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西独都市の多極的分権構成の諸問題(?) : 分都論 への一素材的考察

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(1)

西独都市の多極的分権構成の諸問題(?) : 分都論 への一素材的考察

その他のタイトル Untersuchungen uber die Streuung

hauptstadtischer Zentren in der Bundesrepublik Deutschland (IV)

著者 神谷 国弘

雑誌名 関西大学社会学部紀要

15

2

ページ 195‑213

発行年 1984‑03‑28

URL http://hdl.handle.net/10112/00022761

(2)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (IV)

—一分都論への一素材的考察—-

(4) 

西独主要都市の求心性と誘引性

これまで西独主要都市群について,

3

つの機能局面

C G , A,  L

次元)の配分状況を主として 機関的方法によって分析した。その結果は一応,第

1

に,各種機能とくに最高格位の機能は,い くつかの西独主要都市群によって分担的に配置されていること,第

2

に,その間に相互補完的な 関係がみられることの

2

点に要約できる。ここでは,これら諸機関の配列状況の結果として,そ れぞれの都市が人的視点からみて,どのような求心性ないし誘引性をもっているかを分析する。

別言すればこれらの諸都市がもつ吸引力ないし誘引力の解明といえる。

(a)  求心性の指標としての交流

都市が社会的文化的交流の地点であるとすれば,交流それ自体を銀察することによって当該都 市のもつ結節性の一面を捉えることができる。ここでは都市への外部からの往来と空港利用状況 に関するデータから,西独主要都市の求心性を測ることとする。

周知のごとく, ドイツにおけるアウト・バーンの四通発達は世界にその名を知られている。鉄 道網の発達もいちじるしい。ドイツにおける道路網・鉄道網の特徴は

2

点に整理できる。

1

に,それはまさしく網という文字にふさわしく,文字どおり網目状をなしていることであ る。その点,フランスの道路,鉄道の配置状況といちじるしい対照をなす。フランスでは道路も 鉄道も,ほぽパリに向って一点集中し,パリから全方位的に散っている。それは網状ではなく,

放射状と形容した方が適切である。それに対し, ドイツのほか,オーストリア,スイスを含む広 義ドイツ圏における道路,鉄道はそれぞれの地域の中心的都市に向って,多極的に集中している。

神聖ローマ帝国以来の分権的伝統の事物的な反映といえよう。

2

道路網, 鉄道網の網の目の細かさである。 この点でも, 隣国フランスと対照的であ る。フランスのそれはパリヘの一点集中とともに,その目がきわめて粗い。それに対し,分権的 伝統の強い国民社会では交通手段も,多極化するとともに,網の目も積密となる。

ヨーロッパ,とりわけアルプス以北ヨーロッパはその平原型地形のゆえに,河水路型国土のゆ えに,古来, 人間の空間的移動を容易ならしめ,移動型, 開放型の社会を現出してきた。各地 をわたって優れた親方の下で腕を磨く職人,学期ごとに大学を転々として学問修業を重ねる学生

(3)

関西大学「社会学部紀要」第

1 5

巻第

2

達,夏のヴァカンスともなれば,人影もまばらなパリの風景など,いずれも移動社会ヨーロッパ を象徴するものである。渡り鳥

(Wandervogel)運動がドイツを発祥地とするのも,首肯でき

よう24)0 

ここでは本研究でとりあげた西独主要都市がもつ交通拠点としての意義を,データ的に確認で きる外来者の宿泊統計と空港統計を手掛りとして明らかにしてみたい。

(a)

外来者の往来

西ドイツの統計に外来者の往来

(Fremdenverkehr)

という項目がある。これは当該都市の宿 泊施設を利用した人数を総計したものである。ホテル,ペンションなどの施設は宿泊客について 詳細に当局に報告する義務があり,その集計が統計書の中に記載される。もちろん,宿泊客の往 来動機は休暇利用,保養,修習,さらには長距離旅行の短期間の中継的利用まで,さまざまであ る。ただ,この数字は当該都市に来訪したものの総数を表わすものではない。たとえば,知人や 親戚を尋ねて泊った来訪者あるいは日中に来て,そのまま帰ったり移動したものの数字は含まれ ない。バスや自動車による往来がいちじるしく普及したこんにち,宿泊施設に対する利用動機は 以前に比べて格段に後退している。その意味で宿泊施設の利用者数を集計した官庁統計は当該都 市への来訪者数の最少限を表わしたものにすぎない。そのような限界を認めた上で,都市の中心

2 9

表対象都市別宿泊施設利用状況

届 出 宿 泊 者 数 宿 泊 延 日 数

都 市 I 1人口比(千人当り)I 対前年比(%)I外国人比率(%)

M  2 , 5 3 8 , 9 3 0   1 , 9 5 6   5 , 2 9 0 , 0 2 7   7 . 6   3 8 . 4   W B   1 , 3 4 4 , 8 4 6   7 0 8   3 , 4 5 4 , 8 7 2   3 . 7   2 1 .  2 

F  1 , 5 9 4 , 2 9 8   2 , 5 3 4   2 , 9 5 3 , 6 3 4   5 . 7   5 5 . 4   HH  1 , 6 1 4 , 7 7 2   9 7 9   2 , 9 0 1 , 2 6 9   4 . 8   3 2 . 5   K  7 8 9 , 3 8 4   8 0 8   1 , 6 2 0 , 5 5 2   2 . 1   3 6 . 6   D  7 4 2 , 3 8 6   1 , 2 5 4   1 , 4 6 5 , 5 7 6   4 . 4   3 5 . 9  

s  4 6 7 , 9 7 8   8 0 8   1 , 1 7 7 , 3 0 6   5 . 3   2 6 . 1   N  5 1 0 , 2 0 9   1 , 0 5 4   9 6 5 , 0 1 3   1 .  9  2 2 . 3   WI  2 9 4 , 9 7 6   1 , 0 7 8   9 0 9 , 6 4 6   9 . 8   2 3 . 0   H  4 6 6 , 1 1 4   8 7 1   7 6 0 , 6 2 8   2 . 0   2 2 . 6   BN  3 3 5 , 9 4 0   1 , 1 7 0   6 6 0 , 3 5 5   ‑6.2  2 7 . 7   HB  2 9 4 , 7 2 7   5 3 0   5 9 4 , 8 0 8   2 . 2   2 s ‑ : 2   M Z   2 3 1 , 8 4 2   1 , 2 4 2   5 0 4 , 6 2 7   ‑6.0  2 0 . 6   E  1 8 2 , 8 6 3   2 8 1   4 0 1 , 8 9 5   ‑0.4  1 4 . 3   KI  1 7 5 , 5 8 6   7 0 1   3 7 9 , 8 9 0   2 . 3   2 1 .  9  DO  1 6 0 , 5 8 4   2 6 4   3 3 7 , 5 1 8   5 . 3   1 6 . 8   SB  1 7 0 , 4 0 5   8 8 0   2 8 4 , 1 0 1   4 . 4   2 2 . 5   DU  6 5 , 1 2 8   1 1 7   1 5 7 , 7 1 4   3 . 4   1 9 . 7   S t a t i s t i s c h e s  J a h r b u c h  D e u t s c h e r  Gemeinden  1 9 8 1

