⽝保険学保険法学の課題と展望 大谷孝一博士古稀 記念⽞500-501頁(成文堂,2011)(加害者が自動車保険に加入していた場合に は,加入保険会社の示談交渉や賠償責任保険契約に基づく弁護士費用等の争訟 費用のてん補がなされる一方,被害者が仮に自動車保険に加入していたとして も,特に加害者の過失が100%であるようなケースでは,被害者が加入保険会 社に対して示談交渉等を要請しても,これに応じることはできず,また自らが 加入している賠償責任保険から争訟費用がてん補されることはない)。
7) 秋山・前掲注1)⚖頁。
8) 日本弁護士連合会編著⽝弁護士白書 2015年版⽞245頁を参照。
貸金,離婚,労働等のいわゆる一般民事事件に関する弁護士費用が対象とな る単独の保険商品が販売され,また,2015年には協定保険会社である大手損 害保険会社から,企業等を契約者とする団体契約で,団体の構成員を加入者
(被保険者)とする傷害保険や医療保険の特約として,被害事故,借地・借 家,離婚調停,遺産分割調停,人格権侵害,労働(オプション)を対象とす る権利保護保険商品(補償対象は被保険者本人と被保険者が親権を有する 子)が販売されるなど,近年は,保険の対象となる法分野が拡大している9)。
また,これまで中間所得層の司法アクセスの向上に寄与してきた経験・実 績を踏まえ,中間所得層と同様,司法アクセスの面で問題を抱えている中小 企業向けの権利保護保険の開発にも着手しており,今後はこの分野での市場 拡大も見込まれる10)。
⑵ 権利保護保険の意義
権利保護保険の意義について,⽛人間の人権を認め,それを保護しようと 考えても,人権を保障する手段が備わっていなければ,単なる思想だけで終 わり,実現の可能性がないことになる。その手段は,多種多様であるが,最 終的手段は裁判だということは全世界的に共通した考え方⽜であり,裁判を 人権保障の制度として機能させる上で大きな問題となる費用負担の問題を解 決するべく,保険制度を利用することによって⽛国民の裁判を受ける権利を その費用面から実現化したいという裁判を受ける権利としての人権保障の実 質化⽜を図るものである11)。また,⽛権利保護保険は,広義においては被保 険者が有する法的権利を実現ないし防護するために要した費用を保険給付の 9) 日本弁護士連合会⽝第19回弁護士業務改革シンポジウム⽞256-257頁〔小池
康弘〕。
10) 中本和洋⽛さらなる発展に向けた課題と日弁連の取り組み⽜保険毎日新聞
(2015年⚖月29日⚖面)および日本弁護士連合会・前掲注9)262-269頁〔和田光 弘〕。
11) 佐瀬正俊⽛権利保護保険の意義と日弁連の歩み⽜保険毎日新聞(2015年⚕月 18日⚖面)。
対象とする損害保険であるが,・・・この保険は,法を必要としている人々 に対してリーガルサービスを普及させる手段の一つとして観念されるもので あって,この点,他の保険に見ない特色を有している⽜12)とされる。
権利保護保険は⽛民事訴訟や仲裁などの紛争当事者となった場合の訴訟費 用,弁護士報酬,鑑定費用などをてん補する保険⽜13)であり,権利保護保険 が対象とするリスクとは,被保険者が,偶然な事故または事由によって紛争 の当事者となることにより,その紛争解決のために必要となる費用(訴訟費 用や弁護士費用など)を負担するリスク(以下,費用リスクという)である。
したがって,権利保護保険は理論上,損害保険の中の費用保険として分類さ れ,このような分類は,実務の状況にも適合している。
もっとも,ドイツの “Rechtsschutzversicherung” に由来する権利保護保 険という名称およびそこに込められた意義を改めて勘案するならば,本保険 は,費用リスク負担という保険の本来的機能を通じて,国民の司法アクセス を向上させるとともに,そのアクセス・ルートを提供する機能もまた備えて いるといえるだろう。
本稿は,わが国の権利保護保険が有するこれら⚒つの機能を費用リスク負 担機能と法的サービス・アクセス機能と呼び,それぞれの性質と役割につい て検討する。
前述のとおり,自動車保険については,賠償責任保険によって争訟費用
(訴訟費用,弁護士費用等)のてん補と示談代行サービスの提供がなされる 加害者と被害者の間に⽛アンバランスな事情⽜が存在し,ここに真の被害者 救済を目的とする権利保護保険の意義が明確に認められるところ,自動車保 険以外の責任保険と権利保護保険との関係については,⽛責任保険における 争訟費用のてん補と類似の保険に権利保護保険(弁護士保険,訴訟費用保 険)がある⽜14)と言及されている。
12) 堤・前掲注4)205頁。
13) 山下友信⽝保険法⽞55頁(有斐閣,2005)。
14) 平沼大輔⽛賠償責任保険⽜山下友信=永沢徹編著⽝論点体系 保険法⚑⽞396
権利保護保険は,主として,被害者たる被保険者が,自らの法的権利を実 現するために必要となる弁護士費用等を負担することにより被る損害をてん 補する保険(ファースト・パーティ保険)であるが,賠償責任保険(サー ド・パーティ保険)15)における防御給付機能もまた,⽛権利保護機能⽜と呼ば れていることから,これらの関係を明らかにすることが必要である。
⑶ 本論文の構成
第⚒節では,費用リスク負担機能を取り上げ,賠償責任保険の防御給付機 能との関係について検討する。
第⚓節では,わが国の権利保護保険との比較対象として,ドイツの権利保 護保険を概観し,責任保険の防御機能に対して権利保護保険がいかなる役割 を有しているのかを中心に検討する。
次いで第⚔節では,近年のわが国における権利保護保険の商品開発動向に も鑑み,権利保護保険が責任保険の防御給付機能を補完する役割はもとより,
