中世 トビリス イ史か ら
ダ リゴ リ ・ベ ラゾ ェ' 北 川 誠一訳
八世紀三〇年代 の トビリス イ ・ア ミール領成立後、 その政治的中心地、以前 のキ リス ト教 カル トリ王国 (東 グル ジア)の首都 で、アラブに征服 された トビ リス イは、 カ リフ政権 の政治 ・宗教的、文化的生活 の中に組 み込 まれ、間 もな
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くザカフカースにおけるイスラームの重要 な要塞 になった。 そ して、八世紀 の 半 ばに して既 に、種々のイスラーム文献 の中で、出自や活動が トビリス イ (ム ス リムの記 したテキス トの中で はティフリース) に関係 のあるムス リム学者が
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散見 され、彼 らが 「テ ィフィリース イー」 とい うニスバ を持 っていることを見 るのは驚 くに当た らない. トビリス イ ・ア ミール領 の公認宗教 はスンニー派イ スラーム教であ り、 この地域住民の知識人 グループの間で も正統 のスンニー派 に忠実な人々が多数であった ことを考 える と、 この ようなニスバ を持 っている
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人々の大部分が、スンニー派である と言 うことがで きる。 これ と同時 に、最 も 初期 の 「アル ・テ ィフ リースイー」 というニスバ を持 っている人々の中には、
シーア派の人々 もいる。 これ らの人々の トビリス イにおける活動 に関す る具体 的証拠 は、全 く少ないが、 それで もその僅かな記録 は、ザカフカ‑スの この地 域 におけるシーア派反対派の早 い時期 にお ける浸透 について語 ることを可能 に
している。
′
この論文 の末尾 において、八一九世紀 トビリス イのシーア派運動 の先駆的活 動家 とシーア派の宣伝活動 について改めて論及 し、具体的に彼 らの名前 を挙 げ
よう。 しか し、 その前 に、 ここで論述 しようとす る トビリス イ市史 の一面 に直 接関係が あると思われ るが、あ まり知 られていないシーア派 の伝承 について述 べたい。 ここで述べ ようとす る伝承 はい くつかの古伝承集 に記載があるが、そ
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のなかで も最 も古 い もの はイランにおけるシーア派の中心地 クムの歴史である
『クム史』である。 この史書 は三七八 (西暦九八八一八九)年 にアラビア語 で ハサ ン ・イブン ・ムハ ンマ ド ・イブン ・ハサ ン ・アル ‑ク ミ‑ (没年四〇六‑
一〇一五/一六年)によって記 された。一〇0‑ ‑一五九二/九二年 の写本 に基 づいた刊本 はセイエ ド ・ジャマール ツデ ィー ン ・テフラ一二一によって一九≡
5
四年 にテ‑ ランで出版 されたが、 ここで はこの史書 に関す る詳細 な記録 や文献 6
批判 には立 ち入 らない。 ここで言及 しようとす るの は、同書第一章 の八節で、
ここで はクムの歴史 と住民 の美徳が賞賛 されている。 シーア派の牙城 であるこ の クムの美徳 と重要 な意義 に関す る第一章第八節 の中には、数々の伝承 とシー
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ア派 のハデ ィースや宗教上権威 ある人々の金言が述べ られている。 この資料 に 引用 されている金言の大部分 は、 シーア派 の第六代 イマーム、 アブ一 ・アブ ド ッラー ・ジャアフアル ・アル ‑サーデク (一四八/七六五年没) にかかわって いる。つ ま り、 これ ら権威 ある金言の一つに、 ことのほか興味深 い 「テ ィフ リ ース」 とい う地名 を見つけるのである。特 に 『クム史』の翻訳者 はアラビア語 原文か らの引用 を付 して、特別優 れた都市 に関す るハ ディースをベ ル シア語 に 翻訳 している。 イスナー ドで は、 このハデ ィースはハサ ン ・イブン ・ユースフ とハ‑ リド (・イブン ・) ア ビー‑ヤズ ィ‑ ドに言及 しているが、後者 の場合 で はある とき第六代 イマーム は,次 の ように述べた と記述 されてい る。「神 は、
い と高 く、讃 えられてあれか し/、 あ らゆる町々か らクー フア、 クム、 ティフ 8
リースを選 ばれた」0
情報源 (つ ま りハサ ン ・イブン ・ユースフ とハ‑ リド ・イブン ・ア ビー‑ヤ ズ ィ‑ ド) を明記 した上 で、上 に訳 出 された金言 は、 ここ以外 で は、有名 なシ ーア派ハデ ィース集で、サ フアヴイー朝時代 に著名 なシーア派学者 シェイフル