より作成。

2 4 )

ヨーロッパ社会の移動的開放的構造とその背最については拙著,『都市比較の社会学』(世界思想社,

1 9 8 3 )  5 8 ‑ 1 4 7

頁参照。

(4)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (IV) (神谷)

性を解明する

1

つの手掛りをこの宿泊統計に求めてみたい。

29

表は対象

18

都市について,

1979

1 0

1

日から翌年

9

30

日までの

1

年間にわたる各都市 の宿泊状況を表わしたものである。ミュンヘン,西ベルリン,フランクフルト,ハンプルクの

4

大都市が他を圧して卓越する,とりわけミュンヘンの突出が目立つ。宿泊者が泊った延日数をみ

ると,

2

位の西ベルリンに対して

1,835,155

3

位のフランクフルトには

2,336,393

泊,凌駕し ている。このことはミュンヘンのいちじるしい求心性を示すものであり,とりわけ同市が近辺に 衛星都市や関連都市をもたず,相対的に孤立性の強い都市であることを勘案すれば,来訪者はミ

ュンヘン自体を目指したものと推定され, そこからミュンヘンの結節性の高さが導き出されよ

宿泊者の絶対数とならんで,当該都市の人口の大きさとの相対比をみる必要がある。それは来 訪者が主として当該都市の施設と人を訪ねて来市していることに関係する。この計算によると宿 泊者の絶対数の場合とは異なった様相を呈する。フランクフルトは人口

1,000

人当り,

2,500

人強 の宿泊者数を数え,次位のミュンヘンの

2,000

人弱をはるかに凌駕する。都市規模との相対的関 係からみれば,求心性はフランクフルトの方が若干大きいと推定できる。

宿泊者の泊った延日数の対前年比で各都市の求心性の動向をみる。ミュンヘンが若干上廻るも のの,フランクフルトはそれに次ぐ伸び率を示す。デュッセルドルフ,シュツッツガルトらの地

第3

0

対象都市別宿泊延日数対前年比推移

ら遵竺

I 1 0 1 1 1   7 1 / 7 2   7 2 / 7 3   7 3 / 7 4   7 4 / 7 5   7 5 / 7 6   7 6 / 7 7   7 7 / 7 8   7 8 / 7 9   7 9 / 8 0  

1平均

M  6 . 3   6 . 7   2 . 3   ‑ 5 . 2   0 . 5   7 . 5   4 . 6   4 . 3   3 . 2   7 . 6   3 . 8   W B   1 . 3   ‑ 1 . 4   ‑2.9  ‑ 6 . 4   2 . 9   2 . 5   6 . 9   5 . 7   6 . 8   3 . 7   1 .  9 

F  ‑ 3 . 0   ‑ 1 . 8   0 .  4 ‑ 4 .  4 ‑ 4 .  7  2 . 7   1 2 . 4   4 . 1   7 . 6   5 . 7   1 .  9  H H   ‑ 4 . 1   ‑ 5 .  7  1 .  3 ‑ 5 .  2  3 . 5   5 . 3   ‑0.3  1 .  7  4 . 0   4 . 8   0 . 5  

K  1 . 7   ‑ 1 . 6   ‑7.7  ‑ 9 . 3   8 . 1   3 . 5   5 . 9   ‑0.1  4 . 8   2 . 1   0 .  7  D  0 . 9  

‑6.6  ‑ 2 .  7  3 . 5   ‑1.9  8 . 8   ‑1.2  4 . 9   4 . 4   1 . 0  

s  ‑ 2 . 3   ‑ 5 . 9   ‑4.2  ‑ 9 . 5   ‑11.5  1 .  3  1 4 . 1   ‑2.0  5 . 9   5 . 3   ‑0.9  N  7 . 4   ‑ 7 . 7   2 .  9 ‑ 2 .  5 ‑ 1 .  9  ‑2.2  4 . 0   5 . 2   6 . 5   1 .  9  1 . 4   W I   3 . 5   ‑ 3 . 8   ‑4.6  ‑ 2 . 5   5 . 2   ‑2.0  9 . 0   3 . 8   4 . 1   9 . 8   2 . 3   H  ‑17.9  ‑ 3 . 9   ‑1.9  ‑ 7 . 2   ‑22.7  ‑0.9  8 . 4   ‑1.3  6 . 0   2 . 0   ‑3.9  B N   7 . 5   1 .  2  ‑2.2  ‑ 3 . 9   0 . 8   5 . 3   ‑4.1  8 . 9   1 2 . 0   ‑6.2  1 .  9  H B   6 . 6   2 . 2   ‑2.9  ‑ 4 . 2   ‑ 4 . 9   ‑1.8  7 . 7   ‑0.3  ‑3.2  2 . 2   0 . 1   M Z   4 . 2   2 1 .  2  3 . 1   1 . 6   ‑ 1 . 6   6 . 2   8 . 1   ‑1.4  ‑2.8  ‑6.0  3 . 3   E  0 . 7   ‑11.8  ‑6.4  ‑11. 7  1 7 . 6   6 . 7   1 1 . 5   ‑1.0  0 . 3   ‑0.4  0 . 6   KI  3 . 0   0 . 8   3 . 1   0 . 8   ‑21.3  ‑1.0  1 .  3  ‑0.4  ‑7.5  2 . 3   ‑1.9  D O   1 .  7 ‑ 8 .  9  ‑5.5  ‑ 4 . 6   ‑ 1 . 4   ‑5.5  1 1 .  6  0 . 2   4 . 9   5 . 3   ‑0.2  SB  0 . 7   4 . 0   ‑4.6  7 . 0   6 . 3   1 0 . 2   1 . 0   1 .  4  2 . 9   4 . 4   3 . 3   D U   ‑ 2 .  7 ‑12.5  ‑8.7  1 .  3  1 1 .  9  ‑8.4  ‑1.6  ‑6.8  6 .  7  3 . 4   ‑1.7 

0 . 8  

S t a t i s t i s c h e s  Jahrbuch Deutscher Gemeinden 19721981

より作成。

(5)

関西大学『社会学部紀要』第

1 5

巻第

2

方中核都市は安定した伸び率を示している。それに対し,工ッセン・マインツなどの工業都市,

行政首都ボンの後退が対照的である。ただし,この対前年比は単年度の状況を示すもので,これ によって求心性の動向を直ちに速断することはできない。より長期的な数字で表わせば第30表の ごとくなる。 これは各都市における宿泊延日数の対前年比を過去

