マ ル サ ス と 其 の 耐 會 経 濟 史 的 背 景
鰯︑緒言
室 谷 賢 治 郎
英國の就會経濟史上︑トマス・ロバート・マルサス(嵜①①ーμ︒︒︒︒εは産業革命との關係に於て特殊の地位を占
めて居る︒蓋し英國古典派の経濟學の父アダム・ス︑︑︑スは産業革命の未だ成就せられぬ以前に生活し著作した
のに封し︑マルサスは産業革命の韓憂をまのあたり観て論を爲したのである︒マルサスと産業革命との關聯は
﹁十八世紀英國産業革命史論﹂の著者アーノルド・トインビーが次の如く言へるに顧みても其の密接を知るべ
ひきである︒曰く﹁マルサスの人ロ論は當時既に盛んに進行しつ玉あつたところの産業革命の所産と考へて良か
めらう︒﹂之を吾國に於ける﹁マルサス人口論の研究﹂の︼家たる伊藤久秋敏授の言を籍りて詳言すれば︑﹁産業革
命の前晩に草したるス︑・︑スの目的は︑洋々たる前途の幸輻を望む航海者の立場にふさはしい︒産業革命の渦申
に書きたるマルサスの目的は︑翻つて︑來しかたの荊棘を見る旅人の立場に似つかはしい︒一は遠望者であり︑
マルサスと其の肚會煙濟史的背景九三
1)AmoldToynbee,]LecturesontheIndustrialRevolutionoftheEighteenth
CenturyinEngland・LondonIg23.P.65,芝 野 十 耶 課 「十 八 世 祀 英 國 産 業
革 命 吏 論 」 一・〇 八 頁
九四
め他は同想者である︒一は望むに忙しく︑他は回想の鹸裕をもつた︒﹂
然らば英國に第十八世紀の後牛から第十九世紀の初頭に亙つて起つたところの産業革命の脛過を叙述する
ことは︑直ちにマルサスの肚會経濟史的背景を爲し出すことになるかと言へば固より然りである︒併しなが
ら斯かる廣汎なテーマは本稿の如き紙幅の制限あるもの﹂取扱ふことを許されぬところであるから︑鼓には
産叢命の震捧ふ諸般の響的困難にしてマルサスの心漣切實し訴ヘマルサスをして途矢︒論を執
筆するに至らしめた限りの歴史的事實を考察することを適當とする︒
一七九八年匿名を以て公にせられた人口論第一版は︑著者自ら序文の冒頭に言ふやうに︑﹁本論文はゴド
わウインの研究者中に於ける論文の主題︑即ち貧慾と浪費とに關する一友人との會話に員ふ﹂ものである︒併
しながら同時に人口論はマルサス當時の救貧法改正案なる時事問題に燭れて居ることを閑却してはならぬ︒
此の鮎に於て米國の﹁肚會科學大僻典﹂の執筆者が左の如く敏へるのは謬の無いところである︒曰く︑﹁マ
ルサスの人口論は一部分は一七九六年のビツトの救貧法案に特に示されるところの慈善といふ辮別無き政策
に封する攻撃であつた︒救貧法案は之を保守政府が封建就會及び重商肚會の崩壌と之に伴ふ近世工業主義の
の褒生より生する困難に打克たんと努力して追及しつ玉あつたものである︒﹂マルサスが時事問題に少からざ
る注意を向け︑時に理論よりも重覗する傾のあつたことは否み難いところで︑英國に於けるマルサス研究の
ハおぜ泰斗ジエームス・ボナーの如きはリカルドオよリマルサスへの一書簡を引いて︑﹁マルサスに於ては想像 ◎
1)伊 藤 久 秋 著 「マ ル サ ス 入 口 論 の 研 究 」 二 〇 五 頁
2)AnEssayonthePrincipleofPopulation,asitaffectstheFutureImpro・
vementofSociety.London1798.
谷 口 吉 彦 露 「マ ル サ ス 入 口 論 」 序 言
高 野 岩 三 郎 ・大 内 兵 衛 共 灘 「マ ル サ ス 人 ロ の 原 理 」 序 3)Ta1◎ottParsons,Malthus.(EncyclopaediaoftheSocialScien㏄s.Vol.X.
P.68.)
