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陸倹明・沈陽《漢語和漢語研究十五講》

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(1)

(資料)

中国語研究と認知言語学 その 3 文献資料翻訳

陸倹明・沈陽《漢語和漢語研究十五講》

第十二講(3)

秋 山 淳

間 ふ さ 子**

甲 斐 勝 二***

さらに「X的」の転指(メトニミー)の分析に対する「転喩の際立ち度」の役割につ いて見てみよう。

ABを転喩するとき、ABとは同一の認知フレーム内になければならないし、1 ABより際立っていなければならない。2 際立つもので際立たないものを転喩するの は一般的な法則であり、「際立ち度の効果」は日常生活においてもよく見られる。3 菜食 主義者がどのような個性を持つか知らない場合、そしてたまたま隣人の一人が菜食主義 者だった場合、その隣人の個性を菜食主義者全体に押し広げることがある。DC-10 事故を起こしてそれがメディアによって広く宣伝されると、この型の飛行機の安全記録 が他の型のものよりずっと良かったとしても、みなその型の飛行機には乗らなくなる。

事物の際立ち度の差異にはいくつかの基本法則がある。それは、一般的な状況下では、

全体は部分より際立ち(なぜなら大は小より明瞭だから)、容器は内容より明瞭であり

福岡大学人文学部非常勤講師

**福岡大学人文学部准教授

***福岡大学人文学部教授

(2)

(見えるものは見えないものより目立つから)、生命のあるものは生命のないものより際 立ち(動くことのできるものは動けないものより目立つから)、距離の近いものは遠い ものより際立つ、などである。事物の際立ち度は当然人の主観要素とも関係があり、人 が意識的に注意力をある事物に集中するとき、一般には際立たない事物が際立つ事物に なることもある。心理学でよく知られている「図/地」の反転実験こそ、そのはっきり とした証明である。4 下の図を見てみよう。

もし図37の白い部分に注目すれば、見える図は花瓶であり、黒の部分は地となり、図 は地より明瞭である。注意力を黒の部分に集中させれば、図と地には反転が起こり、見 えるのは二つの向き合った横顔で、白の部分が地になる。「際立ち度」の概念を持てば、

漢語中の「X的」の転指の法則をさらに踏み込んで理解することができる。

第一に、「全体と部分の相対的際立ち度」

一般的な状況のもとでは、全体は部分より明瞭であり、全体を用いて部分を転喩する ことはよくある話である。例えば「手にカナヅチを持っている」というのは実はその柄 を持っているのであり、「口に煙草をくわえている」というのは実は煙草の端をくわえ ているのである。「彼は赤いネッカチーフをまいている」のは首にまいているのであり、

鉛筆の芯が折れたことを「鉛筆が折れた」と言い、カギの先端が鍵穴で折れたことを

「鍵が鍵穴で折れた」と言ったりする。

だが特殊な状況下では部分が全体より明瞭な場合もありうる。「手伝いを探す」時、

「手伝い」とは手伝ってくれる人を指しうるし、「新顔に会った」と言う時、「新顔」は よく知らない人を指すことができる。また「またキーをたたいている」と言う時、「キー をたたく」が仕事やゲームを指すことができるのは、部分が全体を転喩する場合でも、

明瞭なものが明瞭でないものを代わりに指すという法則に従っているからである。

動作と事物の区別というのは、全体と部分の区別の中でも比較的抽象的なものの一つ である。一つの動作の概念にはつねに関連する事物の概念を含んでおり、ある動作を思 いついたとき動作と関連する事物を同時に思いつかないということはありえない。反対

(37)

(3)

に、事物は概念上で独立することができ、ある事物を考えても動作を連想しないことは 可能である。たとえば“ ”「運転する」という動作は“人”「人」と“ ”「車」の 二つの事物の概念を離れて独立して存在することはできないが、“人”や“車”の概念 は、運転するという動作から完全に離脱して独立して存在することができる。従って

的”が運転する人を転喩し、“他 的”が車を転喩するのは、全体が部分を転指 するという法則に符合しており、逆に名詞が出てくるだけでは動作を転指することはで きないのである。これもまた下記の「X的」の転指の状況が同じでないことの理由であ る。比較してみよう。

(38)a1. 典的(封皮) a2. * 典的(出版)

b1. 的( b2. * 的(

c1. 建造的( 梁) c2. * 梁的(建造)

特殊な状況のもとでは、逆に部分が全体より際立つ場合もありうるが、この場合は、

部分と全体が概念上で支配と非支配の関係を有することが必要である。例えば(39)や

(40)の例である。

(39)a1. 他 成的(意 ) a2. *他提出的(意 ) b1. 他反 的(立 ) b2. *他采取的(立 ) c1. 他否定的( c2. *他得出的(

(40)a1. 小王的( a2. *小王的( b1. 塑料的( 鞋) b2. *塑料的( 性)

c1. 兔子的( 儿) c2. *兔子的(尾巴)

(39)左列の“他 成的(意 )”「彼が賛成した(意見)」などの転指は成立し、右 列の“*他提出的(意 )”「彼が出した(意見)」などは制限を受ける。“ 成”「賛成 する」と“提出”「提起する」はどちらも動詞で、概念上において全体を代表する。“意

”「意見」は全体の一部である。だが、“某人提出意 ”「誰かが意見を出した」とい うフレームの中では、“提出”という動作は実際にはデフォルト値(default)であり、

(4)

これを省略して“他的意 ”とだけ言っても、一般には“他提出的意 ”「彼が出した 意見」だと理解される。この意味から言えば、“他”と“意 ”は支配概念、“提出”は 被支配概念となって、支配者が被支配者より際立つ。なぜなら主人が下僕より際立ち、

主歯車が副歯車より際立つごとく、能動的なものが受動的なものより際立つからだ。違 う表現を用いれば、“他”と“意 ”の概念は“提出”の概念を引き出すことはできる が、“ 成”の概念を引き出すことはできない、なぜならば“ 成”に並ぶものにはさ らに“反 ”、“ 充”などがあるからだ。

(40)左列の“兔子的( 儿)”「ウサギの(小屋)」などは成立し、右列の“*兔子 的(尾巴)”「ウサギの(尻尾)」などは成立しない。なぜなら“尾巴”などの名詞は一 つの「関係」概念を引き出すからである。その状況は以下のように図示できる。