1 0

年にわたってみたものであ る。平均して

0 . 8

形の増加が年々みられるが,都市によってバラつきがみられる。ミュンヘンは 一貫して増加率が高く,都市平均の

5

倍弱の水準をもつ。求心性の高さを示す数字である,西ベ ルリン,フランクフルトも平均の

2

倍強の増加率を保ち,高い水準の誘引力をもっている。エッ セン, ドルトムント,デュイスバークに代表されるルール工業都市群は平均以下,もしくはマイ ナス成長を示し, 吸引性の乏しい都市たることを物語っている。ハノーファ, シュツッツガル

ト,キールなどの州都市ながら,業務や管理に特化したり,周辺に際立った誘引的な環境や場に 乏しい所では,いずれもマイナス成長が高く,とりわけハノーファの落ち込みが注目される。

国内来訪者と外国人来訪者を分けて観察すると,フランクフルトのいちじるしい突出がみられ る。次位のミュンヘンを

2 0

形弱上廻る高い比率は,いうまでもなく,同市が西独最大の国際空港 をもつことに由来する。ここにはフランクフルト自体への来訪というより,通過者が一時的に逗 留し,四散していく交差地点としての意義を同市はもっていると考えられる。それに対して,

ュンヘンヘの来訪は都市とその諸施設自体(後背地をも含めて)の求心力に魅かれた来訪の意味 あいが,地理的交通的位置からみて,はるかに高いことが推定できる。ケルン,デュッセルドル フ,ハンブルクなどの諸都市がミュンヘンに続いて外国人来訪者を吸収している。ボン,ケルン 地域という国心的位置,国際的商業都市,貿易都市などの都市的性格を反映したものであろう。

(a)‑2 

空港利用状況

宿泊状況のデータに比較して,空港利用状況のデータは都市間の相互作用,したがって,各都 市の求心性の程度を測る指標としては劣る。それはいうまでもなく対象都市が,それぞれすべて が空港をもっていないからである。西ドイツにおいては民間空港は 11あるのみであり,ここでと りあげている対象都市の中で,エッセン, ドルトムント,デュイスバーク,キール,ヴィスバー デン,マインツの諸都市は独自の空港をもたない。さらに空港と都市との関係も一義的ではない。

空港は空港のある当該都市以上に,はるかに広範囲なヒンターランドをもつものであり,したが って都市自体の求心性の反映とみなすことは困難であるからである。たとえば,デュッセルドル フ空港はデュッセルドルフのみならず,周辺のルール工業都市群をも包含した利用圏をもってい るし,ヴィスバーデン,マインツは近くのフランクフルト空港によってカバーされる。その意味 で,たとえ,それぞれの空港に都市名が冠せられようとも,それがそのまま当該都市の結節性な り,求心性なりを意味するものでないことは過言を要しない。ただ,そうした問題点を意識しつ つも,空港に冠せられた都市名は,単に名のみではなく,実態的にも,その都市が国民社会の中 で果している比重を代弁しているものとして,都市考察の重要な指標とみなしたい。

3 1

表は西ドイツの全航空交通の中で,個々の空港が果している比重関係を表わしたものであ

(6)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (IV) (神谷)

3 1

表西独主要空港利用状況

( 1 9 8 1

()内%

利 用 客 数 ( 単 位

1 , 0 0 0

貨 物 取 扱 量 ( 単 位

t )

I

I

1

I

F  8 , 4 3 1 ( 3 6 . 1 )   8 , 4 8 4 ( 3 6 . 1 )   7 3 6 ( 4 2 . 6 )   3 2 3 , 2 5 9 ( 7 8 . 5 )   2 6 6 , 7 2 6 ( 7 3 . 1 )   3 2 , 9 1 3 ( 5 4 . 1 )   D  3 , 6 2 0 ( 1 5 . 5 )   3 , 6 1 5 ( 1 5 . 4 )   1 8 2 ( 1 0 . 5 )   14,218(3.5)  17,021(4.7)  4,834(8.0)  M  2 , 7 9 6 ( 1 2 . 0 )   2 , 8 3 4 ( 1 2 . 0 )   2 7 2 ( 1 5 . 7 )   13,902(3.4)  1 5 , 3 8 1 ( 4 . 2 )   7 ,  2 2 5 ( 1 1 .  9 )   W B   2,213(9.5)  2,201(9.4)  0(0.0)  3,259(0.8)  7,223(2.0)  1(‑)  H H   2,151(9.2)  2,159(9.2)  2 1 5 ( 1 2 . 4 )   11,310(2.7)  16,788(4.6)  1 2 , 1 0 9 ( 2 0 . 0 )  

s  1,242(5.3)  1,274(5.4)  126(7.3)  8,204(2.0)  8,563(2.3)  877(1. 4 )   H  952(4.1)  969(4.1)  84(4.9)  5 ,  561(1. 4 )   4 ,  263(1. 2 )   841(1. 4 )   K/BN  876(3.7)  895(3.8)  73(4.2)  29,151(7.1)  23,907(6.5)  1,760(2.9)  N  384(1. 6 )   387(1. 6 )   36(2.1)  1,066(0.3)  2,649(0.7)  192(0.3)  HB  331(1. 4 )   332(1. 4 )   3(0.2)  1 .  327(0. 3 )   2,610(0.7)  10(‑)  SB  81(0.3)  81(0.3)  3(0.2)  9(‑)  31(‑) 

その他

308(1. 3 )   307(1. 3 )   75(‑)  57(‑) 

2 3 ,  385(100) /  2 3 .  538(100) 

1 .   n o <   1 0 0 )   / 4 1 1 .  341(100) / 3 6 5 ,  219(100) /  6 0 ,  762(100)  S t a t i s t i s c h e s  J a h r b u c h  f u r  d i e  B u n d e s r e p u b l i k  D e u t s c h l a n d   1 9 8 2

年版より作成。

る。まず第

1

に目につくのはフランクフルトの圧倒的比重である。利用客数において

4

割,貨物 取扱量において

7

割を占める。実際,利用客数においては,次位以下,デュッセルドルフ,ミュ ンヘン,西ベルリン,ハングルクの4空港の利用数量の合計に迫り,貨物取扱量においては全体

7

割という。いうなれば西ドイツ空港とでも称せらるべき比重の高さである。これはいうまで もなく,フランクフルト空港の国際空港としての性格の反映である。周知のごとく,同空港は西 ドイツのみならず, ヨーロッパと世界各地を結ぶ航空網の結節点をなしており, とくにアメリ ヵ,アフリカ,アジアとの往来においてデュッセルドルフ,ミュンヘンをはるかに凌駕し,オー ルラウンドの国際性をもつのに対し,他の諸空港は,はるかに特化している。デュッセルドルフ 空港はハンプルク,ミュンヘンに比ぺ,ヨーロッパ域内交通ならびにアフリカ航路により強く傾 斜し,ミュンヘンはアメリカならびにアジア航路に特化している。

