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ピアノ ・レッスンの身体性

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(1)

ピアノ ・レッスンの身体性

形式、内容 、様式か らの考察

PianoLe880nandBody:Offorn,Contentan dStyle

教科教育専攻 音楽教育専修 音楽科教育分野

07GP212

相 田貴代

指導教員 :今 田匡彦准教授 弘前大学大学院 教育学研究科

2009

3

(2)

< 目次 >

は じめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4

1

、指示の分類 について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

(1)

レッスンにおける言語 の役割 について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・6

(2)指示対象に関す る分類 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 (3)

内容 と形式 についての分類 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1

4

2

、 ピアノ ・レッスンの考察 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18

(1)A

、 「 学習活動 の導入や転換 に関す る指示」について

A‑ 1. ピア ノは指で弾 く? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1 8

A・2.エ クササイズ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28 A・3.座 り方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30 A‑4.

曲選び ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・33 A‑5.

ピアノに 「 乗 る

」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・35

(2) 「B.学習形態 ・学習方法に関す る指示」について ・・・・・・・・・・・・・・・41

B‑

1. レッスン形態 について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・41

B・2.

人数 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・47

B‑3.

視覚 ・聴覚 メデ ィアの鑑賞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・49 B・4.

指使 いについて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58

(3) 「C.学習内容 (

行動 ・思考)に関す る指示」について ・・・・・・・・・・・・・62

C

‑ 1. 「 形式」について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・62

C‑2.

「 内容」について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・64

(3)

3

、 リ トミック、イ ンタビュー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66

(1)

リトミックとの関わ り ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・68

(2)

歩 き方 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・77

4、様式 ( ま とめ)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87

今後の課題 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・96

引用 ・参考文献 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・97

謝辞 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・102

(4)

<は じめに>

音楽 について考 える際に切 り離せ ないのは、 「 人間の身体」であ り、音 は、人間の肉体 を 通 して、 「 音楽」 となる。 ところが、楽器 を演奏す る時 には、演奏技術 を習得す ることや、

楽譜 を解釈す ることばか りに 目が向け られていた。 また、演奏論 といって も、今 までの多 くは 「 美学的な もの

「 演奏実践 についての歴史的研究

「 演奏録音 な どの分析的研究」等 が中心であ り ( 岡 田、2003)、人間の身体 を通 しての音楽経験 には、ほ とん ど目が向け られ ていなかった。演奏す る人間の身体が、音楽 と共 に鳴 り響 く感覚、 とい うのが取 り上げ ら れ ることはほ とん ど無かったのだ。音楽 は、楽器 を演奏す るにも、歌 を歌 うに も、 自分の 身体の動 きによ り音 を表現す る。鳴っている音 を受 け取 るのも身体その ものである。

ところが、い ざ自分 自身の身 にお きかえて考 えてみ ると、 「 身体」 とは ど うい うもので、

どの よ うに 「 身体」 を使 って演奏す るべ きか、 とい うことがわか らな くなった。幼少時 よ りピア ノを習っていたが、今 まで ピア ノを弾 く時、指 の動 きにばか り注 目し、身体の使い 方その ものは意識 していなかった事に気づいた。具体的に、どのよ うに身体 について捉 え、

どのよ うに身体 を感 じなが ら、 ピアノを演奏す るのが望ま しいのだろ う。

そ こで本論 は、 ピア ノを弾 く時 に、 どの よ うに身体 を捉 え、 どの よ うに身体 を使 って音

を奏で るか、 とい うことを 自身の経験や 文献調査 を元 に検討す ることを 目的 とす る。 その

ために、筆者 は弘前大学の島一夫准教授 の ピアノ ・レッスン ( 2007 年後期授業〜2009年後

期授業) を受講 した。 島の ピア ノ ・レッスンは、身体感覚 を重要視 してお り、身体の使い

方 を具体的に指示す る場面が多 く見 られた。本論文では、そのよ うな身体か らのアプ ロー

チ を主 とした ピア ノ ・レッスンでの事例 を紹介 しなが ら、 ピア ノを弾 く身体の可能性 を考

察 した。 島の ピア ノ ・レッスンについて考 え、 ピア ノ ・レッスンは どの よ うなアプ ローチ

か ら行われ る必要があるか とい うこ、 とを考 えることは、音楽 を どの よ うに学ぶべ きか、そ

して音楽 とは何 か、 とい うことを考 えることに繋が る。 ピア ノ ・レッス ンの考察 を基盤 と

し、 自己の身体 を通 した経験 を事例 として挙げなが ら、 「 音楽」 とい うものについて考 えて

(5)

いきたい。

また、かつて西洋の思想伝統では、デカル トによって 「 心 ( 精神)

と 「 身体 ( 物体)」

として対峠 して考 え られていた ( 鷲 田、

2006)

そのよ うな 「 心身二元論」 とい うものが過 I

去 に存在 した ものの、現在 ではその考 えは否定 され、ダル クローズは 「 精神」 と 「 身体」

の調和 を 目指 しリ トミックを創始す る ( 加 田、1 994)。本論 では、 「 身体」 と 「 精神 」、 「 形 式」 と 「 内容」、 「 技術」 と 「 心」、 これ らの関係性 について も論 じる。 これ らは どち らも芸 術 を語 る上では欠 かせ ない要素であ り、 「 音楽」 を考 える上で重要だ と考 える。

以上のことをふまえ、考察 したい と思 う。

・島一夫プ ロフィール

国立音楽大学附属幼稚園、国立音楽大学附属小学校 、国立音楽大学附属 中学校卒業。東 京芸術大学音楽学部附属高等学校卒業。東京芸術大学音楽学部作 曲科、同大学大学院修了。

財団法人ヤマハ振興会教育学部指導課 に所属 した後、弘前大学教育学部講師 を経て、現在 、 弘前大学教育学部准教授。

作 曲を池内友次郎、間宮芳生、宍戸睦朗、矢代秋雄 、原博 の各氏に師事。 ソル フェー ジ

ュを宅孝二、 ピア ノを堀江孝子、米谷治郎 の各氏 に師事。幅広 く音楽教育に情熱 を注 ぐと

共 に、作 曲活動 を続けている。

(6)

1、指示の分類 について

(1)

ピア ノ ・レッスンにおける言語の役割

教 える側が、 「 音楽」を基板 として、よ りよい方向に導 くために、方向性がみえてい るの を前提 として、それ を どの よ うに相手に伝 え、導いてい くか。それ については、様 々な手 段が考 え られ る。 ピア ノ ・レッスンにお ける指導の方法 は、実際に模範演奏 してみた り、

指揮 を した り、歌 った りと、実に多様である。 とはいって も、私が今 まで受 けてきた ピア ノ ・レッスンを思い起 こ してみ る と、指示 については、模範演奏 な ど音 を実際に鳴 らして 行 う指導 よ りも、言語 による指示 が大部分 を占めていた ( 実際には言語 のみの指導ではな く、言語 +身振 り、言語 +模範演奏な どとい う形が多 くみ られた) 。とい うことは、ピア ノ ・ レッスン といえど、 「 言語」の扱 いを軽視す ることはできない とい うことだ。

篠原秀夫

(1989、p.170)