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イスラーム ・アル ‑マ ジュ リス イー (一一一〇/一六九八一九年没) によって 編纂 された 『ビハ‑ル ・アル ‑ア ンワ‑ル』 に も所収 されている。 Fビハ‑ル ・
アル‑アンワ‑ル』 よ り後 の資料で は、一九世紀末か ら二〇世紀始 めのベル シ ア語で記 されたコム史、ムハ ンマ ド・ア リー ・イブン ・ムハ ンマ ド・フセイン ・ イブン ・ア リー ・イブン ・バハ‑ ウッデ ィ‑ ンの 『タ リー フ ・イ ・クム ・ムサ
ンマ一 ・ビ ・アンワ‑ル ・ワ ・アルエム シャシャイン』 (一三二五/一九〇七年 完成)の文 中に も見 られ る。同書 の最初 の (知 られている限 りで は唯一 の)巻
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は、一三二七/一九〇九年にテヘ ランで石版 で出版 されている。我々 に興味 の ll
もたれ るハ デ ィース は、第八章第‑二節 に 「聖都」クムの多 くの美称 の一つ 「ム フタール ・アル ‑アンヴ ァ‑ル」 とい う表現 の解釈 に関連 して見 られ る。 これ に関 して、同書 の著者 は、アル‑マ ジュレスイーの 「ビハ‑ル ・アル‑アンバ ール」 に言及 して、 ター フア、 クム、テ ィフ リースを選 び挙 げることに関 して
12 のハデ ィースを最初 アラビア語、続 けてベル シア語で引用 している。
このシーア派の伝承 の真苛性 とそれが伝達 されたイスナー ドの真偽性 につい ては、 ここで は述べないが、小論発表 の機会 に、ハデ ィース学 の専門家の教 え を請いたい。 ここで は、中世 イスラーム世界で は興味 あるハデ ィースが流布 し ていた事実の確認 と評価 に限 りたい。 ここに記 された金言 は、 この伝承が真実 であるか (シーア派の第六代 イマーム自身の口か らでたか どうか)、 あるい はこ れが後世 の偽作 か にかかわ らず、 トビリスイ市の宗教 の歴史の重要 な意味 と独 自の証拠である。
上述 の ように、『クム史』やその他 の資料 による と三市が、選 び抜かれて卓越 していることについての金言 はイマーム ・ジャアフアル ・アル‑サーデクに帰 す る と言われる。 クム市 自体 において も他 の シーア派の町々 と同 じ く、彼 の名 前 は特別 の尊敬 の対象であ り、彼 の名声 はア リー ・イブン ・アビー ・タ‑ リブ を除いて は他 の どのシーア派 イマームに も勝 る ものであi30'=の金言で は、 こ の偉大 なイマームの保証 によって、 ター フアや クムの ような、誰で も承認 して
いるシーア派 とシーア派の学問の中心地 と並んで、 トビリス イ市 (テ ィフリー ス) は、彼 のおかげで事実 に しろ伝説 に しろ一種 の特別 な 「功績」が シーア派 運動の中で与 えられている。逆 の場合、筆者 にはそのように思 えるが、 このハ ディースを引用す る際 に中世 のシーア派の著述家、 また彼 らの著作 の多数 の読 者 は、か くも権威 あ り、純粋 にシーア派的なハ デ ィースの内容 に、然 るべ きシ ーア派的評判 のない都市 の名前が、彼 らに とって神聖なシーア派の二 中心地 タ ー フアとクムに続 けて指摘 された ことに驚 き、シ ョックさえ受 けたに違 いない。
シーア派 (イマーム)派の間 に出現 し広 まった、 この町の優越、特別性 の理 由になった先 に予測 した トビ リス イの 「功績」 とは、具体的に どのような こと
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であろうか、著者 には今 の ところ明かで はない。 しか し、愚考す る ところによ れば、 もし トビリス イが シーア派の栄光 に包 まれていた とすれば、すなわちそ の栄光 の起源 は、 この都市 の歴史、形成過程 (九一一〇世紀)、お よびその後の この町のムス リム住民 の一部であったシーア派 と何 らかの歴史 を持つ はずであ る。遺憾 なが らこのテーマについて は、我々のイスラーム時代 の トビ リスイ史
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の宗教思想面 の研究 の遅れのため完全 に明 らかにされた訳で はない。 それ に も かかわ らず、この論文冒頭 で述べたように、ここで は直接 に しろ間接的に しろ、
シーア派の宣伝が トビリス イ ・ア ミール領期 の最初期か ら トビリス イに浸透 し た事 を示すい くつか具体的な事実 をとりあつか う。