将来展望としては,フランクフルトの卓越はいっそう進むことが予測されるとともに,その他 の空港の中で,大空港の占める比重がさらに高まることが予想される。ライン・マイン地域の中 心フランクフルト空港と並んで,建設中もしくは計画中のハンプルクならびにミュンヘン空港が

3大空港として,西独航空網の拠点的役割を分担していくことが期待されている。

ともあれ,空路の西独最大拠点はフランクフルトにあり,これは同市がほぽ西ドイツの中では 中央に近い位置を占めること,帝国都市としての伝統的地位,金融中心地としての蓄積などが重 なり,さらには戦後,連合国の管轄下に置かれ,とりわけ,在独米軍司令部との近接関係から,

大空港都市として成長した背景がある。同市には,また連邦国鉄

(Bundesbahn)の本社が立地

し,鉄道交通の拠点たることも周知のとおりである。ここにも,いくつかの部分首都による機能

(7)

関西大学「社会学部紀要」第

1 5

巻第

2

分担という西独地域システムの特質が如実に反映されているといえよう。

往来や交流を通して,都市の求心性なり,結節性なりを測定する作業は,以上のデータのほか にも,たとえば,電話,電信,テレックス,郵便物などについてのネット・ワークやその利用状 況についてのデータなどによって補完されていくにちがいない。だが,それらのデータの入手は 本稿作成の段階では実現できなかった。ここでは上記

2

種類の情報一宿泊統計ならびに空港利用 統計ーを通して,各都市の西独国民社会における交流上の位置づけを簡単にまとめておく。

上記のデータを総合するとき,フランクフルトの交流機能の卓越が結論される。もっとも,宿 泊者数,宿泊延日数の絶対数はミュンヘン,西ベルリンに次ぐが,対人口比,外国人比率におい ては第

1

位を占め,空路網の拠点としての機能とも,あいまって西独最大の交流結節都市として 位置づけることができる。空港都市としてのフランクフルトはヨーロッパ全体の中でも,ロンド ン,パリに次ぐ位置をしめ,西独内外のあらゆる路線にわたって, 利用客,貨物取扱高におい て,他都市空港に対して圧倒的に卓越する。ここでは統計上の資料を開示できなかったが,フラ ンクフルト中央駅は西ドイツで最大の乗降客数を数える。乗車券の発売枚数はほぽ年間 1,000 枚を数え,他のどの都市のそれよりも多い25)。まさに,フランクフルトは国内的,国際的な交流 の始発点であるとともに,仲介点でもあるという意味で,西独における交通首都として位置づけ できよう。

(b)  誘引性の指標としてのデモグラフィック要因

西独都市の多極的分権構成に関する総括的な分析を各都市の誘引性の検証によってしめくくろ うと思う。かつて,

O.D.

ダンカンと

A . J .  

レイスはその著「都市・農村コミュニティの社会的 性格26)」の中で,アメリカにおける巨大かつ成長率の高い都市をその他の都市と比較して,そこ にどのような特徴が示されているかを考察した。そこで彼らは一般に成長都市では,他都市に比 べて独身者の比率が高いこと,その住民の社会経済的地位が高く,かっ,第3次産業の領域の従 事率が大きいことなどを発見した。他方,第

2

次部門の従事比率が他都市より低いことが一般的 であると報告している。西ドイツの統計資料には,これをそのまま検証する数字がない。ここで は資料として入手可能な人口動態,独身者比率,外国人比率,広義サービス部門従事人口比率の

4

つの資料によって,西独各都市の誘引力ないし吸引力を明らかにしたいと思う。(ただし,す でにのべたように,西ドイツにおける国勢調査は1

9 7 1

年以来,実施されておらず,独身者比率,

産業従事人口統計はいずれも,その時点でのデータがあるのみである。したがって,人口動態な り,外国人比率については最新の資料を使用することは,前

2

者のデータとの適合性を欠く。そ こで,現時点からみれば,資料の古さを指摘されかねないことを予想しつつも,資料入手の制約

2 5 )  P .   I b l h e r ,  Haupt o d e r  H a u p t s t a d t e  Leske Verlag Opladen 1 9 7 0 .   S .   1 2 2 .  

2 6 )   0 .   D .  Duncan and A .  P r e i s s ,  S o c i a l  C h a r a c t e r i s t i c s  o f  Urban and R u r a l  Communities ( 1 9 5 0 )  

‑200‑

(8)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (N) (神谷)

3 2

表対象都市別誘引性状況

都 市 ぷ 塁 懇 需 )(II閾位)独身者比率(Ii贔位)外国人比率(II

I

贔玉文百麿贔砿位)!順位平均 (順位)

H H   6 . 8   ( 1 3 )   3 4 . 5   ( 1 6 )   3 . 3   ( 1 4 )   3 3 . 6   (9)  1 3 . 0   ( 1 5 )   M  3 5 . 0   (2)  3 9 . 5   (3)  9 . 5   (3)  3 7 . 3   (6)  3 . 5   (1)  K  9 . 9   ( 1 2 )   3 7 . 0   (7)  7 . 5   (4)  3 2 . 2   ( 1 2 )   8 . 8   (8)  E  4 . 1   ( 1 5 )   3 5 . 5   ( 1 3 )   2 . 3   ( 1 6 )   2 5 . 9   ( 1 5 )   1 4 . 8   ( 1 8 )   F  1 6 . 9   (9)  3 7 . 5   (6)  1 3 . 2   (1)  3 2 . 4   ( 1 1 )   6 . 8   (6)  D O   1 7 . 9   (8)  3 5 . 8   ( 1 1 )   2 . 7   ( 1 5 )   2 4 . 0   ( 1 7 )   1 2 . 8   . ( 1 4 )   D  2 2 . 6   (7)  3 6 . 3   (9)  6 . 9   (6)  3 3 . 4   ( 1 0 )   8 . 0   (7) 

s  2 7 . 5   (5)  3 8 . 5   (5)  1 2 . 2   (2)  3 1 .  5  ( 1 3 )   6 . 3   (4)  D U   4 . 6   ( 1 4 )   3 5 . 6   ( 1 2 )   4 . 9   (8)  2 0 . 2   ( 1 8 )   1 3 . 0   ( 1 5 )   H B   2 9 . 4   (4)  3 5 . 9   ( 1 0 )   2 . 2   ( 1 7 )   2 9 . 7   ( 1 4 )   1 1 .  3  ( 1 2 )   H  1 1 .  2  ( 1 1 )   3 4 . 7   ( 1 5 )   4 . 8   (9)  3 5 . 1   (8)  1 0 . 8   ( 1 0 )   N  1 4 . 0   ( 1 0 )   3 4 . 1   ( 1 7 )   6 . 2   (7)  2 4 . 6   ( 1 6 )   1 2 . 5   ( 1 3 )   BN  6 4 . 9   (1)  4 0 . 8   (1)  4 . 2   ( 1 2 )   5 5 . 5   (1)  3 . 8   (2)  KI  3 . 3   ( 1 6 )   3 6 . 8   (8)  1 .  9  ( 1 8 )   4 3 . 8   (2)  1 1 .  0  ( 1 1 )   W I   3 1 .  9  (3)  3 5 . 2   ( 1 4 )   7 . 0   (5)  4 3 . 2   (3)  6 . 3   (4) 

SB  2 . 5   ( 1 7 )   3 9 . 2   (4)  4 . 4   ( 1 1 )   4 0 . 0   (5)  9 . 3   (9)  M Z   2 5 . 3   (6)  3 9 . 6   (2)  4 . 8   (9)  4 0 . 8   (4)  5 . 3   (3) 

‑WE. 