その対象となる領域が一層拡充していることに言及する。
第⚕節では,法的サービス・アクセス機能に関して,権利保護保険の新た な市場となりうる中小企業に焦点を当てて,そのリスク管理の観点から検討 する。
最後に,第⚖節において,わが国の権利保護保険制度における今後の課題 を指摘する。
⚒. 責任保険の防御給付機能とてん補方式
⑴ 責任保険の防御給付機能
わが国の賠償責任保険は,⽛法律上の損害賠償責任を負担することによっ
頁(第一法規,2014)。
15) ファースト・パーティは被保険者,セカンド・パーティは保険者,サード・
パーティは第三者たる被害者を指す(BISYS Insurance Services, Property- Casualty Concepts, 10 th. ed., 2004, p. 89)。
て被る損害⽜を補償する機能のほかに,権利保護の機能を有しており,この
⽛権利⽜とは被保険者の権利であり,⽛権利を保護する⽜とは,不当な賠償請 求に対して被保険者の行う防御の費用を補償することである16)。
保険法17条⚒項は,責任保険契約を⽛損害保険契約のうち,被保険者が損 害賠償の責任を負うことによって生ずることのある損害をてん補するものを いう⽜と定義する。責任保険では,被保険者の第三者に対する賠償責任の存 否およびその額が確定しなければ責任保険における⽛損害⽜は確定しないこ とから,賠償責任の確定プロセスが不可避であり,この点において,防御給 付機能(権利保護機能)が重視される17)。
損害保険の実務においても,賠償責任保険は歴史的に,社会における権利 義務意識の高揚と賠償水準の高額化に伴って,次第にその重要性が認識され るようになり,普及した18)。今日では,損害保険各社が販売する責任保険商 品は,賠償金損害のてん補とともに,被保険者が損害賠償請求を受けた場合 の防御給付を約しているのが一般的であり,このような防御給付は,自動車 保険商品においては示談交渉役務の形で,自動車保険以外の一般的な責任保 険商品では防御費用負担または防御費用損害てん補の形で提供される19)。
わが国における責任保険の防御給付は,防御費用のてん補が原則であり,
自動車保険の示談代行のように保険者の防御義務が約定される方式が普及し ない要因として,保険者サイドに,多様な類型の責任保険において自動車責 任保険の示談代行のごとき防御をすることのノウハウの蓄積がなかったこと,
とりわけ大手企業である責任保険の被保険者サイドにおいては,責任追及の 防御は自らが行うものという考え方が一般的であるうえに,中小企業や個人 のレベルでの責任保険の加入率が低く示談代行のようなサービスに対するニ 16) 吉澤卓哉監修⽝新・賠償責任保険の解説⽞4 頁(保険毎日新聞社,2014)。
17) 平沼・前掲注14)394頁。
18) 三井住友海上火災保険㈱編⽝新種保険論(賠償責任)⽞1-3 頁(損害保険事 業総合研究所,2014)。
19) 澤本百合⽛責任保険契約における防御費用のてん補⽜保険学雑誌624号204- 205頁(2014)。
ーズの低さが指摘される20)。
もっとも,海外での事故を補償対象とする英文約款には,賠償事故に関し て保険会社が被保険者のために防御行為を行うことを定めるものがあり21), 例えば海外 PL 保険では,保険会社の事故処理サービスが保険の本来的機能 の一つとなっている22)。
わが国の責任保険の防御給付は,損害賠償を請求される被保険者の権利を 保護する機能を有しており,その給付内容は,自動車保険を除く一般的な賠 償責任保険においては,主として防御費用のてん補であるという点にその特 徴を認めることができる。
⑵ 責任保険における防御費用のてん補方式
責任保険の防御給付は,被保険者の責任が結果的に認められたか否かを問 わずなされる23)ものであり,保険者が防御給付として争訟費用をてん補する のは,保険者の利益にもなることであることから,責任保険本来の給付とは 別個の判断に基づく負担である24)と説かれる。また,責任保険における争訟
20) 山下(友)・前掲注13)425-426頁。
21) 大谷孝一=中出哲=平澤敦編⽝はじめて学ぶ損害保険⽞234-235頁〔川口伸 吾〕(有斐閣ブックス,2012)。
22) 保険の機能として,損害てん補機能に加えて権利保護の機能があり,これは 訴訟を防御することによって,結果として会社の評判やイメージの低下を防止 すること,そのための費用を負担することが保険の大きな効用になっていると いうことを意味する(杉野文俊編著⽝損害保険とリスクマネジメント(2016年 度版)⽞218-220頁〔杉野文俊〕(損害保険事業総合研究所,2016)。
23) 山下(友)・前掲注13)425頁。
24) 甘利公人⽝会社役員賠償責任保険の研究⽞263頁(多賀出版,1997)および 石田満⽝商法Ⅳ(保険法)【改訂版】⽞235頁(青林書院,2003)を参照。なお,
責任保険の争訟費用を保険者がてん補するのは,被保険者の責任負担をもって 保険事故とする場合に,被保険者が第三者からの理由のない損害賠償請求に対 して応訴し勝訴したときには,結局責任負担となる保険事故が発生しなかった ことになり,被保険者はこの争訟費用を保険者に請求できないことになるため である(甘利公人⽛弁護士賠償責任保険における保険者の承認を得て支出した 争訟費用の意義⽜熊本法学82号90頁(1995))。
費用のてん補請求に関し,損害賠償金のてん補請求と同等の重要性があると 指摘される25)。