これ にかかわって、歴史家達 の研究で明 らかな ように、 アラブによって占領 された トビリス イにお けるシーア派の宗教政治思想 の流布 において は、 ター フ アか らの布教者が重要な役割 を果 た した。彼 らの中には、特 に興味 あることで あるが、イマーム ・ジャアフアル ・アル ‑サーデク (先 に述べたようにター フ ア、 クム、 テ ィフ リースが優れている とい う興味 ある金言 の作者)の信奉者で ある学者達がいた。
この ような活動家 の一人 とは、例 えば、アル‑ファ ドル ・存ブン ・ア ビー ・ クッラ ・アル ‑タ ミ‑ ミ一 ・アル‑サマ ンディー ・アル ‑テ ィフ リース イー (八
一九世紀始め)である。 アル‑ナジャーシー (四五〇/一〇五八年)、 アル‑チ ィフ リース イー (四六〇/一〇六七一六八年)及び他数人 のシーア派著述家 の 人名事典 的著書の簡略 な記載 によれば、アル エフアズル ・イブン ・クッラは、
ジャアプアル ・アル ・サーデク周辺の学者 の一人 で、彼 の口か ら述べ られるハ デ ィースを聞いた.後 になって ター フアのイマーム達 の この布教の活動が トビ
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リス イを始 め とす るザカフカ‑スの諸都市 に生 じた。資料 にはアル ‑ティフ リ ース イー とい うニスバ を持つ彼 の同志で後継者 の名が残 されている。 この人物 は、アブ一 ・ムハ ンマ ド ・シャ リー フ ・イブン ・サー ピタ ・アル‑テ ィフイリ スイーで、 クーフアか ら トビリス イにやって きて ここに住 み着いた と述べ られ
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ている。上記の人々以外 に、八世紀末九世紀 に トビリス イに関係 したシーア派 学者 には、 ブスル ・イブン ・バ イア‑ ン ・イブン ・フム ラー ン ・アル‑テ ィフ リース イー とアブ一 ・ムハ ンマ ド ・アル ‑ハサ ン ・アル ‑テ ィフ リース イーが いる。前者 はイムーム ・ジャアフアル ・アル‑サーデクの信奉者であ り、後者 はイマーム ・ムーサ一 ・アル‑カーゼム (一八三/七九九年没) とイマーム ・
18 ア リー ・アル‑レザー (二〇三/八一八年没)の信者であった.
残念 なが ら、 これ らの学者 の トビリス イ時代 の はっ きりとした期間 と何か他 の補足的詳細 は、残 された資料か らはうかが えない。 しか し、彼 らの生涯や活 動で はこの時期が何か特別 の意味 を有 していた ことは疑 うことがで きない。 も
しこれ らの熱心なシーア派教徒が 自分達 と トビリスイとの関係が重要でな く、
無意味 だ と考 えていた ら、 自分 のニスバ をアル ‑テ ィフ リース イー とはしなか っただ ろう。
上で、検討 した事実 は、比喰的 に言 えば、 トビリス イ史 の古 く、驚 くほ ど色 19 数の多い蹴櫨 の 「初期 シーア派装飾」 の一房 に過 ぎないO この 「装飾」の綿密 な修復及 び、 グルジア ・キ リス ト教的、及 びその他の (アルメニア的、ユダヤ
′
的、お よびその他の)模様 と並んで数世紀 にわたって、先 に述べた想像 の絞壇 に、固有 の場所 を占めて きた、一体 に複雑 な 「イスラーム模様」の修復 は、将
乗 の研 究 の課題 で あ る。将来 の研 究 にあ た って は、最 も一般 的外観 が た どられ た にす ぎないグル ジアの首都 の歴 史 を もっ と明 らか にす る、新 しい興 味 あ る資 料 が現 れ る こ とが期待 され る。
証
(ヨトビリスイがムス リム支配者か らグルジア人 によって解放 されたのは、四世紀後の 一一二二年であった。 この町の解放者で、 ここを統一グルジア王国の首都 とした王 ダヴイテ ィ四世建設王 (一〇八九一一一二五年)は、ムス リム住民の信仰、文化、
習慣 に関 しては大変な注意 と尊敬 を払 った。それについては、ムス リム自身の資料 にも記 されている。参照
、Ⅴ.Mi no r s
ky,HCauc a s
ia
int
heHis
to
ryof
Mayya
fa r
i‑ qi n. " Bul l e t i no f t heSc ho o lo f On' e nh Z landAf n' C anSt udi e s ,vol .VI I I ,pa r t1
,London,1 9 4 9, pp. 3 3 ‑ 3 4;
E.T. Sukha r ul i dz e
,H Al ‑ F豆r i kivGr uz i i
."Se mi t o l o gi un
'd z i e b ani( St ud i oSe mi t i c a) ,kn.2 ,Tbi l i s i ,1 9 5 5 ,S .8 91 9 0( magr uz .j az . );0.