‑29.6 ( 1 8 ) r 3 2 .  4 c 1 s )  .   .

3 .s c 1 3 )   ・ 3 5 .   4···c·1)

—··

・ ・ ・ ・ ・ 1 4 . ・ o ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ c 1 1 ) ・ ・ ・  

平均

I 1 6 .  6 3 6 . 6  

各項目相互の順位相関係数(スヒ°アマン)

p  5 . 6  

1:2=0.48  1: 3=0. 3 3   1: 4=0.16 

各項目全体の一致係数(ケンドール)

W  W=0.45 

連邦各州統計資料より作成。

3 4 . 4   2: 3=0.27  2:4=0.42 

3: 4=‑0.04 

上,前回国勢調査時点の実勢に統一した)。第

32

表はそれらを一括して表示したものである。

いうまでもなく,人口増加率が高いことは,その都市の吸引力の大きいことを表わすものであ り,その意味で,都市の盛衰を測る,もっとも基礎的なデータである。西ドイツにおいて,増加 率第

1

位はボンであり,最下位は西ベルリンである。両者はそれぞれ,西独首都と旧ドイツ首都 という関係にあり,敗戦,両ドイツ分割,ベルリンの

4

国分割管理という,文字どおり,第

2

大戦の影響を最大限に受けた運命的な都市ということができる。旧ベルリンは最盛期

4 0 0

万を超 えるヨーロッパでも最大級の都市として中欧に君臨した。米,英,仏,ソ連の

4

カ国に分割管理 下に入り,そのうち,ソ連管轄地区は東ベルリンとして, ドイツ民主共和国の首都となり,他の 3国管轄地区は西ベルリンとして,西ドイツ(ドイツ連邦共和国)との関係を深めていった。西 ベルリンは旧ベルリンのほぼ

4

分の

3

近い面積を占めるところから,旧ベルリン市人口がそのま ま投影されるならば,

300

万程の人口を擁するところ,

1970

年現在,

200

万強を数えるのみであ り,ここに

1939

年と比べて,

3

割の減少がみられる。対象都市群の中で,人口減がみられる唯一 の事例であり,まさにベルリンの悲劇, ドイツの悲劇を示唆する数字といえるだろう。対照的に

(9)

関西大学「社会学部紀要」第

1 5

巻第

2

ボンは国心的機能が一挙に集積し,それまで,ライン河畔の一旧都として,大学以外に,ほとん ど無名に近かった小都市が急激に人口が膨脹したのである。したがって,この突出は自然成長的 な都市の発展でも都市の誘引力の結果でもない。いうなれば,首都の新設という。偶然的,人工 的な契機によるものであり,他都市の成長とは区別して論じなければならない。ミュンヘンの誘 引力はここでも高く,ボンのごとき特殊的契機がないだけに,成長都市としての内実を備えた,

西独ーの魅力都市といえるであろう。その他,地方首都的な管理中枢都市の増加率順位が高いの と比べて,エッセン,デュイスバーク, ドルトムントなどの工業都市の成長率の低さが目立つ。

一般に,ある都市において,独身者の比率が高いということは,その都市がとりわけ,大きな 誘引契機をもっていると評価できる。それは当該都市が提供する,さまざまな生活チャンスを,

先取りして来往するのが,独身者というカテゴリーに属する青年層とみなしうるからである。そ の結果,在住している自然的な年令分布以上に,独身者比率が高い都市は,それだけ吸引力が高 いと判断できる。第32表の第 2列に示された数字は各都市人口に占める独身者比率を表わしてい る。ここでも,第

1

列の人口増加率のケースと同じく,ボンの第

1

位,西ベルリンの最下位とい う事実が目立つ。その背景は上記の人口動態の場合と同じく, ドラスティックな政治的要因があ ると推定できる。陸の孤島西ベルリンは誘引力よりも,排出力が強いことは,しばしば指摘され ている。近年,西ドイツの諸都市でも郊外化傾向がいちじるしく,とくにここでとりあげた大都 市では,若干の例外を除いて,いずれも市部人口の減少がみられる。いわゆるドーナツ化現象で あるが,西ベルリンの場合,他都市のような住民の郊外居住は不可能であるのはいうまでもな い。したがって,ここでの人口減少は純粋な排出であり,行先は蓬かなる西独領内である。平均

4%

下廻る独身者比率は若年層の西ベルリン離れを象徴する恰好なデークといえよう。ミュン ヘン,マインツ,ザールプリュッケンなどの地方中心都市では相対的に,この比率は高いが,エ 業都市群では低い。ハンプルク,ニュルンベルク,ハノーファなどの伝統ある都市に予想外に,

独身者が少ないのは新規な生活機会の提供の場が少ないからか。ただし,この点は推察の域を出 ない。ただ,比率間の幅は小さく,平均の周辺に集中していることを勘案すれば,突出したボン と西ベルリンを除いた諸都市の比較に,あまり強い意味をもたせることはできない。

都市の外国人在住比率も,また,都市の誘引力の有力な指標となりうる。これは独身者比率と 同じく,その都市がもつ魅力の結果にほかならぬからである。業務上にしろ,修得にせよ,当該 都市にある機関が提供する生活機会もしくは修得機会に魅かれて,外国人は来市する。(もちろ ん,一過性の旅行客は含まれない。 したがって観光都市の吸引力は別の問題である)。表の第 3 列が示す外国人比率は,概括的にいって,南部諸都市に相対的に高く,北部ドイツに低いという 傾向を示す。フランクフルトが国際都市たることは周知のとおりであり,交通拠点として,世界 に窓を開いた都市たることが,まずもって,外国人比率を高めた要因であるとともに,金融・情 報都市としての高い経済力が,波及的に,外国人に生活機会を与えていると考えられる。ミュン ヘン,シュツッツガルトなどの南独都市に外国人比率が高いのは, トルコ,ギリシャ,ユーゴ,

‑202‑

(10)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (N) (神谷)

イタリヤなど南欧からの外国人労働者

( G a s t a r b e i t e r )

の受け入れに適した位置の利便によるも のと判断できる。北ドイツのハンプルク,キールなどの比率が低いことが対照的であり,}レール 工業都市群における外国人比率が低いことは,これら外国人労働者の就業が近代工業とは無縁で

あることを示唆している。

3 2

表の第

4

列のサービス部門従事人口比率は第

1 9

表より作成したものである。すでに説明し たように,同表は

1 9 7 0

年の国勢調査における職業従事人口統計を基礎としたものである。各市か ら発刊されている統計資料には

4

つの経済領域

( W i r t s c h a f t s b e r e i c h )

ごとの数字があるのみで あり,細分類した資料は若干の都市を除いて掲載されていない。同表はその中から,農業部門を 除いて,製造業部門,商業・交通部門,その他領域(サービス部門)の

3

部門における従事人口 を表示したものである。 0.D.ダンカンとA.