この三つの名詞が代表する概念は、図の中で太線で示されるもので、これを「プロファ イル」(profile)と称することができる。これは“ 物有尾巴”「動物には尻尾がある」

“房子有屋 ”「家には屋根がある」“某人有 ”「人には父親がいる」といった「デ フォルト」関係を引き出すことができる。これは図の外枠で示され、「ベース」(base)

と称すことができる。5“兔子有尾巴”「ウサギには尻尾がある」というデフォルトの関 係性は、“他提出意 ”「彼が意見を出す」よりも高い。“他的意 ”「彼の意見」には

“提出”「出す」という語を補うこともできるが、“兔子的尾巴”「ウサギの尻尾」に

“有”「持つ」という語を補うと却ってぎくしゃくする。よって“尾巴”「尻尾」などの 概念は認知フレームの「透視焦点」となり、際立ち度が高い、つまり「プロファイル」

が「ベース」より際立つのであるということになる。それゆえこの種の名詞がなる中心 語は認知上のデフォルトの際立ち度を持ち、それゆえ“*兔子的(尾巴)”、“*房子的

(屋 )”、“*小王的( )”などは却って制限を受けるのである。ただし、“尾巴”

「尻尾」、“屋 ”「屋根」、“天文系”「天文科」などは“兔子”「ウサギ」、“房子”「家」、

“大学”「大学」などの概念を引き出すことはあるが、“ 毛兔”「アンゴラウサギ」、

(41)

(5)

“ 易房”「仮設住宅」“南京大学”「南京大学」といった具体的な概念を引き出すこと はない。これで以下の転喩(メトニミー)現象を説明することができる。

(42)a1. *兔子的(尾巴) a2. 毛兔的(尾巴)

b1. *房子的(屋 ) b2. 易房的(屋 )

c1. *大学的(天文系) c2. 南京大学的(天文系)

第二に、「容器と内容の相対的際立ち度」

一般的には容器は内容より際立つ。容器を用いて内容を転喩するのは、ほとんど意識 せずにメトニミーを運用しているのである。たとえば「三本飲んだ」の場合、飲んだの は瓶に入っている酒であり、「この本にはさらに手を入れる」の場合、本の内容に手を 加えるのである。雑貨屋に行って料理酒を買うとき店員が「瓶入りですが量りですか」

と尋ねる。中華タバコを買うときに「缶ではなく箱のほうを」と言うことができる。下 記の二組の例のうち、右の各列は転指が制限を受ける。つまり容器が内容を転喩すると いう一般的法則に違反しているのである。比較してみよう。

(43)a1. 理的(外套) a2. * 理的(身 ) b1. 半年的(利息) b2. *半年的( c1. 姑娘的(裙子) c2. * 姑娘的(故事)

(44)a1. 托 的(行李) a2. *托 的(手 ) b1. 房的(个人) b2. * 房的( c1. 美的(人 ) c2. * 美的( 告)

もちろん、特殊な状況のもとでは、逆に内容が容器より際立つこともある。たとえば 空瓶回収の人が「ビールのはいり用だが料理酒のはいらない」と言う場合があるだろう。

この場合は内容が容器のメトニミーとなっているのである。そのような状況の一つは、

双方がすでにある種の容器について話していることを知っており、注目しているのは容 器の内容であって、認知フレームにおける容器の際立ち度は相対的に低く、内容のほう が相対的に際立っているというものだ。例えば、

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(45)a. 起 影,老王 看打仗的,不 看言情的。

「映画なら、王さんは戦争物が好きで恋愛物は好きではない」

b. 喝很多, 是 糖葫芦的, 有 果子的。

「物売りの声は多い、これは糖葫蘆売り、それに果物売りのもある」

c.(在 店里 )我要 花的,不要 的。

「〈本屋で本を買うとき〉鳥の飼い方ではなく花の育て方がほしい」

もう一つは、ある内容のものが入った容器が「あるかないか」を話しているという状 況で、この場合も内容が注目の中心で、その際立ち度は容器より高い。これは、文に

“听 ”「…だそうだ」、“ ”「見たことがある」、“有”「ある、いる」などの語が現 れ、容器を表すのが一般に“事情”「事」、“情形”「様子」のたぐいの抽象名詞であるの が一般的だ。例えば以下の通りである。

(46)a.我听 女大夫、女大学生嫁 葬工的(事情)。(《北京人》)

「女医や大学卒の女性が葬儀労働者に嫁いだのを聞いたことがある」

b.我没听 蛋面条当糖衣炮 的(事情)(王朔《玩的就是心跳》)

「タマゴそばを「袖の下」にしたなんて初耳だ」

c. 一般 是后来居上,但 史上也不少 儿子比 更糊 的(情形)(《 》)

「一般的には後からきたものの方が良いが、歴史上息子が親父よりさらにひ どいというのも少なくはない」

第三に、「恒久的性質と過渡的性質の相対的際立ち度」

これまでは「限定性」と「描写性」の対立を用いて「形容詞+“的”」の転指中心語 の法則を説明していた。例えば(47)の“白”などの性質形容詞は限定性のものである から、“X的”は転指できたが、右列の“雪白”などの形容詞は描写性のものであるた め“X的”は転指できない。比較してみよう。6

(47)a1. 白的( 衫) a2. *雪白的( 衫)

b1. 干 的(衣服) b2. *干干 的(衣服)

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ある研究者はさらに、「状態形容詞+“的”」が転指する中心名詞の前には、“那/

的是油菜花”「その/この黄金色に輝く菜の花」、“ 那水 的”「そのじゅ くじゅくしたのは買いなさんな」のように必ず“ /那”「この/その」を加えなければ ならないと指摘している。しかも指示代名詞はつねに特定のものと関連づけられる。

“紙”は上位分類であり“白紙”はそのなかの白い色の下位分類を指し、その他の下位 分類と区別される。状態形容詞には特定性が欠如しているので、“ /那”を加えて特 定性を与える。そうすることでこのような“X的”もようやく転指が可能となるので ある。