保険法では,責任保険契約の防御給付について,保険者の防御義務または 防御費用損害のてん補に関する規定は置かれておらず,また,防御費用損害 は,前述の17条⚒項中の責任保険契約の定義にいう⽛被保険者が損害賠償の 責任を負うことによって生ずることのある損害⽜には当たらない26)とされる。
責任保険の防御費用に関する保険給付請求権は,責任保険契約に基づく保険 給付請求権とは異なり,保険法22条⚑項に規定される責任保険契約について の損害賠償請求権者の特別の先取特権の対象とはされない27)のであり,責任 保険における防御費用の負担は,別個の費用保険として捉えられている。
この点につき,実務上は,一般的な賠償責任保険の争訟費用に関し,⽛被 保険者の損害賠償責任に関する訴訟において,被保険者が保険会社の同意を 得て支出した訴訟費用,弁護士報酬ならびに調停,和解または仲裁に要した 費用⽜であり,⽛被保険者に損害賠償責任ありという結果になったときはも ちろん,賠償責任がないと判断された場合であっても,このような費用は保 険金として支払われる⽜と説明されている28)。約款上自明とはいえないもの の,被保険者が賠償責任を負担しない場合においても,それによって防御費 用がてん補対象外とはならない29)という運営がなされている。
以上の学説および実務の状況を踏まえると,責任保険の防御給付(権利保 護給付)は,ファースト・パーティ保険と位置付けることができる。
他方で,責任保険は,理論上,損害保険の中でも消極財産保険30)に分類さ 25) 落合誠一⽛弁護士賠償責任保険の争訟費用のてん補請求⽜ジュリスト1098号
134頁(1996)。
26) 澤本・前掲注19)204頁。
27) 山下典孝⽛弁護士賠償責任保険と争訟費用のてん補⽜山下友信=洲崎博史
⽝保険法判例百選⽞103頁(有斐閣,2010)を参照。
28) 三井住友海上・前掲注18)34頁。
29) 澤本・前掲注19)211頁。
30) 消極財産に関する被保険利益を保険に付するものであり,被保険者における 損害賠償責任の負担や費用の支出といった消極財産の発生を損害として捉える
れる。責任保険や費用保険のように,被保険者の賠償責任や費用を対象とす る損害保険の場合には,あらかじめ損害の最大額を評価することができない,
言い換えれば,被保険利益を額として評価することができないために,保険 価額という概念は当てはまらないことから,通常,てん補限度額と表記して 保険で支払う限度を設定する31)。
実務上は,責任保険における防御費用損害については,てん補限度額を設 定せず,賠償責任損害がてん補限度額を超えた場合の縮小てん補を定めるこ と(外枠比例てん補方式)が一般的であるが,賠償責任損害よりも防御費用 損害のてん補を主として想定する独立の普通保険約款の場合には,賠償責任 損害と防御費用損害に共通のてん補限度額を設定する方式(枠内てん補方 式)が採用される32)。
外枠比例てん補方式の場合は,損害賠償金額が支払限度額を超えたときで も,争訟費用のてん補は支払限度額の損害賠償金に対する割合で縮小てん補 されることから,被保険者がその責任を争う意欲を失うおそれは少ない一方 で,賠償請求金額が少額にもかかわらず被保険者が必要以上に責任の有無を 争うおそれがある33)。また,被保険者は,たとえ被害者が提起した損害賠償 請求が正当な根拠を持つと考えられるようなケースであっても,防御費用を かけて争うインセンティブをもちやすく,保険者が被害者の賠償請求に対し て防御せずむしろ積極的に賠償金の支払いをしようと考えるような場合には,
両者は防御費用のコントロールについて異なるインセンティブをもつ。
これに対し,枠内てん補方式では,被保険者の側からは,賠償金額が支払
(木村栄一=野村修也=平澤敦編⽝損害保険論⽞18-19頁〔木村栄一〕(有斐閣,
2007))。
31) 大谷=中出=平澤・前掲注21)56頁〔中出哲〕。
32) 澤本・前掲注19)207頁および221頁(枠内てん補方式を採用する責任保険の 例として,会社役員賠償責任保険(以下,D&O 保険という)が挙げられる。
D&O 保険では防御費用が主たるてん補対象として想定されるため,保険契約 者が契約締結時に選択するてん補限度額は,賠償金損害のみならず防御費用損 害との合計額に対して適用される商品設計となっている)。
33) 甘利・前掲注24)110-111頁および263-264頁。
限度額を超える場合にはその争訟費用の全額が自己負担となるから,責任の 有無を争う意欲を失うおそれがある34)一方,保険者の側からは,防御のため の争訟費用をコントロールするインセンティブが被保険者に働きやすく,防 御費用損害の拡大防止の観点からは,外枠てん補方式よりも枠内てん補方式 が望ましいとされる35)。つまり,(被保険者の意向に沿うかどうかという問 題は残るが)防御費用をコントロールしようとするインセンティブは,保険 者と被保険者の間で一致しやすい。
責任保険における防御給付(権利保護給付)は,ファースト・パーティ保 険であるが,防御費用が高額になりそうなケースでは,枠内てん補方式を採 用することにより,損害賠償金との兼ね合いで,被保険者に防御費用をコン トロールするインセンティブを持たせることができる。もっとも,外枠比例 てん補方式においても,損害賠償金が支払限度額を超えた場合は,その割合 に応じて比例てん補となることから,被保険者はある程度,防御費用をコン トロールしようとするインセンティブを持つであろう。
⚓. ドイツの権利保護保険の機能
ドイツの権利保護保険は,1928年にドイツ自動車保護株式会社(Deutscher Automobilschutz Aktiengesellschaft)が設立され,自動車事故に基づく請 求権の行使のための権利保護が提供されることとなったことを嚆矢とするが,