は音楽科の授業において、授業記録か ら教師の言語指導行為に ついて分析 し、 「 言語」が適切 に使 われていない場合 があることに対 して、次の よ うに指摘

してい る。

「この 『言語』 にあま りにも無 自覚であるとい うのが音楽科の指導 の現状ではないだろ う か。教師がいかに高い音楽的能力 を持っていて も、言語が適切 でないために児童 ・生徒 が 少 しも変わっていなかった り、あるいは授業そのものが成立 しなかった りす る場合 も多い のである。」

この場合 は音楽の授業の ことが述べ られ ているが、音その ものを扱 う、音楽の授業や ピ ア ノ ・レッスンにおいて も、言語 の使い方 は軽視で きない。私 は普段個人練習す る際は、

レッスンで注意 された言葉 を思い出 し、その言葉 を手がか りに練習 を進 めることが多いか

らだ。 た しかに、授業で指導者 によって奏で られた模倣演奏 は、音その ものであ り、直接

身体 に響 き、感 じることも多い。 だが、音 は鳴 った瞬間に消 えて しま うものであ り、家に

(7)

帰 り一人で練習 しよ うと思 った際に、その昔 を忘れ ない よ うに してお くには、何 らかの言 語 と結びつ けるだろ う。記憶 は言語 と結びつ けることによって、呼び起 こされ るよ うに感 じる。 だ とす る と、言語の使い方は重要であ り、そのため どのよ うに言語 を使 ってい くか が問題 となって くる。

柳生力

(1990、p.34)

は、音楽の指導での言葉遣いにおいて、抽象語 が極 めて多い と批 判す る。また、抽象語の多 くは、指導者 の研究不足 を 自ら告 白してい ることか ら発せ られ、

子 どもたちに指導力のな さを直感 として見抜かれて しま うと述べてい る。抽象語の例の一 つ として、 「 心をこめて‑‑」 とい う言葉が挙 げ られ ていが、 これ は学校の音楽の授業だけ ではな く、ピアノ ・レッスンの現場 において もよく聞かれ る言葉である。「 心 をこめて 」 「 気 持 ちをこめて」等の言葉 は、あま りに も安易 に指導者 の 口をついて子 ども達 に投 げかけ ら れてはいないだろ うか。 た しかに、 「 心が こもってい る」演奏 には、演奏者 の心の内がわか らないのにも関わ らず、不思議 な ぐらい感銘 を受 けることがある。 「 心が こもってい る」 こ とが、音楽 をす ることによって欠 かす事のできない重要な事柄や条件であることには、 も ちろん異論 はない。 だが、 「 心をこめて」 と指導者 に言われた子 どもは、具体的には どのよ うに行動 し、努力すれ ばいいのだろ うか。上半身 を大 げ さに くね らせ るよ うに動か しなが ら、 ピア ノを弾 けばいいのだろ うか。それ とも、か じりつ くよ うに鍵盤 を見つ めて演奏す れ ばいいのだろ うか。

私 も小学校の頃、 ピアノの先生の レッスンを受 けてい るとき、 「 もっ と心をこめて」 と言

う言葉 を言われ た ことを覚 えてい る。一方、 ピア ノの音 は、ハ ンマーが弦 をたた くことに

よって空気の振動が起 きることによって発せ られ る。つま り、 「 音楽 とは鳴 り響 く大気」 と

考 える事 もできる。 た とえ誰が ピア ノを鳴 らした として も、調律 された ピア ノの上では C

の音 は変わ らず C の音程である し、それ はネ コが ピア ノの鍵盤 の上 を歩いたって、 ロボ ッ

トが鍵盤 をたたいたってそれ は変わ らない。 では 「 鳴 り響 く大気」である音 に、 「 心をこめ

る」 とはいったい ど うい うことだろ う。 ど うした ら人間が持 ってい るその 「 心」 を身体か

(8)

ら鍵盤 に、そ して最終的には 「 音そのもの」に反映 ことができるのだろ う、と疑問だった。

その頃の私は、 「 心 をこめて」 と言われれば言われ るほ ど、 「 心」 と 「自分の指」が乗離 し て しまってい るよ うに感 じた。 ピアノは指で弾 くものだ と思っていた し、 「 心 をこめて」弾 けないのは、テ クニ ックの問題であった り、練習が足 りなかった りしたか らなのだろ うか、

と不思議 に思 っていた。

「 心をこめて ・・・」 「 感情 をこめて ・・・」 これ らの言葉 は、求める結果を言葉 に した だけの抽象的な言葉である。音楽 をす る際の、内面か ら湧 き上が る感情だ とか、か けめぐ る創造、発せ られ た音 か ら瞬時に感 じる感覚等 の、結果である。 これ らの言葉 を投 げかけ られた として、スイ ッチの

ON・OFF

が切 り替わるよ うに、「 心が こもった」状態 になると い うものではない ことは確 かである。特 に、当時の私の よ うな ピア ノの初心者では尚更だ ろ う。

結果 である用語 を伝 えた として も、実は何 も伝 わってお らず、改善 もされないのが普通 である。 も しか した ら、指導者 として も、 この よ うな言葉 によ り、 よ り望ま しい状態 に変 わる とは思っていないのか も しれ ない。変容 を期待 しているわけではな く、 「 心 を込 める」

とい う言葉 自体が 「 いい こと」だ と思われ 、習慣 として発せ られていた りす る場合 も考 え られ る。とい うのは、人間は社会の構造の中に組み込まれ、個人の もの と思われていた 「 考 え

「 趣味

「 感性」で さえ、経済資本 と文化資本の量 によって相対的に決定 され る ( 南 田、

2006) 。ア リス トテ レスは 「 人間はその本性 においてポ リス的動物である

とい う有名 な言 葉 を残 しているが、人間はこの世 に生まれ落 ちた瞬間に、社会の中に組み込 まれ 、社会の なかで生きてい く。 さらにア リス トテ レス

(1951、p.3)の言葉 を聞いてみ ると、次のよ う

な言葉で、『政治学』 を語 り始 めている。

「 国 ( ポ リス) は、現 に吾々が見 る通 り、いずれ も或 る種 の共同体 ( コイ ノーニア‑)で

あ り、共 同体はいずれ も或 る種の善 きものを 日常に構成せ られた ものである (とい うのは

(9)

凡てのことを為すか らである) 。だか ら、共同体はいずれ も或 る種の善きものをめざ してい るが、わけて もそれ らの うち最高で、残余 の ものをことごとく包括 している共同体 は最 も 多 く、 しか も凡ての善きものの うちの最高の ものを 目指 していることは明 らかである。そ

してその最高の もの とい うのが世 に謂 う国、或いは国的共同体なのである。」

ア リス トテ レスに とっては、「 国」とい うもの さえも 「 共同体」の一種である としている。

本人の意思 とは関係 な く、何 らかの共同体 に巻 き込 まれ ることは避 け られ ない。 まず生れ 落 ちた瞬間に、共同体 に合 った名前が与 え られ 、性別 が決 まる。 まず は母親 を通 して、共 同体での コ ミュニケー シ ョンに必要な言葉等 を覚 える。そ してその共同体 にお ける年齢 を 重ね、次第 に社会的な生き物 としての、色 は どん どん濃 く染 まってい くのだ。 きっ と、た とえ無人島にた どりついて、そ こでの生活 を強い られて も、人が社会的存在 であることは 変わ らない。それ は、人間は 「 心」があるためである。社会 の中の一員 としての心がある ため、社会か ら隔絶 された とい う心が残 る。 また、受 け継 いだ文化 での生活 を行 い、言葉 による思考で物事 を考 えることはや め られ ない。つま り、人間 とい う存在 は、社会抜 きに は語 ることも考 えることも不可能 なのである。それ ゆえ、 自分特有の ものだ と思 っている 感情で さえ、その社会や文化 によって様 々に様相 を変 えるのだ。