B. Ts i ki t i s hvi
li," Sve de ni j aSi bti bmaトJ auz ioDavi deSt r oi t e l e
(ダヴィド建設王 に 関するスイブ ト・イブン ・ジャウズ ィ‑の証言)",Tni d yTb i l i s s k o goGo s uda7 S t u e n‑
no goUni v e r s i t e
hZ(国立 トビリス イ大学紀要),t .1 1 8 , Tbi l i s i ,1 9 6 7 , S . 2 0 4 ‑ 2 0 5 , 2 1 ト 2 1 2( nag r uz . j az . )
(卦アル‑テ ィフ リース イー とい うニスバ を持つ中世 のムス 7)ムに関す る文献 につい ては
、E.T.Si kha r ul i dz e
," Sve de ni j aas ‑ Samー 豆 nioGr uz i i(
「グルジアに関する サーマニーの証言」)" ,Vo s t o c hn y emat e n' al ypoi s t on' iGni Z i i(
グルジア関連東方史 料),kn.1 ,Tbi l i s i ,1 9 7 6 ,S .4 5 ‑ 5 3( nagr uz . j z . );G. I . J apa r i dz e
," Mus ul ' mans ki e de j at e l iVI I I ‑ XI Vv v. sni s bo j"al ‑ Ti f l i s i
(テ ィフ リス‑のニズバ を持つ八一一四 世紀のムス リム人物)",Mai s ne"( I Z V e S t j aAk a de mi iNa u kGni Z i i ) ,s e n' j aj a z y k ai l i t e r at u
ry,Tbi l i s i ,1 9 8 9 ,No.4 .S .7 7 ‑ 8 8;1 9 0 0 ,No,1 ,S .6 5 ‑ 7 8( nagr uz . j az . );G.
Ⅰ . J apar i dz e
," Tbi l i s s ki juc h j onyXl l lve kavMa r agi ns ko jo bs e r bat or i i .(
「マラガ 天文台の トビリスイ出身学者」)",Mat s ne( I z v e s t j aAk a de mi iNau kGni Z i i ) ,s e nj a j a z y k ail i t e r a t u
ry,Tbi l i s i ,1 9 8 4 ,No.2 ,9 9 ‑ 1 1 0( nagr uz .j az . );G
,I .J a pa r i dz e
,= Na j m al ‑ Di na l‑ Ti f l i s is h豆' i rmi nal ‑ qar nal ‑ s a bi al ‑ hi j r i(
「ヘジラ暦五世紀の 詩人ナジュム ッデ ィー ン ・テ ィフ リス イー」)",Ma j al l a Ma j ma al ‑l u gh a al ‑
ar ab i wab i ‑
Di mas h
q,vol .5 8,f as c .4 ,Damas c us ,1 4 0 3 /1 9 8 3 ,pp.7 9 5 ‑ 8 0 4
③ これについては、以下 を参照
。I bmHauka l ,Co n j f gur at i o ndel at e r r e( Ki h i ‑ bfu ‑ r at
al ‑ ard) .I nt r oduc t i one tt r aduc t i onave ci nde xpa rJ.H.Kr ame r se tG.Wi e t .
Be yr out h‑ Par i s ,1 9 6 7 ,t .
II,p.3 3 3;E.
T.Si khar ul i dz e," I bmHauka
loTbi l i s i . "
,Vo s t o c ht y emat e n
's
ly poi s t o n' iGnL Z i i " , kn.1 , Tbi l i s i , 1 9 7 6 , C. 3 4 ‑ 3 6( nag r uZ . j az . )
④ クム市 について は、J
・ Cal mar d
," 竿um" ,TheEnc y c l o pe di ao fI s h Z m, Ne wEdi t i on
,vol .
Ⅴ,f a s c.8 3 ‑ 8 4 ,Le i d e n,1 9 8 6 ,p.3 6 9 ‑ 3 7
2 (ここにこの都市 の歴史 に関す る基本 的な文献 目録がある)0⑤
Ki h 2 ‑ b‑iTa' n ‑ k h‑i ( みmm,e di t e dbySa yyi dJ al 云lal ‑ Di nTi hr 豆ni ,Te hr 豆n,1 3 1 3 / 1 9 3 4
(以下、T.Q.