しかしながら、限定性と描写性の対立、または指称と指別の対立をもちいても、なお この“X的”の転指規則の根底まで話したわけではない。実際のところ、その主な原因 は、ある物事の性質や状態を用いて別の物事を転喩しようとする時、そこで用いる性状 は必ずや恒常的なものでなければならず、一時的な性状ではない、という所にある。た とえば、ある種類の紙が白色という恒常的な性質を持っているとすれば、おのずからこ の性質でこの種の紙を転喩することができる。もし、その色が太陽の温度にしたがって しばしば変化する種類の紙なら、その都度現れる色でその種の紙を転喩することはかな り難しい。性状は、恒常性があってこそ限定性を持つのだが、一方描写となると一時性 状を用いてかまわない。性状の恒常性と際立ち度とには自然な関係、つまりある物事の 恒常的な性状でなければ、人の脳の中にその物事の際立った印象が形成されないからで ある。(47)は性質形容詞(たとえば“白”)が示す性状には恒常性があり、状態形容 詞(たとえば“雪白”)が示す性状には一時性しかないので、転指の差異が生まれるの である。これを補充する論拠は、“白紙/白的紙”と“*雪白紙/雪白的紙”との間にあ る非対称性である。これは“的”の文字にある抽象“関係”を突出させる作用があるこ とによる。“紙”と“白”との間の関係は恒久的であるので“的”を加えるまでもなく

“白紙”と直接いえばその関係を表現できるのである。“紙”と“雪白”の関係は一時 的なものである、よって必ず“的”を加えて“雪白的紙”と言ってこそこの関係を表せ るのである。状態形容詞の前に“ /那”があれば、転指の“X的”が構成できるのは、

指示詞には際立ち度を高める作用、つまりあまり目立たないものを別の人に指し示し、

そのものを注意の焦点とさせるからなのである。このような分析もXが名詞の場合の

“X的”構造に用いられる。たとえば、“鉄的(架子)”及び“*鉄的(規律)”などは、

後者は明らかに一時性の比喩であるから、“X的”は転指できないのである。

(8)

第四に、“名詞の「被影響性」の際立ち度”

上記に述べた際立ち度へ影響を与える各要素の他に、それぞれの名詞にも固有の際立 ち度がある。人間が認知過程において打ち立てた名詞の指し示すものとの心理的結びつ きの強弱度は等しいものではなく、これを名詞の「被影響性ランク」と呼ぶことが出来 る。このランクの背後には、実の所「有生性」の差異があり、名詞の有生性が高ければ 高いほど、際立ち度も高くなり、かつ被影響性も高くなる。7 またより容易にそれらと 心理的関係を打ち立てやすくなる。この意味からいえば、固有名詞の際立ち度が普通名 詞よりも高いのは、ある物事はかなり際立たなければ固有名詞になれないからである。

人々はしばしば固有名詞で普通概念を広く指すものである。たとえば《西廂記》の中の

“紅娘”は仲人を指すようになったし、“伯楽”を用いて人材を発掘することに優れる 人を指すようになった。8 これはつまり仲人の中では“紅娘”が最も際立つからであり、

人材発掘に優れた人の中では“伯楽”が最も目立つからである。“要在 南沿海再造几 个香港”「東南の沿海に更にいくつかの香港を作らねばならない」と言うことができる のは、国際的大都市の中では“香港”がとりわけ際立つからである。かくあればこそ、

語義の変化に非対称性があらわれるのである。つまり、語義の拡大化は語義の専門化よ り遙かに多いのである。“江”「大きな川」はそもそも“長江”を指していた、その後に 河川を転指するようになるが、それは河川の中では長江がもっとも際立ったからである。

これもまた(48)の右の例文の転指がなぜ制限されるかを説明できるものである。比べ られたい。

(48)a1. 中国的(河流) a2. *中国的( 江)

b1. 琉璃瓦的(建筑) b2. *琉璃瓦的(天安 ) c1. 北京的(老百姓) c2. *老百姓的(北京)

第五に、「文脈の際立ち度に対する『コントロール性』

文脈の作用は、通常認知フレーム内にない概念を臨時に認知フレームの内に入れるこ とが出来ることである。これにより、それを“X的”の転指対象とすることができる。

たとえば、先の(29a)及び(49a)である。また、

(49)a. 在部 学到了 些技 ? 的, 的, 多着 。

(9)

「君は部隊でどんな技術を学んだのか?―車の運転、修理など、たくさんです」

b.把眼 我装 里, 的在 子上, 看黑板的在抽 里。

「眼鏡を眼鏡入れにしまってください、読書用は机の上に、黒板用は引き出 しに」

c. 大食堂是工作人 用餐的,小食堂是首 用餐的.

「大食堂は労働者が食事するところであり、小食堂はトップが食事するとこ ろである」

d.王大栓:打女学生的 , 我不要!

「女子学生を殴ったお金は、要らないよ」

小二德子: , 是打男学生的, 行了 ? (《茶 》)

「交換しよう、これは男子学生を殴ったものだから、いいだろう?」

このような例は、“技術”は通常“人 ”「人が車を運転する」の認知フレームには なくても、もし当座の話題が“技術”であれば、“技術”も臨時に認知フレームの中に 入れられる事を物語る。また、“道具”は通常“見る”(映画を見る,本を読む)とい う認知フレームにはないし、“地方”「場所」は通常“吃 西”「食事をする」という認 知フレームにはないし、“打人”「人を殴る」という認知フレームに人を殴る報酬の“ ”

「金」はないのだが、“眼 ”「メガネ」・“食堂”・“ 凶打人”「悪人を雇って人を殴 る」などが話題になると、状況は変わるのである。

文脈のもう一つの作用は、認知フレームの中で従来黙認されていた際立つ概念成分が、

相対的に際立たなくなるので、それを“X的”の転指対象と出来るようになることであ る。たとえば、

(50)a. 里有 多 物的尾巴 兔子的、狐狸的、 有…….

