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損益分岐点分析の発展過程 : アメリカを中心とし て

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(1)

損益分岐点分析の発展過程 : アメリカを中心とし

その他のタイトル The Development of the Break‑Even Analysis

著者 末政 芳信

雑誌名 關西大學商學論集

巻 15

号 1

ページ 34‑61

発行年 1970‑04‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021187

(2)

34  ( 3 4 )  

〔研究ノート〕

損益分岐点分析の発展過程

—アメリカを中心として一ー―

末 政 芳 信

1 .  

& ま し が き

最近多くの企業において,利益計画のための分析手法として損益分岐点分 析がよく用いられているが,損益分岐点分析が創出されたのほ今世紀初頭で あり,会計学における他の計算分析手法と比べて比較的新しいものであると いわれている。このような損益分岐点分析が,いつ頃,どのような時代の要 請にもとづいて,どのような人々によって,どのような形で展開されてきた かを探ぐることは管理会計における興味ある課題の

1

つであると思う。また,

それらの事実を調べることが損益分岐点分析のもつ意味・内容を明確にし,

さらに,損益分岐点分析の活用を高め,今後の展開に役立つであろう。

損益分岐点分析の起源ならびにその発展過程のあとを探ぐることは今まで

(1) 

にも多くの人々によって行なわれてきたが,最近 2つの新しい文献を見るこ とができたので,今までにこの問題に論及している文献と併せて,損益分岐 点分析の起源ならびにその発展過程のあとを,つぎのような角度からたどる

ことにしたい。

( 1 )  

損益分岐点分析についてすべての国におけるその発展過程をみるので はなく,英米特にアメリカにおけるその発展過程を取りあげることにしたい。

それは損益分岐点分析の展開が,理論的にも,実践的にも早くからアメリカ において多く見られるからである。ドイツその他の国においても,ほぼ同じ

(1) 

損益分岐点分析の発展過程に関する参照文献⑥のドーおよびジョンソン両教授 の論文,および参照文献⑦のパーカー氏の著書である。

(3)

(2) 

頃に損益分岐点分析の展開が見られるようであるが,ここでは取りあげない ことにしたい。

( 2 )  

損益分岐点分析の史的発展過程をあとづけているつぎの参照文献を中 心にして,その起源ならびに発展過程のあとを探ぐることにした。それは,

古い文献について残念ながらその原典を直接手に取って見ることができなか ったためである。したがって,小稿ほ損益分岐点分析の起源ならぴに発展過 程を本格的に論及するといった形よりも,それらに関する文献整理ノートと いった性質をもっている。

◎損益分岐点分析の発展過程をあとづけた参照文献

① David Solomons, S t u d i e s  i n   C o s t i n g  (London: Sweet & Maxwell, L t d . ,  1 9 5 2 ) ,   p p .   3 3 ‑ 3 8 .  

② Raymond V i l l e r s ,   The Dynamics o f  I n d u s t r i a l  J v l a n a g e m e n t  (New York: Funk 

&  Wagnalls C o . ,   1 9 5 4 ) ,  p .   3 0 9 .  

③ Ned Chapin, "The Development o f  t h e  Break‑even C h a r t :  A B i b l i o g r a p h i c a l   Note,"  The J o u r n a l  o f  B u s i n e s s ,   V o l .   2 8 ,   No. 2 ( A p r i l ,   1 9 5 5 ) ,  p p .   1 4 8 ‑ 1 4 9 .  

④ Raymond V i l l e r s ,   "Communications ‑ The Origin o f  t h e  Break‑even C h a r t , "  

The J o u r n a l  o f  B u s i n e s s ,   V o l .   2 8 ,   No. 4 ( O c t o b e r ,   1 9 5 5 ) ,  p p .   2 9 6 ‑ 2 9 7 .  

⑤ C h a r l e s  Weber, The E v o l u t i o n   o f  D i r e c t   C o s t i n g   ( I l l i n o i s :   Center For I n t e ‑ r n a t i o n a l  Education And Research In Accounting, 1 9 6 6 ) ,  p p .  1 6 ‑ 3 7 .  

⑥ A l i c e  S .   Dow and Orace  Johnson,  "The  Break‑Even  Point  Concept:  I t s   Development and Expanding A p p l i c a t i o n s , "  Management A c c o u n t i n g ,   V o l .   5 0 ,   No. 6 ( F e b r u a r y ,   1 9 6 9 ) ,   p p .   2 9 ‑ 3 1 .  

⑦ R .   H.  P a r k e r ,   Management A c c o u n t i n g :   An H i s t r i c a l   P e r s p e c t i v e   (London; 

Macmillan, 1 9 6 9 ) ,   Chapter 4 ,   The O r i g i n s  o f  t h e  Break‑Even C h a r t ,  p p .  5 9 ‑ 7 2 .  

⑧  西野嘉一郎著「経営監査」ダイヤモンド社 昭和 23 年

⑨  国弘員人著「損益分岐点論」中央経済社 昭和 2 7 年

⑩  国弘員人稲吋員益分岐点論の成立=企業会計 第 1 2 巻第 3 号(昭和 35 年 3 月 )

(2)  ドイツにおける損益分岐点分析の発展については,国弘教授の論文(参照文献

⑩)および著書(参照文献⑨),および西野氏の著書(参照文献⑧,⑬)を参照され

たし o

(4)

36 ( 3 6 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

⑪  敷田礼二稿〜ヘンリー・ヘスの経営計画論 l l l : : c 立教経済学研究 第 1 4 巻第 1 号

(昭和 3 5 年 6 月 )

⑫  敷田礼二稿已ヘンリー・ヘスの経営計画論 ( 2 ) , , 立教経済学研究 第 14 巻第 2 号

(昭和 3 5 年 1 0 月 )

⑬  西野嘉一郎著「近代経営分析」中央経済社 昭和 41 年

( 3 )  

損益分岐点分析の文献でその起源から第

2

次大戦末期

( 1 9 4 5

年)まで の主要なものを本稿の末尾に〔主要文献〕として5

0

コ例挙し,それとの関連 において損益分岐点分析の起源ならびに発展過程を見ることにする。なお,

〔主要文献〕は前述の発展過程に関する参照文献により孫引の形で整理し,

さらに滞米中

( 1 9 6 6

年)に入手した文献ならびにノート整理したものによっ て追加補足した。しかし,その原典を見ていないものが多く,また,それら に関する重要な文献をすべて網羅していないのではないかと危憚している。

( 4 )  

本稿では,損益分岐点分析が,いつ頃,どのような職業の人によって,

どのような考え方から取りあげられてきたかをその時代の背景ならびに,他 の管理会計とくに原価計算との関連のもとで見て行きたい。したがって,損 益分岐点分析の崩芽が見られる年代から第