的事例は稀有の例外であり︑生活或は歴史からの實例が原則である︒マルサスは1彼自身の語法を用ふれ
ば1科學を﹃功利﹄に從厨せしめんとした程︑此の方向に行き過ぎて居る︒(中略)マルサスにとつては眞
理の稜見は祉會の改良よりも重要でなかつた︒経濟上の眞理が改良の手段と爲されぬときは︑彼は之に封す
わる興味を失つたかの如く見える︒﹂とまで論じて居るのである︒
(註)一八二〇年十一月二十四日附リカルドナよリマルサス宛の書簡の一節に次の如くあろ︒﹁思ふに我等の相蓮に或ろ
瓢に於て貴下の拙著な観察するや小生が意圖する以上に實際的のものとぜられることに締ぜらるべく候小生の目的
に諸原理な明かにすうに在り之が爲めに小生に斯かろ諸原理の作用彪示し得ぺ毒極端電る場合な想像致しれるもの
に御座衡﹂
尤も論者によつては人口論を以てマルサスの性格の二元主義に關する評註であると見る者がある︒此の論
者に從へばマルサスは﹁確誰無くしては己れの望むことを信ぜしめる如き把握を己れの悟性の上に獲ること
のなかりし﹂ところの科學者であると同時に︑紳の道を世人に傳へることに身を捧げた借侶である︒人口論の
後牛にマルサスは共の公準を擶理の意思と調和せしめやうと努め︑人口の原理申には恩寵の目的があつたと
自ら満足しつム示して居る︒即ち紳は世界を現に見らる玉如く創造したけれども︑それは人間を審判によつ
て試練せんが爲めではなくて︑丈明の基くべき規律性及び計慮性といふ徳を開焚すべき訓練の過程を與へん
が爲めである︒生活が安易に過ぎるときは人間は決して其の可能性を實現せぬであらう︒人ロの原理が地上
びつに齎されたのは實に人間が理性を操練せんが爲めに外ならぬと論者は解繹するのである︒
マルサスと其の瀧愈縄濟吏的背景,九五
=) 2) 3) 4)
JamesBonar,MalthusandhisWork.London1885.P.2z3.堀 経 夫 ・ 吉 田
秀 夫 共 課 「マ ル サ ス と 彼 の 業 績 」 二 九 五 頁 LetterquotedbyEmpsoninEdin。Review,Jan.1837.
Essay,Firstedition,Preface,PP.iii‑‑iv.
Cf.JamesAlfredField,EssaysonPopulationandotherPapers.Compiled
andeditedbyHde駐FisherHohman.ThoUniversityofChicago?ress,
五93LP.261.
九六
何れにせよマルサスが人ロの原理を読いた裡には時代の窮厄に封する切々たる關心が見られる︒マルサスは
傅記學者の告げるやうに︑一七八四年歳十八にして劒橋大學ジーサス・カレツヂ臼窃霧O︒幕σq6に入り︑主と
して自然科學及び激學を修め︑﹁端正な自然哲學者﹂たらんと欲した︒而して一七八八年卒業の際には数學優
り等生(Z一謬}≦︑暴ロσq﹃﹃)としてバチエラー・オブ・アーツの學位を授けられた︒即ちマルサスは素と自然科學
を研究したが︑漸次に肚會科學に興味を抱き途に人ロ論を著すに至つたのである︒固より其の人ロ論の中には
わ﹁人ロは制限せられざるときは幾何級敏を以て増加し︑食物は算術級数を以て増加するに過ぎぬ﹂といふ激學
的様相が特に窺はれるけれども︑斯くマルサスに於て敷育の傳統と業績の猫創とが混清して居る事實は︑杜會
の愛動を省察せんとする學徒にとり興味ある與件であらねばならぬ︒人口論執筆・に際して會話を交へた所謂
﹁一友人﹂たるマルサスの父ダニエル・マルサスは始め傳統的の静かな生活を逡つたが︑次第に佛蘭西革命の思
ゐ想に共鳴し︑絡りにはヴナルテアと文通しルソオの指定遺言執行者となつたと謂はれる程矯激となつた︒之に
封して息のロバート・マルサスは偏好せる敷育から出嚢し︑次いで國教徒となり︑著作を通しては保守主義者
の東道となつた︒是れを時勢が前代のマルサスの自由主義に追付いたものと見るべきか︑將たマルサス一家が
ロバートに至つて保守主義に復蹄したものと考ふべきかの問題に移すとき興味は釜深められて行くのを畳え
る︒マルサスの姿を其の時代の反映に於て見んとする者は︑英國の室氣の中に醸生せられた功利主義と宗教的
の目的観といふ一見相容れざる二つの思想の合髄によつて右の特異性を解かんとするが︑併しマルサス自身は常
T)内 田 銀 藏 博 士 稿 「マ ル サ ス 先 生 略 傳J脛 濟 論 叢 第 二 巻 第 五 號(大 正 五 年 五
刀 號)所 載 塗 看 。
Cf.LeslieStephen,TheEnglishUtilitariaus.vo1.II.Londonigoo.P.139.