「 個人が対象 を見た ときに何 を感 じるか とい うことや 、ある出来事 に対 して ど う行動す る か とい うことは、万人 に共通 した ものがあるわけではな く、また偶然 にゆだね られている わけで もな く、社会的出身 ( 階級や階層)や家庭環境 、教育な どの社会的条件 の相違 によ って一定の傾 向をもってい る

。」

( 南 田、

2003、p.52)

ここに述べ られているよ うに、 日本 にお けるピアノ ・レッスンの場 において も、 「 心を込

める‑いい ことである」 とい う概念が体系 としてできあが り、指導者 は期待や確信 もな く

(10)

習慣的に、その言葉 を発 して しまっているのか もしれ ない。

このよ うに指導者 か ら発せ られ る、 「 心をこめる」 とい う結果 を言葉 に しただけの抽象的 な言葉か らは、指導 を受 ける側 に とって、具体的な行動 を取 り得ない0「 心をこめる」とは、

なにか生理的な、筋肉の動 き等があるわけではないか らだ。 も しその言葉か ら、具体的な 行動 を取ろ うとした場合、それ は間違 った身体の使 い方 につながって しま う危険性 がある。

視覚的に見て、 どこかそ っぽを向きなが ら演奏 してい る様子 と、なめるよ うに鍵盤 を凝視 して演奏 している様子 を比べてみ ると、どちらが 「 心が こもっている」よ うに見 えるかは、

一 目瞭然 である。 だが、身振 りばか り 「 心が こもって」いて も、それが鍵盤 に、そ して音 に伝 わっていないのな ら意味がない。 もちろん、 ピア ノ経験がある程度 ある人だ と、 「 心を 込 める」 とい う言葉 か ら、苦 もな く指導者 が意 図 した通 りの状態 になる可能性 もある と思 う。 だが、 もしそ うではない人が 「 心を込 める」 とい う言葉 を指示 された ときの状態 を想 像 してみたい。 「 心 を込 める」 とい う言葉 を聞き、演奏 しよ うとした場合 に頭の中で考 える のは、 「 もっ と一生懸命弾かなけれ ばいけない」 「もっ と集 中 しな くてはいけない」 とい う

よ うな ことではないだろ うか。

島が レッス ン中に述べていた言葉 に、次の よ うな言葉がある。

『うま く弾 こ う

とす る と、緊張す るだろ う。『うま く弾 く』 を捨てる。」また、学生の一人が演奏 し、 「うま く弾 こ う」 とし、鍵盤 にか じりついてい る様子 を見て、島は次の よ うにも述べてい る。 「 脳みそ と 筋 肉を神経質に しないで。精神 を ・・・。」頭 の中で 「うま く弾 こ う」 と思 う事 によって、

本 当は リラ ックス して脱力 していなけれ ばいけないはず の筋肉まで、緊張 して硬 くなって しまい、演奏 自体が味のない もの となって しま うのだ。研 ぎ澄ますべ きは、精神 なのだろ

う 。

島の言 うよ うに、

『うま く弾 く 』 を捨て るべ き。」 とい う言葉 は、私 に とって もハ ツとさ せ られ る言葉 であった。本来、音楽 は音楽 のための ものはず であ り、演奏は見栄 な どで凝

り固まって しまってはいけない もののはずである。考 えてみ る と、私 は発表会な ど、人前

(11)

で演奏す る時 に、必要以上 に緊張 して しまい、頭が真 っ白になって しま う。身体は とい う と、緊張のために手先 は冷 え、 よけい固 くなって しま う。身体が冷 えて、緊張で硬 くなる ことが、さらなる不安 を生み、余計 に焦 り、わけがわか らないままに演奏 を終えて しま う、

と言 う経験が多々ある。おそ らくその根底 には、人か ら 「 よく見 られたい」 とい う気持 ち があ り、その次元の ことで頭がいっぱい になって しま うのだろ う

『うま く弾 く 』 を捨て る」 とい う島の言葉か ら、本質的な ことを見失 っていた ことをはっき りと教 え られ た気が す る。

さて、 「 音楽は教 えることのできない ものである」 とい うテーゼがあ り ( 柳生、

1990)

、 教 えることが困難 とされてい る音楽 において、指導者 はいったい何 を どの よ うに指導すれ ばいいのだろ うか。 ピアノを実際 に教 える際、 「 心 を込 めて」な どと抽象的な言葉 を述べて も、どのよ うな行動 を とればよいかがわか らない し、「ここは違 う」とだけ言われ るよ りは、

「ここは〜でなけれ ばい けないのに、あなたの演奏 は〜なってい る。 もっ と〜 しなけれ ば いけない」 とい うよ うに、具体的 に指示 され る と、教わる側 としては理解 しやすい。つま り、 どこに うま くいかない原 因があ り、 ど うすれ ば直す ことができるか とい うことが、適 格 に理解できてい るほ うが、当然具体的な指示 を与 えることができるだろ う。演奏 を分析 的に見て聴 くことができる能力、そ してそれ を相手 に伝 えるために表現す る能力が必要だ。

とい うことは、 ピア ノが上手 に弾 けるか らといって、必ず しもピア ノが上手に教 え られ る わけにはな らない とい うことだ。それはきっ とスポー ツの世界でも同 じで、 「 一流のプ レー ヤー ‑一流の指導者」 とい う図式が必ず成 り立つ とは限 らないのではないだろ うか。

ピアニス ト安川加寿子 にピア ノを教わった、青柳いづみ こ

(2008、p.211)は、 自身が書

いた安川加寿子の評伝の中で、次のよ うに述べてい る。

「ピア ノ教師 としての加妻子 の問題 点は、おそ らく自身がす ぐれた演奏家であ りす ぎた こ

(12)

とにあるのだろ う。す ぐれた演奏家 であれ ばあるほ ど、分析的な演奏 は しない。 のちに私 が、師の ピアニズムについて、あの よ うな方法で手指 を使 い、あのよ うに腕 を動かす こと によって このよ うな効果が得 られたのだろ う、と確認 を求めると、彼女 は驚いたよ うに 『‑

‑ !そ う』 とい うばか りであった。」

この話 は とて も興味深い。 才能 に恵 まれた安川加寿子 は、師であるラザール ・レヴィが あみだ した ものを、吸い取 り紙 の よ うに無抵抗 に吸収 して育 ち、 自然 に ピアニズムが身に ついた よ うだ。そ して、それ を分析す る必要がないため、後進 に継承 させ るシステム もも たない。生徒 は とい うと、形態模 写の よ うに してその ピアニズムを盗みなが ら、求める音 楽 に 自分の手 を適応 させ てい くしか方法がなかった ( 青柳 、2008) よ うだ。 ここで述べ ら れているよ うに、弟子である青柳 が確認 を求めたのは、 「 手指の使い方の方法」や 「 腕 の動 か し方」等 の身体の動 か し方 についてである。 こ う身体 を動かせ ば、 このよ うな効果が得 られ る、 とい う具体的な身体の動か し方についてであるが、安川加寿子 自身 に とっては、