2

次大戦末期

( 1 9 4 5

年)までをい

くつかの発展段階に区分して見たいと思う。

( 5 )  

損益分岐点分析の発展過程を見る場合,まず問題になるのは,

Break‑

even p o i n t  a n a l y s i sをどのように解釈するかである。 Break‑evenp o i n t  a n a l y ‑ s i sを広く解するときは種々の性質をもつ代替案選択に関する優劣分岐点分

析をも含めて意味するが,狭い意味で用いるときは文字通り損益の分岐点に 関する分析に限定される。ここでは,狭い意味での

Break‑evenp o i n t   a n a l ‑ y s i s即損益分岐点分析の発展過程として考えることにしたい。これは損益分

岐点分析の創始者をあとづける過程で重要な問題である。

(3) 

( 6 )  

損益分岐点分析の表現形式として

4

つの方法が考えられるが,ここで は,一般的な①グラフによる表現方法,②数式(公式)による表現方法,③ 計算表による表現方法の 3つにしぽり,それらがどのように取りあげられ発 展してきたか,すなわち,どの表現形式が一番早く用いられ,またどのよう

(3)  拙著「短期利益計画計算」 (白挑書房 昭和 43 年 ) 64 一79 頁参照。

(5)

な順序で一般的に用いられるようになってきたかを見たいと思う。この問題

(4) 

は上記の参照文献にも見られるように,損益分岐点分析の展開を特に損益分 岐点図表の発展として取りあげていることと関連して注目すぺきである。

以上のような諸点から,損益分岐点分析の起源ならびに発展過程を探ぐる ことにする。しかし,多数の重要な文献を直接見ることができなかったので,

思わぬ誤りをおかしているかも知れないと恐れている。この点についてほ,

今後さらに文献の入手に努め研究して行きたいと思う。さらに,例挙した個 々の文献についてそれぞれ深く掘り下げ研究する価値の高いものが見られる が,それらを個々に取りあげることは別の機会に譲ることにしたい。

2 .  

損 益 分 岐 点 分 析 生 成 へ の き ざ し

損益分岐点分析の起源をいつの年代までに遡るかについては意見の分かれ るところであるが,ある見解によれば,原価を固定費と変動費とに区分する か,追加的生産量に対する増分原価の性質を明確に把握するようになった年 代まで遡っている。たとえば,ソロモンズ教授(参照文献①)によれば,原 価を生産高

( o u t p u t )

との関係において把握する流れの中で,損益分岐点分 析の起源を取りあげている。このような生産高と原価の直接関係に注目する

ことは,

1 9

世紀ないしそれ以前から多くの経済学者の注目するところであっ た。それらの経済学者としては, ドーおよびジョンソン両教授(参照文献

(1) 

⑥)によれば,

T. R.  Malthus (1816

年の著書),

J .   R.  M'Culloch (1825

(2)  (3) 

の著書),

J . S .   M i l l   (1848

年の著書)がまずあげられている。

ソロモンズ教授によれば,個別企業の立場からこの問題を取りあげたもの として

DionysiusLardner

RailwayEconomy ( i n   1 8 5 0 )

をあげている。

(4) 

損益分岐点分析の発展過程に関する参照文献の⑧,④,⑦である。

(1)  Thomas Robert M a l t h u s ,  P r i n c i p l e s  o f  P o l i t i c a l  Economy, ( 1 8 1 6 )  W e l l s  and  L i l l y ,   B o s t o n ,  1 8 2 1 .  

(2)  John R .  M ' C u l l o c h ,  The P r i n c i p l e s   q f   P o l i t i c a l  Economy, ( 1 8 2 5 )  Ward, L o c k ,   and C o . ,  London. 

(3)  John S t u a r t  M i l l ,  P o l i t i c a l  Economy, ( 1 8 4 8 )   Longmans,  Green  and  C o . ,  

London, 1 9 0 9 .  

(6)

38 ( 3 8 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

この著書は鉄道料金の決定に関して,原価を固定費と変動費に区分する必要 性を説いている。このラドナー氏の所説をもってまず損益分岐点分析の起源 を劃するものと論及しているものに,パーカー氏の著書(参照文献⑦)と,

(4) 

井尻教授の著書がある。

ついで,フランスの

C.A. G u i l b a u l t   (1865

年)の著書がラドナー氏と同 じような原価分析をしていると,ソロモンズ教授は述べている。

(5) 

また,同じ頃のイギリスの経済学者

NassauSenior  (1862

年の報告書)を

,,←ーカー氏, ドーおよびジョンソン両教授は同様に取りあげている。

(6) 

それから少し年代をずらして,

A. Marshall  (1890

年の著書)を ノロモ ノ ズ教授は取りあげている。マーツャル氏は素価

(primec o s t )

と 補 充 原 価

(supplementary c o s t )

との区別を明らかにしており,それは

E. Garke  and  J .   M, F e l l s

FactoryAccounts ( i n   1 8 8 7 )

の影響をうけていた。なお,こ

のガークおよびフェルス両氏は原価として固定的間接費を配布することの無 益さを主張していたのであるる。

さらに,この種の問題に関説した同年代の経済学者として, ドーおよびジ

(7) 

ョンソン両教授は

W.S .  Jevons (1888

年の著書),パーカー氏は

A.T. Hadly 

(8) 

(1896

年の著書)を取りあげている。

以上のような生産高の増減に伴う原価の動きに注目する経済学者の論述が そのまま損益分岐点分析の生成と考えてよいかどうかは問題であり,固定費

・変動費区分思考のみをもって損益分岐点分析思考の生成と考えることは難 しい。やはり,損益分岐点分析は収益との関連のもとに固定費・変動費区分 を明確にした上で収益と原価の一致する点を見出すことに,その起源を考え

(4)  Y u j i  l j i r i ,   Managenent  G o a l s  and A c c o u n t i n g  f o r   C o n t r o l  ( C h i c a g o :   Rand 

McNall C o . ,   1 9 6 5 ) ,  p .   9 .  

(5)  Nassau S e n i o r ,  Report o f  I n s p e c t o r  o f  F a c t o r i e s  f o r   3 1   O c t .   1 8 6 2 ,   c i t e d   by K. Marx, C a p i t a l  (London, A l l e n   &  Nnwin, 1 9 3 8 )  I  4 0 4 .  

(6)  A l f r e d  M a r s h a l l ,   P r i n c i p l e s  o f  E c o n o m i c s  (London: M a c m i l l a n ,  1 8 9 0 ) .   (7)  W. S t a n l e y  J e v o n s ,   The T h e o r y  o f . P o l i t i c a l  Economy (London, Macmillan 

C o . ,   3 r d  e d . ,   1 8 8 8 ) .  

(8)  A. T. H a d l e y ,  E c o n o m i c s  (New York: G. P .   Putnam's S o n s ,   1 8 9 6 ) .  