「ここにはたくさんの動詞の尻尾がある―ウサギ、キツネ、それから…」

b. 老人的理解是比祁老人和韵梅的高明得很多的。(《四世同堂》)

「銭老人の理解は祁老人や韵梅の理解よりはるかに卓越している」

c. 青年高 基和青年周 人 留胡子前的。(王朔《玩的就是心跳》)

「青年ゴルキと周樹人―ひげを生やす前の(周樹人)」

普通“兔子的(尾巴)”は成立しない、なぜならば“尾巴”のデフォルトの際立ち度 が高いからである。しかし、(50)では既にはっきりと“しっぽ”の話をしているので、

もはや注意の焦点にはならないのである。“祁老人和韵梅的(理解)”“留胡子前的(周

(10)

人)”も普通は成立しない。しかし、コンテキストがあれば状況は異なってくるので ある。

文脈によるコントロールあるいは概念の際立ち度の改変の大きさには、二つの概念の 距離が近ければ近いほど、作用力が大きくなるという概括的傾向がある。たとえば、二 つの成分が一つの単文の中,或いは同一のフレーズの中にあるときには、二つの句に分 かれてあるときに比べて距離は近い(実際的な距離及び心理的距離を指す)。相互に作 用する二つの概念は、相互作用しない二つの概念にくらべて距離が近いのだ。比較され たい。

(51)a1. *我的眼晴大、 的不大。

a2. 我的眼晴比 的大。「私の眼は彼女より大きい」

b1. *瑞宣的手很 , 的冰凉。

b2. 瑞宣的手 着了 的, 冰凉。

「瑞宣の手が彼女の手に触れた、氷のように冷たかった」

c1. * 了他的生命, 但他又 了 的。

c2. 我 了他的生命, 但他又 了我的。

「私は彼の命を壊したが、彼も私の命を壊した」

d1. *老王的意 明天去,我的今天去。

d2. 老王的意 知道了,我的 也 听听。

「王さんの意見はもうわかってるだろう、私のも聞くべきだよ」

4 言語における「イメージ」および「スキーマ」分析

認知言語分析における重要な概念にはほかに「イメージ」・「スキーマ」がある。

4.1. 言語分析における「イメージ」の役割

「イメージ(image)」とはある客観事物或いは状況に対して、際立つ部分の違い、

視点の違い、抽象化の程度の違いといった識別や理解の方法の差異によって形成される さまざまな心理的印象を指す。9 この講の前半部分で述べたように、例えば“姑姑送一 只花猫 小莉”・“姑姑送( )小莉一只花猫”という二つの文がある場合、客観的に は、どちらもおばさんが小莉に三毛猫をやったことになるのだが、話し手の観察方法が

(11)

異なるために、異なった部分が際立ち、異なる二つの「イメージ」が形成される。一つ は動詞“ ”が専ら三毛猫の転移の道筋を象徴するのに用いられ、「三毛猫が移動する 過程は、おばさんから小莉へ」である、という点が強調される。もう一方の「イメージ」

は“ ”が出現しないか、或いは動詞“送”の後ろに置かれることによって、“小莉”、

“一只花猫”という二つの名詞フレーズが密着し、そこから「三毛猫が移動した結果、

小莉が最終的に猫を占有した」という点が強調される。

「イメージ」は「図」(figure)及び「地」(ground)の概念にかかわってくる。「イ メージ」のうち際立った部分を「図」といい、そうでない部分を「地」という。この一 組の概念は先に述べた「ゲシュタルト心理学」の有名な「花瓶」と「横顔」の視覚実験

(図37参照)から来ており、花瓶を「図」、横顔を「地」と見ることも、その逆に見る ことも可能である。このような現象を「図地反転」と言う。10 この二つは入れ替えが可 能だが、一度に両方を「図」として見ることはできない。つまり花瓶として見たら横顔 とは見ることができないし、その逆もまたしかりである。このような現象を「図地分離」

と言う。実際には日常の視覚経験では前者は多くなく、ほとんどが「図地分離」現象で ある。例えば、

上の(52)の左図では、本が「図」、テーブルが「地」として選ばれ、右図では上空 の気球が「図」、下の家が「地」として選ばれるのが一般的である。テーブルの上の本 は色が濃く、中央に位置し、移動が可能であるため、テーブルより目立つ。気球は上に 位置し、動いており、家は下にあって静止しているため、気球は家より目立つ。この二 つの場面において本と気球はそれ自体に際立つ特徴があり、視覚によるインプットは、

際立ち度の異なる組み合わせによって構成される。ゲシュタルト心理学の理論では、

「図」はひとつの「ゲシュタルト」であり、人の注意を引き、識別・記憶しやすく、意 義と関係を生じやすい。11 よって「図」の選択は一般には主観要素と客観要素が共同で 作用した結果であるが、特殊な状況のもとでは主観要素が主となる。認知言語学が関心 を持つのは当然ながら言語における「図」と「地」の選択およびその両者の関係の表れ

(52)

(12)

であり、実際にはこの対立は言語の各レベルで反映される。

では言語における「イメージ」はいかに形成されるのだろうか?人は一つの概念を確 立するとき、それに関連した「認知領域」、つまりその概念をカバーする比較的広い概 念領域に依拠する。12 多くの幾何の概念は空間という認知領域に基づいて建てられてい る。例えば「弧」の認知領域は「円」であり、「斜辺」の認知領域は「直角三角形」で ある。なぜなら円の概念がなければ弧の概念は生じないし、直角三角形の概念がなけれ ば斜辺の概念は生じないからだ。(下図参照)13

人類の最も基本的な認知領域には、空間・視覚・温度・味覚・触覚、色彩などがあり、

そのうち空間が最も基本的なもので、比較的抽象的な認知領域(例えば時間)はいずれ も空間から「投射」されたものである。同じ事物でも認知領域が異なれば「イメージ」

もまた変化し、異なった概念が形成される。「図」と「地」の考え方を用いて解釈すれ ば、認知領域は「地」であり、それに基づいて建てられた概念が「図」となる。上図に おいて、空間領域を「地」とすれば円が「図」となり、円を「地」とすれば弧が「図」

となる。他の例では、「火曜」の認知領域は「週」、「しっぽ」の認知領域は「動物」で あり、「お父さん」の認知領域には「夫婦および上下世代の関係」が含まれる。もちろ ん「認知領域」は一般に言う「地」に比べ更に抽象的かつ基本的である。一つの概念を 建てる際、複数の認知領域の総合的作用に依拠せねばならないこともある。例えば「ア イスキャンデー」は空間・温度・味覚などの認知領域に拠って確定されるが、これは一 つの単語に対する語義成分の分析にも似ている。だが認知言語学では、心理を構成する 最も基本的なものが認知領域であり、それは人類の最も基本的な経験を代表し、人が世 界を認識する道具であること、認知領域とは語義の派生物ではなく、むしろ語義が認知 領域の産物であることが強調される。

言語におけるイメージには詳述性の区別がある。つまり同じ状況に対する心理描写に はその詳述性の差によって異なるイメージが形成されてよいということである。例えば、

(53)