それ はあま りに当然 の ことであ り、 自然の事だったのだろ う。 そのため、それ を分析 し、

言語化 して教授す る術 をもたなかったのである。

後 に詳 しく述べ ることになるが、島の ピア ノ ・レッス ンでは、 この身体の使 い方 につい て実 に具体的 に指示 され る。 また、ただ 「ここをこ う動か して」 とい うだけではな く、言 語 に よる比喰表現か ら、身体の動か し方 をイ メー ジ させ るよ うな言語表現 を使 うこともあ る。 そ こが とて も特徴的だ と感 じた。本論文では、 このよ うな ピア ノ ・レッス ンの中にみ られ る言語指導 に注 目して、分類 した後、考察 していきたい と思 う。

(2)

指示対象 に関す る分類

上に述べた よ うに、本論分では指導でみ られ る言語指導 に注 目して、考察す る。 だが、

一言 に 「 言語指導」 と言 って も、何 かをイメー ジさせ るための言語 であった り、実際 に行

(13)

動 を促す言語 だった りと、様 々である。 まず は、音楽教育研 究 にお ける指示 に関す る先行 研究 ( 篠原秀夫、1989)を基 に、指示対象 に関す る分類 してみ る。分類項 目をま とめると、

以下のよ うになる℃

指示対象 に関す る分類

A.学習活動の導入や転換 に関す る指示 B.学習形態 ・学習方法 に関す る指示

C.

学習内容 ( 行動 ・思考) に関す る指示 それぞれの例 を取 り上げてみ る。

A

は、例 えば次のよ うな指示である。

「 まずはベー トー ヴェンの ソナ タで、身体の使 い方 を学びま しょう。」

この よ うな指示 は、受講者 に曲を与 える とき、曲に向かい合 わせ るきっかけ となる指示で ある。

次 に B の例である。

「ここのフ レーズは、ハ ノンを〜〜〜のよ うに使 って練習 しない。」

上記の例 は、学習方法 に関す る指示である。

C

に関 しては、次の よ うな例があげ られ る。

( D 「 音 を良 く聴いて、和音 を重ねて くだ さい」

② 「ここのフ レーズは どの よ うに演奏 したいのですか。音 をイ メージ して くだ さい。」

C

に関 しては、二つ例 を挙 げた

(

D

は行動面に関す る指示であ り、学習内容 を実際に行動面 で 「 指示」の形 を とってい るのに対 し、② は 「 発

間」+

指示」の形 であ り、実際 に受講 者 に思考 をさせ ることを含 んでいる。

A

B

C

3

つの指示 は どれ も重要であるが、とりわけ学習内容 と直接 関係す る

C

が ピ

アノ ・レッス ンにおいて、 もっ とも重要であるはずである。なので、主に C を中心に考察

こととす る。まず は、島の言語指導を

A

B、Cの3

つ に分類 し、その後

Cの学習内容 を、

(14)

「 内容

と 「 形式

に分 け、考察す る。 「 内容

と 「 形式」について、分類 については以下 に述べ る。

( 3) 「 内容 と形式」 についての分類

ピア ノ ・レッス ンを受 けてみた結果、 ソンタグ

(2005)

の言 う 「 内容」 と 「 形式」があ る、 とい うことは前述 した。 では、それ ぞれ を具体的 に どの よ うな言葉 を使 い、 どの よ う に指示 してい るのだろ うか。

それぞれ を例 にあげる と、以下の よ うにな る。

「 内容」は、例 えば次の よ うな指示 である。

例 :フランツ ・リス ト/ コン ソレー シ ョン 第

1

番ホ長調

S.172‑1

・ 1

小節〜 「 雲で覆 われてい る空。その雲 の隙間か ら、光が差 し込む様子 を思い浮 かべ る」

・ 13

小節

「 雲が しだいに薄れ てい き、晴れて くる様子」

・ 21

小節

「 だんだん と空は夕焼 けにな る」

フランツ ・リス ト/ コンソレー シ ョン 第二番 ホ長調

S.172‑2

・1

小節

「さわやかに

「 お花畑 の よ うに

「 や さしく、ポ ロロン」

・9

小節〜 「 にぎやかにな りす ぎない よ うに」

・17

18

小節 「 前の

2

小節 のエ コーの よ うに」

・23

24

小節 「 更に、エ コーの よ うに

・25

′ J 、 節

「 エ コーが しだいにかすんでい く

この よ うに、言語 を使 った比愉表現 が、 レッスン中にみ られ る。比喰表現 に よ り、学生

のイ メー ジを喚起 させ 、表現 を豊 かに させ る 目的が あ ると思 われ る。 その比愉表現 は、視

(15)

覚 を伴 う情景 を想起 させ る言語表現である視覚的表現や、ス トー リー を語 ることによ り、

イ メー ジを喚起 させ る物語的言語表現、そ して擬音語 を使 う事 によって、実際に表現 した い音 をイ メー ジ させ る擬音語的言語表現な どがみ られた。

●内容

I、視覚的言語表現‑視覚 を伴 う情景 を、想起 させ る言語表現

Ⅱ、物語的言語表現‑ス トー リー語 ることによ り、イ メージを喚起 させ る言語表現

Ⅲ、擬音語的言語表現‑擬音語 を使 い、具体的 に表現 したい音 を想起 させ る指示す る言語 表現

形式 としては、次のよ うな指示方法が例 として挙げ られ る。

例 :フ レデ リク ・フランチシェク ・シ ョパ ン/プ レリュー ド第

20

番‑短調 O

p.28‑20

島の レッスンで最初 に取 り組 んだ曲である。 この曲に取 りかかって、まず注意 され たの

は和音 を弾 く際に、鍵盤 の上 に 「しっか りと乗 る」 とい うことだった。鍵盤 に体重 を乗せ

るために、以下のよ うな指示 をされた。

(16)

①身体全体の力 を抜 く。 (「 肩 に力 を入れず、手がぶ ら下がってい るだけの状態。」)

②脱力 した状態で、鍵盤 に手 を乗せ、前かがみにな り、鍵盤 に体重 を乗せ る。

(「 鍵盤 を前に押す よ うな感 じで。」)

③上半身が前かがみになって も、顔 は下を見ないで、上を見 る。

‑顔 を下に下げることで、肩が上に上がって しまい、結果腕 に力が入 って しま うため。

④上 を見 る時は、顔 も リラ ックス させ、顎 を下げる。

一首に力が入 るのを防 ぐため。

島が言 うよ うに 「 鍵盤 の上に乗 る」 ことができるまで、 「もっ と前かがみに

「 胸 を突 き 出 して

「 腹 に力 を入れて」 とい うよ うに、具体的に身体の動 きを指示 され る。身体の動 き によって、音色や音形 を作 った。

「 形式」の指導では、上に例 を挙げた よ うな身体の使 い方 に関す る指示 が多 く見 られ、

その点が島の ピア ノ ・レッス ンで特徴的だ と感 じた。 また、 レッスンを受 けてい く中で、

身体の使 い方の指示 については、以下のよ うに 2つのパ ター ンが存在す るこ とに気づいた。

i)直接的指示 ‑直接、身体の動か し方 を指示す る言葉。

Ex)

