無戸籍と「離婚後
300日問題」
をめぐる社会問題の構築
―2006年~2008年における政策決定過程―
井 戸 正 枝
1.はじめに―課題と枠組み
国民登録制度としての戸籍制度は,家族に関わる実践や意識のあり方を規 定してきた主要制度のひとつである.本稿で扱う「無戸籍」とは,「子の出 生の届出をしなければならない者が,何らかの理由によって出生の届出をし ないために,戸籍に記載されない子が存在する」(桜井2016: 98)事態を指 す.この意味での無戸籍は,平成期に広く社会問題化され,戸籍登録にかか わる一定の制度変更がもたらされてきた.本稿はその過程をさまざまなアク ターによる動きとレトリックの連鎖に注目して明らかにする試みの一環とし て,2006年から2008年にかけて一定の進展をみた,いわゆる「離婚後300 日問題」への対応をめぐる政治過程を検討するものである.
戸籍制度は一定の家族像の前提の上に成り立つ.社会構成員の生活が多様 化するにつれ,戸籍制度が前提とする家族像との間には次第に齟齬が生じ,
制度へのさまざまな問題提起へとつながってきた.無戸籍に関する問題提起 もその一つである.調停・裁判の件数から計算すれば,直近20年で少なく とも1万人の無戸籍者が存在すると推定される.子が無戸籍となったケー スの約7割は,出生届提出の義務者である親には提出の意志がありながら 結果的に提出に至らなかったものであり,その大きな要因が民法772条の 嫡出推定規定である.この規定は子の身分事項と密接・直接に関係する「父 とは誰か」を親の恣意や夫の恣意によらず決定できるよう法が線を引き,子
の身分を早期に安定的に確立することを目的にしているが,その2項で婚姻 解消時より300日以内に出生した子については前夫との間に法的父子関係 を設定しているため,事実上婚姻が破綻し離婚届の提出が遅れたケース等で も離婚後300日内に出生した子の父は前夫となり,それを覆すためには前 夫を巻き込んだ調停・裁判等が必要となる.しかし,DV等の暴力を受けて いた場合はこうした裁判手続きをとることが難しく,結果,出生届が出され ないまま子は無戸籍となる.明治時代に制定された規定内容は現在に至るま で約120年間変わっておらず,母親への嫡出否認権の付与等男女平等の観 点や,また妊娠期間を含めた妊娠のメカニズムやDNA鑑定といったその後 の医学的進歩等社会状況の変化には対応していない.
無戸籍に関する研究はこれまで主に法学分野でなされてきた.本稿で扱う 無戸籍問題にかかわる研究も,多くが法制史や条文解釈の観点から裁判記録 等の検討を通し,民法の嫡出推定規定を扱ったものである(たとえば二宮
(2007),大村(2014),水野(2010)).いずれも嫡出推定規定が実務におい て大幅にその適用領域を限定され,空洞化されるに至った結果として無戸籍 問題が起こっていることを指摘,将来起こりうる紛争や多様なケースへの対 応を視野に入れ新たな立法の検討が行われている.しかし,どうしたら制度 が変わるのか,社会の変化はなぜ起こるのかという側面からの検討は乏し い.
法学以外の分野で戸籍制度を扱った主な研究には,政治学の遠藤正敏
(2010, 2013, 2017),公共政策学の稲垣陽子(2018),社会学の下夷美幸
(2019)の研究がある.遠藤は歴史をさかのぼって無戸籍問題の根源を探 り,それがいかに現在に帰着しているかについて検証している.稲垣は現行 戸籍制度に関して幼児が抱えた問題に焦点をあて,社会意識の観点から問題 提起を行なっている.下夷は無戸籍問題の主因である嫡出推定に関し,300 日問題は新しい問題ではなく,長らく離婚女性を苦しめてきた問題であると しながらも,嫡出推定とは別に,家族単位の戸籍制度が子の出生届の提出を 拒んでいる面も大きいといえる(下夷2019: 203)と指摘している.また,
戦後の日本社会において「夫婦と未婚の子」という戸籍編製単位に着目,戸 籍に記載された家族こそが正当な家族であり,あるべき家族であるとみなす 考え方を「婚姻家族」規範と呼び,現代家族が抱える問題の深淵となってい るとする重大な問題提起を行なっている.しかし,いずれの研究も,制度や その来歴を批判的に検討するものでありながら,制度がいかに変化するかを 明らかにするという問題関心には乏しい.批判の先に新たな社会制度の実現 を展望していくには,制度の変化過程の解明が不可欠であると考えられる.
本稿は,運動やメディアによるクレイムがいかに無戸籍の社会問題化と関わ り,制度的対応の可能性を拓いたかを検討することで,制度変化の過程の一 端を明らかにし,戸籍と社会をめぐる議論に新たな視角を付け加えようとす るものである.
現実によりよい制度を実現していく道筋を展望するためには,これまで現 実の制度がどのような社会的・政治的過程の中でどのように形成され,維持 されてきたか,また変化してきたのかを解明する作業が不可欠と考えられる が,戸籍制度に関する近年の変化をもたらした社会・政治過程を詳細に明ら かにする研究,とりわけ無戸籍問題の視角からはこれまでほとんど存在しな い.このような問題意識から,井戸(2020)では無戸籍者の存在がひとつ の社会問題として浮上し,政府からも一定の政策的対応意思が示されるまで の動きを,とくに運動とメディアに注目して検討した.そこでは,無戸籍を
「子どもの福祉上の問題」とする,昭和期とは異なるレトリックのもと,
1970年代に端を発する運動とそれを報じるメディアが手を携えて動き,大 衆の支持を喚起するなかで,無戸籍の社会問題化の端緒が開かれたことを示 した.本稿ではこれに続く政策形成段階,具体的には2006年から2008年 にかけて行われたいわゆる「離婚後300日問題」への対応をめぐる政治過程 を分析対象とする.この時期,国は初めて当事者らのクレイムに対して恒常 的に対応する具体的救済策を打ち出した(桜井2008: 102–8).いかにしてそ うした対応がとられるに至ったのかを,社会問題の構築主義のアプローチで 明らかにしていくことが本稿の課題である.
