人文論叢 (二 重大学 )第 28号 20H
アフ リカ文学 と Oral Literature(8)
―『 ビー ドル』論 一
赤 岩 隆
要 旨 :前 回に引き続 き、 ポー リン・ ス ミスを取 り上 げ、 それによって書かれた唯一の長篇小説 である『 ビー ドル』について論 じる。 これは、タイ トルの有 り様か らして、問題含みとみな し得 る作品であ り、そのことと、なにより短篇小説家だった作者 との関係について考察する。その際、
役に立つのは、前回の『 リトル・ カルー』をめ ぐる議論であ り、それに拠 りなが ら、 この一風変 わった長篇小説を読み解いてゆ く。
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『 リ トル・ カル ー』 とい う密度 の濃 い短 篇集 を漸 く 43歳 にな って上梓 で きたポー リン・ ス ミスだ ったが、 それだけで は 目標 を達成 した ことにはな らなか った。話 は 20世 紀初 めの こと である。長篇小説 を もの して こそ小説家であるとい う 19世 紀 的な考 え方 は、 なお も根強 く残 っ ていた。 ま してや、師 と仰 ぐ小説家 は、 旧弊 な とまで は云 わないに して も、 なによ り長篇小説 を得意 とす るアー ノル ド・ ベネ ッ トだ った。 師 に就 いて十数年、人並 み外れて内向的だ った彼 女 にすれ ば、長 篇小説執筆 をめ ぐる再三 の失敗 の果 て に、想 いはあ る種 トラウマのよ うな様相 を呈 して いた と も考 え られ る。 ポー リン・ ス ミスの唯一 の長 篇小説『 ビー ドル』 (1926)は 、 その よ うに して書 かれた。 自ず と生 まれた とい うよ りは、 む しろ絞 り出され るように作品化 さ れた ものだ った。 この ことと、 ポー リン 0ス ミス とい う作家 が もともと短篇小説 の ほ うに こそ むいていたので はないか とい う強 い印象 とは、 あわせて念頭 に置 いておいて もよいだろう。 じっ さい、 そ う したずれ、 あるいは、苦闘を伴 う力業 は、 この作 品 にきわめて特徴的な歪みを もた らす ことに もな っている。本稿 においては、 ひ とつ には、 そのよ うに して物語 に現 出 した歪 み とその由来 につ いて考 えてみたい と思 っている。
もうひ とつ の議論 は、 い うまで もな く、 oral literatureの 観点 か ら行 なわれ る。前 回の『 リ トル・ カル ー』 をめ ぐる考察か らも明 らかな よ うに、 ポー リン 0ス ミス とい う作家 は、聞 き取 りを通 じて の、諸 々の声 や いわゆ る oralityと い つた ものか ら、 多 く恩恵 を被 りなが ら仕事 を した作家 だ った。創作 の起点 とな った故郷南 アフ リカを巡 る旅 は、取材 のため とい う、当初 の、
む しろあ りあゝ れ た 目的を遠 く超 えて、 自身 のアイデ ンテ ィテ ィとも深 く関わ る失 われた時の回 復 とい うラデ ィカル な試 みへ と自ず と彼女 を連 れ 出 して い った。『 リ トル 0カ ルー』 に収 め ら れた諸短篇 とは、 その末 に得 られた成果 だ ったのだが、翌年 に出版 された『 ビー ドル』 も、 当 然 の よ うに、 それ と出 自を同 じくす るはずで ある。 に もかかわ らず、取材 の多 くが短篇小説 と い う形 を取 るなか、唯一『 ビー ドル』 のみが長篇小説 と して結実 した。 ここで浮上す るのは、
よ うす るに、『 ビー ドル』 もまた、 もとは短篇小説 と して発想 されたのではなか ったか とい う 疑 いであ る。 それが長篇小説へ と発展 した。文学 的 にはめず らし くもない現象 だが、 もしもそ うだ と した ら、 この ことと上述 の歪 み とは、 あ るいは、 そ もそ もの oral literature的 な出 自と
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