◎論説
日 本 占 領 期 に お け る 台 湾 の 戦 争 動 員 体 制
林継文・・⁝
問題意識︑理論検討及び研究仮説
歴史研究に関する検討
第二次世界大戦中に日本の台湾総督府が現地市民に対し
て施行した﹁動員﹂﹁社会動員﹂は︑従来台湾社会を日本
帝国政府が意図する方向に向けて誘導するための政治プ
ロセスとして解釈されてきた︒ただ単純に︑日本人が台湾
現地社会の人々に帝国臣民としての文化意識を根付かせた
既成事実を説明することのみに留まってきたのである︒し
かし本稿にて筆者は︑﹁戦争動員﹂の意味を更に具体的に
追求するよう努めた︒つまり﹁動員﹂を行った日本の為政 者達の真の目的は︑戦争遂行の便宜上︑台湾現地の社会資
源を合法的に搾取するのみならず︑台湾現地市民層の意識
をも戦争に対して極めて好意的なものとなるよう︑その都
度社会変革を実施してきたという点である︒本論文の戦争
動員体制の研究が意図することは︑日本が植民地台湾の
人々に対して行った支配︑資源の再分配︑そして搾取の実
情を詳細に分析し︑それを再評価する点にある︒
現在の台湾研究は︑政権の移転を基準として時代別に分
類・整理されている︒そのため﹁戦争動員﹂という議論に
ついては︑専ら﹁日本占領時代における台湾政治史﹂か︑
あるいは﹁日本占領時代における台湾経済史﹂研究の範疇
に組み込まれてなされるのが普通である︒
経済学者アリス・アムスデンは植民地時代の台湾の政治
日本 占領期 における台湾の戦争 動員体制
III
経済を考証しながら︑次のような興味深い問題を提起して
いる︒それは︑戦時下にあって日本の軍部が政府機関のな
かに支配的な地位を占め︑同時に経済発展に関してもその
下絵を担当するという政治状況下にありながら︑台湾が効
率的な経済発展を実現させ得た原因は何かというもので
ム ある︒これは主として第二次大戦後の台湾を分析した結果
出されたものではあるが︑基本的に戦前から戦後期(一九
三〇年から四〇年代)の台湾についてもそのまま適用する
ことができる︒戦後の国民党による軍事政権も︑基本的に
はこの経済体制の上に定着したものだからである︒
ただし台湾経済史に関する研究分野には︑明らかに留意
しなくてはならない点が存在する︒それは政策云々に関す
ることではない︒むしろ政治面や軍事面に関する客観的な
議論がほとんど存在していない実情についてである︒それ
ゆえ歴史的にも極めて基本的とされている政治現象につい
てすら︑満足のゆく説明がなされていない状態なのである︒
李登輝は﹁日本植民地政権が一九三〇年代の台湾に技術
革新を急がせていた同じ時期に︑農業部門では資本の輸出
がピークに達していた﹂と見逃すことのできない指摘を行
へ っている︒これは当時の台湾の米糖経済の発展が頂点に達
していたことを示すものであり︑事実これは台湾総督府が
軍需工業化を進めるにあたっての基盤として機能してい
た︒このように農業資本が大量に国外に流出するという経 済状況は︑いわば金融統制政策とも不可分の間柄にあり︑
総督府の政策に影響を与えずにはおかない種類のものであ
った︒しかし残念なことに︑経済研究分野の学者達の間で
は︑この点について精密に見極めようとする姿勢が現在で
も極めて乏しい︒日本統治時代の台湾経済発展の実情に至
っても︑安直に﹁米糖経済﹂という概念一言によって事足
れりとされてきた傾向を払拭しきれずにいる︒一九三〇年
代以降に顕著にみとめることができた台湾経済構造の変質
の原因究明に至っては︑ほとんど放置され続けてきたとい
うのが実情といってもよい︒
それ以上に更に根本的なことは︑経済発展に対する台湾
総督府の行政的役割の実情を︑そもそもどのように理解す
るのかに関するものである︒総督府が行っていた経済政策
の一連のダイナミズムを把握することは︑いわば半世紀に
わたる日本統治下の台湾の実態を解明するうえでも基本的
な事柄である︒しかしその実情に関する理解も︑依然とし
て旧態依然のままである︒例えば官僚制度の観点からみる
ならば︑日本統治下の台湾の経済発展は︑厳密に﹁官僚に
ムヨ よる現代化﹂であると議論される︒それは特に公共設備
の整備が経済発展に及ぼした貢献度について注目される
ムる 時︑主張されている︒しかしこれらの公共設備の建設がど
のような政治的や軍事的意味を持ってなされていたかにつ
いては︑全く留意されてこなかった︒また公共設備の利益
再分配の結果に関する研究も見当たらない︒
このように日本統治時代の台湾の経済発展については︑
専ら米糖業をめぐる経済政策の結果による﹁近代化﹂だけ
が重視されてきたため︑その概念のみが独り歩きするとい
ら う望ましくない傾向が生じるに至った︒その結果︑経済構
造そのものが形成された背景と︑発展過程という最も重要
な点に関しては︑本来最も根本的な命題でありながら︑常
に無視され続けてきたのである︒
政治的にみれば︑戦前の大日本帝国政府を﹁台湾経済発
展の恩人﹂とみなすことは妥当ではない︒しかし日本帝国
が植民地台湾に対して行った諸々の事柄を︑直ちに﹁経済