「 ア ゴを上げて弾いて くだ さい。」

並) 間接的指示 ‑身体の動作 をイ メージ させ るよ うな、比愉表現。

E x ) 「 泥の中に手をズブ ッっ と突っ込む よ うな感 じで弾いて くだ さい。」

この よ うに、島の身体の使い方の指示では、2つのパ ター ンに分 けて考察す る。その他 に、

時代様式 による奏法の指示や、ペ ダルの使 い方、ダイナ ミックスや アーテ ィキュ レー シ ョ

ンな どの音楽の諸要素 についての指示がみ られた。

(17)

●形式

Ⅰ、身体の使 い方の指示

i )直接的指示‑・ 直接、身体の動か し方 を指示す る言葉。

立)間接的指示‑身体動作 をイメージ させ るよ うな、比愉表現。

Ⅱ、時代様式 に関す る指示 ‑時代 による演奏方法の違いについての言葉。

Ⅲ、その他 ( ダイナ ミックスや、アーテ ィキュ レーシ ョンな ど音楽の諸要素について)

この よ うに、 ピア ノ ・レッスンでは 「 内容」 「 形式」共に、学習者 に対す る巧みな言葉遣 いがみ られ た。 ピア ノ ・レッスンは指導者 と生徒 との コミュニケー シ ョンによって、成 り 立つ

とす ると、両者 が互いにコ ミュニケー シ ョンを取 るために、共有できるツール が必 要である。 それ は、身振 りや言語 、そ して音 によるコ ミュニケー シ ョンが考 え られ るだろ う。 その中で もと りわけ言語 は、 レッスンにおいて多 く使 われ、欠 かす事のできないツー ルである。島の レッスンでは、多 くの ピア ノ ・レッスンで言われている、「 心 を込めて・ ‑・ ・ 」 等の、求 める結果 を言葉 に しただけの抽象的な言葉 はほ とん ど使 われ ない。 具体的な指示 や、創造力 をかきたて られ る暗示 を伴 う、生きた言葉 が、次々 と島の 口をついて出て くる。

そ もそ も、音楽 を語 ってい るその言葉 自体が、音楽 の よ うな雰囲気 があると感 じる。 その 多 くの言葉 を、例 としてできるだけ多数紹介 していきたい。

次章では、レッスンにお ける、「

A.

学習活動 の導入や転換 に関す る指示」「

B.

学習形態 ・

学習方法 に関す る指示」 「

C.学習内容 (

行動 ・思考)に関す る指示」それぞれ の詳細 を述

べ、

C.学習内容 (

行動 ・思考)」に関 しては、 「 内容」「 形式」の両面か ら考察 を加 える。

(18)

2、 ピア ノ ・レッスンの考察

島の ピア ノ ・レッスンを受講 したのは、2007年 1 0月の後期授業か らである。毎週決 ま った時間に、 「 芸術実技」 とい う授業の

1

コマ として授業が行われたが、終了時間は延長す ることが多 く、予定通 りに終わ らない事の方が多かった。授業 を受 けてい る学生の人数 は、

2007 年後期授業 ( 1 0月〜3月)は私 を含 め 2名 、2008年前期授業 ( 4 月〜7月)、2008年 後期授業 ( 1 0月

〜2

月) は私 を含 め

4

名 の学生がその授業 を受講 していた。 その際 に受講

を通 して得 られた ピア ノ ・レッス ンでの言語指導 についての実践的考察 をす る。

実際の レッス ンにおいて発言 され た言葉や、言語指導 の記録 ・録音 を基 に、

A.

学習活 動 の導入や転換 に関す る指示

」 「B.

学習形態 ・学習方法 に関す る指示

」 「C.

学習内容 ( 行 動 ・思考)に関す る指示」に分類 し、更に一番重要だ と思われ る

C

については、「 内容

「 形 式」 の二つ に分類 し、考察 を加 えた。 その結果 、学習者 に音 を感 じさせ るた めの言語 の巧 み さや豊富 さ、使 われ た言語 の多 くが人 間の生理的 な裏づ けの も とに成 され てい るこ とな

どが結論 として得 られ た。

まず は レッス ンで使 われ た言葉や指示 について、主な ものを以下に紹介す る。

(1) 「A.

学習活動 の導入や転換 に関す る指示

について

ここでは レッス ン中に言 われ た言葉や指示 の中で、新 しく取 り掛 か る曲 目を選ぶ段階で 言 われ た言葉や、学生が実際 に演奏す る前 に言 われ た言葉 な どを と りあげ る。 その主な も の

11

例 を以下に紹介す る。

:A

l、 「 バ ッ‑ で基本的なテ クニ ックや、身体の使 い方 を学びま しょ う。」

2、 「 身体 に こだわ りま しょ う。その練習のために、ベー トー ヴェンを弾 きま しょ う。」

(19)

3

、 「 それではスペイ ンものは、 もっ と身体 を使 っていきま しょう」

4

、 「自分の腕 の重み を知 っていなけれ ば、 ピア ノは弾けませ ん。 まず は、簡 単なェ クササ イズを しま しょう。」

5 、 「 今度、キース ・ジャ レッ トの DVD を見てみま しょう.す ごい弾き方 ( 身体の使い方) を しています よ

。」

6

、 「 演奏す るには、身体は骨の入 った クラゲでなけれ ばいけない

。」

7

、 「 地味だけ ど、なんだか精神的な、深い曲です。」 (リス ト、 コンソレー シ ョン第

1

番)

8

、 「 スペイ ン、いいで しょ う?みんなでスペイ ン祭 りしま しょう。 ( スペイ ンの曲をみんな で弾いてみま しょう。)

( アルベニス)

9

、 「 スペイ ンものをや った後 に、ベー トー ヴェンとかにつなげると、や りやすいか も。」

10

『マ ラゲーニャ』 はちょっ と難 しかったね。次回は、『前奏 曲』 ( アルベ ニス、組 曲ス ペイ ン) をや って、スペイ ンの雰囲気 を掴 も う。そ うす る と、『マ ラゲーニャ』の雰囲気 も わか るか もしれないね。」

11

、「 フォー レをや りたいな ら、この即興 曲がいい。 きれいな曲です よ。一番 この手の曲で 出来がいい。」( フォー レ、即興曲第

3

番)

ここで例 に挙 げた言葉 は、学生 を曲に向かい合わせ る時に発せ られた言葉 であ り、それ は大まかな曲のイ メー ジを語 ってい る言葉 だった り、曲に取 り掛か る際の心構 えであった

りす る。それぞれ の言葉 について、以下に考察 を加 える。

A‑

1. ピアノは指で弾 く?