(13)

(54)a.那个 手个子很高。

「あの選手は背が高い」

b.那个防 手个高超 2米。

「あのディフェンスの選手は背丈が2メートル以上ある」

c. 那个后 身高 2米零5。

「あのガードは身長が2メートル5センチくらいだ」

d.那个中后 身高正好2米零5。

「あのセンターは身長がちょうど2メートル5センチだ」

上記(54a-d)の詳述性の程度は逓増し、概略性の程度は逓減している。14 上の文は下 の文の概略であり、下の文は上の文の詳述である。こういった異なるイメージは、「動 物―爬虫類―ヘビ―ガラガラヘビ―ヨコバイガラガラヘビ」の語群の語義の違いなどに 体現されており、“ 叶掉了”「木の葉が落ちた」という文中の動詞“掉”には、概略

(抽象)的な「落ちるもの」が主語として充当され、“叶子”がその詳述(具体)化であ るといった類の、言語の統語法にも体現されている。

言語におけるイメージには視覚の差異もある。この例は多い。例えば“大 坐在莉莉 的左 ”という文には複数の解釈ができる。つまり左右を決めるのは話し手の立場から か大偉の立場からかという点だ。また同じ山の峰と川面という景色を目にした場合、

“山峰俯 着江面”とも、“江面仰望着山峰”とも言える。話し手の立場や期待する方 向などを含むさらに広義の理解を視角に対して行うこともできる。例えば、

(55)a.等了一会儿水就 了。「ちょっと待ったら〈すぐに〉お湯が沸いた」

b.等了一会儿水才 了。「ちょっと待って〈ようやく〉お湯が沸いた」

上記(55)はどちらも“一会儿”「少しの間」待ったのだが、“就”を使えば話し手が 期待していた時間は“一会儿”より長かったことになり、“才”を用いれば“一会儿”

より短かったことになる。この講の冒頭で“我差点儿没跟 婚”には複数の意味があ るという例を挙げたが、これも話し手の期待が異なることによる。もし“我”が彼女と 結婚したかったのであれば、この文は実際には結婚したという意味となり、結婚したく なかったのであれば、実際にも結婚しなかったという意味になる。

(14)

言語におけるイメージには走査方法の差異もある。比較的複雑な事象を感知するとき、

「走査(スキャン)」の方法が異なれば、違うイメージが形成されることになる。二種類 の「走査」方法がありえ、その一つは「総括的走査」(summary scanning)、もう一つ は「順次的走査」(sequential scanning)である。「総括的走査」は一つの事件の各構 成部分を別々に走査したのち、最後にそれを総括して一つの全体的概念を形成するもの で、それぞれ異なった走査の段階で得られた情報の差異を無視する。「順次的走査」は、

順次走査していき異なった段階の情報の差異を考慮に入れるもので、走査の進展に伴っ て各段階で得られる情報が逓増していく。従って「総括的走査」は時間の延伸と無関係 であり、「順序的走査」は時間の延伸の中で進行する。

例えば下記の例を見てみよう。

(56)a. She entered the room.「彼女は部屋に入った」

b. into the room「部屋の中へ」

c. in the room「部屋の中」

(56a)の動詞“enter”「入る」を図aで表示する。これは順次的走査であり、時間 軸上の各段階の進展状況は同じではない。うち円は「彼女」が、「部屋」を表す四角の 中に次第に入っていくことを表している。(56b)の前置詞“into”を図bで表すのは 総括的走査であって、過程は見せず走査の結果だけを表す。すなわち各段階の総合であ る。(56c)の前置詞“in”を図cで表すのも総括的走査なのだが、こちらは走査が繰り 返し行われても、そのたびに得られる結果が同じとなる。認知言語学では、異なる走査 方法を用いれば品詞の区別を説明できると考える。例えば、ここで言えば動詞と前置詞 の区別である。

a.

t process

(15)

4.2.「スキーマ」(schemas)の言語分析中の作用

「スキーマ」(schemas)とは「イメージ」の一種であり、人間が外界との日常の交 流の中で作り上げた単純で基本的な認知構造をさす。15 たとえば、“在……之上”といっ た所在位置関係がつまり「スキーマ」に他ならない。人々は日常生活中でしばしばある 物が別のある物の上に在る状況に出会い、そこでの具体的な経験の中から一つの認知モ デルを抽出し、その他の所在位置関係を持つ場面にでくわすと、この認知モデルを利用 して考察を加え、この認知モデルにかなりの程度符合すると考える。 よって、 この

「スキーマ」は「理想化認知モデル」(Idealized Cognitive Model)とも呼ばれるので ある。16 スキーマはそれほど具体的なものでもなくまた充分に抽象化的なイメージでも ないけれども、その他の一層具体的或いは一層抽象的なイメージに比べ、認知的に一層 重要でありまた一層基本的なものなのだ。スキーマもまた人の認識自身から生まれたも ので人間と外界との交流作用の産物である。先に述べたように、「容器-内容」という イメージもつまりは“在……里面”というスキーマと言って良い。つまり人間が自分自 身に対する認識から作り上げたものなのだ。このスキーマは見たところ不精確だしまた

「非科学」かも知れず、一般の人々の「民俗的モデル」に過ぎないように見えるが、し かし、実際のところ、多くの伝統的なカテゴリーもこの「容器-内容」というスキーマ を基に作り上げられているのである。たとえば、伝統的三段論法「人は皆死ぬものであ り、ソクラテスは人である、ゆえにソクラテスは死ぬはずだ」というものも、実のとこ ろを言えば、つまり人間が持つ容器に関わるトポロジー(イメージスキーマ)知識によっ て決まるものなのだ。17 18

言語の中の多くの現象は多くが「スキーマ」を使って分析できる。たとえば以下の左 右の例が対称的ではない原因は、「図―地」のイメージスキーマで説明できる。比べて みよう:

(57)a1. 蚊子在那 子旁 。 a2. ? 子在那只蚊子旁 。

「蚊はあの釘のそばにいる」

b1. 小 在湖的中央。 b2. ? 湖在小 的周 。

「小島は湖の中央にある」

c1. 在 子的上面。 c2. ? 子在 的下面。

「本は机の上にある」

(16)