その後,保険の対象となる法分野(給付種類と呼ばれる)は次第に拡大し,
損害賠償請求権の行使を目的とする権利保護のみならず,労働関係・公法上 の職務関係に基づく法的利益の擁護を目的とする権利保護,住居・土地の所 有者や使用賃貸人のための権利保護など多岐にかつ広範囲にわたる権利保護 を対象とするに至っている36)。
34) 甘利・前掲注24)110頁。
35) 澤本・前掲注19)222頁。
36) 應本昌樹⽛ドイツの権利保護保険に関する一考察 法制度的枠組みを中心 に ⽜損害保険研究72巻⚑号156-157頁および173-178頁(2010)。
ドイツの権利保護保険は長い歴史を有し,また幅広い法分野を対象とする こと,および,損害保険の中の主要な保険種目の一つであること37)に鑑み,
わが国の権利保護保険のさらなる普及・拡大に向けて,ドイツの権利保護保 険に関する経験に学ぶことは有益である38)。
⑴ ドイツの権利保護保険普通保険約款の概要
ドイツの権利保護保険に関し,ドイツ保険契約法(以下,VVG という。)
はその法的な定義に関する定めは置かず,権利保護保険の経済的目的として,
保険契約者または被保険者の法的利益を擁護するために必要な約定された給 付をなすことにとどまり,それは将来における商品の発展を阻害しないため であるとされる39)。
VVG が権利保護保険の経済的目的について規定するにとどまることから,
実務上,有用な権利保護保険を提供するに当たり,VVG の基本的な考え方 は普通保険約款によって実現される40)。ドイツ保険協会(GDV)は,模範的 な権利保護保険普通保険約款を作成し,公表している。もっとも,GDV の 模範約款は,拘束力を有しないため,ドイツの権利保護保険市場では,模範 約款とは異なる給付内容を定める契約も提供されている41)。
権利保護保険に関する模範約款は,1954年に最初の模範約款(ARB54)
37) 2014年では,47の保険事業者が権利保護保険を販売し,総保険料収入は34億 8,580万ユーロ(対前年比2.0%上昇)であり,全損害保険種目の保険料収入額
(625億8,100万ユーロ)に占める割合は,約5.6%である(GDV, Statistisches Taschenbuch der Versicherungswirtschaft 2015, S. 58 und S. 81)。
38) 應本・前掲注36)154頁。
39)ドイツ保険契約法125条は,⽛権利保護保険において,保険者は合意された範囲 内において,保険契約者または被保険者の法的利益を保護するために必要な給 付を行う⽜と規定する(新井修司=金岡京子共訳⽝ドイツ保険契約法(2008年
⚑月⚑日施行)⽞378頁(日本損害保険協会=生命保険協会,2008))。
40) Schneider, K., in : van Bühren, Handbuch Versicherungsrecht, 5. Aufl., Köln 2012, S. 1315.
41) van Bühren, H. W., in : van Bühren/Plote, Allgemeine Bedingungen für die Rechtsschutzversicherung Kommentar, 3. Aufl., München 2013, S. 2-3.
が認可されて以降,幾度も改定が重ねられ,内容および形式の見直しがなさ れてきたが42),最新の模範約款は ARB2012 である43)。
ARB2012 は初めに,⽛⚑. 権利保護保険の任務⽜として,⽛保険者は,保 険契約者(被保険者)の法的利益を擁護する。保険者は,法的利益の擁護の ために必要な給付を行う。その給付の範囲は申込書,保険証券,および保険 約款において記載される⽜と規定する。ドイツの権利保護保険は,損害保険 の中の費用保険であり,その主たる機能は,法的紛争の解決に伴う費用の負 担であるが,その他に,法的役務給付の仲介を含む援助給付がある44)。この 援助給付は,ドイツの権利保護保険の付随的機能であり,保険契約者の要求 に応じて,または,保険契約者が弁護士を選任しない場合に,保険者が弁護 士を選任することなどをその内容とする45)。保険者は,費用負担とともに,
弁護士の選択につき補完的役割を果たすこと(保護機能という)を通して,
保険契約者(被保険者)の権利保護を行っている46)。
次に⽛⚒.保険契約者(被保険者)はどのような権利保護を与えられるの か?⽜は,保険保護の境界を画する規定,すなわち,⽛第一次 Risiko47)制限⽜
42) 模範約款の改定の経緯について,應本・前掲注36)156-157頁を参照。また,
わが国で権利保護保険が実現する前に西ドイツの権利保護保険約款(ARB75)
の翻訳を紹介するものとして,石田満=海野俊雄=甘利公人⽛西ドイツ権利保 護保険普通約款⽜損保企画120号 2-6 頁(1980),同122号 7-9 頁(1981),同 124号 8-12頁(1981)および同126号 5-8 頁(1981)を参照した。
43) GDVのホームページより入手(http : //www.gdv.de/wp-content/uploads/2016 /04/GDV_Musterbedingung_Rechtsschutz_ARB2012_Maerz2016.pdf)。
44) 應本・前掲注36)155頁。
45) van Bühren, in : van Bühren/Plote, a. a. O., S. 32.