私た ちが何 かを感 じるのは、身体があるか らである。何 かに触 った り、におい を喚いだ

り、見た り、聴 いた り、味がわかった りす るのは、身体が正常に機能 してい るか らこそで

(20)

ある。 あま りにも当た り前す ぎて、普段特別言及 され る事 は少 ないが、私たちは誰 もが 自 分 の身体があ り、五感 を通 して他 の世界 と関わ ることができる。身体は絶 えず脈 を打 ち、

呼吸 を し、一刻一刻違 う様態 を示 し、変化 し続 ける。 その よ うな身体 も、西洋の思想 にお いては、 「 物体」 として考 え られていた。

西洋の思想 では、人 間の存在 を他 の生 き物 と区別す るにあたって、まず はその存在 に と っての身体の位置にこだわった。鷲 田清一 ( 2006

、p.ix)は、西洋 の身体観 に関 して次のよ

うに述べている。

「 西洋 の思想伝統 においてはほ とん どの場合、身体は 『物体』の一つ として、『心』や 『精 神 』 と対峠 されてきた。身体 は ここではあき らかに 『物体』 の一つ に数 え られ てい る。 だ か ら西洋 の科学の歴史のなかではなが らく、身体は もっぱ ら<機械 >モデル に沿 って医学 や生理学の対象 として分析 されてきたのである。 この よ うな心身の区別 は、西洋の科学の みな らずその道徳思想 をも組み立ててきた。精神 との結びつ きが人間の価値 を人間以下の 存在 よ り上位 に引き上げ、身体 との結びつ きが人間の価値 を引き下げる とい うのである。

よ り具体的にい えば、身体 とは人間の感応や情動の座 であ り、 これ に左右 させ られ ること が人間にお ける誤謬や悲惨の原因 となる。 ひ とび とは感能や情動 の奴隷 になって、狩猟や 舞踏、賭 け事や饗宴 といった身体 の喜びに耽 る。 これ にたい して、身体 との結びつ きを離 れ た ところで精神 その ものの原因によって行動が規定 され ている とき、ひ とはその価値 を 高 める とい うので ある。 心身 の区別 は価値 の肯定 と連動 させ て考 え られ てきたわ けであ

る。」

まず、 ここで述べ られてい るのは西洋 の思想伝統 では 「 心 ( 精神 )

と 「 身体 ( 物体)

は対峠 されてきた とい うことである。現在私たちの生活で も、 「 心 も身体 も元気 に ・・・」

とい うよ うに、心 と身体があたか も別物 であるよ うな言い回 しをよくす る。 この考 え方 は

(21)

西洋 にあった 「 心身二元論」 とい う考 え方である。 また ここで重要 なのは、西洋 の思想伝 統では、身体が心 よ り劣っている とい う考 え方である。 そ して心 と身体の区別 はその よ う な価値 と連動 させて考 えられていた とい う事である。

とはいって も、現在 においては、 「 身体」 と 「 心」は、繋がっているとい うことを私たち は経験的 に知 っている。 ライブに行 けば身体 は勝手 に リズムを刻む し、 うれ しい事があれ ば思わず顔 がほころび、飛び上がって喜んで しま う。おそ らく、多 くの人は気分が落 ち込 んでいる時には、身体 を動かす気 にはな らないだろ うし、緊張を して落 ち着かない時には、

ひっき りな しに身体 を動か して しま う。特 に、私が 日常で 「 身体」 と 「 心」のつなが りを 感 じるのは、スポーツを している時である。スポーツをすれ ば気持 ちが何かス ッキ リす る。

体 を思いっき り動 か し、汗 を流 した後 は とて もすがすが しい気分だ。その よ うな ときに、

身体 と心のつなが りを感 じず にはい られない。

さて、島の レッスンでは、 「 身体」 とい う言葉が非常によく使 われ る。 「 『カラダ 』 を使 っ て」 とい うよ うに、 「 シンタイ」ではな く 「 カラダ」 とい う言葉が使 われ てい る。 「 体」 と は、頭か ら足までをま とめてい う語 ( 身体) としての意味 と、身体の うち頭 と手足 を除い た部分 ( 胴 、胴部)の意味がある ( 『広辞苑』) 。島の ピアノ ・レッスンでは部分的な体の部 位 を動かす とい うことではな く、身体全体 を動かす こと示 しているよ うに感 じるため、「 体」

ではな く 「 身体」 とい う漢字 を当てた。以後、同様 に 「 身体」 と表記す る。

1

、 「 バ ッハで基本的なテクニ ックや、旦鐘の使 い方 を学びま しょう.」

2

、 「 身 鎧にこだわ りま しょう。その練習のために、ベー トー ヴェンを弾きま しょう

.」

3

、 「 それではスペイ ンものは、もっ と身堕 を使 っていきま しょう」

6

、 「 演奏す るには、身陸は骨の入 ったクラゲでなけれ ばいけない。」

(22)

ここに示 した

4

つの例 を見て も、 「 身体」 と言 う言葉が入 ってい る。 これ らの言葉か らわ か ることは、 ピアノを弾 くにはそのための 「 身体」の使い方がある、そ して、 「 身体」を う ま く使 えない ことには、 ピアノを弾 くことはで きない、 とい う意図が読み取れ る。

多 くの人は、マニュアル本 をい くら熟読 したか らといって、い きな り泳 げない人が泳 げ るよ うにはな らない、 とい うことを知 ってい る。バ タフライの泳 ぎ方 をマニュアル本 な ど で、例 えば 「 キ ックは、身体 をまっす ぐに した状態で、膝 は

90

度に折 り、足首は伸 ば した まま、腰 か ら反動 を使いキ ックす る。それ に合 わせ て、ス トロー クは肘 を持 ち上げ るよ う に して、手 を頭 の前 まで もってい き、斜 め後 ろに水 を押す‑。」な, どとい う説 明を読んで、

泳いでみた として も、締麗 なバ タフライを泳げるはずがない。それ どころか、水の中で必 死にもがいてい るよ うな格好 の泳 ぎ方 に しかな らないはずである。 マニュアル を読 んだだ けで、成功す るとは限 らないのは、 ピア ノを弾 く時 も同 じである。 それ は、 ピアノを弾 く のに も 「 身体の使い方」が存在 し、本 を読むだけではそれが身に着 くわけではないか らだ。

そ して、 「 身体の使い方」が存在す るのは、水泳や音楽 に限った話ではない。

少 し、過去の部活動 の経験 を話 したい。私 は中学校時に、剣道部 に所属 していた。 まっ た くの剣道未経験者 である私が、入部後に教わったのは、竹刀の握 り方 を含 める 「 かまえ」

の姿勢、座 り方や礼の仕方、剣道特有の足裁 きである、「 す り足」な どだった。それだけを、

入部後

1ケ月間ひたす ら続 けた。一刻 も早 く防具 を身 につ け、実際に打ち込み を してみた

かったが、はや る気持 ちを抑 え、1 ケ月間は剣道の基本 の所作 を身につ け、染み込ませ るこ

とを必死 に行 った。

特 に苦労 したのは、いかなる状況で も、 「 かまえ」の姿勢 を くず さない、 とい うことであ る。相手 に打ち込む隙を与 えないための 「 かまえ」 を常 に保つのは、私 の最初 の難 関だっ た。 立ったままの状態では 「 かまえ」が難 な くできた として も、激 しく動 くと 「 かまえ」

のバ ランスが くずれて しま うか らだった。 また、普段 の私たちの歩 き方である、交互 に足

(23)

を持 ち上げて前に出す歩 き方 とは異なる、 「 す り足

も身 に着 けるのに苦労 した。 この 「 す り足」 も、剣道 の動 きの基本 であるが、必ず動 くのには、右足が前 に出ていなけれ ばな ら ない。左足 は とい うと、軸 となる足であ り、常にかか とを浮か していなけれ ばいけないの だ。 どんな体勢で も、前後左右 どこに移動す る時 も、それ は くず してはいけない。普段の 歩 き方や立 ち方 とは違 う新 しい動 きを、 自分の身 に覚 え させ るのは、簡単ではない。入部 後一 ケ月はこのよ うに、 「 かまえ」 を しなが ら、ひたす らに武道館 を 「 す り足」す ることを 繰 り返 し、剣道独特の立ち振 る舞 いを稽古 した。つま り、剣道 にお ける身体 の使 い方 の基 礎 を身につ けることに、多 くの時間を費や したのだ。