(7)

るべきである。したがって, ドーおよびジョソソン両教授が上述の経済学者,

とくにミル氏,ジェボンズ氏を

Break‑even t h e o r y

の領域の裾野を開いた

(9) 

( s k i r t e d )

人々とし,これらの人々を論述した節を損益分岐点分析概念に関す

( 1 0 )  

る19世紀の先駆者

( f o r e r u n n e r )

と名付けていることはほぼ妥当な見解であ ると思われる。

しかし,この点に関連して,つぎの敷田教授のすぐれた論述がより適格な 結論の一面を示すものとしてあてはまるであろう。

「……分岐点思考の生成基礎として固定費の増大をあげる論者もあるが,固

( 1 1 )  

定費のみをもってしては,前世紀末葉に分岐点の考え方は存在しなかった。」

このように考えると,上に取りあげた経済学者の論述のなかに損益分岐点 分析そのものの崩芽をみとめるというより,損益分岐点分析生成の前段階を なすものとみるべきであろう。

3 .  

損 益 分 岐 点 分 析 の 創 生 期

チャビン氏(参照文献⑧), ドーおよびジョンソン両教授(参照文献⑥),

,,←ーカー氏(参照文献⑦),敷田教授(参照文献⑪,⑫)等によって,損益分 岐点図表を最初に描いた人とされるのは

HenryHess ( 1 8 6 4 ‑ 1 9 2 2 )であり,

損益分岐点分析論で著名なノイッペル氏も損益分岐点図表の基本的構想はヘ

(1) 

ス氏に負う所が多いとしている。ヘス氏はドイツ生れのアメリカ機械技術者 協会

(ASME)

の会員であるが,損益分岐点分析の起源を調べる場合には,

必ずふれなければならない重要な論文を初めて発表した人物として注目され るべきである。また,ヘス氏は損益分岐点図表の初祖されるのみでなく,固 定費・変動費区分把握を明確にした点から,ウェバー教授によれば,アメリ

力における弾力性予算

( f l e x i b l eb u d g e t i n g )

に関する最初の論文を発表した

(9).  A l i c e  S .   Dow and O r a c e  J o h n s o n ,  o p .   c i t . ,   p .   3 0 .  

( 1 0 ) .   i b i d . ,   p .   2 9 .  

( 1 1 )  

敷田礼二稿:::前掲論文(

2 )

2 2 7

頁(参照文献⑫)

(1)  C h a r l e s  E .  Knoeppel(主要文献〔2 4

. ノイッペル氏はヘス氏の

1 9 0 3

年の論 文(主要文献〔

2

〕)についてふれないで,

1 9 0 4

年の論文(主要文献〔

4

, 〔

5

6

〕)を読んだと述べている。

(8)

40  ( 4 0 )  

損益分岐点分析の発展過程(末政)

(2) 

人としても評価されている。

我国においても,多くの論者によってヘス氏の論文が紹介されているが,

とりわけ,敷田教授の論文(参照文献⑪,⑫)は,ヘス氏の一連の論文をす

(3) 

べてに亘って論じられた優れたものである。ここでは,上記の参照文献を中 心にしてヘス氏の損益分岐点分析論の概要をみることにする。

ヘス氏の

1897

年の論文(末尾の主要文献〔

1

〕)は,チャビン氏によれば,

今日の損益分岐点分析において使用されているものと殆んど同じ形式

( f o r ‑ mulas)

のものを使用している。それは固定費・変動費の明確な区分把握を 行ない,若干のグラフを使用しているが,真の損益分岐点図表

( at r u e  b r e a k ‑

(4) 

even  c h a r t )

を含めていないとされている。また彼はあとの論文でも多くの グラフを使用しているので, ドーおよびジョソソン両教授によれば,ヘス氏 はグラフを好む

( p e n c h a n t )

産業技術者

( i n d u s t r i a le n g i n e e r )

であるといわ

(5) 

れている。

損益分岐点図表そのものを最初に描いた文献とされるのほ,むしろ一般的 にほ,

1903

年の論文(主要文献〔

2

Manufacturing:C a p i t a l ,  C o s t ,  P r o f i t s ,   and Dividends"

である。彼はこの論文の中で今日使用されている損益分岐 点図表と全く同じような図表を2つ描いている。これらは世界最初の損益分 岐点図表として価値の高いものであるから,ヘス氏の論文を直接見ることが

(6) 

できなかったが,パーカー氏によって引用されたものを孫引させていただ<

ことにする。

これらの図表について説明を加えると,パーカー氏により引用されたヘス 氏の初めの図表は今日会計学の書物で広く使用されている損益分岐点図表と 事実上同じである。しいていえば,彼の図表と今日の損益分岐点図表との相違

(2)  C h a r l e s  Weber,  o p .   c i t . ,   p .   1 7 .

(参照文献⑥)

(3) 

敷田教授ほヘス氏に関する文献を詳細に調べられた上,それぞれの論文につい て個々に詳しく論じられている。本稿末尾のヘスに関する主要文献は敷田教授(参 照文献⑪,⑫)に負う所が大きい。

(4)  Ned C h a p i n ,  o p .   c i t . ,   p .   1 4 9 .

(参照文献⑧)

(5)  A l i c e  S .   Dow and O r a c e  J o h n s o n ,  o p .   c i t . ,   p .   3 0 .

(参照文献⑥)

(6)  R .  H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p p .  6 3 .   6 4 .

(参照文献⑦)

(9)

2 6 0 , 0 0 0  

$  2 4 0 , O O O  

2 2 0 , 0 0 0  

2 0 0 , 0 0 0  

1 8 0 , 0 0 0  

1 6 0 , 0 0 0  

1 4 0 , 0 0 0  

1 2 0 , 0 0 0  

1 0 0 , 0 0 0  

8 0 , 0 0 0  

パーカー氏の第

4• 1

P l a

!

e x p e p s e   T o t a l  s t a r t i n g  e x p e n s e  

1 0   2 0   3 0   4 0   5 0   6 0   7 0   8 0   9 0   1 0 0   m e n  

0  1 0 0   2 0 0  3 0 0   4 0 0   5 0 0   6 0 0   7 0 0   8 0 0   9 0 0   1 0 0 0  1 1 0 0  1 2 0 0  1 3 0 0   t o n s   F i g .  4 . 1   C o s t s ,  R e c e i p t s ,  and P r o f i t s   (Henry H e s s ,  1 9 0 3 )  

はドーおよびジョンソン両教授によると,変動費を直接経費と間接経費とに 再分類し,固定費を操業開始経費

( s t a r t i n ge x p e n s e )

と工場経費

( p l a n te x ‑

( 7 . )  

p e n s e )

に再分類することであると述べられている。じたがって,

netr e c e i p t s  

を純売上高と解すれば,両者には殆んどの相違がないことになる。しかし,

(8) 

注意すべきことはドーおよびジョソソン両教授のつぎの指摘である。それは ヘス氏自身が損益分岐点図表

( b r e a k ‑ e v e nc h a r t )

と名付けていないことと,

また損益分岐点

( b r e a k ‑ e v e np o i n t )

と名付けないで,その位置を単に

0 , ,

として,費用・収益線の交点

( t h e p o i n t   of i n t e r s e c t i o n   of t h e   c o s t 叩d revenue l i n e s )

と呼んでいることである。このことはヘス氏の

2

番目の図表

(7)  A l i c e  S .   Dow and O r a c e  Johnson o p .   c i t . ,   p .   3 0 .  