J .  

レイスは成長都市においては,製造部門従事人 口比率が低く,第 3次産業部門従事比率が高いとのべたが,その場合はドイツの統計における商 業・交通部門とその他部門の両者を包含するはずである。だが,ここでは主としてサービス部門 を表わす,その他部門の比重でこれに代替した。計算としては各都市ごとの製造部門,商業・交 通部門,その他部門(サービス部門)の各従事人口の合計(農林,水産部門は除く)に対する,

その他部門(サービス部門)の比率を算出して表示した。この項目でも,ボンの突出的な卓越が 目につく。エッセン, ドルトムント,デュイスパークなどの工業都市におけるサービス部門領域 の比重が低いことは都市の性格として当然のことである。西ベルリン,ハンプルク,ミュンヘン,

ケルンといった大都市は順位的に中程度を占めるのは,各部門間に相対的に均勢のとれた従事人 口の配分がみられる結果であろう。ボンに次いで,キール,ヴィスバーデン,マインツ,ザール プリュッケンなど,州都ながら人口規模の小さい都市において,サービス部門比率が高いのは,

製造部門や商業・交通部門といった,生産に直結した経済活動の比重が低いという消極的要因に 由来すると考うべきであろう。いわゆる伝統消費型地方都市の性格を反映した数値といえよう。

以上の

4

項目に表現された西独主要都市の誘引性については,より高いものから都市別に付し た順位を平均したのが,第 5列の数字である。ここでは数字の小さいものから順位を付し,都市 誘引力の総合順位として,最右列に,それを表わした。ミュンヘンは総合順位第

1

位を占める。

文化首都としてのミュンヘンについては文化領域における首都性の検出の項で明らかにした。同 時に機械,電子その他,最先端都門の工業の発展もいちじるし<'それが独身者比率や外国人比 率を高める,もう一方の要因となっている。続くボンはいうまでもなく,連邦首都として急激な 機能の集積が外生要因として加わった結果,いちじるしい急成長をみた都市である。その意味で 人為的偶然的な契機を介しての成長という意味で,本来のボンの誘引力なり,吸引力とみなすの は速断であろう。マインツ,ヴィスバーデンなどの順位が高いのは州都ながら,規模も小さく,

2

次産業やそれに直結した商業・交通部門の弱さが,逆にその他サービス部門の相対的比重を 高め,順位の押し上げに作用したといった要因も考えられる。これらに続くのがシュツッツガル

フランクフルト, デュッセルドルフなどの部分首都もしくは地方中枢都市である。実質的

(11)

関西大学『社会学部紀要」第

1 5

巻第

2

に,これらの諸都市は西ドイツにおいて,ミュンヘンに次ぐ誘引力ある都市群といえるだろう。

それぞれは,近代産業,金融,交通,本社などの機能を連邦レベルで支える都市であり,今後と もその趨勢に変化はないであろう,西ベルリンが最下位の水準に位置するのは,第

2

次大戦のい たましい後遺症であり, ドイツ史の悲劇の象徴といえるだろう。西ベルリンに対しては西側のシ

.  .  .  . 

ョーウインドーとして,連邦政府も,さまざまなテコ入れを講じており,たとえば,いくつかの 政府機関を設置したり,財政的な援助をつぎ込んで,その類勢の挽回に対する手を打ちながら,

なお,この現実である。ベルリン問題は,これからなお,末長く,その解決のため,西ドイツが 払わなければならない重荷となっていくにちがいない。エッセンを最下位として,それに近いデ ュイスバーク, ドルトムントなどのルール工業都市群は石炭産業の後退,製鉄を代表とする素材 工業部門の不振などによって,誘引力は衰退の一方である。付加価値の高い工業部門は近代都市 に成長し,工業部門自体でも相対的に素材部門の地位は下る一方である。それはわが国における 北九州市の運命と酷似している。政策的措置を要する,もう

1

つの都市群といえるであろう。

各項目相互の順位相関係数(スビアマン)

p

と各項目全体の一致係数(ケンドール) Wを算出 してみると表下の数値のごとくなる。概して相関は低い。人口動態(1)と独身者比率(2)の順位相関 が危険率

P=O. 0 5

で有意であるほか,いずれも有意な水準に達していない。これは,おそらく,

.  . 

各項目ごとのデータ形成の時間的なづれや行政単位の規模の差がもたらす撹乱要因の作用からく るものであろう。ただ個々の項目では,それぞれの都市の誘引度をかなり正確に写しており,む しろ相互に切りはなして個別に観察するのが最適であろう。誘引力と求心力は基本的とは相即し ている。ここでとりあげた個々の順位を平均した総合順位を第2

9

表の宿泊施設利用状況との相炭l を求めてみる。同表の届出宿泊者の人口

1 , 0 0 0

人当りの比率を高い順位から並べて,第3

2

表の右端 の総合順位との間に,順位相関係数を算出すると

p=Q.7 1となる。この数値は有意水準 P=0. 0 5  

に対する相関係数

P

の値を上廻るのみならず,

P=O. 0 1

に対する

P

の値をも上廻り,両者の間に,

高い相関のあることを示すものである。したがって,対象都市別の誘引性状況を判定するとは,

個々の項目における順位よりも,それらを平均した総合順位が適切であることを意味する。誘引 都市であるとともに,求心都市であるのは,ミュンヘン,デュッセルドルフ,フランクフルト,

ボンなどの国心型都市であり,工業都市群と西ベルリンが最下位に位置するというパターンは両 者に共通した特徴といえよう。

西 独 都 市 シ ス テ ム の 展 開 と 類 型

(1) 西独都市システムの展開

ドイツ都市システムの源流は遠く,

12 13

世紀に遡る。この時期の数十年間に濃密にして幾段 階もの都市網が完成する。これらの都市網は初期中世にはほぽ完全に解体した後期ローマの都市 システムとは,わずかの例外を除いて,ほとんど関係なく,新たに形成されたものであった。中

(12)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (IV) (神谷)

世北西欧ヨーロッパの都市は二元的要素の緊張からなる。一方において,聖俗領主の防禦拠点と して,他方において,商人定住地,市場地として。そして後者の中から,完全な中世的意味にお ける都市が形成されていったのである。