2)Essay,Isted.,P.z4.
3)J.Bonar,Malthus.(Palgrave,sDictionaryofPoliticalEconomy.Vol.II.p.668.》
伊 藤 久 秋 警 、 前 掲 書 三 七 一 頁 塗 看04)
に時代の幸編に留意し︑實際の経験を尊重する趣旨を明言して居るのである︒
例へば人ロ論初版の第十六章には次の如き言がある︒﹁博士アダム・ス︑ミスの研究の揚言した目的は諸國民
の富の性質及び原因である︒併しながら共の他に樹ほ彼が時に之と混同したところの︑恐らく更に興味ある一
の研究がある︒といふのは諸図民の幸輻叉は各國民の中最も多数の階級たる下暦就會の幸幅及び快樂を左右す
る諸原因の研究のことである︒吾人は此等二個の問題が密接なる關係を有すること︑而してまた一図の富を増
加する傾向ある諸原因が同時に一般的に言へば國民の下暦階級の幸幅を増進する傾向を有することを十分に熟
知して居る︒併し恐らく博士アダム・スミスは此等二個の問題を實際よりも更に密接な關係あるものと考へ︑
少くとも彼は一枇會の富が(彼の富の定義に從へば)増加するに拘らす︑其の肚會の勢働階級の快樂を増進す
るが如き何等の傾向無き場合あることを注意する邊が無かつたやうである︒﹂アダム・ス︑ミスが富の性質と原
わ因とを研究した如く︑マルサスは貧の性質と原因とを研究しつ玉あつたと謂はれる所以は鼓に存する︒
また一八二〇年に公にせられたマルサスの経濟原論は表題に特に﹁其の實際の適用を目的として考察す﹂と
いふ語を添へ︑序言中に下の如き句が見出される︒﹁現在経濟學者の聞に存する誤謬と異論との第一の原因は
簡翠化し一般化せんとの輕卒なる企圓を爲すに在るやう見受けられる︒而して其の實際上の反甥者が部分的事
實に屋訴へ忽卒の推論を爲す一方に︑此等の學者は反鐵の極端に奔り︑錯雑せる事物に關して專ら其の眞理と
の實利とを樹立し得べき廣汎なる且つ包括的なる経験に擦り理論を十分に吟味しやうとはしない︒﹂﹁本書の特殊
マツサスと其の社曾煙濟吏的背景九七
=) 2) 3)
Essay,Isted.,PP.303‑3◎4。
Cf.Bonar,MalthusandhisWork,P。5.
Malthus,PrinciplesofPoliticalE◎onomy,consideredwithaViewtotheir pτacticalApplication.LondonIg20.Introductionp.5.
9
九八
目的の一は實際に適用せんが爲めに経濟學の一般原則を準備しやうとするに在る︒それは屡経験に訴へ︑且つ
特定の現象の襲生に於て起る凡ゆる原因に就き吾人の能ふ限りの包括的な見解を探ることにょつて爲すのであ
りる︒L
然らばマルサスが最も念慮に置いた時代の根強い事實は何であるか︒是は彼の人口論の擦つて立つところの
公準を分析することによつて求められると思ふ︒即ちマルサスの立てる第一の公準﹁食物は人間の生存に必要
わである﹂といふ場合の食物及び人闇は何を意味するかを省みれば宜い︒食物の問題は土地の生産力に關聯する
が︑同時に食物就申穀物の債格と密接な關係がある︒人間の問題は増加し行く凡ゆる階級に及ぶけれども︑特
に下暦貧民階級には切實である︒マルサスの敵會維濟史的背景を描き出さんが爲めには斯くて筆を穀債の状態
より起し︑貧民の生活に及ぼさねばならぬと考へるのである︒
二︑穀債上騰の趨勢
マルサスが人ロ論の初版を公にした一七九八年は︑藪年來諸物債の上騰した年である︒蓋し一七九三年二月
一日英國は佛蘭西より宣職を布告せられ︑二十三年間の大職齪を交へる端緒を開き︑封外商業信用を失墜し︑
加ふるに國内農作物は人爲の努力が費されたにも拘らす︑天候に恵まれなかつたのである︒此の鮎に於て﹁物
債史﹂の著者トマス・トックは一七九三年を以て﹁英図にとつて︑欧洲にとつて︑否實に文明國にとつて年代