46) 通常は,保険契約者または被保険者による自由な弁護士の選択がなされてお り,90%近い事例はこの方式による(武田昌之⽛自動車損害賠償責任保険にお ける損害填補と権利保護保険(Ⅱ)⽜専修商学論集28号81頁以下(1979))。
47) 本稿では “Risiko” は原語のまま使用し,“Gefahr” は危険と訳す。ドイツで は伝統的に,保険経営経済学上の経営価値関係に対する不意の侵害の可能性を 意味する “Risiko” と保険法学上の危険に当たる “Gefahr” が区別して使用され ている(近見正彦⽛保険者の Risiko 制限に関する規定について 特に体系的 整理の素描を中心として ⽜専修商学論集25号141頁(1978))。
の規定を含んでいる。言い換えれば,保険に付される⽛危険⽜の範囲の限定
(Umschreibung der versicherten Gefahr)である48), 49)。権利保護保険の保険 契約者が保険者へ転嫁することができる⽛危険⽜は,保険契約者が選択する 権利保護保険商品(Bausteine)50)に応じて,⽛給付の種類⽜(どのような権利 保護の領域(例えば,損害賠償請求の権利保護,労使関係および公法上の職 務関係に基づく権利保護など)が保険の対象となるのか),および,⽛給付の 範囲⽜(保険契約者の法的利益を擁護するための役務給付を提供・仲介する こと,ならびに,弁護士報酬・裁判費用・鑑定費用などを保険事故毎に契約 上合意された保険金額を限度に支払うこと)によってその範囲が記述される
(第一次 Risiko 制限)。
さらに,⽛⚓. 何が保険保護の対象とならないのか?⽜は,特定の⽛危険⽜
を保険保護の範囲から除外する規定(第二次 Risiko 制限または Risiko 除外)
を含む。Risiko 除外は,大きく⽛時間的除外⽜と⽛内容的除外⽜に分けられ 48) 保険保護の範囲(Umfang)とは区別されている。保険保護の範囲は,約款に おいて,いかなる出来事が保険事故として規定され,保険事故の発生の際にど のような保険給付請求権が発生するのかが規定されることにより明らかとなる
(van Bühren, in : van Bühren, a. a. O., S. 58-59 ; van Bühren, in : van Bühren/
Plote, a. a. O., S.195)。
49) ここでいう⽛危険⽜とは,⽛危険事故⽜であると捉えられる。⽛危険⽜ないし
⽛危険事故⽜の確定方法は保険の種類により必ずしも一様ではない。海上保険 契約では暴風雨,沈没,衝突等の個々の海上危険を無統制に負担するものでは なく,一定の航海事業によって統括されたこれらの各種危険を負担し,また,
危険の確定は当事者の意思の合致を前提としている(加藤由作⽝海上危険新 論⽞23-24頁(春秋社,1961))。
50) 保険の対象となる生活領域(契約の形式)について,⚘つの権利保護保険商 品(私生活権利保護,自営業者または会社のための権利保護,組合(団体)の ための権利保護,農業経営者のための権利保護,(非自営業者の)職業権利保 護,交通権利保護,交通用具権利保護,住居・土地権利保護)のラインナップ から,顧客のニーズに応じて,個別にまたは組み合わせて購入することができ る(ARB2012 2.1.1)。なお,ARB2009 試訳(日弁連リーガル・アクセス・セ ンター⽝権利保護保険にかかるドイツ・イギリス現地調査報告書⽞210頁以下
〔應本昌樹〕(2010))も参照。
る。⽛時間的除外⽜は,いわゆる⽛待機期間⽜(Wartezeit)51)を定めるととも に,⽛保険保護の開始より前になされた意思表示または法的行為により生じ た保険事故⽜については保険保護が与えられないことなどを規定する。
また,⽛内容的除外⽜は⚕つの類型に分けられる。すなわち,a. 集積リ スク,b. 特定の法律問題の除外,c. 特定の手続きの除外,d. 特定の請 求の除外,およびe. 保険契約者による故意の犯罪行為と因果関係がある場 合の利益擁護である。これら内容的除外は,主として,一定の保険事故(実 務上,一部の保険契約者にとってのみ意義があり,かつ,それが発生した場 合には(保険金)コストが増大し,ひいては保険料の上昇をもたらすもの)
を担保範囲から除くことを目的としている52)。このほかに,保険者の給付義 務の制限に関する規定がある。このうち,⽛保険契約者が法律上の義務なく 引き受けた費用⽜や⽛平和的な合意(和解)に際して発生した費用のうち和 解の結果に対応しない部分⽜はてん補しないとする規定は,保険契約者のモ ラル・ハザードを防止することを目的としている53)。
当然のことながら,保険者が無制限に⽛危険⽜を負担することは,保険経 営上望ましくないと同時に,保険団体を構成する各保険契約者にとっても不 測な不利益をもたらす可能性がある54)。権利保護保険における Risiko 制限 もまた,健全な保険経営上の要請によるものであるといえよう55)。
51) ⽛保険事故が,保険期間の開始後⚓か月以内に発生した場合には,保険保護 は与えられない⽜と規定する。ただし,損害賠償権利保護,懲戒法・職業倫理 法上の権利保護,刑事権利保護,秩序違反権利保護,新車の売買またはリース 契約に基づく紛争の場合,家族法・相続法における相談権利保護,被害者権利 保護は除く(ARB2012 3.1.1)。待機期間は,保険契約者が,保険事故の発生 が差し迫っていることを予見した場合に,急遽,保険契約を締結するいわゆる
⽛駆け込み契約⽜の防止に役立つ。(Armbrüster, C., Privatversicherungsrecht, Tübingen 2013, S. 523)。
52) Armbrüster, a. a. O., S. 523.
53) Armbrüster, a. a. O., S. 525.
54) 近見・前掲注47)139頁。
55) 第一次 Risiko 制限については,保険契約者の側で,その主張する保険事故 が契約上合意された⽛危険⽜の範囲に含まれることを立証しなければならない
⑵ ドイツにおける権利保護保険と責任保険の防御機能
ドイツでは,純粋な権利保護保険以外の保険において,権利保護の要素が 含まれる可能性が否定されるのではなく,むしろ,自由な商品設計が認めら れ,この典型的な例として責任保険の防御機能が挙げられる56)。
ARB2012 は,第三者からの被保険者に対する損害賠償請求の防御は Risiko 除外事由(⽛特定の法律問題の除外⽜の類型)とするが,これは責任 保険との境界を明確にすることが目的である57)。すなわち,損害賠償請求の 防御を除外事由とする規定は単なる注意規定(Klarstellung)であり,前述 した権利保護保険の対象となる⽛給付の種類⽜を定めた規定と対をなすもの
(Gegenstück)である58)。つまり,損害賠償請求の防御に関する除外事由は,
Risiko 除外事由に含まれるが,そもそも第一次 Risiko 制限である⽛給付の 種類⽜において損害賠償請求権利保護が定められ,これは⽛損害賠償請求権 の行使⽜について保険保護を提供することを明らかにしている59)。したがっ て,ARB2012 は,責任保険の防御機能との分野調整のために,権利保護保 険の第一次 Risiko 制限において,損害賠償請求の防御をあえて⽛危険⽜の 範囲に含めていないと考えられる。
ドイツにおいて,責任保険は免脱機能と防御機能という⚒つの機能を有し ており,前者は,保険契約者を第三者の理由ある請求から免脱する機能であ るのに対し,後者は,保険契約者に対し理由のない請求について権利保護を 認める機能である60)。責任保険の防御機能は,権利保護機能とも呼ばれる。
のに対し,第二次 Risiko 制限は,Risiko 除外を主張する保険者の側で Risiko 除外の存在を立証しなければならないとされる(van Bühren, in : van Bühren, a. a. O., S. 59)。
56) 責任保険の防御機能は,根本的には権利保護保険の防御の要素に相当する
(Armbrüster, a. a. O., S. 511)。
57) Armbrüster, a. a. O., S. 524.