(8)  A l i c e  S .   Dow and Orace J o h n s o n ,  o p .   c i t . ,   p .   3 0 .  

(10)

42 ( 4 2 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

バーカー氏の第

4 • 2

2 6 0 s  , 6 0 3  

2 . ; o . c o o  

2 2 0 , 0 0 0  

1 6 0 , 0 0 0  

1 4 0 , 0 0 0  

l

3 0 2 5 2 0 1 5 1 0 5 0 5 1 0 1 5  

% 

゜ ー

d

o

c  ー ^ " no  

"  

'  

h

' . !

l ' o o (  

0 0   0 0  

9 9  

0 0   4 2   1 2 0 , 0 0 0  

1 0 0 , 0 0 0  

u l u   2 U   3 0   4 0   5 0   6 0   7 0   8 0   9 0   1 0 0   men  0 ‑ f f f 0 2 0 0   300  4 0 0   5 0 0   600700  80◊--900 l O O Q  1 1 0 0  1 2 0 0  1 3 0 0  t o n s  

F i g .  4 . 2  C a p i t a l ,  P r o f i t ,   and Dividends (Henry H e s s ,  1 9 0 3 )  

についても同じことがいえる。

ヘス氏の 2番目の図表の大きな特徴は使用資本利益率

( t o t a lp r o f i t s   a s  

of c a p i t a l   employed)

を描いている点である。このような使用資本利益率の 曲線化をはかり,それを損益分岐点図表に示すことはなお今日でも古くて新 しい重要な問題である。したがって,このようなヘス氏のアプローチは独創 的なものとして高く評価しなければならない。この図表の具体的な数値理解 のために,つぎに敷田教授の論文を部分的に借用させていただくことにする。

「……その作図も確認しておこう。投下総資本線と総純売上高線との交叉点 における総資本は

2 2 3 , 0 0 0

ドルでそのさいの利益は

5 9 , 0 0 0

ドルなるゆえ投下 資本利益率は約

2 7

%となり,これを右縦端欄の%の目盛にとった点とゼロ%

(11)

の点とを結べばよい。彼は,さらに,全利益を配当に回してしまうと投下資 本利益率線は投下資本配当率(%d

i v i d e n d s  on c a p i t a l  employed)線と同じ

になるとし,たとえば約

1 , 0 3 0

トンの操業度では

7 6

人の労働者と

27

%の配当 率を十分維持することができ,

1 0 0

人の操業度では配当率が約

3 8

%にまで上 昇し総資本は 12,000 ドル~

( 1 0 0

人のときの総資本

2 3 5 , 0 0 0

ドル)一

( 7 6

人の ときの総資本

2 2 3 , 0 0 0

ドル)

= 

1 2 , 0 0 0

ドル)>だけしか増加せず, この額は

(9) 

増大利益の絶対額

3 0 , 0 0 0

ドル

( = 8 9 ,0 0 0

ドルー

5 9 , 0 0 0

ドル)より少いという。」

と説明されている。なお,敷田教授はこれらの基礎数値(たとえば,

1

時間 当りの変動費,変動的運転資本額)についても詳細に説明されているが,こ こでは,省略することにしたい。

以上のように,ヘス氏の2番目の図表は原価と収益の関連のみでなく,資 本,配当,減債積立金の変化まで考慮し,使用資本利益率ならびに総資本配 当率を取りあげていることは注目すべきであると思う。

ヘス氏の他の論文(末尾の主要文献〔3〕,〔 4〕・〔 5〕6〕7〕)は論 題から見ても損益分岐点分析そのものより他の問題を主題としているので,

それらは部分的に損益分岐点思考があらわれているに過ぎないと思われる。

したがって,ここではそれらを取りあげないことにした。

ヘス氏の

1 9 1 0

年の最後の論文(末尾の主要文献〔

8

〕)については,パー カー氏によれば,固定費が使用機械数の増加によって飛び上る

(jump)とい

う最も重要な性格を認識した複雑な図表

( d i a g r a m )を含んでいると述べられ

( 1 0 ) .  

ている。なお,この論文は

1 9 0 3

年の論文(主要文献〔

2

〕)のうちの資本と原

( 1 1 )  

価の関係について具体的に展開されたものであるといわれている。

以上のように,ヘス氏は損益分岐点図表としてこそ名付けていないが,実 質的には今日の損益分岐点図表と変らないものを論じている。しかし,計算 表形式によるものと,数式(公式)による形式による損益分岐点分析が取りあ げられているかどうかは疑問である。

(9) 

敷田礼二稿:::前掲論文

( 1 )

244

頁(参照文献⑪)

( 1 0 )   R.  H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p .   6 5 .  

( 1 1 )  

この点については敷田教授の論文を参照されたい。

(12)

44 ( 4 4 )  

損益分岐点分析の発展過程(末政)

ヘス氏と殆んど同じ頃,すなわち,

1 9 0 4

年にイギリスにおいて

S i rJohn  Mann

の論文(末尾の主要文献〔 9〕)が発表された。スコットランド勅許 会計士であるマン氏のこの論文は, ソロモンズ教授(参照文献①),パーカー 氏(参照文献⑦),国弘教授(参照文献⑩)等によって,損益分岐点図表が 取りあげた初期の重要な文献であるとされている。マン氏の論文について,

国弘教授,パーカー氏の説明によりその概要をみることにする。

マン氏もヘス氏と同じように,損益分岐点図表という用語は使用していな ぃ。マ`ノ氏は作業時間

1

時間当りの製造経費を配賦する場合に配賦不足ない し超過が生ずるが,この関係を一つの図表

( d i a g r a m )

に示す形で展開してい

( 1 2 )  

る。パーカー氏によって引用された彼の図表を孫引するとつぎの如くである。

パーカー氏の第

4・3

N o r 叫 t i m e

H a l f  t i m e  o r  s l a c k  s e a s o n  

°

1 5 0   1 3 0  

90  70 

幽 廷 1 8 0 0 ― 2 0 0 0 ‑ ‑ 2 2 0 0 2 4 0 0   2 6 0 0   2 8 0 0   3 0 0 0 寧

H o u r s  

F i g .  4 . 3   S i r  Jhon Mann,s diagram ( 1 9 0 4 )  

マン氏の図表は機械収益力

( e a r n i n g sof machines)

と経費との一致点を示 すものであるが,これは純売上高(収益)と費用との一致点を示す今日の損 益分岐点図表とは異るので,国弘教授によれば,「……しかしこれは,各作業 時間の場合に,製造経費の配賦の過不足がどのように生ずるかを示すように

( 1 3 )  

した図表であって,今日の利益図表とは異なったものである。」 と一応区別

( 1 2 )   R .  H.  P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p .   6 6 .  