の搾取者﹂でしかなかったと断定づけるのも同時に適切な
言い方ではない︒日本帝国主義の台湾に対する支配形態と︑
その経済政策の役割を鮮明にするためには︑専ら次の三つ
の点に議論を集約させる必要があると思う︒即ちω旧日本
帝国のアジア戦略における台湾島の地位の変質︒②日本支
配下の台湾社会の性質の如何について︒そして㈹台湾にお
ける経済構造の性質と政策の制限の実情について︒以上で
ある︒
戦前の大日本帝国における台湾の地位と︑その経済発展
について研究したものとして︑徐照彦の著作﹃日本帝国主
義下の台湾﹄がある︒徐と同様の姿勢で台湾の実情を分析
バセ した矢内原忠雄の﹃帝国主義下の台湾﹄も︑重要な見方を 示している︒ただこの両著における根本的な違いは︑台湾
経済を見つめるその視点にある︒徐照彦は︑日本領土とし
ての戦前の台湾経済の推移を︑他ならぬ台湾社会の経済の
実情を踏まえた視点によって分析している︒台湾本土では︑
日本統治時代以前から土地を基礎とする経済観念が既に存
在していた︒徐は︑そのような台湾在来の経済観念が︑い
わば日本統治時代の資本主義の洗礼を受けることによって
どのような変容を新たに生じるに至ったかという点につい
て︑最大限留意している︒
それに対して矢内原は︑一九三〇年代以前の台湾経済の
内訳を単に﹁資本主義化﹂︑あるいは﹁日本の独占資本体
制による台湾支配﹂という概念を用いることによって解釈
している︒植民地時代以前からの台湾社会既存の特質につ
いても︑それらがあたかも台湾総督府の土地政策の結果生
じたものであるかのように解釈してしまっているきらいが
ある︒
更に矢内原で注意を引くことは︑台湾総督府が台湾人民
層に対してある程度の﹁経済的平等﹂を与えていたとする
観点が︑相当数盛り込まれている点である︒これは台湾社
会を日本人の立場から詳細に見つめたものとして︑無視で
きないものだと思う︒つまりこれまでの台湾人研究者の間
では︑戦前の台湾総督府の政策は現地市民層にとって差別
的なものであったとする評価がむしろ一般的であり︑平等
日本占領期 における台湾の戦争動員体制
ti3
な経済的待遇を受けていたとする認識は存在しなかったか
らである︒一九三〇年代以前の台湾人民層が置かれた経済
的立場にしても︑平等はおろか︑むしろ総督府の政策によ
って巧みに制限・抑圧されていたと解釈されているのが普
通である︒このような視点を持つ研究者の間では︑これら
の政治的︑経済的差別を︑民族運動勃興の遠因に結びつけ
た論文が数多く発表されてきたぐらいである︒そのため矢
内原が著作のなかで主張する﹁ある程度の経済的平等化﹂
は︑ここでは台湾人と日本人双方の経済的機会均等を意味
するものとしてではなく︑むしろ第二次大戦中期に日本が
台湾に対して行っていた同化政策をスムーズに実現させる
ために執られた妥協の一例として解釈すべきだと思う︒
台湾総督府が一九三〇年代後期に執行していたその行政
手段を見てみれば分かるように︑台湾統治は主として台湾
本土の有産階級層を︑日本の有力財閥と結びつける点に置
かれていた︒このような政治的手法は︑必然的に両者を経
済的に﹁共利化﹂させる効果をもたらすものであった︒こ
の点について矢内原は︑台湾本土の資本が日本独占資本に
よって圧迫された史実については言及してはいるものの︑
台湾の有産階級と日本の財閥の間に明確な経済的連帯関係
が存在していたことを見落してしまっている︒彼が主張
する﹁平等化﹂と﹁経済的共利化﹂とは︑意味するところ
が微妙に異なっている︒台湾総督府は︑一方では﹁国策﹂ という大義名分の下日本の財閥に特別待遇を与えた︒しか
しもう一方では戦争遂行の必要性という名目によって台湾
本土社会に多種多様な外圧をかけ︑それがために様々な内
部矛盾を抱え込ませもした︒台湾本土の地主や資本家達が︑
日本の資本と合流するという選択肢を選んだ点について説
明を求めるのならば︑総督府が事前の段階において既にそ
の他の選択の余地を摘み取っていたからであるといえる︒
このように徐照彦や矢内原忠雄の研究に共通して認めら
れることは︑台湾総督府と日本本土の帝国政府との政治関
係に関する叙述が見られないという点である︒例えば徐は︑
著作のなかで日本本土からの﹁国家権力﹂の介入が︑台湾
経済の改造に重要な影響を与えていた点を繰り返し強調し
ている︒ただそれがいつ行われたか︒そしてその政治的意
図は何であったかという点については︑十分な解答を導き
出してはいない︒これらの点が不十分のままでは︑東京の
帝国政府の意思決定と︑台湾総督府が現地において実際に
行った政策の推移との相関関係が解明できなくなってしま
う︒この部分に関する分析作業の欠落がもたらす影響は︑
すこぶる深刻なものがある︒特に植民地台湾の経済発展に
ついて論じる時︑その内情についての把握がないまま﹁日
本資本主義発展段階論﹂を唱えて事足れりとする一般通念
を形成・定着させてしまう恐れがあるからである︒徐・矢
内原両者の研究は︑日本統治時代の台湾経済史を扱った代