社会問題の構築主義アプローチとは「何らかの状態を社会問題と定義し,
それへの対処を求めるからこそ,その状態が社会問題として構築される」と いう発想に基づく研究プログラムである(赤川2012: 17).さまざまなアク ターによるクレイム申立てのレトリックにとくに注目し,その布置関係と展 開をたどることで,ある事柄が社会問題となる過程の解明をめざす.多様な 価値観や利害関係の錯綜する現実社会で真によりよい制度の実現を展望する ためには,まずは過去の問題構築過程における諸アクターの動きやクレイ ム,それらの相互関係を,不偏的立場から対象化し理解する試みが必要だと 考える.
分析に用いる主な素材は,運動団体の作成資料,メディア資料および出版 物,国会議事録,政治家による著作物,メディア関係者および議員を中心と するキーインフォーマントに対して行なったインタビューである.活字資料 だけではなくインタビュー資料を合わせて分析することで,クレイム申し立 て者の意図や背景をより立体的に明らかにすることができるだろう.なお筆 者は,無戸籍者家族当事者でもあり,本稿でも扱われる無戸籍者およびその 家族への支援活動を長年にわたり主導してきた.本稿は筆者自身,また筆者 の活動を,改めて社会問題構築過程全体の中に位置づけ,分析の遡上にのせ る試みでもある.過程の記述枠組みとしては,社会問題の構築過程を6段 階((A)クレイム申し立て(B)メディア報道(C)大衆の反応(D)政策 形成(E)社会問題ワーク(政策の実施過程)(F)政策の影響)に整理した Bestの「自然史モデル」(Best 2016: 30–8)を用いる.クレイムレトリック の分析にあたっては,あらゆる社会問題クレイムが説得的な議論となるため に有する共通の構造要素としてBestがモデル化する「前提」(典型例の提 示・名付け・統計),「論拠」(正当性),「結論」(解決策の提示)の3つの要 素を抽出する.
次節ではまず,無戸籍の政策課題化を準備した政治過程として,運動と政 治をつないだ複数の回路を確認し,当事者クレイムに対するメディアや政治 の反応について述べる.第3節では,特例法の頓挫と民事局長通達による
「解決」に至る過程を,与党の対応,政治的対抗クレイムの発生とその作用 にとくに注目して検討する.第4節では2006年~2008年にかけて行われた 無戸籍をめぐる個別具体的政策決定過程をレトリックの変遷に焦点を当てて 分析し,第5節ではこの時期の無戸籍問題をめぐる政治過程の意味を考察 する.
2.政策課題化まで
1990年代,無戸籍に関する問題に取り組む運動の中から,選挙に立候補 し議員活動を通じて問題解決をはかろうとする動きが現れる.婚外子差別と 闘う会(以下,婚差会)1)から派生し,神戸市に対して無戸籍住民票の窓口 交渉等を行なった民法と戸籍を考える女性たちの会2)代表の永木典子は,
阪神・淡路大震災直後の1995年,1999年,2003年と神戸市西区から神戸 市会議員に立候補した(いずれも落選).2003年にNPO法人親子法改正研 究会3)を立ち上げた井戸まさえも,その年の兵庫県議会議員選挙に芦屋市 から立候補した.このときは落選するも,その後2005年の再選挙で神戸市 東灘区選挙区から立候補し,当選している.
これらの動きは,無戸籍問題を行政との交渉だけで解決することの限界を 感じ,身近な地方政治を通じて生活環境の改善を目指したものと解される.
国会で陳情や要望活動を行っても,そこに何らかの「肩書」がないと「誰も 相手にしてくれない」ことを実感していた運動当時者にとって(井戸
2016: 256),自分の取り組む問題を手っ取り早く政策課題とするため自ら政
治家になるという行動は,戸籍制度の廃止や民法の「離婚後300日規定」の 撤廃といったクレイムの結論の違い(井戸2020: 42, 48)を越えて,共通の 選択肢となった.2006年,井戸は兵庫県議会の当選後初質問で無戸籍問題 を取り上げた5).2007年に無戸籍者のパスポート申請活動が全国で展開さ れた際も,法定受託事務を受けている県の立場から,パスポート発行を認め るようにとの要望を兵庫県知事名で外務省に提出する働きかけを行ってい る.
無戸籍問題の政策課題化には,運動主体から議員への積極的な働きかけも 重要であった.2006年末の毎日新聞報道を大きなきっかけとして,無戸籍 は広く社会的関心を集め政策課題となっていくが(井戸2020: 46),その1 年以上前から無戸籍問題について国会議員への働きかけを行なっていたの が,夫婦別姓の実現を目指し活動を行っていたmネット・民法改正情報 ネットワーク6)である. 2000年代に入って運動が行き詰まり,代表で ジャーナリストの坂本洋子は別の視点からの活動が必要だと考えていた.
2005年に離婚後291日目に出生した子の出生届が不受理となったケースの 相談が入ってきたことで,無戸籍問題との接点を得る.坂本は自治体の戸籍 係や国会議員秘書の経験があり,長年の蓄積から民法の問題や国会事情に詳 しかった.子の実父からの相談を受けた坂本は『週刊金曜日』2005年5月 27日(558)号に「実父でも『父』と認めない!? 矛盾だらけの民法772条 2項」と題した記事を執筆し,翌2006年2月22日,mネット主催院内集 会にこの当事者を呼び問題提起を行った.結果としてさしたる反応は引き出 せなかったものの,2月28日には女性差別撤廃条約NGOネットワークの 法務省交渉の中で無戸籍問題に言及している(毎日新聞社会部 2008: 40).