( 1 3 )  

国弘員人稿哺前掲論文,.

1 0

頁(参照文献⑩)

(13)

され,さらに,「……マソ氏は,この図表で「機械所得をます線を企業の総回 転高または収益とするようにすると,黒点のつけてあるところ(総経費に比 べて,機械所得の過不足)は,企業の純損益を示すのに役立つことになる」

(217‑218

頁)としているから,マソ氏も今日の利益図表と同じもの,少な くとも非常に近いものを考えていたのである。この意味においては,マンを

( 1 4 )  

もって,利益図表を考えた最初の

1

人とみることができるのである。」 と結 論づけられている。マン氏の図表については国弘教授の優れた論述によって も明らかなように,損益分岐点分析の意味を広狭どのように解するかによっ て損益分岐点図表の最初のものとするかどうかの評価が決まることになる。

しかし,マソ氏の論述の中には図表だけでなく,計算表形式で図表の意味す

( 1 5 )  

るものと同じものを示している点は注目すべきである。

上に取りあげたヘス氏とマン氏の論文は,今世紀初頭より

1 9 1 0

年までの約

1 0

年間にみられる損益分岐点分析に関する重要な文献であった。しかし,つぎ

1 0

年間すなわち

1 9 1 0

年代には損益分岐点分析を論じた文献は私の調べた範 囲内では見ることができなかった。したがって,本稿末尾の主要文献におい ても,ヘス氏の

1 9 1 0

年の論文(主要文献〔

8

〕)からノイッペル氏の著書(主 要文献〔

1 0

に至るまで空白期間になっている。では,この

1 0

年間は文字 通り損益分岐点分析は空白であり,展開されなかったかというと問題であり,

むしろこの期間は損益分岐点図表を企業経営に実際に適用を試みた年代であ ると考えるべきであろう。

その事実は

1 9 2 0

年代と

1 9 3 0

年代に発表された文献(末尾の主要文献〔

1 0

1 5

〕,⑫〇〕,〔

2 4

〕)によって確めることができる。

ノイッペル氏はペソシルバニヤ州ワーレンの

S t r u t h e r s ‑ W e l l sCo.

1 9 0 8

年から

1 9 0 9

年にかけて損益分岐点図表を用いた。その図表は吋むしろ素朴

な交叉図表,.(

r a t h e r  crude c r o s s o v e r  c h a r t )

として彼が作図したものであっ

( 1 6 )  

た。これは損失の終りと利益の初まる位置を知らすことができるように,企

( 1 4 )   国弘員人稿:::前掲論文::: 1 0 頁

( 1 5 )   国弘員人稿:::前掲論文::: 1 0

頁参照

( 1 6 )   R .   H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p .   6 7 .  

(14)

46  ( 4 6 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

業を全体として図表的に示す仕方で例示していると,彼の

1920

年の著書(主

( 1 7 )  

要文献〔

10

〕)で注釈づられたものである。

さらに,産業技術者である

F .J .   Reuter

(主要文献〔

15

〕)によれば,

19 13

年に,製造企業における業務で渭路線設定図表"'

( a l i g n m e n t  c h a r t )

と名

( 1 8 )  

付けた図表を使用していたと自称している。

上のようにみると,

20

世紀初めより,

1920

年代にかけての

20

年間は損益分 岐点分析の生成が少数の若干の人々によって,個々別々に企てられた時代で あるということができる。

4 .  

損 益 分 岐 点 分 析 普 及 化 へ の 歩 み

今世紀初頭から

1920

年代にかけての約

20

年間は,文献的には,ヘス氏,マ ン氏以外はみるべきものがなかった。損益分岐点分析は単に純理論的な机上 の研究成果ではなく,製造企業における業務の実際的な改善に関連して実証 的に開発研究されたものである。この

20

年間はいわば損益分岐点分析への模 索時代といえるであろう。このような実践的利用への模索をへて,つぎの

10

年間すなわち

1920

年代は文献的にも多くの著述が多くの人によって行なわれ

るようになった。

まず,文献的に

1920

年代のトップを飾るものは

C h a r l e sE .  Knoeppel

1920

年の著書(末尾の主要文献〔

10

である。この書物は汀図表的生産管 理=のタイトルのように,直接的には,生産管理を取扱ったものであり,今 日の損益分岐点図表の原形とみられる図表とそれに関する説明は僅か半ペー ジ位しか行なわれていない。なお,ノイッペル氏はテーラー,ガント,ニマ ースンの流れをくむ科学的管理法の信奉者とみられる産業技術者である。ノ イッペル氏のこの書物における図表

Figure1 4 0 ,   Shop Standards a t  D i f f e ‑

(1) 

r e n t  C a p a c i t i e s "

しま今日の損益分岐点図表と殆んど変らない形で描かれてお り,ノイッペル氏の損益分岐点図表に関する公表されたものの中で最初のも

( 1 7 )   R .   H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p .   6 7 .  

( 1 8 )   A l i c e  S .   Dow and O r a c e  J o h n s o n ,  o p .   c i t . ,   p .   30 。

(1)  C h a r l e s  E .  K n o e p p e l ,  G r a p h i c a l  P r o d u c t i o n  C o n t r o l ,  1 9 2 0 ,  p .   3 7 8 .  