58) Plote, H., in : van Bühren/Plote, a. a. O., S. 85.
59) Hillmer-Möbius, G., in : van Bühren/Plote, a. a. O., S. 50.
60) 責任保険の防御機能は,純粋な費用負担を越えるものであり,保険契約者に 対し,理由のない請求の防御について必要な措置がすべて取られなければなら
責任保険の権利保護機能に対して権利保護保険は,その本質的な意味にお いて,⽛有益で必要不可欠な補充制度を形成している⽜61)。すなわち,責任保 険は加害者に対して,被害者からの請求に対して防御すべき機能を持つこと から,加害者が被告となって賠償を請求されたときに,保険者は加害者に対 して,消極的私権保護(passiver Zivilrechtsschutz)を与えることが,権利 保護機能の本質であるのに対し,権利保護保険は,権利保護領域の拡張のた めに採用され,原則として,責任保険のような消極的私権保護を目的としな い。権利保護保険は,保険契約者が第三者に対して固有の賠償請求権をもつ 場合について,そのための弁護士費用等を引き受けることによって,保険契 約者の権利の実行を可能にし,またはこれを援助することを目的とするもの であり,保険契約者に対して積極的私権保護(aktiver Zivilrechtsschutz)
を与えること,つまり保険契約者が原告となって訴権を行使するときにこれ を積極的に援助することをその本質とする62)。
ドイツでは,歴史的に,積極的私権保護を目的とする権利保護保険と消極 的私権保護を目的とする責任保険の防御機能では,その目的が相互に対立す る関係にあることに鑑み,すでに責任保険を経営している保険者が同時に権 利保護保険を兼営することは許容されてこなかったのであり63),1990年の権 利保護保険 EC 指令により,権利保護保険と責任保険等の保険分野の兼業を 許容しないという専業主義が廃止された後も,権利保護保険を他の保険分野 とともに扱う保険企業(複合保険企業)は,一定の利益相反防止措置を取ら なければならないことが保険監督法(第 8a 条)に定められている64)。
ない。また,金銭給付とともに援助給付(Assistance-Leistungen)もまた提 供する(Armbrüster, a. a. O., S. 477-478)。
61) 西島梅治⽝責任保険法の研究⽞49頁(同文舘,1968)。
62) 西島・前掲注61)48-49頁。
63) 具体的には,権利保護保険に加入している被害者が,同一保険者の経営する 責任保険に加入している加害者を被告として賠償請求しようとする場合に,両 者間の利害の深刻な対立に保険者が苦悩しなくてはならなくなることをいう
(西島・前掲注61)49頁)。
64) 應本・前掲注36)162-163頁を参照(この点については,今後,わが国におい
ドイツの権利保護保険と責任保険の権利保護機能は,前者が積極的私権保 護,後者が消極的私権保護をその本質的な目的とすることで,一定の分野調 整が図られているが,権利保護保険は,損害賠償請求以外の法分野にも権利 保護の領域を拡大し,保険契約者の多様なニーズに応じた権利保護保険商品 の提供を通じて,責任保険の権利保護機能を補完・拡充しているといえる。
⚔. わが国の権利保護保険における費用リスク負担機能
わが国の権利保護保険は,これまで主として自動車保険などの特約として 販売され,交通事故等の日常生活上の事故において被害に遭った際の損害賠 償請求にかかる弁護士費用等を補償する商品として普及してきた。また,近 年は,交通事故等の被害事故に基づく損害賠償請求のみならず,一般民事紛 争における弁護士費用をてん補する権利保護保険商品が販売されている。
自動車保険をはじめとして,すでに責任保険が先行して普及している個人 分野を対象とする権利保護保険は,被保険者が被害者となった場合の権利の 保護を目的とする点で責任保険の防御給付機能を補完する役割を担っており,
それによって分野調整も図られてきたといえる。また,近年は,損害賠償請 求の場合のみならず一般民事紛争も対象とし,権利保護の対象となる法的領 域が拡大していることから,責任保険の防御給付機能を補完する役割はもと より,権利保護保険の領域が一層拡充しているといえる。さらに,損害賠償 請求以外の給付請求などでは,権利保護保険が積極的私権保護のみならず,
消極的私権保護として機能する場合も少なからず想定される65)。この点では,
ドイツの権利保護保険と類似しており,今後さらに法的領域を拡大し,また,
新たな顧客層を対象とする権利保護保険商品を開発するに際して,ドイツの 模範約款は参考になるものと思われる。
ても一定の法的枠組みについて検討する余地があると指摘される)。
65) 損害賠償請求以外の給付請求を受ける場合として,賃借人が賃貸人から未払 であるとして賃料支払いを受ける場合の防御や使用者が従業員から未払いであ るとして賃金支払いの請求を受ける場合の防御(後者はわが国ではまだ見られ ない)が挙げられる。
一方,企業分野,とりわけ中小企業分野に関しては,大企業に比べて責任 保険の普及率が低い66)ことを考慮し,損害賠償請求の防御も含めて,潜在的 な費用リスクを転嫁することができる権利保護保険へのニーズが存在すると 考えられる67)。
日弁連 LAC は,中小企業向けの権利保護保険商品を開発・販売していく に際し,その対象となる法分野(紛争事案)は,まずは民事事件を対象とし,
他の保険分野として責任保険との調整が必要となる損害賠償請求に対する防 御なども除外しない方針である68)。