2月22日の院内集会に出席した議員のうち,民主党(当時)の枝野幸男 衆議院議員が翌月15日の衆議院法務委員会で,民法772条2項の規定につ いて「明らかに社会通念というか時代状況は変わってきているという構造を しっかり認識をしないと,現場の制度のはざまの中で具体的に困る方がい らっしゃるわけです.しかも,これは子どもの問題ですから」7)と質問を行 う.この質問は坂本が促したものだった.坂本は枝野の国会質問を通して次 のようなクレイムを展開した.嫡出推定の規定が厳しすぎるため,母親が家 庭裁判所による調停や裁判を求める場合が多くなっているが,前夫が協力し ない,あるいは協力を求めること自体もできないという理由で,結果的に子 どもが無戸籍となるケースが存在する〈前提〉.死別の場合は別として,離 婚とくに調停や訴訟を経た離婚の場合は別居が先行しているか,別居してい ないとしても夫婦間に長期間性交渉がないことが社会通念上の常識である.
民法の嫡出推定は,実際には推定でなくみなし規定になっており,時代に合 わない.解決を裁判所にゆだねてもなかなか前に進まないため〈論拠〉,立 法的解決の検討が早急に必要である〈結論〉.坂本は長年,基本的人権にか かわると考えられる事柄についての問題提起であっても,女性の権利拡大の 主張と解された瞬間に反対されやすくなることを経験していた.だからこ そ,もともとは子の母親にとっての「離婚後300日問題」ではあるものの,
早々にこれが「子どもが無戸籍になってしまうという問題」であると位置づ け直し,国会議員が質問に使うため具体的事例に関する資料を提供したので あった8).
枝野の質問を受けた杉浦正健法務大臣は現行民法が「実態に適合しない」
ことを認め枝野議員の指摘に理解を示しながらも,「ルールを変更するとい うのは,(中略)慎重の上にも慎重に,検討しなければならない」と答弁す るにとどまった9)が,いずれにしてもこうして2006年前半までには,無戸 籍問題当事者を中心とする運動団体だけでなく,「女性に差別的状況を強い る民法を改正する」という目的を当事者と共有し,国会議員に質問を促すノ ウハウと経験を持った団体が無戸籍の社会問題化過程に参入することで,無 戸籍の政策課題化に向けた準備がさらに整っていった.長く当事者支援を続 けてきた井戸らはmネットの参入を,社会の中で生きづらさを感じる女性 たちが直接,間接に連携し,どのような問題提起からでも法改正の風穴を開 けることで,他の問題の解決にもつながると捉えた.婚差会や井戸の活動は 関西を拠点としており,国会近くで活動を展開できる団体としてもmネッ トの存在は貴重だった.坂本が中継的役割を果たし,各運動から国会議員へ のアクセスが党派を問わず容易となったことは,クレイムを政策決定に反映 させたい運動主体にとって大きな意味があった.
2006年12月24日,毎日新聞は「戸籍なく2歳に」との見出しで無戸籍 者に関する記事を掲載する.それまで一般にはあまり知られていなかった戸 籍をもたない子どもの状況が「無戸籍」,「離婚後300日問題」,「民法772
(ななななに)」といった簡潔で覚えやすい表現を用いて伝えられたこと,そ
れまでは主に女性の問題とされてきた嫡出推定の問題を父親からのクレイム として報道し当事者像を拡げたことなどで読者から大きな反響を得,その後 の一連のメディア報道の発端となる.新聞記事に続き,テレビニュース,ワ イドショー,雑誌記事やラジオ番組でも無戸籍が取り上げられた.
メディアが扱った事柄は,無戸籍当事者の現状,離婚後300日規定など 民法規定の問題点,要望活動など当事者によるアクション,大臣会見や国会 質問・国会の動きなど多岐にわたるが,中心となるクレイムレトリックは,
基本的に同型だった.「戸籍のない子どもがおり〈前提〉,福祉上の不利益を 受けているので〈論拠〉,何らかの政策対応が必要である〈結論〉.」子ども の福祉上の不利益を前面に押し出し,無戸籍を「かわいそうな子ども」の問 題として伝える報道は広く一般にも受け入れられやすいものだった.多様な メディアによる大量報道を経て,無戸籍は社会問題としての大衆認知を獲得 していく10).Bestのモデルを用いて整理すれば,長年,当事者や運動によ る(A)クレイム申し立て段階に止まってきた無戸籍問題は,2006年12月 から2007年初頭の実質2, 3カ月というきわめて短期間のうちに,(B)メ ディア報道段階,(C)大衆の反応段階に到達し,続く政策決定段階へと移っ た.
3.政策決定過程
3.1 国会の動きと「早川・大口案」
mネットの坂本は無戸籍問題への理解を深めようと超党派の議員を呼び かけ人とする勉強会を企画する.2007年2月15日の勉強会には18名の衆 参議員が参加し,そこにはのちに法務大臣として「無戸籍者ゼロタスク フォース」を立ち上げることになる自民党の上川陽子衆議院議員もいた.主 催者の坂本は会場で出席者の一人,自民党の有村治子参議院議員から「ジェ ンダーを出すとうちの党はダメだから.子どもがかわいそうで行ってね」と 念押しされたという11).坂本はまた,家族法に取り組む弁護士による「離 婚後300日父子推定110番」を開設し,無戸籍に悩む人々の声を集める活
動も行った.