(15)

のであるといわれている。しかし,この図表では,彼が後に使用した::::利図益 : (

p r o f i t g r a p h )の用語は使われていない。この図表 ( F i g . 1 4 0 )

について の説明をみると,損失が終り,利益が初まる位置を知らすことができるよう に,全体として企業を図表的に示す方法を例示すると述べ,ついで,費用線

と売上線がある点で交叉し

( c r o s s )

,その点の左側ほ損失となり,その右側は

(2) 

利益になると述べている。なお,ノイッペル氏の著作はこの書物以降1

9 3 0

代まで文献的にはみられない。

つぎの主要な文献は

WalterR a u t e n s t r a c h

の1922年の論文(主要文献〔11 である。ローテンストラッハ教授はコロソビア大学工学部教授でノイッペル 氏と同様生産管理論の大家であり,また

V i l l e r s教授の恩師である。彼の19 22

年の論文ほヘス氏,マン氏,ノイッペル氏とは別個独立的に損益分岐点分

(3) 

析を—早く展開していると高く評価されているものである。その一つの理由

'は,パーカー氏によれば,この頃まで経済学者,産業技術者,会計士のいず れもが吋員益分岐点図表:::: (

b r e a k ‑ e v e n  c h a r t )

の用語を使用しておらず,彼

(4) 

b r e a k ‑ e v e n "

の用語を最初に使用した人であったからである。なお,彼 の図表すなわち

TheGraphic B a s i s  o f  a  B u d g e t'

は損益分岐点図表と名 付けていないが,今日一般に使用されている損益分岐点図衷と同じである。

この図表についてほ,総費用線と売上高線の交点

( i n t e r s e c t i o n )

が会社の損

(5) 

益分岐点になるであろう売上高を指示すると説明している。

なお,ローテンストラッハ教授は第

1

次世界大戦以前にすでにコロンビア

(6) 

大学の講義で損益分岐点図表を使用していたと,ビラーズ教授は述ぺている。

さらに同じ1922年に出た

JohnH. W i l l i a m s

の論文(主要文献〔12〕)で ほ,数学的例示の方法によって損益分岐点分析が展開されている。ウィリア ムズ氏もまた産業技術者であり,この論文もテーラー協会の会報に発表され

(2)  C h a r l e s  E .   K n o e p p e l ,  o p .   c i t . ,   p .   3 7 6 .   (3)  Raymond V i l l e r s ,   o p .   c i t . ,   p .   2 9 6 . (参照文献④)

(4)  R .   H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p .   6 9 . (参照文献⑦)

(5)  R .   H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p .   7 0 .  

(6)  Raymond V i l l e r s ,  o p .   c i t . ,   p .   2 9 6 .  

(16)

48 ( 4 8 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

たものである。ウェバー教授によれば,ヘス氏の

1 9 0 3

年 の 論 文 ( 主 要 文 献

2

〕)以降約

2 0

年間,固定費・変動費区分に関連する多くの利点について認 識されなかったが,

1 9 2 2

年に至ってウィリアムズ氏のこの論文によって,こ

(7) 

の種の問題が再検討されたと高く評価されたものである。

この論文における損益分岐点分析の数学的説明について,パーカー氏の述 べるところをみると,ウィリアムズ氏が:::分岐する点::: (

b r e a k i n g  p o i n t )

呼ぶところのものは,固定費および利益に対する貢献額によって固定費を割 ることにより計算できる。さらに計算例では,固定費にあてられる単位売上

0 . 2 0

ドル(単位売上から単位変動費を差引いたもの……筆者),固定費

1 2 0 , 0 0 0

ドルのとき, この

1 2 0 , 0 0 0

ドルを

0 . 2 0

ドルで割ると,

b r e a k i n g  p o i n t

とし

(8) 

ての

6 0 0 , 0 0 0

ドルの答が得られる,と述べられている。しかし,パーカー氏 の論述によれば,彼のこの

1 9 2 2

年の論文には,いかなる損益分岐点図表も含

(9) 

まれていないと述べている。なお,ウィリアムズ氏の損益分岐点図表論につ いて,西野氏の著書(参照文献⑧)によれば,つぎのように述ぺられている。

「併し乍ら,損益分岐点図表としーて公式に世に発表したのはウィリアムズ氏 を以て嘴矢とするであろう。彼は

1 9 2 3

年之をテーラー協会の会報

( T e c h n i q u e f o r  t h e  C h i e f  E x e c u t i v e  B u l l e t i n  o f

出eT

a y l o r  S o c i e t y )

を通じて発表した

るに始まり,其後

1 9 2 5

1 9 2 6

2

回の改正を企てこの図表を完全なる経

( 1 0 )  

営主脳者図表となした。」 とされている。

しかし残念なことに,

1 9 2 3

1 9 2 5

1 9 2 6

年の論文をみることができな かったので,その場合の損益分岐点図表がどのように描かれているか不明で ある。しかし,ウィリアムズ氏をもって損益分岐点図表の創始者とすること には若千の問題があると思われる。

以上のように,

1 9 2 2

年のウィリアムズ氏の損益分岐点図表については若干 疑問が生ずるが,数式による表現形式をとった損益分岐点分析論としては恐

(7)  C h a r l e s  W e b e r ,   o p .   c i t . ,   p .   1 7 .

(参照文献⑥)

(8)  R .  H.  P a r k e r ,   o p .   c i t . ,   p .   7 0 .   (9)  i b i d . ,   p .   7 0 .  

( 1 0 )  

西野嘉一郎著「前掲書」

3 4 5

頁(参照文献⑧)

(17)

らく最初のものであろう。この点について高く評価さるべきである。

また,その頃,損益分岐点図表の使用を開拓したのは産業技術者の

F . J .  

Reuter

の1926年の論文(主要文献〔15〕)であった。この論文で,彼は一般 に損益分岐点図表と目されるう路線設定図表::: (

a l i g n m e n t  c h a r t )の使用を主

張しており,その展開は路線設定図表理論の父といわれる

D'Ocagne教授の

( 1 1 )  

功績にしている,とドーおよびジョンソン両教授は指摘している。

さらに,

1923

年には,アメリカ会計協会

( N .A. C .  A.

)の会報に

A.F .   S t o c k  and M. B .  Gordon

の論文(主要文献

( 1 3

〕)が発表された。 ドーお

よびジョンソン両教授によれば,この論文は

b r e a k ‑ e v e n ' '

ないし

p o i n t o f  p r o f i t "の手法を会計専門家に与え,その利益点図表 ( p o i n tof p r o f i t  c h a r t )  

は今日の会計学教科書に書かれている基本的な損益分岐点図表と同じもので ある。しかし,その図表は

Hess‑Knoeppelc h a r t ,   D'Ocagne‑Reuter  c h a r t ,   R a u t e n s t r a c h  c h a r t

のいずれの流れをくむか,またそれと異った第

4

番目の

( 1 2 )  

ものであるかは明らかでない,と論じている。

以上,

1920

年代の損益分岐点分析に関する主要文献について概略みてきた が,この

1 0

年間は生産管理の専門家である産業技術者を中心にして,具体的 な実践課題として損益分岐点分析が取りあげられている。それは第

1

次世界 大戦前後の工場の能率改善的立場から損益分岐点図表がまず展開されたので あった。しかも,数式による表現形式の損益分岐点分析がこの頃から展開さ れ,また会計専門家の中にも損益分岐点分析へ注目するものが現われた年代 であり,損益分岐点分析普及化への歩みを続けた年代として特色づけること ができるであろう。

5 .