高校 の時 にバ レーボール部 に入部 した時 も、まず行 った ことは、いきな りレシーブや ト スの よ うな、ボール を用いた トレーニングではなかった。 ひたす らにフォームの練習 を行 った。 ただボール を持 ち、何度 も何度 も自分の身体 に染み込むまで、フォームの練習 を繰 り返 し行 った。つま り、運動 であれ ば どのスポー ツや武道 で も言 えることだが、フォーム を トレーニ ングす ることは当然の ことだ。小学校 の ころや っていた水泳 で もそ うだが、 コ ーチが変われば トレーニング方法 も変わ る。 コーチが考 えるフォー ムがあ り、そのために

トレーニングを積むのだ。

ピア ノにもフォームがあ り、そのための身体の使い方がある。青柳 ( 2008、p. 160) が 「 演 奏行為その ものは芸術 だが、楽器 を弾 くことは運動 である。」 と言 うよ うに、楽器 を演奏す る技術 は運動である。 だが、その技術 をもって表現す るのは芸術 である。単なる運動や技 術 の次元だけに留ま らないのが音楽 の複雑 な ところであ り、それ ゆえに音楽が面 白く、人 間に必要 な所以なのだ ろ う。 ここで言 いたいのは、 「 楽器 を弾 くことは運動」であるので、

他 のスポー ツ同様 ピア ノ演奏 にも、 ピア ノを弾 くための身体の使 い方が存在 し、その身体

の使 い方 な しには本 当は ピア ノを弾 くことはできない、 とい うことだ。 島の 「 バ ッハで基

本的なテ クニ ックや、身鐘 の使 い方 を学びま しょう

。」(A,1)

とい う言葉通 り、まずは ピア

ノで も身体の使 い方 を学ぶべ きなのだ。 また、 ここでの言葉や、受講者全員 が最初 はバ ッ

(24)

ハ、ハイ ドン、ベー トー ヴェンな どの曲を課題 曲 として与 え られ ていることか ら、バ ロ ッ クや古典派 の曲に身体の使 い方の基礎がある、 と島は考 えてい るのか もしれ ない。兎 にも 角 にも、 「 身体」 とい うキー ワー ド抜 きでは島の ピア ノ ・レッスンは語れ ない0

ピア ノの トレーニ ングとい うと、イ メー ジす るのはハ ノンや ツェル ニーな ど、指の訓練 ばか りをイ メー ジす るのではないだろ うか。事実、音楽雑誌 「 ムジカ ノー ヴァ」の特集 で は、 「 表現力 を養 うためのフィンガー ・エ クササイズ」 (

1988

、3 月号)や、 「よい演奏のた めのフィンガー ・トレーニ ング」 (

1990

、6 月号) といった ものが連載 され、教則本 を用い た指の訓練方法な どについて、多 く掲載 されている。ピア ノを習っていた事がある人な ら、

誰で も手の形 について注意 を され た ことがあるだろ う。 「 手は卵 を持つ形」 とい う言葉 は、

手の形 を小 さい子 にわか りやす く説 明す るためによく言われ る言い回 しである。私 も自身 も、 「 手の形 を丸 く」 して ピア ノを弾 く事、 「 指 をたてて」 ピア ノを弾 く事 は、小 さい頃か らピア ノを習 っていた先生 に言われ、常に心がけるよ うに していた。特 に、ハ ノンな どの 教則本 を練習す る時は、手の形 を くず さず に鍵盤 の上 に乗せ てお けるよ うに、ゆっ くりと 手の形 に気 をつ けて練習 した。 だが、島の レッスンで注意 され るのは、いっ も指の ことと い うよ りは、身体の ことだった。

ピア ノを演奏す るには身体全体 を使 う必要がある。身体全体 を使 う例 として、 「 今度、キ ース ・ジャ レッ トの

DVD

を見てみま しょう。す ごい弾き方 ( 身体の使 い方)を しています よ。」

(A,5)

と言われて、 レッスン中に鑑賞 した映像

(SoloTributelOOthPerformance

i n

Japan

」、1

991)の中のジャ レッ トは、た しかに驚 くほ どよく動いていた。演奏 中なのに、

何 か別 な生 き物の よ うに身体 を くね らせ てい る。 自分が得 たい音のためであれ ば、ついに

は立ち上が り、腰 を浮 かせ て中腰 のまま演奏 していた。そのまま、 ピア ノの下にもぐりこ

むのではないか、 と思 って しま うほ ど、立ったまま膝 を折 り曲げ、腰 を落 としてい る場面

もみ られ た。音 を奏でなが ら、 うめきなが ら、 自分 の世界の中に入 っている様子 は、まる

で何かが悪依 してい るよ うである。 それ まで 「 座 って ピア ノを弾 くのが当た り前」 とそれ

(25)

まで思 ってい る私 に とっては、ただただび っ くりさせ られ るばか りであった。 そ してびっ くりしたのは、動 きだけではない。人の心 を鷲掴み に して離 さない、あの輝 くよ うな音 に も、す ぐに引き込 まれ た。 キースの動 きは、ただむやみや た らに、あんなに大胆 に動いて い るのではない。純粋 に音 を求める結果、ああい う様 な弾 き方 になったのだ、 とい うこと を、演奏 を、そ して音 を聞いて思 った。聴 いてい る と、 しだいに音 に引き込 まれていって

しま うのだ。全身全霊で音楽 に没頭 してい る、 とい うよ うな印象 を受 けた。

島は、ある学生の質問に、以下の よ うに答 えていた。

学生

A :

「 両腕 が一番離れ る ところ、 どうした らいいですか

?」

島 :「 遠いか ら、 ( 弾けないのは) 当た り前です。」

「 図々 しく椅子 に座 ってい るのがいけない。 いつだか、『キース ・ジャ レッ ト』観せたで し ょ

オ レよ り手が短い人が、椅子 に座 っているなんて信 じられない。」

私はそれ まで 「 座 って ピア ノを弾 くのが当た り前」であ り、 「ピア ノは指で弾 く」 もの と 思 っていたが、それ を根底か ら覆す言葉 である。 これ は私 に とって、島の ピア ノ ・レッス

ンを受講 して一番感心 した ことであ り、新鮮 な驚 きだった。

学生 A が言 っている、 「 両腕が一番離れ るところ」 とは、右手は音程が高い鍵盤 を弾き、

左手は音程 が低い鍵盤 を弾 く場合の ことである。 その よ うな場合 、右手 と左手の間隔が開

いて しま う。普段座 ってい るポジシ ョンのままだ と、多 くの人は両腕 を伸 ば しきった形で

手 を置 く事 になって しま うのだ。後 に述べ るが、音 を 自分で コン トロール し、創 り出すた

めには、鍵盤 に しっか りと体重 を乗せ ることが必要なのだ。 両腕 が伸び きった状態 で、パ

タパ タ と手や指 を動か しただ けでは、鍵盤 に体重 を乗せ 、フォルテ を出す ことは困難 であ

る。 また、両腕 が伸び き り、鍵盤 と自分 の距離 が離れ て しまってい ると、音 を 自分で操作

(26)

す るのは難 しい。音が、無責任 に 「 思わず 出て」 しま う可能性 がある0 島は、次のよ うに学生 A にア ドバイスを していた。

「 ヤクザの歩 き方 ってわか りますか ?