2007年2月7日,衆議院予算委員会で民主党の枝野幸男衆議院議員が無 戸籍問題を取り上げ,離婚後300日以内に生まれた子どもを前夫の子ども とみなす嫡出推定規定について,「前夫の子と推定されたことを覆そうと 思ったら裁判するしかない.実態と合っていない規定は改善の必要性がある のではないか」と質す.枝野はまた,自治体の戸籍窓口担当者でつくる「全 国連合戸籍事務協議会」が2002年に法改正や運用改善を法務省に要望して いたことについて「要望があったのに法務省がほったらかしにしているのは 怠慢」であるとし,さらにこの規定が離婚届を提出するまで夫婦間に性交渉 があることを前提にしている点についても「離婚の話し合いや調停のプロセ スにおいて夫婦関係はないと考えるのが社会通念である.離婚から300日
[を経ずに生まれた子]を前の夫の子と推定するのは,推定の前提になる根 拠が明らかに社会常識,社会通念からずれている.これは調査以前の問題 だ」と批判し「制度は実態に合っていないのは明らかだ.改善の必要が早急 にある」と迫った.枝野の主張は2年前,2005年の法務委員会質問と基本 的に同じものだったが,当時の杉浦法務大臣が慎重な姿勢を見せたのに対 し,このときの長勢甚遠法務大臣は,当該規定につき「今まで十分機能して きた合理的な制度」であるとしつつも「問題が生じているのも事実だ」と応 じ,「できるものがあれば早急に検討したい」と答弁している12).
2月15日には民主党の千葉景子参議院議員が参議院厚生労働委員会で無 戸籍問題に関し安倍晋三総理大臣に質問している.野党質問はさらに続き,
3月1日衆議院予算委員会第五分科会では民主党の泉健太衆議院議員による 質問が行なわれた.2005年時点ではこの問題に関して質問したのは枝野一 人だったことを考えれば,その後2年の間に,少なくとも野党議員には無戸 籍が国会で解決すべき「社会問題」と認知されるようになったことがわか る.またこうした野党議員が質問する際には,井戸に対し事前に「明日質問 をする」等の連絡があった11).上述のように大臣の答弁にも変化がみられ,
井戸には,mネット主催の勉強会も含め運動団体が議員に対し行ってきた
一連の要望活動が功を奏していると感じられた.
このように無戸籍をめぐる社会問題構築が運動とメディアによるクレイム 段階から政策決定段階へと進む中で,政党として最も早く反応したのは公明 党である.2月27日には「民法772条問題対策プロジェクトチーム(PT)」
を立ち上げ,法務省や当事者,市民団体からも問題点を聞きとり議論を進め ていった.2007年3月8日にはPT座長の丸谷佳織衆議院議員をはじめ,
伊藤渉衆議院議員,山本香苗参議院議員の同席のもと,mネットの坂本お よびmネット主催「離婚後300日父子推定110番」で相談に当たった弁護 士らと長勢甚遠法務大臣の面談を実現させた.坂本らは大臣に電話相談で受 け付けた事例を紹介しながら,民法772条の規定がさまざまな不利益をも たらしていることを伝え,見直しを要請した.長勢大臣は,嫡出推定制度に は一定の合理性があると述べたうえで,「お父さんもお母さんもきちんと やっておられたのに,何らかの異常がおきたというケースは,何とかしてあ げたいと本当に思う」と述べ,何らかの見直しを検討する考えを明らかにし た13).
3月15日には公明党PTとして,離婚後懐胎が明らかなケースやDNA鑑 定などで再婚の夫の子どもであることが明確な場合は再婚の夫を父とする出 生届を認める特例法の試案を出し,PT内で大筋合意した.その主な内容は,
離婚後懐胎の場合は医師による証明書があること,離婚後300日以内の出 生の場合は前夫が自分の子ではないことに異議がないか,母親が陳述書を提 出すること(DNA鑑定を要する)を条件に,再婚の夫を父として子の出生 届け出ができるというものであった.20日にはこの試案について家族法に 詳しい研究者や市民団体のヒアリングを行い,そこで届出要件のさらなる緩 和を求める意見が出されたことを踏まえて,弁護士出身の大口善徳衆議院議 員が同じく弁護士出身である自民党の早川忠孝衆議院議員とともに最終案を まとめた.この「早川・大口案」は,戸籍のない子どもの存在〈前提〉,そ のような子どもたちが被っている福祉上の様々な不利益〈論拠〉という社会 問題の構築レトリックを運動主体やメディアによるクレイムの問題意識を共
有しつつ,運動やメディアが無戸籍の子どもが生み出される原因として訴え た民法や嫡出否認裁判の仕組みを見直すことではなく,戸籍作成に必要な出 生届の取り扱いの柔軟化による問題解決を提案するものだった〈結論〉.こ の案は「早川・大口案」と名付けられ与党案のベースとなる(毎日新聞社会 部2008: 78).
公明党に続き自民党も3月16日に早川を座長とする「民法772条見直し プロジェクトチーム」を立ち上げた.初回の会合で,まずは議員立法により 特定新法の法案提出を目指すことが伝えられた.与党が議員立法による特例 法案を準備していることは大きく報道され,早川は自身のブログで「まさか 朝日新聞の一面を飾るような大きなニュースになるとは考えたこともなかっ た.法務省の民法見直しの作業がなかなか進まない中で,民法改正にまで踏 み込まないで,現行制度より迅速かつ廉価で,妥当な解決が図れる妙案と評 価されたようだ.公明党のプロジェクトチームが先に公表したが,自民党の プロジェクトチームが同様に検討を始めたということに大きな意義を認めて いただいたようだ」(早川2011: 72)と記している.若干当選2回の議員が PTの座長を務めること自体,異例であるが,さらには新聞の一面を飾るこ とになるとは早川には思いもよらなかった.