と暗称)⑥ これ らの歴史文献 について は以下 を参照
。An nK.S.Lambt on
," AnAc c ountof t heT豆r i kh‑ iQumm" ,Bul l e t i no f t heSc ho o lo f On' e nh Z landAf n' C anSt udi e s
,vol . X
II , par t s3and4 , London,1 9 4 8 , pp. 5 8 6 ‑ 5 9 6; s e eal s o: Ch. Ri e u , Su Ml e me nt
t ot heCah 2 l o gueo ft h ePe nh l nMa nu s c n
'pt si nt heBn' t i s hMu s e um, Lo ndon, 1 8 9 5
,pp.5 9 1 6 0;C.A.St o r e y ,Pe r s i bnLi t e r at ur e .A b i o‑b i b l i o gr a phi c als une y,Tr an s l l at e di nt oRus s i anandr e vi s e d, wi t haddi t i o nandc o r r e c t i ons , byYu. E.Br e ge
l.Par t2 ,Mo s c o w,1 9
72,pp.1 0 0 8 ‑ 1 0 0 9;F.Ro s e nt hal ,A Hi s t o r y O f Mu s l i m Hi s t o n‑ o gr a ph y.Lei de n,1 9 6 8 ,pp.1 6 0 1 1 6 1;
F.Se z g in ,Ge s c hi c ht ede swab i s c he n Sc hnj i t ums ,Bd
・I ,Lei de n,1 9 6 7 , S・ 3 5 2 ‑ 3 5 3; Mudar r i s iTa bat ab豆' i , Ki t e ‑ b s hi nゐl ‑ ‑ yia ‑ t h L 2 1 r‑ imar b u ‑ ib e ‑伽 mm,1 3 5 3 / 1 9 7 4 ,pp.1 0 ‑ 4 3 .
⑦T.
Q. ,pp.9 0 ‑ 1 0 0;
cf.:Co mpe ndi um l i b n'Ki h 2 ‑ bal ‑ Bo l d a ‑ na u t or eI b mal ‑ Fa kl ‑ h al ‑ Hamadh L i ‑
m‑ ,e di di tM.J .deGo e j e .Lu gduniBat a vo r um,1 8 8 5(
"Bi bl i o t he c a Ge o gr apho r um Ar abi c o r um" ,V) ,p.3 6 4
;Aj a ‑ ' i bal ‑ Ma k hl u ‑ q
a‑i,e d.by M.
Su佃de ,Te hr 豆n,1 3 4 5 / 1 9 6 6 ,pp.2 5 9‑ 2 6 0; Ta' n ‑ k h‑i ( みmm mu s a mma ‑b i ‑ Anwa ‑ r al ‑ Mu s h
aー s
hai n, vol
.I , Te hr an,1 3 2 7 / 1 9 0 9 , pp.1 0‑ 1 4f f
.;P. Sc hwa r z , I r a ni m Mi t t e l al t e rMa c hwab i s c he nGe o gr a phe n,Bd.5,Le i pz i g,1 9 2 4 ,S.5 61 ,Ann.9 1 1 0.
⑧T.
Q. ,p. 9 7:
vaham azve yr i v豆yat a s tazHas anb.Yds ufvadaz
Kh豆l i da biYaz i dvaGazabi Abdl l a hal ai hia1 ‑ s al am kedf a r mdd
kehaqqj i l l vaal 豆azj a m i ' s ha hr h云KGf avaQummvaTi f l i s ‑ r 豆ba rguz i deas t .
⑨
" Bi 申ra1 ‑ Anw豆r "
とアル ‑マジュリス イーのベル シア語 とアラビア語 の他 の著書 について は、以下 を参照せ よoE.G.Br o wne ,A Li t e y 7 aT yHi s t o 7 yO fPe r s i a,vo
l.I V,Cambr i d ge ,1 9 5 3 " ,pp.1 2 0 ,1 9 4 ,3 5 8 1 3 5 9,3 6 6 ,3 81 ,4 0 3 ‑ 4 0 4 ,4 0 9 ‑ 4 1 0 ,41 6 ‑ 4 1 8
,4 3 2;C.A.St o r e y ,Pe 7 S i a nLi t e y 7 at ur e .A b i o‑ b i b l i o gr a phi c als ur v e y.Se c t i o n
II,f as c.