繰り返しになるが,権利保護保険が対象とするリスクとは,被保険者が,
偶然な事故または事由によって紛争69)の当事者となることにより,紛争解決 のために必要となる費用を負担するリスクである。
権利保護保険を紛争解決のための費用調達手段として今まで以上に活用す ることによって,司法へのアクセスをしやすくできる環境が整うといえる70)。
他方で,権利保護保険は,責任保険と同じく消極財産保険であるとともに,
ファースト・パーティ保険である。権利保護保険は,主として被保険者が争
66) わが国の中小企業(製造業)を対象として実施された保険需要に関するアン ケート調査結果によれば,例えば,役員の賠償責任リスクに関し,どの程度保 険(D&O 保険)でカバーしているかを回答者に尋ねた質問に対して,⚓社に
⚑社以上が⽛ほとんどカバーしていない⽜と回答しており,賠償責任リスク
(その他にも,貸し倒れ,事業承継など財物ではないリスク)については保険 ではカバーできているとは考えられていないことが確認されている(浅井義裕
⽛中小企業の保険需要とリスクマネジメント アンケート調査の集計結果⽜明 大商学論叢97巻⚔号10-11頁(2015))。
67) 企業リスク・ファイナンス手段としての権利保護保険の有用性を論じるもの として,内藤和美⽛企業リスク・ファイナンス手段としての権利保護保険の有 用性⽜保険毎日新聞(2015年⚗月27日⚖面)。
68) 日本弁護士連合会・前掲注9)268頁〔和田光弘〕。
69) ⽛紛争は,二当事者間の利益の対立に起因する社会的プロセスである⽜と説 明される(六本佳平⽝日本の法と社会⽞47頁(有斐閣,2004))。
70) ディスカッション⽛将来の発展に向けて⽜保険毎日新聞〔中本和洋発言〕
(2015年⚘月⚓日⚖面)。
訟費用を負担することにより被る損害をてん補する費用保険であり,被保険 者は費用をかけて自らの権利の実現を図ろうとするインセンティブが働きや すい。したがって,争訟費用をコントロールしようとするインセンティブが 被保険者と保険者との間で異なる場合を想定し,一定の支払い限度額を定め るとともに,責任保険の防御費用に関して外枠比例てん補方式を採用する場 合と同様,縮小てん補などの方法を取ることにより,被保険者と保険者間の インセンティブの相違を解消することが考えられる。
また,権利保護保険において支払われる保険金の大部分は弁護士報酬であ るから,弁護士報酬を保険金として支払う場合には,弁護士委任契約という 取引における慣行なども考慮し,⽛適正かつ妥当な⽜範囲で,合理性および 相当性をもって損害額が算出されることが必要である71)。
弁護士報酬は平成16年⚔月⚑日以降自由化され,弁護士と依頼者(被保険 者)の間で自由に取り決められることとなっているが,協定保険会社等では,
概ね旧報酬等基準規程に沿う LAC の⽛保険金支払基準⽜を尊重する運用が なされている72)。今後,弁護士報酬の算定において着手金・報酬金方式また は時間制報酬(タイム・チャージ)方式を採用する場合の問題について,協 定保険会社等と協議を重ねることが重要となる73)。
71) 大井暁⽛弁護士費用等補償特約の検討⽜保険学雑誌629号13-15頁(2015)
(保険者は⽛報酬基準や報酬契約書を定めず,弁護士報酬の説明義務を尽くし ていないものは,手続きの適正を欠き当事者の合意の有効性に疑義があり,か つ保険金算定の根拠となる資料を欠くため承認せず,または,割合的に減額で きるとすべきである⽜と指摘される)。
72) 大井・前掲注71)2 頁。
73) 特にタイム・チャージを採用する場合には,1 事件当たりの支払保険金の上 限の目安を超える場合には,その超過部分は依頼者の負担となる可能性がある ことから,弁護士は,契約締結時に依頼者にその点を十分に説明する必要があ る(加納小百合=伊藤明彦⽛権利保護保険の現状と運営上の課題~適正な弁護 士報酬と紹介弁護士の質の確保の観点から~⽜保険毎日新聞(2015年⚕月25日
⚖面)および⽛弁護士報酬の適正化と業務処理の質の確保における課題⽜保険 毎日新聞(2015年⚖月⚑日⚖面)を参照)。
⚕. 法的サービス・アクセス機能
わが国の権利保護保険の付随的機能として,被保険者が望む場合には,日 弁連 LAC と損害保険会社等との協定に基づいて構築された弁護士紹介シス テムのスキームを利用することにより,弁護士紹介を受けることができる。
この機能を本稿では法的サービス・アクセス機能と呼んでいる。
権利保護保険の法的サービス・アクセス機能は,弁護士紹介を適法にかつ 円滑に行うという目的のもと,弁護士会と協定保険会社等が密接に協働する システムの利用を提供するものであり,欧州など諸外国には見られない特徴 を有する74)。
ところで,日弁連がみずほ総合研究所と共同で実施した⽛中小企業の弁護 士ニーズ全国調査⽜の調査結果報告書によれば,わが国の中小企業において,
⽛顧問弁護士がいる⽜と回答した企業は約⚒割であり,顧問弁護士や身近に 相談できる弁護士が⽛いない⽜と回答した企業は⚖割を超えている。一方で,
⚘割近くの中小企業は,自社内に何らかの法的課題があることを認識してお り,具体的には,債権回収,雇用問題,クレーム対策,契約書のリーガルチ ェック,事業承継・相続対策などが挙げられる75)。このような法的課題は事 業上の紛争につながりかねない問題である。