自民党PTに提出された案には,新法成立とともに女性の再婚禁止期間を 現行の180日から100日に短縮する民法改正を行う」との但し書きが早川 によって加えられていた14).この点は特に問題とならず了承された(毎日 新聞社会部2008: 80)が,これは先の早川・大口案で示された結論レトリッ クを大きく変える修正だった.PT案の最終内容が発表されると,マスコミ はこの部分を捉え,法案の成立見込みに疑念の声が上がった.女性の再婚禁 止期間を現行の180日から100日に短縮する民法733条改正は,すでに 1996年の法制審議会答申で必要性が指摘されていながら,自民党の一部が 主張する慎重論により実現していなかったからである.この案には自民党内 でもさまざまな意見が出る可能性もあった.特例法案に再婚禁止期間の短縮 が入ったことは,長年選択的夫婦別姓を含む民法改正案に反対してきた長勢
法務大臣に動きが出てくる(井戸2016: 234–6).
3.2 与党案をめぐる対立
再婚禁止期間の短縮が付加された案に対して,公明党は当初「772条の議 論が先送りにならない」との条件つきで同意したものの,公明党PT内から も法案成立の見通しに疑問が出される.自民で党内合意を得るのは容易でな いと考えられたのだった.公明党は最終的に,緊急性を要する772条の規 定見直しを優先させるため再婚禁止期間改正は法案に盛り込まず,自民で早 期に合意した場合に同意する「検討項目」とする立場をとる(毎日新聞社会 部2008: 86).
「早川・大口案」に再婚禁止期間の再考が盛り込まれたことは,自問党内 の空気にも影響を与えた.法務部会長吉野芳正は「骨子案はPCで一応承認 されたが,正式には法務部会で承認する.意見が出たら議論を深めなければ ならない」とした上で「今までの議論では慎重論は出なかった.慎重論も聞 きたい」,「どういう根拠で納得する議論ができるか.全く理屈もなく感情論 の反対なのか」と両論を聞く姿勢を見せる.政策の責任を負う中川昭一政調 会長は民法733条の「事実上の改正」が盛り込まれたことに不満を示し,
「生まれてきた人たちが本人確認を法的に担保できる手段がないという,き わめて気の毒な状況になりかねないということは改善したい」としながらも
「制度上の隙間によって気の毒になっている人たち,なりかねない人たち,
子どもたちを何としても救済するのがポイントであって,それ以上のもので もそれ以下のものでもない」と毎日新聞記者の取材に対し答え,「かわいそ うな人」を救済することが問題解決だとの考えを匂わせた(毎日新聞社会部 2008: 82–96).
中川発言に呼応するように,稲田朋美衆議院議員,古屋圭司衆議院議員,
西川京子衆議院議員ら自民党保守派は反対を表明する(毎日新聞2008: 97–
8).そのレトリックは,前提,論拠,結論のいずれの点でもPT案と対立す るものだった.戸籍のない子どもの呼称は「無戸籍の子」ではなく「未届の
子」が正しい.母親が前夫との交渉を我慢して行えば届出は行えるはずで,
それをしないのは母親側の身勝手であり「無戸籍問題」は存在しない〈前 提〉.300日ルールを見直すことは原則と例外の転換であり,不貞行為を奨 励する結果にもなりかねない.親子関係=生物的親子という考えを推し進め ると民法の法的親子制度自体が不要だということになる.早川・大口案は
「家族の崩壊を招く法案」であり,民法改正は認められない〈論拠〉.気の毒 な事案の具体的解決は司法の場でなされるべきである〈結論〉.保守派のク レイムレトリックでは,「無戸籍問題」の存在そのものが否定されただけで なく,焦点はむしろ再婚禁止期間短縮の提案に当てられた.これらの議員は また,民法改正のような重要事項は議員立法ではなく内閣提案の閣法で取り 組むのが筋だとし,早川の推し進める手続きの正当性についても疑問を呈し た.
さらに,中川政調会長が役職権限を使い「本来は法務省がやるべき事柄 だ.法務大臣と意見交換をしてもらいたい」と,長勢の意向を取り込むよう 自民党内部会に指示を出す.長勢甚遠法務大臣は自民党案に対し,保守派の 議員を通して(井戸2016: 234–5)次のような対抗クレイムを提出する.母 親が前夫の協力を得られず離婚手続きに支障をきたすなどして,結果的に無 戸籍とならざるを得なかった子どもの存在は対応すべき問題である〈前提〉. しかし,民法規定そのものの変更は,社会の家族秩序そのものを乱すことに つながる〈論拠〉.300日規定がもたらす無戸籍問題には,現行法の運用見 直しで対応すべきである〈結論〉.長勢は無戸籍問題への対応として772条 規定を変更すれば「アリの一穴」になりうると述べ,危惧をあらわにした.
こうした保守派のクレイムに対し,早川はあくまでも民法改正を提案する 再対抗クレイムを発し続け,子どもの不利益を解消するには法律上の父を速 やかに確定する必要があり,待婚期間の短縮はそのための方策だと主張し た.早川は,女性が本当に自分にふさわしい相手を見つけて再婚を望んだと きに,女性だけに課された待婚期間の規定によって意思の実現が阻まれうる 現状には長年異論が出されてきていること,子を守ると同時に女性も当然守
るべきであることを主張し〈論拠〉,96年の法制審答申からの積み残しをこ れ以上先送りする理由はないとして,民法733条改正も含め自民党案を擁 護した〈結論〉(毎日新聞社会部2008: 90–5).