漢語の中の「介詞+方位詞」構造が示すのは所在位置のスキーマである。“AB

/之上/之中”のスキーマでは、Aは「図」、Bは「地」である。「図」は「地」の上

に際立ち、よって一層際立っている。左の例文はこの規則に符号する。つまり、蚊は、

動く事ができる故に動けない釘より際立ち、島は集中しているが故に広がる湖面より際 立ち、本は集められてありまた移動も可能により、机より際立つ目を引くものである。

右の例文はこの規則に背くので、耳になじまない。

スキーマには動態を示すものもある。先に述べた所在位置のスキーマ“在……上”は,

静態だが、たとえば言語が伝えたいのが“气球在房子上 ”「気球が家屋の上を飛び 進んでいる」というのであれば、関係するスキーマは動態の“在……之上 ”となる。

下図で示せよう。

(58)のスキーマは三つの互いに関係する要素によってできている。一つは運動して いる「図」であり、円によってあらわす。この実際の例では気球となる。もう一つは参 照体となる「地」で、長方形であらわす、この実例の中では家屋となる。「図」が「地」

に対して運動する経路を矢印の水平線でしめすと、図表では「図」が経路上三つの段階 を経ているのが描かれている。誘導ミサイルの飛行経路をトラジェクターの軌道という ので、このスキーマの中の図を「トラジェクター」と呼び、地を「ランドマーク」と呼 ぼう。19「トラジェクター/ランドマーク」の概念は「図/地」の具体的な現れと見なし て良い。この基本スキーマは、各種の変異形式があり得る。たとえば「トラジェクター」

と「ランドマーク」の大きさに変化があっても良いし、「トラジェクター」が「ランド マーク」に接触しても良いし,時にはその中の一部になってしまってもかまわない。あ る学者はこのスキーマの基本形と変異形を使って英語の前置詞“over”のもつ多義項目 に統一的な説明をしている。20 たとえば:

(59)a. The plane flew over. ( 机从上

「飛行機は上を飛びすぎていく」

(58)

(17)

b. Sam drove over the bridge. (山姆从 上 去)

「サムは車で橋を渡っていった」

c. The city clouded over. (城市上空 云密布)

「都市が上空を雲で覆われた」

d. The fence fell over. ( 笆到了下来)

「垣根が落ちた」

e. Hang the picture over the chimney. (把相片挂在烟筒上方)

「写真を煙突の上に掛けよ」

(59a)では「ランドマーク」ははっきりとは述べられていないが、通常は話者の位 置が「ランドマーク」となる。(59b)では「トラジェクター」は「ランドマーク」と 接している(車は橋に接触している)。(59c)では「トラジェクター」が「ランドマー ク」と同じような大きさになってかさなり、「トラジェクター」が「ランドマーク」を 覆っている。(59d)は「トラジェクター」と「ランドマーク」の二つが一つになり、

垣根のてっぺんが「トラジェクター」で、「経路」に沿って倒れており、垣根の下部も また参照体となっている。(59e)は移動の「経路」は水平ではなく、下から上に向かう もので、最終的に「ランドマーク」の上方に達するものである。ここからわかることは、

先の“气球在房子上方”「気球は家屋の上方にある」の静態スキーマもまた動態スキー マの変化型であり、「経路」が示されていないだけ、ということである。基本スキーマ とその変化型の間にはある種の相似性があり、これは、先に述べた単位カテゴリーの典 型的成員と非典型的成員の間にあったある種の相似性と同じなのである。

具体性がある程度高い所在方位のスキーマは、他の抽象性の高い概念スキーマに投影 されることもある。例えば、

(60)a. She has strange power over me.( 我有奇特的控制力)

「彼女は私に対し変てこな力がある」

b. Harry still has not got over his divorce.(哈里 没有克服 婚 来的困惑)

「ハリーは離婚がもたらした戸惑いを克服していなかった」

c. The match is over.(比 束了)

「試合が終わった」

(18)

d. The government was overthrown.(政府被推翻了)

「政府は打倒された」

(60a)にはメタファーが含まれている、つまりコントロールと被コントロールは上 下の関係だということである。21 これは空間の関係領域がコントロールの関係領域に投 影されているものであり、コントロールする者がトラジェクター、コントロールされる 者がランドマークであって、前者が後者の上に位置するのである。(60b)は二つのメ タファーに関わる。つまり「人生は旅することである」ということ、「人生でおこる問 題は旅の途中の障碍である」というものだ。“Harry”はトラジェクターであり、“人生・

旅”が経路であり、“離婚・障碍”がランドマークである。(60c)は空間から時間への 投影であり、試合はスタートからゴールに至るまでになっている。(60d)はトラジェ クターとランドマークの二つを一つにし、“コントロールと被コントロールの関係は上 下関係である”というメタファーによって実現された投影である。

言語のスキーマ分析には「ビリヤードボールモデル」と「ステージモデル」もまた含 まれる。22 これは、漢語文の主語選択を例にすることができる。漢語における“台上坐 着主席 ”「壇上に主席団が座っている」と“主席 坐在台上”「主席団が壇上に座って いる」の主語についてはずっと議論が続いてきた。しかし、“中国人像日本人”「中国人 は日本人に似ている」と“日本人像中国人”「日本人は中国人に似ている」の文と比べ ると、後者の場合は文頭の成分が主語であると誰もが認めてしまう。なぜなら、論理上、

“AB”「ABに似ている」と言えば“BA”「BAに似ている」と同じ事で あるからであるが、自然言語の中では述語動詞の両側の成分が反転されてもかまわない 状況は一層多くなる。同じような例として、例えば“ 路通西康了/西康通 路了”

「鉄道は西康を通った/西康に鉄道が通った」“窗 糊了 / 糊了窗 ”「窓に紙を貼っ た/紙は窓に貼った」“行人走便道/便道走行人”「通行人は歩道を歩く/歩道を通行人 が歩く」等がある。これは、実のところ「図地反転」と実質上同じなのである。先に

「図地反転」がかなり特殊な状況であり、一般の状況では「図地分離」であると述べた。

言語にあっては通常では主語と賓語は反転できないものであり、主語と賓語が反転でき る文はかなり特殊な文なのである。認知文法は「主語-賓語の反転」を心理上の「図地 反転」の実例に見なす。なぜならば、「主語」は「図」に他ならず、「統語的な図」であ る。同時に「賓語」は「地」に他ならず、「統語的な地」だからである。これは単に視