中小企業のリスク管理の観点からは,こうした法的課題が紛争に発展しな いよう,平常時から予防法務やコンプライアンス教育の実施に心がけること が重要であるが,かりに紛争に発展してしまった場合にも,紛争初期の段階 で弁護士へアクセスすることにより,紛争法務としての法律相談などを通し て,事態の深刻化を防ぐことが可能となり,訴訟対応などにかかる費用の軽 減を図ることができる。権利保護保険の法的サービス・アクセス機能は,
74) 佐瀬・前掲注11)6 頁。
75) 日本弁護士連合会・みずほ総合研究所⽝中小企業の弁護士ニーズ全国調査報 告書⽞21頁および29頁(2008)(業種により法的課題として認識されている事 項は異なる)。
(こうしたアクセス手段を持たない)中小企業と弁護士の橋渡しをすること により,紛争解決にかかる費用を軽減することを可能にするという意味にお いて,費用リスク・コントロール手段であるといえる76)。
また,諸外国で見られるように,中小企業向けの権利保護保険において,
電話による法律相談サービスを保険商品に組み込むことによって,保険商品 の有用性が高まるとともに,保険者のリスク・コントロールにも寄与するこ とが期待される77)。
⚖. わが国の権利保護保険における課題
わが国の権利保護保険における今後の課題は,費用リスク負担機能および 法的サービス・アクセス機能の両方について指摘することができる。
すでに検討したように,権利保護保険では,被保険者の側に費用をかけて 権利を実現しようとするインセンティブが働きやすい。そこで,例えば自動 車保険に弁護士費用特約が付帯されていれば,請求額が少ない物損事故など の場合でも費用の問題で躊躇することなく弁護士に委任することができ,
⽛泣き寝入り⽜することを免れるという効果78)をもたらす。
一方で,保険によって弁護士費用が支払われるために,被保険者が理由の ない恣意的な訴訟を提起したり,無用な訴訟の長期化を招くといったモラ ル・ハザード問題が生じやすい。権利保護保険制度では,保険者と保険契約 者(被保険者)という保険契約の当事者に加えて,保険契約者と委任関係で 76) リスクマネジメントの観点では,費用損失の強度を低下させることにより,
損失の期待値を低下させる損失縮小の手法であり,ロスコントロール手段であ るといえる(杉野・前掲注22)99-101頁〔諏澤吉彦〕。
77) 日本弁護士連合会・前掲注9)249-256頁〔應本昌樹=武田涼子〕(カナダでは,
元々,家族保険向けの付加価値として付帯されていた電話による法律相談サー ビスが,中小企業向け権利保護保険にも組み込まれるようになり,保険会社の コスト削減や被保険者満足の点で重要視されている)。ドイツの権利保護保険 市場でも,⽛電話による法律相談⽜を組み込んだ権利保護保険商品が普及して いる(Hillmer-Möbius, a. a. O., S. 68)。
78) 小原健⽛これからの権利保護保険⽜保険毎日新聞(2015年⚘月24日⚖面)。
結ばれる弁護士が関係し,保険者・保険契約者・弁護士の三者が保険契約に 関与するために,モラル・ハザード問題はいっそう複雑化する。
受任された弁護士が誠実に執務を行っていなくても,依頼者である被保険 者や保険者はそれを適切に判断できないことから,それを上手く利用して不 適切に執務を行い,保険から確実に相談料や弁護士報酬を得るという弁護士 のモラルの問題が,理論上考えられる79)。権利保護保険の法的サービス・ア クセス機能の中心をなす弁護士紹介制度が,協定保険会社等との信頼関係の 下で適切に運営されることは本保険の有用性にも関わる重要な問題である80)。
権利保護保険のモラル・ハザード問題を検討するに際しては,同じく費用 保険に分類され,かつ,専門家が保険制度に深く関係するという点において,
医療保険との類似性を見出すことができる81)。わが国の医療保険に関して,
医療リスクの特性を踏まえ,公的医療保険制度と民間医療保険制度の役割分 担に基づき,民間医療保険における逆選択やモラル・ハザード問題について 分析・検討する研究成果から学ぶべきことは多い82)。
79) 山下(典)・前掲注6)499-500頁(被保険者のモラル的な意識の低下も問題に なりうる)。なお,山下(典)教授は,⽛弁護士は,依頼者の期待する結果が得ら れる見込みがないにもかかわらず,その見込みがあるように装って事件を受任 してはならない⽜とする弁護士職務基本規程29条⚓項の規定が,少額請求に対 する一定の歯止めになると指摘される。
80) 日本弁護士連合会・前掲注9)270-277頁〔池内稚利〕(権利保護保険に基づく LAC 制度の信頼性確保に向けた様々な取組が紹介されている)。
81) Bowles, R. and Rickman, N., Asymmetric Information, Moral Hazard and the Insurance of Legal Expenses, The Geneva Papers on Risk and Insurance, 23, No. 87, 1998, pp. 196-209(英国の訴訟費用保険におけるモラル・ハザード問題 と医療保険における同問題の類似性を指摘する)。
82) 諏澤吉彦⽛医療保障システムにおける公・私保障の機能分担⽜⽝生活保障シ ステムのパラダイムシフトと生命保険産業⽞79-96頁(生命保険文化センター,
2015),堀田一吉⽛医療リスクと保険理論 医療保障における民間医療保険の 役割 ⽜堀田一吉⽝現代リスクと保険理論⽞139-165頁(東洋経済新報社,
2014)。また,保険のアンダーライティング上の問題としてモラル・ハザード 問題の重大性を論じるものとして,江澤雅彦⽛医療保険をめぐるアンダーライ ティングの諸課題⽜堀田一吉編著⽝民間医療保険の戦略と課題⽞121-146頁