4.政治的決着とその影響 4.1 通達による「解決」
自民党内では通常,個別課題を扱うPTにおける決定が各部会で了承され た後,政調会,総務会での審議を経て政策案が決定される.早川と自民党保 守派と呼ばれる人々との間でクレイムの応酬があったとしても,最終的には 各PTや部会,総務会での合意が得られるか否かが問題となる.民法改正に 反対の立場だった当時の法務大臣長勢は,もともと夫婦別姓の導入や再婚禁 止期間の短縮など,家族制度にかかわる法改正に反対の立場であった.自民 党PT案が自らの主張に反するものだとわかると,自分と考えの近い若手議 員5人を集めて独自に勉強会を開き,これらの議員にPTで発言させるとい う対抗策を講じた.早川・大口案に基づく案が国会に提出され議員立法とし て成立してしまうことのないよう,政調会で審議される前のPTや部会の段 階で強く反対しなければならないと考えたのである.現職大臣としては自ら 党内のPTや部会で発言することはできない.PTや部会は内閣に対して提 言を行う役割を担っており,内閣構成員である大臣の発言が,政党からの提 言内容に影響を与えてはならないからである15).長勢はそれまでの経験か ら,PTで5人ほどが次々と意見を言えば「反対派が多い」と印象づけられ ると考えたとされる16).
4月10日に行われた法務部会兼PT会合の出席者は25人あまりだった
(毎日新聞社会部2008: 97).賛成意見も出されたが,それまで会に出たこと もない長勢陣営の議員5人が揃って出席し次々に反対意見を述べたことで,
流れが変わった.PTや部会での発言は通常,1人1回であるが,複数回意 見を述べたものいたという(井戸2007: 235).この会合に出席していた賛成 派の後藤田正純衆議院議員の回想によれば,それまでの流れから,賛成派は
提案がすんなり了承されるものと思い込んでおり,自分が出席しなくとも大 勢に影響はないと考え欠席した議員も多くいたという(井戸2016: 235).早 川は後に,自分が出した案が再婚禁止期間の短縮以外は法務省の起案による ものだったことを認め,「法務省は案を持っていた訳だからね.それを『つ ぶすテクニック』を持っていた政治家がたまたまその時その場所にいたとい うことだ.それはもう本当に巧みに仕込んでいた」と語っている17).(A) クレイム申し立て者と(B)メディア報道が(C)大衆の反応を背景に訴え たクレイムに対し,(D)政策形成に関わる議員が議員提出議案,つまり議 員立法という形で応答しようとしたのだったが,もともとは論争を回避する 形で起草された法務省案に,再婚禁止期間の短縮という論争的提案が嫡出推 定の連関規定の見直しとして付加されたことで,数々の対抗クレイムが誘発 され,結果的に法案提出は見送られた.
無戸籍問題をめぐるクレイムに「論争型の社会問題」(赤川2012: 53)の レトリックが含まれていることを長勢らに気がつかせたのは,自民党内に現 れた過去の運動とは接触の経験がない早川だった.経験の浅い早川は,再婚 禁止期間の短縮を提起することが無戸籍問題を「論争型の社会問題」として しまい,法案提出・成立への道のりが険しくなることを十分理解していな かった(早川2011: 85–92).長勢らによる対抗クレイム(実際には別の議員 によって展開された)は相手型クレイム「逆用」の典型例といえる.相手方 クレイムの逆用とは,相手方のクレイム論拠や価値観,あるいはその内容を いったん受け入れ,それに則ったクレイムを行うことで,自らのクレイムの 説得力を増すレトリック戦略である(赤川2012: 126).先にみたように,長 勢は「無戸籍となっている本当にかわいそうな人は救うべき」だが,そのた めに民法規定を変更するのは「無責任な親」までも救ってしまうことになる として変更に反対した.「無戸籍はあくまでも福祉上の不利益を受けている 子どもの問題である」という前提は,この時期までに無戸籍当事者家族や支 援団体,メディアによるクレイムの共通レトリックとなっていた(井戸 2020).長勢による対抗クレイムはこの前提を共有することで,「かわいそ
うな子ども」さえ救済されれば問題は解決されるという自らの主張に逆利用 した.
自民党の中川昭一政務調査会長と公明党の斉藤鉄夫政務調査会長は4月 25日,民法772条問題に関する当面の方針について合意する.その内容は,
離婚後懐胎の場合への対応は法務省通達により行う,また離婚前懐胎につい ては,社会通念上やむを得ないと考えられるものについて,子の身分関係を 早期に安定させる観点から,立法措置を含め更に検討する,さらに再婚禁止 期間の100日への短縮については子の無戸籍問題とは切り離し,将来の検 討課題とするというものであった.5月7日には法務省民事局長通達が発出 され,前夫との離婚後300日以内に生まれた子であっても懐胎時期が離婚 の後であることを示す医師の証明書があれば,民法772条の嫡出推定が及 ばないものとして出生の届出を受理できることとすることが,法務局長・地 方法務局長に通知された(法務省民一第1007号).長勢が筆者によるイン タビューに答えて後に語ったところによれば,民事局長名で発せられたこの 通達を起草したのは長勢自身だった(井戸2016: 245–6).長勢は労働省での 25年のキャリアを経て政界入りした「厚労族」であり,産婦人科医会とも 直接やり取りを行ったという.通達の作成には熟練していたとしても,現職 大臣が局長通達を起草したとすればきわめて異例のことであろう.
民事局長通達による「解決」は,無戸籍状態となる子を減らすため,それ まで強固に維持されてきた「離婚後300日規定」を実質的に変更したという 意味では,法律改正同様の効果をもたらしたとみることもできる.一方で,
子どもを妊娠した時期が法的な離婚成立前だったケースは,依然として救済 の対象外に置くものであった.前夫とは実質的に離婚状態にあったとして も,法的離婚が成立する前の妊娠であれば,嫡出推定は外す道は開かれな い.法制度のもつ家族像を批判する運動の立場からみれば,この「解決」は
「不貞行為を行った女性への懲罰」の残存を意味した.