(19)

覚領域の「図-地」の関係が、抽象度の高い語法領域の中に投影されたにすぎないので ある。二つの成分は相対的に言えば、際立つ方が「図・主語」となり、語法上では際立 つ成分を文頭に置くのである。

「ビリヤードボールモデル」は主語を際だたせる一つの方法である。漢語では多くの 成分、例えば「動作主」「被動者」「道具」「経験者」等の名詞がしばしば文の主語とな りうる。認知言語学ではこれらの異なる語義類型の名詞も認知役割なのであって、「プ ロトタイプ的意味役割」とよんでよい。意味役割の間は離散的なのではなく、一つの

「連続体」を示している。言語構造の中でどの意味役割を選んで文の主語にするか、そ れはビリヤードボールモデルのようなものだ。一つ一つの球が一つ一つの実体を代表し、

一つの球がエネルギーを持ち、別の球に接触する時にエネルギーをその球に伝えると、

その球に受け取られてしまう。いささか複雑なのは2番目の球がまた3番目の球にぶつ かり、こうやって「行為連鎖」を形成することである。23 以下の(61)の漢語の文は一 つの行為連鎖を含む。行為連鎖が動作主“小李”、道具“石 ”、被動者“窗 ”の3 種の意味役割に関係するとき、どの意味役割が主語になるかは、実のところ連鎖の始ま りの実体から連鎖の終わりの実体まで順番に選択が行われるのである。通常は当然なが ら最も際立つ動作主を主語とし、被動者を賓語とする。先の所在位置スキーマに変化型 があったのと同様に、行為連鎖のスキーマにも各種の変化型がある。よって動作主が際 立たない時には、道具を主語に選ぶことができるし、道具も際立たない時には、被動者 が主語になる。例えば

「ステージモデル」は主語を際立たせる一歩進んだ方法である。スキーマを一つの舞

(61)動作主 道具 被動者

主語 賓語 a小李用石碎了窗

主語 賓語 b石碎了窗。

主語 c窗碎了。

(20)

台として仮定するなら、動作主・被動者・道具といった舞台上で活躍するプロトタイプ 的意味役割が必要とされるほか、更に時間・場所などの「セッティング」が必要にな る。24 セッティングの際立ち度は通常プロトタイプ的意味役割に比べて低い。しかし、

同様に場所でも、プロトタイプ的意味役割になる時もあれば、セッティングになるとき もある。例えば:

(62)a.小李在巴黎学美 。

「李さんはパリで美術を学んでいる」

b.小李住在巴黎。

「李さんはパリに住んでいる」

(63)a. Mary swam in the Channel.( 在英吉利海峡中游泳)

「メアリーはイギリスの海峡を泳いでいる」

b. Mary swam across the Channel.( 了英吉利海峡)

「メアリーはイギリス海峡を泳ぎ進んだ」

c. Mary swam the Channel.( 游英吉利海峡)

「メアリーはイギリス海峡を泳いだ」

上の(62)では場所詞“巴黎”「パリ」が(62a)ではセッティングであり、(62b)

ではプロトタイプ的意味役割となっている。(63)で“the Channel”「イギリス海峡」

は(63a)ではセッティングであり、(63b)ではかなり際立ったセッティングとなり、

被動者に近づき、(63c )となるともはや被動者となっている。際立ち度というのが相 対的な程度の問題であることがわかるだろう。「ビリヤードボールモデル」”では、動作 主と被動者の関係は、動作主が「図・トラジェクター」であり、被動者が「地・ランド マーク」であった。「ステージモデル」では、意味役割とセッティングの関係は、意味 役割が「図・トラジェクター」であり、セッティングが「地・ランドマーク」である。

セッティング(例えば場所)が特に際立つ時は、主語となることもできる。例えば漢語 で“台上坐着主席 ”などがつまりこのケースである。25

まとめれば、漢語の主語は、実際上「典型的な意味役割のカテゴリー」「行為連鎖」

「トラジェクターランドマークスキーマ」等の多くのレベルによって決まるものだと考

(21)

え、更に具体から抽象にいたる程度の差異としてあらわれるものだと認知文法は考える。

たとえば:

(64)a.主語は「プロトタイプ的意味役割」の動作主(他動詞文における動作主主語)

狗咬人

b.主語は「行為連鎖」の連鎖の始まり成分(被動者と道具主語を加える)

石 打碎玻璃。

c. 主語は自発的な参与者(経験者主語を加える)

小李

d.主語は「トラジェクター-ランドマーク」スキーマの「図」(セッティング 主語を含む)

台上坐着主席 。

訳注

フレーム(frame)とはある概念を理解するのに前提となるような知識構造」のこと である(辻幸夫2002, p.221、Fillmore1982a, 1985)

転喩「メトニミー」(metonymy)のとは、認知言語学では人が事物を認識する一種 の重要な方法であると考える。ある物体、ある出来事、ある概念には多くの属性があ り、人の認知は一層多くの注意を最も際立つもの、最も容易に記憶、理解する属性、

即ち際立つ属性に向けることである( 2003, pp.115-116)。たとえば:

迅非常 。「魯迅はとても読みづらい」

巾走 来了。「赤いネッカチーフがやってきた」

(例文は李福印2008より引用)

迅”で魯迅の作品、“ 巾”は少年先鋒隊員を指す。その2の訳注(16)を参 照。

Langacker(1987, 1991,その他)は概念構造を概念化と同等であるとし、概念化は意

味内容と捉え方(認知能力)の二つの部分が構成するものであるとする。捉え方が指 すのは人々が備える詳述性、際立ち、視点、動態性、虚偽仮想性といった認知能力で あり、際立ちはその中の一つである。際立ちで最も重要なものはプロファイルとベー スである(李福印編2008)

花瓶と顔を同時に見ることができないという事実の背後に図地分化(figure/ground segregation)と呼ばれる現象がある。この図(figure)にはまとまった形や形態が ある。構造やまとまりといった、物らしい性質がある。地(ground)は構造も形態

(22)

もなく、均一であり、図の後ろに連続して広がっている、つまり、図は地より際立っ ているものと知覚される。(池上嘉彦他訳1998, pp191-193)