1 3

世紀以降,中世も後期にさしかかると,都市は商人・

手工業者の定住区という意味での,経済的,自然的な成長から,皇帝,領主層による計画的・人 為的形成の局面へと入る。とくにエルベ河東部の都市群はこのタイプの都市が多い。いわゆる建 設都市である。

近世初期における新市の形成は少なく,中世における商工業,司教都市に加えて,鉱山都市,

軍事都市が若干,付け加わったほか,領邦君主都市が発達,それが後の州や地方の首都へと発展 していく。産業革命の段階以降,とりわけ

1 8 7 4

年から

1 9 1 4

年にかけての高度工業化段階におい て,わずか数十年間に,中世以来の都市システムは構造的な変動を経験する。産業革命の初期段 階では,たとえば1

9

世紀初期,北部ラインランドに紡績業が興隆し,中期に入って,鉱業,重工 業が発達する。これを背景に, Jレールやザールに工業地帯が形成される。それに続く高度工業化 段階に入ると,より加工度の高い機械,電気,服飾工業などが発達する。これらの諸工業は市場 志向性と集積利益に導かれて,立地原理を資源型から都市型へと移していく。その結果,非資源 型工業はふたたび,伝統都市に立地モデルを求めるようになる。この過程において,第 3次産業 はその役割を急速に増大する。かくして,ベルリンと並んで,ミュンヘン,シュツッツガルト,

フランクフルト,ケルン,ハノーファ,ハンプルクなどが工業発展の拠点となっていく。かくみ るとき, ドイツにおける工業化は既存の都市システムの根本的改変にはつながらず,むしろ,既 成の分布構成の強化と固定化へと導いたことが明らかとなる。もちろん,その間,都市規模の増 内部の構造的,機能的変動,都市間結合の緊密化などが, 国民経済の空間的分業の発展,

1 8 7 1

年に完成したドイツ帝国の政治的統ーなどの条件のもとに進展していった。

2

次大戦はドイツの都市システムに致命的なインパクトを与えた。疎開や空襲によって都市 人口は激減したが,

1 9 6 0

年頃には,ほぼ,戦前の状態に回復した。この間,

1 9 4 5

年から

1 9 6 1

年ま でに東部旧ドイツ領,ソビエト占領地域,東ドイツから,

1 , 0 0 0

万人をこえる難民,亡命者が西 へ流入した。西ドイツの奇跡の経済復興が彼らを経済的,社会的に吸収したが,それはまた,総 体としての都市システムの急速な成長を強化したのである。これらの人々は住宅難のいちじるし い大都市にではなく,地方中小都市へと移り,これらの地域を伝統的な地方中心地としての機能 に加えて,工業の基盤を発展させるに寄与した。ルール地方は素材工業,重工業の中心地として,

復興過程において決定的な役割を担った。

このようなドイツにおける都市システムの史的展開は5

0

年代が終るとともに,新しい局面を迎 えることとなる。その局面の特徴を

R.H.

プローテホーゲルと

M.

ホンメルは次の

4

点に整理し ている27)

2 7 )  H .  H .  B l o t e v o g e l  und M. Hommel, " S t r u k t u r  und Entwicklung d e s  S t i : i d t e s y s t e m s " ,  i n :  G e o g r a ‑

p h i s c h e  Rundschau A p r i l  4 ‑ 8 0 .   G .  Westermann V e r l a g  S .   1 5 6 .  

(13)

関西大学『社会学部紀要』第

1 5

巻第

2

1

に,人口の過疎的地域より,都市化地域への移動が進んだ。その場合,これらの移住人口 は中核都市ではなく,地方中小都市もしくは,大都市周辺の小都市へ向った。

2

に,大都市内部から周辺部への移動が始まった。すなわち,それまで農村地帯であった都 市周辺部地域への移住とともに,直接の都市圏をこえた中小都市への人口移動が開始された。た だし, その場合, これらの地域が大都市と交通的な結びつきが緊密にあるかぎりにおいてであ る。これと並行して,工業の大都市周辺部への移動と工業の管理部門および第 3次産業部門の大 都市集中が生じた。このような郊外化現象はすべての大都市のみならず,規模は小さいが,大都 市から離れた中都市においてもみられる。

3

に,経済の拡大成長にともなう労働力需要の増大の結果,外国人労働者の大量な大都市流 入が始まった。

4

6 0

年代中期以降,)レール地帯,同時に,ノルドライン・ウェストファーレン州の人口 密集地帯,北ドイツならびにザールランドから南ドイツヘの人口移動が顕著になった。そこでは 南ドイツの密集地域のみならず,大都市から離れた工業志向的な中小都市とくに,バーデン・ヴ

ュルッテンブルク南部地帯への移動が目立つ。

以上のような変動要因が付加されたにもかかわらず,全体としての都市システム自体はほとん ど影響を蒙っていない。

(2) 

西独都市システムの類型

すでに半世紀前,地理学者クリスターラーは南ドイツの地理的環境の観察を通して,都市の配 置に一定の規則性のあることを発見し,有名な「中心地」モデルとして定式化した28)。日本の地 形と異なり,内陸にどこまでも広く拡がった平野に充ちたヨーロッパでは,至るところ可耕地が あり,したがって可住地がある。内陸奥深く散在する農村に物資を供給するためには,交通の要 地に貨物の集散地を設け,そこから末端地域に配分しなければならない。

12‑13

世紀に,西ヨー ロッバの都市網が完成したのは,

1 0

世紀に始まる農業革命によって,飛躍的に上昇した農業生産 力を背景に,各地に自立的な農業集落が形成されたことと無関係ではない。まさに,都市は自給 的な農村を成立させるための結節機構として不可欠の存在となる。このような都市網は時代とと もに発展し,拡大したが,基本的な都市システムのネット・ワークは生き続けていると考えられ クリスターラーは中心地がその補完地域

(Erganzungsgebiet)

に提供する中心財の種類に よって,補完地域の大きさが異なることを主張した。高次元の中心財は大なる補完地域を要し,

低次元の中心財は小さな補完地域でさしつかえない。周知のごとく,クリスターラーは南ドイツ の調査資料を用いて,その補完地域の大きさから,中心地を

7

段階に分けた。

クリスターラー・モデルを祖型とする中心地理論は理論的にも政策的にも, ドイツにおけるそ の後の地域研究や地域政策の主たる原則となっているようにみえる。 H.H.ブローテフォーゲル

2 8 )  W. C h r i s t a l l e r ,  D i e  Z e n t r a l e n  O r t e  i n   S i i d d e u t s c h l a n d ,  J e n a ,  1 9 3 3 .  

(14)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (IV) (神谷)

らは

1 9 7 0

年の事業所調査を素材として,いくつかの中心地の階層構成を大きく

4

段階に分けて,

地図の上で示している。第4図がそれである。 4段階内部は,また,いくつかのサプ段階に分け られ,合計8段階に細分されている。段階構成としては文字どおり中段階以上の中心地をプロッ トしたものであり,これ以下の小中心地は省かれている。おそらく,都市とよびうる中心地は,

ほぼ,中級中心地以上の

Gemeinde

を指すからと推定する。

R.H.