4.2 政策の影響と再クレイムの萌芽
法務省令改正を受け,各所で無戸籍問題への取り組みが始まり,ベストの モデルでいう(E)社会問題ワーク(政策の実施過程)の段階に入っていく.
厚生労働省は無戸籍の子どもについても児童手当や児童扶養手当の支給など の行政サービス提供を可能とする政策を打ち出した.通達発出前のこの年2 月,井戸に相談を寄せていた当事者家族が全国一斉のパスポート申請運動を 展開していたが,外務省は5月,無戸籍の子どもへの発給を可能とした.
住民票交付や,前夫の関与を必要としない裁判所による認知手続きが最高裁 判所ホームページでも周知されるなど,無戸籍の子どもやその家族にとって 状況はこの時期大きく改善され,今後の法改正への期待も高まった.
一方で,当事者や支援者にとって対応はまだまだ不十分だった.もとも と,子どもを無戸籍とせざるを得なかった母親は妊娠が前夫との法的離婚前 であったケースが圧倒的に多く,通達によって救われたのはケース全体の約 1割ほどにとどまると推定されており(桜井2016: 109),救済対象は限られ ていた.これに加え,救済対象とされたケースについてもさまざまな問題が 生じた.制度変更が各自治体の担当者レベルまで周知徹底されるのに時間を 要し,実際には救済対象に含まれていたにもかかわらず申請窓口で門前払い されたケースや,国際結婚において両国の父子推定制度のくい違いから生じ た新たな問題などが,当事者から支援運動団体に続々と報告された(毎日新
聞社会部2008: 156–7).無戸籍問題への公的対応を訴えてきた運動やメ
ディアは政策対応をいまだきわめて限定的なものととらえ,いっそうの制度 改正をめざし,政策効果の検証,新たな問題の発掘活動を継続した.
その中で新たに浮上した重要な問題があった.「無戸籍の連鎖」の問題で ある.井戸は2008年4月,1人の無戸籍女性の夫と称する男性から寄せら れた相談でこの問題に気づく.出産を控えたこの女性は自身が無戸籍であっ たため夫婦は法的婚姻できず,生まれてくる子どもとともに母子で無戸籍状 態に置かれることへの不安を語った.5月20日,mネットはこの事例をも とに無戸籍母子の早期救済を求めて公明党に掛け合い,公明党の仲立ちで鳩
山邦夫法務大臣への申し入れを行った.参加者はmネット共同代表2名の 他,「民法772条による無戸籍児家族の会」代表の井戸および会の支援者合 計9名,公明党民法772条問題対策PT副座長の大口善徳衆議院議員ら議員 3名で,mネットと家族の会からそれぞれ要望書が手渡された.要望には,
無戸籍児の実態調査や家裁の利用者へのアンケート調査などで早急に実態把 握を行うこと,前夫の関与を得ずに法的親子関係を確定できる裁判認知制度 についての周知をいっそう徹底させることなどが含まれていた.
鳩山は民法規定の影響による無戸籍者を「772条難民」と呼んで憂慮を示 し,「両親の行動によってお子さんが被害者になってはいけない,お子さん の立場というか福祉という観点で法務省に検討させます」と回答した.さら に,法的親子関係を実態に即したものにするため円満な家庭であっても強制 認知の調停や裁判を余儀なくされる多くのケースが取り残されていることに ついても取り組まなければならない課題であるとし,「日本は訴訟社会であ る必要はない」ことから「できる限り自然に親子関係の確定ができる」方法 を探るべきであるとの考えを述べ,無戸籍を子どもの福祉上の不利益問題と みる支配的前提を踏襲しながらも,同時に,民法そのものの見直しを求める 立場に理解を示した(井戸2016: 262–3).
しかしこれ以上の展開はなかった.局長通達からまだ1年ほどで,立法 府に身を置く国会議員たちにもいまだ前年の民事局長通達の効果を見極める べき時期でありと認識され,法改正への機運は下がっていた.9月には福田 康夫総理が突然の辞任を発表する.これを受けた自民党総裁選挙,衆議院解 散を巡る国会内の緊張と不安定な政局が続く中,無戸籍をめぐる政策対応は 一旦終了する.2014年,成人無戸籍者たちによる動きをきっかけとして無 戸籍が再び社会問題として取り上げられるまでには,さらに5年の月日を要 することとなる.
5.考察
本稿で見てきた,「離婚後300日問題」への対応をめぐる2006年~2008
年の社会問題構築過程,なかでも政策決定過程における重要な偶発性の一つ は,夫婦別姓導入など制度改革の動きへの反対運動を長年行ってきていた保 守派の長勢甚遠が時の法務大臣だったことである.法務大臣がもしも前任者 の杉浦正健もしくは後任者の鳩山邦夫であったならば,当初法務省が主導し ようとした特例法の成立という形で決着をみた可能性は小さくなかったと考 えられる.弁護士出身の杉浦は,韓国の元「慰安婦」が暮らすナヌムの家を 訪問して被害女性から熱心に話を聞き取るなど「女性問題」に共感的であっ た.鳩山は蝶の研究者であり,坂本や井戸らが面会した際にも蝶の交配をた とえに,今や事実上の父を科学的に判別でき,裁判所でもDNA鑑定が用い られているにもかかわらず制度に反映されていない現状への違和感を語って いる18).
社会問題の構築主義の観点からみて興味深いのは,長勢が大臣だったこと で,制度改革を推し進めようとする立場からのクレイムと長勢らの対抗クレ イムとの応酬の構図がより明確に現れ,無戸籍の社会問題としての構築過程 におけるさまざまな意味の重層性が分析から浮かび上がったことである.こ れは当時の運動当事者にも必ずしも意識されていなかった事柄でもあった.