ヤ クザの歩 く、 こ うい うふ うに、だ ら〜ん としたやつ。

これ って、力が入 っていた ら、 こわ くないよね。

手か ら、いかない !

や くざの歩 き方みたいに、肩か ら行 って、腕 を落 として。」

ヤクザの歩 き方 を模倣 しなが ら語 って くれ た この言葉 は、身体の動か し方 をイ メージ し やす く、非常にわか りやすい。ヤ クザが人 を威嚇す るよ うに、肩か ら前 に突 き出 し、ぶ ら んぶ らん と歩いて くる様子 は、なん とも言 えない威圧感 がある。 だが、それが もしキ ビキ ビと力が入 った動 きを していれ ば、おそ らく威圧感 は感 じないのだ ろ う。その よ うに、 ピ ア ノの前 に座 り、 自分がヤ クザになれ ばよいのだ。脱力 したまま、肩か ら前 に突 き出 し、

そ こで腕 を落 と して音 を出す。そのためには、上半身だけではな く、下半身 を意識 し、腰 や脚 か ら持 ってい く、 とい う感覚が必要 だろ う。その よ うに全身 を感 じなが ら、肩か ら腕

を落 とす と、ちょ うどいい場所 に落 ちるところに、 自分で調節す る必要がある。

島が、 「 座 ってい る場合では、あ りません !

とい うよ うに、 もしも、肩が音 を奏でるの に十分な場所 にい くまで、座 ってい るままでは届かなかった ら、ジャ レッ トの よ うに立ち 上が り、身体 を動か して ピア ノを弾 くこと考 えなけれ ばいけない。

ど うや ら、今 まで私が考 えていた よ りも、 ピア ノを弾 くとい うことは、大変な運動 な よ うだ。ピアニス ト、とい うと世間では、どこかひ弱なイ メー ジが付 きま とわないだろ うか。

実際、 ピアニス トの指 は鍵盤 の上でめま ぐる しく早 く動 く。 だが、指だけで ピア ノを演奏

す るわけではない。腕 の動 き、胴 の動 き (どのよ うに体重を乗せ るか)、脚の動 きな どが と

(27)

て も重要だ とい うことに改 めて気づいた。 ピア ノを弾 くとい うことは、身体の様 々な部分 を 自分で コーデ ィネー トして動かす ことが必要なのだ。

私 は小 さい頃か らピア ノを弾いていて 「 演奏 に力強 さが足 りない」 とい うコンプ レック スがあった。大 きな音 を出そ うとす ると、 どうも肩 に力が入 って しま うため身体全体 もか た くなって しま う。腕 の筋 肉で力 に任せて鍵盤 をたた くため、 どうして も乱暴 な音 になっ て しまい、納得 のい くよ うな音が出せ ない とい うことが、長い間気 になっていたのだ。 と ころが、島 と一緒 に身体の仕組み を考 え、身体 の力 を抜いて腕 の重 さや体重 を鍵盤 に乗せ るよ う努力す ることで、 しだいに以前 とは違 った音 が出せ るよ うになってきた。過去 に私 が教わった ピアノの先生で、 「 身体 を どのよ うに使 うか」 とい う視点を主において演奏 を指 導 して くれ た人 はいなかった。 この よ うな視点か らのアプ ローチで 自分 の表現 したい音に 少 し近づいた よ うな気 が した。

ピアニス トが ピア ノを弾 く時に、 自分 自身 の身体の構造や動 きに対す る感覚 を高める手 助 けをす ることを 目的 とした、『ピアニス トな らだれで も知 っておきたい 「 か らだ

の こと』

とい う著書 を書いた、 トーマス ・マー ク

(2006、p.5)の言葉 をここで引用 したい。

『指で ピアノを弾 く 』 と言 うのは、『足先

(foot)だけで走 る』 と言 うの と同 じよ うな もの

です。私たちが ピア ノを弾 くときには、確 かに

5本 の指が動 き、それ は唯一 ピア ノに触れ

ることができる部分です。 同 じよ うに、私たちが走 る ときには、足先が動 き、それ は地面 に触れ ることのできる唯一の部分です。 しか し足

(leg)

を動か さず 、足先

(foot)だけを

トレーニ ング して速 くなろ うとしているランナー を思い浮 かべて くだ さい。愚かだ と思い ませんか

?」

同様 に、腕や身体 の使 い方をよく考 えず に指の訓練だけを しているピアニス トは同 じぐ

らい滑稽 なのではないだろ うか。一人一人身体や手の形がまった く違 うのに、指以外 の身

(28)

体の動 きを重視せず に、指 の動 きだけを説 くよ うな ピアノの指導法 か らは 「 走 る」 よ うに

「 弾 く」 とい うことができないだろ う。全身の動 きをコーデ ィネー トす ることを主 として ピア ノ演奏 をす ることの必要性 を、島の ピアノ ・レッスンで身 をもって感 じた。

次は、一番初めの レッスンで行われた、身体 を動 かすェ クササイズを紹介 したい。

A‑2.

エ クササイズ

自分の腕 の重 さや、頭の重 さを考 えた事があるだろ うか。自分の腕や頭な どのパーツが、

どのよ うに接続 され、 どの よ うな動 きを可能 とす るか、考 えた事があるだろ うか。 「自分の 腕 の重み を知 っていなけれ ば、 ピア ノは弾 けませ ん。 まず は、簡 単なエ クササイズを しま しょ う

。」(A,4)

とい う言葉か らは、 ピアノを弾 くためには、身体 を うま く使 えなけれ ばい けない とい う前提 の もとに、 自分の身体 を知 っていなけれ ば、身体 を うま く使 えなけれ ば いけない、 とい う考 えが うかがえる。授業 中に行 ったエ クササイズの

1

つを紹介 したい。

島の一番初 めの レッスンの 日、 レッス ンの始ま りは、簡単なェ クササイズ ( 体操)か ら だった。受講生の様子 を見て、 「 立って、体 を動か しま しょ う。」 と言 った。教室 には机 と イスが敷 き詰 め られていたが、それ らを どけて、 自由に体 を動かせ るスペースを作 った。

ピア ノを弾 くのに、身体全体 を動かす体操 をす る とい うことに驚 き、 これか らの レッスン とどう関わって くるのか不思議 に思 った。

最初 に行 ったエ クササイズは、次のよ うなものだった。

( 丑直立に立つ。②腕 を水平 に持 ち上げる。③一度腕 を下 ろ し、身体全体の力 を抜 き、 リ ラックスす る。④ 中指の指先 か らゆっ く りと腕 を挙 げてい く。その際、身体 に力が入 らな い よ うに気 をつけ、腕 の重み を感 じなが ら徐 々に挙 げてい く。⑤

1回 目に腕 を挙 げた時 と、

2

回 目に腕 を挙げた時 との違いを、感 じてみ る。⑥腕 の重 さを感 じなが ら、一気 に腕や方の

力 を抜 き、腕 を降 ろす。

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