・ 損 益 分 岐 点 分 析 実 用 化 へ の 歩 み

1920

年代が損益分岐点分析普及化への歩みを続けた年代であるとすれば,

1930

年代は損益分岐点分析が実業界で実用化された年代である。その事実は ノイッペル氏の

1930

年の各論文(主要文献〔1冗,〔18〕,〔印〕,〔20〕)と,ロー

( 1 1 )   A l i c e  S .   Dow and O r a c e  J o h n s o n ,  o p .   c i t . ,   p .   3 0 . (参照文献⑥)

( 1 2 )   i b i d . ,   p .   3 1 .  

(18)

50 ( 5 0 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

テンストラッハ教授の1930年の著書(主要文献〔29 により口火がきられ ていることによっても明らかである。

損益分岐点分析の普及ならびに実用化に多大の貢献をなした

C h a r l e sE .   Knoeppel

の論述をみることにする。ただし,すべての業績(主要文献〔17

(1) 

→⑫8〕)は重要であると思われるが,ここでは若干の人によって取りあげら れた問題点を中心にして,ノイッペル氏の損益分岐点分析論の特徴を概略み ることにしたい。なお,ノイッペル氏の利益図表論については,我国では西

(2) 

野氏により詳細に亘るすぐれた紹介が行なわれている。

1930

年代におけるノイッペル氏ほ多くの著述によって精力的に損益分岐点 分析を論じているが,損益分岐点図表

( b r e a k ‑ e v e nc h a r t )

の用語そのものほ 使用しないで,当初交叉図表

( c r o s s o v e r c h a r t )

の用語を使い,後には利益 図表

( p r o f i t g r a p h )

と名付けた図表の中で損益分岐点を取扱っている。この 間の推移について,ウェバー教授によると,当初交叉図表として使用された ものが:::利益工学アプローチ:::

p r o f i t  e n g i n e e r i n g  a p p r o a c h )により洗練さ

1937

年に完全な形のもの(利益図表……筆者)に発展せしめられたと述

(3) 

べている。さらに,ウェバー教授ほノイッペル氏の損益分岐点思考を考察し た上で,ノイッペル氏が高度の複雑な要素を混入した損益分岐点図表

( h i g h l y s o p h i s t i c a t e d   b r e a k ‑ e v e n   c h a r t )

を展開しており,また,これらの図表が価 値ある管理用具であるとみなし,この分析手法の璽要性を正当化している,

(4) 

と述べている。

この分析手法の重要性は何を意味するかについてはバーカー氏のつぎの指 摘が重要である。それは,ノイッペル氏の最も重要な貢献が弾力性予算手法 に図表分析を結びつけたことであり,彼の利益図表が本質的に

1

カ年またほ 短期の:::図表的基本予算:::

g r a p h i c  master b u d g e t )

ないし:::図表的変動予 算損益計算書

( g r a p h i cv a r i a b l e  budgeted income s t a t e m e n t )

として取り上

(1) 

パーカー氏,ウェバー教授,

卜 r . . . L

およぴジョンソン両教授である。

(2)  西野嘉一郎著「経営監査」(参照文献⑧)

(3)  C h a r l e s  Weber, o p .   c i t . ,   p .   3 2 . (参照文献⑥)

(4)  i b i d . ,   p .   3 3 .  

(19)

げられ,利益図表が科学的予算

( s c i e n t i f i cbudgeting)

すなわち変動予算に関

(5) 

する図表上の計画

( p l a n )

を示すものであるとした点である。この点,ノイ ッペル氏の利益図表論をみる場合注目すべきであろう。

さらに,損益分岐点図表の用語を使用しなかったことに関連して,パーカ ー氏は彼の「図表

( c h a r t )

が企業の損益分岐点の指示器としてよりも図表的 予算としてより有用であるが故に,彼の利益図表

( p r o f i t g r a p h )

を固守しな

(6) 

かったことは若干の点からみて残念である。」と述べているが,このことはノ イッペル氏が損益分岐点のみを単にみるというよりも,それを変動予算によ り一層活用するといった考え方をしていることがわかる。したがって,ノイ ッペル氏は利益工学的アプローチと結びついた変動予算(科学的予算)を展 開する用具として利益図表を論じていることになる。また,この点に彼の最 大の特徴が見出されなければならない。

このようなノイッペル氏の損益分岐点図表論への多大の貢献にも拘らず,

むしろ,ローテ ノストラッハ教授の方が一般の新聞や雑誌上では名声を得て

(7) 

いるようである。その理由の

1

つはよき後継者であるビラーズ教授の著述に

(8) 

よるものと思われる。

損益分岐点分析の発展に対する貢献において,ノイッペル氏と比肩される

Walter  Rautenstrach

の論述をみると,損益分岐点分析に関する

1930

年代の 彼の著述(主要文献〔

29

〕,⑱

0

〕,〔

3 1 ] ,

3 2 ] , ( 3 3 ] )

は多い。しかし,論―

文等によく引用されるのは

1930

年の著書(主要文献〔

2 9 ]

)であり,我国でも

(9)  ( 1 0 )  

早くから西野氏によって紹介されている。ここでは,それに対して若干の人 によってなされた評価をみることにする。

ドーおよびジョソ ノン両教授によれば, ローテンストラッハ教授の吋員益

(5)  R. H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p .   6 7 . (参照文献⑦)

(6)  i b i d ,   p p .   6 7 ‑ 6 8 .  

(7)  A l i c e   S .   Dow and O r a c e  J o h n s o n ,  o p .  c i t . ,   3 0 . (参照文献⑥)

(8)  Raymond V i l l e r s ,   o p .   c i t . ,   p .   2 9 6 . (参照文献④)

(9) 

西野嘉一郎著「事業財政分折観察法」高陽書院

昭和 9 年 参 照

( 1 0 )  

パーカー氏,ウェバー教授, ドーおよびジョンソン両教授である。

(20)

52 ( 5 2 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

分岐点::: (

b r e a k ‑ e v e n  p o i n t )

に注意のキャッチ・フレーズは,大恐慌

( G r e a t Depression)

下のアメリカ経済において会社経営の責任を負っている人々の 思考の中で話しかけるような形で最も大きな衝撃を与えた。それはいやがう えでも彼等の主要な関心の

1

つになった経済的目的すなわち損益分岐点につ

( 1 1 )  

いて述べているからであったと,論じられいる。

ローテンストラッハ教授の損益分岐点図表そのものについては特異な形の ものでなかったためか,ウェバー教授,パーカー氏とも数式を使用した損益 分岐点分析の方法に彼の特徴を認めている。この点に関連したウェバー教授 の論述をみると,損益分岐点売上高

( b r e a k ‑ e v e n volume)

の決定のため公

( f o r m u l a s )

の使用を取りあげ集約的に研究したアメリカ人として,ローテ

、ノストラッハ教授,マイナー氏,ノイッペル氏の

3

人の名をあげ,前

2

者の 所説を取りあげている。ただし,あとのノイッペル氏については

1 9 3 0

年の論

( 1 2 )  