1.Lo ndon,1 9 3 5 ,pp.1 9 6 1 1 9 8 ,21 5 ‑ 21 6; C .Br o cke l mann
,Ge s c hi c ht ede r ar a b i s c he nLi t t e r ; at ur.Suppl e me nt ba nd
II,Le i de n,1 9 3 8 ,S.5 7 2 ‑ 5 7 3; TheCa m‑
b n' d geHi s t o 7 yO fI r a
n,vol .6 ,Cambr i dgeUni ve r s i t yPr e
ss,1 9 8 6 ,p.9 6 4
⑩
Ta' n l kh‑ i 砂 上 m mu S a mma ‑b i ‑ Anwa ‑ ral ‑ Mu s h
a、 s h
a1‑ n,V
Ol .I ,Te hr 云n,1 3 2 7 / 1 9 0 9
(書名 は最初 のページによるが、著者 自身 は本文中で、" Anu ) a ‑ ral ‑ Mu s
has h a
、 l ‑ nj tz i krs h a
yGf atal ‑ ¢ J mm u ) a‑i ‑ q ummi l ‑ n"
と呼んでい与.同上書4
貢 を参 照). この著作 と著者 について は以下 を参照、C.A.St o r e y ,Pe ni a nLi t e y i at uy l e .A
b i o‑b i b l i o gr a phi c als unJ e y,Tr ans l at e di nt oRus s i anandr i vi s e d,wi t haddi t i o n
andc or r e c t i ons , byYu.
E. Br e ge l . vol . 2 , Mos c ow, 1 9 7 2 , pp. 1 0 0 9 ‑ 1 01 0; Mu J ' a
lhj i n
‑ikut u ‑ b‑ic h d ‑ Pi ‑i
fa11S2‑ua、 ar ab 2 ‑ . ‥. h z ' h f‑iKh d ‑ nb a l b a ‑Mu s h L 2 l r, vol . I V, Te hr 豆n
,1 3 42 / 1 9 6 3 ‑ 6 4 ,pp,3 4 8 ‑ 3 5 0
⑪著者 は
3 0
に及ぶ この ような美称 を挙 げ、解説 を加 えている。Ta' n l k h‑ i ( みm m弧α m・
m‑b i ‑ Anwa ‑ ral ‑ Mu s h
a、 s h、 a2 ‑ n,V
Ol .I ,p.9 6
を参照せ よ。⑫
Ta' n ‑ kh‑i ¢ f m mwamm‑b i ‑ Anwa ‑ ral ‑ Mwh a 、 s h a 、 ダ n,vol .Ⅰ ,b豆 bVI I I ,ndr ‑ i Mus ha、 s ha、ⅩⅠ Ⅰ Ⅰ ,p.1 2 1
ndr ‑ imu s h' as ha' s i z daho m dard hi krhadl ‑ t hikede l 豆l atd豆r a dbarbddan‑ eQo m mukht 豆ra1 ‑ bal 豆dham c hon豆ni ke、 al a me ‑ yema j l e s idarbah豆rmi f ar m豆yadva
anal ‑ Has anbi nYds uf、 anKh豆l i dbi nAbiYaz i d、 anA
bi、 AbdAl l 豆 h、 al ai hi as I S al 豆m q豆1 aanAl l 豆 hi kht 豆rmi nj am i 、 al ‑ bal a dKdf ewaQum waTi f li s ya、 nii m豆m J a、 f arS豆deq、 al ai hias ‑ s al 豆m f ar mddandKhud豆i kht i y豆rnamdd azj ami、 a1 ‑ bal 豆dKu f evaQom vaTi f l i s .
⑩M・ G・S・Hodgs on," J a、 f ara1 ‑ 9豆d咋" ,TheEnc yc l o pe dh ‑iI s h
‑,Ne wEdi t i on
,vol .