プローテフォーゲルらは各 段階の中心地類型を次のごとく整理する29)0 

(1)  中級中心都市

中級中心地

( M i t t e l z e n  t r e n )

は広く散在する基礎的地域中心地であり,住民が必要とする大 部分の財とサービスを提供する地点である。具体的には,個別商店,私的なサービス業や自由業 などの領域における多様な生活財やサービスの提供,公的領域では各種中等教育機関,病院,下 位の国家官庁(区裁判所,郡役所)などの諸機関が提供するサービスなどがその内容となる。中 級中心地においては定期的かつ頻繁な供給関係が存在するがゆえに,たいていの場合,供給地域 の空間的限界づけが可能となる。人口

2 0 , 0 0 0

人以上のすべての都市,またはそれ以下の多くの都 市がこの類型に入る。この中級中心地の下に日常的な生活需要に応える供給機能をもった下級中 心地

( U n t e r z e n t r e n )

が存在するが,それは人口密度の低い地域や中級中心地の補完地域周辺部 に供給網を造りあげている。第

4

図では下級中心地は記されていない。

(2)  上級中心都市

中級中心地の上には上級中心地

( O b e r z e n t r e n )

がある。上級中心地はより長期サイクルの需

( d e nI a n g e r f r i s t i g e n  B e d a r £ )

に対する供給都市としての機能を果し,また,まれな,ある いは特定の集団にのみ求められる特殊サービスを提供するような中心地である。この中心地のヒ ンクーランドは

5 0

万人から

2 0 0

万人の人口を擁する空間,文化的,行政的には国の中級管庁の所 在地である。上級中心地は大規模商業や業務関連的サービス業の立地点として,関係地域の経済 にとって重要な機能を果している。この類型にはほとんどすべての大都市,さらに若干の中都市 がこれに属する。

(3)  地方中心都市

上級中心地の上に, ドイツ連邦共和国の都市システムに特有の地方中心地

( R e g i o n a l z e n t r e n )  

というグループが存在する。それは人口密集地域の指導的中核都市,州都,若干の旧州都,省都 を含む。地方中心地は最上級の州官庁,州レベルの組織や団体の所在地として,銀行, 保険会 社,そして商業,交通,サービス業関係の大企業などの支社の立地点として,さらには放送局の 所在地,大地方新聞発行地として,高次な機能を営んでいる。ただ,これらの諸機関が関与する ヒンクーランドの範囲は一様ではない。したがって,地方中心地は一義的かつ明確な機能空間に 整序しうる補完地域をもたない。個々の機能領域では,州範域を越えるものもある。第4図で示 されているように,地方中心地にはその中に, 3つのサブ階級が設定されている。大地方中心地

2 9 )  H .  H .  B l o t e v o g e l  und M. Hommel; o p .  c i t . ,   S .   1 5 8 ‑ 9 .  

(15)

関西大学『社会学部紀要」第

1 5

巻第

2

4

中心地階層別西独都市分布図

Abb. 3 :  

Hiihere Zentren um 

1 9 7 0  

G e o g r a p h i s c h e  Rundschau A p r i l  4 ‑ 8 0  S .   1 6 0

転写。

‑208‑

H. Blol● v09el, M. Hommel 1979 

(16)

西独都市の多極的分権構成の諸問題 (IV) (神谷)

の最上位群には,大規模州の州都(デュッセルドルフ,ミュンヘン,シュツッツガルト,ハノー ファ)やハンプルク,フランクフルト,ケルンなどが含まれる。これらの諸都市は一部の領域に おいては州をこえた広域的範囲に対して,高次元の機能を果しており,中・小地方中心地の上に 位置づけらるべき都市群たるからにほかならない。

(4)  部分首都的都市

クリスターラーは中心地の最上位段階に,

L

次元の中心地,すなわち,半径

1 0 8

キロ,補完地 域の典型的人口

3 0 0

万人をバックとする中心都市を想定した。ほぽ,州の規模に対応した中心都 市である。通常,一つの国民社会の中で,最上位の中心地といえば,反射的に首都が想定され る。クリスターラーが彼の中心地理論を構想した時代, ドイツの首都は厳然としてベルリンにあ った。しかるに彼は最高次の中心地として,当時のドイツ国民社会を補完地域とする中心地に触 れていない。最高次の中心財の供給地として,州段階の中心都市以上のものを想定しなかったの は,統一国家の時代において,なお,全面的な国心的都市が存在しなかったというドイツ的現実 を理論的に反映したものといえよう。旧ベルリンは統一ドイツの帝国首都として,機能の集積が 進んだが,それでもなお,バリ,ロンドンに比較して,はるかに低次にとどまった。

もちろん,旧ドイツにしろ,現西ドイツにしろ,それが国民社会である以上,国心的機能を欠 落した単なる下位単位のモザイク的集積たることはできない。事実,旧ベルリンには,次第に社 会のあらゆる領域における国心的機能が集まりつつあった。第三帝国の指導者にして,自ら建築 家を自称したアドルフ・ヒトラーはベルリンをして,パリをしのぐ世界都市に改造せんと目論ん だといわれる。第三帝国的中央集権制が,なお,長く続いたならば,あるいはベルリンがバリ,

ロンドン,モスクワなみの国心機能都市に変貌した可能性はある。ただ,それは純然たる仮定に すぎず,現実には比較的に国心機能が集積したベルリンも分割され,西ベルリンは東ドイツの海 の中に浮ぷ孤島と化した。かくして,こんにちの西ドイツは連邦国家という制度的枠組みに支え られ,一点集中的な国心都市なき国家となった。その結果,首都的機能はボンを除くいくつかの 大地方中心都市によって分担されることになる。第

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図における首都的機能をもった中心地はい ずれも大地方中心地

( G r o B e r eR e g i o n a l z e n t r e n )

と重なっていることを示している。例外はボ

1

都市であり,同市はヒンターランドに対しては

1

つの上級中心地にすぎないのである。

西独都市の多極的分権構成は首都的機能の複数主要都市群による分担によって完成する。 H.

H .  

プローテフォーゲルらはこれら首都的都市群をさらに二分する。そして,最上位に,ハンプ ルク,ボン,フランクフルト,ミュンヘン,西ベルリンを置く。これまでの記述ですでに,これ らの都市の首都的機能については詳しく分析しハンプルクは商業・貿易,海運,新聞報導関係,

ボンは連邦政府ならびに,上位団体関係,フランクフルトは経済,交通,金融関係,ミュンヘン は文化領域で,西ベルリンは連邦級行政関係30)において,それぞれ西ドイツの主導的都市として,

Abb. 3 :   Hiihere Zentren  um  1 9 7 0  

参照

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