文(主要文献〔

2 0

〕)名の指摘のみに終っている。

ローテ ノストラッハ教授のそれらに関する公式について,ウェバー教授の

( 1 3 )  

説明をみると,彼ほ:::利益が消失する損益分岐点::: (

break‑even p o i n t  of v a ‑ n i s h i n g  p r o f i t s )

を決定するために最初の公式を使用したが,さらに,直接原 価計算の基本方程式と同じである:::利益の法則:::

law o f  p r o f i t s )

にも発展

させた。前者のための具体的な公式はつぎの通りである。

利益が消失する売上 固定総費用

( c o n s t a n t   t o t a l   c o s t )  

それに相当する売上変動総費用

( v a r i ( a c b o l r et r e o s t p a o l n   c d i o n s t g ) s   a l e s )

また,後者のための公式はつぎの通りである。

利 益 = (売上ー変動総費用)一固定総費用

( 1 4 )  

パーカー氏もこの点を取りあげ,ウェバー教授と同様に高く評価している。

それはこのような公式によって,利益を取りあげる考え方が会計学における 貢献利益アプローチの

1

つとして高く評価されるからである。

( 1 1 )

i c eS .   Dow and O r a c e  J o h n s o n ,  o p .   c i t . ,   p .   3 1 .   ( 1 2 )   C h a r l e s  Weber, o p .   c i t . ,   p p .  3 3 ‑ 3 4 .  

( 1 3 )   i b i d ,   p p .  3 5 ‑ 3 6 .  

( 1 4 )   R .  H. P a r k e r ,  o p .   c i t . ,   p p .   7 0 ‑ 7 1 .  

(21)

つぎに,ノイッペル氏の編著(主要文献〔24〕)の中に含まれている

Arthurs

J .   Minor

の論述(主要文献〔39〕)に関するウェバー教授の叙述をみると,

( 1 5 )  

マイナー氏はつぎの

2

つの公式を使用している。

◎ドルによる:::営業利益なしの点::: (

o p e r a t i n g  p r o f i t l e s s  p o i n t )  

= 

総固定費(ドル)

__総変動費(ドル)純売上合計(ドル)

◎比率による利益なしの点の操業度

( p e r c e n t a g ec a p a c i t y  p r o f i t l e s s  p o i n t )  

総固定費(ドル)

=総利益(ドル) +総固定費(ドル)

ウェバー教授ほ,マイナー氏が

1‑V/S

の用語を使用していなかったが,

p/V 比率の基本的重要性について十分に知っていたとし, C•V•P 分析の

( 1 6 )  

分野におけるマイナー氏の貢献に高い価値を認めている。

弾力性予算論で著名なウィリアムズ氏の

1934

年の著書(主要文献〔

44

について,ウェバー教授の叙述をみると,まず, 1930年代の C•V•P 関係 の集約的研究に最も貢献した人として,ウィリアムズ,ローテンストラッハ,

( 1 7 )  

ノイッペルの

3

氏をあげている。彼のこの著書でほ,

1 9 2 2

年の論文でみられ なかった損益分岐点図表が明確に描かれている。ウェバー教授により引用さ れている図表は,縦軸に:::費用と売上高:::(c

o s tand s a l e s  volume)を示し,

横軸に:::事業量:::

(vol~e of b u i s n e s s )を示したものである。この図表は今

日の損益分岐点図表と同じものであり,特徴としては底部に比例費

( p r o p o r ‑ t i o n a l  c o s t )

を描きその上に固定費

( c o n s t a n tc o s t )を積み重ね,売上高と比

例費との差額の三角形を:::固定費ないし利益に対する貢献額::: (

c o n t r i b u t i o n   t o   c o n s t a n t  c o s t  o r  p r o f i t )の領域と示している点である。さらに,この図表

のすぐ下に,弾力性予算として各事業量における売上高,比例費,貢献額,

( 1 8 )  

固定費,損益を

1

つの多桁式の計算表形式で示している。これは今日一般に

使用される計算表 (table) 形式の C•V•P 関係を示すものと同じである。

( 1 5 )   C h a r l e s  Weber, o p .   c i t . ,   p .   3 4 .   ( 1 6 )   i b i d ,   p .   3 5 .  

( 1 7 )   i b i d ,   p .   3 0 .  

( 1 8 )   i b i d . ,   p .   3 1 .  

(22)

54 ( 5 4 )   損益分岐点分析の発展過程(末政)

以上の点から,ウィリアムズ氏は弾力性予算を中心課題とし,それに損益 分岐点分析を結びつける形て考察した文献として高く評価されなければなら ない。この点, ウェバー教授は, ウィリアムズ氏がこの分野における最も有 力な研究業績をあげた

1

人として考慮されるに値するが,不幸にも,彼の発

( 1 9 )  

表はそれに値する程の注目を浴びなかった,と述べていることを十分考えて みる必要がある。

同じ1934年には,公認会計士

(CPA)である P r i o rS i n c l a i r

の著書(主要 文献〔

4 2

が発行されている。この書物は我国でも西野氏の著書(参照文 献⑧)等に紹介されているが,彼の損益分岐点分析に関する概要をみること にする。

ッソクレア氏は損益分岐点図表と一般に呼ばれるものを利益実現図表

( p r o f i t  r e a l i z a t i o n  c h a r t )

と名付け,それに関連して特に

1

章を設け2

6

頁に亘 り詳述している。彼は損益分岐点を利益実現点

( p r o f i tr e a l i z a t i o n  p o i n t )

名付け,その利益実現図表を

2

つの形式に分けて描いている。その

1

つは,

刊簡単な形式の利益実現図表=と名付け今日純利益図表といわれるものを描 いている。他の

1

つは, 刊典型的な利益実現図表=と名付け今日の慣習的な 損益分岐点図表を描いている。この点注目すべきである。なお,彼は利益実 現図表に関する種々の問題を取り上げるにあたり,ローテンストラッハ教授 の論文(主要文献〔3

,T.B .   Fordham and E .  H. T i n g l e y

の著書(主 要文献〔M〕

),H.R .  Malloryの論文(主要文献〔4

,E.S .   LaRose

論文(主要文献〔

3 6

〕)を参照し引用している。

さらに,ツンクレア氏は損益分岐点を公式によって算出する方法について も述べているが,その基本公式はローテンストラッハ教授のそれと同じであ る。しかし,特定状態において利益をもたらす売上高の決定公式,およびそ

の他種々の公式についても詳しく述べられており,今日 C•V•P 分析で取

り上げられる重要な内容を含んでいるといった面からみてすぐれた文献であ ると認めることができる。

以上のように,最初ノイッペル, ローテ、ノストラッハ,マイナー,ウィリ

( 1 9 )   i b i d ,   p .   3 2 .  

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