II ,f as c.2 8 ,Le i de n,1 9 6 2 ,pp.3 4 7 1 3 7 5;S.H.M.J af ar i ,Or i g i nand血 r l y De u e l pme nto f
Shi、 aI s h z m.London‑ Ne w Yor k,1 9 7 9,pp.2 5 9 ‑ 2 6 0
⑭興味深 い伝承 の分析 に際 して、後世 の書 き加 えや書写 の過 ち を見逃 して はな らな い。「テ ィフ リース イー」とい う名前が このハ デ ィースの筆者上 の異形 の一 つで、偶 然何か別 の以前 に述 べ られていた (点 を打 つのが難 しい)地名 に置 き変 わ って、 さ らに このハ デ ィースのテキス トの中 に固定 して しまった ことを原則 として除外 し ない。 しか し、その ような場合 で も 第六代 のイマームの金言 に、 トビ リス イの名 前 が混入 した り、固定化 した ことは、 シーア派 における この場所 の知名度 と、シー ア派 (アル ‑マ ジ リス イーの ような権威 あるシー ア派 の学者 を含 め)が、何 の解説 もな しに神が クー フア、クム同様 に トビ リス イに好意 を もった とい う伝承 を受 け入 れ る下地が あった とい う証拠 になる。
⑮ その実 それ らの側面 の研究 は、故 ガバ シュヴィ リ
( V.H.Ga bas hvi
li
)教授 が正 し く述べ られ た ように、 トビ リシの歴史 だけでな く中世 キ リス ト教 グル ジア とイスラ ーム との宗教的思想的接触史 の問題解明 に とって も興味が もたれ る0⑯AbuJ a、 f arMu ha mmadb・al 一 甲a s anal ‑ Td s i ,Ri j a ‑ lal ‑Ti i s l ‑ ,e di t e dbySayyi d Mu hammadS豆di qA1Ba hral ‑、 U
ld m, al ‑ Na j af ,1 3 8 1 / 1 9 61 , pp. 2
71 , 4 8 9; Abda l ‑
、 Abb豆sA hmadb.、 Al ib.Ahmadb.al
:Abb豆sal ‑ Na j as hi ,Ki h i bal ‑n' ) ' a ‑ l
,pu bl i c at i onoft heMar kaz‑ iNa s hr ‑ iKi t 豆b,Ch豆pkh豆na‑ yiMu s t af avi ,n.d.p.
2 3 7 .Evi de n c eont hi spe r s oni sal s of oundi nt hebi o gr af i c aldi c t i onar i e sofaト Bar ql ‑( d.2 7 4 / 8 8 7 ‑ 8 8o r2 8 0 / 8 9 3 ‑ 9 4 )andl bnD 豆 、 ddal ‑ Hi l l i( d,7 4 0 /1 3 3 9 ‑ 4 0 ) . Bot ht he s ewor ksar epu bl i s he dunde ras i ngl ec o ve ri n1 9 6 3by・ Sayyi dJ al 51 ‑ Di n a1 ‑ Hus ai nial ‑ Ur mavial ‑ Mu haddi t hi nTe hr an:AbdJ a、 f a rAhmadb.Ab1 ‑
t AbdAl l 豆hal ‑ Bar qi , Ki t a ‑ bal ‑n' ) ' a ‑ l; Taqia1 ‑ Di nal ‑ Ha s anb.、 Al ib. D豆' ddal ‑
Hi l l i ,Ki h 2 ‑ ba l ‑ n' ) ' a ‑ l ,Te hr 豆 nUni ve r s i t yPr e
ss,1 3 4 2 /1 9 6 3( I nt i s h豆 r at ‑ iD豆 ni s h‑
g豆 h‑ iTe hr 豆 n" ,No. 8 5 7 ); ont hepe r s o nwear ede al i ngwi t h
(i
.e . al ‑ Fadlb. Abi Qu r r aa1 ‑ Ti f l
is
i),a1 ‑ Bar qi ,p.3 4;I bmD豆' dd,pp.2 7 1 ,4 9 2
を見 よ。⑰al ‑ Na j as hi ,p・1 4 8;a1 ‑ Tds i ,p・4 7 6;I bmD豆' dd,p・4 61;Ab
c、 AmrMu Damma d b.、 Umarb.' Abda1 ‑、 Az i za1 ‑ Ka s hs hi ,Ri j a l lal ‑ Ka s h s hi ,e di t e dbySayyi d
Ahma daトHus ayni ,1 3 8 8 /1 9 6 3 ‑ 6 4 ,pp.2 9 2
⑱a1 ‑ Bar qi ,p・51;al ‑ Tus i ,pp・1 6 0 ,3
71,3 9 7;I bnDa' dd,p・5 6 9;G
・I IJ apa r i dz e
,Mus ul ' mans ki ede j a t e l iVI I I ‑ XI Vv v.sni s bo j" a1 ‑ Ti f l i s i " ,S .7 8 ‑ 7 9 ,8 1