認知文法の規定する意味極もしくは音韻極において、言語使用者が特に注目し、際立 ちの大きい部分構造(substructure)を「プロファイル」(profile)という。直角三 角形の斜辺(hypotenuse)のプロファイル(profile)は線であるが、いかなる場所 の線が何れも斜辺(hypotenuse)という訳ではなく、必ず直角三角形の概念に置か なければ斜辺(hypotenuse)ではない。この場合、直角三角形がベース(base)で ある。このプロファイル、ベースは知覚心理学の図と地という概念が基盤になってお り、ベースは背景的要素である地(ground)を構成し、プロファイルは前景化され た図(figure)に相当する(辻幸夫編2002, p227、李福印編2008, p269)

(2006)によれば、漢語の形容詞は性質形容詞、状態形容詞、変化形容詞の三 種類 分けられるという。性質形容詞は恒常的な状態であり、主に定語(臭豆腐)、

状態形容詞は一時的な状態であり、主に状語、述部(豆腐臭 的)、変化形容詞は 主に述部、補語(豆腐臭了)を表す。“雪白”は状態形容詞、“白”は性質形容詞もあ れば、変化形容詞もある。Ex.)在匈奴受了十九年的折磨,胡 、 全白了。(変化 形容詞)。Ex.) 坐的是穿白衣服的便衣 。(性質形容詞)

「有生性」(animacy)とは名詞の指示対象が人または動物などの下位類であること である(戴 ・克里斯特 編,沈家 2002, p.20)

西廂記(せいしょうき)は1260年ごろの戯曲である。この中で侍女の“紅娘”は西 洛の青年張君瑞(ちょうくんずい)と崔相国(さいしょうこく)の一人娘鶯々(おう おう)の仲を一生懸命助けている。現代語訳には村山吉広訳『中国笑話集』社会思想 社、松枝茂夫・武藤禎夫訳『中国笑話選』平凡社などがある。(阿頼耶順宏他編1994, pp.271-272)

イメージとは一般に脳内で生成・記憶・想起される表象(representation)のことで あり、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚・体勢感覚など様々な感覚などにより構成され る言語以外の表象のこと(辻幸夫2003)その1訳注(5)を参照。

10デンマークの心理学者Rubinの「顔と花瓶の幻覚図」(face/vase illusion)を観察す る時、白い背景の二つの顔または黒い背景の花瓶の二種類の観察結果を持つ。この二 つを同時に見ることはできない。これは大脳の視覚情報に対する体制が「図/地分離 原則」を遵守するからである。このように知覚した対象を図と地に分けることを図地 分離 (figure-ground segregation) または図地分化(figure-ground distinction)

という。白い部分の二つの顔を知覚する時には、白い部分が図(figure)となり、黒 い部分が地(ground)となり、黒い部分を花瓶と知覚する時には、黒い部分が「図」

(figure)となり、白い部分が「地」(ground)となる。図は一つの突出した実体で あり、 我々が感知する事物である。 地は図に依存したものである (Koffka1935;

Ungerer & Schmid1996;李福印2008)

11視野にある 対象を一つのまとまりのあるものとして知覚する心的作 用を体制化

(organization)といい、体制化により形成されるまとまり(構造体)を「ゲシュタ

(23)

ルト」(Gestalt)という(辻幸夫2003)。図は一つのゲシュタルトであり、突出した 実体であり、我々が感知する事物である(Koffka1935; Ungerer & Schmid1996;李福 2008)

12認知領域とは意味の記述に特に必要なコンテクストである。空間、時間、視覚、味覚、

温度、痛覚、感情、運動感覚など、他の領域に還元できない領域は基本領域(basic domain) という。 この基本領域を基にして成立するレベルの高い領域を抽象領域

(abstract domain)という(辻幸夫2002, p.192)。

13円(base)―孤(profile)、直角三角形(base)―斜辺(profile)の関係である。

14(54a)から(54d)に行くに従って、詳述性(specificity[specific])が増している。

認知文法において、詳述性という概念は関係をプロファイルする表現の記述において も重要である(辻幸夫2002, p.112)

15スキーマ(schemas)とは、具体例とプロトタイプの双方と性質するような、細部の 捨象と抽象化を行った結果得られる共通性のこと(早瀬尚子・堀田優子2005, p.72)

16理想化認知モデル(Idealized Cognitive Model;ICM)とは プロトタイプ理論により 明らかになった典型性の効果(typicality effects)を説明するためにGeorge Lakoff が発展させた理論構築物。ICMは世界のある面と語や他の言語単位が相対化される

「理論」を表示する相対的に安定した心的表象である(Evans Vyvyan2007, p.104)。

我々がある語の対象を意味づけする際に、周周の背景的要因をもとに、単純化、理想 化して対象を捉える知識モデルのこと(辻幸夫2002, p.252)

17集合の包含の論理、つまり 死ぬ⊃人間 人間⊃ソクラテス 死ぬ⊃ソクラテス。

18イメージスキーマ(image schema)は我々の周りの世界と我々の日常の相互作用や その観察から直接に生じる相対的に抽象的な概念表象であり、感覚、知覚経験から派 生される。従って、それは身体化された経験から派生される。よく知られているイメー ジスキーマとしては「前・後のスキーマ」「遠・近のスキーマ」、「容器のスキーマ」

「部分・全体のスキーマ」、「起点・経路・着点のスキーマ」 などがある (Evans Vyvyan2007, pp.106-108;辻幸夫2002, p.13)

19プロファイルされた関係の中で、際立ちの最も大きい部分構造を「トラジェクター」

(trajectory)、その他の際立ちの大きい部分構造を「ランドマーク」(landmark)と 呼ぶ(辻幸夫2002, p.171)。Langackerは主語や賓語の文法機能はトラジェクター―

ランドマーク体制化の反映であると主張している(Evans Vyvyan2007, p.214)

20Lakoff George 1987. Women, Fire, and Dangerous Things:What Categories Reveal about the Mind. Chicago:University of Chicago Press.

21メタファー(metaphor)「隠喩」とはある概念(起点領域,具体的)を利用して別な 概念(目標領域)を表すことであり、この二つの概念の間の相互的な繋がりが必要で ある。その2訳注10を参照。

22ビリヤードボールモデル(billiard-ball model):○==⇒○==⇒○==⇒○――

(○:物体,⇒エネルギーの伝達,→移動)。物体の移動にはエネルギーが必要であり、

その源は移動する物体自身の内部から発生する場合もあれば、他の物体から受け取る

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