この時期の主たる第一クレイム発信主体であった運動やその支持者たちは,
無戸籍を子どもの福祉上の不利益問題ととらえるクレイムを展開し,運動や 当事者について報じたメディアもこのレトリックを踏襲した.このレトリッ クは,家族のあり方や女性の置かれた立場への疑問から戸籍や民法など家族 をめぐる社会制度のあり方を正面から批判した過去の運動とは,明確に異 なっていた.
運動主体が無戸籍を子どもの問題と位置付けるレトリックを選んだ理由は 一様ではない.井戸は自身も子の無戸籍状態を経験したことのある当事者で あり,無戸籍の子どもを抱え苦悩する人々から多くの相談を受けていた.無 戸籍問題はジェンダー問題であると感じられてはいたものの,井戸にとって の課題は何よりもまず当事者の生活環境の早急な改善であり,制度を根本か ら議論する余裕はなかった(井戸2016, 2020).夫婦別姓を求める運動に取
り組んできた坂本の方は,より意識的だった.坂本はそれまでの活動レト リックを変更し,無戸籍問題についてはあえてジェンダー問題を語らない戦 略をとった.1995年の法制審議会答申により女性関連の民法改正(選択的 夫婦別氏・婚外子差別・再婚禁止期間の短縮等)機運が高まりながら,結果 的に強い反対を招き頓挫した経験も踏まえてのことだった19).運動当事者 がどの程度意識的であったかはともかくとして,無戸籍を「かわいそうな子 どもの問題」として提示するレトリックは,これらの主体によるクレイムが メディアの後押しも受け広く受け止められた重要な要因の一つであったと考 えられる.
一方,長勢ら対抗クレイム側は,そこに「隠された意図」を読み込んだ.
長勢の「アリの一穴」発言にも表れているように,子どもの救済要求という 運動のクレイムはあくまで隠れ蓑であり,最終的には戸籍制度廃止のような ラディカルな主張に行き着くものと考えられたのである.これこそ,婚差会 などの運動団体が1970年代後半から発していたクレイムであり,ここでは 対抗クレイムのいわば「たすき掛け」が起こっている.
その背景として考えられるのはまず,長勢らの対抗クレイム側が,夫婦別 姓の導入などの家族制度見直しの動きに保守派として長く対抗してきていた ことである.この時期の無戸籍運動の多くを担った井戸は,従来の制度改革 運動はまったく意識せずに活動を始めたのだったが,長勢らからみれば,井 戸のような人物の発したクレイムも含め,無戸籍をめぐるこの時期のクレイ ムが従来の運動とレトリック上の接点をもちうることは,経験から明らかと 見えたであろう.もうひとつは,無戸籍が子どもの問題という形で提示され たことの効果である.子どもの救済に問題を焦点化するクレイムでは,無戸 籍状態を生み出す制度そのものを批判するクレイムと比べ,問題設定はわか りやすい反面,実際にどこまでの制度変更を求めるかについての主張範囲は あいまいになりがちである.対抗クレイム側からみれば,クレイムの「真の 意図」はむしろ,子どもの救済を名目にどこまでも制度解体を正当化してい くことではないかとの疑念が助長され,より強い対抗の必要性を感じさせた
可能性がある.子どもの救済への問題の焦点化レトリックは結果的に,対抗 クレイム側に「逆用」の格好の素材を提供することにもなった.
運動当事者が問題をどのように理解していたにせよ,保守派から向けられ た強い対抗クレイムは,戸籍のない子の存在が,戸籍をはじめ家族の形を規 定する制度のあり様を逆照射するものであったことを,改めて示している.
制度が内包する家族像に疑問を抱き,制度そのものを問うてきた運動の視点 からみれば,たしかに,依然として課題は残っていたのである.その意味 で,歴史上の運動主体相互に直接の接点があったわけではなくとも,それま での運動が掲げてきた課題は,この時期の運動にも潜在的に継承されていた といえよう.2009年の政権交代,2011年の東日本大震災の報道が落ち着い た2014年,NHKのドキュメント番組が再び無戸籍を取り上げ,無戸籍を めぐる社会問題構築は次の段階に入る.このとき焦点が当てられたのは当時 20代から40代となっていた成人無戸籍者であり,無戸籍は新たな観点から 問題化され,議論された.その検討は今後の課題としたい.
[注]
1) 戸籍制度のあり方をめぐっては,1970年代中盤から1980年代にかけて離婚後 も婚姻時の氏を継続して名乗ることができる制度への変更を求める「婚氏続 称」運動や子の出生届時の続柄無記入に始まった出生届窓口闘争等の運動が起 こる.婚氏続称については短期間で民法改正が行われたことで運動の目的が一 定程度達せられたものの,続柄記載や届出人が母親か父親で異なる取り扱い,
出生届の形式そのものを問題視する運動の中心のひとつが「婚外子差別と闘う 会(通称婚差会)」であった.特に出生届が不受理となるために生まれる無戸 籍者の状況をめぐる諸活動は関西圏を中心になされており,婚差会も関西を活 動地域としていた.会の経過等は太田他(1994)に詳しい.
2) 婚外子差別と闘う会から派生したグループで,民法772条による子の無戸籍問 題に特化して活動を行った.
3) 主に再婚や非婚により民法772条をはじめとする戸籍に関する現行民法規定に より,調停・裁判等を行わなければならない親と子を対象に24時間無料電話 相談等を行い,情報提供や弁護士と連携して裁判援助を行うNPO法人.代表 はジャーナリストで元衆議院議員の井戸まさえ.
4) 永木典子は民法と戸籍を考える女性たちの連絡会代表.前夫のDVから離婚が できないまま出生した子が無戸籍となる.役所へ住民登録等の窓口交渉を行 い,1990年に子が無戸籍のまま住民票を得る.井戸まさえは親子法改正研究 会代表.調停離婚が成立した後に妊娠し,出産した子が無戸籍となる.どちら