⑩ この飾 りの復元 に際 しては、 もう一度 トビリス イの世襲的なア ミールで、九世紀八
〇年代 か ら二世紀 ここを統治 したジャフアル朝
( Bant i J a、 af ar )
に注意 を払 う必要 がある。 この王朝 の名称 自体、 また この家で は比較的ア リー とジャアフアル とい う 名前が多い事が、この トビリス イ支配者 は親 ア リー家である可能性が指摘 される。これに関 して、九世紀の有名 な詩人 カ トラ‑ ン
( 4 6 5 /1 0 7
2年以降の没年)の トビリ ス イ ・ア ミールの、アプール ファ ドウル ・ジャアフアル ・イブン ・ア リー を讃 えた ベル シア語 のカシイーダに興味 を引かれるo ここで はア ミールが 「セイエ ド」 と呼 ばれてい る。彼 はこの同 じ詩人 の別 の詩で もセイエ ドと呼 ばれ てい る。 (Dt v a J n‑i ha k l ‑ m‑ iQat r a ‑ n‑ iTa b n ‑ z
l‑ ,e di t e dbyMuhammadNakh j av豆ni ,Ta br i z ,1 3 3 3 / 1 9 5 4 ,pp.4 5 1 4 6 ,2 8 6
を見 よ。A.Ke s r a v
)‑ ,Sh ah均, a ‑ r a ‑ n‑ igumn a ‑ m,Te hr 豆n,2 5 3 5 / 1 9 7 6( 4 t he di t i on) , pp. 2 7 ト2 7 2 ,2 7 7 ‑ 2 8 0
を参照せ よ)。 この記述 はイランの学者 アフマ ド・キャスラヴィ‑の注意 を引 き、 トビリスイのア ミール、 ジャアファル朝 は ア リー家 の子孫 で、 そのためカ トラ‑ ンは彼 を 「セイエ ド」 と呼んだのであると予 想 した
( A.Kas r avi ,Sh a yn' y a ‑ r a ‑ n‑igumna ‑ m, p.1 7 7 )
。 この想定 を念頭 に置 いて、残 っている トビ リス イ ・ア ミール ・ジャアファル朝 の貨幣 には何 らシーア派 に同情 的な要素 は見 られない とい う事実 を認識 しなければな らない。 トビリスイのジャア フアル朝 と彼 らの貨幣 について は、
M.L Lo r di ki pani dz e
," I zi s t or i iTbi l i s s kogo Em i r at a
(トビリス イ ・ア ミール領史か ら)〟,Mi mo mk hi l v e l i , kn. 2 , Tbi l i s i , 1 9 51 , S . 1 8 5‑ 2 01( nagr uz .j az . );M.D.Lo r di ki pani dz e
," Voz ni kove ni enovykhf e oda
l'nykh kn j az he s t v (
「新封建領 の発生」)",Oc he y kii s t o n' i GnL Z i i (
Fグル ジア史概 説』)",t .2 ,Tbi l i s i ,1 9 7 3 ,S .5 0 2 ‑ 5 0 6( nagr uz .j az . );
E.A.Pakhomov ,Mo ne b, GnL Z i i ( F
グルジアの貨幣』),Tbi l i s i ,1 9 7 0 .S .4 6 ‑ 4 9 ,2 8 9 1 2 9 1 ,t a bl i t s yI I ‑ I I I;D.G.
Kapanadz e ,Gr uz i n s ka j anumi z ma t i ka ( F
グル ジア古泉苧』),Tbi l i s i ,1 9 6 9 ,
S,5 5 ‑ 5 7 , t a bl i t s yI I I ‑ I V; D. M. Lan g ,St udi e si nt heNumi s mat i cHi s t o r yO fGe o
y: gh Zi n Tr a ns c a uc a s
hZ,Ne w Yor k,1 9 5 5
(" Numi s mat i cNot eandMono g r aphs " ,No.
1 3 0 ) ,pp.1 3 ‑ 1 6 ,pl .I ,No.1 0 );I .J al a gani a ,I no z e m
naJ'
amoneh
zvd
enezhno m
o b
rL L
Sh s
he ni iGnL Z i iV‑ XI I Iv v・( 「5
世紀か ら1 3
世紀 グル ジア9通貨流通 における 外国貨幣」),Tbi l i s i ,1 9 7 9 ,C.6 2 ‑ 6 8
,表2 7 ‑ 2 8;G.Ⅰ .J apa r i dz e
," Mone t yTbi l i s s ‑
ko goEmi r a、 Al ii bnJ a、 f a r a
「トビリス イ ・ア ミール、ア リー ・イブン ・ジャアフア)I,の貨 幣
」) " ,Pl 1 0 b l e my i s t o n' i
2bk a v k a
z' j a (
「ザ カ フカ‑ス史 の諸 問題」)
,Tbi l i s i ,1 9 1
1,C .1 3 2 ‑ 1 5 0
●グル ジア共和国科学アカデ ミー 東洋学研究所副所長